真っ紅なアンテルカレール【番外編:飛ぶ夢を暫くみない】
おやすみと言われたのに目を開けてしまった。
それが夢の終わりだった。
それとも、この現実こそが夢なのだろうか。
[Reimu]
夢の中で、その妖怪はその後も度々現れた。
不思議なことに、別れると次に会うまで、そのことを忘れてしまった。いや、忘れると言うよりは思い出せない、あるいは意識できないというのが正しい気がする。普段は奥底に眠っている記憶が、彼女を前にするとふっと表面まで浮かんでくる。そうして、毎日会っているような気軽さで、私は彼女に挨拶をする。昨日別れたばかりのように、とくに不思議に思うことなくその手をとる。遊ぼうとせがむ。
「腕相撲は駄目よ」
「どうして?」
「私が勝つと決まっているもの」
勝負の見えた遊びほどつまらないものはない。しかしそんなものは、他の遊びにも言えることではないだろうか。全力でやられては、子どもの私に勝ち目は薄い。しかし彼女は、その疑問に対してはこう反論した。
「腕相撲は単純に力勝負でしょう?つまらないと言ったのはそこなの。貴女の努力の仕様が無いということは、それが勝負でもなんでもないことと同義ではないかしら」
私はその言葉を反芻する。租借するように何度も意味を探り、完全ではないにしろ、その意図を受け入れた。しかし、それでも不十分な気がするのは何故だろう。彼女はそんな私の心内を見透かしたのか、更に言葉を連ねた。
「将棋という遊びがあるわね。あれは片方の実力が圧倒的だった場合、ハンデを設けることによって力の均衡をはかるわ。その上での真剣勝負をし、勝敗を決す。これは面白いわ。だって、面白くするための工夫だもの。これには努力のしようがあるでしょう?だから遊びは成り立ち、双方が楽しむことが出来る」
力の均衡、真剣勝負、面白くするための工夫、遊びが成り立つこと、それによって双方が楽しむことが出来るということ。それが大切なのだと、彼女は幼い私に諭す。
そして、それを成り立たせているのは、決まり事であると彼女は言った。
「いいかしら?どんなに力強い大きな拳でも、小さな手のパーには勝てない。これがルールというものなの」
そうだ。ジャンケンには握力も腕力も関係ない。手の大きさが勝因に結びつきはしない。何故なら、その事はルールによって、利点でも何でもないものにされているからだ。
頷く私に、彼女は満足そうに笑った。疲れたと言ったわけではないのに、白い腕が伸びてきて、あっという間に私をその膝に乗せてしまった。なるほど。確かにこれでは腕相撲はつまらなそうだ。彼女の言葉は続く。
「相手が自分より勝っているものを考えるの。そして、その有利な点を使えない状況に持ち込めば、対等に戦うことが出来る。相手が不死身なら、こちらも死なない方法で勝つ。向こうの体力が上なら、制限時間を設ける。出来るなら貴女が得意なことで勝負することね。全ての遊びはそういうものでなくては」
ちかちか、と。何か頭を掠めていくものがあった。
「あそび…?」
その割には、途中不穏な言葉が混ざってはいなかったか。彼女は、私に何を教えてようとしているのだろうか。さっきまではただ単に、私と彼女が力比べを出来ない理由を聞いていたはずだ。それが何故、死ぬなど戦うなどと。勝負は確かに戦いだが、それにしても。いつの間にか議題をすり替えられている気がした。いや違う。何か、とてつもなく重要なことを、こっそりと教えて貰っているような気がする。ぐるぐると言葉が廻り出す。
遊び、ルール、不死身、制限
力の均衡、真剣勝負、面白くするための工夫
遊びが成り立つこと、双方が楽しむことが出来る――――――――
「さて」
ぱちん、と。彼女は扇子を閉じた。
その音で私は我に返る。
「そろそろ私は行かなくてはね」
「かえるの?」
「ええ。それではね、次期の巫女」
空気の歪む音がする。
――――――――また“遊び”ましょう
次の時の、狭間にでも。
そうして幼い私はいつものように、吹いてきた夕風に、彼女の存在を忘れるのだ。
次に思い出す、その時まで。
【花は葉を思い、葉は花を思う】
いつだったか、あの胡散臭い妖怪と時の浪費に散策した。別段、目的のものが有ったわけではない。暇だっただけで、それを神社の周りを軽くまわっただけだ。
少し翳ったその場所に、それは斑に咲いていた。群れと呼ぶには心許ない数だったが、それでも五十はあっただろう。
「あら彼岸花だわ」
紫の声につられて動かした視線の先に、紅い其れがあった。
それほど珍しい花でもないし、某所では眼にいたいほど咲き乱れている。別名を曼珠沙華。これが一番マシな名前で、他にも“葉見ず花見ず”、“幽霊花”、“死人花”、“墓花”、“火事花”、“狐花”、“地獄花”なんてものもある。学名はLycoris radiataであり、放射状という意味がある。確かに、あの色と形は独特だ。
「知ってる?彼岸花は、白いのもあれば、黄色や薄桃色のもあるのよ?」
「へえ」
そう言われると、普通の花に思えてきた。
「ちなみに花言葉は―――」
「『哀しい思い出』『別れ』『あきらめ』『独立』でしょう?」
ああ。この辺はやっぱりクライ。けれど紫は悪戯っぽく笑い、
「『再会』『また会う日を楽しみに』『情熱』なんてのもあるわ。それから―――――」
想うは貴方ただ一人
「…………」
「とまぁ、こういった意見もあるわけね」
「ふうん」
あの花を、そういう風に見る人もいる、ということだろう。
「いずれにせよ、愛しい誰かを想う花なんでしょう」
「綺麗にまとめたわね」
「まぁ、花言葉なんてみんなそんな感じですわ」
「それもそうね」
それだけの、会話だった。
【落下する石】
一人きりでいるとき、その予感はやってくる。ざわざわと血が落ち着きを無くし、私はなんとなく縁側に向かう。暫く待っていたが、やがてそれに飽きて、突っ掛けを履いて外へ下りる。大人用のそれは歩くとずるぱたずっぺたと間の抜けた音をたてて、歩きづらいことこの上ない。幼い私の足はそれの半分も満たず、ほとんど引きずるようにしてぶらぶらと進む。
その時、すぐ背後で声がした。
「夕餉の準備はいいのかしら。随分と念入りに言われていたようだけれど」
「――――すごいね。なんでも、しってる」
ぴたりと歩みを止め、私は彼女を振り返る。予想通り彼女はそこにいた。否、予感通り彼女はやって来た。あるいは、現れたと言うべきか。
「そうね。私は何でも知っているわ。この幻想郷のことなら、猶更に」
冗談なのか本気なのかわからないから、どう返すのが正解なのかも判然としない。けれどそんなことは慣れっこだったから、私は取り返したばかりの記憶の流れのままに、気軽に彼女に言葉を返す。
「それなら、きょうは、たからさがしをしたい」
「宝、探し?」
「うん」
「それはどういったもの?」
「さあ?」
漠然としていてはさすがの彼女も解答の仕様がないのか、結局“それっぽいもの”という私の言葉を受けて、変わったもの、珍しいものを探すことにした。
これはなに?それはウスバシロチョウ。モンシロに似ている。残念、これは揚羽の仲間。へえ。メズラしい?いいえ。あ、こっちにもうイッピキいる。蝶は一頭、二頭と数えた方がいいわ。そうなんだ。このハナは?それはヒメウツギ。空木によく似ていて、花のサイズがそれより少し小さいから姫空木。なかまじゃないの?仲間よ。ふうん。メズラしい?いいえ。それじゃあ、これは?ああ、トチの実が、まだ残っていたのね。メズラしい?いいえ。
「それじゃあ、これはなに?」
「ああ。それはとても珍しいわね。隕鉄だわ」
彼女は先ほどまでと違い、おやという顔を見せた。
「インテ、ツ?」
「隕石の仲間」
「おちてくる、いしの?」
話に聴いたことのある。危ないことだと思う。そう言えば、どうして空から石が石が落ちてくるのだろう。
「そうね。引き寄せられるから、としか言いようが無いわ」
「ひきよせられる?」
「そう。引力によってね。貴女にわかるように言えば、重力の方が耳に馴染み深いかしら?」
「じゅう―」
言葉にしかけ、ぞくりと、来た。
彼女の言葉が続く。
「…――――引力に、引き寄せられて…彗星や流星が……、大気圏で多くは燃え――――」
――――――――燃える?
――――――――引き寄せられて?
「…から、そのほとんどが、地上に着くことはないの。良かったわね。それはとても珍しいわ。宝物探しは達成ね……どうかしたの?」
「ううん。べつに…」
「でも顔色が悪いように思えるけれど」
「へいき。ああそうだ。ごはんのじゅんび、しなくちゃ」
「怒られるから?」
「そう。うん。だから」
「そうね。今日はこれでお仕舞い。さようならね」
彼女はじっと私を見ていた。何もかも見透かした――――――――否。初めから知っているような眼で。私も其れを見つめ返した。息が詰まりそうだ。それでも眼は逸らさない。その状態が少し続いて、やがて彼女は眼を細めて笑った。あっさりと緊張を切られる。
「それではね、博麗の御子」
言葉と供に、彼女の姿は揺らいで消えた。
まるで、さようならと、こちらに言わせないかのように素早く。
それでもきっちりと、私は彼女のことを意識の奥底に沈められていた。
そうだ。
あの妖怪は、そんな奴だった。
【暗転】
誰かとまっすぐ見つめ合うなんて、あなたは一番似合わないわ。
そう彼女は言った。
そうかもしれないと、私は思った。
【暗転】
だいぶ上手く、飛べるようになった頃だったね。
その日は朝からヒトリだった。古い書物を積み上げられて、巫女として知識とやらを吸収中のことだった。読んでも読んでも無くならないそれら。昼近くになって小腹が空くと、集中力など塵芥も同然だった。さすがにこれでは効率が悪いからと、私は貰い物の菓子を一つ、棚から失敬しようと立ち上がった。
その時、声を聴いたのだ。
私は声を外からのものだと当たりをつけ、縁側に向かった。大きめの突っ掛けに足を乗せ、声の主を捜した。切羽詰まった男の声。あまり縁起の良いものではない。
ああ、あれだ。
何事かを言いながら、走ってくる人がいる。知っている顔だ。それが、今まで見たこともない必死の形相で駆け寄って来る。目的は明らかに私だった。何か伝えたいらしい。どうしてだが、小さい私はそのことが怖かった。
「…――――!―――…――……!」
近づいた男に肩を掴まれ、何事かを言われる。こんな近くなのに声が大きい。なのに声が遠い気もするから不思議だ。それに、この人が言っていることがよくわからない。そんなことが、あるわけないのに。よほど興奮しているのか、男の手が私を揺する。細い肩に指がぎりりと食い込んで痛い。気持ちが悪くなってきた。早くこの手を放してくれないだろうか。なのに私は指先一つ動かせず、ただぼんやりと世界を受け入れていた。ああ、鬱陶しい。
その時、血管という血管の血が騒いだ。あの感覚だ。神経に再び力が宿っていくような予感の中で、すぐ後ろの空気が歪み、私は突如現れた腕に抱えられる。その腕に、どこかに連れて行かれようとしているのだろうか。
それまで私の肩を掴んでいた人が、鋭く何か叫んだ。怯えたような声の中に、かすかな憎しみを聴いた気がした。でも、それを確かめようにも、視界を白い指が覆っていて、彼を見ることが出来ない。すぐに声も聞こえなくなった。彼が消えたのではなく、恐らく私が消えたのだろうけれど。
抱き込まれる。ああ、空間が歪んでいる。私はどこに行くのだろう。
――――――――そう。今日から貴女が当代の巫女なのね
すぐ耳元で、声は言った。
“彼女”の声だ。
でも、今言った言葉の意味はなんだろう。
――――――――おめでとうと言ってあげたいけれど、今の貴女には、あまりに酷でしょう。だから…
何も言わない私に、彼女は何故だか笑った気がする。他ならぬ彼女の指に世界を閉ざされているから、確かなことは何もないけれど。
――――――――今は、おやすみなさい
彼女の指が離れても、私の両目は開かない。するりと腰から腕が解け、私は何処かへ堕ちてゆく。フラッシュバックは隕石のこと。このままどんどん落ち続けて、私はやがて燃えるのだろうか。
どこまでも、どこまでも堕ちてゆく。
――――――――おやすみなさい博麗の子。博麗の巫女、霊夢
おやすみなさいと耳元に囁かれた。それが別れの言葉だった。
今後話が収束していくということで、楽しみに待っています。
少し不思議な感じがします
ホントに今後が楽しみです!
拡大解釈すると霊夢の本来の能力なのかと思う話でした。
続きが待ち遠しい!!
※【Ending No.31:Sabbath】の完結編が是非読みたいので、よろしければ
送っていただけないでしょうか?お願いします。