「お花見がしたい」
彼女――氷精チルノは突然ド直球にそう言った。
確かに空からは春の麗らかな陽射しが降り注ぎ、頬を撫でる風はほんのり暖かで心地よい。
山の方は薄桃色の桜が咲き誇り、そこらかしこで妖怪や人間が宴を開いている様子が聞こえてくる。
ふと見上げると春の訪れを告げて回るリリーホワイトの姿が見えた。
うん、絶好の花見日和と言って申し分ない。
むしろこれだけの条件が整っていて花見をしないなんて桜の神様への冒涜行為だ。
言った本人はそこまでのことは考えていやしないだろうが。
「それじゃあお花見しよっか」
突然の提案にも関わらず、その言葉を聞いた大妖精はにっこり微笑み頷いた。
どうせ今日はどうやって遊んで過ごすか考えあぐねていたのだし、断る理由はどこにもない。
早速近場の桜が咲いているところへ向かおうと手を差し伸べる。
しかし言い出しっぺのチルノがなかなか手を伸ばしてこない。
「どうしたの? もしかしてやっぱりお花見したくない?」
「うーん……お花見はしたいんだけどさ」
したいんだけどさ、ということはただ花見がしたいだけではないということだ。
そもそも桜の花を愛でることを“花見”と称するならば、そんなことをチルノがしたいとは思うまい。
今や花見と言えば春になって浮かれた者達が騒いで飲むための口実と言う方がしっくり来るだろう。
チルノが思い浮かべているものもそれだとすれば、彼女がやりたがっている花見にも予想が付く。
「それじゃあまずは準備だね」
ただ花を見るだけの花見なら近場にいくらでも穴場がある。
だがチルノが求めているものがそれではないとすれば、その為の準備が必要だ。
「よーし、どこの花見よりも最高の花見にしてやるわよ!」
「うんっ」
妖精2人は――主にチルノが――満足のいく花見を開くために、準備に取りかかった。
☆
まずは美味しい食べ物だ。
美しい桜を見ながら美味い食べ物に舌鼓を打つのは花見の基本。
しかし哀しい哉。チルノと大妖精のどちらにもそれを“作る”という選択肢は選べない。
彼女たちはより妖精らしい生活を謳歌しているため、人間のように料理をするという習慣がないのだ。
元より食物摂取という生理現象を必要としないため、食事という行為は彼女たちにとって娯楽の一つでしかない。
しかし味覚は存在しているので、やはり食べ物は美味い方が良いと思うのだ。
普段の食事やおやつが新鮮な山の幸丸かじりとなれば、それを美味に仕上げた料理の味はまた格別と感じるに違いない。
「サニーちゃん達は料理できるのよね」
「あいつ等は変わり者ね。料理なんて人間の真似事しちゃってさ」
いつも対立してばかりいる三妖精は、妖精にしては珍しく人間風な住処を有し、生活スタイルも人間と変わらない。
寝るときはきちんと布団で寝るし、料理だって台所を使って自分たちで用意する。
材料は山の幸とチルノ達と変わらないが、ちゃんと調理している辺りは大きな差だ。
「でも料理ができると良いよね」
大妖精が料理のスキルを習得し、それを存分に発揮できる環境が整えば
毎日のようにチルノに差し入れを作る姿が容易に思い浮かぶ。それでいいのか大妖精。
だがそんなことをいくら想像してみたところで、その願望が叶うのはずっとずっと先に違いない。
今はそんな先を夢見るより、まずは花見のために何か料理を調達するのが最優先なのだ。
それは何も自分たちで作る必要はない。
元々作ってあるものを頂戴すればよいのだ。
しかし大妖精が泥棒を働くなどまずあり得ない。チルノが考えていたとしても、それを全力で止めに掛かるだろう。
もし奪うという形で手に入れたとしても、その後の花見はきっと楽しくない。
だから大妖精がいるという理由だけでなく、チルノ自身そのように考えていなかった。
そんな2人が料理を調達するために向かったのは人里近くにある上白沢慧音の家だった。
ちょうど畑仕事を終えて戻ってきたところを捕まえ、早速ここにきた目的を告げる。
しかし2人は慧音から食料を貰うつもりではなかった。
「妖精にしては珍しい頼みだな」
知識人としてまた常識人として知られる慧音の元を尋ねたのは大妖精の提案だった。
奪うのでも盗んでいくのでもないとすれば、後は買うか貰うかしかない。
金など2人が持っているはずがないので、必然的に選ばれるのは後者ということになる。
しかしそうなれば、ただ貰うというわけにもいかない。
人間にだって生きていくために食べているのだから、それをただで貰うというのは
なにがなんでも烏滸がましく、まず無理な相談というものだ。
だからこうして人間のことをよく知っている慧音に話を聞きに来たのだ。
人間に危害を加えるつもりはないし、妖精にしては殊勝な心がけだということで、
慧音もその頼みを聞き入れ、真摯に助言を返してくれた。
「ふむ……そうだな。ならこうすると良い」
慧音が提案したのは至って簡単で、2人に最も適した方法だった。
それを聞いたとき大妖精のみならず、チルノも感嘆の声を上げたほど。
2人は早速その方法を試すべく人里へと下りることにした。
春になったということで、人々の顔は明るく活き活きとしている。
店から飛んでくる呼び声も威勢が良く、里全体が春の訪れを祝っているようだ。
「ふわぁ、凄い人だね」
「人間の里だから当たり前じゃん。そんなことよりさっきのアレ、試すわよ」
こういう時はチルノの度胸が役に立つ。
大妖精は萎縮しているが、ある意味人間慣れしているチルノは臆すことなく準備を始める。
慧音から貸してもらったタライを置いて、その前にどっかりと腰を落ち着けるチルノ。
妖精が何かしているということで、周囲に人間が集まり始めた。
悪さでもするのではないかと怪訝な表情を浮かべている者も少なくない。
「さぁ、いっくよーっ」
元気な一声と共にチルノは能力を発動する。
己が発する冷気を周囲に振りまき、大気中の水分を凝固。さらにそれを一カ所に集中させていく。
タライの中にこぶし大の氷の固まりが幾つも生まれ始めた。
あれよあれよという間にタライの中には氷の山ができてしまった。
「あ、えと。お酒を冷やすのに便利な氷は如何ですかっ」
渾身の勇気を振り絞って大妖精は言った。それに続いてチルノも、
「あたいの特製氷よ! すぐに作れるから一人何個でも持って行って良いわ」
悪戯を始めるものとばかり思っていた人間達は互いに顔を見合わせて困惑を露わにする。
冷却装置のない幻想郷において、氷は冬場にしか手に入れることのできない貴重品だ。
山の中に行けば氷の作れる洞窟もあることはあるが、そこまでの道中は危険だしそこから持って帰る途中で殆ど溶けてしまう。
「何が目的だ」
人間の一人が代表のように一歩進み出て尋ねてきた。
まだ警戒は解いていないらしく、その口調は高圧的だ。
その物言いにチルノはムカッとしかけるが、大妖精にふるふると首を横に振られて怒鳴り返すのを堪える。
「人間の食べ物を分けてください。えーと、ぶつぶつこうかん? って言うんですよね」
「本当にそれだけか」
「気に入らないならあんたは行っちゃえばいいじゃない。あたい達は美味しいものが欲しいだけよ」
ざわざわとそれぞれに相談を始める人間達。
妖精がまともに交渉を持ちかけてくるなど俄に信じられることではない。
しかし大量の氷が手にはいるとなれば、それは魅力的な提案だ。
「ほ、本当に食べ物だけで氷をいくらでも分けてくれるのか?」
「しつこいなー。さっきからそうだって言ってるじゃん」
普段から妖精達の悪戯の的となっているからか人間達は用心深い。
しかしそんな態度はチルノからすれば優柔不断で苛つく対象でしかない。
「だったら俺、家から握り飯でも持ってくるよ」
そう言って人間の一人が野次馬の群れを掻き分けて自宅へと戻っていく。
呆然とそれを見送っていた他の人間達だったが、それを皮切りに各々の家へと一目散に駆けていった。
あっという間にチルノ達の周囲に集まっていた人間の姿は全て消えてしまった。
これならきっと大丈夫だと慧音に太鼓判を押して貰った作戦だったのだが、こうも上手くいくとは。
「なぁんだ。人間も結構単純なのね」
チルノに言われてしまってはおしまいな台詞ベスト3には入るであろう台詞。
大妖精もそれがわかっているのか微妙な苦笑を浮かべている。
しばらくして、2人は両手に持ちきれないほどの料理を手に入れることに成功した。
☆
さて無事に宴会料理は手に入った。
次に必要なのは。
「やっぱりお酒よねっ」
宴会を盛り上げる為に必須中の必須アイテム。
酒のない宴会など馬鹿の抜けたチルノ同然。
それが当然至極の在り方。そうでなければ自然の摂理に反すると言っても過言ではない。
美味い料理は宴に花を添える。ならば美味い酒は宴会に花を咲かせてくれるものと言えよう。
「どこで手に入れようかなぁ」
「そ、そうだね」
大妖精はつっこめなかった。
貰うならさっき料理と一緒に貰っておけば良かったのではないか、と。
もうすでに里の人間の手には充分な量の氷が行き渡っている。
つまり今から行っても同じ手は通用せず、2人が取れる手段はあそこではもうない。
「そうだっ」
チルノが何やら思いついたらしく、大妖精に振り向いた。
その顔には良い案が閃いたことに対する勝ち誇った笑みが浮かんでいる。
往々にしてチルノがそういう顔を見せた後はろくでもない事に巻き込まれるのだが。
しかしここでそれを拒否できるほど、大妖精は友情に薄い性格ではない。
「どうしたの?」
「お酒があるところに行って、それから手に入れる方法を考えればいいのよ」
「うん。うー……ん?」
それは先程と何が違うのか。そもそもそれで上手くいくのか。
チルノの頭の中ではすでに酒を手に入れるまでの行程が完成しているらしいが、大妖精には理解できない。
「とりあえず酒がありそうな所に行くよ」
「わかった。チルノちゃんを信じるね」
とりあえずそう言うことで、自分を納得させ大妖精は意気揚々と羽を広げるチルノの後を追った。
「……で、なんでウチなわけ?」
階段の上からさも面倒くさそうな目つきで見下ろす霊夢。
右手には竹箒。しかしあまり穂先は歪んでおらず、あまり使われていない様子が見て取れる。
「だからさっきも言ったじゃない。ここにはいっぱいお酒があるんでしょ」
「だから?」
「それをあたい達によこしなさい」
すっこーんっ、と景気の良い音を響かせて箒の柄がチルノの額に命中した。
そのまま後ろ向きに倒れ、行き着く先は階段を転げ落ちるという悲惨な末路。
「ち、チルノちゃんっ!?」
遙か後方に姿を消してしまった友人の名を悲痛な声で呼び叫ぶ大妖精。
しかしすぐにその背後から発せられる苛立った空気を感じ取り、おそるおそる振り返る。
「それであんたはどうするのかしら?」
霊夢の手には何もない。だが下手な答えを返せば、きっとチルノと同じ運命を辿ることになるだろう。
しかし何を言えばいいのかということを考える前に、大妖精が選べる選択肢は一つしかないのだった。
「あ、あぅあぅ……」
即ち“何も答えることができない”である。
言葉にならない言葉を発して怯えるだけの姿を見て、霊夢はやがて大きな溜息を吐いた。
チルノのように怖い者知らずな性格相手なら対応も簡単で良かったのだが
こういうタイプは実のところあまり得意ではない。
「とりあえず下で伸びてる友達を連れてきなさい。話はそれからよ」
そう言って境内へ踵を返す霊夢の後ろ姿を見て、大妖精は慌ててチルノを迎えに階段の下へと向かった。
神社や寺特有の長い石段を追ってチルノの姿を探す。
かなり勢いよく転がり落ちていたから、だいぶ下まで行っているようだ。
なかなかそれらしい青い姿が見えてこない。
「あ、チルノちゃーんっ」
とうとう一段目まで下りたところで見つけることができた。
これが人間だったら先ず命はなかったと思われるが、そこは妖精。多少人間よりは頑丈にできている。
外傷はないか見てみるが、目立った傷は特になくかすり傷しかない。
霊夢の言ったとおり完全に伸びきっているチルノを抱き起こして頬を叩く。
「大丈夫? 起きられる?」
意識がない者に起きられるも何もあったものではないのだが、そう問わずにはいられない。
しかしチルノが目覚める気配は一向にない。
これは背負って戻るしかないか。
そう思って大妖精がチルノを一旦地面に寝かせた瞬間だ。
「あぐっ」
「ひびゃっ」
突然起き上がったチルノのおでこと大妖精の鼻がごっつんこ。
まったく予定していなかったチルノの起床に油断していた大妖精は思わぬ大打撃を受けてしまった。
チルノからしてみれば、霊夢から受けた傷に追い打ちを掛けられたことになりまた苦痛に顔を歪める羽目となっている。
しばらくの間大妖精は鼻を押さえてうずくまり肩を震わせ、チルノは額を押さえてのたうち回った。
階段から落ちたダメージよりも霊夢から受けたダメージの方が大きいというのは、
霊夢恐るべしの一言で片付けるほか答えられはしないだろう。
再度博麗神社へとやってきた2人。
賽銭箱の前の階段に座り、霊夢はのんびり優雅にお茶を飲んで待っていた。
「なんだ、やっぱり来たのか」
しかしそこでお茶を飲んでいるあたり、待ってくれていたのだということが伺える。
ここでチルノはまず霊夢に噛みつくはずだが、どうしたことか大人しく大妖精の後ろにいる。
それは大妖精が事前にチルノに忠告していたからだ。
チルノもあんな目に短時間で二度遭うのは勘弁らしく、不服そうにしながらもその忠告を飲んだ。
しかしやはり納得するまでは至っていないようで、目の奥には憤怒の色がちらついている。
それを取り繕うように笑いながら大妖精は霊夢の元へと向かった。
「それで何だったかしら」
「お酒を分けて欲しいんです。チルノちゃんがここにはいっぱいお酒があるって」
「なんでそんな風に思うのよ」
その質問チルノに向けられたものだ。
大妖精が代わりに答えようにも、チルノが言い出したことだと明言してしまっているためそれはできない。
できるのはチルノが反抗的な態度を取らないように祈るだけだ。
「ここってよく宴会してるでしょ。だから」
祈りが通じたのか、チルノが大妖精が考えているより大人だったのか最悪の事態にはならずに済んだ。
しかし端的な答えでは答えとして不十分だったらしく、大妖精にはその真意が掴みきれない。
「あれだけ沢山宴会をしているということは、ここに沢山お酒があるからって言いたいのね?」
「そうよ」
まああながち外れてないわねと、霊夢は小さく感嘆を含んだ独り言を呟く。
霊夢の付け足しのおかげで大妖精にもチルノがここを選んだ理由が理解できた。
「確かに私はお酒を造っているわ。いっぱいって言うほどのものじゃないけど、
まあそれなりの量を確保しているのはあんたの予想通りかしら」
「チルノちゃんすご~い」
チルノが結果を出したというのは、霊夢からしてみれば意外だがそれ以上大妖精は感動を覚えていた。
しかしそれはつまりチルノにはあまり期待していないということの裏返しを意味する。
本人はそう思っていないだろうし、チルノがそんな裏を読もうとするほど頭を働かせはしないだろう。
「そりゃあ、あたいはさいきょーだもの。このくらい当然ねっ」
えへんぷいという擬音をまさに象徴するかのようなチルノの返答に、思わず霊夢は吹いてしまった。
それを揶揄と受け取ったのだろう、チルノはすぐにその顔を憤怒に染める。
「何さ!」
「まったく可愛いというかなんというかって思っただけよ。別に馬鹿にはしてないわ」
ただし小馬鹿にはしている。
いきなりやって来ていきなり酒を分けろとぬかし始めたときには、
さてどうしてくれようものかと怒りも覚えたが、今更ムキになって叩き返すこともない。
「そうね。お酒を分けてあげても良いわ」
「本当?」
「ただ、というわけにはいかないけどね」
そう言って片目をぱちんと閉じてみせる霊夢。
うわぁ似合わねぇと言ったチルノが三度額に鈍痛を感じたのはまあ当然の結末だ。
しばらくして、境内には巫女服に身を包んだチルノと大妖精の姿があった。
サイズは霊夢の物より小さいが、袖だけ離れて袴ではなくスカートという形状に変わりはない。
どうやら霊夢が昔使っていたお古の巫女衣装のようだ。
「それで? あたい達にこんなの着させてなにさせようってんのさ」
いつもの青いワンピースではなく、紅い巫女服を着たチルノは新鮮みに溢れている。
それは隣で目を輝かせながら、
「チルノちゃん、可愛い……」
うっとりとしている大妖精の顔を見ても明らかだろう。
自身もよく似合っていることに気がついていないのだが、まあとりあえずこのことは置いておこう。
気にするべきはチルノも言っているように、どうして彼女たちがそんな格好をしているのかということだ。
「私の仕事を手伝って貰うからに決まってるじゃない」
そこへ竹箒を二本抱えて霊夢が戻ってきた。
「神社で仕事をするなら、きちんとそれらしい格好をしてもらわないとね」
霊夢の衣装がきちんとしているのかどうかは怪しいところだが、こういったものは大抵気持ちの問題だ。
だから決してつっこんではいけない部分なのだ。
「ちゃんと手伝いができたらお酒を分けてあげるから、しっかりね」
言いながら笑顔で箒を手渡す霊夢。
どう見ても仕事を押しつけているようにしか見えない。
チルノもそう感じているらしく凄く不満げな色を浮かべているが、大妖精がそれを制止している。
ここで逆らっては今度こそここで酒を手に入れる手段を失ってしまうのだ。
「わ、わかってるわ。さいきょーのあたいが掃除したらちょちょいのちょいよ!」
「そう? それじゃあお願いね」
ひらひらと手を振って母屋の方へ戻っていく霊夢。
多分縁側に座ってお茶でも飲む気なのだろう。
その後ろ姿を忌々しげに見つめながら、込み上げてくる文句を必死に押さえつけるチルノに大妖精はそうそうと首を縦に振った。
霊夢の姿が角に消え見えなくなると、チルノは地団駄を踏みながら溜まっていた鬱憤を吐露した。
「あの紅白、掃除をサボりたいだけなんじゃないの!?」
「……かもね。でもやったらお酒を分けてくれるって約束してくれたんだし、頑張ろう?」
大妖精にそう言われてしまっては、サボって逃げるわけにもいかない。
本当に嫌々といった風ではあるが、チルノは箒を使って境内のゴミを掃き出した。
チルノが始めたのを見て、大妖精もそれに続く。
竹箒を左右に動かし、穂先を使って石畳の隙間に入り込んだゴミもきっちりと。
チルノは悪戦苦闘しながらもなんとか頑張っている。
しかしこの時期は桜の花びらが散り続けているので、掃いても掃いてもキリがない。
次第にチルノの苛立ちが募り、そしてそれはいつ爆発しても不思議ではなかった。
――とか言っている内に。
「っだぁーっ!」
イライラがクライマックスを通り越してしまったチルノの咆哮が境内に響き渡る。
「チルノちゃん、ちゃんとやらなきゃ」
「……だってさ」
チルノが嫌になる気持ちも分からないではない。
しかしやると約束したのだから、こちらもそれを守るのが人間妖怪妖精関係なく当然の守り事だ。
「頑張ってお花見するんでしょ?」
そう言われてしまえばチルノには何も言い返す言葉がない。
そもそも事の発端はチルノが花見をしたいと言い出したことなのだから、
ここで当の本人がいち抜ーけた、というわけにもいかないだろう。
「う、うん。わかってるわよ」
チルノにも彼女なりのプライドがあるのか素直に大妖精の言葉に頷き、放り投げた箒を拾いに行った。
それから一時間くらいが経ったくらいだろうか。
「もういいわよ」
母屋の方から霊夢が酒瓶を持ってやってきた。
2人の所にやってくると、霊夢は改めて境内を見渡し掃除の出来映えをチェックする。
そして徐に口を開くと、そこから飛び出してきたのは素直に感嘆した言葉だった。
「へぇ、なかなか綺麗になったわね。途中で放り投げるものとばかり思っていたんだけど」
もしこれで賭をしていたなら、きっと誰もが――主にチルノが――途中で投げ出す方に賭けていたことだろう。
実際は一度投げ出しかけたのだが。
「それじゃあこれが約束のお酒ね」
あっさりと渡してくれた霊夢に、チルノはしばし唖然としてしまう。
いつもの姿が姿だけにその素直さが信じられないでいるのだ。
「チルノちゃん、ほらお礼言わないと」
大妖精に肘で小突かれて、ようやく我に返るとチルノは慌てて頭を下げた。
里で食べ物を貰ったときに大妖精から倣ったものだ。
「あ、ありがと」
「ありがとうございます」
礼を言い終えると小さな背中は石段を下りていった。
綺麗になった境内に一人残った霊夢は、周囲に咲き誇る桜に目を向ける。
酒を欲しがる理由を二人に尋ねたところ、それは花見のためだと言った。
桜は妖精の心も奪うのか、それとも何か他の理由があるのか。
「ま、私には関係ないけどね」
らしくないことを考えていた自分に苦笑すると、霊夢は再び縁側で花見茶としゃれ込むため母屋へと戻っていくのだった。
☆
料理と酒は手に入った。
色々時間は掛かったものの後は楽しむだけ。
早速湖の近くで一番桜が綺麗な広場へと向かう二人。
「ふんふんふふ~ん♪」
余程楽しみにしているのか、チルノは鼻歌交じりで空を飛んでいる。
手にぶら下げた料理と酒の入った袋を、今にも振り回さんといったはしゃぎ様だ。
ただそんなことをすればせっかくの苦労も水の泡と化してしまう。
大妖精は側を飛びながら、いつチルノが機嫌良く腕を振り回さないかとハラハラした目で見ていた。
結局その気苦労が杞憂に変わるのは、無事地面に足が着くまで続くことになる。
だがここまでくれば後は……のはずだった。
「何やってるのよ」
チルノが少し低い声を出す。
大妖精はそれでチルノの機嫌が下降気味になっていることを悟り不安を感じ始めた。
それは相手が光の三妖精であることも関係しているだろう。
何かと互いにつっかかろうとするチルノと三妖精。
少し前にも隠れん坊勝負ということで、幻想郷中を引っかき回したことがある。
「何ってお花見に決まってるじゃない」
当たり前だと言わんばかりにルナチャイルドが答える。
ピクニックシートの上に広げられた彩り豊かな弁当と、葡萄酒日本酒麦酒と種類を揃えた酒。
殆どが握り飯な貰い物や、労力と引き替えに得た酒も日本酒だけというチルノ達に比べればグレードが高い。
しかしチルノが不機嫌になっているのは、そういうことではない。
「ここはあたいがお花見しようと目をつけていたんだから」
「早い者勝ちでしょ。というか場所ならいくらでも開いてるじゃない」
サニーミルクが突然噛みついてきたチルノに高圧的な態度を返す。
火に油が注がれれば、後は景気よく燃えるしかないわけで。
「なんであんた達はいつもいつもあたいの邪魔ばかりすんのよ!」
「今日は偶然でしょ! というかあんたの場所って言うなら名前でも書いておけば?」
スターサファイアと大妖精はそんな3人のやり取りにそれぞれ溜息を吐いた。
そしてチラと横を見ると視線がかち合う。
「あなたも大変そうね」
「私は別に……。チルノちゃんはちょっと短気なだけだし」
あれがちょっとねぇとスターは呆れた顔を見せる。
しかしこうして蚊帳の外から眺めていると、知能の高低差こそあるものの実は似た者同士なんだろうなと感じる。
近親憎悪という言葉があるが、サニーとチルノは多分そんな関係なんじゃないだろうか。
ちなみにルナはサニーと一緒になって口喧嘩しているものの、あれはまた別のタイプである。
「でも、それなら仲良くもできるんじゃないですか?」
それを大妖精に話すとそんな言葉が返ってきた。
「確かにね。でも強情で自分正当化型同士だと、それは難しいと思うわ」
目の前でどんどんヒートアップしていく口論を目の当たりにすると、スターの言い分が正しいように見えてくる。
どちらかが譲歩すればすんなり場は収まるはずなのだが、そう上手くいかないからいつもこうなってしまうのだ。
「あーもーっ! 口で言ったって分からないんだから!」
その時一際大きな声でチルノが喚き、大妖精とスターもそちらを向いた。
すでにルナは後方に下がり、サニー対チルノの構図ができている。
まだそれはいつもの光景なので良いとしよう。
しかしチルノの様子が少し妙だ。
「口で言って分からないなら、直接痛い目に遭わせてやるわ」
春の陽気が漂う花見の席に、突然場違いな寒気が走る。
それはチルノを中心として円を描くように広がっていった。
「チルノちゃんっ、それはダメーっ」
チルノが何をしようとしているのかを悟った大妖精は止めに入ろうと走る。
今日はスターと話し込んでいたため、止めに入るのが遅れていた。
だからなのかは知らないが、事態は最悪の方向に進んでしまっている。
「パーフェクト、フリイイッズ!」
大妖精は一歩遅かった。
チルノは必殺技の名前を叫ぶと同時に自身の周囲に散った冷気をさらに強力なものに変える。
普段の弾幕ごっこなら、先に撒き散らしておいた弾幕を凍らせて軌道を変える大技だ。
しかし弾幕がない状況で使っても効果の程は絶大だ。
「ちょ、本気にならなくてもいいじゃないよーっ」
サニーは最も近くにいたため、一番の被害を受けている。
慌てて離れるが髪の毛はパリパリに凍り付いてしまっていた。
最初から距離を取ってるスターや途中で戦線離脱したルナは木陰に隠れて何とか凌いでいる。
だがこの強力な冷気の被害を受けたのは三妖精達だけではなかった。
「チルノちゃん、そんなことをしたら桜がっ」
「え?」
大妖精の言葉に反応してチルノは冷気を振りまくのを止めた。
しかしすでに周囲に撒き散らされた冷気によって、桜の花びらは全てドライフラワーのように凍り付いていた。
そして突然冷気が収まり元の陽気が戻ってきたものだから、その反動が引き起こす結末は……。
「これって花びらなの?」
「砕け散ってる」
それは見ようによっては幻想的にも見える光景だ。
桜の花弁が一斉に凍り付き、そして一斉に砕け散る。
氷の破片となった薄桃色が太陽の光を反射しながら空に舞う。
「そんな」
自身でやったことなのに、チルノは愕然として膝をついた。
辺りに咲き誇っていた満開の桜は刹那の内に枯れ木のようになってしまっている。
まるで一瞬で冬に戻ったかのようだ。
「チルノちゃん」
肩を落としたチルノを励まそうと近づいた大妖精だったが、その手が触れる前に止まる。
俯いたチルノの口から漏れる嗚咽。ぽたりぽたりと滴り落ちているのはチルノの涙。
「ひくっ、グスッ……」
「チルノちゃん。お花見なら別の場所でもできるよ?」
「違うよ……そんなんじゃない」
涙声だがチルノははっきりと答えた。
「あたいはお花見してる人間や妖怪がみんな楽しそうに見えた。みんなで美味しいもの食べたり
お酒を飲んで騒いだり、顔を真っ赤っかにして笑ったり」
「だからお花見がしたかった?」
こくんと頷き大妖精の言葉を肯定する。
「リグルやルーミアとかも呼んでみんなで騒ぐつもりだったの」
「サニーちゃん達は?」
「……来たかったら来ても良いって言うつもりだった」
だがせっかくの自分のアイデアを先に使われていたことに苛立ちが先行してしまったのだ。
後は単純なチルノの思考。結果こうなってしまっても仕方なかった。
それを聞いたサニー達は複雑な表情を浮かべる。
事を大きくしてしまったのは自分たち――主にサニー――にも非があるのだ。
「サニー?」
スターが意味深な視線でサニーにあることをするように促す。
その意図にサニーも気付くが、しかし険しい表情を浮かべてなかなか決断できずにいる。
「元はと言えばサニーが強情な態度を崩さなかったのが悪いんでしょ?」
「でも元々はチルノの所為でしょ? 桜が全部散っちゃったのも」
「それでもあの子が全部悪い訳じゃないと思うけど?」
チルノの性格は三妖精達だって知っている。
それなのにこうなる事態を止められなかったのは、こちら側の非だ。
チルノよりも賢いと自負しているのにだ。
「う、わかったわよ。言ってくればいいんでしょ」
サニーはしぶしぶといった様子だったが、後ろのスターからの視線に押されてチルノの元へ歩み寄った。
そしてしゃがみ込んで膝に顔を埋めているチルノと同じ高さまで腰を落としこう言った。
「悪かったわ。一緒にお花見しようって言えば良かったんだけどね」
まだ素直ではないがきちんと頭を下げて謝るサニー。
それに続いてルナも謝罪の言葉を口にした。
「私も……悪かったわ」
「こっちは謝ったわ。それじゃ今度はあなたが謝る番じゃない?」
スターの言葉に大妖精も頷く。
優しくチルノの肩に手を置いて、諭すように穏やかに話しかけた。
「ほら、チルノちゃん。ちゃんと謝ろう? サニーちゃんとルナちゃんは謝ってくれたよ?」
それでこの件はチャラ、ハイお終い。それで良いのだ。
しばらくは涙を見られるのが嫌だったのか顔を上げずにいたチルノだったが、やがて――
「ごめんなさい」
小さくその言葉を口にした。
それを聞いて大妖精も満足そうに笑みを浮かべる。
三妖精も安堵の表情を浮かべた。
「それじあお花見を仕切り直しましょ。ここの桜は散っちゃったから他の場所を探さないとね」
スターの提案に皆が頷いた時だ。
ビョウと突風が吹き抜け、皆の視界を奪った。
そして再び目を開けると、そこには――
チルノ達の仲直りを祝福するように、桜花がこれ以上はないくらいに咲き誇っていた。
☆
その日の夕刻。博麗神社の境内に竹箒を持った霊夢の姿があった。
昼間にチルノと大妖精が綺麗にしてくれた境内も、すでに花びらだらけになっている。
これじゃあ散り終えるまで待っていた方が良いんじゃないかと思いたくなる程の速さだ。
博麗神社は幻想郷一四季の変化が著しい場所だが、それはこういった不便も伴う。
それを知らない連中は羨ましいだのなんだの言って溜まり場としてやってくるからまた困ったものだ。
「噂をすればなんとやら、ね」
「なんだその嫌そうな顔は」
夕暮れにも関わらずやってきたのは上白沢慧音だった。
その手には土産の菓子折がある。その辺り他の妖怪にはない生真面目さが伺える。
霊夢もそれを見た瞬間に面倒くさげな表情を一変させた。
「まったく神職に就く者とは思えないな」
「なんだって良いじゃない。それで? なんの用かしら」
「いや、少しばかり礼をしようと思ってな」
しかし霊夢自身には思い当たる節がない。
首を傾げる霊夢に、慧音は一から教えてくれた。
「今日の昼前頃氷精がやってきてな。人間から食べ物を分けて貰う方法を教えてくれと聞いてきた」
知恵を分けた結果はなかなかのものだったらしい。里の人間達も氷が沢山手に入りとても喜んでいた。
慧音はその礼をしようとチルノ達に菓子を持っていこうとしたのだが、そこで見たのは妖精同士の喧嘩だった。
その一方は用事の相手であるチルノ。
見ていると怒ったチルノが冷気を振りまいて、周囲の桜を全て散らせてしまった。
喧嘩自体は彼女たちが自分たちで解決してしまったのだが、散ってしまった桜は元には戻らない。
だがその時、慧音の視界に霊夢の姿が見えた。
霊夢は手に持った袋から桜の花びらを取り出すと、それを風に乗せて周囲に蒔いた。
するとどうだ。あっという間に、散ったはずの桜が満開になったではないか。
チルノ達はその後友人を招いて花見を大いに楽しんだ。
「あれは春の結晶だったんだろう?」
「あの子達が思いの外頑張ってくれたからね。お駄賃のお釣りよ。でもそれでどうして私の所に?」
「私の代わりに彼女たちに礼をしてくれた。だから、私はお前に礼を返すことにしただけだ」
「あっそ。それはそれは律儀な事ね」
素直じゃないなと苦笑を漏らす慧音に、ほっとけとそっぽを向ける霊夢。
その横顔に夕日が朱を射し、少し涼しくなった風が髪を撫でる。
「それにしてもここの桜も見事だな」
風に乗って舞う桜吹雪を見ながら慧音は呟いた。
「この盃を受けてくれ、どうぞなみなみ注がせておくれ」
「花に嵐の例えもあるぞ、さよならだけが人生だ、だったかしら?」
「そうだ。なんとなくその言葉が浮かんだんだよ」
「さよならだけが人生ね。でもさよならって出会いがあるからあるんでしょ」
だったら人生は出会いでできているとも言い換えられる。
他者と出会い、他者と関係を結ぶことで人生は続いていくのだ。
それはどんな関係であるにせよ、その者を形作る要素となる。
そしてきっとそれは妖怪や妖精にも言えることなのだろう。
何故そんなことがい言えるのか。
彼方で騒ぎ笑い合っている妖精達がそれを証明しているではないか。
《終幕》
これから雨虎さんの過去作探しに行きます。