諸注意
・このSSは拙作「博麗戦隊ハクレイジャーvol.1&2」の続きです。
・ちょっぴり長めなので、じっくり腰を据えてお読みください。
・なお、従来の壊れに加えて、若干のオリ成分が含まれています。苦手な方はご注意ください。
いままでのあらすじ
「慧音様!風呂釜をもずく酢でいっぱいにすると、その風呂釜は家もろとも消滅するのですじゃ!
って、その辞書は一体」
ゴメス☆
「げろしゃぶ!?」
~ よくわかった所で本編をお楽しみ下さい ~
_/ _/ _/ CM _/ _/ _/
スキマ妖怪の式である九尾の妖狐、八雲 藍は、目の前に座る自らの式、橙の背中を流していた。
バスタオルを身体に纏って、へちまで橙の背中をこすってあげているその様は、まごうことなき親バカのそれである。
「さ、流すぞ」
藍はへちまを手桶に持ち替えて、優しく声をかける。
「はーい」
橙は泡だらけの背中を向けたまま、顔を振り向かせて応えた。
ざばー。
「ふゃぁ……っ」
泡が身体を伝う感触に、橙は軽く身を震わせる。
藍はそのまま二度、三度とお湯をかけて、残った泡をきれいに洗い流した。
「さあ、橙。次は頭を洗おう」
「シャンプー……ですか?」
藍の言葉に、橙は耳をしょげさせ、上目遣いで拒みだした。
そんな橙を見て、藍はうぅ、と小さく唸って、それきり言葉を詰まらせる。
「ちゃ、ちゃんと洗わないと駄目だぞ。ほら」
「ごめんなさい藍さま。でも、シャンプーは目にしみるから嫌ですー……」
「あぁもう、困ったな、どうしようか……」
厳しくしようと思っても、溺愛している橙にはどうにも弱い藍。
居辛そうに橙から視線を外し、自分の頭を掻いて途方に暮れはじめた。
「お困りのようね、藍」
そんな藍に声をかけつつ、突如開いたスキマからにょろりと顔を出したのは、藍の主である破天荒スキマ妖怪、八雲 紫。
紫はいつもの和洋折衷なヒラヒラの服ではなく、何故か白いセパレートの水着をその身に纏っている。
彼女なりにTPOを弁えてるつもりなのだろうが、傍目には単にきっついだけだった。
「橙が、シャンプーが目にしみるのが嫌と言って、頭を洗わせてくれないんです」
「そんなときはこれ、スキマシャンプーよ!」
藍に応えて紫が取り出したのは、ソフトビニール製の小さなゆかり人形。
顔の部分を掴んで捻ると、きゅぽん、と音を立てて首キャップが外れる。
構造は面白いとは思うのだけど、どうにもセンスが悪い気がするのは気のせいか。
「目にしみるシャンプーと目にしみないシャンプーの境界をいじってあるから、目に入っても痛くないのよ!
さあ藍、試しに目の中に入れてあげるから、私に身を任せなさいな」
「せっかくですが、謹んでお断りいたします」
首なしゆかり人形――もとい、スキマシャンプーを藍に突きつける紫。
それに対して、藍は笑顔ではっきりきっぱり断った。
「何よぅ、私が信用できないって言うの?」
「ええ。なんだか信用して身を任せた瞬間、押し倒されてタオルを剥ぎ取られるような気がしまして」
口を尖らせてぶうたれる紫に、藍は淡々と応えた。
紫はそれを聞いて、堂々と露骨に舌を打つ。
「ちぃぃ、読まれているとは……。
いいじゃないの、信用しなさいよ、そして押し倒されなさいよ!」
「開き直らないでください。と言うか押し倒す気マンマンですか!?」
「当たり前田のクラッカーよ! そんなんじゃ、永遠亭のウサ耳連中とのエロ担当争いに負けちゃうわよ!?」
「負けでいいですよそんなの。第一なんなんですか、押し倒すだのエロ担当だの。橙の教育に悪いでしょう!?」
藍は橙をかばいながら、紫を面と向かって怒鳴りつけた。
愛娘のように溺愛している橙を、むざむざと紫の毒牙にかけさせる訳にはいかないのだ。
だがしかし、紫は口を尖らせて、拗ねたような口調と態度でもって藍に追いすがる。
「いいじゃない。エロスなんて、いずれは誰もが通る道よ。それがほんのちょっと早くなるだけのことよ。
だから脱ぎなさいよ、むしろまろび出しなさいよ! この裸族! むっつりエロギツネ!」
「何トチ狂ってるんですか紫様! ちったぁ落ち着いてください!」
「落ち着いてるわよ。私はいたって冷静よ!
冷静に藍を押し倒して」
「ネタかぶってますから。それ前のCMで既に出てますから。
まったく……。いい歳こいて何を錯乱してるんですか。いっぺん自分の年齢を考えてくださいよ」
藍はそう言って、おでこに手をやり溜め息をつく。
対する紫は、引きつった笑みを浮かべていた。
「と、歳……。
藍? あなた面白いこと言うのねぇ?」
「事実を述べたまでですよ」
「……ほほほほほ」
「……ふふふふふ」
向かい合って笑う紫と藍。
しかし、よく見ると目は笑っていなかった。
二人はしばらく、嫌なプレッシャーを撒き散らしつつ笑いあっていたが、
その不毛さに気付いたのか、どちらともなく視線を外して一呼吸。
「いいから押し倒されなさいよこの駄目式!」
そして、いきなりキレはじめる紫。
ものすごい剣幕で藍の両肩に掴みかかり、がっくんがっくんと前後に激しく揺さぶりだした。
「ふざけるのも大概にしてくださいよこのぐーたら妖怪!」
揺さぶられながら、普段なら絶対に言いそうにない暴言をサラリと口に乗せる藍。
案の定、藍もやっぱりキレていた。
「ほほほほほ……、藍、貴女、言ってはいけない事を言ってしまったようね。それも二度も」
「ふふふふふ……、私はただ、本当のことを言ったまでですよ」
紫と藍は、殺気を湛えた笑みを浮かべながら、互いにガンをつき合わせる。
二人はしばらくそうしていたが、突如として紫が後ろに跳び退った。
「本当にしょうがない子ね、藍は!
もうこうなったら実力行使よ!
目にしみないシャンプーの威力というものを、嫌ほど思い知らせてあげるっ!」
威嚇でもしたいのか、両手を広げて掲げ、何故か鶴のポーズをとって叫ぶ紫。
「いいでしょう、返り討ちにして差し上げます!」
藍もまた、売り言葉に買い言葉で、拳を握り締めながら応えるのであった。
「できもしないことは言うものではなくてよ、藍!」
「できるから言っているのですよ、紫様!
脱げば脱ぐほど強くなる!スッパの時に負けはなし!
流派・全裸不敗の奥義、しかとその目に焼き付けさせてあげましょうっ!」
「だから貴女はアホの子なのよ、藍っ!
貴女にそれを授けたのは誰だったか、忘れたというのかしら!?」
「ならば、心ゆくまで語りましょう、……この拳でっ!」
「是非もないわ!」
二人は全く同じ構えをとり、睨みあう。
そして、全く同時に口を開いた。
「「テンコーファイト・レディー……ゴオォォォッ!!」」
二人の声が唱和し、風呂場に響き渡る。
二人は今この瞬間から、主と式の関係ではなくなった。
向かい合って火花を散らすは、誇り高き二人のテンコーファイター。
激闘の幕が、ここに切って落とされた。
紫は水着、藍はバスタオル。
対峙する二人の薄着度は同等。
それはすなわち、テンコーファイトにおける力『テンコー力』も同等であるということ。
テンコー力に頼っての戦いは不可能。
勝敗を分かつものは、鍛え上げられた、己自身の力と技のみ。
二人は身構えて、掌にテンコー力を集中させる。
掌に集約された力は、暴力的なエネルギーの奔流となって、その手の中に収められた。
「爆熱ぅ! スッパフィンガアァァァアっ!!」
「スキマフィンガアァァァっ!!」
両者は迷いなく踏み込み、拳をぶつけあう。
停滞し、行き場をなくしたエネルギーの余波が、風呂場の床に張られたタイルをひび割らせ、めくり上げ、吹き飛ばしていく。
一撃の威力に於いては、互角。
互いの力量を見切った紫と藍は、まったく同時に跳び退った。
「どうやら、甘く見ていたようね……」
「いつまでも、あなたの背中ばかりを見ているわけにはいかない!
……てぇりゃぁっ!」
藍はぐっと強く踏み込んで、風の疾さで紫の懐に飛び込み、正中へと突きを放つ。
紫は咄嗟にその突きを受け止めるが、藍はそこからさらに踏み込んだ。
「肘打ち裏拳正拳っ!」
一撃は重く鋭く、その威力はまさに必殺。
されど身のこなしは、一点の濁りもない清流の如く。
優美にして熾烈な砲火を、しかし紫は悉く紙一重で受け流し、あるいは受け止めた。
藍が再度の追撃をかける間もなく、紫は藍を蹴りつけ、その反動をもって間合いを開ける。
「くっ、私を押すとは……腕を上げたわね、藍!」
紫は、ステップを踏み、体勢を立て直しながら毒づく。
しかし、その顔には、いまだに余裕の笑みが色濃く浮かんでいた。
「けれど、そんなもので私を止められるとは思わないことね。
そう、貴女が何をしようとも……私の決意は揺るがない!」
「な、なんだって……?」
紫の言葉に、藍は戸惑いを隠せずにいた。
狼狽する藍を余所に、紫は藍から視線を外し、俯いて、話を続ける。
「誓ったのよ。なにがあろうと、私につけられた、ぐーたら妖怪という汚名を返上してみせると」
「どういうことですか、紫様!」
「分からないかしら……? 目にしみるシャンプーという苦難がなくなるということが、何をもたらすのか。
誰だって苦難や苦痛は避けたいもの。そして、苦難を避けることを覚えると、もうその苦難を甘受することはできなくなる。
楽することを覚えてしまえば、誰だって堕落していくものよ」
紫はそこまで言って一息つくと、再び藍に視線を戻す。
その瞳に浮かぶものは、明らかな狂気の光だった。
「そして、楽することを覚えた人妖たちは、掃除をしなくなったり、食事を店屋物で済ませたりするようになる。
そこから堕落は見る間に進んでいき、最終的には私以上のぐーたらになって、私がぐーたら妖怪と呼ばれることはなくなる。
うふふふふ……、そうよ、それがいいわ、それが一番だわ!
その為ならば、目にしみるシャンプーなど滅びてしまえばいいのよ!」
「な、なんて滅茶苦茶な屁理屈だ……。
狂ってる、あなたは狂っています、紫様!」
「なんとでも言うがいいわ。
手を汚すことなくして勝つ。これこそ究極の勝利じゃない!」
「何故、それがぐーたら妖怪と呼ばれる所以だと、判らないのですか!?
我が身を痛めない勝利など、何ももたらしはしません! 何故それに気付こうとしないのですっ!」
「主に説教を垂れるなんて、随分立派になったものね、藍!
だから、貴女はアホの子なのよーッ!」
もはや、届かないのか。
どんなに叫べども、狂気の淵に居る紫を、正すことは出来ないのか。
今にも泣き出しそうな表情で、藍は俯いた。
「……紫様、私はあなたを敬愛していました」
俯いたまま、藍は訥々と話し始める。
「あなたは、力に溺れ、驕り高ぶっていた私の目を覚まさせてくれました。
いかに力をつけようとも、心の伴わぬ力は強さにあらずと。
心の強さあってこそ、本当に強くなれるものなのだと……。
それを私に教えてくれたのは、あなたです。あなたではありませんか……」
藍は呟きながら、拳をぎゅっと握り締めた。
爪の先が白くなるほどに固く。憤りのためか、わなわなと震えてさえいる。
「だというのに……!」
藍は顔を上げ、紫をきっ、と鋭く睨む。
主の過ちを正すことが自らの使命であると言わんばかりに、烈迫の気勢でもって、紫に向かい口を開いた。
「紫様! あなたは間違っている!
何故ならば、あなたが返上しようとする、ぐーたら妖怪という汚名は、今までの紫様自身の言動に由来するもの!
堕ちるところまで堕ちきった、もうこの下なんてありませんが何か?的存在! いわばヒエラルキーの最底辺!
それを忘れて、なにが汚名返上、なにがカリスマ回復だというのですかっ!
そう! 汚名のいわれとなった悪癖を直さずしての汚名返上などっ……愚の骨頂!」
「ならば貴女が正しいか、私が正しいか、勝利の二文字を以て教えてあげようじゃないっ!」
「わかりました……、決着をつけましょう。
――ハアァァァァッ!!」
藍の身体から、眩く輝く黄金のオーラが立ち上り、その身にまとったバスタオルが吹き飛ばされた。
ぴんと真っ直ぐに立てられた九つの尾は、金色の後光のごとく放射状に展開され、ある種の荘厳さを湛えている。
一糸まとわぬ姿であるにもかかわらず、その姿には、いやらしさなど微塵も感じられない。
ただ、凛々しく、雄々しく、美しい。
神々しくさえあるその姿は、キングオブスッパの名に恥じることのない、実に威風堂々とした出で立ちだった。
「あなたの犯そうとしている過ちは、あなたの式である私が粛清するっ!!」
「来なさい、ヒヨッ子がっ!!」
紫の言葉を合図として、藍は再び間合いを詰め、右の拳を唸らせた。
空を切り裂き放たれた拳は、吸い込まれるように紫の頬を捕らえる――が、それは紫の拳とて同じこと。
互いの拳は、同時に、鏡写しのように、互いの頬にめり込んでいた。
両者相打つクロスカウンターを食らいながらも、二人は倒れこむことなく、二の拳、三の蹴りを放っていく。
二人の拳が、脚が、火花さえ散らして交錯する。
絶え間なく撃ち出されるそれは、さながらに必殺の砲撃。
撃ち出し、受け止め、放ち、受け流す。
荒れ狂う嵐のような拳と蹴りの応酬の最中、藍は、紫の拳を通して、紫の心を感じ取っていた。
こ、これは……。紫様の拳が……、拳が泣いている……!?
藍の一撃を受け止め、藍に一撃を加えようとする紫の拳。
それは、狂気に囚われた者の拳ではなかった。
紫の拳から感じられるものは、ただ、深い悲しみ。
武道家の拳とは、正直で、不器用なものだ。
拳を交わすことによって、ひた隠しにしていた脆さや弱さまでも、さらけ出してしまうから。
そうだ、己の拳は、己の魂を表現するものだと、そう教えてくれたのは、このひとだ……。
藍の胸中に、かつての紫の姿が去来する。
流派全裸不敗の師匠として、己に武人のあるべき姿を示してくれたひと。
そして、主として、己に式としての生き方を与えてくれたひと。
だが、今この時において、その拳は深い悲しみに包まれている。
紫の悲しみを解き放つことが、果たしてできるのだろうか――。
もはや、両者の一撃は、目視すらできないほどに加速していた。
どんなに卓越した動体視力を持ってしても捉えられないほどの超高速の攻撃は、やがて音速の境地へと足を踏み入れる。
ただがむしゃらに撃ち合い、ただひたすらに捌きあう。
一瞬とも永遠ともつかない応酬の終焉は、互いの左腕を正面からぶつけ合うことで迎えられた。
「……くぅっ!?」
「――っつぁっ!」
同時に苦悶の声を漏らし、激痛に顔を歪める紫と藍。
相対するものを撃ち貫くために、ただ速く撃ち出されあった拳は、互いに砕きあい、その役目を終えた。
骨は粉々に砕かれ、裂けた皮膚から血が滴り落ちる。
創痍の左腕を抱えた両者は、それでも果てぬ闘志を瞳に宿し、身構えなおす。
「……いいわ、これで終わりにしましょう、藍」
紫は拳を砕かれた痛みに顔を歪めながらも、いつもの調子を崩すことなく、戦いの終了を宣告する。
紫自らが終局を告げることなど、ほとんど有り得ないと言ってもいいほどなのに。
表向き余裕の態度を装っているものの、それだけ追い詰められているということが見て取れた。
「言われるまでも……ありませんっ!!」
もはや、退路はない。
紫の言葉に応じながら、藍は心中で覚悟を決めた。
紫を倒すか、自分が倒されるか。
そのどちらかでしか、この戦いは終わり得ないのだから。
「流派!」
右足を前に突き出し、タイルを強く踏みしめて、声高に叫ぶ紫。
同時に、右手を手前にぐっと引き寄せた。
そこに刻まれた、キングオブスッパの紋章が、淡い光を放ち始める。
「全裸不敗が……!」
紫の鏡写しとなって、紫の声に続く藍。
精神を統一し、全身に満ちるテンコー力を右手に収束させていく、その過程で。
キングオブスッパの紋章が、燃えるように紅く輝きだした。
「最終!」「奥義!」
紡ぐ言を同じくして、しかし成す体を異にする二人。
若き獣がその右手に宿すものは、無双なる剛き力。
一途な想いのように、ただ不器用で真っ直ぐな力。
その身体から吹き上がるテンコー力は、天を突く金色の光の柱となって、藍の身体を覆いつくす。
老練な妖がその右手に宿すものは、無双なる柔な技。
風にそよぐ柳のようにしなやかに、冴えやかに磨き上げられた技量。
その身体から溢れ迸るテンコー力は、白銀の光の玉となって、紫の身体を覆っている。
「スゥゥッ!」「パァッ!」
「「テェェェンコォォォォけえぇぇぇぇぇんっ!!」」
二人の全力を込めた、究極の一撃。
撃ち出された闘気の塊は、大質量大熱量の波動弾となって、敵を飲み込もうと暴れ狂う。
その勢いは一進一退、均衡しているかに見えたが――、紫の撃ち出した波動弾が、わずかながら質量、威力ともに勝っていた。
「くぅ……っ」
藍の顔が、戦慄と焦燥とによって歪められる。
式として仕え続け、弟子として仰ぎ続けた大妖。
乗り越えることかなわぬ絶壁のような、圧倒的な紫の力を前に、気圧されてしまう。
藍は、限界を迎えつつあった。
ほとんどすべての気力をテンコー拳の一撃に注ぎ込んだため、立っているのもやっとという状態。
さらに、砕けた左腕から来る激痛が、わずかに残った気力を容赦なく奪っていく。
歯を食いしばり、倒れまいと気を繋ぐことで精一杯だった。
だが、それさえも、もはやかなわぬこと。
やはり勝てない。私では敵わない。
藍は諦めとともに膝を落とし、ゆっくりと崩れ落ち――、
「そこまでなの? 貴女の力など、そこまでのものに過ぎないというの!?
貴女はそれでもキングオブスッパか!」
紫の言葉に、藍は弾かれたように顔を上げる。
藍の視線の先には、厳しくも優しい、師としての紫が立っていた。
全力で、弟子にとっての高い高い壁であろうとする、師の矜持を瞳に宿して。
「もっと、足を踏んばって、腰を入れなさい!
そんなことでは、悪党の私一人倒せないわよ、このバカ式ッ!」
「ゆ、紫様……?」
膝を折る藍に向けて、容赦のない言葉を吐き捨てる紫。
だがそれは、嘲りや侮蔑の言葉などではなく、不甲斐ない藍を奮い立たせようとする叱咤だった。
「何をしているの!?
自ら膝をつくなんて、勝負を捨てた者のすることよ!!
キングオブスッパの誇りがあるのならば立ちなさい、立ってみせなさい!!」
風呂場に反響する、紫の言葉。
その一語一句が、挫け折れ、負け犬になりかけていた藍を突き動かす。
「言ったはずです、紫様……! 私は、あなたを止めてみせるとっ!」
紫の言葉を受けて、死に体だった藍が甦る。
消えかかっていた闘志の炎が、再び赤く燃え上がる。
もう限界だと、そう決め付けていたのは誰か。
それは、他の誰でもない。自分自身に他ならないのではないか。
よくやった、もう充分だと、自分を誤魔化し慰め、諦める口実にしていただけではないか。
そうだ。
限界なんて言葉は、自分が諦める時に口にする、言い訳に過ぎない――。
血塗れの左腕。
骨は砕かれ、筋肉は裂け、動かすこともままならない。
しかし、藍はそれを振り上げた。
激痛に顔を歪ませ、脂汗を垂らしながらも、歯を食いしばって、ゆっくりと、確実に。
だらりと不恰好に下がろうとする腕に鞭打ち、胸のあたりまで振り上げた左手に、テンコー力を込めていった。
――私のこの手が真っ赤に燃える
勝利を掴めと轟き叫ぶ――
藍は瞳を閉じ、謡うように言を紡ぐ。
右手に刻まれたキングオブスッパの紋章から、本物の炎が吹き上がる。
それは、藍の尽きぬ闘志がそのまま現出したかのような、紅く激しい真っ赤な炎。
そして、見開かれた藍の瞳もまた、普段の艶やかな金色ではなく、燃えるような真紅に彩られていた。
魂さえも燃やして、全身全霊をかけての一撃を放つために。
「ばぁぁくねつぅっ! スッパフィンガアァァァ……テェェェン! コォォォォ! けえぇぇぇぇぇんっ!!」
この一撃が、藍のすべて。
放たれた力は、黄金に輝く狐にその形を変え、咆哮を上げて紫の波動弾に真正面からぶつかり合う。
爆炎はなく、かわりに眩い閃光が風呂場のすべてを照らし覆いつくす。
伴われるはずの轟音は、音として存在し得ることを許されず、吹きつけ薙ぎ倒す衝撃波となって風呂場を駆け抜けた。
閃光の中から飛び出したのは、黄金の狐。
そのまま真っ直ぐに紫のもとへ迫り行き――、
紫は。
微動だにすることなく、その一撃を受け入れた。
「ヒィィィィット! エン……」
「そうよ、藍。今こそ、あなたは真の……、キングオブスッパ……」
紫は黄金の狐に飲み込まれる直前、微笑んで、右手に刻まれた紋章をかざす。
その姿には、一片の後悔や怨嗟はなく。
ただ、弟子の成長を見届けきった、穏やかな想いだけを湛えていた。
「ゆ、紫さまあぁぁぁぁっ――――!!」
藍は、思わず叫び声をあげる。
しかし、その声は爆音にかき消され、紫に届くことはなかった――。
激戦を経て、半壊した八雲邸の風呂場。
崩れ落ちた壁や天井から見える、ほのかに白んだ空が、夜明けを告げている。
藍はそこで、横たわる紫の傍らにしゃがみ込み、その身体を膝に抱きかかえていた。
「藍、貴女の本気、確かに見届けたわよ。
私が貴女に教えることは、もう何もないわ……」
藍の腕の中で、紫は微笑み、静かに呟いた。
けれど、その微笑みは、どこか寂しげで。
「紫様、あなたは……」
「……ふふ。貴女に隠し事なんてできないわね。
そうよ、全幻想郷ぐーたら化計画なんて、本当はどうでもよかったの。
本当は……、シャンプーをするときに、目をぎゅっと瞑るのが嫌だった。それだけだったのよ……」
「わかっていた、わかっていたのに……っ!」
藍は呟いて、かぶりを振る。
零れ落ちた涙が、紫の頬を濡らしていった。
それから、ほどなくして。
東の山間から、ゆっくりと陽が昇り始める。
二人は、言葉を交わすこともなく、すべてを照らしだす紅い陽に見入っていた。
「美しいわね……、藍」
「はい、とても……、とても美しゅうございますっ!!」
「……なら――」
――流派・全裸不敗は
――王者の風よ
――全身、系烈
――素裸狂乱
――見よ、東方は
――紅く、燃えている……ッ!!
二人の声が唱和する。
口上を終えた紫は、にっこりと微笑んだ。
だが、その笑みは、今にも消えてしまいそうな、儚く弱々しいものだった。
紫は安らかな微笑みを浮かべたまま、瞳を閉じる。
藍の右手に重ねていた手から力が抜けていき、ゆっくりと、静かに落ちていった。
「紫様……? 紫様っ!」
主の名を叫びながら、その身体を揺さぶる藍。
しかし、紫は、藍の呼びかけに応えることはなかった。
「ゆ……紫さまあぁぁぁぁぁぁっ!!」
流派 全裸不敗王者風
全身系烈 素裸狂乱
見東方紅燃
吹っ飛んだ風呂場の壁から差し込む朝日をバックにして、紫の幻影とともに、虚空に文字が浮かぶ。
空に浮かぶ紫の幻影は、これ以上ないくらいのイイ笑顔でサムズアップしつつ、やがて消えていった。
そんな、ある意味涙無しには見ることのできない二人の応酬を、他人の振りをしてやり過ごす橙。
こほん、と咳払いを一つして、ソフトビニール製のゆかり人形をとん、と前に置く。
「八雲堂のスキマシャンプーしょうゆ味、新発売!
ソース味も同時発売ですよ!」
そして、何事もなかったかのように、ふつーに宣伝するのだった。
_/ _/ _/ 博麗神社 境内 PM 16:45 _/ _/ _/
「なんだこれ!?」
博麗神社の本殿に腰掛けながら、魔理、もといハクレイブラックは思わず声を張り上げた。
「いい話よねぇ……ぐすっ」
その一方で、霊、じゃなくてハクレイレッドは鼻を鳴らしつつ、目許ににじむ涙を拭う。
しな垂れて瞼をこするその姿には、『くやしい、でも涙がちょちょぎれる』と言わんばかりのわざとらしさがあった。
「何処が!? 感動するところなんか一つとしてなかったぞ!?」
「見るんじゃない、感じるのよ」
「あぁもう、わけわからん」
斜め上をカッ飛ぶエキセントリックな回答を返すレッドに、ブラックはがっくりと肩を落とした。
釈然としないものを胸に抱えたまま、眉をひそめて唇をへの字に曲げ、首筋のあたりをポリポリと掻く。
「……ってか、これ、ただのCMだろ? いくらなんでも長すぎないか?」
「今、『完全独走~俺が越えてやる!超増量☆大CMキャンペーン』実施中なんだって」
「なんだその無意味極まりないキャンペーンは」
普通、増やすなら商品の方じゃないのか。
CMを無駄に長くしたところで、何の意味があるというんだろう。
つーか、一体なんなんだこの無茶苦茶な脱線具合は。流派全裸不敗とかありえねぇ。紫は脱がないだろ普通に。
むしろ、たかだかCMごときに、真似とはいえ死んでみせる紫のサービス精神に脱帽だ。
「それに、いくらキャンペーンだからって増やしすぎだぜ。20Kbもいってるじゃないか……」
「にじゅっきろばいと?」
「あぁいや、なんでもないぜ」
きょとんとして首をかしげるレッドに向かって、ブラックはヒラヒラと手を振りながら口を濁す。
これ以上の質問は無意味と判断したのか、それともンなことはどーでもいいと片付けたのか。
レッドもふうん、と興味なさそうに鼻を鳴らしたきり、その話に触れることはなかった。
また時空が歪んで変なところに繋がったようだが、特に問題はない。
CMは、番組の頭と途中に1回ずつというのが、それは言わないお約束的なオトナの事情なのだ。
閑話休題。
二人は博麗神社の本殿の縁側に腰かけて、出涸らしのお茶なんだか白湯なんだかよくわからない液体を啜っていた。
「おかしいよね。なんで涙が零れるんだろ」
「だから、泣くくらいなら自分に嘘を吐くなっての」
湯飲みを傾けるごとにぽろぽろ涙をこぼすレッドに、ブラックは呆れ顔で嘆息した。
レッドはぐすっ、と鼻を啜り、一息に湯飲みの中身をあおりきる。
空の湯飲みを膝の隣にことりと置くと、袖で涙を拭って本殿から飛び降りた。
「なんて、泣いてるのも今日までの話よ!
やることはやったし、あとはここでこうして待ってれば、黙ってても参拝客が押し寄せてくるはずだもの!
さあどっからでもかかってきなさい参拝客!ハクレイジャーの威力を思い知らせてあげるわ!」
そうして、物騒なことを口にしながら、手にしたバールのようなものをぶんぶか振り回しはじめる。
「参拝客に襲い掛かりそうな勢いだなオイ。
ってーか、本当にこんな宣伝……?って言っていいかどうかもわからんが、
こんなので人が来るもんかね」
ノリノリのレッドとは対照的に、ブラックは冷めた調子で鼻を鳴らした。
さもありなん、宣伝らしい宣伝など微塵も行わず、やったことといったら通り魔に強盗に爆弾魔。
挙句にそれを記事にするのがあのパパラッチ娘ときたもんだ。
どうやったって、ネガティブキャンペーン以外の何者にもなりゃあしない。
「大丈夫よ。信じるものは救われるってよく言うじゃない」
「あぁ、そうだな。よく言われるな。
ところで、昼頃この世に神なんかいやしねぇ、って言ってたのは何処の誰だったっけか?」
「あたしだけど、それが何か?」
「……お前、そのうち祟られるぞ。
ったく、やれやれだぜ」
ブラックが溜め息をつくのと同じくして、境内に二人の声以外の音が紛れ込んできた。
それは、一定の間隔を取って、ざっざっ、と響いてくるいくつかの足音。
足音は段々と近く、大きくなってくる。
「こっ、これは石段を上がってくる音!? あぁ、この音聞くの何ヶ月ぶりかしら……」
レッドは足音を耳ざとく聞きつけて、恍惚とした表情を浮かべる。
恐らく、これを皮切りに参拝客が大殺到! という、あたまおてんきな未来予想図を思い描いているのだろう。
「おっ賽銭♪ おっ賽銭♪ お供え物とかザークザクーのウッハウハー♪」
妄想はどこまで加速していくのか、ついには変な歌を口ずさみつつ小躍りまでしはじめる始末だ。
「落ち着けって。石段を上がってくる奴がいても、それが参拝客とは限らないだろ」
「何言ってるのよ。あたしたちがあれだけ宣伝したんだから、参拝客に決まってるじゃない!」
「その根拠のない自信はどこから来るんだ」
ブラックはそう返しつつ、石段からの足音に耳を傾け、気配を探る。
人の気配はすれども、妖気や霊気のたぐいはほとんど感じない。
つまりは、石段を登ってきているのは、普通の人間だということ。
信じられないし、信じたくないが。
何の力も持たない普通の人間が、ここ、博麗神社に向かって来ている。
これはもう、覆しようのない事実だろう。――認めたくはないが。
ただ、一つ気がかりなことがある。
果たして、この突然の来訪者は、隣で小躍りするバカの期待通りの参拝客なんだろうか――。
まあ、十中八九違うだろうな。うん。
などと、思案に暮れるブラックを余所に、足音はどんどん近づいてくる。
そして、ひとつの人影が、石段から頭を覗かせはじめた。
「ほら見なさい! やっぱり、宣伝は効果てきめんだったの……よ……」
「……あー、そうだな。多分に悪い意味で効果てきめんだったらしい」
喜びに浮かれる顔は、愕然とした落胆の表情へと、その形を変えて。
怪訝そうにひそめられた眉は、引き攣った乾いた笑いへと変わっていった。
まず最初に見えたのは、純白のフルフェイスマスクだった。
次に、小麦色に焼けた、無駄に健康的な筋骨隆々の上半身。
ソレは腕を組んで、仁王立ちしたまま、上下に揺れつつ徐々にせり上がってくる。
腰に巻かれたチャンピオンベルトと、紅いビキニパンツが見える頃には、その奇怪な仕草の理由が明らかとなっていた。
変態は、一人ではなかったのだ。
赤ふんどし姿のむくつけき男衆が3人で騎馬戦の陣形を組み、その上に白マスクが仁王立ちしていたのである。
普通の人なら、こんな連中が練り歩いてるのを見た瞬間に当局へ通報するだろう。間違いなく。
ブラックはおでこに手を当てて、処置なし、とばかりに溜め息をついてから、バイザーを下ろす。
そうして、今まさに石段を登りきった変態集団に向かって歩を進めた。
「おいこら、そこの変態ども」
「変態とは聞き捨てならんな。我々は、里の青年団だ!」
「……はぁ!?」
変態集団のリーダーと思しき白マスクが返した言葉に耳を疑い、ついでに露骨に眉をひそめるブラック。
サトノセイネンダン、という新種の妖怪でも現れたのかと、一瞬本気で考えてしまったのはご愛嬌ということで。
「よし皆、この少女に一つ自己紹介をしてやろうではないか!」
困惑するブラックを見てとり、白マスクは配下のふんどし連中に号令をかけた。
ふんどし達は統率の取れた動きでブラックの前に横一列に整列し、決めポーズであろう姿勢をとる。
……のはいいのだが、ふんどし一丁のマッチョマンたちが横一列に並ぶ光景は、非常に目と精神に優しくなかった。
「遠からん者は音に聞け!近らば寄って目にも見よ!」
口上とともに右腕を水平に伸ばし、左腕をやや下に下ろして伸ばすふんどし1号。
「里の秩序と安全を守る、人と地域に優しいヒーロー!」
ふんどし1号とは対照的に、左腕を水平に伸ばし、右腕をやや下に下ろして伸ばすふんどし2号。
「天知る地知る、人ぞ知る。誰が呼んだか人呼んで!」
二人の手前に片膝を立ててしゃがみ込み、翼を広げる鷲のように両腕を広げ、斜め後ろへぴんと伸ばすふんどし3号。
ポーズをとる3人のマッチョマンたちにより、漢三角形、いわばマッスルトライアングルが形作られる。
そして、マッスルトライアングルの中央で腰に手をあて胸を張り、威風堂々と仁王立つ白マスク。
完成された真・漢三角形を決めながら、4人は一斉に口を開く。
「「「「我ら、さわやかナイスガイズ!」」」」
「嘘こけやあぁぁぁぁっ!!」
目の前でバカ炸裂ショーを繰り広げる変態マッスルどもに、ブラックは脊椎反射でツッコミを入れた。
こんな連中が「さわやか」だの「ナイスガイ」だの言っていても、カケラほどの信憑性もありゃしない。
むしろ、夜な夜な謎の一室で会合しては、アベック殲滅レッツハルマゲドン!とか叫んでいそうないでたちだ。
なにゆえに、何のために、こんな気の触れたような格好で活動しているのか。
止めろよ上白沢。
気疲れして肩を落とすブラックを余所に、4人はポーズを解いて、後ろで硬直しているレッドに向かい歩き出す。
ブラックは気を取り直して4人に追いすがり、素早く回り込んでレッドの前に躍り出た。
「待てよ。その青年団が何の用だ?」
「道を開けたまえ。我々はそこの強盗を懲らしめに来たのだ」
「強盗、だと?」
白マスクの言葉に、ブラックは眉をひそめる。
確かにレッドはミスティアを襲ってウナギを奪ったが、それで里の人間が動くというのも妙な話だ。
怪訝そうな呟きを受けてか、白マスクは頷きながら言葉を続ける。
「そうとも。ミスティアさんからウナギを奪ったのはそこの赤い奴だろう」
そして、それを皮切りに、変態一同が口々に畳み掛け始めた。
「午後の巡視の最中、ミスティアさんが泣いていたのさ!」
「すわ何事かと話を聞けば、
『変な赤い奴に襲われて、ウナギをみんな奪われちゃった。だから今日は暖簾出せないの、ごめんね』という悲痛な涙!」
「それから人づてに聞き込みを続け、辿り着いたのがこの神社というわけだっ!」
「あんな健気な娘を泣かせるなど、まったくもって言語道断!」
「そのウナギはミスティアさんのものだ、返してもらうぞ!」
「……む」
変態マッスルどもの言葉に、ブラックは小さな呻きを漏らす。
言われてみれば、今日はミスティアが人間のフリをして人間相手に暖簾を出す日だ。
ミスティアの変装がうまいのか、魔力を持った歌で惑わし、誤魔化しているのかは判らないが、
里の人間にとって、彼女は『夜店を営んでいるかわいい娘』程度の認識しかないのだろう。
ミスティアがこいつらを利用したのか、それともこいつらが単なる義憤で自発的に神社に押しかけたのか――。
これは、拙い。
ただでさえ『妖怪の溜まり場』だの『撲殺処刑場』だのといったデッドハザードな二つ名で呼ばれてしまっているのに、
ここでレッドが暴れてこの4人をタコ殴りにしようものなら、参拝客の訪来など二度とかなわぬ望みになる。
どうする、どうすればいい――――。
「OKわかった、あんたらみんなミスティアの味方で、あたしらの敵なわけだ。ただちに成敗してゲフゥ!?」
いつの間に立ち直ったのか、空気も読まずに物騒なことを口にするレッドのみぞおち目がけ、渾身の肘鉄を叩き込む。
レッドは無防備なところにイイのを貰い、そのままうずくまって悶絶した。
「ちょっと、いきなり何するのよ!」
「相手は普通の人間なんだぞ。私が話し合いで解決しようとしてるんだから邪魔するな!」
文句を言おうとするレッドだったが、ブラックの剣幕に気圧され、たじろいだ。
しかしすぐに立ち直ると、小さく首を振ってため息をつき、言葉を返す。
「ブラック、あんたは勘違いしてるわ。
あたしがやろうとしてるのだって話し合いよ」
「本当だろうな……」
半信半疑、どころか1信9疑くらいの態度で、でもちょっぴり期待しながら、レッドに問いかける。
「ええそうよ、肉体言語で語るステキな話し合い。使用ツールは主に拳とバットね」
「なんでそうバイオレンスな方向にもって行きたがるんだお前はぁぁぁ!」
顔を引き攣らせて絶叫を張り上げるブラックに、レッドはイイ笑顔を浮かべつつサムズアップしながら、
「そこに獲物がいるウボァ」
「お前はいっぺん脳を洗濯してもらえ!」
顔面に、会心の右ストレートをもらったのでした。まる。
「ついに正体を表したか!お前たちのような極悪人を見逃すわけにはいかん。
二度と悪事を働かないよう、我々が懲らしめてくれる!」
びしっと人差し指を突きつける白マスクを見て取り、レッドは鼻を押さえていた手を離してくっくっと含み笑いを漏らす。
そして、おもむろに懐から金属バットを取り出すと、その先端を白マスクに突きつけかえして口を開いた。
「懲らしめる、ですって? 無力なザコ助ごときが笑わせてくれる!
恐れを知らぬ愚か者どもめ……、あたし達の正義パワーでミンチにしてくれるわ!!」
どうみても魔王のセリフです。本当にありがとうございました。
レッドは金属バットを右手に携えて、マッスルたちと対峙する。
凶器を片手に身構える変なのVS変態筋肉集団。
どっちが正義でどっちが悪なのかさっぱりわからない、なんとも言いようのないシュールな構図の出来上がりだ。
ちなみにブラックはというと、レッドから三歩ほど引いた位置で、やる気のカケラもなくあさっての空を見上げていた。
「ほら、どうしたの? 早くかかってきなさいよ。
威勢がいいのは口だけなのかしら?」
気迫に中てられ、二の足を踏むナイスガイズの面々に話しかけるレッド。
その口調がなんとなく悪役じみてきているのは、はたして気のせいなのだろうか。
「くうぅ、なんというプレッシャーだ……」
「怯むな、田吾作!」
「美しい肉体には、相手を魅了する力がある……っ!忘れたか、さわやかナイスガイズ伝統の必殺技をっ!」
「そうだ、権兵衛の言うとおりだ!やるぞ、さわやかナイスガイズ奥義ッ!」
白マスクの号令一下、マッスル達は横一列に並び、レッドに対峙する。
「「「「みんなでダブルバイセップス・フロント!」」」」
一斉に叫びを上げ、ポージングを決めるマッスル達。
雄々しく隆起する上腕二頭筋から、熱い漢のオーラがほとばしる!
「かはっ!?」
こうかは ばつぐんだ!
許容限界値を大幅に上回る、むさ苦しいオーラの直撃を受けるレッド。
いろいろと重篤な精神的ダメージを受けたためか、思わず吐血して膝をつく。
――美しい肉体には、相手を魅了する力がある。
確かに、これは間違いではない。
ただ、むさ苦しいマッチョが魅了できる相手はというと……、
むせ返るほどに濃密な漢の筋肉が好きで好きで堪らない、という趣味をもつ人間だけだろう。
そして、そういった趣味がない少女にとっては、むさ苦しい漢の筋肉などただの凶器である。
「効いているぞっ!」
「よし、このまま畳み掛けろっ!」
しかし、マッスルどもは何を勘違いしたのか、なおもレッドに追撃をかけだした。
「「「「みんなでサイドトライセップス!」」」」
ビルドとシェイプの妙たる神秘の上腕三頭筋が光って唸る!
「ほぐうっ!?」
もちろん、こうかは ばつぐんだ!
「「「「みんなでアドミラブルアンド・サイ!」」」」
モーセの十戒のごとく綺麗に割れた腹筋と、滝のように荒々しい大腿筋が轟き叫ぶ!
「へぶっ!?」
やっぱり、こうかは ばつぐんだ!
「「「「みんなでモスト・マスキュラアァァァッ!!」」」」
居並ぶ4人が、己の剛き肉体と、否応にも滲み溢れ出る逞しさを見せつける。
それはまさに、力強さの権化の降臨。
「ごふっ!?」
しつこいようだが、こうかは ばつぐんだ!
「っはぁ、はぁ……。くぅっ、出オチのチョイ役の分際で小賢しい真似をっ!」
レッドは片膝をついて、荒い息を吐きつつ毒づいた。
口もとを伝う血を袖口で拭うと、杖代わりにしたバットにもたれかかる。
それにしても。
何故にレッドは、一々マッスルどもの姿を見てはダメージを受けているのだろう。
隣で顔を背けるブラックのように、目に毒な光景を直視しないようにすればノーダメージで済むのに、妙なところで律儀だ。
「よし、トドメだ!さわやかナイスガイズの奥義、目に物見せてくれる!
いくぞみんな!とおぉっ!!」
弱りきったレッドの姿を見とめ、最後のトドメを仕掛けにかかる。
筋肉マスクの号令一下、4人のマッスルはレッドに飛び掛り、その四方を取り囲んだ。
ふんっ、はっ、と声を上げつつポーズをとり、口を揃えて一斉に叫びを上げる。
「「「「漢車・コンチェルトマッスル!!」」」」
つま先立ちでちょこちょこ歩きながら、レッドのまわりをくるくる廻ってポージングするマッスルども。
隆起する上腕二頭筋。
震える大胸筋。
はちきれんばかりの腹筋。
堅く引き締められた背筋。
鋼のごとき大腿筋。
そして弾ける尻えくぼ。
目を逸らしても、顔を背けても、否応無しに視界に入る鋼の筋肉。360度オールレンジに肉体美。
むさ苦しい漢のオーラは、漢たちの漢たちによる漢円の中央において、むせ返るほど濃密なものに濃縮されている。
絶妙な距離で繰り広げられる、逃げ場の無い筋肉の宴は、言うなればまさに四面マッスル。
うっとりするほどマッスルパラダイス。びっくりするほどマッスルファンタジー。
「う”あ”あ”あ”あ”あ”っ!」
ぷちん。
しゃがみ込んで頭を抱えつつ悶絶するレッドから、ナニカが切れる音がした。
決して切れてはいけない何かが、今音をたててブチ切れなさったのだ。
そうして、ゆらり、と揺らめき立ち上がった次の瞬間、マッスルの一人が派手にぶっ飛ばされた。
「ふべらばっ!?」
「田吾作うぅぅっ!」
「大丈夫だっ!?傷は浅いぞっ!?」
「なんで疑問形っ!?」
口々に叫びながら、吹っ飛ばされたマッスルに駆け寄る他のマッスル。
レッドはバットを片手に、その光景を遠巻きに見ながら、口の端を邪悪極まりない角度に吊り上げる。
いわゆるところの、殺ス笑みだった。
そして。
「…あぁ、なんかもう、どうでもいいや。
あんたたちのふんどしとか、ちょっとあかぐろくなっちゃうけど、べつにだれもこまらないよね?」
右の袖からバールを引き抜きながら、どこか夢見るような口調でもって、冷酷無慈悲な大虐殺宣言をしたのであった。
右手に恐怖の赤バット、左手にバールのようなものをそれぞれ携え、ぎらり、とマッスルどもを凝視するレッド。
バイザー越しでさえ感じ取れてしまう、据わりきった眼と、光の失せた虚ろな瞳。
そう、恐怖の最終鬼畜撲殺レッド、ここに光臨さる。
なんとなく某お嬢様のスペルカードっぽいネーミングだけど、ヒーローたるものそんな些細な事は気にしないのだ。
レッドはひた、ひたと、亡者のような足取りでナイスガイズに向かっていく。
数歩ほど進んだところで、ブラックが割り込み、目の前に立ちはだかった。
「ちょっと待て、お前。落ち着けって。な!?」
「そこをどきなさいよ」
レッドは、抑揚のない淡々とした口調で、それだけを呟いた。
……間違いない。こいつは、殺る気だ。
「ま、待てよ! 相手は変態とはいえ普通の人間なんだぞ! そんなに熱くならなくてもいいだろ!」
「ブラック、あなたにいいことをおしえてあげるわ。
むかしのえらいひとも『変態には容赦するな。サーチアンドデストロイだ』っていってるのよ」
レッドは全身から溢れ出る殺気を隠そうともせず、ゆっくりとナイスガイズに向かって歩を進める。
じりっ、じりっ
レッドがにじり寄ってくる。
ずりっ、ずりっ
ブラックは無意識に後ずさる。
じり、ずり、じり、ずり、じり、ずり。
昼過ぎにやったのと同じ、しかし危険度は格段に違う、絵的に地味な攻防。
「な、なあ。話し合いの余地はないのか?」
「あるわけないじゃないの。
そこのきんにくは、このげんそうきょうにそんざいしてちゃいけないものだから、あたしがしょうめつさせてあげるのよ」
怖いくらい優しく――、いや、実際この上なくおっかねえレッドの声。
狂気にはそれなりの耐性を持っているはずのブラックでさえ、その凶気の前にはたじろぐばかりだった。
「だいじょうぶよ。なにもしんぱいすることはないわ。
ただかるく撲殺とか撲殺とか撲殺とか撲殺とかしてくるだけだからぁぁぁ」
「おーい、戻って来い!」
必死に制止しようとするブラックを振り切って、レッドはナイスガイズへ跳びかかった!
「ケーーーーッヒッヒッヒッヒッヒッヒ!!」
禍々しい笑い声を上げながら、両手の獲物を振りかぶる!
「待ちなさい!!」
どこからともなく響いてきた声とともに、着地したレッドの足元に数本の紅い針が打ち込まれる。
しかしレッドはそんなものなど意にも解さず、さらにナイスガイズへ向かって跳躍した。
「待ちなさいってば!!」
再び響く声とともに、飛んできたのは紅い錐。
錐はレッド眼前をかすめるように横切るが、相変わらずレッドはケヒケヒ笑いながらナイスガイズに迫り行くのみ。
「夢想ぉぉ撲殺ァァァつ!!」
なんか間違ってるスペルを発動させ、古今東西ありとあらゆる鈍器を周囲にまとい、さらに加速して突っ込んでいく。
「想い出を血に染めてやるーーーーーー!!」
そして、今まさに眼前の白マスクへ恐怖の一撃を――
「待てっつってんでしょうがあぁぁぁぁっ!」
どげめしゃっ。
「ごふっ!?」
最終奥義・実力行使。
ちょっぴりブチ切れつつ張り上げられた絶叫とともに、レッドの横腹に鋭い飛び蹴りが叩き込まれた。
これにはさしものレッドも堪らず、そのまま真横に吹っ飛ばされる。
レッドの横腹に蹴りをかました影は、その反動でもって、もと居たであろう場所へと跳び退がった。
「な、何者っ?」
レッドは鋭い蹴りを叩き込まれた横腹をさすりながら、声のする方を向く。
そこには、腕を組み颯爽と仁王立つ、幼きデーモンロードの姿。
レミリアは美鈴たちがマッスル達を逃がしたのを横目で確認すると、大きく息を吸い込んで口を開いた。
「Kチームよ!」
「け、Kチーム!?」
おうむ返しに聞き返すレッドを見て取り、レミリアは得意げな笑みを浮かべる。
「また変なのが出たよ……」
その一方で、ブラックがぽつりと漏らした呟きは、聞かなかったことにしたのであった。
「みんな、口上行くわよ!」
号令に従って、レミリアを中央に、右に美鈴、左に咲夜とパチュリーが控え、横一列に立ち並ぶ。
面子はともかく、その居立ち振る舞いはまごうことなき正義のヒーローのそれだった。
「わたしはリーダー、レミリア=スカーレット。通称紅いお嬢様。奇襲戦法と変装の名人。
私ほどのカリスマでなければ、百戦錬磨の変態どものリーダーは務まらん!」
「ちょ、ちょっとお嬢様!私は変態じゃないですよっ!?」
きっぱりはっきり断言するレミリアに、美鈴は半泣きになって反論する。
しかし、レミリアはそんな儚い抵抗など意にも介さず、軽く首を振って早く続きをやれと催促するのみだった。
「わ、私は門番、紅 美鈴。自慢のルックスに、みんなの視線が痛いです。
ハッタリかまして、ブラジャーからカードまで、何でもそろえてみせましょう!だからお願い名前で呼んで!」
美鈴は半べそをかきながらも、レミリアの催促に応じて声を上げる。
最後の一言に至っては、マジ泣きが入っているあたり、気の毒なくらい健気だ。
「私はパチュリー=ノーレッジ。通称紫もやし。魔法の天才。
大統領だって殴ってみせるわ。でも運動だけはかんゴファ」
「うわパチュリー様!いきなり吐血退場ですかっ!?」
「パチェー!? しっかりしてパチェー!!」
「かふぅっ……、だ、大丈ブイよ」
いきなりのアクシデントにちょっぴり取り乱し気味のレミリアに向かい、半ば無理やり笑顔を作ってみせる。
どうでもいいけど、今時大丈ブイは古すぎやしないだろうか。
しかも、手で作ったVの字がさりげなくバッテンになっているあたり、どうコメントすればいいのかわからなかった。
「どうやら、少し無理をしすぎたみたいね……」
「いや無理しすぎたってパチュリー様、紅魔館からここまで飛んできただけじゃないですか」
口もとの血を拭いながらか細い声で呟くパチュリーに、美鈴が冷静なツッコミを入れる。
どんだけ虚弱体質なんだろう、この紫もやし。
「心配には及ばないわ。こんなこともあろうかと思って用意しておいた、今日のビックリドッキリステキアイテム、
『ダイナミックパチュリースペシャル 消極的につよい身体をつくるネオ』を使うときが来たようね……」
ざらざらざら。
ごっくん。
んがくっく。
「だ、だいなみっく……?なんなんですかパチュリー様、その変なネーミングの薬は」
つよい身体をつくりたいのか、つくりたくないのか。
明らかに分量過多の錠剤を飲み込もうとしてノドに詰まらせるパチュリーに向かい、美鈴は脱力した様子で尋ねる。
「げっふ、ごふぅ……、栄養剤よ。
プロテインとかサプリメントとか各種ドーピング薬とか混ぜ倒した、私専用の栄養……え、えいお……お……、
オクレ兄さん!!」
対するパチュリーは、意味不明なことを叫びながら、白目をむいて身体をビクビク痙攣させはじめた。
「ぱ、パチュリー様っ!?」
「ハイルオクレ! ジークオクレ!」
「拙いわね、完璧にキマってるわ……。
ニイハオっ! 気付けの一発をパチェにかましなさいっ!」
「はっ、はい!」
あからさまに名前を間違えられているにもかかわらず、素直に返事してしまう美鈴。
そんなのだから、まともに名前を覚えてもらえないんじゃなかろうか。
ずばきゃっ!
美鈴の放った右斜め45度のチョップが、パチュリーの延髄へと綺麗に決まる。
美鈴、まさかのクリティカルヒット。
「モルスァ」
「……あれ?あ、あはは……。失敗、しちゃいました」
変な悲鳴を上げて崩れ落ちるパチュリーを前にして、美鈴は笑って誤魔化そうと引きつった笑みを浮かべた。
レミリアはそんな美鈴に、にっこりと微笑みかける。
おもむろに手を首元まで持ってくると、親指を突き立て、スッと横に引いた。
そして、一言。
「お仕置きよ」
「お任せください」
レミリアの言葉に応じて、咲夜は美鈴の襟首を引っ掴み、本殿の後ろまでずるずると引き摺っていく。
「ごめんなさいごめんなさいわざとじゃないんです狙ってませんただの事故なんです信じてください
嫌痛いの嫌ほっぺたつねられるの嫌あぁぁぁ咲夜さんそんな嬉しそうに握力を確かめてないでください
お願いです後生ですどうかご慈悲をせめて手加減をひにゃあぁぁぁぁぁ……」
聞くに堪えない断末魔が、本殿の裏から境内に響き渡る。
悲鳴に混じって、かすかにサディスティックな含み笑いが聞こえてくるあたり、言いようのない空恐ろしさがあった。
咲夜と美鈴が、本殿の裏で二人だけの世界を繰り広げる一方で。
残るレミリアとパチュリーもまた、二人だけの世界に没入していた。
「パチェ!しっかりしてパチェっ!!」
レミリアは倒れたままのパチュリーを抱き起こして、肩を揺すりながら声をかける。
パチュリーはそっぽを向いて二、三度咳き込むと、口許を拭ってレミリアに向き直った。
「レミィ……、私はどうやら、死に場所を見つけてしまったようね……」
「馬鹿っ! 何を言っているの!?
全員生きて帰るのよ! これは命令よっ!」
いつになく強い調子で、レミリアはパチュリーを叱咤する。
叱咤を受けたパチュリーは、小さく嘆息すると、薄く微笑んだ。
「あなたはわがままね……。いつもそう」
そうして、眩しいくらいに爽やかなイイ笑顔を浮かべ、サムズアップしながら続けた。
「だが断る」
「むきゅ~~~」
そしてそのまま、横にぽてりと倒れて沈黙する。
それにしても、なんだか余裕があるように感じるのは気のせいだろうか。
「パーーーーチェーーーーーー!!
おのれハクレイジャー、なんて汚い真似をするの!?」
「いやそれただの自滅だろ」
3文コントを繰り広げた挙句、見当違いな恨み節をこぼすレミリアに向かって、ブラックは淡々とツッコミを入れた。
ご近所で『お笑い変人集団』と評判になっているという噂は、どうも真実っぽいなぁとか思いつつ。
「お待たせしました。私こそ十六夜 咲夜。通称クレイジーメイド。
従者としての腕は天下一品! ロリコン? 変態? だから何?」
コントの終わりとともに、美鈴のおしおきを終えた咲夜が口上を述べた。
ほっぺたをさすりながら泣きじゃくる美鈴を引き連れるその様は、紛れもないサドのそれである。
……まあ、それはいいのだが。
口上の文句がかなりアレなことには、あえて触れないでおいたほうがいいのかもしれない。きっと。
「我ら、特攻野郎K……」
「先手必勝ハクレイキーーック!!」
どげしゃっ!
並び立ち、揃ってポーズを決めるKチームの中央。
口上を述べようとするレミリアの背後に出現したレッドは、そのまま問答とか情けとかいろいろ無用な反則キックをぶちかました。
「のきゃあぁぁぁっ!?」
おもうさま全力で蹴り上げられ、悲鳴とともに放物線を描きつつ吹っ飛んで。
ちゅどーん
そのまま、爆発した。
「待て、なんで爆発が!?」
「蹴られた怪人は爆発するのがお約束!
ってなわけで、こんなこともあろうかと、境内に爆薬とか地雷とかを仕掛けておいたのよ」
「……つくづく非常識なやっちゃなー……」
一体レッドの頭の中はどういう構造になっているのだろうか。
多分にベクトルを間違えた用意周到さに辟易しながら、ブラックはぽつりと呟いた。
爆風とともに巻き上がった砂煙が、風に吹かれてゆっくりと晴れていく。
爆心地には、黒焦げになってプスプスと煙を上げる――
「こ、こいつは……門番!?」
レミリアを蹴り飛ばしたとばかり思っていたレッドは、思わず驚愕の声を上げる。
爆心地にあったのは、黒焦げになって煙を上げながら、ピクピクと痙攣する美鈴の姿だった。
「こんなことができる奴は一人しか居ないわよね……咲夜っ!」
「何をそんなに驚いてるのかしら?
あなたたちは必ず不意討ちを仕掛けてくる。そう睨んだから、対応させてもらっただけよ」
声を上げて睨みつけてくるレッドに、咲夜は淡々と、皮肉めいた口調で返す。
……しかし。
不意討ちに対応するなら、キックを外させるだけでよかったんじゃなかろーか。
何故わざわざレミリアと美鈴をすり替えて蹴らせたのか。
その答えは多分、誰も知らない。
「名乗りを上げている間に、それも決めポーズの最中に襲い掛かってくるなんて……、なんて外道なの」
レッドの極悪非道な所業を目の当たりにしたレミリアは、眉をひそめて吐き捨てた。
「あたしたちは正義のヒロインだもの。何をしたって許されるのよ」
「黙りなさい。
あなた達みたいな悪人は、このKチームが成敗してやるわ!」
そうして、開き直ってふんぞり返るレッドに向かい、びしっと人差し指を突きつけて啖呵を切る。
しかし、レッドはそれを鼻で笑って流し、嘲るような口調で返した。
「成敗してやる、ですって? 笑わせてくれるわね。
戦う前から二人もやられてるようなへっぽこチームに、あたしたちが負けるはずないじゃない」
「ふん……。数を揃えてあげたのよ。
それとも、人数が一緒ならこっちが勝ってた、なんて見苦しい言い訳をしたいのかしら?」
「……言ってくれるじゃない」
互いに挑発しあって、視線を交わすレッドとレミリア。
二人の周囲を取り巻く空間は、気のせいか周囲のそれよりも冷たくなっていく。
一触即発の空気の中、二人の視線が激しい火花を散らせる。
「素直に降参すれば、許してやろうとも思ったけど……、やめたわ。
あなたは私を怒らせた。その代償はきっちり払ってもらうわよ!」
もうこれ以上、話すことなど何もない。
レッドを睨む視線はそのままに、レミリアは戦闘の開始を宣言した。
「なら、折られても砕かれても、文句は言いっこなしってことでお願いするわ。
さぁ味あわせてちょうだい、あのみだらな死の感触を……ケヒッケヒヒヒヒッ!」
レミリアの言葉に応じて、なのだろうか。
レッドはあらゆる意味で凄まじい妄言を吐くとともに、凶気の笑いを漏らす。
自分が今、何のために何をやっているのかも、忘れてるっぽかった。
かくして、愛も正義もへったくれもない、不毛極まりない戦いが幕を開けたのである。
やたらと年季の入ったバールのようなものを手に、身構えるレッド。
普段どおりの体勢で佇み、しかし注意深くレッドの動向を探るレミリア。
対峙しあう両者を、紅い夕陽が照らしつける。
「……って、今更だけど。
まだ明るいのに、なんで日傘もささずに平然としていられるのよ」
「愚問ね。そう、私は太陽を克服した――――。
この『ルーミア一番搾り』さえあれば、太陽なんて恐るるに足らないわ!」
レミリアは、レッドの疑問を鼻で笑い飛ばし、懐から日焼け止めのチューブを取り出して見せつける。
ちゃっかりお徳用をキープしてあるあたり、用意周到というか何というか。
「これでもう気が向いたらいつだって霊夢のところに遊びに行ったり霊夢を連れ出したり……やーんっ」
「お嬢様、話が脱線しています」
「あら」
頬に手を添えてはしゃぐレミリアを、咲夜がそっと嗜める。
しかし、その瞳には、確かな嫉妬の炎が燃えさかっていたことに、果たして誰が気付いただろうか。
……それにしても、吸血鬼の最大と言ってもいい弱点を、こうも簡単になくせるものなんだろうか。
えーりん製薬恐るべし。
「太陽なんて、ね。日光対策くらいで勝ったつもり?」
「なんですって?」
「吸血鬼の弱点なんて、いくらでもあるのよ」
「なら、試してみなさい。……無理だろうけどね!」
みなまで言うまでもなく、レミリアはレッドに向かい跳躍する。
瞬く間にレッドに肉薄し、そのまま右の拳を――――。
「甘いわ! 必殺にんにくブレスぅぅ~~~」
「ふげぅっ!?ごほっ、ごほっ!!」
レッドは袖から素早く生ニンニクを取り出すと、躊躇うことなく噛み砕き、吐息をレミリアの顔面に吹きかける。
どぎついニンニク臭をまともに嗅いで、レミリアは息を詰まらせて咳き込んだ。
「ケヒヒ……、そうよ、もっともがき苦しみなさい!」
苦しみ悶えるレミリアを前にして、レッドは邪悪な高笑いを張り上げる。
その様は、まごうことなき魔王そのものだった。
「はぁ、はぁ……、こ、これくらい、どうってことないわよ」
臭気から逃れたレミリアは、余裕を見せ付けてみせる。
だが、微妙に涙目で、しかも息が上がっているあたり、どう見ても強がりにしか見えなかった。
「それならこれはどうかしらね?
奥義! にんにくスプラッシュ!!」
レッドはどこからともなくバケツを取り出し、その中身をひしゃくですくってぶちまけだす。
にんにくスプラッシュの名のとおり、バケツの中身とは、言うまでもなくおろしニンニク。
「嫌あぁぁっ!?」
頭からおろしニンニクまみれになることだけは、なんとしても避けたいところ。
あるものは身を捻って避け、あるものは錐を飛ばして撃ち落とし、レミリアは飛んでくるおろしニンニクを必死に避ける。
だが、避けたおろしニンニクは地面に落ち、池のように広がって臭気を放ちはじめる。
徐々にニンニク臭が地面から立ち上りだし、レミリアを苦しめはじめた。
「くっ……」
レミリアは顔をしかめて、立ち込めるニンニク臭を耐え続ける。
だが、その動きからは鋭さが消え、撃ちだされる錐は遅くなり、ついには息を荒げてへたり込んでしまった。
「ケヒケヒケヒ……。
これまでのようね。今、トドメをくれてあげるわ!」
へたり込んだレミリアを見止め、レッドはバケツに残る最後のおろしニンニクをひしゃくにとった。
容赦なくぶちまけられたおろしニンニクが、へたり込むレミリアに降り注ぐ!
「紅符っ、不夜城レッドぉぉっ!!」
レミリアは咄嗟にスペルを発動して、巨大な炎の十字架を発現させた。
激しい熱風と炎とが、降りかかるおろしニンニクを吹き飛ばし、さらに地面にわだかまるおろしニンニクをも焼き尽くす。
炎の十字架が消えたその後には、息と体勢を整えたレミリアだけが残っていた。
間一髪、だった。
もし、あと一瞬遅ければ、レミリアは頭からおろしニンニクまみれになり、地獄の苦しみにのたうつところだったろう。
「ちぃ、なかなかやるじゃない。
ならば究極!にんにくフォーエバ……」
「待ちなさいよっ! ひとが黙っていればさっきからニンニク大蒜にんにく葫っ!
卑怯なのにも程があるわ! いい加減にしなさいよっ!!」
懲りずにニンニク攻撃を仕掛けようとするレッドを、レミリアは全力で怒鳴りつける。
その剣幕に、しかしレッドはニンニク山盛りの籠を抱えなおし、含み笑いを漏らすのみだった。
「甘いわね。昔から、弱点はネチネチと執拗に攻めるものだって決まってるのよ。
獅子はウサギを狩るのにも全力で千尋の谷に突き落とす、って言うじゃない」
「それ違う。絶対違う」
「……まぁ、いいわ。
このままニンニク尽くしで勝ってもいいけど――」
ニンニク攻めに飽きたのか、レッドは唐突に、抱える籠を無造作に投げ捨てる。
その直後、わずかに膝を屈めて、袖からすらりとバットを引き抜いた。
「せっかくだし、愉しませてもらわなくちゃね。
それじゃあ、第2ラウンド始めましょうか?」
引き抜いたバットを肩に担ぎ、口の端をにやりと吊り上げて、不敵な笑みを浮かべる。
今まではただの遊びだ、と言わんばかりの傲岸不遜な態度に、レミリアは表情を険しくする。
「上等よっ!
ぐうの音も出ないくらいに、徹底的に叩きのめしてあげるわ!」
そして、夕陽よりも紅い瞳を光らせて、レッドを睨みつけ、怒声を叩きつけた。
「あらためて先手必勝!ホーミングバットォォォーーー!」
仕切り直しも早々に、レッドは手にしたバットを振りかぶり、レミリアに向かってぶん投げる。
バットは高速回転しながら空を切り、レミリアに向かって飛んでいく。
「ふん」
レミリアは軽く身を捻り、飛んできたバットを避けた。
「こんなお粗末な攻撃が、この私に通用すると思って――」
余裕たっぷりの仕草でレッドにそう言い放ち、
パコーン☆
「あだっ!?」
突如響いた軽快な音と共に、前につんのめった。
「なっ、何なのっ!?」
レミリアは涙を目尻に浮かべつつ、何かが当たった後頭部を押さえてうろたえる。
あたりを見回してみれば、今しがた投げたばかりのバットを手に、ニヤニヤとほくそ笑むレッドの姿がそこにはあった。
「こっ……このっ!
私を馬鹿にした罪は重いわよ!」
レミリアは声を上げて地面を蹴り、レッドへと迫る。
「来なさいっ!」
レッドはバールのようなものを手に持ち替えて、迫り来るレミリアを迎え撃った。
二人は距離を詰め、殴り合いの肉体言語で戦いだした。
拳を、爪先を、手にした凶器を。
ただ相手に叩きつけるために全力で振るい、空を切って迫るそれらを受け止め、受け流す。
互いに相手よりも早く、あるいは速く。
ゆえに、戦いは長引き、もつれていった。
早さにおいては、レッド。
直感に裏打ちされた絶妙なタイミングの攻撃で、レミリアの一挙手、一投足から生まれる僅かな隙を的確に突いていく。
一瞬先がわかっているかのような、一手の先を打つ体捌きは、圧倒的であるはずの種族差を補って、さらに余りあるほどだった。
速さにおいては、レミリア。
文字通り驚異的な反応速度と反射神経により、レッドの繰り出す一撃一撃を捌き、直撃を回避し続ける。
理不尽に執拗な攻撃をかいくぐり、一撃必殺を狙い、後の先を取る隙を窺っていた。
一見均衡しているかのように見えた、早さ対速さの戦いは、しかし、徐々にレミリアにとって不利な運びとなっていた。
距離を詰めれば、常に先手先手を打たれ、ペースが乱されてしまう。
距離を置けば、有り得ない追尾性能を持ったバットが飛んでくる。
思うように動くこともできず、レミリアは苦い顔でレッドと戦い続ける。
「お嬢様!」
レミリアに加勢すべく、飛び出そうとする咲夜。
その鼻先に、箒の穂先が突き出される。
「っ!?」
「お前の相手は私だ。二人の邪魔はさせないぜ」
「……くっ」
振り向いた先で、箒を携え立つブラックを見止め、咲夜はほぞを噛んだ。
半ば挑発する形で咲夜に仕掛けたブラックだが、好き好んで咲夜と事を構えるわけではない。
だが、こうでもしなければ、レッドに勝ち目はないこともわかっていた。
時間を稼がせては、ならない。
今でこそレッドはレミリアと互角以上に渡り合っているものの、それも今だけの話。
陽はすでに斜陽となり、西の山々の間に沈もうとしている。
夜が来れば、ハンディキャップの上に成り立っている均衡など、容易く崩れてしまう。
弾幕ごっこではなく、拳で語る肉体言語の殴り合いであれば、その差はなおさらに顕著なものになる。
だから、日が沈みきるまでの間に、決着をつけさせなければならないのだ。
箒を片手に、ブラックは咲夜と相対する。
互いに相手を注視しあい、間合いをとって機を窺う。
人里で戦った時は、相手の油断を突いてなんとか切り抜けられたが、今度ばかりはそうも行かないだろう。
まして、以前の宴会騒ぎの時とは違い、魔法で力を補強してもいないのだから。
まともに戦うとなると、弾幕やスペルを堂々と使えないのは致命的な制限になりかねない。
攻めの一歩を踏み出せないブラックを見て取り、咲夜は目を細めて口を開いた。
「挑発しておきながら二の足を踏むなんて、どうしたのかしら?
貴女らしくないわね、魔――」
「おっと足が滑ったあぁっ!!」
咲夜の声を遮って、ブラックは絶叫とともにローリングソバットを放つ。
それは、こめかみを爪先で蹴り抜く、まごうことなき殺す気100%・ヒットマンスタイルの一撃だった。
ごしゃっ。
――殺った。
周囲に響いた鈍い音と、爪先に残る感触を確かめて、ブラックは勝利を確信した。
が、しかし。
「いきなり蹴りつけるなんて、物騒ね」
咲夜は何事もなかったかのように、その場に佇みごちていた。
「げっ……、不死身かお前は」
見た感じノーダメージな咲夜を目の当たりにして、ブラックは顔を引きつらせる。
「そんなわけないでしょう?
さすがに、美鈴シールドがなければ危ないところだったわ」
「味方を平然と盾にするな!」
「……あぁ、なんて素晴らしい自己犠牲の精神なんでしょう!
爆破されてもなお、身を挺して私を助けてくれるなんて、まさに門番の鑑よ!
美鈴、あなたの仇は必ず取るわっ!」
「自分でやっておいて何をいけしゃあしゃあと」
咲夜は芝居がかった口調で、自分のやったことを美化&正当化する。
ブラックの呟きも右から左に聞き流して、かくしてめでたく美鈴は咲夜の想い出の中に生き続けることと相成った。
想い出は、いつも綺麗なのだ。
「あー、さくやがんばってー」
「お任せくださいお嬢様ぁんっ!」
ブラックと交戦する咲夜を見とめて、レミリアはレッドと相対する最中、投げやりこの上ない声援を送る。
だがしかし、咲夜の必殺妄想フィルターにかかれば、そんな投げやりな声援も、至上の声援に変わってしまう。
咲夜は鼻から愛と情熱の咲夜汁を迸らせつつ、サムズアップでレミリアに応えた。
「げっ」
変態モードに突入した咲夜を目の当たりにしたブラックは、思わず顔をしかめて呻きを漏らす。
対する咲夜は、鼻からしたたる咲夜汁を拭って、しかし邪悪極まりない笑みを残しつつ、ブラックに向き直った。
「ドゥフフフフフフフ、愛の力は無敵なのよ!」
「ちぃっ、この変態がっ!」
「黙りなさい。散っていった美鈴のためにも、私はあなたが泣くまで殴るのをやめないっ!
メイド秘技、花瓶パンチ!」
「わったっ!?」
咲夜はどこからともなく持ち出した花瓶を両手に抱えて、ブラックに襲いかかる。
そんなもので殴られたら、泣くどころか一撃で昏倒間違いなし、当たり所が悪ければそのままお陀仏だ。
当然、ブラックとて大人しく殴られるようなタマではない。
振り下ろされる鈍器を素早く避け、お返しに箒で咲夜のこめかみの辺りを打ち据えた。
「へきょっ!?」
咲夜は変な悲鳴を上げるが、すぐに立ち直り、ブラックに再び襲いかかる。
何度箒で打ち据えられようとも、めげずにしつこく容赦なく、何度も何度も花瓶を振り下ろしてくる。
咲夜はひたすらに攻め続け、ブラックはひたすらに避け続ける。
あまりにも一方的な展開が繰り広げられていたが、それはひとえに、ブラックの非力さが原因だった。
咲夜が飛び掛かってきた直後、無防備なところを狙って一撃を見舞っても、所詮はたかが箒。
少女の力では、どんなに強く、どんなに速く振り抜いても、決定打にはなり得ない。
蹴ることも考えたが、この状況下での接近は、すなわち自殺に等しい。
咲夜に、時間を止めるための時間を与えないようにと、箒での牽制を繰り返すだけで精一杯だった。
当たらない咲夜。
切り札のないブラック。
二人の微妙な戦いは、膠着状態に陥っていた。
一定の間合いを保ちながら、二人は互いに睨みあう。
だが、ブラックはすでに息を上げ、肩を大きく上下させていた。
咲夜が一歩を踏み出したのを見て、ブラックは反射的に一歩退がるが、そのとき、不意に体勢を崩した。
それは、演技でできるようなよろけ方ではなかった。
「――獲ったっ!!」
ブラックがよろけた瞬間、咲夜は足を思い切り踏み込んで、真っ直ぐに飛びかかる。
その手に抱えた花瓶が、ブラックを捕らえようかとしたその刹那。
「なめんなぁっ!」
ブラックは紙一重で身をかわし、勢い余ってつんのめる咲夜の背後に回りこみ、破れかぶれにその背中をおもうさま蹴りつける。
咲夜は蹴られた勢いのまま、数歩ほど前にたたらを踏んで、
カチッ
ちゅどーん
運悪く、地雷を踏みつけ吹っ飛んだ。
もうもうと巻き上がる砂煙を前に、ブラックは居辛そうに視線を逸らして頭を掻く。
「……あー、えーと……。
こんな時、どういったリアクションを取ればいいんだか……」
「笑えばいいんじゃないかしら?」
「だからなんでピンピンしてるんだお前は」
確かに吹っ飛んだはずなのに、咲夜は平然とブラックの背後に佇んでいた。
もはや超常現象以外のなにものでもない。
「なんで、ですって?
愚問ね。お嬢様の声援を受けておきながら、無様を晒すわけにはいかないのよ」
「鼻血を吹き散らすのは無様と違うのか」
「すべてはそう、お嬢様への愛ゆえにっ! おぜうさまへのラヴゆえにッ!」
「黙れよ変態」
どうして、こうも話が通じないのだろう。
咲夜汁で凄惨にデコレーションされた邪悪な笑みを浮かべて妄言を垂れ流す咲夜に、ブラックは頭を抱えて溜め息をついた。
――迂闊だった。
そう内心で後悔するが、もはや後の祭りである。
真っ当に戦っていれば、あるいは下すこともできたかもしれない。
だが、今の咲夜はまごうことなき変態モードに突入している。
つまり、刀で斬られても、槍で突かれても、爆弾で吹っ飛ばされても死なないし、ましてや沈黙するなどありえない。
ギャグキャラは、2回や3回爆死したくらいじゃへこたれない、というのは世界共通の常識なのだ。
どうしよう。どーやっても倒せないぞ。
いっそのこと、マスタースパークを連射して、空の彼方にでも吹っ飛ばしてしまおうか。
大気圏外までぶっ飛ばせば、さすがにこの変態だってすぐには復帰できないだろう。
スペルを使えば私の正体が確定されかねない、危険な賭けだが――、なんてことはない。
マスタースパーク使いならもう一人いるじゃないか。
『ワタシ外道ゆうかりん。コンゴトモヨロシク』とか言えば、誤魔化すこともできるかもしれない。
私とあの花妖とでは髪の色が違うが、大丈夫。
『ワタシ外道ゆうかりん。外道だからパツキンに染めてみたの。コンゴトモヨロシク』とか言えば……。
って、待て。半分正体バレてるんだから、誤魔化しきれるわけないだろうが私の馬鹿馬鹿。
あぁもう、どうすればいいんだ――――。
ブラックは逡巡して、あたりに視線を泳がせる。
ふと目に止まった夕陽は、もう西の山間に隠れ、わずかに頭を覗かせるのみだった。
ブラックが一人静かに絶望に打ちひしがれるその隣で、レッドとレミリアの戦いは佳境に入っていた。
すでに日は山中に没し、レミリアの動きは一瞬一秒ごとに鋭く速くなっていく。
レッドに傾いていた気運は平衡となり、やがて徐々にレミリアへと傾き始める。
気運が自分にあると確信したレミリアは、思い切ってレッドの懐に飛び込む。
そして、飛び込んだ勢いに任せて、右の拳をレッドに向かって突き出し――。
「ふっ!」
レッドはバックステップで放たれた拳を軽く避け、ようとした。
だが、レミリアはその場に足を止め、そのまま側転しながらレッドの頭上を飛び越える。
――フェイント!
だが、そのフェイントを、恐らくレッドは察していた。
そして。
レッドがこのフェイントを見破るだろうと、レミリアは予測していた。
「――甘いっ!」
「――かかったわねっ!」
肉を切らせて、骨を断つ。
レミリアは、勢いよく振り下ろされたバールを、突き出した左腕で受け止める。
お返しとばかりに放った右の拳が、レッドの顎を捉えていた。
拳を振り抜かれ、レッドの身体は宙を舞う。
被っていたバイザーは脱げ外れ、石畳の上に叩きつけられる。
そして、周囲に乾いた音を響かせて、粉々に砕け散った。
「……嘘」
露わになったレッドの素顔を見止め、レミリアは思わず呟いていた。
見間違いではない。いや、見間違うはずがない。
ハクレイレッドを名乗って、好き放題に暴れていた人物。
それは、他ならぬ博麗 霊夢だったのだ。
「嘘でしょう……? どうして、どうしてなの、霊夢っ!」
はらはらと落涙しつつ、素性の知れた霊夢に詰め寄るレミリア。
その口調は、すっかり悲劇のヒロイン調だ。
てーか、本気で気付いてなかったのか。お前様。
「すべては正義のため……、たとえ修羅の道であろうと、やらないわけにはいかなかったのよ……」
霊夢はレミリアから視線を外し、俯きながら訥々と呟く。
それはいいのだが、暴れていたのは、博麗神社を宣伝するためじゃなかったんだろうか。
本末転倒もいいところな目的の見失いっぷりには、もう呆れ果てるばかりである。
それを皮切りに、霊夢とレミリアは、やおら二人だけの世界へと没入しはじめる。
そして、それを見たブラックは、ひときわ大きなため息をつくと、服の埃を払ってその場に居直った。
「……あぁ、やめたやめた。もうどうだっていいや」
「ちょっと、いきなりどうしたのよ」
「いや、もう私達が戦う理由がなくなっちまったってことさ。
私ら蚊帳の外みたいだし、もうこの際観戦してりゃいいんじゃねぇ?」
「馬鹿なことを言わないで。私と貴女は敵同士でしょう?
仲良く観戦なんてできるものですか」
「まあ、そう言わずに。な?」
ブラックは、取り付く島もない頑なな咲夜に、レミリアのマル秘盗撮写真を3枚ほど手渡してみた。
「そうね、もう日も沈んだことだし、お嬢様の勝利は必定。あなたと戦い続ける道理なんてないわね」
咲夜、京懐石並みにあっさり陥落。
ブラックはその場にゴザを敷き、咲夜は社務所から湯飲みと急須を持ってきた。
そうして、二人仲良くゴザに腰を下ろし、霊夢とレミリアを遠巻きに眺めだす。
だが、そんな二人の前に、一つの影が立ちはだかった。
その影とは、いつの間にか復活した美鈴その人である。
「気がついてみたら、なんなんですか一体。
なんで二人で仲良く座ってるんですかっ!」
「野暮なことは言いっこなしよ。ほら、貴女もここに座りなさい。
一緒にお茶でも飲みましょう、美鈴」
わなわなと震えながら声を上げる美鈴に向かって、咲夜が声をかける。
美鈴は一瞬きょとん、とすると、怪訝そうに眉をしかめて咲夜に詰め寄った。
「……い、今なんて言ったんですか、咲夜さんっ」
「だから、『一緒にお茶でも飲みましょう、メイリン』って言ったのよ」
「わ、わんすもあぷりーづ!」
手短に応じる咲夜に、美鈴はしつこく食い下がる。
その瞳は期待に爛々と輝き、気のせいか頬も緩んでいた。
「何度言わせる気なの。『一緒にお茶でも飲みましょう、メイリン』よ。……これで満足したかしら?」
「ええそりゃもう! お茶でも青汁でも、ホットルートビアでもギャラクシードリンクでもしもつかれでも喜んでっ!!」
美鈴、キャベツの浅漬け並みにあっさり陥落。
二人だけの世界に没入し、しょっぱい芝居のようなやりとりを交わす霊夢とレミリアを眺めながら、
ブラックと咲夜と美鈴は三人並んで平和にお茶を啜りだす。
ブラックは美鈴が湯飲みを傾けたのを横目に見ると、思い出したように口を開いた。
「あー、そうそう。言い忘れてたが、お前さんのお茶には痺れ薬が仕込んである。気をつけて飲めよ」
「ちょ、しびびびびびびび」
美鈴はブラックのトンデモ発言を受けて抗議の声を上げようとしたが、時すでに遅し。
手にしていた湯飲みを取り落として、そのままその場で固まって動かなくなった。
そんな美鈴の姿を目にしながらも、しかし咲夜は涼しい顔で、湯飲みを手にしたまま口を開く。
「こうも予想通りとはね。念のためと思って、飲まないでおいて正解だったわ」
「あぁ、ちなみにそのお茶に仕込んだのは秘蔵の豊胸――」
ずぞぞぞぞぞ
ブラックがみなまで言う間もなく、咲夜はお茶を一息に啜りこむ。
頭では嘘だとわかっていながらも、一縷の望みに賭けてしまうのが、乙女心というものなのだ。
「――薬、なんてことはなくてやっぱり痺れ薬だから以下同文だ」
「だ、騙しびびびびびびび」
そして、美鈴と同じく湯飲みを取り落として以下同文。
もう付き合いきれない。
ブラックは、麻痺してしびしび言ってる二人を余所に、お茶を啜りながら傍観者に徹することにした。
後ろの方で、咲夜と美鈴が地味に戦闘不能になったことなどつゆ知らず、
レミリアは霊夢と向かい合って、あいも変わらず、しょっぱいやりとりを交わし続ける。
二人だけの世界は未だに終わることなく、それどころか大いに脱線し、あまつさえ暴走すらしはじめていた。
「霊夢、もうやめましょう。
私達がこんなことをする必要なんて、どこにもないのよ」
「レミリアにはなくても、あたしにはあるのよ。
参拝客とお賽銭を集めるためには、どうしても必要なことなのよ!」
「なんで、そこまでして……」
狼狽するレミリアを、霊夢はきっ、と睨みつける。
その瞳は、憎しみさえ感じるほど暗く冷たいものだった。
「わからないでしょうね。
ヌカと水だけで生活したことのないレミリアには。
……そうよ、ブルジョワに貧乏人の気持ちなんか理解できるもんですか!」
霊夢はレミリアを睨みつけながら、叫ぶように吐き捨てた。
自分以外のすべてを呪うかのような口調のままに、霊夢はなおも続ける。
「貧乏は嫌なの!空腹を紛らわせたくても、紛らわせるためのお菓子もないのよ!?
だからあたしはっ!!」
「そういうことが間違いなんだって、何故気付かないの!?」
霊夢の過ちを正そうと、レミリアは悲痛な叫びを上げる。
しかし、狂気の淵に立つ霊夢に、その声が届くことはなかった。
霊夢は再び袖からバールのようなものを引き抜くと、幽鬼のような佇まいでレミリアに向き直る。
そして、静かに口を開いた。
「……いいわ。おしまいにしましょう。
あなたか、あたしか。それだけよ」
「もう、こうするしかないのね……。
ねえ、霊夢。どうして、こんなことになっちゃったのかな……、私達……」
「レミリアっ!」
「霊夢っ!!」
互いの名を叫びながら、最後の一撃を放つために、懐からスペルカードを取り出す二人。
二人がスペルを発動させたのは、まったくの同時だった。
「夢想撲殺ぁぁぁぁぁっつ!!」
「突撃!マイハートっ!!」
古今東西のあらゆる鈍器を従えて、レミリアに飛び掛る霊夢。
紅い槍を構えて、霊夢に向かって地面を蹴るレミリア。
二人は、夕闇に閃光と火花を散らし、ぶつかり合った。
互いに背を向けあって、霊夢とレミリアは着地した。
それからしばらくの間、まるで時が止まったかのように、その場を静寂だけが支配する。
――先に動きがあったのは、レミリアだった。
「くっ、う……」
レミリアは頭から一筋の血を流して崩れ落ち、その場に膝をついた。
対する霊夢は、口の端をにやりと吊り上げて――、
「ふ……、今日のところは、負けを認めてあげようじゃない……。
だけどね、覚えておくがいいわ……、レミリア、いやさ、Kチーム!
人々の心に邪悪ある限り、ハクレイジャーは何度でも復活するということをぉぉぉっ!!」
もはや大魔王そのものの捨てゼリフを吐いて、霊夢はその場に倒れ伏した。
「霊夢……本当に、馬鹿なんだから……」
倒れた霊夢を見つめて、レミリアは瞳に涙を浮かべて呟いた。
だがすぐに、悲しんでいる暇はない、とばかりに涙を拭って、遠くでお茶を啜るブラックへと向き直り、歩を進める。
今のレミリアには、さっきまでの少女らしい面影はなく、紅魔館の主たる威圧感だけがあった。
「――さて、ハクレイブラックとやら。
今日はうちの咲夜が随分と世話になったそうじゃない」
「あぁ? ……あぁ、礼には及ばないぜ」
「そうもいかないわ。きちんと返礼はしてあげないとね。
けれど、正体を明かして……許しを、請うと、言うの、なら……」
レミリアは、未だに呑気のお茶を啜るブラックへと詰め寄る。
だがしかし、言葉を途中で途切れさせて、小刻みに震え始めた。
「お、お嬢様っ!?」
咲夜はレミリアの変化を見止めて、すかさず立ち上がり、素早くレミリアの傍らに駆け寄った。
「待てお前。痺れてたんじゃなかったのか」
「お嬢様が苦しんでいるのよ!? 痺れてる暇なんかあるものですか! 根性で治したわよそんなもの!」
象も一撃でコロリの痺れ薬による麻痺は、はたして根性で治せてしまうものなのだろうか。
さすが人知を超えた変態。
「か、痒いっ、痒いわ!」
「いけませんお嬢様!掻いては痕が残ってしまいます!」
全身に手を回して掻きむしろうとするレミリアを、咲夜は必死に抑える。
そんな咲夜に、レミリアは涙目になりながら反発した。
「いいから、掻かせなさい!
痒いのよっ!クリームを塗ったところがかぶれて……っ!」
「クリーム……、あの日焼け止めがかぶれたのね……そう。
お嬢様の玉のお肌に傷をつけくさるとはいい度胸をしてやがるわね……、あンの年増グレイがあっ!!」
咲夜は小さく呟いた直後、あとで覚えとけよダラズ、と言わんばかりの形相で吼え猛る。
放っておいたら、そのまま永遠亭まで単身殴りこみに行ってしまいそうな勢いだ。
飛ぶ鳥を落とし、獣を失神させ、果ては人妖を震え上がらせるその様は、まさに羅刹そのものである。
「やー、かゆいー!さくや、かゆいのー!」
「ハブッシャアァァァ!!」
痒みに耐えかねて、幼児退行を起こして半泣きになるレミリア。
そんな主の姿を目の当たりにした咲夜は、盛大に咲夜汁を撒き散らした。
なんだこのグダグダ空間。
「さくや、おうちかえるー!」
「お任せくださいおぜうさま!さぁ帰りましょう!」
言うが早いか、咲夜はぐずるレミリアをお姫様抱っこで抱きかかえる。
その顔は至福に満ち、輝いてすらいたが、同時になんとも言いようのない邪悪さを感じるものだった。
言うなれば、MAJIで汁出る五秒前といった感じである。
もう出てるけど。
「あー、咲夜。ちょっと待て」
今にも飛び立とうとする咲夜を、ブラックは呼び止めた。
そうして、咲夜が振り向くのと同時に、後ろで戦闘不能になっている美鈴とパチュリーを指さして。
「帰るなら、そこの二人も持って帰れよ」
もはや置き物扱いだった。
「あぁ、その二人ならそのうち復活するから大丈夫よ。放っておいても、おなかが空けば帰ってくるわ」
「犬かなんかか。こいつらは」
どっちもどっちだった。
「とゆーわけで決着は預けたわよ、ハクレイジャー!」
咲夜は白々しい捨て台詞を棒読みで吐きつつ、そのまま飛び去っていってしまった。
言葉のとおり、未だにしびしび言ってる美鈴と、横倒しに倒れたままのパチュリーをその場に残して。
「……泣くぞ。しまいにゃあ」
散々引っ掻き回されて、そのあげくに置いてけぼり。
ブラックがぽつりと漏らした絶望の呟きは、狂乱覚めやらぬ半壊した神社の境内に、むなしく溶けて消えていった。
_/ _/ _/ Epilogue _/ _/ _/
Kチームとの激闘から、早一週間。
またもや姿を見せなくなった霊夢の様子を見に行こうと、魔理沙は博麗神社に向かって、一人空路を走っていた。
「……まあ、こうなるだろうって予想はしてたけどなぁ」
『レミリア嬢お手柄 二人組の通り魔退治さる!』と題打たれた文々。新聞を片手に、魔理沙は嘆息しながら呟いた。
お嬢に買収されたか、それとも脅されたのか。
あるいは、もとからハクレイジャーを通り魔扱いして面白おかしい記事に仕立て上げることが文の目的だったのか。
そもそも、ハクレイブラックは退治なんかされていないのだが、こういう記事には誇大表現なんかよくあることだろう。
――まあ、そんなことは今となってはどうでもいいことだし、あとで文が霊夢に撲殺されないことを祈るのみだ。
ひょっとしたら、もう手遅れなのかもしれないけど。
「さて、どーなってることやら」
境内に着地した魔理沙は、帽子を被りなおして、一人ごちた。
雑草一つ生えていない境内に、言いようのない不安を覚えながら。
_/ _/ _/ 博麗神社 社務所 AM 11:30 _/ _/ _/
「おーっす、邪魔するぜー」
魔理沙はいつものごとく、引き戸を開けながら、家内に声をかけて上がりこむ。
だが、その声に応じるものは、ただしんと静まり返った空気のみだった。
「……霊夢? 霊夢ー?」
いくら声をかけても、応答がない。
訝る魔理沙の脳裏に、ふと一週間前の霊夢の姿がフラッシュバックする。
餓死しかけて、半ば干物と化した霊夢の姿が。
もしかして、今度こそ餓死したんじゃあるまいか。
万が一、完全にミイラになっていた場合はどうすればいいんだろう。
熱湯をかけて3分待てば復活するんだろうか。
インスタント巫女・博麗 霊夢。博麗神社から新発売。
って待て私。今は現実逃避してる場合じゃないだろう。
一刻も早く、霊夢の安否を確かめなければ――。
「ちぃっ!」
靴を脱ぎ捨てながらかまちに駆け上がり、魔理沙は廊下を走り出す。
「霊夢……っ!」
魔理沙は思わず霊夢の名を呼びながら、一直線に居間に向かい走っていく。
なんだかんだ言っても、やっぱり一番の親友であることに変わりはないのだ。
「頼むから、私のところには化けて出てくれるなよ!」
……そうでもなかった。
「霊夢、生きてるか……って、うをっ!?」
勢いよく居間の襖を開け放ち、その中の光景に肝を潰す魔理沙。
彼女の前には、ずずっ、と何かを啜る霊夢の姿があった。
あんな失敗前提の馬鹿企画が、よもや成功でもしたのだろうか。
「あら魔理沙、どうしたの?」
「あ、いや、何を食ってるのかなー、と思って」
「霞よ」
「…………は?」
短く答えた霊夢の持つお椀は、すでに空っぽだった。
というより、もともと何も入っていなかったといった方が妥当だろう。
「だから、霞を食べてるのよ」
霊夢は空のお椀をちゃぶ台に置くと、戸惑う魔理沙に向き直る。
「魔理沙、あたし決めたわ。仙人になる」
「れ、霊夢?」
霊夢は、どこか遠くを見るような目で、あらぬ事を口走りだす。
その瞳は死んだ魚のように濁り、虚ろで、まるで生気が感じられなかった。
「仙人って、霞を食べていれば生きていけるんでしょう? だからあたし仙人になるの。
仙人にゃ貧乏も~、空腹も絶食も飢餓もなんに~もなぁぁ~~~い……」
「霊夢! 何を口走ってるんだ! 気をしっかり持て!」
魔理沙は取り急ぎ、いきなり変な歌を歌い始める霊夢の肩を掴んで、がっくんがっくんと前後に揺さぶる。
数回揺するうちに、遠い世界の歌は終わり、虚ろだった霊夢の瞳に理性の光が戻ってきた。
「お腹すいた……。
ごはん……、お米……、炭水化物……。
もう嫌、自分に嘘をつくのは嫌あぁぁ……」
今にも泣き出しそうになりながら、霊夢はぽつぽつと呟いた。
言葉が出きる頃には、その声はもう、涙声に変わっていた。
「お腹すいたのよぉ! ごはん食べたいのぉぉ! うわあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁんっ!」
「あー、よしよし。思う存分泣くといい」
霊夢は魔理沙の胸に顔をうずめて、声を上げて泣きじゃくる。
魔理沙はそんな霊夢の頭にそっと手を乗せると、赤ん坊をあやすようにゆっくり、優しくなでてやる。
辛いのならば泣けばいい。悲しいならば泣けばいい。辛いことも悲しいことも、みんな涙が流してくれる。
そう言ったのは、はたして誰だったか。
それからしばらくして、ようやく霊夢は泣き止んだ。
その頃には、魔理沙の上着は涙ですっかり濡れてしまっていた。
「しかしまあ、宣伝はものの見事に失敗したみたいだな」
「見れば判るでしょ? 笑いに来たなら帰りなさいよ……」
「そんなことだろうと思って、差し入れを持ってきてやったぜ。朝の余り物だけどな」
魔理沙はそう言いながら、小さな風呂敷包みを霊夢の前に差し出す。
それを見た霊夢は、目を輝かせて魔理沙の手を握り締め、正面から瞳を見つめて口を開いた。
「心から愛してるわ魔理沙。結婚しましょう」
「変わり身早すぎるぞ」
霊夢は受け取った風呂敷包みを手早く解いて、その中身を露わにした。
それは、三つのおむすびと、きつね色に焼けた玉子焼き。
霊夢はおむすびに手を伸ばし、その重みと感触に陶酔する。
「あぁ、本物のごはんなのね……。夢じゃない、妄想でもない、本当に、本物のっ……」
はらはらと涙さえ流しながら呟いて、手にしたおむすびを口いっぱいに頬張った。
「おいしい……おいしいよぉぉ……」
絶妙な塩加減のふっくらごはんがはらりとほどけて、口の中を幸せで満たしていく。
霊夢の口に広がる世界は、桃源郷だった。
あるいはガンダーラかもしれないしエルドラドかもしれないしアトランティスかもしれないが、とにかく楽園だった。
今の霊夢にとって、このおむすびはただの食べ物ではなくなっていた。
これは魔理沙の真心であり、また、霊夢の命を繋ぐかけがえのないものなのだ。
米粒を一粒一粒逃すことなく噛み締めて、完全にその形が無くなるまで味わい尽くす。
「あぁ、生きててよかった……」
「いちいち大袈裟なやっちゃなー」
しみじみと感嘆する霊夢にツッコミを入れる魔理沙だが、まんざらでもなさそうだった。
魔理沙からの差し入れを平らげて、霊夢は至福の笑顔で息をつく。
そんな霊夢に、魔理沙は軽く咳払いをして声を掛けた。
「で、宣伝は失敗、参拝客はゼロときたもんだ。これからどうするんだ?」
「違うわ。宣伝はバッチリ成功してたのよ。でも誰かが参拝客をせき止めてるの」
「……は?」
「誰、誰なのよあたしの目の前で宣伝できました参拝客いっぱいですって結果をせき止めてる奴は。
あぁもう憎い憎い憎いっ、突き止めて探し出して地の果てまで追い詰めてバットの餌食よコンチクショウがぁぁぁ!!」
霊夢は憎しみを隠そうともせずに、バットを袖から取り出して吼え猛りだす。
だが、すぐに落ち着きを取り戻すと、バットを袖に戻し、魔理沙に向き直って続けた。
「最初の3日くらいはそう思ってね。サーチアンドデストロイで目に付くもの片っ端から粉砕してたのよ」
「……あぁ、そうかい」
言われて周囲を見回してみれば、哀れにも凶器の餌食となった家財道具が、見るも無残な瓦礫の山となっていた。
来るタイミングを誤っていれば、魔理沙もめでたく素敵な凶器の餌食となっていたであろうことは、想像に難くない。
魔理沙の背筋を薄ら寒いものが走るが、それを表には出さず、つとめて無関心を装った。
「でも、時間がたって、頭が冷えてきたら、やっぱりあたしが間違ってたのかなって感じてね」
「そうか。ようやく自分の過ちを認める気になったか」
「ええ。あたし、大事なことを見失ってたわ。
……ちょっと、ついて来てくれないかしら?」
霊夢はおもむろに立ち上がり、魔理沙を呼んで歩き出す。
霊夢のあとに続いて着いた先は、博麗神社の境内だった。
雑草一つ残らず綺麗に掃除された様を見て、魔理沙はははぁ、と頷いた。
「なるほどな。そういうことか」
この綺麗な境内は、つまり霊夢の決意の証なのだろう。
これからは心を入れ替えて、真面目に働いていこう。そういう意思の現れに違いない。
「ええ……」
魔理沙の言葉に、霊夢は頷いて、続ける。
「やっぱり、巨大ロボを忘れたのがいけなかったのよ」
霊夢はそんな妄言を吐くとともに、鳥居の右側の柱に取り付けられた謎のレバーを下に引いた。
すると突然、博麗神社の境内が静かに、やがて激しく揺れ始める。
振動の中、境内の石畳が地響きを立ててせり上がり、左右に分かれ、その下の虚空を白日のもとにさらけ出す。
そして、その奈落からせり上がってくる、『何か』があった。
『ソレ』を目の当たりにして、魔理沙は一切の言葉を失った。
『ソレ』は……なんというか、その。
小学生が、夏休みの工作で頑張りすぎてしまったような……、
全高10メートルはあろうかという、ダンボール紙で作られた巨大なヒトガタだった。
あまつさえ、ご丁寧に紅白に塗り分けられているあたり、もうどこからツッコんでいいものやら。
「ふっ、驚きのあまり声も出ないようね、魔理沙」
実際のところ呆れ果てて声が出せないだけなのだが、現在絶賛暴走中の霊夢にとって、如何程にも違うものではない。
「そう、これが勝利の鍵!『神社ロボ ハクレイガー』よ!!」
霊夢は声を上げて、ダンボール人形の脚っぽい部分を、掌でどん、と強く叩く。
その衝撃で、ダンボール人形の右腕部分がドサリと落ちた。
「あーっ!ハクレイガーに緊急事態発生ーー!?」
「お前の頭が緊急事態だよ」
霊夢は必死の形相で段ボールの塊を持ち上げて浮かび上がり、ガムテープを切り貼り、ダンボール同士を接着していく。
その光景は、筆舌に尽くしがたいシュールなものだった。
「……ったく、なんなんだ、こりゃ」
目の前で繰り広げられる異世界の光景を前に、魔理沙は頭を抱えて呟いた。
巨大ロボってなんだ。こんな変なシロモノ、むしろイロモノが、一体何の役に立つというんだ。
というか、こんなダンボールの塊を巨大ロボと言い張れるその神経も凄まじい。
むしろ、霞を啜るほどに切迫している状況で、こんなダンボール人形を作り上げてしまうその胆力に感心すべきなのか。
頭を抱える魔理沙を余所に、一仕事を終えた霊夢が戻ってくる。
何か一仕事終えた職人のような爽やかな笑顔に、しかし魔理沙は冷ややかな視線を投げかける。
「……なんだこれ」
「これ?紫に頼んで、境内を秘密基地に作り変えてもらったのよ! 凄いでしょう」
「由緒ある神社に何やってんだお前らは!」
小人閑居して不善を成す。
そんな言葉が、魔理沙の脳裏をよぎる。
昔の偉い人が言った言葉らしいが、この状況はまさにそれだと頷かずにはいられなかった。
「……ってーかよ、こんなの作ったところで、これで戦わなきゃならない敵なんか居やしないだろ」
「ふっ。愚かね魔理沙。チルノ並みに愚かだわ。その問題なら既に解決済みよ」
うわぁ、すっげえ殴りてぇ。
至極まともなツッコミを鼻で笑われ、魔理沙は思わず殺気立つ。
しかし、霊夢はそんなことなど意にも解さず、お構い無しに続ける。
「悪がいないなら作ればOK、万事解決無問題って寸法よ!
どう?このコペルニクス的発想!」
「……あぁ、そうだな」
そんな霊夢の妄言に、魔理沙は気の抜け切った呟きを漏らすのみだった。
要するに、先週ハクレイジャーとして妖怪連中に狼藉を働いたように、
このダンボール人形でもって、そのへんの妖怪や妖精を勝手に悪認定して襲い掛かろうというのだろう。
まったくもってどうしようもない。
「と、ゆーわけで悪役お願いね魔理沙!」
「…………は?」
「敵は主人公の親兄弟か親友と相場が決まってるのよ。そのほうが盛り上がるんだから!」
霊夢はまるで意味のわからない戯言とともに、鳥居の左側の柱に取り付けられた謎のレバーを下に引いた。
さっきとまったく同じようにして、境内が揺れる。
振動の中、境内の石畳が地響きを立ててせり上がり、左右に分かれ、その下の虚空を白日のもとにさらけ出す。
そして、その奈落からせり上がってくる、もうひとつの『何か』があった。
『ソレ』を目の当たりにして、魔理沙は一切の希望を捨てた。
霊夢がハクレイガーと命名した、全高10メートル近くある、巨大なダンボール人形。
それと形は全く同じ……というわけでもない。
ところどころ、妙にとんがっていたり、顔つきが凶悪だったりと、いかにも悪役ですといった風体。
墨汁か何かで真っ黒に塗装され、胴体部分に白字で大きく「悪」と書かれたモノが、魔理沙の目の前に鎮座ましましていた。
「この『黒魔術ロボ マリバロン』で思う存分暴れてね魔理沙、いやさ悪の魔女マリサタン!」
「ちょっと待てお前なんだそれ」
「だからー、ハクレイガーが活躍するには然るべき悪が必要でしょ?
そんな悪を探してる暇なんてないから、魔理沙が悪役になって暴れてくれればいいのよ」
「あのなぁ。自分が何を言ってるかわかってるのか?」
あまりにもあんまりな霊夢の発言に、魔理沙は声を上げつつうなだれた。
人はそれを、ヤラセとかマッチポンプと言うんじゃなかろうか。
先週、変な格好をしてハクレイジャーを名乗っていたのは、妖怪退治がヤラセじゃないと証明するためだったろうに。
ここまで本末転倒を極められると、もうどうすればいいやら見当もつかなかった。
「って待てお前。何をしてる」
背後からそっと忍び寄る気配を察して、魔理沙はうなだれたまま背後へと振り向く。
その先には、三日月形の毛っぽいものを手にした霊夢が立っていた。
「なんだその変なの」
「これ?悪のつけアホ毛よ!
『あのたくましさを完全再現、頭に付けるだけで溢れるカリスマ! これであなたも今日からラスボスに!
今ならもれなく呪い付きで、雨に濡れても安心よ!』って深夜の通販でやってたんだから!
ほら、これをつけて! そしてマリサタンになるのよ魔理沙!」
「やめろ! そんなもんつけるな!」
深夜の通販口調で宣伝文句を口にしつつ、魔理沙に襲いかかる霊夢。
そんなわけのわからないものを付けられては末代までの恥と、魔理沙は必死に抵抗する。
だが、どこにそんな力があるのか、霊夢はたやすく魔理沙を組み伏せ、帽子をはぎ取ってアホ毛を付けてしまった。
「このっ、んなっ、取れねぇ!?」
直ちに外そうとして強く引っ張ってみても、ねじってみても、取れそうな感触さえない。
それどころか、思い切り引っ張れば引っ張っただけ首が痛くなるばかりだった。
「これで準備はバッチグー! あとはマリバロンに乗って暴れるだけよ魔理沙、じゃなかったマリサタン!」
ひとりアホ毛と格闘する魔理沙を余所に、諸悪の根源は変なテンションでサムズアップしながら声を上げる。
魔理沙はアホ毛を外すのを諦めて溜め息をつくと、顔を上げて霊夢へと振り向いた。
「――よし、わかった。悪役らしく暴れてやるぜ」
魔理沙は以外にも、二つ返事で応えた。
その表情は、もういっそ清々しく、眩しいくらいに爽やかな笑顔だった。
「まず手始めに、お前を神社もろとも吹っ飛ばそうか」
・このSSは拙作「博麗戦隊ハクレイジャーvol.1&2」の続きです。
・ちょっぴり長めなので、じっくり腰を据えてお読みください。
・なお、従来の壊れに加えて、若干のオリ成分が含まれています。苦手な方はご注意ください。
いままでのあらすじ
「慧音様!風呂釜をもずく酢でいっぱいにすると、その風呂釜は家もろとも消滅するのですじゃ!
って、その辞書は一体」
ゴメス☆
「げろしゃぶ!?」
~ よくわかった所で本編をお楽しみ下さい ~
_/ _/ _/ CM _/ _/ _/
スキマ妖怪の式である九尾の妖狐、八雲 藍は、目の前に座る自らの式、橙の背中を流していた。
バスタオルを身体に纏って、へちまで橙の背中をこすってあげているその様は、まごうことなき親バカのそれである。
「さ、流すぞ」
藍はへちまを手桶に持ち替えて、優しく声をかける。
「はーい」
橙は泡だらけの背中を向けたまま、顔を振り向かせて応えた。
ざばー。
「ふゃぁ……っ」
泡が身体を伝う感触に、橙は軽く身を震わせる。
藍はそのまま二度、三度とお湯をかけて、残った泡をきれいに洗い流した。
「さあ、橙。次は頭を洗おう」
「シャンプー……ですか?」
藍の言葉に、橙は耳をしょげさせ、上目遣いで拒みだした。
そんな橙を見て、藍はうぅ、と小さく唸って、それきり言葉を詰まらせる。
「ちゃ、ちゃんと洗わないと駄目だぞ。ほら」
「ごめんなさい藍さま。でも、シャンプーは目にしみるから嫌ですー……」
「あぁもう、困ったな、どうしようか……」
厳しくしようと思っても、溺愛している橙にはどうにも弱い藍。
居辛そうに橙から視線を外し、自分の頭を掻いて途方に暮れはじめた。
「お困りのようね、藍」
そんな藍に声をかけつつ、突如開いたスキマからにょろりと顔を出したのは、藍の主である破天荒スキマ妖怪、八雲 紫。
紫はいつもの和洋折衷なヒラヒラの服ではなく、何故か白いセパレートの水着をその身に纏っている。
彼女なりにTPOを弁えてるつもりなのだろうが、傍目には単にきっついだけだった。
「橙が、シャンプーが目にしみるのが嫌と言って、頭を洗わせてくれないんです」
「そんなときはこれ、スキマシャンプーよ!」
藍に応えて紫が取り出したのは、ソフトビニール製の小さなゆかり人形。
顔の部分を掴んで捻ると、きゅぽん、と音を立てて首キャップが外れる。
構造は面白いとは思うのだけど、どうにもセンスが悪い気がするのは気のせいか。
「目にしみるシャンプーと目にしみないシャンプーの境界をいじってあるから、目に入っても痛くないのよ!
さあ藍、試しに目の中に入れてあげるから、私に身を任せなさいな」
「せっかくですが、謹んでお断りいたします」
首なしゆかり人形――もとい、スキマシャンプーを藍に突きつける紫。
それに対して、藍は笑顔ではっきりきっぱり断った。
「何よぅ、私が信用できないって言うの?」
「ええ。なんだか信用して身を任せた瞬間、押し倒されてタオルを剥ぎ取られるような気がしまして」
口を尖らせてぶうたれる紫に、藍は淡々と応えた。
紫はそれを聞いて、堂々と露骨に舌を打つ。
「ちぃぃ、読まれているとは……。
いいじゃないの、信用しなさいよ、そして押し倒されなさいよ!」
「開き直らないでください。と言うか押し倒す気マンマンですか!?」
「当たり前田のクラッカーよ! そんなんじゃ、永遠亭のウサ耳連中とのエロ担当争いに負けちゃうわよ!?」
「負けでいいですよそんなの。第一なんなんですか、押し倒すだのエロ担当だの。橙の教育に悪いでしょう!?」
藍は橙をかばいながら、紫を面と向かって怒鳴りつけた。
愛娘のように溺愛している橙を、むざむざと紫の毒牙にかけさせる訳にはいかないのだ。
だがしかし、紫は口を尖らせて、拗ねたような口調と態度でもって藍に追いすがる。
「いいじゃない。エロスなんて、いずれは誰もが通る道よ。それがほんのちょっと早くなるだけのことよ。
だから脱ぎなさいよ、むしろまろび出しなさいよ! この裸族! むっつりエロギツネ!」
「何トチ狂ってるんですか紫様! ちったぁ落ち着いてください!」
「落ち着いてるわよ。私はいたって冷静よ!
冷静に藍を押し倒して」
「ネタかぶってますから。それ前のCMで既に出てますから。
まったく……。いい歳こいて何を錯乱してるんですか。いっぺん自分の年齢を考えてくださいよ」
藍はそう言って、おでこに手をやり溜め息をつく。
対する紫は、引きつった笑みを浮かべていた。
「と、歳……。
藍? あなた面白いこと言うのねぇ?」
「事実を述べたまでですよ」
「……ほほほほほ」
「……ふふふふふ」
向かい合って笑う紫と藍。
しかし、よく見ると目は笑っていなかった。
二人はしばらく、嫌なプレッシャーを撒き散らしつつ笑いあっていたが、
その不毛さに気付いたのか、どちらともなく視線を外して一呼吸。
「いいから押し倒されなさいよこの駄目式!」
そして、いきなりキレはじめる紫。
ものすごい剣幕で藍の両肩に掴みかかり、がっくんがっくんと前後に激しく揺さぶりだした。
「ふざけるのも大概にしてくださいよこのぐーたら妖怪!」
揺さぶられながら、普段なら絶対に言いそうにない暴言をサラリと口に乗せる藍。
案の定、藍もやっぱりキレていた。
「ほほほほほ……、藍、貴女、言ってはいけない事を言ってしまったようね。それも二度も」
「ふふふふふ……、私はただ、本当のことを言ったまでですよ」
紫と藍は、殺気を湛えた笑みを浮かべながら、互いにガンをつき合わせる。
二人はしばらくそうしていたが、突如として紫が後ろに跳び退った。
「本当にしょうがない子ね、藍は!
もうこうなったら実力行使よ!
目にしみないシャンプーの威力というものを、嫌ほど思い知らせてあげるっ!」
威嚇でもしたいのか、両手を広げて掲げ、何故か鶴のポーズをとって叫ぶ紫。
「いいでしょう、返り討ちにして差し上げます!」
藍もまた、売り言葉に買い言葉で、拳を握り締めながら応えるのであった。
「できもしないことは言うものではなくてよ、藍!」
「できるから言っているのですよ、紫様!
脱げば脱ぐほど強くなる!スッパの時に負けはなし!
流派・全裸不敗の奥義、しかとその目に焼き付けさせてあげましょうっ!」
「だから貴女はアホの子なのよ、藍っ!
貴女にそれを授けたのは誰だったか、忘れたというのかしら!?」
「ならば、心ゆくまで語りましょう、……この拳でっ!」
「是非もないわ!」
二人は全く同じ構えをとり、睨みあう。
そして、全く同時に口を開いた。
「「テンコーファイト・レディー……ゴオォォォッ!!」」
二人の声が唱和し、風呂場に響き渡る。
二人は今この瞬間から、主と式の関係ではなくなった。
向かい合って火花を散らすは、誇り高き二人のテンコーファイター。
激闘の幕が、ここに切って落とされた。
紫は水着、藍はバスタオル。
対峙する二人の薄着度は同等。
それはすなわち、テンコーファイトにおける力『テンコー力』も同等であるということ。
テンコー力に頼っての戦いは不可能。
勝敗を分かつものは、鍛え上げられた、己自身の力と技のみ。
二人は身構えて、掌にテンコー力を集中させる。
掌に集約された力は、暴力的なエネルギーの奔流となって、その手の中に収められた。
「爆熱ぅ! スッパフィンガアァァァアっ!!」
「スキマフィンガアァァァっ!!」
両者は迷いなく踏み込み、拳をぶつけあう。
停滞し、行き場をなくしたエネルギーの余波が、風呂場の床に張られたタイルをひび割らせ、めくり上げ、吹き飛ばしていく。
一撃の威力に於いては、互角。
互いの力量を見切った紫と藍は、まったく同時に跳び退った。
「どうやら、甘く見ていたようね……」
「いつまでも、あなたの背中ばかりを見ているわけにはいかない!
……てぇりゃぁっ!」
藍はぐっと強く踏み込んで、風の疾さで紫の懐に飛び込み、正中へと突きを放つ。
紫は咄嗟にその突きを受け止めるが、藍はそこからさらに踏み込んだ。
「肘打ち裏拳正拳っ!」
一撃は重く鋭く、その威力はまさに必殺。
されど身のこなしは、一点の濁りもない清流の如く。
優美にして熾烈な砲火を、しかし紫は悉く紙一重で受け流し、あるいは受け止めた。
藍が再度の追撃をかける間もなく、紫は藍を蹴りつけ、その反動をもって間合いを開ける。
「くっ、私を押すとは……腕を上げたわね、藍!」
紫は、ステップを踏み、体勢を立て直しながら毒づく。
しかし、その顔には、いまだに余裕の笑みが色濃く浮かんでいた。
「けれど、そんなもので私を止められるとは思わないことね。
そう、貴女が何をしようとも……私の決意は揺るがない!」
「な、なんだって……?」
紫の言葉に、藍は戸惑いを隠せずにいた。
狼狽する藍を余所に、紫は藍から視線を外し、俯いて、話を続ける。
「誓ったのよ。なにがあろうと、私につけられた、ぐーたら妖怪という汚名を返上してみせると」
「どういうことですか、紫様!」
「分からないかしら……? 目にしみるシャンプーという苦難がなくなるということが、何をもたらすのか。
誰だって苦難や苦痛は避けたいもの。そして、苦難を避けることを覚えると、もうその苦難を甘受することはできなくなる。
楽することを覚えてしまえば、誰だって堕落していくものよ」
紫はそこまで言って一息つくと、再び藍に視線を戻す。
その瞳に浮かぶものは、明らかな狂気の光だった。
「そして、楽することを覚えた人妖たちは、掃除をしなくなったり、食事を店屋物で済ませたりするようになる。
そこから堕落は見る間に進んでいき、最終的には私以上のぐーたらになって、私がぐーたら妖怪と呼ばれることはなくなる。
うふふふふ……、そうよ、それがいいわ、それが一番だわ!
その為ならば、目にしみるシャンプーなど滅びてしまえばいいのよ!」
「な、なんて滅茶苦茶な屁理屈だ……。
狂ってる、あなたは狂っています、紫様!」
「なんとでも言うがいいわ。
手を汚すことなくして勝つ。これこそ究極の勝利じゃない!」
「何故、それがぐーたら妖怪と呼ばれる所以だと、判らないのですか!?
我が身を痛めない勝利など、何ももたらしはしません! 何故それに気付こうとしないのですっ!」
「主に説教を垂れるなんて、随分立派になったものね、藍!
だから、貴女はアホの子なのよーッ!」
もはや、届かないのか。
どんなに叫べども、狂気の淵に居る紫を、正すことは出来ないのか。
今にも泣き出しそうな表情で、藍は俯いた。
「……紫様、私はあなたを敬愛していました」
俯いたまま、藍は訥々と話し始める。
「あなたは、力に溺れ、驕り高ぶっていた私の目を覚まさせてくれました。
いかに力をつけようとも、心の伴わぬ力は強さにあらずと。
心の強さあってこそ、本当に強くなれるものなのだと……。
それを私に教えてくれたのは、あなたです。あなたではありませんか……」
藍は呟きながら、拳をぎゅっと握り締めた。
爪の先が白くなるほどに固く。憤りのためか、わなわなと震えてさえいる。
「だというのに……!」
藍は顔を上げ、紫をきっ、と鋭く睨む。
主の過ちを正すことが自らの使命であると言わんばかりに、烈迫の気勢でもって、紫に向かい口を開いた。
「紫様! あなたは間違っている!
何故ならば、あなたが返上しようとする、ぐーたら妖怪という汚名は、今までの紫様自身の言動に由来するもの!
堕ちるところまで堕ちきった、もうこの下なんてありませんが何か?的存在! いわばヒエラルキーの最底辺!
それを忘れて、なにが汚名返上、なにがカリスマ回復だというのですかっ!
そう! 汚名のいわれとなった悪癖を直さずしての汚名返上などっ……愚の骨頂!」
「ならば貴女が正しいか、私が正しいか、勝利の二文字を以て教えてあげようじゃないっ!」
「わかりました……、決着をつけましょう。
――ハアァァァァッ!!」
藍の身体から、眩く輝く黄金のオーラが立ち上り、その身にまとったバスタオルが吹き飛ばされた。
ぴんと真っ直ぐに立てられた九つの尾は、金色の後光のごとく放射状に展開され、ある種の荘厳さを湛えている。
一糸まとわぬ姿であるにもかかわらず、その姿には、いやらしさなど微塵も感じられない。
ただ、凛々しく、雄々しく、美しい。
神々しくさえあるその姿は、キングオブスッパの名に恥じることのない、実に威風堂々とした出で立ちだった。
「あなたの犯そうとしている過ちは、あなたの式である私が粛清するっ!!」
「来なさい、ヒヨッ子がっ!!」
紫の言葉を合図として、藍は再び間合いを詰め、右の拳を唸らせた。
空を切り裂き放たれた拳は、吸い込まれるように紫の頬を捕らえる――が、それは紫の拳とて同じこと。
互いの拳は、同時に、鏡写しのように、互いの頬にめり込んでいた。
両者相打つクロスカウンターを食らいながらも、二人は倒れこむことなく、二の拳、三の蹴りを放っていく。
二人の拳が、脚が、火花さえ散らして交錯する。
絶え間なく撃ち出されるそれは、さながらに必殺の砲撃。
撃ち出し、受け止め、放ち、受け流す。
荒れ狂う嵐のような拳と蹴りの応酬の最中、藍は、紫の拳を通して、紫の心を感じ取っていた。
こ、これは……。紫様の拳が……、拳が泣いている……!?
藍の一撃を受け止め、藍に一撃を加えようとする紫の拳。
それは、狂気に囚われた者の拳ではなかった。
紫の拳から感じられるものは、ただ、深い悲しみ。
武道家の拳とは、正直で、不器用なものだ。
拳を交わすことによって、ひた隠しにしていた脆さや弱さまでも、さらけ出してしまうから。
そうだ、己の拳は、己の魂を表現するものだと、そう教えてくれたのは、このひとだ……。
藍の胸中に、かつての紫の姿が去来する。
流派全裸不敗の師匠として、己に武人のあるべき姿を示してくれたひと。
そして、主として、己に式としての生き方を与えてくれたひと。
だが、今この時において、その拳は深い悲しみに包まれている。
紫の悲しみを解き放つことが、果たしてできるのだろうか――。
もはや、両者の一撃は、目視すらできないほどに加速していた。
どんなに卓越した動体視力を持ってしても捉えられないほどの超高速の攻撃は、やがて音速の境地へと足を踏み入れる。
ただがむしゃらに撃ち合い、ただひたすらに捌きあう。
一瞬とも永遠ともつかない応酬の終焉は、互いの左腕を正面からぶつけ合うことで迎えられた。
「……くぅっ!?」
「――っつぁっ!」
同時に苦悶の声を漏らし、激痛に顔を歪める紫と藍。
相対するものを撃ち貫くために、ただ速く撃ち出されあった拳は、互いに砕きあい、その役目を終えた。
骨は粉々に砕かれ、裂けた皮膚から血が滴り落ちる。
創痍の左腕を抱えた両者は、それでも果てぬ闘志を瞳に宿し、身構えなおす。
「……いいわ、これで終わりにしましょう、藍」
紫は拳を砕かれた痛みに顔を歪めながらも、いつもの調子を崩すことなく、戦いの終了を宣告する。
紫自らが終局を告げることなど、ほとんど有り得ないと言ってもいいほどなのに。
表向き余裕の態度を装っているものの、それだけ追い詰められているということが見て取れた。
「言われるまでも……ありませんっ!!」
もはや、退路はない。
紫の言葉に応じながら、藍は心中で覚悟を決めた。
紫を倒すか、自分が倒されるか。
そのどちらかでしか、この戦いは終わり得ないのだから。
「流派!」
右足を前に突き出し、タイルを強く踏みしめて、声高に叫ぶ紫。
同時に、右手を手前にぐっと引き寄せた。
そこに刻まれた、キングオブスッパの紋章が、淡い光を放ち始める。
「全裸不敗が……!」
紫の鏡写しとなって、紫の声に続く藍。
精神を統一し、全身に満ちるテンコー力を右手に収束させていく、その過程で。
キングオブスッパの紋章が、燃えるように紅く輝きだした。
「最終!」「奥義!」
紡ぐ言を同じくして、しかし成す体を異にする二人。
若き獣がその右手に宿すものは、無双なる剛き力。
一途な想いのように、ただ不器用で真っ直ぐな力。
その身体から吹き上がるテンコー力は、天を突く金色の光の柱となって、藍の身体を覆いつくす。
老練な妖がその右手に宿すものは、無双なる柔な技。
風にそよぐ柳のようにしなやかに、冴えやかに磨き上げられた技量。
その身体から溢れ迸るテンコー力は、白銀の光の玉となって、紫の身体を覆っている。
「スゥゥッ!」「パァッ!」
「「テェェェンコォォォォけえぇぇぇぇぇんっ!!」」
二人の全力を込めた、究極の一撃。
撃ち出された闘気の塊は、大質量大熱量の波動弾となって、敵を飲み込もうと暴れ狂う。
その勢いは一進一退、均衡しているかに見えたが――、紫の撃ち出した波動弾が、わずかながら質量、威力ともに勝っていた。
「くぅ……っ」
藍の顔が、戦慄と焦燥とによって歪められる。
式として仕え続け、弟子として仰ぎ続けた大妖。
乗り越えることかなわぬ絶壁のような、圧倒的な紫の力を前に、気圧されてしまう。
藍は、限界を迎えつつあった。
ほとんどすべての気力をテンコー拳の一撃に注ぎ込んだため、立っているのもやっとという状態。
さらに、砕けた左腕から来る激痛が、わずかに残った気力を容赦なく奪っていく。
歯を食いしばり、倒れまいと気を繋ぐことで精一杯だった。
だが、それさえも、もはやかなわぬこと。
やはり勝てない。私では敵わない。
藍は諦めとともに膝を落とし、ゆっくりと崩れ落ち――、
「そこまでなの? 貴女の力など、そこまでのものに過ぎないというの!?
貴女はそれでもキングオブスッパか!」
紫の言葉に、藍は弾かれたように顔を上げる。
藍の視線の先には、厳しくも優しい、師としての紫が立っていた。
全力で、弟子にとっての高い高い壁であろうとする、師の矜持を瞳に宿して。
「もっと、足を踏んばって、腰を入れなさい!
そんなことでは、悪党の私一人倒せないわよ、このバカ式ッ!」
「ゆ、紫様……?」
膝を折る藍に向けて、容赦のない言葉を吐き捨てる紫。
だがそれは、嘲りや侮蔑の言葉などではなく、不甲斐ない藍を奮い立たせようとする叱咤だった。
「何をしているの!?
自ら膝をつくなんて、勝負を捨てた者のすることよ!!
キングオブスッパの誇りがあるのならば立ちなさい、立ってみせなさい!!」
風呂場に反響する、紫の言葉。
その一語一句が、挫け折れ、負け犬になりかけていた藍を突き動かす。
「言ったはずです、紫様……! 私は、あなたを止めてみせるとっ!」
紫の言葉を受けて、死に体だった藍が甦る。
消えかかっていた闘志の炎が、再び赤く燃え上がる。
もう限界だと、そう決め付けていたのは誰か。
それは、他の誰でもない。自分自身に他ならないのではないか。
よくやった、もう充分だと、自分を誤魔化し慰め、諦める口実にしていただけではないか。
そうだ。
限界なんて言葉は、自分が諦める時に口にする、言い訳に過ぎない――。
血塗れの左腕。
骨は砕かれ、筋肉は裂け、動かすこともままならない。
しかし、藍はそれを振り上げた。
激痛に顔を歪ませ、脂汗を垂らしながらも、歯を食いしばって、ゆっくりと、確実に。
だらりと不恰好に下がろうとする腕に鞭打ち、胸のあたりまで振り上げた左手に、テンコー力を込めていった。
――私のこの手が真っ赤に燃える
勝利を掴めと轟き叫ぶ――
藍は瞳を閉じ、謡うように言を紡ぐ。
右手に刻まれたキングオブスッパの紋章から、本物の炎が吹き上がる。
それは、藍の尽きぬ闘志がそのまま現出したかのような、紅く激しい真っ赤な炎。
そして、見開かれた藍の瞳もまた、普段の艶やかな金色ではなく、燃えるような真紅に彩られていた。
魂さえも燃やして、全身全霊をかけての一撃を放つために。
「ばぁぁくねつぅっ! スッパフィンガアァァァ……テェェェン! コォォォォ! けえぇぇぇぇぇんっ!!」
この一撃が、藍のすべて。
放たれた力は、黄金に輝く狐にその形を変え、咆哮を上げて紫の波動弾に真正面からぶつかり合う。
爆炎はなく、かわりに眩い閃光が風呂場のすべてを照らし覆いつくす。
伴われるはずの轟音は、音として存在し得ることを許されず、吹きつけ薙ぎ倒す衝撃波となって風呂場を駆け抜けた。
閃光の中から飛び出したのは、黄金の狐。
そのまま真っ直ぐに紫のもとへ迫り行き――、
紫は。
微動だにすることなく、その一撃を受け入れた。
「ヒィィィィット! エン……」
「そうよ、藍。今こそ、あなたは真の……、キングオブスッパ……」
紫は黄金の狐に飲み込まれる直前、微笑んで、右手に刻まれた紋章をかざす。
その姿には、一片の後悔や怨嗟はなく。
ただ、弟子の成長を見届けきった、穏やかな想いだけを湛えていた。
「ゆ、紫さまあぁぁぁぁっ――――!!」
藍は、思わず叫び声をあげる。
しかし、その声は爆音にかき消され、紫に届くことはなかった――。
激戦を経て、半壊した八雲邸の風呂場。
崩れ落ちた壁や天井から見える、ほのかに白んだ空が、夜明けを告げている。
藍はそこで、横たわる紫の傍らにしゃがみ込み、その身体を膝に抱きかかえていた。
「藍、貴女の本気、確かに見届けたわよ。
私が貴女に教えることは、もう何もないわ……」
藍の腕の中で、紫は微笑み、静かに呟いた。
けれど、その微笑みは、どこか寂しげで。
「紫様、あなたは……」
「……ふふ。貴女に隠し事なんてできないわね。
そうよ、全幻想郷ぐーたら化計画なんて、本当はどうでもよかったの。
本当は……、シャンプーをするときに、目をぎゅっと瞑るのが嫌だった。それだけだったのよ……」
「わかっていた、わかっていたのに……っ!」
藍は呟いて、かぶりを振る。
零れ落ちた涙が、紫の頬を濡らしていった。
それから、ほどなくして。
東の山間から、ゆっくりと陽が昇り始める。
二人は、言葉を交わすこともなく、すべてを照らしだす紅い陽に見入っていた。
「美しいわね……、藍」
「はい、とても……、とても美しゅうございますっ!!」
「……なら――」
――流派・全裸不敗は
――王者の風よ
――全身、系烈
――素裸狂乱
――見よ、東方は
――紅く、燃えている……ッ!!
二人の声が唱和する。
口上を終えた紫は、にっこりと微笑んだ。
だが、その笑みは、今にも消えてしまいそうな、儚く弱々しいものだった。
紫は安らかな微笑みを浮かべたまま、瞳を閉じる。
藍の右手に重ねていた手から力が抜けていき、ゆっくりと、静かに落ちていった。
「紫様……? 紫様っ!」
主の名を叫びながら、その身体を揺さぶる藍。
しかし、紫は、藍の呼びかけに応えることはなかった。
「ゆ……紫さまあぁぁぁぁぁぁっ!!」
流派 全裸不敗王者風
全身系烈 素裸狂乱
見東方紅燃
吹っ飛んだ風呂場の壁から差し込む朝日をバックにして、紫の幻影とともに、虚空に文字が浮かぶ。
空に浮かぶ紫の幻影は、これ以上ないくらいのイイ笑顔でサムズアップしつつ、やがて消えていった。
そんな、ある意味涙無しには見ることのできない二人の応酬を、他人の振りをしてやり過ごす橙。
こほん、と咳払いを一つして、ソフトビニール製のゆかり人形をとん、と前に置く。
「八雲堂のスキマシャンプーしょうゆ味、新発売!
ソース味も同時発売ですよ!」
そして、何事もなかったかのように、ふつーに宣伝するのだった。
_/ _/ _/ 博麗神社 境内 PM 16:45 _/ _/ _/
「なんだこれ!?」
博麗神社の本殿に腰掛けながら、魔理、もといハクレイブラックは思わず声を張り上げた。
「いい話よねぇ……ぐすっ」
その一方で、霊、じゃなくてハクレイレッドは鼻を鳴らしつつ、目許ににじむ涙を拭う。
しな垂れて瞼をこするその姿には、『くやしい、でも涙がちょちょぎれる』と言わんばかりのわざとらしさがあった。
「何処が!? 感動するところなんか一つとしてなかったぞ!?」
「見るんじゃない、感じるのよ」
「あぁもう、わけわからん」
斜め上をカッ飛ぶエキセントリックな回答を返すレッドに、ブラックはがっくりと肩を落とした。
釈然としないものを胸に抱えたまま、眉をひそめて唇をへの字に曲げ、首筋のあたりをポリポリと掻く。
「……ってか、これ、ただのCMだろ? いくらなんでも長すぎないか?」
「今、『完全独走~俺が越えてやる!超増量☆大CMキャンペーン』実施中なんだって」
「なんだその無意味極まりないキャンペーンは」
普通、増やすなら商品の方じゃないのか。
CMを無駄に長くしたところで、何の意味があるというんだろう。
つーか、一体なんなんだこの無茶苦茶な脱線具合は。流派全裸不敗とかありえねぇ。紫は脱がないだろ普通に。
むしろ、たかだかCMごときに、真似とはいえ死んでみせる紫のサービス精神に脱帽だ。
「それに、いくらキャンペーンだからって増やしすぎだぜ。20Kbもいってるじゃないか……」
「にじゅっきろばいと?」
「あぁいや、なんでもないぜ」
きょとんとして首をかしげるレッドに向かって、ブラックはヒラヒラと手を振りながら口を濁す。
これ以上の質問は無意味と判断したのか、それともンなことはどーでもいいと片付けたのか。
レッドもふうん、と興味なさそうに鼻を鳴らしたきり、その話に触れることはなかった。
また時空が歪んで変なところに繋がったようだが、特に問題はない。
CMは、番組の頭と途中に1回ずつというのが、それは言わないお約束的なオトナの事情なのだ。
閑話休題。
二人は博麗神社の本殿の縁側に腰かけて、出涸らしのお茶なんだか白湯なんだかよくわからない液体を啜っていた。
「おかしいよね。なんで涙が零れるんだろ」
「だから、泣くくらいなら自分に嘘を吐くなっての」
湯飲みを傾けるごとにぽろぽろ涙をこぼすレッドに、ブラックは呆れ顔で嘆息した。
レッドはぐすっ、と鼻を啜り、一息に湯飲みの中身をあおりきる。
空の湯飲みを膝の隣にことりと置くと、袖で涙を拭って本殿から飛び降りた。
「なんて、泣いてるのも今日までの話よ!
やることはやったし、あとはここでこうして待ってれば、黙ってても参拝客が押し寄せてくるはずだもの!
さあどっからでもかかってきなさい参拝客!ハクレイジャーの威力を思い知らせてあげるわ!」
そうして、物騒なことを口にしながら、手にしたバールのようなものをぶんぶか振り回しはじめる。
「参拝客に襲い掛かりそうな勢いだなオイ。
ってーか、本当にこんな宣伝……?って言っていいかどうかもわからんが、
こんなので人が来るもんかね」
ノリノリのレッドとは対照的に、ブラックは冷めた調子で鼻を鳴らした。
さもありなん、宣伝らしい宣伝など微塵も行わず、やったことといったら通り魔に強盗に爆弾魔。
挙句にそれを記事にするのがあのパパラッチ娘ときたもんだ。
どうやったって、ネガティブキャンペーン以外の何者にもなりゃあしない。
「大丈夫よ。信じるものは救われるってよく言うじゃない」
「あぁ、そうだな。よく言われるな。
ところで、昼頃この世に神なんかいやしねぇ、って言ってたのは何処の誰だったっけか?」
「あたしだけど、それが何か?」
「……お前、そのうち祟られるぞ。
ったく、やれやれだぜ」
ブラックが溜め息をつくのと同じくして、境内に二人の声以外の音が紛れ込んできた。
それは、一定の間隔を取って、ざっざっ、と響いてくるいくつかの足音。
足音は段々と近く、大きくなってくる。
「こっ、これは石段を上がってくる音!? あぁ、この音聞くの何ヶ月ぶりかしら……」
レッドは足音を耳ざとく聞きつけて、恍惚とした表情を浮かべる。
恐らく、これを皮切りに参拝客が大殺到! という、あたまおてんきな未来予想図を思い描いているのだろう。
「おっ賽銭♪ おっ賽銭♪ お供え物とかザークザクーのウッハウハー♪」
妄想はどこまで加速していくのか、ついには変な歌を口ずさみつつ小躍りまでしはじめる始末だ。
「落ち着けって。石段を上がってくる奴がいても、それが参拝客とは限らないだろ」
「何言ってるのよ。あたしたちがあれだけ宣伝したんだから、参拝客に決まってるじゃない!」
「その根拠のない自信はどこから来るんだ」
ブラックはそう返しつつ、石段からの足音に耳を傾け、気配を探る。
人の気配はすれども、妖気や霊気のたぐいはほとんど感じない。
つまりは、石段を登ってきているのは、普通の人間だということ。
信じられないし、信じたくないが。
何の力も持たない普通の人間が、ここ、博麗神社に向かって来ている。
これはもう、覆しようのない事実だろう。――認めたくはないが。
ただ、一つ気がかりなことがある。
果たして、この突然の来訪者は、隣で小躍りするバカの期待通りの参拝客なんだろうか――。
まあ、十中八九違うだろうな。うん。
などと、思案に暮れるブラックを余所に、足音はどんどん近づいてくる。
そして、ひとつの人影が、石段から頭を覗かせはじめた。
「ほら見なさい! やっぱり、宣伝は効果てきめんだったの……よ……」
「……あー、そうだな。多分に悪い意味で効果てきめんだったらしい」
喜びに浮かれる顔は、愕然とした落胆の表情へと、その形を変えて。
怪訝そうにひそめられた眉は、引き攣った乾いた笑いへと変わっていった。
まず最初に見えたのは、純白のフルフェイスマスクだった。
次に、小麦色に焼けた、無駄に健康的な筋骨隆々の上半身。
ソレは腕を組んで、仁王立ちしたまま、上下に揺れつつ徐々にせり上がってくる。
腰に巻かれたチャンピオンベルトと、紅いビキニパンツが見える頃には、その奇怪な仕草の理由が明らかとなっていた。
変態は、一人ではなかったのだ。
赤ふんどし姿のむくつけき男衆が3人で騎馬戦の陣形を組み、その上に白マスクが仁王立ちしていたのである。
普通の人なら、こんな連中が練り歩いてるのを見た瞬間に当局へ通報するだろう。間違いなく。
ブラックはおでこに手を当てて、処置なし、とばかりに溜め息をついてから、バイザーを下ろす。
そうして、今まさに石段を登りきった変態集団に向かって歩を進めた。
「おいこら、そこの変態ども」
「変態とは聞き捨てならんな。我々は、里の青年団だ!」
「……はぁ!?」
変態集団のリーダーと思しき白マスクが返した言葉に耳を疑い、ついでに露骨に眉をひそめるブラック。
サトノセイネンダン、という新種の妖怪でも現れたのかと、一瞬本気で考えてしまったのはご愛嬌ということで。
「よし皆、この少女に一つ自己紹介をしてやろうではないか!」
困惑するブラックを見てとり、白マスクは配下のふんどし連中に号令をかけた。
ふんどし達は統率の取れた動きでブラックの前に横一列に整列し、決めポーズであろう姿勢をとる。
……のはいいのだが、ふんどし一丁のマッチョマンたちが横一列に並ぶ光景は、非常に目と精神に優しくなかった。
「遠からん者は音に聞け!近らば寄って目にも見よ!」
口上とともに右腕を水平に伸ばし、左腕をやや下に下ろして伸ばすふんどし1号。
「里の秩序と安全を守る、人と地域に優しいヒーロー!」
ふんどし1号とは対照的に、左腕を水平に伸ばし、右腕をやや下に下ろして伸ばすふんどし2号。
「天知る地知る、人ぞ知る。誰が呼んだか人呼んで!」
二人の手前に片膝を立ててしゃがみ込み、翼を広げる鷲のように両腕を広げ、斜め後ろへぴんと伸ばすふんどし3号。
ポーズをとる3人のマッチョマンたちにより、漢三角形、いわばマッスルトライアングルが形作られる。
そして、マッスルトライアングルの中央で腰に手をあて胸を張り、威風堂々と仁王立つ白マスク。
完成された真・漢三角形を決めながら、4人は一斉に口を開く。
「「「「我ら、さわやかナイスガイズ!」」」」
「嘘こけやあぁぁぁぁっ!!」
目の前でバカ炸裂ショーを繰り広げる変態マッスルどもに、ブラックは脊椎反射でツッコミを入れた。
こんな連中が「さわやか」だの「ナイスガイ」だの言っていても、カケラほどの信憑性もありゃしない。
むしろ、夜な夜な謎の一室で会合しては、アベック殲滅レッツハルマゲドン!とか叫んでいそうないでたちだ。
なにゆえに、何のために、こんな気の触れたような格好で活動しているのか。
止めろよ上白沢。
気疲れして肩を落とすブラックを余所に、4人はポーズを解いて、後ろで硬直しているレッドに向かい歩き出す。
ブラックは気を取り直して4人に追いすがり、素早く回り込んでレッドの前に躍り出た。
「待てよ。その青年団が何の用だ?」
「道を開けたまえ。我々はそこの強盗を懲らしめに来たのだ」
「強盗、だと?」
白マスクの言葉に、ブラックは眉をひそめる。
確かにレッドはミスティアを襲ってウナギを奪ったが、それで里の人間が動くというのも妙な話だ。
怪訝そうな呟きを受けてか、白マスクは頷きながら言葉を続ける。
「そうとも。ミスティアさんからウナギを奪ったのはそこの赤い奴だろう」
そして、それを皮切りに、変態一同が口々に畳み掛け始めた。
「午後の巡視の最中、ミスティアさんが泣いていたのさ!」
「すわ何事かと話を聞けば、
『変な赤い奴に襲われて、ウナギをみんな奪われちゃった。だから今日は暖簾出せないの、ごめんね』という悲痛な涙!」
「それから人づてに聞き込みを続け、辿り着いたのがこの神社というわけだっ!」
「あんな健気な娘を泣かせるなど、まったくもって言語道断!」
「そのウナギはミスティアさんのものだ、返してもらうぞ!」
「……む」
変態マッスルどもの言葉に、ブラックは小さな呻きを漏らす。
言われてみれば、今日はミスティアが人間のフリをして人間相手に暖簾を出す日だ。
ミスティアの変装がうまいのか、魔力を持った歌で惑わし、誤魔化しているのかは判らないが、
里の人間にとって、彼女は『夜店を営んでいるかわいい娘』程度の認識しかないのだろう。
ミスティアがこいつらを利用したのか、それともこいつらが単なる義憤で自発的に神社に押しかけたのか――。
これは、拙い。
ただでさえ『妖怪の溜まり場』だの『撲殺処刑場』だのといったデッドハザードな二つ名で呼ばれてしまっているのに、
ここでレッドが暴れてこの4人をタコ殴りにしようものなら、参拝客の訪来など二度とかなわぬ望みになる。
どうする、どうすればいい――――。
「OKわかった、あんたらみんなミスティアの味方で、あたしらの敵なわけだ。ただちに成敗してゲフゥ!?」
いつの間に立ち直ったのか、空気も読まずに物騒なことを口にするレッドのみぞおち目がけ、渾身の肘鉄を叩き込む。
レッドは無防備なところにイイのを貰い、そのままうずくまって悶絶した。
「ちょっと、いきなり何するのよ!」
「相手は普通の人間なんだぞ。私が話し合いで解決しようとしてるんだから邪魔するな!」
文句を言おうとするレッドだったが、ブラックの剣幕に気圧され、たじろいだ。
しかしすぐに立ち直ると、小さく首を振ってため息をつき、言葉を返す。
「ブラック、あんたは勘違いしてるわ。
あたしがやろうとしてるのだって話し合いよ」
「本当だろうな……」
半信半疑、どころか1信9疑くらいの態度で、でもちょっぴり期待しながら、レッドに問いかける。
「ええそうよ、肉体言語で語るステキな話し合い。使用ツールは主に拳とバットね」
「なんでそうバイオレンスな方向にもって行きたがるんだお前はぁぁぁ!」
顔を引き攣らせて絶叫を張り上げるブラックに、レッドはイイ笑顔を浮かべつつサムズアップしながら、
「そこに獲物がいるウボァ」
「お前はいっぺん脳を洗濯してもらえ!」
顔面に、会心の右ストレートをもらったのでした。まる。
「ついに正体を表したか!お前たちのような極悪人を見逃すわけにはいかん。
二度と悪事を働かないよう、我々が懲らしめてくれる!」
びしっと人差し指を突きつける白マスクを見て取り、レッドは鼻を押さえていた手を離してくっくっと含み笑いを漏らす。
そして、おもむろに懐から金属バットを取り出すと、その先端を白マスクに突きつけかえして口を開いた。
「懲らしめる、ですって? 無力なザコ助ごときが笑わせてくれる!
恐れを知らぬ愚か者どもめ……、あたし達の正義パワーでミンチにしてくれるわ!!」
どうみても魔王のセリフです。本当にありがとうございました。
レッドは金属バットを右手に携えて、マッスルたちと対峙する。
凶器を片手に身構える変なのVS変態筋肉集団。
どっちが正義でどっちが悪なのかさっぱりわからない、なんとも言いようのないシュールな構図の出来上がりだ。
ちなみにブラックはというと、レッドから三歩ほど引いた位置で、やる気のカケラもなくあさっての空を見上げていた。
「ほら、どうしたの? 早くかかってきなさいよ。
威勢がいいのは口だけなのかしら?」
気迫に中てられ、二の足を踏むナイスガイズの面々に話しかけるレッド。
その口調がなんとなく悪役じみてきているのは、はたして気のせいなのだろうか。
「くうぅ、なんというプレッシャーだ……」
「怯むな、田吾作!」
「美しい肉体には、相手を魅了する力がある……っ!忘れたか、さわやかナイスガイズ伝統の必殺技をっ!」
「そうだ、権兵衛の言うとおりだ!やるぞ、さわやかナイスガイズ奥義ッ!」
白マスクの号令一下、マッスル達は横一列に並び、レッドに対峙する。
「「「「みんなでダブルバイセップス・フロント!」」」」
一斉に叫びを上げ、ポージングを決めるマッスル達。
雄々しく隆起する上腕二頭筋から、熱い漢のオーラがほとばしる!
「かはっ!?」
こうかは ばつぐんだ!
許容限界値を大幅に上回る、むさ苦しいオーラの直撃を受けるレッド。
いろいろと重篤な精神的ダメージを受けたためか、思わず吐血して膝をつく。
――美しい肉体には、相手を魅了する力がある。
確かに、これは間違いではない。
ただ、むさ苦しいマッチョが魅了できる相手はというと……、
むせ返るほどに濃密な漢の筋肉が好きで好きで堪らない、という趣味をもつ人間だけだろう。
そして、そういった趣味がない少女にとっては、むさ苦しい漢の筋肉などただの凶器である。
「効いているぞっ!」
「よし、このまま畳み掛けろっ!」
しかし、マッスルどもは何を勘違いしたのか、なおもレッドに追撃をかけだした。
「「「「みんなでサイドトライセップス!」」」」
ビルドとシェイプの妙たる神秘の上腕三頭筋が光って唸る!
「ほぐうっ!?」
もちろん、こうかは ばつぐんだ!
「「「「みんなでアドミラブルアンド・サイ!」」」」
モーセの十戒のごとく綺麗に割れた腹筋と、滝のように荒々しい大腿筋が轟き叫ぶ!
「へぶっ!?」
やっぱり、こうかは ばつぐんだ!
「「「「みんなでモスト・マスキュラアァァァッ!!」」」」
居並ぶ4人が、己の剛き肉体と、否応にも滲み溢れ出る逞しさを見せつける。
それはまさに、力強さの権化の降臨。
「ごふっ!?」
しつこいようだが、こうかは ばつぐんだ!
「っはぁ、はぁ……。くぅっ、出オチのチョイ役の分際で小賢しい真似をっ!」
レッドは片膝をついて、荒い息を吐きつつ毒づいた。
口もとを伝う血を袖口で拭うと、杖代わりにしたバットにもたれかかる。
それにしても。
何故にレッドは、一々マッスルどもの姿を見てはダメージを受けているのだろう。
隣で顔を背けるブラックのように、目に毒な光景を直視しないようにすればノーダメージで済むのに、妙なところで律儀だ。
「よし、トドメだ!さわやかナイスガイズの奥義、目に物見せてくれる!
いくぞみんな!とおぉっ!!」
弱りきったレッドの姿を見とめ、最後のトドメを仕掛けにかかる。
筋肉マスクの号令一下、4人のマッスルはレッドに飛び掛り、その四方を取り囲んだ。
ふんっ、はっ、と声を上げつつポーズをとり、口を揃えて一斉に叫びを上げる。
「「「「漢車・コンチェルトマッスル!!」」」」
つま先立ちでちょこちょこ歩きながら、レッドのまわりをくるくる廻ってポージングするマッスルども。
隆起する上腕二頭筋。
震える大胸筋。
はちきれんばかりの腹筋。
堅く引き締められた背筋。
鋼のごとき大腿筋。
そして弾ける尻えくぼ。
目を逸らしても、顔を背けても、否応無しに視界に入る鋼の筋肉。360度オールレンジに肉体美。
むさ苦しい漢のオーラは、漢たちの漢たちによる漢円の中央において、むせ返るほど濃密なものに濃縮されている。
絶妙な距離で繰り広げられる、逃げ場の無い筋肉の宴は、言うなればまさに四面マッスル。
うっとりするほどマッスルパラダイス。びっくりするほどマッスルファンタジー。
「う”あ”あ”あ”あ”あ”っ!」
ぷちん。
しゃがみ込んで頭を抱えつつ悶絶するレッドから、ナニカが切れる音がした。
決して切れてはいけない何かが、今音をたててブチ切れなさったのだ。
そうして、ゆらり、と揺らめき立ち上がった次の瞬間、マッスルの一人が派手にぶっ飛ばされた。
「ふべらばっ!?」
「田吾作うぅぅっ!」
「大丈夫だっ!?傷は浅いぞっ!?」
「なんで疑問形っ!?」
口々に叫びながら、吹っ飛ばされたマッスルに駆け寄る他のマッスル。
レッドはバットを片手に、その光景を遠巻きに見ながら、口の端を邪悪極まりない角度に吊り上げる。
いわゆるところの、殺ス笑みだった。
そして。
「…あぁ、なんかもう、どうでもいいや。
あんたたちのふんどしとか、ちょっとあかぐろくなっちゃうけど、べつにだれもこまらないよね?」
右の袖からバールを引き抜きながら、どこか夢見るような口調でもって、冷酷無慈悲な大虐殺宣言をしたのであった。
右手に恐怖の赤バット、左手にバールのようなものをそれぞれ携え、ぎらり、とマッスルどもを凝視するレッド。
バイザー越しでさえ感じ取れてしまう、据わりきった眼と、光の失せた虚ろな瞳。
そう、恐怖の最終鬼畜撲殺レッド、ここに光臨さる。
なんとなく某お嬢様のスペルカードっぽいネーミングだけど、ヒーローたるものそんな些細な事は気にしないのだ。
レッドはひた、ひたと、亡者のような足取りでナイスガイズに向かっていく。
数歩ほど進んだところで、ブラックが割り込み、目の前に立ちはだかった。
「ちょっと待て、お前。落ち着けって。な!?」
「そこをどきなさいよ」
レッドは、抑揚のない淡々とした口調で、それだけを呟いた。
……間違いない。こいつは、殺る気だ。
「ま、待てよ! 相手は変態とはいえ普通の人間なんだぞ! そんなに熱くならなくてもいいだろ!」
「ブラック、あなたにいいことをおしえてあげるわ。
むかしのえらいひとも『変態には容赦するな。サーチアンドデストロイだ』っていってるのよ」
レッドは全身から溢れ出る殺気を隠そうともせず、ゆっくりとナイスガイズに向かって歩を進める。
じりっ、じりっ
レッドがにじり寄ってくる。
ずりっ、ずりっ
ブラックは無意識に後ずさる。
じり、ずり、じり、ずり、じり、ずり。
昼過ぎにやったのと同じ、しかし危険度は格段に違う、絵的に地味な攻防。
「な、なあ。話し合いの余地はないのか?」
「あるわけないじゃないの。
そこのきんにくは、このげんそうきょうにそんざいしてちゃいけないものだから、あたしがしょうめつさせてあげるのよ」
怖いくらい優しく――、いや、実際この上なくおっかねえレッドの声。
狂気にはそれなりの耐性を持っているはずのブラックでさえ、その凶気の前にはたじろぐばかりだった。
「だいじょうぶよ。なにもしんぱいすることはないわ。
ただかるく撲殺とか撲殺とか撲殺とか撲殺とかしてくるだけだからぁぁぁ」
「おーい、戻って来い!」
必死に制止しようとするブラックを振り切って、レッドはナイスガイズへ跳びかかった!
「ケーーーーッヒッヒッヒッヒッヒッヒ!!」
禍々しい笑い声を上げながら、両手の獲物を振りかぶる!
「待ちなさい!!」
どこからともなく響いてきた声とともに、着地したレッドの足元に数本の紅い針が打ち込まれる。
しかしレッドはそんなものなど意にも解さず、さらにナイスガイズへ向かって跳躍した。
「待ちなさいってば!!」
再び響く声とともに、飛んできたのは紅い錐。
錐はレッド眼前をかすめるように横切るが、相変わらずレッドはケヒケヒ笑いながらナイスガイズに迫り行くのみ。
「夢想ぉぉ撲殺ァァァつ!!」
なんか間違ってるスペルを発動させ、古今東西ありとあらゆる鈍器を周囲にまとい、さらに加速して突っ込んでいく。
「想い出を血に染めてやるーーーーーー!!」
そして、今まさに眼前の白マスクへ恐怖の一撃を――
「待てっつってんでしょうがあぁぁぁぁっ!」
どげめしゃっ。
「ごふっ!?」
最終奥義・実力行使。
ちょっぴりブチ切れつつ張り上げられた絶叫とともに、レッドの横腹に鋭い飛び蹴りが叩き込まれた。
これにはさしものレッドも堪らず、そのまま真横に吹っ飛ばされる。
レッドの横腹に蹴りをかました影は、その反動でもって、もと居たであろう場所へと跳び退がった。
「な、何者っ?」
レッドは鋭い蹴りを叩き込まれた横腹をさすりながら、声のする方を向く。
そこには、腕を組み颯爽と仁王立つ、幼きデーモンロードの姿。
レミリアは美鈴たちがマッスル達を逃がしたのを横目で確認すると、大きく息を吸い込んで口を開いた。
「Kチームよ!」
「け、Kチーム!?」
おうむ返しに聞き返すレッドを見て取り、レミリアは得意げな笑みを浮かべる。
「また変なのが出たよ……」
その一方で、ブラックがぽつりと漏らした呟きは、聞かなかったことにしたのであった。
「みんな、口上行くわよ!」
号令に従って、レミリアを中央に、右に美鈴、左に咲夜とパチュリーが控え、横一列に立ち並ぶ。
面子はともかく、その居立ち振る舞いはまごうことなき正義のヒーローのそれだった。
「わたしはリーダー、レミリア=スカーレット。通称紅いお嬢様。奇襲戦法と変装の名人。
私ほどのカリスマでなければ、百戦錬磨の変態どものリーダーは務まらん!」
「ちょ、ちょっとお嬢様!私は変態じゃないですよっ!?」
きっぱりはっきり断言するレミリアに、美鈴は半泣きになって反論する。
しかし、レミリアはそんな儚い抵抗など意にも介さず、軽く首を振って早く続きをやれと催促するのみだった。
「わ、私は門番、紅 美鈴。自慢のルックスに、みんなの視線が痛いです。
ハッタリかまして、ブラジャーからカードまで、何でもそろえてみせましょう!だからお願い名前で呼んで!」
美鈴は半べそをかきながらも、レミリアの催促に応じて声を上げる。
最後の一言に至っては、マジ泣きが入っているあたり、気の毒なくらい健気だ。
「私はパチュリー=ノーレッジ。通称紫もやし。魔法の天才。
大統領だって殴ってみせるわ。でも運動だけはかんゴファ」
「うわパチュリー様!いきなり吐血退場ですかっ!?」
「パチェー!? しっかりしてパチェー!!」
「かふぅっ……、だ、大丈ブイよ」
いきなりのアクシデントにちょっぴり取り乱し気味のレミリアに向かい、半ば無理やり笑顔を作ってみせる。
どうでもいいけど、今時大丈ブイは古すぎやしないだろうか。
しかも、手で作ったVの字がさりげなくバッテンになっているあたり、どうコメントすればいいのかわからなかった。
「どうやら、少し無理をしすぎたみたいね……」
「いや無理しすぎたってパチュリー様、紅魔館からここまで飛んできただけじゃないですか」
口もとの血を拭いながらか細い声で呟くパチュリーに、美鈴が冷静なツッコミを入れる。
どんだけ虚弱体質なんだろう、この紫もやし。
「心配には及ばないわ。こんなこともあろうかと思って用意しておいた、今日のビックリドッキリステキアイテム、
『ダイナミックパチュリースペシャル 消極的につよい身体をつくるネオ』を使うときが来たようね……」
ざらざらざら。
ごっくん。
んがくっく。
「だ、だいなみっく……?なんなんですかパチュリー様、その変なネーミングの薬は」
つよい身体をつくりたいのか、つくりたくないのか。
明らかに分量過多の錠剤を飲み込もうとしてノドに詰まらせるパチュリーに向かい、美鈴は脱力した様子で尋ねる。
「げっふ、ごふぅ……、栄養剤よ。
プロテインとかサプリメントとか各種ドーピング薬とか混ぜ倒した、私専用の栄養……え、えいお……お……、
オクレ兄さん!!」
対するパチュリーは、意味不明なことを叫びながら、白目をむいて身体をビクビク痙攣させはじめた。
「ぱ、パチュリー様っ!?」
「ハイルオクレ! ジークオクレ!」
「拙いわね、完璧にキマってるわ……。
ニイハオっ! 気付けの一発をパチェにかましなさいっ!」
「はっ、はい!」
あからさまに名前を間違えられているにもかかわらず、素直に返事してしまう美鈴。
そんなのだから、まともに名前を覚えてもらえないんじゃなかろうか。
ずばきゃっ!
美鈴の放った右斜め45度のチョップが、パチュリーの延髄へと綺麗に決まる。
美鈴、まさかのクリティカルヒット。
「モルスァ」
「……あれ?あ、あはは……。失敗、しちゃいました」
変な悲鳴を上げて崩れ落ちるパチュリーを前にして、美鈴は笑って誤魔化そうと引きつった笑みを浮かべた。
レミリアはそんな美鈴に、にっこりと微笑みかける。
おもむろに手を首元まで持ってくると、親指を突き立て、スッと横に引いた。
そして、一言。
「お仕置きよ」
「お任せください」
レミリアの言葉に応じて、咲夜は美鈴の襟首を引っ掴み、本殿の後ろまでずるずると引き摺っていく。
「ごめんなさいごめんなさいわざとじゃないんです狙ってませんただの事故なんです信じてください
嫌痛いの嫌ほっぺたつねられるの嫌あぁぁぁ咲夜さんそんな嬉しそうに握力を確かめてないでください
お願いです後生ですどうかご慈悲をせめて手加減をひにゃあぁぁぁぁぁ……」
聞くに堪えない断末魔が、本殿の裏から境内に響き渡る。
悲鳴に混じって、かすかにサディスティックな含み笑いが聞こえてくるあたり、言いようのない空恐ろしさがあった。
咲夜と美鈴が、本殿の裏で二人だけの世界を繰り広げる一方で。
残るレミリアとパチュリーもまた、二人だけの世界に没入していた。
「パチェ!しっかりしてパチェっ!!」
レミリアは倒れたままのパチュリーを抱き起こして、肩を揺すりながら声をかける。
パチュリーはそっぽを向いて二、三度咳き込むと、口許を拭ってレミリアに向き直った。
「レミィ……、私はどうやら、死に場所を見つけてしまったようね……」
「馬鹿っ! 何を言っているの!?
全員生きて帰るのよ! これは命令よっ!」
いつになく強い調子で、レミリアはパチュリーを叱咤する。
叱咤を受けたパチュリーは、小さく嘆息すると、薄く微笑んだ。
「あなたはわがままね……。いつもそう」
そうして、眩しいくらいに爽やかなイイ笑顔を浮かべ、サムズアップしながら続けた。
「だが断る」
「むきゅ~~~」
そしてそのまま、横にぽてりと倒れて沈黙する。
それにしても、なんだか余裕があるように感じるのは気のせいだろうか。
「パーーーーチェーーーーーー!!
おのれハクレイジャー、なんて汚い真似をするの!?」
「いやそれただの自滅だろ」
3文コントを繰り広げた挙句、見当違いな恨み節をこぼすレミリアに向かって、ブラックは淡々とツッコミを入れた。
ご近所で『お笑い変人集団』と評判になっているという噂は、どうも真実っぽいなぁとか思いつつ。
「お待たせしました。私こそ十六夜 咲夜。通称クレイジーメイド。
従者としての腕は天下一品! ロリコン? 変態? だから何?」
コントの終わりとともに、美鈴のおしおきを終えた咲夜が口上を述べた。
ほっぺたをさすりながら泣きじゃくる美鈴を引き連れるその様は、紛れもないサドのそれである。
……まあ、それはいいのだが。
口上の文句がかなりアレなことには、あえて触れないでおいたほうがいいのかもしれない。きっと。
「我ら、特攻野郎K……」
「先手必勝ハクレイキーーック!!」
どげしゃっ!
並び立ち、揃ってポーズを決めるKチームの中央。
口上を述べようとするレミリアの背後に出現したレッドは、そのまま問答とか情けとかいろいろ無用な反則キックをぶちかました。
「のきゃあぁぁぁっ!?」
おもうさま全力で蹴り上げられ、悲鳴とともに放物線を描きつつ吹っ飛んで。
ちゅどーん
そのまま、爆発した。
「待て、なんで爆発が!?」
「蹴られた怪人は爆発するのがお約束!
ってなわけで、こんなこともあろうかと、境内に爆薬とか地雷とかを仕掛けておいたのよ」
「……つくづく非常識なやっちゃなー……」
一体レッドの頭の中はどういう構造になっているのだろうか。
多分にベクトルを間違えた用意周到さに辟易しながら、ブラックはぽつりと呟いた。
爆風とともに巻き上がった砂煙が、風に吹かれてゆっくりと晴れていく。
爆心地には、黒焦げになってプスプスと煙を上げる――
「こ、こいつは……門番!?」
レミリアを蹴り飛ばしたとばかり思っていたレッドは、思わず驚愕の声を上げる。
爆心地にあったのは、黒焦げになって煙を上げながら、ピクピクと痙攣する美鈴の姿だった。
「こんなことができる奴は一人しか居ないわよね……咲夜っ!」
「何をそんなに驚いてるのかしら?
あなたたちは必ず不意討ちを仕掛けてくる。そう睨んだから、対応させてもらっただけよ」
声を上げて睨みつけてくるレッドに、咲夜は淡々と、皮肉めいた口調で返す。
……しかし。
不意討ちに対応するなら、キックを外させるだけでよかったんじゃなかろーか。
何故わざわざレミリアと美鈴をすり替えて蹴らせたのか。
その答えは多分、誰も知らない。
「名乗りを上げている間に、それも決めポーズの最中に襲い掛かってくるなんて……、なんて外道なの」
レッドの極悪非道な所業を目の当たりにしたレミリアは、眉をひそめて吐き捨てた。
「あたしたちは正義のヒロインだもの。何をしたって許されるのよ」
「黙りなさい。
あなた達みたいな悪人は、このKチームが成敗してやるわ!」
そうして、開き直ってふんぞり返るレッドに向かい、びしっと人差し指を突きつけて啖呵を切る。
しかし、レッドはそれを鼻で笑って流し、嘲るような口調で返した。
「成敗してやる、ですって? 笑わせてくれるわね。
戦う前から二人もやられてるようなへっぽこチームに、あたしたちが負けるはずないじゃない」
「ふん……。数を揃えてあげたのよ。
それとも、人数が一緒ならこっちが勝ってた、なんて見苦しい言い訳をしたいのかしら?」
「……言ってくれるじゃない」
互いに挑発しあって、視線を交わすレッドとレミリア。
二人の周囲を取り巻く空間は、気のせいか周囲のそれよりも冷たくなっていく。
一触即発の空気の中、二人の視線が激しい火花を散らせる。
「素直に降参すれば、許してやろうとも思ったけど……、やめたわ。
あなたは私を怒らせた。その代償はきっちり払ってもらうわよ!」
もうこれ以上、話すことなど何もない。
レッドを睨む視線はそのままに、レミリアは戦闘の開始を宣言した。
「なら、折られても砕かれても、文句は言いっこなしってことでお願いするわ。
さぁ味あわせてちょうだい、あのみだらな死の感触を……ケヒッケヒヒヒヒッ!」
レミリアの言葉に応じて、なのだろうか。
レッドはあらゆる意味で凄まじい妄言を吐くとともに、凶気の笑いを漏らす。
自分が今、何のために何をやっているのかも、忘れてるっぽかった。
かくして、愛も正義もへったくれもない、不毛極まりない戦いが幕を開けたのである。
やたらと年季の入ったバールのようなものを手に、身構えるレッド。
普段どおりの体勢で佇み、しかし注意深くレッドの動向を探るレミリア。
対峙しあう両者を、紅い夕陽が照らしつける。
「……って、今更だけど。
まだ明るいのに、なんで日傘もささずに平然としていられるのよ」
「愚問ね。そう、私は太陽を克服した――――。
この『ルーミア一番搾り』さえあれば、太陽なんて恐るるに足らないわ!」
レミリアは、レッドの疑問を鼻で笑い飛ばし、懐から日焼け止めのチューブを取り出して見せつける。
ちゃっかりお徳用をキープしてあるあたり、用意周到というか何というか。
「これでもう気が向いたらいつだって霊夢のところに遊びに行ったり霊夢を連れ出したり……やーんっ」
「お嬢様、話が脱線しています」
「あら」
頬に手を添えてはしゃぐレミリアを、咲夜がそっと嗜める。
しかし、その瞳には、確かな嫉妬の炎が燃えさかっていたことに、果たして誰が気付いただろうか。
……それにしても、吸血鬼の最大と言ってもいい弱点を、こうも簡単になくせるものなんだろうか。
えーりん製薬恐るべし。
「太陽なんて、ね。日光対策くらいで勝ったつもり?」
「なんですって?」
「吸血鬼の弱点なんて、いくらでもあるのよ」
「なら、試してみなさい。……無理だろうけどね!」
みなまで言うまでもなく、レミリアはレッドに向かい跳躍する。
瞬く間にレッドに肉薄し、そのまま右の拳を――――。
「甘いわ! 必殺にんにくブレスぅぅ~~~」
「ふげぅっ!?ごほっ、ごほっ!!」
レッドは袖から素早く生ニンニクを取り出すと、躊躇うことなく噛み砕き、吐息をレミリアの顔面に吹きかける。
どぎついニンニク臭をまともに嗅いで、レミリアは息を詰まらせて咳き込んだ。
「ケヒヒ……、そうよ、もっともがき苦しみなさい!」
苦しみ悶えるレミリアを前にして、レッドは邪悪な高笑いを張り上げる。
その様は、まごうことなき魔王そのものだった。
「はぁ、はぁ……、こ、これくらい、どうってことないわよ」
臭気から逃れたレミリアは、余裕を見せ付けてみせる。
だが、微妙に涙目で、しかも息が上がっているあたり、どう見ても強がりにしか見えなかった。
「それならこれはどうかしらね?
奥義! にんにくスプラッシュ!!」
レッドはどこからともなくバケツを取り出し、その中身をひしゃくですくってぶちまけだす。
にんにくスプラッシュの名のとおり、バケツの中身とは、言うまでもなくおろしニンニク。
「嫌あぁぁっ!?」
頭からおろしニンニクまみれになることだけは、なんとしても避けたいところ。
あるものは身を捻って避け、あるものは錐を飛ばして撃ち落とし、レミリアは飛んでくるおろしニンニクを必死に避ける。
だが、避けたおろしニンニクは地面に落ち、池のように広がって臭気を放ちはじめる。
徐々にニンニク臭が地面から立ち上りだし、レミリアを苦しめはじめた。
「くっ……」
レミリアは顔をしかめて、立ち込めるニンニク臭を耐え続ける。
だが、その動きからは鋭さが消え、撃ちだされる錐は遅くなり、ついには息を荒げてへたり込んでしまった。
「ケヒケヒケヒ……。
これまでのようね。今、トドメをくれてあげるわ!」
へたり込んだレミリアを見止め、レッドはバケツに残る最後のおろしニンニクをひしゃくにとった。
容赦なくぶちまけられたおろしニンニクが、へたり込むレミリアに降り注ぐ!
「紅符っ、不夜城レッドぉぉっ!!」
レミリアは咄嗟にスペルを発動して、巨大な炎の十字架を発現させた。
激しい熱風と炎とが、降りかかるおろしニンニクを吹き飛ばし、さらに地面にわだかまるおろしニンニクをも焼き尽くす。
炎の十字架が消えたその後には、息と体勢を整えたレミリアだけが残っていた。
間一髪、だった。
もし、あと一瞬遅ければ、レミリアは頭からおろしニンニクまみれになり、地獄の苦しみにのたうつところだったろう。
「ちぃ、なかなかやるじゃない。
ならば究極!にんにくフォーエバ……」
「待ちなさいよっ! ひとが黙っていればさっきからニンニク大蒜にんにく葫っ!
卑怯なのにも程があるわ! いい加減にしなさいよっ!!」
懲りずにニンニク攻撃を仕掛けようとするレッドを、レミリアは全力で怒鳴りつける。
その剣幕に、しかしレッドはニンニク山盛りの籠を抱えなおし、含み笑いを漏らすのみだった。
「甘いわね。昔から、弱点はネチネチと執拗に攻めるものだって決まってるのよ。
獅子はウサギを狩るのにも全力で千尋の谷に突き落とす、って言うじゃない」
「それ違う。絶対違う」
「……まぁ、いいわ。
このままニンニク尽くしで勝ってもいいけど――」
ニンニク攻めに飽きたのか、レッドは唐突に、抱える籠を無造作に投げ捨てる。
その直後、わずかに膝を屈めて、袖からすらりとバットを引き抜いた。
「せっかくだし、愉しませてもらわなくちゃね。
それじゃあ、第2ラウンド始めましょうか?」
引き抜いたバットを肩に担ぎ、口の端をにやりと吊り上げて、不敵な笑みを浮かべる。
今まではただの遊びだ、と言わんばかりの傲岸不遜な態度に、レミリアは表情を険しくする。
「上等よっ!
ぐうの音も出ないくらいに、徹底的に叩きのめしてあげるわ!」
そして、夕陽よりも紅い瞳を光らせて、レッドを睨みつけ、怒声を叩きつけた。
「あらためて先手必勝!ホーミングバットォォォーーー!」
仕切り直しも早々に、レッドは手にしたバットを振りかぶり、レミリアに向かってぶん投げる。
バットは高速回転しながら空を切り、レミリアに向かって飛んでいく。
「ふん」
レミリアは軽く身を捻り、飛んできたバットを避けた。
「こんなお粗末な攻撃が、この私に通用すると思って――」
余裕たっぷりの仕草でレッドにそう言い放ち、
パコーン☆
「あだっ!?」
突如響いた軽快な音と共に、前につんのめった。
「なっ、何なのっ!?」
レミリアは涙を目尻に浮かべつつ、何かが当たった後頭部を押さえてうろたえる。
あたりを見回してみれば、今しがた投げたばかりのバットを手に、ニヤニヤとほくそ笑むレッドの姿がそこにはあった。
「こっ……このっ!
私を馬鹿にした罪は重いわよ!」
レミリアは声を上げて地面を蹴り、レッドへと迫る。
「来なさいっ!」
レッドはバールのようなものを手に持ち替えて、迫り来るレミリアを迎え撃った。
二人は距離を詰め、殴り合いの肉体言語で戦いだした。
拳を、爪先を、手にした凶器を。
ただ相手に叩きつけるために全力で振るい、空を切って迫るそれらを受け止め、受け流す。
互いに相手よりも早く、あるいは速く。
ゆえに、戦いは長引き、もつれていった。
早さにおいては、レッド。
直感に裏打ちされた絶妙なタイミングの攻撃で、レミリアの一挙手、一投足から生まれる僅かな隙を的確に突いていく。
一瞬先がわかっているかのような、一手の先を打つ体捌きは、圧倒的であるはずの種族差を補って、さらに余りあるほどだった。
速さにおいては、レミリア。
文字通り驚異的な反応速度と反射神経により、レッドの繰り出す一撃一撃を捌き、直撃を回避し続ける。
理不尽に執拗な攻撃をかいくぐり、一撃必殺を狙い、後の先を取る隙を窺っていた。
一見均衡しているかのように見えた、早さ対速さの戦いは、しかし、徐々にレミリアにとって不利な運びとなっていた。
距離を詰めれば、常に先手先手を打たれ、ペースが乱されてしまう。
距離を置けば、有り得ない追尾性能を持ったバットが飛んでくる。
思うように動くこともできず、レミリアは苦い顔でレッドと戦い続ける。
「お嬢様!」
レミリアに加勢すべく、飛び出そうとする咲夜。
その鼻先に、箒の穂先が突き出される。
「っ!?」
「お前の相手は私だ。二人の邪魔はさせないぜ」
「……くっ」
振り向いた先で、箒を携え立つブラックを見止め、咲夜はほぞを噛んだ。
半ば挑発する形で咲夜に仕掛けたブラックだが、好き好んで咲夜と事を構えるわけではない。
だが、こうでもしなければ、レッドに勝ち目はないこともわかっていた。
時間を稼がせては、ならない。
今でこそレッドはレミリアと互角以上に渡り合っているものの、それも今だけの話。
陽はすでに斜陽となり、西の山々の間に沈もうとしている。
夜が来れば、ハンディキャップの上に成り立っている均衡など、容易く崩れてしまう。
弾幕ごっこではなく、拳で語る肉体言語の殴り合いであれば、その差はなおさらに顕著なものになる。
だから、日が沈みきるまでの間に、決着をつけさせなければならないのだ。
箒を片手に、ブラックは咲夜と相対する。
互いに相手を注視しあい、間合いをとって機を窺う。
人里で戦った時は、相手の油断を突いてなんとか切り抜けられたが、今度ばかりはそうも行かないだろう。
まして、以前の宴会騒ぎの時とは違い、魔法で力を補強してもいないのだから。
まともに戦うとなると、弾幕やスペルを堂々と使えないのは致命的な制限になりかねない。
攻めの一歩を踏み出せないブラックを見て取り、咲夜は目を細めて口を開いた。
「挑発しておきながら二の足を踏むなんて、どうしたのかしら?
貴女らしくないわね、魔――」
「おっと足が滑ったあぁっ!!」
咲夜の声を遮って、ブラックは絶叫とともにローリングソバットを放つ。
それは、こめかみを爪先で蹴り抜く、まごうことなき殺す気100%・ヒットマンスタイルの一撃だった。
ごしゃっ。
――殺った。
周囲に響いた鈍い音と、爪先に残る感触を確かめて、ブラックは勝利を確信した。
が、しかし。
「いきなり蹴りつけるなんて、物騒ね」
咲夜は何事もなかったかのように、その場に佇みごちていた。
「げっ……、不死身かお前は」
見た感じノーダメージな咲夜を目の当たりにして、ブラックは顔を引きつらせる。
「そんなわけないでしょう?
さすがに、美鈴シールドがなければ危ないところだったわ」
「味方を平然と盾にするな!」
「……あぁ、なんて素晴らしい自己犠牲の精神なんでしょう!
爆破されてもなお、身を挺して私を助けてくれるなんて、まさに門番の鑑よ!
美鈴、あなたの仇は必ず取るわっ!」
「自分でやっておいて何をいけしゃあしゃあと」
咲夜は芝居がかった口調で、自分のやったことを美化&正当化する。
ブラックの呟きも右から左に聞き流して、かくしてめでたく美鈴は咲夜の想い出の中に生き続けることと相成った。
想い出は、いつも綺麗なのだ。
「あー、さくやがんばってー」
「お任せくださいお嬢様ぁんっ!」
ブラックと交戦する咲夜を見とめて、レミリアはレッドと相対する最中、投げやりこの上ない声援を送る。
だがしかし、咲夜の必殺妄想フィルターにかかれば、そんな投げやりな声援も、至上の声援に変わってしまう。
咲夜は鼻から愛と情熱の咲夜汁を迸らせつつ、サムズアップでレミリアに応えた。
「げっ」
変態モードに突入した咲夜を目の当たりにしたブラックは、思わず顔をしかめて呻きを漏らす。
対する咲夜は、鼻からしたたる咲夜汁を拭って、しかし邪悪極まりない笑みを残しつつ、ブラックに向き直った。
「ドゥフフフフフフフ、愛の力は無敵なのよ!」
「ちぃっ、この変態がっ!」
「黙りなさい。散っていった美鈴のためにも、私はあなたが泣くまで殴るのをやめないっ!
メイド秘技、花瓶パンチ!」
「わったっ!?」
咲夜はどこからともなく持ち出した花瓶を両手に抱えて、ブラックに襲いかかる。
そんなもので殴られたら、泣くどころか一撃で昏倒間違いなし、当たり所が悪ければそのままお陀仏だ。
当然、ブラックとて大人しく殴られるようなタマではない。
振り下ろされる鈍器を素早く避け、お返しに箒で咲夜のこめかみの辺りを打ち据えた。
「へきょっ!?」
咲夜は変な悲鳴を上げるが、すぐに立ち直り、ブラックに再び襲いかかる。
何度箒で打ち据えられようとも、めげずにしつこく容赦なく、何度も何度も花瓶を振り下ろしてくる。
咲夜はひたすらに攻め続け、ブラックはひたすらに避け続ける。
あまりにも一方的な展開が繰り広げられていたが、それはひとえに、ブラックの非力さが原因だった。
咲夜が飛び掛かってきた直後、無防備なところを狙って一撃を見舞っても、所詮はたかが箒。
少女の力では、どんなに強く、どんなに速く振り抜いても、決定打にはなり得ない。
蹴ることも考えたが、この状況下での接近は、すなわち自殺に等しい。
咲夜に、時間を止めるための時間を与えないようにと、箒での牽制を繰り返すだけで精一杯だった。
当たらない咲夜。
切り札のないブラック。
二人の微妙な戦いは、膠着状態に陥っていた。
一定の間合いを保ちながら、二人は互いに睨みあう。
だが、ブラックはすでに息を上げ、肩を大きく上下させていた。
咲夜が一歩を踏み出したのを見て、ブラックは反射的に一歩退がるが、そのとき、不意に体勢を崩した。
それは、演技でできるようなよろけ方ではなかった。
「――獲ったっ!!」
ブラックがよろけた瞬間、咲夜は足を思い切り踏み込んで、真っ直ぐに飛びかかる。
その手に抱えた花瓶が、ブラックを捕らえようかとしたその刹那。
「なめんなぁっ!」
ブラックは紙一重で身をかわし、勢い余ってつんのめる咲夜の背後に回りこみ、破れかぶれにその背中をおもうさま蹴りつける。
咲夜は蹴られた勢いのまま、数歩ほど前にたたらを踏んで、
カチッ
ちゅどーん
運悪く、地雷を踏みつけ吹っ飛んだ。
もうもうと巻き上がる砂煙を前に、ブラックは居辛そうに視線を逸らして頭を掻く。
「……あー、えーと……。
こんな時、どういったリアクションを取ればいいんだか……」
「笑えばいいんじゃないかしら?」
「だからなんでピンピンしてるんだお前は」
確かに吹っ飛んだはずなのに、咲夜は平然とブラックの背後に佇んでいた。
もはや超常現象以外のなにものでもない。
「なんで、ですって?
愚問ね。お嬢様の声援を受けておきながら、無様を晒すわけにはいかないのよ」
「鼻血を吹き散らすのは無様と違うのか」
「すべてはそう、お嬢様への愛ゆえにっ! おぜうさまへのラヴゆえにッ!」
「黙れよ変態」
どうして、こうも話が通じないのだろう。
咲夜汁で凄惨にデコレーションされた邪悪な笑みを浮かべて妄言を垂れ流す咲夜に、ブラックは頭を抱えて溜め息をついた。
――迂闊だった。
そう内心で後悔するが、もはや後の祭りである。
真っ当に戦っていれば、あるいは下すこともできたかもしれない。
だが、今の咲夜はまごうことなき変態モードに突入している。
つまり、刀で斬られても、槍で突かれても、爆弾で吹っ飛ばされても死なないし、ましてや沈黙するなどありえない。
ギャグキャラは、2回や3回爆死したくらいじゃへこたれない、というのは世界共通の常識なのだ。
どうしよう。どーやっても倒せないぞ。
いっそのこと、マスタースパークを連射して、空の彼方にでも吹っ飛ばしてしまおうか。
大気圏外までぶっ飛ばせば、さすがにこの変態だってすぐには復帰できないだろう。
スペルを使えば私の正体が確定されかねない、危険な賭けだが――、なんてことはない。
マスタースパーク使いならもう一人いるじゃないか。
『ワタシ外道ゆうかりん。コンゴトモヨロシク』とか言えば、誤魔化すこともできるかもしれない。
私とあの花妖とでは髪の色が違うが、大丈夫。
『ワタシ外道ゆうかりん。外道だからパツキンに染めてみたの。コンゴトモヨロシク』とか言えば……。
って、待て。半分正体バレてるんだから、誤魔化しきれるわけないだろうが私の馬鹿馬鹿。
あぁもう、どうすればいいんだ――――。
ブラックは逡巡して、あたりに視線を泳がせる。
ふと目に止まった夕陽は、もう西の山間に隠れ、わずかに頭を覗かせるのみだった。
ブラックが一人静かに絶望に打ちひしがれるその隣で、レッドとレミリアの戦いは佳境に入っていた。
すでに日は山中に没し、レミリアの動きは一瞬一秒ごとに鋭く速くなっていく。
レッドに傾いていた気運は平衡となり、やがて徐々にレミリアへと傾き始める。
気運が自分にあると確信したレミリアは、思い切ってレッドの懐に飛び込む。
そして、飛び込んだ勢いに任せて、右の拳をレッドに向かって突き出し――。
「ふっ!」
レッドはバックステップで放たれた拳を軽く避け、ようとした。
だが、レミリアはその場に足を止め、そのまま側転しながらレッドの頭上を飛び越える。
――フェイント!
だが、そのフェイントを、恐らくレッドは察していた。
そして。
レッドがこのフェイントを見破るだろうと、レミリアは予測していた。
「――甘いっ!」
「――かかったわねっ!」
肉を切らせて、骨を断つ。
レミリアは、勢いよく振り下ろされたバールを、突き出した左腕で受け止める。
お返しとばかりに放った右の拳が、レッドの顎を捉えていた。
拳を振り抜かれ、レッドの身体は宙を舞う。
被っていたバイザーは脱げ外れ、石畳の上に叩きつけられる。
そして、周囲に乾いた音を響かせて、粉々に砕け散った。
「……嘘」
露わになったレッドの素顔を見止め、レミリアは思わず呟いていた。
見間違いではない。いや、見間違うはずがない。
ハクレイレッドを名乗って、好き放題に暴れていた人物。
それは、他ならぬ博麗 霊夢だったのだ。
「嘘でしょう……? どうして、どうしてなの、霊夢っ!」
はらはらと落涙しつつ、素性の知れた霊夢に詰め寄るレミリア。
その口調は、すっかり悲劇のヒロイン調だ。
てーか、本気で気付いてなかったのか。お前様。
「すべては正義のため……、たとえ修羅の道であろうと、やらないわけにはいかなかったのよ……」
霊夢はレミリアから視線を外し、俯きながら訥々と呟く。
それはいいのだが、暴れていたのは、博麗神社を宣伝するためじゃなかったんだろうか。
本末転倒もいいところな目的の見失いっぷりには、もう呆れ果てるばかりである。
それを皮切りに、霊夢とレミリアは、やおら二人だけの世界へと没入しはじめる。
そして、それを見たブラックは、ひときわ大きなため息をつくと、服の埃を払ってその場に居直った。
「……あぁ、やめたやめた。もうどうだっていいや」
「ちょっと、いきなりどうしたのよ」
「いや、もう私達が戦う理由がなくなっちまったってことさ。
私ら蚊帳の外みたいだし、もうこの際観戦してりゃいいんじゃねぇ?」
「馬鹿なことを言わないで。私と貴女は敵同士でしょう?
仲良く観戦なんてできるものですか」
「まあ、そう言わずに。な?」
ブラックは、取り付く島もない頑なな咲夜に、レミリアのマル秘盗撮写真を3枚ほど手渡してみた。
「そうね、もう日も沈んだことだし、お嬢様の勝利は必定。あなたと戦い続ける道理なんてないわね」
咲夜、京懐石並みにあっさり陥落。
ブラックはその場にゴザを敷き、咲夜は社務所から湯飲みと急須を持ってきた。
そうして、二人仲良くゴザに腰を下ろし、霊夢とレミリアを遠巻きに眺めだす。
だが、そんな二人の前に、一つの影が立ちはだかった。
その影とは、いつの間にか復活した美鈴その人である。
「気がついてみたら、なんなんですか一体。
なんで二人で仲良く座ってるんですかっ!」
「野暮なことは言いっこなしよ。ほら、貴女もここに座りなさい。
一緒にお茶でも飲みましょう、美鈴」
わなわなと震えながら声を上げる美鈴に向かって、咲夜が声をかける。
美鈴は一瞬きょとん、とすると、怪訝そうに眉をしかめて咲夜に詰め寄った。
「……い、今なんて言ったんですか、咲夜さんっ」
「だから、『一緒にお茶でも飲みましょう、メイリン』って言ったのよ」
「わ、わんすもあぷりーづ!」
手短に応じる咲夜に、美鈴はしつこく食い下がる。
その瞳は期待に爛々と輝き、気のせいか頬も緩んでいた。
「何度言わせる気なの。『一緒にお茶でも飲みましょう、メイリン』よ。……これで満足したかしら?」
「ええそりゃもう! お茶でも青汁でも、ホットルートビアでもギャラクシードリンクでもしもつかれでも喜んでっ!!」
美鈴、キャベツの浅漬け並みにあっさり陥落。
二人だけの世界に没入し、しょっぱい芝居のようなやりとりを交わす霊夢とレミリアを眺めながら、
ブラックと咲夜と美鈴は三人並んで平和にお茶を啜りだす。
ブラックは美鈴が湯飲みを傾けたのを横目に見ると、思い出したように口を開いた。
「あー、そうそう。言い忘れてたが、お前さんのお茶には痺れ薬が仕込んである。気をつけて飲めよ」
「ちょ、しびびびびびびび」
美鈴はブラックのトンデモ発言を受けて抗議の声を上げようとしたが、時すでに遅し。
手にしていた湯飲みを取り落として、そのままその場で固まって動かなくなった。
そんな美鈴の姿を目にしながらも、しかし咲夜は涼しい顔で、湯飲みを手にしたまま口を開く。
「こうも予想通りとはね。念のためと思って、飲まないでおいて正解だったわ」
「あぁ、ちなみにそのお茶に仕込んだのは秘蔵の豊胸――」
ずぞぞぞぞぞ
ブラックがみなまで言う間もなく、咲夜はお茶を一息に啜りこむ。
頭では嘘だとわかっていながらも、一縷の望みに賭けてしまうのが、乙女心というものなのだ。
「――薬、なんてことはなくてやっぱり痺れ薬だから以下同文だ」
「だ、騙しびびびびびびび」
そして、美鈴と同じく湯飲みを取り落として以下同文。
もう付き合いきれない。
ブラックは、麻痺してしびしび言ってる二人を余所に、お茶を啜りながら傍観者に徹することにした。
後ろの方で、咲夜と美鈴が地味に戦闘不能になったことなどつゆ知らず、
レミリアは霊夢と向かい合って、あいも変わらず、しょっぱいやりとりを交わし続ける。
二人だけの世界は未だに終わることなく、それどころか大いに脱線し、あまつさえ暴走すらしはじめていた。
「霊夢、もうやめましょう。
私達がこんなことをする必要なんて、どこにもないのよ」
「レミリアにはなくても、あたしにはあるのよ。
参拝客とお賽銭を集めるためには、どうしても必要なことなのよ!」
「なんで、そこまでして……」
狼狽するレミリアを、霊夢はきっ、と睨みつける。
その瞳は、憎しみさえ感じるほど暗く冷たいものだった。
「わからないでしょうね。
ヌカと水だけで生活したことのないレミリアには。
……そうよ、ブルジョワに貧乏人の気持ちなんか理解できるもんですか!」
霊夢はレミリアを睨みつけながら、叫ぶように吐き捨てた。
自分以外のすべてを呪うかのような口調のままに、霊夢はなおも続ける。
「貧乏は嫌なの!空腹を紛らわせたくても、紛らわせるためのお菓子もないのよ!?
だからあたしはっ!!」
「そういうことが間違いなんだって、何故気付かないの!?」
霊夢の過ちを正そうと、レミリアは悲痛な叫びを上げる。
しかし、狂気の淵に立つ霊夢に、その声が届くことはなかった。
霊夢は再び袖からバールのようなものを引き抜くと、幽鬼のような佇まいでレミリアに向き直る。
そして、静かに口を開いた。
「……いいわ。おしまいにしましょう。
あなたか、あたしか。それだけよ」
「もう、こうするしかないのね……。
ねえ、霊夢。どうして、こんなことになっちゃったのかな……、私達……」
「レミリアっ!」
「霊夢っ!!」
互いの名を叫びながら、最後の一撃を放つために、懐からスペルカードを取り出す二人。
二人がスペルを発動させたのは、まったくの同時だった。
「夢想撲殺ぁぁぁぁぁっつ!!」
「突撃!マイハートっ!!」
古今東西のあらゆる鈍器を従えて、レミリアに飛び掛る霊夢。
紅い槍を構えて、霊夢に向かって地面を蹴るレミリア。
二人は、夕闇に閃光と火花を散らし、ぶつかり合った。
互いに背を向けあって、霊夢とレミリアは着地した。
それからしばらくの間、まるで時が止まったかのように、その場を静寂だけが支配する。
――先に動きがあったのは、レミリアだった。
「くっ、う……」
レミリアは頭から一筋の血を流して崩れ落ち、その場に膝をついた。
対する霊夢は、口の端をにやりと吊り上げて――、
「ふ……、今日のところは、負けを認めてあげようじゃない……。
だけどね、覚えておくがいいわ……、レミリア、いやさ、Kチーム!
人々の心に邪悪ある限り、ハクレイジャーは何度でも復活するということをぉぉぉっ!!」
もはや大魔王そのものの捨てゼリフを吐いて、霊夢はその場に倒れ伏した。
「霊夢……本当に、馬鹿なんだから……」
倒れた霊夢を見つめて、レミリアは瞳に涙を浮かべて呟いた。
だがすぐに、悲しんでいる暇はない、とばかりに涙を拭って、遠くでお茶を啜るブラックへと向き直り、歩を進める。
今のレミリアには、さっきまでの少女らしい面影はなく、紅魔館の主たる威圧感だけがあった。
「――さて、ハクレイブラックとやら。
今日はうちの咲夜が随分と世話になったそうじゃない」
「あぁ? ……あぁ、礼には及ばないぜ」
「そうもいかないわ。きちんと返礼はしてあげないとね。
けれど、正体を明かして……許しを、請うと、言うの、なら……」
レミリアは、未だに呑気のお茶を啜るブラックへと詰め寄る。
だがしかし、言葉を途中で途切れさせて、小刻みに震え始めた。
「お、お嬢様っ!?」
咲夜はレミリアの変化を見止めて、すかさず立ち上がり、素早くレミリアの傍らに駆け寄った。
「待てお前。痺れてたんじゃなかったのか」
「お嬢様が苦しんでいるのよ!? 痺れてる暇なんかあるものですか! 根性で治したわよそんなもの!」
象も一撃でコロリの痺れ薬による麻痺は、はたして根性で治せてしまうものなのだろうか。
さすが人知を超えた変態。
「か、痒いっ、痒いわ!」
「いけませんお嬢様!掻いては痕が残ってしまいます!」
全身に手を回して掻きむしろうとするレミリアを、咲夜は必死に抑える。
そんな咲夜に、レミリアは涙目になりながら反発した。
「いいから、掻かせなさい!
痒いのよっ!クリームを塗ったところがかぶれて……っ!」
「クリーム……、あの日焼け止めがかぶれたのね……そう。
お嬢様の玉のお肌に傷をつけくさるとはいい度胸をしてやがるわね……、あンの年増グレイがあっ!!」
咲夜は小さく呟いた直後、あとで覚えとけよダラズ、と言わんばかりの形相で吼え猛る。
放っておいたら、そのまま永遠亭まで単身殴りこみに行ってしまいそうな勢いだ。
飛ぶ鳥を落とし、獣を失神させ、果ては人妖を震え上がらせるその様は、まさに羅刹そのものである。
「やー、かゆいー!さくや、かゆいのー!」
「ハブッシャアァァァ!!」
痒みに耐えかねて、幼児退行を起こして半泣きになるレミリア。
そんな主の姿を目の当たりにした咲夜は、盛大に咲夜汁を撒き散らした。
なんだこのグダグダ空間。
「さくや、おうちかえるー!」
「お任せくださいおぜうさま!さぁ帰りましょう!」
言うが早いか、咲夜はぐずるレミリアをお姫様抱っこで抱きかかえる。
その顔は至福に満ち、輝いてすらいたが、同時になんとも言いようのない邪悪さを感じるものだった。
言うなれば、MAJIで汁出る五秒前といった感じである。
もう出てるけど。
「あー、咲夜。ちょっと待て」
今にも飛び立とうとする咲夜を、ブラックは呼び止めた。
そうして、咲夜が振り向くのと同時に、後ろで戦闘不能になっている美鈴とパチュリーを指さして。
「帰るなら、そこの二人も持って帰れよ」
もはや置き物扱いだった。
「あぁ、その二人ならそのうち復活するから大丈夫よ。放っておいても、おなかが空けば帰ってくるわ」
「犬かなんかか。こいつらは」
どっちもどっちだった。
「とゆーわけで決着は預けたわよ、ハクレイジャー!」
咲夜は白々しい捨て台詞を棒読みで吐きつつ、そのまま飛び去っていってしまった。
言葉のとおり、未だにしびしび言ってる美鈴と、横倒しに倒れたままのパチュリーをその場に残して。
「……泣くぞ。しまいにゃあ」
散々引っ掻き回されて、そのあげくに置いてけぼり。
ブラックがぽつりと漏らした絶望の呟きは、狂乱覚めやらぬ半壊した神社の境内に、むなしく溶けて消えていった。
_/ _/ _/ Epilogue _/ _/ _/
Kチームとの激闘から、早一週間。
またもや姿を見せなくなった霊夢の様子を見に行こうと、魔理沙は博麗神社に向かって、一人空路を走っていた。
「……まあ、こうなるだろうって予想はしてたけどなぁ」
『レミリア嬢お手柄 二人組の通り魔退治さる!』と題打たれた文々。新聞を片手に、魔理沙は嘆息しながら呟いた。
お嬢に買収されたか、それとも脅されたのか。
あるいは、もとからハクレイジャーを通り魔扱いして面白おかしい記事に仕立て上げることが文の目的だったのか。
そもそも、ハクレイブラックは退治なんかされていないのだが、こういう記事には誇大表現なんかよくあることだろう。
――まあ、そんなことは今となってはどうでもいいことだし、あとで文が霊夢に撲殺されないことを祈るのみだ。
ひょっとしたら、もう手遅れなのかもしれないけど。
「さて、どーなってることやら」
境内に着地した魔理沙は、帽子を被りなおして、一人ごちた。
雑草一つ生えていない境内に、言いようのない不安を覚えながら。
_/ _/ _/ 博麗神社 社務所 AM 11:30 _/ _/ _/
「おーっす、邪魔するぜー」
魔理沙はいつものごとく、引き戸を開けながら、家内に声をかけて上がりこむ。
だが、その声に応じるものは、ただしんと静まり返った空気のみだった。
「……霊夢? 霊夢ー?」
いくら声をかけても、応答がない。
訝る魔理沙の脳裏に、ふと一週間前の霊夢の姿がフラッシュバックする。
餓死しかけて、半ば干物と化した霊夢の姿が。
もしかして、今度こそ餓死したんじゃあるまいか。
万が一、完全にミイラになっていた場合はどうすればいいんだろう。
熱湯をかけて3分待てば復活するんだろうか。
インスタント巫女・博麗 霊夢。博麗神社から新発売。
って待て私。今は現実逃避してる場合じゃないだろう。
一刻も早く、霊夢の安否を確かめなければ――。
「ちぃっ!」
靴を脱ぎ捨てながらかまちに駆け上がり、魔理沙は廊下を走り出す。
「霊夢……っ!」
魔理沙は思わず霊夢の名を呼びながら、一直線に居間に向かい走っていく。
なんだかんだ言っても、やっぱり一番の親友であることに変わりはないのだ。
「頼むから、私のところには化けて出てくれるなよ!」
……そうでもなかった。
「霊夢、生きてるか……って、うをっ!?」
勢いよく居間の襖を開け放ち、その中の光景に肝を潰す魔理沙。
彼女の前には、ずずっ、と何かを啜る霊夢の姿があった。
あんな失敗前提の馬鹿企画が、よもや成功でもしたのだろうか。
「あら魔理沙、どうしたの?」
「あ、いや、何を食ってるのかなー、と思って」
「霞よ」
「…………は?」
短く答えた霊夢の持つお椀は、すでに空っぽだった。
というより、もともと何も入っていなかったといった方が妥当だろう。
「だから、霞を食べてるのよ」
霊夢は空のお椀をちゃぶ台に置くと、戸惑う魔理沙に向き直る。
「魔理沙、あたし決めたわ。仙人になる」
「れ、霊夢?」
霊夢は、どこか遠くを見るような目で、あらぬ事を口走りだす。
その瞳は死んだ魚のように濁り、虚ろで、まるで生気が感じられなかった。
「仙人って、霞を食べていれば生きていけるんでしょう? だからあたし仙人になるの。
仙人にゃ貧乏も~、空腹も絶食も飢餓もなんに~もなぁぁ~~~い……」
「霊夢! 何を口走ってるんだ! 気をしっかり持て!」
魔理沙は取り急ぎ、いきなり変な歌を歌い始める霊夢の肩を掴んで、がっくんがっくんと前後に揺さぶる。
数回揺するうちに、遠い世界の歌は終わり、虚ろだった霊夢の瞳に理性の光が戻ってきた。
「お腹すいた……。
ごはん……、お米……、炭水化物……。
もう嫌、自分に嘘をつくのは嫌あぁぁ……」
今にも泣き出しそうになりながら、霊夢はぽつぽつと呟いた。
言葉が出きる頃には、その声はもう、涙声に変わっていた。
「お腹すいたのよぉ! ごはん食べたいのぉぉ! うわあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁんっ!」
「あー、よしよし。思う存分泣くといい」
霊夢は魔理沙の胸に顔をうずめて、声を上げて泣きじゃくる。
魔理沙はそんな霊夢の頭にそっと手を乗せると、赤ん坊をあやすようにゆっくり、優しくなでてやる。
辛いのならば泣けばいい。悲しいならば泣けばいい。辛いことも悲しいことも、みんな涙が流してくれる。
そう言ったのは、はたして誰だったか。
それからしばらくして、ようやく霊夢は泣き止んだ。
その頃には、魔理沙の上着は涙ですっかり濡れてしまっていた。
「しかしまあ、宣伝はものの見事に失敗したみたいだな」
「見れば判るでしょ? 笑いに来たなら帰りなさいよ……」
「そんなことだろうと思って、差し入れを持ってきてやったぜ。朝の余り物だけどな」
魔理沙はそう言いながら、小さな風呂敷包みを霊夢の前に差し出す。
それを見た霊夢は、目を輝かせて魔理沙の手を握り締め、正面から瞳を見つめて口を開いた。
「心から愛してるわ魔理沙。結婚しましょう」
「変わり身早すぎるぞ」
霊夢は受け取った風呂敷包みを手早く解いて、その中身を露わにした。
それは、三つのおむすびと、きつね色に焼けた玉子焼き。
霊夢はおむすびに手を伸ばし、その重みと感触に陶酔する。
「あぁ、本物のごはんなのね……。夢じゃない、妄想でもない、本当に、本物のっ……」
はらはらと涙さえ流しながら呟いて、手にしたおむすびを口いっぱいに頬張った。
「おいしい……おいしいよぉぉ……」
絶妙な塩加減のふっくらごはんがはらりとほどけて、口の中を幸せで満たしていく。
霊夢の口に広がる世界は、桃源郷だった。
あるいはガンダーラかもしれないしエルドラドかもしれないしアトランティスかもしれないが、とにかく楽園だった。
今の霊夢にとって、このおむすびはただの食べ物ではなくなっていた。
これは魔理沙の真心であり、また、霊夢の命を繋ぐかけがえのないものなのだ。
米粒を一粒一粒逃すことなく噛み締めて、完全にその形が無くなるまで味わい尽くす。
「あぁ、生きててよかった……」
「いちいち大袈裟なやっちゃなー」
しみじみと感嘆する霊夢にツッコミを入れる魔理沙だが、まんざらでもなさそうだった。
魔理沙からの差し入れを平らげて、霊夢は至福の笑顔で息をつく。
そんな霊夢に、魔理沙は軽く咳払いをして声を掛けた。
「で、宣伝は失敗、参拝客はゼロときたもんだ。これからどうするんだ?」
「違うわ。宣伝はバッチリ成功してたのよ。でも誰かが参拝客をせき止めてるの」
「……は?」
「誰、誰なのよあたしの目の前で宣伝できました参拝客いっぱいですって結果をせき止めてる奴は。
あぁもう憎い憎い憎いっ、突き止めて探し出して地の果てまで追い詰めてバットの餌食よコンチクショウがぁぁぁ!!」
霊夢は憎しみを隠そうともせずに、バットを袖から取り出して吼え猛りだす。
だが、すぐに落ち着きを取り戻すと、バットを袖に戻し、魔理沙に向き直って続けた。
「最初の3日くらいはそう思ってね。サーチアンドデストロイで目に付くもの片っ端から粉砕してたのよ」
「……あぁ、そうかい」
言われて周囲を見回してみれば、哀れにも凶器の餌食となった家財道具が、見るも無残な瓦礫の山となっていた。
来るタイミングを誤っていれば、魔理沙もめでたく素敵な凶器の餌食となっていたであろうことは、想像に難くない。
魔理沙の背筋を薄ら寒いものが走るが、それを表には出さず、つとめて無関心を装った。
「でも、時間がたって、頭が冷えてきたら、やっぱりあたしが間違ってたのかなって感じてね」
「そうか。ようやく自分の過ちを認める気になったか」
「ええ。あたし、大事なことを見失ってたわ。
……ちょっと、ついて来てくれないかしら?」
霊夢はおもむろに立ち上がり、魔理沙を呼んで歩き出す。
霊夢のあとに続いて着いた先は、博麗神社の境内だった。
雑草一つ残らず綺麗に掃除された様を見て、魔理沙はははぁ、と頷いた。
「なるほどな。そういうことか」
この綺麗な境内は、つまり霊夢の決意の証なのだろう。
これからは心を入れ替えて、真面目に働いていこう。そういう意思の現れに違いない。
「ええ……」
魔理沙の言葉に、霊夢は頷いて、続ける。
「やっぱり、巨大ロボを忘れたのがいけなかったのよ」
霊夢はそんな妄言を吐くとともに、鳥居の右側の柱に取り付けられた謎のレバーを下に引いた。
すると突然、博麗神社の境内が静かに、やがて激しく揺れ始める。
振動の中、境内の石畳が地響きを立ててせり上がり、左右に分かれ、その下の虚空を白日のもとにさらけ出す。
そして、その奈落からせり上がってくる、『何か』があった。
『ソレ』を目の当たりにして、魔理沙は一切の言葉を失った。
『ソレ』は……なんというか、その。
小学生が、夏休みの工作で頑張りすぎてしまったような……、
全高10メートルはあろうかという、ダンボール紙で作られた巨大なヒトガタだった。
あまつさえ、ご丁寧に紅白に塗り分けられているあたり、もうどこからツッコんでいいものやら。
「ふっ、驚きのあまり声も出ないようね、魔理沙」
実際のところ呆れ果てて声が出せないだけなのだが、現在絶賛暴走中の霊夢にとって、如何程にも違うものではない。
「そう、これが勝利の鍵!『神社ロボ ハクレイガー』よ!!」
霊夢は声を上げて、ダンボール人形の脚っぽい部分を、掌でどん、と強く叩く。
その衝撃で、ダンボール人形の右腕部分がドサリと落ちた。
「あーっ!ハクレイガーに緊急事態発生ーー!?」
「お前の頭が緊急事態だよ」
霊夢は必死の形相で段ボールの塊を持ち上げて浮かび上がり、ガムテープを切り貼り、ダンボール同士を接着していく。
その光景は、筆舌に尽くしがたいシュールなものだった。
「……ったく、なんなんだ、こりゃ」
目の前で繰り広げられる異世界の光景を前に、魔理沙は頭を抱えて呟いた。
巨大ロボってなんだ。こんな変なシロモノ、むしろイロモノが、一体何の役に立つというんだ。
というか、こんなダンボールの塊を巨大ロボと言い張れるその神経も凄まじい。
むしろ、霞を啜るほどに切迫している状況で、こんなダンボール人形を作り上げてしまうその胆力に感心すべきなのか。
頭を抱える魔理沙を余所に、一仕事を終えた霊夢が戻ってくる。
何か一仕事終えた職人のような爽やかな笑顔に、しかし魔理沙は冷ややかな視線を投げかける。
「……なんだこれ」
「これ?紫に頼んで、境内を秘密基地に作り変えてもらったのよ! 凄いでしょう」
「由緒ある神社に何やってんだお前らは!」
小人閑居して不善を成す。
そんな言葉が、魔理沙の脳裏をよぎる。
昔の偉い人が言った言葉らしいが、この状況はまさにそれだと頷かずにはいられなかった。
「……ってーかよ、こんなの作ったところで、これで戦わなきゃならない敵なんか居やしないだろ」
「ふっ。愚かね魔理沙。チルノ並みに愚かだわ。その問題なら既に解決済みよ」
うわぁ、すっげえ殴りてぇ。
至極まともなツッコミを鼻で笑われ、魔理沙は思わず殺気立つ。
しかし、霊夢はそんなことなど意にも解さず、お構い無しに続ける。
「悪がいないなら作ればOK、万事解決無問題って寸法よ!
どう?このコペルニクス的発想!」
「……あぁ、そうだな」
そんな霊夢の妄言に、魔理沙は気の抜け切った呟きを漏らすのみだった。
要するに、先週ハクレイジャーとして妖怪連中に狼藉を働いたように、
このダンボール人形でもって、そのへんの妖怪や妖精を勝手に悪認定して襲い掛かろうというのだろう。
まったくもってどうしようもない。
「と、ゆーわけで悪役お願いね魔理沙!」
「…………は?」
「敵は主人公の親兄弟か親友と相場が決まってるのよ。そのほうが盛り上がるんだから!」
霊夢はまるで意味のわからない戯言とともに、鳥居の左側の柱に取り付けられた謎のレバーを下に引いた。
さっきとまったく同じようにして、境内が揺れる。
振動の中、境内の石畳が地響きを立ててせり上がり、左右に分かれ、その下の虚空を白日のもとにさらけ出す。
そして、その奈落からせり上がってくる、もうひとつの『何か』があった。
『ソレ』を目の当たりにして、魔理沙は一切の希望を捨てた。
霊夢がハクレイガーと命名した、全高10メートル近くある、巨大なダンボール人形。
それと形は全く同じ……というわけでもない。
ところどころ、妙にとんがっていたり、顔つきが凶悪だったりと、いかにも悪役ですといった風体。
墨汁か何かで真っ黒に塗装され、胴体部分に白字で大きく「悪」と書かれたモノが、魔理沙の目の前に鎮座ましましていた。
「この『黒魔術ロボ マリバロン』で思う存分暴れてね魔理沙、いやさ悪の魔女マリサタン!」
「ちょっと待てお前なんだそれ」
「だからー、ハクレイガーが活躍するには然るべき悪が必要でしょ?
そんな悪を探してる暇なんてないから、魔理沙が悪役になって暴れてくれればいいのよ」
「あのなぁ。自分が何を言ってるかわかってるのか?」
あまりにもあんまりな霊夢の発言に、魔理沙は声を上げつつうなだれた。
人はそれを、ヤラセとかマッチポンプと言うんじゃなかろうか。
先週、変な格好をしてハクレイジャーを名乗っていたのは、妖怪退治がヤラセじゃないと証明するためだったろうに。
ここまで本末転倒を極められると、もうどうすればいいやら見当もつかなかった。
「って待てお前。何をしてる」
背後からそっと忍び寄る気配を察して、魔理沙はうなだれたまま背後へと振り向く。
その先には、三日月形の毛っぽいものを手にした霊夢が立っていた。
「なんだその変なの」
「これ?悪のつけアホ毛よ!
『あのたくましさを完全再現、頭に付けるだけで溢れるカリスマ! これであなたも今日からラスボスに!
今ならもれなく呪い付きで、雨に濡れても安心よ!』って深夜の通販でやってたんだから!
ほら、これをつけて! そしてマリサタンになるのよ魔理沙!」
「やめろ! そんなもんつけるな!」
深夜の通販口調で宣伝文句を口にしつつ、魔理沙に襲いかかる霊夢。
そんなわけのわからないものを付けられては末代までの恥と、魔理沙は必死に抵抗する。
だが、どこにそんな力があるのか、霊夢はたやすく魔理沙を組み伏せ、帽子をはぎ取ってアホ毛を付けてしまった。
「このっ、んなっ、取れねぇ!?」
直ちに外そうとして強く引っ張ってみても、ねじってみても、取れそうな感触さえない。
それどころか、思い切り引っ張れば引っ張っただけ首が痛くなるばかりだった。
「これで準備はバッチグー! あとはマリバロンに乗って暴れるだけよ魔理沙、じゃなかったマリサタン!」
ひとりアホ毛と格闘する魔理沙を余所に、諸悪の根源は変なテンションでサムズアップしながら声を上げる。
魔理沙はアホ毛を外すのを諦めて溜め息をつくと、顔を上げて霊夢へと振り向いた。
「――よし、わかった。悪役らしく暴れてやるぜ」
魔理沙は以外にも、二つ返事で応えた。
その表情は、もういっそ清々しく、眩しいくらいに爽やかな笑顔だった。
「まず手始めに、お前を神社もろとも吹っ飛ばそうか」
ゆかりんもGガンも大好きだったので最高でした。正直本編より面白k(ry
>二文字を持って
ここは「以て」の方が相応しいのではないでしょうか。
>「ケーーーーッヒッヒッヒッヒッヒッヒ!!」
この笑い、久々に見ましたw
>京懐石
ちょwwww台湾初代総統が料理にwwww
名前が無い程度の能力様
楽しんでいただけたようで何よりです。
>>CM
>ゆかりんもGガンも大好きだったので最高でした。正直本編より面白k(ry
本編よりもCMの方に力が入っちゃっていたのは、ここだけの秘密にしておいてください。
>>二文字を持って
>ここは「以て」の方が相応しいのではないでしょうか。
単純に誤字でしたorz
ご指摘ありがとうございます。修正しました。
すごいよマ○ルさんとは懐かしい…
そしていい感じでぶっちぎりな会話が最高でした