幻想郷。
全ての幻想が行きつく世界。
その世界を見渡せる高台の上に一人の少女が座っていた。
しかし、その表現には多少の間違いがあるかもしれない。
何故ならばその少女は高台に座っているのでは無く、宙に座っているのだ。
艶のある光を反射する金の髪の下の柔らかい目付きと其の中にある茶に近い黒の瞳。
その身には、フリルの付いたドレスの様な、しかしどことなく中国をイメージさせる服装を着込み、
頭に乗せたモブキャップに付いたリボンが楽しそうに風に揺られている。
彼女が腰掛けているのは空間の隙間と表現出来るものだった。
裂けた様にそこだけ空間が消え、ただ混沌とした色の空間へと繋がっている。
申し訳程度に隙間の両端がリボンで結ばれているが、それも隙間の不気味さの前では意味がない。
「……藍」
「はっ」
少女の声と共に裂け目の中からひょっこりと顔を出すのは、
耳でも付いているかの様に二股に分かれた帽子を被った金のセミロングを持った女性だ。
彼女は導師服に身を包んだ体を裂け目から飛び出させる。
すると、彼女の尻から伸びる九本の狐の尻尾が見えた。彼女が人外である証だ。
凛として隣に立つ彼女を横目で見ながら少女は溜息を一つ。
「……暇ねぇ」
溜息と共に放たれた言葉に九尾の女性――藍は苦笑すると、
「霊夢達も無事に転生出来てから数年。まぁ、平和ですね」
最初の凛とした姿もどこへやら、優しい、娘と話す母親のような口調へと変貌する。
彼女は遠く、幻想郷の果てを見ると懐かしむように目を細めた。
「これからも幻想郷は変わりませんよ」
「私達が守っていくからかしら?」
「断言出来ますね。主な労力は私に来るんでしょうが、この怠惰隙間」
「藍が毒舌になった……ッ!」
キッパリと告げる藍に対して少女は空中で器用に倒れると大げさに泣き始める。
勿論嘘泣きだが。
それが解っているのか藍は毛並みの良い尻尾を揺らしながら空を振り返り、
「よいしょ」
「よよよ……って?」
隙間へと体を突っ込んだ。
そして体を旋回させると、再び顔だけをひょっこりと出し、
「橙がお腹をすかせているので先に帰ろうと思うのですが」
「待って!?私を見捨てるの!?一応主なのよ!?」
料理は取っておきますので、という言葉を最後に藍は裂け目の中へと姿を消した。
暫し沈黙に包まれる空。
強い風が一度吹いて少女の服を揺らす。
同時にパパラッチ天狗が飛び去っていくのが見えたので撃ち落しておいた。
「ユニバァァァァァァス!?」
悲鳴が聞こえたが、少女は無視。
「霊夢の転生先でも見に行こうかしら……」
どうやら閻魔様の話によると外の世界に転生させたらしいが、
「まぁ、私には関係ないわよねぇ」
少女の能力の前にはあらゆる事が無意味となる。
それは生まれ変わったとしても、世界を隔てる壁があろうと同じ事だ。
少女は不敵に笑うと同時に空間を薙ぐようにして手を振る。
「―――」
すると空間が罅割れるようにして裂け――、
「―――!」
割れた。
それを満足そうに見て少女は頷くと、
「美少女紫、いっきまーっす」
空間の裂け目へと体を放り込んだ。
○
「美少女は無いでしょう……歳的に考えて」
「藍様どうかしたんですか?」
「いやいや、橙なんでもないよ。さ、冷めないうちにお食べ」
「はーい」
「ふぅ……へぼっ!?」
「もふもふもふ……美味しいよ藍様、って藍様がなんか潰れてるー!?」
天誅と書かれた紙がヒラリと舞い降りた。
○
「ほうほう……これが霊夢の転生先の子……で、両親は?」
人気の無い路地裏。
その様な場所に籠に入った金髪の赤ん坊が一人置き去りにされている。
どう見ても、捨て子だ――それ以外には考えられまい。
「……えーっと、うん。そういう事もあるわよね。あー……ご愁傷様?」
「あ」
赤ん坊が少女の声に反応するかの様に片手を上げる。
……うわ、メッチャ可愛いわぁ。
なんというか、母性本能がくすぐられる動作だ。
……赤ん坊の無邪気さに満ちた心は荒んだ私の心すら癒してくれる。
どこからか別に荒んでもいないでしょうに、という声が聞こえたので、
先程と同じ様に特大ハンマーを空間の裂け目――隙間に放り込んでおいた。
やはり式の教育がまだまだ足りないらしい。帰ったら色々教育してあげよう。
「いい……わよね」
周囲を二、三度見回して誰も人が居ない事を確認。
もう一度赤ん坊を見る。
「よしよし、怖くないわよ~」
「あう」
籠の中から赤ちゃんを取り出して両手で抱きかかえる。
すると、赤ん坊は表情を笑みへと変え、
「マァマ」
「――ッ!」
慌てて鼻を片手で押さえて赤ん坊から逸らす。
いかん、危うく赤ん坊を鮮血に染めるところだった。
取り敢えず隙間を開いて、抑えきれず流れ出た血を処理。
ちなみに行き先は反抗期な狐のところだ。
『おばばばばば』
『藍様ぁー!』
良い悲鳴が聞こえた。
ふと衝動を抑えてから赤ん坊へと向き直ると、キョトンとした表情でコチラを見ていた。
それを見て、可愛いと思うと同時、少女は表情を緩めると頭を撫でてやる。
赤ん坊は気持ち良さそうに目を細めると、また小さく声を一つ。
「んぅ」
危うく二度目の失敗を犯すところだった。
無理矢理こみ上げてきた熱いリビドーを抑え込むと、隙間を開く。
「今日から私が貴方のお母さんですからね~」
甘くなりきった声が隙間の中へと消えていく。
跡には路地裏には風が吹くのみだ。
一人の赤ん坊が消えようとも、世界は変わらず回っていた。
○
「……おかえりなさいませ、紫様」
「あら、藍。大丈夫?」
何事もなかったかの様に首を傾げる少女――紫に対して藍は半目になった後、
「って、なんですか、紫様。其の子どもは」
「何って……私の娘」
飛び切りの笑顔だった。
まずい、この主は長い間生き過ぎて遂に痴呆症になってしまったのかもしれない。
となると病院にいかせるのが先だろうか、それとも永琳に頼んで薬を調合してもらうべきか。
「可愛いでしょぉ、昔の藍みたいよ」
「む」
そう言われるとなんだか嬉しい。
確かに赤ん坊は可愛いし、何しろ小さい時の橙はそれはもう可愛かった。
今でも可愛いけど。
それはそうと、一応確認はとっておかなければならない。
主の決めた事とあれば仕方が無いが。
「……正気ですか、紫様」
「正気も正気……私はこの子を育てるわよ?」
「その子どもは霊夢の転生体。まさか情に流されたわけではありませんよね?」
険しい顔で己の主である紫を睨みつける。
一度は死んだ筈の者の生まれ変わりを拾ってきて、挙句人間を妖怪が育てるなどと言語道断。
それくらいは紫もわかっている筈なのだが。
「はい」
「へ?」
問一、主は一体何をしている?
答一、赤ん坊をこちらへと差し出している。
そして、差し出された赤ん坊は何かを求めるかのようにコチラへと両手を挙げると、
「だぁ」
思わず藍は鼻を両手で抑える。
勿論込み上げる熱き衝動を抑えるためだ。これは強力過ぎる。
……まずい、HANADIが!橙!私に力を分けてくれぇっ!
橙の裸身が脳裏に浮かんだ。
藍の我慢の限界は其処までだった。
次の瞬間には既に親指を立てて、そのまま自らが生み出した血の海に倒れこむ。
○
「橙、貴方の妹よ」
「だぁ」
……くぅっ!藍様、私に力を――ッ!
藍の裸身が脳裏に浮かんだ。
橙の理性の限界は其処までだった。
「紫様!私にも抱かせてくださいー!」
-○-
時は近未来。
しかし、近未来と言っても既にその時代なのだから現在と言っても良いだろう。
というわけで現在。
暖かな色を基調とした部屋の中心に置かれた昔ながらのデザインを持った炬燵。
その炬燵を囲むようにして三つの人影があった。
一人は金の長髪の女性。
名の通り紫を基調としたフリルの大量に付いた服を着込んだ紫だ。
彼女は片手に茶碗、片手に箸を持ちながら、
「とか、貴方が来た時は大騒ぎだったのよ、メリー?」
声の向かう先は同じく金の長髪を持った十代後半程に見える少女だ。
Yシャツにロングスカートといった服装のメリーは半目で紫を見つつ、
「お母さんまで蓮子の付けたあだ名で呼ばないでよ。あ、橙お姉ちゃん、醤油取って」
言いたい事を言うともう一人の人影へと声をかける。
「はい、どーぞ」
橙と呼ばれた黒い短髪の少女は手元にあった醤油を差し出してきた。
いつも思うのだが、あの動物の耳みたいな髪型はどうやってセットしているのだろうか。
等と思いつつ、メリーは差し出された醤油を受け取り、笑顔を浮かべ、
「ありがと」
「ん、どういたしまして」
「ああん!お母さんを無視しないでぇっ!」
「やかまし」
よよよ、と泣き崩れる紫を尻目にメリーは紫の後ろにあるキッチンへの入り口へと視線を向けた。
そこでは金のセミロングとその持ち主の身を包む割烹着が揺れており、
「ん?どうした、マエリベリー?」
「いや、お母さんも藍お姉ちゃんみたいに落ち着いてくれたらなぁ、と思って」
「無理だろう」
「即答!?」
笑顔で断言する藍が眩しかった。
流石私の姉だ。いつかは追いつかねばなるまい。
橙はというと先程から白米を掻き込むのに余念が無い。
何時もは騒がしいのに食事時となると無口になるのが橙の特徴だ。
それは良い事なのだろうが、その分凄まじい速度でご飯が減っていくので堪ったものではない。
「あ、橙お姉ちゃん、それは私の」
「ん、ごめん」
注意すると、橙は箸を引き次の獲物へと狙いをつける。
それは――、
「って、橙それは私のよ!?」
「紫様のか。ならいいや」
「ひどー!?」
迷わず掴んで口に運んだ。
この家では、通常時は最底辺に位置する紫を気の毒に思いつつも、メリーも一つ拝借する。
「うん、美味しい。流石藍お姉ちゃんの料理は最高ね」
「そう言ってもらえると料理のしがいがあるというものだ。あ、橙。もう少しゆっくり食べなさい」
「ん、わかった藍様」
藍様、等と仰々しい名前で呼んでいるがその実態は仲の言い姉妹そのものだ。
よよよ、と何時の間にかマジ泣きにシフトしている紫を無視しつつ家族の団欒は進む。
ゆったりとした時間の中、どこからか聞こえてくる鳥の鳴き声が心地良かった。
○
昔ながらの風格を残した玄関でメリーは靴箱から靴を取り出していた。
「それじゃあ、今日もサークル活動してくるから遅くなるわ」
靴を玄関へと落とし、その上に足を乗せる。
そのまま足を靴へと入れて穿き、体を半回転させて振り返る。
視線の先にいるのは紫だ。
相変わらず良い歳してそのフリルの量はどうなのだろうと思うが、妙に似合っているのが何か悔しい。
紫は笑顔で、
「あら、それじゃあ、夜ご飯は?」
紫の疑問も当然だろう。
メリーは靴の先端を床に何度かぶつけて穿き具合を調整。
「ん、たぶんそれまでには帰ってこれると思うから宜しく」
もう一度半回転して玄関へと振り向く。
そして玄関へと手をかけ、
「それじゃ、いってきます」
「いってらっしゃい。気を付けてね、マエリベリー」
「ん」
そのまま外へと向けて走り出した。
○
メリーが見えなくなるまで手を振り続けていた紫。
その背に唐突に現れる異形の影――九尾を生やした藍だ。
「行きましたか」
「えぇ、御疲れ様、藍。それじゃ、マヨイガの空間を幻想郷に繋げ直すわ。手伝って頂戴」
「……わざわざマエリベリーのためだけに毎朝これですか。いっそ教えてあげれば良いのでは?」
「駄目よ。マエリベリーなら受け入れるでしょうけど……あの子の友人がねぇ」
溜息をつく紫を見て藍も同じ様に溜息を一つ。
「宇佐見蓮子……十六夜の血筋ですか……確かにあの子が知ったら何をしでかすかわかりませんね」
「そういう事。それじゃあ、幻想郷に繋ぐわよーって、橙は?」
「橙なら隙間を通って一足先に行きました。今日は里で妖怪についての講習をするとか」
腰に手を当てて尻尾を揺らす藍の姿は本当に誇らしそうだ。
やはり自分の式が立派になった姿を見るのは嬉しいのだろう、と紫は思う。
「まぁ、ともあれ――」
と、家の入り口からの次元を歪めるために両手をかざし――、
「おっじゃまっしまーっす!メリーいますか……って」
玄関から響いてきた声に紫と藍は硬直した。
そこにいるのは黒い帽子を被ったYシャツに黒いロングスカートというメリーと似た服装の少女だ。
少女――宇佐見蓮子は驚いた顔で両手を広げる紫を見てから、藍を見て、
「九尾……」
ビクゥッと藍の尻尾が総毛立った。
そして、暫くの沈黙。
両手を上げたままの体勢で硬直する紫の背に刺さる蓮子の視線が痛かった。
「べ、ベントラー!ベントラー!」
苦し紛れに謎の呪文を叫んで見るがなんの解決にもならない。
「なるほど」
蓮子が神妙に頷くのが空気から解った。
長年生きているとこういう事も解ってくるようになるのだ。
「つまり理論的に述べると藍さんはコスプレイヤーであり、紫さんはコスプレ大好きッ子――ッ!」
違ーう!と叫びそうになった藍を足を払って床に叩きつけて黙らせると紫は笑顔で蓮子を見て、
「そ、そーなのよ。そういう事なのよ!」
拳を握りつつ、蓮子に合わせるようにして叫ぶ。
「大丈夫です、紫さん!私と貴方はメリー大好き同盟……決してメリーにコスプレ趣味なんて――」
「そうよね!私達は同志だものね!?」
「そう!かくいう私も何度メリーにコスプレさせようとして失敗した事か……」
「貴方もなの?私も何度もさせようとしたんだけど……あの子妙に勘がするど――」
熱を持った紫の言葉が途中で停止する。
その原因は簡単だ。
顔を上げた先、開いた玄関の外には――、
「私がどうかした?蓮子、お母さん?」
悪魔と化した娘が居た。
○
『星を見ると現在の時刻が分かり、月を見ると現在地が分かる程度の能力』
宇佐見蓮子が持つ特殊能力である。
だが、こんな状況では一つも役に立ってはくれやしない。
その能力を持っているというだけでも人間離れしていると言っても過言ではないのだが――、
人間、どうやっても勝てぬ存在というものはあるものだ。
「……」
振り向いてはいけない、と本能が告げる。
目の前で熱く語り合っていた同志も既に涙目になって恐怖に慄いていた。
恐らく振り向けば最初に命を落とすのは自分だろう。
藍はと言えば、何時の間にか姿を消していた。薄情者め。
「メリー……大切なのは寛大なここ――」
「遺言はそれだけで良いかしら?」
ギャー。
全ての幻想が行きつく世界。
その世界を見渡せる高台の上に一人の少女が座っていた。
しかし、その表現には多少の間違いがあるかもしれない。
何故ならばその少女は高台に座っているのでは無く、宙に座っているのだ。
艶のある光を反射する金の髪の下の柔らかい目付きと其の中にある茶に近い黒の瞳。
その身には、フリルの付いたドレスの様な、しかしどことなく中国をイメージさせる服装を着込み、
頭に乗せたモブキャップに付いたリボンが楽しそうに風に揺られている。
彼女が腰掛けているのは空間の隙間と表現出来るものだった。
裂けた様にそこだけ空間が消え、ただ混沌とした色の空間へと繋がっている。
申し訳程度に隙間の両端がリボンで結ばれているが、それも隙間の不気味さの前では意味がない。
「……藍」
「はっ」
少女の声と共に裂け目の中からひょっこりと顔を出すのは、
耳でも付いているかの様に二股に分かれた帽子を被った金のセミロングを持った女性だ。
彼女は導師服に身を包んだ体を裂け目から飛び出させる。
すると、彼女の尻から伸びる九本の狐の尻尾が見えた。彼女が人外である証だ。
凛として隣に立つ彼女を横目で見ながら少女は溜息を一つ。
「……暇ねぇ」
溜息と共に放たれた言葉に九尾の女性――藍は苦笑すると、
「霊夢達も無事に転生出来てから数年。まぁ、平和ですね」
最初の凛とした姿もどこへやら、優しい、娘と話す母親のような口調へと変貌する。
彼女は遠く、幻想郷の果てを見ると懐かしむように目を細めた。
「これからも幻想郷は変わりませんよ」
「私達が守っていくからかしら?」
「断言出来ますね。主な労力は私に来るんでしょうが、この怠惰隙間」
「藍が毒舌になった……ッ!」
キッパリと告げる藍に対して少女は空中で器用に倒れると大げさに泣き始める。
勿論嘘泣きだが。
それが解っているのか藍は毛並みの良い尻尾を揺らしながら空を振り返り、
「よいしょ」
「よよよ……って?」
隙間へと体を突っ込んだ。
そして体を旋回させると、再び顔だけをひょっこりと出し、
「橙がお腹をすかせているので先に帰ろうと思うのですが」
「待って!?私を見捨てるの!?一応主なのよ!?」
料理は取っておきますので、という言葉を最後に藍は裂け目の中へと姿を消した。
暫し沈黙に包まれる空。
強い風が一度吹いて少女の服を揺らす。
同時にパパラッチ天狗が飛び去っていくのが見えたので撃ち落しておいた。
「ユニバァァァァァァス!?」
悲鳴が聞こえたが、少女は無視。
「霊夢の転生先でも見に行こうかしら……」
どうやら閻魔様の話によると外の世界に転生させたらしいが、
「まぁ、私には関係ないわよねぇ」
少女の能力の前にはあらゆる事が無意味となる。
それは生まれ変わったとしても、世界を隔てる壁があろうと同じ事だ。
少女は不敵に笑うと同時に空間を薙ぐようにして手を振る。
「―――」
すると空間が罅割れるようにして裂け――、
「―――!」
割れた。
それを満足そうに見て少女は頷くと、
「美少女紫、いっきまーっす」
空間の裂け目へと体を放り込んだ。
○
「美少女は無いでしょう……歳的に考えて」
「藍様どうかしたんですか?」
「いやいや、橙なんでもないよ。さ、冷めないうちにお食べ」
「はーい」
「ふぅ……へぼっ!?」
「もふもふもふ……美味しいよ藍様、って藍様がなんか潰れてるー!?」
天誅と書かれた紙がヒラリと舞い降りた。
○
「ほうほう……これが霊夢の転生先の子……で、両親は?」
人気の無い路地裏。
その様な場所に籠に入った金髪の赤ん坊が一人置き去りにされている。
どう見ても、捨て子だ――それ以外には考えられまい。
「……えーっと、うん。そういう事もあるわよね。あー……ご愁傷様?」
「あ」
赤ん坊が少女の声に反応するかの様に片手を上げる。
……うわ、メッチャ可愛いわぁ。
なんというか、母性本能がくすぐられる動作だ。
……赤ん坊の無邪気さに満ちた心は荒んだ私の心すら癒してくれる。
どこからか別に荒んでもいないでしょうに、という声が聞こえたので、
先程と同じ様に特大ハンマーを空間の裂け目――隙間に放り込んでおいた。
やはり式の教育がまだまだ足りないらしい。帰ったら色々教育してあげよう。
「いい……わよね」
周囲を二、三度見回して誰も人が居ない事を確認。
もう一度赤ん坊を見る。
「よしよし、怖くないわよ~」
「あう」
籠の中から赤ちゃんを取り出して両手で抱きかかえる。
すると、赤ん坊は表情を笑みへと変え、
「マァマ」
「――ッ!」
慌てて鼻を片手で押さえて赤ん坊から逸らす。
いかん、危うく赤ん坊を鮮血に染めるところだった。
取り敢えず隙間を開いて、抑えきれず流れ出た血を処理。
ちなみに行き先は反抗期な狐のところだ。
『おばばばばば』
『藍様ぁー!』
良い悲鳴が聞こえた。
ふと衝動を抑えてから赤ん坊へと向き直ると、キョトンとした表情でコチラを見ていた。
それを見て、可愛いと思うと同時、少女は表情を緩めると頭を撫でてやる。
赤ん坊は気持ち良さそうに目を細めると、また小さく声を一つ。
「んぅ」
危うく二度目の失敗を犯すところだった。
無理矢理こみ上げてきた熱いリビドーを抑え込むと、隙間を開く。
「今日から私が貴方のお母さんですからね~」
甘くなりきった声が隙間の中へと消えていく。
跡には路地裏には風が吹くのみだ。
一人の赤ん坊が消えようとも、世界は変わらず回っていた。
○
「……おかえりなさいませ、紫様」
「あら、藍。大丈夫?」
何事もなかったかの様に首を傾げる少女――紫に対して藍は半目になった後、
「って、なんですか、紫様。其の子どもは」
「何って……私の娘」
飛び切りの笑顔だった。
まずい、この主は長い間生き過ぎて遂に痴呆症になってしまったのかもしれない。
となると病院にいかせるのが先だろうか、それとも永琳に頼んで薬を調合してもらうべきか。
「可愛いでしょぉ、昔の藍みたいよ」
「む」
そう言われるとなんだか嬉しい。
確かに赤ん坊は可愛いし、何しろ小さい時の橙はそれはもう可愛かった。
今でも可愛いけど。
それはそうと、一応確認はとっておかなければならない。
主の決めた事とあれば仕方が無いが。
「……正気ですか、紫様」
「正気も正気……私はこの子を育てるわよ?」
「その子どもは霊夢の転生体。まさか情に流されたわけではありませんよね?」
険しい顔で己の主である紫を睨みつける。
一度は死んだ筈の者の生まれ変わりを拾ってきて、挙句人間を妖怪が育てるなどと言語道断。
それくらいは紫もわかっている筈なのだが。
「はい」
「へ?」
問一、主は一体何をしている?
答一、赤ん坊をこちらへと差し出している。
そして、差し出された赤ん坊は何かを求めるかのようにコチラへと両手を挙げると、
「だぁ」
思わず藍は鼻を両手で抑える。
勿論込み上げる熱き衝動を抑えるためだ。これは強力過ぎる。
……まずい、HANADIが!橙!私に力を分けてくれぇっ!
橙の裸身が脳裏に浮かんだ。
藍の我慢の限界は其処までだった。
次の瞬間には既に親指を立てて、そのまま自らが生み出した血の海に倒れこむ。
○
「橙、貴方の妹よ」
「だぁ」
……くぅっ!藍様、私に力を――ッ!
藍の裸身が脳裏に浮かんだ。
橙の理性の限界は其処までだった。
「紫様!私にも抱かせてくださいー!」
-○-
時は近未来。
しかし、近未来と言っても既にその時代なのだから現在と言っても良いだろう。
というわけで現在。
暖かな色を基調とした部屋の中心に置かれた昔ながらのデザインを持った炬燵。
その炬燵を囲むようにして三つの人影があった。
一人は金の長髪の女性。
名の通り紫を基調としたフリルの大量に付いた服を着込んだ紫だ。
彼女は片手に茶碗、片手に箸を持ちながら、
「とか、貴方が来た時は大騒ぎだったのよ、メリー?」
声の向かう先は同じく金の長髪を持った十代後半程に見える少女だ。
Yシャツにロングスカートといった服装のメリーは半目で紫を見つつ、
「お母さんまで蓮子の付けたあだ名で呼ばないでよ。あ、橙お姉ちゃん、醤油取って」
言いたい事を言うともう一人の人影へと声をかける。
「はい、どーぞ」
橙と呼ばれた黒い短髪の少女は手元にあった醤油を差し出してきた。
いつも思うのだが、あの動物の耳みたいな髪型はどうやってセットしているのだろうか。
等と思いつつ、メリーは差し出された醤油を受け取り、笑顔を浮かべ、
「ありがと」
「ん、どういたしまして」
「ああん!お母さんを無視しないでぇっ!」
「やかまし」
よよよ、と泣き崩れる紫を尻目にメリーは紫の後ろにあるキッチンへの入り口へと視線を向けた。
そこでは金のセミロングとその持ち主の身を包む割烹着が揺れており、
「ん?どうした、マエリベリー?」
「いや、お母さんも藍お姉ちゃんみたいに落ち着いてくれたらなぁ、と思って」
「無理だろう」
「即答!?」
笑顔で断言する藍が眩しかった。
流石私の姉だ。いつかは追いつかねばなるまい。
橙はというと先程から白米を掻き込むのに余念が無い。
何時もは騒がしいのに食事時となると無口になるのが橙の特徴だ。
それは良い事なのだろうが、その分凄まじい速度でご飯が減っていくので堪ったものではない。
「あ、橙お姉ちゃん、それは私の」
「ん、ごめん」
注意すると、橙は箸を引き次の獲物へと狙いをつける。
それは――、
「って、橙それは私のよ!?」
「紫様のか。ならいいや」
「ひどー!?」
迷わず掴んで口に運んだ。
この家では、通常時は最底辺に位置する紫を気の毒に思いつつも、メリーも一つ拝借する。
「うん、美味しい。流石藍お姉ちゃんの料理は最高ね」
「そう言ってもらえると料理のしがいがあるというものだ。あ、橙。もう少しゆっくり食べなさい」
「ん、わかった藍様」
藍様、等と仰々しい名前で呼んでいるがその実態は仲の言い姉妹そのものだ。
よよよ、と何時の間にかマジ泣きにシフトしている紫を無視しつつ家族の団欒は進む。
ゆったりとした時間の中、どこからか聞こえてくる鳥の鳴き声が心地良かった。
○
昔ながらの風格を残した玄関でメリーは靴箱から靴を取り出していた。
「それじゃあ、今日もサークル活動してくるから遅くなるわ」
靴を玄関へと落とし、その上に足を乗せる。
そのまま足を靴へと入れて穿き、体を半回転させて振り返る。
視線の先にいるのは紫だ。
相変わらず良い歳してそのフリルの量はどうなのだろうと思うが、妙に似合っているのが何か悔しい。
紫は笑顔で、
「あら、それじゃあ、夜ご飯は?」
紫の疑問も当然だろう。
メリーは靴の先端を床に何度かぶつけて穿き具合を調整。
「ん、たぶんそれまでには帰ってこれると思うから宜しく」
もう一度半回転して玄関へと振り向く。
そして玄関へと手をかけ、
「それじゃ、いってきます」
「いってらっしゃい。気を付けてね、マエリベリー」
「ん」
そのまま外へと向けて走り出した。
○
メリーが見えなくなるまで手を振り続けていた紫。
その背に唐突に現れる異形の影――九尾を生やした藍だ。
「行きましたか」
「えぇ、御疲れ様、藍。それじゃ、マヨイガの空間を幻想郷に繋げ直すわ。手伝って頂戴」
「……わざわざマエリベリーのためだけに毎朝これですか。いっそ教えてあげれば良いのでは?」
「駄目よ。マエリベリーなら受け入れるでしょうけど……あの子の友人がねぇ」
溜息をつく紫を見て藍も同じ様に溜息を一つ。
「宇佐見蓮子……十六夜の血筋ですか……確かにあの子が知ったら何をしでかすかわかりませんね」
「そういう事。それじゃあ、幻想郷に繋ぐわよーって、橙は?」
「橙なら隙間を通って一足先に行きました。今日は里で妖怪についての講習をするとか」
腰に手を当てて尻尾を揺らす藍の姿は本当に誇らしそうだ。
やはり自分の式が立派になった姿を見るのは嬉しいのだろう、と紫は思う。
「まぁ、ともあれ――」
と、家の入り口からの次元を歪めるために両手をかざし――、
「おっじゃまっしまーっす!メリーいますか……って」
玄関から響いてきた声に紫と藍は硬直した。
そこにいるのは黒い帽子を被ったYシャツに黒いロングスカートというメリーと似た服装の少女だ。
少女――宇佐見蓮子は驚いた顔で両手を広げる紫を見てから、藍を見て、
「九尾……」
ビクゥッと藍の尻尾が総毛立った。
そして、暫くの沈黙。
両手を上げたままの体勢で硬直する紫の背に刺さる蓮子の視線が痛かった。
「べ、ベントラー!ベントラー!」
苦し紛れに謎の呪文を叫んで見るがなんの解決にもならない。
「なるほど」
蓮子が神妙に頷くのが空気から解った。
長年生きているとこういう事も解ってくるようになるのだ。
「つまり理論的に述べると藍さんはコスプレイヤーであり、紫さんはコスプレ大好きッ子――ッ!」
違ーう!と叫びそうになった藍を足を払って床に叩きつけて黙らせると紫は笑顔で蓮子を見て、
「そ、そーなのよ。そういう事なのよ!」
拳を握りつつ、蓮子に合わせるようにして叫ぶ。
「大丈夫です、紫さん!私と貴方はメリー大好き同盟……決してメリーにコスプレ趣味なんて――」
「そうよね!私達は同志だものね!?」
「そう!かくいう私も何度メリーにコスプレさせようとして失敗した事か……」
「貴方もなの?私も何度もさせようとしたんだけど……あの子妙に勘がするど――」
熱を持った紫の言葉が途中で停止する。
その原因は簡単だ。
顔を上げた先、開いた玄関の外には――、
「私がどうかした?蓮子、お母さん?」
悪魔と化した娘が居た。
○
『星を見ると現在の時刻が分かり、月を見ると現在地が分かる程度の能力』
宇佐見蓮子が持つ特殊能力である。
だが、こんな状況では一つも役に立ってはくれやしない。
その能力を持っているというだけでも人間離れしていると言っても過言ではないのだが――、
人間、どうやっても勝てぬ存在というものはあるものだ。
「……」
振り向いてはいけない、と本能が告げる。
目の前で熱く語り合っていた同志も既に涙目になって恐怖に慄いていた。
恐らく振り向けば最初に命を落とすのは自分だろう。
藍はと言えば、何時の間にか姿を消していた。薄情者め。
「メリー……大切なのは寛大なここ――」
「遺言はそれだけで良いかしら?」
ギャー。
このひえらるきーの頂点は藍さまですね。
其れはそうと藍さまにも「お母さん」と呼ばせ隊スキマ
っていうか八雲一家全員可愛い者に弱いのかよ
好きですよ。こーゆー話。
そして紫と蓮子に合掌。
あとがきの投げやりさ加減が素敵。
この設定なら、「結界を暴くのは均衡を崩す恐れがあるから禁止されている」というのも、紫からそう言われているって解釈できますもんね
面白い視点なのにギャグで書いてしまっている所がすばらしいww
とか読みながら、ラストのノリノリな木林に吹いたw
藍様は昔の経験を生かして、完全に擬態してるんだろうか、と思ったり。
>長い目で見れば人類皆兄弟だし、それでいいんじゃないかなぁという事で一つ。
不覚にも後書きで吹いた。
なにこの素敵な家族ww
橙が藍の裸を幻視して鼻血を拭いていることに。
やはり、カエルの子はカエルか。
昔の無邪気な頃の燈が懐かしいな。
こういうのもアリですね、面白いと思います
十六夜の血筋に紫たちの正体が知れたら不味いのが
どうしてなのがよく分からなかったのが心残りです
あと藍が尻尾隠せるっぽいのが私の考えと合っててちょっと嬉しいです
っつか蓮子もコスプレイヤーかよwww
この設定での続編希望したいな~・・・・
>橙が藍の裸を幻視して鼻血を拭いていることに。
橙は赤ん坊の可愛さに耐えられなくなっただけで、藍の様に鼻血噴出死はしてないと思いますよ。
と、言うか藍と橙の限界点突破が同じで噴きました(w
あと、どーまんてアレですか(w
本当なのかキバ○シ!?
あとがき吹いた
まあなんだ、その、萌えたので俺の負けでいいや
八雲家にはメリー加えてもいいと思うよ!
そして蓮子に妖怪一家だってばれないようヒヤヒヤしてると良いねw
しかし『通常時は』ということは……
色々と空想が膨らみます。