冥界にある白玉楼。その女主人、西行寺 幽々子は不機嫌な顔で屋敷の縁側に腰掛けていた。
イライライライライラ…。
「うー、あー。」
イライライライライラ…。
「むー。」
イライライライライラ…。
「あうー。」
「何をさっきからうなってるんですか?」
後ろから声を掛けられる。振り返るとそこにいたのは、庭師の魂魄 妖夢だった。手には湯飲みと和菓子の載った盆を持っている。
「…いいから放っておいて頂戴。」
イライライライライライラ。
「お茶が入りましたけど、飲まないんですか?」
イライライラ………ぴた。
「飲むわ。」
「はい。どうぞ。」
幽々子の前に、緑茶の入った湯のみと、羊羹の載った小皿が差し出された。
「藍さんからいただいた羊羹ですよ。召し上がってみてください。」
「おいしそうね。いただくわ。」
幽々子は湯飲みを手にし、緑茶を一口。口の中に緑茶の程よい苦味が広がる。そして…。
ぴしっ!
「うっ…。」
口の中に鈍い痛みが走った。
「どうしました?熱かったですか?」
隣でお茶を飲む妖夢が、固まってしまった幽々子に声を掛けてきた。
「い、いいえ、そんなこと無いわよ…ほほほ…。」
「はあ…。」
その顔には何滴かの汗が流れ落ちている。
続いて幽々子は、羊羹を爪楊枝で刺して、一切れ口の中に入れた。甘味が口いっぱいに広がる。緑茶の苦味と相殺してとても旨い。そして…。
ぴぎっ!
「はうっ!」
口の中から、脳天にむかって激痛が駆け抜ける。
「ど、どうしたんです?」
「あ、う、う…。」
幽々子の顔は脂汗でびっしょりだった。
「幽々子様…、もしかして…。」
妖夢がこちらを見る。その表情は、心配ではなく疑いだ。
「な、なんでもないのよ、妖夢…。」
「虫歯ですね?」
「…はい。」
小さく幽々子は答えた。
「はぁー。それならそうと言ってください。知っていれば羊羹など出しませんでしたのに。」
「だって、甘いものがないお茶はつまらないじゃないの。」
「こんなときまで食い気を優先させないでください。」
妖夢は羊羹をさっさと片付ける。
「ああー。」
「ダメです。」
「うー。」
「さっきからイラついていたのは、歯が痛かったからなんですね。ちょっと見せてください。」
「ん?あーん。」
妖夢が幽々子の口の中を覗きこむ。左下の奥歯の一つが黒くなって、穴まで開いていた。
「幽々子様、これ何時からです?」
「…半年ぐらい前かしら…。」
「は、半年?はぁ…ダメですよ。ちゃんと治療しないと。」
「わ、わかってはいたのよ。わかっては。」
「わかっているだけではダメです。幽々子様、これから歯医者に行きましょう。」
「いや!」
幽々子は力いっぱい否定した。
「いや、じゃなくて。行きましょう。」
「絶対にいや!歯医者は大嫌いなの!」
「嫌いとかそんな問題じゃありません。」
「いやなものはいや!」
幽々子はぷいと横を向いてしまう。
「虫歯は放っておいても治らないのです。行きましょう。」
「いやよ!」
「甘いものが食べられなくなりますよ。」
「そ、それもいや…。」
「なら歯医者です。」
「絶対いや!」
どちらも引かないため、永遠と続くかと思われた口論だった。
「はあ…こんなに言ってもダメですか…。」
「いやよ。」
「ならば仕方ありません。他の方法を取りましょう。」
「本当?いい方法があるの?」
妖夢に期待のまなざしを向ける。歯医者はいやでも、虫歯は治したいらしい。
「はい。私が治療します。」
「………え?」
目を丸くして妖夢を見つめる幽々子。
「私がって、あなた歯の治療が出来るの?」
「虫歯くらい治せなくては、魂魄家の名折れとなってしまいます。」
「へぇー。凄いのね。」
虫歯を治せなくとも、魂魄家の名は折れないと思うが。
「ではさっそく始めます。」
「早いわね。準備は無いの?」
「大丈夫です。」
「そう?それじゃお願いするわ。」
「はい。では幽々子様、そこに座ってください。」
妖夢は幽々子を縁側に座らせた。妖夢は幽々子の正面に立つ。
「そこで口を開けてください。そのまま動いちゃダメですよ。」
「わかったわ。あーん。」
「では。魂魄 妖夢、参る!」
シャキン。
「この楼観剣で切れない物は…。」
「ちょっと待ちなさいー!」
大声を上げて幽々子は逃げる。
「動いちゃダメですよ、幽々子様。」
「あなた!今何をしようとしたの?!」
「もちろん虫歯の治療です。」
「なんで刀を抜くのよ?!それで何を斬るの?!」
「虫歯を斬り捨てるのです。」
「いーやー!」
怯えて小さくなる幽々子である。
「そんな荒っぽい方法じゃなくて、他の方法は無いの?」
「荒っぽいって…。これが魂魄家に代々伝わる虫歯の治療法なのですよ。私も子供の時は、こうやって虫歯を治してもらいました。」
「あなた達、絶対おかしいわよ!」
「そうですか?これだと一発で治るのに…。」
「そりゃ治るでしょうね!でもダメよ!他の方法にして頂戴!」
「他の方法と言われても…。」
妖夢は腕組みをして考えてしまった。
斬り捨てられるぐらいなら、歯が痛いほうがマシだわ。…う、でもまた痛くなってきたわ。この痛みがわからないから妖夢はこんなひどいことが出来るのよ。…あら、そう言えば…。
「ねえ妖夢。」
「なんですか?」
「あなた、この前歯が痛いって言ってなかった?」
「はい。不覚にも先週虫歯になってしまいました。」
「どうやって治したの?今の方法は一人ではできないでしょう。歯医者に行ったの?」
「歯医者に行きたいって言ったのに、幽々子様、お休みくれなかったじゃないですか。」
「そうだったかしら。まあいいでしょ。それよりどうやって治したの?」
「はあ。ある方法を使って治しましたけど。」
「その方法を試しましょう。」
「え?でもあれは…。」
「斬り捨てられるよりはいいわ。やりましょう。」
「はぁ、そこまで言うのなら…。準備してきます。」
妖夢は縁側から屋敷の中に入っていく。しばらくして、手に長い紐のような物を持って出てきた。
「なあにそれ?」
「釣り糸です。」
「釣り糸?どうするの?」
「…とりあえずやってみましょうか。着いてきてください。」
妖夢は空へと飛び上がった。幽々子も後に続く。
妖夢の向かった先は、庭にある妖怪桜『西行妖』だった。その太い枝の一つに、妖夢は降り立った。
「幽々子様も隣に。」
「わかったわ。」
妖夢の隣に幽々子も立つ。
「幽々子様、口を開けてください。」
「ん、あーん。」
妖夢は釣り糸を持った両手を幽々子の口の中へと入れた。
「ん、もがもが…んーんー。」
「幽々子様、もう少しおとなしくしてください。」
妖夢は指先を器用に使い、釣り糸を虫歯にしばり付けた。
「げほ、げほ…。妖夢、何するのよ。」
「もう少しです。」
妖夢は幽々子の口の端から出ている釣り糸の先を、西行妖の枝にしばり付けた。
「…あの、妖夢。もしかしてこれって…。」
「はい。ご想像のとおりだと思います。このまま飛び降りてください。」
「う、うそー!」
つまり、飛び降りた勢いで虫歯を抜いてしまおうというのだ。これには幽々子も度肝を抜かれた。
「あなた、本当にこんなことやったの?」
「はい。」
「さらっと言わないで!怖いわ!」
下を見る。かなりの高度だ。高いのは怖くないが、落下時に歯にかかる激痛を考えると冷や汗が出てくる。
「い、痛そうね。」
「はい。痛いです。」
「う…。でも、斬り捨てられるよりはいいかもしれないわね…。」
「ためらっていてはダメです。一気に飛び降りないと。」
「な、なんで?」
「抜けるまで何度も繰り返さないといけませんから。ためらいがあると、抜けるまで回数がかかります。その回数分激痛を味わうのですから。私は5回ほど地獄を見てきました。」
「いーーーやーーー!!!」
結局、幽々子が怖がってしまい、この方法も没になった。
「幽々子様、それではいつまで経っても虫歯は治りませんよ。」
「だから、もっとおとなしい方法を考えなさいと言ってるの。」
「ですから、歯医者に…。」
「いや!」
ぷいと横を向く。幽々子も意固地になってしまった。
「もう、話が振り出しに戻ってしまった…。」
「塗るだけで虫歯が治る薬とか無いの?」
「そんな物ありません。せいぜい痛み止めぐらいです。」
「…痛み止め?」
幽々子の目が光る。
「ねえ、妖夢。痛み止め持ってるの?」
「それは…ありますけど…。」
「それにしましょう。」
「それにしましょうって、痛み止めなんて一時しのぎですよ。」
「一時しのぎでもいいの。妖夢、持ってきて。」
「まったく、後からどうなっても知りませんよ。」
妖夢は屋敷の中に入っていった。
「妖夢ももっと早く言ってくれればいいのにー。」
簡単に痛みが引くとわかるだけで、ご機嫌になる幽々子だった。
「お待たせしました。」
妖夢が盆に薬を載せて持ってきた。
「あら、飲み薬なの?」
盆には、水の入った湯のみと、ふちの大きい小瓶が二つ載っている。
「1つは塗り薬です。もう1つは飲み薬になります。」
妖夢は1つの小瓶のふたを開ける。
「塗り薬を使ってみましょうか。」
「どんな薬なの?」
「魂魄家に代々伝わる薬です。ちるのん草を煎じて作るんです。」
「…なに、その変な名前の草…。」
「薬草ですよ。良い痛み止めになるんです。」
「あ、そう…。」
なんだか塗ったら馬鹿になりそうな名前だが、まあ気にしないことにする。
「幽々子様、口を開けてください。」
「うん、あーん。」
妖夢は薬を塗った指先を口の中に入れる。そして、虫歯の穴の中に薬を塗りこんだ。
「終わりました。」
「んぐ…。」
口を閉じる。するとどうだろう、痛みが引いていくのがわかる。
「あら、凄い。痛くないわ。」
「大丈夫のようですね。」
「ええ、こんなにひひものかあうなら…あえ?」
なんだか口の中がぴりぴりする。
「よ、よほむ。くひかおかひいんたけと。(よ、妖夢。口がおかしいんだけど。)」
「それが効いてきた証拠です。痛み止めとは、痛覚神経を麻痺させてしまうものですから。」
「ひょっと、はなすのほつはいんたけと。(ちょっと、話すのもつらいんだけど。)」
「この薬は強力なんです。痛覚神経だけでなく、運動神経と感覚神経も麻痺させますので。」
「まっへ!ほへはしゃへることほ、たへることとてきなうなうんははひは?(待って!それじゃしゃべることも、食べることもできなくなるんじゃ?)」
「そうですね。」
「ほ、ほへはひや!よほむ、ほっへほうはう!(そ、それはいや!妖夢、とって頂戴!)」
「痛み止めがいいって言ったのは幽々子様ですよ。」
「よほむ、ほんはほといははいてほっへほうはい。(妖夢、そんなこと言わないでとって頂戴。)」
「はあ、しかたありませんね…。」
妖夢は幽々子の口の中に手を入れ、薬を拭っていく。
それから約1時間後。
「はあ、やっと口が治ってきたわ。」
「せっかく塗ったのに…。」
「その薬はもう使用禁止よ。口の中がバカになるわ。」
麻痺が治まってくると同時に、歯の痛みも戻ってくる。
「では仕方ありません。これで最後ですよ。」
妖夢はもう一つの瓶のふたを開ける。そこに入っていたのは白い錠剤だった。
「…これも魂魄家に伝わる薬なの?」
「いいえ。これは薬屋で買ってきた市販薬です。」
水の入った湯のみと一緒に、白い錠剤を差し出す妖夢。
「今度は大丈夫なのよね…。」
「いやなら歯医者ですよ。」
「う…の、飲むわよ。」
ゴクン。
薬を飲み下す。
「………特に変わらないけど…。」
「市販薬ですから。すぐには効いてこないです。」
「そう?それじゃ、少し待ってみるわ。」
縁側に腰を下ろして待つ。
「………さっぱり効かないじゃないの。」
「もう少しおとなしくしていてください。」
「痛いんだから早く効いてよ………ふぁ、あれ?なんだか眠くなって…。」
「にやっ。」
「よ、妖夢…まさか…。」
幽々子の意識はそこで途切れた。
…頭が痛い…。
後頭部に痛みを感じ、幽々子は目を覚ました。
…ここはどこ?頭が動かないわ…口の中がぴりぴりする…体も動かない…手も…足も………って?
「はほ、ほふなっへふの?(なに、どうなってるの?)」
「あれ、幽々子様もう目が覚めちゃいました?」
横から妖夢の声が聞こえる。声のした方を向こうとするが、首が正面を向いたまま動かない。頭を何かで固定されているようだ。
「よ、よほむ?(よ、妖夢?)」
「もう少し待っていてくださいね。」
幽々子は両目を動かして必死に自分の状況を確認しようとする。
見える景色は白玉楼の庭である。目線の高さからすると、自分は立ったままのようだ。
手を動かす。腕はまったく動かないが、手首から先はなんとか動いた。動かしてみると何かの感触がある。
…これは、樹の皮の感触?もしかして…私は…
「ひにひははりふへはへふ?(樹に縛り付けられている?)」
「そうですよ。幽々子様がわがままばっかり言うので、強硬手段をとることにしました。」
妖夢が幽々子の正面に出てきた。その目は真剣そのものだった。
「幽々子様。虫歯は放っておいても治らないんですよ。今日のところは私が治療しますので、これからはきちんと歯医者に行きましょうね。」
「へ、ひひょうへ…。(え、治療って…。)」
シャキン。
妖夢は刀を抜いた。
「ひーはー!!!(いーやー!!!)」
「口を閉じようとしても無駄です。歯にちるのん草を塗っておきましたので、口は麻痺したままです。」
「よほむのひほへはひー!ほひー!はふはー!(妖夢の人でなしー!鬼ー!悪魔ー!)」
「では、魂魄 妖夢、参る。」
「はへへー!(やめてー!)」
「はああっ!」
「ふひあああああああああああ!!!」
その後。さすがの幽々子も歯医者にきちんと通うことにしたとか。
糸括りつけて引っ張るって、絶対抜けないですよね。
なにやってんだ じいさん!
も、もしや剣を口の中に突っ込んで♪ゴリゴリと・・・・・・
イヤっ~~~~~!!!!(/-;
>名前が無い程度の能力様
やっぱり、妖夢ならやりかねませんよね(笑)
>2人目のの名前が無い程度の能力様
アライグマの親父ですね。この方法じゃ絶対抜けませんよね。
>蝦蟇口咬平様
幽霊に虫歯…のツッコミは今回無しで…。
>O3様
本当に、何やってんだじいさんですね。
>3人目の名前が無い程度の能力様
原作ではそのとおりですね。さすがにそこまでは書きませんでしたが。
>翼様
妖忌はこんな感じかなと思いまして。
>数を操る程度の能力様
ご想像してくださったとおりですね…。イヤー!
>四人目の名前が無い程度の能力様
幽々子のわがままさが伝わってくださったのなら、幸いです。
読んでくださった皆様。ありがとうございます。
指で虫歯を抜かれたのですか…。それは凄いです…。
それはそうと、うろたえまくる幽々子様が新鮮でいい感じでしたw
あと妖夢はどうやってあの状態のゆゆ様の言葉を理解しているのだろう?
それにしても歯医者が怖いって誰がいいだしたんでしょうね?
それと注射も。
いや、この話でもやっぱりゆゆ様の言動はあまり変わらないかな…?妖夢が斜め上すぎるだけでw
楽しく拝読しました。ありがとうございます。