Coolier - 新生・東方創想話

レミリア漫遊記 ~The wandering record of Remilia~

2007/03/07 07:57:11
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※この作品は、作品集30『比類なき咲夜 ~The Inimitable Sakuya~ 』の設定をおおむね継いでいますが、読んでいなくても特に問題はありません。


   ◆  ◆  ◆


「おはよう咲夜」 私は言った。
「おはようございます、お嬢様」 咲夜が返した。
 音一つ立たずに用意される咲夜の紅茶を、私は気分良く啜る。
「今日は、私が寝ている間に何かあった?」
「竹林のボヤ騒ぎが随分減少したということで、新聞屋が調査をしている模様です。
花瓶を割った数が三つに達したメイドがおりましたので、妹様付きに異動させました。
門番長が休憩時間外にシエスタをしておりましたので、頭部にナイフを二本ほど生やしておきました。
それと、パチュリー様からお呼び出しがございます」
 一から三番目は咲夜の領分だから問題はない。けれども、
「またパチェなのね……」
「以前の呼び出しから経過した時間を考慮いたしますと、“また”の使用は不適切と存じますが」
「気分の問題よ」

 パチェに呼ばれた時の用件は、大体の場合、楽しさと苦しさと面倒くささを伴っている。
 はっきり言って、こちらから進んで分の悪い賭けをしに行くようなものだ。
 それでも、私は彼女を無視出来ない。
 何故なら彼女は親友だから。
 たまーにどつきあったり悪口を言い合ったり嘘を吐き合ったりいやがらせをしあったりするけれども、
そういうことが気兼ねなく出来る親友、それがパチュリー・ノーレッジ。ああ素晴らしきかな友情。
 そして、今回の呼び出しも確実にロクでもない用件であろうと察してしまう、聡明な私だった。

「咲夜」
「はい」
「行きたくない」
「パチュリー様がご気分を害されると予想されますが」
 判りきったことを言う咲夜に、私の方がご気分を害されてしまう。
「それじゃ、咲夜が行ってきてよ。代行でも名代でも全権委任大使でもいいから」
「お嬢様、パチュリー様はお嬢様をお呼びに――」

「咲夜、私よりパチェの言うことの方が大事だっての?」

 こう言えば、咲夜の言うことは決まっている。

「――いいえ。私はお嬢様ただ一人の従者でございます」

 答えに満足して、私は頷く。
「ならば良し。着替えは私が自分でやるから、ほら、さっさと行く!」
 言うと、咲夜は「かしこまりました」と一礼して部屋のドアへと向かった。
 と思ったら、当のドアが咲夜の到着を待たずして乱暴に開けられた。

「話は全て聞かせてもらったわっ!! ……うっ、ゲホッゴホッ」

「あぁ、パチュリー様! そんな急に大声を出してはいけません!」
 膝を着いたパチェに、そっと小悪魔が寄り添う。
「……大丈夫、大丈夫よ小悪魔。私、こんなことではくじけないから……!」
「パチュリー様……!!」
 そして、ひしと抱き合う魔女と小悪魔。
 人の部屋で三文芝居をやらないでほしい。
「……咲夜」
「何でしょうか、お嬢様」
「二人分の紅茶を用意しなさい」
「かしこまりました」

 それにしても、こっちを見るパチェの妙にギラついた目は何なのかしら。小悪魔気づいてないし。
 私は、能力を使ってもいないのに、ロクなことにならないんだろうなぁと悟ってしまうのだった。


   ◆  ◆  ◆


「で、用件は何かしら?」
 紅茶を飲みつつ、対面に座るパチェに聞いてみる。
 ちなみに咲夜は私の後ろに、小悪魔はパチェの後ろに立っている。
 パチェも一口紅茶を啜ると、
「――明日ね、アリス・マーガトロイドの家に誘われているの。泊まりに来ないかって」
 へぇ、と私は意外に思う。パチェを外に誘うのは魔理沙くらいだと思っていたけれど。
 パチェは私の顔を見て、
「彼女のことは知ってるわね?」
「私も咲夜も面識はあるわ。あまりお付き合いはないけれど。……しかしアレねぇ」
 ? とパチェが顔に疑問符を浮かべる。
 私はニヤニヤを抑えられず顔に出して、

「人形が友人の孤独な魔女と、病弱引き篭もり魔女の組み合わせって、どこかユーモラスだと思わない?」

 地震でもないのに、パチェの紅茶が揺れて中身がこぼれた。
「……レミィ、表に出ましょうか?」
 バキッという音がして、何故か私の持っていたカップの取っ手が砕けた。
「あらパチェ、今は夜だし雨も降っていないわよ? それでもいいのかしら?」
 私とパチェの間に、擬音で言うとゴゴゴゴゴ……な謎のオーラが発生している。ような気がする。

「お、お二人とも、そのあたりでお止めになられては……」
 弱々しい声は、パチェの後ろから身を乗り出した小悪魔のもの。
 あっさり自分の身を晒せるあたり、彼女もなかなかだと私は思う。
 私はふンと鼻息一つで間を取り直し、
「で、本題はまだかしら? 居候だからって外出を報告する義務はないわよ」
「せっかちね。話はまだ終わっていないから」
 言って、パチェは一口紅茶を飲んだ。
「彼女、アリスの手紙にはね、魔女同士交流を深めないかだの、
人形に組み込む魔法について話がしたいだの、
まあそんな益体もないことが書かれていたわ。正直、無視しても構わないと思ったのだけど」
「あらまあ。せっかくの誘いを蹴ることもないでしょうに」
「無理に誘いを受けるような間柄でもないもの。……ただねぇ」
 ふぅ、とパチェは彼女らしくない溜め息をついた。

「……魔理沙もね、誘われているらしいのよ。
手紙には了承したかどうかは書いてなかったけれど、彼女のことだからまず行くでしょうね」

「? 別に溜め息つくようなことじゃないでしょうに」
 パチェと例の人形遣いだけなら、
どこかで会話が止まった途端気まずい空気になる様がありありと想像出来る。
 でも魔理沙がいれば話は違う。
 あのお喋りで陽気な娘なら、孤独要素と引き篭もり要素を足して対決させても相殺するだろう。
 それに、
「魔理沙と一つ屋根の下、でしょ? 邪魔者がいるのはともかくとして」
 何を隠そう、パチュリー・ノーレッジは霧雨魔理沙に少なからぬ好意を抱いている。
 とはいえ、神社の巫女やウチの妹、香霖堂店主に当の人形遣いと、対抗馬はひたすらに多い。
 そんな厳しい状況にあって、魔理沙との接点が増えるのは良いことだと私は思う。
「…………」
 けれども、パチェは黙って紅茶を啜るだけだ。
 パチェは眉根にちょっとしわを寄せて、ほれぼれするくらいむっきゅりな顔をした。
 そして、口を開く。

「……どうにも臭うのよ。もうぷんぷんと」

 部屋全体が、わずかに沈黙する。
 最初に声を出したのは、私だ。
「……パチェ、動かない大図書館の異名を持つあなたなら知っていると思うけど、あえて言うわ。
最初に言い出したものが一番怪しいのよ」
「? レミィ、言葉の意味が――」
「咲夜は完全で瀟洒だからそんなことするわけないし、
小悪魔は悪魔だし、私も吸血鬼だから臭うはずがないわ。
そう考えても、やっぱり疑わしいのは、パチェ、あなたになる……」
 私は手を組み両肘をテーブルに着いて、目の前の友の顔を見据えた。
「……レミィ、おならの話を始めたつもりはないのだけど」
 パチェはむっきゅりを崩さずにべちんとテーブルを叩いた。
 私は軽く両手を挙げて、
「いやねぇパチェ。軽いモンゴリアンジョークじゃない」
「ここは幻想郷よ。日本語を話しなさい」
「ここは紅魔館よ。紅魔語を話しなさい」
「何それ」
「私も知らない」
 私達は一瞬だけ睨み合って、……どちらともなく視線を外す。
 言い直すわね、とパチェは言った。

「私のシックスセンスが、『アリス・マーガトロイドは罠を仕掛けている』と告げてきているのよ」

 ……嗚呼、私の友人は悪魔召喚に飽き足らず、チャネリングにまで手を出してしまったのか。
 私はその悲しみを押し隠して、パチェに質問してみる。
「罠、といってもさっぱりよ。具体性も無けりゃ動機も欠けている」
「動機ならあるわ。――魔理沙と私の仲に嫉妬して、私を亡き者にせんとしているのよ!」
 パチェは、ドン、と握りこぶしをテーブルに叩きつけて、……もう片手で叩いた方の手をさすった。
目には涙が浮かんでいる。小悪魔もパチェを心配そうに見つつハンカチを噛み締めている。
 私はつい嘆息しつつ、
「被害妄想もほどほどになさい。第一、魔理沙もいる場であなたを害すると思う?
三人いる場で一人が死ねば、残る二人はどっちが犯人か判るのだから」
 パチェは小悪魔に涙をぬぐわせながら頷いて、
「そう。だから、手紙の『魔理沙も招待した』というのが方便じゃないかと思うの」
「だったら行かなければ良いじゃない」
 私が単純な対応を示すと、
「もし本当に魔理沙がいたら、あの二人が一つ屋根の下よ? 二人っきりよ!?」
 バンバンバン、とパチェがテーブルを叩いた。学習したのか、今度はこぶしじゃなくて手のひらで。
「パチェ、紅茶がこぼれるから揺らさないで。
……じゃあ、こうすれば? とりあえず行って、魔理沙がいれば泊まる。いなければとんぼ返り」
「それも考えたけど、後者の場合、
アレが『パチュリー・ノーレッジは失礼な奴だ』と喧伝する可能性があるわ」
 ついにアレ扱いされた人形遣いに同情しつつ、私はまた溜め息をついてしまう。

「結局のところ、パチェ、あなたはどうしたいの?」

 私のマイナス方向の気分を存分に詰め込んだ言葉を、パチェは唇の端を上げる笑顔で迎えた。
「そうそれよ。肝心要のところをまだ話していなかったわね。
さっきまでに挙げた問題点全てを解決する方法を考え出したの。
それにはレミィ、あなたの協力が不可欠だわ」
「……まあ、出来ることなら協力するけど」
 他ならぬ友人の頼みである。無下には出来ない。
「ありがとうレミィ。あなたならそう言ってくれると信じていたわ。
全てを一遍に解決する方法、それは――」
 パチェは言葉を切ると、伸ばした人差し指をビッと私に向けた。
 そして言う。


「――レミィ、あなたが私の代わりに泊まりに行けばいいのよ!」


 パチェの言葉を認識した私の脳髄は、即座に肉体へと命令を送った。
 今手に持っているカップの中身を、目の前の紫パジャマにぶっかけろ! と。


   ◆  ◆  ◆


 冷めた紅茶のぶっかけ合いから部屋の調度品の投擲合戦へと以降しそうになったところで、
私は咲夜、パチェは小悪魔に物理的に取り押さえられた。
「お二人とも、落ち着かれましたでしょうか?」
 強制的に椅子に座らされた私達二人は、咲夜の言葉にしぶしぶ頷くのであった。

「話を戻しましょうレミィ。私はあなたに頼みごとをしたけれど、まだ返事を聞いていなかったわね」
「さっきの紅茶が返事のつもりだったけど?」
「快諾ということね。ありがとうレミィ」
「ちょぉ待てオイ」
 っと、思わず乱暴な言葉遣いになってしまった。
 可愛い可愛いレミちゃん言葉に修正しないといけないわ。
「……ね、ねえパチェ? どこの世界だと、紅茶をぶっかけることがYESと同義になるのかしら?」
「レミィ、外界にはトマトを、あの赤い紅い汁だくだくの熟したトマトを投げ合う祭りが存在するの」
「外界の奇祭と私の質問の間に因果関係が見出せないわ」
 私が笑顔で睨みつつ言うと、パチェはアメリカンにふぅやれやれとゼスチャーして、
「人の話は最後まで聞きなさい。
仮称トマト祭りにおいて、他人にトマトを投げつけるのは親愛の情を表現することと同義になるわ。
そのトマトと、ここの紅茶を置き換えて考えただけの話よ」
「勝手に置き換えるな」
「レミィが紅茶をぶっかけてYESと言ってくれたから、私も紅茶をぶっかけてThanks!と言ったの。
なのにレミィったらポットからぶっかけようとするんですもの。だから私、困っちゃって……」
「『困っちゃって……』でロイヤルフレアの詠唱までしないでほしいわね」
 ともかく、と私は間を取り直す。
「用件は、お断りだっ。一から十までどころか零から無量大数まで、完膚無きまでにお断りと言わせてもらう」
 そして私はふんぞり返って、足を組んでテーブルの上に投げ出す。
 淑女らしからぬ行為ではあるけれども、こういう場に相応しいと思うポーズをとったまでのこと。

 パチェは、静かに「そう」と呟いた。
 しばらく黙って、また口を開く。

「判ったわレミィ。あなたの協力が得られぬのなら、次善の方策を選ぶまでよ」
「あなた自身が行くことが、次善どころか最善じゃないかしら?」
 私の言葉は、パチェの耳に届いたのかどうなのか。
 彼女は顔をうつむかせたまま、にやりと笑ってこう言った。

「――あなたの妹御、フランドールにこの件を話してみるわ」

 聞き捨てようにも不可能な、脳に直接紅茶をぶちまけられるような言葉だった。
「パチェ、その案はとうてい正気とは言い難いわ。そう思わない?」
「あら、どこが? フランは魔理沙とお泊まり出来ることを心から喜ぶでしょうね。
嬉しさのあまり邪魔者をどっかにやってしまう可能性はあるけれども」
 話すパチェの笑い顔からは、“してやったり”という勝ち誇りがこれでもかと溢れている。
 無論、彼女の言葉は単なる駆け引きのための嘘、ブラフに他ならない。
 何故なら彼女、パチェの恋敵が私の可愛いフランドールであることは確かな事実で、
パチェが敵に塩を送るような性格ではないことは、紅魔館の誰もが知り尽くしていることだからだ。
 しかし、私がこのブラフを受け流すことは許されていない。
 紅魔館の主人としてフランはむやみに表に出せないし、
一人の姉として、大事な妹が他人といちゃつくのは想像することすらも忍びない。
 レミリア・スカーレットの公私両面を責め立てることに、
彼女、パチュリー・ノーレッジは成功したと言わざるを得ないだろう。
 つまり、私が取れる行動は二つに一つ。
 目の前の魔女をくびり殺すか、もしくは――

「……判ったわよ。私が行けば良いんでしょう」

 踵でガンとテーブルを蹴ってから、私は乗せていた足を降ろした。
 パチェはしゃあしゃあと「感謝するわ」なんて言う。
 私は不機嫌を内に抑える気にならず、パチェに「用が済んだなら出て行きなさい」と言った。
 パチェは軽く肩をすくめるだけで、無言で部屋から去って行く。
 ドアの前で小悪魔が頭を下げていたが、それで私の溜飲が下がるわけでもない。

「……咲夜、どうしようかしら」
 私は唯一頼りになりそうな従者に声を掛けるが、彼女は、
「お嬢様。明日の外出に備え、本日私は館の仕事に専念しようと考えますが、よろしいでしょうか?」
 とズレた答えを返してくれた。
「明日のために必要とあなたが判断するなら、好きにやって構わないわ。
でも、少しは私に構って頂戴ね」
「かしこまりました、お嬢様」
 咲夜は一礼して、部屋を辞した。
 私はベッドに倒れこんで、一体何を準備すればいいのかしらと考え込むのであった。



   ◆  ◆  ◆



 日付変わって、魔法の森。
 “魔法の”と頭に付くわりには、普通の森との違いが良く判らない森である。
 もっともそれは、森と無関係に生きる私だからで、住人連中にしてみたら色々と違うのかもしれない。
 ともあれ、私は初めてマーガトロイド邸に行く身である。
 パチェから雑な地図を貰ったけれども、それは途中で破って捨てた。
 理由は簡単。能力を使ったから、……ではない。
 何を隠そう、完全で瀟洒な道案内人がいたからである。

 案内人に着いて飛び、少しも迷わずに目的地に辿り着いた。
 洋風の、森の中ということを除けばごく普通の一軒家。
 お世辞にも“立派な”とは言えないけれど、我が紅魔館と比べてしまうのが間違いなんでしょうね。
 実際、私が良く行く博麗神社の母屋とは、そう変わらない大きさに見える。こっちの方が広いかも?
 ともあれ、外につっ立っていても意味がないので、私は玄関へと歩み寄った。
 ドアに付いているノッカーを掴み、カンカンと鳴らす。
「はーい」
 待つこと数秒で、中から声が聞こえてきた。そして小走りの足音。
 ドアがカチャリと開けられて、

「いらっしゃ――……あン? レミリア・スカーレット? 何でアンタがいるのよ」

 ドスの聞いた低い声と、細めてこっちを睨んでくる目。
 彼女、アリス・マーガトロイドには、ホストの才が欠けているらしい。
 ここで喧嘩を始めるのは良くないわねと、私は寛容な心で無礼を受け流すことにした。
「アンタとはご挨拶ね。客よ客。パチュリー・ノーレッジの代理として来たの」
「……そりゃまた、思い切ったことをしてくれるわ……」
 アリスはちょっと目をそらす。舌打ちでもしそうな雰囲気だ。
 私はそれを無視して、
「中には入れてもらえないの? 代理だとその権利すら失ってしまうのかしら」
「んー…………ってか、あなたはともかくメイドさんの方は何者?」
 アリスの視線は、私ではなく私の後ろに向けられている。
「あら、ご存じない? 咲夜、自己紹介」
「レミリア様の従者を務めております、十六夜咲夜と申します。お見知りおきを」
「充分見知っているわよっ」
 アリスは頭に手をやって、はぁと呆れるような溜め息をついた。
「つまり、パチュリーの代理はレミリアだけれども、あなた達はセットだから二人で来たってこと?」
「主人あるところに従者あり。こんな自然の摂理をセットと呼ぶのはどうかと思うわ。
それに、この家までの道を知っているの、パチェの他には咲夜しかいないんだもの」
 アリスはふうんと頷いて、
「確か、ずいぶん前の宴会騒動の時にウチに迷い込んで来たっけ。
でもそれっきり来てないのに、よく覚えていたものね」
「空間拡張した紅魔館の内部を全て把握しているのは、私と咲夜くらいだから。
この子、一度来た場所、通った道を忘れることはないわよ」
「成程。しかしまあ、それにしても……」
 アリスはちょっと悩んだ風のしぐさで、顔をしかめる。
 それでも彼女は、押さえていた扉を大きく開けてくれた。
「上がりなさい。お茶くらい出すわ」
「あら、パチェからは泊まりだって聞いていたけれども」
「…………」
 憤懣やる方無し、といった表情で家の中へと戻るアリス。
 誘われたから来たのに勝手に不機嫌になって、全く我が侭な御仁だこと。


   ◆  ◆  ◆


「魔理沙はまだ来ていないのね」
 通された居間で、私と咲夜は茶を待っている。
 ただ待つのも暇なので、私はこちらから話しかけてみることにした。
 パチェが気に掛けていた、『魔理沙のことが方便なのか』の確認も兼ねてだ。
 さっきの様子から無視されるかとも思ったけれど、アリスは普通に返してきた。
「何時に来い、とは私も言わなかったから。
魔理沙のことだから、いつ来るかは彼女の気分次第でしょうね」
 日暮れまでには来るだろうけど、と彼女は付け足した。
「あら、何で判るの?」
「食事の時間を逃すとは思えないからよ」
 成程、道理である。

 お茶の用意をするアリスを見ているだけで、彼女が人形遣いだということを実感させられる。
 ティーセットを運んでくる人形というのは、なかなか可愛げがあるものだ。
 なので私は、思いを素直に口にした。
「主人と違って可愛い人形ね」
「……お褒めいただき光栄よ」
 なんか妙な間が空いたわね……。

「さてと、いくつか質問させてもらうわ。急に代理なんかが来て、こっちも混乱しているんだから」
 三人分の紅茶の用意が済んで、テーブルの向かいに座ったアリスが、私と咲夜を見て言ってきた。
 私は軽く頷いて、
「結構よ。ただし返答は咲夜がするわ。良いわね咲夜?」
「かしこまりました」
 さもしい人形遣いの質問ごときに、いちいち思考時間を費やすのは脳細胞の無駄遣いと同義。
 だから咲夜に応対をさせるのだ。
 アリスは一瞬だけ迷った風で、しかし、
「……まあ、それでも構わないわ」
 そう言って、カップを口に運んだ。

「まず、パチュリーが来られなくなった理由を聞こうかしら」
 妥当な質問。理由も無しに代理が来たんじゃ不自然だものね。
 咲夜は三秒と間を空けずに、
「パチュリー様の持病である喘息の症状が思わしくなかったので、
パチュリー様がご自身で外出を控えようと判断なさいました」
「ふうん。で、来られないならそれでも構わないのに、わざわざあなた達が来た理由は?
パチュリー相手でないと出来ない話もあったのだけど」
「アリス様のせっかくのご招待をふいにすることもない、とのことです」
 咲夜の言葉を聞いたアリスは、少し眉を動かして、
「私、あなたに“アリス様”なんて呼ばれたの初めてよ?」
 彼女の言葉に、咲夜は困りも戸惑いもしなかった。
「紅魔館においてお嬢様と同等の友人であるパチュリー様のご友人ですので、
勝手ですがそうお呼びいたしました。
お気に障られるようでしたら控えますが」
 アリスはさらに眉根を寄せて、
「全く、完璧すぎる従者っぷりね。でも調子狂うからいつも通りでいいわよ」
「あら、じゃあそうさせてもらうわ」
 あっさり言葉遣いを戻す咲夜だった。柔軟性って大事よね。

 その後もいくつか質問を受けたけれど、咲夜は見事に理由をでっち上げてくれた。
 それを信用したかどうかは判らないけど、アリスは質問を終えた後少し考え込んで、
「……うーん、あなた達を追い返す理由、特に無さそうね。それが良いかどうかは判らないけど」
 言うと、彼女はわざわざ姿勢を正して、
「あまりしたくはないけれど、歓迎するわ、レミリア、咲夜。
後で客間に案内するから。紅魔館の部屋と比べれば物置みたいなものでしょうけど」
 私は軽く手を振って答えた。
「お気遣いなく。ハナっから期待はしてないわ」
 アリスのカップが耳障りな音を立てたけれど、あら、一体どうしたのかしら?


   ◆  ◆  ◆


 マーガトロイド邸の客間とやらは、紅魔館の使用人部屋とほぼ同じ程度の広さだった。
 内装は、良く言えば落ち着いた雰囲気で、悪く言えば平凡な感じ。
 小さなテーブルに肘掛け付きの椅子が一つ。あとは衣装箪笥に、
「ベッドが一つだけ、と……」
 私がジト目をアリスに向けると、彼女は、
「基本的に一人用の部屋だもの。神社みたく何人も客が押し寄せるなんてことはないから。
前もって言っておいてくれれば、ベッドのもう一つくらい都合出来たのに」
「突然押し寄せて悪う御座いましたわねぇ」
 ちょっと舌を出して答えると、アリスは私を見おろして、
「あなた、体小さいんだし咲夜と一緒に寝れば? 『主人あるところに従者あり』って言ってたし」
 ひどく魅力的な提案をしてくれた。
「……ま、まままあその辺は私達の方で決めるから。ほら、あなたは何かやることあるんじゃない?」
「別に大した仕事があるわけじゃないけど、……まあ良いわ、ごゆっくり」
 私と咲夜を交互に見ながら、アリスは部屋から出て行った。

 私はベッドに座って、咲夜は旅行鞄を箪笥の横に置いた。
 壁に向かって身をかがめ鞄を開ける咲夜の瀟洒なケツを眺めつつ、私は言った。
「咲夜、集合よ。作戦会議を始めるわ」
 咲夜はこっちに向き直って、「かしこまりました、お嬢様」と言った。
 私はベッドをばふっと叩いて、咲夜をそこに座らせる。
 そして咲夜の瀟洒な膝及び腿と、それを覆うスカートの上に私は腰を下ろした。
「咲夜」
「はい、お嬢様」
「計画の一段目は無事終了というところかしら」
「左様に存じます、お嬢様」
 私達はここに来る前、パチェからいくつかの指令を受け取っていた。
「咲夜、今一度計画を頭から並べなさい」
「かしこまりました。
まず、マーガトロイド邸に押し入りパチュリー様の代理として宿泊を許可させる。
これには成功いたしました。
次に、霧雨魔理沙の存在の有無の確認。
彼女が来なかった場合は、明日まで適当に時間を過ごす。
彼女が来た場合は、アリスとの仲がどのようなものか観察及び記録を行う。
パチュリー様がご不快に思われる程度に仲が良い場合は、適切な妨害工作を行う。以上でございます」
「さすがはパチュリー・ノーレッジ。徹頭徹尾の執着心ね」
「そのように存じます」

 パチェは昨日、計画が失敗に終わるようなことがあれば、我が最愛の妹フランドールに
『あなたのお姉様が魔理沙と泊まりで出かけたわ』という嘘八百を吹き込むと宣言している。
 つまり私に退路は存在せず、頼れるのは自分自身と十六夜咲夜の二人だけなのだコン畜生。

「さて咲夜」 私は言った。「これからどうしようか?」
「まずは魔理沙が来るのを待つのが最良と存じます。
アリスの言葉の真偽を測ると同時に、以後の私達の行動方針を定めることにも繋がります」
 咲夜の意見はもっともであり、反対すべき要素は皆無であった。
 なので私は意見を容れる言葉を出そうとする、が、
「――――」
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
 私は咲夜の声に答えず、窓際へと歩み寄った。そして窓を開ける。
 吸血鬼ゆえの鋭敏極まりない聴覚が、弾丸の如き風切り音を捉えていた。
 自称幻想郷最速を誇る、彼女の音に違いあるまい。
「……残念だけど、ゆっくり休むことも出来なさそうね」
 私は外を見たまま言った。
「来るのですか?」 咲夜が問うてくる。
「ええ、近づいてるわ。もう、すぐに来るでしょうね」
 だからと言って、私達に出来ることなど何もない。
 私は窓を閉めて、ベッドに座ったままの咲夜の膝に座り直した。
 特に意味はないけれど、そうしたかったのだ。


   ◆  ◆  ◆


「ういーっす! おーいアリス、来ったぞーっ!」

 ノッカーの音も無く、玄関の方から魔理沙の声が聞こえてきた。
 アリスがドアに鍵を掛けていなかったとなると、……二人の関係が窺い知れる。
「要注意かしらね、咲夜」
「そのように存じます、お嬢様」
「部屋にこもっているよりは、実際に見た方が良いに決まっているわよね」
「まさしく然りかと」
「行きましょうか」
「はい、お嬢様」
 そんなわけで部屋を出て声の方に向かうと、魔理沙が肩に掛けた鞄から何か取り出していた。
 私と咲夜はそんな彼女を物陰から見る。
「騒々しいわね。そんな大声出さなくても聞こえているわ」
「まあこいつを見ろよアリス。……ほら、もしかすると新種のキノコじゃないか?」
「……あら、確かにちょっと見かけないわね」
「だろう? だからちょいと調査というか実験を――」

「そのキノコ、ヒグラシハニュウダケじゃないかしら」

 突然割り入った声は、いつの間にか私の後ろからいなくなっていた咲夜のものだった。
「咲夜? お前珍しいところにいたもんだなぁ」
 当然ながら、魔理沙は驚きの声を上げる。
「パチュリー様の代理で来たのよ」
「へぇ、そうかい。で、このキノコがなんだって?」
「『ヒグラシハニュウダケ』。食したものは、口の周りが麻痺して『あぅあぅ』としか喋れなくなり、
また腕の肘から先が常に曲がった状態になってしまう、……らしいわよ。こんな風に」
 そう言って、咲夜はボクシングの構えから両腕を横に開いたポーズをとった。
「物騒なキノコを持ってこないでよね、魔理沙」 アリスが不機嫌そうに言う。
 当の魔理沙は悪びれたふうでもなく、
「食う前に判ったんだから問題無いじゃないか。新種じゃなかったのは残念だけどな。
しかし咲夜、お前よく知ってたな」
「これも職業柄よ。たまにだけど、食材の選定を私自身が行うことがあるのよ」
「成程ねえ。それよりアリス、茶を淹れてくれよ。キノコ取りをしてたら喉が渇いちまったぜ」
「真っ直ぐ来れば良いのに、まったく……」

「こらっ! 和やかに茶ァしばこうとしてんじゃないわよ!!」

 思わず飛び出し怒鳴る私。すると、魔理沙は今気づいたというふうに、
「おっレミリア、珍しい所にいるじゃないか」
「パチェの代理よパチェの代理ッ! 私の方が正式な代理なんだから!
ったく咲夜ったら、勝手なこと言って……」
「申し訳ございません、お嬢様」
 頭を下げる咲夜の姿を見ても、私の溜飲は下がらない。
 それどころか更に魔理沙が、
「おいおい咲夜、いちいち謝ることないぞ。どっちだって大して変わらないんだから」
「ムキィー! なんてこと言うのかしらこの白黒は!」
 余計なことを言ってくれる……!
「どうでもいいけど、私のウチで暴れないでちょうだいね」
「私は人んチで暴れるような礼儀知らずじゃないわ。恨みゲージが蓄積されるだけだもの」
「くわばらくわばら。ま、レミリア・スカーレット様は
いちいち細かい因縁を根に持つような小者じゃないと私は思ってるけどな」
 くっ、そう言われては何も出来ないではないかっ!
「ま、まあ判ってるのなら良いのよ。……咲夜、アリス手伝ったげなさい」
「かしこまりました、お嬢様」
 言って、咲夜は台所へ移動するアリスの後を追った。
 玄関に残ったのは、私と魔理沙。
「さてさて、咲夜とアリスの淹れる茶はどっちが美味いかな?」
「そんなの咲夜の方に決まっているじゃない、」
「そりゃ、お前さんからすればそうだろうがな」
 魔理沙の笑い声は、私にとってあまり気分の良いものではなかった。


   ◆  ◆  ◆


「ところでアリス」 一息をついた魔理沙が口を開いた。「何で私らを呼んだんだ?」
「うん、ちょっと見てもらおうと思う人形がいくつかあって。今取ってくるわ」
 言って立ち去ったアリスは、腕に何か抱えて戻って来た。
「何それ?」 私が聞くと、
「藁人形ことストロードールよ。
先日例の天狗が盗撮に来た時試してみたんだけど、どうも使い勝手が良くないのよ」
 アリスはテーブルの真ん中にストロードールとやらを置いた。
 魔理沙が横から手を伸ばしてそれを持ち上げる。
「随分簡易な作りだな。量産重視か?」
「ええ。その代わり、簡単な行動式しか組み込めなくて。
今は相手に向かって一直線に飛ぶ機能しかないのよ。移動を続けられたり、方向転換されたらアウト。
質より量ってことで数を増やしても、天狗にはあっさり避けられちゃって……」
 魔理沙は人形を色々な角度から眺めながら、
「自動追尾は組み込めないのか?」
「さっきも言ったけど、直線軌道だけで精一杯。容量オーバーになっちゃうわ。
見ての通り軽量だから速度の方は確保出来ているんだけどね。
質の方は上海蓬莱に任せて量の方に割り切っても良いけど、諦めるのも癪なのよ」
「なるほどなあ。じゃ、ちょっと考えてみるか」
 テーブルに積んであった紙束から魔理沙が一枚取って、何やら書き込み始めた。
アリスも続いて紙を取る。
 二人の横から覗き込んでみても、……何を書いているのかさっぱり理解出来ない。
「パチュリーがいれば、五行方面からのアプローチも出来たかもなあ」
「そうねえ。是非彼女にも協力してもらいたかったんだけど、ねえ」
 微妙にとげを感じる言葉が、聞こえよがしに語られる。
「……私は悪くないわよ」
「誰もお前さんが悪いなんて言ってないぜ」
「そうそう、悪いとするなら誘いを断ったパチュリーの方よ。……あ、そうだ」
 アリスが手を止めて立ち上がった。
 奥の方に引っ込んだかと思えば、すぐに戻って来た。手には大きな箱を抱えている。
「よいしょっと。レミリアと咲夜、こっち来て」
「それよりその箱は一体……」
「見れば判るわ」
 アリスが箱を開ける。中に入っていたのは、
「……何? この、大量の藁は」
「ストロードールの材料に決まっているじゃない。
これが見本。これが作り方の説明書で、こっちが芯に使う針金ね。
工具類はこっちの箱に入っているから。ノルマは一人五十体ね。多少雑でも構わないから」
「ちょーっちょっちょっ、ちょい待ちなさいマガトロさん」
 私はこめかみを押さえながら言った。
「何故に私たちが藁人形なんていかがわしいブツの作成をしなきゃいけないのかしら?」
「タダで二人も泊めるほど、私の気前と金銭事情が良くないからよ。
魔理沙とパチュリーに魔法の研究を手伝ってもらって、そのお礼に泊めるつもりだったんだもの。
それが出来なくなったのだから、せめてこれくらいの手伝いはして頂戴。働かざるもの食うべからずよ」
「愚民の上に君臨することが高貴なる者の仕事だわ。つまり私はそこに在ることが働いていることなの」
「屁理屈は結構。……あと、古新聞を床に広げてからやってね。藁屑が散っちゃうから。
はい、よろしくね」
 アリスは私に藁を押しつけ、テーブルの方に戻ってしまった。
「お嬢様、どういたしましょう?」
 ……まあ、こういう下賤の仕事も暇潰しには良いかもしれない。
 大人しく仕事するフリをしていれば、アリスと魔理沙を観察するにも丁度良いだろう。
「仕方ないわね。少しやってあげましょう」
「かしこまりました、お嬢様」



 藁人形の作り方は、量産型と魔理沙が言うだけあって簡単なものだった。
 見本の寸法を参考にして、藁の長さを長短二種類に切って揃える。
 針金を十字に組んで、骨組みとする。縦の針金は二本を合わせる。
 腕の部分になる短めの藁を横向きに骨組みに合わせ、長い藁を縦向きにして前後から挟み込む。
 縦と横の藁が接する部分が胸になるので、ここを針金でしっかり縛って形が崩れないようにする。
 このままだとただの藁製十字架なので、股を開かせるように針金を開き、
足首二箇所と腰を縛って下半身の形を整える。ついでに手首と頭のあたりも縛る。
 これで、大の字型の藁人形が完成だ。

「しかし、シュールな光景よね……」
 幼く愛くるしいナリの吸血鬼と、瀟洒で美しい従者のメイド。
 これだけなら絵になるのに、やっていることは古新聞に腰を下ろして東洋の神秘藁人形作成だ。
 絵にしようにも、これでは滑稽絵以外何が描けるだろう。
 それに、最初の五個くらいはそれなりに楽しく作れたが、こんな単純作業が心底から楽しめる私ではない。
 アリスと魔理沙は真面目に魔法を研究中らしく、
エロチックもしくはラブコメチックなイベントが起こる気配すら見当たらない。

「――飽きたわ」

 藁人形作成だけじゃない。ここにいること自体に、だ。
 そんなに大声を出したつもりは無いのだけど、テーブルの二人がこっちを向いた。
「お前単純作業ダメそうだもんなあ」と魔理沙。まあその通りだけど。
「別に、無理に泊っていけとは言わないわ。帰りたければいつでもどうぞ」とアリス。
 いっそそうしてしまおうかしら、と思って咲夜を見ると、――彼女の横には藁人形の山があった。、
「お嬢様の作られたのと合わせて百個。ここに置いておけばいいかしら?」と咲夜はアリスに言う。
 呆然となるアリスと魔理沙。それに、私。
 こんなことのために、わざわざ時間を止めなくてもいいのに。
「……ええ、そうね、ありがとう咲夜。片付けは私がやっておくから」
「お礼はいらないわ。もともとパチュリー様が来ないのが悪いんだもの。これくらいはね」
 そう言って咲夜は立ち上がって、私を見る。
「荷物を取ってまいりますので、お嬢様もお支度を」
「……ええ」 私は一言だけ返す。
 咲夜が部屋から出て行くのを見送って、私はテーブルに歩み寄った。
 とうに冷たくなっているティーポットから紅茶をカップに注ぎ、喉に流し込む。
 魔理沙が私を見て、
「どうしたんだ? 咲夜に言って、熱いの用意してもらえば良いじゃないか」
「あまり、そういう気分じゃないから」
 咲夜に余計な手間を掛けさせた気がして、少しだけ胸が苦しかった。


   ◆  ◆  ◆


「騒がせたわね」
 玄関まで見送りに来たアリスに、私は言った。
「ううん、こっちも助かったから。パチュリーによろしく言っておいて」
「私は何も言わないから、いきなり押しかけてあいつを困らせてやりなさい。
そっちの方がありがたいわ」
 私が言うと、アリスは苦笑。
「それじゃ、また今度。気をつけて帰ってね」
 そう言って、アリスはドアを閉めた。


 午後の暖かな陽光が、木々の間から差し込んでいる。
 咲夜の持つ日傘の下、私は飛ばずに歩いていた。
「……ねえ咲夜」
「何でしょうか、お嬢様」
「これからどうしようかしら?」
 咲夜も賛成したので出てきたけど、どうするか深くは考えていなかった。
 真っ直ぐ帰りたいのはやまやまだけど、そうするとパチェとの戦争は避けられない。
 戦争。つまり弾幕ごっこだけでは済まず、策謀入り乱れる泥沼の争いになるだろう。
 それは、出来れば避けたい。フランに悪いし、紅魔館ボロボロになっちゃうし。
「そもそも、パチュリーになんて言い訳しようかしら……」
「お嬢様、その点につきましては問題ございません。私に考えがあります」
「えっ、本当?」
 私は驚きと尊敬を込めて咲夜を見つめる。
「はい。アリスと魔理沙の二人には、私達も泊まったことにしてくれと言い含めておきました。
実際に私達が明日まで紅魔館に帰らなければ、
パチュリー様に真実を伝えるものはおりませんし、知る方法もありません。
頼まれていた調査については、先ほどまでで充分と存じます。
明日、私の方からパチュリー様に上手く伝えておきますので、お嬢様に負担はお掛けしません」
 この瀟洒な従者の存在ほど、私を救い助けるものはこの世に無い。
「ありがとう咲夜。そのように取り計らって頂戴」
 私は、心底から感謝した。その気持ちは伝わっただろうか。
「もったいないお言葉にございます。ところで、今晩の宿はいかがいたしましょうか」
 私は少し考える。
「……そうね、霊夢のところに泊めてもらいましょう。あそこなら口止めが効くから。
でも、何か手土産を用意しないといけないわね」

「ではお嬢様、これから人間の里に行ってみるのはどうでしょうか?」

 咲夜の意外な申し出に、私はさっきの数倍驚いた。
「里って、こんな明るいうちから?」
「ええ。失礼を承知で申しますが、お嬢様は羽を隠してしまわれれば、
見目麗しき良家の子女そのものです。
私はそれなりに行き慣れておりますが、お嬢様は昼間の里は一度もご覧になっていません。
良い機会だと考えますが、いかがでしょう?」
 言われてみれば、昼間の人里というのは未経験だった。
 それに、夜行くときだってハクタクに邪魔されるから派手な真似はやっていない。
咲夜と一緒にこそこそと、だ。
 昼間の里を、咲夜と一緒に大手を振って歩くというのも、うん、愉快かもしれない。
 ただ、
「羽を隠す、というのは気に食わないな」
 吸血鬼の証たるこの羽を隠す。あまりにもこそこそしすぎではないか。
 私は声と視線で咲夜にそう伝えた。
「お嬢様のご不満は至極もっともでございます。
ですが、里で無用な騒ぎを起こせば、現在紅魔館に仕入れている里の品が手に入りにくくなります。
なにとぞご寛恕くださいませ」
 そう言って、咲夜は頭を下げた。

 正直、夜の王としてのプライドよりも、里への興味の方が勝っている。
 しかし、形式的であれ咲夜に文句を言わなくては主としてのしめしがつかない。
 咲夜も承知しているだろう。はっきり言ってしまえば、茶番同然のやりとりだ。
 周りに誰もいなくても、主人と従者という関係で付き合わなければならない。
 友人や家族のようには付き合えないのが、少しだけ残念だ。

「……しょうがないわね。咲夜、それでいいわ」

 言うと、咲夜は「ありがとうございます、お嬢様」と言って頭を上げた。
 うっすらと笑みをたたえた瀟洒な顔は、時に冷たく、時に温かい。
「行きましょ咲夜。あまりのんびりしすぎると日が暮れるわ」
 そう言って私が飛び立つと、咲夜は慌てた風もなく着いてきた。
「かしこまりました、お嬢様」
 特別急いでもいないのにはやる私を見て、咲夜はどう思っただろう。
 ……ううん、詮無いことに悩むのは止そう。
 何と言っても、咲夜と初めてする昼間のデートなのだから。



   ◆  ◆  ◆



「――うーん、やっぱりその大福を貰おうかしら」
「はい、ありがとうございます」
 咲夜は店主に代金を払い、包みを受け取った。
 店の軒先で干菓子を見ていた私のところに戻ってくる。
「お待たせしました、お嬢様」
「うん、別にいいわよ。見ているだけでも退屈しないから」
「それは良うございました」

 予想以上に里は賑やかで、華やいでいるように見えた。
 昼夜が逆転しただけで、こうも変わるのかと驚かずにはいられない。
 以前夜に来たときは、出歩いているのは男ばかり。しかも妖怪も混じっていた。
 しかし今は、美味しそうな女や子供も大勢歩いている。
 もっとも、私も周囲からはただの子供に見られているのだろうけど。
 というか、結構あからさまに見られている。ちらっとだったり、じろじろとだったり。
 私の服装と、身に不釣合いな大きい日傘が珍しいからかしらね。
 そのくらい受け入れるのは、高貴な人間の義務の内だ。

 里に入ると、咲夜はまず商店が並ぶ通りに向かい、上等の茶葉を買い求めた。
 そして今、菓子屋での買い物が終わったところだ。
「土産は用意出来ましたが、すぐに神社に向かいますか? それとももう少し見て回ります?」
「そうねえ……、咲夜、どこかお勧めの店とかないかしら?」
「かしこまりました。少々歩きますがよろしいですか?」
「ええ、構わないわ」
 二、三分ほど歩き、ちょっと人が少ない通りに入る。
 さらにもうしばらく歩いて、咲夜は赤無地の暖簾が掛かっている店に入った。
 恰幅の良い親父が、こちらに気づく。
「いらっしゃいませ。これは十六夜さん、今日はお連れ様も一緒にありがとうございます」
「ええ、こんにちは。いつものを二ついただけるかしら」
「かしこまりました」
 親父は頭を下げて、奥へと引っ込んでいった。
 店内は窓が少なく、ほのかに暗い。どうやら他に客はいないらしい。
 咲夜は日傘をたたんで、日の当たらない座敷に私を導いた。
 靴を脱いで畳に座ると、私は咲夜に問いかけた。
「ねえ咲夜」
「何でしょうか、お嬢様」
「名前まで覚えられて、注文はいつもので通じて、ずいぶん仲が良いじゃない。よく通っているの?」
「はい。里に用があるときは必ず」
 咲夜は、にこりとした瀟洒な笑みを崩さない。
「と言いますか、ここは妖怪御用達の茶店ですから」
「へー。……へえ?」
 思わず聞き返してしまった。
「だいぶ前のことですが、買い物をしていると八雲家の狐と猫にばったり会いまして。
世間話をしているうちに、ここを教えてもらいました」
「なるほどね。ちなみに、そいつら耳や尻尾は隠していたの?」
「いいえ、いつものままでしたが」

 ドンッ!

 壊れない程度の力で、私は卓袱台を叩いた。
「なんで連中が堂々と歩いているのに、私はこそこそ羽を隠さなきゃいけないの?」
「お嬢様、それは――」


「人里には人里のルールがある、ということだ」


 入り口の方から声が飛んでくる。
 一体誰かと思って見れば、
「いつぞやのハクタクか。何か用?」
 睨みつけてやるが、涼しい顔をしてこっちに寄ってくる。
「丁度人目につかない場所に入ったし、少し話をしようと思ってな。
それと、ハクタクとは呼ばれるのは好きじゃない。慧音と呼んでくれ」
 そう言って、慧音も座敷に上がった。
 私と咲夜が向かい合うように座っているので、慧音は咲夜の隣に座って私を見てきた。
「…………」
「話というのは、……どうした? 私の顔に何か付いているか?」
「何も付いてないから、私と場所変わりなさい」
「? まあ、構わんが……」
 私は咲夜の横に移って、慧音が私の座っていた方に来る。
 場所換えが終わったところで、さっきの親父が盆を持って奥から出てきた。
「お待たせしました。――これは慧音様、ようこそいらっしゃいました」
「うん。――ああ、ありがとう」
 盆には、椀と湯飲み、木のスプーンが三つずつ載っていた。親父がそれらを卓袱台に並べる。
「では、ごゆっくりどうぞ」
 親父はまた奥へ引っ込んでいった。
「……ねえ、あの親父も妖怪だったりしないでしょうね? 咲夜は二つしか注文してなかったのに」
「ははは、いや彼は正真正銘の人間だよ。少しばかり勘が良いだけさ」
 どうやら、妖怪御用達の名に恥じない店主のようだ。
「で、慧音。あんたの話って何よ」
「まあまあ、そういきり立つな。私が勝手に話すから、そっちは気にせず食べていてくれれば良い。
ここの餡蜜は美味いぞ。あまたの妖怪が求めるくらいだからな」
「餡蜜……」
 椀を覗くと、黒い餡と豆粒、それに小さい団子と透明な何かが入っている。
「餡に蜜豆、白玉団子に寒天です。美味しいですよ」
 と、咲夜は指し示しながら餡と団子をスプーンに載せた。そして私の顔に近づける。

「はい、お嬢様、あーん」

「……咲夜?」
「はい、あーん」
 横目で慧音を見ると、笑いを堪えているようだった。
「ねえ咲夜、人前でこんな――」
「あ――――ん」
「わ、私のことはいないものと思ってくれ」
 じゃかあしい牛女。
「咲夜、その、恥ずかしいから……」
「あ――――ん」
 精一杯の抵抗を口にしても、咲夜はスプーンをどけてくれなかった。
 ……しょうがないから、私は小さく口を開けた。
 咲夜が口にスプーンを差し込んでくる。
 私が口をゆるく閉じると、咲夜はスプーンを引いた。すっごくニコニコしてる。
「…………」
「お嬢様、お味はいかがですか?」
「……美味しいわよ」
「ああ、それはようございました。では、失礼して……」
 私の返事を聞くと、咲夜は満足そうな顔で自分の餡蜜に取り掛かった。
 咲夜の仕打ちは耐えかねたけれど、味の方はとても美味しかった。
 咲夜が作る菓子の甘みとは違って、砂糖の甘さが脇に控えて餡自体の味が前面に出ている。
 そして、団子の歯ごたえが丁度良いアクセントになって飽きさせない。
 私は自分のスプーンを取って、椀の中へと侵攻を開始した。

「……ん、ゴホンッ」

 わざとらしい咳払いが対面の席から聞こえた。どうやら、改めて話をするらしい。
「まずは、……私がここに入った理由から話そうか。
はっきり言うが、レミリア、お前は妖怪退治を生業とする者につけられていた」
 ああ、妙にしつこい視線があったと思ったら、やはりそうだったのか。
 私は気にせず四角い寒天を口に入れた。冷たく柔らかい食感がすばらしい。
「生業といっても、人間を襲う低級妖怪を相手にするだけだ。
彼自身所詮は人間、お前さんをどうこう出来るほどの力は無い。
ただ、彼の仕事を知っている者は、見慣れぬ洋装の子供と結びつけてつい邪推をしてしまう」
 言わんとしていることは、まあ理解も納得も出来る。
「で、私が姿を見せることでそいつに退いてもらった。
悪く思うな、これも里の安全を守るための決まりごとだ」
 私は寒天を飲み下して、湯飲みをとった。
「ルールだの決まりごとだの、一体何だって言うのよ。……にがっ」
 湯飲みの中身は、あまり得意ではない緑茶で、思わず声が漏れてしまった。
 慧音が笑う。
「苦味が甘味を引き立てるんだ。それも和の心さ。
……さて、本題に入ろうか」
 慧音も湯飲みから一口をすすった。咲夜は聞くそぶりすら見せずに餡蜜と格闘している。

「“人間の里”とは言っても、人間以外全てお断りというわけではない。
『人間の安全が保証されている里』という意味合いの方が重要だ」
 絶対とは言えないのが残念だけどな、と慧音はぼやく。
「まあ、だから妖怪が入ってきても、それが人間に害をなすものでなければ基本的には受け入れる。
定住は認めていないが、人間に手が出せないのにわざわざそうしようとする者は
滅多にいないから特別問題は無い。
買い物に来るようなのは客だから、当然受け入れる。そこのメイド殿みたくな」
「ひゃくやはひんげんよ」
 おっと、うっかり口の中にものを入れたまま喋ってしまった。
 慧音は苦笑して、
「吸血鬼の従者で、自身も高い能力の持ち主だ。ただの人間からすれば、妖怪と同じだよ。
話を戻そう。要は、初めて里を訪れる妖怪に対しては警戒を厳しくする必要があるということだ。
それが既知の吸血鬼で、頻繁に里を訪れる従者と一緒だったとしてもな。
白昼堂々現れなすったとくれば尚更だ。ここまでは理解してもらえたかな?」
 私はスプーンをくわえたまま頷く。今のところは納得出来る話だった。
「次に、お前さんが気にしているであろう八雲家の二人について話そうか。
変な話だが、彼女らのレベルになると恐れられるどころか敬われるほどなんだ。
九尾の狐は伝承からしても高い位を誇っているし、黒の猫又は、……まあ、見た目が子供だからな」
「黒猫は凶兆の代名詞ですからね。見た目と保護者に助けられていますわ」
 咲夜が初めて口を挟んだ。
「その通り、保護者が保護者だから安心して見ていられる。
藍殿に聞いたが、一人で遊びに来るのは許されていないそうだしな。
あとお前さんが知っていそうなのだと、魂魄妖夢もよく買い物に来る。
うーん、妖怪の従者ばかり例に出してしまっているな」
「信頼が置けるという点では、判らないでもないわ。
大妖怪の従者となれば、迂闊な振る舞いで主の品位を落とすわけにもいかないんでしょ」
 言って、私は茶をすすった。
 確かに慧音の言うとおり、甘味と苦味は喧嘩せず引き立てあっている。
 霊夢が緑茶派なのが今一つ判らなかったけど、ちょっと歩み寄れた気がする。でもやっぱ苦い。
 慧音は私の言葉を聞くと、一つ頷いて、
「“信頼”。まさにそこがポイントなんだ。
私だって、つまるところ妖怪のようなものだ。しかし里を守る者として住民に敬ってもらっている。
それは、私が彼らに信頼してもらえるように生きてきたからだ。
……自分で言うと恥ずかしいな」
 じゃあ言うなよ、とは私は言わない。
 パチェクラスに仲良くないと、なかなか相手の話の腰は折れないのだ。私ってお嬢様だし。
「言ってしまえば、人間と妖怪の間に違いは無い。全ては信頼関係が築けるかどうかだ。
八雲の二人も魂魄妖夢も、信頼されるような行動をとってきた。だから堂々と道を歩く。
だが、いきなり訪れた妖怪にそうされるのは困る。無用の不安を招くからな。
特にレミリア、お前は、――吸血鬼だ。
存在だけで人々が恐怖するという点で、妖獣や幽霊とは比べようも無い」
 それは、否定するまでもない自然の定理みたいなものだ。
 だから私は湖のほとりの館から滅多に出ないし、出ても行くところは限られている。
「だが、お前は無差別に人間を襲うような低級妖怪ではない。
五百の齢を重ね、膨大な力を手にしながら、礼節をよく知り無闇に力を振るわない。
名実ともに、まごうことなき幻想郷の大妖怪の一人だ。
だから、お前が昼間に羽を出して歩いていても、恐れられないような日がいつか来る。
……かも知れない」
「最後の一言で台無しじゃないか」
 さすがに今度は我慢出来ず、腰を折ってしまった。
「いやすまん、嘘を吐くわけにはいかんのでな。
ともかく、お前さんが以後明るいうちに里に来ても、私は排除しない。
里の主だった者たちにも、それとなく伝えておく。だから気安く来てくれて構わない。
……出来れば、咲夜と一緒の方がこちらとしても助かるが……」
 ああもう、こいつは。
 私は思わず、はぁとため息をついた。
「大言壮語を吐くのか正直にものを伝えるのか、どっちかはっきりさせなさいよ」
「いやいや、本当にすまん。なにぶん、お前のような大物をどう扱うか私も悩むところでな。
つまりは、だ」
 慧音は居住まいを正して、私の顔をしっかりと見てきた。


「仲良くやっていこう。そういうことだ」


 ……こいつ、相当なお人よしじゃないかしら。
 そういや、藤原妹紅の世話も相当に焼いているんだったっけ。
 人間の里を守ろうってのに、そんなことで大丈夫なのか?
 現に今まで守ってきていると頭では理解出来ても、当人を前にするととてもそう考えられない。
 あーもう、しょうがない。ここは一つ高貴なるものの威厳を見せつけよう。

 私は、右手を差し出した。
 慧音は、きょとんとした顔を一瞬したけど、破顔一笑、私の手を力強く握った。
 その快活な笑顔に、私の方が気恥ずかしくなってしまう。
「……永夜の時ような乱暴な真似だけは、今後一切しないと約束してあげるわ」
「ああ、あれは大変だった。だが過ぎたことだ、水に流そう。歴史からは消してやれないがな」
 慧音の言葉に、私は苦笑。

「すいませーん! 餡蜜とお茶のお代わりを三つー!」
「はいよぉーっ!!」

 感動的な握手シーンの横で、咲夜は追加注文を高らかにうたった。
 気が利いているんだか、いないんだか……。


   ◆  ◆  ◆


 茶店を後にし慧音と別れ、私と咲夜は大通りの方に戻った。
「神社にどの程度食料があるか判らないですね」
 そう言って、咲夜は野菜をいくつか買い込んだ。
 小さいとはいえ旅行鞄を持って、さらに菓子に茶葉に野菜、それに私の日傘を持つの?
「――咲夜」
 八百屋の軒先で、私は言った。
「日傘は私が自分で持つから」
 こんなこと、主人が言うもんじゃないってのは判っているけど、言わずにはいられなかった。
 咲夜はちょっとだけ意外そうな顔をして、でもすぐに瀟洒な笑顔に戻る。
「――かしこまりました、お嬢様」

 しばらく歩いて、里を出る。
 人気が全く無いのを確認して、私は隠していた羽を元に戻した。
「――ふぅ。それじゃ行きましょうか、咲夜」
「はい、お嬢様」
 既に太陽は沈み始めている。
 私は日傘の角度に気をつけながら、博麗神社へと飛んだ。



   ◆  ◆  ◆



 神社に着いた時にはすっかり日が暮れており、境内には闇が満ちて、社務所には明かり一つ無い。
 私と咲夜は神社の裏手、母屋の方に回り込む。
 地上に降りて、玄関を軽くノック。

「ごめんくださぁーーーーい。霊夢ーー、開ーーけーーてえええぇぇぇぇぇぇぇ……」

 ドップラー効果気味な声を張り上げて少し待つと、霊夢が戸を開けた。
「うるさいわね。今何時だと思ってるの?」
「まだ宵の口よ。私からすれば今からが活動時間だわ」
「へいへい。……で、何の用?」
「泊めて」
「帰れ」
「お願い」
「嫌だ」
「仕方ない、咲夜」
 私は一歩横にどいて、咲夜を前に出させる。
 咲夜は瀟洒スマイル全開で、
「霊夢、今日里で買ったばかりの大福と茶葉、それに野菜を持ってきたのだけど」
「ありがとう咲夜、上がって頂戴。――あ、レミリアは帰りなさい」
「ちょっと、私を無下に扱って許されると思ってるの!?」
「冗談よ。……まったく、急に来られても困るのよねぇ」
 そうは言っても家に上げてくれるあたり、霊夢はとっても優しいと思う。
 きっと私に惚れているに違いない!




「――んで、なんで急に泊まりに来たの?
わざわざ人里の土産用意するなんて、珍しすぎる風の吹き回しじゃない」
 咲夜の用意した夕食(米に味噌汁、野菜の煮付け。ヘルシーな純和風)を囲み、
和やかな食事を始めた矢先霊夢は問うてきた。
「結構深い理由があるんだけど、誰にも言わないって約束するなら話してあげるわ」
「泊まりに来といて何その態度。……まあ、色々貰っちゃったから約束するわ。誰にも言わない」
 昨日からのことの成り行きを、かいつまんで霊夢に話した。咲夜が。
「なるほどねぇ」
 ずずず、と味噌汁をすする霊夢。
「紅魔館も結構大変なのね」と私の方を見て言った。
「大変なのはパチェだけよ。彼女がいなければどんなに楽か……」
「ま、悪友なんてだいたいそんなモンよ」
 悪友? パチェは古い友人だけど、そういうふうに捉えたことは今まで無かった。
「つーかレミリアさ、嘘言わないで、本当のこと言った方が良いんじゃない?」
 意外な言葉を、私は即座に否定。
「それはダメよ。紅魔館内部が内戦状態に陥っちゃうわ」
「その内戦だってどうせお遊びでしょ? フランドールの良い気晴らしになるんじゃない?」
「そんな可愛いもので済むか判らないわよ」
「館の半壊までは可愛い内でしょ」
「他人事だからって酷い言い草ね。せめて四分の一までにしたいところだわ」
 ズズズ、と味噌汁をすする私。

「咲夜はどう思う?」と出し抜けに霊夢が言った。
 咲夜は私を見て、「よろしいでしょうか?」と尋ねてくる。
 私が頷くと、咲夜は「では」と切り出した。
「そもそも、パチュリー様が本気で魔理沙とアリスの仲を疑っているならご自分で行かれるはずです。
ですが、罠だのなんだのと理屈をこねて結局行こうとしませんでした。
単に外に出るのが面倒臭くて、お嬢様をダシに遊ぼうとしただけかもしれません。
ただこれは、あくまで可能性の話です。全部本気で言っていた可能性も否定出来なくは――」
「キリがないから、可能性の話は結構よ、咲夜」
 私が言うと、咲夜は「失礼いたしました」と返した。
 ふう、と私は息を吐いた。
「なんだか、昨日から真面目に考えてたのが馬鹿らしくなってきたわ」
 呟くと、霊夢がくくっと笑った。
「何がおかしいのよ」
 霊夢はごめんと言って、しかし笑いを抑えきれないふうなまま、


「あんたさ、能力使わないで、人生楽しんでいるみたいじゃない」


 ――生を、楽しむ?
 いつもの日常を、そういう風に捉えたことは無かった。
 確かに、今日はちょっと珍しいことがいくつかあったかもしれないけど、でも。
「……日常の些細なことに、一々能力使ってられないもの」
「そう? でも、パチュリーの頼みが本当に嫌だったら、
アリスの家に行かないってことになっていたかもしれないじゃない。
あんたの能力がどんな感じかなんて、詳しくは知らないけど」
 笑いながら、霊夢は茶をすする。
「――っと、ご馳走様でした。ねえ咲夜、洗い物手伝ってくれる?」
「え? でも、お嬢様が――」
「いいから、咲夜、行ってあげなさい」
「……はい、かしこまりました」
 咲夜には、私が困っているのが判ったのかもしれない。少しためらいながら、台所の方に行った。
「はーあ。……あら?」
 既に飲み干していたはずの湯飲みには、湯気立つ緑茶がなみなみと入っていた。
「咲夜ったら、こんな気の回し方しないでも良いのに……」
 私は猫舌ではないので、熱いのを気にせず飲むことが出来た。
 今まで神社に来た時に何度も緑茶は飲んだけど、いつまで経っても味に慣れることが出来なかった。
 なのに、今日は味わいが判る。苦味と渋み。舌と喉を柔らかく刺激する感覚が、快い。
 湯飲みを持ったまま立ち上がって、障子を開けて縁側に出る。
 裸足のまま庭に下りて空を見上げると、綺麗な十六夜の月が見えた。

「生を楽しむ、か……」

 幻想郷に来る前も来てからも、“楽しい”と思うことはあった。
 けれど、さっき霊夢に問われた“楽しい”の質は、それらとは違うものな気がする。
 思えば、紅の霧を出して、館に霊夢と魔理沙がやって来てから、沢山のことが変わった。
 一々挙げて考えるような変化ではなく、茫洋としていて、けれども確かな変化。
 その変化のおかげで、霊夢が“楽しい”と言ってくれるような生を送れるのだとしたら――

「感謝しないといけないわね――」

 霊夢に限らず、色々と、だ。

 もし、幻想郷に来る前の私を知っている者が今の私を見たら、一体何と言うだろう?
 丸くなった? 堕落した? 吸血鬼と呼ばれるに値しない?
 自分ですらそう思うのだから、きっとそれ以上のことを言われてしまうだろう。
 構うものか。今更過ぎるが、郷に入っては郷に従えだ。
 私は幻想郷で生きている。なら、幻想郷の空気に毒されたって、それは良いことじゃないかい?

「ま、吸血鬼の誇りを失ったとは露ほどにも思っていないがな」

 十六夜の月に向かって宣言。
 持ったままだった湯飲みを口に当てて、ぐいと一息に飲む。
「――うへぇっ」
 熱くて苦くて、やっぱり渋い。まだまだ味を理解出来ていないみたいだ。
 霊夢のようにお茶を味わえる日が、いつか私にも来るのだろうか。

「紅茶なら判るんだけどなァ。血液たっぷりブラッドティー……」

 そういや、今日は朝に飲んだきりだった。
 神社で飲むわけにいかないし、やっぱり明日まで我慢かな。




「こらあレミリア! なに裸足で庭に下りてんのよ!!」
 霊夢の怒鳴り声。どうやら洗い物が終わったらしい。
「そう怒らないでよ。月が綺麗だったから、ついふらっとね。私、吸血鬼だもの」
「はぁ? どうでもいいけど、ちゃんと足の裏の砂払ってから上がるのよ!」
 怒りっぱなしの霊夢は、中に引っ込んでしまった。咲夜だけが縁側に残る。
「まったく、霊夢は風情を判っていないわ。咲夜もそう思わない?」
 縁側に座って、咲夜の顔を見上げて言う。
「――ご気分は、良くなられましたか?」
 私は、思わずくくっと笑う。
「私がいつ気分を悪くしたって言うの?」
 すると咲夜は、表情を全く変えずにこう言った。

「パチュリー様に難題を頼まれた時からです」

 上手いこと言いやがって。
 本当に大したものね、完全で瀟洒な従者は。



   ◆  ◆  ◆



「zzz……zzz……」

 懐かしの我が家、紅魔館に帰ってくると、愛しの門番は立ったまま二度寝をしていた。
 目の前に立っても起きる様子が無いので、私は美鈴の耳元に口を寄せ、そっと息を吹きかけた。

「――ひゃうっ!! ……あ、お嬢様、咲夜さん、お帰りなさいませ……」
「美鈴、シエスタには三、四時間は早いんじゃない?」 私は詰問する。
「ごっ、ごめんなさいっ! 
その、昨夜はほとんど徹夜でパチュリー様のスペル練習に付き合わされて、それで寝不足で……」
 どうやら、パチェの機嫌はあまりよろしくなかったらしい。
「咲夜、後で暇そうにしてるメイドを集めて門番代行にさせなさい」
「かしこまりました、お嬢様」
「美鈴、門番代行が来たら夕方まで自室で寝てて良いわよ」
「はひっ!? あの、その、……ありがとうございますっ!」
 体育会系バリバリな美鈴の礼を背に受けつつ、私と咲夜は館の中に入った。
「咲夜、荷物を置いたらすぐ図書館の方に――」
「既に置いてまいりました、お嬢様」
 咲夜が持っていた日傘と旅行鞄は、一瞬の内にかき消えていた。
「――結構。じゃ、いざ図書館と行きましょうか」
「かしこまりました、お嬢様」



 図書館には、小悪魔しかいなかった。
「――あ、レミリア様、咲夜さん、おかえりなさいませ」
「ただいま小悪魔。パチェはどこ?」
「あー……その、パチュリー様はお休みになられたのが遅くて、まだ寝てらっしゃるかと」
 どうやら、相当熱心に美鈴と遊んでいたらしい。
「起こしなさい」
「へっ?」
「起こして連れてきなさい。パチェはきっと、一刻も早く報告が聞きたいに違いないわ」
「ですが、その……」

「私の言うことが聞けないの?」

「はい! すぐにお連れいたします!!」
 不機嫌全開で睨んでやったら、小悪魔はすっ飛んでいった。
「ねえ、もし咲夜が小悪魔の立場ならどうしていたかしら?」
「当然、主の眠りを妨げるものに鉄槌を下します」
「ありがとう、安心したわ。」


 咲夜に紅茶を淹れてもらって、待つこと約十五分。
「……結構早かったわね。お帰りなさい、レミィ、咲夜」
「ただいまパチェ。目にクマが出来てるけど大丈夫?」
「ちょっと寝不足なだけ。喘息は……ゴホッ……問題ないわ」
 どの辺が問題ないのか、私には判らなかった。
「それで、どうだった? レミィでも咲夜でもいいからとっとと報告してほしいのだけど」
「寝不足だから?」
「聞かなくても判るでしょうに」
 判るけど、嫌がらせで言っただけだもの。
「お嬢様、私が報告いたしましょうか?」
「いいえ咲夜、私が話すわ」
 パチェの眉が少し動いた。私が直接話すとは思っていなかったらしい。

「――アリスは藁人形、ストロードールに組み込む魔法の研究のためにあなたと魔理沙を呼んだのよ。
他意はなさそうだった。まあ、『魔法使い同士親睦を深めよう』くらいは考えていたかも知れないけど」
 パチェは、少し安心したみたいで紅茶を一口飲んだ。
「レミィ、お疲れ様。よくやってくれたわ。
ところで連中、夜中二人でちちくりあったりとかいかがわしい行為には及んでいなかったかしら?」
 正直、そんなことを真顔で聞いてくる時点でダメだと思う。寝不足がよほどこたえているのか。
 私は、軽く息を吸って、用意していた返答を口にした。

「そういった行為は一切無かったわ。――日の高い内は、ね」

 パチェが、さっきと違ってはっきりと眉根を寄せた。
「はっきりしない物言いね。あったの? なかったの?」
「昼間の内は無かったって言ってるじゃない。私たち途中で帰ったから、夜はどうだか知らないけど」

 ピキッ、と甲高い音が一瞬した。
 何の音かと思えば、パチェが握っていたティーカップの取っ手にヒビが入った音だった。
 パチェにそんな指力(ゆびぢから)が隠されていたなんて、想像したことすらなかったわ。
「……帰るって、アリス邸を出てから一体どうしたっていうの?」
「霊夢のとこに二人で泊めて貰ったわ。手土産用意しに人里にも行ってきたけどね」
 パチェはうつむいて、体を細かく震わせている。
 笑いを堪えているようには見えない。どちらかといえば、怒りの方だろうか。
 と、パチェが椅子を押しのけて荒々しく立ち上がった。
 ガタッ! という耳障りな音が図書館内に響き渡る。
 パチェは、クマに縁取られた目で私を睨み、口を開いた。

「――レミィ、ありがとう。本当にお疲れ様」

 それだけ言って、パチェは自室の方へと引っ込んでいった。
 小悪魔が困った顔でこっちを見てきたので、私は行きなさいと手を振った。
 私と咲夜だけが、図書館に残った。
「咲夜、とりあえずお茶」
「かしこまりました、お嬢様」
 手早く用意された新しい紅茶を、ゆっくり一杯飲み、二杯目を淹れてもらおうとすると、


 ド ド ド ………… ドォン!!


 低く鈍い、地響きとも爆発とも判断しがたい音が地下の方から聞こえてきた。

「……咲夜ぁ」
「何でしょうか、お嬢様」
「今の、“きゅっとしてドカーン”の音じゃないかしら?」
「私もそのように存じます」
「咲夜、おかわり」
 改めて紅茶の二杯目を淹れてもらい、香りを堪能しながら少し飲む。
「咲夜ぁ」
「何でしょうか、お嬢様」
「パチェはどうやって地下室に移動したのかしら?」
「推測ですが、地下への秘密通路を建造していた可能性があります。
以前パチュリー様の自室周辺で、土木工事のような音を聞いたことがありますので」
「なるほど、そうだったのか」
 遠雷のように小さいが、爆発音とメイド達の悲鳴が聞こえる。
「咲夜ぁ」
「何でしょうか、お嬢様」
「パチェの頼みって、遊びと本気、どっちだったんだろう?」
「七分三分と推測いたします」
「どっちがどっち?」
「現状を鑑みるに、本気が七分に遊びが三分かと」
「そっか」
 私は残った紅茶を一息に飲み干して、立ち上がった。
「咲夜」
「はい」
「向こうの陣営は、パチェ、フラン、小悪魔。こっちは私と咲夜だけ。
ねえ、美鈴はどっちにつくと思う?」
 咲夜はちょっとだけ間を置いて答えた。
「どちらと言えばこちらにつくでしょう。
ですが、以後の館内外への被害を考慮するにメイド達を取り纏めさせるのが最善と存じます」
「なら、そういう風に手配して」
「かしこまりました」
 私と咲夜は、図書館の出口へゆっくり向かう。
「咲夜」
「なんでしょうか」
 私は、軽く息を吸い込み、吐いて、言う。

「――四分の一で済むように頑張りましょう」

 咲夜は、瀟洒に笑って答えてくれた。

「かしこまりました、お嬢様」





   ◆  ◆  ◆





 赤無地の暖簾をくぐって店内に入ると、この前と同じように店主が声を掛けてきた。
「いらっしゃいませ、スカーレット様に咲夜様」
 ……名乗った覚えは無いのだけど、咲夜か慧音から聞いていたのかしら。
 まあ些細な問題なので、私は店主を見上げて言った。
「餡蜜二つ、……ううん、やっぱり四つ」
「はい、かしこまりました」
 店主が奥へ引っ込む。
 さてどこに座ろうかと店内を見回すと、先日と違い二人連れの客が一組いた。
 その片割れが声を掛けてくる。
「珍しいところで会ったわね。ってか、吸血鬼が白昼堂々街中を歩いてて良いの?」
「仕事をサボってこんなところにいる巫女の方がよっぽど問題じゃないかしら」
「だって誰もお賽銭納めに来てくれないんだもの。今も現物で受け取っているだけよ」
 反対側に座っている慧音を見ると、苦笑だけを返してきた。
「座っていいかしら」
「ご自由に。……そういや、羽はどうしたの?」
「ちょっと隠しているだけ」
 霊夢が「ふうん」と言って体を奥へとずらしたので、私は空いた場所に座った。
 咲夜は「ご苦労様」と慧音に挨拶して、慧音はやっぱり苦笑だけ返していた。

 さほど待たずに餡蜜とお茶が運ばれてきた。

「小耳に挟んだんだが」 慧音が言う。「先日、紅魔館が半壊したらしいな」
 聞いた霊夢がこっちを向いて、
「あ、半壊で済んだの? 良かったじゃない」
「良いわけ無いでしょ。約四割よ約四割。
四分の一に抑えられなかったのが悔しくてしょうがないわ」
 私はため息を一つついて、餡と白玉を一緒に口に入れた。
「ふむ、霊夢は事情を知っているのか? 無理に話せとは言わんが、興味はある」
「ただの姉妹喧嘩よ」と私。
「ただの家庭内戦争だそうよ」と霊夢。
「ただの親睦を深めるレクリエーションですわ」と咲夜。
 三者三様の答えに、慧音は「ふむ」とまた言った。
「それほど悪いことがあったわけでは無いようだな。
私はてっきり、主と従者が揃って館を追われたのかと思った」
「……あまり気分の良い冗談じゃないわね」
「おや、もしや正解だったのか?」
 私は椀に向けていた視線を上げて、慧音の顔を睨んでやる。
「修復作業の方が大変で大変で、咲夜と抜け出してちょっと休憩に来ただけよ」
「大変なのは咲夜の方だけでしょ」 霊夢が茶々を入れてくる。
「いいえ、パチェも美鈴も大変よく働いているわ」
「じゃあそいつらも連れてくりゃ良いのに」
 言われた私は、「だって」と言いながら咲夜を見て、

「せっかくの咲夜とのデートを邪魔されたくなかったんだもの」

「へいへい、よござんしたわねぇ」と霊夢。
「うんうん、仲良きことは美しきかな」と慧音。
 咲夜は律儀に顔を赤らめて、
「デートだなんて、そんな……」と言った。
 それっきり、場が静まってしまう。
 ……自分で撒いた種ながら、気まずいわ……。

「――さて霊夢、そろそろ出ようか」 慧音が言うと、
「えー。私レミリアの二杯目分けてもらおうと思ってたのに」
「あげないわよ」 素早く釘を刺した。
 慧音が立ち上がって咲夜の後ろを通り、土間に下りる。
 霊夢も仕方なしに着いていった。
「親父、勘定を」 慧音が奥に声を掛ける間に、霊夢は外へと向かっていた。
「んじゃね、レミリア、咲夜。お幸せに」
 ……それは何か違うんじゃないかなあ、と思っているうちに霊夢は行ってしまった。
「あっ。まったく、せっかちな奴め」と代金を払った慧音が呟く。
 彼女はこっちを見て、
「ところでお二人さん。災難があって大変らしい君たちに、一つ先人の言葉を授けよう」
 いきなり何を言い出すのかと、私と咲夜は慧音を見つめる。
 彼女は笑って言った。

「『神の子の恵みが、すべての者とともにあるように』」

「どんな皮肉よ」 私は言った。
「皮肉? せめて冗談と言ってくれ」 慧音はまだ笑っている。
 そんなの、お話にもなりゃあしないわね。
 私も、負けじと笑って言ってやった。

「私には、悪魔の狗の恵みさえあればそれで満足よ」

 咲夜はどうかしら? と私は視線で問いかけてみる。
 彼女も笑って、

「私も、主人である悪魔の恵みだけでも身に余ってしまいますわ」

「参った参った。これはどうやら、余計なことを言ってしまったようだ」
 慧音が頭を軽く掻いた。
「判りきったことを反省するんじゃないわよ」
「いや失敬。それでは邪魔者は去るとしよう。二人とも、お幸せにな」
 わざわざ霊夢と同じ台詞を残して、慧音は店を出て行った。
「そんなこと、言われなくても――」 私は呟く。


「咲夜と一緒にいるだけで、私は充分幸せだわ」


 ……気恥ずかしくて、私は椀の中に視線を落とす。
 主人が従者に聞かせる言葉にしては、ちょっと甘すぎたかもしれない。
 けれど、私の正直な気持ちだ。それを咲夜に伝えたいと思ったのだ。
 口に入れた蜜豆の甘さが判らないくらいに、私は緊張していた。
 咲夜がなんて返事をするのか、不安なくらいに気になってしまう。

「ありがとうございます、お嬢様」

 ――来た。
 顔は椀に向けたまま、上目遣いに咲夜の表情を伺う。


「――私も、同じ幸せを享受いたしてございますわ」


 咲夜は、もったいないほどの瀟洒で素敵な笑顔で私を見つめてくれていた。


「パチュリー様、一体どこまで本気だったんですか? それとも冗談だったんですか?」
「決まっているわ小悪魔。――最初から最後まで全部よ」
「……あの、本気と冗談、どっちですか……?」

   ◆  ◆  ◆

お久しぶりのらくがん屋です。前作で心中の憂さが晴れたようで、半年以上書き出しで放置していたこの作品を完成させることが出来ました。『比類なき咲夜』から始めた一連のレミリア作品も、これでやっと一段落です。
自分は根っからエンタメ主義の人間で、起承転結、ヤマとオチが無いと死んでしまう人種でした。が、下の作品に寄せられたしずさんのコメントを読んで二つ考えました。初心に帰って、終始同じトーンの作品を書いてみよう。特別すぎる事件はいらないから、日常の延長に過ぎない平凡な事件を書いてみよう。結果、半年以上脳内でくすぶっていたものを形にすることが出来ました。
少々甘すぎるかもしれないレミリアばかり書いてきましたが、彼女の幸せってどんなだろうと考えるうちに、こういうのも運命の一つとしてアリかなあと思い至りました。咲夜と二人、幸せに暮らしてもらいたいものです。他にも色々いるけど、仲良くやっていってほしいなあ。

読んでくださった全ての方に感謝します。読了ありがとうございました。

※『漫遊』は他にも当てはまる単語がありましたが、字面を重視してwanderingを選びました。
※更に誤字修正。ご指摘くださった方々、ありがとうございます。
らくがん屋
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コメント



0.4610簡易評価
3.90れふぃ軍曹削除
咲夜の名軍師っぷりと、レミリアの高貴っぷりに惚れました。
理想の主従関係だと思います。
読んでいてとっても心温まる話をありがとうございます。
9.90名前が無い程度の能力削除
個人的に、紅魔館でここまでしっくり来たのは初めてかも知れません。
良いお話でした。
12.70翔菜削除
>その、咲夜はほとんど徹夜でパチュリー様のスペル練習に
咲夜→昨夜、かと。

良き主従でした。
13.80名前が無い程度の能力削除
あなたの書く紅魔館のお話とても好きです。
咲夜さんとレミリアのやり取りがイメージぴったしです。

>>その、咲夜はほとんど徹夜でパチュリー様~

昨夜じゃないですか?
19.80名前が無い程度の能力削除
素晴らしい、この一言につきる
20.90名前が無い程度の能力削除
いいなぁ、こういうのは。
29.100名前が無い程度の能力削除
すらすらっと読めました
一言で済ますのもどうかと思いますが
すげー面白かったです
32.70名前が無い程度の能力削除
>古新を床に
古新聞を床に、かと。

殆どの登場人物がゆったりと行動するところが好きです。しかしその分、次のように言わずにはいられません。すなわち、
──大図書館自重しろ。
37.80名前が無い程度の能力削除
あれ?レミリアがヘt(全世界ナイトメア
いやはや、レミリアが今までより首一つ抜けて成長したのが爽やかに読めましたw
後味すっきり。
ご馳走様でした。
40.100sizima削除
へタレでないレミリアお嬢様も良いねぇ
41.90名前が無い程度の能力削除
うんうん、これはいい主従だ。
冒頭、ちょっとだけリズムが良くないなーと思ってたけど、中盤以降はぐんぐん引き込まれました。
45.90名前が無い程度の能力削除
いいねぇ、まったくもってグレイトだ
47.80真十郎削除
>私はベッドをばふっと叩いて、咲夜をそこに座らせる。 そして咲夜の瀟洒な膝及び腿と、それを覆うスカートの上に私は腰を下ろした。

流石レミリア!
俺たちが思いもしなかった事を平然とやってのける!
其処にシビレル憧れる!
56.100名前が無い程度の能力削除
えぇい甘すぎだ!渋茶を持てぃ!
67.90削除
館では大騒動が起きているのに、こっちはそれを日常風景としてすんなり受け入れられてしまうのがすごいところです。非常にこう、自然にすとんと落ちて来る感じですか?(意味不明
79.100名前が無い程度の能力削除
後味すっきり。甘~いレミリアも素敵でした。
81.100時空や空間を翔る程度の能力削除
いゃ~、
素直に読めました。
堪能しました。
82.90名前が無い程度の能力削除
ごちそうさまでした!
最後の甘さがくどくならない作品を堪能させていただきました。
96.90名前が無い程度の能力削除
良い主従だな~
甘いお話は緑茶にあうぜ。