昼でも暗い森の中。
魔力を秘めた茸が至る所に生える魔法の森。
道を惑わす妖精も出ることから人の侵入はほとんど無い。
そんな森に好んで暮らす変わり者がいる。
一人は普通の魔法使いこと霧雨魔理沙。
彼女の魔法はこの森の茸が必要となるため研究のためにもこの場所で暮らすのが最適なのだ。
そしてもう一人、この森を己の生活の場として選んだ者がいる。
☆
魔法の森にひっそりと立つ洋館。
その窓からは無数の人形達が外の様子を見張っているかのように並べられている。
それらの人形の殆どはこの館に住む魔法使いが一人で作ったものだ。
当の魔法使いはまだベッドの中で眠りに就いている。
すると突然人形の一体がむくりと起き上がり、ふよふよと作り主の元へ飛んでいった。
人形は枕元に降り立つと、創り主の頬をぺちぺちと叩く。
「う……ん、もう朝なのね」
寝ぼけ眼を擦りながら、家主アリス・マーガトロイドはいつも通りの朝を迎えた。
決まった時刻になると自分を起こしてくれるように魔法をセットしておいた人形による起床は彼女にしかできない芸当だ。
アリスは椅子に掛けてあったカーディガンを羽織ると、窓際に向かいカーテンを開けた。
いくら薄暗いといっても、この一帯はこの館が建っているため日の光は届く。
光を遮っていたカーテンが開かれ、窓も開けられると冬の冷たい風が温かな陽射しと共に部屋へと入ってきた。
「さーて」
アリスがパンと手を打ち鳴らすと、まるで一斉に目を覚ましたように人形達がぴくぴくと動き出す。
全て彼女の魔法によって動いている――と本人は言っている――のだ。
起きた人形達はそれぞれに役割が振り分けられていてアリスはそれを利用して生活している。
「それじゃあ炊事係は朝ご飯を作って、洗濯係は溜まってる分を洗っちゃって」
自分で動かしているのだから指示を出す必要はない。
本人にそれを聞いたところで多分返ってくる答えは曖昧なものだろう。
なんであったとしても人形が動くことに変わりはなく、
指示を出された人形達はアリスの指示に従ってそれぞれ台所や水場へと向かう。
その間にアリス自身は何をするのかというと。
(とりあえず着替えかな)
人形に作ってもらった朝食を食べ終わると、アリスは自室に戻ってひとまず椅子に腰掛けた。
一日はまだ始まったばかり。
取り急ぎしなければならないこともなく、むしろ何をするべきか考えあぐねているのが常である。
「新しい研究に取りかかっても良いんだけど……」
いまいちやる気が起きないのよね、とアリスはぼやく。
ここのところずっとそうなのだ。
なんだか新しい魔法を研究する意欲が湧いてこず、毎日をただ何事もなく過ごしている。
いざ取りかかろうと魔導書を選んでみても、それを机に持ってきた時点ですでにやる気は皆無になってしまう。
常に新しい知識を求める魔法使いでありながら、アリスは最近魔法使いらしからぬ生活を送っていた。
「魔理沙ならどうするかしら」
アリスは同じ森に住む人間のことを思い返した。
きっと彼女は今日も人知れぬ努力を重ねていることだろう。
自分と違ってまだ人間である魔理沙は自分よりも寿命が短い。
だからだろうか。彼女は常に自身の向上の為に生きている。
なら魔法使いになってしまえばいいとも思うのだが、それは彼女の思うところではないらしい。
人間としてどこまで高みへと上れるのか、それを試しているのだろうか。それは本人にしかわからないことだ。
だがその常に前向きで無鉄砲な生き方は今のアリスにとって羨むべきもの。
「あいつを見習うなんてしたくはないんだけど……」
今の自分はきっと魔理沙にも紅魔館の魔女にも劣っていることだろう。
そんなことあってはならない。
「よしっ」
アリスは勢いよく椅子から立ち上がると気合いを入れるように両手で頬を叩いた。
考えるのが魔法使いの十八番だが、それだけではダメだ。
何かを考えるためにはその種となる何かが必要となる。
それは考えているだけでは見つけにくい。その為には時に動く必要がある。
「せっかくの良い天気だし、たまにはどこかぶらぶらしてみるのも良いかもね」
思えば前に館を出たのはいつだっただろうか。なんだか外に出るのが凄く久しぶりな気がする。
アリスは思い立ったが吉日と早速出掛けることにした。
☆
数体の人形を引き連れて空を飛ぶアリス。
しかし今彼女はある問題と直面していた。
「外に出たのは良いけどこれからどうしようかしら」
元より何か目的があって外に出たわけではない。
強いて言えば目的を探すのが目的といったところだろうか。
そのようなことではすぐに手持ち無沙汰になってしまうのは目に見えている。
「うーん……行き先くらいは決めてから出た方が良かったわね」
行くとすれば神社か人里か、はたまた紅魔館の図書館か。
一つ一つ頭に思い浮かべてみるが、どこも今ひとつパッとしない。
何かこれぞといった所はないものか。
アリスは空中に浮かんだまま腕を組んで考える。
その傍では人形達が同じように腕組みをして浮かんでいた。
「あっ、そういえば……」
以前魔理沙か誰かから聞いたことがある。
“無名の丘”と呼ばれる誰も近寄らない場所に魂を得た人形が住んでいるという噂。
自立して動く人形、それはアリスが目指すべき魔法の境地。
これまでにも何度かそれらしいものを見かけたことはあるが、どれも近くで見たわけではない。
ただなんとなくそう見えただけ、というのが全てだ。
もしその噂が本当で自分の意思を持って行動する人形がいるならば、今後の見知の為にも是非会っておきたい。
そして叶うならば是非その体を調べさせてもらいたいものだ。
……調べると言っても決して不純な動機ではない。
「よし決めた。今日はそこに行ってみましょ」
ようやく湧いてきたやる気に、アリスは久しぶりに活き活きした笑みを浮かべた。
それを見た人形達の顔が微笑んでいるように見えたのは錯覚だろうか。それとも――。
☆
無名の丘。
人里から隠れているその場所には鈴蘭が一面に咲いている。
それでは迂闊に人も妖怪も近づけない。
弱い毒にじわじわと侵蝕され、いつの間にかその餌食になってしまう。
何故ここにこんなにも鈴蘭が咲いているのか、それは誰も知ることはない。
しかしそれで喜んでいる者はそんな理由など知らなくても良いのだ。
「春には来たくない場所ナンバーワンね」
無名の丘へとたどり着いたアリスは、一面に生える鈴蘭畑に圧倒されていた。
しかし今は時期外れなこともあって有毒な花は一つも咲いていない。
これならゆっくりと目的の人形を探すことができるというものだ。
とりあえずぐるりと体を一周させて周囲の様子を探り見る。
見事に人っ子一人いやしない。妖怪の気配も微塵も無し。まさに無名の丘である。
「って誰もいなかったら来た意味なんて無いじゃない!」
などと叫んぶアリスの袖を、連れてきた人形の一体が引っ張った。
何か感じたら報せるように指示を出しておいたものが反応したらしい。
「何か見つけたの?」
アリスは人形が導くがままに鈴蘭畑を進んだ。
するとしばらくしてアリスの耳に誰かが啜り泣く声が聞こえてきた。
その声はとても哀しげで儚げで、気付こうとしなければ誰にも気付かれない、そんな危うさを秘めているようなものだった。
「……誰?」
そっと鈴蘭を掻き分けて、その声の主を確かめようとするアリス。
見つけたのは金糸の髪と真紅のドレスが印象的な少女だった。
「誰?」
アリスの視線に気がついた少女は透き通る硝子のような瞳を向ける。
そのときアリスはその少女の異変に気がついた。右腕と左足が無いのだ。
そしてもう一つ、破れたドレスの間から見える無くなった腕と足の付け根。
それは人間のものではなく、しかしアリスは良く見知っている球体関節だった。
「あなたが自分の意思で動く人形なの?」
「に、人間!?」
アリスの容姿は人間と何ら変わりない。元々人間だったのだから当然だ。
人形の少女はその姿を見るや恐れ戦きその場から逃げようとする。
だが片腕と片足だけでまともに動けるはずもない。ただじたばたとその場で暴れることしかできずにいた。
「大丈夫よ。私は人間じゃないわ」
「え、そうなの? あ、人形……」
メディスンはアリスの傍に浮かぶ人形を見て些か落ち着きを取り戻したようだ。
それを察したアリスは話を続けることにした。
「私は魔法使いよ。あなたに用があって来たんだけど……」
アリスは彼女の無い右腕と左足に視線を落とす。
「どうやらそれどころじゃないようね」
ひとまずアリスは人形の体を起こして近くの岩に背もたれさせた。
まじまじと見るとその精巧な作りに人形師として感心させられる。
普通の人形よりも大きめに作られているのに、その部位一つ一つがどれを取っても一級品以上。
どれもこれも作るのにまったく手が抜かれていないのが窺い知れる。
それだけに右腕と左足の喪失は尚のこと惜しく感じられた。
「それで何があったの。人間を怖がっていたみたいだけど」
人形は自身をメディスン・メランコリーと名乗った。
メディスンが言うには興味本位で山を歩いていた人間に近づいたところ、
突然攻撃されて腕と足をもがれたのだという。
まだ妖怪化して間もないらしく、人間と妖怪の間柄についてあまり知らなかったようだ。
不用意に人間に近づけば退治される。それが妖怪というもの。
ルールに則りさえすれば互いに深い干渉はしないものだが、それがなければ彼女のように酷い目に遭うことも致し方ない。
「まぁこれから学んでいく事ね。妖怪のことも人間のことも」
「でもこれじゃあ……」
メディスンは失った箇所を見つめ、また哀しそうな声を上げた。
人形だから涙を流すことはできないが、今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。
「はぁ、仕方ないわね」
アリスはよいしょとメディスンを背負うと空へと浮かび上がる。
メディスンは突然のことに目を白黒させた。
「え、えっと、何なのよ」
「あなたの腕と足。私が直してあげるわ」
七色の人形遣いの二つ名を持つ自分が壊れた人形を見捨てたなど天狗が知ればどんなネタにされるか。
それにこれは自立人形を調べるまたとない機会。
断じて同情して知らずの内に助けていたわけではない、とアリスは自身に言い聞かせながら家路に着いたのだった。
☆
「うわぁ~っ、凄いわね。これ全部アリスのお手製なの?」
「全部ってわけじゃないわ。買ってきた物や拾った物もある。でも殆どが私製ね」
アリスの家に入るとメディスンはとても驚いた。そして同時にとても嬉しそうでもあった。
そんな風に言われると、アリスとしても悪い気はしない。
まあ人形なんだから仲間が大勢いるのは嬉しいことなのかもしれない。
「とりあえず腕と足が元通りになるまではここがあなたの家よ。
出掛けるのは……まあ無理だろうけど外には出ないようにね」
「仕方ないわね。この体じゃ満足に空も飛べないし」
どうやら落ち着きの方は完全に戻ったようだ。
メディスンはしげしげと興味深げに室内の人形達を見つめている。
「ねぇ、この子達は私のように自分で動いたりはしないの?」
それができていたならもっといろんな研究をしている。
アリスはいきなり痛いところを突かれ心の中で両手を突いて落ち込んでしまった。
しかしめげてはいられない。
今目の前にその研究を完成させる鍵が座っているのだ。
「今はね。でもいつか私の手であなたみたいに自分の意思で動く人形を作ってみせるわ」
「それはとても素敵なことだわ。是非完成したら私にも教えてね」
「えぇ、良いわよ。でもその前にまずはあなたの腕と足を直してからね」
こうして人形遣いと遣われない人形の奇妙な生活が始まった。
☆
翌日、アリスとメディスンはアリスが人形を作ったり魔法の研究のために使っている作業室にいた。
勿論メディスンの無くなった手足を元に戻す為である。
その為には、まず素材を確かめなければならない。
アリスは丹念にメディスンの体を調べ始めた。
「ちょっとくすぐったいわ」
「すぐに済むわ。外れた腕か足があれば本当は良かったんだけどね」
匂いを嗅いだり爪で擦ったり、手でなで回したりと色々な方法で彼女の体を作っている素材を見極める。
ただし彼女の体には毒が充満しているため人間の手では直接触れることはできない。
だから特殊な手袋を着けた上での調査だ。
幸い幻想郷にある素材で作られていることが分かり、その面で断念するという最悪の事態は免れた。
「あぁ恥ずかしかった」
服を着直しながらまるで人間のようなことを言うメディスン。
そこへアリスが制止の言葉を口にした。
「待って。そのまま服は脱いじゃって」
「えーっ、なんでよ!」
「この際だから寸法も測るの。服を着たままだと正確な数字が測れないからね」
自分の体を取り戻すためとはいえ、服を脱ぐのは抵抗があるらしい。
しかし腰に手を当てて見下ろすアリスの剣幕に、メディスンも諦めを見せ着直していたドレスを脱ぎ始めた。
赤と黒を基調にしたフリルの多い人形らしい衣装を脱ぐと、その下には白のキャミソールと同じく白のドロワーズが現れる。
「あらちゃんと下着も着けているのね」
「当たり前よっ……ってまさかこれまで脱げとか言うんじゃないでしょうね」
「脱ぎたいの?」
「そんなわけないでしょうっ。全くもう」
ぷりぷりと頬を膨らすメディスンにアリスは思わず笑いを溢してしまう。
それを見たメディスンがさらに怒り、アリスはさらに笑いを大きくした。
そしていつの間にか二人して笑っている。
こんな光景がこの家で起きるなんて、家主のアリスも思っていなかったことだろう。
「それじゃあきちんと測るからね。くすぐったいからって動いちゃダメよ」
「わかってるわ。そっちこそ変なことしないでよね」
「……言われるとしたくなるのが性ってものだけど?」
「わ、ちょっ、そこはダメだってばぁっ」
不気味な人形屋敷と呼ばれるその館から、その日は一日笑い声が絶えなかったという。
☆
それから数日後。
二人はすっかり意気投合し、アリスはメディスンを愛称で呼ぶまでになっていた。
そんな間にも作業は着々と進められており、この数日の間に素材は全て揃い、
設計図も作り終わって、アリスは本格的に修復作業に入っていた。
関節の細部、指の先から爪まで精巧に。
多くの人形を作ってきた自分が感心するほどの出来映えをもった人形の一部を作るのだから、
その力の入れようは自然と熱の入ったものになる。
「凄いわね」
「え?」
近くでその作業風景を見守るメディスンがぽつりと呟いた。
「私は自分が作られるところなんて覚えてないけど、アリスみたいな人が作ってくれたのかなって」
「メディ……」
「凄く真剣な顔で、大事に大事に作ってくれてる。なんだか嬉しいわ」
そう言って笑顔を見せるメディスンにアリスは思わず頬を朱に染めた。
今まで誰かに人形を作る所など見せたことがない。
それを初めて見せたのが人形で、そして笑顔で褒めてくれている。
「も、もぅ、そんなこと言われたら集中できなくなっちゃうでしょ」
「あー、なら今日の所はやめておいて。気が逸れて失敗でもされたら困るし」
「言うようになったわね」
アリスは椅子から立ち上がるとうーんと背伸びをした。
ずっと作業に没頭していたからかあちこちが痛い。
これだけ集中して何かに没頭するのは久しぶりだ。
「それじゃあ、休憩のお茶でも飲もうかしら」
それが良いわと賛同するメディスンを後ろに、アリスは台所へと向かった。
やかんに火を掛け湯を沸かしながら、しばらくぼーっとする。
考えるのは勿論奇妙な同居人のことだ。
調べたところ全身に回っている毒、それが人間の体を動かす化学反応の代わりを行っているらしい。
だがそれだけで意思を持った人形が生まれるとは到底考えられないのだ。
付喪神ということも考えられる。
あれだけ精巧に作られたということは、それだけ想いを込められて作られたのだろう。
強い想いは作られた物に乗り移ると言うが、それが長い年月をかけて精神となったのか。
辿り着きたいところに近づきそうで近づかない。
「アリス、お湯湧いているわよ」
作業部屋からメディスンの声がする。
気がつくとやかんがしゅんしゅんと音を立てて、沸騰したことを教えてくれていた。
どうやら考え事に没頭していて気がつかなかったらしい。
アリスは慌ててやかんを下げると紅茶を淹れる準備を始めた。
その夜、アリスは夢を見た。
それは懐かしい家族の夢。
喧嘩をしたり遊んだり時にいろんな事を教わったりした姉妹、そして自分を生み出してくれた母親。
懐かしい思い出が暖かさと一緒にこみ上げてくる。
家族の夢を見るのは久しぶりだ。誰かと一緒に暮らしているからなのか。
それともこの夢はアリスに何かを訴えようとしているのか。
しかし次の日アリスが目覚めたときには、夢の中身はぼんやりとしか記憶には残っていなかった。
☆
さらに数日が経ち、ついにメディスンの右腕と左足が完成した。
アリス自身も満足のいく仕上がりになり、後はこれをくっつけるだけ。
「それじゃあ行くわね」
「うん……」
どちらも緊張の面持ちで魔力の糸が球体関節と手足がくっつくのを願った。
慎重に針を進めるアリス。
そして十数分を掛けてようやく右腕と左足が固定された。
「ふぅ、とりえず見た目は大丈夫ね」
「凄い、凄いわ。本当に元通り!」
「まだよ。ちゃんと動かなきゃ、どれだけ見た目が元通りでも失敗になってしまうわ」
喜ぶメディスンとは対照的にアリスは強張った表情を崩していない。
「じゃあ動かしてみるわね」
「ゆっくりよ。いきなり激しく動かそうとすれば外れかねないから」
「もぅ分かってるわよ。……えっと」
指先に力を込めていくメディスン。
だが五指のどれも動く気配はない。
「もう少し力を加えられる?」
「やってみる」
再び指先に意識を集中させ力を加えていく。
すると微かだが中指の第一関節がぴくりと動いた。
「や、やったわ!」
「動いた、動いたよアリスっ」
抱き合って喜ぶ二人。
だが動いたと言ってもまだまだ元通りというわけではない。
しかしその原因もすぐにアテがついた。
「多分まだ毒が回りきってないからだと思う。完全に馴染むまでは時間が掛かるかも」
「そう。じゃあしょうがいなわね。もう少しここにいて良いわよ」
その言葉にメディスンは目を輝かせた。
「本当っ!」
「ここまで来たら乗りかかった舟だしね。元通りにするって言ったし」
それに、と言いかけてアリスは思わず口を噤んだ。その続きは頭で思い浮かべるだけでも恥ずかしい。
それに相手は人形だ。たたでさえいつもの人形操作は一人芝居だ何だのと言われているのに。
(でも……)
嬉しそうなメディスンの笑顔を見ていると、それだけで置いておくことにして良かったと思える自分がいるのは確かだった。
また夢を見た。
今回もまた家族の夢。でも少し違う。
アリスが家族の元を離れたときの夢だ。
彼女を生み出した母親は神だった。だから正式には母親とは違うのかもしれない。
だがアリス達にとっては自分たちを生み出してくれた母親に変わりはない。
そんな大切な母親の元を離れようと決意した夜のこと。
魔法を使う程度の力しかなかった自分が魔法使いになってまで母親の元を離れた理由。
それはなんだったのだろうか。
☆
メディスンの回復はあまり良好とは言い難い状態だった。
ここまでは何ら問題もなくやってきたというのに、ここで足踏みをするとはアリスも考えていなかったことだ。
くっついて動きさえすれば大丈夫だと思っていたのに。
「ん……っと。指四本か」
手の平を握ろうとしても動くのは親指以外の四本が辿々しく動くだけ。
「足の方は?」
「まだ立てないみたい。力が入らないもの」
椅子に座った状態で足を軽くぶらぶらさせているがそれが限界らしい。
「そう」
もう毒が回るには充分な時間が経ったはずだ。
なのにどうして腕も足もまともに動かないのか。
一生懸命にリハビリするメディスンを見ていると、そのどうしようもなさが苛々となって心に溜まる。
もう自分が手伝えるのは完全に直るまでここに置いておくことしかできない。それがさらに苛々を生む。
そんな脳裏によぎるのは「失敗」の二文字。
くっつくだけでは、動くだけではダメなのだ。だが今更それを言ったところでどうなるというのか。
「……私の人形なら簡単に操作できるのに」
棚に並んでいる人形達は自分が魔法を掛ければその通りに動く。
もし手足が取れてしまっても、またくっつければ元通りになるだろう。
だがこのメディスンの手足はそうではない。
人形の手足だけなのに、どうして失敗してしまったのか。いやそもそも失敗なのか。
(……素材は全く同じ物を使ってるし、寸法だってミリ単位の誤差もない。
あれだけ精巧な造りに近づけられるのは私くらいしかいないのに)
人形遣いとしての矜恃が失敗を認めずにただ延々と原因を模索する。
だがどうしてもメディスンの手足はいっこうに直る気配を見せないでいた。
そんなある日のこと。
最近はリハビリも兼ねてメディスンがアリスを起こすのが日課となっていた。
まだ両足では立てないためふわりと浮かんで側まで寄ると、肩を揺すって朝を伝える。
「アリス、おはよう」
「うー……眠い」
ここの所ずっと睡眠不足でいつもの時間に起きるのが辛い。
それに最近はやけに苛々している所為か寝付きも悪く寝た感じがしない。
「ふわぁああっ」
「ほら朝よ。今日も頑張らなきゃ」
メディスンは中々直らない手足に挫けることなく、前向きな姿勢を崩さない。
もしかしたらこの手と足は失敗作なのではないかと思わないのだろうか。
「……ごめん、今日は疲れてるからもう少し眠ることにするわ」
「えーっ」
残念そうな声を上げるメディスンを横目に、アリスは再び布団を被って眠りに落ちた。
母親は神様だ。
世界を造り、私たちを生み出し、見守り続けてくれる神様。
私はそんなお母さんが大好きだった。
いつかお母さんのようになりたいと思っていた。
大好きで尊敬するお母さんのように。
だから私も何かを生み出せるようにならなければならないと思ったのだ。
その為に魔法の勉強をした。
魔法が一番それに近づける方法だったと思ったから。
でもそれだけじゃダメだった。だから私は魔法使いになった。
それでも私はお母さんみたいにはなれずにいる。
何かを生み出すどころか私は自分自身の周りのことで精一杯だ。
どうして近づけないの。
どうしてダメなの。
私には……分からない。
アリスの夢はそこで覚めた。
窓の外はまだ明るい。時計を見るとちょうど正午を回った辺りだ。
「メディ?」
寝室には居ない。
作業室で動かない人形達を相手に人形解放の演説でもしているのだろうか。
そう思いながら作業室の扉を開いたが、そこにはアリスの人形が綺麗に並んでいるだけだった。
嫌な予感がしてアリスは家中を見て回る。
だがどこにもあの印象的な金の髪と赤いドレスは見あたらなかった。
☆
「どう? そっちにはいた?」
アリスの問いかけに首を横に振る人形。
そう、と頷くとアリスは再び人形に魔法で指示を出す。
「それじゃあまた探しに行って頂戴」
指令を上書きがされた人形はそれに従ってまた森の中へと姿を消した。
茂みにその姿が消えたのを見送ったアリスは一人立ち尽くし深く息を吐く。
メディスンはあれからずっと帰ってきていない。もうすぐ日も暮れようとしているのに。
もしかして自分が半ば諦めてかけていたことが伝わって愛想を尽かされたのだろうか。
「当然か……。失敗作の腕と足しか作れないんじゃ用はないもの」
ならばどうして自分はここにいるのだ。
自身の中に浮かんできた疑問にアリスは唇を噛む。
「心配だから」
浮かぶことで移動はできても手足の回復はまだ不完全だ。
そんな状態で外に出て、また人間と対峙したり妖怪と戦うことになったら。
その先がどうなるかなんて考えるまでもない。
「まずは見つけないと……」
見つけたところで彼女が戻ってくると言うかはわからない。
もう戻ってくるのは嫌だと言うかもしれない。
でも今はそんなことより彼女が無事でいるかを確かめなければならない。
アリスは自身もメディスンを探すために動き出した。
かつて母が自分に言ってくれたことがある。
何かを生み出すということは、あなたが思っている以上に大変なことだと。
それは今痛いほど実感している。
だが母が言いたかったことはそう言うことではなかった気がする。
そう、その言葉には続きがあった。
よくわからないまま忘れていた母の言葉。
「“生み出すこと”と“作り出すこと”は全く異なるの。
その違いが分かるかどうか、それが一番大切で大変なこと……。
もしあなたが私のようになりたいと思うならそれは構わない。
でもね、この言葉の意味がわからないままなら、いつまで経っても次へは進めないわよ」
母が言いたかったこと。
それを未だ理解できずにいる自分。
作るということ、生み出すということ、その違い。
「お母さん……」
ぽつりと呟いたアリスの鼻先に、ぽつりと滴る一滴の雫。
見上げるとどんより暗い空から細い雨が降り始めていた。
次第に強さを増しつつある雨にひとまずアリスは森に放っている人形達に家に戻るように指示を飛ばす。
そして自分は近くにあった木の下まで走り、雨が止むのを待つことにした。
滴る雨粒が奏でるメロディ以外に聞こえる音はない。まるで雨音が全てを遮っているかのようだ。
邪魔な音は何もなく、ひたすら騒々しい静寂に感覚を委ねる。
そうしていると色々なことが頭に浮かんでくる。
メディスンのこと。かつて自分が居た場所。自分が今こうしている理由。
雨音に浮かんでは流れてゆく思考に終わりが来ることはない。
せめて雨が止めば気が紛れるのかもしれないが、それは根本的な解決に繋がらない。
雨が止むように簡単に終わってくれれば。
「それも無理な話ね。……私ってこんなキャラだったかしら」
悩んでいるのは性に合わない。
そもそも悩んでいるから答えが出ないのだ。ならば悩まなければ答えを出す必要もない。
「違う。それはただ自分を誤魔化しているだけよ」
くしゃりと髪を掴んで逃げそうになった自分を叱咤する。
いつまでもそうではいけない。真剣に向き合わなければならない時はそうしなければ。
「よっし」
両の拳を握りしめて気合いを一つ。
まずはメディを探そう。
まだ失敗かどうかもわかっていないのだ。結論づけて放っておくにはまだ早い。
雨は降っているが、それでも飛べない強さではない。
意を決して雨の中に飛び込もうとしたとき、背後の茂みから彼女を呼び止める声が聞こえてきた。
「ねぇもしかして……アリス?」
「その声はメディなの?」
「あぁ、やっぱりアリスだ。こんな雨の中どうしたのよ」
茂みを掻き分けて姿を現したのは朝から姿を消していたメディスンだった。
ドレスのあちこちが泥で汚れてしまっている。この雨の中を飛んでいたのだろう。
「それはこっちの台詞よ。雨の中雨宿りもしないで何していたの」
責めるようなアリスの口調にメディスンは狼狽えながら答えた。
「えっと……ちゃんと動けるように特訓、かな」
それならどうして家の中でしないのだ。
そう言おうとしたアリスより先にメディスンが言葉を続けた。
「アリスの家で練習してると、アリスが泣きそうな顔するから。もしかして私がいるからかなって」
「え……」
「だから外で練習して、アリスには心配掛けないようにしようって。
それで元通り動かせるようになったらアリスも吃驚するだろうなぁとか」
えへへと誤魔化すように笑うメディスン。
だから家から出て行ったというのか。
愛想を尽かして出て行ったわけではないのか。
「メディ」
次の瞬間にはアリスはメディスンの小さな体を抱きしめていた。
嬉しかったのだ。理由なんてそれだけで充分だ。
「私、ずっと失敗したと思っていたの。でもそれを言ったらまた目標から遠ざかる気がして
失敗かも知れないのに頑張っているあなたを横目に何も言えずにいた。
だからあなたもようやくそれに気付いて、私の元を去ったのだとばかり……」
「違うわよ。アリスの作ってくれた腕と足は失敗なんかじゃないわ。ほら」
懺悔の言葉を並べるアリスの髪をメディスンの右手が撫でた。
「あなた……右手動かせるようになったの?」
驚きの表情を浮かべるアリスに、メディスンは苦笑を浮かべた。
「まだもう少し時間が掛かりそうだけど、前よりはずっと動かせるわ」
言いながらぎこちなくではあるが拳を握ったり開いたりするのを見せるメディスン。
同時に左足も上げたり下げたりを繰り返す。
確かに前よりずっと動きがよくなっているようだ。
しかしアリスは内心喜びと同時に、突然どうして回復を始めたのかという疑問が浮かぶ。
だがその答えを出す前に自身のくしゃみによってまずは家路に着くこととなった。
勿論メディスンも一緒に。
☆
家に着いたアリスはメディスンの体を綺麗にすると、先に戻しておいた人形も同じように綺麗にした。
その後は特に何をすることもなく早めに床に就くことにした。
久しぶりに森の中を動き回ったから昼まで寝ていたというのに疲れてしまったのだ。
おやすみを告げるとアリスはすぐに眠りの中に意識を溶かした。
また夢を見た。
だがこれは今まで見たことのない夢だ。
夢の中なのに自分はベッドに入って寝息を立てている。
意識がはっきりしているのは夢だからだろう。
寝ている自分の横には大好きな母親が居る。
そうだ、ずっと昔に子守歌をねだって傍にいてもらったことがある。
まだ幼かった自分は母親の優しい歌を聴くとすぐに眠ってしまった。
その後も母はずっと傍にいてくれたのだ。
その母親が自分の髪を指で梳きながら何か言っている。
「我が侭を言うようになるなんて、あなたも大きくなっているのね……。
私の言う事なんて聞いてくれなくなる時もじきにやって来るかしら。
でもそれが私が生み出したあなたが成長するということだものね。
私の思い通りに動くものとして生み出した訳じゃない。
私にできるのはいつも見守って時々助けてあげることくらい。
だから安心してお休みなさい、私の愛する可愛い娘(アリス)。」
「アリス、どうしたの? もしかしてどこか痛い?」
アリスが目を覚ますとメディスンが顔をのぞき込んでいた。
なにやら心配そうな顔をしているので、何事かと尋ねると泣きながら眠っていたらしい。
「大丈夫よ。ちょっと夢を見ていただけ」
とても愛に溢れた夢。残念なことに内容はまたぼんやりとしてしまっているが、
あの母の言葉だけはしっかりと焼き付いていた。
なんだか少しだけ分かった気がする。
どうして自分は先へ進めないのか。
どうしてメディスンの手足の直りが遅いのか。
(それは私が作ることに執着していたから……)
作りだしたものは思い通りにならなければそれは失敗だ。
だが生み出したものは思い通りにならなくて当然。その為に生み出すのではないのだから。
ものを生み世界に放つということ。
それは自身の手の中から離さなければならないということ。
自分のものとして思い通りにしようとすれば、それは作り出すのと同じなのだ。
「ねぇメディ、元通りに動けるようになってもいつでも遊びに来て良いからね」
いきなり直った後のことを言われ困惑するメディ。
だがすぐに照れたような笑顔を浮かべた。
「な、何よ突然。……でも嬉しいわ、ここにはお友達もいっぱいいるし」
「さーて着替えようっと」
「わわわ、いきなり話変わりすぎよっ。というか私の話無視してるじゃない」
「さてどうかしらね。ほらいつまでもベッドの上にいられたら下りられないわよ」
「もーっ。一体何なのよ」
アリスのころころ変わる言動に。メディスンは不平を漏らしつつもベッドから下りた。
しかしつい飛び降りてしまったのは不味かった。その勢いのまま足から着地する羽目になってしまう。
今から浮かぼうにも遅すぎる。バランスを崩して転んでしまうのは覚悟しなければならない。
「っ!……と、と、と?」
床に着いた足はバランスを崩しながらも、それを保とうと体重をきちんと支える。
おかげで転ぶことなくベッド足の傍まで辿り着けたメディスンは両手でそれを掴んだ。
「え、あれ?」
足は体重を支えてくれ、両手はきちんとベッドの足を掴んでいる。
「メディ、もしかして直ったの?」
足踏みしたりジャンプしたり、グーパーしてみたりして確認するメディスン。
その顔がみるみるうちに驚きと歓びに染まっていく。
「直った! 直ったわよ! すっかり元通り!」
メディスンは歓びを全身でアピールするかのようにバンザイしながらジャンプする。
そしてそのままアリスに飛びついてきた。
「アリス、やっぱり失敗なんかじゃなかったわよ!」
「そう……そうね。よかった」
どうして突然直ったのか。
いやそうではない、元々とっくに直っていたのだ。
ただそれを作り手の感情が邪魔していただけ。
こうでなくてはならない、そうでなければ失敗という感情が阻害魔力として働いていたのだ。
それに気がつかせてくれたのはメディスンと、母親からの教えだった。
☆
すっかり元通りの体を取り戻したメディスンは何度も礼を言いながら無名の丘とへと戻っていった。
その飛んでいく姿をアリスは見えなくなるまで見送っていた。
また一人になってしまったアリスだが、その顔には清々しささえ感じられる。
「よーし、それじゃあ次の研究に取りかかろうかしら。ようやく糸口が掴めた気もするし」
ね、と近くにいた人形にウインクする。
人形はそれに反応するようにこくんと頷いた。勿論アリスがそうするように指示を出したものだ。
「今はこれくらいしかできないけれど、きっといつか自分から頷き返してくれる人形を生み出してみせるわ」
アリスはおーっと気合いを入れるように両手を伸ばすと、新しい構想を形にするために家の中へと入っていった。
空は雲一つない晴天。
今日はなんだか良い一日になりそうだ。
悩みのない魔法使いに訪れた突然のにわか雨(メランコリー)。
だが止まない雨はなく、雨の後には虹が架かるもの。
それはきっと彼女の心の中にも――
《終幕》
>( ノД`)エエ話や。
初心に返るつもりで、こういった内容でいかせていただきました。
>久々に良いアリスを見た。感謝する
可愛いアリスや、恋するアリスは他の人にお任せしますw
>アリスの優しさが前面に出ててよかった。
三月精のおかげで、アリスは親切というイメージがつきました。
素敵なお話でした