※作品集37『開く大図書館』の続編です。
<これまでのあらすじ>
プリンセス ハオ
「……」
私は無言で手元の冊子を閉じ、フリスビーの要領で明後日へと放った。
本に対する愛情の感じられない行為は、私の最も嫌うところではあるけど、
生憎としてこの物体は、本として認識できない。
釈然としないだの、不満が残るだのといった終わり方ならば、まだ己を納得させることは可能だろう。
だが、理解の外にあるというのは困る。
考察の余地を残したと言えば聞こえは良いが、
特に興味深い訳でもない作者の内面世界に思いを馳せるほど暇人が多い訳ではないのだから。
それは、私が今手にしている菓子……スコーンと呼ばれるものに対しても言える事だ。
そも、これは菓子なのだろうか。
茶と共に提供されるのだから、菓子と断定しても問題は無いように思われる。
しかし、それはあくまでも、ジャムや蜂蜜といった付属品の力を借りて成り立っているものではないだろうか。
甘い下味が付いていた場合は? ドライフルーツの類が混ぜられている場合は?
そうした仮定は無意味だ。
塩味が付いていた場合、野菜や干し肉が混ぜられていた場合、との仮定も同時に成り立つからだ。
ならば、考察すべき対象は、目の前に存在する現物以外に無い。
時に、この紅魔館のスコーンは……。
「考察禁止ーーっ!!」
「ほぅっ!」
後頭部から伝わった衝撃が、頭蓋を軽く七周半して鼻から抜ける。
この甲高い音と微妙な軽さは……そう、一斗缶に違いない。
小悪魔もようやく、この宝具を使いこなせるレベルまで上がったのね。
「って、嘘、金ダライ!? それは殴るものじゃなくて落とすものだと教えたじゃないの!」
「他に適当なものが無かったんです」
「ちっ、なっちゃいない。まったくなっちゃいないわ。
私を幻想郷至上最も多くの背後を取られたヒロインとして名を残させるつもりなら、
それ相応の手順というものが……」
「ベジータはどうでも良いんです。それにヒロインは私です。
それよりも、お願いですから現実を見て下さい」
成る程。言われてみればその通りかもしれない。
ほぼ私の一人称オンリーで進行するこのシリーズにおいて、
ヒロインという言葉の定義に最も近い存在は、この娘だろう。
修羅場どころか、妊娠(想像)も、出産(誇張)も、殺人(被害者、私)もすべて経験したという、
昼メロも少女漫画もヨヨ姫もびっくりなヒロインだけど、それはそれ。
にしても、こんなに堂々と自己主張するようなキャラだったか、という疑問は残るのだけど。
「あの、本当に分かっておられるんですか? もうオープンまで三十分を切ってるんですよ。
それなのに、肝心のパチュリー様が打ち切り漫画読みながらティータイムでは、皆さんに顔向けが出来ません」
「打ち切りじゃないわ。ネバーエンドよ」
「それは違う漫画です。いい加減、私だって怒りますよ?」
いけない、羽耳が収束し始めたわ。
デビルイヤーは地獄耳なら、小悪魔イヤーはアビスゲート。
彼女を怒らせてはいけないと私のDNAが告げているのよ。
ごめんなさい、ごめんなさいママン!
「おほん……ゲストもキャストも滞りなく集まってるのね」
「はい、現時点では。ですが、どうやら良い意味で想定の範囲外となりそうです」
「ふむ」
即ち、それだけ多くのゲストが、開館を待ち詫びているという事だろう。
ちなみにゲストというのはお客様を、キャストというのは従業員を指す言葉だ。
遥か外界の娯楽施設において使われている用語らしいけど、なんとなく気に入ったので当館でも採用している。
故にここ……今、私達が問答を繰り広げている場所も、従業員スペースではなく、バックステージと呼ぶのが正しい。
私としては、楽屋で通したかったんだけど、何故か全会一致で却下されてしまったのだ。
「皆をホールに集めておきなさい。朝礼を行うわよ」
「あ、はい。やっとやる気になられたんですね」
「最初から逃避なんてしてないわ」
言い訳その一、切羽詰らないと意気が高まらないから。
言い訳その二、本番に備えてギリギリまで力を蓄えていた。
言い訳その三、単に諦めた。
どの選択肢を口にしても怒らせそうなので黙っておいた。
ちなみに正解は、全部よ。
錚々たる光景とは、まさにこの事を言うんだろう。
紅魔館が誇る精鋭……とは最近になって言い辛くなったけど、それでもそこそこ頑張っているメイド衆。
オープニングスタッフとして、新たに雇い入れた人妖達。
そして、思いつく限りにコンタクトを取っては、強引に契約を結ばせたヘルプ勢。
総計で百名を越えるキャストが、私の前に立ち並んでいた。
苛立たしげな様子の神の使いの姿が見える。
立ったまま寝ている亡霊姫の姿も見える。
ニヤニヤと笑っている元引き篭もりの姿も見える。
何故か泣いているサイバンチョの姿も見える。
幻想郷の有力者、ほぼ全員が集結していると言っても過言ではない。
例外と言えば、レミィ達とスキマ妖怪くらいだけど、それも単に寝てるだけだろう。
……さて、この面子を相手に、何を語ったものかしらね。
『テステス、只今マイクのテスト中。
……皆様おはようございます。私が当館の経営責任者、パチュリー・ノーレッジです』
とりあえず、普通に挨拶しておいたけど、問題はここからだ。
ありきたりな訓示を述べた所で聞き流されるだけだろうし、かといって、ほなさいなら。では笑いも取れまい。
老若男女人妖強弱をまったく問わず、なおかつ士気を鼓舞できる演説……。
……よし、これね。
『今、ここにいる皆は、選ばれし優秀なるキャストだと認識しています。
故に多くの言葉を必要とはしていないでしょう』
『という訳で、いきなり最後になりますが、言わせて頂きます』
『泣いたり、笑ったり、カスったり、震えたり、食らったりすればいいのよ!』
『特にカスれ! 以上!』
そして、言い終わると同時に、マイクを天高く放り投げる。
再登場おめでとう、そしてさようなら。
また会える日を楽しみにしているわ。
『よしっ、皆! カスるわよ!』
『フフ……カスってやろうじゃないの』
『何をー!?』
我が意を得たのか、あちらこちらから気合を節々に滲ませた言葉が湧き上がって来た。
約一名ほど空気の読めてないキャストが混じっているようだけど、概ね成功と見て良さそうね。
「良かったわ、馬鹿ばっかりで」
「人のことが言えますか」
はいはい、オープンオープン。
もしも、閑古鳥が鳴いていたら、それはそれで幸福な結末と言えたかもしれない。
紅魔館の経営が致命的に傾くという問題こそあれど、同時に引き返す事の出来る最後の機会とも成り得たからだ。
しかし現実とは……。
『31番テーブル、四名様入りまーす!』
『え、また追加? もうダース単位じゃないの!?』
『あのぅ、レストルームからゲストが出てこないんですが……』
『修理業者はまだなの!? コピー出来ませんでは良い笑いものよ!』
『ええい、私自らが出る!』
遥か遠くに位置するここからでも、バックステージの喧騒はよく耳へと届いた。
繁盛結構、多いに結構。やっぱりもう戻れないのね。
……さて、私の陣取っている場所は、旧名物置、現名中央管理室。
現場のほうは小悪魔に任せている為、ここで館内の管理を行うのが主な私の仕事となる。
ここには現場のあらゆるデータが届けられるようになっているし、遠隔監視なども可能な優れものだ。
「……咲夜の言う通りになってるわね」
新たに届けられた書類に目を通してみた所、思わずそんな言葉が漏れた。
その内容は、現時刻までの入口調査報告。
久し振りに仕事らしい仕事が出来ました。等と走り書きが添えられているのが、何とももの悲しい。
当日になって強引に配置転換されたことは、まったく苦と思っていないようだ。
……ま、訪れもしない相手を待つ仕事よりは、余程ましなんでしょう。
それよりも重要なのは、全ゲスト中、成人男性が占める割合がおよそ八割という報告内容だ。
後先考えずにかき集めたコスプレ集団の影響は、良くも悪くも大きかったらしい。
「んー……少し、様子を見てみましょうか」
私は机の上に並べられた水晶へと魔力を送り込む。
これはいわゆる監視用のモニターに当たるものだ。
少々形式張っている感は否めないけれど、簡単に覗き見が出来ないという利点もあるので採用してみた。
水晶玉の数は、全部で四つ。
テーマ毎に分けられた館内エリアを、それぞれ映し出すようになっている。
それぞれに映像が浮かび上がった事を確認すると、私は一つずつ目を通し始めた。
まず、当初の私のイメージを元とした、ライブラリーエリア。
要するに、改築前から殆ど手を加えていない場所だ。
せいぜいが個人用の読書スペースを確保したくらいで、担当するキャストもごく少数に抑えている。
純粋に知識を求めて訪れたゲスト向きのスペースという位置付けになるだろうか。
一見したところ客入りはまだごく少数。元々広めの間取りという事もあって、閑散として見えるけど、
読書に専念するならば、むしろこれくらいが理想的な空間であると私は思う。
元々、赤字は前提……ここが図書館であることを忘れない為にも、このエリアの存在だけは譲れないわ。
そして次が、小悪魔の意見を発端として生まれた、フリーエリア。
文字通りなんでもありがコンセプトとなっており、図書館というよりは遊園地に近い雰囲気がある。
書籍をスライド形式で閲覧できるような簡単なものから、精霊とのガチンコが体験できるスピリッツオクタゴン。
更には紅魔館ミステリーツアーやクロックタワーオブテラーといったアトラクションまで……。
……ええと、少しやり過ぎたかもしれないわね。
レミィ、概要と予算案を見てから数十歳は老け込んでしまったし。
まあ、見た目は全然変わらないから気にしないでおきましょう。
ともあれ、客足のほうはまずまずといった所ね。
開かれた紅魔館をアピールする為にも、ここには頑張って貰いた……ん?
『済みませーん、非常口はどっちですかぁー』
『……いや、俺に聞かれてもなあ』
……。
ええと、スイッチスイッチ……これね。
「お馬鹿っ!」
『ひうっ!?』
「貴方、ここで何年生活してるのよ! 頭上の眼鏡を探すほうが、まだ真実味に溢れてるわ!」
『わ、私の心に入り込むのは誰ですかっ』
ヘッドセットの存在も忘れてるのね。
それが緊張のせいである事を願いたいわ。
仮に素だとしたら、それはもうボケじゃなくて痴呆よ。
「大声を出さない。ゲストに道を尋ねない。一番近いのはB-07書庫。
ともかく、不安感を与えるような行動は慎みなさい」
『……あ、は、はいっ』
……さて、お馬鹿なフロアマネージャーは放置して、次に行きましょうか。
このエリアこそが、本日の主役。
紅魔館自慢の飲食物を前面に押し出した、カフェエリアだ。
オープンにあたって最も力を入れた場所でもあり、方々から呼び寄せたコスプレ集団も大半がここに配置されている。
理由は勿論、売り上げの為だ。
何故ならば当館の料金システム上、蔵書目当ての客は、誰であろうと単価は変わらない。
極端に言えば、開店から閉店までずっと寝ていようが、全ての書物を読み切ろうが、料金は同じなのだ。
フリーエリアのほうはというと、設備投資に予算を振りすぎた事もあって、黒字転換までは相当の時間を要するとの見通しだし、
そもそもあそこは客寄せとしての役割が大きい。
となれば、当面の経営状況は、このカフェの売り上げに懸かっているといっても過言では無い。
……いえ、はっきり言いましょうか。
ここがコケれば、紅魔館はコケる。これ、定説よ。
『レイコー4プリーズ! ……ところで、レイコーって何?』
『10000GIL入りまーす。10000GIL入りまーす。10000GIL入りまーす。あ、一回で良いんですか』
『ほーい、手羽、皮塩、レバタレ上がったよ。え? 豚足をミディアムレアで? 無茶言うなあ』
まあ、一般的トラブルはともかく、スペルカード暴発とか、ゲスト真っ二つとか、そういう類の事故は無さそうね。
顔ぶれを見渡した時は、幻想郷大戦勃発も止むを得ないと思ったものだけど、
この忙しさでは、嫌でも仕事に専念しなければいけないんでしょう。
……にしても、どのテーブルを見渡しても男、男、男と、むさ苦しいことこの上ないわね。
でも、彼らが落としてくれる金銭を思うと、神にも等しい存在とも映るから不思議だ。
マーケティングリサーチって重要なのね……。
そして最後……どうして私はこの企画にゴーサインを出したのかしら。
ええと、口にしたくもないのだけど……お座敷エリアです。はい。
何というか、ここはもう、図書館とはまるっきり無関係の空間だ。
本は最初から置かず、替わりに酒類は豊富に用意されている。
対応をするのはメイドでもキャストでもなく仲居及び芸妓。
玉砂利の敷き詰められた庭からは、獅子脅しの音が厳かに鳴り響いている始末。
和風建築も取り入れたほうが間口は更に広がるのでは、という意見が発端だった気がするけど、
いくらなんでも広げすぎた感は否めないわ。
何よりも不思議なのは、この明らかに異質なエリアが、それなりに賑わっているという点だ。
嘘臭いと私自身が思っているくらいだけど、事実として客席は半分ほど埋まっており、
草野球の打ち上げっぽい雰囲気もあり、食通らしきお堅い集団あり、
怪しげな老人同士の密談ありと客層まで妙にリアルなものだから、ますます分からない。
一体咲夜は、どんな宣伝活動をしたのかしら……。
『ささ、まずは一献お受け下さいまし』
『……』
水晶玉に目を凝らすと、丁度、芸妓の一人が手馴れた様子で酌をしているところだった。
するよりもされるほうが慣れている立場だった気もするけど、その辺は弁えているという所だろうか。
客のほうは、酸いも甘いも噛み分けた老紳士といった感じに見えるけど、
どうしてそんな御仁が、こんな早い時分からキワモノの集大成のような場所に飲みにくるのか、全く理解出来ないわ。
蕎麦屋にでも行って、板ワサで一本付けるほうが似合いそうなものなのに。
『……この助平老人』
『ふむ、聞こえなかった事にしておきましょう』
『何よ、私の弱みでも握ったつもり?』
『やれやれ、嫌われたものですな』
……。
私も見なかった事にしておきましょう。
キャストの個人事情に首を突っ込む気は更々無いわ。
でも、減給。
「ふぅ……」
水晶玉から目を放し、背もたれへと大きく背中を預ける。
今のところ、どのエリアも順調過ぎるくらい順調に運営されているように見えた。
発案者である私から見ても、行き当たりばったりこの上ない計画だったのに、こうも上手く進むとは意外だった。
それだけキャストにプロ意識が根付いていたのか、それとも単なる幸運か。
はたまた、火種が奥底で燻っている状態に過ぎないのか。
いずれにせよ、私には判断は出来ないし、したところで意味もない。
こうして考えに浸っている間にも、状況は次々と変動しているのだろうから。
「……行くなら、平穏な今のうちかしらね」
誰にも告げず、心の中に暖めていた案。
ある程度場の雰囲気が形成され、なおかつ新しい要素が加えられても不自然ではない今の時間は、
それを実行するには、まさに絶好の機会と言えるだろう。
私は決意を新たに、静かに席を立った。
「お待ちください、パチュリー様」
管理室から出た矢先、横合いからかけられた声に、私は足を止める。
こういう図ったようなタイミングで現れる輩は、推測するまでもなく一人しかいない。
「貴方の試合なら無いわよ?」
「試合?」
「……おほん、気にしないで、いつものノイズよ」
「存じております」
流石は咲夜ね。
可哀想な子扱いされた気がするけど、何ともないわ。
「話を戻します。もしや、ホールに出られるおつもりですか?」
「ええ、そのつもりだけど」
これは最初から決めていた事だった。
私は、現場の空気を知らぬままふんぞり返っていられるような自信家でもないし、客商売を甘く見てもいない。
とは言え、雇い主が強引に我を押し出すのも、それはそれで問題だろう。
という事で、客足が落ち着いた頃にひっそりとお手伝いするという折半案を採用してみたんだけど……。
「やっぱり私が出ると拙い?」
「いえ、行動そのものは奨励されて然るべきと思いますが、少々服装に問題があるかと」
「服装……」
問題と言われると少し悲しいものがあるけど、否定は出来ない。
ピンクを基調としたネグリジェに、にゃーおの象徴として装着している猫耳というスタイルが、
キャストとして認識されるかどうか、私から見ても疑問だからだ。
……あ、手間を省く為にもう一度説明しておきましょうか。
にゃーおというのは私の役職、標準経営責任者の略称のこと。
テストに出るわよ。
「少し頭の弱い子といった所でしょうか。
私ならば保護か迷子のお知らせを依頼するでしょう」
「うー……」
咲夜は時々、心に傷の残る物言いをする。
痛みを忘れた大人は嫌いよ。
「という訳で、私独自の判断で、にゃーお専用コスチュームを用意しておきました。
二種類ありますので、お好きな方にお召し替え下さいませ」
「あ、ありがとう?」
「疑問符は不要ですわ」
咲夜は一礼すると、足早にホールへと戻っていった。
どうやら、全て予測済みだったらしい。
前もって言えば良いのに、直前まで黙っている辺りが、奥ゆかしくもあるし、嫌味っぽくもある。
……ま、元々そういう娘だし、仕方ないか。
とりあえず、着替えてきましょう。
「騙されたっ……!」
そう気が付いたのは、更衣室で件の衣装に袖を通してからの事だった。
咲夜の言った通り、用意されていた衣装は二つ。
そのうちの一つは、良く言えば無難、悪く言えば没個性といった印象で、
ひっそりと現場を体験するという目的からすると、相応しい衣装であるとは言えるだろう。
が、問題なのは、もう一つの衣装だ。
咲夜はこれが私に似合うと本気で考えていたんだろうか。
いえ、違うわね。
恐らくは、着れるものなら着てみなさいなハハァン。という無言の挑発だろう。
だからこうして逃げ道とも呼べる選択肢も用意していたに違いない。
げに恐ろしきはサドメイド也。
……でも、私には分かっている。
ここで逃げる訳には行かないのだと。
従業員に舐められるようなにゃーおに、今後の円滑な経営が期待されようか?
否、される訳が無い。反語。
似合う似合わないはこの際二の次、私は皆に意気込みを知らしめないといけないの。
踏ん切りなさい、パチュリー……!
カフェエリアのホールへと足を踏み入れた瞬間、周囲の視線が一斉に私へと向くのが感じ取れた。
それ自体は別に驚く事でない。
ここのゲストの大半は、衣装が目当てであることは調査済みであるし、
それならば、新しく姿を見せたキャストを注視するのは至極当然だろう。
……でも、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。
極端なまでに胸を強調したデザインも、膝上20センチを越えるスカートも。
「あ、あのう……?」
そこに、キャストの一人が、恐る恐るといった感じで声を掛けて来た。
特徴の薄いブレザー姿に、特徴が際立ち過ぎた兎耳……確か、コードネーム『ホークアイ』ね。
ラビットやバニーというありきたりな意見が多い中、私の一存で決めた名前だからよく覚えてるわ。
確か彼女の為に床材を一部、鏡面仕上げにしたと聞いているけど、アレはどういう意味だったのかしら。
「……何?」
軽く一瞥した後に、短く返す。
従業員同士の私語が厳禁なのは、客商売において基本。
その辺りを、ホークアイは理解しているのだろうか。
「……あ! い、いえ、何でもありません。失礼しました、にゃーお」
ホークアイは、一瞬驚いたかのような表情を見せると、足早に去っていった。
兎でありながら語尾が猫という天の配剤とも言うべき偶然に、思わず心の中でサムズアップ。
私がこの略称を名乗ったのは、決して間違いではなかった……!
と、それは良しとして、今の反応はどういう事かしら。
もしや私の格好に、何か問題でもあったんだろうか。
良くも悪くも嘘の吐けない性質だと聞いているし、違うとは思いたいけど……。
……いけない、今は思考よりも仕事よ。
オンステージに姿を見せた以上、私は一人のキャストでウェイトレスなのだから。
接客なんてしたことないけど、あの連中に出来て私に出来ない筈がないわ。
多分。
「おーい、猫耳ちゃーん、注文おねがーい」
「は、はーい、ただ今伺います」
……おかしい。
ホールに出てからおよそ一時間。
私は幾度となくこの言葉を反芻していた。
何がおかしいって、これだけ大勢のキャストが控えているのに、何故私ばかりが指名を受けるのか、だ。
手際は無関係だろう。
何しろこれまで、食器をひっくり返すこと三回、注文を聞き返すこと四回、
段差に蹴躓きアックスボンバーをかまして医務室送り一回という、どこの天然さんかという失敗振り。
未だクレームが来ないのが不思議なくらいだ。
ならば考えられるのは……外見的な印象?
でも、それも良く分からない。
普段、容姿の美醜について考えた事なんて無いけれど、自分が地味な部類に入るくらいは分かる。
それなのに何故……。
「裏切り者……」
「え?」
ぼそり、と微かな呟き。
だが、今、確かにはっきりと耳にした。
反射的に振り返った先には、肩をいからせて食器を運ぶ、黒のエプロンドレスが見えた。
コードネーム『イカルガ』……というか、魔理沙だ。
「すいませーん、スプーン落としちゃいましたー」
「あ、はい」
んなもん、自分で拾えっちゅーねん。
とは口に出せないのが客商売の悲しさ。
魔理沙の呟きの意図は気になるけど、今はあくまでも仕事優先よ。
しかし、さっきから妙に拾い物の要請が多いわね。
最近の若者は、テーブルマナーがなってないわ。
「……ふぅ」
従業員専用の休憩所。
私はマグカップを手に、静かに休息の時を満喫していた。
……違った。キャスト用ブレイクエリアだっけ。
でも、いいや。
心の中で置き換えるくらい、パチュリー様だって許してくれる筈。
あ、申し遅れました。私、当館のフロアマネージャーを勤めさせて頂いている小悪魔と申します。
本当はもっと長い本名があるらしいんですけど、誰も認識していないし、私も忘れてしまったので気にしないで下さい。
それにしても、シリーズ五作目にして初めて一人称を引き受けさせてもらいましたが、やっぱり緊張するものですね。
この大役を当たり前のように担当しているパチュリー様を、改めて凄いと……え?
メタな内容は慎め?
読者にも語りかけるな?
ええと、良く分かりませんが、努力します。
時計に視線を送ると、二つの針は午後四時の辺りを示していた。
無我夢中で動いている内に、六時間が経過していたという事になる。
「……本当に、始まっちゃったんだなぁ」
こうなるに至った発端は私自身にあるのに、どうしても他人事のような物言いになってしまう。
状況の変動の速さに、私の心が付いていってない証拠だろう。
事実、未だに夢を見ているような心境というのが本音だったりする。
パチュリー様に仕える事を決めてから百年余り、
良くも悪くも変化の少ない生活を送ってきた私に、ここ数ヶ月における変貌は、余りにも大きすぎた。
もっとも、当のパチュリー様は簡単に馴染んでいるんだけど……。
……多分、環境の変化に対して、恐れよりも興味のほうが勝っていたんだろう。
元々、知的好奇心の塊みたいな人だし、その方向性が魔術から外界の文化へと転換されつつあった事を思えば、
こうなるのはむしろ、パチュリー様にとっては好都合だったのかも知れない。
でも、一つだけ分かった事がある。
それは、私は懐古主義者ではなかったという点だ。
慣れない仕事に戸惑い、度重なる失敗に自己嫌悪し、責任の重さに悩む日々だけど、
辛いかと問われたら、迷わず楽しいと答えるだろうから。
だから私は、今の自分に出来る事を頑張るだけ。
……とりあえずは、エリアマップの暗記かな。
「済みません。合席、良いですか?」
一つの声が、物思いに浸っていた私を、現実へと引き戻す。
軽く周囲を見渡してみると、丁度休憩時間が重なっているのか、他のテーブルはほぼ満席になっていた。
となると四人掛けのテーブルに一人の私は、いかにも目立ったんだろう。
「あ、はい、どうぞ」
一応、一番奥に位置するこの席は、責任者専用という事にはなっていたけど、
そんなの大半のキャストさんは知らないだろうし、大体にして設備の無駄使いだもの。
「ありがとう、失礼しますね」
声の主は、笑顔を見せつつ私の対面のソファーに腰を下ろすと、持ってきていたサンドイッチをぱくつき始めた。
少し遅い昼食、ってところかな。
「さて、マネージャー。凄い数のお客様ですが、これだけの人出は予想していましたか?」
「え? ううん……どうでしょう、予想外と言えば、確かに予想外ですね。
でも、お客様が大勢いらして下さったのは嬉しく思います」
いきなり質問をぶつけられた形となった私は、思いついた言葉をそのまま口にしていた。
確かこの人は……そうそう、コードネーム『ウルフ』さんだ。
どうして現役女子中学生がそんな名前になるのか、気になって聞いてみたんだけど、
パチュリー様は分かる人には分かるから良いの。としか言ってくれなかった。
勿論、私には分からない。
「なるほど。しかし現時点では、蔵書を求めての来客はごく少数と見えます。
ぶっちゃけた話、図書館としての存在感が薄い気がするのですが……」
「は? そ、それは、ええと……」
な、何て答えたら良いんだろう。
私もそう思う。って言うのは、立場上拙いような気がするし……。
「突然取材かましてんじゃないのっ」
「ひうっ」
ばしん、と鋭い音が聞こえたかと思うと、突然ウルフさんが悶え苦しみ始めた。
そして目を白黒させながら、震える手で水の入ったコップを掴んだかと思うと、豪快に中身を流し込んだ。
……ああ、喉に詰まったんだ。
「少しは時と場合っての弁えなさいよ。この子、一応あんたの上司なのよ?」
「うう……けふっ、けふっ……」
ウルフさんを奥へと追いやるように席に着いたのは、紅色が目に眩しい、私の良く知る人物だった。
ええと、コードネーム、コードネーム……。
「シャーマンさん。取材って何の事ですか?」
「……その呼び名、何とかならないの?」
「なりません、規則ですから」
「……あー、はい、分かりましたマネージャー」
少し不服そうな様子が見えたけど、ここは我慢して貰うしかない。
立場上、私が奨励していかないことには始まらないもの。
「失礼しました。私、本業が新聞記者なものですから、つい地が出てしまいまして」
「はあ……」
……どういう意味なんだろう。
本業というなら、女子中学生がそれに当たるんじゃないかと思うんだけど。
あ、新聞委員なのかな。
「ええと、そういうのは営業時間の後でお願いします。
私、一度に沢山の事を考えられるほど器用じゃありませんから」
「分かりました。後ほどまた伺います」
普通、こういう物言いは、出直してくるって意味だと思うんだけど、
ウルフさんに席を立つ気は無いらしく、何事も無かったかのように食事を再開していた。
やはりシャーマンさんの知り合いは、良くも悪くも図太い人が多い。
「ったく、まさかこんな労働をさせられるとは思わなかったわ。
何考えてんのよ、あんたのご主人様は」
「済みません……皆さんには迷惑ばかりお掛けしてます」
と、そこで何故か、ウルフさんが吹き出した。
リアクション、タイミング、彼女からは紛れも無い芸人魂が感じられるわ。
……って、パチュリー様なら言うだろうな。
「って、貴方のほうがずっと失礼じゃないですか!」
「悪かったわね。地を隠すのは苦手なのよ」
「あれ……でも、ホールではちゃんと敬語でしたよね?」
それは間違いないはず。
ぞんざいな接客は、直ぐにクレームとして届けられるだろうし、
現時点でシャーマンさんの名前が挙がった記憶は無いからだ。
「それは……その」
何かを言いよどんだシャーマンさんは、ふっ、と私から目を逸らす。
次に天井を睨み、更に虚空へと視線を泳がせ、最後に手にしていたお茶へ視線を落とし……。
「……うっ、えぐっ……」
「「えー!?」」
泣いた。
「ひっく……分かってた、分かってたのよ。
私が優雅な生活を送れるのは平仮名七文字限定だって……。
でも、こうして現実をまざまざと見せ付けられると……うっく」
「え、えーと……」
シャーマンさんの言ってる事は、まるっきり私の理解の範疇外だった。
縋る気持ちでウルフさんに視線を送ってみたけれど、返ってきたのは何とOhポーズ。
流石にこれには、私も驚きを隠しきれなかった。
もう、パチュリー様の名を借りなくても断言できる。
彼女は間違いなく、リアクション芸人の器だ。
このまま育てば、ゆくゆくは幻想郷一のヨゴレとして名を馳せ……。
……って、そうじゃなくて。
「金の為に己を売るのは憚られるってか? 妙なところで潔癖な奴だな」
「……その言い方、誤解されるから止めて」
言葉の接ぎ穂を探している最中、助け舟は思わぬ方向から現れた。
「ま、気にすんな。労働と引き換えに金銭を得るのは資本主義の真っ当な構図だぜ」
「真っ当な構図ってのが、私にとっては問題なのよ」
「そいつは諦めろ。なら最初から引き受けるな、って言われたくないならな」
「……ぐぅ」
颯爽と登場したイカルガさんは、あっという間に事態を収束すると、
空いていた最後の席……私の隣へと座る。
何と言うか、凄く格好良かった。
「お疲れ様です、イカルガさん」
「……ちょい待て、イカルガってのは私のコードネームとやらか?」
「いい加減覚えてください。従業員規則の第一条ですよ?」
「あー、うん、悪い、認識したくなかったんだ……」
気のせいだろうか、直ぐに格好悪くなってしまったように見える。
私、何も喋らないほうが良いのかな……?
「はい、マネージャー、質問良いですか?」
「はい? え、ええ、取材でないのなら」
「このコードネームとやら、何とかならないんですか?
正直、ウルフと呼ばれるのに慣れてしまうのが怖いんですけど……」
「同感。大体、巫女とシャーマンって同一じゃないわよ」
「イカルガは無いよなぁ……イカルガは……」
「え、ええと、その……」
改めて問い詰められると、返す言葉に困る。
何しろ、パチュリー様がコードネーム制を採用した理由は、私も知らないのだから。
表向きには、本名を出すのが拙いキャストの為。という事になっていたけど、
それならば何も、こんな奇抜な名前じゃなくても良いと思うし……。
「静まりなさい。無礼ですよ」
凛とした声……の割には、妙に低い位置から聞こえて来た。
私を含め、四人の視線が一斉にそちらを向く。
……ええと、誰だっけ、このキャストさん。
「貴方達には雇用主の親心が分からないのですか。
こうして意図的に現実から大きく外れた仮名を名乗らせる事によって、
元来の立場や環境といったものからの脱却を可能としてくれているのですよ」
「「「……」」」
「過去を捨てる、己を偽る、そうした言い回しは確かに好ましい意味合いではありません。
ですが人も妖怪も考え方一つで変わる事が出来るのです。
故に私はこう表現します。新しい自分と出会えたのだ、と」
「「「……」」」
「そうした意味合いも解する事なく、ただ不満を並べ立てるなど愚の骨頂、恥を知りなさい。
今はただ、心を無にして労働に従事すること。それが貴方達に出来る善行よ」
「「「……」」」
一気に語り切ったかと思うと、そのキャストは何事も無かったかのように、元の席へと戻って行った。
その向かい側の席には、顔を伏せつつ肩を震わせている大柄なキャストの姿。
泣いているのではなく、笑いを堪えているのは分かる……あ、殴られた。
確か、この対照的な二人、何処かで見た気がするんだけど……。
あ、そうそう、キンダガートンさんとサンライズさんだ。
「ところで、今のお説教はどういう意味なんでしょうか。よく分からなかったんですが」
「ん、まあ、要するに開き直れって事でしょ」
「しかも、私達にじゃなくて、自分に宛てた言葉だな、ありゃ」
「すまじきは宮仕え、でしょうかね」
……ますます分からなくなった。
「気にしない気にしない。そのうち、頼みもしないのに個人的に尋ねてくるから」
「はぁ」
「でも、深く考えるなという意味では賛成ですね。
どうも私には、にゃおーんさんの考える事は良く分かりません」
「だなぁ。今だって自ら接客業に勤しんでるくらいだし……」
え。
「ぱっ、パチュリー様がホールに出てるんですか!?」
「何だ、お前さんも知らなかったのか」
「は、初耳です」
多分、私と入れ違いの形になったんだろう。
でも、何でそんな事を……。
「あー、やっぱりアレ本人だったのね。」
「私も疑わしいと思ったんだがな……驚く事に、何の魔術の香りもしない。
ありゃ間違いなく本物だ」
「世の中、不公平ですよねぇ……」
「……???」
こういうとき、自分の勘の鈍さを、とことん恨めしく思う。
結局、皆さんの話の意味は、休憩時間が終わるまで理解出来なかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、どうかこの愚かなメイドをヒールで踏みつけて下さいませ……」
「……」
床に頭を擦り付け続ける咲夜に、私はかけるべき言葉を見つけられずにいた。
今から時間を遡ることおよそ十分。
一旦管理室に戻ろうと、バックステージに出たところで、丁度咲夜の姿を見かけた。
で、少し叱ってやろうと呼び止めたところ……何故かこうなったという次第。
あのときの咲夜の表情の動きっぷりは、正に豹変と言うに相応しいものだった。
で、その理由が分からない私は、こうして困っているという訳だ。
「私が馬鹿だったんです。今日が大切な一日であることを知りながら、悪戯心と復讐心を抑える事が出来ず……」
「ちょ、ちょい待ちなさい。悪戯は良いとして、復讐って何よ」
「……その、24点が」
「ま、まだ根に持ってたの」
松山君もびっくりね。
これからは彼女だけ、常に犬度採点にしておきましょう。
毎回百点の超ゆとり教育よ。
「ですが、そんな矮小な企みも、パチュリー様のお力の前にはまるで無意味だったようですね……」
「それが分からないのよ。私、別に何もしてないんだけど?」
「……気付いておられないのですか?
その『何もしていない』というのが私の……いえ、皆の驚嘆を生み出しているのです」
「……」
「仕方ありません、ね。それでは単刀直入に申し上げます。
パチュリー様。着痩せするにも程があるのではないでしょうか」
「き、着痩せ?」
そう言えば、以前小悪魔がそんな事を言っていた気がする。
でも、何だってその程度で驚かれるのかしら。
「一応私も噂程度には聞いてはいました。が、流石にそれはやりすぎです」
「……そんなに変わって見える?」
「変わりすぎでしょう。胸だけならともかくとして、太腿も、腰周りもまるっきり別人としか思えません。
病弱な紫もやしだった筈の人物が、そんな肉感的な美少女になって現れれば、誰だって驚きますわ」
「……」
褒められてるんだろうけど、ちょっと複雑ね。
……って、まさか。
「もしかして、私ばかりが指名された理由って……」
「推測されているとおりかと。その衣装であれば、動けば揺れるし、屈めば見えます。
繰り返し申し上げさせていただきますが、エロスは命より重いのです」
「……!!」
何て……こと。
エロスを否定した筈のこの私が、自らそれを証明する形となるだなんて……。
「ですが、パチュリー様! 私のプライドに賭けて、これだけは言わせて頂きますわ」
残念なことに、ショックに打ちひしがれる余裕を、咲夜は与えてはくれなかった。
……別に残念でも無いわね、これ。
「な、何かしら」
「貴方のそれはもう着痩せとは呼べません。マジックです。いえ、むしろ反則です。レッドカードです。
世が世であれば、軍法会議物です。弁護人の存在しない裁判です。閣下はいたくお怒りである!」
「そ、そうですか……反省します」
「……乱筆乱文失礼致しました。エレガンテェーーーーーーーーーーーー!!」
バラの刺繍入りポケットチーフを撒き散らしつつ、咲夜は消えた。
一切の妥協を許さないマエストロの仕事も、こんな扱いでは報われないわ。
なお、アレを追う気も待つ気も、私には毛頭無い。
どうせ三十分もしたら、平然と仕事に戻ってるのだろうから。
「パチェ……」
「んぐ……ん、レミィ?」
管理室で遅れに遅れ、もはや夕食と区別のつかない昼食を取っていたところ、
紅魔館の主様が、今日始めてとなるご登場を遊ばした。
でも、その登場方法は普段のような派手な物ではなく、扉の影から恐る恐るといった感じだった。
「あー、その、入っても良い?」
「え、ええ」
……妙ね。
わざわざ許可を求めるなんて、レミィらしくないにも程があるわ。
「お邪魔するわ。それでパチェ、店舗のほうは……」
ようやく全身を見せたかと思うと、今度は硬直する始末。
本当にどうしたのかしら。
寝起き……は関係無いわね。むしろそっちなら私のほうが酷いわ。
「私の知ってるパチェは、そんな破廉恥な格好でカレーライスを貪り食うような女じゃなかったッ!」
「わ、びっくり」
元々、感情の起伏の激しさには定評あるレミィだし、突然叫ばれたくらいでは驚かない。
でも、そんな事を言われても困る。
管理室に戻る度に着替えるのは面倒だし、手っ取り早く済ませられる食事はこれしか残っていなかったのだ。
まあ、普段の私のイメージと合わないのは認めるけど。
「ううう……おまけに、そんなぱっつんぱっつんになっちゃって……。
パチェにとっての商売って、人体改造を行うくらい大切な事だったの……?」
「ま、待って、誤解よレミィ。これは私の素の身体、略して素体よ。薬、ダメ、絶対」
「嘘だッ!」
「……」
泣きたいわ、本当にもう。
恥ずかしい思いをしてるのは私なのに、何だって道行く先々で攻められないといけないのよ。
……ま、とりあえずはレナァ……もとい、レミィの誤解を解くべく、対話をしましょうか。
勿論、肉体言語で。
「それで、どうしたのレミィ。様子を見に来ただけ?」
問うてはみたものの、口を開けるようになるまではいくらかの時間が必要に見えた。
というのも、この衣装に着替えてから妙に身体の調子が良いせいで、
フロギスティックアンクルホールドが深く決まりすぎてしまったのだ。
「ん、まあ、それもあるんだけど……」
ようやく口を開いたかと思ったら、またしても歯切れの悪い台詞。
どうにも、らしくないわね。
「不思議なことに、驚くくらい順調よ。売上は好調、大きなトラブルも無し。
危なっかしかったヘルプの連中も、仕事に追われてネタを披露する暇は無し。
強いて言うならば、私が一番のネタに成り下がった事くらいかしら」
「そ、そう……流石はパチェね」
「私は何もしていないわ。皆が目的の為に一つになった結果よ」
その目的というのが金銭なのは明白だけど。
「で、でもね、何か足りないものがあるんじゃない?」
「……今のところ、そういう報告は来ていないけれど」
「そうじゃなくて、ええと……象徴とか、一本筋の通ったものというか、大黒柱というか……」
「……悪いけど、今は建築論議をする余裕は無いの。後にしては貰えないかしら」
「ま、待って! もっと良く考えて! 何か欠けているものがあるでしょう?
ほら、レで始まってアで終わる四文字の美しいアレよ」
「レイピア?」
「あ、うん……筋が通っていて美しいわね……」
実を言えば、レミィの言わんとする事は、とうの昔に分かっている。
伊達に百年来の付き合いをしている訳ではないのよ。
「ええと、もしかして手伝ってくれるのかしら?」
「ち、違うわよ。何でこの私が、わざわざ庶民相手にサービス業を……」
「……そうね、ごめんなさい。私の考えが浅かったわ」
でも、焦らす。
「だ、断定するにはまだ早いわ! パチェの意向次第では、考えを変える可能性は残ってるのよ!」
「無理をしなくても良いわよ。貴方の立場が複雑なものであるのは、私が一番良く知っているわ」
「そ、そう、ね……うん……」
悪趣味と笑いたいなら、存分に笑いなさい。
私はレミィ弄りの権利を、誰にも譲るつもりは無いわ。
……ん、少し嘘ね。
誰とは言わないけど、ただ一人にだけは譲ったというか奪われたわ。
「ごめーん!! レミリア嘘ついたのーーっ!」
ほどなくして、レミィの意地という名の堤防は決壊した。
絶叫と同時に床へとへたり込むと、帽子をきつく握り締めつつ、大粒の涙を流し出す。
「……レミィ」
「うぅっ、嫌なの、仲間はずれは嫌なのよぅ、私もパチェ達と同じ空気を吸いたいの……」
プライドもダイナマイトもない懇願は、激しく心を打った。
私は床へと膝を着けると、未だ泣き止まぬレミィの手をそっと取る。
「レミィ……貴方の思い、確かに受け取ったわ」
「それじゃあ……」
「ええ、面接しましょう」
「え」
ま、段階は踏まないとね。
「えー、特技はレッドマジックとありますが?」
「は、はい、レッドマジックです」
「レッドマジックとは何のことですか?」
「パチェだって知ってるでしょ」
「……」
「……だ、弾幕です」
「え、弾幕?」
「は、はい、弾幕です。ランダム性が強く、安地がありません」
「……で、そのレッドマジックは、当館において働く上で、何のメリットがあるとお考えですか?」
「無いんじゃないかしら」
「そうよね」
「……」
「……」
っと、いけないいけない。
遊んでいるような時間は無かったわね。
「冗談はさておき、どこか配属先に希望はありますか?」
「別にありません。というか知りません」
「……なるほど」
「あ、顔出しはNGでお願いします。流石にそこまでは捨て切れませんので。
ですが地味な裏方はお断りです。どうせなら館のシンボルと映るような雄大な舞台を用意していただければ、と」
「また、随分と難しい注文ですね……それで、どの時間帯なら働けますか?」
「日没より後です。それまでは寝てますので」
「……」
私は匙を投げる決意を固めた。
既にカレーライスは完食したので問題は無い……というか、レミィの姿勢が問題だ。
こんな条件を満たした仕事なんて、何処に存在するんだろう。
それでいて、本人はやる気に満ち溢れてるから始末に終えないわ。
「さあパチェ! もう良いでしょ! 待った無し! 私を働かせなさい!」
「ええと、それは役員と相談してから……」
ああ、レミィの追求が私を追い詰めようとしている。
これも散々遊んでしまった罰かしら……。
「待たせたわね! アリス・マーガトロイド渾身の一品。今ここに完成の日を見たわ!
御代は先払い? いえいえ、その必要はありません。
現物を目にした貴方が対価を支払わずにいられるものですか! さあさ、お立会い!」
行動を共にしていると、性格までも似てくるものなんだろうか。
そう思わせるような口上と共に、唐突にそれは現れた。
もう紅魔館にセキュリティは存在しないと考えて差し支えないわね。
「「……」」
「……な、なにか反応してよ。放置プレイは求めてないわ」
恥じらいが表に出る辺りはまだまだというか、元祖健在というか……。
ともあれ、レミィの矛先が逸れたという意味では感謝しておきましょう。
「それで、突然現れて何の用なの。部外者は立ち入り禁止よ」
「ぶ、部外者は無いでしょう! 私はこの日の為に、寝る間も惜しんで仕上げて来たのよ!?」
「……?」
意味不明。
彼女がヘルプを断った内の一人であることは知っているけど、その理由までは聞いてはいない。
この様子だと、また変な薬でも飲んだのかしら。
「またって何よ! またって!」
「自覚は無いのね」
「そういうキャラだもの」
「……」
アリスは肩を震わせ、泣いた。
己の背丈はありそうな、巨大な箱に縋り付いて……。
……箱?
「あ、アリスさん。完成したんですね」
その箱の向こう側から、何事も無かったかのよう小悪魔が顔を覗かせた。
何だか、急に千客万来ね。
「……ええ。あと少しで自棄になって燃やすところだったけど」
「あはは、そのネタは余り面白くないです」
「……」
悪気の欠片も無いだけに、余計にキツいわ。
「小悪魔。貴方、アリスに何を頼んだの?」
「あれ、言いませんでしたっけ」
「聞いて無いわ」
少なくとも、記憶には無かった。
元々アリスは図書館を訪ねる機会も多かったし、その際に小悪魔が依頼をしていたとしても不思議は無いのだけど、
何だか私が無視されていたみたいで、少し疎外感。
「……」
「……? 何よ、パチェ」
「な、何でもないのよ」
ま、まあ、単に忙しさに紛れて聞き流していたという可能性もあるし、叱責はしないでおきましょう。
……ごめんね、レミィ。
「……おほん。見れば分かるわ。というか、見なさい」
そう言うとアリスは、箱の包装を小器用に解き始めた。
どうせ解くなら、最初から中身だけを持って来れば良かったのでは?
そもそも、その巨大な箱をどうやってここまで運んできたのか?
コードネームはデスマスクとナイトメアのどちらがご希望?
等々、無駄に疑問の種を選り分けている内に、その中身は露となっていた。
「「……」」
「ふふっ、どう? 私の技術力に恐れをなしたかしら?」
断じて違う。
絶句してしまったのは認めるけど、それは驚いたからではなく、不可解に過ぎたからだ。
というのも、件の箱から出てきた物は……ええと、どう評したものかしら。
もさもさっとしてて、ふにゃふにゃしてて、極めて無愛想な物体。という所だろうか。
私の知識の中に、これに対応した固有名詞は存在しない。
ああ、一般名詞ならあるわね。
「ぬいぐるみ?」
「中身は無いわ。着ぐるみよ」
別にどっちでも良い。
「凄い……まるで紅魔の魂が具現化したかのようです!」
「待った待った! 問題発言は慎みなさい司書! こんなの魂と違う!」
でも、何故か小悪魔は満足そう。
美的感覚の違いというものかしら。
「で、この物体が、今日と何の関係があるの?」
「……はぁ。苦労が報われないのは毎度の事だけど、気が抜けるわね。
マスコットキャラが欲しいってことで、この子に頼まれてたのよ」
「……あー、あー、あー」
思わず阿呆のような呻きが漏れてしまった。
そう、確かに小悪魔はそんな提案をしていた。
具体的に言うなら、前編の14kb目辺りで。
「耐熱耐寒は当たり前、紫外線からゲッター線までシャットアウトの防護機構。
鬼が踏んでも型崩れしない耐久性まで持ちながら、伸縮自在で中の人を選ばない優れものよ。
何に使うかは知らないけど、せいぜい活用してやって頂戴」
「そ、そう、ご苦労様」
見た目はともかくとして、アリスが手抜き無しで作成してくれたのは確かなようだ。
とは言え、今更こんなものをどう使えば……。
……うわあ。
「ちょっと小悪魔。貴方、最初からそのつもりで?」
「はい?」
違うわね。
そんな先の事をこの娘が予測出来る筈も無いし、思いつくままに発注してしまったという所でしょう。
でも、結果オーライ。
最近この言葉が好きになってきた気がする。
「おめでとうレミィ、貴方になら出来る。貴方にしか出来ない事が、たった今見つかったわ」
「へ?」
顔出しすることなく、それでいて存在感を誇示することが可能な館のシンボル。
しかも着ぐるみという特性上、陽光の有無に関わらず活動可能。
レミィの難題も、小悪魔の希望も、すべて一度に解決可能という完璧な解答がここにあった。
「い、嫌よ、何だって私が、そんなもさもさでふにゃふにゃで無愛想な物体に……」
「余り貶さないほうが良いわよ。これ、貴方をモチーフにして作ったんだから」
「え、ど、どの辺りが?」
「ほら、羽根」
「他の共通点は!?」
が、どうも肝心のレミィが乗り気では無い。
ここまでお膳立てが整っているというのに、何が不満だと言うんだろう。
「パチュリー様。私もレミリア様以上の適役は存在しないと思います」
「……」
私に話を通すのも忘れるくらい、このマスコットに力を注いでいた小悪魔だ。
披露したい気持ちは良く分かる。
だが、一旦へそを曲げたレミィが、そう簡単に承服もすまい。
やはり、アレしかないわね。
「……コアさん、マガさん。やっておしまいなさい」
私達の眼下には、もさもさでふにゃふにゃで無愛想なマスコットが、ぐったりと横たわっていた。
流石のレミィとは言え、精神的にも肉体的にも弱っていたところを、
三人がかりでは押さえ込まれえては、対抗のしようも無かったようだ。
「このマスコット、名前は何と言うの?」
「レミューンよ」
「……そう」
モチーフどころか、そのまんまね。
「起きなさい、レミューン。もう時間的余裕は皆無に等しいわ」
『……ぱ、パチェ、いくら貴方でも、やって良い事と悪い事が……』
「シャーラップ! レミューンは私を愛称で呼んだりしないのっ!」
『ひうっ』
未だ情緒は不安定……これなら行けそうね。
「復唱なさい。私はレミューン、と」
『わ……私はレミューン……』
「中の人などいない。私はレミューン」
『中の……人などいない……私はレミューン……』
……。
………。
…………。
「……さ、レミューン、出番よ。皆が貴方を待っているわ」
『はーい! レミューン行きまーす!』
レミューンは、優雅なステップを踏みながら、オンステージへと突貫していった。
事前教育の時間が取れなかったのが悔やまれるところだけど、
まあ、マスコットキャラなんて適当に動き回ってるだけで役割の殆どを果たせるのだから、問題は無いでしょう。
「随分あっさりと引き受けてくれましたが……パチュリー様、何かなさったんですか?」
「さて、ね」
レミィは紅魔館の力となるべく協力を申し出て、私はその道を指し示した。
ただ、それだけの事だ。
「隔離、鬱化、そして刷込。正に洗脳のお手本といった手順ね。
七曜の魔女は言葉の魔術師でもあった、ということかしら」
「ぐ、偶然よ。偶然」
流石に同好の主の勘は鋭かった。
「ふぅ……」
アリスを見送った私は、抑えきれないため息と共に、再びホールへと向かうべく歩みを進める。
日は存分に暮れ、開店から経過することすでに十時間近く。
流石にこの時間にもなると、疲労が心身のあちこちに現れてくる。
何だって私はこんな事をしているんだろう、という禁断の問いが鎌首をもたげる程に。
だが、考えてはいけない。
親友を惑わし、多くの知人を巻き込み、それにも増して大勢の人妖を引き摺り込んだ私には、
もはや退路は愚か、脇道すら存在しないのだ。
道が歪ませたのは、咲夜と小悪魔な気もするけど……。
「にゃーお、にゃーお、にゃーおっ」
そこに、見慣れないキャストが、闇雲に猫真似を繰り返しつつ走り寄って来た。
どうやら妖精の類のようだけど、頭が春なのにも程があるわね。
……。
あ、私の事か。
「どうしたの?」
「そ、それが、危険がピンチ、頭が頭痛で、感じている感情が……」
「落ち着きなさい。余計に時間を浪費するだけよ」
「し、失礼しました。実は先ほど、紅魔館ミステリーツアーの順路にミスが発覚しまして」
「……何だ、そんなことなの」
この忙しい時分に、そんな事で呼び止めないで欲しいものね。
よほど平穏な日常を過ごしていたキャストなのかしら。
「そっちで処理なさい。一々私に決済を求める必要は無いわ」
「ですが、そのミスというのが、地下室へ向かうルートらしく……」
「お馬鹿っ!!」
この時間になって、なんたる失態、なんたるお約束。
レミィですらあれだけ情緒不安定だったのだから、それに輪を掛けて無視されていた妹様の心境は……。
……別に変わらないか。いつだっておかしいし。
で、でも、駄目。
もしも妹様の好奇心を刺激してしまったら、今日の記事は文化面から社会面に掲載変更よ。
アレは紛れも無く天災だもの。
誤字じゃないわよ。
「それで、まだゲストが到着してはいないのね?」
「はい。時間の問題ではありますが」
「……止むを得ないわね、私が行ってくるわ。
戻るまでは貴方が管理者を務めなさい」
「え」
「え、じゃない。トラブル対応は初動の早さが全てを決めるのよ」
「で、でも私、コードネームどころか本名すらない、正真正銘のチョイ役ですよ?」
「そんなの小悪魔だって付いてないわよ!」
ああもう。問答している暇は無いというのに。
「なら命名『ダイリホサココロエ』。これで今日から貴方は名有りよ。おめでとう」
「それ課長……」
良い働きを見せたら、町内会長に格上げしてあげるわ。
『マネージャ-、マネージャー、応答願います』
突如飛び込んでくる音声にも、流石にもう慣れた。
あれ。でもこれ、パチュリー様じゃない……?
「はい、どうしました?」
『ええと、にゃーおが止むに止まれぬ事情で席を外しておりまして、
しばし代役を任されてしまった大……ダイリホサココロエと申します。どうぞよろしく』
「はあ、とてもエキセントリックなお名前ですね」
『今更ながら、ここにきてしまった事を後悔しています』
あ、コードネームなんだ。
「大丈夫、名前なんて飾りです。
偉い人はそれを良く分かっているからこそ、適当に付けたがるんです」
『……そう、ですね。マネージャーが言われると説得力を感じます』
「良かった。感じてくれたんですね」
『そ、その言い回しは誤解を招きますから……』
「?」
『ええと、本題に入って良いですか?』
「あ、はい、何でしょう、フクダイコウタイグウさん」
『文字数すら合ってませんけど、突っ込みません。
それでですね、ライブラリーエリアの方で、ちょっと妙な現象が』
ライブラリー……閲覧専用のエリアだ。
良くも悪くも変わってない場所だし、突飛なトラブルとは無縁の筈だけど……。
「どんな現象ですか?」
『統計上の入場者は増加傾向なんですが、何故かモニター上は閑散としたままなんです」
「……?」
『それで、気になって様子を見てみたんですが……どうもD-42書庫にゲストが集まってるようでして』
「え」
D-42って……まさか!?
「き、禁書エリア……」
『禁書?』
「は、はい。一般の人の目に触れてはいけない、危険な本の納められたエリアです」
『規制が入る前の本ですか?』
「いえ、むしろ奇声が入っている本です」
『何れにせよ、寄生される危険があるという事ですね』
「はい。既製のものとは訳が違います」
高次の魔導書ともなれば、己の意思を持っていることもあるし、
扱い次第ではそれこそ生命の危険すら起こり得る……だからこそ禁書と呼ばれているんだ
どう考えても、歓迎するような事態じゃない。
『そんなに危険な場所が、どうして閲覧区域に入っていたんですか?』
「入ってません。それどころか、決して立ち入れぬように結界も張っていた筈です」
『……という事は、勝手に破っちゃったんでしょうか』
「間違いないかと」
人妖関わらず、知識欲というものには際限が無い。
そして、普段はおとなしく見える知識層ほど、かえって極端な行動を起こすもの。
その最も典型的な例を、一番間近で見ていた私だから言える。
「分かりました。私が見てきますので、ダイリダイコウさんは引き続きお役目をお願いします」
『混ざってます。……じゃなくて、お一人で大丈夫なんですか?』
「大丈夫、私も司書です」
『も、じゃなくて、は、だと思います』
「モハ? 鉄ちゃんですか?」
『誰がピッチャーデニーやねん!』
「……」
『……』
「……」
『……気をつけて下さいね』
「は、はい」
何故だろう。
この人とは、無二の親友になれそうな予感がした。
「……よし、行こう」
軽く拳を握り締めつつ、私は歩調を速める。
正直なところ不安だけど、だからといって人任せにする事は出来ない。
図書館の治安維持は、今も昔も私の役目なのだから。
『あ、マネージャー、追加事項です』
「はい?」
『E-69書庫も同様の状況のようですが、こっちはどうしましょう』
「……」
いー、ろくじゅうきゅう……。
「うう……応援、送ってください。出来るだけふてぶてしい方を……」
『……ふてぶてしい?』
ごめんなさい、ただの強がりでした。
あそこだけは無理なんです……。
ゲストを引き返させるのは、かえって不審を抱かせる。
そうした結論から私は、秘密裏かつ早急に妹様と話を付けるという選択肢を選んだ。
その結果が、これ。
「で、出番……これだけ……?」
不可解な断末魔と共に、妹様は崩れ落ちた。
要するに、またしても拳で語り合ってしまったという訳だ。
知識と日陰の少女……そう呼ばれていた時代が懐かしいわ。
「許してね、妹様。これも皆の……いえ、紅魔館の為なのよ」
ぐったりとしてしまった妹様を、べッドへと寝かせておく。
普段のような弾幕戦だと思ってしまったのが、彼女の運の尽き。
蒼龍撃がカウンターで決まった以上、営業時間中に目を覚ますことは無いでしょう。
……でも、これも所詮は苦肉の策でしか無いわね。
明日からは、どうしようかしら。
『にゃーおーーーっ!』
「って、今度はなにっ!」
この声は、ダイリホサココロエ。
パチェ覚えた!
『あまり覚えて欲しくは無いんですが……ま、良いです。飾りですし』
「ほほう、貴方も私の心が読めるのね」
『余裕のようですし、前置き無しで報告しますね。
先程、フリーエリアにてレミューンが暴走しました。
現在はゲストの子供を人質に取って、クロックタワーで篭城中との事です』
「ちっ、洗脳……じゃなくて暗示が切れたのね」
まったく、姉妹揃ってろくな事をしないわね。
しかも、そんなに堂々と暴れられたんじゃ、話を付ける事も出来ないわ。
何か隠蔽策は……。
『どうしましょうか? 緊急停止機能でもあれば話は楽なんですが』
「製作者に聞くのを忘れていたわ……というか貴方、随分と落ち着いてるのね」
『ここの雰囲気に慣れました』
陰謀にも慣れてる気がするわ。
ただのチョイ役かと思いきや、とんだ掘り出し物ね。
……こうなると、乗っ取りも視野に入れる必要があるけど。
「そうね……パピヨンとシャーマン、それとマッドを現場に向かわせなさい。
あ、ワールドにだけは絶対に伝えては駄目よ。台無しになるわ」
『……なるほど、サプライズ的なアトラクションに仕立てるんですね』
「中々良い勘をしてるわね。……連絡を急ぎなさい。直ぐに私も向かうわ」
『了解で……え』
「どうしたの? そんな記念日は無いわよ?」
『拙いですね、お座敷のほうも少し荒れているようです』
スカされたけど、泣かない。
「荒れている、じゃ分からないわ。報告は正確に行いなさい」
『失礼しました。どうも、当館の方向性を勘違いしたゲストがおられるようです』
「……どういう風に?」
『身請けにはいくら必要だ、と』
教訓。
間口を広げるのも、ほどほどに。
「あー、バンブーに対応させなさい。アレなら多分、穏便にシめてくれるわ」
『穏便とシめるが結び付き辛いですが……了解しました』
認めるというのは論外としても、辛辣に過ぎる対応は悪評を生み出しかねない。
客商売とは、とかく難しいものね。
……いけない、現在進行形だったわ。
「もうっ、次から次へとっ!」
「……」
「……」
『……』
現時刻は、午後九時半。
もう間もなく、長い長い一日は終わる。
そして同様に私達の気力も、色々な意味で終わりかけていた。
「……まあ、無事平穏に行くだなんて思ってはいなかったけど……」
「……サービス業って、本当に大変なんですね……」
『……』
小悪魔の言葉は、この場の全員が実感している事だろう。
昼ごろには活気に溢れていたこのブレイクエリアも、今は物言わぬ屍の山。
退職希望者が列を成さない事を祈るばかりね。
「……もっとも、未然に防げたであろうトラブルも多かったわ」
「そう、ですね」
『……』
一人、会話に乗ろうとしない無愛想な物体に、肘鉄を一発打ち込んでおく。
えいっ。
『みゅっ!』
「いくつかは貴方が発端なのよ。少しは反省して」
『……レミューン、悪くないもん。奔放に生きるキャラなんだもん』
「「……」」
どうやら、身も心もレミューンになりつつあるようね。
良い傾向……と言って良いものかしら。
「私の望んでたマスコットは、こんなんじゃなかったのに……」
「諦めなさい。今の幻想郷に求められていたのは、愛と希望ではなく、血と欲望だったのよ」
「ひうっ……」
『みゅーん』
パピヨンらのアドリブの利いた活躍によって、レミューンというキャラの位置付けは強引に確立された。
日没を迎えた頃になると登場する、可愛らしくも血に飢えた獣。
気紛れに遊びまわり、気紛れにゲストを襲う、陽気で多感でボディブローが得意技のナイトストーカー。
さあ皆もキャストのお姉さんと一緒に、レミューンを調伏しよう!
……と、そんな感じに。
「一応、今後の腹案はあるわ。レミューンはまだ未完成だとも言えるわね」
「え、そうなんですか?」
『ミカンせいじーん』
「そう、この歪んだ精神とフォルムは、どこかあのシュールさを彷彿と……ちゃうがな」
「ダメダメね。そんなノリツッコミじゃ世界は程遠いわよ」
「……え?」
小悪魔の声じゃない。
ましてや、レミューンでもない。
この四人掛けのテーブルで唯一空席だった筈の、私の対角線の位置からの声。
「ごきげんよう。お邪魔しているわ」
「ああ……そういえば、貴方も居なかったわね」
ごく自然にティーカップを傾けていたのは、スキマ妖怪、八雲紫。
アリス同様、私の知り合いでヘルプ依頼を受けなかった数少ない妖怪だ。
「受けなかったんじゃなくて、声が掛からなかったんだけど」
「仕方ないでしょう。貴方が何処に居を構えているのか、誰も知らなかったんだもの」
「ああ、そういえばそうだったかしら。……はい、これ、私の住所」
「……何でエスペラント語なの?」
「あら、読めるのね」
「今でも一応、知識人のつもりよ」
……さて、何の用なのかしら。
いくら気紛れが服を着たような存在とは言え、住所を伝えに来ただけとは考え難いし。
「随分と繁盛しているようね」
「そう、ね。嬉しい誤算という奴かしら」
「そんな所に、こういう提案をするのは気が引けるんだけど……この商売から手を引くつもりはない?」
「は? 何を寝言を……」
それ以上、言葉を繋げる事は出来なかった。
私とて百年を生きた魔女。
その目を見れば、八雲が本気で言っている事くらい分かる。
「はっきり言うわ。貴方はやり過ぎたのよ」
「……」
「当初は放っておくつもりだったけど……ここまで事態が動くとは、私の想像外だったわ。
今日一日だけで、幻想郷と外界の境界は極めて曖昧になってしまったわ」
「……比喩、じゃないわね」
「ええ。何を始めようが貴方達の勝手だけど、
幻想郷の危機となれば、見逃す訳には行かないわ」
「そういうのは、巫女の仕事じゃなかったの?」
「例外を除いては、ね」
すると、これが例外という訳か。
彼女の根本にあるものが、使命感なのか愛郷心なのか気紛れの範疇なのか、それは私にとってもどうでも良い事。
……が、論理的な矛盾は気になる。
「おかしな話ね。
元々、外界において希薄となった存在が、この幻想郷へと生まれ出ずるのではなかったかしら。
ならば、こうして現実に成立してしまった時点で、外界との関係は切り離されているんじゃないの?」
「……へぇ、そこまで知っているのね。でも、残念ながらはずれ。
外界と幻想郷は、鏡合わせのような関係とは言え、完全なる相互関係とは成り得ないわ。
それぞれのキャパシティに差がありすぎるのよ」
「……」
「故に、原則を無視して膨れ上がった文化の形は、幻想郷の器には収まり切らない。
となれば、飽和を起こして大爆発? いえ、外界という名の、より大きな器の中身となるだけよ」
「それで、境界が曖昧という表現なのね」
有体に言ってしまえば、幻想郷の存在意義が薄れている、という意味だろう。
外界の文化を参考にして計画したのだから、当然と言えば当然のこと。
しかし……。
「ええと、要するに、大人しく外界のおこぼれを待っていろ。という意味ですか?」
「こ、小悪魔、貴方……?」
「済みませんパチュリー様。少し私にも話をさせてください」
怖いもの知らず……とは違うかしら。
小悪魔は、天然であっても、馬鹿ではない。
……信じましょう、か。
「また、随分と皮肉の利いた台詞ね」
「皮肉ですか。そんなつもりは無いんですが……」
「ま、否定はしないわ。それが幻想郷という世界の形だもの」
「でも、現実にここには、大勢のお客様がいらしてくださいました。
即ち、幻想郷の住人達も、新しい文化を求めていたという事になりますよね」
「……」
「それを快く思わないと、貴方は仰られるんですか」
「……そうなるわね」
「そう、ですか。私には理解できません。
変化を望まない世界なんて、死んでいるのと同然です。
貴方は、自分の子供を殺したいんですか?」
その瞬間、ポーカーフェースを保っていた筈の八雲の表情が、明らかに変わった。
怒ったのか、驚いたのか、それとも……。
「……参ったわね。そんな表現をされるとは思わなかったわ」
「す、済みません。他に適当な言葉が浮かばなかったんです」
「……」
八雲は視線を外へと向けると、しばし押し黙る。
同様に、小悪魔も口を噤む……単に言う事が無くなっただけかも知れない。
自然、テーブルは静寂に包まれる形となった。
「というか、ですね。今更そんなこと言われても困るんです」
「「「!?」」」
私や小悪魔だけでなく、八雲までも驚いていた。
それくらい、唐突な登場だったのだ。
「ダイリホサココロエ……」
「ごめんなさい、つい覗き見してしまいました。
ええと、それで……どなたでしたっけ」
「八雲紫、よ」
「では紫さん。私が今日、ここにいる理由はご存知ですか?」
「……知らないわ」
「働いて、そしてお給料を貰うためです」
「……」
ある意味、今のこの瞬間に幻想郷は終わったのかもしれないわ。
はっきり言っちゃ駄目だってば。
「私だけじゃなく、他にも多くの人妖が、ここに雇用の機会を得てるんです。
それを独断と偏見で無かったことにされたんじゃ困ります。
貴方がこの後、全員の就職先を見つけてくれる訳じゃないですよね?」
「……ま、まあ、それは、その……」
「それだけは言っておきたかったんです。……では、失礼します」
そして再び、姿が掻き消える。
咲夜のような裏技ではなく、八雲のような力技でもなく、本当に忽然と。
……本当に、何者?
「短い距離なら瞬間移動が出来るそうですよ。
それくらいしか特技が無いって謙遜してましたけど」
「って、何で貴方が知ってるのよ……」
『あんたの負けよスキマ。負け犬は負け犬らしく、すごすごと逃げ帰りなさい』
中の人、起床。
……いえ、覚醒? 反転?
いいか、どっちでも。
どうせもっと早い段階から目覚めてたんでしょうし。
「あら、何処の可愛らしい……らしくない……いえ、らしい……ううん……」
『……へ、下手な気を使わないで』
「シュールレアリズムの象徴かと思ったら、貴方だったのね」
『……ま、良いわ。で、どうなの? まだ続ける?』
「そうね……悪魔に道理を問われ、妖精に現実を問われたんじゃ、どうにも勝ち目は無いわ。
これも一つの結末という事で納得しておきましょう」
『あら、意外にあっさり引き下がるのね』
「しつこい女は嫌われるもの。誰かさんじゃあるまいに」
『……』
そしてレミィは再び、レミューンと一体化した。
やはり、口じゃ勝てなかったわね。
何の為に起きたのかしら。
「もしかして、最初からそのつもりだったの?」
「馬鹿を言わないで。何だって負けを認める為に、こんな所まで足運ばなければいけないのよ」
「ふぅん……」
どうかしら、ね。
論破は容易だったでしょうし、そも八雲にはその必要すら無いのだから。
……ま、力技で来たなら、そのときはこちらにも考えがあったけど、ね。
貴方の選択、幻想郷を守るためには賢明だったわよ。
「うーん……このまま帰るのは癪に障るわね。
ここは勝者の余裕ということで一つ、私のお願いも聞くべきだと思うわ」
「内容によるわね」
さて、もうここからは予定調和。
私も八雲も、台本の筋に乗るだけ。
「どこか、私向けの職場は無いかしら?」
「……そうね、なら面接してあげましょう」
ちなみにこの台本、読むにはそれなりの技術が必要なのよ。
「……で、これが完成形なのね……」
「な、何が不満なのよ! 私はただ注文通りに……」
「別に不満は無いわ。ただ、この上ない虚しさを覚えただけよ」
アリスの恨めしげな視線を受け流し、私は眼前に置かれたそれを改めて見渡す。
ふさふさで、つんつんで、ふにょふにょで、笑顔なのに何故か怖い物体。という所だろうか。
……やはり小悪魔の感覚は良く分からない。
「大体ねぇ、文句があるなら最初から貴方がデザインすれば良いじゃないの」
「……む。それを言われると辛いところね」
あのレミューンが人気者になっている事を思うと、単に私の感覚が世間からズレているだけかもしれない。
……余り、認めたくは無いけど。
図書館の新装オープンから数えて、今日で丁度、三十日目になる。
その間、幾多ものトラブルが発生し、それに伴い館内も大小さまざまな改良が加えられた。
私の後悔の種であったお座敷エリアは、迷走を繰り返した末に、結局は豪奢な居酒屋として定着し、
今では最大の収入源となっていたりするから不思議なものだ。
無論、変わったのは建物だけではない。
初日にいたキャストも既に半分は辞めて行き、入れ替わりで同数以上の新規キャストが参入していた。
もっとも出戻りや短期限定といった面々も多いため、良くも悪くも固定化とは程遠いのが特徴だろう。
なお、あのダイリホサココロエは、ホサカン、ヤマシタといったコードネームを経て、
現在はユウバリという名であり、町内会長どころか正式な管理室長にまで昇格していた。
身内企業に等しい当館においては、外様勢最大の出世頭と言えよう。
……まあ、小悪魔と妙に仲が良い時点で、私的には外様とも言い難いんだけど。
さて、問題なのは入場者数の推移だ。
統計を見ると、始めの数日は増え続け、それから暫くは横ばい、そして現在が微減傾向といったところになる。
競合と呼べるような存在が無い以上、この傾向は好ましいものとは言い難いだろう。
故に、起爆剤として期待していたものの一つ……それがこれだった。
「……で、名前は何だったかしら」
「フランランよ」
「だから捻りなさいよ! 少しは!」
「倒置法で怒られても困るわよ。文句はあの子に言って」
まあ、決まってしまったものは仕方がないわ。
これこそが、当館二人目のマスコットキャラ、フランラン。
中の人は、言うまでもなく妹様だ。
ちなみに妹様は、レミィとは異なり、この申し出を快く了承してくれた。
私達と働きたかったというよりは、公認で『遊べる』のが嬉しかったらしい。
……本当に大丈夫かしら。
アリスの技術力を信じない訳ではないけど、何しろ妹様だし。
ま、いざという時はレミューンの中の人に頑張って貰いましょうか。
「ぱっ、パチュリー様っ!」
何時もの落ち着きの無い声と共に、息せき切って飛び込んでくる小悪魔。
かと思うと、フランランの足に蹴躓いては、派手に前転して私の前へと転がった。
……ちっ、見えぬ。
「どうしたの。リアクション芸人へ転身する決意でも固めたの?」
「ち、違います。そんなんじゃないんです。大事が危険でピンチがブルマで……」
「落ち着きなさい。そのネタは分かり辛すぎるわ」
「と、とにかくこれを見て下さい」
小悪魔が手渡してきたものは、号外。と書かれた一枚の紙。
どうやらウルフはまだ副業を止めていないようね。
ヘルプが大勢抜けて、ただでさえ人手不足だと言うのに……。
「こっちが副業だと思うんですが……」
「黙りなさい。雇用主は神なのよ」
ともあれ、小悪魔が動揺している原因は、この内容にあるのだろう。
まあ、今の私は多少の事では驚きはしないけど……。
『新大型娯楽施設、近日オープン!?』
紅魔館が幻想コウマーランドとして開放され、連日大勢の客で賑わっているのは記憶に新しいところだが、
この流れに乗らんとしたか、新たな大型娯楽施設の建設が進められている事が、調査により分かった。
その施設とは、エターナルスタジオファンタズム。通称ESP。
ESPは月文化と地上文化の融合がテーマであり、未知の技術がもたらす魅力と、古き良き日本の空気を併せ持ち、
老若男女人妖強弱問わずに誰もが楽しめるテーマパークとされている。
私達には月都万象展にて蓄積されたノウハウもある。
旧態依然としたコウマーランドとは比較するまでもない。と、蓬莱山代表は自信を見せている。
「……」
「……」
「ど、どうしましょう……」
「……コウマーアクア計画、前倒しになるわね」
「え」
私はパチュリー・ノーレッジ。
今の二つ名は、開かれた大図書館だ。
<これまでのあらすじ>
プリンセス ハオ
「……」
私は無言で手元の冊子を閉じ、フリスビーの要領で明後日へと放った。
本に対する愛情の感じられない行為は、私の最も嫌うところではあるけど、
生憎としてこの物体は、本として認識できない。
釈然としないだの、不満が残るだのといった終わり方ならば、まだ己を納得させることは可能だろう。
だが、理解の外にあるというのは困る。
考察の余地を残したと言えば聞こえは良いが、
特に興味深い訳でもない作者の内面世界に思いを馳せるほど暇人が多い訳ではないのだから。
それは、私が今手にしている菓子……スコーンと呼ばれるものに対しても言える事だ。
そも、これは菓子なのだろうか。
茶と共に提供されるのだから、菓子と断定しても問題は無いように思われる。
しかし、それはあくまでも、ジャムや蜂蜜といった付属品の力を借りて成り立っているものではないだろうか。
甘い下味が付いていた場合は? ドライフルーツの類が混ぜられている場合は?
そうした仮定は無意味だ。
塩味が付いていた場合、野菜や干し肉が混ぜられていた場合、との仮定も同時に成り立つからだ。
ならば、考察すべき対象は、目の前に存在する現物以外に無い。
時に、この紅魔館のスコーンは……。
「考察禁止ーーっ!!」
「ほぅっ!」
後頭部から伝わった衝撃が、頭蓋を軽く七周半して鼻から抜ける。
この甲高い音と微妙な軽さは……そう、一斗缶に違いない。
小悪魔もようやく、この宝具を使いこなせるレベルまで上がったのね。
「って、嘘、金ダライ!? それは殴るものじゃなくて落とすものだと教えたじゃないの!」
「他に適当なものが無かったんです」
「ちっ、なっちゃいない。まったくなっちゃいないわ。
私を幻想郷至上最も多くの背後を取られたヒロインとして名を残させるつもりなら、
それ相応の手順というものが……」
「ベジータはどうでも良いんです。それにヒロインは私です。
それよりも、お願いですから現実を見て下さい」
成る程。言われてみればその通りかもしれない。
ほぼ私の一人称オンリーで進行するこのシリーズにおいて、
ヒロインという言葉の定義に最も近い存在は、この娘だろう。
修羅場どころか、妊娠(想像)も、出産(誇張)も、殺人(被害者、私)もすべて経験したという、
昼メロも少女漫画もヨヨ姫もびっくりなヒロインだけど、それはそれ。
にしても、こんなに堂々と自己主張するようなキャラだったか、という疑問は残るのだけど。
「あの、本当に分かっておられるんですか? もうオープンまで三十分を切ってるんですよ。
それなのに、肝心のパチュリー様が打ち切り漫画読みながらティータイムでは、皆さんに顔向けが出来ません」
「打ち切りじゃないわ。ネバーエンドよ」
「それは違う漫画です。いい加減、私だって怒りますよ?」
いけない、羽耳が収束し始めたわ。
デビルイヤーは地獄耳なら、小悪魔イヤーはアビスゲート。
彼女を怒らせてはいけないと私のDNAが告げているのよ。
ごめんなさい、ごめんなさいママン!
「おほん……ゲストもキャストも滞りなく集まってるのね」
「はい、現時点では。ですが、どうやら良い意味で想定の範囲外となりそうです」
「ふむ」
即ち、それだけ多くのゲストが、開館を待ち詫びているという事だろう。
ちなみにゲストというのはお客様を、キャストというのは従業員を指す言葉だ。
遥か外界の娯楽施設において使われている用語らしいけど、なんとなく気に入ったので当館でも採用している。
故にここ……今、私達が問答を繰り広げている場所も、従業員スペースではなく、バックステージと呼ぶのが正しい。
私としては、楽屋で通したかったんだけど、何故か全会一致で却下されてしまったのだ。
「皆をホールに集めておきなさい。朝礼を行うわよ」
「あ、はい。やっとやる気になられたんですね」
「最初から逃避なんてしてないわ」
言い訳その一、切羽詰らないと意気が高まらないから。
言い訳その二、本番に備えてギリギリまで力を蓄えていた。
言い訳その三、単に諦めた。
どの選択肢を口にしても怒らせそうなので黙っておいた。
ちなみに正解は、全部よ。
錚々たる光景とは、まさにこの事を言うんだろう。
紅魔館が誇る精鋭……とは最近になって言い辛くなったけど、それでもそこそこ頑張っているメイド衆。
オープニングスタッフとして、新たに雇い入れた人妖達。
そして、思いつく限りにコンタクトを取っては、強引に契約を結ばせたヘルプ勢。
総計で百名を越えるキャストが、私の前に立ち並んでいた。
苛立たしげな様子の神の使いの姿が見える。
立ったまま寝ている亡霊姫の姿も見える。
ニヤニヤと笑っている元引き篭もりの姿も見える。
何故か泣いているサイバンチョの姿も見える。
幻想郷の有力者、ほぼ全員が集結していると言っても過言ではない。
例外と言えば、レミィ達とスキマ妖怪くらいだけど、それも単に寝てるだけだろう。
……さて、この面子を相手に、何を語ったものかしらね。
『テステス、只今マイクのテスト中。
……皆様おはようございます。私が当館の経営責任者、パチュリー・ノーレッジです』
とりあえず、普通に挨拶しておいたけど、問題はここからだ。
ありきたりな訓示を述べた所で聞き流されるだけだろうし、かといって、ほなさいなら。では笑いも取れまい。
老若男女人妖強弱をまったく問わず、なおかつ士気を鼓舞できる演説……。
……よし、これね。
『今、ここにいる皆は、選ばれし優秀なるキャストだと認識しています。
故に多くの言葉を必要とはしていないでしょう』
『という訳で、いきなり最後になりますが、言わせて頂きます』
『泣いたり、笑ったり、カスったり、震えたり、食らったりすればいいのよ!』
『特にカスれ! 以上!』
そして、言い終わると同時に、マイクを天高く放り投げる。
再登場おめでとう、そしてさようなら。
また会える日を楽しみにしているわ。
『よしっ、皆! カスるわよ!』
『フフ……カスってやろうじゃないの』
『何をー!?』
我が意を得たのか、あちらこちらから気合を節々に滲ませた言葉が湧き上がって来た。
約一名ほど空気の読めてないキャストが混じっているようだけど、概ね成功と見て良さそうね。
「良かったわ、馬鹿ばっかりで」
「人のことが言えますか」
はいはい、オープンオープン。
もしも、閑古鳥が鳴いていたら、それはそれで幸福な結末と言えたかもしれない。
紅魔館の経営が致命的に傾くという問題こそあれど、同時に引き返す事の出来る最後の機会とも成り得たからだ。
しかし現実とは……。
『31番テーブル、四名様入りまーす!』
『え、また追加? もうダース単位じゃないの!?』
『あのぅ、レストルームからゲストが出てこないんですが……』
『修理業者はまだなの!? コピー出来ませんでは良い笑いものよ!』
『ええい、私自らが出る!』
遥か遠くに位置するここからでも、バックステージの喧騒はよく耳へと届いた。
繁盛結構、多いに結構。やっぱりもう戻れないのね。
……さて、私の陣取っている場所は、旧名物置、現名中央管理室。
現場のほうは小悪魔に任せている為、ここで館内の管理を行うのが主な私の仕事となる。
ここには現場のあらゆるデータが届けられるようになっているし、遠隔監視なども可能な優れものだ。
「……咲夜の言う通りになってるわね」
新たに届けられた書類に目を通してみた所、思わずそんな言葉が漏れた。
その内容は、現時刻までの入口調査報告。
久し振りに仕事らしい仕事が出来ました。等と走り書きが添えられているのが、何とももの悲しい。
当日になって強引に配置転換されたことは、まったく苦と思っていないようだ。
……ま、訪れもしない相手を待つ仕事よりは、余程ましなんでしょう。
それよりも重要なのは、全ゲスト中、成人男性が占める割合がおよそ八割という報告内容だ。
後先考えずにかき集めたコスプレ集団の影響は、良くも悪くも大きかったらしい。
「んー……少し、様子を見てみましょうか」
私は机の上に並べられた水晶へと魔力を送り込む。
これはいわゆる監視用のモニターに当たるものだ。
少々形式張っている感は否めないけれど、簡単に覗き見が出来ないという利点もあるので採用してみた。
水晶玉の数は、全部で四つ。
テーマ毎に分けられた館内エリアを、それぞれ映し出すようになっている。
それぞれに映像が浮かび上がった事を確認すると、私は一つずつ目を通し始めた。
まず、当初の私のイメージを元とした、ライブラリーエリア。
要するに、改築前から殆ど手を加えていない場所だ。
せいぜいが個人用の読書スペースを確保したくらいで、担当するキャストもごく少数に抑えている。
純粋に知識を求めて訪れたゲスト向きのスペースという位置付けになるだろうか。
一見したところ客入りはまだごく少数。元々広めの間取りという事もあって、閑散として見えるけど、
読書に専念するならば、むしろこれくらいが理想的な空間であると私は思う。
元々、赤字は前提……ここが図書館であることを忘れない為にも、このエリアの存在だけは譲れないわ。
そして次が、小悪魔の意見を発端として生まれた、フリーエリア。
文字通りなんでもありがコンセプトとなっており、図書館というよりは遊園地に近い雰囲気がある。
書籍をスライド形式で閲覧できるような簡単なものから、精霊とのガチンコが体験できるスピリッツオクタゴン。
更には紅魔館ミステリーツアーやクロックタワーオブテラーといったアトラクションまで……。
……ええと、少しやり過ぎたかもしれないわね。
レミィ、概要と予算案を見てから数十歳は老け込んでしまったし。
まあ、見た目は全然変わらないから気にしないでおきましょう。
ともあれ、客足のほうはまずまずといった所ね。
開かれた紅魔館をアピールする為にも、ここには頑張って貰いた……ん?
『済みませーん、非常口はどっちですかぁー』
『……いや、俺に聞かれてもなあ』
……。
ええと、スイッチスイッチ……これね。
「お馬鹿っ!」
『ひうっ!?』
「貴方、ここで何年生活してるのよ! 頭上の眼鏡を探すほうが、まだ真実味に溢れてるわ!」
『わ、私の心に入り込むのは誰ですかっ』
ヘッドセットの存在も忘れてるのね。
それが緊張のせいである事を願いたいわ。
仮に素だとしたら、それはもうボケじゃなくて痴呆よ。
「大声を出さない。ゲストに道を尋ねない。一番近いのはB-07書庫。
ともかく、不安感を与えるような行動は慎みなさい」
『……あ、は、はいっ』
……さて、お馬鹿なフロアマネージャーは放置して、次に行きましょうか。
このエリアこそが、本日の主役。
紅魔館自慢の飲食物を前面に押し出した、カフェエリアだ。
オープンにあたって最も力を入れた場所でもあり、方々から呼び寄せたコスプレ集団も大半がここに配置されている。
理由は勿論、売り上げの為だ。
何故ならば当館の料金システム上、蔵書目当ての客は、誰であろうと単価は変わらない。
極端に言えば、開店から閉店までずっと寝ていようが、全ての書物を読み切ろうが、料金は同じなのだ。
フリーエリアのほうはというと、設備投資に予算を振りすぎた事もあって、黒字転換までは相当の時間を要するとの見通しだし、
そもそもあそこは客寄せとしての役割が大きい。
となれば、当面の経営状況は、このカフェの売り上げに懸かっているといっても過言では無い。
……いえ、はっきり言いましょうか。
ここがコケれば、紅魔館はコケる。これ、定説よ。
『レイコー4プリーズ! ……ところで、レイコーって何?』
『10000GIL入りまーす。10000GIL入りまーす。10000GIL入りまーす。あ、一回で良いんですか』
『ほーい、手羽、皮塩、レバタレ上がったよ。え? 豚足をミディアムレアで? 無茶言うなあ』
まあ、一般的トラブルはともかく、スペルカード暴発とか、ゲスト真っ二つとか、そういう類の事故は無さそうね。
顔ぶれを見渡した時は、幻想郷大戦勃発も止むを得ないと思ったものだけど、
この忙しさでは、嫌でも仕事に専念しなければいけないんでしょう。
……にしても、どのテーブルを見渡しても男、男、男と、むさ苦しいことこの上ないわね。
でも、彼らが落としてくれる金銭を思うと、神にも等しい存在とも映るから不思議だ。
マーケティングリサーチって重要なのね……。
そして最後……どうして私はこの企画にゴーサインを出したのかしら。
ええと、口にしたくもないのだけど……お座敷エリアです。はい。
何というか、ここはもう、図書館とはまるっきり無関係の空間だ。
本は最初から置かず、替わりに酒類は豊富に用意されている。
対応をするのはメイドでもキャストでもなく仲居及び芸妓。
玉砂利の敷き詰められた庭からは、獅子脅しの音が厳かに鳴り響いている始末。
和風建築も取り入れたほうが間口は更に広がるのでは、という意見が発端だった気がするけど、
いくらなんでも広げすぎた感は否めないわ。
何よりも不思議なのは、この明らかに異質なエリアが、それなりに賑わっているという点だ。
嘘臭いと私自身が思っているくらいだけど、事実として客席は半分ほど埋まっており、
草野球の打ち上げっぽい雰囲気もあり、食通らしきお堅い集団あり、
怪しげな老人同士の密談ありと客層まで妙にリアルなものだから、ますます分からない。
一体咲夜は、どんな宣伝活動をしたのかしら……。
『ささ、まずは一献お受け下さいまし』
『……』
水晶玉に目を凝らすと、丁度、芸妓の一人が手馴れた様子で酌をしているところだった。
するよりもされるほうが慣れている立場だった気もするけど、その辺は弁えているという所だろうか。
客のほうは、酸いも甘いも噛み分けた老紳士といった感じに見えるけど、
どうしてそんな御仁が、こんな早い時分からキワモノの集大成のような場所に飲みにくるのか、全く理解出来ないわ。
蕎麦屋にでも行って、板ワサで一本付けるほうが似合いそうなものなのに。
『……この助平老人』
『ふむ、聞こえなかった事にしておきましょう』
『何よ、私の弱みでも握ったつもり?』
『やれやれ、嫌われたものですな』
……。
私も見なかった事にしておきましょう。
キャストの個人事情に首を突っ込む気は更々無いわ。
でも、減給。
「ふぅ……」
水晶玉から目を放し、背もたれへと大きく背中を預ける。
今のところ、どのエリアも順調過ぎるくらい順調に運営されているように見えた。
発案者である私から見ても、行き当たりばったりこの上ない計画だったのに、こうも上手く進むとは意外だった。
それだけキャストにプロ意識が根付いていたのか、それとも単なる幸運か。
はたまた、火種が奥底で燻っている状態に過ぎないのか。
いずれにせよ、私には判断は出来ないし、したところで意味もない。
こうして考えに浸っている間にも、状況は次々と変動しているのだろうから。
「……行くなら、平穏な今のうちかしらね」
誰にも告げず、心の中に暖めていた案。
ある程度場の雰囲気が形成され、なおかつ新しい要素が加えられても不自然ではない今の時間は、
それを実行するには、まさに絶好の機会と言えるだろう。
私は決意を新たに、静かに席を立った。
「お待ちください、パチュリー様」
管理室から出た矢先、横合いからかけられた声に、私は足を止める。
こういう図ったようなタイミングで現れる輩は、推測するまでもなく一人しかいない。
「貴方の試合なら無いわよ?」
「試合?」
「……おほん、気にしないで、いつものノイズよ」
「存じております」
流石は咲夜ね。
可哀想な子扱いされた気がするけど、何ともないわ。
「話を戻します。もしや、ホールに出られるおつもりですか?」
「ええ、そのつもりだけど」
これは最初から決めていた事だった。
私は、現場の空気を知らぬままふんぞり返っていられるような自信家でもないし、客商売を甘く見てもいない。
とは言え、雇い主が強引に我を押し出すのも、それはそれで問題だろう。
という事で、客足が落ち着いた頃にひっそりとお手伝いするという折半案を採用してみたんだけど……。
「やっぱり私が出ると拙い?」
「いえ、行動そのものは奨励されて然るべきと思いますが、少々服装に問題があるかと」
「服装……」
問題と言われると少し悲しいものがあるけど、否定は出来ない。
ピンクを基調としたネグリジェに、にゃーおの象徴として装着している猫耳というスタイルが、
キャストとして認識されるかどうか、私から見ても疑問だからだ。
……あ、手間を省く為にもう一度説明しておきましょうか。
にゃーおというのは私の役職、標準経営責任者の略称のこと。
テストに出るわよ。
「少し頭の弱い子といった所でしょうか。
私ならば保護か迷子のお知らせを依頼するでしょう」
「うー……」
咲夜は時々、心に傷の残る物言いをする。
痛みを忘れた大人は嫌いよ。
「という訳で、私独自の判断で、にゃーお専用コスチュームを用意しておきました。
二種類ありますので、お好きな方にお召し替え下さいませ」
「あ、ありがとう?」
「疑問符は不要ですわ」
咲夜は一礼すると、足早にホールへと戻っていった。
どうやら、全て予測済みだったらしい。
前もって言えば良いのに、直前まで黙っている辺りが、奥ゆかしくもあるし、嫌味っぽくもある。
……ま、元々そういう娘だし、仕方ないか。
とりあえず、着替えてきましょう。
「騙されたっ……!」
そう気が付いたのは、更衣室で件の衣装に袖を通してからの事だった。
咲夜の言った通り、用意されていた衣装は二つ。
そのうちの一つは、良く言えば無難、悪く言えば没個性といった印象で、
ひっそりと現場を体験するという目的からすると、相応しい衣装であるとは言えるだろう。
が、問題なのは、もう一つの衣装だ。
咲夜はこれが私に似合うと本気で考えていたんだろうか。
いえ、違うわね。
恐らくは、着れるものなら着てみなさいなハハァン。という無言の挑発だろう。
だからこうして逃げ道とも呼べる選択肢も用意していたに違いない。
げに恐ろしきはサドメイド也。
……でも、私には分かっている。
ここで逃げる訳には行かないのだと。
従業員に舐められるようなにゃーおに、今後の円滑な経営が期待されようか?
否、される訳が無い。反語。
似合う似合わないはこの際二の次、私は皆に意気込みを知らしめないといけないの。
踏ん切りなさい、パチュリー……!
カフェエリアのホールへと足を踏み入れた瞬間、周囲の視線が一斉に私へと向くのが感じ取れた。
それ自体は別に驚く事でない。
ここのゲストの大半は、衣装が目当てであることは調査済みであるし、
それならば、新しく姿を見せたキャストを注視するのは至極当然だろう。
……でも、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。
極端なまでに胸を強調したデザインも、膝上20センチを越えるスカートも。
「あ、あのう……?」
そこに、キャストの一人が、恐る恐るといった感じで声を掛けて来た。
特徴の薄いブレザー姿に、特徴が際立ち過ぎた兎耳……確か、コードネーム『ホークアイ』ね。
ラビットやバニーというありきたりな意見が多い中、私の一存で決めた名前だからよく覚えてるわ。
確か彼女の為に床材を一部、鏡面仕上げにしたと聞いているけど、アレはどういう意味だったのかしら。
「……何?」
軽く一瞥した後に、短く返す。
従業員同士の私語が厳禁なのは、客商売において基本。
その辺りを、ホークアイは理解しているのだろうか。
「……あ! い、いえ、何でもありません。失礼しました、にゃーお」
ホークアイは、一瞬驚いたかのような表情を見せると、足早に去っていった。
兎でありながら語尾が猫という天の配剤とも言うべき偶然に、思わず心の中でサムズアップ。
私がこの略称を名乗ったのは、決して間違いではなかった……!
と、それは良しとして、今の反応はどういう事かしら。
もしや私の格好に、何か問題でもあったんだろうか。
良くも悪くも嘘の吐けない性質だと聞いているし、違うとは思いたいけど……。
……いけない、今は思考よりも仕事よ。
オンステージに姿を見せた以上、私は一人のキャストでウェイトレスなのだから。
接客なんてしたことないけど、あの連中に出来て私に出来ない筈がないわ。
多分。
「おーい、猫耳ちゃーん、注文おねがーい」
「は、はーい、ただ今伺います」
……おかしい。
ホールに出てからおよそ一時間。
私は幾度となくこの言葉を反芻していた。
何がおかしいって、これだけ大勢のキャストが控えているのに、何故私ばかりが指名を受けるのか、だ。
手際は無関係だろう。
何しろこれまで、食器をひっくり返すこと三回、注文を聞き返すこと四回、
段差に蹴躓きアックスボンバーをかまして医務室送り一回という、どこの天然さんかという失敗振り。
未だクレームが来ないのが不思議なくらいだ。
ならば考えられるのは……外見的な印象?
でも、それも良く分からない。
普段、容姿の美醜について考えた事なんて無いけれど、自分が地味な部類に入るくらいは分かる。
それなのに何故……。
「裏切り者……」
「え?」
ぼそり、と微かな呟き。
だが、今、確かにはっきりと耳にした。
反射的に振り返った先には、肩をいからせて食器を運ぶ、黒のエプロンドレスが見えた。
コードネーム『イカルガ』……というか、魔理沙だ。
「すいませーん、スプーン落としちゃいましたー」
「あ、はい」
んなもん、自分で拾えっちゅーねん。
とは口に出せないのが客商売の悲しさ。
魔理沙の呟きの意図は気になるけど、今はあくまでも仕事優先よ。
しかし、さっきから妙に拾い物の要請が多いわね。
最近の若者は、テーブルマナーがなってないわ。
「……ふぅ」
従業員専用の休憩所。
私はマグカップを手に、静かに休息の時を満喫していた。
……違った。キャスト用ブレイクエリアだっけ。
でも、いいや。
心の中で置き換えるくらい、パチュリー様だって許してくれる筈。
あ、申し遅れました。私、当館のフロアマネージャーを勤めさせて頂いている小悪魔と申します。
本当はもっと長い本名があるらしいんですけど、誰も認識していないし、私も忘れてしまったので気にしないで下さい。
それにしても、シリーズ五作目にして初めて一人称を引き受けさせてもらいましたが、やっぱり緊張するものですね。
この大役を当たり前のように担当しているパチュリー様を、改めて凄いと……え?
メタな内容は慎め?
読者にも語りかけるな?
ええと、良く分かりませんが、努力します。
時計に視線を送ると、二つの針は午後四時の辺りを示していた。
無我夢中で動いている内に、六時間が経過していたという事になる。
「……本当に、始まっちゃったんだなぁ」
こうなるに至った発端は私自身にあるのに、どうしても他人事のような物言いになってしまう。
状況の変動の速さに、私の心が付いていってない証拠だろう。
事実、未だに夢を見ているような心境というのが本音だったりする。
パチュリー様に仕える事を決めてから百年余り、
良くも悪くも変化の少ない生活を送ってきた私に、ここ数ヶ月における変貌は、余りにも大きすぎた。
もっとも、当のパチュリー様は簡単に馴染んでいるんだけど……。
……多分、環境の変化に対して、恐れよりも興味のほうが勝っていたんだろう。
元々、知的好奇心の塊みたいな人だし、その方向性が魔術から外界の文化へと転換されつつあった事を思えば、
こうなるのはむしろ、パチュリー様にとっては好都合だったのかも知れない。
でも、一つだけ分かった事がある。
それは、私は懐古主義者ではなかったという点だ。
慣れない仕事に戸惑い、度重なる失敗に自己嫌悪し、責任の重さに悩む日々だけど、
辛いかと問われたら、迷わず楽しいと答えるだろうから。
だから私は、今の自分に出来る事を頑張るだけ。
……とりあえずは、エリアマップの暗記かな。
「済みません。合席、良いですか?」
一つの声が、物思いに浸っていた私を、現実へと引き戻す。
軽く周囲を見渡してみると、丁度休憩時間が重なっているのか、他のテーブルはほぼ満席になっていた。
となると四人掛けのテーブルに一人の私は、いかにも目立ったんだろう。
「あ、はい、どうぞ」
一応、一番奥に位置するこの席は、責任者専用という事にはなっていたけど、
そんなの大半のキャストさんは知らないだろうし、大体にして設備の無駄使いだもの。
「ありがとう、失礼しますね」
声の主は、笑顔を見せつつ私の対面のソファーに腰を下ろすと、持ってきていたサンドイッチをぱくつき始めた。
少し遅い昼食、ってところかな。
「さて、マネージャー。凄い数のお客様ですが、これだけの人出は予想していましたか?」
「え? ううん……どうでしょう、予想外と言えば、確かに予想外ですね。
でも、お客様が大勢いらして下さったのは嬉しく思います」
いきなり質問をぶつけられた形となった私は、思いついた言葉をそのまま口にしていた。
確かこの人は……そうそう、コードネーム『ウルフ』さんだ。
どうして現役女子中学生がそんな名前になるのか、気になって聞いてみたんだけど、
パチュリー様は分かる人には分かるから良いの。としか言ってくれなかった。
勿論、私には分からない。
「なるほど。しかし現時点では、蔵書を求めての来客はごく少数と見えます。
ぶっちゃけた話、図書館としての存在感が薄い気がするのですが……」
「は? そ、それは、ええと……」
な、何て答えたら良いんだろう。
私もそう思う。って言うのは、立場上拙いような気がするし……。
「突然取材かましてんじゃないのっ」
「ひうっ」
ばしん、と鋭い音が聞こえたかと思うと、突然ウルフさんが悶え苦しみ始めた。
そして目を白黒させながら、震える手で水の入ったコップを掴んだかと思うと、豪快に中身を流し込んだ。
……ああ、喉に詰まったんだ。
「少しは時と場合っての弁えなさいよ。この子、一応あんたの上司なのよ?」
「うう……けふっ、けふっ……」
ウルフさんを奥へと追いやるように席に着いたのは、紅色が目に眩しい、私の良く知る人物だった。
ええと、コードネーム、コードネーム……。
「シャーマンさん。取材って何の事ですか?」
「……その呼び名、何とかならないの?」
「なりません、規則ですから」
「……あー、はい、分かりましたマネージャー」
少し不服そうな様子が見えたけど、ここは我慢して貰うしかない。
立場上、私が奨励していかないことには始まらないもの。
「失礼しました。私、本業が新聞記者なものですから、つい地が出てしまいまして」
「はあ……」
……どういう意味なんだろう。
本業というなら、女子中学生がそれに当たるんじゃないかと思うんだけど。
あ、新聞委員なのかな。
「ええと、そういうのは営業時間の後でお願いします。
私、一度に沢山の事を考えられるほど器用じゃありませんから」
「分かりました。後ほどまた伺います」
普通、こういう物言いは、出直してくるって意味だと思うんだけど、
ウルフさんに席を立つ気は無いらしく、何事も無かったかのように食事を再開していた。
やはりシャーマンさんの知り合いは、良くも悪くも図太い人が多い。
「ったく、まさかこんな労働をさせられるとは思わなかったわ。
何考えてんのよ、あんたのご主人様は」
「済みません……皆さんには迷惑ばかりお掛けしてます」
と、そこで何故か、ウルフさんが吹き出した。
リアクション、タイミング、彼女からは紛れも無い芸人魂が感じられるわ。
……って、パチュリー様なら言うだろうな。
「って、貴方のほうがずっと失礼じゃないですか!」
「悪かったわね。地を隠すのは苦手なのよ」
「あれ……でも、ホールではちゃんと敬語でしたよね?」
それは間違いないはず。
ぞんざいな接客は、直ぐにクレームとして届けられるだろうし、
現時点でシャーマンさんの名前が挙がった記憶は無いからだ。
「それは……その」
何かを言いよどんだシャーマンさんは、ふっ、と私から目を逸らす。
次に天井を睨み、更に虚空へと視線を泳がせ、最後に手にしていたお茶へ視線を落とし……。
「……うっ、えぐっ……」
「「えー!?」」
泣いた。
「ひっく……分かってた、分かってたのよ。
私が優雅な生活を送れるのは平仮名七文字限定だって……。
でも、こうして現実をまざまざと見せ付けられると……うっく」
「え、えーと……」
シャーマンさんの言ってる事は、まるっきり私の理解の範疇外だった。
縋る気持ちでウルフさんに視線を送ってみたけれど、返ってきたのは何とOhポーズ。
流石にこれには、私も驚きを隠しきれなかった。
もう、パチュリー様の名を借りなくても断言できる。
彼女は間違いなく、リアクション芸人の器だ。
このまま育てば、ゆくゆくは幻想郷一のヨゴレとして名を馳せ……。
……って、そうじゃなくて。
「金の為に己を売るのは憚られるってか? 妙なところで潔癖な奴だな」
「……その言い方、誤解されるから止めて」
言葉の接ぎ穂を探している最中、助け舟は思わぬ方向から現れた。
「ま、気にすんな。労働と引き換えに金銭を得るのは資本主義の真っ当な構図だぜ」
「真っ当な構図ってのが、私にとっては問題なのよ」
「そいつは諦めろ。なら最初から引き受けるな、って言われたくないならな」
「……ぐぅ」
颯爽と登場したイカルガさんは、あっという間に事態を収束すると、
空いていた最後の席……私の隣へと座る。
何と言うか、凄く格好良かった。
「お疲れ様です、イカルガさん」
「……ちょい待て、イカルガってのは私のコードネームとやらか?」
「いい加減覚えてください。従業員規則の第一条ですよ?」
「あー、うん、悪い、認識したくなかったんだ……」
気のせいだろうか、直ぐに格好悪くなってしまったように見える。
私、何も喋らないほうが良いのかな……?
「はい、マネージャー、質問良いですか?」
「はい? え、ええ、取材でないのなら」
「このコードネームとやら、何とかならないんですか?
正直、ウルフと呼ばれるのに慣れてしまうのが怖いんですけど……」
「同感。大体、巫女とシャーマンって同一じゃないわよ」
「イカルガは無いよなぁ……イカルガは……」
「え、ええと、その……」
改めて問い詰められると、返す言葉に困る。
何しろ、パチュリー様がコードネーム制を採用した理由は、私も知らないのだから。
表向きには、本名を出すのが拙いキャストの為。という事になっていたけど、
それならば何も、こんな奇抜な名前じゃなくても良いと思うし……。
「静まりなさい。無礼ですよ」
凛とした声……の割には、妙に低い位置から聞こえて来た。
私を含め、四人の視線が一斉にそちらを向く。
……ええと、誰だっけ、このキャストさん。
「貴方達には雇用主の親心が分からないのですか。
こうして意図的に現実から大きく外れた仮名を名乗らせる事によって、
元来の立場や環境といったものからの脱却を可能としてくれているのですよ」
「「「……」」」
「過去を捨てる、己を偽る、そうした言い回しは確かに好ましい意味合いではありません。
ですが人も妖怪も考え方一つで変わる事が出来るのです。
故に私はこう表現します。新しい自分と出会えたのだ、と」
「「「……」」」
「そうした意味合いも解する事なく、ただ不満を並べ立てるなど愚の骨頂、恥を知りなさい。
今はただ、心を無にして労働に従事すること。それが貴方達に出来る善行よ」
「「「……」」」
一気に語り切ったかと思うと、そのキャストは何事も無かったかのように、元の席へと戻って行った。
その向かい側の席には、顔を伏せつつ肩を震わせている大柄なキャストの姿。
泣いているのではなく、笑いを堪えているのは分かる……あ、殴られた。
確か、この対照的な二人、何処かで見た気がするんだけど……。
あ、そうそう、キンダガートンさんとサンライズさんだ。
「ところで、今のお説教はどういう意味なんでしょうか。よく分からなかったんですが」
「ん、まあ、要するに開き直れって事でしょ」
「しかも、私達にじゃなくて、自分に宛てた言葉だな、ありゃ」
「すまじきは宮仕え、でしょうかね」
……ますます分からなくなった。
「気にしない気にしない。そのうち、頼みもしないのに個人的に尋ねてくるから」
「はぁ」
「でも、深く考えるなという意味では賛成ですね。
どうも私には、にゃおーんさんの考える事は良く分かりません」
「だなぁ。今だって自ら接客業に勤しんでるくらいだし……」
え。
「ぱっ、パチュリー様がホールに出てるんですか!?」
「何だ、お前さんも知らなかったのか」
「は、初耳です」
多分、私と入れ違いの形になったんだろう。
でも、何でそんな事を……。
「あー、やっぱりアレ本人だったのね。」
「私も疑わしいと思ったんだがな……驚く事に、何の魔術の香りもしない。
ありゃ間違いなく本物だ」
「世の中、不公平ですよねぇ……」
「……???」
こういうとき、自分の勘の鈍さを、とことん恨めしく思う。
結局、皆さんの話の意味は、休憩時間が終わるまで理解出来なかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、どうかこの愚かなメイドをヒールで踏みつけて下さいませ……」
「……」
床に頭を擦り付け続ける咲夜に、私はかけるべき言葉を見つけられずにいた。
今から時間を遡ることおよそ十分。
一旦管理室に戻ろうと、バックステージに出たところで、丁度咲夜の姿を見かけた。
で、少し叱ってやろうと呼び止めたところ……何故かこうなったという次第。
あのときの咲夜の表情の動きっぷりは、正に豹変と言うに相応しいものだった。
で、その理由が分からない私は、こうして困っているという訳だ。
「私が馬鹿だったんです。今日が大切な一日であることを知りながら、悪戯心と復讐心を抑える事が出来ず……」
「ちょ、ちょい待ちなさい。悪戯は良いとして、復讐って何よ」
「……その、24点が」
「ま、まだ根に持ってたの」
松山君もびっくりね。
これからは彼女だけ、常に犬度採点にしておきましょう。
毎回百点の超ゆとり教育よ。
「ですが、そんな矮小な企みも、パチュリー様のお力の前にはまるで無意味だったようですね……」
「それが分からないのよ。私、別に何もしてないんだけど?」
「……気付いておられないのですか?
その『何もしていない』というのが私の……いえ、皆の驚嘆を生み出しているのです」
「……」
「仕方ありません、ね。それでは単刀直入に申し上げます。
パチュリー様。着痩せするにも程があるのではないでしょうか」
「き、着痩せ?」
そう言えば、以前小悪魔がそんな事を言っていた気がする。
でも、何だってその程度で驚かれるのかしら。
「一応私も噂程度には聞いてはいました。が、流石にそれはやりすぎです」
「……そんなに変わって見える?」
「変わりすぎでしょう。胸だけならともかくとして、太腿も、腰周りもまるっきり別人としか思えません。
病弱な紫もやしだった筈の人物が、そんな肉感的な美少女になって現れれば、誰だって驚きますわ」
「……」
褒められてるんだろうけど、ちょっと複雑ね。
……って、まさか。
「もしかして、私ばかりが指名された理由って……」
「推測されているとおりかと。その衣装であれば、動けば揺れるし、屈めば見えます。
繰り返し申し上げさせていただきますが、エロスは命より重いのです」
「……!!」
何て……こと。
エロスを否定した筈のこの私が、自らそれを証明する形となるだなんて……。
「ですが、パチュリー様! 私のプライドに賭けて、これだけは言わせて頂きますわ」
残念なことに、ショックに打ちひしがれる余裕を、咲夜は与えてはくれなかった。
……別に残念でも無いわね、これ。
「な、何かしら」
「貴方のそれはもう着痩せとは呼べません。マジックです。いえ、むしろ反則です。レッドカードです。
世が世であれば、軍法会議物です。弁護人の存在しない裁判です。閣下はいたくお怒りである!」
「そ、そうですか……反省します」
「……乱筆乱文失礼致しました。エレガンテェーーーーーーーーーーーー!!」
バラの刺繍入りポケットチーフを撒き散らしつつ、咲夜は消えた。
一切の妥協を許さないマエストロの仕事も、こんな扱いでは報われないわ。
なお、アレを追う気も待つ気も、私には毛頭無い。
どうせ三十分もしたら、平然と仕事に戻ってるのだろうから。
「パチェ……」
「んぐ……ん、レミィ?」
管理室で遅れに遅れ、もはや夕食と区別のつかない昼食を取っていたところ、
紅魔館の主様が、今日始めてとなるご登場を遊ばした。
でも、その登場方法は普段のような派手な物ではなく、扉の影から恐る恐るといった感じだった。
「あー、その、入っても良い?」
「え、ええ」
……妙ね。
わざわざ許可を求めるなんて、レミィらしくないにも程があるわ。
「お邪魔するわ。それでパチェ、店舗のほうは……」
ようやく全身を見せたかと思うと、今度は硬直する始末。
本当にどうしたのかしら。
寝起き……は関係無いわね。むしろそっちなら私のほうが酷いわ。
「私の知ってるパチェは、そんな破廉恥な格好でカレーライスを貪り食うような女じゃなかったッ!」
「わ、びっくり」
元々、感情の起伏の激しさには定評あるレミィだし、突然叫ばれたくらいでは驚かない。
でも、そんな事を言われても困る。
管理室に戻る度に着替えるのは面倒だし、手っ取り早く済ませられる食事はこれしか残っていなかったのだ。
まあ、普段の私のイメージと合わないのは認めるけど。
「ううう……おまけに、そんなぱっつんぱっつんになっちゃって……。
パチェにとっての商売って、人体改造を行うくらい大切な事だったの……?」
「ま、待って、誤解よレミィ。これは私の素の身体、略して素体よ。薬、ダメ、絶対」
「嘘だッ!」
「……」
泣きたいわ、本当にもう。
恥ずかしい思いをしてるのは私なのに、何だって道行く先々で攻められないといけないのよ。
……ま、とりあえずはレナァ……もとい、レミィの誤解を解くべく、対話をしましょうか。
勿論、肉体言語で。
「それで、どうしたのレミィ。様子を見に来ただけ?」
問うてはみたものの、口を開けるようになるまではいくらかの時間が必要に見えた。
というのも、この衣装に着替えてから妙に身体の調子が良いせいで、
フロギスティックアンクルホールドが深く決まりすぎてしまったのだ。
「ん、まあ、それもあるんだけど……」
ようやく口を開いたかと思ったら、またしても歯切れの悪い台詞。
どうにも、らしくないわね。
「不思議なことに、驚くくらい順調よ。売上は好調、大きなトラブルも無し。
危なっかしかったヘルプの連中も、仕事に追われてネタを披露する暇は無し。
強いて言うならば、私が一番のネタに成り下がった事くらいかしら」
「そ、そう……流石はパチェね」
「私は何もしていないわ。皆が目的の為に一つになった結果よ」
その目的というのが金銭なのは明白だけど。
「で、でもね、何か足りないものがあるんじゃない?」
「……今のところ、そういう報告は来ていないけれど」
「そうじゃなくて、ええと……象徴とか、一本筋の通ったものというか、大黒柱というか……」
「……悪いけど、今は建築論議をする余裕は無いの。後にしては貰えないかしら」
「ま、待って! もっと良く考えて! 何か欠けているものがあるでしょう?
ほら、レで始まってアで終わる四文字の美しいアレよ」
「レイピア?」
「あ、うん……筋が通っていて美しいわね……」
実を言えば、レミィの言わんとする事は、とうの昔に分かっている。
伊達に百年来の付き合いをしている訳ではないのよ。
「ええと、もしかして手伝ってくれるのかしら?」
「ち、違うわよ。何でこの私が、わざわざ庶民相手にサービス業を……」
「……そうね、ごめんなさい。私の考えが浅かったわ」
でも、焦らす。
「だ、断定するにはまだ早いわ! パチェの意向次第では、考えを変える可能性は残ってるのよ!」
「無理をしなくても良いわよ。貴方の立場が複雑なものであるのは、私が一番良く知っているわ」
「そ、そう、ね……うん……」
悪趣味と笑いたいなら、存分に笑いなさい。
私はレミィ弄りの権利を、誰にも譲るつもりは無いわ。
……ん、少し嘘ね。
誰とは言わないけど、ただ一人にだけは譲ったというか奪われたわ。
「ごめーん!! レミリア嘘ついたのーーっ!」
ほどなくして、レミィの意地という名の堤防は決壊した。
絶叫と同時に床へとへたり込むと、帽子をきつく握り締めつつ、大粒の涙を流し出す。
「……レミィ」
「うぅっ、嫌なの、仲間はずれは嫌なのよぅ、私もパチェ達と同じ空気を吸いたいの……」
プライドもダイナマイトもない懇願は、激しく心を打った。
私は床へと膝を着けると、未だ泣き止まぬレミィの手をそっと取る。
「レミィ……貴方の思い、確かに受け取ったわ」
「それじゃあ……」
「ええ、面接しましょう」
「え」
ま、段階は踏まないとね。
「えー、特技はレッドマジックとありますが?」
「は、はい、レッドマジックです」
「レッドマジックとは何のことですか?」
「パチェだって知ってるでしょ」
「……」
「……だ、弾幕です」
「え、弾幕?」
「は、はい、弾幕です。ランダム性が強く、安地がありません」
「……で、そのレッドマジックは、当館において働く上で、何のメリットがあるとお考えですか?」
「無いんじゃないかしら」
「そうよね」
「……」
「……」
っと、いけないいけない。
遊んでいるような時間は無かったわね。
「冗談はさておき、どこか配属先に希望はありますか?」
「別にありません。というか知りません」
「……なるほど」
「あ、顔出しはNGでお願いします。流石にそこまでは捨て切れませんので。
ですが地味な裏方はお断りです。どうせなら館のシンボルと映るような雄大な舞台を用意していただければ、と」
「また、随分と難しい注文ですね……それで、どの時間帯なら働けますか?」
「日没より後です。それまでは寝てますので」
「……」
私は匙を投げる決意を固めた。
既にカレーライスは完食したので問題は無い……というか、レミィの姿勢が問題だ。
こんな条件を満たした仕事なんて、何処に存在するんだろう。
それでいて、本人はやる気に満ち溢れてるから始末に終えないわ。
「さあパチェ! もう良いでしょ! 待った無し! 私を働かせなさい!」
「ええと、それは役員と相談してから……」
ああ、レミィの追求が私を追い詰めようとしている。
これも散々遊んでしまった罰かしら……。
「待たせたわね! アリス・マーガトロイド渾身の一品。今ここに完成の日を見たわ!
御代は先払い? いえいえ、その必要はありません。
現物を目にした貴方が対価を支払わずにいられるものですか! さあさ、お立会い!」
行動を共にしていると、性格までも似てくるものなんだろうか。
そう思わせるような口上と共に、唐突にそれは現れた。
もう紅魔館にセキュリティは存在しないと考えて差し支えないわね。
「「……」」
「……な、なにか反応してよ。放置プレイは求めてないわ」
恥じらいが表に出る辺りはまだまだというか、元祖健在というか……。
ともあれ、レミィの矛先が逸れたという意味では感謝しておきましょう。
「それで、突然現れて何の用なの。部外者は立ち入り禁止よ」
「ぶ、部外者は無いでしょう! 私はこの日の為に、寝る間も惜しんで仕上げて来たのよ!?」
「……?」
意味不明。
彼女がヘルプを断った内の一人であることは知っているけど、その理由までは聞いてはいない。
この様子だと、また変な薬でも飲んだのかしら。
「またって何よ! またって!」
「自覚は無いのね」
「そういうキャラだもの」
「……」
アリスは肩を震わせ、泣いた。
己の背丈はありそうな、巨大な箱に縋り付いて……。
……箱?
「あ、アリスさん。完成したんですね」
その箱の向こう側から、何事も無かったかのよう小悪魔が顔を覗かせた。
何だか、急に千客万来ね。
「……ええ。あと少しで自棄になって燃やすところだったけど」
「あはは、そのネタは余り面白くないです」
「……」
悪気の欠片も無いだけに、余計にキツいわ。
「小悪魔。貴方、アリスに何を頼んだの?」
「あれ、言いませんでしたっけ」
「聞いて無いわ」
少なくとも、記憶には無かった。
元々アリスは図書館を訪ねる機会も多かったし、その際に小悪魔が依頼をしていたとしても不思議は無いのだけど、
何だか私が無視されていたみたいで、少し疎外感。
「……」
「……? 何よ、パチェ」
「な、何でもないのよ」
ま、まあ、単に忙しさに紛れて聞き流していたという可能性もあるし、叱責はしないでおきましょう。
……ごめんね、レミィ。
「……おほん。見れば分かるわ。というか、見なさい」
そう言うとアリスは、箱の包装を小器用に解き始めた。
どうせ解くなら、最初から中身だけを持って来れば良かったのでは?
そもそも、その巨大な箱をどうやってここまで運んできたのか?
コードネームはデスマスクとナイトメアのどちらがご希望?
等々、無駄に疑問の種を選り分けている内に、その中身は露となっていた。
「「……」」
「ふふっ、どう? 私の技術力に恐れをなしたかしら?」
断じて違う。
絶句してしまったのは認めるけど、それは驚いたからではなく、不可解に過ぎたからだ。
というのも、件の箱から出てきた物は……ええと、どう評したものかしら。
もさもさっとしてて、ふにゃふにゃしてて、極めて無愛想な物体。という所だろうか。
私の知識の中に、これに対応した固有名詞は存在しない。
ああ、一般名詞ならあるわね。
「ぬいぐるみ?」
「中身は無いわ。着ぐるみよ」
別にどっちでも良い。
「凄い……まるで紅魔の魂が具現化したかのようです!」
「待った待った! 問題発言は慎みなさい司書! こんなの魂と違う!」
でも、何故か小悪魔は満足そう。
美的感覚の違いというものかしら。
「で、この物体が、今日と何の関係があるの?」
「……はぁ。苦労が報われないのは毎度の事だけど、気が抜けるわね。
マスコットキャラが欲しいってことで、この子に頼まれてたのよ」
「……あー、あー、あー」
思わず阿呆のような呻きが漏れてしまった。
そう、確かに小悪魔はそんな提案をしていた。
具体的に言うなら、前編の14kb目辺りで。
「耐熱耐寒は当たり前、紫外線からゲッター線までシャットアウトの防護機構。
鬼が踏んでも型崩れしない耐久性まで持ちながら、伸縮自在で中の人を選ばない優れものよ。
何に使うかは知らないけど、せいぜい活用してやって頂戴」
「そ、そう、ご苦労様」
見た目はともかくとして、アリスが手抜き無しで作成してくれたのは確かなようだ。
とは言え、今更こんなものをどう使えば……。
……うわあ。
「ちょっと小悪魔。貴方、最初からそのつもりで?」
「はい?」
違うわね。
そんな先の事をこの娘が予測出来る筈も無いし、思いつくままに発注してしまったという所でしょう。
でも、結果オーライ。
最近この言葉が好きになってきた気がする。
「おめでとうレミィ、貴方になら出来る。貴方にしか出来ない事が、たった今見つかったわ」
「へ?」
顔出しすることなく、それでいて存在感を誇示することが可能な館のシンボル。
しかも着ぐるみという特性上、陽光の有無に関わらず活動可能。
レミィの難題も、小悪魔の希望も、すべて一度に解決可能という完璧な解答がここにあった。
「い、嫌よ、何だって私が、そんなもさもさでふにゃふにゃで無愛想な物体に……」
「余り貶さないほうが良いわよ。これ、貴方をモチーフにして作ったんだから」
「え、ど、どの辺りが?」
「ほら、羽根」
「他の共通点は!?」
が、どうも肝心のレミィが乗り気では無い。
ここまでお膳立てが整っているというのに、何が不満だと言うんだろう。
「パチュリー様。私もレミリア様以上の適役は存在しないと思います」
「……」
私に話を通すのも忘れるくらい、このマスコットに力を注いでいた小悪魔だ。
披露したい気持ちは良く分かる。
だが、一旦へそを曲げたレミィが、そう簡単に承服もすまい。
やはり、アレしかないわね。
「……コアさん、マガさん。やっておしまいなさい」
私達の眼下には、もさもさでふにゃふにゃで無愛想なマスコットが、ぐったりと横たわっていた。
流石のレミィとは言え、精神的にも肉体的にも弱っていたところを、
三人がかりでは押さえ込まれえては、対抗のしようも無かったようだ。
「このマスコット、名前は何と言うの?」
「レミューンよ」
「……そう」
モチーフどころか、そのまんまね。
「起きなさい、レミューン。もう時間的余裕は皆無に等しいわ」
『……ぱ、パチェ、いくら貴方でも、やって良い事と悪い事が……』
「シャーラップ! レミューンは私を愛称で呼んだりしないのっ!」
『ひうっ』
未だ情緒は不安定……これなら行けそうね。
「復唱なさい。私はレミューン、と」
『わ……私はレミューン……』
「中の人などいない。私はレミューン」
『中の……人などいない……私はレミューン……』
……。
………。
…………。
「……さ、レミューン、出番よ。皆が貴方を待っているわ」
『はーい! レミューン行きまーす!』
レミューンは、優雅なステップを踏みながら、オンステージへと突貫していった。
事前教育の時間が取れなかったのが悔やまれるところだけど、
まあ、マスコットキャラなんて適当に動き回ってるだけで役割の殆どを果たせるのだから、問題は無いでしょう。
「随分あっさりと引き受けてくれましたが……パチュリー様、何かなさったんですか?」
「さて、ね」
レミィは紅魔館の力となるべく協力を申し出て、私はその道を指し示した。
ただ、それだけの事だ。
「隔離、鬱化、そして刷込。正に洗脳のお手本といった手順ね。
七曜の魔女は言葉の魔術師でもあった、ということかしら」
「ぐ、偶然よ。偶然」
流石に同好の主の勘は鋭かった。
「ふぅ……」
アリスを見送った私は、抑えきれないため息と共に、再びホールへと向かうべく歩みを進める。
日は存分に暮れ、開店から経過することすでに十時間近く。
流石にこの時間にもなると、疲労が心身のあちこちに現れてくる。
何だって私はこんな事をしているんだろう、という禁断の問いが鎌首をもたげる程に。
だが、考えてはいけない。
親友を惑わし、多くの知人を巻き込み、それにも増して大勢の人妖を引き摺り込んだ私には、
もはや退路は愚か、脇道すら存在しないのだ。
道が歪ませたのは、咲夜と小悪魔な気もするけど……。
「にゃーお、にゃーお、にゃーおっ」
そこに、見慣れないキャストが、闇雲に猫真似を繰り返しつつ走り寄って来た。
どうやら妖精の類のようだけど、頭が春なのにも程があるわね。
……。
あ、私の事か。
「どうしたの?」
「そ、それが、危険がピンチ、頭が頭痛で、感じている感情が……」
「落ち着きなさい。余計に時間を浪費するだけよ」
「し、失礼しました。実は先ほど、紅魔館ミステリーツアーの順路にミスが発覚しまして」
「……何だ、そんなことなの」
この忙しい時分に、そんな事で呼び止めないで欲しいものね。
よほど平穏な日常を過ごしていたキャストなのかしら。
「そっちで処理なさい。一々私に決済を求める必要は無いわ」
「ですが、そのミスというのが、地下室へ向かうルートらしく……」
「お馬鹿っ!!」
この時間になって、なんたる失態、なんたるお約束。
レミィですらあれだけ情緒不安定だったのだから、それに輪を掛けて無視されていた妹様の心境は……。
……別に変わらないか。いつだっておかしいし。
で、でも、駄目。
もしも妹様の好奇心を刺激してしまったら、今日の記事は文化面から社会面に掲載変更よ。
アレは紛れも無く天災だもの。
誤字じゃないわよ。
「それで、まだゲストが到着してはいないのね?」
「はい。時間の問題ではありますが」
「……止むを得ないわね、私が行ってくるわ。
戻るまでは貴方が管理者を務めなさい」
「え」
「え、じゃない。トラブル対応は初動の早さが全てを決めるのよ」
「で、でも私、コードネームどころか本名すらない、正真正銘のチョイ役ですよ?」
「そんなの小悪魔だって付いてないわよ!」
ああもう。問答している暇は無いというのに。
「なら命名『ダイリホサココロエ』。これで今日から貴方は名有りよ。おめでとう」
「それ課長……」
良い働きを見せたら、町内会長に格上げしてあげるわ。
『マネージャ-、マネージャー、応答願います』
突如飛び込んでくる音声にも、流石にもう慣れた。
あれ。でもこれ、パチュリー様じゃない……?
「はい、どうしました?」
『ええと、にゃーおが止むに止まれぬ事情で席を外しておりまして、
しばし代役を任されてしまった大……ダイリホサココロエと申します。どうぞよろしく』
「はあ、とてもエキセントリックなお名前ですね」
『今更ながら、ここにきてしまった事を後悔しています』
あ、コードネームなんだ。
「大丈夫、名前なんて飾りです。
偉い人はそれを良く分かっているからこそ、適当に付けたがるんです」
『……そう、ですね。マネージャーが言われると説得力を感じます』
「良かった。感じてくれたんですね」
『そ、その言い回しは誤解を招きますから……』
「?」
『ええと、本題に入って良いですか?』
「あ、はい、何でしょう、フクダイコウタイグウさん」
『文字数すら合ってませんけど、突っ込みません。
それでですね、ライブラリーエリアの方で、ちょっと妙な現象が』
ライブラリー……閲覧専用のエリアだ。
良くも悪くも変わってない場所だし、突飛なトラブルとは無縁の筈だけど……。
「どんな現象ですか?」
『統計上の入場者は増加傾向なんですが、何故かモニター上は閑散としたままなんです」
「……?」
『それで、気になって様子を見てみたんですが……どうもD-42書庫にゲストが集まってるようでして』
「え」
D-42って……まさか!?
「き、禁書エリア……」
『禁書?』
「は、はい。一般の人の目に触れてはいけない、危険な本の納められたエリアです」
『規制が入る前の本ですか?』
「いえ、むしろ奇声が入っている本です」
『何れにせよ、寄生される危険があるという事ですね』
「はい。既製のものとは訳が違います」
高次の魔導書ともなれば、己の意思を持っていることもあるし、
扱い次第ではそれこそ生命の危険すら起こり得る……だからこそ禁書と呼ばれているんだ
どう考えても、歓迎するような事態じゃない。
『そんなに危険な場所が、どうして閲覧区域に入っていたんですか?』
「入ってません。それどころか、決して立ち入れぬように結界も張っていた筈です」
『……という事は、勝手に破っちゃったんでしょうか』
「間違いないかと」
人妖関わらず、知識欲というものには際限が無い。
そして、普段はおとなしく見える知識層ほど、かえって極端な行動を起こすもの。
その最も典型的な例を、一番間近で見ていた私だから言える。
「分かりました。私が見てきますので、ダイリダイコウさんは引き続きお役目をお願いします」
『混ざってます。……じゃなくて、お一人で大丈夫なんですか?』
「大丈夫、私も司書です」
『も、じゃなくて、は、だと思います』
「モハ? 鉄ちゃんですか?」
『誰がピッチャーデニーやねん!』
「……」
『……』
「……」
『……気をつけて下さいね』
「は、はい」
何故だろう。
この人とは、無二の親友になれそうな予感がした。
「……よし、行こう」
軽く拳を握り締めつつ、私は歩調を速める。
正直なところ不安だけど、だからといって人任せにする事は出来ない。
図書館の治安維持は、今も昔も私の役目なのだから。
『あ、マネージャー、追加事項です』
「はい?」
『E-69書庫も同様の状況のようですが、こっちはどうしましょう』
「……」
いー、ろくじゅうきゅう……。
「うう……応援、送ってください。出来るだけふてぶてしい方を……」
『……ふてぶてしい?』
ごめんなさい、ただの強がりでした。
あそこだけは無理なんです……。
ゲストを引き返させるのは、かえって不審を抱かせる。
そうした結論から私は、秘密裏かつ早急に妹様と話を付けるという選択肢を選んだ。
その結果が、これ。
「で、出番……これだけ……?」
不可解な断末魔と共に、妹様は崩れ落ちた。
要するに、またしても拳で語り合ってしまったという訳だ。
知識と日陰の少女……そう呼ばれていた時代が懐かしいわ。
「許してね、妹様。これも皆の……いえ、紅魔館の為なのよ」
ぐったりとしてしまった妹様を、べッドへと寝かせておく。
普段のような弾幕戦だと思ってしまったのが、彼女の運の尽き。
蒼龍撃がカウンターで決まった以上、営業時間中に目を覚ますことは無いでしょう。
……でも、これも所詮は苦肉の策でしか無いわね。
明日からは、どうしようかしら。
『にゃーおーーーっ!』
「って、今度はなにっ!」
この声は、ダイリホサココロエ。
パチェ覚えた!
『あまり覚えて欲しくは無いんですが……ま、良いです。飾りですし』
「ほほう、貴方も私の心が読めるのね」
『余裕のようですし、前置き無しで報告しますね。
先程、フリーエリアにてレミューンが暴走しました。
現在はゲストの子供を人質に取って、クロックタワーで篭城中との事です』
「ちっ、洗脳……じゃなくて暗示が切れたのね」
まったく、姉妹揃ってろくな事をしないわね。
しかも、そんなに堂々と暴れられたんじゃ、話を付ける事も出来ないわ。
何か隠蔽策は……。
『どうしましょうか? 緊急停止機能でもあれば話は楽なんですが』
「製作者に聞くのを忘れていたわ……というか貴方、随分と落ち着いてるのね」
『ここの雰囲気に慣れました』
陰謀にも慣れてる気がするわ。
ただのチョイ役かと思いきや、とんだ掘り出し物ね。
……こうなると、乗っ取りも視野に入れる必要があるけど。
「そうね……パピヨンとシャーマン、それとマッドを現場に向かわせなさい。
あ、ワールドにだけは絶対に伝えては駄目よ。台無しになるわ」
『……なるほど、サプライズ的なアトラクションに仕立てるんですね』
「中々良い勘をしてるわね。……連絡を急ぎなさい。直ぐに私も向かうわ」
『了解で……え』
「どうしたの? そんな記念日は無いわよ?」
『拙いですね、お座敷のほうも少し荒れているようです』
スカされたけど、泣かない。
「荒れている、じゃ分からないわ。報告は正確に行いなさい」
『失礼しました。どうも、当館の方向性を勘違いしたゲストがおられるようです』
「……どういう風に?」
『身請けにはいくら必要だ、と』
教訓。
間口を広げるのも、ほどほどに。
「あー、バンブーに対応させなさい。アレなら多分、穏便にシめてくれるわ」
『穏便とシめるが結び付き辛いですが……了解しました』
認めるというのは論外としても、辛辣に過ぎる対応は悪評を生み出しかねない。
客商売とは、とかく難しいものね。
……いけない、現在進行形だったわ。
「もうっ、次から次へとっ!」
「……」
「……」
『……』
現時刻は、午後九時半。
もう間もなく、長い長い一日は終わる。
そして同様に私達の気力も、色々な意味で終わりかけていた。
「……まあ、無事平穏に行くだなんて思ってはいなかったけど……」
「……サービス業って、本当に大変なんですね……」
『……』
小悪魔の言葉は、この場の全員が実感している事だろう。
昼ごろには活気に溢れていたこのブレイクエリアも、今は物言わぬ屍の山。
退職希望者が列を成さない事を祈るばかりね。
「……もっとも、未然に防げたであろうトラブルも多かったわ」
「そう、ですね」
『……』
一人、会話に乗ろうとしない無愛想な物体に、肘鉄を一発打ち込んでおく。
えいっ。
『みゅっ!』
「いくつかは貴方が発端なのよ。少しは反省して」
『……レミューン、悪くないもん。奔放に生きるキャラなんだもん』
「「……」」
どうやら、身も心もレミューンになりつつあるようね。
良い傾向……と言って良いものかしら。
「私の望んでたマスコットは、こんなんじゃなかったのに……」
「諦めなさい。今の幻想郷に求められていたのは、愛と希望ではなく、血と欲望だったのよ」
「ひうっ……」
『みゅーん』
パピヨンらのアドリブの利いた活躍によって、レミューンというキャラの位置付けは強引に確立された。
日没を迎えた頃になると登場する、可愛らしくも血に飢えた獣。
気紛れに遊びまわり、気紛れにゲストを襲う、陽気で多感でボディブローが得意技のナイトストーカー。
さあ皆もキャストのお姉さんと一緒に、レミューンを調伏しよう!
……と、そんな感じに。
「一応、今後の腹案はあるわ。レミューンはまだ未完成だとも言えるわね」
「え、そうなんですか?」
『ミカンせいじーん』
「そう、この歪んだ精神とフォルムは、どこかあのシュールさを彷彿と……ちゃうがな」
「ダメダメね。そんなノリツッコミじゃ世界は程遠いわよ」
「……え?」
小悪魔の声じゃない。
ましてや、レミューンでもない。
この四人掛けのテーブルで唯一空席だった筈の、私の対角線の位置からの声。
「ごきげんよう。お邪魔しているわ」
「ああ……そういえば、貴方も居なかったわね」
ごく自然にティーカップを傾けていたのは、スキマ妖怪、八雲紫。
アリス同様、私の知り合いでヘルプ依頼を受けなかった数少ない妖怪だ。
「受けなかったんじゃなくて、声が掛からなかったんだけど」
「仕方ないでしょう。貴方が何処に居を構えているのか、誰も知らなかったんだもの」
「ああ、そういえばそうだったかしら。……はい、これ、私の住所」
「……何でエスペラント語なの?」
「あら、読めるのね」
「今でも一応、知識人のつもりよ」
……さて、何の用なのかしら。
いくら気紛れが服を着たような存在とは言え、住所を伝えに来ただけとは考え難いし。
「随分と繁盛しているようね」
「そう、ね。嬉しい誤算という奴かしら」
「そんな所に、こういう提案をするのは気が引けるんだけど……この商売から手を引くつもりはない?」
「は? 何を寝言を……」
それ以上、言葉を繋げる事は出来なかった。
私とて百年を生きた魔女。
その目を見れば、八雲が本気で言っている事くらい分かる。
「はっきり言うわ。貴方はやり過ぎたのよ」
「……」
「当初は放っておくつもりだったけど……ここまで事態が動くとは、私の想像外だったわ。
今日一日だけで、幻想郷と外界の境界は極めて曖昧になってしまったわ」
「……比喩、じゃないわね」
「ええ。何を始めようが貴方達の勝手だけど、
幻想郷の危機となれば、見逃す訳には行かないわ」
「そういうのは、巫女の仕事じゃなかったの?」
「例外を除いては、ね」
すると、これが例外という訳か。
彼女の根本にあるものが、使命感なのか愛郷心なのか気紛れの範疇なのか、それは私にとってもどうでも良い事。
……が、論理的な矛盾は気になる。
「おかしな話ね。
元々、外界において希薄となった存在が、この幻想郷へと生まれ出ずるのではなかったかしら。
ならば、こうして現実に成立してしまった時点で、外界との関係は切り離されているんじゃないの?」
「……へぇ、そこまで知っているのね。でも、残念ながらはずれ。
外界と幻想郷は、鏡合わせのような関係とは言え、完全なる相互関係とは成り得ないわ。
それぞれのキャパシティに差がありすぎるのよ」
「……」
「故に、原則を無視して膨れ上がった文化の形は、幻想郷の器には収まり切らない。
となれば、飽和を起こして大爆発? いえ、外界という名の、より大きな器の中身となるだけよ」
「それで、境界が曖昧という表現なのね」
有体に言ってしまえば、幻想郷の存在意義が薄れている、という意味だろう。
外界の文化を参考にして計画したのだから、当然と言えば当然のこと。
しかし……。
「ええと、要するに、大人しく外界のおこぼれを待っていろ。という意味ですか?」
「こ、小悪魔、貴方……?」
「済みませんパチュリー様。少し私にも話をさせてください」
怖いもの知らず……とは違うかしら。
小悪魔は、天然であっても、馬鹿ではない。
……信じましょう、か。
「また、随分と皮肉の利いた台詞ね」
「皮肉ですか。そんなつもりは無いんですが……」
「ま、否定はしないわ。それが幻想郷という世界の形だもの」
「でも、現実にここには、大勢のお客様がいらしてくださいました。
即ち、幻想郷の住人達も、新しい文化を求めていたという事になりますよね」
「……」
「それを快く思わないと、貴方は仰られるんですか」
「……そうなるわね」
「そう、ですか。私には理解できません。
変化を望まない世界なんて、死んでいるのと同然です。
貴方は、自分の子供を殺したいんですか?」
その瞬間、ポーカーフェースを保っていた筈の八雲の表情が、明らかに変わった。
怒ったのか、驚いたのか、それとも……。
「……参ったわね。そんな表現をされるとは思わなかったわ」
「す、済みません。他に適当な言葉が浮かばなかったんです」
「……」
八雲は視線を外へと向けると、しばし押し黙る。
同様に、小悪魔も口を噤む……単に言う事が無くなっただけかも知れない。
自然、テーブルは静寂に包まれる形となった。
「というか、ですね。今更そんなこと言われても困るんです」
「「「!?」」」
私や小悪魔だけでなく、八雲までも驚いていた。
それくらい、唐突な登場だったのだ。
「ダイリホサココロエ……」
「ごめんなさい、つい覗き見してしまいました。
ええと、それで……どなたでしたっけ」
「八雲紫、よ」
「では紫さん。私が今日、ここにいる理由はご存知ですか?」
「……知らないわ」
「働いて、そしてお給料を貰うためです」
「……」
ある意味、今のこの瞬間に幻想郷は終わったのかもしれないわ。
はっきり言っちゃ駄目だってば。
「私だけじゃなく、他にも多くの人妖が、ここに雇用の機会を得てるんです。
それを独断と偏見で無かったことにされたんじゃ困ります。
貴方がこの後、全員の就職先を見つけてくれる訳じゃないですよね?」
「……ま、まあ、それは、その……」
「それだけは言っておきたかったんです。……では、失礼します」
そして再び、姿が掻き消える。
咲夜のような裏技ではなく、八雲のような力技でもなく、本当に忽然と。
……本当に、何者?
「短い距離なら瞬間移動が出来るそうですよ。
それくらいしか特技が無いって謙遜してましたけど」
「って、何で貴方が知ってるのよ……」
『あんたの負けよスキマ。負け犬は負け犬らしく、すごすごと逃げ帰りなさい』
中の人、起床。
……いえ、覚醒? 反転?
いいか、どっちでも。
どうせもっと早い段階から目覚めてたんでしょうし。
「あら、何処の可愛らしい……らしくない……いえ、らしい……ううん……」
『……へ、下手な気を使わないで』
「シュールレアリズムの象徴かと思ったら、貴方だったのね」
『……ま、良いわ。で、どうなの? まだ続ける?』
「そうね……悪魔に道理を問われ、妖精に現実を問われたんじゃ、どうにも勝ち目は無いわ。
これも一つの結末という事で納得しておきましょう」
『あら、意外にあっさり引き下がるのね』
「しつこい女は嫌われるもの。誰かさんじゃあるまいに」
『……』
そしてレミィは再び、レミューンと一体化した。
やはり、口じゃ勝てなかったわね。
何の為に起きたのかしら。
「もしかして、最初からそのつもりだったの?」
「馬鹿を言わないで。何だって負けを認める為に、こんな所まで足運ばなければいけないのよ」
「ふぅん……」
どうかしら、ね。
論破は容易だったでしょうし、そも八雲にはその必要すら無いのだから。
……ま、力技で来たなら、そのときはこちらにも考えがあったけど、ね。
貴方の選択、幻想郷を守るためには賢明だったわよ。
「うーん……このまま帰るのは癪に障るわね。
ここは勝者の余裕ということで一つ、私のお願いも聞くべきだと思うわ」
「内容によるわね」
さて、もうここからは予定調和。
私も八雲も、台本の筋に乗るだけ。
「どこか、私向けの職場は無いかしら?」
「……そうね、なら面接してあげましょう」
ちなみにこの台本、読むにはそれなりの技術が必要なのよ。
「……で、これが完成形なのね……」
「な、何が不満なのよ! 私はただ注文通りに……」
「別に不満は無いわ。ただ、この上ない虚しさを覚えただけよ」
アリスの恨めしげな視線を受け流し、私は眼前に置かれたそれを改めて見渡す。
ふさふさで、つんつんで、ふにょふにょで、笑顔なのに何故か怖い物体。という所だろうか。
……やはり小悪魔の感覚は良く分からない。
「大体ねぇ、文句があるなら最初から貴方がデザインすれば良いじゃないの」
「……む。それを言われると辛いところね」
あのレミューンが人気者になっている事を思うと、単に私の感覚が世間からズレているだけかもしれない。
……余り、認めたくは無いけど。
図書館の新装オープンから数えて、今日で丁度、三十日目になる。
その間、幾多ものトラブルが発生し、それに伴い館内も大小さまざまな改良が加えられた。
私の後悔の種であったお座敷エリアは、迷走を繰り返した末に、結局は豪奢な居酒屋として定着し、
今では最大の収入源となっていたりするから不思議なものだ。
無論、変わったのは建物だけではない。
初日にいたキャストも既に半分は辞めて行き、入れ替わりで同数以上の新規キャストが参入していた。
もっとも出戻りや短期限定といった面々も多いため、良くも悪くも固定化とは程遠いのが特徴だろう。
なお、あのダイリホサココロエは、ホサカン、ヤマシタといったコードネームを経て、
現在はユウバリという名であり、町内会長どころか正式な管理室長にまで昇格していた。
身内企業に等しい当館においては、外様勢最大の出世頭と言えよう。
……まあ、小悪魔と妙に仲が良い時点で、私的には外様とも言い難いんだけど。
さて、問題なのは入場者数の推移だ。
統計を見ると、始めの数日は増え続け、それから暫くは横ばい、そして現在が微減傾向といったところになる。
競合と呼べるような存在が無い以上、この傾向は好ましいものとは言い難いだろう。
故に、起爆剤として期待していたものの一つ……それがこれだった。
「……で、名前は何だったかしら」
「フランランよ」
「だから捻りなさいよ! 少しは!」
「倒置法で怒られても困るわよ。文句はあの子に言って」
まあ、決まってしまったものは仕方がないわ。
これこそが、当館二人目のマスコットキャラ、フランラン。
中の人は、言うまでもなく妹様だ。
ちなみに妹様は、レミィとは異なり、この申し出を快く了承してくれた。
私達と働きたかったというよりは、公認で『遊べる』のが嬉しかったらしい。
……本当に大丈夫かしら。
アリスの技術力を信じない訳ではないけど、何しろ妹様だし。
ま、いざという時はレミューンの中の人に頑張って貰いましょうか。
「ぱっ、パチュリー様っ!」
何時もの落ち着きの無い声と共に、息せき切って飛び込んでくる小悪魔。
かと思うと、フランランの足に蹴躓いては、派手に前転して私の前へと転がった。
……ちっ、見えぬ。
「どうしたの。リアクション芸人へ転身する決意でも固めたの?」
「ち、違います。そんなんじゃないんです。大事が危険でピンチがブルマで……」
「落ち着きなさい。そのネタは分かり辛すぎるわ」
「と、とにかくこれを見て下さい」
小悪魔が手渡してきたものは、号外。と書かれた一枚の紙。
どうやらウルフはまだ副業を止めていないようね。
ヘルプが大勢抜けて、ただでさえ人手不足だと言うのに……。
「こっちが副業だと思うんですが……」
「黙りなさい。雇用主は神なのよ」
ともあれ、小悪魔が動揺している原因は、この内容にあるのだろう。
まあ、今の私は多少の事では驚きはしないけど……。
『新大型娯楽施設、近日オープン!?』
紅魔館が幻想コウマーランドとして開放され、連日大勢の客で賑わっているのは記憶に新しいところだが、
この流れに乗らんとしたか、新たな大型娯楽施設の建設が進められている事が、調査により分かった。
その施設とは、エターナルスタジオファンタズム。通称ESP。
ESPは月文化と地上文化の融合がテーマであり、未知の技術がもたらす魅力と、古き良き日本の空気を併せ持ち、
老若男女人妖強弱問わずに誰もが楽しめるテーマパークとされている。
私達には月都万象展にて蓄積されたノウハウもある。
旧態依然としたコウマーランドとは比較するまでもない。と、蓬莱山代表は自信を見せている。
「……」
「……」
「ど、どうしましょう……」
「……コウマーアクア計画、前倒しになるわね」
「え」
私はパチュリー・ノーレッジ。
今の二つ名は、開かれた大図書館だ。
コードネームのせいで誰が誰だか、わかり辛かったかな。
そこが残念。
……まぁ、いっか。楽しく読めたから。
ま、それは兎も角どこからつっこんだら良いものやら……
だが見事にしめているのがお見事
あと誰バンブーw
あとあと大ちゃんすげぇやww
ひとまず、「レミューン≒スプー」だと想像していましたが/・
そのネーミングにセンスと情熱を感じる
シャーマン:霊夢
イカルガ:魔理沙
ウルフ:文
ホークアイ:うどんげ
ダイリホサココロエ:大妖精
バンブー:てるよ
パピヨン:ゆゆ様
キンダガートン:??
サンライズ:??
ホークアイとウルフの元ネタがわかりませぬ........
あと閻魔様は園児服をお召しになっているのかーと邪推してみる
キンダガートンは多分閻魔様ですな。そういう映画があった気がします。
キンダガートンさんは現実を見ましょう。
ネズミーシーか。次はネズミーシーなのか。
ワールドはたぶん咲夜だろうし、後は既出のとおりでしょうか。
しかし、ここを見なけりゃダイリホサココロエが誰だか判らなかった。エクストラステージとはいえ、いま紅魔郷を遊んでいると言うのに。
あ、あと平仮名七文字限定ってなんだろう?
しかしダイリホサココロエ…懐かしいな。また読みたくなっちゃった!
そして着やせはいいものだ…
>道が歪ませた
を では?
あとサンライズは小町だろうけど、由来は列車名?
大変小気味よいお話でした。
まるでひとつのアニメ作品の様に楽しめました。
もう出ている感想ですが、それでも言わせて下さい……。
着痩せばんざぁぁぁぁぁい!!!!