『かざみどり』
さらさらと風が吹けば、山吹色の波が起こる。雲一つない晴天より注がれる光を万遍に受けて、
太陽の畑は今日も変わらず、何も変わらず平和であった。
人の姿は存在せず。誰も居ないように見えて、物陰では妖精達が日向ぼっこに精を出している。
広々と伸びるひまわりの絨毯、外から見ては解らぬ程の奥、明らかに周りと大きさの違う花が
一つだけ咲いている。具体的に言えば、人一人が悠々と寝そべるくらいに大きい。
太陽に顔を向けたそれに、実際寝そべる少女の姿が見える。上半身に影を作るように、日傘が
宙に浮いて、ゆったりくるくると回転していた。
影の下で、若葉を思わせる鮮やかな緑の髪が、ふと吹いた風に揺れるて小さく踊る。
すると少女は、気持ち良さ気に瞑っていた両目をゆっくり開けた。小さなあくびを片手で隠し、
その後に両目の端をコシコシと擦る。回る日傘の取っ手を掴み、くいっと横にずらした。眩しさに
目を細めつつ、空を見上げる。
視線の先に、青空を隠す一つの影があった。
「おや、起こしてしまいましたか? 失礼」
こちらは艶のある漆黒の髪を風に揺らす少女。特に恐縮した様子も無く、にっこり微笑んで
軽く会釈をした。
「あなたが来ると、心地良い風が吹くのよ。正直それだけ持ってきてくれればいいんだけど」
緑の髪の少女も、微笑んで挨拶を返す。
「風こそオマケですよ。今日も幻想郷のホットニュースをスピーディー提供、文々。新聞です。
はいどうぞ、風見 幽香さん」
肩から提げたカバンから新聞を一部取り出し、差し出す。
「いつもごくろうさま、新聞屋さん」
にっこり笑って、幽香はそれを受け取った。
天日干ししたひまわりの種を炒ったものと、それを荒く砕き潰し煮出して淹れたお茶。
新聞に目を通す幽香の横で、射命丸 文は差し出されたもてなしを満喫する。新聞配りに
来ただけの彼女をこれだけ歓迎するのは、天狗の良風を浴びたいからである。冷たくなく、
強くなく、程好い水分を含んで、一家に一台置きたくなる逸品だ。
幽香にとって文の評価はそれだけであり、新聞の内容なんてどうでも宜しかったりする。
早いのは足だけで、情報はどれも『一足遅い』ものばかりだし。
「幻想郷縁起、ついに完成……? 新聞屋さん、幾ら何でも情報遅すぎるわよ……」
流石に眉を顰め、ため息混じりに話しかけると、
「もぐもぐもぐもごもぐもぐ?」
リスみたいに頬一杯ひまわりの種を詰めた文が、何かを言い返してきた。
「ああー……いいわ、何でもない。ゆっくり食べてて……」
「もぐもぐ」
素直に頷いて、ゆっくり咀嚼を始める。まぁ今に始まった事じゃないかと、幽香も諦めて
大きく開いていた新聞をぱさりと閉じた。
人里離れたここ……太陽の畑でも、流石に幻想郷縁起の話は届いている。人の中でも妖怪の中でも
噂になっているのだから、滅多にここから動かない幽香だって、自ずと耳にするものだ。
人の手によって纏められた、対妖怪マニュアル……だったらしいが、実体は幻想郷で有名な
存在の紹介本になっているらしい。そこに自分や、隣でぷっくり頬を膨らませている文の事も
載っているとの事だが、幽香は残念ながら実物を拝見した事はなかった。
一度くらいは見たいと思っている。機会があれば。
「ところで……」
何か言おうとして、止まった。一つ訊ねたい事があったのだが、今の文は烏じゃなくて
ただのリスなので、話しかけてもモグモグとしか言わない事を思い出したのだ。
「はい? なんですか」
と思ったら、普通に返答が返ってきた。
「あれ、ひまわりの種はもういいの?」
「ごちそうさまでした」
ぺこりと頭を下げる文。
「え……あんなにあったのに……」
「食べ始めると止まらないんですよねーあれ。今度袋でください」
「鳥」
「何ですか」
「何でもないわ」
怪訝な視線を、そっぽを向いた何食わぬ顔で、さらりと流した。
貰ったばかりの文々。新聞、その見出しを、文に見せる形で向ける。
「この、幻想郷縁起って本なんだけど。あなた実物は見たのでしょう?」
「ええ、そりゃもう。面白いネタの宝庫で十回くらい読み直しました。幽香さんは、まだ?」
幽香は応えず。巨大ひまわりの花びらに乗せてあったティーカップを手に取り、静かに
口を付けた。それで察し、文も「そうですか」とだけ呟いて、もらったお茶のおかわりに
口を付ける。
「……私の事も載ってるのよね」
「バッチリくっきり、ハッキリもっさり」
「もっさり?」
「もっさり」
文がこくりと頷く。
幽香は「ふむん?」と、小さく首を傾げる。
「気になるのですか?」
「まぁ……何かしらね、里に買い物で行くのも、今までは普通の事だったのだけど。この本が
発表されてから、どうにも私を見る目が変わったというか。変にビクビクされるというか」
「あー」
変な感慨を含んだ相槌を打ち、文はひまわり茶を飲み干した。
「あーって何よ。なんか酷い記述でもあるのかしら」
ややムッとした顔で幽香もお茶を飲み干し、下ろした腰の近くに音立てず置く。
文は苦笑しながら「いえいえ」と手を軽く振って見せる。
「単に、あなたの実力が事細かに書いてあるだけですよ。それで怯えちゃったんじゃないですか」
とは言った文だが、原因のおおよそはその内容よりも、挿絵にあったと思っている。にっこりと
微笑む幽香の似顔絵は、それはもう凄い威圧感を生んでいた。力無い普通の人間であれば、そりゃ
恐怖もするだろーってくらいに。実際彼女は『注意すべき妖怪』として書かれているのだから
相乗効果もあったのだろう。
「失礼ね。そんな、あたり構わず力を揮ったりしないわよ。どこぞの氷精じゃないんだから」
そう言いながら、幽香は指をパチンと鳴らした。巨大ひまわりに巻き付いていたつたが伸びて
先端が二人の近くまで寄ってくる。そこにはティーポットが絡められていて、つたは器用に
動き、空になった二つのカップに湯気立つひまわり茶を注いでいく。注ぎ終わると再び縮んで
二人の視界から消えていった。
「便利ですねぇ」
「そうでもないわよ? お茶を用意するのは結局私だし。保温と注ぎだけはやってくれるけど
それも私が命令しなければ動かないしね」
「……なるほど」
二人は殆ど同時にカップを取った。文が一口啜るのを見てから、幽香も口を付ける。
「良い香りですね。ひまわり茶というのも中々素敵です」
「あら、ありがとう」
微笑んで会釈する。とても……幻想郷でも屈指の実力者だとは思えない、優雅で可憐な
少女の笑顔。幻想郷縁起の挿絵は、その裏にある影まで見事に描き切ったなぁと、文は
著者に対して感心の念を持ったそうな。
「……でも日頃から、自分の実力を語るあなたでしょう。寧ろ世間が認めたというのに
何をそんなに気にしているのですか」
カップを両手で包むように持ち、文は隣に座る幽香の横顔を見つめた。
幽香はひまわり茶の香りを楽しみながら、眩しいほどの青空を見上げ、目を細めている。
文が呼ぶ風が、絶えず二人の髪を微かに揺り動かす。
大きな翼の鳥が、天高く鳴いていた。
「……んー……うん、ちょっと思ったのだけど」
視線を下ろし、文に向ける。
「ほほぅ、何をです?」
気が付けば、文はノートとペンを持っていて、いつの間にか取材状態になっていた。
それを見て苦笑しながら、幽香は言葉を続ける。
「私の力が知れ渡ったのは結構だわ。だけどそれだけじゃ、単なる『強い妖怪』なのよ」
「ふむ?」
続けて、という合図を送るが、既に文の視線はノートに集中していた。さらさらと
ペンを走らせる音が、草花が風に揺れる音と共に聞こえてくる。
「……本当に凄い妖怪はね、人に崇められてこそじゃない? それはもう拝まれるくらい。
それは『力だけじゃない妖怪』という、私を称えるもう一つの重要な形でしょう?」
「……なるほどナルホド。つまり、恐れられるだけじゃなくて、称えられたいのですね」
「畏敬の念って事ね」
ふんふんとかほうほうとか、文はぶつぶつ言いながらペンを走らせていく。
言葉を終えた幽香は、使った喉を休めるために沈黙し、ほんのり温かいお茶をそこへ
滑らせていった。
「―――でも、それって難しいですよねぇ」
書き終えたのか、文が顔を上げて独り言のように呟く。
「そう?」
さして何かしら計画があったわけでもないらしく、きょとんとしながら文を見る。
「恐れられるだけなら、それは力を見せ付ければ簡単でしょう。でも敬われるとなれば、
そこに何かしら『恩恵』が必要だと思いますよ」
「恩恵、ねぇ」
二人が腰を下ろす巨大なひまわりの花をぽんぽんと叩き、
「こんなのとか」
そう言って、幽香は小首を傾げてみた。
「うーんー……悪くないかもしれませんが。もうちょっとこう……人の生活に密接した
何かで『ありがたみ』があると、良いと思いますけど」
「むぅ」
そんな事は考えてなったと、幽香は口元に手を当てて小さく唸ってしまった。
「……フフフ……どうです幽香さん。ここは一つ、天狗の知恵でも借りてみませんか」
文が不意に、目元に影を付けた邪悪な笑みで、幽香を誘う。
「お? 不敵な顔ですこと」
その表情に興味津々、幽香も身を乗り出して話を聞き入る。
「そりゃ、ネタの為に方々を飛ぶ最速のブン屋ですもの。人間の趣向だって多少は詳しいですよ?
あなたが欲しい情報だって、しっかり持ってます」
自信満々に胸を張る文に、幽香はふうんと鼻で相槌を打つ。
「タダじゃないわよね」
そう言うと、新聞屋はニヤリと笑った。
「話が早い。結末までの密着取材と、ひまわりの種一袋でどうですか」
そう……もし上手くいって、人々に恐れられる風見 幽香の評価が変わったとしたら、その事情を
何よりも詳しく載せた『文々。新聞』の購読希望者はかなり増えるだろう。
そうなれば今度の新聞大会では上位―――もしかしたら優勝を狙えるかもしれない。
ひまわりの種は単なる食欲だけど。
幽香は右手の人差し指を頬に付けて、青空を見上げながら、少しだけ考えた。
「……いいわ。その話、乗りましょう」
顔を再び文へと向ける。両手をぽんと叩いて「よっし!」と喜ぶ少女の姿が目に映った。
「その代わり、ちゃんと上手くやってよね」
「お任せくださいな。では、ちょっと準備が必要ですから、席を外しますね」
言うが早いか文は立ち上がり、漆黒の羽をピンと広げて、
「すぐに戻りますよ」
にっこり笑うと―――急加速で空に飛び立ち、あっと言う間に見えなくなった。
「……忙しい妖怪だこと。天狗ってみんなああなのかしら」
スカートと後ろ髪を押さえながら、残された幽香がぽつりと呟く。
元々静寂の只中にある太陽の畑、客人一人いなくなっただけでも、その差はとても
大きい。文が居たときは聞こえなかった自然の音が、残りのお茶を飲み干す幽香の
耳に届く。
天の陽は大分高くまで上がっていた。
言葉の通り、文が戻ってきたのはすぐである。五分から十分くらいであろうか。
そんなに急がなくてもいいのに、とも思ったが、息一つあがっていない文を見れば
本人としては大した労力でもなかったのだろう。この妖怪も頭が低そうに見せて、非常に
強力な妖怪なのだ。
そんな大妖怪が自信満々に持ち込んだものは、
「……なにこれ」
「名付けて『ゆうかりんの人気上昇兵器』です」
「兵器は違うんじゃないかしら。ついでに人気云々も違うような。あとゆうかりん言うな」
幽香の足元に置かれた―――背負える大きなかごと、使い古されたごみばさみが
一つずつ。何も特別な仕様などありはしない、本当に何でもない、お掃除道具。
「……どう使ったらいいの」
「あれ意外、ご存知ありませんか」
文は得意気にかごを背負う。そしてはさみを右手で持ち―――足元の落ち葉を一つ掴んで
ひょいと後ろに投げ入れた。
そして幽香を見て、にっこり笑う。
幽香はそれを見て、とてもげんなりした。
「なに……里の掃除をしろとでも言うの」
「外の世界の有用な政略らしいですよ? 悪いイメージを持った権力者も、これをすれば
人心を惹きつけられるそうです」
「お手軽ねー……そんなのでいいのかしら」
(流石に、幻想郷と外の世界とで、ごみという問題に大きな違いがある事など、二人が
知り得る筈もない)
文はよいしょとかごを下ろし、はさみと共に、再び幽香の足元に置く。
「幽香さんの場合なら、『土の状態が悪くなって植物の成長が宜しくないから』という
理由も付ければ、それほど違和感無く、説得力を持てるんじゃないでしょうか」
うぅんと唸りながらも、幽香はとりあえずかごを背負ってみる。
ついでにはさみも持ってみる。
すごい似合わないぁと文は思った。
「まー……これをして、悪いイメージは、確かに付かないわよねぇ……」
「でしょう。やってみる価値はあると思いますよ」
……でも何か、どこか、方法とか目的とか、間違えているような気がしてならない。
幽香は少しだけ首を捻り……まぁいいかと思い直した。
『大妖怪』たる彼女に時間は有り余っている。
ほんの一時に無駄な事をしても、問題はまったく無い。
こんな時じゃなければ、こんな格好する事もなかったろうし。
「それじゃ私は、後日里で成果を調査します。新聞にしてお見せしますね」
一人楽しそうな文はそう言って、再び疾風の様に消え去って行った。
一際強い風を一瞬だけ残して。
後にはまた、途方もない静寂が残るのみ。
幽香はかごを背負い、左手にごみばさみを、右手に日傘を持って、少しの間だけ
ボーッとしていた。
今日の日差しはやや強い。ひまわりの花が鮮やかに映える良い天気だ。
文が居ないと、感じ取れる風は無いに等しい。
程好い日陰を作ればお昼寝に最適な加減である。
「……やるだけ、やってみましょうか」
やれやれとため息を吐くも、特に嫌々というでもなく。幽香はごみばさみをリズム良く
カチカチ鳴らしながら、文とは対照的にゆったりのったり、里を目指して空を飛んで行った。
―――後日。
はるか上空より『文々。新聞』号外が、幻想郷中にばら撒かれる。
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第○○季 ○の一 文々。新聞
里に突如現れた大妖怪、ごみを拾う 平穏な里に激震走る
先日発表された『幻想郷縁起』でも、特に強力な妖怪として名を連ねる風見 幽香が
里にやって来た。
この妖怪は以前から、里へ買い物に来る事がある。しかし今回は目的が違うらしく、
大きなかごとはさみを持って、里の掃除をし始めたのであった。(写真一参照)
勇敢な人間が彼女にその真意を尋ねると、「何だっけ……ああ、ごみが多いと土壌が悪く
なって、植物が育ちにくいでしょう?」と、にっこり笑って答えた。人間はその笑顔に
恐怖し、気を失ってしまった。
その後里の人間が一斉に集い、壮絶なごみ掃除を始めるに至る。誰もが血眼になり、
『一片のごみも逃すな』と必死になっていた。(写真二参照)
風見 幽香が帰った後に緊急会議が開かれ、ごみを散らかした者には重罰が与えられる
決まり事が定められる。ひまわり罪と名付けられたその罰は、最も重い段では打首という
名前に似合わぬ恐ろしさで、瞬く間に里中へ広まった。
人々は「土を悪くした為に妖怪が怒ったのだ。次に彼女が訪れた時に、少しでも機嫌を
損ねてしまったら、里の明日はないかもしれない」と、恐怖に怯える生活を強いられる事と
なった。
なお、この事件は、幻想郷の守り人である博麗神社の巫女にも届けられたのだが、
「じゃあ掃除すればいいじゃない。ついでにウチの境内もやってってよ。あ、帰りにちゃんと
お賽銭入れていくのよ」と、まったく動く気配を見せない。使いの人々は泣きながら、小銭を
賽銭箱に納めていた。
事態の重さに頭を悩ませる里の長(42)は、髪が薄くなったと嘆いている。
それは体質だろうと、記者は読者に代わり突っ込みを入れておいた。
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「…………なにこれ」
「…………あらら」
受け取った新聞に一目通し、じろりと睨む。
再び巨大ひまわりが上、足を崩して座る幽香の隣に文が立つ。幽香の肩越しに自分の
新聞を除き見て、それから大きく首を捻る。
「アレですね。幽香さんのあくひょ……認識が、ここまで根深いとは思いませんでした」
「いま悪評って言ったわよね」
「いいえ、それはくしゃみです。あくひょん」
「そんなので誤魔化せるか」
「あくひょん大魔王」
「なにそれ……って言うかこの新聞あなたが作ってるんでしょう。少しはフォローとか
したらどうなの」
「やぁ、それがですねぇ。私もう新聞作ってる時は気分が高揚しちゃって。あっひゃーとか
言いながらやってるから、そんな細かい事まで気が回りません」
「鳥」
「なんですか」
「なんでもないわ」
怪訝な視線を、そっぽを向いた何食わぬ顔で、さらりと流した。
先日に比べ、青い空には小さな雲が点在している。どこかへ向かって流れていく。
気温は同じくらい。風は……文が居るので心地良い。彼女は既に、今日の分と用意した
ひまわりの種を食い尽くしている。お前はとっとこ何太郎だよという文句も言い飽きていた。
「思ったんですけど」
食後のひまわり茶に口付けながら、ムスッとしている幽香に話しかける。
「幽香さん、強いとか怖いとかいうイメージばかり売ってるから、いけないのですよ」
「……なんの話よ」
「ゆうかりん人気上昇計画、第二段」
「あなた絶対、最初の目的っていうか私の話を憶えてないでしょ。もしくは都合良く
曲解してるでしょ。あとゆうかりんって言うな」
ジト目で文を睨みながら、幽香もティーカップに口を付けた。
「そこでですね。再び外の世界の知識なのですが」
「また? 信憑性あるのそれ」
文は先の失敗などすっかり忘れたかのように、胸を張ってふふんと鼻を鳴らした。
「萌える、という言葉がありましてね」
「若葉が萌える、でしょう。フラワーマスターに向かって何を言うのやら」
それを聞くと、文は人差し指をピンと立てて「チッチッ」と舌を鳴らす。
無闇に腹立たしかったので、とっておいたひまわりの種を指で撥ねて飛ばした。
文の額にぺちりと当る。「痛っ」とややオーバー気味なリアクションを取った後、
何事もなかったかのように落ちた種を拾って食べた。
「もぐもぐ向こうではそれ以外にも、可愛らしい様とかを表現する言葉らしいのですごくん」
「普通に『可愛い』とは、何か違うの」
「らしいですよ」
「らしい、らしいって、また随分と曖昧ね」
やれやれと、幽香はため息を一つ吐く。
「それがですね、こう……普段は強くても、ちょっとした部分で弱みがあると、もう
男性好感度が凄い事になるんですって」
「……弱みねぇ」
頬杖をついて、話半分に文の言葉を聞く。いつかと同じようにティーポットを絡めた
つたが伸びてきて、二人のカップにお茶を注ぎ足す。
「だとしたら私には無縁ね。弱点なんて無いもの」
「別に、本当の弱点じゃなくても良いでしょう?」
お茶を飲む手を止めて、幽香が顔を上げる。
文はにやりと笑っていた。
「風見 幽香は花を司る妖怪。さて、では、草花が苦手なものって何でしょう」
「…………害虫とか?」
おおっ、とわざとらしい声を出し、文はポンと手を叩く。
「それでいきましょう。風見 幽香は虫嫌い。毛虫とか見たら泣いちゃう。乙女っぽくて
良いかもしれませんよ」
「はぁ?」
幽香は全力で眉を顰めて見せた。
「そんなの……って言うか、そんな根も葉もない話を誰が信じるのよ……」
「任せてください。新聞は真実しか書きませんが、噂を流布させるのも得意です」
……どこに威張れる要素があるのか、目の前で自信満々の文に訊ねてみたかった
が、止めた。どうせロクな答えは返ってこないから。天狗の価値観は良く解らない。
「じゃあ、ちょっと練習してみましょう」
「練習って」
「私の手に毛虫がいると思ってください。行きますよ―――そぉれ!」
「きゃあ毛虫こわぁい、ゆうか泣いちゃうっ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………ごめんなさい、今のは私が悪かったです」
「はい」
太陽の畑に風が吹いた。ひまわり達は踊るようにかさかさと揺れる。
一瞬、小さな雲に太陽が隠れた。
どこかでトンビが鳴く。
二人ともなぜか、すごく切ない気持ちを抱いた。
「……で、では、私はこの話をあちこち流してきます。後日、また新聞で結果を
お知らせしますから」
半ば逃げるように、文はまた背中の羽をピンと伸ばす。
「いいですか、とりあえず、どこで誰に見られても大丈夫なよう、虫を見たら怖がって
くださいね?」
「はいはい……」
やる気無い幽香の返事を受けて、再び疾風は、一瞬の強風を残して消え去って行く。
緑の髪と押さえたスカートの裾が、余韻を受けてふわりふわりと舞う。
「……絶対、上手くいかない気がするんだけど……」
やれやれと苦笑いし、指をパチンと鳴らした。つたが伸びて、文が残していったカップを
片付けていく。別のつたがポットを持ってきたので、残っていたお茶を一気に飲み干して
そこに差し出そうとして……止まった。
ポットを持つつたの先に、小さな毛虫が一匹這っていたのである。
幽香は身を縮めて固まった。
「や、やだっ、毛虫! こっちこないでよ!」
プルプルと震えて、のそのそ動く毛虫を睨みつける。
そして―――
「……さすがに泣けないわ」
一瞬で素に戻った幽香は、毛虫を指先でピンと撥ね落とした。
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第○○季 ○の二 文々。新聞
大妖怪の意外な弱点を発見 屈強な戦士が集う
先日、里にて話題になった大妖怪、風見 幽香に弱点が発覚した。この妖怪は
『幻想郷縁起』において、手に負えない強力な妖怪と紹介されているが、今回の情報は
彼女の意外な一面と言えるものだ。それはなんと『毛虫が大嫌い』というものである。
植物を司る彼女らしくもあり、まったく予想外でもあるだろう。
噂を聞いた里の住民は、手当たり次第の草木を掻き分け大量の毛虫を捕獲、さらに
幻想郷方々から名の有る戦士・術士を集い、おまけに毛虫達を助けにやってきた妖怪、
リグル・ナイトバグを上手く丸め込んで味方に付け、打倒・風見 幽香を掲げた。
恐怖に怯える日々もこれで終わってくれと、住人達涙を流しながら、総出で戦士達の
遠征を見送った。(写真一参照)
なお、この件も、幻想郷の守り人である博麗神社の巫女に届けられたのだが、
「あー私も毛虫嫌いだわ。使うなら境内中の全部持ってって。あ、帰りにお賽銭入れて
いくのよ」と、以前とまったく同じ格好で言った。使いの人々は泣きながら、神社の
害虫駆除を行った。その後お賽銭を納めていた。
一縷の希望に頭を輝かせる里の長(42)は、今更あざと過ぎるカツラを付けて上機嫌だった。
気になって仕方なかったので、突風を吹かせて飛ばしてしまった。どこかで拾った方は
下記の連絡先にご一報下さい。
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出来上がった新聞を粗方配り(ばら撒き)終わって、太陽の畑に戻ってみれば。
「おや、リグルさんじゃないですか。こんにちは」
「あー、いつぞやのカラスじゃない。こんにちは」
幾重のつたでぐるぐる巻きにされたリグル・ナイトバグが、逆さ吊りにされていて、
文が着地の際に起こした風でブラブラと揺れていた。
右へ左へ。「あー」と、やる気無い悲鳴をあげている。
「随分、観念してるのですねぇ」
「カラスに食虫植物でしょ……そりゃ諦めもするわよ……でも痛くしないでね……」
さめざめと流れる涙は、逆さま故におでこを通って大地へ落ちていく。
虫の命の何と儚い事か。
「虫なんて食べないわよ」
後方から声がした。
その主は誰だか解っている。文は特に慌てもせず、ゆっくりと振り向く。
日傘を差した幽香が、何事もなかったかのように佇んでいた。
「大変だったみたいですね」
人事のようにそっけなく、文はにこりと笑う。
「……人間は別に、大した事なかったわ。毛虫なんて別に何とも思わないって解ったら、
我先にと逃げ出して行ったもの。むしろその子が大量に連れて来た虫の方がやっかいよ」
視線をリグルに向ける。文も再び後ろを向いて、宙吊りの少女に目をやった。
「うぅ……ここなら沢山の虫達を養えるし、もう人間に追いやられる心配もなくなると
思ったのに……。ごめんね、お母さん弱くてごめんね……」
さめざめ泣き続ける、蟲の女王リグル。威厳のかけらもありゃしない。
やれやれと苦笑し、幽香はパチンと指を鳴らす。リグルを縛っていたつたが緩み、
彼女を丁寧に地面へと運んでいく。「あれ?」と心底意外そうな顔で、リグルは幽香を
じっと見つめる。
「何もしないから、あなたが連れて来た虫達と一緒に帰りなさい。ここには既に
調和の取れた自然があるの。こんなに多くの虫達を養ってはやれないわ」
ねっ? と、幽香は優しく微笑みかける。
リグルは少しだけ逡巡し、やがて、俯きながら小さく頷いた。
そのやりとりを見ていた文は、呆気に取られて立ち尽くす。
―――幽香の見せた笑顔は……後ろに影の無い、本当に優しいそれであった。
あんな顔も出来るのか……そう思い驚くと同時に、少しだけ恐れを抱く。
黒い気を纏う残虐な笑顔の持ち主も、風見 幽香その人である。それは間違いない。
しかし、自分を襲ったか弱い妖怪を優しく諭すその顔もまた、彼女の一面であるのなら。
その真意……核となる顔は、いったいどちらなのだろう。
文は思った。
あるいは―――どちらも仮面なのだろうか、と。
風見 幽香という妖怪は、まだ底を見せていない。強大な実力の後ろに、得体の知れない
何かを隠している。
それを見てしまったその時、私は……
……人々がこの妖怪を、この妖怪の笑顔を、恐れる理由が解った気がする―――
声の無くなった空間にきょとんとして、リグルは交互に二人へ顔を向ける。
幽香は空を見上げ、小さく微笑んでいた。
今日の青はどこまでも広く鮮やかで、太陽の花が良く似合う天模様。狭い世界である
幻想郷でも、己が身には広すぎると感じてしまう。
風を司る文ですら、この空にとっては、小さく右往左往する存在なのだろう。
そんな広大で美しい空間に、底の見えぬ大妖怪は、何を思っているのだろうか―――
「―――ねぇ、新聞屋さん」
空を見上げたままの幽香が、呟くように呼ぶ。
考え事に耽っていた文はびくりと竦む。
「次は、どんな手を考えてるのかしら」
横顔が微笑む。
目元はそよぐ鮮やかな緑髪に隠れて、その感情を伝えてこない。
「え、えーと……そうですねぇ……」
特に案があった訳でもなく、文は慌てて思考の方向を変えた。
腕を組んでうんうん唸る。
風が吹いた。
ひまわりと、三人の髪が小さく揺れる。
文が驚いて顔を上げた。変わらずに空を見上げる幽香を見る。
風が吹いたのだ。
文の予期せぬ風が。
風を司る文の知らぬ風―――つまり。
「ねぇ、新聞屋さん」
自然ではない、風。
幽香がやっと顔を下げた。文を見る。
静かに微笑むその顔は、幻想郷縁起に描かれていた挿絵と同じ、あの微笑み。
優雅で、静かで、そして黒い―――
「今日は良い天気よね」
佇む幽香のスカートが、ふわりふわりと舞う。
風は、彼女から発せられている。
風を操っているのではない。
溢れ出る強力な力が、風を巻き起こしているのだ。
「……そうですね」
身構える文。
幽香が何を言おうとしているのか解らないが、感じたのだ。
風を巻き起こす妖力の矛先が、自分である事を。
首の後ろがチリチリするような感覚を。
それは敵意。
悪意かもしれない。
あるいは―――殺意。
「こんなに良い天気の日だもの。この前から色々お世話になったあなたに、是非
お礼がしたいわ」
穏やかで優しい口調。それに、近くで座り込んでいたリグルが小さく悲鳴をあげた。
幽香は視線をそちらに移し、微笑む。
「ひ、ひぇぇッ……!」
奥歯をカチカチ鳴らしながら、リグルは地に付いた尻を引き摺り、文の方へと避難
していく。文の元に辿り着いてその足にしがみ付くまで、幽香はただ微笑みながら
静かに見守っていた。
足元で震える少女をチラリと見て、再び視線を前に戻し。
「……いいですよ、お礼なんて。約束は、結末までの密着取材だったはずですよ」
冷たく冷静な文の声は、幽香と違って、何故かリグルに安心感を与えた。
風は徐々に強くなっていく。
辺り一面の鳥達が騒ぎ出し、一斉に空へと逃げていった。
聞こえてくるのは、もはやひまわりが風に揺れる音のみ―――いや、違う。
「か、カラス……ッ」
「!?」
か細いリグルの訴えで、文は慌てて周囲を見渡す。
太陽の畑に群生する数多のひまわりが、すべて、その顔を自分達に向けていた。
しまった、と舌打ちする。
風見 幽香は強大なれど、天狗たる自分がそれより劣っているとは思っていない。
しかし見下せるほど実力が離れているとも思っていない。ほぼ同格くらいか。
それだけ、文は幽香を評価している。故に戦いとなれば、負ける気はしないが
勝てる確証も持てはしない。同じ立ち位置で戦えば互角のはず。
故に青くなったのだ。今ここで始まる戦いのフィールドは、幽香のそれである。
万を超え群生する全てのひまわりが、幽香の兵士であり手足であり、武器である。
全方位を囲まれたと言ってよい状況なのだ。
こうなる事など予想出来なかったと言うのは、確かにその通りではある。幽香が
前触れも無く、急に牙を剥いたのだから。
ただそれでも、こうもあっさり窮地に追いやられた事を悔やみ……文は幽香を
睨みつける。
彼女は変わらず笑っていた。
静かに。
優雅に。
圧倒的に。
「どうかしら? せっかくのお持て成しですのに、そうも無下になさるのは、些か
無粋ではありませんか」
日傘を握らぬ左手がゆっくりと文に向けられ、翳される。
風が止んだ。
文は敵を見据え、リグルを小脇に抱えて、腰を低く構える。
先手は打たれてしまった。故に初撃は見なければならない。
文が対等、もしくは優位なポジションとなる場所は、空しかない。遮蔽物が無く
最高速度で自在に動ける空なら、幽香の手が例え万有ろうとも、例え億有ろうとも、
自分を捕らえる事など不可能なはず―――不可能な『はず』。
風見 幽香。
かざみ ゆうか。
彼女を新聞に取り上げようとしたのは、間違いではなかった。実際に彼女の特集を
組むようになってから、新聞の購読数は増えていったのだから。
その理由は今なら容易に解る。あまりに不透明な存在であり、見通せない危険を持ち、
一挙一動にも恐れを抱かせれる彼女の事なのだ。少しでもその正体を知りたいというのは、
平安を願う者としてなら……当然の事。
リグル・ナイトバグは、彼女の事を『捕食する花』だと言った。
的を射る表現と同時に、なんて残酷な花だろうとも思う。
近付いてはいけない、触れてはいけない……それが解っているのに近付いてしまう。
そして触れてしまう。
『その花』に。
『その花』は未知の花。
『ある時は』芳しい香りを漂わせ。
『ある時は』容易く命を奪う毒を吐く。
『ある時は』万物を破壊する力を撒き散らし。
『ある時は』ただ風に揺らされるのみ。
ただ―――
『いつの時も』美しく咲き誇り。
『いつの時も』誰もを強く魅了する。
そして文は、触れてしまった。
触れてしまってから気が付いたのだ。思い出したと言った方が良いか。
しかし時遅し、いつの間にかそのつたに巻き付かれてしまった。
『その花』は、愛でられるだけの花ではない。引き寄せた者を『愛でる』花なのだ。
花の愛で方は人次第―――その時の気分次第―――黒く微笑む、幽香次第―――
幽香の翳した手のひらから、衝撃が放たれる。目を細めごみの侵入を阻み、微動だにしない
文の足に、リグルが飛ばされまいと必死にしがみ付く。
衝撃が通り抜けた直後、八方から大量の、
「ひえぇ!? ひえぇぇぇッ!?」
無数の、
「……っ!」
無限の、
ひまわりの花びらが渦を巻き、二人を包み込む。
外がまったく見えない。まるで黄色い壁のようだ。耳を劈く激しい音が絶え間なく響く。
大地が僅かに揺れているのが解った。これは幽香の力が起こした現象か……あるいは土の中で
植物の根をこちらに移動させているか……それが次の手だろうか。
どちらにしろ、ここが限界であった。これ以上の様子見は手遅れに繋がる。どこから手が
伸びてくるか、それだけでも解れば良い。
この黄色い竜巻を脱出する。幽香が生み出した、渦巻く圧倒的な力場を。
文は、腰帯に挿してあった芭蕉の扇を手に持った。
文の力に反応し風を起こすマジックアイテムである。それをぐっと力強く握り、
「……リグルさん。少し手荒な事をしますから、しっかりしがみ付いててください」
「ふぇっ?」
涙でくしゃくしゃのリグルが、ちゃんと聞こえて反応したかを確かめる暇も無く。
文は上半身を捻り、
「はぁぁぁぁ……ッ」
大きく呼吸を行う。力が彼女に集まり、幽香のそれとは違う、純粋な『風』が生まれ出でる。
リグルはそれで危険を察知し、言われた通りに、文の細い足を強く抱きかかえた。
この程度の力なら、まだ―――
文の眼に意思が篭る。
「来たれ―――風神!!」
咆哮と共に、天に向かい扇いだ。
風が暴れ出す。意思を持ち、あるいは怒りに身を任せる怪物のように、風は指向性を持って
文達を包んでいた花びらと力を飲み込み、全て天空高くへと巻き上げていく。
遮断されていた陽光が再び視界を鮮明にする。
文は背の黒い翼を素早く広げた。そして再び扇を構え、次なる攻撃に緊張を走らせる。
幽香はどこへ移動した? どこからこちらを狙ってくる?
音を聞け。風の動きを感じろ。空へ逃げるか……あるいは一瞬の隙を見せていれば、
瞬時に間合いを詰めてやろう―――
「………………あれ?」
緊張の走っていた表情が、ふと間抜けに崩れる。
嵐が吹き飛ばされ、静寂の戻った太陽の畑で。風見 幽香は、先程の場所から一歩も
動いてはいなかった。日傘を差したまま、翳した手を下ろし、にっこりと微笑んでいる。
文の生み出した風は全て天に昇り、今この大地は無風状態に近い。草木が揺れる音すら
しない、本当の静寂空間。
何事かと、リグルも恐る恐る顔を上げて、幽香の顔に視線を送る。
「……あらら、何て顔してるのよ二人とも」
口元に手を当てて、くすくすと笑う。訳が解らず、その顔が笑われているというのに
文もリグルもただぽかんとするばかり。それがとても可笑しくて、幽香は目尻に涙まで浮かべて
笑っていた。
嵐を生み出すその時の顔とは、まるで別人かと思えてしまう様な……可憐な少女の笑い顔。
「ああもう、せっかくのプレゼントが台無しになっちゃうじゃない。ほらほら早く」
笑いを堪え震える声で幽香が指差し、文達に標す先は―――二人の力が逃げていった
真っ青な空。
文とリグルは恐る恐ると、言われるままに上を見上げ……
「―――ッ!?」
「う、うわ……!?」
驚愕する。
雨が―――降ってきたのだ。
それはまるで、太陽のかけらのような……ひまわりの花びらの、雨。
鮮やかな青空に黄金色の嵐が舞い降りる。
それは先程の、轟音を撒き散らし万物を破壊せんと暴れ狂う嵐ではない。
大地を埋め尽くさんとばかりに、無数に、無数に、無数に振り続ける。
天高くから、ひらりひらりと舞い踊るように。
いつまでも、いつまでも止まず。
太陽の畑全域に太陽の雨が降り続ける。
それを浴びる大地に咲くも、太陽の花。この世界は今、一色の美しさで支配されていた。
「どう? 桜吹雪ならぬ、ひまわり吹雪。お気に召して?」
花びらの雨を日傘で避けながら、幽香が微笑み問いかける。
静寂の数秒を経て、二人は少しずつ、その光景と幽香の言葉を理解していった。
「うわぁ……うわぁ! あはは! あははははははは!!」
そしてリグルが堪えきれず、文の足から離れて雨の中に飛び出していく。おおはしゃぎで
走り回り、転げ回り、飛び回る。花びらがぱさりと頬に当る度、くすぐったそうに身を震わせ、
そしてまた笑いながら、大地に降り積もった大量の花びらを宙に放った。
「……やれやれ……」
大いに疲れて、文は腹の底からのため息を吐く。
「あら? あなたはお気に召さなかった?」
リグルに向けていた顔を再び文に戻し、微笑みながら小首を傾げて見せる。
「そうですねぇ……なかなか素晴らしいですけど。一つ気に入らなかった事を言わせて頂ければ、
持て成しのショーに客を出演させるのは……」
そう言って苦笑する。
幽香は悪戯っぽく目を細めて、
「その方が素敵じゃない。それにこの芸は、私一人じゃここまで美しく完成しなかったわ。
花と風は相性が良いのよ。そうでしょう?」
……黒い笑みを浮かべていた。
邪気は無いが、とても黒い。
文は再び空を見上げた。黄金色の雨は振り続けている。
―――風と花は相性が良い、か……。
文はその言葉を声無く復唱し、苦く笑った。
確かにそうだ。草花は風が吹けば、心地良く踊り歌う。そして風は良風になる。それは
古来より親しまれてきた情緒だ。これからもその関係は変わらない……だろう。
ただ。
風は時折酷く荒れて、草木をへし折り破壊する事がある。風とはベクトルであり、動き続けて
いないと存在できないものであるが故、不意に力を持ち過ぎてしまう事は仕方がない。
そんな時、草花は何も出来ず、その暴挙に甘んじるだけ。彼らは儚い存在なのだ。
―――と、文は思っていた。
幽香と出会い、そして今日思う……それは風の一方的な思い込みではないのか、と。
彼らは、本当は強いのではないか。その気になれば……例えば、大気中に膨大な数の胞子を
撒き散らし、風の流れを止めてしまうような事も、本当は出来るのではないか。
ただ彼等はそれをしない。ただ黙ったまま、黙して美しく咲いたまま、風の理不尽な
暴力によって散らされてしまう。
何故か?
それは彼等が本当に強いから。
摘まれても食われても、暴風が吹いても、彼等が滅ぶ事はない。また気高く咲き立つ。
数多く失われれば、それ以上の数に増える。力で倒されれば、耐えうるだけの体に生まれ変わる。
彼等は容易く変化せず―――そして変化する事を恐れない。
もし彼等を滅ぼそうとすれば、逆に滅ぼされるかもしれない。
そう、そもそもが、全ての命は彼等に依存しているのだから。
その化身が、この風見 幽香なのである。
そこまで考えて、文はやっと知ったのだった。
今日までの全てが、彼女にとって単なる『暇潰し』であったという事を。
その強大な力を見せる事によって、見るものが、触れるものが、どう反応するか楽しんでいた
だけだということを。
彼女は花なのだ。花は誰かに見られてこそ、その存在意義がある。彼女は何者も滅ぼす猛毒と
何者も魅了する美しさを両方備えている。それは草花全ての存在意義を持ち合わせた、まさに
フラワーマスター……猛毒を恐怖されるも、美しさを賛美されるも、それが幽香にとっての
生き様であるのだ。だから、誰にどちらの感情を抱かれても、そんな事に意味は無い。
風見 幽香は気高く美しく咲き誇り、そして自分を意識する者全てを愛でる。
だから弱き人は、この大妖怪の一挙一動に右往左往するのだ。
草花に、自然に、愛されたいから。そして愛したいから。
「―――ねぇ、新聞屋さん」
長く物思いに耽っていた文は、いつの間にかすぐ隣で佇んでいた幽香に声をかけられ
びくりと体を竦ませた。そんな反応も、幽香の微笑のこやしになっていく。
何せ全ての存在、全ての自分に対する思いは、彼女にとって愛しいものなのだから。
だから彼女は微笑み続ける。ある時は黒く、ある時は優しく。
文は少しだけ動悸の激しくなった胸に手を当てて、軽く深呼吸する。
「なんですか」
そして、極めて自然に返事した。もう緊張する理由は無い。幽香が文を攻撃する理由など
どこにもありはしないのだから。
「もうすぐひまわり吹雪が終わっちゃうわよ? 写真の一枚も撮らなくていいの?」
「……あぁッ!?」
文は慌ててカメラを取り出し構えた。気が付けば、青空に対して黄金色の割合が随分と
減っているではないか。急いでポイントを決め、ベストショットを得なければ。
……ふと、文の手が止まる。
その様を黙って観察している幽香が何事かと思えば、
「ん?」
カメラのレンズを、何と彼女の方に向けてきたのだった。身を引いてみると、文の手は
ばっちりそれを追ってくる。
「ちょっと、逃げないでくださいよ。もう時間ないんですから」
やや苛立って、口調を荒げた文が文句を言う。
「え? 私を撮るの? ひまわり吹雪じゃないの?」
きょとんと驚き顔の幽香。空を指差すが、文のカメラは角度を変えない。
「何を言ってるんです。元々あなたの特集を組む為に密着取材してたのですよ? そして
これが結末です。この新聞が出来れば、人々はあなたを……」
言いかけていた言葉を飲み込む。
そして、少しだけ考えて、
「……うん、きっと何も変わらないでしょうね。あなたはもう万人に愛され、万人に恐れられて
いるのですから」
そう言って―――シャッターを切った。
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第○○季 ○の三 文々。新聞
太陽の畑で黄金色の雨が降る 今年は幻想的な花見を是非
先日より何かとお騒がせな妖怪、風見 幽香の住処である、太陽の畑。そこに先日、
目を奪われ離せないほど美しい光景が広がっていた。これは同妖怪が無数のひまわりの
花びらを天高く舞い上げ、地上に降らせたものである。ひらひらと舞い落ちる黄金色の雨に、
周囲に居た妖怪も、妖精も、みな心を奪われ楽しんだ。
何故このような事をしたのか、それは彼女が『花』だからである。花は美しく咲くのが
当たり前の事なのである。道中妖怪に襲われない、または襲われても撃退する方法があれば、
この幻想郷でも類を見ない程美しい花見を是非お勧めする。死ぬ前に一度は見ておきたい。
(写真一参照)
ただ、風見 幽香は全てを貫く棘と、何者も殺す猛毒も兼ね備えている。彼女のそれに
触れてしまった場合、命の保障は無い。
あなたが会いに行った時、風見 幽香が美しく香る花か、鋭利にして毒々しい花か、それは
行ってみないと解らない。ただ、大地に根付く草花達を愛する心があれば、彼女が敵になる事も
ないと―――思われる。(あくまで可能性である事に念を押しておく)
なお、○○日において『文々。新聞提供、太陽の畑見学ツアー』を開催予定です。
どなたでもご参加頂けます。私、射命丸文が無事に皆様を送り迎え致します。なお、当新聞を
定期購読なさっている方、または当日にその契約をいただける方には、風見 幽香氏の
お手製ひまわり料理が振舞われます。是非是非、ご利用ください。
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博麗神社の巫女は、鳥居の前に落ちていた新聞を拾い上げ、やれやれと広げる。
適当に目を通す。
そしてすぐに地面へ落とし、
「今更こんな解ってた事書かれたって、面白くもなんともないわねぇ」
と言って、落ち葉と共にほうきで掃いた。
~終~
創想話的ゆうかりんは何かと友達いないっ子二号みたいな、そんな扱われ方が割と多いような気もするので、たまにはこうやってカリスマ分を補給しておかないといけないのですよ、きっと。
SSな訳でして あと要所要所の霊夢の対応が素敵です れいむー
締めの霊夢に賽銭を奉じたい
そこからの展開、雰囲気作りもお見事。
――そして儚いリグルかわいいよ。
怖くて強くて美しい、すばらしい幽香でした。
面白かったのですが二点ほどひっかかる点があったので書かせていただきます
まず向日葵を武器として利用できるとあること
求聞史紀(幻想郷縁起)によると彼女の能力はそういう使い方は出来ないはずです
幻想郷縁起を読んでいる文がそれを知らないはずが無い、ということです
まあ人間がそう思っているだけ、という可能性もありますが
次に太陽の畑を住処にしているとありますが
幽香は自然の花に囲まれる場所で生活し、一年中花が咲いているところを目指
して移動すること
太陽の畑が幽香の能力に関係なく、普通に存在する場所であること
昼の妖精達の日向ぼっこはともかく、夜は妖怪達の夏のコンサート会場となっていること
これらを考えるとこの場所に住んでいるというのには違和感がありました
カリスマはたっぷり?補充させていただきましたので
恐怖と優しさが同居する…幽香と、そして文の大物っぷりがとてもよかったです。
振り回される里の人たちや、泰然とした巫女もかなりいい味が出ていたと思います。
そして、最後、霊夢の一言がとても心に残りました。これが何より適切に幽香の存在をあらわしているように感じたり…
良い幽香分を補給させていただき、ありがとうございました
いい幽香さんでした。リグルにちょっと萌えたのはないしょ。
あと里の長(42)が恐れているのはゆうかりんより頭皮の薄さだと言う事がよくわかった。わかった。
おら涙で前が見えねぇだよ……!
>名前が無い程度の能力さま
ご指摘の通りでした。orz 何回読んだのよ私……どこ見てたのよ私……
演出の為にちょっといじった部分もありますが、あきらかに私のミスです。
それにより純粋に楽しんで頂けなかった事、申し訳なく思っております。
うあぁ……愛が足りない。もっともっと読み込まなきゃ……。
太陽の『畑』は修正可能なのでさせて頂きます。ご指摘ありがとうございました!
まあ、ゴミが減るのは良い事だからけーねさんも黙ってたんだろうなあ
こんな幽香さん素敵
鳥も虫もその艶やかさと美しさに惹き付けられ、次なる命を運ぶ担い手となる。それは人も、そして風すらも――その呪いにも似た呪縛から逃れられない。
見られる為に存在している花。
だけどそこに何を見るかは貴方次第。己の心を奪われる恐怖に怯えるのも、麗しき姿に心和ませるのも……貴方の好きにすれば良い。
花は花。
ただ思うまま、咲き誇るだけ。
良い幽香でしたw
強いが故の包容力と、花が故の気高さと、太陽が故の温かさを兼ね備えている。
何とも『らしい』幽香を拝見できました。GJ。
あと他方の事ながら
つ[喫茶店常連客より、餞別の花束(ひまわり)]
長い間お疲れ様でした&今後も頑張ってくださいませませ
※)誤字
敬られる→敬われる
ところどころにはさまれる霊夢のコメントがいいですね
誤字のご指摘ありがとうございます~。もうちょっと日本語達者になりたいわ……
そして花束、ありがとうございました……!
綺麗で面白いお話でした。
「相変わらず情報の遅い新聞ね」
みたいのだったらもっと良かった
いやはや、面白かったです。
おもしろかったです
花を操る程度の能力がしっかりと描かれていて素敵でした。
フラワーマスターの名が伊達ではない、カリスマ的真っ黒オーラな幽香さんが最高ですね。
目に向日葵畑の風景が浮かんでくるようでした。途中の緊張感もメリハリあって楽しめました。
霊夢は本当に良い女だなー 変な意味じゃなく
ただ前述のとおり、最後霊夢に良いとこ全部持ってかれちゃってる気がしやす
でも霊夢好きの豆蔵さんはそれで良いのですかねー
感想に『霊夢』って入りすぎですねw
恐ろしく、華麗に。
「妖怪」幽香、素晴らしかったです。
で締めたのがとても綺麗だったと思います。