※注意 タイトルにも書いてありますが後編です。前編を読んでない方はまずそちらをお読みください。
時間はまた戻って八雲邸。
藍が買い物に出かけた後、彼女が完全にこの家から離れたのを確認してから美鈴は口を開いた。
「……はぁ」
「どうしたの? ため息なんかついて。幸福が逃げるわよ?」
「とぼけなくて結構です。彼女…藍さんのことですよ」
「……気付いた?」
険悪なムードが漂う。
「言っておきますが私はあなたよりも年上で、経験もあります。
彼女の剣筋、藍という名前、成長してはいますがあの容姿、それにあの剣を見れば直ぐに気づきます」
「…………」
「成長しましたね」
ゆっくりと、彼女は隣に置いてある戟に手をかける。
「ええ、強くなったでしょう?」
「はい。それに大きくなりましたね、彼女」
「そうね……初めて私たちが会ったときはまだ背も小さい少女だったものね」
「うまくやってますか?」
「ええ。じゃなきゃ今頃私と一緒にはいないでしょう?」
「そうですね……そうでした」
少し温くなった茶を2人して飲む。
「記憶はなくなっても、淹れるお茶の味は変わりませんね」
「体に染み付いた物は……魂に染み付いた物は流石の私も弄れないわよ。
下手したらその存在を破壊する事になるんだから。あくまでも記憶の境界をいじっただけ」
ふふふ、と紫は微笑んだ。
「あの頃を思い出します」
「そうね……あの頃は私も若かったわぁ」
「それは自爆だと思いますよ。今もあなたは十分若いです」
「あなたから見ればね。でも、色々と考えることはあるわよ」
すると2人してあの頃……藍と初めて出会った頃の事を思い出した。
それは紫と美鈴が全力で戦った年から60年の月日がたった頃の事。
美鈴が封印から解放されてから実に62年の歳月がたった頃になる。
数年前東の地(中国)で九つの尾を持つ狐が派手に暴れたという情報がスカーレット家に入った。
この頃は当然レミリアもフランドールも生まれておらず、
この頃まだ幻想郷という世界が確立されていなかったため、
紫もまだマヨヒガには住んでおらず何故かこの館に居候としてすんでいた。
分かりにくい人には、とにかく非常に昔の話だと思っていただきたい。
そんなある日、美鈴は雇い主であるランドに呼び出された。
曰くその九尾が暴れたという地に赴き、その事細かな内容を記して来い、というものだった。
当然美鈴はそれを断った。自身は門番であり学者ではない。
第1面倒な事だった。東の地で自身はかなりなの知れた大妖怪であり未だに恐れられている。
そんな地に行ってみろ、直ぐに寄ってたかって自身を討伐しようとする人間が現れるだけだ。
だが好奇心旺盛で歴史好きでいろんな事に精を出し
『歴史を知る』という行為を何物よりも大事とするランドをとめられず
結局無理矢理派遣されてしまった。ちなみにランドは家や近隣の仕事云々で動けなかったため、
美鈴に任せたようだが、実際は今回の件に関しても本来は自身が行きたかったようである。
もう少し頭首としての自覚を持ってもらいたい、と美鈴は常々思う。
自分が断って業を煮やしたランドが自ら仕事を放棄して出向くなどという暴挙に出られても困るため、
周りの執事からの説得もあり、ようやく美鈴は首を縦に振ったのだった。
「まぁ彼の歴史好きは知ってましたし、その度に振り回されてきたことも分かってます。でも……」
ココは既に東の地。美鈴はその特徴的な外見を隠すため、
全身をマントで覆い、頭からフードを被り特徴的な紅い髪を隠している。
勿論周囲からは奇異の目で見られたが、宗教上の理由で、という滅茶苦茶な嘘をつきこれを凌いでいる。
そんな彼女が悪態をつきながら隣で団子を食べながらついてくる女性に眼を向ける。
「何故あなたまでついてくるんです?」
「あら…面白そうだったからよ」
ングングと口を動かしながら言うのは居候の紫。
右手に団子、左手に日傘を持っているのが非常にシュールだ。
「それに居候なら居候なりの御礼もしなきゃいけないでしょう?
あなたが倒れても代わりに私が情報収集してあげるわよ」
「そうですか、まぁ…いざというときはお願いしますけど」
この会話は既に何回もされている。基本紫は自身の好奇心で動くことが多い。
そしてそんな彼女を気に入ったランドも別段何も言うことはなかった。
美鈴も紫のこの行動は今に始まったわけでもないので、ため息混じりに了承したのである。
「それにそろそろ式神が欲しくてね」
「まさか……九尾を式神にする気ですか?
やめてくださいね、連れて帰ってランド様の好奇心を刺激するような事は。
また調べに調べまくってぶっ倒れちゃいます」
「それは約束できないわね。けどいいでしょう? 一帯を騒がす九尾の式なんて。
私としてはあなたを式神として置いておきたかったけど?
この国を長年騒がし、一度封印されてからまた解放、村を一つ消して逃げた吸血鬼。
その存在を知らない退魔師はおらず、未だにこの国から恐れられてるんだから」
勘弁してもらいたい、と美鈴は思う。
美鈴を欲しがる時の紫の発言はそれが本気なのかどうなのか分からないことがある。
一度だけ本気で式神にする契約を無理矢理結ばれそうになったこともあった。
その時はランドが止めに入って未遂に終わったが。
それ以来美鈴は紫のこの発言に対して過剰に反応するようになった。
「嘘よ。どうせあなたも、あなたの主人もOKは言わないでしょう?」
「当たり前です。全く……」
美鈴は八雲紫という人物像を未だ完全に把握できているわけではない。
いや、おそらく彼女の事を1から10まで把握している者は何処を探してもいないだろう。
腹の内に隠している、という点ならば美鈴だって掴みづらい人物ではあるのだが。
「で、これからどうするの?」
「まずは適当に宿を探しましょう。九尾は既に封印されているようですから
その遺跡を中心に気ままに街を散策して情報を手に入れます。後は本にまとめて帰ります」
「わかったわ」
紫は頷くと、まずは2人して宿探しからはじめた。
その日泊まったのは街の外れにある小さな民宿だった。
部屋に通された2人は軽くくつろぐ。荷物は全てスキマの中に入っており
ココまで彼女たちは手ぶらだった。
「ところで美鈴。あなたのこと本名で呼ぶのは拙いでしょう?」
「そうですね……多分この街にも私の名は知れ渡ってるでしょうから」
「ということであなたの新たな名前考えたわ」
「変な名前にしないでくださいよ……」
「とりあえずこの国にいる間、あなたは『美鈴(みすず)』と名乗りなさい」
「…………」
冷たい空気が辺りを覆った。
「なんですか……それ」
「なに、単に読み方を変えただけよ」
「そんなんで簡単に人をだませるものなんですか?」
「ええ。読み方一つで人はだませる。本当と嘘は紙一重、表裏一体よ。
でもその間の境界は実に深く、私にとっては最も操りやすいの」
「全く……分かりました」
「ええ、じゃあよろしくね『美鈴』」
どうも慣れないが、何とかして慣れなければならないのだろう。
暫く2人してその呼び方の練習を始めた。
数分後、ようやくなれた頃になって、部屋の外から声がした。
「お客様、お茶のご用意が出来ました」
声の主は少女のものだった。別段断る理由もないので中に入れる。
入ってきたのは痩せた黒髪の10歳程度の少女だった。顔は凛としている。
服は……どこかの民族衣装の上に割烹着を着ていた。
「私、この宿で下働きをさせて頂いている『藍』と申します。お客様方は暫くこの宿に滞在するということですので、
それまでの間何か分からぬ点があれば何なりとお申し付けください」
それが、藍と2人の出会いだった。この頃まだ藍は人間の少女だった。
お茶を入れ、丁寧にお辞儀をして去っていった藍を見て二人は感嘆の声を漏らす。
「立派な子ですね。あんな小さいのにお店の手伝いをして」
「そうね、みた感じ家事に関しては万能とみたわ。一家に1人は欲しいほどね」
少女の淹れた茶は美味かった。今まで訪れた宿の中でも格別だった。
彼女は年齢の割にその何倍も精神が強く、しっかりしているように見えた。
「とりあえず私は寝るわね。後で起こしてちょうだい」
「はい」
パパッと布団を敷くとあっさり寝てしまった。
美鈴は苦笑しながら、部屋の隅に移動し居候の姿を見守る。
今回の仕事、美鈴には紫の護衛というものも含まれていた。
ああ、面倒だなぁ……と思いながらも彼女の表情にはため息交じりの微笑があった。
次の日、夜明けと同時に起きた美鈴は軽く洗面所で眠気を覚ました後外に出た。
久しぶりの祖国で味わう朝の空気は悪くない。ただこの変装が無ければの話だ。
だがこうして自身が隠れていれば何時かは自身の存在も伝説となり風化する。
そうすれば美鈴とて普通に大手を振るって出歩けるだろう。
ガキン ガスッ スパッ
宿の裏手から薪を割る音が聞こえてきた。ただし、軽快な音ではなく
途中で鈍い音がしたり、空振りしたような音もちらほら聞こえてくる。
(下手ね……薪割りはきちんとした姿勢でやらないと上手く切れないのに)
自給自足の生活をずーっとしてきた彼女だ。薪割りなど彼女にとっては簡単なもの。
だから下手な音を聞いているうちに段々イライラしてきた。
(あーもう! 何処の誰よ!)
少し苛立ちながら裏手に行くと……昨日の少女、藍が薪割りをしていた。
「あ、おはようございます」
「え…ええ」
さすがにこの少女がやっているとは思わなかったのだろう、ポカン、とした表情を浮かべる。
そしてすぐさま『なるほど』と思った。無理もない、あんな体で大きな斧を持ち薪を割っているのだ。
簡単に出来るはずがない。
「直ぐに朝ご飯のしたくをいたしますので」
斧を担ぐとヨロヨロと宿の中に戻ろうとする。やはりあの体格であの大きさの斧を持つのはかなり厳しいのだろう。
「ああ、別にいいですよ。私はお腹へってないし、連れはまだ寝てますから」
「は、はあ……」
生憎この宿には紫と美鈴しか泊まっていなかった。不景気なのだろう。
「それよりも、この宿の人たちはいないんですか? あなたの体格でそれを扱うのは酷でしょう?」
「あ、はい。店主は先日ぎっくり腰になってしまいまして……女将は昨日から出かけてるんです」
「つまり実質働いているのはあなただけ?」
「いえ、他にも何人かいますが、こういった仕事をするのは一番年下の私の仕事ですから」
「それでも限度があるでしょう? 誰も手伝わないんですか?」
「勿論手伝ってくれる方もいますが、これも修行です。それに好きでやってる事ですから」
「そうですか」
ならば強く言う必要はない。
「じゃあもう少し割りやすい方法教えてあげましょう。今の割り方だと余り修行にはなりませんから」
「あ、いえ…お客様のお手を煩わす行為は……」
「いいんですよ、私が好きでやってる事ですから」
「あ、ありがとうございます」
早朝の宿の裏で、美鈴先生の指導の元、上手い薪割りの仕方に関する授業が始まった。
紫は寝起き癖が悪い。それは今も昔も変わらない。
まず朝、それも7時までの間に起きてくるなどということはまずない。
彼女を知るものならば、その時間帯に起きてくれば天変地異でも起こるのではないかと思ってしまう。
紫は自身の寝起き癖を否定していたが、事実普段は早くとも昼過ぎの起床のため何も言えない。
が、その紫がなんと6時に起きた。由々しき事態である。
その原因は
「どっせーい!」
パコーーーン
裏手から聞こえてくる叫びと薪の割れる音だ。他にも枕が変わったので寝つきが悪かった、というのもある。
声から連れだと判断した彼女は『やかましい』と怒りに行こうと部屋を飛び出た。
パコーーン パコーーン カン バキ パコーン パコーーン
軽快な音と鈍い音が交互に聞こえてくる。鈍い音も回を増すごとに良い音に変わって来ていた。
「へえ……」
紫が声を漏らす。裏手では変装姿の美鈴と昨日会った藍が薪割りを楽しそうにしていた。
「そうそう! もう少し脇をしめて」
「こ、こうですか?」
「うん、いい感じ、それで一気に振り下ろす」
「は、はい!!」
パコーーン、といい音が鳴る。うむ、美鈴の教えが良いのだろう、と紫は感心する。
「おはよう2人とも」
「あ、おはようございます」
「おはよう……って、紫さんが起きてる!!」
「……美鈴」
「す、すみません!!」
予想通りの美鈴の反応に睨みつけると直ぐに謝られた。
そこまで自分の寝起きは悪いのか、と自問してしまう。
「じゃあそろそろ朝ごはんにしますので、出来ましたらお呼びします」
「わかりました」
「わかったわ」
両手一杯の薪を抱えてそそくさと藍は宿に戻っていった。
彼女の後姿を見送った紫は美鈴に言う。
「しかしあなたが世話をするなんて、あの子の事気に入ったの?」
「いえ、ただのおせっかいです」
「薪なんか割る作業して……バレたらどうするのよ」
「いえ……それが……」
「まさか、バレたの?」
「ははは……はい」
無言で紫は美鈴をぶん殴った。
「い、痛いですよぉ。それに彼女なら大丈夫です。誰にも言わないって約束してくれましたから」
「あなたねぇ、それ信用できるの?」
「出来ますよ。あの眼なら」
「……はぁ」
何でも薪を割っていたときに不意にフードが脱げてしまったらしい。
慌てて美鈴はそれをかぶり、紅の髪を隠したが時既に遅し、見られてしまった。
恐る恐る藍を見ると、彼女はポカン、とした口をあけた後、ニッコリと笑って
『大丈夫です、誰にも言いませんから』
といったそうだ。
不思議に思い理由を聞くと
『所詮噂は噂です。もしあなたがその大妖怪だとしても今までの態度を見る限り
うかつに人を襲う人じゃないのは分かりますよ』
などといったそうだ。確かに美鈴は封印が解けてからはうかつに人間を殺したりはしていない。
門番の職についてからは防衛手段としてしか殺していなかった。
『それに眼を見れば分かりますから。今のあなたは少なくとも悪い人ではありません』
といったそうだ。美鈴はこのときこの少女には『武』の才能、つまり『武人』の才能があると見抜いた。
一見細く、か弱い少女ではあるが、精神は既にかなり強いものになっている。
とはいえまさかこんな少女が既に『武人』としての心得を得ているとは思わなかったが。
とにかく話さないといってくれたのだから、美鈴はそれ以上は何も言わなかった。
彼女は絶対に守る、そう確信していたからだ。
朝食後、美鈴は情報収集のために街に繰り出した。
紫はそういった調査は苦手なため1人宿で待機。暇だったのでスキマから本を取り出し読書をし始めた。
それから時間は経ち、本の半分を読んだところだろうか。藍が再び現れた。
「これから買出しに行ってきますので、何かあれば店主にお申し付けください」
ふむ、買出しか。本も暇だから読んでいただけだし、街を散策するのも悪くない。
そこで紫は藍に同行する事にした。藍は手を煩わせては悪いと最初は断ったが、
紫から街案内もかねて、という頼みのため、喜んで了解した。
どうやら彼女、誰かのために尽くすというのが好きなようだ。
この街はこの地方でもかなりの大きさを誇るものらしく、物流も盛んだという。
ただ内陸にあるため新鮮な魚を手に入れるのが難しい、というのが欠点だとか。
そんな街も、所々で修復が行われている。
「九尾の化け物がやったんです」
この街は数年前に突如やってきた九尾の化け狐が派手に暴れて一度つぶれたという。
その九尾は数多くの人々を食らい、数多くの人々の犠牲の元退治された。
正確には退治されたのではなく、この街の中心にある巨大な桜の木の下に封印されたのだという。
現在は退治してくれる者を求めて目下捜索中らしい。
街はつぶれたが人々は諦めなかった。力を合わせて街を再興し、新たな幸せを手に入れた。
今ではかつての繁栄を取り戻し、明るい街に成っているという。
「私の両親も九尾に殺されました。退魔師だったんです、私の一族は元々」
そんな街を周りながら彼女は言う、手には買い物籠を持って。
紫は日傘を刺しながら黙って聞いていた。
「勿論私も多少の訓練は受けました。ただやはり幼い頃に両親が死んで、中途半端なものですけど」
多少の妖怪なら倒せます、と彼女は言った。
ただ幼いから大人たちに比べればまだまだ甘い、とも付け足した。
その後も様々な事を聞きながら街を周った。彼女の話は非常に興味深い。
この町の歴史、九尾の容姿、力、そして封印まで。
九尾はその9つの尻尾を霊脈に植え付け封印した後その本体を封印したらしい。
だがその封印はとんでもなく厳しいもので封印者の命を奪うものの程。
藍の両親もその封印に参加した。能力はこの街で随一のものだった。
幼き藍を親友の宿舎の女将に託し、封印し命を落とした。
つまるところ藍は強大な力のこもった血を受け継いでいる事になる。
まだ見たところはひ弱な人間だが、成長すれば間違いなく名を残すほどの退魔師になるだろう。
だからそんな彼女に紫は興味を抱いた。
「ふうん……面白い子ねあなたは」
「そうですか?」
「ええ。普通の子供なら親が死んで嘆いて終わりか、復讐心を抱いて自滅するのがオチよ?」
「それは妖怪として様々な者を見てきたからですか?」
「ええ。人を食らうとね、その分恨まれるの。復讐しに来た子供もいたわ。勿論返り討ちにして食らったけど」
「…………」
「あら、怒った?」
「いえ…美味いものなんですか? 人間の肉というものは」
「人間だって所詮は獣よ? 人間が豚や牛を食らうのと同じ。
調理法によってはそれなりにいけるもの。ちなみに生のままで食らうのは三流以下のやることね」
「はぁ……」
どうやら紫は人間を食らう時でさえそれなりの余興を用意しているらしい。
とはいえ紫も最近は人間を食らっていない。
館に居候になってからは毎回出される食事(ランドは普通の食事が好きらしい)
で空腹にはならなかったからだ。むしろ人間の肉より美味いものがたくさんあるという事に気付いた。
「人間を食べたりもするけど、それよりも美味しい物がたくさんあるんですもの。
人間を食べるときは気分ね、はっきり言って」
「妖怪も人間と同じものを食べるんですね」
「そうよ。まぁ……他のものにはない人間特有の美味しさというものもあるけど」
「例えば?」
「強い霊力、妖力を持った特殊な人間。あなたたちが退魔師と呼ぶ人間ね。
彼らは絶品ね、ほかの食物には勝てないわ」
「…………」
「ああ、あなたは食べないわよ? そこまで飢えてないし、あなたは面白そうだし」
「面白そう? それだけで決めるんですか?」
「そうよ。食事は娯楽だから。それにね、抵抗してくる事もまた、面白いの」
「…………」
藍は黙った。結局のところ紫は物事全てに『面白さ』を追求する。
食事をすることも、戦うことも面白くなるかならないかで決めるのだ。
「それとも私に食べて欲しいの? 生憎だけど私、気に入ったものは食べないの。
それよりも私式神が欲しいのよ……あなた、式神にしてあげようか?」
「いえ……私は私の役目があります。それを果たすまでは誰の元でも働きません」
「あら残念。ならあなたが死んだら式神にしてあげようかしら」
「その時はお任せします」
紫の好奇心を更に促進するその応えにふふふ、と怪しげな笑みを浮かべる。
子供だというのになんだ、この責任感は。まるで大人、いやそれ以上の存在。
僅か10を過ぎたガキがココまで言うとは……と素直に感心していた。
それからも様々な場所を周った。その間に藍はテキパキと買い物を済ませる。
ようやく帰路に着いたとき、不意に紫は聞いた。
「ねえあなた、退魔師として仕事をしているのなら武器が要るでしょう?」
「? ええ…まあ。何時も使ってる武器はもう古いので、いずれ新しいのを買おうかと思ってます」
「なら良いのをあげるわ」
すると懐から一振りの剣を取り出した。誰にも見えないようにスキマを空けたのだ。
「私の連れのなんだけどね、あなたの方が似合うと思うわ」
「い、いいんですか? 美鈴様のものなのでしょう?」
「いいのよ。どうせあの子も似たような状況に陥ればあなたにあげるでしょうし。
あの子ッたら戟ばかりつかうからそういう剣の類は余り使わないの。せいぜい短刀ね。
それだと宝の持ち腐れって言うでしょう? もったいないからあなたにあげるわ。
ああ、安心して。美鈴には私から説明しておくから」
「そ、それにこんな高価なもの……」
「お駄賃としてとっておきなさいな。断らない方がいいと思うわよ?
このスキマを操る大妖怪、八雲紫が直々にあげるものなんだから」
「…………ありがとうございます」
その笑顔はようやく見せた事務的なものではなく、この少女そのものの笑顔だった。
夜、食事を済ませた2人は軽く近況報告だけ済ませる事にした。
美鈴が言うには九つの尾を封印している祠はこの街の外れの部分にそれぞれ等間隔で配置されているらしい。
そしてその祠を街に向かってなぞるとその中心部分に当たるのが本体が封印されている遺跡。
封印は非常に微妙な均衡の元成り立っているらしく、尾の一つでも封印から解かれれば
後は連鎖的に封印が壊れ、九尾はまた姿を現すのだという。
だがその時間帯にはタイムラグがあるため、その間に再度昔の封印の上に更に
強固な封印を施せば何とかなるのだとか。
しかし本体が封印から解かれてしまったら九つの尾の封印もまた同時に解けてしまうのだとか。
ちなみに聞いたところによると九尾の大きさは成人女性並。
ならば何故あのように大掛かりな封印をしたのだろうか。
話によるとその九尾はここら一帯の霊脈に最初その体を下ろしたらしい。
この街にはくしくも大陸中から何本もの霊脈がやってくる中継地点らしく、
尻尾をそのうちの9つにいれ力を供給しながら暴れたらしい。
が、逆にそれが仇となったらしく封印されたのだという。
そしてこの街の中心、つまり本体が封印されている場所がその霊脈の唯一全てが交差する場所らしく、
そこを断ってしまえば力の供給を妨げられる、という考えの元今も厳重な封印が施されている。
そして9つの祠はこの街に入ってくる霊脈の本体に向かう道をふさぐための封印だという。
だから正確に言ってしまえばその祠の位置に尾があると言う訳ではない。
以上が美鈴の報告だった。結局はその遺跡に行かなければならないようだ。
幸いそこはある種の観光名所として訪れることが可能だったので明日にでも行こう、という話になった。
紫もまた藍から聞いた話を話した。その言葉を聞くたびに美鈴の表情が曇ったがあえて無視。
なお最後に剣をあげたと言うと美鈴は狼狽した。
「あ、あれ作るのに30年かかったんですよぉ?」
「別に良いじゃない。また作ればいいんだし」
「……はぁ」
何を言っても無駄だということはよく知っていたため美鈴は何も言わなかった。
ただジト眼で睨み付けるだけで終わった。
次の日今度は2人でその遺跡を探検することにした。
なるほど、この封印はよくできている、と結界に関して言えば超一流の紫は感想を漏らした。
四重結界の上にさらに土台と霊脈を経つための魔の杭を打ちさらに今度は八重で結界。
並大抵の力では簡単には解けない。が、一つだけ例外がある。
それはこの遺跡の最上段に位置している札だ。
どうやらこの札がここの全ての結界のバランスを保っているものらしく、
あの札がはがれてしまえば全てが終わってしまうらしい。
そのため誰にも触られないようその札にも厳重な結界が張られているのだが、
何でも霊力を持った人間だとたやすくその結界を跳ね除けてしまうらしい。
つまるところ完全な結界ではない、ということだ。
それでも人間が張るにはかなり完成度の高いものだった。
とりあえずその日はその位にした。美鈴に言わせるとある程度情報が集まったので本の執筆にかかるらしい。
その間紫は暇だったため、興味を抱いていた藍と遊んでいた。
藍も何故か美鈴よりも紫に懐いていたため暇は自然となくなった。
剣の使い方、結界の張り方など何故か紫は熱心に教えていた。
この娘の能力が高いことを認め、育てたくなったのか……どうなのかはわからない。
だが普段グウタラな生活をしているところを目の当たりにしている美鈴としては、良い傾向だと思うことにした。
だいぶ時間が経ち、ついに本(九尾に関する報告書)が完成し、次の日に帰る……という時事件は起こった。
その日の夜、藍は他の仕事仲間(彼女は退魔師見習いとしての仕事もしていた)と共に
夜の街の見回りを行っていた。
そして最後の見回り場所の遺跡まで来た所で不審な人物を見かけた。
少年たちは最年少の藍をとりあえず遺跡の近くにある詰め所で報告をさせるために向かわせた後、
自身らは遺跡に向かった。
「おい、あれって飲兵衛の元さんじゃないか?」
仲間の一人が言った。遺跡の奥、ちょうど封印のお札が張ってある真下に
一人の老人がいた。フラフラし、手には瓢箪を持っているところを見ると酔っている様だ。
「よ~う青少年諸君。うぃっく、今日は良い夜じゃのぉ」
「爺さん……ココで酒を飲むなとあれほど言っただろう?」
「何を言う青年。ここ位しか見晴らしのよい場所はないじゃろう。
うぃっく、昔はココも丘じゃった。だというのにあの化け狐はこんな有様に変えてくれおった」
「ああもう、その話は何度も聞いたから」
少年たちは老人を運び出そうと肩に手をやる。
「まったく、これがこの街一の退魔一族の長なのかよ」
「しかたねぇだろ? 家族全員が封印で死んじまって、自身はその前に重症おって意識不明。
ショックで頭もやられちまって、結局独りぼっちになっちまったんだから」
「しかし昔は威厳ある爺さんだったのになぁ」
人は変わるものだ、と呆れながら運び出そうとした。
「やめんか餓鬼どもぉ!! はなせぇ!」
「わ、や、やめろ爺さん! こんなところで暴れるな!」
かなり悪酔いしているらしく、老人は激しく暴れた。
4人がかりで止めに入り、しばらく暴れた……そのときだ。
ビリッ
振り上げた老人の手が運悪く札に当たってしまい、札に少し切れ目が入ってしまった。
だが結界の効力を損なうのにはそれだけで十分だった。
「や、やばいぞ!」
「急いで結界を!」
少年たちはあわてて自身の札を取り出し結界を再度執行するが
いかんせん、彼らもまだ見習いなのでうまくいかない。そして元凶の老人は爆睡している。
地鳴りは次第に大きくなり、ついに……
全ての結界がはずれ、地面がはじけた。
少年たちは眩い光で一度視界を失ったが、すぐになれた。
光が途切れた先にいたのは……一匹の獣。
「あ……嗚呼……」
それはかつてこの地を破壊した九尾。町外れにある全ての祠が破壊されたのだろう、
その尻尾もキチンとついている。
『……肉…体…我、肉体ヲ求ム』
見れば長いこと霊脈の中に閉じ込められ、力の供給を妨げられてきたのか体が消えそうだった。
『汝ガ我ヲ呼ビ覚マシタノカ?』
そういって爆睡している老人に眼を向ける。
『ククク、人間ハツクヅク甘イ。タッタ数年以内ノ事ヲ直ニ忘レルノダカラ』
口を開く。そこには長く鋭い牙が。
「や、やばいぞ。元さんが!」
少年たちはあわてて助け出そうとする。が、かつて一流の退魔師が何十人も束になってようやく
封印できた存在を半人前の子供たちが倒せるはずもない。
『邪魔ダ人間』
尻尾をブン、と回す。その毛の一本一本が鋭利な刃物で出来ているのか
尽く少年たちは真っ二つに切られてしまった。
『女ダ。我ガ肉体ニハ女ガ必要ダ』
生贄をささげよとばかりに天に向かって高らかに吼えた。
その巨大な遠吠えにより街の住人の全員が起きた。
何しろその遠吠えはかの化け物のもの。みなが恐怖した。
九尾はとにかく新たな肉体を得ようと遺跡を跡にしようとしたとき、
一人の少女が立ちふさがる。藍だった。
「……皆!」
九尾の後ろには無残な形で倒れている少年たち。そして肉を食われたのだろう老人が。
『女? イヤ小娘カ? ククク、ダガ丁度良イ。汝我ガ肉体トナレ』
ガァッ、と九尾は口を大きく開いた。藍は恐怖で体中が震えた。
逃げられるのであれば逃げたい。でなければココで食べられる。
だがそんな時、不意に両親の顔と、何故か紫と美鈴の顔が浮かんだ。
「……私は誇り高き退魔師の娘。ココで退いたら皆が死ぬ!」
無謀ともいえる発言だった。紫からもらった剣を手に取り狐と向かい合う。
『ホウ、ソノヨウナ貧弱ナ体デ我ニ勝テルトデモ?』
(せめて皆が逃げられるくらいの時間稼ぎを……)
震える体に鞭をうち、彼女は剣を手に立ち向かった。
異変は美鈴たちが泊まっている宿でも感知できた。
「紫さん!」
街を散歩中、莫大な妖気を感じ取った美鈴は急いで宿に戻った。
宿では店主や女将たちが逃げる仕度を整えていた。どうやら自分を待っていたらしい。
何でも九尾が復活したのだという。美鈴は彼らを先に逃がすと
部屋に向かい、障子を壊れんばかりの勢いで開ける。
「ぐ~」
外では世界の終わりが来たかのような大騒ぎだというのにこのスキマ妖怪は爆睡していた。
基本睡眠を12時間とる彼女がここ最近は珍しく人と同じような生活リズムにしていたための
反動だろう。しかし、この爆音と地震で起きないとはさすが。
「起きてくださ~い」
起きない。それどころか寝返りの裏拳が美鈴のあごに的確に入った。
フラフラと体が揺れるが、直に持ち直し体を強くゆする。だが起きない。叩く、起きない。
耳元で叫ぶ、それでも起きない。
「む~~~」
しばらく考えた後美鈴は最後の賭けに出た。
誰もいない調理場から大量の梅干の入ったビンを取り出すと部屋に戻る。
彼女は見逃さなかった。以前朝食に梅干が出てきたとき紫はそれをどかしていたことに。
日本人や中国人でも梅干が苦手な人は多い。同じように彼女もまた苦手なのだろう。
ふたを開けるとそれだけですっぱい臭いがプンプンにおってくる。
「お許しを」
そういうなり口をがばっと手でこじ開けるとビンを口につけ、
コロコロと梅干を流し込む。ここできついのは梅干だけでなくその漬け汁も口に入っていること。
リス見たく口がいっぱいになったところで口を閉め固定する。
見る見るうちに紫の顔が肌色から青くなり、また赤くなる。
数秒後、パチリと眼を開けるなり
「すっぱあああああああ!!」
叫ぶと美鈴を跳ね飛ばし部屋から飛び出していった。
数分後、まだ顔を青くしたまま水の入ったコップを片手に涙目で帰ってきた。
「ひどいわ美鈴。死ぬかと思ったじゃない」
「梅干では人も妖怪も死にません。梅干が弱点の妖怪も聞いたことがありません。
まったく、早く起きてくれないから仕方なくやったんですからね。
私には一切非はありません」
「あなた……明日枕元には注意しなさい」
まぁいつもならばココで一戦交えるのだが、今はそんなことをしている暇はない。
紫は普段のグウタラからは信じられないほどの速さで着付けを済ませると
美鈴と共に部屋から飛び出した。
街は混乱でごった返していた。逃げ惑う人々でなかなか前に進むことが出来ない。
空を飛ぶことで先に進んだ2人は遺跡の近くに降り立った。
そこには退魔師であろう若者や老人がたくさんいた。
「お、お主らなぜ逃げん」
そのうちの一人が2人の姿を見て驚く。2人はその特徴的な容姿から街中に知られていた。
欧州の人間と思われる金色の髪を持った美人(紫)と変人変装人間(美鈴)。
なんとも美鈴はひどい言われようだが、実際問題怪しいのだから仕方ない。
「状況を教えなさい」
そんな質問に意を介さずに紫は聞く。彼らもテンパっていたのだろう、直に教えてくれた。
(まさか藍が……拙いわね)
藍の潜在能力が高いことはわかっていた。
それを化け狐が食らうことによりどれほどの力を得たのかはわからないが、
肉体は未熟でも藍はおそらく化け狐が望むほどの能力としてのポテンシャルを持っている。
紫はなぜだが彼女を助けたかった。理由は不明、彼女に理由を求めることなど意味がないからだ。
おそらく彼女は後にこう語るだろう『そうしないと面白くないから』と。
また、彼女は先日藍をいつか式神にすると約束している。
いろいろと嘘はついたりするが、こういった自身が提案した約束は守る妖怪だ。
だが食われたとなってはその魂さえも消滅してしまう。
だから彼女は少なくとも彼女の魂だけでも救出しようと考えていた。
そして美鈴はこの化け狐がもし自身の主がいる西欧で暴れたらとんでもないと考えた。
彼女は門番、従者だ。迫りくる外敵は排除するし、その悪い芽が生えて来るのなら直に刈り取らなければならない。
だから美鈴はその化け狐をココで排除することにした。
また理由はそれだけではない。もともとは美鈴も人間だったためわかるのだが、
体を乗っ取られた彼女がそこら中で暴れまわる。
意識はなくとも、彼女のその強い退魔師として後から上彼女の魂は暫く九尾の中に残る。
そんな光景を見ていけば彼女は心を痛めるはずだ。自分の無力さに嘆くはずだ。
かつて村を救えず、みなを目の前で死なせてしまった自分のように。
ならば安息なる死を与えることで少なくともその罪悪感から救ってやろうと思った。
「おい! それ以上近づくな! 妖気に当てられるぞ!」
確かに遺跡に近づくたびに妖気が濃くなっていく。うむ、普通の人間なら窒息するくらいの濃さだ。
だが2人は人間ではない。ましてや片方は大国を恐れさせ、もう片方は神の仕業ともされる作業さえ行う。
だからこの程度の妖気は効かない。
「美鈴」
紫は美鈴のことを『メイリン』と呼んだ。つまりもう変装する意味がない、と。
コクリと美鈴は頷くとガバッとフードとマントを脱いだ。そんな彼女の姿に周りは絶句する。
紫は紫でスキマを開き美鈴の戟を取り出すと投げてよこす。
紫は紫でいつも使っている扇子を取り出した。
「よ…妖怪」
突如空間にスキマが現れたのを目撃した男たちは後ずさる。
「それに……あの紅い髪。まさか……」
戟を振り軽く準備体操をする美鈴を見て更に青ざめる。
「ねえあなたたち」
美鈴は戟を肩に乗せて言う。
「死にたくなければ離れたほうがいいと思いますよ。たぶんここら一帯荒地になりますから」
ヒイッと悲鳴を上げると男たちは一目散に逃げていった。
九尾に国中を恐れさせる吸血鬼にそして見ただけで強大な力を持っていそうな妖怪。
立ち向かえないのはわかっていた。
「さて、邪魔者はいなくなりましたし」
「ええ、いきましょう」
誰もいなくなり、広くなった道路を2人は歩き出す。
遺跡についた2人を待っていたのは……
「あ……く……」
自身の体を抱くように両手で肩を持ち、必死に耐えている藍だった。
ただし、容姿はかなり変わっていた。鮮やかな黒髪は紫と同じ金色になり、耳まで生えている。
そして丁度尻にあたる部分からは9本の狐の尻尾が生えていた。
「藍……」
その変わり果てた姿に言葉を失う紫。
「…………」
対する美鈴は先手必勝とばかりに首を切り落とそうと走り出した。
ガキィン
だがそれはあたることなく、紫の扇子によって阻まれた。
「何のまねですか紫さん」
「なに、私はこの子を式神にするって約束しててね。丁度九尾もほしかったしこれで一石二鳥かなって思って」
「本気ですか?」
「ええ」
もちろん紫は藍を殺させないために美鈴をとめた。
「……あなたがしていること、わかってますか?」
「わかってるわよ?」
「言っておきますが、あれはもう藍さんではありません。九尾の化け狐です」
「いいえ、まだよ。まだ彼女の意識は残っているわ」
「同じことです。彼女はいずれそこらじゅうを暴れ周り、ランド様たちにも悪影響を及ぼす可能性があります。
災いの芽は早々に断ち切らなければなりません。
ですから邪魔するのであれば、あなたも敵と認識し、排除しますよ?」
「かまわないわよ? 私は私の望みをかなえるだけ」
2人の間に沈黙が降りる。というか2人とも、喧嘩は後にしよう。
今はそんなことをしてる場合じゃないでしょ?
「あ……う……紫、さま」
ようやく2人の存在を感じ取ったのか藍が口を開く。
「何?」
「私を……殺してください。でないと……街が大変なことに……」
何とか化け狐の意思を抑えているのか息も絶え絶えだ。
「本人の意見は尊重すべきかと思いますが」
「あのねぇあなたは……仕方ないわ、これで決めましょう」
そう言って取り出したのは一枚のコイン。
「表が出れば私のやり方で彼女を止める。裏だったらあなたのやり方で彼女を殺すことにしましょう」
「そうですね、下手に言い合っていても仕方ありません」
いがみ合っていたらそれこそ手遅れになるし、ましてやこの2人までも敵同士として戦えば
ここら一帯は完全に消え去る。さっさと害悪は捨て去りたい美鈴も別に拒否しなかった。
はじかれ宙を何回転もしながら落ちたコインが出したのは……表。
「はい、私の勝ち」
ニコッと笑って紫が言う。美鈴はコインを拾うと……ため息をついた。
「卑怯ですね、これ表しかないじゃないですか」
「ふふふ、見抜けなかったあなたの負け。
珍しいものだったからとっておいたけど、こんなところで役に立つとはね。
とにかくこの件に関しては私に従ってもらうわ」
「はぁ……わかりました」
話し終わったのか2人して藍に向き直る。
「紫……さま……」
「あきらめなさい、これからあなたの命は私が預かるの。人としての生はもう無理ね。
でもあなたとは約束してるから生かしてあげるわ、式としてね」
「あ……ぐ……」
「安心しなさい、あなたが望んだ住民の避難は私のスキマがやっておいたから
少なくともこの街の人間は巻き込まれないわよ」
「あ………ありがとうございます」
「直に終わらすわ、少し寝てなさい」
その言葉で少なくとも自分が守ろうとした住民の安全は確保出来たと安心したため、
藍の意識はそこでプツリと途切れた。
「やさしいんですね。仮にも妖怪といもあろう方が街の住民全てを助けるなんて」
「あら、気まぐれよ。それにそうしないと後々面倒なことになるしね。
第一それを言うならあなただってさっさと終わらせて人間を守るために先ほどの一撃を行ったのでしょう?」
「ま………そういうことにしてください」
戦闘中だというのに2人してまったく緊張感のない会話を行っている。
「で、どうするんです?」
「簡単なことよ。一度藍の魂と九尾の魂の境界を操ってはずすわ。後は九尾の魂を殲滅すれば終わり」
「その間藍さんの魂は?」
「スキマの中に退避させておくわ。
それでもその間は彼女の魂を守り、形成する『カタチ』がないから制限時間があるけどね」
「その時間は?」
「5分よ。それまでに藍の体を乗っ取った九尾を殲滅すればいい。
後はその肉体の破片を集めて私の術式を使って式にするわ」
「了解しました」
紫は後方支援、美鈴は前方で直接倒すことにしたらしい。
九尾もようやく体を支配できたのか、近くに落ちていた藍の剣を持つといった。
「くくく、これはこれは、大妖怪殿たちではありませんか、はじめまして」
不愉快な声だった。2人して無言。
「幸運です。汝らを食らってその力も手に入れさせてもらおう」
「ふふふ、私はね、面白いものが大好きなの。でもね、面白くないものはだぁい嫌い。
今あなたが存在しているのは非常に面白くないわ、不愉快」
「くくく、この娘のことか? 美味だったぞ?」
瞬間紫の殺気が爆発する。今まではどうやら怒りを抑えていたようだ。
だがその必要がなくなったのか、今は目に見えるくらいに怒っていた。
今までにないくらい怒っていた。
「黙れクソ狐。その体は後に我が式となる者のものだ。貴様のような薄汚いガキが触っていいものではない」
今までの口調と打って変わり、紫はそう言うなり動き出した。
戦闘内容をだらだらと述べていても結果は変わらないので、簡潔に述べよう。
言うまでもない、2人の勝利だ。
とはいえ簡潔ながら流れを語っておこう。
まずはさすがはありとあらゆる境界を操る能力を有している紫。
その能力を駆使し、強固な結界で一度動きを止めた後、藍と化け狐の魂を分離させた。
その後は簡単だ。紫がバックアップをしている間に美鈴が肉弾戦で追い討ちをかける。
一言で言えば肉弾戦での2人は最強のタッグといってよかった。
化け狐もとりあえず自身の肉体を保つために未成熟な藍に入ったこともまた失点。
美鈴の暴風雨のような、それでいて鮮やかな動きに耐えきれず早々に負けた。
とはいえ持ち前の瞬発力を如何なく発揮し、美鈴を翻弄するまでにいたった。
特に藍に生えた尻尾は見た目フサフサのフワフワッぽい様に見えるのに
攻撃に使われると突如鋼のように硬くなった。
しかも全体重を乗っけてそれが9本も襲ってくるのだから流石の美鈴も耐え切れず
かなりの傷をおった。
最終的に化け狐は紫の張った結界につかまり、そこを美鈴が止めを刺しあっけなく死んだ。
まぁただ単に2人が強すぎただけなのだが。
紫は直に遺体を集め、式にするための術をはじめる。
先ほどまでの妖気が嘘のように消えていった。化け狐が死んだ証拠である。
「どうです?」
「制限時間ぎりぎりいっぱいってところね。何とか間に合ったって感じ」
「そうですか」
「ただやっぱやり方が強引だったから式として動けるようになるには暫く時間がかかるでしょう」
作業が終わったのか紫は藍を大事そうに抱える。
「さて……そろそろいくわ」
「そうですね、帰りましょう」
「違うわ。気が変わってね、新しい住処を探すことにするの」
「また突然ですね」
「物事は突然行うからこそ面白いの」
スキマを開き、彼女は言う。
「それにこのまま帰ったらあなたの主人に本当にいろいろと研究されちゃうから。
藍の教育も考えるとあまりよくないわ」
「そうですか…で、どこか当てがあるんですか?」
「ええ。極東にね、面白い土地があるの。ある程度住み慣れたらまた遊びに行くわ」
「わかりました。ランド様にはこちらから説明しておきます」
「美鈴……約半世紀世話になったわね」
「ええ。こちらこそ、楽しかったですよ」
「私も」
パンと硬い握手をすると紫はスキマの中に消えていった。
「さて…………」
突然の別れで涙目になったが、ぼろぼろになった袖でぬぐう。
「あ……しまった。せめてお屋敷まで送ってもらえば良かった」
また長い道のりを今度は一人で帰るのかと思うとウンザリした。
雲隠れしようかなぁ、とも思ったが、そんなことをすれば間違いなくランドは地獄の底まで追ってくる。
仕方なく帰ることにした。気分としては風呂に入り、服を新調したかった。
が、不幸がスキルとして備わっている美鈴はこの程度では終わらない。
街から出ると、自身に刃を向けてくる人間たちがわんさかいた。
またその遠くのほうを見ると、妖気を感じ取ったのだろう妖怪たちがわんさかいた。
「……私何かしたかなぁ」
本当に泣きたい気分になった。妖怪はまだしも人間たちは先ほど紫が助けた手前、
殺すわけには行かない。だがこの量だ、殺さずに倒せというのは厳しい。
「逃げるにしてもなぁ」
逃げても今度は妖怪が相手だ。前と後ろからの攻撃を同時にこなさなければならない。
悩んだが、もしココで人間を殺しでもしたらあの紫までもが自身を殺しに入ってきそうな気がしたので
泣く泣く人間からは逃亡、妖怪は殺すことにし、何とか館に逃げ帰った。
それぞれが思い出し終わったのか、フゥ、とため息をついた。
「ううう、あの時紫さんがキチンと館まで送ってくださればあんなことにはならなかったんです。
それでいて本とか調度品はきっちり館にかえしていくんですもん。いじめかと思いましたよ」
「あら。でもそれであなたの伝説にまた一ページ増えたんだからいいじゃない」
「良くないですよぉ。おかげでどんなに迷惑したか……」
はぁ、と一際ため息をつく。
考えてみれば紫がかかわったことは後に必ず自身が不幸になっているような気がする。
一度友人関係を見直そうか、とまじめに考えた。
「こちらに来てからあれから彼女、どうしたんです? いろいろと大変だったんですよね?」
「そうね、大変だったわ。九尾の魂は消えたとはいえ肉体は人間と妖怪の混合。
激しい拒絶反応が起きたの。そこでまずは肉体の境界を弄った」
「それで人間味の少ない体にしたんですね?」
「ええ。そして次に記憶。その体に適合させるためにはどうしても記憶を一度いじくる必要があったの」
「だから人間だったころの記憶を消した」
「そういうこと。もちろん……彼女自身も望んだ」
「と、いいますと?」
その時の事は今でも思い出せる。
何とか体を適合させた後、少なからず人間の藍と話をする時間が取れた。
当初困惑していた彼女に状況を知らせ、街の人間は無事だというと彼女は安堵のため息を漏らし
『なら私は勤めを果たせたでしょうか?』
と紫に問うた。紫はその言葉に頷くと
『もうこの身は人間ではありません、私は死んだんです。ですからあなたの元で式になることを誓います。
ただ、仕えるからには全力で行いたい。そのためにも人間の記憶を消してほしいのです』
紫が言おうとしたことを、先に自身からねだってきた。
紫は驚いたが、彼女は何度も『後悔はしない』と言った為執行。
その後八雲藍と新たな生を迎えた彼女は今もこうして生きている。
「記憶は消したとしても、魂に刻み込まれた情報は流石の私も消すことは出来ない」
「はい。『カタチ有る物には終わり有り、されどカタチ無き物に終わりなし』です」
「それ、あなたの口癖だったわね。久しぶりに聞いたわ。
カタチ無き物とカタチ有る物の境界は非常にあいまいで、流石の私もうかつには手が出せない。
魂に刻み込まれたカタチ無き物の境界を弄ることもまた難しい」
「この世の理です。それは私も、紫さんも変わりませんよ」
「ふふふ……そうね」
藍は確かにその昔の記憶は消えた。だが彼女のつんできた経験はそのまま生かされている。
彼女の一挙一動が全て、人間であったころの経験が土台となっている。
式となり、化け物となってもあのころの人間の少女は未だに生きている。
魂の中で、これからもずっと。
「ま、武術に関してはやはりあなたのほうが教えが上手いと思うわ。
私は専ら結界とか、そういうのが得意なの」
「でしょうね。彼女の戦い方はあの頃のまま、我流でした」
「今度暇が出来たらあの子の相手をして頂戴」
「はい、喜んで」
すると玄関のほうで音がした。藍が帰ってきたのだろう。
時間を見ると、驚いたことにかなり経っており、気づけば既にお昼前。
一日の四分の一近くをここにいたことになる。急いで美鈴は立ち上がると戟を持つ。
「あら、帰るの?」
「はい。門番の仕事がありますから」
「精が出るわね」
「それが役目ですから」
がらっと障子を開けるとバッタリ藍に会った。
「お、帰るのか?」
「はい、仕事がありますので」
「藍、お送りしてあげて」
「はい」
藍は買い物籠を台所に置き(中には野菜のほかに油揚げがかなりの量入っていた)、
美鈴を先導するように先に通路に出た。美鈴もそれに従い部屋を出ようとすると後ろから声がかかった。
「今だから言えるけど、あなたが言っていた『終わりがないからこその世界』
という物の意味が少しわかったような気がするわ」
「そうですか」
「また来なさいな、お茶ご馳走するわ」
「そうですね、また暇なときに」
「そうね、暇なときに」
どちらからともなく別れの言葉を言うと、美鈴は八雲邸を後にした。
その帰り道、先を行く藍に美鈴はどうしても聞いておきたいことがあった。
「ねえ藍さん、あなた、過去を知りたいと思ったことは?」
自身は経験のないこと。知っておきたかった。
藍はきょとんとした顔で、やがて少し考えるといった。
「まぁ……何度か過去に興味を持ったことがある。だが、今となってはどうでも良いな」
「どうして?」
「過去は所詮過去だ。知ったからといってどうこうできるものではない」
「確かに。たとえ罪を犯していたとしても」
「そう、償えるものではない。だから切り捨てることにした。
もしこの後私を知っているものがでてきて過去を知ることになってもそれはそれだ。
それは記憶をなくす前の私であり、今の私ではない」
「すこしひどいですね」
「仕方ないさ、記憶とはそういうもの。忘れてしまえば本当にそれで終わりなんだ。
だから、本当にひどい話だが私はあえて切り離して考えている」
「…………」
「……それに」
一度言葉を切り、そして振り向いた彼女の顔は笑顔だった。
それはあの頃、人間だった頃の少女が向けた笑顔と同じもの。
「私は今を生きている、今はそれでいいんだ。私は紫様を守る。
もしほかに守るべきものが出来たのなら、私はそれらも全て守る。
それが八雲藍としての役目だと自負している」
「そう……」
「ああ。それに私は信じたい。記憶をなくす、紫様の式になる前の私が後悔していなければ一番良いと。
後悔してなければ、私は今後も何の後腐れもなく八雲藍として生きていけるだろう」
「…………」
「美鈴、あなたは私の過去を知っている者だ。あなたから見て私は何に見える?」
「そうですね……八雲紫に仕えし偉大なる式神、八雲藍に見えます」
「その偉大なる、という言葉は余計だが……あなたからもそう見えているのなら私はそれで十分だ」
藍は前を向きなおし、また歩き出す。
「だからいいんだ。大切なのは過去よりも今どうするか、どう過ごすべきなのか。
私は紫様の式神として今を生きている。なら今はそれを完全に全うする。
式となった私が後悔しないためにも、全力で仕えようとおもっている」
美鈴は藍がまぶしく見えた。理由はわかってる、自分とは違い前を向いて歩いているからだ。
自身は未だに過去との別離が出来てない。罪に苛まれる日々が続いている。
最後に一つ、彼女はきいた。
「ねぇ藍さん、じゃあ最後に聞くけど……あなたは今幸せ?」
「当たり前だろう?」
藍は何を馬鹿なことを……という感じで答えた。
『そう』、と美鈴は返し、無言に戻った。
そう……美鈴にしてみればその『幸せ』という言葉だけで十分だった。
本人が幸せなのであれば、それでいい。
幸せは本人が判断し、決めるもの。第三者が口を出すべきことではない。
「さて……ここまでで良いですよ」
「良いのか? もう少し送るぞ?」
「ちょっと考えたいことがありまして」
「そうか……道中気をつけて」
「大丈夫ですよ。伊達に長年生きてませんから」
「そうか……では」
藍は一礼すると来た道を戻っていった。
彼女の姿が完全に見えなくなったとき、美鈴はポツリともらす。
「はぁ……私ってただ単に無駄に長く行きてるだけなのかもね。
世界にはああいう考え方が出来る子がいるんだって……改めておもい知ったよ」
フッと少し暗い笑みを残すと、彼女は紅魔館に帰っていった。
◆ ◆
美鈴はそこまで思い出して、グラスに残った酒を一気に飲み干した。
彼女の隣では藍が
「う~紫様~」
と完全に出来上がっていた。そして爆睡している。
「あの~そろそろ店じまいしたいんだけど」
ミスティアが罰が悪そうに言う。
「あれ? もしかしてもうそんな時間ですか?」
「うん。藍さんはあの調子だからとりあえず放っておくってことにして他の2人は帰ったよ。
美鈴さん、なんかず~っと何か考え事してたからあえて何も言わなかったんだけど」
外を見れば既に太陽が昇り始めていた。あちゃあ、と美鈴はため息をつくと
「ごめんなさい。お代ここにおいて行きますね。あと藍さんは私が送ります」
「ごめんよ~後は頼むね」
美鈴は金を払うと藍を背中に背負い空を飛んだ。
せっかくの飲み会だというのに他の2人には悪いことをしたな、と思ったので
今度何か詫びを入れよう……と心の中で誓った。
「う……ん……」
ようやく目を覚ましたのか、マヨヒガが近くなったところで背中から藍が声を放つ。
「おはようございます」
背中越しに美鈴は言う。藍は暫くボーっとしていたが、ようやく現状を認識したのかやがて慌て始めた。
「……す、すまない美鈴」
「いいんですよ。ああ、動かないでください。まだ藍さんは酔ってらっしゃるんですから」
「……かたじけない」
「別にかまいませんよ~」
おそらく顔を真っ赤にしているんだろうな、と美鈴は苦笑する。
「はい、到着~」
美鈴の脚力を持ってすれば、マヨヒガはかなり近かった。
扉の前で藍をおろす。
「本当にすまないな。どうだ? お茶でも」
「いえいえ、仕事がありますから」
誘いを丁重に断り藍に背を向ける。
が、何を思ったのか不意に振り向くと、あの時と同じ質問をした。
「あなたは今、幸せですか?」
藍はキョトンとした顔を浮かべるが、直ににっこり笑うと
「ああ、幸せだよ」
と答えたのだった。
終わり
訂正しておきました。
作品そのものの話とは若干ズレますが、ミスティアも面白い立ち位置に居るキャラクターだと思います。
妖怪なのに客商売をしている(香霖は例外中の例外)。
その客の中には(文の宣伝効果もあって)人間も少なくない。
だが、彼女の人間全体に対する友好度はあまり高くない。
さらに彼女は積極的に人攫いすると公言している。
しかし、屋台経営に当たって、材料の流通ルートには人間も含まれているでしょう。
かなり皮肉で捻くれた設定だと思うのです。
美鈴のように、『謎のままでもいいや』という扱いで済ませられません(ぉ
いやはや、やはり東方という世界は深いです。
その深い部分の一面を移す鏡として、このシリーズには期待しています。
次回作も頑張って下さい。
このシリーズの美鈴大好きです。
次回作も期待しています。
ただただ態度で示すのみ。
>Zug-Guyさん
全作品に感想ありがとうございます。
そうなんですよね、ミスティアは面白い立ち位置にいると思います。
実際かなり扱いには苦労しました。
どうしようか考えた結果、この小説では気前のいい店主という方向に。
出来ればミスティアの出番を今後出していきたいなぁと思います。
>名前が無い程度の能力さん(2007-03-23 19:10:47)
報告ありがとうございます。今後もがんばりますので
よろしくお願いします。
>名前が無い程度の能力さん(2007-03-25 16:46:25)
そうですね、これからも自信を持って書いていきます。
どうもありがとうございました
心に強く残る素晴しい作品です。