ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ。
紅魔館、レミリアの部屋に妙な音が響く。
「咲夜、良いわ、もっとかき混ぜて」
「あまりかき混ぜるとドロドロになってしまいますが……」
「ねばねばしすぎてるぐらいが好きなの」
「まあ、通ですわ。流石お嬢様」
レミリアは納豆をかき混ぜるのすら咲夜にやらせていた。
気品がありながらも、どこか可愛らしい装飾を施されたレミリアの部屋に納豆臭が充満している。
咲夜はかき混ぜた納豆をテーブルの上に置くと、さりげなく窓を開けた。
「それにしても珍しいわね納豆なんて、まぁ嫌いじゃないし、たまには良いわ」
「洋食が多いですから、たまには趣向を変えてみようと思いまして」
「こんな臭いものを私に食べさせるなんて勇気が必要でしょうに。その度胸とメイド長としての自信、見事よ」
「勿体無いお言葉でございます」
たかだか納豆のことで誉めすぎだろう。
それでも普通のメイドではできることではないのは確かで、流石はメイド長を務めるだけのことはある。
普段レミリアを注意深く見守っている咲夜には「レミリアが納豆を食べたいタイミング」がわかるようだ。
「しかしお嬢様」
「どうしたの?」
小さくて可愛らしい茶碗に盛られた白米に納豆をかけながら、レミリアは首を傾げる。
一応他のおかずもある。いくらなんでも納豆と白米だけ出したら即座にメイド長をクビになるだろう。
「今日、納豆をお食事として出したのには深い意味があるのですよ」
「納豆によるダイエットかしら?」
「お嬢様にダイエットなど必要ございませんわ」
「なら何よ? 勿体つけてないでお言い」
レミリアに問われて咲夜が小さく頷くと、壁に掛かっていたカレンダーを指差す。
カレンダーに何があるのだろう、レミリアはさっき傾けた方向と反対側に首を傾げる。
「もうすぐ二月ですわ」
「二月……はっ!?」
口から糸を引きながらレミリアは硬直した。
そしてそのまま青ざめて、わなわなと震えだす。
「……節分……」
「そうです、各地で豆がばら撒かれる日ですわ」
「鬼は外、福は内……」
「ええ」
レミリアは炒った大豆が苦手だ。
とはいえ別に節分自体はそれほど問題ではないのだ、紅魔館に篭っていれば危険はない。
ならば何故こんなにレミリアが怯えているのか、それは新年会での出来事だった。
いつものように博麗神社に集まった面々は、まず当然霊夢、そして幹事の魔理沙。
紅魔館からはレミリア、咲夜。白玉楼の二人。永遠亭からは月人二人と月兎が。
それを最初に言い始めたのは輝夜だった。
「そういえばあと一月もすれば節分ね」
その言葉を聞いたとき、レミリアの体がビクッと跳ねた。
「吸血鬼も豆に弱いってなんかで聞いたな。そうなのか?
あ、そういや前豆まきしたときも、お前こそこそしてなかったか? 気になるな」
結論から言ってしまえば炒った大豆は苦手だ、しかしわざわざ自分で「弱点です」というのもかっこ悪い。
「ど、どうかしらね……にんにくは嫌いよ」
「そうですわね、でもお嬢様に豆をぶつけるなどと言う狼藉、この私が許しませんわ」
空気を読んだ咲夜は、同様に弱点であることは知っていつつもそれを隠し、さらに釘を刺した。
だが、目をそらすレミリアとは対照的に、キッと魔理沙の目を睨みつける咲夜の態度は少々露骨過ぎただろう。
「ぶつけてみたいぜ、豆」
まったく空気を読めない魔理沙はたじろぎもせずに言う。
「一応効くらしいですよ、姫」
博識な永琳も空気を読めない、レミリアの目がキリキリとつり上がる。
「きっ……気になるわ妖夢!!」
そういって幽々子がレミリアにおせちの栗きんとんを投げつけてきた。
黒豆があるんだからせめてそっちを投げろ、と思いつつ、咲夜はそれをキャッチして元の場所に戻した。
「バカらしい。豆なんか無くても勝てたわよ」
霊夢がそう言い放つ。レミリアは激昂して今にも飛び掛りそうな表情だった。
(お嬢様、抑えて下さいませ……今は新年会、こういうときに大物の懐の深さを見せ付けなければ)
(さ、咲夜……)
自分の手を握り、制止を促す咲夜……レミリアはその手をぎゅっと握り返した。
「お、お豆なんて効かないわよ……私は夜の王だもの」
(お嬢様!! 逆効果ですわ!!)
だが時既に遅し、数名がにやにやと笑いながらちょこんと座るレミリアを見下ろしている。
「ほー、言ったなお嬢様。節分の日は首洗って待ってろよ」
妙に物々しい台詞回しで魔理沙が言う、ただ豆をぶつけるだけなのに。
「節分の日はぶつけに行って良いってことよね! 妖夢」
目をらんらんと輝かせて幽々子が続く。そしてその横で妖夢が腕組みをしながら頷いた。
あの妖夢の目は、春度を集めていたときの冷酷な妖夢の目だった。
「興味深いわ。ニンジン畑の横に大豆畑を作りましょう」
「すぐに育つ大豆を作りますね……ウドンゲ、細かいことは任せるわ」
「はい、師匠」
こいつらも心底楽しそうである。
このところ目立った異変も無く平和な日々が続いているため、体がなまっているのかもしれない。
いじめられる対象が見つかるとすぐにこれか、と咲夜は溜息をついた。
「やれるものならやってみなさい!! 紅魔館の門はくぐらせないわ!!」
レミリアが息巻いて「門」と言った瞬間、美鈴の顔が浮かんだ。
少し前、真冬だと言うのに相変わらずのあの格好のまま、門の前で昼寝をしていたっけ。
しかも正確に言うと昼ではなくて夜だった、氷精や冬の妖怪が大暴れして恐ろしく寒い日だった。
なんであんな中で眠れるのか不思議で仕方なかったが、ある意味頼もしい。
「吐いたツバ飲むなよ、お嬢様」
「ぐ、ぅぅ……」
ニヤニヤする魔理沙とその他一同はレミリアと契約を結ぶことになった。
『レミリア様にお豆をぶつけ大会』と書かれた紙にルールが記述され、それぞれの血判が押されていく。
一、節分の日、二十四時間のみの戦いとする
二、レミリア・スカーレットは当日、紅魔館敷地内からの外出を禁じる
三、双方、臨時に戦力を拡張しても良いものとする(でも度はわきまえようネ!)
四、また、臨時の飛び入り参加も許可する
五、攻め手はドタキャンも可とする
六、能力及びスペルカードや通常弾幕の使用も認める
七、誰かがレミリア・スカーレットに豆をぶつけた時点で終了とする
八、負けても泣かない
九、紅魔館側が守りきった場合はペナルティを出せることとする
十、魔理沙最高
十を書こうとした瞬間魔理沙は妖夢に羽交い絞めにされた。そして十はぐちゃぐちゃになって無かった事になった。
代わりに「十、これらを破った者は霊夢にシバかれるものとする」というルールが追加された。
霊夢は心底めんどくさそうな様子だったが、だからこそ誰かが反則したときはきっと怒り狂うだろう。
こんなものに契約することはないと咲夜は思ったが、レミリアがプッツンして啖呵を切ってしまい、後には引けなくなった。
こうなったら紅魔館は勝利するしかないのだ。
「いや、いやよ……」
レミリアは憂鬱そうに、ズゾズゾと音を立てて納豆をすする。
炒った大豆はダメで腐った大豆は平気と言うのも妙な話だが……。
忌々しいあの行事が目前に迫ってきている、それを考えるとレミリアは気が気ではなかった。
「既に密偵を発して各勢力の節分作戦を調査していますわ」
「さ、咲夜……」
やはり頼りになるのは咲夜だけ……とレミリアが思ったかどうかは不明だが、咲夜はシュッと背筋を伸ばして続ける。
「魔理沙は今のところこれといった作戦があるようには見えません、普通にぶつけにくるか、まだ考えていないか」
「あいつらしいわね……」
普通に正面突破をかけてレミリアの元へ豆をぶつけにくる姿が容易に想像できた。
それならば咲夜がなんとかしてくれるはずなのでそこまで心配は要らない。
「厄介なのは、アリス・マーガトロイドを伴ってくる可能性があるということぐらいでしょうか」
「あいつらの関係はなんだというの……」
「まぁ『ご近所さん』といった所でしょうね、大体どいつもこいつも暇人ですから、
こういったイベントには乗り気になることが多いですわ。ついでに本も盗んで行くかもしれませんし」
パチュリーにも警戒を呼びかけておく必要があるだろう。
咲夜は一つ咳払いをしてから、他の勢力の情報について語る。
「冥界についてはよくわかりません、密偵と言ってもメイド達の中で優秀な者を選抜しただけ。
顕界と冥界の境界が薄くなっているとはいえ、冥界まで行くことができなかったようです」
「む、むぅ……」
はっきり言って「優秀な者」と言っても高が知れている。
咲夜以外はどいつもこいつもペーペーの格好だけメイドさんだ。
もし仮にあんな連中が冥界まで辿り着いたら、そのまま息を引き取って亡霊になりかねない。
「あの日の様子を鑑みるに、おそらく幽々子も冥界から出てくることでしょう。
ですがこれまでの幽冥組の戦闘データを踏まえると、それほど多彩な攻撃パターンは無いと思われます」
「妖夢の機動力と幽々子の変則的な攻撃ね?」
「ええ、わかっていても厄介なのは確かですが……」
「ならばどうするの?」
「多少危険な作戦ですが、美鈴を門から中に引き込み、妖夢の相手をさせます」
「美鈴……」
大吹雪の中で昼寝をしていた美鈴の姿が頭に浮かんだ。
寝ている間に雪に埋もれていたのに、普通に雪の中から出てきて背伸びとあくびをかましていた。
とても頼もしかった。
「単純な体裁きなら妖夢には引けを取らないでしょう、時間さえ稼いでくれれば良いのです」
「それで咲夜が幽々子を押さえるのね?」
「そういうことになります」
さて、と一息ついた後咲夜は困ったように眉間を押さえた。
レミリアは既に納豆ご飯もその他のおかずも食べ終え、唇を舐め回している。
「問題は永遠亭ですわ」
「規模的にも厄介ね……あそこの兎にうちのメイド達が敵うかしら」
「下っ端達の単純な戦闘能力はほぼ同等と思われます、問題は永遠亭のブレーン、八意永琳ですわ」
「う、うーん……」
永夜異変の際は見事に翻弄されてしまった。
永遠亭の数々のトラップは弟子の鈴仙によるものらしいが、それだって永琳の差し金じゃなかろうか。
無駄のない戦力の配置、効果的なトラップの配置、月の技術を利用した不可思議な仕掛け……。
さらには永琳自身の底知れぬ能力、輝夜も相当な実力者だが、こういった頭脳戦であの天才は厄介すぎる。
「調査によると、八意永琳は宣言通り、どんな状況下でも高速で育つ大豆の発明に成功。
さらにそれを最高の威力で射出するための『豆ランチャー』なる物騒な武器を開発したらしいですわ。
そしてそれに伴い『イナバガンナー部隊』という部門を設立。教官として鈴仙・U・イナバが任に就いています」
どれだけレミリアに豆をぶつけたいのか。
「ま、待ちなさい咲夜! そんなことに本気を出している八意永琳はとてもバカじゃないの!?」
「性格的にはバカかもしれません、しかしあの知能は侮れませんわ!」
「それに豆ランチャーって何よ!? ただの豆鉄砲とどう違うの!?」
「射程、威力、全てが段違いですわ。実験では、畳三枚を貫通する威力を発揮したらしいです」
「そんな速度で飛んできたものならお豆じゃなくても怪我するわよ!!」
「しっ! それは言ってはいけません!!」
レミリアは頭を抱えてしゃがみこんだ。八意永琳は本当のバカだ、知能を無駄に使う最強のバカだ。
「豆ランチャーとかが無くても、あそこは輝夜、永琳、鈴仙、てゐ、と強力な戦力が揃っているのよ!!」
「そうです、それが厄介なのですよ」
咲夜にとっても永遠亭勢力をどうするかが悩みどころだった。
そうでなくても、いくつかの勢力がまとまって来るとこれまで構築した作戦は瞬時に破綻する。
紅魔館だって一応はパチュリー、咲夜、美鈴と、強力なメンバーは揃っている。
最悪、フランドールの力を借りることも考慮するべきなのかもしれない。
しかし、フランドールやパチュリーまで作戦に組み込むのは咲夜の望むところではなかった。
やはり従者だけでなんとかするのが理想だと思う。そうなると咲夜と美鈴ぐらいしかまともな戦力がいない。
咲夜の脳裏に、滅茶苦茶寒い冬の早朝、下着同然の格好で乾布摩擦をしていた美鈴の姿が浮かんだ。
頼もしすぎる。
「圧倒的に戦力不足ですわ……」
「どうするのよ咲夜……」
打ちひしがれる二人……そのとき、紅魔館を包んでいた不思議な霧が蠢き始めた。
それは館内に侵入し、レミリアの部屋へ……そして徐々に集まり、少女の形を成す。
「その苦しみ、わかるよ!!」
「うわびっくりした!!」
「なっ!?」
瓢箪に入った酒をガブガブ呷りながら現れたのは伊吹萃香。
日本妖怪が誇るナンバーワン豆ターゲット、まさしく鬼である。
萃香は真っ赤な絨毯にどっかと座り込み、グチグチと管を巻き始めた。
「この時期さー……ほんと居心地悪いんだよ……どいつもこいつも私を奇異の目で見てさ……」
「……」
「なまじっかあちこち見て回ってるから余計に嫌だよ……何よあの豆ランチャーって……普通に危ないよ」
「そ、そんなに危険なものなの?」
「あれ普通の人間に当たったら死ぬよ多分……」
畳三枚も貫通するぐらいだから不思議なことではない。
レミリアも萃香も妖怪だからそう簡単に死にはしないだろうが、きっと死ぬほど痛いだろう。
「そんなものをお嬢様に撃ち込もうとするとは……!!」
咲夜が拳を握り締める。なんとしても阻止しなければならない。
そんな咲夜の目の前に差し出される小さな手、萃香の手だ。
「今年も隠れて過ごそうかと思ったけど、こんなの見せられたら黙ってられない」
「す、萃香……」
「私もお豆がダメだから前線には出られないけど、バックアップするよ!」
「そんな危険を冒してまで何故貴女が……?」
「同じ痛みを知る者を見殺しになんてできないよ!」
咲夜は少し躊躇ったが背に腹は変えられない。
戦闘には参加できなくとも萃香の能力がいろいろと有用なのは確かだ。
利用するようで少し気分が悪かったが、やたらテンションの上がってる今の萃香をぞんざいに扱ったら、
それはそれで鬱陶しいことになりそうな気もする。
「わかったわ、協力して」
「うん!」
二人は手を硬く握り合う。
おろおろしていたレミリアも駆け寄ってきて、その上に自分の手を重ねた。
「よろしく頼むわよ、萃香!」
「……うわ納豆くさっ!」
その後二人の怪力少女による本気の殴り合いが始まったが、それはきっと友情を深め合うための儀式だったに違いない。
節分までもう日が無いのだ、咲夜はすぐに次の準備に取り掛からなければならなかった。
一方、咲夜が今回最大の敵と睨んでいる永遠亭では『イナバファクトリー』と呼ばれる工場まで設営していた。
中では下っ端イナバ達が大豆を炒ったり、豆ランチャーの製造、改良を行っている。
総司令官八意永琳が参謀の因幡てゐを引きつれ、働く下っ端達を見て回っていた。
ちなみに鈴仙はイナバガンナー部隊の隊長であると共に、豆ランチャー射撃術の教官である。
「当日までにあと何丁できそうかしら?」
工場で指揮を執っていた少し偉い下っ端イナバに永琳が話しかける。
「素材の問題と……あとやっぱり皆こういう作業に慣れていませんから、三十丁ぐらいでしょうか……」
「上等よ、お豆は十分にあるわね?」
「ええ、それはもう。ランチャーの行き渡らない者にも大豆は持たせます」
「そうね……てゐ!」
横で豆ランチャーを手に取って眺めていたてゐに向かって、永琳が顎をしゃくる。
それに気付いたてゐはニヤリとほくそ笑むと、観察していた豆ランチャーを腋の下を通して発射した。
高速の大豆は何度か跳弾した後、窓を突き破って外に居る何者かに命中、そこから悲鳴が上がった。
「ど、どうしたんですか!?」
「心配要らないわ、ちょっとネズミが居ただけよ」
てゐはそう言って銃口にフッと息をかける。硝煙も何も出てないのに。
「十分泳がせたわ、嘘の作戦会議も何度か開いたしね」
「では永琳様、あの設計図を」
「ええ」
わけがわからず戸惑うイナバ作業長の元に一つの設計図が差し出された。
「普通の豆ランチャーは三十丁も作れなくても良いから、これを四丁作れる?」
「これは……?」
「ハイパー豆ランチャーよ。指揮官用に四丁」
「は、ハイパー豆ランチャー……?」
通常の豆ランチャーは全長およそ一メートルほどで、体格の小さいイナバ達でも扱えるように軽量化されている。
しかし設計図を見るに、このハイパー豆ランチャーはその倍近くのサイズがある。
確かに指揮官クラスでなくては扱えないだろう。
外にはてゐの豆ランチャー射撃に遭った紅魔館のメイドが倒れている。
それはすぐに下っ端イナバに回収され、永遠亭内に監禁された。
節分が終わるまでは解放してもらえないだろう。
あえてスパイを泳がせ、嘘の情報をリークした上でそれを始末。
そして新たな作戦を構築する永琳、それはまさに生き馬の目を抜く所業と言えた。
パーフェクトメイドVS月の頭脳、紅魔館と永遠亭、それぞれを統括する二人の戦いは既に始まっている。
そしてやはり咲夜も動いていた、萃香の協力を得たとは言え今のままでは駒が足りなさすぎる。
咲夜が目指すのは竹林……だが行き先は永遠亭ではない。
(蓬莱山輝夜と八意永琳を同時に相手するのはいくらなんでも辛いもの)
永琳は自分が押さえなければいけないだろう、しかしそうなると輝夜が自由になってしまう。
ついでに言えばてゐと鈴仙も自由だ、これは美鈴がどれぐらい頑張ってくれるかにかかっている。
(そして西行寺幽々子の天敵)
導かれる答えは一つ。
蓬莱山輝夜とは宿敵同士、死の能力を受け付けない不老不死の体。
咲夜は蓬莱の人の形、藤原妹紅に協力を依頼しにきたのだ。
このことが永琳にばれると動きづらくなる、咲夜はウサギに見つからないように時を止めながら妹紅の家を目指した。
「あ、あー……お腹減ったなぁ……冬場は辛いなぁ……」
妹紅は何をするでもなく部屋でごろごろしていた。
こんな冬場に竹林をうろうろする者もいないし、食べ物もあまり採れないし……。
永遠亭を襲撃して食料でも奪ってやろうかと思うのだが、腹が減ってだるかった。
博麗神社に行ってたかれば何かを食べさせてくれるかもしれないが、そこまで親しいわけでもないので気が引ける。
「うー……」
のっそりと体を起こし、ちゃぶ台に載っている一升瓶を手に取った。
空きっ腹に酒を入れると胃に来る、胃に悪い。それで少しの間食欲から逃れられるのだ。
「ぐぐぐ……」
ほんの少し飲んだだけで酒が胃に来る。妹紅は胸元を押さえて苦しそうに悶えた。
涙が出てきた、いっそ死ねれば良いのにやっぱり死なない、これは生き地獄だ。
妹紅はもう三日ぐらい何も食べずに酒で胃をいじめていた。
一升瓶は台所にいっぱいある。
酒じゃなくて食料を買い込んでおくんだったと妹紅は激しく後悔していた。
そのとき玄関の方から響いてきたノックの音が、まるで天使の足音のように聞こえた、と妹紅は後に語る。
「はぐ! はぐはぐ!」
「も、もう少し落ち着いて食べなさいよ、誰も取ったりしないわ……」
咲夜にしたら願ったり叶ったりだったのは確かだ、あれだけ困っていたのを助けたのだから協力してくれるだろう。
ノックをしても呻き声しか聞こえないので不審に思い、咲夜が踏み込むと、そこには妹紅が倒れていた。
近寄ると凄まじい力で抱きついてきて「食べ物、食べ物」とうわ言のように呟く。
アリとキリギリスよろしく、冬前に食料を貯蔵するのを怠ってしまったらしい。
不死身だから平気だとでも思ったのだろうか、それにしても餓えがそこまで辛いのは予想外だったようだ。
協力を依頼するのがどうと言うよりも、純粋に可哀想だったので連れ帰って食事を与えてやった。
「おいしい、おいしい……」
「そんなに喜んでもらえて光栄だわ」
自分が生きているんだ、ということを妹紅は痛感した。
あまりに死なないので生きてるんだか死んでるんだかよくわからなくなっていたが……。
こんなにおいしい物を食べられるのは生きているからだと、勝手にひとりごちる。
どうでもいい事だが幽々子は宴会で「一番おいしそうに食べる子」の称号を与えられていた。
死んでいてもおいしいものはおいしいのだろう、でもそれを今の妹紅に教えるのは少々無粋である。
「うー、もう無理。ごちそうさま」
「あら、お腹を空かせていた割には食べないのね」
「おいしいものを食べられるから、ってそれまでの食事抜くと、意外と食べられなくなったりするじゃない?」
「そ、そうなの?」
咲夜はそんな変なことをしたことがないのでよくわからなかった。
満足そうに妹紅がお腹を撫でていると、いつの間にか目の前に湯気を立てる湯飲みがあった。
「あ、あれ?」
「食後のお茶よ、どうぞ」
「……」
妹紅は湯飲みを両手で包み込んで涙を流し始める。
咲夜はそれを見て、喜怒哀楽が激しすぎて扱いにくいと思った。
「ど、どうしたのよ……?」
「昔を思い出して……誰かにこんなにしてもらうなんて、しばらく無かったから……」
昔は良い家柄だったのだろうか、それともただの寂しがりなのか……。
特に言及もせず、咲夜は妹紅の髪を優しく撫でてやる事しかできなかった。
「そ、そういえばさ……ぐすっ、なんでうちに来たの? なんか用?」
「あ……忘れるところだったわ」
恩を着せるようで少し気乗りがしなかったが、咲夜は一部始終を説明した。
最悪なのは妹紅もレミリアに豆をぶつけたがる展開だったがそれは無かった。
妹紅は難しい顔をして茶を啜りつつ、魔理沙、冥界組、そして永遠亭勢が紅魔館を強襲するという話を聞いている。
「呆れるな、輝夜の奴……そこまで腐っていたのね」
「輝夜よりも永琳が腐ってるわ、たかだか節分に全力を出しすぎなのよ」
酷い言われようだ。しかし本気むき出しでイナバ総動員している永琳に言い逃れは不可能だろう。
ハイパー豆ランチャーのことはまだ咲夜も知らないが、痛すぎる程にガチだ。暇人は恐ろしい。
「よし」と呟いて妹紅が指の関節を鳴らす。
「良いよ、協力する」
「ありがとう、でもなんだか恩を着せるみたいで悪いわね」
「最初にその条件を出されてたら断ったかもしれないけどね」
「流石に人として、あそこまで困ってたら助けずにはいられないでしょう……」
「わかってるわかってる、だから手伝うんだよ。あの亡霊嬢もまとめて蹴散らしてやるよ、任せて」
「頼もしいわ」
「そ、そのかわりと言っちゃなんだけど……」
「?」
レミリアが神妙な面持ちで、背に合わない大きな椅子に腰掛けて紅茶を飲んでいると、ドアを叩く者があった。
この叩き方は咲夜だ、外出していたようだが帰って来たのか。
「誰?」
「咲夜でございます」
「何? 何か進展があったのかしら?」
「はい」
「お入り」
「失礼いたします」
戸が開かれたときレミリアは目を疑った。
手にしていたティーカップを思わず取りこぼしたが、それは咲夜が時間を止めてキャッチし、テーブルに戻した。
「この者を冬の間限定でメイドとして雇うことになりました。ほら、自己紹介なさい」
「あ? えー……スースーするなぁこの服……」
「そ、そいつは……何考えてるのよ咲夜!?」
「あー、うん、わざわざ名乗らなくてもわかるでしょ?」
「妹紅! お嬢様に対して失礼よ!」
咲夜の横に、メイド服を着せられてはにかむ妹紅が居た。
「と、とにかくさ、節分のときだけは大活躍することを約束するよ」
「あ、あぁ……そういうことなのね……」
呆れたような眼差しをレミリアに向けられ、咲夜はバツが悪そうに苦笑した。
「まぁそいつの実力はわかっているわ、それと別に私に対して変にかしこまらなくても良いわよ、かえって気持ち悪いし」
「しかしお嬢様……」
「咲夜も硬いこと言わないの。というよりそいつをメイドとして見るのは難しいのよ、イメージ的に」
「それは助かる」
「でもメイド服は着ておきなさいよ、ややこしいから」
頭の悪い下っ端メイドが妹紅に襲い掛かって返り討ちに遭っても困る。
念を押された妹紅は「ぅー」と小さく呻いたが、そこは逆らえないのだと理解したようだ。
「永遠亭の連中とは戦い慣れてるから、任せて」
「頼りにしてるわ、咲夜、貴女もね」
「はい、お嬢様」
こうして紅魔館の防衛体制もある程度整った。
あと数日経てば節分がやってくる、レミリアの部屋を出た咲夜と妹紅は顔を見合わせ、無言で頷いた。
ちなみに萃香はメイドの代わりに密偵として各勢力の視察を任されている。
しかしそれを察知した永琳は即座にハイパー豆ランチャーの情報を隠蔽。
そればかりか作戦についても指揮系統をしっかり確立したのみで、全作戦案を自分の頭の中に納めた。
きっと決行当日に暗号化された作戦指示が伝達されるのだろう。
いくら潜り込めても、そこまで徹底されては萃香にもお手上げだった。
永琳ムキになりすぎ。
決戦前日、咲夜は美鈴の元へ赴いていた。
美鈴は汗だくになって、ものすごく大きな木刀を頭上でゆっくりと動かしている。
「な、何してるのよあんた……」
「あ、咲夜さん……鍛錬です」
「そう……」
「三十分ぐらいかけてこの一挙動を終えるんです、研ぎ澄まされますよ」
ものすごく暇そうだったが、相当に辛い訓練であることは想像に難くない。
顔を真っ赤にしてぼたぼたと汗を流す美鈴はとても頼もしい。
「鍛錬中のところ悪いんだけど、話を聞いてもらえるかしら」
「あ、はい良いですよ。もうこれ十回ぐらいやったし」
美鈴の足元にだけ氷が張っているのはそのせいか。
氷に張り付いてしまった靴を引き剥がすと、美鈴は木刀を側に置いて汗を拭きながら咲夜の方を向いた。
「明日はついに節分よ、わかっているわよね?」
「ええ、ですからお昼寝……ゲフゲフン、敵の少ない時間は鍛錬に回してたんです」
「お前が昼寝してることなんか皆知ってるよ」と思ったが、咲夜はあえてそこに触れないでやった。
「お嬢様がお目覚めになられたら作戦を伝えるわ、一応使いをよこすけど忘れないように、気を引き締めていて」
「わかりました」
なにやら気味の悪い訓練をしているようだが美鈴なりに腹を決めているらしい。
これならば思った通りの働きをしてくれるだろうと思いつつ、咲夜は美鈴に背を向けた。
「咲夜さん!」
「?」
立ち去ろうとする咲夜を呼び止めた美鈴の表情はやる気に満ち溢れている。
「何?」
「……」
美鈴は無言で握り拳を胸の前に上げ、ピンと親指を立てて不敵な笑みを浮かべた。
それを見た咲夜はなんだか無性に腹が立ったが、やる気が無いよりは良い。
(あんな汗だくの服着て寒くないのかしら……)
見ると美鈴の体から湯気が上がっている、凄まじい威圧感だった。
また木刀を拾って気味悪い鍛錬を始めた美鈴、咲夜は見たくないので早々にその場を去った。
そして作戦会議も滞り無く済み、ついに決戦は目前。
二月二日、時刻は零時の三十分前、紅魔館全人員が宴会用ホールに呼び集められた。
静まり返るホール、咲夜が演説台に上がる靴音だけが響く。
台の横には萃香、妹紅、美鈴、が姿勢良く並ばされていた。
「決戦は三十分後!! わかっているわね!? 節分よ!!」
咲夜が声を張り上げ、メイド達が大きく頷く。
「かつては霊夢に蹂躙されたこともあるこの紅魔館! あの屈辱、忘れてはいないわね!!」
メイド達が「おー!」と声を上げる。
「今度の戦いはあれよりも苦しいものになるわ! 魔理沙、亡霊嬢とその庭師! そして……永遠亭!!」
「おー!」と言っているメイドはまだ良いが「殺す!」「消す!」などと物騒なことを叫んでいるメイドも居た。
なんだかエレガントでないが、下っ端のメイドはバカも多いので仕方ないかと思う。
しかし、とりあえず士気だけは高いようなので良いということにした。
「いいこと? 我らが為すべきことは唯一つ……」
咲夜が頭上に手を掲げ、指をパチンと鳴らした。
「一粒の大豆もお嬢様の肌に触れさせてはならない!! それだけが我らの敗北条件よ!!」
メイド達が声高に叫ぶ。
「おおーっ!」
「押忍!」
「加藤さんッッ!!」
なんか全然関係ないのが混ざってる。加藤って誰だ。
咲夜はものすごく不安になった、振り向くと妹紅も表情を歪めていた。
「自分の身が滅びようともお嬢様を死守しなさい!! 二十四時間の耐久戦よ!!」
「ねんがんの……」と聞こえてきて、いい加減に腹を立てた咲夜はナイフを投げた。
あと終始膝カックンをしてふざけあっているメイド達にもナイフを投げた。
もう咲夜は半泣きだった。このメイド達、本当にバカだ。
「こんな感じよ……あいつらはアテにならないからよろしく……うぅ」
「く、苦労してるんだな……」
妹紅は壇上から泣きそうな顔で降りてきた咲夜の肩に手を置いて慰める。
そしてそれを見ていた美鈴は胸の前に拳を出し、例のポーズをとった。
「咲夜さん! ……痛いっ!?」
咲夜はそのポーズを見てやっぱり腹が立ったので、今度は蹴りを入れた。
主戦力である四人だけがホールに残っている、役立たずなメイド達はウキウキ気分で持ち場へと走っていった。
「それじゃ萃香、お願い」
「おっけー!」
咲夜の指示を受けて霧散する萃香、だが数人の小さな萃香が咲夜達の足元にちょこんと残っている。
それが何を意味するかは既に全員に伝えてある。三人は掌サイズの萃香を優しく手に取り、懐に収めた。
「あちこちに意識を飛ばすのは大変でしょうけど、お願いね」
「うんー」
萃香は豆が怖いので通信要員として起用された。
霧散した部分は紅魔館とその周辺を常時監視し、敵の接近や動向を探る。
それを掌サイズの萃香が皆に伝える他、掌サイズの萃香を通じて、離れていても意思の疎通が図れるというものだ。
いくらかの戦力増強をしたとは言えまだまだ紅魔館側は人数が足りない。
そんな中でこの作戦を思いついた咲夜は実に瀟洒だと言えよう。
あとの二人は頭に作戦を叩き込んである、細かな指示はもう必要無いだろう。
レミリア、フランドール、そしてパチュリーは地下室に隠れている。
パチュリーは最終防衛線として姉妹を守る役割を受け持ってくれたが、いかんせん体力不足なのであまり頼りにできない。
「じゃあ美鈴、着替えてきて……あと十分しか無いわ」
「わかりました」
美鈴は頷いてホールを出て行った。
残された咲夜と妹紅はガッシリと握手をし、互いの健闘を誓い合う。
既に魔理沙の作戦は萃香の調査によってだだ漏れである、まずはそれの阻止からだ。
二人もホールを出てそれぞれの持ち場へ駆けていった。
そして時計台が零時を差す。
――紅魔節分防衛戦、開始。
「ククク……バカなやつらだぜ……」
紅魔館内を見回るメイドの一人が不審なことを呟いている。
「遠足は家に帰るまでが遠足というが、それだけじゃないんだぜ」
そのメイドがポケットに手を突っ込んで揺すると、じゃらじゃらと音がした。
そしてそれをいくつか掴み取り、目の前で広げる……大豆だった。
「そう、前日の準備段階からが遠足なんだよ……」
そのメイドは魔理沙だった、髪型を変え、メイド服に身を包めば即席メイドの完成である。
ちなみにこのメイド服はアリスの手製で着心地も真によろしい。
さらに言えばアリスも魔理沙と同様、メイドに扮して紅魔館に潜り込んでいる。
実は集会のときから既に潜り込んでいたのだ、木の葉を隠すなら森の中、メイドを隠すなら……である。
(さてレミリアはどこだ……? わざわざ高級大豆を持ってきたんだ、ぶつけずには帰れないぜ)
多分その大豆は盗品だろう。
「そこのメイド!!」
(うっ!?)
後方から響くこの声は咲夜……魔理沙は硬直した。
メイドに扮する以上箒も携帯できず、今の状態でやり合うのは好ましくない。
「氏名と部署を!!」
「ぅ、ぅ……」
「……ふふふ、言えるわけが無いわね……何故なら貴女は侵入者だからよ!!」
「ちぃっ!!」
魔理沙は大豆をポケットにしまい、咲夜の方を向き直る。
既に眼前に迫っていたいくつかのナイフをマジックミサイルで弾き、さらに飛んできたナイフはバク転で回避した。
思いのほか身が軽い。
「バカの一つ覚えみたいに正面突破をかけてこなかったことは誉めてあげるわ」
「バカはここのメイドだろ、さっきの集会酷かったぜ」
「クッ……!!」
魔理沙の心理攻撃で一瞬ヘコんだ咲夜。
魔理沙はその隙を見逃さず、懐からミニ八卦炉を取り出した。
「もらったぁ!! マスタースパークだ!!」
「……ふっ」
「!?」
ミニ八卦炉が魔理沙から魔力を吸い上げる刹那……窓を突き破って飛び込んできた妹紅が二人の間に立ちはだかった。
身を低くし、振りかぶった左腕は灼熱の炎を纏っている。
今更マスタースパークの発射を止めることはできない……。
妹紅は自分に向かってくるマスタースパークを見て、不敵に微笑んだ。
「鳳翼天翔ーーッッ!!」
「くそぉっ!!」
マスタースパークはその横っ面を殴りつけられ、火の鳥を伴って窓の外へと弾かれた。
妹紅が左腕を振り切ったことにより今度は右腕を構えた形になる。そして既に右腕への霊力の充電を完了していた。
「威力はあるけど手数不足だなぁ!! 魔理沙!!」
「や、やめろ!! 焼け死ぬっ!!」
「だいじょーぶ! 手加減してやるよ!! 鳳翼天翔ーーッ!!」
「いやぁぁぁぁっ!!」
妹紅が放った火の鳥に絡みつかれ、魔理沙はごろごろと後転していった。
そしてある程度転がったところで止まり、ぺたんと大の字に倒れた魔理沙は、口から黒煙を上げて力尽きた。
「ふ、伏兵とは卑怯だ、ぜ……ガクッ!!」
「魔理沙は討ち取った! 縄で縛って地下室に持っていきな!!」
妹紅の指示を受けて、どこぞに潜んでいた下っ端メイドが魔理沙を縄でぐるぐる巻きにする。
途中頭を引っぱたいたり、スカートをめくってみたり、やりたい放題だった。
そして魔理沙は当然豆も没収されるし、これから吸血鬼姉妹の玩具として、二十四時間耐久の罰ゲームが待っている。
「すぐにお前の友達も地獄行きだ。今宵のお嬢様の罰ゲームは、あんたらのトラウマになるよ」
地下室ではレミリアがてぐすね引いて待っていることだろう。
妹紅は懐から掌萃香を取り出し、話しかける。
「こちら妹紅、魔理沙は始末した。アリスの方はよろしく」
掌萃香はうんうんと頷いている、他の仲間にも伝えてくれることだろう。
咲夜は妹紅の登場と共に姿を消していた。メイド長は忙しいのだ。
一方もう一人の侵入者、アリスは先ほど聞こえた轟音を気にかけつつ、レミリアの部屋の前まで侵入していた。
(さっきの音はマスタースパークかしら……大丈夫なの? 魔理沙……)
暇だからついてきただけなのだが、紅魔館の本気っぷりは普通ではない。
アリスはふざけ半分でついてきてしまったことを後悔し始めていた。
(ま、まぁ何はともあれこの中に居るレミリアに豆ぶつけて終わりよ……それっ)
レミリアの部屋の鍵を針金であっさりと開けるアリス。流石、手先の器用さには定評がある。
ポケットに手を突っ込んで大豆を掴み、ドアを開けて中に入ると、レミリアはまだ寝ているらしい。
(え……なんか大きくない?)
あの小さな体に似合わない、やたら豪華で大きなベッド。
十回ぐらい寝返りしても転げ落ちなさそうだが、このレミリアはニ、三回寝返りを打ったら落ちてしまいそうだ。
掛け布団の膨らみ方がやけに大きい……。
(こ、これレミリアじゃないわ!! ダミーね!?)
気付いたときにはもう遅い、興味本位で近付きすぎた……。
アリスは布団から飛び出した偽レミリアこと紅美鈴に手首を掴まれてしまった。
「いやぁぁっ!? 誰よこんなバカな作戦思いついたの!! に、似合ってなさすぎじゃない!!」
レミリア風カツラと特注の巨大レミリア服に身を包んだ美鈴はある種ホラーだった。
不気味な微笑と薄暗い部屋で輝く青い瞳が恐ろしすぎる。
「体格が違いすぎるじゃないの!!」
「ごちゃごちゃとうるさいな。さてこの距離は私のエリアよ、覚悟は良い?」
この作戦は通称「『紅』頭巾ちゃん作戦」と呼ばれているものだ。
バカな作戦だと思われがちだが、レミリアと美鈴の違いすぎる体格……。
あからさまに不審すぎると、かえってそれを確かめずにはいられないものである。
人間心理の虚を突く、咲夜の大胆にして瀟洒な作戦なのだ。
「ホイチョーッ!!」
「うぐっ!!」
美鈴のボディブロー一発でアリス撃沈。格闘戦になってはアリスは美鈴に歯が立たない。
「こちら紅美鈴、アリスを始末しました」
美鈴が掌萃香を通じて報告する中、横で倒れるアリスに群がる下っ端メイド達。
気分はウッキウキ、お嬢様の所へ運ぶ前に、私達がいっぱいオシオキするわ。
ぐるぐる巻きにされたアリスはヘビメタ風のメイクを施され、地下室へと持っていかれた。
しかし安堵も束の間、直後に掌萃香が新たな敵の接近を伝える。
「幽冥組が入り込んでるよ!! よ、妖夢は速すぎて、え、えっと今……うー!
幽々子は地中を移動してるみたい! 位置がつかめないよーっ!!」
「地中ですって!?」
「い、痛い、痛い……」
「あ、ごめんなさい……しかし、これは予想外だわ」
思わず手に力が入り、掴まれていた掌萃香が涙ぐむ。
妖夢の移動速度の速さはまぁわかる、しかし亡霊だからって地中を移動するとはどういうことか。
確かに、物理次元に存在しているわけではないかもしれないが……飯とか普通に食うのに。
幽冥組の作戦も掴めていなかったのだ、萃香は冥界まで行ったが、聞けたのはこんな会話だけ。
「妖夢ー、変に連携とかしないで思い思いに動きましょー」
「そうですね、咲夜は頭が切れます。下手に策を練っても策に溺れる……。
私も頭を使うよりは体を動かすことの方が得意ですし、タイミングだけ揃えてあとは勝手に動きましょう」
「ふふふ、そうよねー」
そう言った幽々子は、霧散した萃香が漂っている空間を見てニヤリとほくそ笑んだ。
あれぐらいの実力の持ち主ならば萃香の存在に気付いていても不思議ではないだろう。
「やられた……っ!!」
まずい、地中を移動しているとなれば、偶然に地下室に辿り着く可能性もある。
いきなり最終防衛ラインが危険にさらされるとは思わなかった。
「こちら十六夜咲夜……妹紅、地下室に向かってお嬢様の護衛について、幽々子の襲撃が考えられる」
「『わかった、これから向かう』って言ってるよ」
「ええ、ありがとう……こうなった以上妹紅を信用するしかないわ、私達は妖夢を捕捉する、美鈴、良いわね」
「『はい!』だってさ」
「よし……」
再び萃香を懐にしまう咲夜。
妖夢は腕は立つものの未熟なところも多い、美鈴と二人がかりならばまず捕獲できるだろう。
問題は、移動が速すぎて萃香が正確な位置を伝えられないことだ。
次から次に違うエリアへ移動するので、大体の位置しか把握できない。
しかし咲夜の心に恐れはない、自分はただ侵入者を排除し、レミリアを守るだけだ。
地下室に向かう妹紅、しかしその途中に不審な連絡が入った。
「中庭の警備についてるメイドが地中に引きずり込まれてるよ? 幽々子じゃないかな」
「なんだって……?」
中庭には不気味な光景が広がっていた。
メイドの一人がいつの間にか頭だけ残して地面に埋まり、泣き叫んでいる。
「いやあーっ!!」
「い、今助けるよ!!」
仲の良いメイドが引きずり込まれたのだろう、一人のメイドが泣き叫ぶ友人の元に駆けつけ、その頭を引っ張る。
「ふぬぬぬ……えっ?」
脚を掴まれた感触がある……しかし友人の手は地表には出ていない。
半透明の青白い腕が地中から伸び、そのメイドの脚を掴んでいたのだ。
「ひ、ひぃぃぃぃぃっ!?」
「うらめしや~……ブフッ!! クッククク……」
「助けてー!!」
「楽しいわぁーっ!!」
「ひぃぃぃぃぃ!!」
幽々子は遊んでいた。メイドを地中に引きずりこんで。
せっかく紅魔館への襲撃が公認……されたのかどうかは微妙だが、レミリアに豆をぶつけるという大義名分があるのだ。
とにかく、この機会にいろいろとやりたかったことをやっておくつもりなのだろう。
「ひっ!?」
「いやぁっ!!」
「うわーっ!」
中庭の警備に当たっていたメイド達が次々に引きずり込まれていく。
まだ永遠亭からの襲撃も控えている今、兵隊を大量に失うのは好ましくない。
とはいえ自分達ではどうしようもないので、メイド達は飛んで様子を見ることにした。
「こちら妹紅……現在中庭の側に居る。あの亡霊嬢、ここで片付けてしまっていい?」
「『……了解、でも中庭から消えたらすぐ地下室に向かって、良いわね?』だそうでー」
「わかった、萃香、奴の動きを見張ってて」
「もちろん!」
掌萃香を懐に潜り込ませ、妹紅は中庭へと走る。
見ればメイド服も随分板についた、まったく違和感がない。
飛んだから大丈夫……だったはずなのに、埋まりメイドの数はさっきよりも増えている。
幽々子は地中から頭頂部だけを出して、ゴモゴモと中庭の土をえぐりながら移動していた。
あの妙なシンボルの描かれた三角巾がまるでサメの背びれのようで恐ろしい。
「頭に向かって弾を撃つのよ!!」
一人のメイドの号令に従って、周囲にいるメイド全員が幽々子に一斉攻撃を開始する。
しかしそれを感知した幽々子は地中に引っ込んでしまい、そして……。
ざっぱぁぁん。
「ギャーッ!!」
「ジェシカーッ!?」
イルカのように飛び上がる様子は優雅なのだが、土中から出てくるのがダメだ。
メイド達の抵抗も虚しく、幽々子の反撃を受けて更に埋まりメイドが増える。
伊達に冥界の管理をしているわけではなく、下っ端のメイドなど玩具同然のようだ。
多少獲物が浮かび上がったところで問題はないらしい。
「ブフッ!! あー楽しいわー……全員埋めてあ・げ・る……フフフフフフフフフ」
「う、うぅっ……」
「咲夜さぁーん……」
泣きべそをかき始めるメイド達、本当に役に立たない。
しかし相手が幽々子では仕方ないというのはあるだろう、本気だったら数分で血祭りにできるはずだ。
それをあえてじわじわといたぶっているのだから、残酷なものである。
「私に任せな」
「あんたは新入り!?」
「ダメよ新入り! 紅魔館の土は良い土だからミミズだらけよ!! 埋められたらウネウネ地獄よぉっ!!」
若干猟奇的だ。確かにそれでは埋まりたくないのも頷ける。
しかし周りのメイドの制止も虚しく、新入り……つまり妹紅は脚を掴まれてしまった。
「もう遅いわ……ふふふ、ウネウネじご……ひぃぃぃぃぃっ!?」
「おはよう亡霊嬢、やっぱり死人は土中が落ち着くのか?」
「ほ、ほ、蓬莱人よぉぉぉっ!! 妖夢っ……妖夢ぅーーッッ!!」
「どっせぇぇぇぇい!!」
妹紅は乱暴に脚を振り上げて幽々子を地中から引きずり出し、上空に放り出した。
「大人しく冥界に居れば良かったのにねぇ……閻魔の裁きよりも辛い、罰ゲームの餌食になれ!!」
そう言って取り出したスペルカードは凱風快晴。
「いやぁぁぁぁっ!?」
「フジヤマヴォルケイノ!!」
上空の幽々子を中心に大爆発が起きた。
凄まじい突風でメイド達のスカートがヒラヒラ。なかなか壮観だった。
妹紅はへろへろと落ちてきた幽々子の首根っこを掴み、メイド達に差し出す。
「お土産よ」
「め、冥土の土産をメイドの土産……」
「ブッ!? いいからさっさとふんじばって地下室に持ってけ!」
毎度の事ながら、このときだけメイド達は嬉々として縛り、嫌がらせをする。
普通の縄で縛ると逃げられそうなので幽々子に対しては特殊な縄を使うことになっていた。
第一段階であるメイド達の嫌がらせは、幽々子を水泳の「バタフライ」のポーズで縛るというものだった。
あんな縛られ方をしたらあちこち関節が痛くなりそうだと思いつつも、妹紅は掌萃香を通じて報告する。
「こちら妹紅、西行寺幽々子は片付いた。妖夢の捕獲に協力するわ、妖夢はどこ?」
「『そ、それが……』」
逃げたらしい。
ちゃんと紅魔館から飛び出していった様子も確認されている。
幽々子が捕まったことを知っているのかどうかは不明だが、とにかく逃げた。
確かに各々が好きに動くという作戦だったのだろうが、それにしても自分に正直だ。
「レミリアに豆をぶつけたらどうなるか」というのは確かに少し気になることだが、
ここまで本気で防衛に入っている紅魔館を襲うリスクを負ってまで確かめたいとは思わないのが普通だろう。
「あー……なんか拍子抜けだなぁ、まぁいいか」
ひとまずのところ、詠唱組と幽冥組までは片付いた。
これで当初想定されていた敵の半分近くが片付いたことになる。
妹紅は中庭から空を見上げる、まだまだ暗い、星が輝いている。
時計台を見ると午前二時を差していた、不安は拭いきれない。
(残りの二十二時間……永遠亭はいつ攻めてくる?)
最大の敵、永遠亭を迎え撃つには時間が長すぎる。
永遠亭のブレーン、八意永琳はこの時間を一秒たりとも無駄にはしないだろう。
妹紅が永遠亭襲撃の際に一番大変なのは、何よりも輝夜の元まで辿り着くことだった。
辿り着けずに永琳の策にやられることもけして少なくはない。
その永遠亭が今度は攻めに転じてくる。
「なるほど、こりゃ気が気じゃないわね」
日頃妹紅に脅かされている永遠亭の連中はいつもこんな気持ちなのだろうか?
冷たい夜風を背に受けながら妹紅は館内へ歩いていく。
体力を無駄に消耗するわけにはいかない。
その頃永遠亭では、誰も予想していない展開を迎えていた。
情報の漏洩を防ぐために厳重な警備と結界を敷かれた司令室……。
「信用していいのかしらねぇ?」
「利用できるものは利用するべきだと思いますよ、永琳様」
「師匠、私もそう思います。ここでこいつが私達に楯突いて得になることなんか一つもありません」
二人のイナバの進言を受け、永琳は顎に手を当てて「うーん」と唸った。
目の前では後ろ手を縛られた妖夢が、正座をして真っ直ぐに永琳を見つめている。
「幽々子様が捕まった……本来なら私一人で救い出したいところだけど、
あれだけの戦力を相手にどうにかできるとは思えない」
「泣かせる話ね、剣士としての誇りを捨ててまで私達の軍門に下り、主を助けようとするなんて、あはははは」
永琳の言葉には妖夢に対する侮辱が多分に含まれている、その笑いも明らかな嘲笑だ。
妖夢にとっては本来耐え難い屈辱だった、だが、今は下唇を噛んでそれを耐えるしかない。
「あそこのメイド達はものすごくバカだ……頂点に立つ吸血鬼姉妹も残虐極まりない……
ゆ、幽々子様があいつらにどうにかされるなんて……っ!! お、お願いです……」
妖夢の頭に様々な想像が膨らんだ、なんだか頬が赤く染まっている。
きっと、具体的に書けないようなことを少し想像してしまったんだろう。
だったら豆なんかぶつけにいかなきゃいいのに。
「いいわ、その目」
「……?」
「貴女、今……少しやらしい目をしたわ」
「なっ!?」
「合格よ」
基準はそこなのか。
永琳が目で指示をすると、鈴仙が頷いて抱えていた木箱の中から何かを取り出す。
それはウサギ耳ヘアバンド……てゐタイプのもちのような耳だった。
「本来、ここ永遠亭には月の民とウサギぐらいしか住まないのだけれどね……。
たまに、断るにはもったいない者が居住を希望したとき、これを授けるの」
そんな話は聞いたことがない、永琳が即興で考えたでまかせだろう。
とにかく鈴仙からウサギ耳ヘアバンドを受け取った永琳は、妖夢に歩み寄って黒いヘアバンドをそっと外した。
「今日から貴女は『みょん』と名乗りなさい」
「も、もう少しましな名前はありませんか……?」
「それが嫌ならこの話は無かったことにするわ、そして貴女はこのまま拘束。
節分が終わるまでうちのウサギ達の玩具になってもらう。紅魔館とどっちが辛いかしらね、うふふふふ」
「みょ、みょんでいいです……」
「よろしい……ではみょん、永遠亭のために尽くしなさい」
「え? いや、節分の間だけ共同戦線を張れば……あっ」
妖夢改め「みょん」は、その頭にウサギ耳を装着された。ほんのりイナバ気分。
それを見て満足気に微笑んでいた永琳の顔が直後に引き締まる。
「みょんはウドンゲ隊に配属するわ、少しでも裏切る素振りを見せれば狂気の瞳の餌食になると思いなさい」
「は、はい!!」
「ウドンゲ、大丈夫ね?」
「問題ありません、紅魔館の防衛ライン、ガタガタに崩してみせます」
フッ、とニヒルに笑う鈴仙。その表情は自信に満ち満ちている。
こうして永遠亭は更に勢力を増した。
いつ攻め込むつもりなのか、それは永琳にしかわからない。
「……あ、忘れてたわ」
「?」
「ウドンゲ、みょんに尻尾も」
「あ、はい」
意外と暢気なようだ。
そういえばお嬢様達は一体どうしているのだろう?
「うわぁぁぁぁっ!? や、やめろーっ!!」
椅子に縛り付けられて動けない魔理沙に、レミリアが納豆をかき混ぜながら接近する。
「お豆をぶつけられる嫌さをあんたにも教えてやるわ」
「い、炒った大豆と全然違うじゃないかっ!! いや、いやぁぁぁぁ!!」
かき混ぜすぎてペースト状になった納豆が、レミリアの手によって魔理沙の頭にかけられる。
「くさっ! くっさーっ!!」
「多分髪の毛に良いわよ、ククククク……」
一方ヘビメタ風メイクを施されたアリスの前で、フランドールとパチュリーがぼそぼそと耳打ちしている。
パチュリーの発言に対してフランドールは大きく頷いた。
「あんたの新設定を考えたわ」
「?」
アリスは真顔なのだがメイクのせいで台無しだった。
メイクは怖いのにそれ以外はアリスなので、そこには想像を絶する混沌が生まれている。
「あんたの新しいあだ名は『デーモンアリス閣下』よ」
「な、なによそれ!?」
横でパチュリーがニヤニヤと笑っている。日頃魔理沙に本を持っていかれる恨みをアリスにぶつけているのだろう。
そして戸惑うアリスのことなど気にもせずフランドールは続ける。
「年齢は十万三十六歳」
「う、うぅ……」
だから何なんだ、とアリスは思ったが、魔理沙のように頭に納豆を乗せられるよりはましだった。
仕方ないのでパチュリー考案のシュールな嫌がらせを身に受けるしかなかった。
幽々子はバタフライポーズのまま放置されていた。
~続く~
紅魔館、レミリアの部屋に妙な音が響く。
「咲夜、良いわ、もっとかき混ぜて」
「あまりかき混ぜるとドロドロになってしまいますが……」
「ねばねばしすぎてるぐらいが好きなの」
「まあ、通ですわ。流石お嬢様」
レミリアは納豆をかき混ぜるのすら咲夜にやらせていた。
気品がありながらも、どこか可愛らしい装飾を施されたレミリアの部屋に納豆臭が充満している。
咲夜はかき混ぜた納豆をテーブルの上に置くと、さりげなく窓を開けた。
「それにしても珍しいわね納豆なんて、まぁ嫌いじゃないし、たまには良いわ」
「洋食が多いですから、たまには趣向を変えてみようと思いまして」
「こんな臭いものを私に食べさせるなんて勇気が必要でしょうに。その度胸とメイド長としての自信、見事よ」
「勿体無いお言葉でございます」
たかだか納豆のことで誉めすぎだろう。
それでも普通のメイドではできることではないのは確かで、流石はメイド長を務めるだけのことはある。
普段レミリアを注意深く見守っている咲夜には「レミリアが納豆を食べたいタイミング」がわかるようだ。
「しかしお嬢様」
「どうしたの?」
小さくて可愛らしい茶碗に盛られた白米に納豆をかけながら、レミリアは首を傾げる。
一応他のおかずもある。いくらなんでも納豆と白米だけ出したら即座にメイド長をクビになるだろう。
「今日、納豆をお食事として出したのには深い意味があるのですよ」
「納豆によるダイエットかしら?」
「お嬢様にダイエットなど必要ございませんわ」
「なら何よ? 勿体つけてないでお言い」
レミリアに問われて咲夜が小さく頷くと、壁に掛かっていたカレンダーを指差す。
カレンダーに何があるのだろう、レミリアはさっき傾けた方向と反対側に首を傾げる。
「もうすぐ二月ですわ」
「二月……はっ!?」
口から糸を引きながらレミリアは硬直した。
そしてそのまま青ざめて、わなわなと震えだす。
「……節分……」
「そうです、各地で豆がばら撒かれる日ですわ」
「鬼は外、福は内……」
「ええ」
レミリアは炒った大豆が苦手だ。
とはいえ別に節分自体はそれほど問題ではないのだ、紅魔館に篭っていれば危険はない。
ならば何故こんなにレミリアが怯えているのか、それは新年会での出来事だった。
いつものように博麗神社に集まった面々は、まず当然霊夢、そして幹事の魔理沙。
紅魔館からはレミリア、咲夜。白玉楼の二人。永遠亭からは月人二人と月兎が。
それを最初に言い始めたのは輝夜だった。
「そういえばあと一月もすれば節分ね」
その言葉を聞いたとき、レミリアの体がビクッと跳ねた。
「吸血鬼も豆に弱いってなんかで聞いたな。そうなのか?
あ、そういや前豆まきしたときも、お前こそこそしてなかったか? 気になるな」
結論から言ってしまえば炒った大豆は苦手だ、しかしわざわざ自分で「弱点です」というのもかっこ悪い。
「ど、どうかしらね……にんにくは嫌いよ」
「そうですわね、でもお嬢様に豆をぶつけるなどと言う狼藉、この私が許しませんわ」
空気を読んだ咲夜は、同様に弱点であることは知っていつつもそれを隠し、さらに釘を刺した。
だが、目をそらすレミリアとは対照的に、キッと魔理沙の目を睨みつける咲夜の態度は少々露骨過ぎただろう。
「ぶつけてみたいぜ、豆」
まったく空気を読めない魔理沙はたじろぎもせずに言う。
「一応効くらしいですよ、姫」
博識な永琳も空気を読めない、レミリアの目がキリキリとつり上がる。
「きっ……気になるわ妖夢!!」
そういって幽々子がレミリアにおせちの栗きんとんを投げつけてきた。
黒豆があるんだからせめてそっちを投げろ、と思いつつ、咲夜はそれをキャッチして元の場所に戻した。
「バカらしい。豆なんか無くても勝てたわよ」
霊夢がそう言い放つ。レミリアは激昂して今にも飛び掛りそうな表情だった。
(お嬢様、抑えて下さいませ……今は新年会、こういうときに大物の懐の深さを見せ付けなければ)
(さ、咲夜……)
自分の手を握り、制止を促す咲夜……レミリアはその手をぎゅっと握り返した。
「お、お豆なんて効かないわよ……私は夜の王だもの」
(お嬢様!! 逆効果ですわ!!)
だが時既に遅し、数名がにやにやと笑いながらちょこんと座るレミリアを見下ろしている。
「ほー、言ったなお嬢様。節分の日は首洗って待ってろよ」
妙に物々しい台詞回しで魔理沙が言う、ただ豆をぶつけるだけなのに。
「節分の日はぶつけに行って良いってことよね! 妖夢」
目をらんらんと輝かせて幽々子が続く。そしてその横で妖夢が腕組みをしながら頷いた。
あの妖夢の目は、春度を集めていたときの冷酷な妖夢の目だった。
「興味深いわ。ニンジン畑の横に大豆畑を作りましょう」
「すぐに育つ大豆を作りますね……ウドンゲ、細かいことは任せるわ」
「はい、師匠」
こいつらも心底楽しそうである。
このところ目立った異変も無く平和な日々が続いているため、体がなまっているのかもしれない。
いじめられる対象が見つかるとすぐにこれか、と咲夜は溜息をついた。
「やれるものならやってみなさい!! 紅魔館の門はくぐらせないわ!!」
レミリアが息巻いて「門」と言った瞬間、美鈴の顔が浮かんだ。
少し前、真冬だと言うのに相変わらずのあの格好のまま、門の前で昼寝をしていたっけ。
しかも正確に言うと昼ではなくて夜だった、氷精や冬の妖怪が大暴れして恐ろしく寒い日だった。
なんであんな中で眠れるのか不思議で仕方なかったが、ある意味頼もしい。
「吐いたツバ飲むなよ、お嬢様」
「ぐ、ぅぅ……」
ニヤニヤする魔理沙とその他一同はレミリアと契約を結ぶことになった。
『レミリア様にお豆をぶつけ大会』と書かれた紙にルールが記述され、それぞれの血判が押されていく。
一、節分の日、二十四時間のみの戦いとする
二、レミリア・スカーレットは当日、紅魔館敷地内からの外出を禁じる
三、双方、臨時に戦力を拡張しても良いものとする(でも度はわきまえようネ!)
四、また、臨時の飛び入り参加も許可する
五、攻め手はドタキャンも可とする
六、能力及びスペルカードや通常弾幕の使用も認める
七、誰かがレミリア・スカーレットに豆をぶつけた時点で終了とする
八、負けても泣かない
九、紅魔館側が守りきった場合はペナルティを出せることとする
十、魔理沙最高
十を書こうとした瞬間魔理沙は妖夢に羽交い絞めにされた。そして十はぐちゃぐちゃになって無かった事になった。
代わりに「十、これらを破った者は霊夢にシバかれるものとする」というルールが追加された。
霊夢は心底めんどくさそうな様子だったが、だからこそ誰かが反則したときはきっと怒り狂うだろう。
こんなものに契約することはないと咲夜は思ったが、レミリアがプッツンして啖呵を切ってしまい、後には引けなくなった。
こうなったら紅魔館は勝利するしかないのだ。
「いや、いやよ……」
レミリアは憂鬱そうに、ズゾズゾと音を立てて納豆をすする。
炒った大豆はダメで腐った大豆は平気と言うのも妙な話だが……。
忌々しいあの行事が目前に迫ってきている、それを考えるとレミリアは気が気ではなかった。
「既に密偵を発して各勢力の節分作戦を調査していますわ」
「さ、咲夜……」
やはり頼りになるのは咲夜だけ……とレミリアが思ったかどうかは不明だが、咲夜はシュッと背筋を伸ばして続ける。
「魔理沙は今のところこれといった作戦があるようには見えません、普通にぶつけにくるか、まだ考えていないか」
「あいつらしいわね……」
普通に正面突破をかけてレミリアの元へ豆をぶつけにくる姿が容易に想像できた。
それならば咲夜がなんとかしてくれるはずなのでそこまで心配は要らない。
「厄介なのは、アリス・マーガトロイドを伴ってくる可能性があるということぐらいでしょうか」
「あいつらの関係はなんだというの……」
「まぁ『ご近所さん』といった所でしょうね、大体どいつもこいつも暇人ですから、
こういったイベントには乗り気になることが多いですわ。ついでに本も盗んで行くかもしれませんし」
パチュリーにも警戒を呼びかけておく必要があるだろう。
咲夜は一つ咳払いをしてから、他の勢力の情報について語る。
「冥界についてはよくわかりません、密偵と言ってもメイド達の中で優秀な者を選抜しただけ。
顕界と冥界の境界が薄くなっているとはいえ、冥界まで行くことができなかったようです」
「む、むぅ……」
はっきり言って「優秀な者」と言っても高が知れている。
咲夜以外はどいつもこいつもペーペーの格好だけメイドさんだ。
もし仮にあんな連中が冥界まで辿り着いたら、そのまま息を引き取って亡霊になりかねない。
「あの日の様子を鑑みるに、おそらく幽々子も冥界から出てくることでしょう。
ですがこれまでの幽冥組の戦闘データを踏まえると、それほど多彩な攻撃パターンは無いと思われます」
「妖夢の機動力と幽々子の変則的な攻撃ね?」
「ええ、わかっていても厄介なのは確かですが……」
「ならばどうするの?」
「多少危険な作戦ですが、美鈴を門から中に引き込み、妖夢の相手をさせます」
「美鈴……」
大吹雪の中で昼寝をしていた美鈴の姿が頭に浮かんだ。
寝ている間に雪に埋もれていたのに、普通に雪の中から出てきて背伸びとあくびをかましていた。
とても頼もしかった。
「単純な体裁きなら妖夢には引けを取らないでしょう、時間さえ稼いでくれれば良いのです」
「それで咲夜が幽々子を押さえるのね?」
「そういうことになります」
さて、と一息ついた後咲夜は困ったように眉間を押さえた。
レミリアは既に納豆ご飯もその他のおかずも食べ終え、唇を舐め回している。
「問題は永遠亭ですわ」
「規模的にも厄介ね……あそこの兎にうちのメイド達が敵うかしら」
「下っ端達の単純な戦闘能力はほぼ同等と思われます、問題は永遠亭のブレーン、八意永琳ですわ」
「う、うーん……」
永夜異変の際は見事に翻弄されてしまった。
永遠亭の数々のトラップは弟子の鈴仙によるものらしいが、それだって永琳の差し金じゃなかろうか。
無駄のない戦力の配置、効果的なトラップの配置、月の技術を利用した不可思議な仕掛け……。
さらには永琳自身の底知れぬ能力、輝夜も相当な実力者だが、こういった頭脳戦であの天才は厄介すぎる。
「調査によると、八意永琳は宣言通り、どんな状況下でも高速で育つ大豆の発明に成功。
さらにそれを最高の威力で射出するための『豆ランチャー』なる物騒な武器を開発したらしいですわ。
そしてそれに伴い『イナバガンナー部隊』という部門を設立。教官として鈴仙・U・イナバが任に就いています」
どれだけレミリアに豆をぶつけたいのか。
「ま、待ちなさい咲夜! そんなことに本気を出している八意永琳はとてもバカじゃないの!?」
「性格的にはバカかもしれません、しかしあの知能は侮れませんわ!」
「それに豆ランチャーって何よ!? ただの豆鉄砲とどう違うの!?」
「射程、威力、全てが段違いですわ。実験では、畳三枚を貫通する威力を発揮したらしいです」
「そんな速度で飛んできたものならお豆じゃなくても怪我するわよ!!」
「しっ! それは言ってはいけません!!」
レミリアは頭を抱えてしゃがみこんだ。八意永琳は本当のバカだ、知能を無駄に使う最強のバカだ。
「豆ランチャーとかが無くても、あそこは輝夜、永琳、鈴仙、てゐ、と強力な戦力が揃っているのよ!!」
「そうです、それが厄介なのですよ」
咲夜にとっても永遠亭勢力をどうするかが悩みどころだった。
そうでなくても、いくつかの勢力がまとまって来るとこれまで構築した作戦は瞬時に破綻する。
紅魔館だって一応はパチュリー、咲夜、美鈴と、強力なメンバーは揃っている。
最悪、フランドールの力を借りることも考慮するべきなのかもしれない。
しかし、フランドールやパチュリーまで作戦に組み込むのは咲夜の望むところではなかった。
やはり従者だけでなんとかするのが理想だと思う。そうなると咲夜と美鈴ぐらいしかまともな戦力がいない。
咲夜の脳裏に、滅茶苦茶寒い冬の早朝、下着同然の格好で乾布摩擦をしていた美鈴の姿が浮かんだ。
頼もしすぎる。
「圧倒的に戦力不足ですわ……」
「どうするのよ咲夜……」
打ちひしがれる二人……そのとき、紅魔館を包んでいた不思議な霧が蠢き始めた。
それは館内に侵入し、レミリアの部屋へ……そして徐々に集まり、少女の形を成す。
「その苦しみ、わかるよ!!」
「うわびっくりした!!」
「なっ!?」
瓢箪に入った酒をガブガブ呷りながら現れたのは伊吹萃香。
日本妖怪が誇るナンバーワン豆ターゲット、まさしく鬼である。
萃香は真っ赤な絨毯にどっかと座り込み、グチグチと管を巻き始めた。
「この時期さー……ほんと居心地悪いんだよ……どいつもこいつも私を奇異の目で見てさ……」
「……」
「なまじっかあちこち見て回ってるから余計に嫌だよ……何よあの豆ランチャーって……普通に危ないよ」
「そ、そんなに危険なものなの?」
「あれ普通の人間に当たったら死ぬよ多分……」
畳三枚も貫通するぐらいだから不思議なことではない。
レミリアも萃香も妖怪だからそう簡単に死にはしないだろうが、きっと死ぬほど痛いだろう。
「そんなものをお嬢様に撃ち込もうとするとは……!!」
咲夜が拳を握り締める。なんとしても阻止しなければならない。
そんな咲夜の目の前に差し出される小さな手、萃香の手だ。
「今年も隠れて過ごそうかと思ったけど、こんなの見せられたら黙ってられない」
「す、萃香……」
「私もお豆がダメだから前線には出られないけど、バックアップするよ!」
「そんな危険を冒してまで何故貴女が……?」
「同じ痛みを知る者を見殺しになんてできないよ!」
咲夜は少し躊躇ったが背に腹は変えられない。
戦闘には参加できなくとも萃香の能力がいろいろと有用なのは確かだ。
利用するようで少し気分が悪かったが、やたらテンションの上がってる今の萃香をぞんざいに扱ったら、
それはそれで鬱陶しいことになりそうな気もする。
「わかったわ、協力して」
「うん!」
二人は手を硬く握り合う。
おろおろしていたレミリアも駆け寄ってきて、その上に自分の手を重ねた。
「よろしく頼むわよ、萃香!」
「……うわ納豆くさっ!」
その後二人の怪力少女による本気の殴り合いが始まったが、それはきっと友情を深め合うための儀式だったに違いない。
節分までもう日が無いのだ、咲夜はすぐに次の準備に取り掛からなければならなかった。
一方、咲夜が今回最大の敵と睨んでいる永遠亭では『イナバファクトリー』と呼ばれる工場まで設営していた。
中では下っ端イナバ達が大豆を炒ったり、豆ランチャーの製造、改良を行っている。
総司令官八意永琳が参謀の因幡てゐを引きつれ、働く下っ端達を見て回っていた。
ちなみに鈴仙はイナバガンナー部隊の隊長であると共に、豆ランチャー射撃術の教官である。
「当日までにあと何丁できそうかしら?」
工場で指揮を執っていた少し偉い下っ端イナバに永琳が話しかける。
「素材の問題と……あとやっぱり皆こういう作業に慣れていませんから、三十丁ぐらいでしょうか……」
「上等よ、お豆は十分にあるわね?」
「ええ、それはもう。ランチャーの行き渡らない者にも大豆は持たせます」
「そうね……てゐ!」
横で豆ランチャーを手に取って眺めていたてゐに向かって、永琳が顎をしゃくる。
それに気付いたてゐはニヤリとほくそ笑むと、観察していた豆ランチャーを腋の下を通して発射した。
高速の大豆は何度か跳弾した後、窓を突き破って外に居る何者かに命中、そこから悲鳴が上がった。
「ど、どうしたんですか!?」
「心配要らないわ、ちょっとネズミが居ただけよ」
てゐはそう言って銃口にフッと息をかける。硝煙も何も出てないのに。
「十分泳がせたわ、嘘の作戦会議も何度か開いたしね」
「では永琳様、あの設計図を」
「ええ」
わけがわからず戸惑うイナバ作業長の元に一つの設計図が差し出された。
「普通の豆ランチャーは三十丁も作れなくても良いから、これを四丁作れる?」
「これは……?」
「ハイパー豆ランチャーよ。指揮官用に四丁」
「は、ハイパー豆ランチャー……?」
通常の豆ランチャーは全長およそ一メートルほどで、体格の小さいイナバ達でも扱えるように軽量化されている。
しかし設計図を見るに、このハイパー豆ランチャーはその倍近くのサイズがある。
確かに指揮官クラスでなくては扱えないだろう。
外にはてゐの豆ランチャー射撃に遭った紅魔館のメイドが倒れている。
それはすぐに下っ端イナバに回収され、永遠亭内に監禁された。
節分が終わるまでは解放してもらえないだろう。
あえてスパイを泳がせ、嘘の情報をリークした上でそれを始末。
そして新たな作戦を構築する永琳、それはまさに生き馬の目を抜く所業と言えた。
パーフェクトメイドVS月の頭脳、紅魔館と永遠亭、それぞれを統括する二人の戦いは既に始まっている。
そしてやはり咲夜も動いていた、萃香の協力を得たとは言え今のままでは駒が足りなさすぎる。
咲夜が目指すのは竹林……だが行き先は永遠亭ではない。
(蓬莱山輝夜と八意永琳を同時に相手するのはいくらなんでも辛いもの)
永琳は自分が押さえなければいけないだろう、しかしそうなると輝夜が自由になってしまう。
ついでに言えばてゐと鈴仙も自由だ、これは美鈴がどれぐらい頑張ってくれるかにかかっている。
(そして西行寺幽々子の天敵)
導かれる答えは一つ。
蓬莱山輝夜とは宿敵同士、死の能力を受け付けない不老不死の体。
咲夜は蓬莱の人の形、藤原妹紅に協力を依頼しにきたのだ。
このことが永琳にばれると動きづらくなる、咲夜はウサギに見つからないように時を止めながら妹紅の家を目指した。
「あ、あー……お腹減ったなぁ……冬場は辛いなぁ……」
妹紅は何をするでもなく部屋でごろごろしていた。
こんな冬場に竹林をうろうろする者もいないし、食べ物もあまり採れないし……。
永遠亭を襲撃して食料でも奪ってやろうかと思うのだが、腹が減ってだるかった。
博麗神社に行ってたかれば何かを食べさせてくれるかもしれないが、そこまで親しいわけでもないので気が引ける。
「うー……」
のっそりと体を起こし、ちゃぶ台に載っている一升瓶を手に取った。
空きっ腹に酒を入れると胃に来る、胃に悪い。それで少しの間食欲から逃れられるのだ。
「ぐぐぐ……」
ほんの少し飲んだだけで酒が胃に来る。妹紅は胸元を押さえて苦しそうに悶えた。
涙が出てきた、いっそ死ねれば良いのにやっぱり死なない、これは生き地獄だ。
妹紅はもう三日ぐらい何も食べずに酒で胃をいじめていた。
一升瓶は台所にいっぱいある。
酒じゃなくて食料を買い込んでおくんだったと妹紅は激しく後悔していた。
そのとき玄関の方から響いてきたノックの音が、まるで天使の足音のように聞こえた、と妹紅は後に語る。
「はぐ! はぐはぐ!」
「も、もう少し落ち着いて食べなさいよ、誰も取ったりしないわ……」
咲夜にしたら願ったり叶ったりだったのは確かだ、あれだけ困っていたのを助けたのだから協力してくれるだろう。
ノックをしても呻き声しか聞こえないので不審に思い、咲夜が踏み込むと、そこには妹紅が倒れていた。
近寄ると凄まじい力で抱きついてきて「食べ物、食べ物」とうわ言のように呟く。
アリとキリギリスよろしく、冬前に食料を貯蔵するのを怠ってしまったらしい。
不死身だから平気だとでも思ったのだろうか、それにしても餓えがそこまで辛いのは予想外だったようだ。
協力を依頼するのがどうと言うよりも、純粋に可哀想だったので連れ帰って食事を与えてやった。
「おいしい、おいしい……」
「そんなに喜んでもらえて光栄だわ」
自分が生きているんだ、ということを妹紅は痛感した。
あまりに死なないので生きてるんだか死んでるんだかよくわからなくなっていたが……。
こんなにおいしい物を食べられるのは生きているからだと、勝手にひとりごちる。
どうでもいい事だが幽々子は宴会で「一番おいしそうに食べる子」の称号を与えられていた。
死んでいてもおいしいものはおいしいのだろう、でもそれを今の妹紅に教えるのは少々無粋である。
「うー、もう無理。ごちそうさま」
「あら、お腹を空かせていた割には食べないのね」
「おいしいものを食べられるから、ってそれまでの食事抜くと、意外と食べられなくなったりするじゃない?」
「そ、そうなの?」
咲夜はそんな変なことをしたことがないのでよくわからなかった。
満足そうに妹紅がお腹を撫でていると、いつの間にか目の前に湯気を立てる湯飲みがあった。
「あ、あれ?」
「食後のお茶よ、どうぞ」
「……」
妹紅は湯飲みを両手で包み込んで涙を流し始める。
咲夜はそれを見て、喜怒哀楽が激しすぎて扱いにくいと思った。
「ど、どうしたのよ……?」
「昔を思い出して……誰かにこんなにしてもらうなんて、しばらく無かったから……」
昔は良い家柄だったのだろうか、それともただの寂しがりなのか……。
特に言及もせず、咲夜は妹紅の髪を優しく撫でてやる事しかできなかった。
「そ、そういえばさ……ぐすっ、なんでうちに来たの? なんか用?」
「あ……忘れるところだったわ」
恩を着せるようで少し気乗りがしなかったが、咲夜は一部始終を説明した。
最悪なのは妹紅もレミリアに豆をぶつけたがる展開だったがそれは無かった。
妹紅は難しい顔をして茶を啜りつつ、魔理沙、冥界組、そして永遠亭勢が紅魔館を強襲するという話を聞いている。
「呆れるな、輝夜の奴……そこまで腐っていたのね」
「輝夜よりも永琳が腐ってるわ、たかだか節分に全力を出しすぎなのよ」
酷い言われようだ。しかし本気むき出しでイナバ総動員している永琳に言い逃れは不可能だろう。
ハイパー豆ランチャーのことはまだ咲夜も知らないが、痛すぎる程にガチだ。暇人は恐ろしい。
「よし」と呟いて妹紅が指の関節を鳴らす。
「良いよ、協力する」
「ありがとう、でもなんだか恩を着せるみたいで悪いわね」
「最初にその条件を出されてたら断ったかもしれないけどね」
「流石に人として、あそこまで困ってたら助けずにはいられないでしょう……」
「わかってるわかってる、だから手伝うんだよ。あの亡霊嬢もまとめて蹴散らしてやるよ、任せて」
「頼もしいわ」
「そ、そのかわりと言っちゃなんだけど……」
「?」
レミリアが神妙な面持ちで、背に合わない大きな椅子に腰掛けて紅茶を飲んでいると、ドアを叩く者があった。
この叩き方は咲夜だ、外出していたようだが帰って来たのか。
「誰?」
「咲夜でございます」
「何? 何か進展があったのかしら?」
「はい」
「お入り」
「失礼いたします」
戸が開かれたときレミリアは目を疑った。
手にしていたティーカップを思わず取りこぼしたが、それは咲夜が時間を止めてキャッチし、テーブルに戻した。
「この者を冬の間限定でメイドとして雇うことになりました。ほら、自己紹介なさい」
「あ? えー……スースーするなぁこの服……」
「そ、そいつは……何考えてるのよ咲夜!?」
「あー、うん、わざわざ名乗らなくてもわかるでしょ?」
「妹紅! お嬢様に対して失礼よ!」
咲夜の横に、メイド服を着せられてはにかむ妹紅が居た。
「と、とにかくさ、節分のときだけは大活躍することを約束するよ」
「あ、あぁ……そういうことなのね……」
呆れたような眼差しをレミリアに向けられ、咲夜はバツが悪そうに苦笑した。
「まぁそいつの実力はわかっているわ、それと別に私に対して変にかしこまらなくても良いわよ、かえって気持ち悪いし」
「しかしお嬢様……」
「咲夜も硬いこと言わないの。というよりそいつをメイドとして見るのは難しいのよ、イメージ的に」
「それは助かる」
「でもメイド服は着ておきなさいよ、ややこしいから」
頭の悪い下っ端メイドが妹紅に襲い掛かって返り討ちに遭っても困る。
念を押された妹紅は「ぅー」と小さく呻いたが、そこは逆らえないのだと理解したようだ。
「永遠亭の連中とは戦い慣れてるから、任せて」
「頼りにしてるわ、咲夜、貴女もね」
「はい、お嬢様」
こうして紅魔館の防衛体制もある程度整った。
あと数日経てば節分がやってくる、レミリアの部屋を出た咲夜と妹紅は顔を見合わせ、無言で頷いた。
ちなみに萃香はメイドの代わりに密偵として各勢力の視察を任されている。
しかしそれを察知した永琳は即座にハイパー豆ランチャーの情報を隠蔽。
そればかりか作戦についても指揮系統をしっかり確立したのみで、全作戦案を自分の頭の中に納めた。
きっと決行当日に暗号化された作戦指示が伝達されるのだろう。
いくら潜り込めても、そこまで徹底されては萃香にもお手上げだった。
永琳ムキになりすぎ。
決戦前日、咲夜は美鈴の元へ赴いていた。
美鈴は汗だくになって、ものすごく大きな木刀を頭上でゆっくりと動かしている。
「な、何してるのよあんた……」
「あ、咲夜さん……鍛錬です」
「そう……」
「三十分ぐらいかけてこの一挙動を終えるんです、研ぎ澄まされますよ」
ものすごく暇そうだったが、相当に辛い訓練であることは想像に難くない。
顔を真っ赤にしてぼたぼたと汗を流す美鈴はとても頼もしい。
「鍛錬中のところ悪いんだけど、話を聞いてもらえるかしら」
「あ、はい良いですよ。もうこれ十回ぐらいやったし」
美鈴の足元にだけ氷が張っているのはそのせいか。
氷に張り付いてしまった靴を引き剥がすと、美鈴は木刀を側に置いて汗を拭きながら咲夜の方を向いた。
「明日はついに節分よ、わかっているわよね?」
「ええ、ですからお昼寝……ゲフゲフン、敵の少ない時間は鍛錬に回してたんです」
「お前が昼寝してることなんか皆知ってるよ」と思ったが、咲夜はあえてそこに触れないでやった。
「お嬢様がお目覚めになられたら作戦を伝えるわ、一応使いをよこすけど忘れないように、気を引き締めていて」
「わかりました」
なにやら気味の悪い訓練をしているようだが美鈴なりに腹を決めているらしい。
これならば思った通りの働きをしてくれるだろうと思いつつ、咲夜は美鈴に背を向けた。
「咲夜さん!」
「?」
立ち去ろうとする咲夜を呼び止めた美鈴の表情はやる気に満ち溢れている。
「何?」
「……」
美鈴は無言で握り拳を胸の前に上げ、ピンと親指を立てて不敵な笑みを浮かべた。
それを見た咲夜はなんだか無性に腹が立ったが、やる気が無いよりは良い。
(あんな汗だくの服着て寒くないのかしら……)
見ると美鈴の体から湯気が上がっている、凄まじい威圧感だった。
また木刀を拾って気味悪い鍛錬を始めた美鈴、咲夜は見たくないので早々にその場を去った。
そして作戦会議も滞り無く済み、ついに決戦は目前。
二月二日、時刻は零時の三十分前、紅魔館全人員が宴会用ホールに呼び集められた。
静まり返るホール、咲夜が演説台に上がる靴音だけが響く。
台の横には萃香、妹紅、美鈴、が姿勢良く並ばされていた。
「決戦は三十分後!! わかっているわね!? 節分よ!!」
咲夜が声を張り上げ、メイド達が大きく頷く。
「かつては霊夢に蹂躙されたこともあるこの紅魔館! あの屈辱、忘れてはいないわね!!」
メイド達が「おー!」と声を上げる。
「今度の戦いはあれよりも苦しいものになるわ! 魔理沙、亡霊嬢とその庭師! そして……永遠亭!!」
「おー!」と言っているメイドはまだ良いが「殺す!」「消す!」などと物騒なことを叫んでいるメイドも居た。
なんだかエレガントでないが、下っ端のメイドはバカも多いので仕方ないかと思う。
しかし、とりあえず士気だけは高いようなので良いということにした。
「いいこと? 我らが為すべきことは唯一つ……」
咲夜が頭上に手を掲げ、指をパチンと鳴らした。
「一粒の大豆もお嬢様の肌に触れさせてはならない!! それだけが我らの敗北条件よ!!」
メイド達が声高に叫ぶ。
「おおーっ!」
「押忍!」
「加藤さんッッ!!」
なんか全然関係ないのが混ざってる。加藤って誰だ。
咲夜はものすごく不安になった、振り向くと妹紅も表情を歪めていた。
「自分の身が滅びようともお嬢様を死守しなさい!! 二十四時間の耐久戦よ!!」
「ねんがんの……」と聞こえてきて、いい加減に腹を立てた咲夜はナイフを投げた。
あと終始膝カックンをしてふざけあっているメイド達にもナイフを投げた。
もう咲夜は半泣きだった。このメイド達、本当にバカだ。
「こんな感じよ……あいつらはアテにならないからよろしく……うぅ」
「く、苦労してるんだな……」
妹紅は壇上から泣きそうな顔で降りてきた咲夜の肩に手を置いて慰める。
そしてそれを見ていた美鈴は胸の前に拳を出し、例のポーズをとった。
「咲夜さん! ……痛いっ!?」
咲夜はそのポーズを見てやっぱり腹が立ったので、今度は蹴りを入れた。
主戦力である四人だけがホールに残っている、役立たずなメイド達はウキウキ気分で持ち場へと走っていった。
「それじゃ萃香、お願い」
「おっけー!」
咲夜の指示を受けて霧散する萃香、だが数人の小さな萃香が咲夜達の足元にちょこんと残っている。
それが何を意味するかは既に全員に伝えてある。三人は掌サイズの萃香を優しく手に取り、懐に収めた。
「あちこちに意識を飛ばすのは大変でしょうけど、お願いね」
「うんー」
萃香は豆が怖いので通信要員として起用された。
霧散した部分は紅魔館とその周辺を常時監視し、敵の接近や動向を探る。
それを掌サイズの萃香が皆に伝える他、掌サイズの萃香を通じて、離れていても意思の疎通が図れるというものだ。
いくらかの戦力増強をしたとは言えまだまだ紅魔館側は人数が足りない。
そんな中でこの作戦を思いついた咲夜は実に瀟洒だと言えよう。
あとの二人は頭に作戦を叩き込んである、細かな指示はもう必要無いだろう。
レミリア、フランドール、そしてパチュリーは地下室に隠れている。
パチュリーは最終防衛線として姉妹を守る役割を受け持ってくれたが、いかんせん体力不足なのであまり頼りにできない。
「じゃあ美鈴、着替えてきて……あと十分しか無いわ」
「わかりました」
美鈴は頷いてホールを出て行った。
残された咲夜と妹紅はガッシリと握手をし、互いの健闘を誓い合う。
既に魔理沙の作戦は萃香の調査によってだだ漏れである、まずはそれの阻止からだ。
二人もホールを出てそれぞれの持ち場へ駆けていった。
そして時計台が零時を差す。
――紅魔節分防衛戦、開始。
「ククク……バカなやつらだぜ……」
紅魔館内を見回るメイドの一人が不審なことを呟いている。
「遠足は家に帰るまでが遠足というが、それだけじゃないんだぜ」
そのメイドがポケットに手を突っ込んで揺すると、じゃらじゃらと音がした。
そしてそれをいくつか掴み取り、目の前で広げる……大豆だった。
「そう、前日の準備段階からが遠足なんだよ……」
そのメイドは魔理沙だった、髪型を変え、メイド服に身を包めば即席メイドの完成である。
ちなみにこのメイド服はアリスの手製で着心地も真によろしい。
さらに言えばアリスも魔理沙と同様、メイドに扮して紅魔館に潜り込んでいる。
実は集会のときから既に潜り込んでいたのだ、木の葉を隠すなら森の中、メイドを隠すなら……である。
(さてレミリアはどこだ……? わざわざ高級大豆を持ってきたんだ、ぶつけずには帰れないぜ)
多分その大豆は盗品だろう。
「そこのメイド!!」
(うっ!?)
後方から響くこの声は咲夜……魔理沙は硬直した。
メイドに扮する以上箒も携帯できず、今の状態でやり合うのは好ましくない。
「氏名と部署を!!」
「ぅ、ぅ……」
「……ふふふ、言えるわけが無いわね……何故なら貴女は侵入者だからよ!!」
「ちぃっ!!」
魔理沙は大豆をポケットにしまい、咲夜の方を向き直る。
既に眼前に迫っていたいくつかのナイフをマジックミサイルで弾き、さらに飛んできたナイフはバク転で回避した。
思いのほか身が軽い。
「バカの一つ覚えみたいに正面突破をかけてこなかったことは誉めてあげるわ」
「バカはここのメイドだろ、さっきの集会酷かったぜ」
「クッ……!!」
魔理沙の心理攻撃で一瞬ヘコんだ咲夜。
魔理沙はその隙を見逃さず、懐からミニ八卦炉を取り出した。
「もらったぁ!! マスタースパークだ!!」
「……ふっ」
「!?」
ミニ八卦炉が魔理沙から魔力を吸い上げる刹那……窓を突き破って飛び込んできた妹紅が二人の間に立ちはだかった。
身を低くし、振りかぶった左腕は灼熱の炎を纏っている。
今更マスタースパークの発射を止めることはできない……。
妹紅は自分に向かってくるマスタースパークを見て、不敵に微笑んだ。
「鳳翼天翔ーーッッ!!」
「くそぉっ!!」
マスタースパークはその横っ面を殴りつけられ、火の鳥を伴って窓の外へと弾かれた。
妹紅が左腕を振り切ったことにより今度は右腕を構えた形になる。そして既に右腕への霊力の充電を完了していた。
「威力はあるけど手数不足だなぁ!! 魔理沙!!」
「や、やめろ!! 焼け死ぬっ!!」
「だいじょーぶ! 手加減してやるよ!! 鳳翼天翔ーーッ!!」
「いやぁぁぁぁっ!!」
妹紅が放った火の鳥に絡みつかれ、魔理沙はごろごろと後転していった。
そしてある程度転がったところで止まり、ぺたんと大の字に倒れた魔理沙は、口から黒煙を上げて力尽きた。
「ふ、伏兵とは卑怯だ、ぜ……ガクッ!!」
「魔理沙は討ち取った! 縄で縛って地下室に持っていきな!!」
妹紅の指示を受けて、どこぞに潜んでいた下っ端メイドが魔理沙を縄でぐるぐる巻きにする。
途中頭を引っぱたいたり、スカートをめくってみたり、やりたい放題だった。
そして魔理沙は当然豆も没収されるし、これから吸血鬼姉妹の玩具として、二十四時間耐久の罰ゲームが待っている。
「すぐにお前の友達も地獄行きだ。今宵のお嬢様の罰ゲームは、あんたらのトラウマになるよ」
地下室ではレミリアがてぐすね引いて待っていることだろう。
妹紅は懐から掌萃香を取り出し、話しかける。
「こちら妹紅、魔理沙は始末した。アリスの方はよろしく」
掌萃香はうんうんと頷いている、他の仲間にも伝えてくれることだろう。
咲夜は妹紅の登場と共に姿を消していた。メイド長は忙しいのだ。
一方もう一人の侵入者、アリスは先ほど聞こえた轟音を気にかけつつ、レミリアの部屋の前まで侵入していた。
(さっきの音はマスタースパークかしら……大丈夫なの? 魔理沙……)
暇だからついてきただけなのだが、紅魔館の本気っぷりは普通ではない。
アリスはふざけ半分でついてきてしまったことを後悔し始めていた。
(ま、まぁ何はともあれこの中に居るレミリアに豆ぶつけて終わりよ……それっ)
レミリアの部屋の鍵を針金であっさりと開けるアリス。流石、手先の器用さには定評がある。
ポケットに手を突っ込んで大豆を掴み、ドアを開けて中に入ると、レミリアはまだ寝ているらしい。
(え……なんか大きくない?)
あの小さな体に似合わない、やたら豪華で大きなベッド。
十回ぐらい寝返りしても転げ落ちなさそうだが、このレミリアはニ、三回寝返りを打ったら落ちてしまいそうだ。
掛け布団の膨らみ方がやけに大きい……。
(こ、これレミリアじゃないわ!! ダミーね!?)
気付いたときにはもう遅い、興味本位で近付きすぎた……。
アリスは布団から飛び出した偽レミリアこと紅美鈴に手首を掴まれてしまった。
「いやぁぁっ!? 誰よこんなバカな作戦思いついたの!! に、似合ってなさすぎじゃない!!」
レミリア風カツラと特注の巨大レミリア服に身を包んだ美鈴はある種ホラーだった。
不気味な微笑と薄暗い部屋で輝く青い瞳が恐ろしすぎる。
「体格が違いすぎるじゃないの!!」
「ごちゃごちゃとうるさいな。さてこの距離は私のエリアよ、覚悟は良い?」
この作戦は通称「『紅』頭巾ちゃん作戦」と呼ばれているものだ。
バカな作戦だと思われがちだが、レミリアと美鈴の違いすぎる体格……。
あからさまに不審すぎると、かえってそれを確かめずにはいられないものである。
人間心理の虚を突く、咲夜の大胆にして瀟洒な作戦なのだ。
「ホイチョーッ!!」
「うぐっ!!」
美鈴のボディブロー一発でアリス撃沈。格闘戦になってはアリスは美鈴に歯が立たない。
「こちら紅美鈴、アリスを始末しました」
美鈴が掌萃香を通じて報告する中、横で倒れるアリスに群がる下っ端メイド達。
気分はウッキウキ、お嬢様の所へ運ぶ前に、私達がいっぱいオシオキするわ。
ぐるぐる巻きにされたアリスはヘビメタ風のメイクを施され、地下室へと持っていかれた。
しかし安堵も束の間、直後に掌萃香が新たな敵の接近を伝える。
「幽冥組が入り込んでるよ!! よ、妖夢は速すぎて、え、えっと今……うー!
幽々子は地中を移動してるみたい! 位置がつかめないよーっ!!」
「地中ですって!?」
「い、痛い、痛い……」
「あ、ごめんなさい……しかし、これは予想外だわ」
思わず手に力が入り、掴まれていた掌萃香が涙ぐむ。
妖夢の移動速度の速さはまぁわかる、しかし亡霊だからって地中を移動するとはどういうことか。
確かに、物理次元に存在しているわけではないかもしれないが……飯とか普通に食うのに。
幽冥組の作戦も掴めていなかったのだ、萃香は冥界まで行ったが、聞けたのはこんな会話だけ。
「妖夢ー、変に連携とかしないで思い思いに動きましょー」
「そうですね、咲夜は頭が切れます。下手に策を練っても策に溺れる……。
私も頭を使うよりは体を動かすことの方が得意ですし、タイミングだけ揃えてあとは勝手に動きましょう」
「ふふふ、そうよねー」
そう言った幽々子は、霧散した萃香が漂っている空間を見てニヤリとほくそ笑んだ。
あれぐらいの実力の持ち主ならば萃香の存在に気付いていても不思議ではないだろう。
「やられた……っ!!」
まずい、地中を移動しているとなれば、偶然に地下室に辿り着く可能性もある。
いきなり最終防衛ラインが危険にさらされるとは思わなかった。
「こちら十六夜咲夜……妹紅、地下室に向かってお嬢様の護衛について、幽々子の襲撃が考えられる」
「『わかった、これから向かう』って言ってるよ」
「ええ、ありがとう……こうなった以上妹紅を信用するしかないわ、私達は妖夢を捕捉する、美鈴、良いわね」
「『はい!』だってさ」
「よし……」
再び萃香を懐にしまう咲夜。
妖夢は腕は立つものの未熟なところも多い、美鈴と二人がかりならばまず捕獲できるだろう。
問題は、移動が速すぎて萃香が正確な位置を伝えられないことだ。
次から次に違うエリアへ移動するので、大体の位置しか把握できない。
しかし咲夜の心に恐れはない、自分はただ侵入者を排除し、レミリアを守るだけだ。
地下室に向かう妹紅、しかしその途中に不審な連絡が入った。
「中庭の警備についてるメイドが地中に引きずり込まれてるよ? 幽々子じゃないかな」
「なんだって……?」
中庭には不気味な光景が広がっていた。
メイドの一人がいつの間にか頭だけ残して地面に埋まり、泣き叫んでいる。
「いやあーっ!!」
「い、今助けるよ!!」
仲の良いメイドが引きずり込まれたのだろう、一人のメイドが泣き叫ぶ友人の元に駆けつけ、その頭を引っ張る。
「ふぬぬぬ……えっ?」
脚を掴まれた感触がある……しかし友人の手は地表には出ていない。
半透明の青白い腕が地中から伸び、そのメイドの脚を掴んでいたのだ。
「ひ、ひぃぃぃぃぃっ!?」
「うらめしや~……ブフッ!! クッククク……」
「助けてー!!」
「楽しいわぁーっ!!」
「ひぃぃぃぃぃ!!」
幽々子は遊んでいた。メイドを地中に引きずりこんで。
せっかく紅魔館への襲撃が公認……されたのかどうかは微妙だが、レミリアに豆をぶつけるという大義名分があるのだ。
とにかく、この機会にいろいろとやりたかったことをやっておくつもりなのだろう。
「ひっ!?」
「いやぁっ!!」
「うわーっ!」
中庭の警備に当たっていたメイド達が次々に引きずり込まれていく。
まだ永遠亭からの襲撃も控えている今、兵隊を大量に失うのは好ましくない。
とはいえ自分達ではどうしようもないので、メイド達は飛んで様子を見ることにした。
「こちら妹紅……現在中庭の側に居る。あの亡霊嬢、ここで片付けてしまっていい?」
「『……了解、でも中庭から消えたらすぐ地下室に向かって、良いわね?』だそうでー」
「わかった、萃香、奴の動きを見張ってて」
「もちろん!」
掌萃香を懐に潜り込ませ、妹紅は中庭へと走る。
見ればメイド服も随分板についた、まったく違和感がない。
飛んだから大丈夫……だったはずなのに、埋まりメイドの数はさっきよりも増えている。
幽々子は地中から頭頂部だけを出して、ゴモゴモと中庭の土をえぐりながら移動していた。
あの妙なシンボルの描かれた三角巾がまるでサメの背びれのようで恐ろしい。
「頭に向かって弾を撃つのよ!!」
一人のメイドの号令に従って、周囲にいるメイド全員が幽々子に一斉攻撃を開始する。
しかしそれを感知した幽々子は地中に引っ込んでしまい、そして……。
ざっぱぁぁん。
「ギャーッ!!」
「ジェシカーッ!?」
イルカのように飛び上がる様子は優雅なのだが、土中から出てくるのがダメだ。
メイド達の抵抗も虚しく、幽々子の反撃を受けて更に埋まりメイドが増える。
伊達に冥界の管理をしているわけではなく、下っ端のメイドなど玩具同然のようだ。
多少獲物が浮かび上がったところで問題はないらしい。
「ブフッ!! あー楽しいわー……全員埋めてあ・げ・る……フフフフフフフフフ」
「う、うぅっ……」
「咲夜さぁーん……」
泣きべそをかき始めるメイド達、本当に役に立たない。
しかし相手が幽々子では仕方ないというのはあるだろう、本気だったら数分で血祭りにできるはずだ。
それをあえてじわじわといたぶっているのだから、残酷なものである。
「私に任せな」
「あんたは新入り!?」
「ダメよ新入り! 紅魔館の土は良い土だからミミズだらけよ!! 埋められたらウネウネ地獄よぉっ!!」
若干猟奇的だ。確かにそれでは埋まりたくないのも頷ける。
しかし周りのメイドの制止も虚しく、新入り……つまり妹紅は脚を掴まれてしまった。
「もう遅いわ……ふふふ、ウネウネじご……ひぃぃぃぃぃっ!?」
「おはよう亡霊嬢、やっぱり死人は土中が落ち着くのか?」
「ほ、ほ、蓬莱人よぉぉぉっ!! 妖夢っ……妖夢ぅーーッッ!!」
「どっせぇぇぇぇい!!」
妹紅は乱暴に脚を振り上げて幽々子を地中から引きずり出し、上空に放り出した。
「大人しく冥界に居れば良かったのにねぇ……閻魔の裁きよりも辛い、罰ゲームの餌食になれ!!」
そう言って取り出したスペルカードは凱風快晴。
「いやぁぁぁぁっ!?」
「フジヤマヴォルケイノ!!」
上空の幽々子を中心に大爆発が起きた。
凄まじい突風でメイド達のスカートがヒラヒラ。なかなか壮観だった。
妹紅はへろへろと落ちてきた幽々子の首根っこを掴み、メイド達に差し出す。
「お土産よ」
「め、冥土の土産をメイドの土産……」
「ブッ!? いいからさっさとふんじばって地下室に持ってけ!」
毎度の事ながら、このときだけメイド達は嬉々として縛り、嫌がらせをする。
普通の縄で縛ると逃げられそうなので幽々子に対しては特殊な縄を使うことになっていた。
第一段階であるメイド達の嫌がらせは、幽々子を水泳の「バタフライ」のポーズで縛るというものだった。
あんな縛られ方をしたらあちこち関節が痛くなりそうだと思いつつも、妹紅は掌萃香を通じて報告する。
「こちら妹紅、西行寺幽々子は片付いた。妖夢の捕獲に協力するわ、妖夢はどこ?」
「『そ、それが……』」
逃げたらしい。
ちゃんと紅魔館から飛び出していった様子も確認されている。
幽々子が捕まったことを知っているのかどうかは不明だが、とにかく逃げた。
確かに各々が好きに動くという作戦だったのだろうが、それにしても自分に正直だ。
「レミリアに豆をぶつけたらどうなるか」というのは確かに少し気になることだが、
ここまで本気で防衛に入っている紅魔館を襲うリスクを負ってまで確かめたいとは思わないのが普通だろう。
「あー……なんか拍子抜けだなぁ、まぁいいか」
ひとまずのところ、詠唱組と幽冥組までは片付いた。
これで当初想定されていた敵の半分近くが片付いたことになる。
妹紅は中庭から空を見上げる、まだまだ暗い、星が輝いている。
時計台を見ると午前二時を差していた、不安は拭いきれない。
(残りの二十二時間……永遠亭はいつ攻めてくる?)
最大の敵、永遠亭を迎え撃つには時間が長すぎる。
永遠亭のブレーン、八意永琳はこの時間を一秒たりとも無駄にはしないだろう。
妹紅が永遠亭襲撃の際に一番大変なのは、何よりも輝夜の元まで辿り着くことだった。
辿り着けずに永琳の策にやられることもけして少なくはない。
その永遠亭が今度は攻めに転じてくる。
「なるほど、こりゃ気が気じゃないわね」
日頃妹紅に脅かされている永遠亭の連中はいつもこんな気持ちなのだろうか?
冷たい夜風を背に受けながら妹紅は館内へ歩いていく。
体力を無駄に消耗するわけにはいかない。
その頃永遠亭では、誰も予想していない展開を迎えていた。
情報の漏洩を防ぐために厳重な警備と結界を敷かれた司令室……。
「信用していいのかしらねぇ?」
「利用できるものは利用するべきだと思いますよ、永琳様」
「師匠、私もそう思います。ここでこいつが私達に楯突いて得になることなんか一つもありません」
二人のイナバの進言を受け、永琳は顎に手を当てて「うーん」と唸った。
目の前では後ろ手を縛られた妖夢が、正座をして真っ直ぐに永琳を見つめている。
「幽々子様が捕まった……本来なら私一人で救い出したいところだけど、
あれだけの戦力を相手にどうにかできるとは思えない」
「泣かせる話ね、剣士としての誇りを捨ててまで私達の軍門に下り、主を助けようとするなんて、あはははは」
永琳の言葉には妖夢に対する侮辱が多分に含まれている、その笑いも明らかな嘲笑だ。
妖夢にとっては本来耐え難い屈辱だった、だが、今は下唇を噛んでそれを耐えるしかない。
「あそこのメイド達はものすごくバカだ……頂点に立つ吸血鬼姉妹も残虐極まりない……
ゆ、幽々子様があいつらにどうにかされるなんて……っ!! お、お願いです……」
妖夢の頭に様々な想像が膨らんだ、なんだか頬が赤く染まっている。
きっと、具体的に書けないようなことを少し想像してしまったんだろう。
だったら豆なんかぶつけにいかなきゃいいのに。
「いいわ、その目」
「……?」
「貴女、今……少しやらしい目をしたわ」
「なっ!?」
「合格よ」
基準はそこなのか。
永琳が目で指示をすると、鈴仙が頷いて抱えていた木箱の中から何かを取り出す。
それはウサギ耳ヘアバンド……てゐタイプのもちのような耳だった。
「本来、ここ永遠亭には月の民とウサギぐらいしか住まないのだけれどね……。
たまに、断るにはもったいない者が居住を希望したとき、これを授けるの」
そんな話は聞いたことがない、永琳が即興で考えたでまかせだろう。
とにかく鈴仙からウサギ耳ヘアバンドを受け取った永琳は、妖夢に歩み寄って黒いヘアバンドをそっと外した。
「今日から貴女は『みょん』と名乗りなさい」
「も、もう少しましな名前はありませんか……?」
「それが嫌ならこの話は無かったことにするわ、そして貴女はこのまま拘束。
節分が終わるまでうちのウサギ達の玩具になってもらう。紅魔館とどっちが辛いかしらね、うふふふふ」
「みょ、みょんでいいです……」
「よろしい……ではみょん、永遠亭のために尽くしなさい」
「え? いや、節分の間だけ共同戦線を張れば……あっ」
妖夢改め「みょん」は、その頭にウサギ耳を装着された。ほんのりイナバ気分。
それを見て満足気に微笑んでいた永琳の顔が直後に引き締まる。
「みょんはウドンゲ隊に配属するわ、少しでも裏切る素振りを見せれば狂気の瞳の餌食になると思いなさい」
「は、はい!!」
「ウドンゲ、大丈夫ね?」
「問題ありません、紅魔館の防衛ライン、ガタガタに崩してみせます」
フッ、とニヒルに笑う鈴仙。その表情は自信に満ち満ちている。
こうして永遠亭は更に勢力を増した。
いつ攻め込むつもりなのか、それは永琳にしかわからない。
「……あ、忘れてたわ」
「?」
「ウドンゲ、みょんに尻尾も」
「あ、はい」
意外と暢気なようだ。
そういえばお嬢様達は一体どうしているのだろう?
「うわぁぁぁぁっ!? や、やめろーっ!!」
椅子に縛り付けられて動けない魔理沙に、レミリアが納豆をかき混ぜながら接近する。
「お豆をぶつけられる嫌さをあんたにも教えてやるわ」
「い、炒った大豆と全然違うじゃないかっ!! いや、いやぁぁぁぁ!!」
かき混ぜすぎてペースト状になった納豆が、レミリアの手によって魔理沙の頭にかけられる。
「くさっ! くっさーっ!!」
「多分髪の毛に良いわよ、ククククク……」
一方ヘビメタ風メイクを施されたアリスの前で、フランドールとパチュリーがぼそぼそと耳打ちしている。
パチュリーの発言に対してフランドールは大きく頷いた。
「あんたの新設定を考えたわ」
「?」
アリスは真顔なのだがメイクのせいで台無しだった。
メイクは怖いのにそれ以外はアリスなので、そこには想像を絶する混沌が生まれている。
「あんたの新しいあだ名は『デーモンアリス閣下』よ」
「な、なによそれ!?」
横でパチュリーがニヤニヤと笑っている。日頃魔理沙に本を持っていかれる恨みをアリスにぶつけているのだろう。
そして戸惑うアリスのことなど気にもせずフランドールは続ける。
「年齢は十万三十六歳」
「う、うぅ……」
だから何なんだ、とアリスは思ったが、魔理沙のように頭に納豆を乗せられるよりはましだった。
仕方ないのでパチュリー考案のシュールな嫌がらせを身に受けるしかなかった。
幽々子はバタフライポーズのまま放置されていた。
~続く~
続きが気になる~
元軍人のウドンゲがどんな活躍をするのか、期待しています。
あと師匠が色々と頑張りすぎです。ホント。
が、此処は一つ@ガノユユコな背びれに一票!
後編を期待してます。
最後の最後で死ぬほど笑ったwwwwwwwwwwwwww
この先どういう展開が待っているのか、非常に楽しみでアリマス。
後半も期待してます。
色々言いたい事もありますが、笑ってしまったのでウチの負けー。
ともあれ楽しく読ませてもらいました、続編が楽しみにしてます
今年の節分のために、イナバガンナー部隊を是非雇いたいと思ったのは私だけでしょうか?
続きも楽しみに待ってます。
とりあえずえーりん、子供っぽいお姉さん…いいものだ!
【何か違う】
永琳の冷静な暴走がどこまで「逝くか」見ものですわ。
それにしてもメイド姿の妹紅いいなぁ(*照*)
続き楽しみにしてますw
柚木涼香さん乙
> ウドンゲ、みょんに尻尾も
絵板でイラスト化希望
がんばれ
具体的に書けないようなことを少し想像してしまった
フェニックスですしねえ。
天地魔闘って、フェニックスウイングでカラミティエンドでカイザーフェニックスですか…
天才と⑨は紙一重って言うけど・・・ホントダナア・・・
恐らくその後に一人称は「我輩」を強要されるんだろうなぁと勝手に想像w
あれ確かに凄い鍛錬になるんですよね。にしても美鈴、十回って…五時間もやってたのかよw
本当の暇人かも・・・・・・・
霊夢余談より。
後編に期待大であります!
そして仲のいいレミリアと咲夜が微笑ましい。
まさか、東方でこれを思わされるとは・・・。
美鈴が実に頼もしくてよいね
地の文の大切さを改めて思い知らされました。
面白かったです。そして小ネタ多すぎw
後、是非とも紅魔館の罰ゲームの様子を観察してみたいな~
バタフライポーズで放置プレイさせられてる幽々子ワロスww