「まったく、幽々子様ときたら、何であんなに忘れっぽいんだろ」
白玉楼。庭の掃除をしながら妖夢が溜息をつく。
彼女のぼやく通り、幽々子の忘れっぽさは異常だった。朝何を食べたかを昼には忘れ、夜には食べたということ自体を忘れているという体たらくである。その度にいちいち「もう食べたじゃないですか」と説明……というか説得するのは妖夢の役目だった。
「そのうち『妖夢がご飯食べさせてくれないの~』とか言われそうだよ」
冗談じゃない、と頭をブンブンと振って嫌な考えを消し去る。
「その癖、変な事は良く覚えてるし。やっぱり……」
「老人特有のあれかしら?」
「みょん!」
突然背後から声をかけられて、妖夢は奇妙な悲鳴を上げた。
「ゆ、紫様っ!お願いだから背後からいきなり声かけないでくださいよ」
「あらあら、驚かせちゃったかしら。ごめんなさいね」
くすくすと悪意たっぷりの表情で笑う紫。
(わざとだ、絶対わざとだ)
大きなため息をついて肩を落とす妖夢。
「……で、紫様はいかな御用ですか?」
「たいした用じゃないわ。幽々子の顔でも見てあげようかと思って来たら庭師が人生に疲れきったような顔でため息をついていたからつい……」
「つい引っ掻き回したくなった、ですか?」
「そういう事を言うのはこの口かしら?」
「ひっ、ひたひっ、ふみまへんひゅかりさまっ、ふいくひがふへって!」
こめかみに青筋を立てながら頬を引っ張る紫に、たまらず妖夢が悲鳴をあげる。
「まぁ引っ掻き回しに来たんだけど、あんましずけずけと本当の事言うもんじゃないわよ」
「うう、理不尽だ」
涙目で紅くなった頬を押さえる妖夢。紫の式神の藍がいつも疲れたような表情をしているのはこういう理由なのかと理解した瞬間であった。
「それで、幽々子が何で忘れっぽいか、ってことよね?」
「……紫様、ひょっとしてずっと私の独り言聞いてましたか?」
「紫わかんな~い」
「聞いてましたね?」
わざとらしく目を逸らす紫。
「それはともかくとして、幽々子が何で忘れっぽいか、知りたくない?」
「いえ、別に」
本当は興味津々だったが、紫の誘いに乗るのも癪だったので、あえて興味ない風を装ってみる妖夢。
「嘘ばっかり。さっき『まったく、幽々子様ときたら、何であんなに忘れっぽいんだろ』って言ってたじゃないの」
妖夢がさっき言った事をを声真似する紫。そっくりというか、むしろ妖夢の声そのものである。音の境界を弄ったようだ。無駄な事にその力を使うのは強力な妖怪の癖みたいなものである。
「言いましたが、よく考えたらそのような事を詮索するのは幽々子様の信頼を疑うことですから。従者として主を疑うのは忠義に反します。だから考えないことにしました」
「そんな事言って、ほんとは興味津々なんでしょ?」
「残念ながら興味ありません。掃除があるのでこれにて失礼します」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
箒を片手にその場を去ろうとする妖夢に、紫は露骨に狼狽し始めた。
「妖夢の癖に生意気じゃなくて?いいから聞いていきなさいよ。でないと幽々子にない事ない事吹き込むわよ」
「ない事ばっかりじゃないですか、それって」
拗ねた表情で日傘で地面にのの字を書く紫。
「妖夢が私の事いじめて楽しんでるとかって言っちゃうんだから」
「この幻想郷の誰が紫様いじめられるって言うんですか……逆ならともかく」
「幽々子の事、痴呆が進行してるって言ってたとか言ってやるんだから」
「それ言ったの紫様じゃないですか。ああもう、わかりました、聞きます聞きます、聞きたいですから」
あまりの紫の無茶苦茶な脅しにいい加減疲れて根負けした妖夢。逆に紫の顔がぱぁっ、と明るくなる。
「まったく妖夢ったら素直じゃないんだから。聞きたいなら初めから聞きたいって言えばいいのに」
(それはこっちの台詞ですよ。言いたいなら初めからそう言えばいいのに)
そうは思ったが、紫のやけにうれしそうな顔に、まぁいいかと思ってしまう妖夢であった。
「で、何で幽々子様はあんなに忘れっぽいのですか?」
「それはね、幽々子が1000年以上生きて……もとい、亡霊やってるからよ」
「はぁ……よく繋がりが見えませんが」
「記憶の寿命って言うのはどれくらいだと思う?」
「記憶の寿命、ですか?」
んー、としばし考えて、
「500年くらいですか?」
「ぶっぶー、ハズレ」
「1000年?」
「全然違うわ。もっと短いの」
「100年?」
「惜しい。正解は60年」
「60年ですか……意外と短いんですね」
本当に意外そうな顔をする妖夢。
「って、なんか以前にも紫様に60年とか聞かれたような気がするんですが」
「そういえば言ったかしらね。まぁそれと関係ある事。記憶は歴史にならない限り、60年で消え去ってしまうの」
「歴史にならない限り、って言うのはどういうことなんですか?」
「記録に残される事。記録に残された記憶は歴史として生き、記録に残されなかった記憶は偽史として死ぬ……そういう事よ」
わかったようなわからないような複雑な表情の妖夢。
「で、それが幽々子様が忘れっぽいのとどういう関係が?」
「幽々子は亡霊よ。つまり死んだ者。じゃ、そんな幽々子の記憶は生きてるのかしら?それとも死んでる?」
「え?えっと、うーん……どうなんだろ?」
「もし幽々子の記憶が生きてるなら、死んだ者から生きた物が『作られる』、という事になるわ。それは生と死の境界を越える事。しかも輪廻ではなく絶対ありえない死から生への逆転。そんな不自然な事が起こる事はありえないし、たとえ起こったとしてもそれは世界によって修正される。では幽々子の記憶は死んでる?死んでるなら幽々子は記憶を残すことが出来ない。記憶が残らないとは何も考えず、何も思わないと言う事。それはもう心が存在しないというのと同義語よ……妖夢、どう思う?」
「え……あ、その」
紫の言葉をなにやら小難しい顔をして聞いていた妖夢だったが、急に振られ、きょとんとした顔をしたが、すぐに反応する。
「幽々子様は確かに忘れっぽいですが、心がないとは思えません。やっぱり生きてるんじゃないでしょうか?」
「貴方ならきっとそう言うと思ってたわ。でも不正解。幽々子の記憶は死んでるの」
「そんな、さっき死んだ記憶は記憶として残らないと言ったのは紫様じゃないですか!」
詰め寄る妖夢を紫は扇子で制する。
「落ち着きなさいな、まだ続きがあるの。ええ、確かに死んでいるなら記憶が残らない、と言ったわ……ただ一つの例外を除いて、ね」
「例外?」
「人間が死んだらどうなる?」
「死体が残ります」
「いや、そうじゃなくって……」
「亡霊になる?」
「そうそう、その通り。大正解」
ぱちぱちと手を叩く紫。
「幽々子の記憶もそう。死んでしまった後は……幽霊になるの。記憶の幽霊」
「記憶の?」
「ええ。幽々子の記憶は、総て記憶の幽霊。幽々子は総てが死で出来てるのよ」
「そ、そうだったんですか」
なぜか感嘆の声を上げる妖夢。
「あれ、でもそれじゃ忘れっぽい理由が説明つけられませんよ?むしろ幽霊は寿命がないですから、逆に記憶力が良くないといけないんじゃないですか?」
「いいところに気がついたわね」
嬉しそうな表情を見せる紫。妖夢は真面目で融通が利かないが、それだけに結構面白いところがある。こういう話を引っ張っていかせるのには好都合である。
「記憶ってのは無限に記憶できるわけじゃないの。その貯蔵量には限界があるのよ」
「そういう物なんですか?」
「見た物聞いた物を忘れないという御阿礼の子ですら、実際には転生で引き継ぐ記憶ってのは一部なの。私だってそう。60年以上前の記憶はもうほとんど残ってないわ……幽々子だってそう。記憶の幽霊を無限に溜め込めるわけじゃない。むしろ記憶の幽霊は生きた記憶よりも容量を食うの。圧縮形式が違うのかしらね」
「圧縮形式?」
きょとんとしている妖夢。
「ああ、気にしない。ちょっと使ってみたかっただけだから……ともかく、幽々子はその記憶を整理するために、頻繁に記憶の幽霊を解き放ってるの。多分そこら中に幽々子の記憶の幽霊がいるはずよ……見えないけど」
辺りをきょろきょろ見回す妖夢に、苦笑する紫。
「けどここからが幽々子のまあなんというか、暢気な所で、記憶の幽霊が開放されっぱなしになっちゃう事があるのよ」
「そ、それって大事じゃないですか!ほっといたら幽々子様、覚える端から忘れてくって事じゃないですか」
「まぁ大抵漏れるのは少しだけだから、大丈夫なんじゃない?それに……」
「それに?」
「忘れたくない大切な事はちゃんと離さないようにしてるみたいだから……たとえば貴方の事とか」
「あ……」
紫の言葉に、頬を染めて顔をほころばせる妖夢。いたってわかりやすい。
「さて、と、そろそろ帰ろうかしらね」
「あれ、幽々子様の顔見るんじゃなかったんですか?」
「そのつもりだったけど、なんだか貴方と話してたらどうでもよくなったわ」
「……そう言われるとなんか複雑な気分です」
「それじゃ、幽々子によろしく言っといて」
そう言って、紫はするり、と隙間に滑り込む、というより落っこちるようにして白玉楼を後にした。
「行っちゃった……それじゃ、さっさと掃除を済ませようかな」
上機嫌で庭の掃除をする妖夢。とてもわかりやすい……と、屋敷の方から当の幽々子本人が歩いてくるのが見えた。
「あ、幽々子様~!」
妖夢が手を振る。幽々子もそれに気がついたらしい。妖夢の方に歩いてきた。そして小首をかしげる。
「……どちら様でしたっけ?」
その瞬間、妖夢の総てが凍りついた。ぴったり10秒間、だ。
「……って、冗談よ冗談。ちょっと妖夢をからかってみたく……って、え?」
幽々子がそう言ってくすくす笑い出した次の瞬間、妖夢の目からボロボロと涙が零れ落ちる。
「ちょ、何で泣いてるの、ねぇ妖夢ったら!」
ペタン、と地面に座り込み、ひっくひっくとしゃくりあげて泣く妖夢にパニックに陥る幽々子。
「ゴメン、ゴメンってば妖夢、お願いだから泣きやんでよぉ」
この後、妖夢をなだめるのに幽々子は30分を要する事になる。
「ぐすっ、もう、本当に幽々子様が私の事忘れちゃったのかと思いましたよ」
「そんなわけないじゃない。大切な妖夢を忘れたりしないわよ」
後からぎゅっと幽々子に抱きしめられ、顔を赤らめながらも、安心したような表情を見せる妖夢。
「それにしても紫ったら、また妖夢に余計な事吹き込んでから……今度会ったら強く言っとかなくちゃ」
「あ、幽々子様、その事なんですけど……」
「ん、どうしたの妖夢?」
妖夢は幽々子に先ほど紫にされた記憶の話をする。
「これって本当なのですか?幽々子様の記憶がどんどん漏れてるって……」
「ん、そうね……」
どこか憂いを帯びた表情を見せる幽々子。儚げな、そんな雰囲気を漂わせながら幽々子は妖夢から手を離すと、ゆらり、と距離を置く。
「ゆ、幽々子様?」
妖夢の顔色が青ざめる。今幽々子を捕まえておかないと、きっともう届かなくなるような、そんな予感を感じた。
「妖夢、実はね……」
その先を言わせてはいけない。幽々子に向かって駆け出そうとする妖夢。だが、間に合うはずもなく、幽々子の口はその先の言葉を紡ぎ出す。
「どうだったか忘れちゃった、てへ」
「……ああ、やっぱり幽々子様だ。うすうすそんなオチをつけてくれるんじゃないかと思ってたんです」
思いっきり地面にスライディングをかまして、妖夢はぐったりしたままつぶやいた。
「紫の言う事なんか信じちゃだめよぉ?どうせ確認の取れない与太話しかしないんだから」
「そう、ですよね……はぁ」
幻想郷で真面目ということは割を食うということである。結局妖夢は紫の思惑通り引っ掻き回されただけであったようだ。
きっとどこかでこの様子を見ているであろう紫のニヤニヤした顔を想像して、もう二度と紫の言う事は真に受けまいと心に誓った妖夢であった。
白玉楼。庭の掃除をしながら妖夢が溜息をつく。
彼女のぼやく通り、幽々子の忘れっぽさは異常だった。朝何を食べたかを昼には忘れ、夜には食べたということ自体を忘れているという体たらくである。その度にいちいち「もう食べたじゃないですか」と説明……というか説得するのは妖夢の役目だった。
「そのうち『妖夢がご飯食べさせてくれないの~』とか言われそうだよ」
冗談じゃない、と頭をブンブンと振って嫌な考えを消し去る。
「その癖、変な事は良く覚えてるし。やっぱり……」
「老人特有のあれかしら?」
「みょん!」
突然背後から声をかけられて、妖夢は奇妙な悲鳴を上げた。
「ゆ、紫様っ!お願いだから背後からいきなり声かけないでくださいよ」
「あらあら、驚かせちゃったかしら。ごめんなさいね」
くすくすと悪意たっぷりの表情で笑う紫。
(わざとだ、絶対わざとだ)
大きなため息をついて肩を落とす妖夢。
「……で、紫様はいかな御用ですか?」
「たいした用じゃないわ。幽々子の顔でも見てあげようかと思って来たら庭師が人生に疲れきったような顔でため息をついていたからつい……」
「つい引っ掻き回したくなった、ですか?」
「そういう事を言うのはこの口かしら?」
「ひっ、ひたひっ、ふみまへんひゅかりさまっ、ふいくひがふへって!」
こめかみに青筋を立てながら頬を引っ張る紫に、たまらず妖夢が悲鳴をあげる。
「まぁ引っ掻き回しに来たんだけど、あんましずけずけと本当の事言うもんじゃないわよ」
「うう、理不尽だ」
涙目で紅くなった頬を押さえる妖夢。紫の式神の藍がいつも疲れたような表情をしているのはこういう理由なのかと理解した瞬間であった。
「それで、幽々子が何で忘れっぽいか、ってことよね?」
「……紫様、ひょっとしてずっと私の独り言聞いてましたか?」
「紫わかんな~い」
「聞いてましたね?」
わざとらしく目を逸らす紫。
「それはともかくとして、幽々子が何で忘れっぽいか、知りたくない?」
「いえ、別に」
本当は興味津々だったが、紫の誘いに乗るのも癪だったので、あえて興味ない風を装ってみる妖夢。
「嘘ばっかり。さっき『まったく、幽々子様ときたら、何であんなに忘れっぽいんだろ』って言ってたじゃないの」
妖夢がさっき言った事をを声真似する紫。そっくりというか、むしろ妖夢の声そのものである。音の境界を弄ったようだ。無駄な事にその力を使うのは強力な妖怪の癖みたいなものである。
「言いましたが、よく考えたらそのような事を詮索するのは幽々子様の信頼を疑うことですから。従者として主を疑うのは忠義に反します。だから考えないことにしました」
「そんな事言って、ほんとは興味津々なんでしょ?」
「残念ながら興味ありません。掃除があるのでこれにて失礼します」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
箒を片手にその場を去ろうとする妖夢に、紫は露骨に狼狽し始めた。
「妖夢の癖に生意気じゃなくて?いいから聞いていきなさいよ。でないと幽々子にない事ない事吹き込むわよ」
「ない事ばっかりじゃないですか、それって」
拗ねた表情で日傘で地面にのの字を書く紫。
「妖夢が私の事いじめて楽しんでるとかって言っちゃうんだから」
「この幻想郷の誰が紫様いじめられるって言うんですか……逆ならともかく」
「幽々子の事、痴呆が進行してるって言ってたとか言ってやるんだから」
「それ言ったの紫様じゃないですか。ああもう、わかりました、聞きます聞きます、聞きたいですから」
あまりの紫の無茶苦茶な脅しにいい加減疲れて根負けした妖夢。逆に紫の顔がぱぁっ、と明るくなる。
「まったく妖夢ったら素直じゃないんだから。聞きたいなら初めから聞きたいって言えばいいのに」
(それはこっちの台詞ですよ。言いたいなら初めからそう言えばいいのに)
そうは思ったが、紫のやけにうれしそうな顔に、まぁいいかと思ってしまう妖夢であった。
「で、何で幽々子様はあんなに忘れっぽいのですか?」
「それはね、幽々子が1000年以上生きて……もとい、亡霊やってるからよ」
「はぁ……よく繋がりが見えませんが」
「記憶の寿命って言うのはどれくらいだと思う?」
「記憶の寿命、ですか?」
んー、としばし考えて、
「500年くらいですか?」
「ぶっぶー、ハズレ」
「1000年?」
「全然違うわ。もっと短いの」
「100年?」
「惜しい。正解は60年」
「60年ですか……意外と短いんですね」
本当に意外そうな顔をする妖夢。
「って、なんか以前にも紫様に60年とか聞かれたような気がするんですが」
「そういえば言ったかしらね。まぁそれと関係ある事。記憶は歴史にならない限り、60年で消え去ってしまうの」
「歴史にならない限り、って言うのはどういうことなんですか?」
「記録に残される事。記録に残された記憶は歴史として生き、記録に残されなかった記憶は偽史として死ぬ……そういう事よ」
わかったようなわからないような複雑な表情の妖夢。
「で、それが幽々子様が忘れっぽいのとどういう関係が?」
「幽々子は亡霊よ。つまり死んだ者。じゃ、そんな幽々子の記憶は生きてるのかしら?それとも死んでる?」
「え?えっと、うーん……どうなんだろ?」
「もし幽々子の記憶が生きてるなら、死んだ者から生きた物が『作られる』、という事になるわ。それは生と死の境界を越える事。しかも輪廻ではなく絶対ありえない死から生への逆転。そんな不自然な事が起こる事はありえないし、たとえ起こったとしてもそれは世界によって修正される。では幽々子の記憶は死んでる?死んでるなら幽々子は記憶を残すことが出来ない。記憶が残らないとは何も考えず、何も思わないと言う事。それはもう心が存在しないというのと同義語よ……妖夢、どう思う?」
「え……あ、その」
紫の言葉をなにやら小難しい顔をして聞いていた妖夢だったが、急に振られ、きょとんとした顔をしたが、すぐに反応する。
「幽々子様は確かに忘れっぽいですが、心がないとは思えません。やっぱり生きてるんじゃないでしょうか?」
「貴方ならきっとそう言うと思ってたわ。でも不正解。幽々子の記憶は死んでるの」
「そんな、さっき死んだ記憶は記憶として残らないと言ったのは紫様じゃないですか!」
詰め寄る妖夢を紫は扇子で制する。
「落ち着きなさいな、まだ続きがあるの。ええ、確かに死んでいるなら記憶が残らない、と言ったわ……ただ一つの例外を除いて、ね」
「例外?」
「人間が死んだらどうなる?」
「死体が残ります」
「いや、そうじゃなくって……」
「亡霊になる?」
「そうそう、その通り。大正解」
ぱちぱちと手を叩く紫。
「幽々子の記憶もそう。死んでしまった後は……幽霊になるの。記憶の幽霊」
「記憶の?」
「ええ。幽々子の記憶は、総て記憶の幽霊。幽々子は総てが死で出来てるのよ」
「そ、そうだったんですか」
なぜか感嘆の声を上げる妖夢。
「あれ、でもそれじゃ忘れっぽい理由が説明つけられませんよ?むしろ幽霊は寿命がないですから、逆に記憶力が良くないといけないんじゃないですか?」
「いいところに気がついたわね」
嬉しそうな表情を見せる紫。妖夢は真面目で融通が利かないが、それだけに結構面白いところがある。こういう話を引っ張っていかせるのには好都合である。
「記憶ってのは無限に記憶できるわけじゃないの。その貯蔵量には限界があるのよ」
「そういう物なんですか?」
「見た物聞いた物を忘れないという御阿礼の子ですら、実際には転生で引き継ぐ記憶ってのは一部なの。私だってそう。60年以上前の記憶はもうほとんど残ってないわ……幽々子だってそう。記憶の幽霊を無限に溜め込めるわけじゃない。むしろ記憶の幽霊は生きた記憶よりも容量を食うの。圧縮形式が違うのかしらね」
「圧縮形式?」
きょとんとしている妖夢。
「ああ、気にしない。ちょっと使ってみたかっただけだから……ともかく、幽々子はその記憶を整理するために、頻繁に記憶の幽霊を解き放ってるの。多分そこら中に幽々子の記憶の幽霊がいるはずよ……見えないけど」
辺りをきょろきょろ見回す妖夢に、苦笑する紫。
「けどここからが幽々子のまあなんというか、暢気な所で、記憶の幽霊が開放されっぱなしになっちゃう事があるのよ」
「そ、それって大事じゃないですか!ほっといたら幽々子様、覚える端から忘れてくって事じゃないですか」
「まぁ大抵漏れるのは少しだけだから、大丈夫なんじゃない?それに……」
「それに?」
「忘れたくない大切な事はちゃんと離さないようにしてるみたいだから……たとえば貴方の事とか」
「あ……」
紫の言葉に、頬を染めて顔をほころばせる妖夢。いたってわかりやすい。
「さて、と、そろそろ帰ろうかしらね」
「あれ、幽々子様の顔見るんじゃなかったんですか?」
「そのつもりだったけど、なんだか貴方と話してたらどうでもよくなったわ」
「……そう言われるとなんか複雑な気分です」
「それじゃ、幽々子によろしく言っといて」
そう言って、紫はするり、と隙間に滑り込む、というより落っこちるようにして白玉楼を後にした。
「行っちゃった……それじゃ、さっさと掃除を済ませようかな」
上機嫌で庭の掃除をする妖夢。とてもわかりやすい……と、屋敷の方から当の幽々子本人が歩いてくるのが見えた。
「あ、幽々子様~!」
妖夢が手を振る。幽々子もそれに気がついたらしい。妖夢の方に歩いてきた。そして小首をかしげる。
「……どちら様でしたっけ?」
その瞬間、妖夢の総てが凍りついた。ぴったり10秒間、だ。
「……って、冗談よ冗談。ちょっと妖夢をからかってみたく……って、え?」
幽々子がそう言ってくすくす笑い出した次の瞬間、妖夢の目からボロボロと涙が零れ落ちる。
「ちょ、何で泣いてるの、ねぇ妖夢ったら!」
ペタン、と地面に座り込み、ひっくひっくとしゃくりあげて泣く妖夢にパニックに陥る幽々子。
「ゴメン、ゴメンってば妖夢、お願いだから泣きやんでよぉ」
この後、妖夢をなだめるのに幽々子は30分を要する事になる。
「ぐすっ、もう、本当に幽々子様が私の事忘れちゃったのかと思いましたよ」
「そんなわけないじゃない。大切な妖夢を忘れたりしないわよ」
後からぎゅっと幽々子に抱きしめられ、顔を赤らめながらも、安心したような表情を見せる妖夢。
「それにしても紫ったら、また妖夢に余計な事吹き込んでから……今度会ったら強く言っとかなくちゃ」
「あ、幽々子様、その事なんですけど……」
「ん、どうしたの妖夢?」
妖夢は幽々子に先ほど紫にされた記憶の話をする。
「これって本当なのですか?幽々子様の記憶がどんどん漏れてるって……」
「ん、そうね……」
どこか憂いを帯びた表情を見せる幽々子。儚げな、そんな雰囲気を漂わせながら幽々子は妖夢から手を離すと、ゆらり、と距離を置く。
「ゆ、幽々子様?」
妖夢の顔色が青ざめる。今幽々子を捕まえておかないと、きっともう届かなくなるような、そんな予感を感じた。
「妖夢、実はね……」
その先を言わせてはいけない。幽々子に向かって駆け出そうとする妖夢。だが、間に合うはずもなく、幽々子の口はその先の言葉を紡ぎ出す。
「どうだったか忘れちゃった、てへ」
「……ああ、やっぱり幽々子様だ。うすうすそんなオチをつけてくれるんじゃないかと思ってたんです」
思いっきり地面にスライディングをかまして、妖夢はぐったりしたままつぶやいた。
「紫の言う事なんか信じちゃだめよぉ?どうせ確認の取れない与太話しかしないんだから」
「そう、ですよね……はぁ」
幻想郷で真面目ということは割を食うということである。結局妖夢は紫の思惑通り引っ掻き回されただけであったようだ。
きっとどこかでこの様子を見ているであろう紫のニヤニヤした顔を想像して、もう二度と紫の言う事は真に受けまいと心に誓った妖夢であった。
筋が通ってるようで確認が出来ない辺りがGOOD!
キチンと性格も出ていて素晴らしい話でした。
60年…東方紫香花をふと思い出しましたよ。
しかも嘘かどうかも確かめられないところが八雲紫の与太話
そんなだから胡散臭いって言われ(スキマ
ただいつも行く理容院のオッチャンを幻視したのは謎。
確かに妖々夢でうふふとかいってたなぁ
ピーチの手袋に似た手袋の白い色と紫の出っ歯の白い色が異様なまでにマッチしていたなぁ。
60年ではなかったような気がする。太陽黒点が11年サイクルだから66か55になる気がする。
筋違いを無理やり治せる作者は凄い。
これが嘘を嘘と見抜かせない為の唯一で最高の、賢者の詐欺。
……と何処かの白因幡が言ってた。嘘だけど。
紫様も良かったけどこの下りも読んで見たかった! GJ!
でもゆかりんは少女って年じゃn(隙間
妖夢がかわいくて凄くいいです。
・紫にやけに
……もうないと思いたい。
ゆかりんは胡散臭いと言うより、つかみ所が無いだけだと思うんだけどなあw
話の展開はとても綺麗で見習いたいと思いました。
ネタの料理の仕方もお上手ですね