朝起きると、自分が蛙になっていた。
☆
それは昨日のこと。
氷精チルノはいつものように、大妖精を引き連れて遊び場を探して彷徨っていた。
程なくしてその目に留まったのは大蝦蟇の住む沼。
「あっ、冬眠から目覚めた蛙が居るっ」
嬉々としながら寝起きのぼんやり頭な蛙を捕まえると問答無用で凍らせるチルノ。
その眩しいほどの笑顔には残酷な行為を楽しんでいる風はない。
冬を越えてようやく楽しめる遊びに、今まで溜め込んでいた我慢を爆発させているかのようだ。
「そーれっ」
氷漬けになった蛙を思い切り放り投げて沼に戻す。
すると凍っていた蛙は再び生を取り戻し、命辛々這々の体で沼の奥へと逃げていった。
しかしこれから目覚める蛙たちはそんな運命が待っているなど知る由もない。
出てきたところをチルノに捕らえられ、凍らされ、そしてまた生き返らせられる。
そして中には三分の一の確立によって無惨にも砕けてしまう蛙も居た。
流石の大妖精もこれ以上は見てられず、制止の言葉を掛けた。
「チルノちゃん、そんなことしたら可哀想だよ」
こんなにも楽しい玩具が転がっているのにどうしてと言わんばかりの不平の表情を浮かべるチルノ。
だがいつも容認してくれている大妖精が窘めるということは、それだけのことをしているということ。
名残惜しそうでありながらも、チルノはわかったと頷いた。
「しょうがないわね。大妖精が言うんなら今日の所はやめとくわ」
今日の所は、ということは完全に止めるつもりはないらしい。
だが気が向くまでは蛙たちの平和は守られる。
チルノは手に持っていた氷漬けの蛙をぽいっと放ると沼を後にした。
氷漬けの蛙は放物線を描き地面に激突。
呆気ない程簡単にその固まりは砕け散った。
誰もいなくなった沼のほとりに散乱する氷の欠片。
そんな無惨な姿と化した同胞達を前にして、無念の声を漏らす者がいた。
『なんということだ。ようやく冬の眠りから目覚めようとしていたのに。
あの氷精めが。あの時ひと思いに飲み込んでやれば……』
憎しみと憤怒に満ちた声。
「どうやらお困りのようですね」
その声とは相反して滑らかな声がそれに言葉を返した。
「どうです? 私で良ければ力になりますよ」
☆
目覚めはいつもの通り。
ねぐらに日の光が差し込んで朝の訪れを感じたら、体がうずうずしてくるのだ。
朝になったよ、さあ遊ぼうと。
(あれ?)
チルノは大きく背伸びをしてなんだかいつもと何かが違うように感じた。
いつもなら狭いねぐらで伸びをしたら、その手が壁にぶつかってしまうのに、
今日はもの凄く広々とした空間にいるように思える。
(んー……)
あぐらを掻いて腕を組んで、考える――フリだけやってみる。
ただし所詮はフリでしかなく気付くことなどありはしない。
結局は別に困ることでもないし、さっさと遊びに行こうという結論に至るのだった。
だが。
「ケロッ、ケロケロケーッ(いざ、今日もあたいはぜっこーちょー!)」
外に向かってダイブする。
そしてそのまま風に乗って大空へいくはずが、華麗に地面に着地した。
「ケロ?(なんで?)」
そしてはたと気がつく。
今まで自分の耳に届いている声と、自分の頭の中で発している声が一致しない。
なのに速さは同じに発せられている。
よくよく見ると世界がいつもより大きい。木も草も花も何もかも。
そしてもう一つ気がついた。
自分の手足。五本の指は何処かに消えて、代わりにあるのは水掻き付きの三本指。
この指には見覚えがある。
「ケロロッ!?(どうなってんのよ!?)」
どんなにバカでもこれは気付く。
チルノは慌てて自分のねぐらに戻ろうとするが、いものように飛ぶことができない。
何度やっても飛び跳ねるだけで、飛び上がらない体。
自分ものだという自覚はあるのに、まるで自分ものではないような感覚。
そのときふと地面の水溜まりに目線が行く。
直後、朝の森に蛙の独唱が響き渡った。
いったい何どうなっているのか。
水溜まりに映った姿は紛れもなく蛙。
遊び道具の姿を見間違えるはずがない。勿論自分の姿だってまた然り。
だが自分の体を映したら、見えたのは蛙の姿。
『ようやく自分の置かれた立場が分かったようだな』
「だ、誰っ」(※以下蛙語)
突如脳裏に響き渡る声に、思わず立ち上がり警戒するチルノ。
だが周囲には誰の姿もない。
『私は沼に住む大蝦蟇だ。以前にお前を飲み込んだ蛙と言えば思い出すか』
飲み込まれた、と言われてチルノの脳裏にかつての思い出が蘇る。
粘液まみれの口の中、目玉で胃袋へと押し込まれるあの圧力。
無我夢中で冷気を振りまき、なんとか出てこられたときには体中べとべとだった。
「まさかこれはあんたの仕業なのっ!」
『その通り。なんで、とは聞かせん。私は怒りに打ち震えているのだ』
言うとおり相手はかなり怒っているらしく声だけでもそれを察することができる。
だがチルノとていきなり蛙に姿を変えられたとなっては黙ってはいられない。
「あんたの怒りなんか関係ないからさっさと戻せーっ」
『反省が足りんな。地獄巡りを三度通過してきてもまだ足りん。
我らの同胞をよくまああれだけ木っ端微塵にしてくれたものだ』
「はらから?」
『大切な仲間のことだ!』
まったく反省を示すどころか、含蓄の無さ故に聞き返してくるなど相手からすれば言語道断。
その怒りのボルテージは上がっていく一方だ。
『お前の考えはよく分かった。しばらくその姿で過ごせ。反省する気になったなら元に戻す方法を――』
「だぁれが反省するもんかっ」
どこに向かって叫べば良いのか分からないので、とりあえず空に向かって言い放ちあっかんべーをする。
すると相手の声はまったく聞こえなくなった。
怒りよりも呆れを感じて交信を絶ったのだろう。
うまく立ち回れば元に戻る方法が聞けたかもしれないのに、自分からその途を絶ってしまったチルノ。
しかし今のチルノにはそこまで気が回る余裕はさらさら無かった。
「あー清々したっ」
吐き捨てるように言い放つと、ひとまず頼れる友人の下へ向かおうと動き出した。
あくまで自分の手で元に戻る方法を見つけ出すことにしたようだ。
負けず嫌いの典型的な行動パターンである。
☆
行けども行けども見える景色は一向に進まない。
いつもなら歩いて一歩を二回飛んでようやく追いつくといったところだ。
その上全身を使わなくてはならないので、いつも以上に速度は落ちている。
むしろ常日頃は空を飛んで移動しているので、その差は歴然だ。
「あーもー疲れたー」
思えば朝から何も食べていない。
それも疲れを増長させる要因の一つである。
チルノは周囲を見渡して、食べられる物がないか探してみた。
するとその目にいつもなら気にしない小さな虫が飛び込んでくる。
チルノはその虫から目を離せない。
まるで体が、本能がそれを食物だと認識しているかのように否定の念は一切浮かばない。
食べたい。捕食したい。我慢できない。
ぐるぐると渦巻く食欲は、チルノの理性を完全に崩壊させた。
そうするのが自然と最初からわかっているかのように、狙いを定めて舌を伸ばす。
日頃の弾幕ごっこで鍛えられた命中精度。
伸びた舌の先端は真っ直ぐな軌道を描いて、虫へと突っ込んでいく。
その先端に触れたが最後。粘膜によって逃げる術を失い気付いたときには胃袋の中。
「おっと、そうはさせないよ」
「なっ!」
獲物に届く寸前、何ものかによって舌が指で抓まれてしまった。
こうなっては逆にこちらが逃げられない。
「お前も生きるために仕方がないのかもしれないけどね。私が通りかかったからにはそれは許さないよ」
「り、リグルっ!?」
その相手は蟲の妖怪リグル・ナイトバグ。チルノの友人の一人だった。
しかしその顔は般若の如く憤怒のオーラで彩られ、いつもの泣き虫な彼女の面影はない。
「ちょ、ちょっと待ってよ。あたいだってそんな虫食べたくないわよ」
慌てて抗議するが、相手にはケロケロゲロゲロとしか聞こえていない。
そして姿もこれではリグルがまさかこの蛙がチルノだろうとは夢にも思うまい。
「離して欲しい?」
ぶんぶんと頭を縦に振るチルノ。
するとリグルはにたりと邪悪な笑みを浮かべた。
「そう、じゃあ離してあげるよ。……そーれぃっ」
舌を掴んだ手を振りかぶり、思いっきり遠くへと投げ飛ばす。
舌が引きちぎられるような痛みでそれどころではないチルノは、落下してからようやく事の次第に気付くのだった。
☆
いつもは温厚なリグルも仲間のこととなると兎角敏感だ。
「もしかしてあの大蝦蟇も……」
一瞬浮かびかけたことを振り払うように頭を振る。
「そっ、それよりここはどこなのよ」
やたら加減無く思い切り飛ばされた所為で、自分の現在地が全然分からない。
とりあえず森の中ということだけは分かるが。
「くそぅ、リグルの奴。今度会ったらぼこぼこにしてやるわ」
相手は同族を護ろうとしていただけ。
それにもしその蛙がチルノだと分かったら、ここまでのことはしなかったかもしれない。
全ては自分が悪いのだ。
「あたいが……悪い?」
考えを振り払っても、気になってしまった事は中々払拭できない。
それが心の問題であれば尚更である。
それでもチルノはそれを認めるわけにはいかないと何度も何度も首を振った。
しばらくそうした後、歩き出したが頭がぐらぐらして足取りが覚束ない。
おかげで嫌なことはだいぶ薄れたが、今度は移動がままならなくなってしまった。
せめて高いところから見下ろすことができれば現在地を割り当てるくらいはできるのに。
今は木に登るどころか、歩くことすら困難なのだ。
「あれ、もう蛙が出てくる季節なんだぁ」
大声――今のチルノからすれば――に反応して振り向くと、
そこには二又の尾を揺らしてこちらを興味深げに見ている橙の姿があった。
どうやらリグルの時のように問答無用の敵意を向けてくることはない。
ただ純粋に冬眠から覚めた蛙に興味を示しているといった感じだ。
「あ、あんたっ。良いところに!」
「ん? 何鳴いてるの?」
ひょいと掴み上げられ目線の高さまで持ち上げられる。
両生類を怖がらないのは、流石山育ちといったところか。
だが手慣れた橙の手は、思わぬ効果を発揮していた。
「ちょっと、どこ触ってるのよ! まっ、そこは、んんっ」
橙が聞いたら頬を朱く染めそうな声も、蛙の声では色気ゼロ。
気付く様子もなく、チルノはしげしげといろんな方向から見つめられる。
「こら橙、先々行ったらはぐれると何度言えば分かるんだ」
橙に良いように弄ばれるチルノを助けたのは、橙の主八雲藍の声だった。
主と式というよりは保護者のような間柄の二人。
猫の習性なのか子供の性質なのか、捕らえた獲物を自慢する橙。
「あ、藍さま。見てくださいよ、ほら」
「おや蛙か。もうそんな季節になったんだな」
春の訪れを感じて二人して笑い合う藍と橙。
微笑ましい光景だが、生憎チルノにとってはどうでもいいこと。
早く解放して欲しい。できれば元の姿に戻して欲しい。
「家に帰ったらきちんと手を洗うんだぞ」
「はぁ~い!」
だがチルノの願いも空しく、二人はまったく気付くことなく行ってしまった。
一応念願通り解放はされたのだが、どこか虚しさが漂う。
蛙なんて所詮この程度の生き物なのだ。
好き好んで飼うのでもなければ、そこらにいる野生動物の一匹に過ぎない。
「なにさ、蛙になってなければあたいだって大妖精とかと遊んでるんだ」
そうだ、蛙にさえならなければ。
改めて考えると自分をこんな目に遭わせたあの大蝦蟇への怒りが募ってくる。
『どうだ、少しは反省する気になったか』
そこへタイミングを見計らっていたかのように大蝦蟇の声が聞こえてきた。
「そんなわけないでしょ! さっさとあたいを元に戻しなさいよっ」
『少しは自分の愚かさを認める気になったかと思ったが……』
「ちょっと、あたいの話聞いてるのっ!?」
大きく深い溜息を吐くのが聞こえた。
頭に直接響くから不愉快なことこの上ない。
『……お前は友達が好きか?』
「急に何よ」
突然の問いにチルノは思わず困惑の言葉を返す。
だがしばらくしても返答がないので、こちらが答えなければならないのだと気付く。
その答えは考えるまでもなく一つに決まっていた。
「もちろん大好きよ」
『ならその友達が突然殺されたらどうする』
「絶対その殺した相手をぶっ殺す」
『なら気付いてくれないか。お前がしたことはまさにそれだと』
え、とチルノは動きを止める。
『私にとって、今までお前が凍らせて遊んできた蛙たちは友達なんだ。
中には砕け散って帰らぬ蛙となった奴等も大勢いる。たかが蛙と思っていたかもしれないが
あいつらは立派な私の仲間であり、友人であり、家族なのだ』
「……そんなの」
言い返す言葉が見つからない。
今までそんな風に考えたことなど微塵もなかった。
だからあれだけ景気よく凍らせて遊ぶことができたのだ。
だがそんな話を聞かされてしまっては、そんなのどうだって良いなどと返すことはできない。
『どうやら分かってくれたようだな』
「あたいを殺すの?」
『確かに憎いが、生憎私はそこまで愚かではない。お前を殺したところで我らの怒りは消えんよ。
それよりちゃんとお前に理解してもらうことの方が余程大事なことだ』
大蝦蟇が言いたいことは半分くらいしか理解できないが、それでも自分よりは大人だということが分かった気がした。
『分かってもらえたものとして、お前に我ら蛙の呪いを解く方法を教えておこう。
なぁに特別な道具や呪文が必要ではない。一回だ。一回で良い“乙女の口吻”をその身に受けろ。
すでに蛙の身を理解したお前なら、すぐに元の姿に戻れるだろう』
では健闘を祈ると言い残して、交信を切ろうとする大蝦蟇。
それをチルノは慌てて引き留めた。
「待って」
『どうした。まさか今の意味が分からなかったわけではあるまい』
「そうじゃない……その、――なさい」
頭で話しているのだから、声量も何もあったものではないがチルノの言葉尻はか細かった。
あれだけ謝らない、反省しないと豪語していただけに今更それを口にするのは憚られるのだろう。
だが今言わなければ、次に会ったときはもっと言えなくなることをチルノは直感で分かっていた。
だから恥も外聞もなく、
「ごめんなさいっ」
その一言を大きな声で叫んだのだった。
『わかった。だが言葉だけで終わらせないようにな……』
大蝦蟇はそうとだけ言うと、今度こそ交信を断ち切った。
☆
大蝦蟇とのしがらみも消え去り、元に戻る方法もわかった。
だが大蝦蟇は簡単だと言っていたが、そう簡単にいくはずがないとチルノは気付く。
この体で、しかも言葉では何も伝えることができない。
そんな状況で相手から口づけを得ることはまず難しい。
橙のように触ることは簡単でも、口を付けるとなれば話は別だ。
きっと大半の乙女は嫌がることだろう。
「だったら実力こーししかないわよね」
最早これしかないとチルノが考えついた実力行使、それは――
「あ、誰か来た。これはチャンスだわ」
運が良いことに、早速その方法を試す機会がやってきた。
失敗は許されない。機会は一人に一度だけ。
チルノは近くの草場に隠れて、相手がやってくるのを待つ。
タイミングを見計らって、相手の足音に耳をそばだてる。
(よし、今だっ!)
後ろ足に力を溜めて一気に解き放つ。
蛙の足のおかげで妖精の姿では出せない跳躍力を用いて、チルノは相手の顔面に体当たりを喰らわせるつもりなのだ。
確かに実力行使。
そして、その成果は。
「うわぁっ」
背中に感じる柔らかな感触。
タイミング、跳躍距離、全てが完全に当てはまり見事チルノの体と相手の唇がくっついた。
「やったわ! これで元に……あれ?」
見える視界はまったく変わっていない。
手足を見ても水掻きの付いた三本指のままだ。
確かにあの感触は唇だった。まさか大蝦蟇が騙したというのか。やはり許す気は無いと
いうことなのか。
いやそうではなかった。
「ペッペッ! いきなり何なんだ」
聞こえてくる声は、乙女のものとはほど遠いもの。
見ると眼鏡をかけた青年が着物の袖で口元を拭って居るではないか。
その姿はチルノも見たことがある。よくわからないものを売っている森近霖之助だ。
チルノは誰かが来たことに慌て、それが乙女であるかどうかの判断を誤ってしまったのである。
(あいつは……こーりんどー! よくもあたいの邪魔してくれたわね)
間違えた自分が一方的に悪いのだが、下手をすればこちらの唇を奪われていただけにその逆恨みは恐ろしい。
「ほぅ。もう蛙が出てきているのか」
突然チルノの、つまり蛙の姿を見つけた霖之助がその体を持ち上げる。
橙同様、春の訪れを蛙の出現に感じているのだろう。
「わわっ、ちょっと降ろしなさいってば!」
「そんなに暴れなくても良いだろうっととと」
なんとかその手から逃れたチルノは逃げる方向も考えず、一目散にその場を逃げ出した。
☆
それからどれくらい走っただろうか。
朝から何も食べず、ひたすら走り続けた体はとうに限界を迎えていた。
だがこのまま蛙の姿で居ては、虫しか食べることができない。
朝は本能が体を動かしたので止める暇も無かったが、虫を好き好んで食べる妖精はいない。
「はぁ、誰か……誰でも良いから通ってよ」
そんな呟きを何度漏らしたか分からない。
いつもより軽いはずの体も今はずっしりと重く感じられる。
もはや跳ぶというよりは這うようにして進むチルノの視界が突然開けた。
そこはチルノがよく知る場所。中央の紅い館が印象的な湖の畔だった。
手当たり次第に進んできたが、どうやら住処の近くまで戻ってこられたらしい。
この近くなら大妖精もいることだろう。
彼女に近づけばきっとこの呪いも解くことができる。
「よし、あともう少し」
その時油断していたチルノはまた誰かに持ち上げられた。
「珍しいわね、まだ早いと思っていたけど」
チルノの視線に移ったのはあの彼方に見える紅い館の門番、紅美鈴。
湖を渡ってきて一体何をしていたのだろうか。
それは彼女が背中に背負っている籠を見ると理解できた。
竹で編んだ籠の中には、この辺りの森で取れる野草や果実などが入っている。
美鈴は自然の食料を調達していたのだ。
しかしそんなことはどうでもいい。これは再び廻ってきたチャンスだ。
相手は乙女と言って申し分ない美人。
その上飛び上がる体力のないチルノでも、持ち上げられたこの距離からなら少し跳べば届く範囲に目的の唇がある。
女性特有の瑞々しい桃色が目の前に。そしてそこに触れれば呪いから、この蛙の体から解放されるのだ。
「そういえば――」
美鈴の口元がゆっくりと弧を描く。
しかしそれはにこやかと形容できるものではなく、むしろ獲物を捕らえた捕食者のそれだった。
「蛙って鶏肉みたいな味がするのよね」
飛びかかろうとしていたチルノは動けないことに気がついた。
それはまさしく天敵である蛇に睨まれた蛙。
だが本能の警鐘が、今動かなければやばいということをガンガンと報せ続けてくる。
弱肉強食の呪縛の諦めと生き延びなければならないという本能の欲求が戦う。
そして勝ったのは生き延びたいと願う欲求の方だった。
全力をもって美鈴の手から逃れようとするチルノ。
突然暴れられたことで美鈴も驚いたのか、一瞬その締め付けが弱まる。
その隙を突いて、チルノはなんとか地面に着地した。
「あっ、久しぶりのお肉っ」
しかし相手も諦められず、手を離れた獲物を再び捕らえようと追ってきた。
逃げる逃げる。
追う追う。
走る走る。
湖の方に逃げられれば水の中に逃げられたのだが、どちらに走るかなど考える暇もなく、
森の中に入ってしまってはこうしてただひたすらに逃げ回るしかない。
「むぁてえっ!」
余程最近の食事が質素だったのか、美鈴はまだ追いかけてきている。
ここまで来ると逞しいを通り越して異常にしか思えない。
「うぁっ」
思わず足をもつれさせてしまい転んでしまう。しかし起き上がることができない。
限界を超えて走り続けた反動が止まった瞬間に爆発したらしい。
もうこれ以上はダメだ。
そう思って諦めかけた時だった。
「あれ、おかしいな。ねぇこの辺りで蛙を見なかった?」
「見てませんよ。あっちの方で音がしたから、多分そこじゃないかと」
「そう、ありがとう。よぉし待ってなさいよ、今夜の晩ご飯ーっ」
ぎゅっと目を瞑り、覚悟を決めていたチルノだったがしばらく経っても何も起きずにいる。
そうっと目を開けると、自分は大事そうに抱きかかえられていた。
「大丈夫?」
そこには友達の大妖精の顔が。
「なんだか大変そうだったから思わず助けちゃったけど」
このときの大妖精の顔はチルノにとってまるで救いの神そのものに思えてならなかった。
やっぱり持つべきものは友達で、頼りになるのは大妖精だ。
「だ、大妖精っ。あたいよあたいっ」
「そう、そんなに怖かったんだね」
だがやはり大妖精にも言葉は届かない。
しかし大妖精は優しく微笑んでくれる。今のチルノにとってはそれだけで安心できた。
だがこのまま大妖精と一緒にいれば唇を奪う機会はいくらでもある。
ようやく元の姿に戻れる目処が立ったのだ。
「良かったぁ」
だが、チルノが安堵の息を漏らした瞬間。
信じられない言葉が耳に飛び込んできた。
「あれ、大妖精。何持ってるの」
その声にチルノは耳を疑った。
まさか、そんなはずがあるわけない。
「あ、これは……」
大妖精が慌てて隠そうとするがチルノの姿はばっちりとその相手に見られていた。
「あーっ、蛙じゃん」
そう言ってひょいと大妖精の手から奪われるチルノ。
そして乱暴に扱う手の主と目があった。
青い服に氷のような羽。悪戯に燃える瞳に、八重歯が似合いそうな口。
それは毎朝顔を洗う時に見る自分そのものだった。
「ち、チルノちゃん。その子は池に返してあげるの」
「大丈夫大丈夫。あたいが戻してあげるから」
大妖精と自分によく似た妖精が何か喋っているが、チルノには届かない。
チルノは目の前に広がる事実を受け入れられないでいるのだ。
だがその茫然自失状態は、突然の悪寒によって破られることになる。
(な、何これ……からだがどんどん言うこときかなくなってく)
今まで寒いという意識を持ったことがないチルノは、自分が凍らされるということにも気がつかない。
ただ震えが止まらないのに、体は次第に動かなくなっていくのだ。
そしてこの感じが何なのかに気付く前には、チルノの体は完全に凍り付いていた。
「それじゃ池に戻すわよーっ」
そぉーれっ、というかけ声と共に放り投げられる体。
しかし目前に迫るのは池の水面ではなく固い地面。
チルノは何も考えられず、ただ自らが砕け散る音を最後に聞いた。
☆
「うぅ~ん……飛び散るのぉ」
「だ、大丈夫なんですか?」
ずっとうなされっぱなしで眠り続けるチルノを、大妖精が心配そうに覗き込む。
その隣には何やらカルテらしき紙に、その状態を細かく書き込み続ける永琳が居た。
「大丈夫よ。夢だもの」
まったく問題はないと、永琳はまったく助けようとはしない。
むしろその様子を観察することが楽しくてしょうがないらしく、口元には笑みすら浮かんでいる。
「試験的に作った『胡蝶夢丸ナイトメア妖精仕様』の威力は抜群ね」
薬の効果を威力抜群とは普通言わないだろう。
「この間の『IQ逆転薬』のときもそうだったけど、この子には実験体としての素質があるわ」
「そんな素質誰も欲しくないと思います」
大妖精の手厳しいツッコミに、それもそうねと苦笑を返す永琳。
だが半ば本気でもありそうなのが恐ろしい。
「まあこれは実験じゃなくて、れっきとした依頼なんだけどね」
「……それはわかってます」
大蝦蟇に氷精を懲らしめて欲しいと頼まれた永琳は、新薬の実験も兼ねてそれを承諾することにした。
元々それをお願いするために、チルノを探していたのだがその途中に良い口実を得ることができたのだ。
そしてこれを大妖精に話したところ、なんと承諾してくれたのである。
大妖精もあの遊びだけは止めて欲しかったらしく、多少の荒療治には目を瞑ると言ったのだ。
「それにしても一体どんな夢を見ているんでしょうか」
「さあね。次は人の夢が覗ける薬でも作ってみようかしら。
そうしたら胡蝶夢丸の効果をよりはっきりと調べることができるわ」
「その時はチルノちゃん以外の人で実験してくださいね」
わかってるわよ、とウインクしてみせる永琳だが信じられようはずもない。
うなされるチルノ、複雑な心境の大妖精、笑顔の永琳。
三者三様の表情が交錯する中、幻想郷の夜は静かに更けていった。
ちなみに、目覚めたチルノはしばらく蛙を見るのも嫌がったそうだ。
いやまあ当然か。
《終幕》
今回の大蝦蟇の台詞。なんだかジンと来ました。蛙から見たらチルノの行動ってそんな感じなんだよなぁ、と。
そして、大蝦蟇が渋いのは言うまでもないのですが(?)友達思いの大妖精も非常によかったです。
助けるばかりが友人ではないのだなぁ…と、あと、永琳はいい人なのか悪い人なのかがわからなかった(笑)
いっぱいいっぱいなチルノがいい味出してました。だがリグル可愛い。
>(※以下蛙語)
そして不覚にも吹いたw
とりあえず吹いた
虫を潰したり花を摘んだりした幼い頃を思い出しました。
>そして飼ったのは
「勝った」だと思います。
ちょっと出のキャラ達がみんないい味出してます。
この大妖精がチルノに引き連れられて遊びに行くさまを
想像すると転がれる。
しかしこれは誰のセリフなんだろう……?
>「どうやらお困りのようですね」
> その声とは相反して滑らかな声がそれに言葉を返した。
>「どうです? 私で良ければ力になりますよ」
元ネタはGB版をやったことがあったような。話が進まなくて投げた記憶があったりなかったり。
結構心に来て何度もやり返したなぁ…
そして内容の方はいい感じのテンポと感じましたね
美鈴はこんな目で見られてるのかw
>乙女の口吻 で元に戻るシーンが無かったのが残念ですけれども(笑)
オチが読めてしまったから、笑いどころはゼロしした。蛙になるなんて、永琳の薬か夢かしかないと思ってたから、やっぱりというか。
行為の愚かさを訴えるなら、直球ど真ん中で友達を使ったほうが来るかな。
>シャイニングウィザードかけても良いって言われたら思わずやりたくなるじゃないか!
膝を少し曲げて構えております。バチコーイ!
>永琳はいい人なのか悪い人なのかがわからなかった(笑)
いい人を装った悪い人です。少なくともこの話においては。
>>(※以下蛙語)そして不覚にも吹いたw
正直に言うと、単に「ケロケロ」とか書くのが面倒になっただけなんでry
>とりあえず吹いた
顔面で受け止めます。
>夢オチでよかったです。
夢でもチルノを殺すなんて私にはできません。
※誤字修正しました。ご指摘ありがとうございます。
>しかしこれは誰のセリフなんだろう……?
貴方の一つ上のコメント参照です。
>元ネタはGB版をやったことがあったような。
ほぅ、GB版があったのですか。機会があればやってみたいです。
>結構心に来て何度もやり返したなぁ…
そう言ってる方の話を聞くと、ますます興味が湧きますね。
>美鈴はこんな目で見られてるのかw
すっかり夢だということを忘れて書いていた記憶ががが。
>乙女の口吻 で元に戻るシーンが無かったのが残念ですけれども(笑)
いくら相手の正体がチルノでも、大妖精が蛙に口づけする所は想像したくありませんw
>夢なのにチルノの知らない単語を使う大蝦蟇に違和感を感じましたが
使い慣れない夢オチをノリで書いたアラがここにも。精進します。
>うーん……。和む、のかな。オチが読めてしまったから~
率直なご意見どうもです。こういった意見も糧になるのでとてもありがたいですよ。
皆様ありがとうございました。引き続き何か感じましたらご遠慮なくどうぞ。
なんか普通にチルノいい子だなって思ってしまった。
よくないのに。
FF:Uを思い出したのは自分だけか?そうなのか?
>FF:Uを思い出したのは自分だけか?そうなのか?
FF:Uとは懐かしい。私が本格的に二次創作をやり出した切っ掛けだったり。
確かにあの「カエル」も酷い内容でしたねw