――――――――隠れん坊?私と?
――――――――うん。だめ?
――――――――駄目じゃないけれど。無知はすごいわね。命知らずな子だわ
――――――――え
――――――――ああいいの。いつかわかるでしょう。それまでは…
――――――――私と、遊びましょうか
【飛ぶ夢を暫くみない】
おやすみなさいと耳元に囁いた。それが別れの言葉だった。
[Reimu]
身体に力を込めたって無駄だ。
見えない羽など以ての外だ。
むしろイメージすべきは枷なのだ。
お前の腕を縛り、足を大地に括り付け、肩を押さえつける大きな重し。
髪の一本、指の一つまでを捕らえて離さない楔。
それを外せ。
さすれば後は望みのままに、その身は宙を舞うだろう。
幼少時、私はなかなかうまく飛べなかった。だからという訳でもないが、甘言など貰った覚えはない。優しい言葉どころか、そんなものは視線にすら込められたことがなかった。ただ繰り返されたのは巫女としての役目だ。在り方だ。心構えだ。なに、こうして思い返せば辛いことなどほとんど無かった。ただ、同じくらい楽しいこともなかっただけで。
いつまでたっても修行に身の入らない子に未来を託すのは、なるほど心配で仕方がなかったことだろう。才能がないわけではなく、精神の問題というのは、果たして無能よりも質が悪いと言えるのか。いずれにせよ、飛ぶことは――――――――浮かぶことは殊更不得手だった時季があった。今にしてみれば信じられない話であるが。
実のところ、自分でもどれほど拙い飛行していたのか覚えていない。記憶とはいつでも今にしか無い癖に、今ではない。まして子ども自体とは異界だ。あの世界に自分がいたことがときどき不思議でならない。あれは本当に自分なのだろうか。今も交流がある知り合いも、記憶の中とは違う気がする。
例えばあいつ。
そう思い出しかけ、いや待てあれはそもそも記憶ではないと思い直す。いくら私が子どもだったからと言って、あれが私にそんな優しかったことなどあるわけがない。そもそも、出会ったのはもっと後だったはずだ。それまではせいぜい、人の口から噂に上るのを伝え聞いたぐらいだったはず。あるいは、残された巻子にちらほらと、あいつを思い起こさせる記述を見たことがあるぐらいで、幼いときなどは知りもしなかったはずだ。
あの、胡散臭い妖怪のことは。
「相も変わらず、胡乱な奴ね」
いくら神出鬼没とは言え、人の思い出にまで出張って来ないで欲しい。危うく捏造された記憶を本当の思い出にしてしまうところだった。幼少期からあいつと知り合いなんて冗談じゃない。あんなものは子どもの成長に、確実な悪影響をもたらすと思う。想像だけでウンザリしそうだった。
そうだ。
あいつが、あんな声で私を呼ぶはずがないし、そんな優しく笑うはずがない。
神経を逆撫でる問答もなく、からかう笑いもなく、はぐらかすような言葉も、妙に余裕のあるあの視線も無く。あいつが、子どもの遊びに付き合うわけが――――――――
「ああもう。っさいなぁ…」
子ども時代とは異界なのだ。
だから、全てはまやかしなのだ。
たとえ、同じように思えたとしても。
そんなはずは、ないのだ。
【暗転】
待っていなさいと言われたのに、何故かそれが出来なかった。稚拙な浮遊を完全にしようと、いつになく真剣になった時のことだった。
足場の悪いそこでバランスを崩した。恐怖を感じる間に世界は縦に流れていく。ぎゅっと目を閉じた私を抱き留めたのは、堅い大地ではなく、それとは対極にやわらかな、あの二本の腕だった。
「――――――――と。危なっかしいことね、次期の御子は」
呆れると言うよりは、とても楽しそうに。
「…だ、れ?」
死にかけた恐怖などすっかり失せて、私は目の前の存在に問いかける。子ども故に細い胴には、彼女の腕がぐるりと巻き付いて、もう何処にも堕ちる心配は無さそうだった。
「あら」
意外そうな声。いや、残念そうな、だろうか。
「わからないのかしら、博麗の巫女」
その言葉の後、ずるりと彼女の“下半分”が現れた。その膝に私を座らせて、彼女は宙に腰掛ける。まるで、見えない椅子がそこにはあるように。ひたと向けられた目は、人離れした叡智の片鱗を魅せ、視線は心臓を掴もうとするみたいに降ってくる。
「確かに初めましてと言えるものね。それじゃあ改めてまして、博麗の巫女。私はシガナイ妖怪の一つ。恐らくは、長い付き合いになるでしょうね」
そう言ったその妖怪は、“なんとなく”とても強そうに思えた。
「はじめ、まして?」
「あら怖い顔。妖怪は嫌い?」
「どう、かな…考えたことないから」
それでも、とりあえず退治しておくものだと言われている。
その事を思い出し、私は彼女を見つめ直した。
これに、勝つ?
肩に余分な力が入る。無理そうだと思った。少なくとも、今はまだ。
「考えたことがないねぇ。ああ、ある意味でそれは模範解答と言えるわね、博麗の巫女。そう、安心したわ。不甲斐ないばかりではないようで。そうでなくては困りものだわ」
よくわからないが誉められたらしい。手を頭に乗せられる。撫でられた。とても気持ちがいいけれど、それは振り払わなければいけない気がした。けれど私は動かなかった。それは、あと数年後に採るべき選択だと思った。
「それにしても」
「…?」
「貴女のお目付役は、私ではないのだけれど、ねぇ。“あれ”は何処に行ったのかしら」
「あれ?」
あれとは口うるさい指南役のことだろうか。ならば、今日は不在だ。だからこそ珍しく、暇を持て余して自主的に修行なんぞをしてみる気になったのだ。やはり、妙な気紛れなど起こすものではない。
「ふうん。なら、私と少し遊んでみる?博麗のみ…」
「れいむ」
「あら?」
「“ハクレイのミコ”では少し長いでしょう?」
「……そうね。なら、巫女で」
彼女は、何故か霊夢とは呼びたがらなかった。
私を地面に下ろすと、彼女は笑って私の服の皺を伸ばしてくれた。その手を掴む。
「ねえ」
「なにかしら」
隠れん坊をしようと思った私は、どうしてもそれを聞いておく必要があった。
「なまえ」
私が知っていたルールは、相手の名前を言ってから「みいつけた」と叫び、触れなければ無効というものだったから。
「あなたの、なまえは、なに?」
考えてみれば、何よりもまず訊いておくべき事だったのだが……
「名前…そう、名前ねぇ。……いいわ。本当は今日は教えるはずではないのだけれど。どうせ忘れてしまうものね。いい?一度しか言わないわよ?」
私の質問に、その人は笑って
「私は――――――――」
だから、全てはまやかしなのだ。
【BGN】
耳の中には、まだあの音が生きている。
なんどもなんども繰り返した。
手を止めてしまえば、恐ろしい何かに気づいてしまいそうで。
恐ろしい何かに、壊れてしまいそうで。
なんどもなんども繰り返した。
その度に、もう聞こえないはずのその声が、肌を撫でて、耳に食い込んで染みついた。
なんどもなんども繰り返した。
念入りに念入りに繰り返した。
その度に、唇から意図しない言葉が漏れてゆく。
悪いのは、自分じゃない。
自分のはずがない。
すべては、この化け物が悪いのです。
あの夜、か細いその声に耳を閉ざして、私は何度も手を振り上げた。
すべては、この化け物が悪いのです。
すべては、この化け物が悪いのです。
耳の中には、まだあの音が生きている。
【酔いどれ日和】
香の薫りがした。
それを嗜むといった雅なものではなく、暗に人が死んだことを示すあの匂い。
見つけた遺体の、お別れの儀に霊夢は参列していた。
初対面が死体という哀れさもあって、つい流れで葬儀にまで関わってしまったが、よく考えればそんな義理は何処にもない。全くもって面倒だが、一応は喪に服して、物忌みでもするべきだろうか。それもいいかもしれない。ついていないあの里人の為にも、それぐらいをしても罰は当たるまい。むしろしないとどこかの閻魔が五月蠅そうだ。徳を積めとも言われたことだし、帰って早速禊ぎでもしようか。
そう思って腰を上げると、例の亡くなった者の遺族らしい老婆が進み出た。簡単な言葉を交わす。悔やみの言葉を投げると、礼が返った。見つけてくださってありがとう。そう言われた。別段大したことはしていない。薪を求めて彷徨いていたら、そこに死体があったのだ。それだけだ。無惨な姿の、あれが。
なおも礼を重ねようとするのを、やわらかに止めて帰る旨を伝える。空腹も覚えていたし、何よりも眠い。それにあれは、あの死体は――――――――目を閉じて、頭を切り換える。どうでもいいことだ。
帰り道は暗かった。風が冷たい。そう言えば薪を拾っていないことを思いだし、ちょっと憂鬱な気分になる。
「―ん?」
何か遠吠えのようなものを聞いた気がした。気のせいだろうか。探ろうかと思いかけ、今日はもう面倒事はこりごりだと考え直す。ここら辺は魔法の森が近い。あの辺りを好んで彷徨く者はそういないし、『博麗の巫女』が出張っていく必要はないだろう。
「魔理沙とアリスなら、なんの心配もいらないわけだし」
むしろ、二人は厄介事そのものだ。
「あーでも、アリスの方がまだおとなしいかしら、そう言えば」
比較対象が悪すぎるからかもしれないが。いずれにせよ今日はもう疲れている。さっさと帰って眠る。これに限る。
「って、私は思いながら帰って来たってのに…」
「あら霊夢。今晩は。良い夜ね」
月に叢雲、花に風。憔悴しきった巫女の住処には、神出鬼没のスキマ妖怪、というわけか。
いや、それはさすがに可笑しい。こんなだから人も寄り付かないのだ、この神社は。
「本当に。いなくていい時にいるわね、あんたは」
「そして、いて欲しい時にはいない?」
「そんな時はないけどね」
「そう?本当に?」
くすりと笑われる。なんとなく癇に障る笑いだ。
「ねぇ」
「なによ」
「今日の霊夢は、血の臭いがするわね」
「ああ。やっぱりわかるんだ」
「ふふ」
正直、この手の話はあまりいい気がしない。
「何だかお腹が空いたわ」
「奇遇ね。私も倒れそうなほど減っているの」
ついでに倒れそうなほど疲れている。だから帰れ。あんたに構っている暇は――――――――
「気の毒だったわね。あの人」
――――――――ああそうか。なるほど。わざとか。
「また、覗き見?」
悪趣味なことだ。
「さぁどうかしら。実はずっと霊夢の傍にいたとしたら?」
「ああうん、わかった。とりあえず動くな」
むしろ避けるな。
「冗談よ」
「どうだか」
「そんな顔しては駄目よ。嫁入り前の娘なんだから」
「あんたがさせてるんでしょーが」
何しに来たんだ、このスキマは。
「愛想の無いところは相変わらずだけど…まぁ、こうしてみると、霊夢も成長したわね」
「なにしみじみと言ってるのよ。そりゃあ、この年で縮んだりはしないけど」
「最近は、前より少しは役目に力入れてるみたいだし」
「あのね、育ての親か何かみたいなこと言ってるけど、私のライフワークはあんたみたいな妖怪退治なんだけど」
それを成長とか言い出すこいつの気が知れない。あと、どさくさに紛れて頭撫でるな。
「あーもう。なんなのよ。先日までは暫く来ない日が続いたと思ったら、ここ最近は皆勤賞だし。そんなに暇なの?なに、藍が反抗期とか?」
だとしたら自業自得だ。
「まさか。あの子はいい子よ。偶に至らないところがあるけれど。もう少し構ってあげるべきかしら」
「放任主義が伸びるタイプよ、きっと」
彼女の気苦労を思って、霊夢は珍しくフォローを入れた。一月分くらいの善行と積んだ気がするが、相手が妖怪なのでひょっとすると悪行なのかもしれない。どうでもいいけど。
「うん。もうどうでもいい。とにかく用がないなら帰れ。有っても帰れ」
「あらつれない。せっかく好いのが手に入ったから、こうして土産に持ってきたのに」
彼女は軽くそれを振る。いつの間にかその手には、一升瓶が握られていて――――――――
「今夜は、好い月夜ね?」
「………………」
釣った紫が悪いのか、釣られる霊夢が悪いのか。
いずれにせよ、永い夜になりそうだった。
秋の月が綺麗な夜に、珍しくも深酒をした。
鬼の不在が杯を増す。
許容を越えて重ねるうちに、酔いつぶれて夢の淵。
まったくもって不甲斐ない。
恐らくだが、かほど平和惚けした博麗は、霊夢を置いて他にいまい。
笑えるほどに面目ない。
それとも、好い時代になったと言うべきか。
祝いに杯掲げようにも、生憎腕が動かない。
柱に身を寄せ月を見る。
月が滲んで、妙に綺麗だ。
「霊夢」
紫の声がした。
「さすがに眠るには…」
秋の夜は寒い。わかっている。でももう目蓋も重いから。
「霊夢」
死にはしないと目を閉じた。
「霊夢」
紫の声がする。
紫の声がする。
霊夢
ああそう言えば、あんたはいつから私を――――――――
れいむ
うるさいなぁ
あんなに、呼びたがらなかった癖に
あの、偽りの思い出の中では、頑なに呼びはしなかったくせに
――――――――…わね
あるような気がしているけれど、きっと全てはまやかしなのだろう。
それでも、燻り続ける一言がある。
――――――――本当に、初代に似ているわ
あの一言を、今でも時々、夢に、きく。
なにやらわくわくが止まらないですが!
どちらにせよこの二人好きなんでお腹いっぱいになりました。
分量が些か多いですが一気に読んでみたくなりました
胡蝶となって宙を舞い、楽園にあそぶ。
あれ?霊夢は現とあんまり変わらないような・・・?