夕日の射す教室に、チャイムが鳴り響く。
部活を終えて教室へ鞄を取りに戻ってきた制服姿の少女は、机に突っ伏して動かない、一人の少女を見つけた。
一緒にやってきた友人と苦笑いを交わすと、その寝姿へ遠慮のない声をかける。
「ちょっと姫ー? また寝てるの?」
「ぅ、ん……」
笑いながら揺すられて、鼻にかかったような声を上げながら、姫と呼ばれた少女は身を起こした。
夕日に照り輝く金色の滝が、その冴えた美しさが。起こした少女の目を奪う。
少女が女性になる寸前の、境界線上の危うさ。同じ人間とはとても信じられない、違いすぎるキレイさ。
そんな友人の中の賛嘆の気持ちを他所に、その全てを台無しにするような大欠伸をしながら、彼女は口を開いた。
「ああ……、また寝ちゃったわ。今何時?」
現実に立ち戻されてどぎまぎする少女の代わりに、もう一人の少女が質問に答えた。
「もう放課後だよー。まったくね、授業中もそうだけど、留学生ってそんなに寝てていいの?」
だから眠り姫なんて呼ばれるんだよ、と笑う少女たちににっこり笑い返す。
「私、成績いいもの。当てられてもちゃんと答えられるし」
ずるーい、と文句を言う友人たちを涼しい顔で受け流して、彼女は外の黄昏に染まる街を眺めた。
街が美しい茜色に染まり、そしてその合間に。小さくも真っ暗な隙間が口を開けている。
「そういえば二人とも、これから帰るんでしょ? 気をつけてね」
「あれ、なんかあったっけ?」
「あら、噂聞いてない? ほら、暗闇に棲む妖怪、とか」
言われて思い出す、学校に蔓延する、いまどき時代遅れな、怪談話。
「あ、聞いた聞いた。なんか暗いところから手が伸びてきて、掴まれたらそのまま食べられちゃうんでしょ」
「それかぁ。誰が言い出したかわかんないけど、最近また流行ってるよねー」
口々に言う二人に頷きながら、金髪の少女は諭すように言った。
「駄目よ、火のない所に煙は立たないんだから。時間が遅いのは本当だし、気を付けないと」
「はいはいはーい。わかってるって。もぉ、姫ってば心配性だねぇ」
「でも、姫は帰んないの?」
不思議そうな少女に笑って首を振り、校舎の向こうを指差した。
「ええ。うっかり眠っちゃったけど、職員室に用があったのよ。ちょっと遅いけど寄ってから帰るわ」
「そっか。じゃ、また明日ね」
「ええ、さよなら」
ばいばい、と手を振る少女たちと分かれ、教室に一人佇む。
夕闇に溶けゆく街の、広がる闇と、それを圧する光を眺めながら。
「暗闇に潜む妖怪、ね」
くすりと笑うと、少女も身を翻した。金色が揺れ、そして教室は誰もいなくなった。
◆ ◇ ◆
「ところで」
「んー? 何かしら?」
そこは書斎。日も落ちて暗い室内を、ささやかな灯りが照らし出す。
そこにいるのは二人の女性。その部屋の主と、招かぬ客人と。
「何をしにいらっしゃったんです? 前の来訪から然程経ってもいないのに」
「何って」
くすりと笑う背には艶やかな金糸。光を返す輝きの中に、どこか暗闇が深い。
そしてその手に広げられた原稿には、彼女の姿が描かれていた。
「遊びに来た、に決まってるじゃない。古い知人との交流は大切にしないと」
「また、口ばっかり」
溜息をつくのはまだ幼い少女。手元には空になった紅茶のカップ。
そろそろ休もうかと思っていた頃なのか、目の前の文机の上は片付けられている。
「こんな時間にこられても、人間には困るだけだって知っているじゃないですか」
「そうなのよね。皆構ってくれないから退屈で」
「自分の式神とでも話してて下さい」
「ええー。そんなに嫌?」
「子供はもう寝る時間なんです」
嘘は言っていない。彼女ほどの年頃の子供はとっくに寝ている時間である。ただ、中身が見かけどおりの年齢ではないだけ。
ブーイングを飛ばす割に楽しそうな顔の女性は、残念そうな事を全く残念ではなさそうな顔で言った。
「しょうがないわねえ。今日は皆忙しそうだし、たまにはゆっくり眠ろうかしら」
「たまにはって」
一方こちらは呆れた様な顔で、そして不思議そうな顔で。
「いつも昼間は寝ているんでしょう? 違うんですか?」
「あら、自分で書いた事も忘れたの?」
ぽい、と幻想郷縁起の原稿を投げ渡し、じゃあね、とふわり浮き上がるその姿を少女は慌てて呼び止めた。
その顔に浮かぶのは、興味と疑念。
「あの!」
「何かしら」
訊かれる内容さえもわかっているかのように、にやにやと笑いながら見下ろす目を見つめながら、問う。
「本当に寝てるんですか? もしかして、本当に」
「ナイショ」
ばちん、と音がしそうなウインク。気勢を削がれ戸惑う顔の少女を残し、姿が暗闇に消えていく。
「その話はまた今度。今日はお休みなさい」
そして、何事もなかったかのように静寂が残る。ぱちん、と灯りの火が揺れた。
残された少女は狐に化かされたような、釈然としない顔で手元の紙、投げ返された原稿を見下ろす。
そこには八雲紫という見出しと、推測と伝聞だらけの彼女の行状が書き連ねられていた。
「……全く、なんだったのやら」
◇ ◆ ◇
「遊べーっ!」
「わーいっ」
「ちょ、ちょっとだけ待って、ねっ? ねっ?」
えー、と口々に不満の声を上げながら周囲に集る子供たちを必死で抑えつつ、一人の女性が周囲を見回す。
そして視線の先に、何人かの子供と共に日向で平和そうにまどろむ手伝いの女性を発見し、声を上げた。
「ねえっ、すいませんってば!」
「んぅ~、ふわぁーあぅ。あ~、何かしら?」
「ああもう、何かしら、じゃありませんよう!」
そう訴える間にも、その女性にわらわらと幼児たちが身体に纏わりつきよじ登り、振り落しされ転がされている。
午後の幼稚園は戦争に近い。元気の有り余る男の子たちに懐かれてしまえば、疲労にへたばる暇さえない。
一方居眠り気味の手伝いの女性は大人しい子供たちに囲まれ、平和な午後を満喫している。
運と要領の違いとはいえ、一人やんちゃ坊主たちに振り回される女性は納得いかないのであった。
「もう、折角手伝いの人が入ったのに、忙しさが全然変わらないじゃないですか!」
「でも皆寄ってこないし」
つい先日、手が足りないこの幼稚園に手伝いとして一時的に入ったこの女性は、一部の子供たち、主に男の子から距離を置かれていた。
原因は緩く束ねた美しい金髪と、シンプルな服装でもわかる美麗な容姿のせいだと思われる。
保母である彼女も手伝いと紹介された時、実はアイドルかモデルでテレビ番組の収録かと疑ったくらいだ。
子供たちも(なんか違う)とか思って警戒でもしてるのだろうか、と彼女は思っている。
「でもそれはそれとして、寝てばっかりじゃないですか~。手伝って下さいって」
「面倒は見てるんだけどねぇ」
やれやれと呟きながら、その女性は何処からか絵本を取り出した。周囲で見ていた子供たちが目を瞬かせる。
そして、そのままやる気なさそうな声で周囲に呼びかけた。
「じゃあ、本読んであげるから聞きたい子は寄っておいで~」
言われてもぐずぐずと動きがなかったが、こいこい、と手招きされるとぽつぽつ、と女の子たちが集まり始める。
少しすると物珍しさにか、本を読み聞かせる時間でもないのに、優に半分を超える子供たちが集まっていた。
その様子を見ていた女性も、暴れていた子供が大人しくなった隙に座り込み、一息をついた。
「じゃあ、読むわね」
そんな姿に笑みを漏らすと、その女性は本をぺらりとめくり、紙芝居のように絵を示して見せる。
山の絵、空の絵。そして、羽の生えたお爺さんのような絵。
彼女は内容を熟知しているのか、文字さえ見ずに語り始めた。
「ある所に、大きな山がありました。そこはとても綺麗な森が広がっていて、たくさんの動物たちが棲んでいました。
そこにいるのは動物だけではありません。そこには、不思議な神様も住んでいたのです」
聞いていた保母の女性は、聞いた事のない話に首を傾げたが口にはしなかった。別にそういう事は珍しい事ではない。
――――山に住む羽の生えたお爺さん。天狗かなにかかしら。
「その神様はとても優しく、立派な人でしたが、とても厳しい人でもありました。
山や森に悪さする人間がいると、風を起こして懲らしめるのです」
なんて事のない内容だが、真面目な顔をして聞いている子供たちの様子に顔が思わず綻んだ。
そして彼女は昔に読んだ、懐かしい昔話に思いを馳せる。
子供の頃は、幽霊の話が怖くて一人でトイレに行けなくなったりしたものだ。夕方の暗闇を大回りして避けて通ったり。
あの子達にも、そういう思い出が残ってくれたらいいな、と理由なく思った。
理由は必要ないと思う。思い出の楽しさも悲しさも恐怖さえも、きっと意味を持つから。
優しい語り口は続いていた。
◆ ◇ ◆
夜の博麗神社。そろそろ寝ようと寝巻きで寝室に向かった霊夢は、布団の中に怪しげな膨らみを発見した。
慌てず騒がず、冷静に考え、そして迷わず蹴り飛ばした。
「えい」
手応えなく布団は跳ね上がり、何もない空間が晒される。その瞬間、霊夢の首に腕が絡みつく。
「ちょっと、危ないじゃないの」
「あからさまに怪しすぎるのよ」
ぽい、と投げ捨てられたスキマ妖怪は、そのまま空中に逆さに浮かびながら改めて笑顔を作った。
「こんばんわ、霊夢。元気そうでなによりだわ」
「もう寝るんだから邪魔しないで頂戴」
「まあまあ」
「……どっから出してきたの」
「お月様の辺りじゃないかしら。あの辺は宵っ張りだし」
「ふうん」
差し出されたお茶を一瞥し、受け取って座り込む霊夢。紫も改めて座り直す。
「で、何の用よ」
「ちょっと話をしに来たのよ。陰陽玉の」
「これの?」
何処からともなく件の玉を取り出し、霊夢は首を傾げた。
そうそう、と頷いて、紫は言葉を続けた。
「陰陽玉の模様の意味、知ってるかしら?」
「太極でしょ」
「ええ。じゃあ、黒点と白点の意味は?」
「えっと、あれでしょ。確か、陰中の陽、陽中の陰」
にこりと、出来のいい生徒を褒める教師のような顔で笑う。そして、意地悪な問題で困らせる事を楽しむ意地悪教師のような声で、
「ところで、外の世界がどうなってるか、知ってるわよね」
「ちょっと、話飛んだわよ」
「妖怪がいなくなった理由はわかるかしら?」
「早く寝たいんだけど……。ああもう、わかったわよ。しつこいわね。
なんだっけ、外で妖怪が消えた理由? 幻想郷縁起にはあんたがやったって書いてあったわよ」
投げやりに言われて、あら凄い飛躍ねと漏らし、そのまま妖怪は言葉を繋いだ。
「そうね。常識を外れ、幻想となった存在を萃める結界。
……このまま全ての幻想が消えたら、どうなるのかしらね」
「は?」
「あら。聞こえなかった? 私は幻想郷から人間がいなくなったらどうなるのかしら、って言ったのよ?」
「絶対嘘だし……。第一、それは私が誰かわかってて言ってるのかしら?」
「ええ。それに、嘘でもないのよ。幻想郷の調停者さん」
妖怪を退治し、人々を守る博麗の巫女。
その言葉を聞いて何を思ったのか、不意にふわりと浮き上がり、ついと指先が空を分ける。世界の裂け目がこちらを覗き込む。
「そろそろ帰ろうと思うの。ありがとね」
「ちょっと、突然押しかけておいて何がしたかったのよ」
「別に? ちょっと話したかっただけよ。ホントよ?」
くすくすと妖しい笑みを漏らしながら、金色を靡かせスキマを抜けて消えていく後姿。
手元に残された、うさぎのような模様の湯飲みを手に、一人ぽつんと残される霊夢。
あー、と呟き、少し呆然としてから。溜息ついて湯飲みを置いて。そのままいそいそと布団に潜り込む。
「迷惑迷惑。こんな日はさっさと寝るに限るわ」
灯りが消され、暗闇が落ちる。月と星の明りだけが照らす中、静かに寝息が聞こえ始める。
◇ ◆ ◇
とある日記
○月☆日 晴れ
民話の研究調査のために、今日は■■を巡る。
徒歩で移動中、近くの森の中に石段を発見。興味を引かれ上った先で古びた神社に辿り着く。
寂れた雰囲気で長く人通りの絶えた印象ではあったが、見れば痛んだ場所もさりげなく補修され、小綺麗にされてはいる様であった。
調べていると一人の女性と出会う。金髪と白い肌の美しい女性で、名を■■■というらしい。
日本人離れした容姿に和名なので、ハーフか何かなのだろうと思う。
神社について訪ねると、驚いた事にこの神社、及び一帯の土地の管理者であるという。
どういう訳か、のらりくらりと質問を誤魔化されながらも、由来等について尋ねてみた。僅かながら要点を纏めておく。
・名を博麗神社というらしい。由来は古いらしいが、どういう事情でこのように寂れた姿になったのかは不明
・祀っている物を尋ねたが、具体的な説明を聞くことは出来ず
・今も重要な役目があるらしいのだが、詳しくはわからず
その後、不思議な話を聞く。『向こう側』には今も妖怪と人間の共存する楽園があるという話だ。
どこの向こう側なのかは不明。またそこは普通の人間には行き来できないのだという。
異界譚としてはよくある話であるが、話を聞くに共存といいつつも平和とは言い難い。理想郷とは違うのだろうか?
珍しい話なので詳しく聞きたかったが、早くも日も暮れてきたので断念し、辞して近くに宿を取る。
妙に具体的な話もあり、興味深い。明日、もう一度訪ねてみようと思う。
追記 翌日同じ道を辿るも、石段まで辿り着けず。森の広さから考えるに異常。
近隣の住人に尋ねると、昔から不思議な神社として有名なのだという。
神社の美女は聞けば何十年も昔から目撃されているらしい。ひょっとすると彼女こそ妖怪であったのかもしれない。
貴重な体験であったが、本当に怪奇現象ならば惜しい事をしたと後悔せずにいられない。
追記 確かに記述した筈の場所と女性の名前が黒く潰れて読めなくなっていた。
記憶も曖昧に。原因は不明、非常に不可解。
◆ ◇ ◆
「もう冬ね」
窓の外を木枯らしが渡り、葉を落とした木々を揺らす。
床にだらしなく寝そべり、豪奢な金髪を大きく広げた女性は外を見やり、呟いた。
「ええ、もう雪が降るまで間もないでしょう」
終えた食事の始末をしながら、その式である狐の女性が返事をする。
「今年は寒くなりそうですか?」
「そうね。外が暖かいし、今年は寒いかもしれないわね」
ああやだやだ、と漏らし、うーんと伸びをする。
その様子を見て苦笑しながら、手早く片づけを終えて藍がその横へ腰を下ろした。
「なら、そろそろ冬眠しますか?」
「そうねえ。寒くなるのも嫌だし、もう寝ちゃおうかしら」
「それはまた残念です」
あまり残念ではなさそうな顔で言う藍に、その主人である紫はにやにやと笑みを浮かべた。
「あら、寂しいのかしら」
「いえ全然。ただ、また退屈になるのか、と」
さらりと言われて、可愛くないわね、と呟きながらも楽しそうな顔をする。
「じゃあ、もうさっさと寝るわ。藍が忙しいのが嫌だって言うんだもの」
「止めませんよ。いつもの事ですから」
「そうなのよね。ちょっとマンネリかしら」
「付き合いも永いですから」
見合わせて笑い、紫はくるりと重力を感じさせない動きで床に足をつける。
さっと衣服を撫で付けて、音もなくするりと背に異空を背負う。
「紫様、食事のストックは」
「大丈夫。そんなに食べないし」
「そうですか。なら、行ってらっしゃいませ」
式のかけた言葉にあら、と不満げな顔を見せて、
「もう呆けちゃったのかしら。私は寝るって言ったのよ?」
「ええ、ですから。ごゆっくり、と」
何処吹く風に、訳知り顔で頷く藍。可愛くないわ、と紫は口を尖らせる。
「もう、これだから付き合いの長い子は」
「出来た従者で感動でしょう?」
「はいはい、そうね。気が向いたら戻るわ」
「お気をつけて」
「じゃあ、またね」
そう簡潔に言い残して、あっさりと狭間に消える主を見送り、その友でもある彼女は背を伸ばす。
「さて」
何をして過ごそうか。蔵の整理もあるし、大掃除をするには丁度いい時節でもある。
やらねばならない事はないが、やる事はたくさんあった。
退屈な冬は、もう目の前である。
◇ ◆ ◇
白々とした灯りの照らす廊下を、一人の金髪の少女が歩いている。
その背中を、親しみの篭った声が叩く。
「元気そうね、メリー」
「あら、蓮子」
くるりと振り向くと、後ろからぱたぱたと駆けてきた黒髪の友人がその横に並んだ。
「遅いわね。また教授と喧嘩してたの?」
「そんな事しないわよ。ちょっと論文の疑問点について激論を交わしてきただけで」
「いつもの事ね」
「でしょう?」
どちらからともなく、自然と道を曲がりカフェテリアを目指し始める。
今日は特に変わったネタもないのか、益体もない世間話でも始めようとした蓮子が首を傾げる。
「どうしたの?」
「何か良い事でもあったの? 機嫌良さそうだけど」
「そう? いや、そうなんだけど。わかるかしら」
「全然」
人の心の中が全部わかったらつまらないじゃない、などと混ぜっ返しつつ。
蓮子がその理由を尋ねようとした所で、すぐ先の角を曲がって現れた人物に、メリーが珍しくはしゃいだ声を上げた。
「お母さん!」
「あら、メリー」
現れた背の高い女性は、にこりと笑ってかつかつと歩いて来た。
その様子を見ていた蓮子も、笑顔で話しかけた。
「ああ、いらしてたんですか。帰ってきたのはいつ?」
「昨日だったかしら。可愛い娘に会いに真っ直ぐ帰ってきてみました」
「嘘ばっかり」
メリーはくすっと笑い、来た方を窺って尋ねる。
「挨拶に行ってたの?」
「まだよ。面倒臭いからぶらぶらしてただけ。
全く、休暇を利用して娘に会いに来た母親をまたこき使おうだなんてねえ」
「いいじゃないですか。私も結構好きですよ、あの講義」
「そうそう。いつまでもぶらぶらしてないで、早く行ったらいいのに」
「もう、厄介払いかしら? お母さん寂しいわ」
「何回目の嘘かしら?」
ひとしきり話題をかわし、そろそろ、と別れを切り出す。
「いつまでも待たせちゃ悪いしね。後で寄るわ」
「うん、待ってる」
「じゃあ、またね」
「失礼します」
手を振り振り、去っていく後姿を眺めながら蓮子が傍らの友人に話しかけた。
「なるほどねえ、あの人もう帰ってたんだ。冬は律儀ね」
「寒いから冬はフィールドワークを休むんだ、って言ってたけど」
「相変わらずねえ。また研究に回ってたんだっけ?」
頷くが、その一方で首を傾げるメリー。
「らしいけど、相変わらず行方知れずの放浪癖よ。面白い話を集めてくるのは確かなんだけど」
「それでいいじゃないの。民俗学としては十分興味深い話だもの。その方面じゃ有名だし、学長が是非講演を頼みたいって言うのもわかるわ」
「まあね。でも何処から集めてきたのか知らないけど、時々本物に聞いてきたみたいな話するのよ。
私の知り合いなんて去年の話聞いて、妖怪は本当にいるんじゃないかって言い出したくらいだし」
「聞いてきたんじゃないの? あなたなら出来なくもないでしょ」
なんてね、と笑って友人の背中をぱんぱんと叩き、そして感心したように、
「それにしても、相変わらず老けない人ね。初めて会った時も思ったけど」
「私も正確な年は知らないもの。怖くて聞けないし」
「そう? 実は自分より年下だったり、とか?」
「実は人間じゃなかった、とかありそうで」
よくある怪談みたいね、と笑いあって。
「じゃあ、今家に来てるんだ」
「そうよ。あなたも話聞きに来る? 嘘みたいな話が殆どだけど」
「またお土産のお酒が呑めるなら喜んで」
そう言いながら、また歩き出す。二人、くだらない話を続けながら。
◆ ◇ ◆
「ところで」
「んー? 何かしら?」
そこは書斎。日も落ちて暗い室内を、ささやかな灯りが照らし出す。
そこにいるのは二人の女性。その部屋の主と、招かぬ客人と。
「何をしにいらっしゃったんです? 春も早々に。てっきりまだ寝てるものかと思ってましたよ」
「あら、いつまでも眠ってるのは身体に悪いのよ?」
「説得力がないにもほどがあります」
やれやれ、と呟く少女の向かいに、灯火に金髪を透かして女性が舞い降りる。
「そうかしら。もしかしたら起きてるかもしれないじゃない?」
「裏が取れないのが困り物なんですよね」
「別に隠してなんかいないわよ?」
「調べようがないだけです」
嘆息し、手元の紅茶のカップを端に寄せ、文机の物を片付ける。
「第一、そういうのなら、冬の間何をしてるんですか」
「そうね。子供に会ったりしてるわ」
「……はあ?」
思いもよらない言葉にぽかんとする阿求。その反応が面白かったのか、口元を手で覆って笑いを堪える紫。
「子供なんていたんですか」
「いるわよ、一杯。貴方も、霊夢も、魔理沙も、みんなそう。見てて面白いもの」
はあ、と曖昧に相槌を打って、
「どういう基準ですか、一体」
「だから、私が見てて面白い事よ。長く見てれば自然と愛着も湧くわよ。それなりにね」
「母親なんて柄じゃないでしょうに」
「お姉ちゃんって呼んでくれても良いのよ?」
「遠慮します」
また誤魔化された、と肩をすくめ、カップを持って立ち上がる。
「あら、もう寝ちゃうの?」
「ええ。子供はもう寝る時間ですから」
「薄情ね。友人が訪ねてきてるのに」
「母親さんは子供の健康にも気を使ってあげて下さいよ」
ころころと笑い、なら、ときゅっと小さな身体を抱きしめる。
「うふふ。じゃあ、お休みなさい。愛してるわよー」
「はいはい。誰かが覗きに来て襲ってると思われても知りませんよ」
「本当にしても良いんだけどね」
またもくすくすと笑われて、何度目かになる溜息をついて身体を離す。
「とにかく、私はもう寝ますから。失礼しますよ」
「はあい。じゃあ、またね」
見ている前でするりと空間を越えて消える、その姿を見送って。
「母親ねえ」
人を喰らう存在であり、そして人を愛すると同じ口で語る妖怪。
その胸中は、どのような感情が存在するのか。
人が家畜を大切にするようにだろうか? 御伽噺の魔女が子供を太らせるようにだろうか?
「それとも、」
幻想郷縁起にもまだ載っていない、妖怪たちの実態は。まだまだ判りそうにない。
いつかわかる日が来るのだろうか。理解しあえることが。人と妖怪が近しい、この新しい時代なら。
彼女は思う。きっと――――
部活を終えて教室へ鞄を取りに戻ってきた制服姿の少女は、机に突っ伏して動かない、一人の少女を見つけた。
一緒にやってきた友人と苦笑いを交わすと、その寝姿へ遠慮のない声をかける。
「ちょっと姫ー? また寝てるの?」
「ぅ、ん……」
笑いながら揺すられて、鼻にかかったような声を上げながら、姫と呼ばれた少女は身を起こした。
夕日に照り輝く金色の滝が、その冴えた美しさが。起こした少女の目を奪う。
少女が女性になる寸前の、境界線上の危うさ。同じ人間とはとても信じられない、違いすぎるキレイさ。
そんな友人の中の賛嘆の気持ちを他所に、その全てを台無しにするような大欠伸をしながら、彼女は口を開いた。
「ああ……、また寝ちゃったわ。今何時?」
現実に立ち戻されてどぎまぎする少女の代わりに、もう一人の少女が質問に答えた。
「もう放課後だよー。まったくね、授業中もそうだけど、留学生ってそんなに寝てていいの?」
だから眠り姫なんて呼ばれるんだよ、と笑う少女たちににっこり笑い返す。
「私、成績いいもの。当てられてもちゃんと答えられるし」
ずるーい、と文句を言う友人たちを涼しい顔で受け流して、彼女は外の黄昏に染まる街を眺めた。
街が美しい茜色に染まり、そしてその合間に。小さくも真っ暗な隙間が口を開けている。
「そういえば二人とも、これから帰るんでしょ? 気をつけてね」
「あれ、なんかあったっけ?」
「あら、噂聞いてない? ほら、暗闇に棲む妖怪、とか」
言われて思い出す、学校に蔓延する、いまどき時代遅れな、怪談話。
「あ、聞いた聞いた。なんか暗いところから手が伸びてきて、掴まれたらそのまま食べられちゃうんでしょ」
「それかぁ。誰が言い出したかわかんないけど、最近また流行ってるよねー」
口々に言う二人に頷きながら、金髪の少女は諭すように言った。
「駄目よ、火のない所に煙は立たないんだから。時間が遅いのは本当だし、気を付けないと」
「はいはいはーい。わかってるって。もぉ、姫ってば心配性だねぇ」
「でも、姫は帰んないの?」
不思議そうな少女に笑って首を振り、校舎の向こうを指差した。
「ええ。うっかり眠っちゃったけど、職員室に用があったのよ。ちょっと遅いけど寄ってから帰るわ」
「そっか。じゃ、また明日ね」
「ええ、さよなら」
ばいばい、と手を振る少女たちと分かれ、教室に一人佇む。
夕闇に溶けゆく街の、広がる闇と、それを圧する光を眺めながら。
「暗闇に潜む妖怪、ね」
くすりと笑うと、少女も身を翻した。金色が揺れ、そして教室は誰もいなくなった。
◆ ◇ ◆
「ところで」
「んー? 何かしら?」
そこは書斎。日も落ちて暗い室内を、ささやかな灯りが照らし出す。
そこにいるのは二人の女性。その部屋の主と、招かぬ客人と。
「何をしにいらっしゃったんです? 前の来訪から然程経ってもいないのに」
「何って」
くすりと笑う背には艶やかな金糸。光を返す輝きの中に、どこか暗闇が深い。
そしてその手に広げられた原稿には、彼女の姿が描かれていた。
「遊びに来た、に決まってるじゃない。古い知人との交流は大切にしないと」
「また、口ばっかり」
溜息をつくのはまだ幼い少女。手元には空になった紅茶のカップ。
そろそろ休もうかと思っていた頃なのか、目の前の文机の上は片付けられている。
「こんな時間にこられても、人間には困るだけだって知っているじゃないですか」
「そうなのよね。皆構ってくれないから退屈で」
「自分の式神とでも話してて下さい」
「ええー。そんなに嫌?」
「子供はもう寝る時間なんです」
嘘は言っていない。彼女ほどの年頃の子供はとっくに寝ている時間である。ただ、中身が見かけどおりの年齢ではないだけ。
ブーイングを飛ばす割に楽しそうな顔の女性は、残念そうな事を全く残念ではなさそうな顔で言った。
「しょうがないわねえ。今日は皆忙しそうだし、たまにはゆっくり眠ろうかしら」
「たまにはって」
一方こちらは呆れた様な顔で、そして不思議そうな顔で。
「いつも昼間は寝ているんでしょう? 違うんですか?」
「あら、自分で書いた事も忘れたの?」
ぽい、と幻想郷縁起の原稿を投げ渡し、じゃあね、とふわり浮き上がるその姿を少女は慌てて呼び止めた。
その顔に浮かぶのは、興味と疑念。
「あの!」
「何かしら」
訊かれる内容さえもわかっているかのように、にやにやと笑いながら見下ろす目を見つめながら、問う。
「本当に寝てるんですか? もしかして、本当に」
「ナイショ」
ばちん、と音がしそうなウインク。気勢を削がれ戸惑う顔の少女を残し、姿が暗闇に消えていく。
「その話はまた今度。今日はお休みなさい」
そして、何事もなかったかのように静寂が残る。ぱちん、と灯りの火が揺れた。
残された少女は狐に化かされたような、釈然としない顔で手元の紙、投げ返された原稿を見下ろす。
そこには八雲紫という見出しと、推測と伝聞だらけの彼女の行状が書き連ねられていた。
「……全く、なんだったのやら」
◇ ◆ ◇
「遊べーっ!」
「わーいっ」
「ちょ、ちょっとだけ待って、ねっ? ねっ?」
えー、と口々に不満の声を上げながら周囲に集る子供たちを必死で抑えつつ、一人の女性が周囲を見回す。
そして視線の先に、何人かの子供と共に日向で平和そうにまどろむ手伝いの女性を発見し、声を上げた。
「ねえっ、すいませんってば!」
「んぅ~、ふわぁーあぅ。あ~、何かしら?」
「ああもう、何かしら、じゃありませんよう!」
そう訴える間にも、その女性にわらわらと幼児たちが身体に纏わりつきよじ登り、振り落しされ転がされている。
午後の幼稚園は戦争に近い。元気の有り余る男の子たちに懐かれてしまえば、疲労にへたばる暇さえない。
一方居眠り気味の手伝いの女性は大人しい子供たちに囲まれ、平和な午後を満喫している。
運と要領の違いとはいえ、一人やんちゃ坊主たちに振り回される女性は納得いかないのであった。
「もう、折角手伝いの人が入ったのに、忙しさが全然変わらないじゃないですか!」
「でも皆寄ってこないし」
つい先日、手が足りないこの幼稚園に手伝いとして一時的に入ったこの女性は、一部の子供たち、主に男の子から距離を置かれていた。
原因は緩く束ねた美しい金髪と、シンプルな服装でもわかる美麗な容姿のせいだと思われる。
保母である彼女も手伝いと紹介された時、実はアイドルかモデルでテレビ番組の収録かと疑ったくらいだ。
子供たちも(なんか違う)とか思って警戒でもしてるのだろうか、と彼女は思っている。
「でもそれはそれとして、寝てばっかりじゃないですか~。手伝って下さいって」
「面倒は見てるんだけどねぇ」
やれやれと呟きながら、その女性は何処からか絵本を取り出した。周囲で見ていた子供たちが目を瞬かせる。
そして、そのままやる気なさそうな声で周囲に呼びかけた。
「じゃあ、本読んであげるから聞きたい子は寄っておいで~」
言われてもぐずぐずと動きがなかったが、こいこい、と手招きされるとぽつぽつ、と女の子たちが集まり始める。
少しすると物珍しさにか、本を読み聞かせる時間でもないのに、優に半分を超える子供たちが集まっていた。
その様子を見ていた女性も、暴れていた子供が大人しくなった隙に座り込み、一息をついた。
「じゃあ、読むわね」
そんな姿に笑みを漏らすと、その女性は本をぺらりとめくり、紙芝居のように絵を示して見せる。
山の絵、空の絵。そして、羽の生えたお爺さんのような絵。
彼女は内容を熟知しているのか、文字さえ見ずに語り始めた。
「ある所に、大きな山がありました。そこはとても綺麗な森が広がっていて、たくさんの動物たちが棲んでいました。
そこにいるのは動物だけではありません。そこには、不思議な神様も住んでいたのです」
聞いていた保母の女性は、聞いた事のない話に首を傾げたが口にはしなかった。別にそういう事は珍しい事ではない。
――――山に住む羽の生えたお爺さん。天狗かなにかかしら。
「その神様はとても優しく、立派な人でしたが、とても厳しい人でもありました。
山や森に悪さする人間がいると、風を起こして懲らしめるのです」
なんて事のない内容だが、真面目な顔をして聞いている子供たちの様子に顔が思わず綻んだ。
そして彼女は昔に読んだ、懐かしい昔話に思いを馳せる。
子供の頃は、幽霊の話が怖くて一人でトイレに行けなくなったりしたものだ。夕方の暗闇を大回りして避けて通ったり。
あの子達にも、そういう思い出が残ってくれたらいいな、と理由なく思った。
理由は必要ないと思う。思い出の楽しさも悲しさも恐怖さえも、きっと意味を持つから。
優しい語り口は続いていた。
◆ ◇ ◆
夜の博麗神社。そろそろ寝ようと寝巻きで寝室に向かった霊夢は、布団の中に怪しげな膨らみを発見した。
慌てず騒がず、冷静に考え、そして迷わず蹴り飛ばした。
「えい」
手応えなく布団は跳ね上がり、何もない空間が晒される。その瞬間、霊夢の首に腕が絡みつく。
「ちょっと、危ないじゃないの」
「あからさまに怪しすぎるのよ」
ぽい、と投げ捨てられたスキマ妖怪は、そのまま空中に逆さに浮かびながら改めて笑顔を作った。
「こんばんわ、霊夢。元気そうでなによりだわ」
「もう寝るんだから邪魔しないで頂戴」
「まあまあ」
「……どっから出してきたの」
「お月様の辺りじゃないかしら。あの辺は宵っ張りだし」
「ふうん」
差し出されたお茶を一瞥し、受け取って座り込む霊夢。紫も改めて座り直す。
「で、何の用よ」
「ちょっと話をしに来たのよ。陰陽玉の」
「これの?」
何処からともなく件の玉を取り出し、霊夢は首を傾げた。
そうそう、と頷いて、紫は言葉を続けた。
「陰陽玉の模様の意味、知ってるかしら?」
「太極でしょ」
「ええ。じゃあ、黒点と白点の意味は?」
「えっと、あれでしょ。確か、陰中の陽、陽中の陰」
にこりと、出来のいい生徒を褒める教師のような顔で笑う。そして、意地悪な問題で困らせる事を楽しむ意地悪教師のような声で、
「ところで、外の世界がどうなってるか、知ってるわよね」
「ちょっと、話飛んだわよ」
「妖怪がいなくなった理由はわかるかしら?」
「早く寝たいんだけど……。ああもう、わかったわよ。しつこいわね。
なんだっけ、外で妖怪が消えた理由? 幻想郷縁起にはあんたがやったって書いてあったわよ」
投げやりに言われて、あら凄い飛躍ねと漏らし、そのまま妖怪は言葉を繋いだ。
「そうね。常識を外れ、幻想となった存在を萃める結界。
……このまま全ての幻想が消えたら、どうなるのかしらね」
「は?」
「あら。聞こえなかった? 私は幻想郷から人間がいなくなったらどうなるのかしら、って言ったのよ?」
「絶対嘘だし……。第一、それは私が誰かわかってて言ってるのかしら?」
「ええ。それに、嘘でもないのよ。幻想郷の調停者さん」
妖怪を退治し、人々を守る博麗の巫女。
その言葉を聞いて何を思ったのか、不意にふわりと浮き上がり、ついと指先が空を分ける。世界の裂け目がこちらを覗き込む。
「そろそろ帰ろうと思うの。ありがとね」
「ちょっと、突然押しかけておいて何がしたかったのよ」
「別に? ちょっと話したかっただけよ。ホントよ?」
くすくすと妖しい笑みを漏らしながら、金色を靡かせスキマを抜けて消えていく後姿。
手元に残された、うさぎのような模様の湯飲みを手に、一人ぽつんと残される霊夢。
あー、と呟き、少し呆然としてから。溜息ついて湯飲みを置いて。そのままいそいそと布団に潜り込む。
「迷惑迷惑。こんな日はさっさと寝るに限るわ」
灯りが消され、暗闇が落ちる。月と星の明りだけが照らす中、静かに寝息が聞こえ始める。
◇ ◆ ◇
とある日記
○月☆日 晴れ
民話の研究調査のために、今日は■■を巡る。
徒歩で移動中、近くの森の中に石段を発見。興味を引かれ上った先で古びた神社に辿り着く。
寂れた雰囲気で長く人通りの絶えた印象ではあったが、見れば痛んだ場所もさりげなく補修され、小綺麗にされてはいる様であった。
調べていると一人の女性と出会う。金髪と白い肌の美しい女性で、名を■■■というらしい。
日本人離れした容姿に和名なので、ハーフか何かなのだろうと思う。
神社について訪ねると、驚いた事にこの神社、及び一帯の土地の管理者であるという。
どういう訳か、のらりくらりと質問を誤魔化されながらも、由来等について尋ねてみた。僅かながら要点を纏めておく。
・名を博麗神社というらしい。由来は古いらしいが、どういう事情でこのように寂れた姿になったのかは不明
・祀っている物を尋ねたが、具体的な説明を聞くことは出来ず
・今も重要な役目があるらしいのだが、詳しくはわからず
その後、不思議な話を聞く。『向こう側』には今も妖怪と人間の共存する楽園があるという話だ。
どこの向こう側なのかは不明。またそこは普通の人間には行き来できないのだという。
異界譚としてはよくある話であるが、話を聞くに共存といいつつも平和とは言い難い。理想郷とは違うのだろうか?
珍しい話なので詳しく聞きたかったが、早くも日も暮れてきたので断念し、辞して近くに宿を取る。
妙に具体的な話もあり、興味深い。明日、もう一度訪ねてみようと思う。
追記 翌日同じ道を辿るも、石段まで辿り着けず。森の広さから考えるに異常。
近隣の住人に尋ねると、昔から不思議な神社として有名なのだという。
神社の美女は聞けば何十年も昔から目撃されているらしい。ひょっとすると彼女こそ妖怪であったのかもしれない。
貴重な体験であったが、本当に怪奇現象ならば惜しい事をしたと後悔せずにいられない。
追記 確かに記述した筈の場所と女性の名前が黒く潰れて読めなくなっていた。
記憶も曖昧に。原因は不明、非常に不可解。
◆ ◇ ◆
「もう冬ね」
窓の外を木枯らしが渡り、葉を落とした木々を揺らす。
床にだらしなく寝そべり、豪奢な金髪を大きく広げた女性は外を見やり、呟いた。
「ええ、もう雪が降るまで間もないでしょう」
終えた食事の始末をしながら、その式である狐の女性が返事をする。
「今年は寒くなりそうですか?」
「そうね。外が暖かいし、今年は寒いかもしれないわね」
ああやだやだ、と漏らし、うーんと伸びをする。
その様子を見て苦笑しながら、手早く片づけを終えて藍がその横へ腰を下ろした。
「なら、そろそろ冬眠しますか?」
「そうねえ。寒くなるのも嫌だし、もう寝ちゃおうかしら」
「それはまた残念です」
あまり残念ではなさそうな顔で言う藍に、その主人である紫はにやにやと笑みを浮かべた。
「あら、寂しいのかしら」
「いえ全然。ただ、また退屈になるのか、と」
さらりと言われて、可愛くないわね、と呟きながらも楽しそうな顔をする。
「じゃあ、もうさっさと寝るわ。藍が忙しいのが嫌だって言うんだもの」
「止めませんよ。いつもの事ですから」
「そうなのよね。ちょっとマンネリかしら」
「付き合いも永いですから」
見合わせて笑い、紫はくるりと重力を感じさせない動きで床に足をつける。
さっと衣服を撫で付けて、音もなくするりと背に異空を背負う。
「紫様、食事のストックは」
「大丈夫。そんなに食べないし」
「そうですか。なら、行ってらっしゃいませ」
式のかけた言葉にあら、と不満げな顔を見せて、
「もう呆けちゃったのかしら。私は寝るって言ったのよ?」
「ええ、ですから。ごゆっくり、と」
何処吹く風に、訳知り顔で頷く藍。可愛くないわ、と紫は口を尖らせる。
「もう、これだから付き合いの長い子は」
「出来た従者で感動でしょう?」
「はいはい、そうね。気が向いたら戻るわ」
「お気をつけて」
「じゃあ、またね」
そう簡潔に言い残して、あっさりと狭間に消える主を見送り、その友でもある彼女は背を伸ばす。
「さて」
何をして過ごそうか。蔵の整理もあるし、大掃除をするには丁度いい時節でもある。
やらねばならない事はないが、やる事はたくさんあった。
退屈な冬は、もう目の前である。
◇ ◆ ◇
白々とした灯りの照らす廊下を、一人の金髪の少女が歩いている。
その背中を、親しみの篭った声が叩く。
「元気そうね、メリー」
「あら、蓮子」
くるりと振り向くと、後ろからぱたぱたと駆けてきた黒髪の友人がその横に並んだ。
「遅いわね。また教授と喧嘩してたの?」
「そんな事しないわよ。ちょっと論文の疑問点について激論を交わしてきただけで」
「いつもの事ね」
「でしょう?」
どちらからともなく、自然と道を曲がりカフェテリアを目指し始める。
今日は特に変わったネタもないのか、益体もない世間話でも始めようとした蓮子が首を傾げる。
「どうしたの?」
「何か良い事でもあったの? 機嫌良さそうだけど」
「そう? いや、そうなんだけど。わかるかしら」
「全然」
人の心の中が全部わかったらつまらないじゃない、などと混ぜっ返しつつ。
蓮子がその理由を尋ねようとした所で、すぐ先の角を曲がって現れた人物に、メリーが珍しくはしゃいだ声を上げた。
「お母さん!」
「あら、メリー」
現れた背の高い女性は、にこりと笑ってかつかつと歩いて来た。
その様子を見ていた蓮子も、笑顔で話しかけた。
「ああ、いらしてたんですか。帰ってきたのはいつ?」
「昨日だったかしら。可愛い娘に会いに真っ直ぐ帰ってきてみました」
「嘘ばっかり」
メリーはくすっと笑い、来た方を窺って尋ねる。
「挨拶に行ってたの?」
「まだよ。面倒臭いからぶらぶらしてただけ。
全く、休暇を利用して娘に会いに来た母親をまたこき使おうだなんてねえ」
「いいじゃないですか。私も結構好きですよ、あの講義」
「そうそう。いつまでもぶらぶらしてないで、早く行ったらいいのに」
「もう、厄介払いかしら? お母さん寂しいわ」
「何回目の嘘かしら?」
ひとしきり話題をかわし、そろそろ、と別れを切り出す。
「いつまでも待たせちゃ悪いしね。後で寄るわ」
「うん、待ってる」
「じゃあ、またね」
「失礼します」
手を振り振り、去っていく後姿を眺めながら蓮子が傍らの友人に話しかけた。
「なるほどねえ、あの人もう帰ってたんだ。冬は律儀ね」
「寒いから冬はフィールドワークを休むんだ、って言ってたけど」
「相変わらずねえ。また研究に回ってたんだっけ?」
頷くが、その一方で首を傾げるメリー。
「らしいけど、相変わらず行方知れずの放浪癖よ。面白い話を集めてくるのは確かなんだけど」
「それでいいじゃないの。民俗学としては十分興味深い話だもの。その方面じゃ有名だし、学長が是非講演を頼みたいって言うのもわかるわ」
「まあね。でも何処から集めてきたのか知らないけど、時々本物に聞いてきたみたいな話するのよ。
私の知り合いなんて去年の話聞いて、妖怪は本当にいるんじゃないかって言い出したくらいだし」
「聞いてきたんじゃないの? あなたなら出来なくもないでしょ」
なんてね、と笑って友人の背中をぱんぱんと叩き、そして感心したように、
「それにしても、相変わらず老けない人ね。初めて会った時も思ったけど」
「私も正確な年は知らないもの。怖くて聞けないし」
「そう? 実は自分より年下だったり、とか?」
「実は人間じゃなかった、とかありそうで」
よくある怪談みたいね、と笑いあって。
「じゃあ、今家に来てるんだ」
「そうよ。あなたも話聞きに来る? 嘘みたいな話が殆どだけど」
「またお土産のお酒が呑めるなら喜んで」
そう言いながら、また歩き出す。二人、くだらない話を続けながら。
◆ ◇ ◆
「ところで」
「んー? 何かしら?」
そこは書斎。日も落ちて暗い室内を、ささやかな灯りが照らし出す。
そこにいるのは二人の女性。その部屋の主と、招かぬ客人と。
「何をしにいらっしゃったんです? 春も早々に。てっきりまだ寝てるものかと思ってましたよ」
「あら、いつまでも眠ってるのは身体に悪いのよ?」
「説得力がないにもほどがあります」
やれやれ、と呟く少女の向かいに、灯火に金髪を透かして女性が舞い降りる。
「そうかしら。もしかしたら起きてるかもしれないじゃない?」
「裏が取れないのが困り物なんですよね」
「別に隠してなんかいないわよ?」
「調べようがないだけです」
嘆息し、手元の紅茶のカップを端に寄せ、文机の物を片付ける。
「第一、そういうのなら、冬の間何をしてるんですか」
「そうね。子供に会ったりしてるわ」
「……はあ?」
思いもよらない言葉にぽかんとする阿求。その反応が面白かったのか、口元を手で覆って笑いを堪える紫。
「子供なんていたんですか」
「いるわよ、一杯。貴方も、霊夢も、魔理沙も、みんなそう。見てて面白いもの」
はあ、と曖昧に相槌を打って、
「どういう基準ですか、一体」
「だから、私が見てて面白い事よ。長く見てれば自然と愛着も湧くわよ。それなりにね」
「母親なんて柄じゃないでしょうに」
「お姉ちゃんって呼んでくれても良いのよ?」
「遠慮します」
また誤魔化された、と肩をすくめ、カップを持って立ち上がる。
「あら、もう寝ちゃうの?」
「ええ。子供はもう寝る時間ですから」
「薄情ね。友人が訪ねてきてるのに」
「母親さんは子供の健康にも気を使ってあげて下さいよ」
ころころと笑い、なら、ときゅっと小さな身体を抱きしめる。
「うふふ。じゃあ、お休みなさい。愛してるわよー」
「はいはい。誰かが覗きに来て襲ってると思われても知りませんよ」
「本当にしても良いんだけどね」
またもくすくすと笑われて、何度目かになる溜息をついて身体を離す。
「とにかく、私はもう寝ますから。失礼しますよ」
「はあい。じゃあ、またね」
見ている前でするりと空間を越えて消える、その姿を見送って。
「母親ねえ」
人を喰らう存在であり、そして人を愛すると同じ口で語る妖怪。
その胸中は、どのような感情が存在するのか。
人が家畜を大切にするようにだろうか? 御伽噺の魔女が子供を太らせるようにだろうか?
「それとも、」
幻想郷縁起にもまだ載っていない、妖怪たちの実態は。まだまだ判りそうにない。
いつかわかる日が来るのだろうか。理解しあえることが。人と妖怪が近しい、この新しい時代なら。
彼女は思う。きっと――――
様に感じられます。余韻を残す良いお話でした。
冬眠云々については、同人誌に掲載されたという東方香霖堂11.5話に冬眠するの
を忘れて神社でお茶を飲んでいたという記述があるそうです。起きていても
おかしくはないのかもしれません。