「あ~もうっ!」
私は目の前の雪に怒りをぶつける。しかし奴らは揺るがない。
「~っ!どきなさいよっ!!」
私はそう言って突進した。私の警告を無視していた雪は、たちまち蹴散らかされ、粉々に砕け散る。
しかし、その前方にはさらにの壁があり、費やした労力は徒労感となって返却された。道程は遙かで、到着の目処はたっていない。
「はぁ…いつになったら着くのかしら?」
私は呟いた、出発からはや一時間が過ぎようとしていたけど、集落へはまだ着いていなかった。
ずぼずぼと雪に穴をあけながら歩く私達だけど、雪は想像以上に深くて、所々かき分けて進まなければならないほどだった。
足はとても重く、力を入れなければ押し戻されそうな気さえする。最初こそそれを怒りに変えて突進していたのだけど、もはや疲労感しか頭にはなかった。
「ねぇ蓮子~疲れたよ~」
その時、後ろから声がかかる。雪を押しのけ、先頭を進んでいるのは私なのに、何で後ろにいるメリーの方が先に疲れるのかしら。
「うるさい、遅れたら置いていくからね」
私はメリーにそう言うと、さらに先を目指す。ただでさえ雪に不慣れな上、貧弱な装備なので異様に疲れるのだ。
っていうか冷たい!しみてくるし!!
集落は結構近くに見えたのだけど、それは甘かった。
雪原という障害を考えれば、実際の距離の数倍…いや数十倍にもなるのだ。
服や、靴からしみてくる水も体温を奪う。そういえばこないだ読んだ本、雪山で次々と人が死んでいく内容だったな…秘封倶楽部死の彷徨…笑えない。
ただ、天気がよくて、集落が視界に留まっているのは幸いだった。これで吹雪だったら、間違いなく私たちは樹氷ならぬ人氷になっていることだろう。
氷漬けの美少女(美が重要)とかいう単語が思い浮かんだけど、永遠の美を求めるよりも、知らない事への好奇心の方が大きいのが我が秘封倶楽部なので、そういうのが好きな方には申し訳ないがやめておく。
「む~」
うなるメリーの声を聞き流し、私は先を目指す。
それでも、なんだかんだいっても大分進んだらしく、集落の家並みが確認できるくらいになってきた。
いくつかの家からは煙が空へと上り、人の営みを告げている。
それにしても…
「日本家屋から煙が立ち上る…まるで民話の中みたいね」
メリーが言う、白い息が空へと上がった。
そう、集落にはコンクリート製の建物…というよりも、洋風建築物が一切見えない。いくら山の中とはいえ、時代に取り残されすぎな気がする。
「…人間の…里よね?」
続いて、確認と言うよりは希望…そんな声が私に届く。
「…だといいけどね」
私はそう返して、目前の雪を押しのけた。冷たさと疲労がさらに増した。
もののけの里だろうが、幽霊の里だろうが、どっちにしたって他に助けを求める場所なんてないのだから…
私は、そう思いながら集落を目指した。
さて、結論から言うと、その集落は人間の里だった。親切で、優しい人ばかりの人間の里…
ただ、そこには一つだけ問題があった。それは…
「じゃあここは…私たちの住んでいた世界ではないんですか?」
私は、目の前の人にそう質問する。
「そういうことになるな」
女の人は、別段もったいぶるでもなくそう答えた。
人間離れした白い髪の女の人…慧音さんというらしい…が、八満の言っていた『先生』だった。
ちなみに、彼女は私が想像していたような先生ではなく、本当に『先生』だった。この集落…里の寺子屋で、色々と教えているらしかった。
確かに、しっかりしていて優しくて…小学校の先生みたいな気がした。それにしても『寺子屋』っていう響きはなんか好きね。
慧音さんは、お吸い物をこちらに勧めつつ、話を続ける。
「ここは幻想郷…お前達の住む世界とは別な世界なんだ。とはいっても、元々は同じ世界だったのが分かれただけだから、景色はそう変わらないだろう?」
優しく言った彼女に、私は答える。
「はい…なんだか懐かしい気がします」
私はそう言って天井を見上げた。高い天井から、金具を伝って囲炉裏にお鍋がかけられる。少し曲がった梁が、なにか愛らしかった。
確かに、異世界に来たというよりも、むしろ、この国が外に開かれるか開かれないか位のそんな時代にタイムスリップした気がした。
映画や、教科書の中でしか見たことがない世界。一切触れたことがないはずの世界なのに、こんなに懐かしい気がするのはなぜだろう。
床下からは、暖房の代わりに寒風が入り込む古い建物、すきま風が冷たく、唯一の暖房である囲炉裏は、その周囲を僅かに暖めるだけ…そんな家も、なぜか暖かい。
そこまで考えた時、囲炉裏の炭が、ことりと音を立てて崩れた。私は我に返る。
「そうか…それはよかった。外の世界から来た人間の中には、古くさくて嫌だと言う者もいてな」
私が思考を巡らしていたのを待っていてくれたのか、ゆっくり口を開いて慧音さんは苦笑する。
それはそうかもしれない。蛇口をひねれば水が出て、スイッチを押せば明かりがつく。私たちにとっては、文明の利器というよりも、日が昇り、風が吹くのと同じような自然なこと…そんなことすらできないのだから…
私たちが、いかに科学の恩恵を受けていたのかを思い知らされた。もちろん、失ったものも多いけれども。
「まぁ、しばらくはここにいてもらうことになる。外の世界へ返すには他の者の協力もいるのでな。もちろん、時間はかかってもちゃんと外の世界へ帰られるようにはするから、それまでは焦らずに待っていてくれると助かるな」
「はい、なにからなにまでありがとうございます」
深々とお辞儀をした私に、慧音さんは照れたような表情で視線をそらした。確かに世界は別だけど、住む人は同じ…か。私はなぜか安心した。
一瞬の暖かな沈黙、そんな時間をおいて、慧音さんは照れを隠すかのように鍋へと視線を移し…言った。
「…まぁ…その…なんだ、ゆっくりこの煮しめでも食べない…ない!?」
っていうか叫んだ?
いつの間にか空っぽになっていたお鍋を見て、信じられないものを見たように焦る慧音さん、そんな彼女に、幸せそうなメリーの声が答えた。
「あ、ごちそうさまでした。まさか本物の筍がお腹いっぱい食べられるなんて夢みたいです、夢かしら?」
そう言って頬をつねるメリー、ふに~っと頬を伸ばして、いたたたとか言っているのを見ると、夢ではないことを確認したらしい。
そう、あえて触れなかったけれども、私と慧音さんが話している間、メリーはひたすらに食べ続けていた…筍(他)の煮物を。
え、何でわざわざ触れなかったのかって?…触れると折角の異世界の空気も何も、みんなメリーに食べられちゃうに決まってるからよ!
私はもうちょっと真面目な雰囲気を楽しみたかったのよ!
「あ…いや、うん、そう言ってもらえると作った側としてはうれしいな、はは…」
しかし、さっきまでの落ち着いた空気はたちまちいつものメリー色に染まり、その毒気にあてられた慧音さんは乾いた笑いを発していた。
「この筍ってどこで採れたんですか?いっぱいあります?採りに行ってもいいのかしら…」
「あ、いや…こんなのだったらいくらでもあるが…今は冬だからなぁ、生のだとまだ季節じゃないな」
気圧されたように言う慧音さんに、メリーは呟いた。
「あ、合成じゃなんだからそれもそうですね…これは保存食ですか?」
「ん、ああ…合成というのはよくわからないが…そうだな、これは去年採れたのを…」
戸惑いつつも、私たちはこの世界について慧音さんと色々お話をした。
この世界…幻想郷…が私たちの世界から分離したこと、たまに私たちみたいに偶然迷い込んでくる者もいるけれど、本来自由に行き来などできないこと。妖怪がいて、里の外は危険なこと、筍は豊富に採れること。
最後はどうでもいいとして、他の事は驚くことばかりだった。自由に行き来できないことは、ここを筍農場と間違えているメリーを落胆させたけど、他のことは私たちの興味を惹くことばかりで、とても面白かった。
慧音さんは、あっさりこういうことを信じている私たちに驚きつつも(迷い込んできた外の世界の人間は、大体話半分に聞いているらしい)歴史のことを話すのが好きなのか、嬉しそうに面白いことをいくつも話してくれた。
妖怪を見に行きたいと言い出した時には、とても怖い顔をして里の外には出ないように…と厳命していたけれど、それ以外はとても優しく、丁寧に里での生活やその他諸々について教えてくれた。
少なくとも、電気ガス水道のライフラインは、基本的には整備されていないらしい。
なにはとおあれ、いつ…どこでということははっきりわからないけれど、私たちは結界の裂け目を抜け、なにやら別な世界へ来てしまったらしい。わからないことだらけの不思議な体験…
だけど、確かに言えることが一つだけあった。それは、ここの人は親切で、きっと元の世界に戻れるということだった。
「おみやげ一杯もらっちゃったね」
「あんたは遠慮しなさすぎよ」
袋一杯の筍…の何か…を持ったメリーは上機嫌だ。うきうきがこっちにまで伝わってきた。
里の中の道…早足でやってくる夜から逃げるように、私たちは歩いている。
足元の雪が不思議な音を立てて、空を舞う風もそれに唱和する。慧音さんが言う『異世界』とは別な意味で、ここは私たちにとっての異世界だった。
私たちの住む街には、こんな元気な風はないのだから。
さて、慧音さん曰く、私たちが帰れるまで、里の人を紹介するからその家に泊めてもらうように…とのことだ。
慧音さんは、私たちが帰る為にちょっと出かけなければならないらしい。本当に何から何までありがたい限りね。
時の流れは向こうと変わらず、雪降る季節の日暮れは駆け足だった。今話している間にも、だんだんと空は暗くなり、そして闇が世界を包んでいく。
里といっても、家と家との間はずいぶんと離れていて、まるで白い世界に浮かぶ島のようだった。
「ねぇメリー、その家の人…どんな人なんだろうね」
ふと、私は言った。
異世界の住人…果たしてどんな人なんだろう?慧音さんの紹介ということは、きっと優しい人だとは思うのだけれど…
でも、そんな私のかすかな不安は、隣を進むメリーの明るさに飲み込まれる。
「大丈夫大丈夫、きっといい人よ。ほら、筍がこんなに生えている所に住んでいるんだから、それはもういい人に違いないわ」
何の根拠があるのか知らないけれど、自信たっぷりにそんな事をのたまうメリー。説得力は全くないのだけれど、でもなぜか安心してしまうのは、親友がいつもと変わらずに明るいからだろう。
異世界に来ても、いつもとなんら変わることなく自分のペースを保つ友人の姿。それで不安が全て消え去ることはないけれど、でもそれを紛らわすことはできるだろう。
それに…
「せっかくの異世界、楽しまなきゃ損だもの」
私は言った。
秘封倶楽部の旗印は『好奇心』。未知への探求は、私たちにとって至上の楽しみだ。まさか月旅行の代わりの遠野旅行で、異世界に行けるなんて思わなかった。
「そうね、まさかこんな経験ができるなんて思ってもみなかったわ。しかも往復で」
メリーも同じような答えを返してきた。さすがは秘封倶楽部、考えることは一緒ね。
そう、慧音さんは時間はかかるかもしれないけれど、ちゃんと元の世界へ返してくれると言ってくれた。
それも、結構自信たっぷりかつ慣れた言葉からすると、以前も何度かやっていたらしい。そうなると、一見異世界へと『飛ばされた』かのような今回の一件は、むしろ『遭難』というよりも『パック旅行』という表現が似合う気がする。
信頼できる旅行会社が企画した異世界パック旅行、旅程は相手任せで私たちはその中で楽しんでいればいい。
これに比べれば、お金さえ積めば行ける月旅行になんて何の魅力も感じないわ。…感じないわよ?
「蓮子、あれじゃない?」
その時聞こえてきたメリーの声に、私の意識は引き戻される。
「へ…?あ、そうね、あの家かしら?」
心の中で『ざまあみろブルジョアめ、世の中にはお金で買えないものだってあるんだぞ!やーいやーい』と、実に乙女的な思考をしていた私は、一瞬遅れて友人の言葉に反応した。
そう言った後にメリーの視線の先を見れば、まるで雪見大福のような屋根の家がぽつねんと建っていた。
茅葺き屋根に雪が積もれば、あんなにおいしそうに見えるなんて思わなかったわ…
「蓮子?なんでよだれたらしてるの?」
「えっ!?」
ふと我に返ると、隣には不思議そうに私を見つめるメリーの姿。まずい、茅葺き家屋を見てよだれをたらしたなんて知られたら、思いっきり馬鹿にされるわ!
「あの…そのね…」
慌ててごまかそうとした私だけど、困ったことにうまい言葉が浮かんでこない。その内、だんだんとメリーの視線が鋭くなってきて…
「あ、この筍は私のだからね!私の筍を食べちゃった蓮子にはあげないんだからっ!!」
宝物を守る犬のような視線で、私をにらむメリー。
胸元の袋をぎゅーっとばかりに抱きしめる彼女からは、筍防衛以外の意図は感じられない。メリーが筍中毒で助かったわ。
正直『この筍は私の』オーラを発するメリーは、子どもっぽいを通り越して動物っぽかったのだけれど、そこに突っ込むのは野暮というものだろう。
ちなみに、恐いというよりも可愛いと思ってしまった自分に腹が立った。なので言い返す。
「大丈夫、とらないわよ。メリーみたいに『筍太り』するのはごめんだし」
「なっ何よ!蓮子は筍の魅力がわからないからそんなに魅力ない身体になっちゃったのよ!!筍の栄養価は高いんだから!!」
「その栄養が頭に行かずに身体にしか行かなかったのがメリーじゃない!また単位落としたって知らないんだから!!」
「あ…あれはせっかくのノートをどっかになくしちゃったのが原因よ!私は蓮子と違ってノートとってるもん!蓮子こそ筍分が足りないから遅刻ばっかりなのよ!!」
ああ…人はなぜ過ちを繰り返すのか。
目的の家の目の前で、我ら秘封倶楽部はいつ果てるともしれない不毛な争いを続けていたのだった…
「いやぁ…まさか家の前で漫才やっているとは思わなかったよ」
「面目ない」
「ごめんなさい」
どこかで聞いたような言葉を聞きつつ、私たちは白湯をすする。冷え切った心と身体がじわじわと癒されていった。
結局、あの後延々と争っていた私たちは、何事かと出てきた家主の方に発見され、家へと招き入れられたのだ。
今度はさすがに漫才ではないと言い返すこともできなかった私たちは、二人仲良く頭を下げる。
それに答えてくれた男の人は、明るくて、そして優しそうで、ちょっとだけあった不安はあっという間に消え去った。
「いやいや、こっちも、外の人間が来るっていうので少し不安だったんだ。正直、あんなことしてくれていたおかげで安心したよ」
笑って言う男の人に、私たちは顔を見合わせて苦笑い。喜ぶべきか悲しむべきか…
「あ、自己紹介を忘れていたね、私の名は羽馬というんだ。君たちはなんと呼べばいいんだい?」
返答しかねて悩んでいる私たちに、男の人…羽馬さんは言う。
「あ、私は蓮子と言います。宇佐見蓮子…蓮子でいいですよ」
「私はマエリベリー・ハーンです。ええと…」
「メリーでいいですよ」
「…なんで蓮子が言うのよ?」
「じゃあなんて呼んで欲しいの?」
「えっと…メリー」
「じゃあいいじゃない」
「う~何か納得いかないわ」
「ははは、愉快な娘さん達だ。しばらくはにぎやかそうだな」
羽馬さんは本当に愉快そうに笑う。普通の人が言ったのなら皮肉にしか聞こえないのだけれど、彼の言葉は素直に受け取れた。
「まぁ事情は聞いてるからゆっくりしていってくれ。うちは今こんなだからあんまりお世話はできないが…お~い、百合」
その時、羽馬さんが台所へと声をかけた。
「あ、は~い」
そして、落ち着いた返事が返ってきて、百合と呼ばれた女の人が部屋へと入ってきた。割烹着を着て、こちらも優しそうな女の人だけれど…
「あなた達が外の世界の方ですか?こんばんわ、百合といいます」
ぺこりとお辞儀してくれたその人のお腹は膨らんでいて…
「あの…もしかして?」
「こんなっていうのは…」
揃う私たちの声。戸惑う私たちに、二人は照れたように顔を見合わせて言った。
「「おめでたなんです」」
「「えーっ!?」」
実に個性のないリアクションだけれど、ひとまずそれしか言えなかった。いやいや、まさかお世話になるお家がおめでただったなんて…
「メリー」
「何?」
「迷惑かけないようにしないとね」
「蓮子もね」
そしてお互いをつつき合う秘封倶楽部ズ。今回のパック旅行には、なにやらちょっとしたオプションがついていたみたいだった。
羽馬さんに百合さん、そしておなかの中の赤ちゃんを加え、和気あいあいと晩ご飯を終えると、私たちはしばらくの間お世話になる部屋へと案内された。
部屋の広さは四畳位、窓はなく、黒光りする床板が寒さを伝えてくる。私たちの感覚だと物置としか思えないのだけれど、居間ですら、ただの板に一部筵を敷いただけなのだから、この人達の感覚だとちゃんとした『部屋』なんだろう。
「いや、狭くてすまないんだけど…」
そう言って謝る羽馬さんに私は笑って答えた。
「いえいえ、わざわざ部屋を用意して頂いただけで十分ですよ」
そう、あのまま洞窟の中で短い生涯を終えていたら…と考えると、この部屋だって一流ホテルのスイートルームに思えるわ。
ちなみに、メリーはというと…
「こういう部屋は好きよ?この密室具合が」
とか言って楽しげなので、全く問題はない。いつも思うけどこの子の趣味は本当によくわからないわ。
ただ、それにしたって…
「寒いわね」
「うん」
そう、寒い。羽馬さんがいなくなった後、競うように布団にくるまった私たちは、二人身を寄せ合って寒さと戦っていた。
壁や床の隙間から休まずやってくる寒気を止める手だてなどない。
本当はコートもかぶって寝たいところだけど、ここまで着てきた服は、一度見事に水没し、さらに洞窟内でさんざんに汚れていたので、洗って、今は梁からぶら下がっている。
しかし、筵の上に敷かれた煎餅布団…そんな薄っぺらい布団一枚では、凶悪なまでに強力な、厳寒期のみちのくの寒気を防ぐことは不可能だった。
しかも、渡された服の生地は薄く、やはり寒気に対しては非常に心許ない。
羽馬さんが七輪を渡してくれたのだけど、都会育ちな私たちには気休め程度にしかならない。空調の効いた室内で、暖かな布団にくるまって、ぬくぬく眠ることがなんて贅沢なことなのか…そんなことを考えてしまった。
唯一頼りになるぬくもりといえば…
「メリー、あんま押さないで、布団から押し出す気?」
「蓮子こそ押さないでよ!ぎりぎりなんだから」
隣から伝わってくる友人のぬくもり。ただし、そのぬくもりは、隙あらば強力な寒気の中へと私を押しだそうとしてくるのだから油断はならなかった。
お互いが牽制しあい、かつ戦い…そして協力しあう不思議な関係…一枚の布団の中で、国際情勢顔負けの複雑怪奇な情勢が繰り広げられていた。
そう、布団は一枚しかない。あまりに急だったので、他の布団を用意することが出来なかったのだと羽馬さんは謝っていた。
ただ、転がり込んだのはこっちだし、明日には布団と、そして湯たんぽも用意してくれるそうなのでこんな窮屈な思いをするのも今日限りだろう。
やがて、激しい戦いを終え、危うい均衡の上に休戦ラインが引かれると、私は天井を見上げた。
布団はぎりぎりで私の身体を寒気から守る。しかし、一瞬でも気を抜くとたちまち寒気に身をさらすことになる。メリーも同様だろう。
騒いでいた間は不安を好奇心が押しのけていたのだけど、いざ静かになると暗闇の中から不安が舞い降りる。
慧音さんは信頼できるだろうけど、でも本当に帰れるのだろうか?今まで経験したことのない体験だから、一抹の…というには大きすぎる不安はぬぐいきれなかった。
どんなにこの『旅』が経験しがたい貴重なものだとは言っても、イレギュラーな事態であるには間違いなかった。
しかも、ここは私たちの『常識』が全く通用しない…そんな世界。何が起こるか予想はできない、それこそ、一つ間違えば『注文の多い料理店』に行くことだってあり得るのだ。
並の大学生よりは色々な経験をして、そして知恵や度胸も持っている自信はあるけれど、そんなものが役に立たない事態はいくらでもあり得る。
まして、法律や道徳心、そして常識…それが全く異なった世界では何が起こっても不思議ではないのだから…
「ねぇメリー」
視線を向けずに、私はメリーに呼びかける。
「なぁに?」
起きてたみたいだ、のんびりとした声が答えてくれた。
「…無事に我が家へ帰れるかしらね?私たち」
メリーに聞いてもしょうがないことだけど、つい聞いてしまう。口に出さないと不安に押しつぶされそうだったのだ。
「…そうね、わからない」
そう言うメリーの口調はいつもと変わらず、のんびりとしていた。
「私に聞かれたってわからないわ」
「そっか…」
やっぱりね…変なこと聞いちゃったわ。
「でもいいじゃない」
「え?」
だけど、ごめんねの一言を発しそうになった時、メリーは言葉をつないだ。
「ひとりぼっちで異世界に行くのはつまらないけど、信頼できる友人と一緒なら、どんな世界でも寂しくないわ」
「…ありがとう」
のんびりと、だけどしっかり言ったメリーに、私は言葉を返した。そうね、信頼しうる友人が側にいる。
のんびりで、いろいろと抜けていて、とっても変な趣味をしているけど、だけどいざというときにはちゃんと頼りになる友人が。
「筍もあるしね♪」
「結局それか!」
本当に…いつもと変わらないメリーに、私はつっこんだ。
なんだかんだ言っても、メリーは異世界経験者なのだ。それも、見知らぬ館でお茶をごちそうになって帰ってくる、そんな信じられないことまでして…
「じゃあ、おやすみメリー」
不安を一旦追い払った私は、言った。
「うん、おやすみなさい…蓮子」
すぐに答えが返ってくる。
この世界でも、ちゃんと自分の名前を呼んでくれる人がいるのだと感じて、私は安心した。
翌朝
お味噌汁の匂いが鼻をくすぐり、ほわほわとお鍋から立ち上る湯気は、美味しさへの期待とともに、心と身体を暖めてくれた。
部屋の中は相も変わらず寒いけれど、それでも夜の寒さに比べれば格段にましだった。
「おはよう、昨日はよく眠れたかい?」
朝ごはんの席についた私たちに、早速羽馬さんが聞いてくる。私たちは顔を見合わせると、にっこり笑ってこう答えた。
「「いいえ、全然」」
完全に同調したその声は、二人の団結を物語るものだった。しかし、その団結を得る為には、長い時間と多大な犠牲を必要だったのだ。
~回想~
「…寒…痛…板?」
真夜中、あまりの寒さに目を覚ました私は、固い何かを感じてたちまち状況を把握した。
自らの置かれている状況を見れば、暗い空間の中、床の上に布団もなしで放り出されている。考えるまでもなく、犯人は明らかだった。
「む~筍ごはん…もっと…」
間の抜けた寝言を言う我が友人は、しっかりと敷き布団の上に場所を確保して、そして掛け布団をがっしとばかりにつかんでいる。
うん、明らかね。
なんという富の偏在!このような事が許されていいのだろうか!いや、断じて許されてはならない!!虐げられし民衆よ立ち上がれ!今こそ革命の時!!
心の中で気勢を上げた私は、生存の為、直ちに布団の玉座に居座るメリーへと接近し…
「ていやっ!」
「筍茶も…痛っ!?」
布団をひっくり返した。幸せそうに筍うんぬんと言っていたメリーは、たちまちそのぬくもりから放り出される。
「いたたた…何よ、何が起きたの?私の筍フルコースはどこに行ったの?」
何が起こったかわからないという表情で、周囲をきょろきょろと見回したメリーは、すぐに私に視線を向けた。
「…何してるの蓮子?」
部屋の空気と同じ程度の冷たい言葉に、私は外の空気と同じくらいの冷たさをもって応じた。
「寝ているの」
そう言う私は、すでに布団を確保し、がっしとつかむ。これは正当なる権利、いかなる犠牲を払ってでも守り抜かねばならない私の権利だ。
「…私はどこに寝ればいいの?」
さらに冷たさを増したメリーの言葉に、私は臆することなく応じる。
「そこ」
視線で指し示した先は…床、私がさっきまで寝ていた場所だ。
「ここ?」
疑問というより…確認、その言葉は、一瞬即発の危機をはらむ…恫喝。しかし、私は退かない。
「そう、さっきまで私が寝ていた場所。あなたに押し出されて」
「う…」
私の言葉に一瞬黙るメリー、だけど彼女もまた屈しなかった。
「それは蓮子の寝相が悪かったんでしょ?私が押し出したという証拠があるの?」
「む…」
今度は私が黙り込む番だった。思わず言いよどんだ私に、追い打ちとばかりにメリーは続ける。
「証拠なきは無罪…それと、自ら放棄した権利は、その後主張することはできないわ。さぁ蓮子、その布団を明け渡しなさい!」
優位にたったと思ったのだろう、自信満々にメリーは言う。
「…今明け渡したなら、湯たんぽ…じゃなく人たんぽとして隅にいることを許すわ。私は寛大だから」
勝ち誇ったようなメリーの言葉に、私はしっかりと言い返した。
「…その言葉はこっちの台詞よ、証拠がないのはそっちも同じじゃない」
そして、私は続ける。
「それに、ここは日本じゃないわ、証拠なきは無罪なんて言葉は存在しない。文句があるのなら…」
私はそこで一度言葉を区切る。この先の言葉を言えば、もろく危うい均衡は崩れ、この部屋は戦場になるだろう。
「実力でかかってきなさい!」
「言ったわね!!」
その時、絶対零度へと突き進んでいた室温が、一転して上昇に転じた。
「はぁっ…はぁっ…」
「はっ…はぁ…」
この布団は何度持ち主を変えたのであろう。狭い室内に、私とメリーの息づかいだけが響いていた。
この小さな布団を確保すべく、私たちは壮絶な戦いを繰り返した。
メリーが質量にものをいわせておしてくれば、私はしっかりと布団を握り侵入を許さない。
さらに、彼女がその『能力』にものをいわせてせまってきたら、今度はこちょがし攻撃により応戦する。
無論、報復は報復を呼び、結局私たちは勝者なき消耗戦へと引きずり込まれていった。
見れば、壁の隙間からうっすらと光が入り込んできている。もう…夜が明ける。
「蓮子…」
その時、メリーから声がかかる。その声は疲れ切り、敵意は感じられない。
ちなみに、こちょがす体力すら失われてきた私たちは、結局元の状態に戻り、散発的なこちょがしをするのみとなっていた。
「なぁに?」
そんなメリーへと、私は答える。私の方ももはや限界に近づいていた。
「…もうやめにしましょう、こんなことは無意味だわ」
唐突なメリーの言葉、だけど、私の側にも異存はなかった。
「ええ、無意味ね」
そう、無意味だ。結局、確保したとしてもその維持は不可能、奪い合いに勝者はいなかった。
「早朝が一番冷えるわ。これからは二人の力を合わせて、寒気から身を守るのよ」
「ええ、わかったわ」
何でこんな簡単な事に気がつかなかったのか…勝者のいない戦いの果て、ようやく私たちは手を携え、身を寄せ合って『本当の敵』との戦いに挑んだのだった…
~回想終わり~
「というわけだったんです」
長い話を終え、私は言った。
激しい戦いの末、ようやくつかんだ平和を私たちは大切にした。寒気の為に寝ることは諦め、お互いを暖めながら朝を待っていたのだ。
差し込む日差しが強くなり、かったんこととん、台所から朝ご飯の支度の音が聞こえてきた時、私たちはお互いの健闘を讃え、共に勝利を喜んだのだった。
「そ…そうかい」
「大変だったのね。ごめんなさいね、布団を一つしか用意できなくて」
何ともコメントしかねるというような羽馬さんと、心底申し訳なさそうな百合さんに、私は尋ねた。
「えっと…一応静かに激しく戦ったつもりなんですけど、うるさくはありませんでした?」
隣で、メリーが「あれのどこが静かなのよ」とか言っていたがこちらは無視しよう。
そんな私たちに、二人は言った。
「いや、昨日はちょっと忙しくてぐっすりと…」
「そうそう、ちょっとだけどたばたしてて…」
はっきりしない二人…一体どうして…?
「はぁ…あ」
私はふと気づいた。小さいけれどきれいに掃除された部屋…突然用意しなければならなくなった服や食器…
「…じゃあよかったです♪」
私はそう言って続けた。
「…ご飯を食べたら、後かたづけはさせて下さいね」
「…ええ、ありがとう。お願いするわ」
「いえいえ、こちらこそ」
ほわほわ漂ういい匂いに、食卓の空気もほんわかとしてくる。おかずに筍を見つけ、大はしゃぎするメリーは、心底楽しそうだ。
そんなメリーを後目に、膨らんだおなかを庇いながら話に興じる百合さんと、おかずをよそう羽馬さんに、私は心の中で謝って、そしてお礼の言葉を言った。
「好意に文句をつけてごめんなさい、それと、いろいろ準備してくれてありがとうございました」…と。
それにしても、何で慧音さんはわざわざおめでたなお家に私たちを任せたのかしら?それだけがちょっと気になった。
「つ…メリー交代っ!」
「了解任せ…つめたっ!?」
痛む手を庇いつつ、メリーに仕事を引き継ぐ。
楽しい食事を終えた私たちは、再び寒さとの戦いに身を投じていた。今度の敵は…冷水。身を切る冷たさという表現がぴったりな、桶の中の水である。
外にある井戸は、そこに湧き出る地下水のおかげで凍結こそ免れているけど、冷たいことには変わりなかった。
渋る百合さんを囲炉裏の側に待機させ、女の意地を見せるべく、我が秘封倶楽部は食器洗いに向かった…まではよかったのだけど、正直なところ水の冷たさというのを甘く見ていた。こんなに冷たいなんて…予想外だったわ。
こういうときは、蛇口をひねればお湯が出てくる『私たちの世界』の環境が、いかに恵まれているかがわかる。
私たちの世界ではごく当たり前なこと…それがない事が、これほどまでに大変だなんて…それがわかっただけでも、この経験は貴重ね。
これから、学校教育には異世界ホームステイを導入すべきだわ。
もっとも…
「交代っ!蓮子代わって~」
「ノルマは三枚!こっちだって手の感覚がなくなってるのよ!!」
悲鳴をあげる友人に、同じく悲鳴を返しながら思うのは…
「三枚やった、交代っ!」
「よくやったわメリー!…冷たいっ!!」
給湯器が欲しいなぁってことだけど。
「あの…蓮子さん、メリーさん?やっぱり…」
その時、背後から遠慮がちに声がかかる…百合さんだ。
「「いいえ!大丈夫です!!」」
「あ…はい、お…お願いしますね」
だけど、ここで放棄するわけにはいかない。私たちにも女としての意地があるのだ。
時々、おずおずと様子をうかがう百合さんには、胎教の時間を確保してもらい、私たちはかわりばんこに食器を洗う。
つくづく思うのは、毎日毎食こんなことをしているこの世界の人たちの苦労。ちょっと見た百合さんの手は、あかぎれだらけで痛そうだった。
私たちはそんな苦労の半分もしていないけど、二人力を合わせて、二倍三倍と時間をかければ、きっと役に立てると思うのだ。
「よしっ!最後の一枚!!」
短いはずの長い時が終わり、そして戦いは終焉へと近づいた。
手に息を吹きかけているメリーをちらと見て、私は最後のお皿にとりかかる。感覚がなくなり、落としそうになりながらも、必死に洗う。
洗い終わったお皿は桶に入れられ、残る仲間を待っている。あと、もうちょっとだ…
そして…
「終わったー」
私はそう言って思わずバンザイしてしまった。
家にいた時ですら滅多にやらなかった食器洗い…食器洗浄機はともかく、真冬、給湯器すらない所でするその作業がこんなにまで辛かったなんて…
私は、バンザイの後、すぐにはね回って体内から寒さを追い払う。
お皿を洗っている間中、足元から吹きこんでくる寒風に身をさらし、上下から寒さに苛まれる水仕事…正直、こんなに過酷だなんて思わなかった。
手は凍え、身体の芯から冷やされてしまっていた。ついでに言うと、土間からも冷たさがわき上がってくるような気がしてくる。
果たしてそれは本当なのか、はたまた私の気持ちが問題なのか…どちらにしろ、そう感じているのは事実だから、はっきり言って気持ちでも現実でも寒い…冷たいことには変わりなかった。
う~ん、最初は単純に異世界へ来たことを楽しんでいたのだけど、いいことばっかりじゃないのね…
「うう…手が冷たい…」
その時、メリーが言った。赤らんだ手をこすり合わせ、手に息を吹きかける。
「冷たいならまだましよ」
私は言い返す。私なんて感覚がもうないんだから!
「…うう、蓮子が冷たい」
そんな私に向けられる視線は、ずいぶんと恨めしそうだ…でも…
「…途中で、私もう無理なんて言って逃げやがってくれたのはどこのどなたかしら?」
私はそう言ってメリーを睨む。
そう、作業開始からたいして時を経ずして、メリーは手を動かせないとか言って戦線離脱。私は、メリーの分まで仕事を一身に請け負う羽目になったのだ。
「私だって頑張って…冷たいっ!?やめ…手をどけてぇ~」
私は、メリーの背中に手を入れつつ、この世界の人たちの苦労を思った。そう、科学力の不足は、精神力で補うしかないのだろう。
「お願い蓮子、悪かったわ、全面的に非を認めるから、だからぁ~っ!!」
暴れる友人の身体は、腹立たしいほど暖かい。さては、私が食器を洗っている間に竈の残り火にあたっていたわね!
「今度は手伝うわ、うんホント、四分の一…いいえ、三分の一は私に任せて、ね、だから…」
どうにかして私の手を背中からどかそうとするメリーを無視し、私は気分を落ち着かせる。幸いにして手も暖まって、感覚が戻ってきたし…
「あの…」
その時、背後から百合さんの声が聞こえた。私はメリーを解放し、振り返る。
「何ですか?」
仕事を終えた満面の笑み、そんなものをぶつけながら、私は百合さんを見た。私たちが慣れない仕事をしているのを、心配してくれていたのだろう。
だけど、私たちは任務を果たした。せめて今朝だけでも、暖かい居間で過ごしてもらえたのなら…ん?
その時、私の視線が下がっていく…
「鉄瓶?」
ほわほわふわふわ湯気を漂わせるそれ…一体何で?白湯でも用意してくれるのかしら?
そんな一瞬の思考の後、百合さんが口を開く。
「…えっと、いつもはお湯を入れてから洗っているのだけど、冷たくなかった?」
「「はい?」」
百合さんの言葉に、時が止まる。
それってつまり…私たちの、というか私の奮闘は無駄だったと?
「あ…だから…」
私たちの視線にたじろいだのか、しどろもどろになる百合さんだけど、しばし間を置いた後、決定的な一言を放つ。
「いつもはお湯を入れてやっていたのに、冷水のままでつめたくなかったのかしら…って」
凍えちゃうわ、と、幼い仕草を見せる百合さんはとても可愛らしかったのだけど、今はそんな事は考えていられなかった。
しかし、思考停止状態の私に、百合さんは追い打ちをかける。
「私だったらとても耐えられないから」
「あんなに冷たいんじゃ凍えちゃうわ」
「何度かお湯を持っていって…」
「入れようとしても、あなた達やる気十二分だったみたいだから、外の世界の人は寒さに強いのねって羽馬君と話していたのよ」
百合さんの言葉がす~っとやってきて、そして頭の中を通過していく。なんていうか…無駄な苦労?
徒労とか無駄骨とかメリーのばかとかいう単語が脳内を駆けめぐりだし、寒さに痛めつけられた手が、その犠牲を声高に叫ぶ。
体中の気力が周りの空気に溶けていって、全身から力が抜ける。
「あの…宇佐見さん?」
戸惑った百合さんの声が耳に届いても、私の思考はそれを受け流すだけだった。
でも…
「もう、蓮子ったら…おかげで無駄な苦労しちゃったじゃない」
とかいうメリーの声は聞こえた、脳に届いた。
「ホント、蓮子ったらいつもいつも考えるより行動が先なんだから」
その言葉に、停止していた脳がゆっくりと回りだし…
「この国の人は知恵があったのね。木と紙で家を造り、和紙とこんにゃくで空を飛ぶ。そんな知恵が蓮子からは失われちゃったのね…科学の発達は人をおろかにするのかしら?」
たちまち回転数を上げる。もはや脳の回転数は最高まで上がっていた、主にメリーへの怒りと、自分への恥ずかしさで。
あとメリー、あなたは日本について詳しいの?詳しくないの?変な所が詳しい癖に、根本的な所で間違っている気がするわ。色々と。
「ふふ…ふふふ…」
「…蓮子?不気味さが増してるよ?」
メリーの声が聞こえる。その言葉に嘘偽りはなく、確かに私の現状を正確に表現しているだろう。でも…でもねメリー…
「あんただって一も二もなく賛成したじゃないっ!面白そうねとか言いながら…こののんびり天然おとぼけ娘っ!!」
それにあんたは最初しかやってないじゃない!
「きゃー何っ!?何なの蓮子っ!?」
「宇佐見さん!?」
メリーと百合さんの声が台所に響いたが、手近な武器をとった私は、それに構わず突進する。
「わっ!?ちょっと!ひしゃくを振り回さないでっ!危ない、危ないから…あと壊れるっ!!」
ひしゃくが宙を舞い、空気を切った。次いで、メリーの悲鳴がこだまする。
「それもそうね…」
確かに借り物を壊すのはまずい。そう思った私は、ひしゃくを元の場所に置き、手近なものを探す…そして
「これなら頑丈そうね」
「あ…あのね、確かにそれは壊れないと思うけど、そんなので殴ったら私の頭が壊れるわ」
呟く私に、メリーが怯えた声で応じたけど、私はさらに笑顔で返す。
「大丈夫、あなたの頭はもう壊れてるから、もう一回叩けば元に戻るわ…たぶん」
「たぶんって何!?ねぇそれ根拠ないよ、科学者として失格よ!?」
メリーが必死に叫ぶが、私は相手にしない。
ちなみに、手に取ったは重たく固い鉄瓶、百合さんが持っているのより少し大きめだ。南部鉄瓶って言ったっけ…これならメリーの石頭よりも固そうね。
青ざめ、後ずさりするメリーとの距離を、私は一歩二歩と詰めていく。
「根拠はあるわ」
私は自信ありげに言う。
「馬鹿は死ななきゃ治らない…っていう名言があるのよ、我が国には」
「絶対それ迷信だからっ!?死んだら治らないよっ!?」
「迷信とか伝説好きじゃない、メリー」
「そうね、伝説や迷信にはその国の個性とか国民性が…いえそれはそうだけど今回はそうじゃななくて…」
私は、うまく言い返せず、混乱状態にあるメリーとの距離を詰め、部屋の隅へと追いつめた。
「蓮子!蓮子!!それは危険よっ!ほら…なんていったっけ日本の名言…そうだ、話せばわかるっ!」
古い名言を持ち出し、必死に話し合いをアピールするメリーだけど、私はその言葉に対する返答を知っていた。
「問答無用♪」
「きゃう!?」
陽気な私の声と共に、ごいーんといい音が響き、メリーは冷たい土間に突っ伏した。
さすがは伝統工芸品ね。すばらしい攻撃力だわ…え?使い方間違ってるって?日本刀だって同じ鉄製の伝統工芸品、鈍器と刃物で違うけど、基本的には同じようなものよ。
「蓮子ったら…危うく三途の川を渡るところだったじゃない」
「渡賃が足りなかったの?残念だわ」
「蓮子が冷たいっ!?」
「うるさい」
おせんべいに手を伸ばしつつ、文句を言ってきたメリーに私は言い返す。
結局、さんざんどたばた騒いだ挙げ句、私たちは羽馬さんの取りなしで仲良くお茶を飲んでいた。
けんかしてぐーたらお茶飲んで…おなかの子に悪影響が出ないか不安だわ。お茶もお茶菓子もおいしいけど。
「もう…赤ちゃんが蓮子みたいな乱暴者に育っちゃったらどうするのよ」
「メリーみたいなのんびり天然娘に育つよりましよ」
「あら?のんびりしているのはいいじゃない、それに蓮子は遅刻するし…あ、このお茶菓子おいしいですね♪」
「くっ…」
他愛もない会話をしている私たちを見ながら、羽馬さんと百合さんはなぜか幸せそうだった。
薄皮まんじゅうがその姿を消し、おせんべいが残り一枚になった時、羽馬さんがゆっくり口を開いた。
「…まぁお二方みたいに元気で明るい子に育ってくれればいいんだけどね」
「そうそう」
その声に、百合さんも楽しそうに続く。
「いいんですか?蓮子は元気っていうよりも乱暴ですよ?」
「メリーは明るいっていうより天然ですよ?おすすめできないです」
そして、二人の言葉に二人は笑って言った。
「似てますねぇ、そういう所は…」
「そうそう」
「「不本意です!…あ」」
あ…のタイミングまで揃ってしまった。
結局、真っ赤になって最後のおせんべいを取り合う私たちに、羽馬さんがもう一枚もってきてくれ、ここに第一次おせんべ戦争は終結した。
「わ…またばらけた」
「あ~あ、こっちも…意外と難しいわねぇ」
手に持ったスコップから、雪がぽろぽろとこぼれおちる。私のぼやきもそれに続き、さらにメリーも同様の状況に陥っていた。
う~ん、雪かきどころか、どっちかっていうと散らかしている気がするわ。
「ははは…手本を見せてあげよう」
一方、そんな私たちを見て笑っていた羽馬さんは、ざくりと雪中にスコップを入れると、きれいに雪を切り取って、そして近くに積んでいく。
そんな作業を何度か繰り返すと、たちまちにして山ができた。。
一体どうやったら同じことしてここまで別の結果が出るのかしら?
さて、私たちは、お茶を済ませた後外に出て雪かきをしている。
お手伝いさせて欲しいというのが名目で、もちろんそれもあるにはあるのだけど、やはり北国に来たからには雪かきというものをしてみたかったのだ。
雪かき…北国の人にとっては厄介な重労働なのかもしれないけど、そんな経験をしたことがない私たちにとっては、未知の『スポーツ』だった。
しかし、ただ雪をどければいいなんて考えていた私たちは甘かった。
うかつにスコップを差し込めば、雪はくずれてスコップにはほんの少ししか残らない。どうにか載せれたと思っても、今度は歩く間に崩れて、結局散らかすだけだった。
しかも、案外雪は重く、か弱い私たちにとっては難敵だった。
「蓮子~もう無理だよ~」
大して時間も経たない内に、まずメリーが音を上げ、ついで私も息が上がってきた。こっちの人は、いつもこんなことをやっているのかしら?
身体は暖かいけど、それは雪かきがどれだけ大変かを物語っていた。
「ははは、まぁ私たちは子どもの頃からやっているからコツがわかっているんだが、そうじゃない人にはちょっと難しいかな」
その時、声がかかって振り向くと、既に玄関先をきれいに片づけた羽馬さんの姿があった。
「え?」
「わ~早いですね」
驚き、感嘆する私たちに、羽馬さんは言う。
「いや…今日はまぁ少ない方だしね、下手をしたら、一日で玄関が埋まってしまうからね…ははは」
「うわ…」
私は絶句する。
私たちにしてみれば、一晩でこんなに…30㎝位かな…も雪が積もった方が驚きなのに。
と、その時羽馬さんが言った。
「ん…晴れている内に屋根の方もやっておこうかな…あまり放っておくとまずいしな」
で…
「わぁ…」
「う…結構高いわね。まぁ景色はきれいだけど」
屋根に登った私たちは、周囲を見回してため息をついた。
地の白と、空の青以外に何も存在しないような世界に、いくつかの家が点々と建ち並ぶ。細々と昇る煙や、遠くで駆け回る子ども達が、まるで童話の世界のような印象を与えてくれた。
「凄いねぇ蓮子」
「うん…」
メリーの言葉に、私は答える。単純に壮観だというのなら、巨大な富士山や、都会に立ち並ぶビル群の方が当てはまるかもしれない。
でも、自然の中に息づいたこの里は、それ以上になにか『凄い』力強さ感じさせてくれているのだ。
「…まぁいつまでもぼんやりしてはいられないわね、そろそろ雪下ろしをしましょうか」
しばらく二人で空を見た後、私は言った。さすがに今度は雪を下に落とすだけなんだから、いくら私たちでもできるはずだ。
私は、眼下の雪にスコップをつきたて、力を込める。
「あ!もうちょっと慎重に!!」
その時、下から羽馬さんから声がかかった。と…同時に足元が…崩れる。
「え…わわ…」
「きゃっ!?」
大地が崩れる感覚…生まれて初めて味わうそんな経験に、私は驚きながら必死に足場を確保しようとする。
雪の下の藁が見え、それにつかまろうとするけど滑ってうまくつかめない。その間にも足場の雪は眼下へと滑り落ち、遅れて私も続く。
「っ!」
その時、必死にじたばたしていた手足が屋根をつかまえ、あとちょっとのところで私は持ちこたえた。
「はぁ…」
安堵のため息が漏れ、私はどうにか体勢を立て直した。雪下ろしも楽じゃないわ。
「おーい、大丈夫かい?」
「あ、はい、どうにか大丈…!?」
しかし、危機はそこでは終わらなかった。大丈夫ですと言いかけた私の頭上に、見慣れた『モノ』が急速に接近している。
何であんたは落ちるのまでのんびりなのよっ!!
「と…止めてーっ!!」
視界に大きく映ったのは、ワンテンポ遅れ、急角度の屋根を滑走してくる親友の姿、しかし止めろと言われても止めようがない…というよりも…
「衝突コースっ!?」
ものの見事にその針路は私を向いている。このままなら見事に衝突だ。
だけど、どうにか踏みとどまったばかりの私には、止めることはおろか避けることすら不可能だ。
「きゃっ!?」
「わっ!!」
直後、むなしく悲鳴が響く。
げしっとばかりに激突された私は、たちまちメリーと共に短い空の旅の後、雪の中へと突っ込んで…
「もう!何であんたはワンテンポ遅いのよ!」
「蓮子こそなんでいつも考えなしに行動するのよ!」
いつも通りの口げんかを開始した。
幸い、柔らかい雪に突っ込んだせいで、半分雪に埋もれて身動きはとれないけど、痛いところはどこもない。メリーにしても、あれだけ元気ならどこも怪我はしていないだろう。
「大体メリーは…」
「そもそも蓮子は…」
「二人ともっ!上!!上!!」
「「はい?」」
だけど、私たちの口げんかは長くは続かなかった。
羽馬さんの叫びで上を見た私たちは沈黙する。地が崩れたあとは…
「天が落ちてくる…」
私の呟き、視界は真っ白だった。巨大な質量の白い物体が、私たちに迫る。
そして、一瞬の後、屋根から落ちてきた雪により、私たちは埋没したのだった。
「いい湯ねぇ…」
「ほんと…」
狭いお風呂に、ふわふわとした湯気とほわほわとした空気が漂っている。
お皿洗い、雪かき、そして雪下ろし…最初の一つ以外はどれ一つまともにできなかった気はするけど、何はともあれ色々な体験をした私たちは、その仕上げとしてのんびりお風呂につかっていた。
このお風呂をわかすにも、大変な苦労があったのだけど、その苦労のおかげで幸福感も倍増だった。
どんな苦労かは思い出したくないけど、例をあげるとしたら、危うくメリーが人体発火事件を起こそうとしたということ位だ。考え事をしながら火をつけたりするのは非常に危険なのだ。うん。
さて、小さなお風呂の、さらに小さな湯船…というより釜だけど…そんな所でも、やはり数日ぶりのお風呂はありがたい。身体から疲れがしみ出していくような、そんな感覚があった。
昨日はどたばたしていたせいで入れなかったのだ。
「う~ん、これで足を伸ばせたら最高なのに」
メリーがそう言って手を伸ばす。
「そうね、あとメリー狭い」
私は同意しつつも抗議する。正直、手を伸ばされただけでもなにか圧迫感があるのだ。
下に板を敷いたこのお風呂、まぁ要は大釜なわけなのであまり足は伸ばせない。しかも…
「時間をずらして入ればよかったのに…」
そう、その狭い空間になぜかメリーまで一緒なのだ。そんな私にメリーは答えた。
「あら、それじゃあつまらないじゃない。日本には裸の付き合いなる言葉があると聞いてね、一度してみたかったのよ♪なんでも信頼する仲間同士、お風呂に入って、お盆を浮かべて酒盛りをしながら絆を深めるんでしょう?お盆とお酒がないのは残念だけど、旅行に来たら、蓮子と一緒にお風呂に入ろうと思っていたのよ」
メリーは楽しそうだ、今、この時を本当に楽しんでいる…そんな気がした。お湯をぱちゃぱちゃ叩くのはやめて欲しいのだけど。
「別に絶対酒盛りしなきゃいけないわけじゃ…まぁいいけどね」
メリーの言葉は少し間違っているけど、指摘はしないでおこう。だって、今の言葉、私のこと『信頼する仲間』って言ってくれているも同じなわけだから…
「蓮子~顔赤いよ?のぼせた?」
「えっ…あ、そうかも…うん」
一瞬思考に気をとられた私は、こちらをのぞき込むメリーの顔を見て、慌てて言った。照れてるなんて恥ずかしくて言えないじゃない。
「?」
怪訝そうなメリーの表情に私がさらに慌てだした時、羽馬さんの声が聞こえた。
「お~い、湯加減はどうだい?」
「あ、はい、ちょうどいいです」
天の助けとばかりに羽馬さんに言葉を返して、私は平静を装う。
「あはは、羽馬さん、覗かないで下さいね」
「ははは」
続くメリーの声に、羽馬さんの笑い声が聞こえる。
「いやいや、百合の奴ああ見えて怒ると恐いんだ。やめておくよ」
「ふ~ん、とてもそうは見えないのに…」
メリーが言う。壁を挟んだ奇妙な会話だけど、もうそんな事が気にならない位私たちは仲良くなっていた。
たった一日一緒にいただけ、それでも、やっぱり心が通じ合えば仲良くはなれるのだ。
さて、そんな私たちに、羽馬さんは陽気に続ける。
「いやいや、あいつはおとなしいように見えて、静かに怒る型だからな…爆発するような怒り方をする奴より恐ろしいんだよ」
「そうそう」
「だろ…ん?」
その時、どこからか聞こえてきた合いの手に、羽馬さんの声が止まる。
私はメリーを見るが、彼女も首を横に振った。っていうことは…
「羽馬君、お話があるわ」
静かな…優しい声、だけど、その声には有無を言わせぬ迫力があった。
「…あ、いや、百合…これは冗談でな、ほらなんていうか…」
「羽馬君、わかった?」
「…はい」
それを最後に、外の声は途絶えた。お風呂のお湯は相変わらず温かいはずなのに、極寒の中に放り出された気がするのはなぜだろう…
「メリー…」
「なぁに?」
「寒いわね」
「ええ…」
さっきまで和気あいあいとして明るかった浴室は、いつのまにか冷蔵庫となり、いろいろなぬくもりが消えた気がした。
この時、この家で生活するにあたっての重要な注意事項について、第一回異世界秘封倶楽部会議は全会一致で次の意見を採択した。
内容は単純『百合さんには逆らうな』である。母は強いのだ…
尚、そのあとの羽馬さんが何かに怯えているかのような表情が、楽しかったその日の最後の締めくくりとして、私たちの記憶に深く刻み込まれたのだった。
『つづく』
私は目の前の雪に怒りをぶつける。しかし奴らは揺るがない。
「~っ!どきなさいよっ!!」
私はそう言って突進した。私の警告を無視していた雪は、たちまち蹴散らかされ、粉々に砕け散る。
しかし、その前方にはさらにの壁があり、費やした労力は徒労感となって返却された。道程は遙かで、到着の目処はたっていない。
「はぁ…いつになったら着くのかしら?」
私は呟いた、出発からはや一時間が過ぎようとしていたけど、集落へはまだ着いていなかった。
ずぼずぼと雪に穴をあけながら歩く私達だけど、雪は想像以上に深くて、所々かき分けて進まなければならないほどだった。
足はとても重く、力を入れなければ押し戻されそうな気さえする。最初こそそれを怒りに変えて突進していたのだけど、もはや疲労感しか頭にはなかった。
「ねぇ蓮子~疲れたよ~」
その時、後ろから声がかかる。雪を押しのけ、先頭を進んでいるのは私なのに、何で後ろにいるメリーの方が先に疲れるのかしら。
「うるさい、遅れたら置いていくからね」
私はメリーにそう言うと、さらに先を目指す。ただでさえ雪に不慣れな上、貧弱な装備なので異様に疲れるのだ。
っていうか冷たい!しみてくるし!!
集落は結構近くに見えたのだけど、それは甘かった。
雪原という障害を考えれば、実際の距離の数倍…いや数十倍にもなるのだ。
服や、靴からしみてくる水も体温を奪う。そういえばこないだ読んだ本、雪山で次々と人が死んでいく内容だったな…秘封倶楽部死の彷徨…笑えない。
ただ、天気がよくて、集落が視界に留まっているのは幸いだった。これで吹雪だったら、間違いなく私たちは樹氷ならぬ人氷になっていることだろう。
氷漬けの美少女(美が重要)とかいう単語が思い浮かんだけど、永遠の美を求めるよりも、知らない事への好奇心の方が大きいのが我が秘封倶楽部なので、そういうのが好きな方には申し訳ないがやめておく。
「む~」
うなるメリーの声を聞き流し、私は先を目指す。
それでも、なんだかんだいっても大分進んだらしく、集落の家並みが確認できるくらいになってきた。
いくつかの家からは煙が空へと上り、人の営みを告げている。
それにしても…
「日本家屋から煙が立ち上る…まるで民話の中みたいね」
メリーが言う、白い息が空へと上がった。
そう、集落にはコンクリート製の建物…というよりも、洋風建築物が一切見えない。いくら山の中とはいえ、時代に取り残されすぎな気がする。
「…人間の…里よね?」
続いて、確認と言うよりは希望…そんな声が私に届く。
「…だといいけどね」
私はそう返して、目前の雪を押しのけた。冷たさと疲労がさらに増した。
もののけの里だろうが、幽霊の里だろうが、どっちにしたって他に助けを求める場所なんてないのだから…
私は、そう思いながら集落を目指した。
さて、結論から言うと、その集落は人間の里だった。親切で、優しい人ばかりの人間の里…
ただ、そこには一つだけ問題があった。それは…
「じゃあここは…私たちの住んでいた世界ではないんですか?」
私は、目の前の人にそう質問する。
「そういうことになるな」
女の人は、別段もったいぶるでもなくそう答えた。
人間離れした白い髪の女の人…慧音さんというらしい…が、八満の言っていた『先生』だった。
ちなみに、彼女は私が想像していたような先生ではなく、本当に『先生』だった。この集落…里の寺子屋で、色々と教えているらしかった。
確かに、しっかりしていて優しくて…小学校の先生みたいな気がした。それにしても『寺子屋』っていう響きはなんか好きね。
慧音さんは、お吸い物をこちらに勧めつつ、話を続ける。
「ここは幻想郷…お前達の住む世界とは別な世界なんだ。とはいっても、元々は同じ世界だったのが分かれただけだから、景色はそう変わらないだろう?」
優しく言った彼女に、私は答える。
「はい…なんだか懐かしい気がします」
私はそう言って天井を見上げた。高い天井から、金具を伝って囲炉裏にお鍋がかけられる。少し曲がった梁が、なにか愛らしかった。
確かに、異世界に来たというよりも、むしろ、この国が外に開かれるか開かれないか位のそんな時代にタイムスリップした気がした。
映画や、教科書の中でしか見たことがない世界。一切触れたことがないはずの世界なのに、こんなに懐かしい気がするのはなぜだろう。
床下からは、暖房の代わりに寒風が入り込む古い建物、すきま風が冷たく、唯一の暖房である囲炉裏は、その周囲を僅かに暖めるだけ…そんな家も、なぜか暖かい。
そこまで考えた時、囲炉裏の炭が、ことりと音を立てて崩れた。私は我に返る。
「そうか…それはよかった。外の世界から来た人間の中には、古くさくて嫌だと言う者もいてな」
私が思考を巡らしていたのを待っていてくれたのか、ゆっくり口を開いて慧音さんは苦笑する。
それはそうかもしれない。蛇口をひねれば水が出て、スイッチを押せば明かりがつく。私たちにとっては、文明の利器というよりも、日が昇り、風が吹くのと同じような自然なこと…そんなことすらできないのだから…
私たちが、いかに科学の恩恵を受けていたのかを思い知らされた。もちろん、失ったものも多いけれども。
「まぁ、しばらくはここにいてもらうことになる。外の世界へ返すには他の者の協力もいるのでな。もちろん、時間はかかってもちゃんと外の世界へ帰られるようにはするから、それまでは焦らずに待っていてくれると助かるな」
「はい、なにからなにまでありがとうございます」
深々とお辞儀をした私に、慧音さんは照れたような表情で視線をそらした。確かに世界は別だけど、住む人は同じ…か。私はなぜか安心した。
一瞬の暖かな沈黙、そんな時間をおいて、慧音さんは照れを隠すかのように鍋へと視線を移し…言った。
「…まぁ…その…なんだ、ゆっくりこの煮しめでも食べない…ない!?」
っていうか叫んだ?
いつの間にか空っぽになっていたお鍋を見て、信じられないものを見たように焦る慧音さん、そんな彼女に、幸せそうなメリーの声が答えた。
「あ、ごちそうさまでした。まさか本物の筍がお腹いっぱい食べられるなんて夢みたいです、夢かしら?」
そう言って頬をつねるメリー、ふに~っと頬を伸ばして、いたたたとか言っているのを見ると、夢ではないことを確認したらしい。
そう、あえて触れなかったけれども、私と慧音さんが話している間、メリーはひたすらに食べ続けていた…筍(他)の煮物を。
え、何でわざわざ触れなかったのかって?…触れると折角の異世界の空気も何も、みんなメリーに食べられちゃうに決まってるからよ!
私はもうちょっと真面目な雰囲気を楽しみたかったのよ!
「あ…いや、うん、そう言ってもらえると作った側としてはうれしいな、はは…」
しかし、さっきまでの落ち着いた空気はたちまちいつものメリー色に染まり、その毒気にあてられた慧音さんは乾いた笑いを発していた。
「この筍ってどこで採れたんですか?いっぱいあります?採りに行ってもいいのかしら…」
「あ、いや…こんなのだったらいくらでもあるが…今は冬だからなぁ、生のだとまだ季節じゃないな」
気圧されたように言う慧音さんに、メリーは呟いた。
「あ、合成じゃなんだからそれもそうですね…これは保存食ですか?」
「ん、ああ…合成というのはよくわからないが…そうだな、これは去年採れたのを…」
戸惑いつつも、私たちはこの世界について慧音さんと色々お話をした。
この世界…幻想郷…が私たちの世界から分離したこと、たまに私たちみたいに偶然迷い込んでくる者もいるけれど、本来自由に行き来などできないこと。妖怪がいて、里の外は危険なこと、筍は豊富に採れること。
最後はどうでもいいとして、他の事は驚くことばかりだった。自由に行き来できないことは、ここを筍農場と間違えているメリーを落胆させたけど、他のことは私たちの興味を惹くことばかりで、とても面白かった。
慧音さんは、あっさりこういうことを信じている私たちに驚きつつも(迷い込んできた外の世界の人間は、大体話半分に聞いているらしい)歴史のことを話すのが好きなのか、嬉しそうに面白いことをいくつも話してくれた。
妖怪を見に行きたいと言い出した時には、とても怖い顔をして里の外には出ないように…と厳命していたけれど、それ以外はとても優しく、丁寧に里での生活やその他諸々について教えてくれた。
少なくとも、電気ガス水道のライフラインは、基本的には整備されていないらしい。
なにはとおあれ、いつ…どこでということははっきりわからないけれど、私たちは結界の裂け目を抜け、なにやら別な世界へ来てしまったらしい。わからないことだらけの不思議な体験…
だけど、確かに言えることが一つだけあった。それは、ここの人は親切で、きっと元の世界に戻れるということだった。
「おみやげ一杯もらっちゃったね」
「あんたは遠慮しなさすぎよ」
袋一杯の筍…の何か…を持ったメリーは上機嫌だ。うきうきがこっちにまで伝わってきた。
里の中の道…早足でやってくる夜から逃げるように、私たちは歩いている。
足元の雪が不思議な音を立てて、空を舞う風もそれに唱和する。慧音さんが言う『異世界』とは別な意味で、ここは私たちにとっての異世界だった。
私たちの住む街には、こんな元気な風はないのだから。
さて、慧音さん曰く、私たちが帰れるまで、里の人を紹介するからその家に泊めてもらうように…とのことだ。
慧音さんは、私たちが帰る為にちょっと出かけなければならないらしい。本当に何から何までありがたい限りね。
時の流れは向こうと変わらず、雪降る季節の日暮れは駆け足だった。今話している間にも、だんだんと空は暗くなり、そして闇が世界を包んでいく。
里といっても、家と家との間はずいぶんと離れていて、まるで白い世界に浮かぶ島のようだった。
「ねぇメリー、その家の人…どんな人なんだろうね」
ふと、私は言った。
異世界の住人…果たしてどんな人なんだろう?慧音さんの紹介ということは、きっと優しい人だとは思うのだけれど…
でも、そんな私のかすかな不安は、隣を進むメリーの明るさに飲み込まれる。
「大丈夫大丈夫、きっといい人よ。ほら、筍がこんなに生えている所に住んでいるんだから、それはもういい人に違いないわ」
何の根拠があるのか知らないけれど、自信たっぷりにそんな事をのたまうメリー。説得力は全くないのだけれど、でもなぜか安心してしまうのは、親友がいつもと変わらずに明るいからだろう。
異世界に来ても、いつもとなんら変わることなく自分のペースを保つ友人の姿。それで不安が全て消え去ることはないけれど、でもそれを紛らわすことはできるだろう。
それに…
「せっかくの異世界、楽しまなきゃ損だもの」
私は言った。
秘封倶楽部の旗印は『好奇心』。未知への探求は、私たちにとって至上の楽しみだ。まさか月旅行の代わりの遠野旅行で、異世界に行けるなんて思わなかった。
「そうね、まさかこんな経験ができるなんて思ってもみなかったわ。しかも往復で」
メリーも同じような答えを返してきた。さすがは秘封倶楽部、考えることは一緒ね。
そう、慧音さんは時間はかかるかもしれないけれど、ちゃんと元の世界へ返してくれると言ってくれた。
それも、結構自信たっぷりかつ慣れた言葉からすると、以前も何度かやっていたらしい。そうなると、一見異世界へと『飛ばされた』かのような今回の一件は、むしろ『遭難』というよりも『パック旅行』という表現が似合う気がする。
信頼できる旅行会社が企画した異世界パック旅行、旅程は相手任せで私たちはその中で楽しんでいればいい。
これに比べれば、お金さえ積めば行ける月旅行になんて何の魅力も感じないわ。…感じないわよ?
「蓮子、あれじゃない?」
その時聞こえてきたメリーの声に、私の意識は引き戻される。
「へ…?あ、そうね、あの家かしら?」
心の中で『ざまあみろブルジョアめ、世の中にはお金で買えないものだってあるんだぞ!やーいやーい』と、実に乙女的な思考をしていた私は、一瞬遅れて友人の言葉に反応した。
そう言った後にメリーの視線の先を見れば、まるで雪見大福のような屋根の家がぽつねんと建っていた。
茅葺き屋根に雪が積もれば、あんなにおいしそうに見えるなんて思わなかったわ…
「蓮子?なんでよだれたらしてるの?」
「えっ!?」
ふと我に返ると、隣には不思議そうに私を見つめるメリーの姿。まずい、茅葺き家屋を見てよだれをたらしたなんて知られたら、思いっきり馬鹿にされるわ!
「あの…そのね…」
慌ててごまかそうとした私だけど、困ったことにうまい言葉が浮かんでこない。その内、だんだんとメリーの視線が鋭くなってきて…
「あ、この筍は私のだからね!私の筍を食べちゃった蓮子にはあげないんだからっ!!」
宝物を守る犬のような視線で、私をにらむメリー。
胸元の袋をぎゅーっとばかりに抱きしめる彼女からは、筍防衛以外の意図は感じられない。メリーが筍中毒で助かったわ。
正直『この筍は私の』オーラを発するメリーは、子どもっぽいを通り越して動物っぽかったのだけれど、そこに突っ込むのは野暮というものだろう。
ちなみに、恐いというよりも可愛いと思ってしまった自分に腹が立った。なので言い返す。
「大丈夫、とらないわよ。メリーみたいに『筍太り』するのはごめんだし」
「なっ何よ!蓮子は筍の魅力がわからないからそんなに魅力ない身体になっちゃったのよ!!筍の栄養価は高いんだから!!」
「その栄養が頭に行かずに身体にしか行かなかったのがメリーじゃない!また単位落としたって知らないんだから!!」
「あ…あれはせっかくのノートをどっかになくしちゃったのが原因よ!私は蓮子と違ってノートとってるもん!蓮子こそ筍分が足りないから遅刻ばっかりなのよ!!」
ああ…人はなぜ過ちを繰り返すのか。
目的の家の目の前で、我ら秘封倶楽部はいつ果てるともしれない不毛な争いを続けていたのだった…
「いやぁ…まさか家の前で漫才やっているとは思わなかったよ」
「面目ない」
「ごめんなさい」
どこかで聞いたような言葉を聞きつつ、私たちは白湯をすする。冷え切った心と身体がじわじわと癒されていった。
結局、あの後延々と争っていた私たちは、何事かと出てきた家主の方に発見され、家へと招き入れられたのだ。
今度はさすがに漫才ではないと言い返すこともできなかった私たちは、二人仲良く頭を下げる。
それに答えてくれた男の人は、明るくて、そして優しそうで、ちょっとだけあった不安はあっという間に消え去った。
「いやいや、こっちも、外の人間が来るっていうので少し不安だったんだ。正直、あんなことしてくれていたおかげで安心したよ」
笑って言う男の人に、私たちは顔を見合わせて苦笑い。喜ぶべきか悲しむべきか…
「あ、自己紹介を忘れていたね、私の名は羽馬というんだ。君たちはなんと呼べばいいんだい?」
返答しかねて悩んでいる私たちに、男の人…羽馬さんは言う。
「あ、私は蓮子と言います。宇佐見蓮子…蓮子でいいですよ」
「私はマエリベリー・ハーンです。ええと…」
「メリーでいいですよ」
「…なんで蓮子が言うのよ?」
「じゃあなんて呼んで欲しいの?」
「えっと…メリー」
「じゃあいいじゃない」
「う~何か納得いかないわ」
「ははは、愉快な娘さん達だ。しばらくはにぎやかそうだな」
羽馬さんは本当に愉快そうに笑う。普通の人が言ったのなら皮肉にしか聞こえないのだけれど、彼の言葉は素直に受け取れた。
「まぁ事情は聞いてるからゆっくりしていってくれ。うちは今こんなだからあんまりお世話はできないが…お~い、百合」
その時、羽馬さんが台所へと声をかけた。
「あ、は~い」
そして、落ち着いた返事が返ってきて、百合と呼ばれた女の人が部屋へと入ってきた。割烹着を着て、こちらも優しそうな女の人だけれど…
「あなた達が外の世界の方ですか?こんばんわ、百合といいます」
ぺこりとお辞儀してくれたその人のお腹は膨らんでいて…
「あの…もしかして?」
「こんなっていうのは…」
揃う私たちの声。戸惑う私たちに、二人は照れたように顔を見合わせて言った。
「「おめでたなんです」」
「「えーっ!?」」
実に個性のないリアクションだけれど、ひとまずそれしか言えなかった。いやいや、まさかお世話になるお家がおめでただったなんて…
「メリー」
「何?」
「迷惑かけないようにしないとね」
「蓮子もね」
そしてお互いをつつき合う秘封倶楽部ズ。今回のパック旅行には、なにやらちょっとしたオプションがついていたみたいだった。
羽馬さんに百合さん、そしておなかの中の赤ちゃんを加え、和気あいあいと晩ご飯を終えると、私たちはしばらくの間お世話になる部屋へと案内された。
部屋の広さは四畳位、窓はなく、黒光りする床板が寒さを伝えてくる。私たちの感覚だと物置としか思えないのだけれど、居間ですら、ただの板に一部筵を敷いただけなのだから、この人達の感覚だとちゃんとした『部屋』なんだろう。
「いや、狭くてすまないんだけど…」
そう言って謝る羽馬さんに私は笑って答えた。
「いえいえ、わざわざ部屋を用意して頂いただけで十分ですよ」
そう、あのまま洞窟の中で短い生涯を終えていたら…と考えると、この部屋だって一流ホテルのスイートルームに思えるわ。
ちなみに、メリーはというと…
「こういう部屋は好きよ?この密室具合が」
とか言って楽しげなので、全く問題はない。いつも思うけどこの子の趣味は本当によくわからないわ。
ただ、それにしたって…
「寒いわね」
「うん」
そう、寒い。羽馬さんがいなくなった後、競うように布団にくるまった私たちは、二人身を寄せ合って寒さと戦っていた。
壁や床の隙間から休まずやってくる寒気を止める手だてなどない。
本当はコートもかぶって寝たいところだけど、ここまで着てきた服は、一度見事に水没し、さらに洞窟内でさんざんに汚れていたので、洗って、今は梁からぶら下がっている。
しかし、筵の上に敷かれた煎餅布団…そんな薄っぺらい布団一枚では、凶悪なまでに強力な、厳寒期のみちのくの寒気を防ぐことは不可能だった。
しかも、渡された服の生地は薄く、やはり寒気に対しては非常に心許ない。
羽馬さんが七輪を渡してくれたのだけど、都会育ちな私たちには気休め程度にしかならない。空調の効いた室内で、暖かな布団にくるまって、ぬくぬく眠ることがなんて贅沢なことなのか…そんなことを考えてしまった。
唯一頼りになるぬくもりといえば…
「メリー、あんま押さないで、布団から押し出す気?」
「蓮子こそ押さないでよ!ぎりぎりなんだから」
隣から伝わってくる友人のぬくもり。ただし、そのぬくもりは、隙あらば強力な寒気の中へと私を押しだそうとしてくるのだから油断はならなかった。
お互いが牽制しあい、かつ戦い…そして協力しあう不思議な関係…一枚の布団の中で、国際情勢顔負けの複雑怪奇な情勢が繰り広げられていた。
そう、布団は一枚しかない。あまりに急だったので、他の布団を用意することが出来なかったのだと羽馬さんは謝っていた。
ただ、転がり込んだのはこっちだし、明日には布団と、そして湯たんぽも用意してくれるそうなのでこんな窮屈な思いをするのも今日限りだろう。
やがて、激しい戦いを終え、危うい均衡の上に休戦ラインが引かれると、私は天井を見上げた。
布団はぎりぎりで私の身体を寒気から守る。しかし、一瞬でも気を抜くとたちまち寒気に身をさらすことになる。メリーも同様だろう。
騒いでいた間は不安を好奇心が押しのけていたのだけど、いざ静かになると暗闇の中から不安が舞い降りる。
慧音さんは信頼できるだろうけど、でも本当に帰れるのだろうか?今まで経験したことのない体験だから、一抹の…というには大きすぎる不安はぬぐいきれなかった。
どんなにこの『旅』が経験しがたい貴重なものだとは言っても、イレギュラーな事態であるには間違いなかった。
しかも、ここは私たちの『常識』が全く通用しない…そんな世界。何が起こるか予想はできない、それこそ、一つ間違えば『注文の多い料理店』に行くことだってあり得るのだ。
並の大学生よりは色々な経験をして、そして知恵や度胸も持っている自信はあるけれど、そんなものが役に立たない事態はいくらでもあり得る。
まして、法律や道徳心、そして常識…それが全く異なった世界では何が起こっても不思議ではないのだから…
「ねぇメリー」
視線を向けずに、私はメリーに呼びかける。
「なぁに?」
起きてたみたいだ、のんびりとした声が答えてくれた。
「…無事に我が家へ帰れるかしらね?私たち」
メリーに聞いてもしょうがないことだけど、つい聞いてしまう。口に出さないと不安に押しつぶされそうだったのだ。
「…そうね、わからない」
そう言うメリーの口調はいつもと変わらず、のんびりとしていた。
「私に聞かれたってわからないわ」
「そっか…」
やっぱりね…変なこと聞いちゃったわ。
「でもいいじゃない」
「え?」
だけど、ごめんねの一言を発しそうになった時、メリーは言葉をつないだ。
「ひとりぼっちで異世界に行くのはつまらないけど、信頼できる友人と一緒なら、どんな世界でも寂しくないわ」
「…ありがとう」
のんびりと、だけどしっかり言ったメリーに、私は言葉を返した。そうね、信頼しうる友人が側にいる。
のんびりで、いろいろと抜けていて、とっても変な趣味をしているけど、だけどいざというときにはちゃんと頼りになる友人が。
「筍もあるしね♪」
「結局それか!」
本当に…いつもと変わらないメリーに、私はつっこんだ。
なんだかんだ言っても、メリーは異世界経験者なのだ。それも、見知らぬ館でお茶をごちそうになって帰ってくる、そんな信じられないことまでして…
「じゃあ、おやすみメリー」
不安を一旦追い払った私は、言った。
「うん、おやすみなさい…蓮子」
すぐに答えが返ってくる。
この世界でも、ちゃんと自分の名前を呼んでくれる人がいるのだと感じて、私は安心した。
翌朝
お味噌汁の匂いが鼻をくすぐり、ほわほわとお鍋から立ち上る湯気は、美味しさへの期待とともに、心と身体を暖めてくれた。
部屋の中は相も変わらず寒いけれど、それでも夜の寒さに比べれば格段にましだった。
「おはよう、昨日はよく眠れたかい?」
朝ごはんの席についた私たちに、早速羽馬さんが聞いてくる。私たちは顔を見合わせると、にっこり笑ってこう答えた。
「「いいえ、全然」」
完全に同調したその声は、二人の団結を物語るものだった。しかし、その団結を得る為には、長い時間と多大な犠牲を必要だったのだ。
~回想~
「…寒…痛…板?」
真夜中、あまりの寒さに目を覚ました私は、固い何かを感じてたちまち状況を把握した。
自らの置かれている状況を見れば、暗い空間の中、床の上に布団もなしで放り出されている。考えるまでもなく、犯人は明らかだった。
「む~筍ごはん…もっと…」
間の抜けた寝言を言う我が友人は、しっかりと敷き布団の上に場所を確保して、そして掛け布団をがっしとばかりにつかんでいる。
うん、明らかね。
なんという富の偏在!このような事が許されていいのだろうか!いや、断じて許されてはならない!!虐げられし民衆よ立ち上がれ!今こそ革命の時!!
心の中で気勢を上げた私は、生存の為、直ちに布団の玉座に居座るメリーへと接近し…
「ていやっ!」
「筍茶も…痛っ!?」
布団をひっくり返した。幸せそうに筍うんぬんと言っていたメリーは、たちまちそのぬくもりから放り出される。
「いたたた…何よ、何が起きたの?私の筍フルコースはどこに行ったの?」
何が起こったかわからないという表情で、周囲をきょろきょろと見回したメリーは、すぐに私に視線を向けた。
「…何してるの蓮子?」
部屋の空気と同じ程度の冷たい言葉に、私は外の空気と同じくらいの冷たさをもって応じた。
「寝ているの」
そう言う私は、すでに布団を確保し、がっしとつかむ。これは正当なる権利、いかなる犠牲を払ってでも守り抜かねばならない私の権利だ。
「…私はどこに寝ればいいの?」
さらに冷たさを増したメリーの言葉に、私は臆することなく応じる。
「そこ」
視線で指し示した先は…床、私がさっきまで寝ていた場所だ。
「ここ?」
疑問というより…確認、その言葉は、一瞬即発の危機をはらむ…恫喝。しかし、私は退かない。
「そう、さっきまで私が寝ていた場所。あなたに押し出されて」
「う…」
私の言葉に一瞬黙るメリー、だけど彼女もまた屈しなかった。
「それは蓮子の寝相が悪かったんでしょ?私が押し出したという証拠があるの?」
「む…」
今度は私が黙り込む番だった。思わず言いよどんだ私に、追い打ちとばかりにメリーは続ける。
「証拠なきは無罪…それと、自ら放棄した権利は、その後主張することはできないわ。さぁ蓮子、その布団を明け渡しなさい!」
優位にたったと思ったのだろう、自信満々にメリーは言う。
「…今明け渡したなら、湯たんぽ…じゃなく人たんぽとして隅にいることを許すわ。私は寛大だから」
勝ち誇ったようなメリーの言葉に、私はしっかりと言い返した。
「…その言葉はこっちの台詞よ、証拠がないのはそっちも同じじゃない」
そして、私は続ける。
「それに、ここは日本じゃないわ、証拠なきは無罪なんて言葉は存在しない。文句があるのなら…」
私はそこで一度言葉を区切る。この先の言葉を言えば、もろく危うい均衡は崩れ、この部屋は戦場になるだろう。
「実力でかかってきなさい!」
「言ったわね!!」
その時、絶対零度へと突き進んでいた室温が、一転して上昇に転じた。
「はぁっ…はぁっ…」
「はっ…はぁ…」
この布団は何度持ち主を変えたのであろう。狭い室内に、私とメリーの息づかいだけが響いていた。
この小さな布団を確保すべく、私たちは壮絶な戦いを繰り返した。
メリーが質量にものをいわせておしてくれば、私はしっかりと布団を握り侵入を許さない。
さらに、彼女がその『能力』にものをいわせてせまってきたら、今度はこちょがし攻撃により応戦する。
無論、報復は報復を呼び、結局私たちは勝者なき消耗戦へと引きずり込まれていった。
見れば、壁の隙間からうっすらと光が入り込んできている。もう…夜が明ける。
「蓮子…」
その時、メリーから声がかかる。その声は疲れ切り、敵意は感じられない。
ちなみに、こちょがす体力すら失われてきた私たちは、結局元の状態に戻り、散発的なこちょがしをするのみとなっていた。
「なぁに?」
そんなメリーへと、私は答える。私の方ももはや限界に近づいていた。
「…もうやめにしましょう、こんなことは無意味だわ」
唐突なメリーの言葉、だけど、私の側にも異存はなかった。
「ええ、無意味ね」
そう、無意味だ。結局、確保したとしてもその維持は不可能、奪い合いに勝者はいなかった。
「早朝が一番冷えるわ。これからは二人の力を合わせて、寒気から身を守るのよ」
「ええ、わかったわ」
何でこんな簡単な事に気がつかなかったのか…勝者のいない戦いの果て、ようやく私たちは手を携え、身を寄せ合って『本当の敵』との戦いに挑んだのだった…
~回想終わり~
「というわけだったんです」
長い話を終え、私は言った。
激しい戦いの末、ようやくつかんだ平和を私たちは大切にした。寒気の為に寝ることは諦め、お互いを暖めながら朝を待っていたのだ。
差し込む日差しが強くなり、かったんこととん、台所から朝ご飯の支度の音が聞こえてきた時、私たちはお互いの健闘を讃え、共に勝利を喜んだのだった。
「そ…そうかい」
「大変だったのね。ごめんなさいね、布団を一つしか用意できなくて」
何ともコメントしかねるというような羽馬さんと、心底申し訳なさそうな百合さんに、私は尋ねた。
「えっと…一応静かに激しく戦ったつもりなんですけど、うるさくはありませんでした?」
隣で、メリーが「あれのどこが静かなのよ」とか言っていたがこちらは無視しよう。
そんな私たちに、二人は言った。
「いや、昨日はちょっと忙しくてぐっすりと…」
「そうそう、ちょっとだけどたばたしてて…」
はっきりしない二人…一体どうして…?
「はぁ…あ」
私はふと気づいた。小さいけれどきれいに掃除された部屋…突然用意しなければならなくなった服や食器…
「…じゃあよかったです♪」
私はそう言って続けた。
「…ご飯を食べたら、後かたづけはさせて下さいね」
「…ええ、ありがとう。お願いするわ」
「いえいえ、こちらこそ」
ほわほわ漂ういい匂いに、食卓の空気もほんわかとしてくる。おかずに筍を見つけ、大はしゃぎするメリーは、心底楽しそうだ。
そんなメリーを後目に、膨らんだおなかを庇いながら話に興じる百合さんと、おかずをよそう羽馬さんに、私は心の中で謝って、そしてお礼の言葉を言った。
「好意に文句をつけてごめんなさい、それと、いろいろ準備してくれてありがとうございました」…と。
それにしても、何で慧音さんはわざわざおめでたなお家に私たちを任せたのかしら?それだけがちょっと気になった。
「つ…メリー交代っ!」
「了解任せ…つめたっ!?」
痛む手を庇いつつ、メリーに仕事を引き継ぐ。
楽しい食事を終えた私たちは、再び寒さとの戦いに身を投じていた。今度の敵は…冷水。身を切る冷たさという表現がぴったりな、桶の中の水である。
外にある井戸は、そこに湧き出る地下水のおかげで凍結こそ免れているけど、冷たいことには変わりなかった。
渋る百合さんを囲炉裏の側に待機させ、女の意地を見せるべく、我が秘封倶楽部は食器洗いに向かった…まではよかったのだけど、正直なところ水の冷たさというのを甘く見ていた。こんなに冷たいなんて…予想外だったわ。
こういうときは、蛇口をひねればお湯が出てくる『私たちの世界』の環境が、いかに恵まれているかがわかる。
私たちの世界ではごく当たり前なこと…それがない事が、これほどまでに大変だなんて…それがわかっただけでも、この経験は貴重ね。
これから、学校教育には異世界ホームステイを導入すべきだわ。
もっとも…
「交代っ!蓮子代わって~」
「ノルマは三枚!こっちだって手の感覚がなくなってるのよ!!」
悲鳴をあげる友人に、同じく悲鳴を返しながら思うのは…
「三枚やった、交代っ!」
「よくやったわメリー!…冷たいっ!!」
給湯器が欲しいなぁってことだけど。
「あの…蓮子さん、メリーさん?やっぱり…」
その時、背後から遠慮がちに声がかかる…百合さんだ。
「「いいえ!大丈夫です!!」」
「あ…はい、お…お願いしますね」
だけど、ここで放棄するわけにはいかない。私たちにも女としての意地があるのだ。
時々、おずおずと様子をうかがう百合さんには、胎教の時間を確保してもらい、私たちはかわりばんこに食器を洗う。
つくづく思うのは、毎日毎食こんなことをしているこの世界の人たちの苦労。ちょっと見た百合さんの手は、あかぎれだらけで痛そうだった。
私たちはそんな苦労の半分もしていないけど、二人力を合わせて、二倍三倍と時間をかければ、きっと役に立てると思うのだ。
「よしっ!最後の一枚!!」
短いはずの長い時が終わり、そして戦いは終焉へと近づいた。
手に息を吹きかけているメリーをちらと見て、私は最後のお皿にとりかかる。感覚がなくなり、落としそうになりながらも、必死に洗う。
洗い終わったお皿は桶に入れられ、残る仲間を待っている。あと、もうちょっとだ…
そして…
「終わったー」
私はそう言って思わずバンザイしてしまった。
家にいた時ですら滅多にやらなかった食器洗い…食器洗浄機はともかく、真冬、給湯器すらない所でするその作業がこんなにまで辛かったなんて…
私は、バンザイの後、すぐにはね回って体内から寒さを追い払う。
お皿を洗っている間中、足元から吹きこんでくる寒風に身をさらし、上下から寒さに苛まれる水仕事…正直、こんなに過酷だなんて思わなかった。
手は凍え、身体の芯から冷やされてしまっていた。ついでに言うと、土間からも冷たさがわき上がってくるような気がしてくる。
果たしてそれは本当なのか、はたまた私の気持ちが問題なのか…どちらにしろ、そう感じているのは事実だから、はっきり言って気持ちでも現実でも寒い…冷たいことには変わりなかった。
う~ん、最初は単純に異世界へ来たことを楽しんでいたのだけど、いいことばっかりじゃないのね…
「うう…手が冷たい…」
その時、メリーが言った。赤らんだ手をこすり合わせ、手に息を吹きかける。
「冷たいならまだましよ」
私は言い返す。私なんて感覚がもうないんだから!
「…うう、蓮子が冷たい」
そんな私に向けられる視線は、ずいぶんと恨めしそうだ…でも…
「…途中で、私もう無理なんて言って逃げやがってくれたのはどこのどなたかしら?」
私はそう言ってメリーを睨む。
そう、作業開始からたいして時を経ずして、メリーは手を動かせないとか言って戦線離脱。私は、メリーの分まで仕事を一身に請け負う羽目になったのだ。
「私だって頑張って…冷たいっ!?やめ…手をどけてぇ~」
私は、メリーの背中に手を入れつつ、この世界の人たちの苦労を思った。そう、科学力の不足は、精神力で補うしかないのだろう。
「お願い蓮子、悪かったわ、全面的に非を認めるから、だからぁ~っ!!」
暴れる友人の身体は、腹立たしいほど暖かい。さては、私が食器を洗っている間に竈の残り火にあたっていたわね!
「今度は手伝うわ、うんホント、四分の一…いいえ、三分の一は私に任せて、ね、だから…」
どうにかして私の手を背中からどかそうとするメリーを無視し、私は気分を落ち着かせる。幸いにして手も暖まって、感覚が戻ってきたし…
「あの…」
その時、背後から百合さんの声が聞こえた。私はメリーを解放し、振り返る。
「何ですか?」
仕事を終えた満面の笑み、そんなものをぶつけながら、私は百合さんを見た。私たちが慣れない仕事をしているのを、心配してくれていたのだろう。
だけど、私たちは任務を果たした。せめて今朝だけでも、暖かい居間で過ごしてもらえたのなら…ん?
その時、私の視線が下がっていく…
「鉄瓶?」
ほわほわふわふわ湯気を漂わせるそれ…一体何で?白湯でも用意してくれるのかしら?
そんな一瞬の思考の後、百合さんが口を開く。
「…えっと、いつもはお湯を入れてから洗っているのだけど、冷たくなかった?」
「「はい?」」
百合さんの言葉に、時が止まる。
それってつまり…私たちの、というか私の奮闘は無駄だったと?
「あ…だから…」
私たちの視線にたじろいだのか、しどろもどろになる百合さんだけど、しばし間を置いた後、決定的な一言を放つ。
「いつもはお湯を入れてやっていたのに、冷水のままでつめたくなかったのかしら…って」
凍えちゃうわ、と、幼い仕草を見せる百合さんはとても可愛らしかったのだけど、今はそんな事は考えていられなかった。
しかし、思考停止状態の私に、百合さんは追い打ちをかける。
「私だったらとても耐えられないから」
「あんなに冷たいんじゃ凍えちゃうわ」
「何度かお湯を持っていって…」
「入れようとしても、あなた達やる気十二分だったみたいだから、外の世界の人は寒さに強いのねって羽馬君と話していたのよ」
百合さんの言葉がす~っとやってきて、そして頭の中を通過していく。なんていうか…無駄な苦労?
徒労とか無駄骨とかメリーのばかとかいう単語が脳内を駆けめぐりだし、寒さに痛めつけられた手が、その犠牲を声高に叫ぶ。
体中の気力が周りの空気に溶けていって、全身から力が抜ける。
「あの…宇佐見さん?」
戸惑った百合さんの声が耳に届いても、私の思考はそれを受け流すだけだった。
でも…
「もう、蓮子ったら…おかげで無駄な苦労しちゃったじゃない」
とかいうメリーの声は聞こえた、脳に届いた。
「ホント、蓮子ったらいつもいつも考えるより行動が先なんだから」
その言葉に、停止していた脳がゆっくりと回りだし…
「この国の人は知恵があったのね。木と紙で家を造り、和紙とこんにゃくで空を飛ぶ。そんな知恵が蓮子からは失われちゃったのね…科学の発達は人をおろかにするのかしら?」
たちまち回転数を上げる。もはや脳の回転数は最高まで上がっていた、主にメリーへの怒りと、自分への恥ずかしさで。
あとメリー、あなたは日本について詳しいの?詳しくないの?変な所が詳しい癖に、根本的な所で間違っている気がするわ。色々と。
「ふふ…ふふふ…」
「…蓮子?不気味さが増してるよ?」
メリーの声が聞こえる。その言葉に嘘偽りはなく、確かに私の現状を正確に表現しているだろう。でも…でもねメリー…
「あんただって一も二もなく賛成したじゃないっ!面白そうねとか言いながら…こののんびり天然おとぼけ娘っ!!」
それにあんたは最初しかやってないじゃない!
「きゃー何っ!?何なの蓮子っ!?」
「宇佐見さん!?」
メリーと百合さんの声が台所に響いたが、手近な武器をとった私は、それに構わず突進する。
「わっ!?ちょっと!ひしゃくを振り回さないでっ!危ない、危ないから…あと壊れるっ!!」
ひしゃくが宙を舞い、空気を切った。次いで、メリーの悲鳴がこだまする。
「それもそうね…」
確かに借り物を壊すのはまずい。そう思った私は、ひしゃくを元の場所に置き、手近なものを探す…そして
「これなら頑丈そうね」
「あ…あのね、確かにそれは壊れないと思うけど、そんなので殴ったら私の頭が壊れるわ」
呟く私に、メリーが怯えた声で応じたけど、私はさらに笑顔で返す。
「大丈夫、あなたの頭はもう壊れてるから、もう一回叩けば元に戻るわ…たぶん」
「たぶんって何!?ねぇそれ根拠ないよ、科学者として失格よ!?」
メリーが必死に叫ぶが、私は相手にしない。
ちなみに、手に取ったは重たく固い鉄瓶、百合さんが持っているのより少し大きめだ。南部鉄瓶って言ったっけ…これならメリーの石頭よりも固そうね。
青ざめ、後ずさりするメリーとの距離を、私は一歩二歩と詰めていく。
「根拠はあるわ」
私は自信ありげに言う。
「馬鹿は死ななきゃ治らない…っていう名言があるのよ、我が国には」
「絶対それ迷信だからっ!?死んだら治らないよっ!?」
「迷信とか伝説好きじゃない、メリー」
「そうね、伝説や迷信にはその国の個性とか国民性が…いえそれはそうだけど今回はそうじゃななくて…」
私は、うまく言い返せず、混乱状態にあるメリーとの距離を詰め、部屋の隅へと追いつめた。
「蓮子!蓮子!!それは危険よっ!ほら…なんていったっけ日本の名言…そうだ、話せばわかるっ!」
古い名言を持ち出し、必死に話し合いをアピールするメリーだけど、私はその言葉に対する返答を知っていた。
「問答無用♪」
「きゃう!?」
陽気な私の声と共に、ごいーんといい音が響き、メリーは冷たい土間に突っ伏した。
さすがは伝統工芸品ね。すばらしい攻撃力だわ…え?使い方間違ってるって?日本刀だって同じ鉄製の伝統工芸品、鈍器と刃物で違うけど、基本的には同じようなものよ。
「蓮子ったら…危うく三途の川を渡るところだったじゃない」
「渡賃が足りなかったの?残念だわ」
「蓮子が冷たいっ!?」
「うるさい」
おせんべいに手を伸ばしつつ、文句を言ってきたメリーに私は言い返す。
結局、さんざんどたばた騒いだ挙げ句、私たちは羽馬さんの取りなしで仲良くお茶を飲んでいた。
けんかしてぐーたらお茶飲んで…おなかの子に悪影響が出ないか不安だわ。お茶もお茶菓子もおいしいけど。
「もう…赤ちゃんが蓮子みたいな乱暴者に育っちゃったらどうするのよ」
「メリーみたいなのんびり天然娘に育つよりましよ」
「あら?のんびりしているのはいいじゃない、それに蓮子は遅刻するし…あ、このお茶菓子おいしいですね♪」
「くっ…」
他愛もない会話をしている私たちを見ながら、羽馬さんと百合さんはなぜか幸せそうだった。
薄皮まんじゅうがその姿を消し、おせんべいが残り一枚になった時、羽馬さんがゆっくり口を開いた。
「…まぁお二方みたいに元気で明るい子に育ってくれればいいんだけどね」
「そうそう」
その声に、百合さんも楽しそうに続く。
「いいんですか?蓮子は元気っていうよりも乱暴ですよ?」
「メリーは明るいっていうより天然ですよ?おすすめできないです」
そして、二人の言葉に二人は笑って言った。
「似てますねぇ、そういう所は…」
「そうそう」
「「不本意です!…あ」」
あ…のタイミングまで揃ってしまった。
結局、真っ赤になって最後のおせんべいを取り合う私たちに、羽馬さんがもう一枚もってきてくれ、ここに第一次おせんべ戦争は終結した。
「わ…またばらけた」
「あ~あ、こっちも…意外と難しいわねぇ」
手に持ったスコップから、雪がぽろぽろとこぼれおちる。私のぼやきもそれに続き、さらにメリーも同様の状況に陥っていた。
う~ん、雪かきどころか、どっちかっていうと散らかしている気がするわ。
「ははは…手本を見せてあげよう」
一方、そんな私たちを見て笑っていた羽馬さんは、ざくりと雪中にスコップを入れると、きれいに雪を切り取って、そして近くに積んでいく。
そんな作業を何度か繰り返すと、たちまちにして山ができた。。
一体どうやったら同じことしてここまで別の結果が出るのかしら?
さて、私たちは、お茶を済ませた後外に出て雪かきをしている。
お手伝いさせて欲しいというのが名目で、もちろんそれもあるにはあるのだけど、やはり北国に来たからには雪かきというものをしてみたかったのだ。
雪かき…北国の人にとっては厄介な重労働なのかもしれないけど、そんな経験をしたことがない私たちにとっては、未知の『スポーツ』だった。
しかし、ただ雪をどければいいなんて考えていた私たちは甘かった。
うかつにスコップを差し込めば、雪はくずれてスコップにはほんの少ししか残らない。どうにか載せれたと思っても、今度は歩く間に崩れて、結局散らかすだけだった。
しかも、案外雪は重く、か弱い私たちにとっては難敵だった。
「蓮子~もう無理だよ~」
大して時間も経たない内に、まずメリーが音を上げ、ついで私も息が上がってきた。こっちの人は、いつもこんなことをやっているのかしら?
身体は暖かいけど、それは雪かきがどれだけ大変かを物語っていた。
「ははは、まぁ私たちは子どもの頃からやっているからコツがわかっているんだが、そうじゃない人にはちょっと難しいかな」
その時、声がかかって振り向くと、既に玄関先をきれいに片づけた羽馬さんの姿があった。
「え?」
「わ~早いですね」
驚き、感嘆する私たちに、羽馬さんは言う。
「いや…今日はまぁ少ない方だしね、下手をしたら、一日で玄関が埋まってしまうからね…ははは」
「うわ…」
私は絶句する。
私たちにしてみれば、一晩でこんなに…30㎝位かな…も雪が積もった方が驚きなのに。
と、その時羽馬さんが言った。
「ん…晴れている内に屋根の方もやっておこうかな…あまり放っておくとまずいしな」
で…
「わぁ…」
「う…結構高いわね。まぁ景色はきれいだけど」
屋根に登った私たちは、周囲を見回してため息をついた。
地の白と、空の青以外に何も存在しないような世界に、いくつかの家が点々と建ち並ぶ。細々と昇る煙や、遠くで駆け回る子ども達が、まるで童話の世界のような印象を与えてくれた。
「凄いねぇ蓮子」
「うん…」
メリーの言葉に、私は答える。単純に壮観だというのなら、巨大な富士山や、都会に立ち並ぶビル群の方が当てはまるかもしれない。
でも、自然の中に息づいたこの里は、それ以上になにか『凄い』力強さ感じさせてくれているのだ。
「…まぁいつまでもぼんやりしてはいられないわね、そろそろ雪下ろしをしましょうか」
しばらく二人で空を見た後、私は言った。さすがに今度は雪を下に落とすだけなんだから、いくら私たちでもできるはずだ。
私は、眼下の雪にスコップをつきたて、力を込める。
「あ!もうちょっと慎重に!!」
その時、下から羽馬さんから声がかかった。と…同時に足元が…崩れる。
「え…わわ…」
「きゃっ!?」
大地が崩れる感覚…生まれて初めて味わうそんな経験に、私は驚きながら必死に足場を確保しようとする。
雪の下の藁が見え、それにつかまろうとするけど滑ってうまくつかめない。その間にも足場の雪は眼下へと滑り落ち、遅れて私も続く。
「っ!」
その時、必死にじたばたしていた手足が屋根をつかまえ、あとちょっとのところで私は持ちこたえた。
「はぁ…」
安堵のため息が漏れ、私はどうにか体勢を立て直した。雪下ろしも楽じゃないわ。
「おーい、大丈夫かい?」
「あ、はい、どうにか大丈…!?」
しかし、危機はそこでは終わらなかった。大丈夫ですと言いかけた私の頭上に、見慣れた『モノ』が急速に接近している。
何であんたは落ちるのまでのんびりなのよっ!!
「と…止めてーっ!!」
視界に大きく映ったのは、ワンテンポ遅れ、急角度の屋根を滑走してくる親友の姿、しかし止めろと言われても止めようがない…というよりも…
「衝突コースっ!?」
ものの見事にその針路は私を向いている。このままなら見事に衝突だ。
だけど、どうにか踏みとどまったばかりの私には、止めることはおろか避けることすら不可能だ。
「きゃっ!?」
「わっ!!」
直後、むなしく悲鳴が響く。
げしっとばかりに激突された私は、たちまちメリーと共に短い空の旅の後、雪の中へと突っ込んで…
「もう!何であんたはワンテンポ遅いのよ!」
「蓮子こそなんでいつも考えなしに行動するのよ!」
いつも通りの口げんかを開始した。
幸い、柔らかい雪に突っ込んだせいで、半分雪に埋もれて身動きはとれないけど、痛いところはどこもない。メリーにしても、あれだけ元気ならどこも怪我はしていないだろう。
「大体メリーは…」
「そもそも蓮子は…」
「二人ともっ!上!!上!!」
「「はい?」」
だけど、私たちの口げんかは長くは続かなかった。
羽馬さんの叫びで上を見た私たちは沈黙する。地が崩れたあとは…
「天が落ちてくる…」
私の呟き、視界は真っ白だった。巨大な質量の白い物体が、私たちに迫る。
そして、一瞬の後、屋根から落ちてきた雪により、私たちは埋没したのだった。
「いい湯ねぇ…」
「ほんと…」
狭いお風呂に、ふわふわとした湯気とほわほわとした空気が漂っている。
お皿洗い、雪かき、そして雪下ろし…最初の一つ以外はどれ一つまともにできなかった気はするけど、何はともあれ色々な体験をした私たちは、その仕上げとしてのんびりお風呂につかっていた。
このお風呂をわかすにも、大変な苦労があったのだけど、その苦労のおかげで幸福感も倍増だった。
どんな苦労かは思い出したくないけど、例をあげるとしたら、危うくメリーが人体発火事件を起こそうとしたということ位だ。考え事をしながら火をつけたりするのは非常に危険なのだ。うん。
さて、小さなお風呂の、さらに小さな湯船…というより釜だけど…そんな所でも、やはり数日ぶりのお風呂はありがたい。身体から疲れがしみ出していくような、そんな感覚があった。
昨日はどたばたしていたせいで入れなかったのだ。
「う~ん、これで足を伸ばせたら最高なのに」
メリーがそう言って手を伸ばす。
「そうね、あとメリー狭い」
私は同意しつつも抗議する。正直、手を伸ばされただけでもなにか圧迫感があるのだ。
下に板を敷いたこのお風呂、まぁ要は大釜なわけなのであまり足は伸ばせない。しかも…
「時間をずらして入ればよかったのに…」
そう、その狭い空間になぜかメリーまで一緒なのだ。そんな私にメリーは答えた。
「あら、それじゃあつまらないじゃない。日本には裸の付き合いなる言葉があると聞いてね、一度してみたかったのよ♪なんでも信頼する仲間同士、お風呂に入って、お盆を浮かべて酒盛りをしながら絆を深めるんでしょう?お盆とお酒がないのは残念だけど、旅行に来たら、蓮子と一緒にお風呂に入ろうと思っていたのよ」
メリーは楽しそうだ、今、この時を本当に楽しんでいる…そんな気がした。お湯をぱちゃぱちゃ叩くのはやめて欲しいのだけど。
「別に絶対酒盛りしなきゃいけないわけじゃ…まぁいいけどね」
メリーの言葉は少し間違っているけど、指摘はしないでおこう。だって、今の言葉、私のこと『信頼する仲間』って言ってくれているも同じなわけだから…
「蓮子~顔赤いよ?のぼせた?」
「えっ…あ、そうかも…うん」
一瞬思考に気をとられた私は、こちらをのぞき込むメリーの顔を見て、慌てて言った。照れてるなんて恥ずかしくて言えないじゃない。
「?」
怪訝そうなメリーの表情に私がさらに慌てだした時、羽馬さんの声が聞こえた。
「お~い、湯加減はどうだい?」
「あ、はい、ちょうどいいです」
天の助けとばかりに羽馬さんに言葉を返して、私は平静を装う。
「あはは、羽馬さん、覗かないで下さいね」
「ははは」
続くメリーの声に、羽馬さんの笑い声が聞こえる。
「いやいや、百合の奴ああ見えて怒ると恐いんだ。やめておくよ」
「ふ~ん、とてもそうは見えないのに…」
メリーが言う。壁を挟んだ奇妙な会話だけど、もうそんな事が気にならない位私たちは仲良くなっていた。
たった一日一緒にいただけ、それでも、やっぱり心が通じ合えば仲良くはなれるのだ。
さて、そんな私たちに、羽馬さんは陽気に続ける。
「いやいや、あいつはおとなしいように見えて、静かに怒る型だからな…爆発するような怒り方をする奴より恐ろしいんだよ」
「そうそう」
「だろ…ん?」
その時、どこからか聞こえてきた合いの手に、羽馬さんの声が止まる。
私はメリーを見るが、彼女も首を横に振った。っていうことは…
「羽馬君、お話があるわ」
静かな…優しい声、だけど、その声には有無を言わせぬ迫力があった。
「…あ、いや、百合…これは冗談でな、ほらなんていうか…」
「羽馬君、わかった?」
「…はい」
それを最後に、外の声は途絶えた。お風呂のお湯は相変わらず温かいはずなのに、極寒の中に放り出された気がするのはなぜだろう…
「メリー…」
「なぁに?」
「寒いわね」
「ええ…」
さっきまで和気あいあいとして明るかった浴室は、いつのまにか冷蔵庫となり、いろいろなぬくもりが消えた気がした。
この時、この家で生活するにあたっての重要な注意事項について、第一回異世界秘封倶楽部会議は全会一致で次の意見を採択した。
内容は単純『百合さんには逆らうな』である。母は強いのだ…
尚、そのあとの羽馬さんが何かに怯えているかのような表情が、楽しかったその日の最後の締めくくりとして、私たちの記憶に深く刻み込まれたのだった。
『つづく』
文明社会人が、幻想郷に迷い込むと、こんな感じでしょうね。よく描写が出来ていると思いますよ。
>決まってるからじゃない!
決まってるからよ! と 決まってるじゃない! が混ざってる様に思います。
>つくずく
つくづく だと思います。
>名前が無い程度の能力様
おおっwwそう言っていただけますと♪
>ドライブ様
>>似たもの同士なんでしょうね。
蓮子とメリーは、なんだかんだ言っても、心の奥の方でとても似ていると思うのです。
>>文明社会人が、幻想郷に迷い込むと、こんな感じでしょうね。
そういう雰囲気が書けておりましたのなら幸いですww
>二人目の名前が無い程度の能力様
まぁ喧嘩するほど仲がいいと言いますし♪
そして、普段大人しい人ほど怒ると怖いという法則が…
そして誤字ご指摘ありがとうございます。修正してきました。
>翼様
二人は、揃っていてこそ『秘封倶楽部』なのだと思います。