※同作品集『中の人は魔女』の外伝です。
大掃除日和の翌日は、工事日和だった。
お前、何でも日和って付ければ許されると思ってるだろう? という問いには、何を今更と返答しよう。
もっとも工事日和であろうとなかろうと、ここ紅魔館の現状に変わりはない。
昨晩発生した大破壊の影響は未だ色濃く残っており、メイド達は道具片手に汗水流して走り回り、
その横を大量の資材を積んだリアカーが門を駆け抜けて行くという、
もはや異国情緒の欠片も無い、何処に出しても恥ずかしくない工事現場的光景なのだ。
「ん、しょっ、と」
そんな中には、門番である紅美鈴の姿もあった。
素手での戦闘を得意とする彼女も、今はシャベルという伝説の得物使いだ。
こんな状況では門番の役目も何も無いという事で、工事人員として駆り出されたというのが理由だが、
むしろ本業の時よりも活き活きしているのではないか、ともっぱらの評判である。
そうした風評が彼女にとって本意なのかどうかは別として、だ。
「何をどうすれば、こんなに滅茶苦茶になるんだろ……」
呟きが示す通り、美鈴は昨晩の出来事について、殆どの情報を持っていなかった。
せいぜいが、当主とその妹が色々とやらかしたらしい。という程度である。
その証拠として、威厳を誇ることを生業としている筈のレミリアは、コテとハケのフル装備で左官屋仕事に励んでいたし、
片やのフランドールは、レーヴァティンをツルハシに持ち替え、破壊する程度の能力を珍しくも有用に使っている。
共に工事用ヘルメットまで着用しているのは、安全管理というよりは紫外線対策だろうか。
平和と言えば平和な光景だが、そうなるに至った理由までは、想像するには些か困難に過ぎよう。
「……ふぅー」
美鈴は、大きく深呼吸をすると、再びシャベル使いとして戦場へと復帰する。
考えたところで無駄ということに気付いたのだ。
「……ちょいと、美鈴」
「はい?」
丁度そこに、背後から声が飛んだ。
声質による判断をするまでもなく、人物の特定は出来る。
同僚や部下といった面々は、門番長だの隊長だのといった呼び方をするし、
上層部の面々は未だに某社会主義国家を名称として採用している。
早い話、紅魔館内において、本名であるこの呼び名を使う人物は、一人しかいなかったのだ。
「少し用事があるの、付いて来て。というか来て下さい。お願い」
「は、はあ、分かりました……」
その人物……咲夜の様子は、明らかに普段とは異なるものが感じられた。
言動にも姿勢にも、まったく余裕が感じられないのだ。
しかしながら、上司命令に逆らう訳にも行かないため、美鈴は大人しく咲夜の後へと続く。
ややあって、二人が辿りついたのは、中庭の一角であった。
昨晩の大破壊の影響が及ばなかったのか、紅魔館らしい雰囲気が保たれており、人影も皆無である。
「あの、用事って何ですか?」
「……」
美鈴の問いに、咲夜からの返答はない。
無視されたというよりは、何か物思いに浸っているかの様子である。
何かしらの叱責をするならば、もう少し分かり易い態度を取るであろうし、
愛の告白とするには、少々表情が厳めし過ぎる。
故に美鈴は、困惑しながらも咲夜の言葉を待つ以外の行動を取れずにいた。
「いえ、ね。大した物ではないんだけど……おまじないに付き合って欲しいのよ」
「おまじない……?」
「え、ええ。協力者が必要な、ちょっと特殊なおまじないなの」
ようやく返って来た言葉は、あからさまに怪しいものだった。
美鈴の知る咲夜は、徹底したリアリスト……とまでは言わないまでも、
少なくともおまじないに興味を示すような人物では無かったからだ。
「はあ、別に私は構いませんが」
が、それでも美鈴は頷いていた。
何の事は無い。疑念よりも、興味のほうが上回ったのだ。
「そ、そう、ありがと。
……なら早速始めましょう。まず、私の横に少し離れて立って頂戴」
「こう、ですか?」
言われるがままに咲夜の右隣へと並ぶ。
向かい合うのではなく、お互いに同じ方向を見るように。
「そうよ。で、足を肩幅くらいに開くの。その際、手は水平かつ横向きに外に向けて。
あ、これから最後まで、顔の向きは正面を維持しなさい」
「は、はあ」
次第に復活して行く疑念を押さえ込み、美鈴は指示通りの体勢を取る。
鏡が無いので詳細は不明だが、恐らくは応援団のようなポーズとなっているだろう。
今応援できることといえば、自分自身に対してくらいだ。
「で、そのまま蟹歩きで私との距離を詰めるのよ。
その際、手は貴方から見て、時計回りに少しずつ旋回させるように」
「……」
横を向けないのが恨めしかった。
今、咲夜が同じポーズで動いている事を想像すると、それだけでご飯三杯は堅いのだが、
そこは何とか鍛え抜かれた精神力で抑えこむ。
見たらその瞬間に殺られると直感していたのだ。
「そう、そうよ……手の届く距離まで詰めたところで丁度、開始地点と対称の姿勢になるようにね」
「……はい」
「ここからが重要よ。勢い良く外側の膝を振り上げつつ、両手を外へと向ける」
「……」
「違う! ここは旋回じゃないの! 水平に振り抜きなさい!」
「は、はいっ」
咲夜の声が余りにも真剣な為か、自然と美鈴の動きにも力が入る。
どんな目的であろうとも構わない。これは神聖なる儀式なのだ。
……と無理やり心に言い聞かせて。
「この体勢で一瞬だけ静止したら、振り上げた足を下ろしつつ、手は再び旋回。
素早く、なおかつ私と完全に同期させるのよ」
「はいっ」
「そして、足が地面に着くと同時に、互いの人差し指の先端を合わせる。……以上よ」
「……成る程。大体分かりました」
「宜しい。なら、本番よ」
「はい」
元々、型稽古といったものは得意としている美鈴に、
このおまじない……とやらの動作は、至極簡単に飲み込めた。
問題は、それの意味するところにあるのだが、今の咲夜はそうした質問を許すような雰囲気ではない。
故に美鈴は考える事を止め、ただ動きを咲夜とシンクロさせる事に勤める。
「「はっ!!」」
果たして美鈴は、完璧に動作を終えた。
が、それだけだった。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
空の彼方から、ミスティアの鳴き声が聞こえた気がする。
先程までの高揚感はとうに消え失せ、漂うのは表現し難い気まずさのみ。
互いに人差し指を合わせたままという姿勢が、更に場の空気を悪化させていた。
「あ、あの、咲夜さん。これ、何のおまじないなんですか?」
それは使命感か、もしくは気まずさに耐え切れなかったのか、美鈴は自ら口を開く。
無論、咲夜の顔は見ずに、だ。
「……う、動いても良いわよ」
「はぁ……」
「ご、ご苦労様、美鈴。もう仕事に戻って良いわ。むしろ戻りなさい」
咲夜の口調からは、明らかな動揺の様子が伺える。
しかしながら、そこに突っ込んで良いのかどうかは別問題である。
好奇心の赴くままに追求すべきか、咲夜の意思を尊重して終わりとすべきか。
究極の選択とも言える状況に、美鈴は深く考え込む。
だが、その結論は、思いのほかあっさりと出た。
「……あ」
既に咲夜の姿は無かったのだ。
「ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」
それから数秒後。
自室に駆け込んだ咲夜は、ベッドに伏せては、懊悩、呻吟、慟哭と後悔の限りを尽くしていた。
なお、数秒という点に関しては、美鈴と別れた直後に時間を止めたからなので、さしたる問題はない。
むしろ問題なのは、何故こうまでも咲夜が苦しみ喘いでいるのかだろう。
直接的な原因は、美鈴とのおまじない……要するに合体術が失敗したことなのだが、
単純にそこだけには留まらない深い事情が、彼女にはあったのだ。
「あんなに……あんなに恥ずかしい思いまでしてやったのにっ……!」
確かに先程の動作は、いい年こいた……おほん。妙齢の婦女子が行うには、いささか羞恥心を煽り過ぎるものがあった。
が、咲夜が苦悩する本当の理由は、そんな表面的なものではない。
この合体術における条件は三つ、体格の一致、力量の同期、そして相性の有無である。
そして、第一条件である体格というのが、身長を指していることも、ほぼ確実であった。
これこそが、咲夜を合体へと走らせた、唯一かつ最大の理由なのだ。
「ああ神よっ! そんなにも私を巨乳から遠ざけたいのですか!?」
ついには自ら口にしていた。
こうなった以上、もう有体に言ってしまおう。
咲夜は合体術を使う事によって、巨乳を体験したかったのだ。
完全で瀟洒なメイドという自他共に認める二つ名を持つ咲夜であったが、
そんな彼女とて、年頃の少女……と呼ぶには少々苦しいかもしれないが、それに近いものである事に変わりは無い。
当然、一つや二つの悩みくらいは抱えている。
その最たるものこそが、己のバストサイズへの不満なのである。
無論、これまでも幾度となく、別段気にするような貧弱なものではない。との慰めにも似た激励は受けてきたが、
それは持たざる者の苦悩を理解せぬ驕りに過ぎない。というのが咲夜の結論である。
が、その反面、本当に巨乳とは素晴らしいものなのだろうか。という哲学的とも言える疑問も生まれていた。
そんな理由から、実際に確かめてみたいという思いがあったのだが、そこに飛び込んできたのがこの合体術である。
あろうことか、霊紫やマリスの例を見る限りでは、バストサイズは大きい方が基準になっていたのだ。
咲夜が強硬手段に出たのも止むを得まい。
「ふふっ……それが失敗してしまったんじゃ、笑い話にもならないわね……」
こうした目的のある咲夜にとって、合体術の条件は実に厳しいものがあった。
三つの条件を合わせるだけでも至難の業なのに、それに巨乳という前提が加わり、
更には合体を受け入れてくれるだけの度量を持った相手でなくてはいけなかったからだ。
故に、美鈴との合体は、最初で最後のチャンスと覚悟を決めて望んだのだが、結果はこれである。
念入りに調査……というか合体者に直接尋ねた結果ゆえ、手順の誤りという可能性は無い。
そうなると、基本条件の何かが引っかかったという言になるのだが、
力量にせよ、相性にせよ、変動させる余地が存在しない以上、もはやどうにもならない。
絶望する所以である。
「……お嬢様? ……ああ……そういう事ですか……これが私の運命なのですね……」
ついには、幻覚まで浮かび始める始末だ。
現在、件のお嬢様は、妹と仲良く土木工事に携わっており、
配下の身体的コンプレックスにコメントを残す余裕などある筈が無いのだから。
しかしながら、妄想とは言え、敬愛するご主人様からの言葉は、深く咲夜に響き渡った。
自分が巨乳を体験することなど、所詮は夢物語でしかなかったのだと。
「もう……良いわ……こんな世界に未練など無い……」
それにより、咲夜の絶望は最後のラインを超えた。
己の身体の一部たる銀の刃を、その手首へと当てたのだ。
紛うことなきリストカットの動作である。
「お嬢様……弱い咲夜を、どうかお許し下さい……」
何もそこまで悲観することは無いだろう。との突っ込みもありそうなものである。
実際にレミリアが聞こうものなら、コテで殴打されるかモルタルに漬けられること請け合いだ。
だが、妄想世界に浸りきっている咲夜に、それが届くことはない。
「こんな私の行き着く先は……ふふっ、考えるまでも無いわね。きっと小町も激怒する事で……え?」
瞬間、がばり、と身を起こす。
聡明たる彼女は、命を絶つよりも先に、自ら気付く事に出来たのだ。
まだおるやんけ、と。
「小野塚先生……合体がしたいんです……」
「……」
これは、珍しくも勤労精神を表に出していた自分への嫌がらせなのだろうか。
突如として表れたかと思うと、訳の分からない台詞とともに地面に頭を擦り付けたメイドを前に、
小町はそんな感想を浮かべずにはいられなかった。
だが、当の咲夜は至って大真面目である。
一度は命すら絶とうとまで考えたくらいだ、頭を下げるくらいなら何度でもするだろうし、
瀟洒なる称号も三途の底へと投げ捨てるで心意気なのだ。
「あー、その、何処から突っ込んでいいのか分からないんだけど……」
「突っ込みはいらないのッ! いいから何も聞かずに私と合体して!」
止むを得ず、戸惑いがちに声を掛けた小町であったが、何故か返ってきたのは逆切れ気味の怒声。
いっそ何も聞かずに首を落としてみるか、と物騒な思考が働きかけたが、
そこはバストサイズに比例した雄大な心で押さえ込んでいた。
「……別にあたいは、このまま仕事に戻っても一向に構わないよ?」
「うう……ごめんなさい……取り乱しました。だから……咲夜の話を聞いてください……」
もはや人格崩壊の疑いすら持たれる言動に、小町は嘆息しながらも、大鎌を地面へと突き刺した。
即ち、話を聞いてやるとの意思表示である。
勤務評定に響くことは確実であったが、それを差し置いても、放っておくに忍びなかったのだ。
「実は……かくかくしかじか……」
「ふむん。なるほどねぇ……」
かくかくしかじか、で何故通じたのか。疑問に思ってはならない。
それは魔法の言葉でありマジカルワード。
英語にすりゃ良いというものではないが、とにかくこれを口にすれば話は通るのだ。
決して地の文を書くのが面倒だったという理由ではない。
そも、こんな言い訳をするよりも普通に書いたほうが楽である。
閑話休題。
ともかく、咲夜の説明は、無事小町へと伝えられたのだ。
「……んで、その条件とやらに、あたいは一致しちゃった訳かい」
「ええ、そうよ。今まで思い浮かばなかったのが不思議なくらいね」
いっそ忘れたままでいて欲しかった。という感想も止むを得ないところだが、
仮に本当に思い至る事がなかったならば、今頃この対面は小町の最も望まぬ形で行われていたのだ。
数奇なる運命とは、こうしたものを指すのであろう。
さて、それはともかくとして、咲夜が小町を合体の相手として選んだ事自体は、不自然ではない。
大前提である巨乳は勿論のこと、共に準ラスボス……もとい、同格と言える実力の持ち主であり、
選定においてネックになることが多かった背丈に関しても軽くクリアしていた。
こうして並んで立っている分には、小町のほうが頭半分ほど高いのだが、それは高下駄が理由である。
従って、不明な点といえば、せいぜい相性くらいのものだったのだ。
「んー……まあ、妖夢と鈴仙が合体出来たんなら、あたい達に出来ない事も無いのかな」
「ああ、そういえば、そんな事もあったわね」
そんな事というのは、前回彼女等が顔を合わせた機会を指していた。
とある事情により、唐突かつ強制的に行われた、一泊二日の温泉旅行である。
むしろ、そうした一件があったからこそ、咲夜は小町の存在を思い出す事が出来たと言えるだろう。
「ま、いいや。そういうことなら協力させて貰うよ」
「え……本当に?」
「って、そっちから頼んでおいてそりゃ無いだろう」
「いえ、ね。随分とあっさり受けてくれたものだから」
「ポーズはともかくとして、なんか面白そうじゃないか。時流には乗るべしってね」
一度合体したら半日近くは元には戻れない。という説明を受けた上でのこの台詞である。
どうやら、勤務評定云々は、既に興味の外へと消えてしまったらしい。
「ありがと。なら早速始めましょう」
「……って、ここで?」
「当たり前でしょう」
「いや、あたいにだって、それなりの羞恥心というものが……」
三途の河原で羞恥心も何も無い。と言いたいところではあるが、
この地は良くも悪くも静かに過ぎた為、自己嫌悪に陥る可能性は高い。
ましてや、同僚に目撃された日には、翌日から無断欠勤となることは請け合いだろう。
「そんなの川底に捨てなさい。私はとっくの昔に封印したわ」
「……ああ、後戻りする気もさせる気も無いってこったね」
「良く分かってるじゃないの」
何故か咲夜の瞳は、やってきた当初から紅い。
それが何を意味するかまでは分からなかったが、余り良い傾向ではないのは確かだろう。
故に小町は、大人しく咲夜の言葉に従う事に決めた。
情緒不安定な人間は、何を仕出かすか分かったものではないのだ。
無声映画の如き風靡なる地にて、せかせかと動き回るメイドと死神。
その余りにもギャップの激しい光景は、客たる一体の幽霊が回れ右をして顕界へ帰っていった程だ。
が、当の本人達は至って真剣である。
後戻りの出来ない咲夜、後戻りを却下された小町。
そんな二人にとって、運命の終着駅とは、この合体術の成功以外に無いのである。
「「はっ!!」」
指を合わせたその瞬間、爆音が鳴り響き、二人の身体は閃光に包まれていた。
「……」
光が収まった後、川原に佇んでいたのは、果たして一つの影のみであった。
(せ、成功したの?)
(わ、分からない。確かに何時もと違う感覚っぽくはあるけど……)
(……って、思念で会話してる時点で一つになっているに決まってるわ)
(あー、そりゃそうか)
(でも、何というのかしら。余りパワーアップという感じがしないわね……)
(確かに。身体は軽くなったようには思うけど、それだけだねぇ)
合体した感触などというものは、実際に体験した者にしか分からない。
だが、何処か不自然な感覚を受けるのも確かだった。
「鏡でもあれば……あ」
丁度そこで、川の水面が目に入る。
そこに映っていたのは、今の二人と思わしき一つの影。
(……)
(……)
そう、紛れも無い『影』だったのだ。
「ど、ど、ど、どういう事よ、これ……」
霊紫という例外こそあれど、この合体術は元の二人の特徴を持った外観となるのが通例だ。
だが、今の彼女……いや、もはや彼女と呼べるかどうかも怪しい姿である。
何せ服装は、黒のローブ一枚……というか布切れ。
整っていた筈の顔立ちは、整いすぎて肉が削げ落ちている……というか髑髏。
主目的であったはずの肉体も、いささか細すぎるきらいがあった……というか骨。
そして、無駄に自己主張しているのが、その骨だけとなった手に握られた大鎌。
元々小町が所有していたものより更に大きく、よくもこの骨の手で握れるものというサイズである。
(し、失敗したのは何となく分かるわ。指の角度が微妙にずれていた気がするもの)
(そんな事よく分かるもんだ……)
(で、でも、この姿はどういう事? 私達の面影ゼロじゃないの)
(あたいに言われてもなぁ……まあ、いくらかスマートだとは思うけど)
(痩せすぎよ!)
元々、巨乳を目指して合体術を試みたのだから、その結果がこれとは実に皮肉である。
力もいらなきゃダイエットもいらぬ、あたしゃもすこし肉が欲しいのだ。
(あー、何となく分かった気がする)
(な、何が?)
(咲夜。お前さん、吸血鬼が棲む館の最後の砦だろう?)
(……一応、そうなるけど)
(で、あたいは職業死神と……)
(って、誰がそんなネタ分かるのよっ!)
良く分からないが、とりあえず見解は統一されたようだ。
咲夜……というか、咲夜と小町が内包された骨ローブは、がっくりとその場に膝を着く。
骨が地面に触れるから痛いのかと思いきや、感覚そのものが無いというオチだった。
無論、笑えなかったのは言うまでもない。
(ううっ……こんな姿では、お嬢様に嫌われてしまうわ……)
(いやあ、むしろ斬新で格好いいとか思われるんじゃないかな)
(それはそれで困るんだけど……)
(……いや、よくよく思えばあたいも困るな。これじゃ圧倒を通り越して客が逃げ出しかねない)
(本来、死神ってそういうものじゃないかしら)
(馬鹿言うんじゃないよ。こんなヤクザな職業、お客さんがいて初めて成り立……)
その瞬間、小町の思考は、鳴り響いた爆発音によって寸断された。
「……うう……」
「……くぅ……」
地面に倒れこみ、苦悶の声を上げる二人の女性という光景は、
実に心洗われる……もとい、見るに耐え難いものがある筈なのだが、
今回においては例外である。
「……なるほど。失敗した場合は直ぐに解けるのね」
「そう、らしいね……」
派手な演出とは裏腹に、ダメージは然程でもなかったのか、二人は土埃を払いつつ立ち上がる。
幸運にも、骨ローブの名残は一切無い、元通りの姿だった。
仮にそんなものが残っていたら、咲夜は迷う事なく目の前の川に身を投げていただろう。
「成功したとは言い難いけど、合体までこぎ着けられたのは収穫ね……次こそ決めるわよ」
「え……まだやるつもりなのかい?」
「当たり前でしょう! ここで引き下がっては女が廃るわ!」
「……いや、いいけどさ」
この時、小町は既に気がついていたのかもしれない。
相性合ってないんじゃないかな、と。
再挑戦。リベンジ。リターンマッチ。逆襲のサクコマ。
表現は何でも良いが、ともかく彼女等は再度の合体を試みた。
先程の教訓を生かし、最後の指合わせは念入りにリハーサルをこなしてからの実践である。
「「はっ!!」」
再び鳴り響く爆音と、奔る閃光。
静寂の地である筈の三途の川原も、今や特撮向けの石切場と大差無い。
小町待ちの幽霊も、さぞや驚いている事だろう。
「……」
光が収まった後、川原に佇んでいたのは、果たして一つの影のみであった。
……と同じ表現をすると、誤解を招きかねないゆえ、言い換えよう。
咲夜と小町は、紛れも無い一人の少女に変化していたのだ。
(や、やったよ咲夜。ついに念願の女の子っぽい体だよ)
(いえ、ね。それは確かにそうだけど……)
(な、何が不満なのさ)
(……)
分かって言ってるのか、という思考を封じ込め、新しい身体を川原へと向ける。
そして、その双眼を、水面をへと向けさせた。
「なんだって、巫女になってるのよっ!!」
咲夜の心の叫びは、小町を無視して言葉となって示された。
霊夢のような開き直ったデザインではない、赤の袴に白の衣という、伝統に忠実な巫女スタイル。
元の二人の体格を完全に無視した、純然たる幼女体形。
無論、お払い棒やお札は準備されていたが、それが何だという話である。
先程とは異なり、異型の存在では無い辺りが、かえって悩ましかった。
(いや、分からないなぁ。今度はポーズもタイミングも完璧だった筈だけど)
(……でも、現実はこれよ)
(霊紫、だっけ? アレと同じで特殊な例なんじゃ?)
(特殊にも程があるでしょ。少女というだけで、原型皆無じゃないの)
(んー……あ、こんな時に何だけど)
(……何よ)
(お約束だし、一応名前を決めとかないかい)
(そんなの考えるまでも無いでしょ)
(ん? どういう事さ)
(私達の組み合わせで無難なパターンなんて、小夜くらいしか……)
(……)
(……)
(……)
(……)
「誰が奇々怪々なんて覚えてるのっ!!」
今回は、咲夜の独断ではなく、二人の心からの叫びであった。
性質の悪い事に、お馴染みの二重音声ではなく、声までも幼女化している始末だ。
これではもはや、合体というよりは変身である。
(そりゃ、あたいらとタイトーは切っても切れない縁だけどさ……)
(ふふ……これだから昭和生まれは困るわ……)
(いや、それは違う小夜だって)
(同じようなものよ。巨乳でないなら私にとっては全てが無意味なの)
(ついに言い切ったか。……にしても、どうするかねぇコレ)
(どうしようも無いでしょう……)
咲夜と小町……改め小夜は、力無く三途の畔に座り込み、水面を見つめる。
そこに映るのは、理想からは大きく外れた合体の成果。
これはこれで面白い。と開き直れるのなら良かったが、咲夜の絶対意思は、それを是とはしないだろう。
彼女にとって、合体とは手段であって、目的ではないのだから。
「小町っ! いつまで待たせる気なのっ! サボタージュも大概になさい!」
そこに、今一番耳にしたくない部類の声が、小夜の耳へと届いた。
もっとも、振り返るまでも無ければ確認する意味も無い。
三途の川という特殊な場所で、こうした物言いをする人物など、一人しかいないのだ。
(ま、拙いなぁ、最悪のタイミングだよ……)
(ど、どうするの? お札でも投げておく?)
合体術に成功した者の力量は、加算ではなく乗算で跳ね上がるのは既に分かっている事。
故に、閻魔たる映姫と言えども敵とは成り得ないだろう。
もっとも、これが成功しているのかどうかは、判断に苦しむところなのだが。
(アホっ! お前さんは、あたいを路頭に迷わせる気かい!?)
(で、でも、こうなった以上、どちらにしても同じ結果ではないの?)
(ん、んー……それを言われると辛いんだけど……って、他人事みたいに言うんじゃないよ)
(そ、そうね、今の私は貴方でもあるのよね……)
元を返せば、三途の川原を合体場所として選んだ咲夜に非がある。
更にその元を返せば、仕事を放棄して合体術に勤しんだ小町に非がある。
更に更にそのまた元を返せば、合体の誘いそのものををかけた咲夜に非がある。
更に更に更にそのまた更に元を返せば、日頃から仕事熱心とは言い難かった小町に非がある。
要するに、両方に非があるのだ。
「何処に隠れたの! 出てきなさい! ……ん?」
そしてついに、審判の時は来た。
と表現すると大層な出来事のようだが、要するに映姫が小夜の存在に気付いたのだ。
「……」
「……」
が、不思議なことに、会話はおろか、一切の動きは生まれなかった。
状況的に行動に出られない小夜はともかくとして、
映姫までもが何処か困惑した様子で立ち止まってしまったのだ。
(……もしかして、あたい達だって気付いてない?)
(この見かけで分かるほうがおかしいでしょう)
中の人はともかくとして、今の小夜はどう見ても幼女巫女である。
この外見から、小町や咲夜といった人物を連想するのは至難の技……というか無理だろう。
「……こ、こんな所でどうしたの? お嬢さん」
沈黙に耐え切れなくなったのか、視線を合わせるように膝を折り曲げると、恐る恐る切り出す映姫。
本人は温和な笑みのつもりだったのだろうが、明らかに表情が硬い。
「っ……」
噴き出しそうになるのを、寸での所で堪える。
映姫が明らかに無理をしてるのが伺えたからだ。
(って、笑ってる場合じゃないわよ。どうするのよ)
(あー、うん……こうなりゃ、幼女になりきって、切り抜けるしか無いかな)
(……はぁ。何が楽しくて、閻魔と幼児プレイをしなくてはいけないのかしら)
(……他の相手ならやるのかい)
「ここは生者……ええと、元気な子が来るような場所じゃないの。
暗くならない内に、ご両親の所へお帰りなさい」
「……りょうしん?」
「あ、ああ、お父さんやお母さんの事ですよ。心配するでしょう?」
「へいきです、いませんから……あ」
もっとも、無理をしているのは小夜も同じだったらしい。
頷けば切り抜けられるはずの場面で、うっかり事実を口にしてしまうのだから。
「……そうだったの、ごめんなさい」
「う、うそです。ほんとうは、かぞえきれないくらいいますから、しんぱいむようです」
「……」
閻魔に嘘は通用しない……という以前の問題である。
狭くもない幻想郷の事、中にはママが5人だの妹が12人だの兄弟が100人だのといった、
親父を殺して俺も死ぬ的な家庭もあるかもしれないが、
今の状況で幼女が口にしたところで、ただの強がりとしか受け止められまい。
「……貴方、お名前は?」
「……さよ」
「そう、良い名前ね」
映姫は、先程とは打って変わった自然な笑顔を浮かべる。
が、それは当の小夜にとっては、不吉な予兆以外の何物でもなかった。
「小夜ちゃん、良ければお姉さんと一緒に遊びに行かない?」
「……え?」
「今ね、部下……お友達を待っていたところなんだけど、何処かに行ってしまったみたいなのよ」
「……」
目の前にいます、とは言えない。
「だから、小夜ちゃんさえ良ければ、少し私の暇潰しに付き合って欲しいの」
「え、ええと……」
恐らくは、寂しげに佇んでいた幼女を、放るに放っておけなかったのだろう。
ともあれ、小夜はここに進退窮まった。
断って立ち去るのが常道であろうが、怪しまれて浄瑠璃の鏡でも使われれば、一巻の終わりなのだ。
「じゃ、行きましょうか。中有の道は今日も賑やかよ」
溢れすぎた映姫の博愛精神は、いつしか幼女誘拐に発展しかかっていた。
仮にこの光景をスクープされようものなら、諭旨を通り越して懲戒免職は免れまい。
さしずめ『楽園の最高裁判官、頭の中まで楽園に!?』といったところだろうか。
(……やはり殺りましょう。今なら血の一滴すら流させずに仕留められるわ)
(だから落ち着けって! 隙を見て抜け出せば済む事だろう!?)
(茶番はもう沢山よ。私にはやはり、お嬢様以外との幼児プレイは耐え切れないの)
(お前さんの性癖とあたいの未来を天秤に掛けるなっ!)
せめぎ合う咲夜と小町の意思。
結果、小夜という体は主体的な動きを取る事が出来ず、映姫に手を引かれるままとなっていた。
しかし、そんな時に限り……いや、そんな時だからこそ動く存在があった。
お約束の神だ。
「……あ」
「?」
小夜の口から漏れた一言に、映姫は足を止める。
やはり強引過ぎたと思ったのか、手を離すと再び小夜と視線を合わせるように屈み込む。
が、その行動が、彼女にとっては仇となった。
「へぶらっ!!」
刹那の後。
イスラエル風味の叫びが、静寂の河畔に響き渡っていた。
「……ううう……」
「……くぅぅ……」
地に伏せ、苦悶の表情で呻くのは、咲夜と小町。
まるで先程の繰り返しのような光景であるが、今度は本当にダメージも大きかったのか、
二人は直ぐには立ち上がれずにいた。
が、本当に問題なのは、そんな些細な点ではない。
丁度二人の中間に屈み込んでいた、閻魔様の存在である。
「……」
あの重量感溢れる帽子が吹き飛ぶ程の衝撃にも関わらず、映姫は健在であった。
が、その頑丈さは、更なる悲劇を呼ぶ原因ともなっていたのだ。
「……」
しばし硬直していた映姫は、何かを思い出したかのように、ぺたぺたと自身の身体を探り出す。
やがて、その手が頭部に辿りついた瞬間、彼女は一つの感想を浮かべていた。
「とても……大きいです」
その独り言は、今の映姫の全てを表していると言えよう。
爆発に巻き込まれれば、アフロ。
もはや外界では希薄となりつつあるその常識は、果たして幻想郷では健在だったのだ。
無論、悪い意味で。
「し、四季様、イメチェンですか? な、中々似合ってますよ、具志堅っぽくて」
「え、ええ、本当に。高木ブーも裸足で逃げ出しますわ」
「……」
足腰立たない状態にも関わらず、律儀にも墓穴を掘りに走る元小夜の二人。
それが再度の合体失敗による動揺の表れなのか、それとも芸人魂の発露なのかは定かではない。
ともあれ、この段階で断言出来ることは、ただ一つ。
アカンやろ、と。
「死刑!!」
かくして三途の畔は、怒号、絶叫、爆音の鳴り止まぬ戦場へと変貌した。
主街道から外れた、とある川原。
夕焼けが眩しいその土手に、体育座りで俯く咲夜の姿があった。
スカート姿でのこの体勢は危険な事極まりないのだが、
時間も相まってか、周辺に人影は皆無ゆえ、さしたる問題とは成り得なかった。
いや、そのような事象に思いを巡らせる気にもなれなかったのだろう。
「……」
今の咲夜は、捨てられた子犬、と形容するに相応しい姿である。
それこそ、目に見えぬ尻尾がふるふると揺れている様が幻視される程に。
もはや彼女には、一切の希望は残っていなかった。
仕事を放り出し、恥も外聞もかなぐり捨てて追いかけた最後の可能性。
だが、その結果が、お約束の神とやらに散々に弄ばれるというものだったのだ。
小町の機転……というか犠牲により、辛うじて彼岸送りは免れたものの、
自身が目的を果たせなかった事に変わりは無いのだから。
「巨乳……儚い夢だったわね……」
既にして、咲夜の世界の外で口に出すことにも衒いが無い。
誰も聞いていないから構わない。ではなく、誰が聞こうと構わなかったのだ。
「あら……まだそんな事言ってるの?」
「……」
故に、返答があった事に関しても、殆ど感情の動きは無かった。
「別に気にするような物じゃないと言ったでしょう」
「……余計なお世話よ。貴方なんかに私の心情が理解できる訳が無いわ」
「それはそうね」
咲夜は体育座りのまま、ちらりと視線を送る。
何時の間にか隣に座っていたのは、少女と呼ぶには些か成熟し過ぎた女性。
赤と黒という独特のカラーリングが、妙に夕日と合っているのが印象的だった。
「……それで、何で貴方がこんな所にいるのよ」
「その言葉、そっくり返させて貰うわ。ちなみに私は往診の帰り」
「……」
永琳の容赦のない返しに、咲夜は口を噤まざるを得なかった。
よくよく考えるまでもなく、この場所に相応しくないのは咲夜のほうだからだ
紅魔館から遠く離れた地にて、黄昏の光景に浸るメイド長を見れば、誰とて気にもなろう。
「さて、せっかくだから、お悩みでも聞いてあげましょうか」
「……カウンセリングの一環?」
「そう受け取っても良いし、単に興味本位と見ても構わないわ。話すかどうかは貴方次第よ」
「……」
程なくして咲夜は、小声で経緯を語り始めた。
積極的な答えを求めた訳でもなければ、落ち込みきった心情の現われでもない。
単に、ここから立ち上がる切っ掛けが欲しかったという理由からだ。
「……その行動力。もっと別の方向に生かせないものかしらねぇ」
それに対し、永琳の第一声は、素晴らしく投げやりなものだった。
これがカウンセリングとするならば、彼女は紛れも無くカウンセラー失格であろう。
「あのね……もう少しまともな言い方は無いの?」
「あ、いえ、御免なさいね。まさか、そこまで真剣に悩んでいたとは思わなかったのよ」
「……」
咲夜は嘆息する。
有益な回答が得られなかった事。
及び、そうした期待を永琳に対して僅かながらに抱いてしまっていた事に。
「んー……それなら、通り一般の言葉なんかでは納得出来ないでしょうね」
「……分かったならさっさと行って」
「いえ、ここで引いては天才の名が廃るわ。ここは一つ、処方箋を送りましょう」
「……何よ」
「その合体術、私と試してみるというのはどう?」
「はあ?」
その提案に、咲夜は間抜けな声を漏らす事しか出来なかった。
合体の対象を選定する際、永琳は最初に浮かんだ人物であり、そして最初に除外された人物でもある。
肉体的な条件はまさに理想的とは言えたが、力量的に明らかに無理があったからだ。
永夜事変の際、咲夜はレミリアと共に解決へと向かい、そして激戦を経て黒幕と思わしき永琳と対峙するに至ったのだが、
その結果はというと、記憶から抹消したくなるような大惨敗であった。
何しろ、使い魔の壁に阻まれたとは言え、一本のナイフすら永琳に届く事は無かったのだから。
自己の実力を過小評価する癖は無かったし、相性的な問題に過ぎないと言い聞かせる事も出来たのだが、
それだけには留まらない格差のようなものを感じていたのだ。
もっとも、相性的な問題となると、それはそれで合体術のネックとなりうるのだから、
何れにせよ、相手としては不適当極まりないというのが咲夜の結論である。
「それとも、私では不満かしら」
「……そういう問題じゃないわ。私が貴方と釣り合う訳が無いじゃない」
「そう? やってみないと分からないと思うけど」
「大体、どういう風の吹き回しなのよ。最近の薬師は、そこまで奉仕精神旺盛なわけ?」
口にした段階で、その通りなのかもしれない。と咲夜は思っていた。
最近になって幻想郷の表舞台に姿を現した永琳は、日を追うごとにその評判を高めつつあった。
曰く、その薬は効果は絶大でありながら、法外な料金を求める事は無く、それでいてアフターケアも万全であり、
果ては直接的な診察まで請け負うという、これまでの薬師のイメージを根底から覆す存在、と。
無論、余りにも出来すぎた話ゆえ、懐疑的な目で見られる事も少なくはないのだが、
事実として幻想郷の住人が人妖問わずに助かっているのは確かであり、評判を呼ぶのもまた自然と言えた。
「これは単に私の個人的な意向よ。薬師云々は関係ないわ」
が、永琳の返答はいささか趣を異としていた。
これは咲夜にとっては、好意的に見ることが出来るものだった。
目的が見えない奉仕の精神より、直接的な理由があるほうが、よほど安心できるからだ。
「へぇ……で、その動機は何?」
「……私も合体とやらを体験してみたかったのよ」
「ぶっ!」
極めて分かり易い返答に、咲夜は吹いた。
「いえ、ね。ウドンゲ……鈴仙が余りにも楽しそうに語るんだもの。
誰だって興味も沸くってものでしょう?」
「あ、ああ、そういえば、アレが合体術の元祖だったわね」
正しくは、本家というのが正解なのだが、
当の元祖合体者は、今やそれが本体となってしまった故、間違いでもない。
無論、そんな事実は咲夜の知る由ではなかったのだが。
「という訳で、やってみましょう。
もう手順は聞いているから、説明は不要よ」
「……仕方ないわね」
駄目で元々……という訳でもないが、咲夜は永琳の提案に乗る事に決めた。
単に度重なる失敗のせいで、自棄になっていただけかもしれない。
が、少なくとも、もう一度動くだけの気力を取り戻していたのは確かだった。
人気の無い川原の土手で、夕焼けをバックに素敵な動きを披露する薬師とメイド。
傍目には、鼻からご飯粒が飛び出しそうな光景なのだが、
何故か今回に限っては美しく見えたという事にしておきたい。
無理?
うん、無理だな。
「「はっ!」」
指を合わせた瞬間、咲夜の耳に、ぽふん、という迫力の欠片もない効果音が届いた。
自然、やっぱり無駄だったか。という感想が浮かぶ。
だが、彼女は知らなかった。
これこそが、術法の完了を知らせる合図だったのだ、と。
「……」
発生した貧弱な白煙を、川原特有の吹き付けるような風が押し流す。
そこに立っていた人物は、一人だった。
(……嘘……)
(嘘じゃないわよ、ほら)
心に直接響く声に従い、咲夜はしげしげと己の身体を見つめる。
カラーリングに大幅に手を加え、ロングスカートになったメイド服。といったところだろうか。
むしろ、エプロンやホワイトブリムが健在で無ければ、メイド服とは呼び難かったろう。
髪はどういう談合が行われたのか、二つの房に分かれたロングの三つ編みである。
が、そうした外見に対する感慨は殆ど無かった。
というよりは、未だ成功したという実感に薄いのだろう。
(……でも、なんで? 条件が合うわけが無いのに……)
(その答えは簡単。私は自在に自分の力を変動させる事が出来るのよ)
(あ……)
(もっとも、この術でも上手く行くかどうかは分からなかったけど……ま、結果オーライね)
条件を一致させるのに、何かしらの外的要因が加わっても問題無いことは、昨晩の霊紫からも分かっていたことだった。
通常状態の霊夢と紫では、どう頑張ったところで体格が一致しているとは言い難く、
紫がお得意の能力を用いることで、サイズを霊夢に合わせたであろう事は明白だからだ。
とは言え、体格……も普通は変えられないのだが、それはそれとして、
力量なる曖昧なものを相手に合わせて変動させるなど、とても考え付かなかったのである。
(それよりも、感想は?)
(え?)
(……あのねぇ咲夜。それじゃ目的と手段が入れ替わってるって事になるわよ)
(じ、冗談よ、冗談。感想、感想……ちょい待ちなさい)
(はいはい)
眼下に広がるのは、作り物でもなければ錯覚でもない、重厚極まりない双丘。
それこそが、咲夜が夢にまで見ていた光景。
巨乳である。
(……そ、それじゃ、感想を述べるわよ)
(はいはい)
(……)
(……)
(……重いわ)
(ふふ、そうでしょう)
生死を秤に掛けてまで追い求めていたものにしては、余りにも素っ気無い感想と言えよう。
が、これこそが紛れも無い咲夜の本音である。
隣の芝生は青い、という諺が、否応無しに浮かび上がったほどだ。
(何というか……いざ現実になってみると、感慨も何も無いのね)
(そんなものよ。まあ、純粋に自分の身体であれば別かも知れないけれど、それでも直ぐに慣れてしまう筈よ)
(……そうね)
嫌味とは感じない。
実物に勝る説得力は無いからだ。
(これに懲りたら、巨乳敵視も自己卑下も止めることね)
(そ、そんなことをした覚えは……少ししか無いわよ)
(少しねぇ。ま、良いけど)
(むぅ……)
咲夜は、ある事実に気付く。
合体してよりこの方、ペースを永琳に握られっぱなしだ、と。
無論、傍目にはメイドもどきの女性が突っ立っているだけにしか見えないのだが、
中の人たる咲夜にとっては面白い事ではない。
故に、どうでも良い事と自覚しながらも、自ら話題の口火を切った。
(……名前はどうするの?)
(ああ、そういえばお約束だったわね。……んー、永夜で良いんじゃない?)
(ありがちね……ま、咲琳よりはマシだけど)
(最強の地球人みたいだものね)
(むしろ、人工甘味料じゃないかしら)
その名前はある意味、己の主……というか輝夜の立場を無視しているものなのだが、
永琳自身が提案したのでは、突っ込みの入れようが無かった。
単に、輝夜と合体する機会は、未来永劫無いと分かっていたのやも知れない。
(さて、それじゃ、帰りましょうか)
(そうね……ってちょいと待ちなさい)
(あら、何?)
(帰るって、何処によ)
(永遠亭に決まってるでしょう。そろそろ夕食の時間なのよ)
(それを言うなら紅魔館も同じなの。私の職業、忘れた訳じゃないわよね)
(仕事を放って奔走しておきながら、何を今更な事を言ってるの)
(……)
かくして、瞬時にペースは握り返された。
どうも今日の自分は抜けている……といった思考は直ぐに消す。
今の自分は、咲夜ではなく永夜なのだと理解したからだ。
(どうせ後始末にかかりっきりの今、メイド長も何も無いでしょう? せっかくだから晩御飯くらい食べて行きなさい)
(冗談。……と言いたいんだけど、こうなった以上は拒否権も無いのよね)
(分かってるじゃないの)
この合体術は、自然解除を待つ以外に解法は無い。というのは、共通の見解である。
実際にはそうでもなかったりするのだが、互いにそこまでは知らなかったのだ。
「よっ、と……この二重音声も妙な感じね」
かくして、完全で瀟洒な薬師となった永夜は、意味不明な独り言と共に地面を蹴る。
合体の影響か、身体は胸部の増量とは無関係に軽い。
向かう先は、住居でありながら敵地とも言える、良く分からない位置付けとなった館。
その名も永遠亭である。
大掃除日和の翌日は、工事日和だった。
お前、何でも日和って付ければ許されると思ってるだろう? という問いには、何を今更と返答しよう。
もっとも工事日和であろうとなかろうと、ここ紅魔館の現状に変わりはない。
昨晩発生した大破壊の影響は未だ色濃く残っており、メイド達は道具片手に汗水流して走り回り、
その横を大量の資材を積んだリアカーが門を駆け抜けて行くという、
もはや異国情緒の欠片も無い、何処に出しても恥ずかしくない工事現場的光景なのだ。
「ん、しょっ、と」
そんな中には、門番である紅美鈴の姿もあった。
素手での戦闘を得意とする彼女も、今はシャベルという伝説の得物使いだ。
こんな状況では門番の役目も何も無いという事で、工事人員として駆り出されたというのが理由だが、
むしろ本業の時よりも活き活きしているのではないか、ともっぱらの評判である。
そうした風評が彼女にとって本意なのかどうかは別として、だ。
「何をどうすれば、こんなに滅茶苦茶になるんだろ……」
呟きが示す通り、美鈴は昨晩の出来事について、殆どの情報を持っていなかった。
せいぜいが、当主とその妹が色々とやらかしたらしい。という程度である。
その証拠として、威厳を誇ることを生業としている筈のレミリアは、コテとハケのフル装備で左官屋仕事に励んでいたし、
片やのフランドールは、レーヴァティンをツルハシに持ち替え、破壊する程度の能力を珍しくも有用に使っている。
共に工事用ヘルメットまで着用しているのは、安全管理というよりは紫外線対策だろうか。
平和と言えば平和な光景だが、そうなるに至った理由までは、想像するには些か困難に過ぎよう。
「……ふぅー」
美鈴は、大きく深呼吸をすると、再びシャベル使いとして戦場へと復帰する。
考えたところで無駄ということに気付いたのだ。
「……ちょいと、美鈴」
「はい?」
丁度そこに、背後から声が飛んだ。
声質による判断をするまでもなく、人物の特定は出来る。
同僚や部下といった面々は、門番長だの隊長だのといった呼び方をするし、
上層部の面々は未だに某社会主義国家を名称として採用している。
早い話、紅魔館内において、本名であるこの呼び名を使う人物は、一人しかいなかったのだ。
「少し用事があるの、付いて来て。というか来て下さい。お願い」
「は、はあ、分かりました……」
その人物……咲夜の様子は、明らかに普段とは異なるものが感じられた。
言動にも姿勢にも、まったく余裕が感じられないのだ。
しかしながら、上司命令に逆らう訳にも行かないため、美鈴は大人しく咲夜の後へと続く。
ややあって、二人が辿りついたのは、中庭の一角であった。
昨晩の大破壊の影響が及ばなかったのか、紅魔館らしい雰囲気が保たれており、人影も皆無である。
「あの、用事って何ですか?」
「……」
美鈴の問いに、咲夜からの返答はない。
無視されたというよりは、何か物思いに浸っているかの様子である。
何かしらの叱責をするならば、もう少し分かり易い態度を取るであろうし、
愛の告白とするには、少々表情が厳めし過ぎる。
故に美鈴は、困惑しながらも咲夜の言葉を待つ以外の行動を取れずにいた。
「いえ、ね。大した物ではないんだけど……おまじないに付き合って欲しいのよ」
「おまじない……?」
「え、ええ。協力者が必要な、ちょっと特殊なおまじないなの」
ようやく返って来た言葉は、あからさまに怪しいものだった。
美鈴の知る咲夜は、徹底したリアリスト……とまでは言わないまでも、
少なくともおまじないに興味を示すような人物では無かったからだ。
「はあ、別に私は構いませんが」
が、それでも美鈴は頷いていた。
何の事は無い。疑念よりも、興味のほうが上回ったのだ。
「そ、そう、ありがと。
……なら早速始めましょう。まず、私の横に少し離れて立って頂戴」
「こう、ですか?」
言われるがままに咲夜の右隣へと並ぶ。
向かい合うのではなく、お互いに同じ方向を見るように。
「そうよ。で、足を肩幅くらいに開くの。その際、手は水平かつ横向きに外に向けて。
あ、これから最後まで、顔の向きは正面を維持しなさい」
「は、はあ」
次第に復活して行く疑念を押さえ込み、美鈴は指示通りの体勢を取る。
鏡が無いので詳細は不明だが、恐らくは応援団のようなポーズとなっているだろう。
今応援できることといえば、自分自身に対してくらいだ。
「で、そのまま蟹歩きで私との距離を詰めるのよ。
その際、手は貴方から見て、時計回りに少しずつ旋回させるように」
「……」
横を向けないのが恨めしかった。
今、咲夜が同じポーズで動いている事を想像すると、それだけでご飯三杯は堅いのだが、
そこは何とか鍛え抜かれた精神力で抑えこむ。
見たらその瞬間に殺られると直感していたのだ。
「そう、そうよ……手の届く距離まで詰めたところで丁度、開始地点と対称の姿勢になるようにね」
「……はい」
「ここからが重要よ。勢い良く外側の膝を振り上げつつ、両手を外へと向ける」
「……」
「違う! ここは旋回じゃないの! 水平に振り抜きなさい!」
「は、はいっ」
咲夜の声が余りにも真剣な為か、自然と美鈴の動きにも力が入る。
どんな目的であろうとも構わない。これは神聖なる儀式なのだ。
……と無理やり心に言い聞かせて。
「この体勢で一瞬だけ静止したら、振り上げた足を下ろしつつ、手は再び旋回。
素早く、なおかつ私と完全に同期させるのよ」
「はいっ」
「そして、足が地面に着くと同時に、互いの人差し指の先端を合わせる。……以上よ」
「……成る程。大体分かりました」
「宜しい。なら、本番よ」
「はい」
元々、型稽古といったものは得意としている美鈴に、
このおまじない……とやらの動作は、至極簡単に飲み込めた。
問題は、それの意味するところにあるのだが、今の咲夜はそうした質問を許すような雰囲気ではない。
故に美鈴は考える事を止め、ただ動きを咲夜とシンクロさせる事に勤める。
「「はっ!!」」
果たして美鈴は、完璧に動作を終えた。
が、それだけだった。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
空の彼方から、ミスティアの鳴き声が聞こえた気がする。
先程までの高揚感はとうに消え失せ、漂うのは表現し難い気まずさのみ。
互いに人差し指を合わせたままという姿勢が、更に場の空気を悪化させていた。
「あ、あの、咲夜さん。これ、何のおまじないなんですか?」
それは使命感か、もしくは気まずさに耐え切れなかったのか、美鈴は自ら口を開く。
無論、咲夜の顔は見ずに、だ。
「……う、動いても良いわよ」
「はぁ……」
「ご、ご苦労様、美鈴。もう仕事に戻って良いわ。むしろ戻りなさい」
咲夜の口調からは、明らかな動揺の様子が伺える。
しかしながら、そこに突っ込んで良いのかどうかは別問題である。
好奇心の赴くままに追求すべきか、咲夜の意思を尊重して終わりとすべきか。
究極の選択とも言える状況に、美鈴は深く考え込む。
だが、その結論は、思いのほかあっさりと出た。
「……あ」
既に咲夜の姿は無かったのだ。
「ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」
それから数秒後。
自室に駆け込んだ咲夜は、ベッドに伏せては、懊悩、呻吟、慟哭と後悔の限りを尽くしていた。
なお、数秒という点に関しては、美鈴と別れた直後に時間を止めたからなので、さしたる問題はない。
むしろ問題なのは、何故こうまでも咲夜が苦しみ喘いでいるのかだろう。
直接的な原因は、美鈴とのおまじない……要するに合体術が失敗したことなのだが、
単純にそこだけには留まらない深い事情が、彼女にはあったのだ。
「あんなに……あんなに恥ずかしい思いまでしてやったのにっ……!」
確かに先程の動作は、いい年こいた……おほん。妙齢の婦女子が行うには、いささか羞恥心を煽り過ぎるものがあった。
が、咲夜が苦悩する本当の理由は、そんな表面的なものではない。
この合体術における条件は三つ、体格の一致、力量の同期、そして相性の有無である。
そして、第一条件である体格というのが、身長を指していることも、ほぼ確実であった。
これこそが、咲夜を合体へと走らせた、唯一かつ最大の理由なのだ。
「ああ神よっ! そんなにも私を巨乳から遠ざけたいのですか!?」
ついには自ら口にしていた。
こうなった以上、もう有体に言ってしまおう。
咲夜は合体術を使う事によって、巨乳を体験したかったのだ。
完全で瀟洒なメイドという自他共に認める二つ名を持つ咲夜であったが、
そんな彼女とて、年頃の少女……と呼ぶには少々苦しいかもしれないが、それに近いものである事に変わりは無い。
当然、一つや二つの悩みくらいは抱えている。
その最たるものこそが、己のバストサイズへの不満なのである。
無論、これまでも幾度となく、別段気にするような貧弱なものではない。との慰めにも似た激励は受けてきたが、
それは持たざる者の苦悩を理解せぬ驕りに過ぎない。というのが咲夜の結論である。
が、その反面、本当に巨乳とは素晴らしいものなのだろうか。という哲学的とも言える疑問も生まれていた。
そんな理由から、実際に確かめてみたいという思いがあったのだが、そこに飛び込んできたのがこの合体術である。
あろうことか、霊紫やマリスの例を見る限りでは、バストサイズは大きい方が基準になっていたのだ。
咲夜が強硬手段に出たのも止むを得まい。
「ふふっ……それが失敗してしまったんじゃ、笑い話にもならないわね……」
こうした目的のある咲夜にとって、合体術の条件は実に厳しいものがあった。
三つの条件を合わせるだけでも至難の業なのに、それに巨乳という前提が加わり、
更には合体を受け入れてくれるだけの度量を持った相手でなくてはいけなかったからだ。
故に、美鈴との合体は、最初で最後のチャンスと覚悟を決めて望んだのだが、結果はこれである。
念入りに調査……というか合体者に直接尋ねた結果ゆえ、手順の誤りという可能性は無い。
そうなると、基本条件の何かが引っかかったという言になるのだが、
力量にせよ、相性にせよ、変動させる余地が存在しない以上、もはやどうにもならない。
絶望する所以である。
「……お嬢様? ……ああ……そういう事ですか……これが私の運命なのですね……」
ついには、幻覚まで浮かび始める始末だ。
現在、件のお嬢様は、妹と仲良く土木工事に携わっており、
配下の身体的コンプレックスにコメントを残す余裕などある筈が無いのだから。
しかしながら、妄想とは言え、敬愛するご主人様からの言葉は、深く咲夜に響き渡った。
自分が巨乳を体験することなど、所詮は夢物語でしかなかったのだと。
「もう……良いわ……こんな世界に未練など無い……」
それにより、咲夜の絶望は最後のラインを超えた。
己の身体の一部たる銀の刃を、その手首へと当てたのだ。
紛うことなきリストカットの動作である。
「お嬢様……弱い咲夜を、どうかお許し下さい……」
何もそこまで悲観することは無いだろう。との突っ込みもありそうなものである。
実際にレミリアが聞こうものなら、コテで殴打されるかモルタルに漬けられること請け合いだ。
だが、妄想世界に浸りきっている咲夜に、それが届くことはない。
「こんな私の行き着く先は……ふふっ、考えるまでも無いわね。きっと小町も激怒する事で……え?」
瞬間、がばり、と身を起こす。
聡明たる彼女は、命を絶つよりも先に、自ら気付く事に出来たのだ。
まだおるやんけ、と。
「小野塚先生……合体がしたいんです……」
「……」
これは、珍しくも勤労精神を表に出していた自分への嫌がらせなのだろうか。
突如として表れたかと思うと、訳の分からない台詞とともに地面に頭を擦り付けたメイドを前に、
小町はそんな感想を浮かべずにはいられなかった。
だが、当の咲夜は至って大真面目である。
一度は命すら絶とうとまで考えたくらいだ、頭を下げるくらいなら何度でもするだろうし、
瀟洒なる称号も三途の底へと投げ捨てるで心意気なのだ。
「あー、その、何処から突っ込んでいいのか分からないんだけど……」
「突っ込みはいらないのッ! いいから何も聞かずに私と合体して!」
止むを得ず、戸惑いがちに声を掛けた小町であったが、何故か返ってきたのは逆切れ気味の怒声。
いっそ何も聞かずに首を落としてみるか、と物騒な思考が働きかけたが、
そこはバストサイズに比例した雄大な心で押さえ込んでいた。
「……別にあたいは、このまま仕事に戻っても一向に構わないよ?」
「うう……ごめんなさい……取り乱しました。だから……咲夜の話を聞いてください……」
もはや人格崩壊の疑いすら持たれる言動に、小町は嘆息しながらも、大鎌を地面へと突き刺した。
即ち、話を聞いてやるとの意思表示である。
勤務評定に響くことは確実であったが、それを差し置いても、放っておくに忍びなかったのだ。
「実は……かくかくしかじか……」
「ふむん。なるほどねぇ……」
かくかくしかじか、で何故通じたのか。疑問に思ってはならない。
それは魔法の言葉でありマジカルワード。
英語にすりゃ良いというものではないが、とにかくこれを口にすれば話は通るのだ。
決して地の文を書くのが面倒だったという理由ではない。
そも、こんな言い訳をするよりも普通に書いたほうが楽である。
閑話休題。
ともかく、咲夜の説明は、無事小町へと伝えられたのだ。
「……んで、その条件とやらに、あたいは一致しちゃった訳かい」
「ええ、そうよ。今まで思い浮かばなかったのが不思議なくらいね」
いっそ忘れたままでいて欲しかった。という感想も止むを得ないところだが、
仮に本当に思い至る事がなかったならば、今頃この対面は小町の最も望まぬ形で行われていたのだ。
数奇なる運命とは、こうしたものを指すのであろう。
さて、それはともかくとして、咲夜が小町を合体の相手として選んだ事自体は、不自然ではない。
大前提である巨乳は勿論のこと、共に準ラスボス……もとい、同格と言える実力の持ち主であり、
選定においてネックになることが多かった背丈に関しても軽くクリアしていた。
こうして並んで立っている分には、小町のほうが頭半分ほど高いのだが、それは高下駄が理由である。
従って、不明な点といえば、せいぜい相性くらいのものだったのだ。
「んー……まあ、妖夢と鈴仙が合体出来たんなら、あたい達に出来ない事も無いのかな」
「ああ、そういえば、そんな事もあったわね」
そんな事というのは、前回彼女等が顔を合わせた機会を指していた。
とある事情により、唐突かつ強制的に行われた、一泊二日の温泉旅行である。
むしろ、そうした一件があったからこそ、咲夜は小町の存在を思い出す事が出来たと言えるだろう。
「ま、いいや。そういうことなら協力させて貰うよ」
「え……本当に?」
「って、そっちから頼んでおいてそりゃ無いだろう」
「いえ、ね。随分とあっさり受けてくれたものだから」
「ポーズはともかくとして、なんか面白そうじゃないか。時流には乗るべしってね」
一度合体したら半日近くは元には戻れない。という説明を受けた上でのこの台詞である。
どうやら、勤務評定云々は、既に興味の外へと消えてしまったらしい。
「ありがと。なら早速始めましょう」
「……って、ここで?」
「当たり前でしょう」
「いや、あたいにだって、それなりの羞恥心というものが……」
三途の河原で羞恥心も何も無い。と言いたいところではあるが、
この地は良くも悪くも静かに過ぎた為、自己嫌悪に陥る可能性は高い。
ましてや、同僚に目撃された日には、翌日から無断欠勤となることは請け合いだろう。
「そんなの川底に捨てなさい。私はとっくの昔に封印したわ」
「……ああ、後戻りする気もさせる気も無いってこったね」
「良く分かってるじゃないの」
何故か咲夜の瞳は、やってきた当初から紅い。
それが何を意味するかまでは分からなかったが、余り良い傾向ではないのは確かだろう。
故に小町は、大人しく咲夜の言葉に従う事に決めた。
情緒不安定な人間は、何を仕出かすか分かったものではないのだ。
無声映画の如き風靡なる地にて、せかせかと動き回るメイドと死神。
その余りにもギャップの激しい光景は、客たる一体の幽霊が回れ右をして顕界へ帰っていった程だ。
が、当の本人達は至って真剣である。
後戻りの出来ない咲夜、後戻りを却下された小町。
そんな二人にとって、運命の終着駅とは、この合体術の成功以外に無いのである。
「「はっ!!」」
指を合わせたその瞬間、爆音が鳴り響き、二人の身体は閃光に包まれていた。
「……」
光が収まった後、川原に佇んでいたのは、果たして一つの影のみであった。
(せ、成功したの?)
(わ、分からない。確かに何時もと違う感覚っぽくはあるけど……)
(……って、思念で会話してる時点で一つになっているに決まってるわ)
(あー、そりゃそうか)
(でも、何というのかしら。余りパワーアップという感じがしないわね……)
(確かに。身体は軽くなったようには思うけど、それだけだねぇ)
合体した感触などというものは、実際に体験した者にしか分からない。
だが、何処か不自然な感覚を受けるのも確かだった。
「鏡でもあれば……あ」
丁度そこで、川の水面が目に入る。
そこに映っていたのは、今の二人と思わしき一つの影。
(……)
(……)
そう、紛れも無い『影』だったのだ。
「ど、ど、ど、どういう事よ、これ……」
霊紫という例外こそあれど、この合体術は元の二人の特徴を持った外観となるのが通例だ。
だが、今の彼女……いや、もはや彼女と呼べるかどうかも怪しい姿である。
何せ服装は、黒のローブ一枚……というか布切れ。
整っていた筈の顔立ちは、整いすぎて肉が削げ落ちている……というか髑髏。
主目的であったはずの肉体も、いささか細すぎるきらいがあった……というか骨。
そして、無駄に自己主張しているのが、その骨だけとなった手に握られた大鎌。
元々小町が所有していたものより更に大きく、よくもこの骨の手で握れるものというサイズである。
(し、失敗したのは何となく分かるわ。指の角度が微妙にずれていた気がするもの)
(そんな事よく分かるもんだ……)
(で、でも、この姿はどういう事? 私達の面影ゼロじゃないの)
(あたいに言われてもなぁ……まあ、いくらかスマートだとは思うけど)
(痩せすぎよ!)
元々、巨乳を目指して合体術を試みたのだから、その結果がこれとは実に皮肉である。
力もいらなきゃダイエットもいらぬ、あたしゃもすこし肉が欲しいのだ。
(あー、何となく分かった気がする)
(な、何が?)
(咲夜。お前さん、吸血鬼が棲む館の最後の砦だろう?)
(……一応、そうなるけど)
(で、あたいは職業死神と……)
(って、誰がそんなネタ分かるのよっ!)
良く分からないが、とりあえず見解は統一されたようだ。
咲夜……というか、咲夜と小町が内包された骨ローブは、がっくりとその場に膝を着く。
骨が地面に触れるから痛いのかと思いきや、感覚そのものが無いというオチだった。
無論、笑えなかったのは言うまでもない。
(ううっ……こんな姿では、お嬢様に嫌われてしまうわ……)
(いやあ、むしろ斬新で格好いいとか思われるんじゃないかな)
(それはそれで困るんだけど……)
(……いや、よくよく思えばあたいも困るな。これじゃ圧倒を通り越して客が逃げ出しかねない)
(本来、死神ってそういうものじゃないかしら)
(馬鹿言うんじゃないよ。こんなヤクザな職業、お客さんがいて初めて成り立……)
その瞬間、小町の思考は、鳴り響いた爆発音によって寸断された。
「……うう……」
「……くぅ……」
地面に倒れこみ、苦悶の声を上げる二人の女性という光景は、
実に心洗われる……もとい、見るに耐え難いものがある筈なのだが、
今回においては例外である。
「……なるほど。失敗した場合は直ぐに解けるのね」
「そう、らしいね……」
派手な演出とは裏腹に、ダメージは然程でもなかったのか、二人は土埃を払いつつ立ち上がる。
幸運にも、骨ローブの名残は一切無い、元通りの姿だった。
仮にそんなものが残っていたら、咲夜は迷う事なく目の前の川に身を投げていただろう。
「成功したとは言い難いけど、合体までこぎ着けられたのは収穫ね……次こそ決めるわよ」
「え……まだやるつもりなのかい?」
「当たり前でしょう! ここで引き下がっては女が廃るわ!」
「……いや、いいけどさ」
この時、小町は既に気がついていたのかもしれない。
相性合ってないんじゃないかな、と。
再挑戦。リベンジ。リターンマッチ。逆襲のサクコマ。
表現は何でも良いが、ともかく彼女等は再度の合体を試みた。
先程の教訓を生かし、最後の指合わせは念入りにリハーサルをこなしてからの実践である。
「「はっ!!」」
再び鳴り響く爆音と、奔る閃光。
静寂の地である筈の三途の川原も、今や特撮向けの石切場と大差無い。
小町待ちの幽霊も、さぞや驚いている事だろう。
「……」
光が収まった後、川原に佇んでいたのは、果たして一つの影のみであった。
……と同じ表現をすると、誤解を招きかねないゆえ、言い換えよう。
咲夜と小町は、紛れも無い一人の少女に変化していたのだ。
(や、やったよ咲夜。ついに念願の女の子っぽい体だよ)
(いえ、ね。それは確かにそうだけど……)
(な、何が不満なのさ)
(……)
分かって言ってるのか、という思考を封じ込め、新しい身体を川原へと向ける。
そして、その双眼を、水面をへと向けさせた。
「なんだって、巫女になってるのよっ!!」
咲夜の心の叫びは、小町を無視して言葉となって示された。
霊夢のような開き直ったデザインではない、赤の袴に白の衣という、伝統に忠実な巫女スタイル。
元の二人の体格を完全に無視した、純然たる幼女体形。
無論、お払い棒やお札は準備されていたが、それが何だという話である。
先程とは異なり、異型の存在では無い辺りが、かえって悩ましかった。
(いや、分からないなぁ。今度はポーズもタイミングも完璧だった筈だけど)
(……でも、現実はこれよ)
(霊紫、だっけ? アレと同じで特殊な例なんじゃ?)
(特殊にも程があるでしょ。少女というだけで、原型皆無じゃないの)
(んー……あ、こんな時に何だけど)
(……何よ)
(お約束だし、一応名前を決めとかないかい)
(そんなの考えるまでも無いでしょ)
(ん? どういう事さ)
(私達の組み合わせで無難なパターンなんて、小夜くらいしか……)
(……)
(……)
(……)
(……)
「誰が奇々怪々なんて覚えてるのっ!!」
今回は、咲夜の独断ではなく、二人の心からの叫びであった。
性質の悪い事に、お馴染みの二重音声ではなく、声までも幼女化している始末だ。
これではもはや、合体というよりは変身である。
(そりゃ、あたいらとタイトーは切っても切れない縁だけどさ……)
(ふふ……これだから昭和生まれは困るわ……)
(いや、それは違う小夜だって)
(同じようなものよ。巨乳でないなら私にとっては全てが無意味なの)
(ついに言い切ったか。……にしても、どうするかねぇコレ)
(どうしようも無いでしょう……)
咲夜と小町……改め小夜は、力無く三途の畔に座り込み、水面を見つめる。
そこに映るのは、理想からは大きく外れた合体の成果。
これはこれで面白い。と開き直れるのなら良かったが、咲夜の絶対意思は、それを是とはしないだろう。
彼女にとって、合体とは手段であって、目的ではないのだから。
「小町っ! いつまで待たせる気なのっ! サボタージュも大概になさい!」
そこに、今一番耳にしたくない部類の声が、小夜の耳へと届いた。
もっとも、振り返るまでも無ければ確認する意味も無い。
三途の川という特殊な場所で、こうした物言いをする人物など、一人しかいないのだ。
(ま、拙いなぁ、最悪のタイミングだよ……)
(ど、どうするの? お札でも投げておく?)
合体術に成功した者の力量は、加算ではなく乗算で跳ね上がるのは既に分かっている事。
故に、閻魔たる映姫と言えども敵とは成り得ないだろう。
もっとも、これが成功しているのかどうかは、判断に苦しむところなのだが。
(アホっ! お前さんは、あたいを路頭に迷わせる気かい!?)
(で、でも、こうなった以上、どちらにしても同じ結果ではないの?)
(ん、んー……それを言われると辛いんだけど……って、他人事みたいに言うんじゃないよ)
(そ、そうね、今の私は貴方でもあるのよね……)
元を返せば、三途の川原を合体場所として選んだ咲夜に非がある。
更にその元を返せば、仕事を放棄して合体術に勤しんだ小町に非がある。
更に更にそのまた元を返せば、合体の誘いそのものををかけた咲夜に非がある。
更に更に更にそのまた更に元を返せば、日頃から仕事熱心とは言い難かった小町に非がある。
要するに、両方に非があるのだ。
「何処に隠れたの! 出てきなさい! ……ん?」
そしてついに、審判の時は来た。
と表現すると大層な出来事のようだが、要するに映姫が小夜の存在に気付いたのだ。
「……」
「……」
が、不思議なことに、会話はおろか、一切の動きは生まれなかった。
状況的に行動に出られない小夜はともかくとして、
映姫までもが何処か困惑した様子で立ち止まってしまったのだ。
(……もしかして、あたい達だって気付いてない?)
(この見かけで分かるほうがおかしいでしょう)
中の人はともかくとして、今の小夜はどう見ても幼女巫女である。
この外見から、小町や咲夜といった人物を連想するのは至難の技……というか無理だろう。
「……こ、こんな所でどうしたの? お嬢さん」
沈黙に耐え切れなくなったのか、視線を合わせるように膝を折り曲げると、恐る恐る切り出す映姫。
本人は温和な笑みのつもりだったのだろうが、明らかに表情が硬い。
「っ……」
噴き出しそうになるのを、寸での所で堪える。
映姫が明らかに無理をしてるのが伺えたからだ。
(って、笑ってる場合じゃないわよ。どうするのよ)
(あー、うん……こうなりゃ、幼女になりきって、切り抜けるしか無いかな)
(……はぁ。何が楽しくて、閻魔と幼児プレイをしなくてはいけないのかしら)
(……他の相手ならやるのかい)
「ここは生者……ええと、元気な子が来るような場所じゃないの。
暗くならない内に、ご両親の所へお帰りなさい」
「……りょうしん?」
「あ、ああ、お父さんやお母さんの事ですよ。心配するでしょう?」
「へいきです、いませんから……あ」
もっとも、無理をしているのは小夜も同じだったらしい。
頷けば切り抜けられるはずの場面で、うっかり事実を口にしてしまうのだから。
「……そうだったの、ごめんなさい」
「う、うそです。ほんとうは、かぞえきれないくらいいますから、しんぱいむようです」
「……」
閻魔に嘘は通用しない……という以前の問題である。
狭くもない幻想郷の事、中にはママが5人だの妹が12人だの兄弟が100人だのといった、
親父を殺して俺も死ぬ的な家庭もあるかもしれないが、
今の状況で幼女が口にしたところで、ただの強がりとしか受け止められまい。
「……貴方、お名前は?」
「……さよ」
「そう、良い名前ね」
映姫は、先程とは打って変わった自然な笑顔を浮かべる。
が、それは当の小夜にとっては、不吉な予兆以外の何物でもなかった。
「小夜ちゃん、良ければお姉さんと一緒に遊びに行かない?」
「……え?」
「今ね、部下……お友達を待っていたところなんだけど、何処かに行ってしまったみたいなのよ」
「……」
目の前にいます、とは言えない。
「だから、小夜ちゃんさえ良ければ、少し私の暇潰しに付き合って欲しいの」
「え、ええと……」
恐らくは、寂しげに佇んでいた幼女を、放るに放っておけなかったのだろう。
ともあれ、小夜はここに進退窮まった。
断って立ち去るのが常道であろうが、怪しまれて浄瑠璃の鏡でも使われれば、一巻の終わりなのだ。
「じゃ、行きましょうか。中有の道は今日も賑やかよ」
溢れすぎた映姫の博愛精神は、いつしか幼女誘拐に発展しかかっていた。
仮にこの光景をスクープされようものなら、諭旨を通り越して懲戒免職は免れまい。
さしずめ『楽園の最高裁判官、頭の中まで楽園に!?』といったところだろうか。
(……やはり殺りましょう。今なら血の一滴すら流させずに仕留められるわ)
(だから落ち着けって! 隙を見て抜け出せば済む事だろう!?)
(茶番はもう沢山よ。私にはやはり、お嬢様以外との幼児プレイは耐え切れないの)
(お前さんの性癖とあたいの未来を天秤に掛けるなっ!)
せめぎ合う咲夜と小町の意思。
結果、小夜という体は主体的な動きを取る事が出来ず、映姫に手を引かれるままとなっていた。
しかし、そんな時に限り……いや、そんな時だからこそ動く存在があった。
お約束の神だ。
「……あ」
「?」
小夜の口から漏れた一言に、映姫は足を止める。
やはり強引過ぎたと思ったのか、手を離すと再び小夜と視線を合わせるように屈み込む。
が、その行動が、彼女にとっては仇となった。
「へぶらっ!!」
刹那の後。
イスラエル風味の叫びが、静寂の河畔に響き渡っていた。
「……ううう……」
「……くぅぅ……」
地に伏せ、苦悶の表情で呻くのは、咲夜と小町。
まるで先程の繰り返しのような光景であるが、今度は本当にダメージも大きかったのか、
二人は直ぐには立ち上がれずにいた。
が、本当に問題なのは、そんな些細な点ではない。
丁度二人の中間に屈み込んでいた、閻魔様の存在である。
「……」
あの重量感溢れる帽子が吹き飛ぶ程の衝撃にも関わらず、映姫は健在であった。
が、その頑丈さは、更なる悲劇を呼ぶ原因ともなっていたのだ。
「……」
しばし硬直していた映姫は、何かを思い出したかのように、ぺたぺたと自身の身体を探り出す。
やがて、その手が頭部に辿りついた瞬間、彼女は一つの感想を浮かべていた。
「とても……大きいです」
その独り言は、今の映姫の全てを表していると言えよう。
爆発に巻き込まれれば、アフロ。
もはや外界では希薄となりつつあるその常識は、果たして幻想郷では健在だったのだ。
無論、悪い意味で。
「し、四季様、イメチェンですか? な、中々似合ってますよ、具志堅っぽくて」
「え、ええ、本当に。高木ブーも裸足で逃げ出しますわ」
「……」
足腰立たない状態にも関わらず、律儀にも墓穴を掘りに走る元小夜の二人。
それが再度の合体失敗による動揺の表れなのか、それとも芸人魂の発露なのかは定かではない。
ともあれ、この段階で断言出来ることは、ただ一つ。
アカンやろ、と。
「死刑!!」
かくして三途の畔は、怒号、絶叫、爆音の鳴り止まぬ戦場へと変貌した。
主街道から外れた、とある川原。
夕焼けが眩しいその土手に、体育座りで俯く咲夜の姿があった。
スカート姿でのこの体勢は危険な事極まりないのだが、
時間も相まってか、周辺に人影は皆無ゆえ、さしたる問題とは成り得なかった。
いや、そのような事象に思いを巡らせる気にもなれなかったのだろう。
「……」
今の咲夜は、捨てられた子犬、と形容するに相応しい姿である。
それこそ、目に見えぬ尻尾がふるふると揺れている様が幻視される程に。
もはや彼女には、一切の希望は残っていなかった。
仕事を放り出し、恥も外聞もかなぐり捨てて追いかけた最後の可能性。
だが、その結果が、お約束の神とやらに散々に弄ばれるというものだったのだ。
小町の機転……というか犠牲により、辛うじて彼岸送りは免れたものの、
自身が目的を果たせなかった事に変わりは無いのだから。
「巨乳……儚い夢だったわね……」
既にして、咲夜の世界の外で口に出すことにも衒いが無い。
誰も聞いていないから構わない。ではなく、誰が聞こうと構わなかったのだ。
「あら……まだそんな事言ってるの?」
「……」
故に、返答があった事に関しても、殆ど感情の動きは無かった。
「別に気にするような物じゃないと言ったでしょう」
「……余計なお世話よ。貴方なんかに私の心情が理解できる訳が無いわ」
「それはそうね」
咲夜は体育座りのまま、ちらりと視線を送る。
何時の間にか隣に座っていたのは、少女と呼ぶには些か成熟し過ぎた女性。
赤と黒という独特のカラーリングが、妙に夕日と合っているのが印象的だった。
「……それで、何で貴方がこんな所にいるのよ」
「その言葉、そっくり返させて貰うわ。ちなみに私は往診の帰り」
「……」
永琳の容赦のない返しに、咲夜は口を噤まざるを得なかった。
よくよく考えるまでもなく、この場所に相応しくないのは咲夜のほうだからだ
紅魔館から遠く離れた地にて、黄昏の光景に浸るメイド長を見れば、誰とて気にもなろう。
「さて、せっかくだから、お悩みでも聞いてあげましょうか」
「……カウンセリングの一環?」
「そう受け取っても良いし、単に興味本位と見ても構わないわ。話すかどうかは貴方次第よ」
「……」
程なくして咲夜は、小声で経緯を語り始めた。
積極的な答えを求めた訳でもなければ、落ち込みきった心情の現われでもない。
単に、ここから立ち上がる切っ掛けが欲しかったという理由からだ。
「……その行動力。もっと別の方向に生かせないものかしらねぇ」
それに対し、永琳の第一声は、素晴らしく投げやりなものだった。
これがカウンセリングとするならば、彼女は紛れも無くカウンセラー失格であろう。
「あのね……もう少しまともな言い方は無いの?」
「あ、いえ、御免なさいね。まさか、そこまで真剣に悩んでいたとは思わなかったのよ」
「……」
咲夜は嘆息する。
有益な回答が得られなかった事。
及び、そうした期待を永琳に対して僅かながらに抱いてしまっていた事に。
「んー……それなら、通り一般の言葉なんかでは納得出来ないでしょうね」
「……分かったならさっさと行って」
「いえ、ここで引いては天才の名が廃るわ。ここは一つ、処方箋を送りましょう」
「……何よ」
「その合体術、私と試してみるというのはどう?」
「はあ?」
その提案に、咲夜は間抜けな声を漏らす事しか出来なかった。
合体の対象を選定する際、永琳は最初に浮かんだ人物であり、そして最初に除外された人物でもある。
肉体的な条件はまさに理想的とは言えたが、力量的に明らかに無理があったからだ。
永夜事変の際、咲夜はレミリアと共に解決へと向かい、そして激戦を経て黒幕と思わしき永琳と対峙するに至ったのだが、
その結果はというと、記憶から抹消したくなるような大惨敗であった。
何しろ、使い魔の壁に阻まれたとは言え、一本のナイフすら永琳に届く事は無かったのだから。
自己の実力を過小評価する癖は無かったし、相性的な問題に過ぎないと言い聞かせる事も出来たのだが、
それだけには留まらない格差のようなものを感じていたのだ。
もっとも、相性的な問題となると、それはそれで合体術のネックとなりうるのだから、
何れにせよ、相手としては不適当極まりないというのが咲夜の結論である。
「それとも、私では不満かしら」
「……そういう問題じゃないわ。私が貴方と釣り合う訳が無いじゃない」
「そう? やってみないと分からないと思うけど」
「大体、どういう風の吹き回しなのよ。最近の薬師は、そこまで奉仕精神旺盛なわけ?」
口にした段階で、その通りなのかもしれない。と咲夜は思っていた。
最近になって幻想郷の表舞台に姿を現した永琳は、日を追うごとにその評判を高めつつあった。
曰く、その薬は効果は絶大でありながら、法外な料金を求める事は無く、それでいてアフターケアも万全であり、
果ては直接的な診察まで請け負うという、これまでの薬師のイメージを根底から覆す存在、と。
無論、余りにも出来すぎた話ゆえ、懐疑的な目で見られる事も少なくはないのだが、
事実として幻想郷の住人が人妖問わずに助かっているのは確かであり、評判を呼ぶのもまた自然と言えた。
「これは単に私の個人的な意向よ。薬師云々は関係ないわ」
が、永琳の返答はいささか趣を異としていた。
これは咲夜にとっては、好意的に見ることが出来るものだった。
目的が見えない奉仕の精神より、直接的な理由があるほうが、よほど安心できるからだ。
「へぇ……で、その動機は何?」
「……私も合体とやらを体験してみたかったのよ」
「ぶっ!」
極めて分かり易い返答に、咲夜は吹いた。
「いえ、ね。ウドンゲ……鈴仙が余りにも楽しそうに語るんだもの。
誰だって興味も沸くってものでしょう?」
「あ、ああ、そういえば、アレが合体術の元祖だったわね」
正しくは、本家というのが正解なのだが、
当の元祖合体者は、今やそれが本体となってしまった故、間違いでもない。
無論、そんな事実は咲夜の知る由ではなかったのだが。
「という訳で、やってみましょう。
もう手順は聞いているから、説明は不要よ」
「……仕方ないわね」
駄目で元々……という訳でもないが、咲夜は永琳の提案に乗る事に決めた。
単に度重なる失敗のせいで、自棄になっていただけかもしれない。
が、少なくとも、もう一度動くだけの気力を取り戻していたのは確かだった。
人気の無い川原の土手で、夕焼けをバックに素敵な動きを披露する薬師とメイド。
傍目には、鼻からご飯粒が飛び出しそうな光景なのだが、
何故か今回に限っては美しく見えたという事にしておきたい。
無理?
うん、無理だな。
「「はっ!」」
指を合わせた瞬間、咲夜の耳に、ぽふん、という迫力の欠片もない効果音が届いた。
自然、やっぱり無駄だったか。という感想が浮かぶ。
だが、彼女は知らなかった。
これこそが、術法の完了を知らせる合図だったのだ、と。
「……」
発生した貧弱な白煙を、川原特有の吹き付けるような風が押し流す。
そこに立っていた人物は、一人だった。
(……嘘……)
(嘘じゃないわよ、ほら)
心に直接響く声に従い、咲夜はしげしげと己の身体を見つめる。
カラーリングに大幅に手を加え、ロングスカートになったメイド服。といったところだろうか。
むしろ、エプロンやホワイトブリムが健在で無ければ、メイド服とは呼び難かったろう。
髪はどういう談合が行われたのか、二つの房に分かれたロングの三つ編みである。
が、そうした外見に対する感慨は殆ど無かった。
というよりは、未だ成功したという実感に薄いのだろう。
(……でも、なんで? 条件が合うわけが無いのに……)
(その答えは簡単。私は自在に自分の力を変動させる事が出来るのよ)
(あ……)
(もっとも、この術でも上手く行くかどうかは分からなかったけど……ま、結果オーライね)
条件を一致させるのに、何かしらの外的要因が加わっても問題無いことは、昨晩の霊紫からも分かっていたことだった。
通常状態の霊夢と紫では、どう頑張ったところで体格が一致しているとは言い難く、
紫がお得意の能力を用いることで、サイズを霊夢に合わせたであろう事は明白だからだ。
とは言え、体格……も普通は変えられないのだが、それはそれとして、
力量なる曖昧なものを相手に合わせて変動させるなど、とても考え付かなかったのである。
(それよりも、感想は?)
(え?)
(……あのねぇ咲夜。それじゃ目的と手段が入れ替わってるって事になるわよ)
(じ、冗談よ、冗談。感想、感想……ちょい待ちなさい)
(はいはい)
眼下に広がるのは、作り物でもなければ錯覚でもない、重厚極まりない双丘。
それこそが、咲夜が夢にまで見ていた光景。
巨乳である。
(……そ、それじゃ、感想を述べるわよ)
(はいはい)
(……)
(……)
(……重いわ)
(ふふ、そうでしょう)
生死を秤に掛けてまで追い求めていたものにしては、余りにも素っ気無い感想と言えよう。
が、これこそが紛れも無い咲夜の本音である。
隣の芝生は青い、という諺が、否応無しに浮かび上がったほどだ。
(何というか……いざ現実になってみると、感慨も何も無いのね)
(そんなものよ。まあ、純粋に自分の身体であれば別かも知れないけれど、それでも直ぐに慣れてしまう筈よ)
(……そうね)
嫌味とは感じない。
実物に勝る説得力は無いからだ。
(これに懲りたら、巨乳敵視も自己卑下も止めることね)
(そ、そんなことをした覚えは……少ししか無いわよ)
(少しねぇ。ま、良いけど)
(むぅ……)
咲夜は、ある事実に気付く。
合体してよりこの方、ペースを永琳に握られっぱなしだ、と。
無論、傍目にはメイドもどきの女性が突っ立っているだけにしか見えないのだが、
中の人たる咲夜にとっては面白い事ではない。
故に、どうでも良い事と自覚しながらも、自ら話題の口火を切った。
(……名前はどうするの?)
(ああ、そういえばお約束だったわね。……んー、永夜で良いんじゃない?)
(ありがちね……ま、咲琳よりはマシだけど)
(最強の地球人みたいだものね)
(むしろ、人工甘味料じゃないかしら)
その名前はある意味、己の主……というか輝夜の立場を無視しているものなのだが、
永琳自身が提案したのでは、突っ込みの入れようが無かった。
単に、輝夜と合体する機会は、未来永劫無いと分かっていたのやも知れない。
(さて、それじゃ、帰りましょうか)
(そうね……ってちょいと待ちなさい)
(あら、何?)
(帰るって、何処によ)
(永遠亭に決まってるでしょう。そろそろ夕食の時間なのよ)
(それを言うなら紅魔館も同じなの。私の職業、忘れた訳じゃないわよね)
(仕事を放って奔走しておきながら、何を今更な事を言ってるの)
(……)
かくして、瞬時にペースは握り返された。
どうも今日の自分は抜けている……といった思考は直ぐに消す。
今の自分は、咲夜ではなく永夜なのだと理解したからだ。
(どうせ後始末にかかりっきりの今、メイド長も何も無いでしょう? せっかくだから晩御飯くらい食べて行きなさい)
(冗談。……と言いたいんだけど、こうなった以上は拒否権も無いのよね)
(分かってるじゃないの)
この合体術は、自然解除を待つ以外に解法は無い。というのは、共通の見解である。
実際にはそうでもなかったりするのだが、互いにそこまでは知らなかったのだ。
「よっ、と……この二重音声も妙な感じね」
かくして、完全で瀟洒な薬師となった永夜は、意味不明な独り言と共に地面を蹴る。
合体の影響か、身体は胸部の増量とは無関係に軽い。
向かう先は、住居でありながら敵地とも言える、良く分からない位置付けとなった館。
その名も永遠亭である。
ああ、YDS氏がこれから何年間も書き続けるフラグを……いいなぁ、こういう話も。
GJですっ!
これはすばらしいアイデアです。GJ!後半も期待してます。
永咲は王道ですよね。
中間管理職・巨乳というつながりで次あたり藍様でいかがでしょう
後編も楽しみに待ってます!
小夜ちゃんktkr
…コサッk(ry
非常においしゅう御座いました。
後編だけと言わず、『中の人』シリーズとして続編楽しみにしております。
それでこそさっきゅんだぜ!
>合体させ足りなかった……!
舞台が永遠亭に移るということでもこてる辺りも期待したいんですがだめですかそうですか。でもまだまだ合体させたりないとみた。
惜しい!奇々怪界2バージョンならそこそこ胸があったのに!
まあ、幻想になったのは本家だから、ある意味正しいのですがw
後編もwktkして待ってます。
>気付く事に出来た
>投げ捨てるで心意気
誤字?