Coolier - 新生・東方創想話

夏の夜の宴の後で

2007/03/19 09:28:02
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 それはおだやかな時間だった。 

 せみの音もゆるみだす夕暮れ時に――

 幻想郷にあって外の世界との境に位置するここ博麗神社の縁側ではのんきにお茶を飲む巫女と、その横では日が沈む前から酒を飲む子鬼の姿があった。

「お酒~、お酒~」
 陽気な子鬼はその手にある瓢箪を止めることなく口に移動させる作業を永遠と繰り返している。
 沈みかかる夕日を前に、この子鬼の作業はこのまま夜の宴会へと続くのだろう。

「ちょっと、萃香。人が宴会前だからって大人しくお茶で済ませてるのにわたしの隣でそんなにがばがばと飲まないでよ」
 そんな子鬼の様子に隣で巫女が文句を言えば
「霊夢も飲むかい~? ただし私が口をつけた瓢箪だけどね」
「いらないわよ」
 きしし、と鬼は笑う。

 宴会を前に、整えられた境内には二人の姿しかなかった。
 人だけでなく妖怪を呼んでの宴会もできるこの境内で二人しかいないというのはなんだか寂しいものだ。

「たく……。なんだってあんたみたいなのが神社にいつくんだか。まぁ、知らない間に境内の掃除が終わってるのはいいんだけどね」
「さぼり癖のある巫女を唯一助けてあげてる私にちょっとくらいは感謝してもばちはあたらないと思うけどね~」
 そうして自前の瓢箪に口をつけ、くいっとあおるように中の酒を飲む。

 桜が散ってもなお続いたあの宴会の日々から、この子鬼はよく神社に姿を見せるようになっていた。
 何が気に入ったのかはわからないが、こうして誰もいない境内で気づくと隣で酒を飲んでいたりする。
 だがこの子鬼が現れるようになってからはいつのまにか境内も綺麗に片づいていたりしていたりと、霊夢も萃香の協力には悪い気はしなかったのでこうして二人並んでお茶を飲んでいるのも珍しくなくなっていた。

 一人が飲んでいるのは常に酒だが。

 ふと巫女があることに気づいた。
 止まることなく酒を飲み続ける子鬼の様子を不思議そうに見る巫女に、萃香は気づき
「なに?」
「ん。そういえばあんたのその瓢箪に入ってるお酒ってずっと飲み続けてるみたいだけど、無くならないのかなーって思って」
「無くならないさ。これは鬼の宝の一つでね。この中で永久にお酒が注ぎ足されるようになってるの~」
「ふぅん。でも、あんたの萃める力だっけ? それがあればその瓢箪なんかなくてもお酒なんてどこからでも集めれるものじゃないの?」
 鬼の力を知る巫女が何気ない疑問を口にし、「ぎくり」とした鬼の表情を巫女は見逃さなかった。
「ちょっと萃香……。あんた、もしかして」
 札をその手に忍ばせて、少し怒っているというのがわかる霊夢の姿に
「ちがうよ! ここの神社のものはとってないよ! この神社で萃めるだけのお酒があるとは思ってないし、というか無かったし!」
「一言多いわよ」
 そうして軽くこつんと小さな鬼のおでこを小突いた。
 小突かれたおでこを「あいたたた……」と押さえながら小鬼は笑う。
 そしてなんでもないかのように聞くのだ。

「霊夢はさ~」
「うん?」

「私にお賽銭を萃めろとかは言わないのね」

 そう問われ「は?」と巫女は呆れ顔を返した。
「何言ってるのよ。お賽銭っていうのはね、神様への感謝の気持ちとか、自分の願いを形にして祈るものなんだからあんたに集めてもらったところで意味がないの。わたしの生活は今のままでも食べるのには十分なんだからこれ以上集めることに意味はないわ」
 きっぱりとそう言ってまたお茶を飲む巫女を、子鬼は少しだけ懐かしいものを見るように目を細めた。

 そう。
 鬼の萃める力はとても便利で、便利すぎて、それを利用しようと考える人間は昔はたくさんいたのだ。
 特に力の強い者がそう考えるのは当然であった。
 昔は鬼を退治する技術があった。
 鬼は強大で力の強い種族であったが、また弱点も存在する。
 そうして退治された鬼は人間達に利用され、それが嫌になって鬼は人間の元を離れた。
 もうずっと昔の話だった。

「宴会まではまだ時間があるわね」
 沈みゆく夕日を眺めながら、巫女がつぶやく。
 赤く照らし出された縁側で、霊夢の横顔は夕日に染まり暖かな光を返していた。その横顔が、ひどく綺麗に見えたのは夕日のせいなのだろうか。

「ねえ、霊夢――」
「なに?」


「――接吻してもいい?」


 巫女は二度目の「は?」という呆れ顔になった。
「萃香、あんた酔っぱらってるんじゃないの?」

「私が素面だったのはもうずっと昔のことさ」
 そうして萃香は言ってしまったことを取り消したいとするように「なんでもない」と手を振り
「悪いね。どうやら悪酔いしたみたい。宴会までまだ時間があるみたいだから少しだけ風にあたってくるわ」
 そう言い残して子鬼の姿は霧へと消えた。

 一人になってしまうと無性に境内の静けさだけが感じられた。
 元からこうだったというのに、一人が二人に増えるだけでも結構違うものだ。
 境内に一人残された巫女は霧と消えた子鬼の場所を見つめながら

「……ほんとに酔ってたのかな」

 そうしてまた巫女はお茶をすするのだった。



***



 夜の宴が始まった。
 そこには人間も妖怪も幽霊もそして鬼と呼ばれるものさえも秩序無く集まっている。
 そこにいる鬼はさきほどの子鬼ではなく吸血鬼と呼ばれるものだったが。
 各々夏の暑さも楽しみながら、夜の宴を楽しんでいるのだろう。

(萃香はまたどこかでこの宴会を眺めてるのかしらね)
 いつも宴会の席を設けるのにその姿を現さない子鬼は、宴会が終わってからまた姿を見せるのだ。

「それにしてもここは暑いわね。体にこたえるわ」
 そうして現れたのは幽界きっての名家、西行寺家のお嬢様だ。

「幽霊のくせに何言ってるんだか。あんたらはいいわよね。騒ぐだけ騒いで、片づけもしないで帰っていけちゃうんですから。残ってる方の身にもなりなさいよ」
 そうした巫女の嫌味にも西行寺家のお嬢様は優雅に微笑を返すだけで――
 その後ろでは巫女の冗談を真に受けた半身半霊の庭師は頭を低くして謝っていたが。

「そんなに言うのなら彼岸になったら家を使ってもいいわよ?」
「あんたたちの所に行くのには境界を一つ越えなきゃならないし、どっちにしても遠すぎて面倒だわ」

「あらあら、結界のバランスを保つ巫女がそのくらいのことを面倒くさがっちゃいけないわね」
 声はまた別のところから、というか上から聞こえた。

「紫。あんたはいっつも呼んでもいないのに来るし、必要な時にいないし」
「あら、今回は私は呼ばれて来たわよ? 招待状もここにあるし」
「わたしはこの神社を使って宴会に呼んだやつなんて誰一人いないって言ってるのよ! 気づいたら人んちで好き勝手に宴会をしてるし、そのくせ片づけもしないで帰るあんたたちを誰が呼ぶっていうのよ」

 そう。
 今回の宴会も友人である人間から「今度の満月の夜、またお前のところで宴会をやるんでよろしくな」という一方的な通知があっただけで、霊夢はその宴を了承した覚えもない。だが宴会の為に集まってしまう事自体は異変でも何でもないのでいくら博麗の巫女でも止められはしなかった。
 だから今の巫女の言葉は多分偽らざる本音なのだろう。

 唯一の問題は誰も聞いてはいないことだ。

「そんなに怒らないで。そういえば今日は萃香の姿が見えないわね」
 宴の続いたあの日の、本当の原因を知る古い妖怪がなにげなくつぶやく。

 そして本当の原因を知っている巫女もなにげなく応えるだけだ。
「いつものことでしょ。宴会の時はどこかでわたしたちの事を見てお酒を飲んでるって言うし」

「そうね。いつもいないのだけれど、でも今回は本当にいないのね」
「どういうことよ?」
「そういうことよ。まあそのうちひょっこりと現れるでしょ」
「なによ、それ」
 そう巫女が詳しく尋ねようとしたときに

「それよりも宴会よ。藍、前に外の世界から見つけてきたとっておきのお酒を出して頂戴」

 すきま妖怪のその一言に、あたりは一瞬で騒然となった。

「外の世界の酒だって? それは是非とも私が飲まなきゃならないな」
 会話を聞いていたとしか思えない間合いで話に加わってきたのは一方的な通知を出してきた白黒の魔法使いだ。

「ちょっと魔理沙、なんだってあんたが飲まなきゃならないのよ」
「あん? なんでってここの酒は私のものだからだ」
「どこかの大将か、あんたは」
「まあまあ、慌てなくてもここにいる皆が口にするくらいはあるわ」
「そうか。なら何人かの分は私が飲んでも問題はないな」
『あるって』
 何人かの声が重なるが白黒の魔法使いはどこ吹く風だ。
 結局はぐらかされた感じになり、その後もすきま妖怪に問いただすことはできなかった。



***



 宴会が終わり、境内にはさきほどの参加者と変わるようにごみだけが残されていた。

(片づけるのは明日にしよ……)

 境内のほぼ半分を埋める食い散らかされたゴミという絶望的な状況を前に神社の巫女は早くも作業を放棄した。
 例え明日の朝にごみが散乱した神社がそこにあったとしても、博麗神社を訪れる参拝者が減るわけでもない。
 限りなく零に近い参拝者がさらに零に近づいたとしてもそれは誤差の範疇だ。
 そうして神社の中の自室へと戻ろうとした巫女であったが

「霊夢」
 最近、聞き慣れだした自分を呼ぶ声が聞こえた。

「萃香?」
 振り向いたそこには夕方、別れた子鬼の姿があった。
 遠く月を背に立つその姿は、いつもよりも小さく見えた。

「あんたってばどこいってたのよ。いっつも宴会の時になればどっかに行ってるし。わたしが鬼退治をした話をしようにも本人がいなければ嘘っぽくなるじゃない」
 あの宴会の日々が続いた本当の理由を知るのは少ない。
 他の者も異変には気づいていたのだろうが、鬼が幻想郷に戻ってきているという真相までを知る者は幻想郷のバランスを管理する巫女と古い妖怪の二人だけなのかもしれない。

「悪いね。鬼の誇りとして人間に負けたことはあまり周りには聞かせたくないんだ」
「……そうなの?」
 自分としてはまわりの妖怪に萃香の事を少しは紹介できるきっかけでもと――だがそういうことなら口にしない方がいいかもしれない。
 そう霊夢が思ったときには

「う~そ~」
 子鬼は舌を出して、笑っていた。

「こらぁ」
 咎める声をあげる巫女だが――霊夢は知っている。

 鬼は嘘を激しく嫌う。
 人に嘘をつかれる事を嫌う鬼は、自らも嘘はあまりつかない。
 嘘をつくことは相手を信じないこと。とりわけ仲間意識が強い鬼が嘘を嫌うのはわからないでもない。
 幻想郷にあって最強に近い力を持つ鬼が、仲間を信じないとあってはそのバランスは崩れるからだ。
 だから今萃香が言った言葉も、実は嘘ではないのかもしれない。
 だから霊夢もそれ以上は萃香を咎める言葉は言わなかった。

「それよりもここに余ってるお酒があるんだけど、飲み直さないかい」
「いいわね」
 霊夢も紫の言葉が気にかかり、気を抜いて飲んでいたわけではないのではっきりいってあまり酔えない気分だったのだ。
 酒の肴は適当に残ったものを萃香が萃めてくれたのでそれなりに豪勢に見える。

 深夜にもなり、あたりは静かなものだった。
 夏の夜の熱気も去り、月見酒をするにはいい頃合いだろう。
「綺麗だね~」
「そうね」
 そうして二人して月を眺めながら、だがどちらも口を開くことなくただ黙って杯を口に運び、月夜を眺めた。

「…………」
 そうしていると、自分とは違う誰かがそこにいるという現実がうっすらと和らいでいるかのようだが、だがそれは不快ではない。
 おだやかな時間が流れ、だが誰か別の誰かがそこにいるという気持ちだけはある。
 霊夢にはそれだけで十分だった。

 しばらくして――先に口を開いたのは萃香の方だった。
「さっきはごめんね」
「さっき?」
「境内で、変な事を言ったでしょ」
「変なこと?」
 そうして思い返してみて「あぁ」と霊夢は思ったが、そんなことは言われるまで気づかなかった。

「そうね。酔った勢いでもあぁいうのはよくないわ」
「そうだね……」
 萃香は少しだけ後悔しているのだろう。
 自分の方を見もしないで俯く子鬼に、だが巫女の少女はため息を一つついてから

「わたしが言ってるのはそうじゃなくてね」
 そう言った子鬼の頭を何でもないように引き寄せながら――


 子鬼の頬に「ちゅっ」と口吻をした。


 小鬼が「え……」と思ったときには巫女の顔は離れていた。
「このくらいなら別にわたしは気にはしないんだから、それよりも飲んでるときに急にいなくなるのはどうかと思うわ」
 悠然と微笑みながら巫女は言う。

 自分の頬に確かに感じた柔らかな現実と、ほんの一瞬の出来事に夢幻の事ではなかったかと疑う子鬼は
「え、うそ……」
 とりあえず今起きた現実はよくわからなかったらしい。

「あら、鬼は嘘が嫌いなんじゃなかったっけ?」
「いや、嫌いだけど……」
 そうして頬を押さえながら「うー」とか「えー」とか言う子鬼の姿はなんだか微笑ましかった。

「別にあんたの事が嫌いってわけじゃないんだし、このくらいの事ならなんでもないわ」
 ぽんぽんと子鬼の頭を撫でる巫女。

 そうして今の出来事が現実だとわかった子鬼だが
「でもさっきは私が接吻したいって言ったと思うんだけど」

 お返しのつもりなのだろう。

「あら、そういえばそうね」
 そうしてどこか可笑しそうに笑いながら、巫女は子鬼の要求につき合うことにした。

「どうぞ」
 とんとんと頬をつき出す巫女。

「……いいの?」
「唇にしたら殺すけどね」
 顔をつきだしたまま、霊夢は目を閉じた。

 子鬼はまだ警戒するように目を閉じた巫女を見やっていたが――

 ぎゅっと胸の上で手をにぎり、そうして覚悟を決めた子鬼はおずおずと、巫女の横顔へと顔を近づかせ――

 そして――


 夜の境内に「ちゅっ」と軽い音が響いた。


 ゆっくりと口を離したそこには優しく微笑む巫女の横顔があった。
「うわー、ほんとにしちゃったよ……」
「自分から言い出した事じゃないの」
 その様子に巫女は少しだけ苦笑しながら

「満足した?」
 そう問われてもどう返したらいいのかわからなくて

「……ありがとう」
 子鬼はそんな言葉を返すだけだった。
 夏の熱気も冷めた夜に、少しだけ暑い気がするのは夏の暑さのせいだけではないだろう。
 だが――
「でもどうしてこんな事をしたいと思うのよ。鬼ってそういう事の為に人間をさらってたわけ?」
 巫女のその言葉に、ゆっくりと熱が冷めるように子鬼は今を思い出した。


 昔はこんな戯れなど吐いて捨てるほどあったことなのに。

 いつの頃からか、それができなくなったのは――


「別に人間の体に興味があるとかじゃないさ。ただ――」

 そうして鬼は博麗の巫女を見るのだ。

「人間は鬼を怖がるからね。怖がるから鬼を退治をしようとする。今の幻想郷で私を退治できる人間はただの一人だからよ」

 そう。
 怖がるということは、鬼と敵対するということ。

 人間が鬼を退治しようとするはるか昔では、鬼と人間はそれなりに信頼関係を保ち、お互いが知性を持つ仲間だと認識していた時代もあった。
 だがいつの頃か、鬼が悪いものと決めつけられ、人間が鬼を恐れるようになり、そして力のある人間が鬼を退治しようと考えた頃からそれは崩れた。
 それは力のある人間ならば、また欲のある人間ならばそれは当然の事とも言えるだろう。鬼は悪いものと決めつけてさえしまえば、力のあるものにとっては都合の良かったことなのだ。
 そうして捕まえられた鬼はその力を人間達のいいように利用されてしまう。


 ――鬼にさらわれた人間達が鬼の元で幸せに暮らしていた事も、誰も知らずに――


「わたしがあんたを怖がるってね……」
 巫女は今日何度目かのあきれ顔をしたが

「こんな子供のあんたをわたしが怖がるわけないじゃないの」
 そうして巫女は優しく子鬼の頭を撫でた。

「少なくとも霊夢よりは歳上なんだけどね」
「そういうことはもう少し背が伸びてから言うのね」
「絶対これ以上伸びないって知ってて言ってるでしょ」
「うん」
 そうして不満を言う子鬼だったが、ため息を一つついて霊夢の膝に仰向けになって横に転がった。
 上を向いて転がるには角が邪魔なのだろう。

 霊夢もそんな萃香をどけようとはせずに、そっとその頭に手をのせ、流れるような髪を優しく撫でた。

 霊夢は右手に杯を、左手に萃香の髪を撫でながら純粋に満月の夜を楽しんだ。

 月は、幻想郷にあって、さらに幻想的な雰囲気を地上に残す。

 辺りは虫の音が響くだけで、静かな時が流れるだけだった。



***



 そんな穏やかな時間が少しの間、過ぎた頃――

「あのデバガメがっ……」
 月を見ていた霊夢が何かに気づいたらしい。
 そしてちょっと苛ついているようだ。

「……萃香、ちょっと離れて」
「なに~?」
 少しうとうととしていた萃香を離し、霊夢は夏の夜空へと向けて札を投げつけた。
 隣で巫女がいきなり札を投げつけたものだから、隣にいた子鬼も「びくり」と体を震わせる。
 札の痛さを思い出したのかもしれない。

 なにもないはずの虚空に、だが札は吸い込まれるようにして消えていった。

「……いるんでしょ、紫」
「はぁい」
 そこには境界を操る古い妖怪が、すきまの間から半分だけ姿を覗かせひらひらと手を振っていた。

「覗き趣味っていうのはよくないと思うわ」
「そうね。二人のらぶらぶな所を邪魔しちゃ悪いわね」
「何よ、らぶらぶって」
「今のこの状況でそう思わないあなたがすごいと思うけど……。まぁいいわ。私も言ってしまった手前、あなたに変な気を遣わせてしまったお詫びと思ってね」
 その手には先ほどの外の世界の酒ではなく、よく見慣れた酒がそこにあった。

(そんな量じゃ鬼は酔えないよ)
 <鬼殺し>と書かれた瓶に萃香は昔の事を思い出し、無性に笑いたくなった。
 自分がここにいることを知って、そのお酒を出すのは紫流の冗談なのだろう。

「そう思うなら本当の事を聞かせてくれても良かったじゃない」
「萃香がどこにいたのかは私も知らなかったけれど、でもさっきのところじゃまわりにはいろんな妖怪もいるんですもの。まだ鬼が幻想郷にいるということを知らない者も多いし、あんな場所で言うのもどうかと思ってねぇ。せっかくの希少な種族がまた幻想郷を離れてしまうというのも悲しいことだわ」
 そうしてすきま妖怪も子鬼の頭を撫でようとしたが、子鬼はその手が不快だとでもいうように体を逸らしてその手から逃げた。

「あら、霊夢はよくても私はダメなのかしら?」
「紫は何考えてるかわからないし、存在自体がインチキだから嫌い。あとそのお酒のセンスも嫌いだから」
「あらあら」
「やーい、嫌われてやんの」
 巫女が勝ち誇った笑みを浮かべている様子にすきま妖怪は苦笑しながら

「博麗の巫女が特別扱いはよくないんじゃないの?」
 そうした言葉に
「よくないわよ」
 そうしてすきま妖怪を見返した巫女の目は、博麗の巫女の目だった。

 その言葉は、幻想郷にあって唯一の規律を管理する巫女の絶対的な言葉。
 博麗の巫女は誰かを特別視することはできない。
 もしも特別視することがあるならば、それは幻想郷自体の均衡を揺るがす事にも繋がりかねないからだ。

「ただね――」
 すきま妖怪に向けた鋭い眼差しをゆるめ、自分の膝に転がる子鬼の頭を撫でながら

「人間を嫌いに思うこの子の気持ちもわからないでもないからね」

 幻想郷にあって唯一の規律を守り、支配する者。
 それが博麗の巫女だ。
 人間の中でも、妖怪の中でも、幽霊でさえも、この規律からは逃れられはしない。

 故に最強。
 故に孤独な存在なのが博麗の巫女と呼ばれるものだ。

「そうね。人間は異端を嫌う生き物だもの。だからこそ精一杯に生きられる生き物なのだとは思うけど――」
 そしてどこか可笑しいものでも見るように境内の先へと視線を向け

「でもその中にも特別はいるものね」
 そうしてすきま妖怪の視線の先には一つの人影があった。

「なんだ~? まだ宴会を続けてるのかよ」
「魔理沙?」
 そこには白黒の魔法使いが箒を片手に境内へと降りてくる姿があった。

 なんでもないように――
 いつだってそうだ。
 いつだってこの少女はそうやって何でもないようにしてやってくるのだ。

 霊夢は思う。
(特別はダメなんだけどね)
 自分がどれだけ博麗の巫女として振る舞い徹しても、この人間だけはこちらの都合もお構いなくずかずかと踏み入ってくる。
 もう腹立たしいほどに自分の領域へと踏み込んでくる。
 最近の問題は、それが嫌じゃない、と自分が思いだしていることだろうか。

「博麗の巫女としてはちょっと問題だけど、今の霊夢にとってはいいことじゃないの」
「そうね……って、紫。いつからあんたは人の心まで覗くようになったのかしらね」
「あら? 今のは私の独り言のつもりだったのだけれどね」
「そう。ならそういうふざけた戯れ言は人の耳に聞こえないように言うのね」
「はいはい」

 巫女とすきま妖怪の会話を頭の上で聞いていた子鬼は
「なに……。霊夢ってばあの人間がお気に入りなの?」

 当然否定するかと思われたその問いに、だが
「困ったことにそうみたいね」
 本当に困ったような顔をして、巫女が応えるのが子鬼には不満だった。
「ふぅん……」

 三人が自分の事で会話を続けている事を知らない白黒の魔法使いは、自分が現れた事に反応を示さない三人の前まで来て
「おいおい、皆して素通りか? たまには片づけを手伝ってやろうと思った私の心意気はどこにいけばいいんだ?」
「来るのが遅いのよ」
「気にするな。それよりその角の生えたやつはなんだ? 見慣れない顔だな。お、すきま妖怪。いい酒もってるじゃねーか」
「追いはぎか、あんたは」

 霊夢の咎める声も何処吹く風で、すきま妖怪から直接杯を奪い取りながら
「なんだ、霊夢。飲まないのか?」
 そうして何でもないように言うのだ。

 幻想郷からいなくなってしまった鬼を前にしても変わらずにいることができる人間は数えるくらいだろう。
 そして博麗の巫女を前にしても変わらずに在ることができる人間も少ない。
 だがそれができる人間がここにいるのだ。

「ま、たまにはこうして皆で宴会を開くのも悪くはないんじゃないかしら?」
 その言葉に巫女はため息を一つついてから

「そうね。たまになら、宴会をするのも悪くはないわ」

 博麗神社の夏の夜の宴はまだまだ続きそうだった。



<了>




 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
 拙い文章でしたが如何でしたでしょうか。

 東方話では初の投稿で、初あとがきです。
 今回は霊夢と萃香の二人の話をメインにして、時期的には萃夢想の異変が終わったあとの数週後くらいになるのでしょうか。
 ちょっとだけ妖しい雰囲気に傾きそうになりましたが、この続きは今後発展するようなことはありません。
 雰囲気的には好きとかそういう感情よりも、「お気に入りな二人」といった雰囲気を意図して書いています。

 霊夢は博麗の巫女という立場上では絶対的に中立の位置にいるべき存在なので、誰かを特別扱いということはしてはいけないことなのですが、今回は霊夢の博麗の巫女としての自分の現状と、そして幻想郷から出ていってしまった鬼、という点でちょっと交差するところがあるのかなーと思って書きました。

 最後はまとまりのない終わりになってしまいましたが、どこかにオチをもっていくわけでもなく、博麗の巫女としての日常の中にちょっと挟み込んだ1コマみたいな感じで、雰囲気としては結構イメージ通りに重なったと思います。

 反省点としては今回の魔理沙が「漢過ぎる」点が反省点ですが、次回では少し軌道修正して「普通の女の子」を目指そうと思います。
 妹様とか出てくるといいのかもです。

 ではではこの辺で~。

御伽瀬 聖
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コメント



0.2260簡易評価
1.60名前が無い程度の能力削除
やんわりとした感じがいいですね~
2.80名前が無い程度の能力削除
これは素晴らしい日常の一コマですな
7.90時空や空間を翔る程度の能力削除
昔話をつまみにしてのお酒の味は
忘れられない味でしょうね~~。

いつも笑って飲んでいられるように・・・・・・・
9.70名前が無い程度の能力削除
ラストの魔理沙登場で違和感があったんですが、何度か読み直してみたら、なんというか自然すぎて不自然だったのかな、と思いました。
ともあれ良いお話でした。次回も期待しております。

しかしこの魔理沙、次の日には萃香と肩を並べて酒飲んでそうです。
13.70跳ね狐削除
きれいにまとまってて良い作品だと思います。
特に最後の萃香が紫に向けて放ったセリフは、恐ろしいまでの説得力をもっていたので笑ってしまいました。
15.90削除
次が出るのをじっくりとねっとりと楽しみに待たせていただきますw
21.80名前が無い程度の能力削除
そういえば、魔理沙も霊夢と一緒で誰も拒まない人間なんですよね…
萃夢想でも唯一ゆかりん誘ってるし。ううむ…深い…
36.80おひる削除
これはいい霊夢萃香。
全体的にまとまっていて、後味もすっきりとしていると思います。
デバガメのところで「文かっ?」って一瞬思ったんですが、そういえばこれ萃香が登場して間もない頃の話なんですよねw
失敬失敬。

魔理沙の件ですが

>「~じゃねーか」
の部分で、私個人としてはこの言葉遣いにほんの少し違和感を感じました。
ですが、このままの魔理沙でも全然ありだと思います。
違和感に思ったのもこの一点だけですし、別に大して「男過ぎる」とは感じませんでした。

あと最後に誤字らしきものが。
>腹正しい


長文失礼しました。
43.90名前が無い程度の能力削除
とてもほんわかした作品で楽しく読めました。

魔理沙の件は私もちょっと違和感があるのですが、作者の意図?らしきものがみえるので、、、うーん、言葉にすると難しいですね。
(話自体はおもしろかったです)

そういえば魔理沙ってふつうの魔法使いということらしいのですが、ふつうの人間ではないと思います(笑)