※求聞史記ネタバレありです。が、読んでなくてもそれほど支障は無いかな?
―――60年に1度の〈再生の年〉。
その春、幻想郷はあらゆるものが咲き乱れていた。
季節通りの花も、季節外れの華も、そしていつも通りの弾幕(はな)も。
それらの全てが力強い、けれど儚い命の息吹に満ち溢れていた。
しかし、いつも通りに散り行くのは最も力に満ちた弾幕の花弁のみで。
―――未だ、儚き花々は咲き続けている。
◇
「……ん~。」
ぐぅっ、と伸びをする。春の陽気が目覚めたばかりの体には心地よい。
日増しに人間以外の訪問者ばかりが増えている博麗神社の鳥居の上で、器用に寝転んでいる小さな影。
頭に可愛らしい角を生やし、あどけない顔立ちをした彼女もまた、飛び切りの人外であった。
「よ、っと。」
ぴょこんと起き上がり、改めて体を伸ばす。その動きに合わせ、身に付けた鎖がじゃらりと音を立てた。
「ん~……まだまだ詰まってるねぇ。ま、これだけの数じゃどうしようもないか。」
額に右手を当て、辺りを見渡しながら、笑みを浮かべる。
彼女の視界の大半を占めるのは、無論、無差別に咲き乱れる四季折々の花々。――いや、本当に視ているのは、その事実の根幹であった。
「世界は死に満ちている、なーんて言うと幽々子に怒られるかな? どうせ来ないだろうけど。」
今回はただのお祭りだしねぇ。そう呟き、腰の瓢箪に口を付ける。
彼女――伊吹 萃香は、既に異変の真相を知っていた。
「紫ってば、またそこら中うろついてるね。早く誰かに教えてやれば、馬鹿騒ぎもちょっとは収まるだろうに。……私も人の事は言えないけど。」
幻想郷に長く住まう古参の妖怪達は、(ごく一部を除き)この異常事態を静観する構えを見せていた。久々に帰ってきた萃香が同じようにのんびり構えていられるのも、最古参のスキマ妖怪・八雲 紫を友人に持つが故であった。
「そろそろ言っちゃおうかなぁ。ここの所、霊夢も原因探しに忙しくて相手してくんないし……いつも邪険だけど。」
しかし、元来お祭り騒ぎが好きな鬼にとって、目の前の状況を傍観しているだけなど、性分が許さない。萃香も例に漏れず、我慢の限界に達していた。
「やっぱり、祭りは参加してこそ意義がある、ってね。よーし、適当にふらついてみるかぁ。」
そう言った直後――小さな鬼の姿はその場から掻き消えていた。
◇
「~♪」
花が一杯。どこを見渡しても花びらの散らない場所なんてない。
桜も、向日葵も、桔梗も、寒椿も、みんなみんな自分の存在をここぞとばかりに主張して、ただひたすらに咲き誇る。
季節感も何もあったものではないけれど、それがまた風流でもある。この混沌に満ちたうやむやな光景こそ、明確こそを旨とする外界から隔絶した幻想の地に相応しい。
「~~♪」
けれど、私にとって一番大事なのは、そんな事じゃない。
白一色に染められた世界が、鮮やかで色とりどりの楽園に生まれ変わる、この季節。
その時が訪れた事を高らかに告げ、伝え、広めるのが、私の役目であり、喜びなのだ。
――そうです。長く厳しい冬が終わって、ようやく――
「春が来ま「うっとうしいっ!!」
ゴスッ!!!
「したよ~……。」ヒュルル~。
見覚えのある紅白に伝える前に陰陽玉に潰され、錐揉み落下していく春の妖精――リリーホワイト。
彼女もまた、花に浮かれる者の一人であるのだった。
◇
「……およ。」
言葉通りに適当にふらついてみたが、どうも自分が参加するには人妖の動きがバラバラで、いまいち芳しい成果が得られない。1対1の邪魔をするのも気が引けるし、何よりルール(以上にポリシー)に反する。
途中で昼寝をしていたせいもあり、日は既に傾きかけていた。
どーしたもんかなぁ、と空中浮遊を続けていたところ、風に乗ってきたラベンダーの香りに誘われ、現在、その芳香の源である紫の絨毯に身を投げ出していた。
――で、ふと空を見上げてみれば、くるくると舞い落ちてくる白い姿が目に留まった。
よく見てみれば、その上空には見慣れた紅白の衣装。ため息を吐いた巫女はこちらに顔を向ける事なく、ふよふよと飛び去っていった。
「大変そうだねぇ……私が力を使えば一瞬で済む事だけど、別にそこまでする必要も意味も義理も無い。ま、もう少しだけ頑張ってね~。」
ひらひらと小さく手を振り、見えていないであろう見送りを済ませた後、
「さて、暇潰しになればいいけどね。」
白い妖精の落下地点に向けて、とことこと歩き出した。
◇
「う~ん……。」
意識が覚めていく。玉をぶつけられた頭はまだ少し痛むが、春の陽気がすぐに傷を癒してくれるだろう。自然に近い存在である妖精の特権である。
仰向けのまま周りを見渡してみれば、一面に咲く紫の花々が風にそよいでいる。
夕焼け色に淡く染まる光景は、少し気の早い初夏の風景そのものであった。
吹く風だけは季節通り少し肌寒く、その冷たさが興奮気味の頭の熱を冷ましてくれた。
「……今年は、何だか賑やかですね。」
ぽつりと、自問するように呟く。
落ち着いて考えてみると、今年も去年に負けず劣らずの異常な状況なのだ。
あらゆる花が咲いている事はもちろんだが、皆その事実に浮かれすぎであるように感じる。……自分も含めて。
「でも、ただ陽気になってるというのとは……違う気がします。」
攻撃的ともとれるが、それはコミュニケーションの手段が手段故の事。頻度を除けばいつも通りなのだ。
そう、花に次いで異常なのは弾幕ごっこの頻度だ。疲れ知らずというか見境無しというか――おかげで春を知らせる相手探しには困らないのだけれど。
「持て余してるんだよ、生命力をね。」
「……?」
不意に頭上から聞こえた声に、首をそちらに向けると、
「よっす。」
この幻想の地に於いても珍しい容姿の少女が、瓢箪片手に胡座をかいて座っていた。
◇
リリーホワイトの事は無論知っている。春を思うままに告げまわる妖精である事も、春一番が彼女の弾幕(メッセージ)の余波である事も。
そして――彼女という存在が一部の人間にとって、あまり好ましく思われていない事も。
「ん~……っと。」
そんな彼女が仰向けのまま、ばさり、と背中の翼をはためかせた。その反動を利用し、器用に起き上がる。
すとっと着地した時には、完全に正対する形になっていた。
「どうも~。花見酒ですか~?」
にぱっ、と満面の笑みを浮かべて訊いてくる。この笑顔だけを切り取れば、どこから見ても無害な存在にしか映るまい。
「まあね。それもあるけど、一番は月見酒の場所取りよ。」
「なるほど~、ここは確かに良い所ですよね~。」
うんうんと頷く純白の妖精。今まで彼女の行動も観察してきたが、そこから想像していたよりは、どうやら頭は鈍くないらしい。風流が解る者は強いか賢いか、又は両方であるというのが幻想郷の一つの基準だ。
ちなみに何で一妖精に過ぎない彼女を観察対象にしていたかというと、
「ええと……萃香さんでしたよね~。」
「うん。伊吹 萃香。れっきとした鬼よ。」
「見れば解りますよ~。」
実は、彼女とは初対面ではない。去年の皐月の終わり、幻想郷に戻ってきて間も無い私が融ける事のない雪景色に退屈しかけていたその時、『春』を探し求めていた彼女と一度出会っている。
「『春』の在処を教えてもらって以来ですね~。あの時は助かりました。」
「あんな不自然に萃められてたら、嫌でも気付くよ。私なら、だけど。」
珍しく、自慢げに言ってみる。鬼としては自身の力を誇らしげに語るのはごく自然だが、異端児である自分には誇張も嘘も大差ないように思えて、普段こういう言い方はしない。
そんな胸の内はともかく、純粋無垢の塊にはただただ頼もしく聞こえたようで、
「凄いですね~。さすが鬼さんです~。」
ぱちぱち、と満面の笑みで拍手してくれた。
手放しで褒められる事に慣れていない萃香も、その邪気のない笑顔を見ると素直に嬉しくなった。
「えへへ~、ありがと。」
……やっぱり、照れ臭くはあったが。
◇
リリーホワイトは上機嫌だった。
旧い存在である鬼や天狗といった種族は、風流を何より好む。
今の妖怪や人間が全く『わびさび』というものに感銘を受けない訳ではない。しかし、素直にそういう気持ちを抱く者が徐々に少なくなりつつあるのも事実だ。……一部の者達を除いて。
春の訪れを告げる白い妖精は、四季の移り変わりの美しさと素晴らしさ、特にやはり冬が終わって春がやって来る、それが何物にも代え難い尊さを秘めている事を誰よりも知っている、風流の申し子でもあった。
だから、鬼である萃香との再会は、彼女の心を昂らせるのに充分過ぎるイベントであった。
もっとも、上機嫌の理由はもう一つあって、
「んぐ、んぐ……ぷはー。美味しいですね~、このお酒。」
久々にアルコールが入っているせいもあるのだが。
「おお? 意外とイケるクチだねぇ。妖精はあんまり強くないのが多いからさ、期待はしてなかったんだけど……。」
こちらが返した瓢箪を口で受け取り、そのまま寝転がって一気に呷る。……凄い飲み方だ。
「さすが、鬼さんは呑兵衛ですね~。私も好きですけど、そんなに飲めないです。」
「……ぷはぁ。ま、鬼と妖精が呑み比べる事自体、おこがましいからねぇ。張り合えるのは天狗か、長寿か、唯一種か、恐れ知らずの人間か……後は神様くらいのもんじゃない?」
指一本で瓢箪を回しながら、得意げに話す萃香。どうやら、彼女もかなりハイになっているようだ。
「なるほど~……じゃあ、私は運が良かったんですね~。」
何気なく口にした言葉。それを聞いて、再び一気飲みをしようとしていた萃香の動きが止まった。
瓢箪を傍らに置き、す、と醒めた表情をこちらに向ける。
「運が良い、か。妖精らしからぬ事を言うね、あんた。」
「そうですか?」
そうだよ、と起き上がりながら、幼くも老獪な鬼は据わった目で語り始めた。
「自然には『必然』しかない。草花をウサギが食み、そのウサギを狐が食み、その狐の亡骸を土が食み、その土を糧として、また草花が育つ。
どのウサギがどの狐に食われるか、そもそも食うのが狐じゃないか、はたまた野垂れ死にかは解る筈もないけど、土から草花が育つ事だけは絶対だ。
始まりと終わりが絶対なら、その間がどんな過程を挟もうとも、その事象は『必然』なんだよ。あらゆる命に生死があるように、ね。」
そこで一旦区切り、再び瓢箪の中身を全部空けてから、続ける。
「妖精も自然の一部。だからその存在は必然。在って当たり前、在るべくして居る、って事。……まあ、あんたなら解るわよね、リリーホワイト。」
◇
言い終えて、三度一気飲み。さすがの秘宝も堪えたか、己の姓を冠する瓢箪の中身は半分ほどしか萃まっていなかった。……ちょっと急ぎすぎたか。
今度は多めに残し、栓を閉める。軽く振ってやり、重みが本来のペースで戻るのを確認しつつ、正面の妖精を見据える。
白装束の彼女は、赤みの差した顔に真剣な色を添えていた。
(さすがに、妖精には難しい話だったかなぁ。)
呆けた表情でないという事は、理解している証ではあるだろうが。
ふと視線を外し、夜空を見上げる。
今宵の月は待宵。日中とは打って変わって静けさに満ちた幻想郷を照らす、少し控えめな月明かりの下。
最弱の存在と最強の存在の間に、しばし沈黙の時が流れた。
◇
「……では、萃香さん。」
静寂を破ったのは、白き妖精。
風すら吹かぬこの空間で、陽気さの消えた、それでも澄んだ声は良く響く。
「春が訪れなかったのも、必然だったというのですか?」
小さき鬼は天に顔を向けたままだが、聞いていないということはないだろうと、気にせず続ける。
「あの出来事は、私にとって当たり前が崩れた瞬間でした。四季は等しく訪れるべき時に訪れるもので、裏切る事など決してないのだと、信じていましたから。でなければ……私という存在も当たり前に在るものでなくなってしまう。――いえ、そもそも当たり前であればこそ、私が居る意味などありません。だって――」
だって、春が訪れる事が約束された必然ならば、
「私が改めて告げる必要なんて、ないじゃないですか。」
――そう。そもそも四季は必然のサイクルではない。地球という偶然生命が生まれた惑星の中の、さらにごく一部の地域だけで感じる事が出来る、偶然の極致。風流とはその偶然という『幸運』の中のほんの一部に過ぎないのだ。
「ほら、よく言われるじゃないですか。
『偶然も続けて起きればそれは必然になる。』って。
偶然が偶然にも何度も重なって、初めて必然と成るんですよ。」
ざあ、と一陣の風が吹き抜け、紫の花々を揺らす。
それを追い風とするようにリリーホワイトは立ち上がり、両手を大きく広げ、穏やかな微笑を浮かべながら、告げた。
「――だから、春の在り処を知っている貴方に『偶然』出会えた事も、こうして『偶然』にも春に再会出来た事も、確かに必然なんだとは思います。」
――それが、春告精たる自分、リリーホワイトが辿るべき道筋なのだから。
◇
「…………って、結局必然だって認めるの?」
自分でも相当呆れた表情をしているだろうなと思いつつ、再びリリーホワイトに顔を向ける。
そんじょそこらの下級妖精に比べれば聡明だが、その程度の結論であれば人間でも導ける。自分や旧い妖怪のような賢者なら、何とでも屁理屈を並べ立てて(もちろん全て正論だが)『私が正しい』と言い切ってみせるだろう。相手の理論に乗っかっている時点で既に負けなのだ。
(……いや、別に言い負かすつもりでもなんでもなかったんだけどさ。)
性格上、どうしても勝負に結び付けてしまうのが悪い癖だ。これはあくまで暇つぶしであるのだから――
「……?」
ふと。リリーホワイトの表情が変わっている事に気付く。それは、先程まで浮かべていた笑みとは違う、どこか含みのある笑顔で。
「だからこそ――」
再び、風が駆け抜けた。
「――だからこそ、必然と成った偶然は幸運の積み重ね、いえ、幸運そのものなんです。
だから――春がこんなにも賑やかであるのは、六十年に一度であるからこそ、とっても幸せなんです。
……私にとっては、ですけどね~。」
あはは~、と彼女らしい笑顔で。
ただ賢しいだけの小鬼を、完膚なきまでに打ちのめした。
◇
「……妖精が〈再生の年〉を知ってるなんてねぇ。驚きだよ。」
「私は春以外、殆ど活動していませんからね~。記憶力はそれほど良い訳じゃないですけど……騒がしい年から何年目か、っていうの位は一応覚えてるんですよ。ただ、六十年毎にリセットしちゃうので、自分が生まれてから何年経ったかまでは記憶にないですけど。」
やっぱりお馬鹿ですね~、なんてあっけらかんと言い放つ。
しかし、妖精でそこまでの知能があるだけでも上等に過ぎる。いや、彼女が春を告げる為だけにあるのなら、つまりは当然なのかもしれない。
彼女の記憶は春の記憶だ。季節が確固たる形で視える幻想郷では、季節感の失われた人間界と反比例して、その記憶は強く鮮明なものとなるだろうから。
「全く、紫ってばとんでもないモノを作ったもんだなぁ。」
「?」
常識の境界。かつて幻想と現実を分けたその効力は、こんな意外な面をも見せていた。
儚い筈の妖精が強くなるなど、確かに現実離れしている。
いや、もしかすると、それすらもあのスキマは予測していたのかもしれないが……。
「ま、いいや。とりあえず今夜は飲み明かそう。酒はいくらでもあるんだからね。」
「そうですね~。」
酒の席に野暮な思考は無用、と切って捨てる。楽しいのだからそれで問題あるまい。結果としてはいい暇つぶしになったのだし。
――そうして、二人だけの宴は静かに激しく続く。
◇
―――六十年に一度の〈再生の年〉。
この春、幻想郷はあらゆるものが咲き乱れている。
季節通りの花も、季節外れの華も、そしていつも通りの弾幕(はな)も。
ある花は活き活きと、ある華は少しだけ気まずそうに、またある弾幕(はな)は迷惑など顧みないように、ただただ自己の存在を主張する。
最初に散り行くは最も力に満ちた弾幕の花弁。
後に続くは場違いに気付いた早咲きの華。
そして最後に残るのは、春の花――ではなく、初夏の花々。
あまりにも濃密な春を謳歌するうちに、知らぬ間に次の季節が訪れようとしている。
そう、本当の主役は私達なのだ、と。
夜風を受けるラベンダーの姿が、そう控えめに主張しているように、萃香は感じた。
第一章 幕
―――60年に1度の〈再生の年〉。
その春、幻想郷はあらゆるものが咲き乱れていた。
季節通りの花も、季節外れの華も、そしていつも通りの弾幕(はな)も。
それらの全てが力強い、けれど儚い命の息吹に満ち溢れていた。
しかし、いつも通りに散り行くのは最も力に満ちた弾幕の花弁のみで。
―――未だ、儚き花々は咲き続けている。
◇
「……ん~。」
ぐぅっ、と伸びをする。春の陽気が目覚めたばかりの体には心地よい。
日増しに人間以外の訪問者ばかりが増えている博麗神社の鳥居の上で、器用に寝転んでいる小さな影。
頭に可愛らしい角を生やし、あどけない顔立ちをした彼女もまた、飛び切りの人外であった。
「よ、っと。」
ぴょこんと起き上がり、改めて体を伸ばす。その動きに合わせ、身に付けた鎖がじゃらりと音を立てた。
「ん~……まだまだ詰まってるねぇ。ま、これだけの数じゃどうしようもないか。」
額に右手を当て、辺りを見渡しながら、笑みを浮かべる。
彼女の視界の大半を占めるのは、無論、無差別に咲き乱れる四季折々の花々。――いや、本当に視ているのは、その事実の根幹であった。
「世界は死に満ちている、なーんて言うと幽々子に怒られるかな? どうせ来ないだろうけど。」
今回はただのお祭りだしねぇ。そう呟き、腰の瓢箪に口を付ける。
彼女――伊吹 萃香は、既に異変の真相を知っていた。
「紫ってば、またそこら中うろついてるね。早く誰かに教えてやれば、馬鹿騒ぎもちょっとは収まるだろうに。……私も人の事は言えないけど。」
幻想郷に長く住まう古参の妖怪達は、(ごく一部を除き)この異常事態を静観する構えを見せていた。久々に帰ってきた萃香が同じようにのんびり構えていられるのも、最古参のスキマ妖怪・八雲 紫を友人に持つが故であった。
「そろそろ言っちゃおうかなぁ。ここの所、霊夢も原因探しに忙しくて相手してくんないし……いつも邪険だけど。」
しかし、元来お祭り騒ぎが好きな鬼にとって、目の前の状況を傍観しているだけなど、性分が許さない。萃香も例に漏れず、我慢の限界に達していた。
「やっぱり、祭りは参加してこそ意義がある、ってね。よーし、適当にふらついてみるかぁ。」
そう言った直後――小さな鬼の姿はその場から掻き消えていた。
◇
「~♪」
花が一杯。どこを見渡しても花びらの散らない場所なんてない。
桜も、向日葵も、桔梗も、寒椿も、みんなみんな自分の存在をここぞとばかりに主張して、ただひたすらに咲き誇る。
季節感も何もあったものではないけれど、それがまた風流でもある。この混沌に満ちたうやむやな光景こそ、明確こそを旨とする外界から隔絶した幻想の地に相応しい。
「~~♪」
けれど、私にとって一番大事なのは、そんな事じゃない。
白一色に染められた世界が、鮮やかで色とりどりの楽園に生まれ変わる、この季節。
その時が訪れた事を高らかに告げ、伝え、広めるのが、私の役目であり、喜びなのだ。
――そうです。長く厳しい冬が終わって、ようやく――
「春が来ま「うっとうしいっ!!」
ゴスッ!!!
「したよ~……。」ヒュルル~。
見覚えのある紅白に伝える前に陰陽玉に潰され、錐揉み落下していく春の妖精――リリーホワイト。
彼女もまた、花に浮かれる者の一人であるのだった。
◇
「……およ。」
言葉通りに適当にふらついてみたが、どうも自分が参加するには人妖の動きがバラバラで、いまいち芳しい成果が得られない。1対1の邪魔をするのも気が引けるし、何よりルール(以上にポリシー)に反する。
途中で昼寝をしていたせいもあり、日は既に傾きかけていた。
どーしたもんかなぁ、と空中浮遊を続けていたところ、風に乗ってきたラベンダーの香りに誘われ、現在、その芳香の源である紫の絨毯に身を投げ出していた。
――で、ふと空を見上げてみれば、くるくると舞い落ちてくる白い姿が目に留まった。
よく見てみれば、その上空には見慣れた紅白の衣装。ため息を吐いた巫女はこちらに顔を向ける事なく、ふよふよと飛び去っていった。
「大変そうだねぇ……私が力を使えば一瞬で済む事だけど、別にそこまでする必要も意味も義理も無い。ま、もう少しだけ頑張ってね~。」
ひらひらと小さく手を振り、見えていないであろう見送りを済ませた後、
「さて、暇潰しになればいいけどね。」
白い妖精の落下地点に向けて、とことこと歩き出した。
◇
「う~ん……。」
意識が覚めていく。玉をぶつけられた頭はまだ少し痛むが、春の陽気がすぐに傷を癒してくれるだろう。自然に近い存在である妖精の特権である。
仰向けのまま周りを見渡してみれば、一面に咲く紫の花々が風にそよいでいる。
夕焼け色に淡く染まる光景は、少し気の早い初夏の風景そのものであった。
吹く風だけは季節通り少し肌寒く、その冷たさが興奮気味の頭の熱を冷ましてくれた。
「……今年は、何だか賑やかですね。」
ぽつりと、自問するように呟く。
落ち着いて考えてみると、今年も去年に負けず劣らずの異常な状況なのだ。
あらゆる花が咲いている事はもちろんだが、皆その事実に浮かれすぎであるように感じる。……自分も含めて。
「でも、ただ陽気になってるというのとは……違う気がします。」
攻撃的ともとれるが、それはコミュニケーションの手段が手段故の事。頻度を除けばいつも通りなのだ。
そう、花に次いで異常なのは弾幕ごっこの頻度だ。疲れ知らずというか見境無しというか――おかげで春を知らせる相手探しには困らないのだけれど。
「持て余してるんだよ、生命力をね。」
「……?」
不意に頭上から聞こえた声に、首をそちらに向けると、
「よっす。」
この幻想の地に於いても珍しい容姿の少女が、瓢箪片手に胡座をかいて座っていた。
◇
リリーホワイトの事は無論知っている。春を思うままに告げまわる妖精である事も、春一番が彼女の弾幕(メッセージ)の余波である事も。
そして――彼女という存在が一部の人間にとって、あまり好ましく思われていない事も。
「ん~……っと。」
そんな彼女が仰向けのまま、ばさり、と背中の翼をはためかせた。その反動を利用し、器用に起き上がる。
すとっと着地した時には、完全に正対する形になっていた。
「どうも~。花見酒ですか~?」
にぱっ、と満面の笑みを浮かべて訊いてくる。この笑顔だけを切り取れば、どこから見ても無害な存在にしか映るまい。
「まあね。それもあるけど、一番は月見酒の場所取りよ。」
「なるほど~、ここは確かに良い所ですよね~。」
うんうんと頷く純白の妖精。今まで彼女の行動も観察してきたが、そこから想像していたよりは、どうやら頭は鈍くないらしい。風流が解る者は強いか賢いか、又は両方であるというのが幻想郷の一つの基準だ。
ちなみに何で一妖精に過ぎない彼女を観察対象にしていたかというと、
「ええと……萃香さんでしたよね~。」
「うん。伊吹 萃香。れっきとした鬼よ。」
「見れば解りますよ~。」
実は、彼女とは初対面ではない。去年の皐月の終わり、幻想郷に戻ってきて間も無い私が融ける事のない雪景色に退屈しかけていたその時、『春』を探し求めていた彼女と一度出会っている。
「『春』の在処を教えてもらって以来ですね~。あの時は助かりました。」
「あんな不自然に萃められてたら、嫌でも気付くよ。私なら、だけど。」
珍しく、自慢げに言ってみる。鬼としては自身の力を誇らしげに語るのはごく自然だが、異端児である自分には誇張も嘘も大差ないように思えて、普段こういう言い方はしない。
そんな胸の内はともかく、純粋無垢の塊にはただただ頼もしく聞こえたようで、
「凄いですね~。さすが鬼さんです~。」
ぱちぱち、と満面の笑みで拍手してくれた。
手放しで褒められる事に慣れていない萃香も、その邪気のない笑顔を見ると素直に嬉しくなった。
「えへへ~、ありがと。」
……やっぱり、照れ臭くはあったが。
◇
リリーホワイトは上機嫌だった。
旧い存在である鬼や天狗といった種族は、風流を何より好む。
今の妖怪や人間が全く『わびさび』というものに感銘を受けない訳ではない。しかし、素直にそういう気持ちを抱く者が徐々に少なくなりつつあるのも事実だ。……一部の者達を除いて。
春の訪れを告げる白い妖精は、四季の移り変わりの美しさと素晴らしさ、特にやはり冬が終わって春がやって来る、それが何物にも代え難い尊さを秘めている事を誰よりも知っている、風流の申し子でもあった。
だから、鬼である萃香との再会は、彼女の心を昂らせるのに充分過ぎるイベントであった。
もっとも、上機嫌の理由はもう一つあって、
「んぐ、んぐ……ぷはー。美味しいですね~、このお酒。」
久々にアルコールが入っているせいもあるのだが。
「おお? 意外とイケるクチだねぇ。妖精はあんまり強くないのが多いからさ、期待はしてなかったんだけど……。」
こちらが返した瓢箪を口で受け取り、そのまま寝転がって一気に呷る。……凄い飲み方だ。
「さすが、鬼さんは呑兵衛ですね~。私も好きですけど、そんなに飲めないです。」
「……ぷはぁ。ま、鬼と妖精が呑み比べる事自体、おこがましいからねぇ。張り合えるのは天狗か、長寿か、唯一種か、恐れ知らずの人間か……後は神様くらいのもんじゃない?」
指一本で瓢箪を回しながら、得意げに話す萃香。どうやら、彼女もかなりハイになっているようだ。
「なるほど~……じゃあ、私は運が良かったんですね~。」
何気なく口にした言葉。それを聞いて、再び一気飲みをしようとしていた萃香の動きが止まった。
瓢箪を傍らに置き、す、と醒めた表情をこちらに向ける。
「運が良い、か。妖精らしからぬ事を言うね、あんた。」
「そうですか?」
そうだよ、と起き上がりながら、幼くも老獪な鬼は据わった目で語り始めた。
「自然には『必然』しかない。草花をウサギが食み、そのウサギを狐が食み、その狐の亡骸を土が食み、その土を糧として、また草花が育つ。
どのウサギがどの狐に食われるか、そもそも食うのが狐じゃないか、はたまた野垂れ死にかは解る筈もないけど、土から草花が育つ事だけは絶対だ。
始まりと終わりが絶対なら、その間がどんな過程を挟もうとも、その事象は『必然』なんだよ。あらゆる命に生死があるように、ね。」
そこで一旦区切り、再び瓢箪の中身を全部空けてから、続ける。
「妖精も自然の一部。だからその存在は必然。在って当たり前、在るべくして居る、って事。……まあ、あんたなら解るわよね、リリーホワイト。」
◇
言い終えて、三度一気飲み。さすがの秘宝も堪えたか、己の姓を冠する瓢箪の中身は半分ほどしか萃まっていなかった。……ちょっと急ぎすぎたか。
今度は多めに残し、栓を閉める。軽く振ってやり、重みが本来のペースで戻るのを確認しつつ、正面の妖精を見据える。
白装束の彼女は、赤みの差した顔に真剣な色を添えていた。
(さすがに、妖精には難しい話だったかなぁ。)
呆けた表情でないという事は、理解している証ではあるだろうが。
ふと視線を外し、夜空を見上げる。
今宵の月は待宵。日中とは打って変わって静けさに満ちた幻想郷を照らす、少し控えめな月明かりの下。
最弱の存在と最強の存在の間に、しばし沈黙の時が流れた。
◇
「……では、萃香さん。」
静寂を破ったのは、白き妖精。
風すら吹かぬこの空間で、陽気さの消えた、それでも澄んだ声は良く響く。
「春が訪れなかったのも、必然だったというのですか?」
小さき鬼は天に顔を向けたままだが、聞いていないということはないだろうと、気にせず続ける。
「あの出来事は、私にとって当たり前が崩れた瞬間でした。四季は等しく訪れるべき時に訪れるもので、裏切る事など決してないのだと、信じていましたから。でなければ……私という存在も当たり前に在るものでなくなってしまう。――いえ、そもそも当たり前であればこそ、私が居る意味などありません。だって――」
だって、春が訪れる事が約束された必然ならば、
「私が改めて告げる必要なんて、ないじゃないですか。」
――そう。そもそも四季は必然のサイクルではない。地球という偶然生命が生まれた惑星の中の、さらにごく一部の地域だけで感じる事が出来る、偶然の極致。風流とはその偶然という『幸運』の中のほんの一部に過ぎないのだ。
「ほら、よく言われるじゃないですか。
『偶然も続けて起きればそれは必然になる。』って。
偶然が偶然にも何度も重なって、初めて必然と成るんですよ。」
ざあ、と一陣の風が吹き抜け、紫の花々を揺らす。
それを追い風とするようにリリーホワイトは立ち上がり、両手を大きく広げ、穏やかな微笑を浮かべながら、告げた。
「――だから、春の在り処を知っている貴方に『偶然』出会えた事も、こうして『偶然』にも春に再会出来た事も、確かに必然なんだとは思います。」
――それが、春告精たる自分、リリーホワイトが辿るべき道筋なのだから。
◇
「…………って、結局必然だって認めるの?」
自分でも相当呆れた表情をしているだろうなと思いつつ、再びリリーホワイトに顔を向ける。
そんじょそこらの下級妖精に比べれば聡明だが、その程度の結論であれば人間でも導ける。自分や旧い妖怪のような賢者なら、何とでも屁理屈を並べ立てて(もちろん全て正論だが)『私が正しい』と言い切ってみせるだろう。相手の理論に乗っかっている時点で既に負けなのだ。
(……いや、別に言い負かすつもりでもなんでもなかったんだけどさ。)
性格上、どうしても勝負に結び付けてしまうのが悪い癖だ。これはあくまで暇つぶしであるのだから――
「……?」
ふと。リリーホワイトの表情が変わっている事に気付く。それは、先程まで浮かべていた笑みとは違う、どこか含みのある笑顔で。
「だからこそ――」
再び、風が駆け抜けた。
「――だからこそ、必然と成った偶然は幸運の積み重ね、いえ、幸運そのものなんです。
だから――春がこんなにも賑やかであるのは、六十年に一度であるからこそ、とっても幸せなんです。
……私にとっては、ですけどね~。」
あはは~、と彼女らしい笑顔で。
ただ賢しいだけの小鬼を、完膚なきまでに打ちのめした。
◇
「……妖精が〈再生の年〉を知ってるなんてねぇ。驚きだよ。」
「私は春以外、殆ど活動していませんからね~。記憶力はそれほど良い訳じゃないですけど……騒がしい年から何年目か、っていうの位は一応覚えてるんですよ。ただ、六十年毎にリセットしちゃうので、自分が生まれてから何年経ったかまでは記憶にないですけど。」
やっぱりお馬鹿ですね~、なんてあっけらかんと言い放つ。
しかし、妖精でそこまでの知能があるだけでも上等に過ぎる。いや、彼女が春を告げる為だけにあるのなら、つまりは当然なのかもしれない。
彼女の記憶は春の記憶だ。季節が確固たる形で視える幻想郷では、季節感の失われた人間界と反比例して、その記憶は強く鮮明なものとなるだろうから。
「全く、紫ってばとんでもないモノを作ったもんだなぁ。」
「?」
常識の境界。かつて幻想と現実を分けたその効力は、こんな意外な面をも見せていた。
儚い筈の妖精が強くなるなど、確かに現実離れしている。
いや、もしかすると、それすらもあのスキマは予測していたのかもしれないが……。
「ま、いいや。とりあえず今夜は飲み明かそう。酒はいくらでもあるんだからね。」
「そうですね~。」
酒の席に野暮な思考は無用、と切って捨てる。楽しいのだからそれで問題あるまい。結果としてはいい暇つぶしになったのだし。
――そうして、二人だけの宴は静かに激しく続く。
◇
―――六十年に一度の〈再生の年〉。
この春、幻想郷はあらゆるものが咲き乱れている。
季節通りの花も、季節外れの華も、そしていつも通りの弾幕(はな)も。
ある花は活き活きと、ある華は少しだけ気まずそうに、またある弾幕(はな)は迷惑など顧みないように、ただただ自己の存在を主張する。
最初に散り行くは最も力に満ちた弾幕の花弁。
後に続くは場違いに気付いた早咲きの華。
そして最後に残るのは、春の花――ではなく、初夏の花々。
あまりにも濃密な春を謳歌するうちに、知らぬ間に次の季節が訪れようとしている。
そう、本当の主役は私達なのだ、と。
夜風を受けるラベンダーの姿が、そう控えめに主張しているように、萃香は感じた。
第一章 幕