【真っ紅なアンテルカレール(追憶技工)】
揺れる灯火を頼りに、アリス・マーガトロイドはヒトガタを作る。黙々と、一人で。あるいは無数の人形と語らないながら。
昼間でも薄暗いこの森は、夜ともなれば完全に闇に沈む。アリスの家周りは多少木々が少ない。故に、普段なら森の中ほど暗くはない。普段ならば。
今夜は、月がない。
夕方頃に出てきた雲は低く厚く、今も空を覆っている。生憎と蝋燭は切れていた。どこぞの妖怪と違い、アリスは灯なしで出来る事はせいぜい食事ぐらいないものだ。細かい作業をするのに手元が見えなくて話にならない。暖炉を篝火にすることも考えたが、作業内容が場所を限定してしまう。いつもの作業場で道具を広げながら、アリスは魔法で火を点した。灯の生み出す彼女の影は壁へ天上へと伸びて、まるで小さな木のようだった。己の影を木陰にして、アリスは使い慣れた椅子に腰掛ける。両手の指を温めるように一回組んで息を吐いた。その様子は、ちょっと願い事をしている姿に似ていた。
揺れる灯火を頼りに、アリス・マーガトロイドはヒトガタを作る。黙々と一人で。あるいは人形と語らないながら。
彼女の傍にはとっくに冷めてしまった紅茶が、カップに二口分ほど残っている。あまりに長い時間放っておいた所為で香りは失せ、その表面には数滴垂らしたミルクが凝結し、蛋白質の薄い膜が出来ていた。アリスはもうそれを飲まないだろう。アイスティーとは違い、それはどこか空しい味がするのだ。
今夜は、月がない。
今夜は、星もない。
手を迷わず動かしながら、アリスはもうすぐ生まれる人形の名を考えていた。
【さようなら】
林檎をシナモン漬けにして、それをキャラメルタルトに埋める。焼き上がったそれが甘い香りだけではないのは、隠し味の美酒の所為だ。
[Reimu&Alice]
「ごめん。もう一回、言ってもらえる?」
「うん。だから、霊夢にお別れを言いに来たの」
先ほどお久しぶりと笑ったばかりの人形遣いは、それから一刻も経たないうちにそんなことを言った。霊夢は差し入れに貰ったタルトを摘む手を止めて、う~んと軽く考え込んだ。
「ねえ霊夢。前から言おうと思ってたんだけど、洋菓子を箸で食べるのは止めて欲しいの」
「私も言おうと思っていたんだけど。頼むから日本語で話してくれない?」
「もちろん話しているわ。ひょっとすると霊夢より正しい日本語を」
「ああそう。ならこれは巫女と魔法使いという、職業の差異が原因なのかしら」
「違うと思うわ」
「そうね。そこは同意する。さて」
箸を置き直し、霊夢はひたとアリスを見た。正直聞き流しても良かったのだが、向かい合っているとそれもし辛い。だらっとして勝手にくつろいでいる魔理沙相手では、絶対にない流れである。
「誰かに殺されるの?」
「何でよ」
「何処に行くにもわざわざ挨拶っていうほどの世界じゃないでしょ、ここは」
「なるほどね」
確かに、それなら『お別れ』だ。
「まぁ、深い意味なんてないんだけど。ただ、最後だからこれくらいしてもいいかしらと思って」
「最期?」
「どうしても私を殺したいのね、霊夢は」
しかし、あながち間違いではない。けれど、決して正解とも言えない。
「誰しも今日の自分と明日の自分は違うものね」
「とうとうアリスまで分けわからないこと言うようになった」
これだから妖怪の考えることは…
霊夢はもう興味を無くしたらしく、再び箸を取る。一口サイズの欠片を摘んで――――――――
「ねえ」
本気とは、とても思えないほど抑揚も覇気もなく――――――――
「さっきのって」
けれど、たぶん、その日一番本気の目で――――――――
「結界をこ」
「違うわ」
素早く言葉を返して、そのシセンから逃げる。
「そ。なら、いいか」
カタンと、箸が置かれる。
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした」
ホール八分の一を平らげて、霊夢はお茶を啜った。
「不思議な味ね」
「霊夢にはそうかも」
「私には?」
「シナモンとアルコール。癖があるでしょう。緑茶とは合ったの?」
「悪くはないわね」
そう。なら、今度試してみよう。アリスは立ち上がった。
「帰るわ」
「ああそう。じゃあね」
「ええ。“さようなら、博麗の巫女”」
「はいはい。さようなら、アリス」
ぱたぱたと、手を振る。振られる。
ひらひらと、手を振る。振られる。
――――――――さようなら、博麗の巫女
こんな思いは、きっと最後だ
【姉妹】
ローング、ローング ア ゴー
[Remilia&Flandre]
身動ぎをすると、何か柔らかいものに触れた。シーツとは明らかに違う弾力が、レミリアの動きを止める。目を閉じたまま意識を揺らすと、うっすらと昨晩のことを思い出した。目を開ける。小さく唇を動かした。
「…フラン」
返ったのは穏やかそうな寝息だけだった。この程度の気温、吸血鬼が寒いわけでもないだろうが、甘えるように身を寄せた最愛の妹は、未だ深い眠りにいるようだった。そんなフランを起こしてしまわぬように慎重に身体を起こし、レミリアは自室とは違ってどこか乱雑な部屋を見渡した。目覚めるといつも控えているはず従者がいないのは、ここがフランドールの部屋だからなのか。それとも、未だ目覚める時間ではないのか。感覚を研ぎ澄まして軽く探った結果、答えは両方だとわかった。複数の気配。咲夜ではなく、他のメイド達のもの。そうだった。今日の昼間、咲夜はいないのだ。
「ここまで捜しには来ない…いや、あえて一番後回しにしてるってところね」
決して低くはない確率でありながら此処を避けているのは、フランに捕まっては探すどころではないとわかっている為だろう。そして、此処にいるのだとしたら、邪魔をしては悪いから。
ならば、まだ寝いているべきかもしれない。どうせ起きたところですることもない。レミリアは目を閉じ、自らもフランに身を寄せた。
「それにしても…」
懐かしい夢を、魅たものだ。
やがてその夢の残り香が、再び意識を捉えてゆく。鮮やかすぎる色を纏った記憶が甦る。
それは、真っ紅な思い出。
血と焔。
そして。
“紅きティンクトゥラ”
それが、友が欲した石の名前。またの名を――――――――
賢者の石
「それがあれば、貴女はもう苦しまずにすむというわけ?」
――――――――恐らくね。あくまで推測でしかないけれど
少女は本を捲り、その箇所を指で辿って読み上げる。
哲学者の石、万能薬(エリクサー)、天上の石、赤き染色液(ティンクトゥラ)、第五実体、錬金薬液(エリクシル)、化金石……数え出せばキリのないほど異名を持つ石。いえ、石ですらないかもしれない物質…
少女の声がどこか恍惚とした響きを孕んだのは、積年の願いが叶うからなのか。それとも、かの石とはそれほどの興味を惹く、少女を魅了して止まない存在なのか。どちらにせよ、そんなものは影にとっては――――――――
――――――――また、つまらなそうな顔をする
「そういう貴女は、とても楽しそうね」
――――――――ええ。楽しいもの
少女は珍しく素直だ。紅い悪魔の視線にも気づかずに、今日も楽しげに本を捲る。影は首を振り、羽を広げた。ふわりと浮かぶ。窓枠に足をかけ、最後の確認をする。
「約束は」
――――――――覚えているわ。次にあの玉兎が満ちる晩に
そう、彼女は確かにそう言ったのに。
【BGN】
いつか聴いた口笛を吹いた。
一区切りの最後の音。
それを出し切り、深呼吸。
すると後ろで拍手が鳴った。
綺麗な歌ねと笑うから、調子にのって二番を吹いた。
せがまれ、誉められ、もう一回と。
何度も何度も繰り返す。
七度目、疲れてきた頃に。
拍手をしながら、思案顔。
私もできるかしらと訊いた。
幻だとわかっているのに。
それでも確かにあの晩も。
さんざん練習した音を、あの旋律を聴いた気がした。
【家に帰るまでが遠足です】
Cassandra(カッサンドラ) ―――――――― それは“厄災”という名前。
[Cassandra]
これは、想定外だった。
カッサンドラ・グノーシスは表面上こそおだやかに十六夜咲夜と紅美鈴の両二名を迎え入れたが、その実かなり困惑していた。確かに、外勤務と内勤務の二人を一緒にさせる方法が他になかったとはいえ、強引な作戦だったとは思う。それだけのことで二人がなんらかの歩み寄りにより気分が上々、機嫌良く返ってくるなどと、都合良い未来を期待していたわけではない。
しかし。しかしだ。
よりにもよって何故これほどまでに微妙かつ気まずげな空気が流れているのだろうか。
十六夜咲夜メイド長が一方的に不機嫌だというならまだわかる。ところが、紅美鈴門番隊長も何やら心穏やかには見えない。これは大事である。隊長の失言や的外れの言動によって、メイド長の怒りをかうことはよくある。だが、それなら隊長までが気まずいというのはやや不自然だ。それは原因がわかっているということ。悪いと思ったら謝らない人ではないのが隊長であり、謝られれば許さないほど心狭くないのもメイド長である。あるいは許せなくてもそれを表に出す方ではない。それに、二人とも“同じように”気まずいのならば、どちらにも非がないか、あるいはどちらにもあることなのか。
いや、論点はそこではなく。おそらくは、前提が違う。
隊長の問題ではないのだ、きっと。そして、メイド長自身の問題でもない。あくまで推測だが、どちらかが悪いとかではない問題がおきた。ひょっとすると、人里でなにか…
「あったんでしょうか」
まったく。難儀な方達だ。
「買ってきた米は、予定通り量ですし、ここに不備があったわけではなさそうですけど」
というか、その程度のことをいつまでも引きずるわけがない。ようは間の悪い出来事(イベント)が起きたと、そういうことなのだろう。いやはや。なかなか目論見通りには物事は進まない。とくに、目の届かない範囲はお手上げだ。
「まぁ、気まずいと言っても大したことはなさそうですし…」
あまり気にしすぎても事態は好転しないもの。慎重に構えることは大切だが、それは周りが警戒を怠っている場合にこそ有効なのだ。誰かが深読みしていてくれているなら、むしろ直感だけで進む存在がいても構わない。もちろん、統率がとれてこその状況もある。しかし、やはり視点は多い方がよい。それは死点が少ないことと同義なのだから。
そう、それに。
「その方が、断然面白い」
呟いてから、その考えは、どうも誰かに影響されている気がした。
【あの頃、今よりも今よりも…】
嘘のように唐突に散った紅を、今でもはっきりと思い出せる。
目の前で起きていることに思考が追いつかない。床に叩き付けられた私は、身動き一つ出来ないという有様だった。限界だった。もう抵抗する気も起きない。今の私は無防備そのものだった。
なのに。
先ほどまで私を追っていた光球も、炎も今は跡形もなく消え失せ、私に最後の一撃を加えるはずの彼女は、膝をついて荒い息を繰り返している。とてもとても苦しそうだった。そこで私はようやっと、彼女に余裕なんてものが無かったことに気がついた。確かに扱う魔法も一級で、この魔力の量は申し分ない。けれど、彼女はそれでも必死だったのだ。じわじわと痛めつけたいのではない。純粋に、完璧な狙いをつけれるほどの集中力を保てなかったのだ。
彼女が咳き込んだ拍子に、紅い何かが散った。
それは血だった。彼女は一切の攻撃を受けていないというのに。肩が、手が、彼女の身体が震えている。血を吐いて、床に両腕をついて、ひどく苦しんでいる。
私はどうするべきかわからない。いや、私自身が満足に動ける状態ではなかった。それでも、目の前の少女と違い、今の私はほんのかすかといえ回復に向かいつつある。もちろん、この魔力不足では間に合わないだろう。全快する前に魔力尽き、そうなれば私の存在は無に還る――――――――と聴いている。どのみち、今は苦しさはない。
目の前の少女とは違って。そう。彼女は、まだ若そうな少女だった。
その少女がやがて咳き込まなくなっていった。しかしそれは、収まっていくのではなく、もうそんなことすら満足に出来ない状態なのだった。弱っていく生命を見ている私も、同じくらい死にかけているというのは何だか可笑しい。
いや、笑うことも出来ないけれど。
「…れで…」
彼女が何事かを言った。慌てて私は薄れそうな意識を戻し、その言葉に耳を傾ける。それが少女の今際の言葉だとしたら、聴いておくべきだろう。たとえ、すぐに同じような末路を辿る身だとしても。いろいろとやばい方向に曲がった四肢をばたつかせ、一部欠けているとしか思えない胴を引きずるようにして彼女に近づく。
はい。なんでしょうか?
「…てくれた、の?」
「…?」
「だか、ら…」
うまく聞き取れなかった私の頭をぐっと引き寄せ――――――――ようとしたのだと思われる。実際には、彼女は私の上に倒れ込むように腕をついた。拍子にまた血が散る。あまり良い気分ではないが、もうそれすらどうでもいい。床に彼女の髪が垂れている。彼女は何とか上半身をよじって、ぎりぎりまで私の耳に口を寄せた。
今度は、ちゃんと聞こえた。
――――――――あなたは、認めてくれるの?
「なに、を?」
――――――――敗北を
それは契約の話。消えゆく私に向かって、自分の傘下に入る気があるのかと、死に逝く少女は訊いた。よりにもよって、あとどれくらい言葉を交わせるかわからないというこの状況で。
「な、なにを言って、るんですか、貴女は…」
この際、この勝敗になんの意味があると言うのか。状況は至ってシンプルだった。このまま彼女は死に、私は消滅。どっちが勝つも負けるもないだろう。だいたい、かなり判断しづらい。とどめを刺されていない以上、完全に彼女の勝ちとは言い難いような…
「そんなの、関係…い。でしょう?」
少女は首を振ったらしかった。そして言った。
――――――――とにかく、あなたが負けたと言えばいい
死にそうなくせにこんなことに拘るとは、この少女はなかなかの負けず嫌いのようだった。呆れてものも言えない。言うけれど。
「もう、どうでもいいですよ…」
あなたの勝ちで、構いません。
「幸先、上々」と、彼女が呟くのが聞こえた気がした。実際は頷いただけのようだったが。とにかく彼女は満足そうにほうっと小さい吐息を零し、それが私の鼻先をくすぐった。視界がぼんやりしているせいで自信はないが、ひょっとすると笑っているのかもしれない。
――――――――ところで、本は好き?
「はい?」
笑っているところが少しみたいなと考えていた私に、彼女は言葉を絞り出す。
――――――――まぁ、好きじゃなくても、好きになって貰うけれど
まき散らされていた血に、彼女は指を伸ばした。
――――――――即席だけれど、簡易契約には充分でしょう…
「………………え?」
囁かれたのは短い詠唱呪文
代償と強制を示す、呪いにも似た言祝ぎ
紅いそれに浸した指が、やわらかな曲線を幾つか描き
生み出された小さな陣が、眩い閃光で私の眼を灼いていった
そうして
笑ってしまうほどあっさりと、私の魔力は満ちてしまい
みるみるうちに傷は癒え、私は身体を起こしてそれを見ていた。己の目を疑いながら。いっそ全てが夢のようだと思いながら。そこに、奇跡を起こした彼女の声が耳に入り込んだ。
――――――――それじゃあ、後は任せたわ
「え…?」
後は任せたわ
それが、主となった少女の、最初して最難の命令だった。
【ハウス】
だから心を強く持とう。強くなれないと言うならば、強がるだけでもいい。
[Marisa]
「いつ見ても不気味だよな、これは」
部屋の壁という壁を占領した人形達は、四方八方から霧雨魔理沙を見つめている。アリスはこれらに明確な意志はないというが、本当にそうだろうか。いかに蒐集家の魔理沙といえど、ここの人形に手を出すのは少し勇気が要る。なんというか、一体でも持ち上げたら最後、ここに置かれた全ての人形が襲ってきそうだ。さすがにこの数は、装備万全にしてきても捌ききれる自信はちょっとない。かくなる上は、アリスの家ごとという手もあるが…
「さすがにそれは、報復がなぁ」
というか、いくら何でも相手の本拠地で一戦をやらかすのは、あまり賢い選択ではない。特に、何処に何を仕掛けているかわからない魔法使い相手には。
「パチュリーのところぐらい広ければ、逃げ道にも困らないけどな」
それに、パチュリーの本を盗るのと、アリスの人形に手を出すのは意味合いが違う。前者は執着と欲だろうが、後者はそれに溺愛が加わる。「後で返す」などと言ったところで、「はいそうですか」と引き下がる訳がない。
「あー。面倒だな、それは」
必要もないのに一体一体、春夏秋冬に服を作っているぐらいだ。一つぐらい…などと思うのは甘い。すぐに気づいて報復を受けるだろう。そのまま弾幕に興じてもいいが、この場合はかなりの禍根が残りそうである。共同研究や一杯の紅茶やお菓子を思えば、さすがに怨みをかうのは得策と言えない。仕方ない。断念しよう。まぁいいさ、きっと全部曰く付きだ。盗ってもいいことなんてないだろう。と、イソップ狐的発想で思考を終わらせる。
「にしても…」
遅いなぁアリス。お茶を淹れにいっただけのはずなのに、どうしたのだろう。早く帰ってこないと、いつもの癖で部屋を漁ってしまいそうだ。もうそうしてしまおうか。人形以外なら、そんなに怒らないかもしれないし。いや、怒るだろうけれど、人形ほどは怒らないだろう。だいたい、霧雨魔理沙を家に上げておいて、用心を怠るのが悪い。そうそう。無防備なアリスが悪い。それが魔法使いの掟である。決めたのは今だけど。
そうと決まればと魔理沙が立ち上がったのと、比較的いつもより激しいアリス・マーガトロイドの魔力を感じたのはほぼ同時だった。
「あ、なんだ…外?」
盗みの件は綺麗さっぱり頭から抜けて、魔理沙は部屋から飛び出した。
今度すべて時系列でまとめてみたくなったw
記憶に刻みつつ続きを待ちます。
短編が詰まっているこのお話、大好きです。
【Ending No.31:Sabbath】の完全版が読みたいのですが、送っていただけますか?できましたらよろしくお願いします。
どう終わるのか今からwktk
誤字報告
語らないながら 語り合いながら だと思われる。他にもあったような…。