*この作品は同作品集『レミリア様にお豆をぶつけ大会』と若干のつながりがあります。
読んでなくても話の理解にはそれほど差し支えはありません。
――カラン
「いらっしゃいませ」
本に向けていた視線を店の入り口に流すと、そこには包みを抱えた咲夜が立っていた。
霖之助は本を側に置き、咲夜へと歩み寄る。
「約束の物、持ってきましたわ」
「ああ、ありがとうございます」
「このぐらいで良いのですよね?」
「ええ」
包みを受け取り、開いて中を確かめると、そこには綺麗に包装されたあるものが数個入っていた。
包みを開けた瞬間、ほのかに甘い匂いがしたような気がしたのは中身を知っているゆえの錯覚かもしれない。
「随分と丁寧に包装されたんですね。中を開けて確かめたいけど、元に戻す自信がないな」
「そう思いまして」
「ん?」
咲夜から差し出されたのは、箱に収められたハート型の小さなチョコレート。
咲夜自身も渡すことに抵抗が無いし、受け取る霖之助も照れる様子は無く、小さく会釈してからひょいと受け取った。
「なるほど、立派だ。味見しても?」
「ええ、それはサービスですわ。どうぞお召し上がりになって」
チョコを割ってその欠片を口に入れると、柔らかな甘さが口内に広がり、良い香りが鼻を抜けた。
「ふーん」
咲夜から仕入れたチョコレートは店の目立つところに並べられた。
魔理沙は定位置と化した売り物の壷の上に腰掛け、せんべいをかじりながらそれを眺めている。
「流行物を置くなんて、ちゃんと商売する気あったんだな」
「失礼だな……あまりにもチョコを求めに来る客が多いんだよ、無いと言うと文句を言う客もいてね」
「鬱陶しいから、そういうやつを追っ払うために置いたのか。ははん、なるほどなるほど」
「なんだか随分突っかかってくるな」
「よいしょ」と呟いて壷から降りた魔理沙は、チョコを手にとってしげしげと見つめる。
咲夜には報酬として適当な日用雑貨を渡した、本命チョコでも義理チョコでもないようなチョコにはその程度の価値しかないのだろう。
そういう意味では、何の包装もされていなかったあのチョコは一番価値が高かったのかもしれない。
「こんな面倒なイベント、誰が考えたんだろうね」
「どうせ紫だろ。去年の暮れ……二十五日だったかなぁ」
「うん?」
「あの時も、自分は冬眠してるからって言って、式神を使ってまで不審なことしてたしな。黙って寝てれば良いのに」
「よくわからないね、彼女は」
クリスマス、風邪をひいているのに忠実に主の命に従う藍が、サンタガールとなった。
風邪ウイルスを撒き散らす藍サンタは、紫の知り合い数人に風邪と粗品をプレゼントしていった。
「まぁ、面倒と言うな、こういうときこそ商売するチャンスだと思うぜ」
カランカラン
「ほら、売れたろ?」
香霖堂から出て行く少女。胸にはチョコレートを大切そうに抱えている。
魔理沙はその背を見送り、帽子の角度を直しながら言った。
霖之助は予想外の値で売れたことに驚き、紙幣を握り締めながら眉間にしわを寄せている。
「参ったね、乙女心というのは不思議だ」
「あー。乙女心がわからんやつが売ってるって言うのは罪だな、学ぶべきだ」
「しかし……なんでチョコなのかもよくわからないし、想いを伝えるなんて、気持ち次第でいつでもできるだろう?」
一つ減った売り物のチョコ……霖之助はカゴを手にとってマジマジと眺める。
香霖堂としては少し特殊な売り物だと思うのだが、求める人がいるのは確からしい。
咲夜にしたらそこまでちゃんと作った気はないのかもしれないが、手先が器用で料理、お菓子作りに慣れている。
包装も見事だから、そんじょそこらの女子が真似できる代物ではないのだろうか。
それほどのチョコなら想いが伝わる……そういうものなのか?
魔理沙がわざとらしく大きな溜息を吐き、呆れたように言う。
「そこのところが、乙女の神秘ってやつだぜ」
「そんな言葉遣いで言う台詞じゃないと思うけどね」
魔理沙は腕を組み、胸を張ってフンと鼻を鳴らす。
霖之助は呆れ気味に目をそらした。
その後もぽつぽつと客が現れ、十個ほどあったチョコは瞬く間に売り切れてしまった。
人間の女、妖怪の女……までは良かったのだが、不思議なこともあった。
「こ、こっ、このチョコ、紅魔館のメイドさんが作ったって本当ですか!?」
「ええ、メイド長の十六夜咲夜さんに発注したものですよ」
「ブ、ブホッ!!」
「お客さん!?」
売り物に鼻血を噴かれて大迷惑だったが、鼻血のついたものは全部買い取らせた。
男までが買いに来るのだ、これも人間妖怪問わずである。
まとめていくつか買っていく者もいた、十個程度ではまったくニーズに応えられない。
「困ったね、まだバレンタインとやらまで日があるんだが」
「咲夜、乙女心、そして欲望恐るべし、だな」
咲夜が作ったことが思わぬプレミアムを生んだのは理解した。
それにしても誰も彼もお祭りごとが大好きだ、霖之助は今後チョコを求めに来た客への対応を考え、溜息をもらす。
「三日後が本番か。なに、もう一回咲夜に発注すれば良い。あいつなら百個だろうがすぐ用意するだろうぜ」
「ま、待て。無料で発注できるわけじゃないんだぞ」
霖之助は店内の品物をちらちらと見やりながら慌てる。
今回は数が少なかったから適当なもので手打ちにしてくれたが、これだけのニーズに応えようと思ったら、
次回の発注数は十程度では済まされない。咲夜が自分の作ったものの価値に気付けば更にふっかけられる可能性もある。
「適当にマージンを流してやれば良いんだ。商売の基本じゃないか」
「ああもう、何故こんなことに……」
「香霖は商売向きじゃないな」
「魔理沙の店だって閑古鳥が鳴いてるじゃないか」
「副業で儲かってるから良いんだ」
魔理沙の目の色が変わる。口の端を歪めて不敵な笑いを浮かべている。
箒を手にとって元気良く店の入り口へ歩いていく……とても嫌な予感がした。
「魔理沙、どこに行くんだい?」
「決まってるだろ、紅魔館だ。大量のチョコを作らせる」
「待て! 二~三日凌げればいいんだ! 百もあれば……」
店の入り口で魔理沙が立ち止まる。そして帽子のつばをぐりぐりといじり、背を向けたまま呟いた。
「香霖……」
「……?」
「リッチマンにしてやるぜ」
「い、いいって言ってるだろ!!」
「あははははは!!」
「待て!!」
箒にまたがった魔理沙は何度かホバリングした後に勢い良く夕焼け空に消えていった。
霖之助は顔にかかる砂埃を服の袖で防ぎながら、呆然とそれを見送ることしかできない。
「あ、あのぅ……」
「……はっ! はい?」
霖之助の半分ぐらいしか背丈のない小さな妖怪少女が服を引っ張っている。
「チョコレート……まだありますか?」
「ああ……すいません、もう売り切れたんですよ」
「ぅ……」
手に、紙幣一枚と小銭をいくつか乗せていた。
少女はそれをぐっと握り締め、目に涙を浮かべる。
今までの客は、誰もがもっと高い金を払って買っていった、ちゃんとは数えてないが、あの金額では相場に及ばない。
どちらにせよ売り切れてるのでどうしようもないのだが……。
ぽろぽろと涙をこぼす妖怪少女をはすかいに眺め、霖之助は困惑してしまった。
「ああ、明日辺りにでもまた入荷すると思いますから」
「……ほんとっ!?」
「ええ、それまでお待ちください」
「うん、また明日来ます!」
涙をこぼし、ひっくひっくとしゃくり上げながら、満面の笑みを浮かべる少女。
それを見てなんとなく狐の嫁入りを思い出した霖之助をよそに、少女は手をぶんぶん振りながら走り去っていった。
「乙女心か……まったく、神秘的だね」
こうやって男を振り回すのも一つの乙女心なのだろうか。
カランッ
大きな溜息をつきながら、霖之助は店の中に戻って行った。
「ふ、ふふ……」
魔理沙がリッチマン大作戦を行っている最中、バレンタインの闇が動き出していた。
「……もてない男達の怨念が集まってくるわ」
場所は冥界、白玉楼。
縁側でぐったりと横たわる幽々子、庭を眺めていると、妖夢が元気良く庭掃除をしている光景が脳裏に浮かぶ。
妖夢はいない……些細な理由で喧嘩をして、家出してしまった。
節分のときにレミリアに豆をぶつける祭りが行われたのだが、紅魔館は咲夜の手腕と助っ人妹紅、
そしてド根性門番美鈴、数だけはすごい下っ端メイド達によって防衛を成功させた。
その際の仲違い……妖夢は意外とナイーブなのか、幽々子の適当な発言ですっかりへそを曲げてしまった。
『幽々子様、はい、バレンタインチョコですよ』
女から男、が一般的だが、仲の良い女子同士での交換も割と頻繁に行われるものだ。
もてない男達はそれを眺めて歯噛みをする……何故? 何故目の前に男がいるのに女子同士で? と憤るのだ。
そのことを直接女子に言えば、さらなる総スカンがもてない男を待ち受ける。
「光あるところに闇があるわ」
幽々子の周りでは、人魂達がギャーギャーと騒いでいる。
それは、生前もてないまま……一つの本命チョコをもらうこともなく天命を全うした勇者達。
『俺、義理しかもらったことない!』
『ふざけるな、俺なんか母ちゃんからしかもらったことない!』
『おいどん、男同士で交換したでごわす!』
『俺なんか自分で机に仕込んで自作自演した!』
声にならない人魂達の逆武勇伝。彼らの邪念が幽々子を魔物に変えようとしている。
今年は妖夢からもらえない……それだけのことなら、幽々子だって少し悲しむ程度で済んだだろう。
自分から謝るべきなのか、しかし主としてのプライドがそれを許さない。
そうして悩んでいる間に、幽々子の周囲には邪念を抱く人魂達が集まってしまった。
最初は耳を傾けなかったが、目を見張るような様々な悲しい想いが、妖夢を失ってぽっかり空いた心の穴に入り込む。
この不公平なイベントは一体何なのだ、想いを伝えるなんて、裏でこっそりやれ。
これ見よがしに大騒ぎして……心底不愉快だ。悲しみが少しずつ怒りに変わっていく。
それを増幅するように、遠くでルナサが鬱の音を奏でていた。
幽々子は立ち上がる、その目は正気を失いかけていた。
普段ならものともしない邪気邪念の類、妖夢を失って弱った心に染み渡った悪魔達のささやき。
彼らは幽々子を依り代として、もてる男と自分達を蔑んだ女子に復讐を遂げようとしている。
「どいつもこいつも浮ついて……!!」
人魂達が雄叫びを上げる。
あの西行寺幽々子様が、我らの怨念を晴らすため、ついに立ち上がってくれたのだ。
もてる男に天誅を、女子同士で交換する不毛なイベントに鉄槌を。
「顕界へ!! ついてきなさい勇者達!!」
勇者達は、元はといえば妖夢が居なくて警備が手薄なのをいいことに、幽々子にチョコをねだりに来た者達だった。
なんか流れで面白いことになりそうだったので、幽々子を増長させてこのような騒乱になったのだ。
バレンタインを推進する魔理沙達と、バレンタインを撲滅せしめんとする幽々子達。
両者の激突は避けられないのだろうか。
二月十二日。
「魔理沙、これは流石に多すぎるんじゃないかい?」
「何言ってるんだ、乙女心はこんなものじゃ済まされないんだぜ」
紅魔館から大量に送り届けられたチョコ、魔理沙は一つ一つ念入りにチェックしていた。
商人の娘だけあって、商才があるのではなかろうか……とも思った霖之助だったが、
どちらかと言えばこの状況を面白おかしく過ごしたいだけであろう。
「何個発注したんだ? とても数え切れないんだが……」
「千だな。これでも遠慮した方だ、きっと足りないぜ」
「千だって? 足りないどころか大量に売れ残る可能性の方が高いじゃないか……はぁ」
魔理沙はまったく不安な様子を見せない、人事だから、という理由だけではないだろう。
売り切れるという確信があるのだろうか……やはり乙女心というのは、男の計り知れない所にあるのかもしれない。
「そういえば……これは全部咲夜が作ったものなのか?」
「だと思うぜ。あそこのメイドは存外に役立たずだ、そして咲夜ならこのぐらい朝飯前だろ」
配達は流石に咲夜だけではなく、下っ端のメイドも自分の体積の何倍もある風呂敷を背負ってやってきた。
意外にも交渉は魔理沙が全てキッチリ行ってきたらしく、報酬についてはあまり細かいことは言われなかった。
魔理沙が提示した条件を受け入れたらしく、それの確認を行っただけ……。
それもほとんどが売り上げの山分けで賄えるような内容だった。
魔理沙や霊夢のみならず、咲夜もあまり金銭に固執していないようだが、人里に買い物に来ることもあるらしい。
必要以上に求めるつもりはないが、稼げるときに稼いでおけば後々便利なのだろう。
チョコの材料をどこで調達しているのかは不明だが、おそらく元手はほとんどかかっていないと思われる。
紅魔館ではカカオの栽培までしているのだろうか? 何もカカオだけが原料ではないが。
どうも、魔理沙や咲夜の間で秘密の取引がされているような気がする。
霖之助にとってもおいしい条件ばかり、うまい話には裏があるものだ。
「魔理沙、何か企んでるんじゃないか?」
「そりゃもちろん、企んでるぜ」
「何をするつもりだい?」
「だから言ってるだろう、香霖をリッチマンにするって」
「豊かさというのは何も金銭だけによるものじゃないだろう? 例えば……」
「あー、ごちゃごちゃうるさいな。例えばこういうことだ。ほら、わかってるんだぜ、私は」
霖之助の前に、少し不恰好だがそれなりに包装された包みが差し出される。
考えるまでもなくチョコだろう、しかしなんだか話がうますぎてやはり腑に落ちない。
「乙女心の結晶だ、大事に食えよ」
「なんだ、僕にか」
「あー? 寝ぼけたこと言うなよ、他に誰がいるんだ」
「うーん……まぁ、ありがとう」
少しぐらい照れたりしてくれた方が可愛げがあるのに、と思いつつも、この方が魔理沙らしくて納得はいく。
「これは本命かい? それとも義理?」
「んー、中間ぐらいだな。義理っていうとよそよそしすぎるが、本命っていうとちょっと重過ぎるだろ?」
「確かにね」
からかったつもりだったのだがまったく照れる様子は無い。その態度と言葉は全て正直に魔理沙の気持ちを物語っている。
だが、このぐらいの距離が一番心地良いかも知れない、魔理沙もそうなのだろう、きっと。
点検を終えたチョコをカゴに綺麗に詰めていく魔理沙を見ていると、何故自分の家は掃除できないのだろうと不思議になる。
「渡す相手も香霖ぐらいしかいないしな」
「でもまだバレンタインは先じゃないか、なんでもう渡すんだ?」
「忙しくなるからだ、渡す暇もないかもしれないじゃないか」
「変なところ用心深いね」
「うるさいな」と呟いて、魔理沙はカゴに詰めたチョコを勝手に陳列し始めた。
勝手に盛り上がって勝手に進めてくれているようだし……霖之助は茶でもいれてくることにした。
丁度茶請けの菓子も手に入ったことだ、日本茶に合うかどうかはわからないが。
「リッチマンになるんだぜ、香霖。並大抵の覚悟じゃいけない」
魔理沙が何か呟いているのが聞こえたが、何を言っているのかまでは聞き取れなかった。
熱いお茶で口の中を湿らせてからかじった魔理沙のチョコは、咲夜の作ったものに比べて随分不味かった。
というか、なんか変な薬のような匂いがするのは気のせいかな? 魔理沙。
何を企んでいるんだい?
飲み込んでしまってから、やすやすと魔理沙を信用してしまったことを後悔した。
二月十四日。
「妹紅……普通に殺し合ってばかりいるのでは面白くないわ」
「なんだよ、私はあんたさえ死ねば別になんでもいい」
「そこで今日は面白いことを考えたの」
輝夜が部屋の奥に引っ込み、たくさん団子の乗った皿を持ってくる。
妹紅は怪訝な表情でそんな輝夜の様子を眺めていた。
「これは季節のイベントにちなんだゲームよ。イナバ考案」
「お前とお茶するつもりなんかないよ」
「この団子の中にはチョコが入ってる」
一つ手に取った輝夜が、ひょいとそれを口の中へ放り込んだ。
「もぐもぐ……ただ、一つだけ毒入りがあるわ……それを引くまで交互に……ゲフッ!!」
「な、なんだ?」
デモンストレーションのつもりで手に取った団子がいきなり当たりだったらしい。
見た感じ三十ほどあるのだが、確率4%にも満たない毒団子をいきなり当てた輝夜。
かっこつけたのが運の尽き、うつ伏せに倒れてそのまま動かなくなった。
「な、なんだよ気持ち悪いな……」
冷や汗を拭いながら、妹紅は中庭に飛び出してそのまま永遠亭から逃げた。
余談だが、多分このロシアンルーレット団子を考案したのはてゐだろう。
だがもちろんこんなブラックバレンタインばかりではない。
「師匠ーっ」
「あら、ウドンゲ」
永琳に走り寄る鈴仙の手にはハート型に包装された可愛らしい贈り物。
もちろん言うまでもなくバレンタインチョコである。
「はい、チョコです!」
「ウドンゲ……あまり周りに流されてはダメよ」
そう言って苦笑しながらも受け取る永琳、そして鈴仙の目の前に高級感漂う包みを差し出す。
「なんて、私も人の事言えないけれど」
「……」
「……? どうしたの? 要らないのかしら?」
鈴仙は受け取ろうとしない……それどころか、永琳の方を見て青ざめている。
永琳の背筋に、凍りつくような冷気が漂っていた。
「……誰!? グッ!?」
「うらめしや~……」
「し、師匠っ!! ひ、ひぃぃぃっ!?」
幽々子に付き従う勇者達が鈴仙を取り囲む。
鈴仙はきょろきょろと周囲を見回し、動けなくなってしまった。
前方には、背後から幽々子にチョークスリーパーをかけられて苦しむ永琳がいる。
「蓬莱人に私の能力は通用しない……ならば肉体言語で語り合うまでよ」
「ぐ、ぐぐっ!」
「うぐっ!?」
永琳は幽々子に向かって必死に肘鉄を打ち続ける。
しかしそれを見ていた勇者達は永琳の腕に絡みついたり、永琳の肘と幽々子の間に挟まってクッションになったりした。
「う、うぐぐ……」
「さあ今よ!! チョコを奪取しなさい、私のエインヘリアル達!」
勇者は呼応するようにモゴモゴと蠢き、永琳が掴んでいた自分のチョコ、そして鈴仙から受け取ったチョコを奪い取った。
「ついでだから訊くわ、みょん……妖夢はどこに行ったの?」
「し、知らないわよ……数日前から行方不明に……」
家出をした妖夢は「みょん」という名を与えられて、イナバの一員として永遠亭に居座っていた。
永琳と鈴仙を襲撃する前に屋敷の中を探し回ったが妖夢らしき姿はなかった。
ここに居ればそのまま連れ戻そうと思ったのだが行方不明とは……幽々子は舌打ちをする。
「役に立たない連中ね……まぁ、貴女達のチョコは、後でこの勇者達が美味しくいただくわ」
「返して……う、ウドンゲの……」
「女同士での交換など不毛だと、勇者達は言っているわ」
「師匠ーっ!!」
不意打ちを許してしまった永琳はついに崩れ落ちた。
側では勇者達が、奪い取ったチョコを鈴仙の側でパス回しして嫌がらせしている。
泣きながらおろおろとそれを追い掛け回す鈴仙を見て、心から楽しんでいるようだ。
「さあ遊んでいる暇は無いわ、行くわよ勇者達」
幽々子の体色が急激に薄まり、床の中へスーっと溶けるように消えていった。
勇者達もその後を追い、チョコと一緒に消え去っていく。
後には、顔面蒼白で倒れる永琳と、へたり込んで泣き叫ぶ鈴仙の姿があった。
マーガトロイド邸には、三つの包みをテーブルに載せ、紅茶を飲みながら悩むアリスの姿があった。
イベントに乗ってチョコを作ってみたは良いものの、渡す相手も特に考えていなかった。
「誰に渡そうかしら」
宴会で世話になってる霊夢、近所に住んでいる魔理沙、たまに図書館で本を見させてもらってるパチュリー。
その辺りが妥当かしら? などと思いつつも、どうやって渡そうか考え始めるとまた難しい。
女同士だし別に変な気持ちもないのだから、あっさりと渡してしまえばそれで良いような気もするのだが。
でもそれではせっかくのイベントなのに面白くない、何か面白いやり方はないものか……。
と思案に耽っていたとき、突如伸びた手が三つの包みをかっさらった。
「なっ!?」
「恵まれない子羊達に愛の手を」
「な、なによ!? 返しなさい!!」
そこにいたのは当然、バレンタインキラー、西行寺幽々子だった。
恵まれない子羊というのはその周囲を猛々しく飛び回る勇者達のことだろうか。
実に気持ちの悪い子羊である。
「黙って見逃せば身の安全は保証するわ」
「幽々子……何頭の悪いことしているのよ。こっちこそ、さっさと返せば乱暴はしないであげるわ」
「冥界を統べる力、侮ると痛い目に合うわよ」
幽々子が両手を頭上に掲げ、変なポーズをとる。
これは幽々子の本気の構え……アリスの額を冷や汗が流れ落ちる。
「私はバレンタインを殺すのよ」
見れば目の色も妙だ……日頃から変な発言の多いやつだったが、ここまでおかしくはなかった。
アリスを取り囲む勇者達もいきり立っている……これは分が悪い。
「わ、わかったわよ……」
誰にあげるかもちゃんと考えてなかった、なのに妙に一生懸命な自分がいた。
本気で戦えば取り返せる可能性はあるかもしれないが……。
戦ってる最中に、チョコに攻撃が当たってぐちゃぐちゃになったりしようものなら……それこそ悲しい。
「ならせめて……ちゃんと、味わって食べてよね……」
アリスは悔しそうにうつむく……踏みにじられた少女のプライド。
周囲ではそんなアリスを見て勇者達が大喜びだった。
しかしそれを見た幽々子の心はほんの少し揺れる……。
(あら……? 私、一体……)
――いかん、幽々子様が正気を取り戻そうとしている。
――我らのジャンヌ・ダルクが!!
――皆、邪念を発せ。このイベントの日に、我らはどれだけの怒りと悲しみを抱いてきたか。
「う、うぁぁぁ……」
「幽々子……?」
「ふぅ、ふぅっ……い、行くわよ、勇者達……!!」
苦しそうに頭を押さえながら、壁をすり抜けていく幽々子。
そんな様子を不審に思いながらも、まんまとチョコを奪われ、アリスは呆然と立ち尽くしていた。
そして一筋の涙が頬を伝う……胸にぽっかりと穴が開いてしまったような感覚。
(悔しい……!!)
やはり渡したくない、渡す相手も定かではなかったが、特別な想いがそこにはある。
アリスぶるぶると首を振ってから歯を食いしばり、家を飛び出した。
香霖堂は開店直後から大盛況だった。
千もあったチョコは瞬く間に減って行き、昼前の時点でもう既に半分近く売れてしまっている。
噂が噂を呼び、歪曲した情報は「香霖堂のチョコを渡せば恋愛が成就する」と、膨らんでしまっていた。
一説では惚れ薬が入っているなどと、穏やかでない。
しかし買い求める客は全てが女性というわけでもなかった。
実に客の半分以上が男性という奇妙な構図が出来上がっている。
その理由は一つに咲夜の手作りであるということ。
そしてもう一つは……。
「いつもの店主さん、いないんですね」
「え、ええ……」
「どういった間柄なんですか?」
「あ、あー……あ、あれは私の弟です」
おのれ魔理沙め。こんな高度な製薬技術を持っているとは……。
「おう、霖子! 好評じゃないか、これならきっと夕方までには売り切れるぜ!」
「誰のせいだと思ってる……僕はこんなに繁盛しなくても別に……」
「霖乃の方が良いか?」
「どっちでもいい……」
どうやらあのチョコには性転換の効能を持つ薬品が混ぜてあったらしい。
客が多すぎるので店の外で……売り子を手伝っている魔理沙はさっきからにやにやと不快な笑みを霖之助に向ける。
「男に女装させるのって楽しいんだよ、あ、毎度。一つでいいのか?」
「これは女装とかいう次元じゃないと思うけどね……それも乙女心、ってやつか……?」
霖之助としてはまったく面白くない。
男性客からの視線がとても嫌だった、魔理沙曰く「びっくりするほど美人じゃないか」だそうだ。
どうもそんな霖之助自身の容姿が売れ行きを加速させているらしい。
男性客にしてみると、美女に変貌した霖之助からチョコを受け取っているような錯覚を味わえるらしい。
魔理沙からの手渡しで買いたがる男性客もいる、それらの相乗効果でチョコは飛ぶように売れていった。
「あのっ! どこに住んでるんですか!?」
「あ、あー……困りますお客さん……」
これが乙女心なのだろうか? 霖之助は気持ち悪くて仕方なかった。
自分が男のときは見えなかった気持ち「男って怖い」ということを、身をもって感じた。
やはり魔理沙は横でにやにやしながらそんな霖之助……いや、霖子を見上げていた。
しかし魔理沙ばかり見ているわけにもいかない、さっさとチョコを売り切って落ち着きたかった。
ふと前を見ると、あの日、泣きながら笑った妖怪少女が目の前に立っていた。
「店主さんは……?」
「えっと、体調を崩していまして……」
「あの、このチョコいくらなんですか?」
少女の手には、あの日よりはいくらか小銭が多く握られていた。
拾い集めてでもきたのだろうか。
「弟から話は聞いてます。いいですよ、これだけで」
少女の小さな掌からいくつか小銭をつまみ上げた。
もう利益は十分に上がっている。今更こんな少女から巻き上げるのも気分が悪い。
いつもならもう少しがめついのだが、半ばパニック状態だったのもあって自棄気味になっていた。
「……皆もっと払ってますよ……」
「んー、元々どんぶり勘定ですからそんなに気にすることは……」
「いいです、他の人みたいにいっぱいは払えませんけど」
そう言って少女は持っていた金の全てを霖之助に手渡す。
「あの、気持ちってお金と換えられないと思うんです」
「ほう……?」
「それでも……全部、少しでも多く気持ちに換えたいから」
「そうですか。なら、受け取りましょう」
「はいっ!」
少女は全財産をつぎ込んだチョコを胸に抱きかかえて走って行った。
それを横で見ていた魔理沙も、驚いたような感心したような目で、少女の背を眺めている。
「大したもんだ。どうだ香霖、あれが乙女心というやつだぜ、勉強になったか?」
「魔理沙こそ、豊かさとはああいう心の豊かさを言うんだ、勉強になったかい?」
自分でやったことでもないのに、二人とも満足そうに胸を張った。
だが、こんな甘々な茶番をあの勇者達。
そして勇者達の「ジャンヌ・ダルク」こと西行寺幽々子様が許すはずはなかった。
「キャーッ!! 誰かーっ!!」
この声はあの妖怪少女の声だ……何があったのだろう、魔理沙は側に立てかけておいた箒を手に取り、声のした方へ駆け出す。
客も叫びながら散り散りになっていく、何か恐ろしいものがそこにあるのか……。
「なん、だ……? 幽々子?」
妖怪少女からチョコを取り上げ、頭上に掲げて「ほーら、ほーら」などとのたまう幽々子。
その周囲では勇者達が楽しそうにプカプカ浮かんでいた。
幽々子は魔理沙に気付き、取り上げたチョコを懐にしまいこんで、少女を突き飛ばしてから魔理沙を睨みつけた。
「仕入先はどこかしら……こんな大量のチョコを販売するなんて、見逃せないわね」
「紅魔館だよ、あそこにはこういうの得意なやつがいるからな」
「そう……なら次は紅魔館ね。根元から叩かないと、ふふふ」
魔理沙はうすら笑う幽々子を睨みつける。なんだか目の色がおかしい、一体何を考えているのか。
「何のつもりだ幽々子? お前も乙女なら、このイベントの重さがわかるはずだぜ?」
「わかるわ、わかるからこそ許せない。こんな甘々なイベント」
「矛盾してるな、もてない男みたいな情けない真似して……乙女の誇りはないのか?」
魔理沙は箒にまたがり、ふわりと浮かぶ。
「幻想郷の中心で愛を叫ぶつもり? 反吐が出るわっ!」
幽々子が扇を広げると、周囲を漂っていた勇者達も臨戦態勢に入る。
「そのチョコは返してもらう。それはその子の心だ、大変なものを盗もうとしてるんだぜ、お前は」
「盗むのではないわ、奪い、そして……恋心を殺してやるのよ、ふふふふふふ」
その言葉を聞いた魔理沙が帽子のつばに手をかけ、深くかぶる。
「聞き捨てならないな」と一言吐き捨て、そして。
「命短し、恋せよ乙女……」
「……?」
「恋する乙女は無敵なんだぜ!!」
「あらまあ、こっ恥ずかしい台詞だこと……行くわよ!! 勇者達!!」
「見せてやるぜ、これが恋の色だぁーっ!!」
突風を起こし、天へ昇っていく魔理沙。
ただならぬ気配を感じた妖怪少女は涙目のまま霖之助の方へと走って逃げていく。
「マスタァーッ!! スパァーーク!!」
幽々子に向かって撃ち放たれた恋の魔砲は、まさに雷のように空を裂いて襲い掛かる。
しかし、そんな魔理沙を見上げながら幽々子が放り投げた扇が巨大化し、盾になった。
「確かにその威力侮れないわ……けれど、恋にも寿命がある……生者必滅!!」
幽々子の召喚した蝶が巨大化した扇を押し上げ、マスタースパークの威力を押し返している。
「み、店の側でそんな激しい戦いはやめてくれーっ!!」
客など皆逃げ帰ってしまった。
ただ、下腹部にしがみつく妖怪少女だけをかばうように抱きしめ、霖之助は叫ぶ。
「ちぃっ!! 流石幽々子だな……マスタースパークを完封するとは……!!」
「その程度のスペルカードを殺すのはわけないわ……行きなさい、勇者達!!」
「くっ!?」
猛り狂った勇者達が魔理沙に迫る、こいつらはドサクサに紛れてセクハラしたりするかもしれないので危険だ。
しかしマスタースパークを止めるわけにはいかない、幽々子の方が何倍も厄介なのは確かだ。
「う、うわぁーっ!!」
勇者達が魔理沙の体に張り付く。ともすれば凍傷でも起こしそうなほどの冷気。
バレンタインの闇……もてない悲しみに満ち溢れる男心……愛を求める心だった。
皮膚を通じて魔理沙に伝わるその気持ちは戦意を削ぎ落とす、マスタースパークの威力も徐々に弱まっていく。
『お、机の中にチョコが……誰だよ、こんなオツなことしたの』
『どうせ自分で入れたんでしょ……クス、クス』
『お前チョコいくつもらった?』
『お、お前は……?』
『本命二つに義理五つかな、今年は少なかったなぁ。で、いくつ?』
『ふ、二つ……』
『母ちゃんと妹からか?』
『……うん』
『お、おいどんの愛(ラヴ)! 受け取ってほしいでごわす!』
『うぬの愛、しかと受け取った! うむ、萌える!』
魔理沙の頭の中に様々な思惑が交錯する、悲しい歴史が……。
中にはガチで気持ち悪いのも混ざっているようだが、それも戦意を喪失させる効果としては十分だった。
「うわぁぁぁぁっ!!」
乙女心が消えていく……心の中がバレンタインの闇に埋め尽くされていく……。
気付けば涙を流していた、あまりにも悲しいその歴史に……そしてそれに耐え続けていた勇者達に。
乙女心の最後の抵抗、マスタースパークも徐々に痩せ細っていく……。
「負けちゃだめよ!!」
誰かの声が聞こえる、フラッシュバックする様々な邪念が頭から消えていく。
――温かい。
辺りを見回すと、人形達が勇者にはり付いて必死に引き剥がしている。
後ろから抱かれ、白い手が魔理沙の手に重ねられていた。肩の横から覗く顔は……。
「アリス……?」
「こうしてると思い出すわね、永夜の異変……」
「どうしたんだ?」
「ちょっとね……私の心、やっぱりそう簡単に渡すわけにはいかないから」
少しずつマスタースパークを押し返していた幽々子の扇は止まり、今度は幽々子に向かって少しずつ動き出す。
「な、なっ!? なんだっていうの!? これが……これが恋の力なの!?」
幽々子が必死になって、いくら蝶の数を増やそうとも……扇の接近速度が多少緩む程度で、押し返すには至らない。
周りの勇者達に命じて一緒に扇を押し上げさせようとするも、それも及ばない。
「魔理沙、私の力、私の想い……全部あげるから、全部……力に換えて……」
「アリス……」
「幻想郷の恋心、乙女心……私達で守るのよ!」
「お、おうっ!!」
冥界を統べる力、死を操る幽々子の力……今なら勝てる、今なら押し切れる、アリスが手を添えてくれている、今なら。
「アリス、今ならやれる」
「……?」
「今ならいけるぜ最終奥義!」
「いいわ……いくらでも使って、私の魔力!」
「いくぜ……!」
どんなに大きな反動も、後ろのアリスが支えてくれるはずだ。
魔理沙は目を閉じ、両手に強い想いを込める。
「ファイナルマスター……」
「「スパークッ!!」」
「ひっ!?」
扇が突き破られ、眩い閃光が辺りを包む。
「に、逃げっ……うぐっ!?」
「返しなさい……!!」
「八意永琳? ……ぐぐぐ!!」
永琳もまた虎視眈々と反撃の機会を窺っていた。
最初幽々子にやられたのと同じように、今度は永琳が幽々子にチョークスリーパーをかけている。
「ウドンゲは泣いて部屋に閉じこもってしまったわ……返しなさい、ウドンゲと私の乙女心を」
「お、乙女って歳じゃないくせに……ぐぐっ!」
「それは言わない約束よ……さあ、一緒に逝きましょうか。捨て身を厭わぬ蓬莱人の恐ろしさ……思い知りなさい!!」
「うーっ!? ぐっ、ぐぐ……」
永琳に押さえつけられた幽々子は逃げることさえ叶わず、勇者達もろとも光の渦に飲み込まれた。
爆風に巻き込まれて様々なものが飛んで来る、霖之助は妖怪少女をかばい、それら全てを身に受けた。
「こ、この感覚……」
「……どうしたんですか?」
「店主……さん?」
「ん、んー……はい」
「失礼ですけど、ここまで優しい人だって印象はなかったのに……どうして?」
「さぁ……恋する乙女は無敵なんでしょう。きっと、そういうことですよ」
わけのわからない返事を返し、霖之助は苦笑した。
その身は魔理沙のチョコで女になってしまったものの、心のどこかに男の部分が残っていたのだろう。
それにしても、こんな暑苦しいところが自分にあるとは、霖之助自身驚きだった。
――いや、女になったことで乙女心が少し理解できたのかな?
乙女心は難しい。
「ん、なかなかいけるじゃないか」
「そう? せっかく可愛い形に作ったんだけど、はぁ」
溜息をつくアリスの胸に向かって、魔理沙が握り拳をごつんと当てた。
「なによ?」
「見てくれなんか問題じゃないんだぜ」
「……」
奪われた三つのチョコ、一つは魔理沙に渡した。
こうして幻想郷に焼きチョコの概念が生まれた……のかどうかはわからないが、魔理沙は日本茶片手にチョコを貪っている。
「あんたにあげて良かったわ、おいしそうに食べてくれるのね」
不意をつくアリスの柔らかな笑顔に、魔理沙は思わず湯飲みを落としそうになった。
男も女もない。きっと、心を込めて作るやつと、おいしく食べるやつが、仲良くなるイベントなんだ。
「甘さが上手く引き出されていい感じだね。うん、これは悪くない」
もう一つは霖之助に。
店の周りで暴れた謝罪の気持ちもあるし、目の前に男がいるのに渡さないのも少々失礼だろう。
「ぐちゃぐちゃよ、もう」
「災い転じて福と成す、良いことじゃないか。美味しいよ、ありがとう」
「お上手ねぇ」
最後のひとつは……。
「ん、おいしい。ほんとだ」
「……自分で食ってどうすんだよ……まぁいいけどさ」
「だって、そこまでおいしくなってるなら、確かめてみたいじゃないの」
「ま、わからんでもないな」
「そうだね」
「あんたがビームに変換しちゃった私の乙女心、少し補充しておかないといけないし」
「減るものなのかい?」
「男にはわからないんだ」
「何を。今、僕の体は女だよ」
「ぷっ」
「あはは」
滅茶苦茶な騒動になってしまったが、こういうのもたまには良いか、前向きに考えるとしよう。
こうやっていろいろ楽しめるのも女性ならではなのかな? 霖之助は何の根拠もなくそんなことを思う。
幽々子はファイナルマスタースパークの直撃で正気を取り戻したものの、ぼろぼろで帰宅しても迎える者は誰も居ない。
新しい服に着替え、自分を操っていた鬱陶しい悪魔達を追い払い、またも縁側に横になっていた。
「私はなんてことを……」
うっすらとだが記憶があるのがまた辛かった。
指揮官の身としては、あの悪魔達の悲しみも分からないではないが、自分だって乙女である。
だというのにいくつもの想いを踏みにじり、汚してしまった。
「こんなだから妖夢は私の元を離れてしまったのね……」
懐に奪い取った、たくさんのチョコも全て取り上げられてしまった。
今頃は、それぞれが在るべきところへと返されているだろう。
「大切なものは、失って初めて気がつくと言うけれど……」
情けないと小馬鹿にしたり、妖夢のやりたがっていることを妨害したり……。
権力を濫用して、要らないストレスを感じさせていなかっただろうか……?
「ごめんなさい……妖夢」
幼い頃から一生懸命頑張ってくれた妖夢……。
情けない自分に腹を立て、何度も悔し涙を流していた妖夢……。
たまにかっこつけて墓穴を掘る妖夢……。
全部、幽々子のためを想ってやってくれていたことじゃないか……。
「幽々子様」
ああ、幻聴まで聞こえてきたか……こうなっては冥界の管理もおぼつかないかもしれない。
閻魔様からどんな説教を受けるだろう、一日で済むような説教ならいいが……。
「幽々子様、すいませんでした……」
幻聴じゃ……ない?
「妖……夢?」
「幽々子様……悪かったのは私です……許していただけませんか?」
妖夢の手にはチョコが握られている。
幽々子には知る由も無いが、永遠亭を抜け出した妖夢は紅魔館へ赴き、美味しいチョコの作り方を咲夜から学んでいた。
とびきりのチョコを手にして、幽々子に謝りに行くために。
「長い間白玉楼を離れて、本当にすいませんでした……」
チョコを両手で掴み、頭を下げて幽々子の前に突き出す。
幽々子はよろよろと立ち上がり、そのチョコを受け取った。
「幽々子様……こんな私の事、許して……」
「妖夢……」
慌て気味に、乱暴に包みをはがしてチョコにかぶりつく。
その甘さが凍り付いていた幽々子の心を温かく溶かしていった。
「まっ……まろいわ、妖夢……最高のバレンタインチョコよぉぉ!!」
「幽々子様っ!!」
ひしと抱き合う二人……もう言葉など必要なかった。
今後妖夢は今まで以上の忠誠を幽々子に誓うことだろう。幽々子も優しい主になることだろう。
鬱陶しい悪魔達も、もう近寄ってくることはあるまい。
「ほら、香霖。こいつを飲めば元に戻るぜ、おつかれさん」
あの騒動以降もチョコを買い損ねた客はいくらか戻ってきたのだが、全部売り切るのは不可能だった。
紅魔館への分け前もあり、そこそこの儲けはあったものの「リッチマン」と呼ぶには不足だろう。
霖之助は魔理沙から受け取った薬を懐にしまい込み、チョコの在庫を確認していた。
「うーん、三百弱余ってしまったね……黒字にはなったようだし、文句はないけど」
「なんだよ、嫌がってた割にがっつかないな。それを飲めば男に戻れるんだぜ?」
「まだやることがあるんだ」
霖之助は立ち上がり、襟元を正した。
その下にはふくよかな胸のふくらみがある、魔理沙はそれを見て羨ましく思った。
「乙女心の修了式だよ。行こうか、魔理沙」
「行くって……どこに?」
「無縁塚さ」
売れ残ったチョコの半分を魔理沙に渡し、霖之助は店の入り口に「休憩中」の札を立てた。
後ろで魔理沙が何やら騒いでいるが、この仕事は乙女心と男心、両方を理解した霖之助にしか不可能だ。
よくわからないまま、魔理沙は霖之助の後をついていった。
無縁塚。
外界からの迷い人の死体やら冥界の落し物やら、様々なものがある結界の交点。
霖之助はよくここへ来て、外界の珍しい道具を拾いに……もとい、無縁仏を弔いに来る。
「陰気臭いなー。で、何するんだ? ゴミ拾いか? 墓荒らしか?」
「失礼だな、墓参りだよ」
名もない小さな墓標に、売れ残ったチョコを供え、手を合わせる。
なるほど、と魔理沙は頷いた。
「僕にはよくわからないが、外界ではこのイベントで一喜一憂する男達が随分多いらしい」
「確かにな、それは身をもって思い知ったぜ」
そう言って魔理沙も手を合わせる。
「にしても、随分と優しいじゃないか香霖」
「またあんなことがあっても困るしね。乙女のうちにやっておこうと思っただけさ」
霖之助は手際よくチョコを配布し、手を合わせる。
だから薬を飲まなかったのか……結構頭使っているんだなー、と魔理沙は少し感心した。
「少しわかったよ、乙女心」
「ほう?」
「だが男心もあるんでね」
「ならどう思う?」
「皆が楽しめれば良いんじゃないか? 騒がしいのは勘弁願いたいが」
「前者は真理だぜ、後者には同意できないが」
多少の争いはあったものの、全て丸く収まっただろう。
アリスのチョコは美味しくいただいた、男に戻る薬も受け取った。永琳もチョコを奪還して永遠亭へ。
霖之助は知らないが幽々子の元に妖夢が帰った。そして今こうしてあの幽霊達も弔ってやった。
あの妖怪少女のチョコも……焼きチョコにはなってしまったものの、ちゃんと返すことができた。
(あんな子にチョコをもらえる男というのは、幸せ者なんだろうね)
クスッと笑い、薬を口に含む。
まったく、酷い騒動だった……だが、来年も少しだけチョコを仕入れるのも悪くはないかもな。
そんなことを考えながら、霖之助は少しずつ元の姿へと戻っていった。
カランカラン
「いらっしゃいませ……おや?」
背が低いので一瞬魔理沙かと思ったが違う、あのときの妖怪少女だ。
「想いは伝えられましたか?」
からかうように言って、手にしていた本を傍らに置く。
ところが不思議だ、少女の手にはこげた包み……あのチョコの包みが握られている。
「これ、店主さんに……」
「え……いいのかい?」
「……はい」
はぁ、やはり乙女心は難しいな。
眼鏡のズレを直しながら、目を閉じた。
「ありがとうございます」
「うんっ!」
だが、少しは乙女の扱いにも慣れたかな。
少女は嬉しそうに笑って、店の外へと走って行った。
(幸せ者、か……)
こげた包みをはがし、トリュフチョコを口の中に放る。
チョコの味は甘くてわかりやすいが、乙女心はそんなに単純なものではないらしい。
ただ、やたらに甘いのだけは共通しているかな、と思いつつ、霖之助は再び本を手に取った。
霖之助は知らないが、その後冥界で「霖子ちゃんファンクラブ」という怪しいものができたらしい。
あの日チョコを配って回っていた姿はしっかりと見られていたわけだ。
「元が男でも、良いじゃないか!」
「むしろ元が男だから良いじゃないか!」
「男のままでも良いじゃないか!」
という鉄の三原則を掲げ、女子同士のチョコ交換よりも不毛な想いを燃やし続けているらしい。
霖之助派と霖子派に分かれて抗争も勃発したと言う。
男の、男による、男のための醜い争い。霖之助の優しさは男が男を取り合うという混沌を生んだ。
バレンタインの闇は大きく屈折してしまったのだろう。
男の恋心も侮れないものである。
読んでなくても話の理解にはそれほど差し支えはありません。
――カラン
「いらっしゃいませ」
本に向けていた視線を店の入り口に流すと、そこには包みを抱えた咲夜が立っていた。
霖之助は本を側に置き、咲夜へと歩み寄る。
「約束の物、持ってきましたわ」
「ああ、ありがとうございます」
「このぐらいで良いのですよね?」
「ええ」
包みを受け取り、開いて中を確かめると、そこには綺麗に包装されたあるものが数個入っていた。
包みを開けた瞬間、ほのかに甘い匂いがしたような気がしたのは中身を知っているゆえの錯覚かもしれない。
「随分と丁寧に包装されたんですね。中を開けて確かめたいけど、元に戻す自信がないな」
「そう思いまして」
「ん?」
咲夜から差し出されたのは、箱に収められたハート型の小さなチョコレート。
咲夜自身も渡すことに抵抗が無いし、受け取る霖之助も照れる様子は無く、小さく会釈してからひょいと受け取った。
「なるほど、立派だ。味見しても?」
「ええ、それはサービスですわ。どうぞお召し上がりになって」
チョコを割ってその欠片を口に入れると、柔らかな甘さが口内に広がり、良い香りが鼻を抜けた。
「ふーん」
咲夜から仕入れたチョコレートは店の目立つところに並べられた。
魔理沙は定位置と化した売り物の壷の上に腰掛け、せんべいをかじりながらそれを眺めている。
「流行物を置くなんて、ちゃんと商売する気あったんだな」
「失礼だな……あまりにもチョコを求めに来る客が多いんだよ、無いと言うと文句を言う客もいてね」
「鬱陶しいから、そういうやつを追っ払うために置いたのか。ははん、なるほどなるほど」
「なんだか随分突っかかってくるな」
「よいしょ」と呟いて壷から降りた魔理沙は、チョコを手にとってしげしげと見つめる。
咲夜には報酬として適当な日用雑貨を渡した、本命チョコでも義理チョコでもないようなチョコにはその程度の価値しかないのだろう。
そういう意味では、何の包装もされていなかったあのチョコは一番価値が高かったのかもしれない。
「こんな面倒なイベント、誰が考えたんだろうね」
「どうせ紫だろ。去年の暮れ……二十五日だったかなぁ」
「うん?」
「あの時も、自分は冬眠してるからって言って、式神を使ってまで不審なことしてたしな。黙って寝てれば良いのに」
「よくわからないね、彼女は」
クリスマス、風邪をひいているのに忠実に主の命に従う藍が、サンタガールとなった。
風邪ウイルスを撒き散らす藍サンタは、紫の知り合い数人に風邪と粗品をプレゼントしていった。
「まぁ、面倒と言うな、こういうときこそ商売するチャンスだと思うぜ」
カランカラン
「ほら、売れたろ?」
香霖堂から出て行く少女。胸にはチョコレートを大切そうに抱えている。
魔理沙はその背を見送り、帽子の角度を直しながら言った。
霖之助は予想外の値で売れたことに驚き、紙幣を握り締めながら眉間にしわを寄せている。
「参ったね、乙女心というのは不思議だ」
「あー。乙女心がわからんやつが売ってるって言うのは罪だな、学ぶべきだ」
「しかし……なんでチョコなのかもよくわからないし、想いを伝えるなんて、気持ち次第でいつでもできるだろう?」
一つ減った売り物のチョコ……霖之助はカゴを手にとってマジマジと眺める。
香霖堂としては少し特殊な売り物だと思うのだが、求める人がいるのは確からしい。
咲夜にしたらそこまでちゃんと作った気はないのかもしれないが、手先が器用で料理、お菓子作りに慣れている。
包装も見事だから、そんじょそこらの女子が真似できる代物ではないのだろうか。
それほどのチョコなら想いが伝わる……そういうものなのか?
魔理沙がわざとらしく大きな溜息を吐き、呆れたように言う。
「そこのところが、乙女の神秘ってやつだぜ」
「そんな言葉遣いで言う台詞じゃないと思うけどね」
魔理沙は腕を組み、胸を張ってフンと鼻を鳴らす。
霖之助は呆れ気味に目をそらした。
その後もぽつぽつと客が現れ、十個ほどあったチョコは瞬く間に売り切れてしまった。
人間の女、妖怪の女……までは良かったのだが、不思議なこともあった。
「こ、こっ、このチョコ、紅魔館のメイドさんが作ったって本当ですか!?」
「ええ、メイド長の十六夜咲夜さんに発注したものですよ」
「ブ、ブホッ!!」
「お客さん!?」
売り物に鼻血を噴かれて大迷惑だったが、鼻血のついたものは全部買い取らせた。
男までが買いに来るのだ、これも人間妖怪問わずである。
まとめていくつか買っていく者もいた、十個程度ではまったくニーズに応えられない。
「困ったね、まだバレンタインとやらまで日があるんだが」
「咲夜、乙女心、そして欲望恐るべし、だな」
咲夜が作ったことが思わぬプレミアムを生んだのは理解した。
それにしても誰も彼もお祭りごとが大好きだ、霖之助は今後チョコを求めに来た客への対応を考え、溜息をもらす。
「三日後が本番か。なに、もう一回咲夜に発注すれば良い。あいつなら百個だろうがすぐ用意するだろうぜ」
「ま、待て。無料で発注できるわけじゃないんだぞ」
霖之助は店内の品物をちらちらと見やりながら慌てる。
今回は数が少なかったから適当なもので手打ちにしてくれたが、これだけのニーズに応えようと思ったら、
次回の発注数は十程度では済まされない。咲夜が自分の作ったものの価値に気付けば更にふっかけられる可能性もある。
「適当にマージンを流してやれば良いんだ。商売の基本じゃないか」
「ああもう、何故こんなことに……」
「香霖は商売向きじゃないな」
「魔理沙の店だって閑古鳥が鳴いてるじゃないか」
「副業で儲かってるから良いんだ」
魔理沙の目の色が変わる。口の端を歪めて不敵な笑いを浮かべている。
箒を手にとって元気良く店の入り口へ歩いていく……とても嫌な予感がした。
「魔理沙、どこに行くんだい?」
「決まってるだろ、紅魔館だ。大量のチョコを作らせる」
「待て! 二~三日凌げればいいんだ! 百もあれば……」
店の入り口で魔理沙が立ち止まる。そして帽子のつばをぐりぐりといじり、背を向けたまま呟いた。
「香霖……」
「……?」
「リッチマンにしてやるぜ」
「い、いいって言ってるだろ!!」
「あははははは!!」
「待て!!」
箒にまたがった魔理沙は何度かホバリングした後に勢い良く夕焼け空に消えていった。
霖之助は顔にかかる砂埃を服の袖で防ぎながら、呆然とそれを見送ることしかできない。
「あ、あのぅ……」
「……はっ! はい?」
霖之助の半分ぐらいしか背丈のない小さな妖怪少女が服を引っ張っている。
「チョコレート……まだありますか?」
「ああ……すいません、もう売り切れたんですよ」
「ぅ……」
手に、紙幣一枚と小銭をいくつか乗せていた。
少女はそれをぐっと握り締め、目に涙を浮かべる。
今までの客は、誰もがもっと高い金を払って買っていった、ちゃんとは数えてないが、あの金額では相場に及ばない。
どちらにせよ売り切れてるのでどうしようもないのだが……。
ぽろぽろと涙をこぼす妖怪少女をはすかいに眺め、霖之助は困惑してしまった。
「ああ、明日辺りにでもまた入荷すると思いますから」
「……ほんとっ!?」
「ええ、それまでお待ちください」
「うん、また明日来ます!」
涙をこぼし、ひっくひっくとしゃくり上げながら、満面の笑みを浮かべる少女。
それを見てなんとなく狐の嫁入りを思い出した霖之助をよそに、少女は手をぶんぶん振りながら走り去っていった。
「乙女心か……まったく、神秘的だね」
こうやって男を振り回すのも一つの乙女心なのだろうか。
カランッ
大きな溜息をつきながら、霖之助は店の中に戻って行った。
「ふ、ふふ……」
魔理沙がリッチマン大作戦を行っている最中、バレンタインの闇が動き出していた。
「……もてない男達の怨念が集まってくるわ」
場所は冥界、白玉楼。
縁側でぐったりと横たわる幽々子、庭を眺めていると、妖夢が元気良く庭掃除をしている光景が脳裏に浮かぶ。
妖夢はいない……些細な理由で喧嘩をして、家出してしまった。
節分のときにレミリアに豆をぶつける祭りが行われたのだが、紅魔館は咲夜の手腕と助っ人妹紅、
そしてド根性門番美鈴、数だけはすごい下っ端メイド達によって防衛を成功させた。
その際の仲違い……妖夢は意外とナイーブなのか、幽々子の適当な発言ですっかりへそを曲げてしまった。
『幽々子様、はい、バレンタインチョコですよ』
女から男、が一般的だが、仲の良い女子同士での交換も割と頻繁に行われるものだ。
もてない男達はそれを眺めて歯噛みをする……何故? 何故目の前に男がいるのに女子同士で? と憤るのだ。
そのことを直接女子に言えば、さらなる総スカンがもてない男を待ち受ける。
「光あるところに闇があるわ」
幽々子の周りでは、人魂達がギャーギャーと騒いでいる。
それは、生前もてないまま……一つの本命チョコをもらうこともなく天命を全うした勇者達。
『俺、義理しかもらったことない!』
『ふざけるな、俺なんか母ちゃんからしかもらったことない!』
『おいどん、男同士で交換したでごわす!』
『俺なんか自分で机に仕込んで自作自演した!』
声にならない人魂達の逆武勇伝。彼らの邪念が幽々子を魔物に変えようとしている。
今年は妖夢からもらえない……それだけのことなら、幽々子だって少し悲しむ程度で済んだだろう。
自分から謝るべきなのか、しかし主としてのプライドがそれを許さない。
そうして悩んでいる間に、幽々子の周囲には邪念を抱く人魂達が集まってしまった。
最初は耳を傾けなかったが、目を見張るような様々な悲しい想いが、妖夢を失ってぽっかり空いた心の穴に入り込む。
この不公平なイベントは一体何なのだ、想いを伝えるなんて、裏でこっそりやれ。
これ見よがしに大騒ぎして……心底不愉快だ。悲しみが少しずつ怒りに変わっていく。
それを増幅するように、遠くでルナサが鬱の音を奏でていた。
幽々子は立ち上がる、その目は正気を失いかけていた。
普段ならものともしない邪気邪念の類、妖夢を失って弱った心に染み渡った悪魔達のささやき。
彼らは幽々子を依り代として、もてる男と自分達を蔑んだ女子に復讐を遂げようとしている。
「どいつもこいつも浮ついて……!!」
人魂達が雄叫びを上げる。
あの西行寺幽々子様が、我らの怨念を晴らすため、ついに立ち上がってくれたのだ。
もてる男に天誅を、女子同士で交換する不毛なイベントに鉄槌を。
「顕界へ!! ついてきなさい勇者達!!」
勇者達は、元はといえば妖夢が居なくて警備が手薄なのをいいことに、幽々子にチョコをねだりに来た者達だった。
なんか流れで面白いことになりそうだったので、幽々子を増長させてこのような騒乱になったのだ。
バレンタインを推進する魔理沙達と、バレンタインを撲滅せしめんとする幽々子達。
両者の激突は避けられないのだろうか。
二月十二日。
「魔理沙、これは流石に多すぎるんじゃないかい?」
「何言ってるんだ、乙女心はこんなものじゃ済まされないんだぜ」
紅魔館から大量に送り届けられたチョコ、魔理沙は一つ一つ念入りにチェックしていた。
商人の娘だけあって、商才があるのではなかろうか……とも思った霖之助だったが、
どちらかと言えばこの状況を面白おかしく過ごしたいだけであろう。
「何個発注したんだ? とても数え切れないんだが……」
「千だな。これでも遠慮した方だ、きっと足りないぜ」
「千だって? 足りないどころか大量に売れ残る可能性の方が高いじゃないか……はぁ」
魔理沙はまったく不安な様子を見せない、人事だから、という理由だけではないだろう。
売り切れるという確信があるのだろうか……やはり乙女心というのは、男の計り知れない所にあるのかもしれない。
「そういえば……これは全部咲夜が作ったものなのか?」
「だと思うぜ。あそこのメイドは存外に役立たずだ、そして咲夜ならこのぐらい朝飯前だろ」
配達は流石に咲夜だけではなく、下っ端のメイドも自分の体積の何倍もある風呂敷を背負ってやってきた。
意外にも交渉は魔理沙が全てキッチリ行ってきたらしく、報酬についてはあまり細かいことは言われなかった。
魔理沙が提示した条件を受け入れたらしく、それの確認を行っただけ……。
それもほとんどが売り上げの山分けで賄えるような内容だった。
魔理沙や霊夢のみならず、咲夜もあまり金銭に固執していないようだが、人里に買い物に来ることもあるらしい。
必要以上に求めるつもりはないが、稼げるときに稼いでおけば後々便利なのだろう。
チョコの材料をどこで調達しているのかは不明だが、おそらく元手はほとんどかかっていないと思われる。
紅魔館ではカカオの栽培までしているのだろうか? 何もカカオだけが原料ではないが。
どうも、魔理沙や咲夜の間で秘密の取引がされているような気がする。
霖之助にとってもおいしい条件ばかり、うまい話には裏があるものだ。
「魔理沙、何か企んでるんじゃないか?」
「そりゃもちろん、企んでるぜ」
「何をするつもりだい?」
「だから言ってるだろう、香霖をリッチマンにするって」
「豊かさというのは何も金銭だけによるものじゃないだろう? 例えば……」
「あー、ごちゃごちゃうるさいな。例えばこういうことだ。ほら、わかってるんだぜ、私は」
霖之助の前に、少し不恰好だがそれなりに包装された包みが差し出される。
考えるまでもなくチョコだろう、しかしなんだか話がうますぎてやはり腑に落ちない。
「乙女心の結晶だ、大事に食えよ」
「なんだ、僕にか」
「あー? 寝ぼけたこと言うなよ、他に誰がいるんだ」
「うーん……まぁ、ありがとう」
少しぐらい照れたりしてくれた方が可愛げがあるのに、と思いつつも、この方が魔理沙らしくて納得はいく。
「これは本命かい? それとも義理?」
「んー、中間ぐらいだな。義理っていうとよそよそしすぎるが、本命っていうとちょっと重過ぎるだろ?」
「確かにね」
からかったつもりだったのだがまったく照れる様子は無い。その態度と言葉は全て正直に魔理沙の気持ちを物語っている。
だが、このぐらいの距離が一番心地良いかも知れない、魔理沙もそうなのだろう、きっと。
点検を終えたチョコをカゴに綺麗に詰めていく魔理沙を見ていると、何故自分の家は掃除できないのだろうと不思議になる。
「渡す相手も香霖ぐらいしかいないしな」
「でもまだバレンタインは先じゃないか、なんでもう渡すんだ?」
「忙しくなるからだ、渡す暇もないかもしれないじゃないか」
「変なところ用心深いね」
「うるさいな」と呟いて、魔理沙はカゴに詰めたチョコを勝手に陳列し始めた。
勝手に盛り上がって勝手に進めてくれているようだし……霖之助は茶でもいれてくることにした。
丁度茶請けの菓子も手に入ったことだ、日本茶に合うかどうかはわからないが。
「リッチマンになるんだぜ、香霖。並大抵の覚悟じゃいけない」
魔理沙が何か呟いているのが聞こえたが、何を言っているのかまでは聞き取れなかった。
熱いお茶で口の中を湿らせてからかじった魔理沙のチョコは、咲夜の作ったものに比べて随分不味かった。
というか、なんか変な薬のような匂いがするのは気のせいかな? 魔理沙。
何を企んでいるんだい?
飲み込んでしまってから、やすやすと魔理沙を信用してしまったことを後悔した。
二月十四日。
「妹紅……普通に殺し合ってばかりいるのでは面白くないわ」
「なんだよ、私はあんたさえ死ねば別になんでもいい」
「そこで今日は面白いことを考えたの」
輝夜が部屋の奥に引っ込み、たくさん団子の乗った皿を持ってくる。
妹紅は怪訝な表情でそんな輝夜の様子を眺めていた。
「これは季節のイベントにちなんだゲームよ。イナバ考案」
「お前とお茶するつもりなんかないよ」
「この団子の中にはチョコが入ってる」
一つ手に取った輝夜が、ひょいとそれを口の中へ放り込んだ。
「もぐもぐ……ただ、一つだけ毒入りがあるわ……それを引くまで交互に……ゲフッ!!」
「な、なんだ?」
デモンストレーションのつもりで手に取った団子がいきなり当たりだったらしい。
見た感じ三十ほどあるのだが、確率4%にも満たない毒団子をいきなり当てた輝夜。
かっこつけたのが運の尽き、うつ伏せに倒れてそのまま動かなくなった。
「な、なんだよ気持ち悪いな……」
冷や汗を拭いながら、妹紅は中庭に飛び出してそのまま永遠亭から逃げた。
余談だが、多分このロシアンルーレット団子を考案したのはてゐだろう。
だがもちろんこんなブラックバレンタインばかりではない。
「師匠ーっ」
「あら、ウドンゲ」
永琳に走り寄る鈴仙の手にはハート型に包装された可愛らしい贈り物。
もちろん言うまでもなくバレンタインチョコである。
「はい、チョコです!」
「ウドンゲ……あまり周りに流されてはダメよ」
そう言って苦笑しながらも受け取る永琳、そして鈴仙の目の前に高級感漂う包みを差し出す。
「なんて、私も人の事言えないけれど」
「……」
「……? どうしたの? 要らないのかしら?」
鈴仙は受け取ろうとしない……それどころか、永琳の方を見て青ざめている。
永琳の背筋に、凍りつくような冷気が漂っていた。
「……誰!? グッ!?」
「うらめしや~……」
「し、師匠っ!! ひ、ひぃぃぃっ!?」
幽々子に付き従う勇者達が鈴仙を取り囲む。
鈴仙はきょろきょろと周囲を見回し、動けなくなってしまった。
前方には、背後から幽々子にチョークスリーパーをかけられて苦しむ永琳がいる。
「蓬莱人に私の能力は通用しない……ならば肉体言語で語り合うまでよ」
「ぐ、ぐぐっ!」
「うぐっ!?」
永琳は幽々子に向かって必死に肘鉄を打ち続ける。
しかしそれを見ていた勇者達は永琳の腕に絡みついたり、永琳の肘と幽々子の間に挟まってクッションになったりした。
「う、うぐぐ……」
「さあ今よ!! チョコを奪取しなさい、私のエインヘリアル達!」
勇者は呼応するようにモゴモゴと蠢き、永琳が掴んでいた自分のチョコ、そして鈴仙から受け取ったチョコを奪い取った。
「ついでだから訊くわ、みょん……妖夢はどこに行ったの?」
「し、知らないわよ……数日前から行方不明に……」
家出をした妖夢は「みょん」という名を与えられて、イナバの一員として永遠亭に居座っていた。
永琳と鈴仙を襲撃する前に屋敷の中を探し回ったが妖夢らしき姿はなかった。
ここに居ればそのまま連れ戻そうと思ったのだが行方不明とは……幽々子は舌打ちをする。
「役に立たない連中ね……まぁ、貴女達のチョコは、後でこの勇者達が美味しくいただくわ」
「返して……う、ウドンゲの……」
「女同士での交換など不毛だと、勇者達は言っているわ」
「師匠ーっ!!」
不意打ちを許してしまった永琳はついに崩れ落ちた。
側では勇者達が、奪い取ったチョコを鈴仙の側でパス回しして嫌がらせしている。
泣きながらおろおろとそれを追い掛け回す鈴仙を見て、心から楽しんでいるようだ。
「さあ遊んでいる暇は無いわ、行くわよ勇者達」
幽々子の体色が急激に薄まり、床の中へスーっと溶けるように消えていった。
勇者達もその後を追い、チョコと一緒に消え去っていく。
後には、顔面蒼白で倒れる永琳と、へたり込んで泣き叫ぶ鈴仙の姿があった。
マーガトロイド邸には、三つの包みをテーブルに載せ、紅茶を飲みながら悩むアリスの姿があった。
イベントに乗ってチョコを作ってみたは良いものの、渡す相手も特に考えていなかった。
「誰に渡そうかしら」
宴会で世話になってる霊夢、近所に住んでいる魔理沙、たまに図書館で本を見させてもらってるパチュリー。
その辺りが妥当かしら? などと思いつつも、どうやって渡そうか考え始めるとまた難しい。
女同士だし別に変な気持ちもないのだから、あっさりと渡してしまえばそれで良いような気もするのだが。
でもそれではせっかくのイベントなのに面白くない、何か面白いやり方はないものか……。
と思案に耽っていたとき、突如伸びた手が三つの包みをかっさらった。
「なっ!?」
「恵まれない子羊達に愛の手を」
「な、なによ!? 返しなさい!!」
そこにいたのは当然、バレンタインキラー、西行寺幽々子だった。
恵まれない子羊というのはその周囲を猛々しく飛び回る勇者達のことだろうか。
実に気持ちの悪い子羊である。
「黙って見逃せば身の安全は保証するわ」
「幽々子……何頭の悪いことしているのよ。こっちこそ、さっさと返せば乱暴はしないであげるわ」
「冥界を統べる力、侮ると痛い目に合うわよ」
幽々子が両手を頭上に掲げ、変なポーズをとる。
これは幽々子の本気の構え……アリスの額を冷や汗が流れ落ちる。
「私はバレンタインを殺すのよ」
見れば目の色も妙だ……日頃から変な発言の多いやつだったが、ここまでおかしくはなかった。
アリスを取り囲む勇者達もいきり立っている……これは分が悪い。
「わ、わかったわよ……」
誰にあげるかもちゃんと考えてなかった、なのに妙に一生懸命な自分がいた。
本気で戦えば取り返せる可能性はあるかもしれないが……。
戦ってる最中に、チョコに攻撃が当たってぐちゃぐちゃになったりしようものなら……それこそ悲しい。
「ならせめて……ちゃんと、味わって食べてよね……」
アリスは悔しそうにうつむく……踏みにじられた少女のプライド。
周囲ではそんなアリスを見て勇者達が大喜びだった。
しかしそれを見た幽々子の心はほんの少し揺れる……。
(あら……? 私、一体……)
――いかん、幽々子様が正気を取り戻そうとしている。
――我らのジャンヌ・ダルクが!!
――皆、邪念を発せ。このイベントの日に、我らはどれだけの怒りと悲しみを抱いてきたか。
「う、うぁぁぁ……」
「幽々子……?」
「ふぅ、ふぅっ……い、行くわよ、勇者達……!!」
苦しそうに頭を押さえながら、壁をすり抜けていく幽々子。
そんな様子を不審に思いながらも、まんまとチョコを奪われ、アリスは呆然と立ち尽くしていた。
そして一筋の涙が頬を伝う……胸にぽっかりと穴が開いてしまったような感覚。
(悔しい……!!)
やはり渡したくない、渡す相手も定かではなかったが、特別な想いがそこにはある。
アリスぶるぶると首を振ってから歯を食いしばり、家を飛び出した。
香霖堂は開店直後から大盛況だった。
千もあったチョコは瞬く間に減って行き、昼前の時点でもう既に半分近く売れてしまっている。
噂が噂を呼び、歪曲した情報は「香霖堂のチョコを渡せば恋愛が成就する」と、膨らんでしまっていた。
一説では惚れ薬が入っているなどと、穏やかでない。
しかし買い求める客は全てが女性というわけでもなかった。
実に客の半分以上が男性という奇妙な構図が出来上がっている。
その理由は一つに咲夜の手作りであるということ。
そしてもう一つは……。
「いつもの店主さん、いないんですね」
「え、ええ……」
「どういった間柄なんですか?」
「あ、あー……あ、あれは私の弟です」
おのれ魔理沙め。こんな高度な製薬技術を持っているとは……。
「おう、霖子! 好評じゃないか、これならきっと夕方までには売り切れるぜ!」
「誰のせいだと思ってる……僕はこんなに繁盛しなくても別に……」
「霖乃の方が良いか?」
「どっちでもいい……」
どうやらあのチョコには性転換の効能を持つ薬品が混ぜてあったらしい。
客が多すぎるので店の外で……売り子を手伝っている魔理沙はさっきからにやにやと不快な笑みを霖之助に向ける。
「男に女装させるのって楽しいんだよ、あ、毎度。一つでいいのか?」
「これは女装とかいう次元じゃないと思うけどね……それも乙女心、ってやつか……?」
霖之助としてはまったく面白くない。
男性客からの視線がとても嫌だった、魔理沙曰く「びっくりするほど美人じゃないか」だそうだ。
どうもそんな霖之助自身の容姿が売れ行きを加速させているらしい。
男性客にしてみると、美女に変貌した霖之助からチョコを受け取っているような錯覚を味わえるらしい。
魔理沙からの手渡しで買いたがる男性客もいる、それらの相乗効果でチョコは飛ぶように売れていった。
「あのっ! どこに住んでるんですか!?」
「あ、あー……困りますお客さん……」
これが乙女心なのだろうか? 霖之助は気持ち悪くて仕方なかった。
自分が男のときは見えなかった気持ち「男って怖い」ということを、身をもって感じた。
やはり魔理沙は横でにやにやしながらそんな霖之助……いや、霖子を見上げていた。
しかし魔理沙ばかり見ているわけにもいかない、さっさとチョコを売り切って落ち着きたかった。
ふと前を見ると、あの日、泣きながら笑った妖怪少女が目の前に立っていた。
「店主さんは……?」
「えっと、体調を崩していまして……」
「あの、このチョコいくらなんですか?」
少女の手には、あの日よりはいくらか小銭が多く握られていた。
拾い集めてでもきたのだろうか。
「弟から話は聞いてます。いいですよ、これだけで」
少女の小さな掌からいくつか小銭をつまみ上げた。
もう利益は十分に上がっている。今更こんな少女から巻き上げるのも気分が悪い。
いつもならもう少しがめついのだが、半ばパニック状態だったのもあって自棄気味になっていた。
「……皆もっと払ってますよ……」
「んー、元々どんぶり勘定ですからそんなに気にすることは……」
「いいです、他の人みたいにいっぱいは払えませんけど」
そう言って少女は持っていた金の全てを霖之助に手渡す。
「あの、気持ちってお金と換えられないと思うんです」
「ほう……?」
「それでも……全部、少しでも多く気持ちに換えたいから」
「そうですか。なら、受け取りましょう」
「はいっ!」
少女は全財産をつぎ込んだチョコを胸に抱きかかえて走って行った。
それを横で見ていた魔理沙も、驚いたような感心したような目で、少女の背を眺めている。
「大したもんだ。どうだ香霖、あれが乙女心というやつだぜ、勉強になったか?」
「魔理沙こそ、豊かさとはああいう心の豊かさを言うんだ、勉強になったかい?」
自分でやったことでもないのに、二人とも満足そうに胸を張った。
だが、こんな甘々な茶番をあの勇者達。
そして勇者達の「ジャンヌ・ダルク」こと西行寺幽々子様が許すはずはなかった。
「キャーッ!! 誰かーっ!!」
この声はあの妖怪少女の声だ……何があったのだろう、魔理沙は側に立てかけておいた箒を手に取り、声のした方へ駆け出す。
客も叫びながら散り散りになっていく、何か恐ろしいものがそこにあるのか……。
「なん、だ……? 幽々子?」
妖怪少女からチョコを取り上げ、頭上に掲げて「ほーら、ほーら」などとのたまう幽々子。
その周囲では勇者達が楽しそうにプカプカ浮かんでいた。
幽々子は魔理沙に気付き、取り上げたチョコを懐にしまいこんで、少女を突き飛ばしてから魔理沙を睨みつけた。
「仕入先はどこかしら……こんな大量のチョコを販売するなんて、見逃せないわね」
「紅魔館だよ、あそこにはこういうの得意なやつがいるからな」
「そう……なら次は紅魔館ね。根元から叩かないと、ふふふ」
魔理沙はうすら笑う幽々子を睨みつける。なんだか目の色がおかしい、一体何を考えているのか。
「何のつもりだ幽々子? お前も乙女なら、このイベントの重さがわかるはずだぜ?」
「わかるわ、わかるからこそ許せない。こんな甘々なイベント」
「矛盾してるな、もてない男みたいな情けない真似して……乙女の誇りはないのか?」
魔理沙は箒にまたがり、ふわりと浮かぶ。
「幻想郷の中心で愛を叫ぶつもり? 反吐が出るわっ!」
幽々子が扇を広げると、周囲を漂っていた勇者達も臨戦態勢に入る。
「そのチョコは返してもらう。それはその子の心だ、大変なものを盗もうとしてるんだぜ、お前は」
「盗むのではないわ、奪い、そして……恋心を殺してやるのよ、ふふふふふふ」
その言葉を聞いた魔理沙が帽子のつばに手をかけ、深くかぶる。
「聞き捨てならないな」と一言吐き捨て、そして。
「命短し、恋せよ乙女……」
「……?」
「恋する乙女は無敵なんだぜ!!」
「あらまあ、こっ恥ずかしい台詞だこと……行くわよ!! 勇者達!!」
「見せてやるぜ、これが恋の色だぁーっ!!」
突風を起こし、天へ昇っていく魔理沙。
ただならぬ気配を感じた妖怪少女は涙目のまま霖之助の方へと走って逃げていく。
「マスタァーッ!! スパァーーク!!」
幽々子に向かって撃ち放たれた恋の魔砲は、まさに雷のように空を裂いて襲い掛かる。
しかし、そんな魔理沙を見上げながら幽々子が放り投げた扇が巨大化し、盾になった。
「確かにその威力侮れないわ……けれど、恋にも寿命がある……生者必滅!!」
幽々子の召喚した蝶が巨大化した扇を押し上げ、マスタースパークの威力を押し返している。
「み、店の側でそんな激しい戦いはやめてくれーっ!!」
客など皆逃げ帰ってしまった。
ただ、下腹部にしがみつく妖怪少女だけをかばうように抱きしめ、霖之助は叫ぶ。
「ちぃっ!! 流石幽々子だな……マスタースパークを完封するとは……!!」
「その程度のスペルカードを殺すのはわけないわ……行きなさい、勇者達!!」
「くっ!?」
猛り狂った勇者達が魔理沙に迫る、こいつらはドサクサに紛れてセクハラしたりするかもしれないので危険だ。
しかしマスタースパークを止めるわけにはいかない、幽々子の方が何倍も厄介なのは確かだ。
「う、うわぁーっ!!」
勇者達が魔理沙の体に張り付く。ともすれば凍傷でも起こしそうなほどの冷気。
バレンタインの闇……もてない悲しみに満ち溢れる男心……愛を求める心だった。
皮膚を通じて魔理沙に伝わるその気持ちは戦意を削ぎ落とす、マスタースパークの威力も徐々に弱まっていく。
『お、机の中にチョコが……誰だよ、こんなオツなことしたの』
『どうせ自分で入れたんでしょ……クス、クス』
『お前チョコいくつもらった?』
『お、お前は……?』
『本命二つに義理五つかな、今年は少なかったなぁ。で、いくつ?』
『ふ、二つ……』
『母ちゃんと妹からか?』
『……うん』
『お、おいどんの愛(ラヴ)! 受け取ってほしいでごわす!』
『うぬの愛、しかと受け取った! うむ、萌える!』
魔理沙の頭の中に様々な思惑が交錯する、悲しい歴史が……。
中にはガチで気持ち悪いのも混ざっているようだが、それも戦意を喪失させる効果としては十分だった。
「うわぁぁぁぁっ!!」
乙女心が消えていく……心の中がバレンタインの闇に埋め尽くされていく……。
気付けば涙を流していた、あまりにも悲しいその歴史に……そしてそれに耐え続けていた勇者達に。
乙女心の最後の抵抗、マスタースパークも徐々に痩せ細っていく……。
「負けちゃだめよ!!」
誰かの声が聞こえる、フラッシュバックする様々な邪念が頭から消えていく。
――温かい。
辺りを見回すと、人形達が勇者にはり付いて必死に引き剥がしている。
後ろから抱かれ、白い手が魔理沙の手に重ねられていた。肩の横から覗く顔は……。
「アリス……?」
「こうしてると思い出すわね、永夜の異変……」
「どうしたんだ?」
「ちょっとね……私の心、やっぱりそう簡単に渡すわけにはいかないから」
少しずつマスタースパークを押し返していた幽々子の扇は止まり、今度は幽々子に向かって少しずつ動き出す。
「な、なっ!? なんだっていうの!? これが……これが恋の力なの!?」
幽々子が必死になって、いくら蝶の数を増やそうとも……扇の接近速度が多少緩む程度で、押し返すには至らない。
周りの勇者達に命じて一緒に扇を押し上げさせようとするも、それも及ばない。
「魔理沙、私の力、私の想い……全部あげるから、全部……力に換えて……」
「アリス……」
「幻想郷の恋心、乙女心……私達で守るのよ!」
「お、おうっ!!」
冥界を統べる力、死を操る幽々子の力……今なら勝てる、今なら押し切れる、アリスが手を添えてくれている、今なら。
「アリス、今ならやれる」
「……?」
「今ならいけるぜ最終奥義!」
「いいわ……いくらでも使って、私の魔力!」
「いくぜ……!」
どんなに大きな反動も、後ろのアリスが支えてくれるはずだ。
魔理沙は目を閉じ、両手に強い想いを込める。
「ファイナルマスター……」
「「スパークッ!!」」
「ひっ!?」
扇が突き破られ、眩い閃光が辺りを包む。
「に、逃げっ……うぐっ!?」
「返しなさい……!!」
「八意永琳? ……ぐぐぐ!!」
永琳もまた虎視眈々と反撃の機会を窺っていた。
最初幽々子にやられたのと同じように、今度は永琳が幽々子にチョークスリーパーをかけている。
「ウドンゲは泣いて部屋に閉じこもってしまったわ……返しなさい、ウドンゲと私の乙女心を」
「お、乙女って歳じゃないくせに……ぐぐっ!」
「それは言わない約束よ……さあ、一緒に逝きましょうか。捨て身を厭わぬ蓬莱人の恐ろしさ……思い知りなさい!!」
「うーっ!? ぐっ、ぐぐ……」
永琳に押さえつけられた幽々子は逃げることさえ叶わず、勇者達もろとも光の渦に飲み込まれた。
爆風に巻き込まれて様々なものが飛んで来る、霖之助は妖怪少女をかばい、それら全てを身に受けた。
「こ、この感覚……」
「……どうしたんですか?」
「店主……さん?」
「ん、んー……はい」
「失礼ですけど、ここまで優しい人だって印象はなかったのに……どうして?」
「さぁ……恋する乙女は無敵なんでしょう。きっと、そういうことですよ」
わけのわからない返事を返し、霖之助は苦笑した。
その身は魔理沙のチョコで女になってしまったものの、心のどこかに男の部分が残っていたのだろう。
それにしても、こんな暑苦しいところが自分にあるとは、霖之助自身驚きだった。
――いや、女になったことで乙女心が少し理解できたのかな?
乙女心は難しい。
「ん、なかなかいけるじゃないか」
「そう? せっかく可愛い形に作ったんだけど、はぁ」
溜息をつくアリスの胸に向かって、魔理沙が握り拳をごつんと当てた。
「なによ?」
「見てくれなんか問題じゃないんだぜ」
「……」
奪われた三つのチョコ、一つは魔理沙に渡した。
こうして幻想郷に焼きチョコの概念が生まれた……のかどうかはわからないが、魔理沙は日本茶片手にチョコを貪っている。
「あんたにあげて良かったわ、おいしそうに食べてくれるのね」
不意をつくアリスの柔らかな笑顔に、魔理沙は思わず湯飲みを落としそうになった。
男も女もない。きっと、心を込めて作るやつと、おいしく食べるやつが、仲良くなるイベントなんだ。
「甘さが上手く引き出されていい感じだね。うん、これは悪くない」
もう一つは霖之助に。
店の周りで暴れた謝罪の気持ちもあるし、目の前に男がいるのに渡さないのも少々失礼だろう。
「ぐちゃぐちゃよ、もう」
「災い転じて福と成す、良いことじゃないか。美味しいよ、ありがとう」
「お上手ねぇ」
最後のひとつは……。
「ん、おいしい。ほんとだ」
「……自分で食ってどうすんだよ……まぁいいけどさ」
「だって、そこまでおいしくなってるなら、確かめてみたいじゃないの」
「ま、わからんでもないな」
「そうだね」
「あんたがビームに変換しちゃった私の乙女心、少し補充しておかないといけないし」
「減るものなのかい?」
「男にはわからないんだ」
「何を。今、僕の体は女だよ」
「ぷっ」
「あはは」
滅茶苦茶な騒動になってしまったが、こういうのもたまには良いか、前向きに考えるとしよう。
こうやっていろいろ楽しめるのも女性ならではなのかな? 霖之助は何の根拠もなくそんなことを思う。
幽々子はファイナルマスタースパークの直撃で正気を取り戻したものの、ぼろぼろで帰宅しても迎える者は誰も居ない。
新しい服に着替え、自分を操っていた鬱陶しい悪魔達を追い払い、またも縁側に横になっていた。
「私はなんてことを……」
うっすらとだが記憶があるのがまた辛かった。
指揮官の身としては、あの悪魔達の悲しみも分からないではないが、自分だって乙女である。
だというのにいくつもの想いを踏みにじり、汚してしまった。
「こんなだから妖夢は私の元を離れてしまったのね……」
懐に奪い取った、たくさんのチョコも全て取り上げられてしまった。
今頃は、それぞれが在るべきところへと返されているだろう。
「大切なものは、失って初めて気がつくと言うけれど……」
情けないと小馬鹿にしたり、妖夢のやりたがっていることを妨害したり……。
権力を濫用して、要らないストレスを感じさせていなかっただろうか……?
「ごめんなさい……妖夢」
幼い頃から一生懸命頑張ってくれた妖夢……。
情けない自分に腹を立て、何度も悔し涙を流していた妖夢……。
たまにかっこつけて墓穴を掘る妖夢……。
全部、幽々子のためを想ってやってくれていたことじゃないか……。
「幽々子様」
ああ、幻聴まで聞こえてきたか……こうなっては冥界の管理もおぼつかないかもしれない。
閻魔様からどんな説教を受けるだろう、一日で済むような説教ならいいが……。
「幽々子様、すいませんでした……」
幻聴じゃ……ない?
「妖……夢?」
「幽々子様……悪かったのは私です……許していただけませんか?」
妖夢の手にはチョコが握られている。
幽々子には知る由も無いが、永遠亭を抜け出した妖夢は紅魔館へ赴き、美味しいチョコの作り方を咲夜から学んでいた。
とびきりのチョコを手にして、幽々子に謝りに行くために。
「長い間白玉楼を離れて、本当にすいませんでした……」
チョコを両手で掴み、頭を下げて幽々子の前に突き出す。
幽々子はよろよろと立ち上がり、そのチョコを受け取った。
「幽々子様……こんな私の事、許して……」
「妖夢……」
慌て気味に、乱暴に包みをはがしてチョコにかぶりつく。
その甘さが凍り付いていた幽々子の心を温かく溶かしていった。
「まっ……まろいわ、妖夢……最高のバレンタインチョコよぉぉ!!」
「幽々子様っ!!」
ひしと抱き合う二人……もう言葉など必要なかった。
今後妖夢は今まで以上の忠誠を幽々子に誓うことだろう。幽々子も優しい主になることだろう。
鬱陶しい悪魔達も、もう近寄ってくることはあるまい。
「ほら、香霖。こいつを飲めば元に戻るぜ、おつかれさん」
あの騒動以降もチョコを買い損ねた客はいくらか戻ってきたのだが、全部売り切るのは不可能だった。
紅魔館への分け前もあり、そこそこの儲けはあったものの「リッチマン」と呼ぶには不足だろう。
霖之助は魔理沙から受け取った薬を懐にしまい込み、チョコの在庫を確認していた。
「うーん、三百弱余ってしまったね……黒字にはなったようだし、文句はないけど」
「なんだよ、嫌がってた割にがっつかないな。それを飲めば男に戻れるんだぜ?」
「まだやることがあるんだ」
霖之助は立ち上がり、襟元を正した。
その下にはふくよかな胸のふくらみがある、魔理沙はそれを見て羨ましく思った。
「乙女心の修了式だよ。行こうか、魔理沙」
「行くって……どこに?」
「無縁塚さ」
売れ残ったチョコの半分を魔理沙に渡し、霖之助は店の入り口に「休憩中」の札を立てた。
後ろで魔理沙が何やら騒いでいるが、この仕事は乙女心と男心、両方を理解した霖之助にしか不可能だ。
よくわからないまま、魔理沙は霖之助の後をついていった。
無縁塚。
外界からの迷い人の死体やら冥界の落し物やら、様々なものがある結界の交点。
霖之助はよくここへ来て、外界の珍しい道具を拾いに……もとい、無縁仏を弔いに来る。
「陰気臭いなー。で、何するんだ? ゴミ拾いか? 墓荒らしか?」
「失礼だな、墓参りだよ」
名もない小さな墓標に、売れ残ったチョコを供え、手を合わせる。
なるほど、と魔理沙は頷いた。
「僕にはよくわからないが、外界ではこのイベントで一喜一憂する男達が随分多いらしい」
「確かにな、それは身をもって思い知ったぜ」
そう言って魔理沙も手を合わせる。
「にしても、随分と優しいじゃないか香霖」
「またあんなことがあっても困るしね。乙女のうちにやっておこうと思っただけさ」
霖之助は手際よくチョコを配布し、手を合わせる。
だから薬を飲まなかったのか……結構頭使っているんだなー、と魔理沙は少し感心した。
「少しわかったよ、乙女心」
「ほう?」
「だが男心もあるんでね」
「ならどう思う?」
「皆が楽しめれば良いんじゃないか? 騒がしいのは勘弁願いたいが」
「前者は真理だぜ、後者には同意できないが」
多少の争いはあったものの、全て丸く収まっただろう。
アリスのチョコは美味しくいただいた、男に戻る薬も受け取った。永琳もチョコを奪還して永遠亭へ。
霖之助は知らないが幽々子の元に妖夢が帰った。そして今こうしてあの幽霊達も弔ってやった。
あの妖怪少女のチョコも……焼きチョコにはなってしまったものの、ちゃんと返すことができた。
(あんな子にチョコをもらえる男というのは、幸せ者なんだろうね)
クスッと笑い、薬を口に含む。
まったく、酷い騒動だった……だが、来年も少しだけチョコを仕入れるのも悪くはないかもな。
そんなことを考えながら、霖之助は少しずつ元の姿へと戻っていった。
カランカラン
「いらっしゃいませ……おや?」
背が低いので一瞬魔理沙かと思ったが違う、あのときの妖怪少女だ。
「想いは伝えられましたか?」
からかうように言って、手にしていた本を傍らに置く。
ところが不思議だ、少女の手にはこげた包み……あのチョコの包みが握られている。
「これ、店主さんに……」
「え……いいのかい?」
「……はい」
はぁ、やはり乙女心は難しいな。
眼鏡のズレを直しながら、目を閉じた。
「ありがとうございます」
「うんっ!」
だが、少しは乙女の扱いにも慣れたかな。
少女は嬉しそうに笑って、店の外へと走って行った。
(幸せ者、か……)
こげた包みをはがし、トリュフチョコを口の中に放る。
チョコの味は甘くてわかりやすいが、乙女心はそんなに単純なものではないらしい。
ただ、やたらに甘いのだけは共通しているかな、と思いつつ、霖之助は再び本を手に取った。
霖之助は知らないが、その後冥界で「霖子ちゃんファンクラブ」という怪しいものができたらしい。
あの日チョコを配って回っていた姿はしっかりと見られていたわけだ。
「元が男でも、良いじゃないか!」
「むしろ元が男だから良いじゃないか!」
「男のままでも良いじゃないか!」
という鉄の三原則を掲げ、女子同士のチョコ交換よりも不毛な想いを燃やし続けているらしい。
霖之助派と霖子派に分かれて抗争も勃発したと言う。
男の、男による、男のための醜い争い。霖之助の優しさは男が男を取り合うという混沌を生んだ。
バレンタインの闇は大きく屈折してしまったのだろう。
男の恋心も侮れないものである。
勇者達に私が混ざっているのは気のせいですかアッー!
石投げてやる!えいえい あ!間違ってあたいのまごころ送っちゃった。
ま、まちがって投げちゃったんだからね。他意はないんだから!
か、かっこいい・・かっこいいけど間違ってるよゆゆ様!
VENIさんの話なのに妖夢が最後家出していな(斬
しかしドサクサでルナサが良い仕事してますなw
しかし邪念が憑いたゆゆ様が外道だww
つ 三【岩】
・妖夢はは
まったりとした気分に浸れました。
確実に方向性間違ってるけど!
あれ?目から汗が・・・。
同志よ!!(涙
つ ≡【石塊】
つ ≡【真っ赤に焼けた石】
つ ≡【チョコ】
つ≡【ブディストダイアモンド】
あとゆゆ様「まろい」てwww
この日”だけ”は多忙だろうよ...。
しっかりと心を見ていないと・・・・・ね。
っ 三【石】
男のままでも良いじゃないか!
こーりんにげてー
っ 三【医師】
すばらしい・・・
世の中には[クリスマス]という習慣もあってだな・・・