※この物語は「靈禽蓮々歌~Inevitable night~ 第一章」「靈禽蓮々歌~Inevitable night~ 第二章」「「靈禽蓮々歌~Inevitable night~ 第三章」」の続きとなっていますので、先にそちらをお読みください。
~13.二人の絆~
慧音が紅魔館から里に戻ってきたのは、日付が変わるか変わらないかという時だった。
秋が終わり、冬が始まってどこぞの冬の忘れ物がひょっこり姿を現してくるこの時分、夜の大気は凛と張り詰めており問答無用に慧音の体温を奪っていく。
そして、空を仰ぐと澄んだ空気にふさわしい大きく綺麗な月がその姿を見せている。
それは紅魔館のときの紅い月とは違い通常の色に戻っていた。
慧音の庵は里から少し離れた高台にあるのだが、慧音はすぐにそこには向かわずに村の中の様子を一通り見ていった。
慧音は紅魔館での出来事で心身ともに疲れきっているはずなのにしっかりと里に気をかけるのは流石というべきだろうか。
そんな慧音の日ごろの行いのおかげか、里の民は居酒屋を除き既に寝静まってしまっているらしく酔っ払いの喧騒と蟲の鳴き声以外に物音は聞こえない。
異常はどこにも見当たらなかった。
それを確認した後、慧音は自らの庵へ続く長い階段へと足を向けた。
庵へと続く階段の左右は多くの樹木で覆われているため慧音が階段に差し掛かるや否や、今まで聞こえたのをはるかに越える大音量で蟲の大合唱が始まる。
りぃんりぃん
ちょんぎぃすちょんぎぃす
ちろちろちろちろ
鈴虫に螽斯、蟋蟀だろうか。
秋ももう終わってしまっているのに蟲達は自らの子孫を残すため、力を振り絞って鳴き続けている。
いや、もしかしたら何処かであの蟲の女王が今年最期の合唱会を開いているのかもしれない。
そうだとしたら、なんと風情がある悲しき合唱会なのだろうか。
慧音は階段を一歩一歩上りつつそんなことを思う。
だが、その蟲の合唱も階段を上りきると遠のいてしまう。
その変わりに一軒の質素な庵が慧音の視界に入ってくる。
それが慧音の庵だった。
慧音の庵には妹紅はいるのだが、時刻は子三つ時になるかはいらないかの時間である。
普通なら既に寝てしまっているだろう。
だが、慧音の庵には明かりが灯っていたのだった。
「なんで灯りが……?」
慧音は一度目をこすってみるが、やはりしっかりと灯りが灯っているようだった。
「もしかしたら、妹紅がそのまま囲炉裏のところで眠ってしまったのか?」
こんな寒い中、布団にも入らず眠ってしまったら風邪をひかないわけがない。
その考えが慧音の頭の中に浮かんだ瞬間、慧音は歩く速度を速め、がらっ、と少し乱暴に庵の戸を開ける。
と、
「あ、慧音!お帰り!」
戸の向こうには囲炉裏の火にあたりながらも、上からつるしてある薬缶で何かを暖めている妹紅の姿があった。
「あ、ああ。ただいま、妹紅」
予想外の光景に呆気に取られてしまい、妹紅の言葉にかろうじて反応するが慧音の思考は一瞬停止してしまう。
その様子に気づいていないのか、妹紅は永遠亭にいたときの表情とはうって変わって元気な表情で微笑みながら慧音を迎え入れる。
しかしそれも一瞬の事で、慧音はすぐに状況を飲み込むと戸を閉めて妹紅のいる囲炉裏まで来て腰掛ける。
「はい、あったか~いお茶だよ♪外、すごく寒かったでしょ?」
「ありがとう、妹紅。ちょうど温かい飲み物が欲しかったところなんだ」
妹紅は、今まで囲炉裏で暖めていた薬缶から湯呑みに温かいお茶を注いで慧音に手渡す。
湯呑みからのじんわりとした温かさが慧音の冷え切った手に伝わる。
慧音は暫くの間湯呑みの暖かさを堪能しつつもお茶が少し冷めるのを待ち、ほどよい温度になったところでゆっくりと口に含んで喉へと流していく。
お茶の温かさと囲炉裏からの暖かさが冷え切った慧音の体をゆっくりと温めていく。
そのおかげで緊張が完全に解れたのか、ふぅ……、と慧音の口から息がもれる。
「一息つけた?」
その様子を見て妹紅がひょいっと身を乗り出して慧音に声をかける。
「ああ、妹紅のおかげで気持ちが落ち着くことができたよ。ありがとうな」
「えへへ♪」
慧音が妹紅に微笑みかけると妹紅は恥ずかしそうに頭をかく。
そんな妹紅の仕草を見て、慧音は心も何かで満たされていくような気がした。
そして二人の会話が途切れる。
妹紅は慧音に尋ねたいことがたくさんあるだろう。
そして、同時に慧音が妹紅に言いたいことも同じくらいたくさんあるだろう。
だが、二人ともあえて何も言わずにいる。
言葉で言わずとも何が言いたいのか伝わる仲とはよく言うが、今の二人はそのような間柄なのだ。
それ故、お互いに相手が何を考えどのように行動するかが手に取るように分かる。
そして、そのことがお互いの心を満たし緊張を解していくのだった。
ぱちっ、ぱちっ、と途切れ途切れに囲炉裏から火の爆ぜる音が聞こえてくる。
その音とは反対に優しい暖かさが二人を包んでいく。
まるで母親の腕に抱かれて子守唄を聞いているような心地よさに、眠気が慧音を襲い始める。
ふぁ……
見ると妹紅も同じらしく大きな欠伸をしている。
今日一日だけでもかなりの出来事があったため、二人ともかなり疲れているはずだから無理もないだろう。
「妹紅、無理はしないで体を休めた方がいいぞ?永琳の薬が効いているとはいえ、まだ安静にしておかないといけない状態だろう?」
そう、今は容態が安定しているとはいえ妹紅の体は消滅しかかっているのだ。
当然無理をせずに早めに体を休ませるほうが良いため、慧音も紅魔館へでかける際には妹紅に無理をせずに早く寝るよう言ってあったのだ。
「うん、ありがとうね。でもやっぱり慧音が帰って来るまでは気になって眠れなかったんだよ。それに……寝るなら慧音と一緒に寝るのが……いいな?」
てへっ、と悪戯のばれた子供のように舌をだしてから甘えるように上目遣いで慧音を見つめる妹紅。
そんな妹紅の健気さを見て慧音は愛しさを覚えると同時に切なさがこみ上げてくる。
「慧音?どうしたの?私と寝るのはイヤ?」
その気持ちが顔にでも表れたのか、妹紅が心配そうに慧音の顔を覗き込んでくる。
「いや、そんなことはないぞ。その……いきなりだからちょっと吃驚しただけだ」
慧音は慌てて気持ちを押さえ込み、妹紅に微笑みかけて優しく頭を撫でてやる。
撫でられたのがよほど嬉しかったのか、妹紅は今度は慧音に体を摺り寄せ半ば抱きつく形になる。
「だったら一緒に寝よ?そうすれば私も良く寝れるしさ♪」
「でも私はまだ風呂に入ってないし……」
「そんなの明日の朝でいいじゃない。私も一緒に入ってあげるしさ。だから……ね?」
慧音に寄りそりつつもじっとおねだりするように見つめてくる妹紅。
そんな妹紅を退ける事は今の慧音には出来なかった。
はぁっ……、とわざとらしく大きくため息をついてみせる。
「まったく……分かったよ。それじゃあ今日は一緒に寝るか」
「やった!だったら早く寝に行こうよ♪」
「こらこら。そんなに引っ張らなくても私は逃げないよ」
慧音の返答を聞くや否や、妹紅は満面の笑みを浮かべながらも慧音を寝室へ促していく。
そんな妹紅に引っ張られて苦笑しつつも、慧音はとあることを決意したのだった。
これから訪れるであろう最期の時まで妹紅の側に付き添い、できるだけ多くの妹紅の笑顔を記憶に遺していこう、と。
~14.惹かれあう魂~
妹紅に異変が起こった日からの一週間はあっという間に過ぎていった。
最初にある程度里に馴染めたとはいえ、元々妹紅は積極的に里の人々とはかかわろうとしていなかったためにやはり最初のうちはどこかぎくしゃくして、どのようにして里の人に接していいのか戸惑っていたようだ。
しかし、2,3日もすれば完璧に里に馴染んでいった。
特に普段は接する機会のほとんどない子供達とよく遊んでいるようだった。
慧音にとって妹紅が里の人たちと仲良くしていくのは嬉しいことであったのだが、あまりに馴染みすぎて子供達と一緒に悪戯を仕掛けてくるのはちょっとやりすぎではないかと思っていた。
まあ、仲が悪くて疎遠になるよりかははるかにマシではあるのは事実なのだが……
そんな感じであっというまに時間が過ぎていったわけだが、ちょうど一週間が経ったこの日、里では今年初めての雪が降ったのだった。
雪の降り始めは夜分だったらしく、慧音と妹紅が目を覚ました頃には既に辺り一面が銀世界へと変貌していた。
正直雪が降るのは毎年の事であって慧音や妹紅にとっては真新しいことではなかったのだが、妹紅は目の色を変えて喜び、朝食を食べるや否や里の子供達のもとへと走っていったのだった。
そんなことがあったのがかれこれ二刻ほど前の事である。
時間的に考えて、そろそろ妹紅が昼食を食べに庵へ戻ってくる頃合だった。
おそらく妹紅は雪遊びで体が冷え切って帰ってくるだろうと判断し、慧音は薬缶に水と蜂蜜を混ぜたものにレモンを加えた特製のジュースを入れ、竈の火にかけていた。
コトコトコトと、ゆっくりとジュース温まっていく音が庵の中に響く。
そして、程よくジュースが温まったところで竈からおろし、囲炉裏の上に吊り下げておく。
こうすることで薬缶の中はいい感じに暖められ、ちょうどいい温度をずっと保つことが出来るのだ。
ふと、慧音が視線を窓に向けると、外は太陽が顔を見せていながらもしとしとと雪が降っていた。
ちょうど太陽の光が雪に乱反射し、きらきらと輝いているように見える。
――こういう雪の事を確かダイヤモンドダストと言ったかな。
以前読んだ書物の知識を思い出しつつも思わずその綺麗さに魅入ってしまう。
――妹紅はさぞ大喜びだろうな。
今頃里で、子供達と一緒にこの雪と光の生み出す幻想を見てはしゃいでいる妹紅の姿を想像し、思わず慧音の頬が緩む。
しかし、今の妹紅はダイヤモンドダスト……いや、それよりも儚い存在なのだ。
そのことを思うと、この幻想の綺麗さがより一層慧音の胸を締め付けていく。
だが、すべてを受け入れると心に決めた慧音はその不安に押しつぶされることはなかったのだった。
そんな風に慧音がダイヤモンドダストに見惚れ物思いに耽っていると外から、さくっさくっさくっ、とリズムいい音が慧音の耳に入ってきた。
その音に我に返った慧音が戸のほうに目をやるのとほぼ同時に、がらっ、と勢いよく戸が開く。
「ただいまー!」
そこには慧音の予想通り、戸を開けたのは外から帰ってきた妹紅だった。
妹紅は首に巻いていたマフラーと手袋を床に放り投げると、せかせかと囲炉裏の火にあたりに行く。
「あ゛~……生き返るぅ~……」
「ははは……外は寒かっただろう?」
「雪がこんなに冷たいってことすっかり忘れていたよ。う~……手が冷たい手が冷たいよぉ」
口ではそういう風に言っているが、妹紅の顔はまさに今日会ったことを嬉しそうに母親に話す子供そのものだった。そんな妹紅の様子を微笑ましく思いながらも、慧音は先ほど妹紅の脱ぎ散らかした衣類を拾い集めていく。
おそらく雪合戦でもしたのだろう、それらは溶けた雪でびちょびちょになっていた。
「そりゃあ、こんなになるまで遊んでいたら寒いだろう」
「うん……でもすっごく楽しかったよ」
興奮した様子で嬉しそうに話す妹紅を見てついつい慧音自身も頬がゆるんでしまいつつも、濡れた衣類を壁にかけていく。
そして、先ほどから囲炉裏で暖めていた薬缶から湯呑みにジュースを注ぎ、妹紅に手渡す。
「はい、寒い体を芯から温めてくれる慧音特製の飲み物だぞ。もしかしたら熱いかもしれないからゆっくり飲むんだぞ?」
「ありがとう、慧音。んっ……おいしい!」
「まだ薬缶に残っているからおかわりが欲しかったら言ってくれな」
「うん!ということでおかわり!」
「本当に早速だな」
慧音は苦笑しつつも妹紅から湯呑みを受け取り、薬缶からジュースを注ぐ。
妹紅はそれをまたすぐに飲み干していく。
そして3,4杯飲み干したところで、ほぅっ……、と大きく息を吐く。
「ねえ、慧音」
「ん、どうしたんだ、妹紅?」
慧音は自らの湯呑みにもジュースを入れつつ、妹紅の話に耳を傾ける。
「私、かれこれ1000年以上生きているけど、もしかしたらこんなに楽しいのは初めてかもしれないよ。大好きな人と一緒にいて、みんなと一緒になって騒いで遊ぶ……こんななんともないことがものすごく楽しかったなんて知らなかったよ」
慧音は何も答えずにただじっと妹紅を見つめる。
妹紅は不老不死となる前はあまり恵まれた環境ではなかった。
彼女自身は貴族の家に生まれたのだが、もともと望まれて生まれてきた子ではなかったためにほとんど存在を隠されて育ってきたのだ。
それ故、年の近い子と遊んだり関わりを持ったりという機会がなかったのである。
更に、不老不死となってからも異端者として人から忌み嫌われ、幻想郷に移ってきてからも慧音や輝夜達を除きほとんど人と関わりを持とうとしなかったのである。
妹紅にとって人間はあまりにも儚く、尊い存在だったからだ。
その為、こうして人と遊んだりすることの楽しさを知ることが出来なかったのである。
妹紅はじっと囲炉裏の火を見つめている。
今まで妹紅にとって火は自分に一番近い存在であり、自分の力そのものでもあった。
しかし、それを失ったことで今度は人と関わることの楽しさを知ることが出来た。
大切なものを失い、大切なことを知る。
あの紅い吸血鬼ことレミリアが言っていた等価交換とは、本当はこういうことだったのかもしれない。
暫くして、妹紅はゆっくりと視線を移し慧音を見つめる。
「慧音、私ね、本当に慧音に会えてよかったよ。慧音と会うことが出来なかったらこの楽しみを知ることが出来なかったし、自分の能力を疎く思うだけだったからね」
「私も、妹紅と出会えて本当に良かったと思うよ。妹紅と一緒にいる事で私自身学ぶことも多くあるし、そして何より妹紅と一緒にいる時が一番幸せだからな」
「うん、私も慧音と一緒にいる時が一番幸せだよ」
お互いに見つめあい微笑みあう。
今の二人にとってはそれだけで十分なのだ。
「これからもずっと一緒にいようね、慧音」
「もちろんだ。私達はこれからもずっと一緒だ」
おそらくこの願いは叶えられないだろうという事は二人とも分かっていた。
しかし、それでも二人は固く誓い合う。
二人の思いが、運命によって引き裂かれた二人を再び巡り合わせる縁となることを願って。
~15.無慈悲な予兆~
それからまた二週間があっという間に過ぎていった。
最初は妹紅も里の子供達と毎日遊べるくらい元気だったのだが、時が経つにつれ段々と妹紅の体力も落ちてきてしまい、妹紅の容態に異変があった満月の晩から2週間と少し経った頃には外に遊びに行くことが出来なくなってしまっていた。
妹紅は里の子供達と遊べなくなったことを残念そうにしていたが、その分慧音と一緒にいる事が多くなり、事あるごとに慧音と話しては楽しむ日々を送っていた。
また、慧音は昼間には寺子屋を開いている為、妹紅は里の子供達と遊ぶ代わりに寺子屋にも顔を出すようになった。
妹紅にとって寺子屋で子供達に教え事をしている慧音はすごく珍しいらしく、最初のうちは興味心身で授業の内容にも耳を熱心に傾けていた。
しかし、そんな慧音の姿もだんだんと慣れてくるとつまらないもので、一週間も経たないうちに慧音の言葉は妹紅にとって心地よい子守唄と成り代わってしまっていた。
もちろん、慧音とて妹紅に対して罰は与えたくないのだがやはり妹紅だけ特別扱いするわけにもいかないので、ここは心を鬼にして巷で有名な頭突きをするのだった。
その時妹紅は頭をさすって痛がるだけなのだが、いざ庵に帰ると今度はそのことについて色々と文句を言ったりした。
しかし、そのやり取りの一つ一つが妹紅にとっては新鮮であり、とても楽しいものであったのだ。
そんな妹紅だったのだが、ここに来て風邪をひいてしまった。
風邪といってもほんの少し体温が高くて咳が出る程度のものだったのだが、妹紅の体の事もあるために、慧音はすぐさま永琳を呼んできたのだった。
「ふむ……熱は37度で喉に軽い腫れ。どうやら普通の風邪のようね」
永琳は妹紅の口の中に入れていたスプーンを取り出し、側にあったコップの中に入れてから眼鏡をはずし、ふぅっ、と軽く息を吐き肩の力を抜く。
その様子を見て慧音と妹紅もほっとした表情を見せ、緊張した部屋の中の空気が一気に緩む。
ちなみに永琳がかけている眼鏡だが、実は度が入っているわけでも特殊なマジックアイテムというわけでもない。
本人曰く、女医といったら眼鏡は絶対に欠かせないからつけているとの事だそうだ。
つくづく彼女の思考は理解し難いものである。
「とりあえず妹紅の能力とは関係ないようだから、ここ数日この薬をのんで布団の中でゆっくりしていれば大丈夫よ」
そういって永琳は慧音に薬を手渡す。
それは里のどの家にも置かれている薬箱の中にある人間用の薬だった。
「ありがとう、永琳。本当に何から何まで助かるよ」
「いいってことよ。これが私の仕事でもあるんだしね。あ、ちなみに今回の薬の代金はこれになるわ」
そういって永琳は料金が書かれた紙を渡す。
慧音はこぽこぽと永琳のためにお茶を入れてから、苦笑しながらもそれを受け取ってそこに書かれた値段を見て再び苦笑する。
「なんだかんだ言ってもここはしっかりしているんだな」
「あら、良心的な値段でしょ?」
「ああ。そういう意味でもしっかりしていると言ったんだ」
「ああ、そういうことね」
慧音の意図を汲み取り納得する永琳。
しかし、それと同時に永琳は少し驚いた表情を浮かべる。
「しかし、慧音がそんなことを言うなんてちょっと驚きね。ちょっと前まではなんのひねりもきかないほど頭が固かったのに」
「ちょっとした心変わりって奴だな。今までの私は少し物事を固く考えすぎていたせいで視野が狭くなっていたからな」
「そうは言っても、慧音の頭突きはかなり痛いけどね。絶対慧音の頭は石で出来ているよ」
「そんなことを言うのはこの口か?」
慧音は楽しそうに話す妹紅の背後にしのびより、うにー、っと妹紅の口を引っ張る。
いひゃいいひゃい、といいつつも妹紅の顔には笑みが浮かんでいる。
それは慧音も同じだった。
そんな二人のやり取りを見つつも永琳はゆっくりとお茶を飲む。
暖かいお茶がゆっくりと永琳の喉をとおり、冷えていた永琳の体を温めていく。
その感覚を味わいながらも、永琳はふと気になったことを口にした。
「そういえば、なんだか以前にもまして仲良くなっているような気がするんだけど……何かあったのかしら?」
その言葉に二人の動きが止まる。
二人とも何故かそっぽを向くような仕草をし、頬には少し赤らみを浮かべる。
――やっぱりね
永琳はそんな二人の仕草をみて何が起こったのか確信を持てた。
その確信が永琳の頬を更に緩め、二人の顔をどんどん真紅に染めていったのだった。
がらっ!
そんな和やかな空気の中、庵の戸が急に開かれて外の冷たい空気が一気に流れ込んでくる。
慧音と妹紅は、びくっ、と体を反応させて戸のほうを見て、永琳は何時でも臨戦態勢をとれるように身構える。
そんな中、戸の向こう側にいたのは……
「けーねせんせー!卵もってきたよー!」
慧音の寺子屋にも参加していて、妹紅ともよく遊んでいた里の女の子だった。
「あ、ああ……ありがとう。だけどこれはどうしたんだ?」
「今朝取れたばかりの卵だからけーねせんせーに渡しておいでっておっかぁが」
「なるほどな。ありがとうって伝えといてくれるか?」
「うん♪」
慧音は最初動揺した様子だったが、女の子の話を聞いて平常心を取り戻し、話し終えた女の子の頭を優しく撫でてやる。
女の子は撫でられると嬉しそうに、えへへ♪、と笑みを浮かべる。
その様子を見て永琳は体の緊張を解く。
と、女の子が妹紅と永琳を見渡し不思議そうな顔をする。
「ねーねー、けーねせんせー?」
「ん、どうした?」
「あの人だぁれ?」
そういって女の子の指差した先には……
「え……私……?」
布団で横になっている妹紅がいたのだった。
「誰って……ついこの間までみんなと一緒に遊んでいただろう?ほら、妹紅といっただろう?」
「えー?私あの子知らないよ?」
再び驚きと困惑を浮かべる慧音をよそに、女の子はただただ首かしげて物珍しげに妹紅を見つめる。
女の子の顔は本当に何も知らない様子であった。
「そ、そうか……だったら、私の勘違いだったのかもしれないな。ま、まあ、今ちょっと先生にお客さんが来ているから、また後で直接お礼を言いに行くってお母さんに伝えといてくれるか?」
「うん、分かったよ。そうおっかぁに伝えとくね~」
そういい残して、女の子は来た時と同じようにさっさと立ち去ってしまった。
部屋の中は先ほどとは一転して暗い雰囲気に包まれる。
「どういうことなんだ……今の娘は嘘をつくような子じゃないはずなのに……」
慧音は未だに状況が理解できない様子で困惑した表情を浮かべている。
妹紅は少し寂しそうな様子で慧音を見つめる。
ぴちゃん、ぴちゃん、と、台所から水の滴る音がやけに大きく聞こえてくる。
と、
「妹紅が消滅しかかっていることが原因かもしれないわね……」
今までずっと黙っていた永琳がぼそっとつぶやくように言う。
その言葉に慧音と妹紅は永琳のほうを向く。
二人の視線に答え、永琳は続ける。
「詳しいことは分からないけど、妹紅が消滅しかかっている事で妹紅の存在の境界が曖昧になり、それが原因であの女の子の記憶の中で妹紅の存在が朧になって消えてしまったかもしれないということよ。あくまで憶測の域にすぎないけどね」
「なるほど……な」
妹紅はすごく不安そうな顔で慧音と妹紅を見つめる。
確かに、女の子に忘れられたという事実はつらい。
だが、それ以上に慧音や永琳に忘れられてしまう事の方が妹紅にとってはつらかった。
いや、それ以上につらいことなんてきっと存在しないだろう。
そんな妹紅の心情が伝わったのか、慧音は妹紅の側にいってやり、優しく抱きしめてやる。
「あっ……」
「大丈夫だ、妹紅。私が妹紅の事を忘れるはずがないじゃないか。妹紅の存在の境界がどうなろうと、私と妹紅はそれ以上の絆でつながれているだろう?」
「うん……っ」
そういって慧音は優しく妹紅の頭を撫でてやる。
妹紅は慧音の言葉と頭を撫でられることで安心したのか、ぎゅっと慧音を抱きしめつつも嬉しそうな笑みを浮かべる。
「それは私だって同じことよ。色々とあったけど、これでももう何百年も妹紅と関わっているからね。もちろん姫様に対しても同じこと。だから恐れないでいいのよ」
「うん……っ!」
妹紅は嬉しそうに永琳の言葉に対しても頷く。
先ほど戸が開いたことで一気に冷えてしまった部屋も、徐々に囲炉裏の火によって暖かくなっていく。
その暖かさは、三人の体ばかりではなく心も温めていったのだった。
お互いを思い合う心。
それはお互いを結びあう唯一かつ決して切れることのない架け橋となる。
それさえあれば何も怖くないのだ。
だが、今回の出来事は単なる予兆でしかなかった。
運命のカウントダウンは刻一刻と零に向かって刻み続けているのだった。
~16.最期の夜~
時間の流れは年を取るにつれてだんだん速くなっていくという。
それは長く生きていくことによって周りの物事を受け流すことを身につけ、時間さえも無意識に受け流していってしまっているからだ。
そんな物事を受け流す能力をまだ身につけていない子供でも、時に無意識のうちに時間を受け流すことがある。
それは、子供がある一つの事に夢中になっている時だ。
子供は一つの事に夢中になると、全身全霊をそれに注ぎ込む為に他の事を受け流すようになる。
それが時間にまで及び、年老いた者が行うそれと同じ現象が起こる。
そして、今の妹紅はちょうどそれと同じ状態にあたった。
周りのすべてが真新しい妹紅にとって時間を受け流していくことは容易く、月日が経つのもあっという間であった。
そして、気がつけば異変が起こったその日からちょうど一ヶ月が経っていたのだった。
その頃には永琳の薬が効いたのか妹紅の体調はすっかりと良くなっており、むしろ以前よりも体調が良くなっているような感じであった。
そして、ちょうど月が満月となるその日の朝、妹紅は目覚めるや否や慧音の元に駆け寄った。
「ねえねえ、慧音慧音!!」
「ん?いきなりそんなに慌ててどうしたんだ?朝はまずおはようの挨拶だろう?」
「あ、ゴメンゴメン。おはよう慧音!」
「ああ、おはよう妹紅。で、何をそんなに慌ててるんだ?」
ちょうど慧音はその時朝ごはんの準備をしていたらしく、割烹着姿の慧音が振り返る。
その姿は若奥様という代名詞がぴったりとあてはまるくらいにあっていた。
慧音ほど割烹着姿の似合う人物というのも少ないだろう。
そんな慧音に目もくれず妹紅は慧音の元へと駆け寄りつつも両手を後ろに回し、何か隠し事をしているような笑みを口元に浮かべながらも慧音を見つめる。
「えへへ……実はね……ほらっ!」
そういって妹紅は今まで後ろに回していた手を前に持ってくる。
そこには紅い炎が揺らめいていた。
「妹紅……これってまさか……!?」
「うん、フェニックスの炎だよ♪今朝起きたら使えるようになっていたんだ♪」
そういって妹紅は背中からも炎を出す。
かつては慧音も良く見た不死の象徴となっている紅蓮の炎。
もう二度とは見ることはないと思っていたそれが、今妹紅の背中から出ているのだ。
「でもどういうことなんだ……?永琳の話によると妹紅の能力は今使えなくなっているはずなんじゃ……?」
「別にそんなのはどうでもいいじゃん♪永琳だって完璧じゃないんだし、実はただの体調不良だったりしたのかもしれないしね」
そういって嬉しそうに慧音の腕に抱きつき妹紅。
ふと慧音はあることに気づく。
しかし、今はそれを考えることをやめた。
無意味なことを考えるよりも今は妹紅の体調と能力が回復したことを素直に喜ぼうと自分に言い聞かせる。
そう、妹紅の能力はこうして戻ってきたのだから。
「そうだな……見たところ妹紅はやせ我慢しているわけでもないし、本当に治ってしまったのかもな。よし、そういうことなら今日はピクニックにでも行くか!」
「うん!お弁当作って、景色のいい所に行って、慧音と雪合戦とかもしたいよ」
「よ~し、だったら私も腕によりをかけて作らないとな」
「楽しみだな~♪」
今日することを思い浮かべては嬉しそうにする妹紅。
そんな妹紅を見ているとついつい慧音の頬も緩んでいく。
地面には昨日までに振った雪が積もって入るが、幸いお天道様も元気な顔をのぞかせているのでピクニックには最適だろう。
と、そんな風に今日の予定について話し合っているとふと鼻につく匂いがしてくる。
その匂いを感じ取ってか、妹紅は鼻をくんくんと動かせる。
「ねえ、慧音……なんか焦げ臭くない?」
「ん?確かに……しまった!魚を焼いていたのを忘れていた!!」
「わわ!?慧音、煙が出てるよ!!」
「と、とりあえず火を!!」
火を消した時には既に遅し。
二匹の秋刀魚は仲良く炭と化していたのだった。
◆◇◆
炭となってしまった朝ごはんを作り直すのと、ピクニックの為の弁当を拵えていたため、結局ピクニックへと出発したのは正午になるちょっと前の事だった。
もちろん、寺子屋のほうは臨時休業ということで休みとしたのだが、それを里の人々は大層珍しそうにして眺めていたのだった。
なんせ、慧音は今まで一度も休みの日以外を休業としたことがなかったので、里の人達の間では明日は吹雪になるだの幻想郷が消滅するのではないのかだの様々な憶測が飛び交った。
それだけ慧音が寺子屋を臨時休業にするのは珍しい出来事だったのだ。
しかし、寺子屋に通う生徒達、特に幸運にも宿題をやっていなかった生徒にとっては願ってもない幸運であり、今日一日は学業を放り出して遊んでいたのだった。
慧音たちはそんな里のちょっとした騒ぎは知ることもなく、この日1日は思う存分遊んだ。
慧音が偶然見つけた里やその周りを一望できる小高い丘の上で慧音の手作り弁当を食べたり、腹ごしらえに二人で雪合戦をしたりした。
その時に妹紅はフェニックスの炎を身に纏い、慧音が投げた雪玉は全部妹紅に当たる前に溶けてしまっていたので、
それを見た慧音は何を思ったか妹紅に突進し、妹紅もろとも雪原に転がって二人で大笑いしたりもした。
その後は二人でゆっくりと遊覧飛行を楽しみ、お互いしかしらない秘密の場所を回ったりもした。
何もかもが二人にとって楽しく、二人の心にかけがえのない思い出として深く刻み込まれていったのだった。
この日は二人とも遊ぶことに熱中していた為、特に時間が流れていくのが速かった。
二人が気づいた時には既に太陽が西に沈みかけており、辺りの風景を紅色に染め上げていたのだった。
本当は二人もっと遊んでいたかったのだが、流石に夜になってまで遊ぶのはそれなりの危険も生じてきてしまうので、一旦里に戻りそこから今度は妹紅の家へと向かうことにしたのだった。
本当は今日も慧音の庵に帰ってゆっくりと体を休めてほしいというのが慧音の願いであったのだが、どうしても自分の家へ戻って慧音の晩御飯を食べたいという妹紅の強い要望があった為、仕方がなく慧音はいつもの満月の晩と同じように妹紅の家へと向かったのであった。
◆◇◆
トントントントントン
台所からリズムいい音が響いてくる。
茶の間とは壁一枚隔てているためその様子は分からないが、包丁で何かを切っているのだろう。
そして、間もなくその音が途切れたと思ったら、今度はジューッ、と何かを焼く音が聞こえ始め、食欲を誘うおいしそうな匂いが漂ってくる。
その匂いから判断するに、今晩の夕食はどうやら妹紅の大好きな兎の生姜焼きようだ。
「~♪~♪~♪」
そして、その音を伴奏に少女の鼻歌が始まる。
この歌は里で流行っているものだ。
外の世界から伝わってきた歌だそうで、妹紅もよく里の子供達と一緒に口ずさんだものだった。
だが、やはり妹紅は慧音がその歌を歌っているのを聞くのが一番好きだった。
尤も、妹紅は慧音が歌うなら何でも好きだというだけであるが。
この家は人里はなれた竹林の中にあるため、食事を作る音と鼻歌以外は何も聞こえてこない。
料理を待っている妹紅はなによりもこの時間が好きだった。
この時間が長く続けばいいのにと何時も妹紅は思うのだが、やはり今日もいつもと同じで鼻歌が途切れ、エプロン姿の少女が台所から現れる。
朝は割烹着を着ていたのだが、満月の夜に白沢に変身してしまうと角がどうしても邪魔になってくるため、妹紅の家で料理を作るこの日だけはエプロンをつけているのだ。
しかし、割烹着を着ているにしろエプロンを着けているにしろ似合っている事には変わりなく、いつ見ても新婚さんみたいだな~と妹紅は思い、一人頬を染めているのだった。
「待たせたな、妹紅。ちょっと下ごしらえに梃子摺ってしまってな」
「全然待ってないから大丈夫だよ。それに、慧音の料理が食べられるならどんなに待っても平気だしね」
毎度お決まりな台詞をいい微笑む妹紅。
そんな妹紅を見て申しわけなさそうに苦笑しつつも、そんなやり取りを楽しんで慧音は妹紅の前に兎の生姜焼きの乗ったお皿を置く。
おいしそうな匂いが妹紅の鼻をくすぐる。
と、
ぐー……
これも毎度お決まりだが、妹紅のお腹の虫が存在を主張するように可愛く鳴いてしまう。
「ははは……やっぱり今回も我慢させてしまっていたようだな」
「はうぅ……なんでいつもなるのよぉ~」
妹紅は恥ずかしさで顔を朱に染めあげつつも自分のお腹をぽんぽんと叩く。
そんな仕草をみせる妹紅をみてくすくすと微笑みながらも、慧音はエプロンをはずして側にたたみ、妹紅と向かい合うような位置に座る。
「さ、準備も出来たし食べるとするか。冷めてしまってはおいしくなくなってしまうからな」
「うん!折角の慧音の料理が冷めちゃったらもったいないしね。それに……今日こそは輝夜には負けられないからね」
そこで会話が一旦止まる。
慧音は心配そうにじっと妹紅を見つめる。
その瞳の奥には儚い何かが漂っている。
「妹紅……本当に輝夜と今日もやるのか?まだ能力も戻ったばっかりだし無理はしないほうが……」
「大丈夫大丈夫♪それに……前にも言ったけど自分の体については自分が一番知っているからね。輝夜なんかにゃ負けないよ」
「……そうか」
そういって妹紅は微笑みながら目の前でぐっ、と力瘤を作るようなポーズをとる。
そんな妹紅の様子をみて慧音の顔に一瞬哀愁に似た表情が現れるが、それもすぐさま消えてしまいもとの笑顔に戻る。
「それだったら私の料理を一杯食べてしっかりと頑張ってもらわないとな」
「そーいうことだよ。ということでいっただっきまーす♪」
「ああ、召し上がれ」
食卓に妹紅の元気な声が響き、妹紅はぱくっと美味しそうに兎の肉にかぶりつく。
そんな様子を見て慧音は微笑みながら、自分も兎の肉に箸をつけていつも以上に味わっていく。
こうして、今日も月に一度のちょっと遅めな夕食が始まったのだった。
◆◇◆
時刻は草木も眠る丑三つ時をちょっとすぎた頃。
空は少し雲が多く、残念ながら時々しか満月を垣間見ることは出来ないが、澄み切った空気が妖しく竹林を緊張感で包む。
本来ならこの時刻になると妖の類が跋扈しているのだが、月に一度、満月の晩だけはここら一体は無音の領域となる。
そう、毎月恒例のあのじゃれあいがあるからだ。
今回も自らすすんで消滅を選ぶような妖はここらにはいないようだ。
そんな中に輝夜と永琳が佇んでいた。
「全く……妹紅は何を考えているのかしら。もしかしたら私に負けたことで自分の負けを完璧に認めたのかしら?」
「まあまあ姫様。妹紅だって色々とあるかもしれないですよ?」
「だからといってここまで遅れるのはありえないわ」
ぶつくさと文句を言いながらうろうろとしている輝夜を永琳は苦笑しながらもなだめる。
しかし、表面では明るく振舞っている永琳だが、心中は穏やかではない。
永琳は妹紅の容態を知っており、絶対ここに現れることがないと知っているからだ。
それをどう輝夜に悟られることなく、輝夜の心を収めるかで心が一杯なのである。
いくら天才とはいえ、難しいことは難しいのだ。
そんな永琳の心中を全く知る由もなく、輝夜はさっきからずっと文句ばかりを言い続けているのだった。
しかし、そんな状況の中で永琳に転機が訪れる。
「ふぅ……もういいわ。興醒めよ。今日は帰るわ」
はぁ……、っと特大のため息をついて輝夜は永琳の方を振り向く。
その様子を見て、永琳は心の中でガッツポーズを決める。
もちろん、それを表に出すほど永琳は抜けていないが。
と、
「帰るのはまだ早いわよ、輝夜!」
静かだった竹林によく通る声が響く。
その声を聞いて輝夜と永琳は驚いたように声のしたほうを振り向く。
そこには、背中から紅蓮の羽を生やした妹紅が立っていたのだった。
「なっ!?も、妹紅……?ど、どうしてここに……?」
輝夜は信じられないものを見たような表情でじっと妹紅を見つめる。
それは永琳も同じだった。
永琳の薬で妹紅のフェニックスの力を抑えているはずなのに、なぜあのように能力を発現しているのか。
そして、あれほど自らの能力で消滅しかかっていた妹紅が、以前のように能力を扱うことができているのか。
全てが永琳の想像の範疇を超えたものであり、理解することが出来ないでいた。
妹紅はそんな輝夜と永琳を気にも留めずに続ける。
「折角来てやったのにどうしてはないだろう?それに、来て早々尻尾を巻いて帰るとは……もしかして、もう私に負けるのが怖いとかなんじゃないのか?」
「だ、誰がそんなこと……っ!」
「さぁて、どうだか?」
「くっ……!だったらそれが本当かどうか見せてあげるわ!」
「そうこなくっちゃ♪」
最初は動揺を見せていた輝夜だったが、妹紅の挑発にのっていく。
そして、二人はいつもと同じように構えあう。
「今日こそ不死の象徴であるこの炎でその身を滅ぼしてやるわ!」
「今日もいつもどおり難題で完膚なきまでにやっつけてあげるわ!」
こうして、二人にとって最期の弾幕ごっこが幕を開けたのだった。
◆◇◆
竹林の中を、激しい魔力のぶつかり合いによって生じた轟音と衝撃が奔る。
その衝撃を受け、中には根元から薙ぎ倒されたり半分から上を無理矢理折られてしまったりする竹もあった。
それほど二人のぶつかり合いはすさまじかったのだ。
妹紅も輝夜も出せる力のすべてを出し合う。
まるで、二人ともこれが最期となってしまうことを、本能的に感じているようでもあった。
その一方で、それぞれの保護者はいつもと同じように二人がぶつかっている側で観戦していたのだった。
しかし、今回ばかりは二人の間の空気は重かった。
最初二人とも何も話さなかったが、暫くして永琳が重い口を開いた。
「ねえ、どういうことか説明してくれないかしら?」
慧音のほうを向きながら永琳はゆっくりとつぶやくように言う。
彼女なりに色々と考えたのだろうが、その表情からするに結局は原因が分からなかったようだ。
慧音はそんな永琳を見て悲しく微笑む。
「どうもないさ。ただ今朝起きたら妹紅の能力が戻っていた。ただそれだけさ……」
再び彼女達の間を沈黙が支配し、魔力のぶつかり合う音しか聞こえなくなる。
二人ともそのぶつかり合いを見つつも、どこか心がここにないような感じに囚われる。
二人とも気づいているのだ。
おそらくこれが妹紅の最期の舞になるのであろう、と。
「ねぇ……」
永遠の美しき姫と不死鳥のこの世のものとは思えない舞をじっと見つめつつも、永琳はつぶやく。
「なんだ?」
同じく慧音もその舞を見つつも答える。
「妹紅のことだけどね、本当はもう一つだけ消滅を逃れる方法があるの」
「私の能力、歴史を食べ創る程度の能力を使って妹紅の能力についての能力の性質を変える、だろ?」
「……知っていたの?」
「もちろんだ。私自身の能力だから真っ先に考え付いたさ」
ふと、二人の目に魔力の衝撃によるものではない白い何かが映る。
最初は気のせいかと思ったのだが、暫くして2つ、3つと数が増えて再び視野の中へと入ってくる。
上を見ると、上空からはらはらと白い何かが無数に舞い降りてきていた。
どうやら、先ほど空を覆っていた雲が雪を降らせたらしい。
上空から舞い降りてきた雪は、二人の肌に積もって暫くの間原型をとどめるが、やがて体温により溶けてしまい水となって地面へと滴り落ちていった。
「だったら、なんでそれを実行しなかったの?」
そんな雪を手に舞い降りさせ、体温で消滅していくのを見ながら永琳は慧音に尋ねた。
慧音は暫く上空から舞い降りてくる雪をじっと眺めつつも、独り言のように答える。
「私の能力はいわば歴史を改竄する能力だ。この能力を使って妹紅の能力やその他の事を改竄することは、今までの妹紅や私と妹紅の二人の歩んできた道を隠蔽することになる。私は……今まで妹紅と歩んできた道を否定することだけはしたくない。ただそれだけさ」
「……それが、貴女と妹紅の出した答えなのね」
「ああ……今まで歩んできた道を改竄して自分達のいいように変えるくらいならば、私たちは例え死ぬよりもつらかったとしてでも運命に身を任せるほうを選ぶ」
「そう……貴女たちがそう決めたのなら、私はもう口出しはしないわ」
「……ありがとう、永琳。そしてすまない……」
それっきり、二人の間に言葉はなくなった。
段々と上空から舞い降りてくる雪の数が多くなってきている中、そろそろ二人のじゃれあいのほうも決着がつきそうだった。
◆◇◆
ばちんっ!
二人の間で御札と光の玉がぶつかりあい、弾けあう。
お互いに弾幕をけしかけて牽制してそれぞれの隙を探り続けていく。
妹紅も輝夜も手元に残っているスペルカードは奥の手であるラストワード一枚だけなのである。
それ故に、二人ともより慎重になり、いざというときを探っているのである。
しかし、先ほどから全力でぶつかりあい続けている為、お互いの体力はもうほとんど残っていなかったのだ。
一定の間合いを保ったまま弾幕を張り続けていた妹紅と輝夜だが、これ以上やっていても埒が明かないと判断し、一旦お互いに弾幕を出すのをやめる。
「ねえ、輝夜。あんたも私も残りのスペルカードは一枚ずつ……しかもとっておきのスペルカードが残っているだけ。ここは一つ、同時にカード宣言して最後の勝負に出るのはどう?」
「あら珍しい。妹紅と意見が合うとは思ってもいなかったわ。いいわ。その案に乗ってあげる。ただし、最後に勝つのは私だけどね」
「ほざけ」
そしてお互いにスペルカードを出し合う。
「これが最後の手だ。覚悟はいいか?」
「貴女に最後難関を出してあげる……」
「燃え尽きろ!『フェニックス再誕』!!」
「迷いへと誘え!『蓬莱の樹海』!!」
二人同時にスペル開始宣言をする。
そして、最後の手であるラストワードがお互いの周りに展開されていく。
妹紅の周りには火の玉によって生み出されたが不死鳥の形を何羽もかたどっていき、輝夜へと標準が合わされる。
輝夜の周りには七色の光の玉が次々と生み出され、辺りをまぶしく照らしつつも生き物のようにうねり始める。
「「行け!!」」
二人が同時に叫び、それぞれの弾幕が対象となる相手へと襲い掛かる。
妹紅は迫り来る七色の光の玉の奔流に身を躍らせ器用に弾幕の隙間を塗っていき、輝夜へと向けて無数の不死鳥を放ち、同時に輝夜の進路を防ぐかのような弾幕の布石を張っていく。
輝夜は迫る繰る無数の不死鳥を優雅に翻弄して受け流していき、まるで舞を舞うかのように七色の光の玉の奔流を操り妹紅の動きを徐々に制限していき、袋小路へと追いやっていく。
二人の最後の弾幕は今までよりもはるかに幻想的で現実離れしていた。
おそらく、この周辺に妖が残っていたとしたらあまりの非現実的な美しさに魅了され、自分が消滅したことも分からぬまま身を滅ぼしていっただろう。
妹紅と輝夜はそんな弾幕の真っ只中で相手の弾幕を舞うように避けて行き、同時に相手への弾幕の密度を高めていく。
しかし、二人とも相手の弾幕を見事に避けていき、自らの舞を舞っていったのだった。
この場にいる誰もが、永遠にこの舞が続くのではないかと信じて疑わなかった。
「あっ……」
だが、その時に変化が訪れた。
一瞬、ほんの一瞬の事だが妹紅の反応が鈍る。
そのせいで避けれたはずだった弾幕が目の前に迫ってくる。
――もう駄目だ。
そう妹紅があきらめた瞬間、目の前の光の玉の弾道が急に進路を変えて妹紅からそれていく。
「きゃあぁぁぁぁっ!!」
それと同時に輝夜の悲鳴が聞こえたのだった。
妹紅が輝夜のほうを見ると、不死鳥の弾幕を被弾し、地面へと落ちていく輝夜の姿があった。
◆◇◆
勝負はついた。
結果は妹紅の勝ちだった。
妹紅の弾幕を受けて地面に落ちていった輝夜だったが、地面に激突する前に永琳によってその体を受け止められる。
その様子を見て、妹紅は勝ち誇ったように慧音の元へと降り立って輝夜のほうは勝ち誇って見る。
「ふっふっふ~ん♪これでやっぱり私が強いってことが証明されたね♪」
「くぅぅぅ……悔しいぃぃぃ!」
永琳の腕の中で悔しそうに身を捩る輝夜。
見たところ、弾幕による傷も大したことない。
「もう、今日は本当に興醒めよ!永琳、さっさと帰るわよ!こんなのに付き合ってらんないわ!」
「でも姫様。もう少し……」
「いいから早く!!」
輝夜に今までにないような剣幕で迫られ、永琳は思わずひるんでしまう。
正直、永琳は輝夜の事を思ってできるだけこの場に留まりたいのだが、当の輝夜がこの調子だとそれも叶いそうにない。
しかたがなく、永琳は輝夜を連れて永遠亭に変えることを決意したのだった。
「……分かりました。それでは今から戻りましょうか。慧音、妹紅。今日はお邪魔するわね」
「ほら、早く行くわよ!」
永琳は口調と表情では普通を装うが、その瞳は今にも泣きそうだった。
しかし、輝夜はそんな永琳の気持ちなんか我知らず、とりあえず帰りを急かすのだった。
そんな輝夜をなだめつつ、永琳はこの場を後に仕様としたその時、
「妹紅」
今までずっと急かすだけだった輝夜が急に静かになり、妹紅へと呼びかける。
「これは貸しよ。私のほうが絶対に強いことを今度証明してあげるからね。だからこのまま逃げるんじゃないわよ?いい?絶対に次の時に私の本当の実力を見せるからね!」
念を押すように何度も何度も言う輝夜。
その様子を見て永琳と妹紅は気づいてしまった。
「……分かったよ。ちゃんと次にあんたの実力を見てそれもろともやっつけてあげるから安心しなさい。私は何処にも逃げ隠れしないわ」
その言葉を聞いて納得したのか、輝夜はもう一言もしゃべらなくなった。
永琳はその様子を確認した後、輝夜を抱きかかえたまま永遠亭のほうに向かっていったのだった。
永琳と輝夜が立ち去る様子を妹紅と慧音は黙って見送り続けた。
そして二人の姿が見えなくなった頃、慧音は心配そうに妹紅を見る。
そして、異変にようやく気づいたのだった。
「あの馬鹿…………本当に…………ありがとう…………」
ばたん
そうつぶやいて妹紅の体は地面へと吸い込まれるように倒れたのだった。
◆◇◆
永琳は一言もしゃべらずに永遠亭へと向かっていく。
輝夜も先ほどとはうってかわって黙ってしまい、ずっとうずくまるように体を丸めて膝を抱えるような格好で永琳に抱き上げられていた。
そして、時々輝夜の背中が小刻みに震えるのだった。
そんな輝夜の様子を見、永琳は決意した。
永琳はその場に止まり、自分の腕の中で丸まっている輝夜を優しく見つめる。
「姫様、本当にいいのですか?このままだとこれから永遠に後悔することになりますよ?」
永琳の声にぴくっと輝夜が反応する。
その様子を見て永琳はそのまま続ける。
「おそらく妹紅も姫様が知ってしまった事に気づいていると思います。それに、最後のあの弾幕……姫様が故意に曲げたのでしょう?」
再びぴくっと輝夜の体が反応する。
それから見るに、永琳の言っている事は当たっているのだろう。
「いつから気づいておられたのかは分かりませんが、おそらく長い間姫様は思い悩んでいたのでしょうね。本当に気づかずにいてすみませんでした。けど、だからこそあえて言わせていただきます。どんなに辛くても現実を受け入れないと、それ以上に辛くなることだってあるのですよ……」
そういいながらも永琳は泣いていた。
自分がいま腕に抱いている姫はきっと自分以上……いや、自分が想像できないほどに思い悩んでいたのだろう。
形の上で憎み合って殺し会っていたとはいえ、輝夜にとって妹紅は昔からの知り合いでお互いの事を誰よりも知っている。
そんな妹紅が消滅してしまうという時の辛さは計り知れないだろう。
そのような苦痛に気づけなかった自分を、永琳は攻めたてる。
「永琳は……悪くない……永琳は私を苦しませない為にずっと黙って隠し通していてくれたんだから……」
そんな永琳に答えてか、輝夜は鼻声で答える。
輝夜も同じく泣いていたのだった。
「私が気づいたのは……一ヶ月前のあの日……永琳が妹紅と慧音に話しているのを盗み聞きしていたからなのよ……」
時折しゃくりながらも、輝夜は全てを話していく。
そこにはもはや、先ほどの威勢は何処にも見当たらなかった。
「そうだったんですか……辛かったですね……」
ぎゅっ、と永琳は輝夜を抱きしめる。
それに答え輝夜も永琳を抱きしめ返してくる。
しかし、今はこうしている時間も無駄には出来ないほど切羽詰っている状況だった。
「なので姫様……なにも恥じることはありません。自分を偽る必要はありません。自分の気持ちに素直に従ってください。それが……正しい行動です」
輝夜は永琳から離れ永琳を見つめる。
永琳の目は真っ赤に腫れており、涙がとりとめなく溢れ出していた。
「……妹紅っ!!!!!」
輝夜は妹紅の名前を一度叫ぶや否や、もと来た道を全力で飛んで戻っていったのだった。
永琳もそれに続く。
二人が先ほどの場所に戻った時、
妹紅の体は、
地面へと横たえられていたのだった。
◆◇◆
「妹紅っ!!妹紅っ!!」
慧音は地面へと倒れこんだ妹紅の体を抱き上げ必至に呼びかける。
妹紅はその慧音の声に反応して慧音を見つめる。
「あれ……どうしたんだろう……急に体に力が入らなくなっちゃった……」
そういって妹紅は力なく笑う。
その表情は今にも消え去ってしまいそうなほど弱々しかった。
「妹紅……っ!無茶ばっかりしやがって……っ!」
ぎゅっ、と慧音の腕に力がこもる。
慧音の瞳にはすでに大粒の涙が浮かび、耐え切れなくなった涙がぽたぽたと妹紅の服に滴っていっては吸い込まれていく。
「ごめんね……慧音……私、嘘ついてた……」
「ああ、知っている……本当は全然治ってなんかいなかったんだろう?」
「あはは……慧音にはなんでもお見通しなんだね……うん……今日一日能力を使えたのはね……ほら……蝋燭が燃え尽きる瞬間ってものすごく燃えるでしょ?あれと同じだったんだよ……」
「全く……お前って奴は……」
妹紅は再び力なく笑う。
慧音もそれに釣られて涙をぽろぽろ流しながらも微笑む。
しかし、お互いの笑みに後悔の色は全くなかった。
空から降ってくる雪が勢いを増し、辺りの景色を白く染めていくほどになっていた。
慧音は自分に降り積もる雪は気にせずに、妹紅の顔や頭に雪が降り積もらないようにしてやる。
妹紅はそんな慧音の様子を見ながらもじっと慧音の瞳を見つめる。
しかし、雪を払っているのにも関わらずに妹紅の姿は段々と白くなっていく。
「慧音……」
「ん、どうしたんだ妹紅?」
慧音は妹紅の頭を膝にのせ、膝枕のようにしてあげつつも聞き返す。
妹紅はそんな慧音の膝枕を堪能しつつも言葉を続ける。
「ありがとうね……私の馬鹿なわがままに付き合ってくれて……」
「いまさら礼なんていわなくて言いぞ。最期まで普通の暮らしを妹紅と一緒に続けたかったのは、私の願い出もあるからな」
「うん……私……後悔してないからね……本当に楽しかった……」
「私もだ……」
そして再びお互いに泣きながら微笑みあう。
妹紅の体はどんどん白くなっていく。
否、白くなっていっているのではない。
白に見えるのは地面に積もっている雪のせいなのだ。
妹紅の体は、今、文字通り消えかけているのだ。
慧音は妹紅の髪を優しく撫でてやる。
まだ感触が残っているうちに、できるだけ妹紅の感触を味わっておきたかったのだ。
「妹紅っ!!!」
その時、荒い息と共に妹紅の名前が呼ばれる。
慧音が声をした方向を向くと、そこには息を荒げながらもこちらへと向かってくる輝夜と永琳の姿があった。
「妹紅っ!」
「輝夜……」
輝夜は妹紅の側につくや否や、慧音の膝枕に頭を預けている妹紅を力強く抱きしめた。
「どうしたのさ……興醒めて永遠亭に帰ったんじゃなかったのか……?」
「馬鹿っ!!そんなことしていられる訳ないでしょう……妹紅……馬鹿妹紅……っ!!」
「馬鹿はどっちだよ……全く……気づかなければいいものを……」
「そんなこと言わないでよ……っ!私……私……っ!!」
輝夜の腕に力がこもる。
まるで妹紅がもう何処にも逃げれないようにするかのように。
そんな様子を見て妹紅は苦笑し、同じく力強く輝夜を抱きしめてやる。
「ごめんね……あんた一人を残して先に逝っちゃうなんて……本当に私って最低……」
「ああ……本当に最低よ……阿鼻に堕ちてしまうほど最低……だから……」
そういってから輝夜は妹紅から離れる。
そして、一度慧音のほうを見てから永琳の側へと歩いていく。
「だから、絶対に戻ってきて私にその罪を償いなさい。そうしたら許してあげなくもないわ」
「それは……かなり無理な注文……じゃないか……?」
「阿鼻の罰よりかは全然無理ではないでしょう?ちゃんと待っているからね。何年でも何十年でも何百年でも」
輝夜の顔は涙でぐちゃぐちゃになっているが、その口元には勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
その笑みを見て妹紅は安心した。
輝夜はもう大丈夫だ……と。
妹紅が輝夜と話している間に、妹紅の体はほとんど消えそうな状況まできてしまっていた。
そのためか雪の冷たさによるものかは判断がつかないが、慧音の膝にはもうほとんど妹紅の感触を感じることが出来なくなっていた。
もうほとんど時間は残されていなかった。
妹紅は一度大きく息を吸い、そして吐いてからかろうじて首を動かし、ここにいる全員の顔を一人ずつ見つめていく。
「永琳……」
「何かしら?」
「薬とか色々ありがとうね……それに……永琳がいてくれたおかげで……慧音や輝夜と出会ったりこうしていろんなことを経験できることができた……本当にありがとう……」
「そんなこと……こちらこそありがとう……すごく楽しかったわ」
「輝夜……」
「ん……」
「あんたと色々やりあって本当に楽しかった……あんたがいなかったらとっくの昔に生きるのに飽きていたと思う……本当にありがとう……」
「私も同じよ。だからこそ、ちゃんと約束は守るのよ?」
「できるだけ善処する……」
二人に向かってそれぞれ言葉を送ってから、再び妹紅は慧音を見つめる。
妹紅にとって最も愛しい人。
妹紅にとって最も大切な人。
伝えたいことはまだまだたくさんある。
だけど、それを口にだす必要はなかった。
ただ見つめあうだけで、思いを通じあわせることができたのだ。
「慧音……」
「なんだか私……すごく眠くなってきたよ……」
「うん……だから……私ちょっと眠るよ……」
「朝になったら……また……いつものように起こしてね……」
「あはは……楽しみだなぁ……それじゃあ……そろそろ寝るね……」
「お休み……慧……音……」
とさっ……
今まで妹紅が着ていた服とリボンが、雪の重みに耐え切れず慧音の手の中に落ちた。
「……なあ……永琳……」
「……何かしら?」
「私……最期まで笑っている事が出来たか……?」
「ええ……」
「最期まで……妹紅は……笑っていた……か……?」
「……ええ……」
「うっ…………妹紅……もこ……う……っ……!!うくっ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
慧音は手にある妹紅の衣服とリボンを抱きしめ、力の限り泣いた。
今までずっと我慢してきた感情は、関を切ると留まることを知らない勢いで慧音を揺るがしていく。
同じく、永琳と輝夜も自分の感情の奔流に任せて泣いた。
三人の慟哭が竹林の中に響く。
そんな三人を、天から舞い降りてきた白い妖精たちが優しく包み込んでいったのだった。
~17.靈禽蓮々歌~
季節は春。
春はすべての生命の誕生の季節。
今年は冬が長く続いたり花が異常に咲くこともなく、実に平和だった。
里の子供達もようやく訪れた暖かな陽気を喜び、元気に外で遊んでいる。
今日も人間の里は平和そのものであった。
「これで今回の依頼の内容は全部ですね?」
「ああ。思わず膨大な量になってしまってすまないな」
「気にしないで下さい。これも私の役目なんですからね」
そういいつつも、阿求は今まで慧音から聞いた話を書き上げた草紙をもう一度そろえて苦笑した。
今までも何度も様々な御伽噺やら世間噺やらを書物としてまとめてきたが、ここまでの量になったのは早々ないだろう。
とりあえず、一つでもなくなっては今後の製本の際に大騒ぎになってしまうので、用心して紐で草紙を縛っていく。
一回じゃ少し不安だったので、もう一本紐を持ってきて二重に縛り上げていく。
これでよほどの事がない限り、一枚だけ何処かになくなってしまうという事はなくなるだろう。
「しかし、今回の内容はすごいですよ」
「どういうことだ?」
慧音は首をかしげ、興味ありげに阿求の方を見る。
阿求はそんな慧音の視線に気づいてか、こほん、と一度咳をしてから続ける。
「今回慧音さんからお聞きした内容は今までの話とは全く毛色の違うんです。なんというか、普通だと実体験に基づく話にしてもどこか『お噺』っていう雰囲気が抜け切らないんです。ですが、今回の内容はそういった『お噺』の雰囲気は全く見られないで、代わりにこれでもか!ってくらいに生々しさが伝わってくるんです」
わざわざ手を大きく広げて『これでもか!』の具合を表現する阿求。
そんな阿求を見て、ついつい慧音は笑みをこぼしてしまう。
「あ、酷いです。人が真面目に質問に答えているのに」
「すまない。ついその仕草が面白くてな……だが、きっと生々しさが残るのはきっとつい最近本当にあったことだからだろうな」
くっくっく、と忍び笑いをこぼしながらも、慧音はこの冬にあった出来事……妹紅の最期を思い出した。
あの後、慧音は覚悟していたとはいえ、やはり暫くの間はふさぎこんでしまっていた。
毎日に覇気がなく、事あるごとに妹紅の事を思い出しては一人泣いていたのだった。
もちろんそんな状況で寺小屋を開けるはずもなく、暫くの間庵に閉じこもりっきりになってしまっていた。
そんな慧音の元に、永琳や里の子供達が慰めに来てくれたのだ。
慧音にとって、それは最初鬱陶しいものでしかなかった。
だが、何度も何度も繰り返し慧音の元に訪れて声をかけてきてくれる里の子供達の声が、段々と慧音の心の氷を溶かしていったのだった。
そして、慧音はこうして立ち直ることが出来たのだった。
永琳や里の子供達に対しては本当に感謝しても仕切れないほどである。
また、慧音もいつまでも妹紅の事を引きずることも出来ないのでこうして阿求に頼んで妹紅の事についての物語を書いてもらうことにしたのだった。
もちろんそれで完璧に妹紅への思いを断ち切るわけではないのだが、それでも妹紅と共に歩んだ道を書物として残すことによって慧音の心は幾分か軽くなった。
書物を通せば、妹紅が存在したこと、そして妹紅が自分と歩んでいたことを大勢の人に知ってもらえることが出来る。
そして、誰かの心に妹紅の物語が留まってくれる限り妹紅が帰るための縁となるだろう。
そんな願いがあって、慧音は阿求にこれまでの出来事を綴った本の製本を頼んだのであった。
「慧音さん、聞いていますか?」
阿求の声で慧音は我に帰る。
「すまない。少し物思いに耽ってしまっていた」
「もう……折角人が質問に答えてあげていましたのに……それじゃ指導者として失格ですよ?」
「今度から気をつけるよ。で、なんのことだった?」
慧音は頭を下げて真剣に謝る。
そんな慧音の様子をみて、はぁっ、と息をついてから阿求はゆっくりとしゃべりだす。
「ですから、慧音さんの物語がやけに生々しいって言うことですよ。実体験にしろ、こんなに辛い話の場合はどうしても噺として婉曲させることで自分に言い聞かせて、そして自分の心の傷を癒そうとすることが多いんですよ。ですが、慧音さんの場合はそれが見られない……つまり、妹紅さんとの別れを真正面から受け止めている事が出来ているということです」
人差し指を立てて説明する阿求を見て、ふと慧音は阿求が指導者に向いているんじゃないかと思う。
だが、ここで深く考えてはさっきの二の舞になるために深く考えるのをやめた。
すると、阿求は急に辛そうな表情をして慧音を見たのだった。
「本当に……辛かったと思います」
「ああ……里のみんなや永琳がいなかったら私は立ち直ることが出来ていなかったかもな。それに、このままうじうじしていると妹紅に笑われるだろうからな」
慧音はそういって微笑みながら、今自分の髪につけているリボンを触る。
これはあの時、妹紅が遺していったものをそのままつけているのである。
「そうですか……」
それに気づいた阿求はしまったという顔をしてから申し訳なさそうにうつむいてしまった。
一気に場の雰囲気が重くなる。
確かに本の内容がそういう雰囲気のものというのもあるが、流石にこの雰囲気が長く続くと気まずいので慧音はどうにかして雰囲気を変えようと思索する。
と、その途中で阿求が急に顔を上げる。
「そうだ。慧音さん、この物語の題名は何にしますか?まだ聞いていなかったんですが……決まっていますか?」
おそらく阿求も同じ考えだったのだろう。
話題を転換することによって場の雰囲気を元に戻すことには成功した。
「ああ。もう決まっている」
そう、この物語を編纂してもらおうと決めた時から決まっていたのだった。
その題名は……
「『靈禽蓮々歌』だ」
「れいきんれんれんか……ですか?」
「ああ。靈禽……つまり不死鳥が自らの宿命から逃れて転生の象徴となり蓮に新たな命として生まれ変わる。そういう意味を持たせたつもりだ」
「なるほど……靈禽蓮々歌ですか。この靈禽というのは妹紅さんを表しているわけですね」
「そういうことだ」
そういって慧音は優しく微笑む。
そんな慧音の微笑みを見ながらも、阿求はとあることに気づいた。
――慧音さん。これをわざとやったのか、それとも偶然こうなったのかは分かりませんが、慧音さんの願いはきっと叶うと思いますよ。
靈禽蓮々歌。
慧音さんと妹紅さんの冷たく澄み切った無形の魂である『靈』は、いくら離れ離れになってもお互いを『禽』とす……つまり、お互いがお互いを引き寄せあい捕らえあう。例えそれが、何回も『蓮』の中から生まれ変わったその後であっても――
今日のような春の朗らかな日には、冬の寒さに耐え切った種子がその目を土から覗かせ、新たな命をはぐくむ為に相手を探し子孫を残していく。
それは植物に限らず動物……人間にも共通の事である。
その日
幻想郷のどこかで
~Fin~
~13.二人の絆~
慧音が紅魔館から里に戻ってきたのは、日付が変わるか変わらないかという時だった。
秋が終わり、冬が始まってどこぞの冬の忘れ物がひょっこり姿を現してくるこの時分、夜の大気は凛と張り詰めており問答無用に慧音の体温を奪っていく。
そして、空を仰ぐと澄んだ空気にふさわしい大きく綺麗な月がその姿を見せている。
それは紅魔館のときの紅い月とは違い通常の色に戻っていた。
慧音の庵は里から少し離れた高台にあるのだが、慧音はすぐにそこには向かわずに村の中の様子を一通り見ていった。
慧音は紅魔館での出来事で心身ともに疲れきっているはずなのにしっかりと里に気をかけるのは流石というべきだろうか。
そんな慧音の日ごろの行いのおかげか、里の民は居酒屋を除き既に寝静まってしまっているらしく酔っ払いの喧騒と蟲の鳴き声以外に物音は聞こえない。
異常はどこにも見当たらなかった。
それを確認した後、慧音は自らの庵へ続く長い階段へと足を向けた。
庵へと続く階段の左右は多くの樹木で覆われているため慧音が階段に差し掛かるや否や、今まで聞こえたのをはるかに越える大音量で蟲の大合唱が始まる。
りぃんりぃん
ちょんぎぃすちょんぎぃす
ちろちろちろちろ
鈴虫に螽斯、蟋蟀だろうか。
秋ももう終わってしまっているのに蟲達は自らの子孫を残すため、力を振り絞って鳴き続けている。
いや、もしかしたら何処かであの蟲の女王が今年最期の合唱会を開いているのかもしれない。
そうだとしたら、なんと風情がある悲しき合唱会なのだろうか。
慧音は階段を一歩一歩上りつつそんなことを思う。
だが、その蟲の合唱も階段を上りきると遠のいてしまう。
その変わりに一軒の質素な庵が慧音の視界に入ってくる。
それが慧音の庵だった。
慧音の庵には妹紅はいるのだが、時刻は子三つ時になるかはいらないかの時間である。
普通なら既に寝てしまっているだろう。
だが、慧音の庵には明かりが灯っていたのだった。
「なんで灯りが……?」
慧音は一度目をこすってみるが、やはりしっかりと灯りが灯っているようだった。
「もしかしたら、妹紅がそのまま囲炉裏のところで眠ってしまったのか?」
こんな寒い中、布団にも入らず眠ってしまったら風邪をひかないわけがない。
その考えが慧音の頭の中に浮かんだ瞬間、慧音は歩く速度を速め、がらっ、と少し乱暴に庵の戸を開ける。
と、
「あ、慧音!お帰り!」
戸の向こうには囲炉裏の火にあたりながらも、上からつるしてある薬缶で何かを暖めている妹紅の姿があった。
「あ、ああ。ただいま、妹紅」
予想外の光景に呆気に取られてしまい、妹紅の言葉にかろうじて反応するが慧音の思考は一瞬停止してしまう。
その様子に気づいていないのか、妹紅は永遠亭にいたときの表情とはうって変わって元気な表情で微笑みながら慧音を迎え入れる。
しかしそれも一瞬の事で、慧音はすぐに状況を飲み込むと戸を閉めて妹紅のいる囲炉裏まで来て腰掛ける。
「はい、あったか~いお茶だよ♪外、すごく寒かったでしょ?」
「ありがとう、妹紅。ちょうど温かい飲み物が欲しかったところなんだ」
妹紅は、今まで囲炉裏で暖めていた薬缶から湯呑みに温かいお茶を注いで慧音に手渡す。
湯呑みからのじんわりとした温かさが慧音の冷え切った手に伝わる。
慧音は暫くの間湯呑みの暖かさを堪能しつつもお茶が少し冷めるのを待ち、ほどよい温度になったところでゆっくりと口に含んで喉へと流していく。
お茶の温かさと囲炉裏からの暖かさが冷え切った慧音の体をゆっくりと温めていく。
そのおかげで緊張が完全に解れたのか、ふぅ……、と慧音の口から息がもれる。
「一息つけた?」
その様子を見て妹紅がひょいっと身を乗り出して慧音に声をかける。
「ああ、妹紅のおかげで気持ちが落ち着くことができたよ。ありがとうな」
「えへへ♪」
慧音が妹紅に微笑みかけると妹紅は恥ずかしそうに頭をかく。
そんな妹紅の仕草を見て、慧音は心も何かで満たされていくような気がした。
そして二人の会話が途切れる。
妹紅は慧音に尋ねたいことがたくさんあるだろう。
そして、同時に慧音が妹紅に言いたいことも同じくらいたくさんあるだろう。
だが、二人ともあえて何も言わずにいる。
言葉で言わずとも何が言いたいのか伝わる仲とはよく言うが、今の二人はそのような間柄なのだ。
それ故、お互いに相手が何を考えどのように行動するかが手に取るように分かる。
そして、そのことがお互いの心を満たし緊張を解していくのだった。
ぱちっ、ぱちっ、と途切れ途切れに囲炉裏から火の爆ぜる音が聞こえてくる。
その音とは反対に優しい暖かさが二人を包んでいく。
まるで母親の腕に抱かれて子守唄を聞いているような心地よさに、眠気が慧音を襲い始める。
ふぁ……
見ると妹紅も同じらしく大きな欠伸をしている。
今日一日だけでもかなりの出来事があったため、二人ともかなり疲れているはずだから無理もないだろう。
「妹紅、無理はしないで体を休めた方がいいぞ?永琳の薬が効いているとはいえ、まだ安静にしておかないといけない状態だろう?」
そう、今は容態が安定しているとはいえ妹紅の体は消滅しかかっているのだ。
当然無理をせずに早めに体を休ませるほうが良いため、慧音も紅魔館へでかける際には妹紅に無理をせずに早く寝るよう言ってあったのだ。
「うん、ありがとうね。でもやっぱり慧音が帰って来るまでは気になって眠れなかったんだよ。それに……寝るなら慧音と一緒に寝るのが……いいな?」
てへっ、と悪戯のばれた子供のように舌をだしてから甘えるように上目遣いで慧音を見つめる妹紅。
そんな妹紅の健気さを見て慧音は愛しさを覚えると同時に切なさがこみ上げてくる。
「慧音?どうしたの?私と寝るのはイヤ?」
その気持ちが顔にでも表れたのか、妹紅が心配そうに慧音の顔を覗き込んでくる。
「いや、そんなことはないぞ。その……いきなりだからちょっと吃驚しただけだ」
慧音は慌てて気持ちを押さえ込み、妹紅に微笑みかけて優しく頭を撫でてやる。
撫でられたのがよほど嬉しかったのか、妹紅は今度は慧音に体を摺り寄せ半ば抱きつく形になる。
「だったら一緒に寝よ?そうすれば私も良く寝れるしさ♪」
「でも私はまだ風呂に入ってないし……」
「そんなの明日の朝でいいじゃない。私も一緒に入ってあげるしさ。だから……ね?」
慧音に寄りそりつつもじっとおねだりするように見つめてくる妹紅。
そんな妹紅を退ける事は今の慧音には出来なかった。
はぁっ……、とわざとらしく大きくため息をついてみせる。
「まったく……分かったよ。それじゃあ今日は一緒に寝るか」
「やった!だったら早く寝に行こうよ♪」
「こらこら。そんなに引っ張らなくても私は逃げないよ」
慧音の返答を聞くや否や、妹紅は満面の笑みを浮かべながらも慧音を寝室へ促していく。
そんな妹紅に引っ張られて苦笑しつつも、慧音はとあることを決意したのだった。
これから訪れるであろう最期の時まで妹紅の側に付き添い、できるだけ多くの妹紅の笑顔を記憶に遺していこう、と。
~14.惹かれあう魂~
妹紅に異変が起こった日からの一週間はあっという間に過ぎていった。
最初にある程度里に馴染めたとはいえ、元々妹紅は積極的に里の人々とはかかわろうとしていなかったためにやはり最初のうちはどこかぎくしゃくして、どのようにして里の人に接していいのか戸惑っていたようだ。
しかし、2,3日もすれば完璧に里に馴染んでいった。
特に普段は接する機会のほとんどない子供達とよく遊んでいるようだった。
慧音にとって妹紅が里の人たちと仲良くしていくのは嬉しいことであったのだが、あまりに馴染みすぎて子供達と一緒に悪戯を仕掛けてくるのはちょっとやりすぎではないかと思っていた。
まあ、仲が悪くて疎遠になるよりかははるかにマシではあるのは事実なのだが……
そんな感じであっというまに時間が過ぎていったわけだが、ちょうど一週間が経ったこの日、里では今年初めての雪が降ったのだった。
雪の降り始めは夜分だったらしく、慧音と妹紅が目を覚ました頃には既に辺り一面が銀世界へと変貌していた。
正直雪が降るのは毎年の事であって慧音や妹紅にとっては真新しいことではなかったのだが、妹紅は目の色を変えて喜び、朝食を食べるや否や里の子供達のもとへと走っていったのだった。
そんなことがあったのがかれこれ二刻ほど前の事である。
時間的に考えて、そろそろ妹紅が昼食を食べに庵へ戻ってくる頃合だった。
おそらく妹紅は雪遊びで体が冷え切って帰ってくるだろうと判断し、慧音は薬缶に水と蜂蜜を混ぜたものにレモンを加えた特製のジュースを入れ、竈の火にかけていた。
コトコトコトと、ゆっくりとジュース温まっていく音が庵の中に響く。
そして、程よくジュースが温まったところで竈からおろし、囲炉裏の上に吊り下げておく。
こうすることで薬缶の中はいい感じに暖められ、ちょうどいい温度をずっと保つことが出来るのだ。
ふと、慧音が視線を窓に向けると、外は太陽が顔を見せていながらもしとしとと雪が降っていた。
ちょうど太陽の光が雪に乱反射し、きらきらと輝いているように見える。
――こういう雪の事を確かダイヤモンドダストと言ったかな。
以前読んだ書物の知識を思い出しつつも思わずその綺麗さに魅入ってしまう。
――妹紅はさぞ大喜びだろうな。
今頃里で、子供達と一緒にこの雪と光の生み出す幻想を見てはしゃいでいる妹紅の姿を想像し、思わず慧音の頬が緩む。
しかし、今の妹紅はダイヤモンドダスト……いや、それよりも儚い存在なのだ。
そのことを思うと、この幻想の綺麗さがより一層慧音の胸を締め付けていく。
だが、すべてを受け入れると心に決めた慧音はその不安に押しつぶされることはなかったのだった。
そんな風に慧音がダイヤモンドダストに見惚れ物思いに耽っていると外から、さくっさくっさくっ、とリズムいい音が慧音の耳に入ってきた。
その音に我に返った慧音が戸のほうに目をやるのとほぼ同時に、がらっ、と勢いよく戸が開く。
「ただいまー!」
そこには慧音の予想通り、戸を開けたのは外から帰ってきた妹紅だった。
妹紅は首に巻いていたマフラーと手袋を床に放り投げると、せかせかと囲炉裏の火にあたりに行く。
「あ゛~……生き返るぅ~……」
「ははは……外は寒かっただろう?」
「雪がこんなに冷たいってことすっかり忘れていたよ。う~……手が冷たい手が冷たいよぉ」
口ではそういう風に言っているが、妹紅の顔はまさに今日会ったことを嬉しそうに母親に話す子供そのものだった。そんな妹紅の様子を微笑ましく思いながらも、慧音は先ほど妹紅の脱ぎ散らかした衣類を拾い集めていく。
おそらく雪合戦でもしたのだろう、それらは溶けた雪でびちょびちょになっていた。
「そりゃあ、こんなになるまで遊んでいたら寒いだろう」
「うん……でもすっごく楽しかったよ」
興奮した様子で嬉しそうに話す妹紅を見てついつい慧音自身も頬がゆるんでしまいつつも、濡れた衣類を壁にかけていく。
そして、先ほどから囲炉裏で暖めていた薬缶から湯呑みにジュースを注ぎ、妹紅に手渡す。
「はい、寒い体を芯から温めてくれる慧音特製の飲み物だぞ。もしかしたら熱いかもしれないからゆっくり飲むんだぞ?」
「ありがとう、慧音。んっ……おいしい!」
「まだ薬缶に残っているからおかわりが欲しかったら言ってくれな」
「うん!ということでおかわり!」
「本当に早速だな」
慧音は苦笑しつつも妹紅から湯呑みを受け取り、薬缶からジュースを注ぐ。
妹紅はそれをまたすぐに飲み干していく。
そして3,4杯飲み干したところで、ほぅっ……、と大きく息を吐く。
「ねえ、慧音」
「ん、どうしたんだ、妹紅?」
慧音は自らの湯呑みにもジュースを入れつつ、妹紅の話に耳を傾ける。
「私、かれこれ1000年以上生きているけど、もしかしたらこんなに楽しいのは初めてかもしれないよ。大好きな人と一緒にいて、みんなと一緒になって騒いで遊ぶ……こんななんともないことがものすごく楽しかったなんて知らなかったよ」
慧音は何も答えずにただじっと妹紅を見つめる。
妹紅は不老不死となる前はあまり恵まれた環境ではなかった。
彼女自身は貴族の家に生まれたのだが、もともと望まれて生まれてきた子ではなかったためにほとんど存在を隠されて育ってきたのだ。
それ故、年の近い子と遊んだり関わりを持ったりという機会がなかったのである。
更に、不老不死となってからも異端者として人から忌み嫌われ、幻想郷に移ってきてからも慧音や輝夜達を除きほとんど人と関わりを持とうとしなかったのである。
妹紅にとって人間はあまりにも儚く、尊い存在だったからだ。
その為、こうして人と遊んだりすることの楽しさを知ることが出来なかったのである。
妹紅はじっと囲炉裏の火を見つめている。
今まで妹紅にとって火は自分に一番近い存在であり、自分の力そのものでもあった。
しかし、それを失ったことで今度は人と関わることの楽しさを知ることが出来た。
大切なものを失い、大切なことを知る。
あの紅い吸血鬼ことレミリアが言っていた等価交換とは、本当はこういうことだったのかもしれない。
暫くして、妹紅はゆっくりと視線を移し慧音を見つめる。
「慧音、私ね、本当に慧音に会えてよかったよ。慧音と会うことが出来なかったらこの楽しみを知ることが出来なかったし、自分の能力を疎く思うだけだったからね」
「私も、妹紅と出会えて本当に良かったと思うよ。妹紅と一緒にいる事で私自身学ぶことも多くあるし、そして何より妹紅と一緒にいる時が一番幸せだからな」
「うん、私も慧音と一緒にいる時が一番幸せだよ」
お互いに見つめあい微笑みあう。
今の二人にとってはそれだけで十分なのだ。
「これからもずっと一緒にいようね、慧音」
「もちろんだ。私達はこれからもずっと一緒だ」
おそらくこの願いは叶えられないだろうという事は二人とも分かっていた。
しかし、それでも二人は固く誓い合う。
二人の思いが、運命によって引き裂かれた二人を再び巡り合わせる縁となることを願って。
~15.無慈悲な予兆~
それからまた二週間があっという間に過ぎていった。
最初は妹紅も里の子供達と毎日遊べるくらい元気だったのだが、時が経つにつれ段々と妹紅の体力も落ちてきてしまい、妹紅の容態に異変があった満月の晩から2週間と少し経った頃には外に遊びに行くことが出来なくなってしまっていた。
妹紅は里の子供達と遊べなくなったことを残念そうにしていたが、その分慧音と一緒にいる事が多くなり、事あるごとに慧音と話しては楽しむ日々を送っていた。
また、慧音は昼間には寺子屋を開いている為、妹紅は里の子供達と遊ぶ代わりに寺子屋にも顔を出すようになった。
妹紅にとって寺子屋で子供達に教え事をしている慧音はすごく珍しいらしく、最初のうちは興味心身で授業の内容にも耳を熱心に傾けていた。
しかし、そんな慧音の姿もだんだんと慣れてくるとつまらないもので、一週間も経たないうちに慧音の言葉は妹紅にとって心地よい子守唄と成り代わってしまっていた。
もちろん、慧音とて妹紅に対して罰は与えたくないのだがやはり妹紅だけ特別扱いするわけにもいかないので、ここは心を鬼にして巷で有名な頭突きをするのだった。
その時妹紅は頭をさすって痛がるだけなのだが、いざ庵に帰ると今度はそのことについて色々と文句を言ったりした。
しかし、そのやり取りの一つ一つが妹紅にとっては新鮮であり、とても楽しいものであったのだ。
そんな妹紅だったのだが、ここに来て風邪をひいてしまった。
風邪といってもほんの少し体温が高くて咳が出る程度のものだったのだが、妹紅の体の事もあるために、慧音はすぐさま永琳を呼んできたのだった。
「ふむ……熱は37度で喉に軽い腫れ。どうやら普通の風邪のようね」
永琳は妹紅の口の中に入れていたスプーンを取り出し、側にあったコップの中に入れてから眼鏡をはずし、ふぅっ、と軽く息を吐き肩の力を抜く。
その様子を見て慧音と妹紅もほっとした表情を見せ、緊張した部屋の中の空気が一気に緩む。
ちなみに永琳がかけている眼鏡だが、実は度が入っているわけでも特殊なマジックアイテムというわけでもない。
本人曰く、女医といったら眼鏡は絶対に欠かせないからつけているとの事だそうだ。
つくづく彼女の思考は理解し難いものである。
「とりあえず妹紅の能力とは関係ないようだから、ここ数日この薬をのんで布団の中でゆっくりしていれば大丈夫よ」
そういって永琳は慧音に薬を手渡す。
それは里のどの家にも置かれている薬箱の中にある人間用の薬だった。
「ありがとう、永琳。本当に何から何まで助かるよ」
「いいってことよ。これが私の仕事でもあるんだしね。あ、ちなみに今回の薬の代金はこれになるわ」
そういって永琳は料金が書かれた紙を渡す。
慧音はこぽこぽと永琳のためにお茶を入れてから、苦笑しながらもそれを受け取ってそこに書かれた値段を見て再び苦笑する。
「なんだかんだ言ってもここはしっかりしているんだな」
「あら、良心的な値段でしょ?」
「ああ。そういう意味でもしっかりしていると言ったんだ」
「ああ、そういうことね」
慧音の意図を汲み取り納得する永琳。
しかし、それと同時に永琳は少し驚いた表情を浮かべる。
「しかし、慧音がそんなことを言うなんてちょっと驚きね。ちょっと前まではなんのひねりもきかないほど頭が固かったのに」
「ちょっとした心変わりって奴だな。今までの私は少し物事を固く考えすぎていたせいで視野が狭くなっていたからな」
「そうは言っても、慧音の頭突きはかなり痛いけどね。絶対慧音の頭は石で出来ているよ」
「そんなことを言うのはこの口か?」
慧音は楽しそうに話す妹紅の背後にしのびより、うにー、っと妹紅の口を引っ張る。
いひゃいいひゃい、といいつつも妹紅の顔には笑みが浮かんでいる。
それは慧音も同じだった。
そんな二人のやり取りを見つつも永琳はゆっくりとお茶を飲む。
暖かいお茶がゆっくりと永琳の喉をとおり、冷えていた永琳の体を温めていく。
その感覚を味わいながらも、永琳はふと気になったことを口にした。
「そういえば、なんだか以前にもまして仲良くなっているような気がするんだけど……何かあったのかしら?」
その言葉に二人の動きが止まる。
二人とも何故かそっぽを向くような仕草をし、頬には少し赤らみを浮かべる。
――やっぱりね
永琳はそんな二人の仕草をみて何が起こったのか確信を持てた。
その確信が永琳の頬を更に緩め、二人の顔をどんどん真紅に染めていったのだった。
がらっ!
そんな和やかな空気の中、庵の戸が急に開かれて外の冷たい空気が一気に流れ込んでくる。
慧音と妹紅は、びくっ、と体を反応させて戸のほうを見て、永琳は何時でも臨戦態勢をとれるように身構える。
そんな中、戸の向こう側にいたのは……
「けーねせんせー!卵もってきたよー!」
慧音の寺子屋にも参加していて、妹紅ともよく遊んでいた里の女の子だった。
「あ、ああ……ありがとう。だけどこれはどうしたんだ?」
「今朝取れたばかりの卵だからけーねせんせーに渡しておいでっておっかぁが」
「なるほどな。ありがとうって伝えといてくれるか?」
「うん♪」
慧音は最初動揺した様子だったが、女の子の話を聞いて平常心を取り戻し、話し終えた女の子の頭を優しく撫でてやる。
女の子は撫でられると嬉しそうに、えへへ♪、と笑みを浮かべる。
その様子を見て永琳は体の緊張を解く。
と、女の子が妹紅と永琳を見渡し不思議そうな顔をする。
「ねーねー、けーねせんせー?」
「ん、どうした?」
「あの人だぁれ?」
そういって女の子の指差した先には……
「え……私……?」
布団で横になっている妹紅がいたのだった。
「誰って……ついこの間までみんなと一緒に遊んでいただろう?ほら、妹紅といっただろう?」
「えー?私あの子知らないよ?」
再び驚きと困惑を浮かべる慧音をよそに、女の子はただただ首かしげて物珍しげに妹紅を見つめる。
女の子の顔は本当に何も知らない様子であった。
「そ、そうか……だったら、私の勘違いだったのかもしれないな。ま、まあ、今ちょっと先生にお客さんが来ているから、また後で直接お礼を言いに行くってお母さんに伝えといてくれるか?」
「うん、分かったよ。そうおっかぁに伝えとくね~」
そういい残して、女の子は来た時と同じようにさっさと立ち去ってしまった。
部屋の中は先ほどとは一転して暗い雰囲気に包まれる。
「どういうことなんだ……今の娘は嘘をつくような子じゃないはずなのに……」
慧音は未だに状況が理解できない様子で困惑した表情を浮かべている。
妹紅は少し寂しそうな様子で慧音を見つめる。
ぴちゃん、ぴちゃん、と、台所から水の滴る音がやけに大きく聞こえてくる。
と、
「妹紅が消滅しかかっていることが原因かもしれないわね……」
今までずっと黙っていた永琳がぼそっとつぶやくように言う。
その言葉に慧音と妹紅は永琳のほうを向く。
二人の視線に答え、永琳は続ける。
「詳しいことは分からないけど、妹紅が消滅しかかっている事で妹紅の存在の境界が曖昧になり、それが原因であの女の子の記憶の中で妹紅の存在が朧になって消えてしまったかもしれないということよ。あくまで憶測の域にすぎないけどね」
「なるほど……な」
妹紅はすごく不安そうな顔で慧音と妹紅を見つめる。
確かに、女の子に忘れられたという事実はつらい。
だが、それ以上に慧音や永琳に忘れられてしまう事の方が妹紅にとってはつらかった。
いや、それ以上につらいことなんてきっと存在しないだろう。
そんな妹紅の心情が伝わったのか、慧音は妹紅の側にいってやり、優しく抱きしめてやる。
「あっ……」
「大丈夫だ、妹紅。私が妹紅の事を忘れるはずがないじゃないか。妹紅の存在の境界がどうなろうと、私と妹紅はそれ以上の絆でつながれているだろう?」
「うん……っ」
そういって慧音は優しく妹紅の頭を撫でてやる。
妹紅は慧音の言葉と頭を撫でられることで安心したのか、ぎゅっと慧音を抱きしめつつも嬉しそうな笑みを浮かべる。
「それは私だって同じことよ。色々とあったけど、これでももう何百年も妹紅と関わっているからね。もちろん姫様に対しても同じこと。だから恐れないでいいのよ」
「うん……っ!」
妹紅は嬉しそうに永琳の言葉に対しても頷く。
先ほど戸が開いたことで一気に冷えてしまった部屋も、徐々に囲炉裏の火によって暖かくなっていく。
その暖かさは、三人の体ばかりではなく心も温めていったのだった。
お互いを思い合う心。
それはお互いを結びあう唯一かつ決して切れることのない架け橋となる。
それさえあれば何も怖くないのだ。
だが、今回の出来事は単なる予兆でしかなかった。
運命のカウントダウンは刻一刻と零に向かって刻み続けているのだった。
~16.最期の夜~
時間の流れは年を取るにつれてだんだん速くなっていくという。
それは長く生きていくことによって周りの物事を受け流すことを身につけ、時間さえも無意識に受け流していってしまっているからだ。
そんな物事を受け流す能力をまだ身につけていない子供でも、時に無意識のうちに時間を受け流すことがある。
それは、子供がある一つの事に夢中になっている時だ。
子供は一つの事に夢中になると、全身全霊をそれに注ぎ込む為に他の事を受け流すようになる。
それが時間にまで及び、年老いた者が行うそれと同じ現象が起こる。
そして、今の妹紅はちょうどそれと同じ状態にあたった。
周りのすべてが真新しい妹紅にとって時間を受け流していくことは容易く、月日が経つのもあっという間であった。
そして、気がつけば異変が起こったその日からちょうど一ヶ月が経っていたのだった。
その頃には永琳の薬が効いたのか妹紅の体調はすっかりと良くなっており、むしろ以前よりも体調が良くなっているような感じであった。
そして、ちょうど月が満月となるその日の朝、妹紅は目覚めるや否や慧音の元に駆け寄った。
「ねえねえ、慧音慧音!!」
「ん?いきなりそんなに慌ててどうしたんだ?朝はまずおはようの挨拶だろう?」
「あ、ゴメンゴメン。おはよう慧音!」
「ああ、おはよう妹紅。で、何をそんなに慌ててるんだ?」
ちょうど慧音はその時朝ごはんの準備をしていたらしく、割烹着姿の慧音が振り返る。
その姿は若奥様という代名詞がぴったりとあてはまるくらいにあっていた。
慧音ほど割烹着姿の似合う人物というのも少ないだろう。
そんな慧音に目もくれず妹紅は慧音の元へと駆け寄りつつも両手を後ろに回し、何か隠し事をしているような笑みを口元に浮かべながらも慧音を見つめる。
「えへへ……実はね……ほらっ!」
そういって妹紅は今まで後ろに回していた手を前に持ってくる。
そこには紅い炎が揺らめいていた。
「妹紅……これってまさか……!?」
「うん、フェニックスの炎だよ♪今朝起きたら使えるようになっていたんだ♪」
そういって妹紅は背中からも炎を出す。
かつては慧音も良く見た不死の象徴となっている紅蓮の炎。
もう二度とは見ることはないと思っていたそれが、今妹紅の背中から出ているのだ。
「でもどういうことなんだ……?永琳の話によると妹紅の能力は今使えなくなっているはずなんじゃ……?」
「別にそんなのはどうでもいいじゃん♪永琳だって完璧じゃないんだし、実はただの体調不良だったりしたのかもしれないしね」
そういって嬉しそうに慧音の腕に抱きつき妹紅。
ふと慧音はあることに気づく。
しかし、今はそれを考えることをやめた。
無意味なことを考えるよりも今は妹紅の体調と能力が回復したことを素直に喜ぼうと自分に言い聞かせる。
そう、妹紅の能力はこうして戻ってきたのだから。
「そうだな……見たところ妹紅はやせ我慢しているわけでもないし、本当に治ってしまったのかもな。よし、そういうことなら今日はピクニックにでも行くか!」
「うん!お弁当作って、景色のいい所に行って、慧音と雪合戦とかもしたいよ」
「よ~し、だったら私も腕によりをかけて作らないとな」
「楽しみだな~♪」
今日することを思い浮かべては嬉しそうにする妹紅。
そんな妹紅を見ているとついつい慧音の頬も緩んでいく。
地面には昨日までに振った雪が積もって入るが、幸いお天道様も元気な顔をのぞかせているのでピクニックには最適だろう。
と、そんな風に今日の予定について話し合っているとふと鼻につく匂いがしてくる。
その匂いを感じ取ってか、妹紅は鼻をくんくんと動かせる。
「ねえ、慧音……なんか焦げ臭くない?」
「ん?確かに……しまった!魚を焼いていたのを忘れていた!!」
「わわ!?慧音、煙が出てるよ!!」
「と、とりあえず火を!!」
火を消した時には既に遅し。
二匹の秋刀魚は仲良く炭と化していたのだった。
◆◇◆
炭となってしまった朝ごはんを作り直すのと、ピクニックの為の弁当を拵えていたため、結局ピクニックへと出発したのは正午になるちょっと前の事だった。
もちろん、寺子屋のほうは臨時休業ということで休みとしたのだが、それを里の人々は大層珍しそうにして眺めていたのだった。
なんせ、慧音は今まで一度も休みの日以外を休業としたことがなかったので、里の人達の間では明日は吹雪になるだの幻想郷が消滅するのではないのかだの様々な憶測が飛び交った。
それだけ慧音が寺子屋を臨時休業にするのは珍しい出来事だったのだ。
しかし、寺子屋に通う生徒達、特に幸運にも宿題をやっていなかった生徒にとっては願ってもない幸運であり、今日一日は学業を放り出して遊んでいたのだった。
慧音たちはそんな里のちょっとした騒ぎは知ることもなく、この日1日は思う存分遊んだ。
慧音が偶然見つけた里やその周りを一望できる小高い丘の上で慧音の手作り弁当を食べたり、腹ごしらえに二人で雪合戦をしたりした。
その時に妹紅はフェニックスの炎を身に纏い、慧音が投げた雪玉は全部妹紅に当たる前に溶けてしまっていたので、
それを見た慧音は何を思ったか妹紅に突進し、妹紅もろとも雪原に転がって二人で大笑いしたりもした。
その後は二人でゆっくりと遊覧飛行を楽しみ、お互いしかしらない秘密の場所を回ったりもした。
何もかもが二人にとって楽しく、二人の心にかけがえのない思い出として深く刻み込まれていったのだった。
この日は二人とも遊ぶことに熱中していた為、特に時間が流れていくのが速かった。
二人が気づいた時には既に太陽が西に沈みかけており、辺りの風景を紅色に染め上げていたのだった。
本当は二人もっと遊んでいたかったのだが、流石に夜になってまで遊ぶのはそれなりの危険も生じてきてしまうので、一旦里に戻りそこから今度は妹紅の家へと向かうことにしたのだった。
本当は今日も慧音の庵に帰ってゆっくりと体を休めてほしいというのが慧音の願いであったのだが、どうしても自分の家へ戻って慧音の晩御飯を食べたいという妹紅の強い要望があった為、仕方がなく慧音はいつもの満月の晩と同じように妹紅の家へと向かったのであった。
◆◇◆
トントントントントン
台所からリズムいい音が響いてくる。
茶の間とは壁一枚隔てているためその様子は分からないが、包丁で何かを切っているのだろう。
そして、間もなくその音が途切れたと思ったら、今度はジューッ、と何かを焼く音が聞こえ始め、食欲を誘うおいしそうな匂いが漂ってくる。
その匂いから判断するに、今晩の夕食はどうやら妹紅の大好きな兎の生姜焼きようだ。
「~♪~♪~♪」
そして、その音を伴奏に少女の鼻歌が始まる。
この歌は里で流行っているものだ。
外の世界から伝わってきた歌だそうで、妹紅もよく里の子供達と一緒に口ずさんだものだった。
だが、やはり妹紅は慧音がその歌を歌っているのを聞くのが一番好きだった。
尤も、妹紅は慧音が歌うなら何でも好きだというだけであるが。
この家は人里はなれた竹林の中にあるため、食事を作る音と鼻歌以外は何も聞こえてこない。
料理を待っている妹紅はなによりもこの時間が好きだった。
この時間が長く続けばいいのにと何時も妹紅は思うのだが、やはり今日もいつもと同じで鼻歌が途切れ、エプロン姿の少女が台所から現れる。
朝は割烹着を着ていたのだが、満月の夜に白沢に変身してしまうと角がどうしても邪魔になってくるため、妹紅の家で料理を作るこの日だけはエプロンをつけているのだ。
しかし、割烹着を着ているにしろエプロンを着けているにしろ似合っている事には変わりなく、いつ見ても新婚さんみたいだな~と妹紅は思い、一人頬を染めているのだった。
「待たせたな、妹紅。ちょっと下ごしらえに梃子摺ってしまってな」
「全然待ってないから大丈夫だよ。それに、慧音の料理が食べられるならどんなに待っても平気だしね」
毎度お決まりな台詞をいい微笑む妹紅。
そんな妹紅を見て申しわけなさそうに苦笑しつつも、そんなやり取りを楽しんで慧音は妹紅の前に兎の生姜焼きの乗ったお皿を置く。
おいしそうな匂いが妹紅の鼻をくすぐる。
と、
ぐー……
これも毎度お決まりだが、妹紅のお腹の虫が存在を主張するように可愛く鳴いてしまう。
「ははは……やっぱり今回も我慢させてしまっていたようだな」
「はうぅ……なんでいつもなるのよぉ~」
妹紅は恥ずかしさで顔を朱に染めあげつつも自分のお腹をぽんぽんと叩く。
そんな仕草をみせる妹紅をみてくすくすと微笑みながらも、慧音はエプロンをはずして側にたたみ、妹紅と向かい合うような位置に座る。
「さ、準備も出来たし食べるとするか。冷めてしまってはおいしくなくなってしまうからな」
「うん!折角の慧音の料理が冷めちゃったらもったいないしね。それに……今日こそは輝夜には負けられないからね」
そこで会話が一旦止まる。
慧音は心配そうにじっと妹紅を見つめる。
その瞳の奥には儚い何かが漂っている。
「妹紅……本当に輝夜と今日もやるのか?まだ能力も戻ったばっかりだし無理はしないほうが……」
「大丈夫大丈夫♪それに……前にも言ったけど自分の体については自分が一番知っているからね。輝夜なんかにゃ負けないよ」
「……そうか」
そういって妹紅は微笑みながら目の前でぐっ、と力瘤を作るようなポーズをとる。
そんな妹紅の様子をみて慧音の顔に一瞬哀愁に似た表情が現れるが、それもすぐさま消えてしまいもとの笑顔に戻る。
「それだったら私の料理を一杯食べてしっかりと頑張ってもらわないとな」
「そーいうことだよ。ということでいっただっきまーす♪」
「ああ、召し上がれ」
食卓に妹紅の元気な声が響き、妹紅はぱくっと美味しそうに兎の肉にかぶりつく。
そんな様子を見て慧音は微笑みながら、自分も兎の肉に箸をつけていつも以上に味わっていく。
こうして、今日も月に一度のちょっと遅めな夕食が始まったのだった。
◆◇◆
時刻は草木も眠る丑三つ時をちょっとすぎた頃。
空は少し雲が多く、残念ながら時々しか満月を垣間見ることは出来ないが、澄み切った空気が妖しく竹林を緊張感で包む。
本来ならこの時刻になると妖の類が跋扈しているのだが、月に一度、満月の晩だけはここら一体は無音の領域となる。
そう、毎月恒例のあのじゃれあいがあるからだ。
今回も自らすすんで消滅を選ぶような妖はここらにはいないようだ。
そんな中に輝夜と永琳が佇んでいた。
「全く……妹紅は何を考えているのかしら。もしかしたら私に負けたことで自分の負けを完璧に認めたのかしら?」
「まあまあ姫様。妹紅だって色々とあるかもしれないですよ?」
「だからといってここまで遅れるのはありえないわ」
ぶつくさと文句を言いながらうろうろとしている輝夜を永琳は苦笑しながらもなだめる。
しかし、表面では明るく振舞っている永琳だが、心中は穏やかではない。
永琳は妹紅の容態を知っており、絶対ここに現れることがないと知っているからだ。
それをどう輝夜に悟られることなく、輝夜の心を収めるかで心が一杯なのである。
いくら天才とはいえ、難しいことは難しいのだ。
そんな永琳の心中を全く知る由もなく、輝夜はさっきからずっと文句ばかりを言い続けているのだった。
しかし、そんな状況の中で永琳に転機が訪れる。
「ふぅ……もういいわ。興醒めよ。今日は帰るわ」
はぁ……、っと特大のため息をついて輝夜は永琳の方を振り向く。
その様子を見て、永琳は心の中でガッツポーズを決める。
もちろん、それを表に出すほど永琳は抜けていないが。
と、
「帰るのはまだ早いわよ、輝夜!」
静かだった竹林によく通る声が響く。
その声を聞いて輝夜と永琳は驚いたように声のしたほうを振り向く。
そこには、背中から紅蓮の羽を生やした妹紅が立っていたのだった。
「なっ!?も、妹紅……?ど、どうしてここに……?」
輝夜は信じられないものを見たような表情でじっと妹紅を見つめる。
それは永琳も同じだった。
永琳の薬で妹紅のフェニックスの力を抑えているはずなのに、なぜあのように能力を発現しているのか。
そして、あれほど自らの能力で消滅しかかっていた妹紅が、以前のように能力を扱うことができているのか。
全てが永琳の想像の範疇を超えたものであり、理解することが出来ないでいた。
妹紅はそんな輝夜と永琳を気にも留めずに続ける。
「折角来てやったのにどうしてはないだろう?それに、来て早々尻尾を巻いて帰るとは……もしかして、もう私に負けるのが怖いとかなんじゃないのか?」
「だ、誰がそんなこと……っ!」
「さぁて、どうだか?」
「くっ……!だったらそれが本当かどうか見せてあげるわ!」
「そうこなくっちゃ♪」
最初は動揺を見せていた輝夜だったが、妹紅の挑発にのっていく。
そして、二人はいつもと同じように構えあう。
「今日こそ不死の象徴であるこの炎でその身を滅ぼしてやるわ!」
「今日もいつもどおり難題で完膚なきまでにやっつけてあげるわ!」
こうして、二人にとって最期の弾幕ごっこが幕を開けたのだった。
◆◇◆
竹林の中を、激しい魔力のぶつかり合いによって生じた轟音と衝撃が奔る。
その衝撃を受け、中には根元から薙ぎ倒されたり半分から上を無理矢理折られてしまったりする竹もあった。
それほど二人のぶつかり合いはすさまじかったのだ。
妹紅も輝夜も出せる力のすべてを出し合う。
まるで、二人ともこれが最期となってしまうことを、本能的に感じているようでもあった。
その一方で、それぞれの保護者はいつもと同じように二人がぶつかっている側で観戦していたのだった。
しかし、今回ばかりは二人の間の空気は重かった。
最初二人とも何も話さなかったが、暫くして永琳が重い口を開いた。
「ねえ、どういうことか説明してくれないかしら?」
慧音のほうを向きながら永琳はゆっくりとつぶやくように言う。
彼女なりに色々と考えたのだろうが、その表情からするに結局は原因が分からなかったようだ。
慧音はそんな永琳を見て悲しく微笑む。
「どうもないさ。ただ今朝起きたら妹紅の能力が戻っていた。ただそれだけさ……」
再び彼女達の間を沈黙が支配し、魔力のぶつかり合う音しか聞こえなくなる。
二人ともそのぶつかり合いを見つつも、どこか心がここにないような感じに囚われる。
二人とも気づいているのだ。
おそらくこれが妹紅の最期の舞になるのであろう、と。
「ねぇ……」
永遠の美しき姫と不死鳥のこの世のものとは思えない舞をじっと見つめつつも、永琳はつぶやく。
「なんだ?」
同じく慧音もその舞を見つつも答える。
「妹紅のことだけどね、本当はもう一つだけ消滅を逃れる方法があるの」
「私の能力、歴史を食べ創る程度の能力を使って妹紅の能力についての能力の性質を変える、だろ?」
「……知っていたの?」
「もちろんだ。私自身の能力だから真っ先に考え付いたさ」
ふと、二人の目に魔力の衝撃によるものではない白い何かが映る。
最初は気のせいかと思ったのだが、暫くして2つ、3つと数が増えて再び視野の中へと入ってくる。
上を見ると、上空からはらはらと白い何かが無数に舞い降りてきていた。
どうやら、先ほど空を覆っていた雲が雪を降らせたらしい。
上空から舞い降りてきた雪は、二人の肌に積もって暫くの間原型をとどめるが、やがて体温により溶けてしまい水となって地面へと滴り落ちていった。
「だったら、なんでそれを実行しなかったの?」
そんな雪を手に舞い降りさせ、体温で消滅していくのを見ながら永琳は慧音に尋ねた。
慧音は暫く上空から舞い降りてくる雪をじっと眺めつつも、独り言のように答える。
「私の能力はいわば歴史を改竄する能力だ。この能力を使って妹紅の能力やその他の事を改竄することは、今までの妹紅や私と妹紅の二人の歩んできた道を隠蔽することになる。私は……今まで妹紅と歩んできた道を否定することだけはしたくない。ただそれだけさ」
「……それが、貴女と妹紅の出した答えなのね」
「ああ……今まで歩んできた道を改竄して自分達のいいように変えるくらいならば、私たちは例え死ぬよりもつらかったとしてでも運命に身を任せるほうを選ぶ」
「そう……貴女たちがそう決めたのなら、私はもう口出しはしないわ」
「……ありがとう、永琳。そしてすまない……」
それっきり、二人の間に言葉はなくなった。
段々と上空から舞い降りてくる雪の数が多くなってきている中、そろそろ二人のじゃれあいのほうも決着がつきそうだった。
◆◇◆
ばちんっ!
二人の間で御札と光の玉がぶつかりあい、弾けあう。
お互いに弾幕をけしかけて牽制してそれぞれの隙を探り続けていく。
妹紅も輝夜も手元に残っているスペルカードは奥の手であるラストワード一枚だけなのである。
それ故に、二人ともより慎重になり、いざというときを探っているのである。
しかし、先ほどから全力でぶつかりあい続けている為、お互いの体力はもうほとんど残っていなかったのだ。
一定の間合いを保ったまま弾幕を張り続けていた妹紅と輝夜だが、これ以上やっていても埒が明かないと判断し、一旦お互いに弾幕を出すのをやめる。
「ねえ、輝夜。あんたも私も残りのスペルカードは一枚ずつ……しかもとっておきのスペルカードが残っているだけ。ここは一つ、同時にカード宣言して最後の勝負に出るのはどう?」
「あら珍しい。妹紅と意見が合うとは思ってもいなかったわ。いいわ。その案に乗ってあげる。ただし、最後に勝つのは私だけどね」
「ほざけ」
そしてお互いにスペルカードを出し合う。
「これが最後の手だ。覚悟はいいか?」
「貴女に最後難関を出してあげる……」
「燃え尽きろ!『フェニックス再誕』!!」
「迷いへと誘え!『蓬莱の樹海』!!」
二人同時にスペル開始宣言をする。
そして、最後の手であるラストワードがお互いの周りに展開されていく。
妹紅の周りには火の玉によって生み出されたが不死鳥の形を何羽もかたどっていき、輝夜へと標準が合わされる。
輝夜の周りには七色の光の玉が次々と生み出され、辺りをまぶしく照らしつつも生き物のようにうねり始める。
「「行け!!」」
二人が同時に叫び、それぞれの弾幕が対象となる相手へと襲い掛かる。
妹紅は迫り来る七色の光の玉の奔流に身を躍らせ器用に弾幕の隙間を塗っていき、輝夜へと向けて無数の不死鳥を放ち、同時に輝夜の進路を防ぐかのような弾幕の布石を張っていく。
輝夜は迫る繰る無数の不死鳥を優雅に翻弄して受け流していき、まるで舞を舞うかのように七色の光の玉の奔流を操り妹紅の動きを徐々に制限していき、袋小路へと追いやっていく。
二人の最後の弾幕は今までよりもはるかに幻想的で現実離れしていた。
おそらく、この周辺に妖が残っていたとしたらあまりの非現実的な美しさに魅了され、自分が消滅したことも分からぬまま身を滅ぼしていっただろう。
妹紅と輝夜はそんな弾幕の真っ只中で相手の弾幕を舞うように避けて行き、同時に相手への弾幕の密度を高めていく。
しかし、二人とも相手の弾幕を見事に避けていき、自らの舞を舞っていったのだった。
この場にいる誰もが、永遠にこの舞が続くのではないかと信じて疑わなかった。
「あっ……」
だが、その時に変化が訪れた。
一瞬、ほんの一瞬の事だが妹紅の反応が鈍る。
そのせいで避けれたはずだった弾幕が目の前に迫ってくる。
――もう駄目だ。
そう妹紅があきらめた瞬間、目の前の光の玉の弾道が急に進路を変えて妹紅からそれていく。
「きゃあぁぁぁぁっ!!」
それと同時に輝夜の悲鳴が聞こえたのだった。
妹紅が輝夜のほうを見ると、不死鳥の弾幕を被弾し、地面へと落ちていく輝夜の姿があった。
◆◇◆
勝負はついた。
結果は妹紅の勝ちだった。
妹紅の弾幕を受けて地面に落ちていった輝夜だったが、地面に激突する前に永琳によってその体を受け止められる。
その様子を見て、妹紅は勝ち誇ったように慧音の元へと降り立って輝夜のほうは勝ち誇って見る。
「ふっふっふ~ん♪これでやっぱり私が強いってことが証明されたね♪」
「くぅぅぅ……悔しいぃぃぃ!」
永琳の腕の中で悔しそうに身を捩る輝夜。
見たところ、弾幕による傷も大したことない。
「もう、今日は本当に興醒めよ!永琳、さっさと帰るわよ!こんなのに付き合ってらんないわ!」
「でも姫様。もう少し……」
「いいから早く!!」
輝夜に今までにないような剣幕で迫られ、永琳は思わずひるんでしまう。
正直、永琳は輝夜の事を思ってできるだけこの場に留まりたいのだが、当の輝夜がこの調子だとそれも叶いそうにない。
しかたがなく、永琳は輝夜を連れて永遠亭に変えることを決意したのだった。
「……分かりました。それでは今から戻りましょうか。慧音、妹紅。今日はお邪魔するわね」
「ほら、早く行くわよ!」
永琳は口調と表情では普通を装うが、その瞳は今にも泣きそうだった。
しかし、輝夜はそんな永琳の気持ちなんか我知らず、とりあえず帰りを急かすのだった。
そんな輝夜をなだめつつ、永琳はこの場を後に仕様としたその時、
「妹紅」
今までずっと急かすだけだった輝夜が急に静かになり、妹紅へと呼びかける。
「これは貸しよ。私のほうが絶対に強いことを今度証明してあげるからね。だからこのまま逃げるんじゃないわよ?いい?絶対に次の時に私の本当の実力を見せるからね!」
念を押すように何度も何度も言う輝夜。
その様子を見て永琳と妹紅は気づいてしまった。
「……分かったよ。ちゃんと次にあんたの実力を見てそれもろともやっつけてあげるから安心しなさい。私は何処にも逃げ隠れしないわ」
その言葉を聞いて納得したのか、輝夜はもう一言もしゃべらなくなった。
永琳はその様子を確認した後、輝夜を抱きかかえたまま永遠亭のほうに向かっていったのだった。
永琳と輝夜が立ち去る様子を妹紅と慧音は黙って見送り続けた。
そして二人の姿が見えなくなった頃、慧音は心配そうに妹紅を見る。
そして、異変にようやく気づいたのだった。
「あの馬鹿…………本当に…………ありがとう…………」
ばたん
そうつぶやいて妹紅の体は地面へと吸い込まれるように倒れたのだった。
◆◇◆
永琳は一言もしゃべらずに永遠亭へと向かっていく。
輝夜も先ほどとはうってかわって黙ってしまい、ずっとうずくまるように体を丸めて膝を抱えるような格好で永琳に抱き上げられていた。
そして、時々輝夜の背中が小刻みに震えるのだった。
そんな輝夜の様子を見、永琳は決意した。
永琳はその場に止まり、自分の腕の中で丸まっている輝夜を優しく見つめる。
「姫様、本当にいいのですか?このままだとこれから永遠に後悔することになりますよ?」
永琳の声にぴくっと輝夜が反応する。
その様子を見て永琳はそのまま続ける。
「おそらく妹紅も姫様が知ってしまった事に気づいていると思います。それに、最後のあの弾幕……姫様が故意に曲げたのでしょう?」
再びぴくっと輝夜の体が反応する。
それから見るに、永琳の言っている事は当たっているのだろう。
「いつから気づいておられたのかは分かりませんが、おそらく長い間姫様は思い悩んでいたのでしょうね。本当に気づかずにいてすみませんでした。けど、だからこそあえて言わせていただきます。どんなに辛くても現実を受け入れないと、それ以上に辛くなることだってあるのですよ……」
そういいながらも永琳は泣いていた。
自分がいま腕に抱いている姫はきっと自分以上……いや、自分が想像できないほどに思い悩んでいたのだろう。
形の上で憎み合って殺し会っていたとはいえ、輝夜にとって妹紅は昔からの知り合いでお互いの事を誰よりも知っている。
そんな妹紅が消滅してしまうという時の辛さは計り知れないだろう。
そのような苦痛に気づけなかった自分を、永琳は攻めたてる。
「永琳は……悪くない……永琳は私を苦しませない為にずっと黙って隠し通していてくれたんだから……」
そんな永琳に答えてか、輝夜は鼻声で答える。
輝夜も同じく泣いていたのだった。
「私が気づいたのは……一ヶ月前のあの日……永琳が妹紅と慧音に話しているのを盗み聞きしていたからなのよ……」
時折しゃくりながらも、輝夜は全てを話していく。
そこにはもはや、先ほどの威勢は何処にも見当たらなかった。
「そうだったんですか……辛かったですね……」
ぎゅっ、と永琳は輝夜を抱きしめる。
それに答え輝夜も永琳を抱きしめ返してくる。
しかし、今はこうしている時間も無駄には出来ないほど切羽詰っている状況だった。
「なので姫様……なにも恥じることはありません。自分を偽る必要はありません。自分の気持ちに素直に従ってください。それが……正しい行動です」
輝夜は永琳から離れ永琳を見つめる。
永琳の目は真っ赤に腫れており、涙がとりとめなく溢れ出していた。
「……妹紅っ!!!!!」
輝夜は妹紅の名前を一度叫ぶや否や、もと来た道を全力で飛んで戻っていったのだった。
永琳もそれに続く。
二人が先ほどの場所に戻った時、
妹紅の体は、
地面へと横たえられていたのだった。
◆◇◆
「妹紅っ!!妹紅っ!!」
慧音は地面へと倒れこんだ妹紅の体を抱き上げ必至に呼びかける。
妹紅はその慧音の声に反応して慧音を見つめる。
「あれ……どうしたんだろう……急に体に力が入らなくなっちゃった……」
そういって妹紅は力なく笑う。
その表情は今にも消え去ってしまいそうなほど弱々しかった。
「妹紅……っ!無茶ばっかりしやがって……っ!」
ぎゅっ、と慧音の腕に力がこもる。
慧音の瞳にはすでに大粒の涙が浮かび、耐え切れなくなった涙がぽたぽたと妹紅の服に滴っていっては吸い込まれていく。
「ごめんね……慧音……私、嘘ついてた……」
「ああ、知っている……本当は全然治ってなんかいなかったんだろう?」
「あはは……慧音にはなんでもお見通しなんだね……うん……今日一日能力を使えたのはね……ほら……蝋燭が燃え尽きる瞬間ってものすごく燃えるでしょ?あれと同じだったんだよ……」
「全く……お前って奴は……」
妹紅は再び力なく笑う。
慧音もそれに釣られて涙をぽろぽろ流しながらも微笑む。
しかし、お互いの笑みに後悔の色は全くなかった。
空から降ってくる雪が勢いを増し、辺りの景色を白く染めていくほどになっていた。
慧音は自分に降り積もる雪は気にせずに、妹紅の顔や頭に雪が降り積もらないようにしてやる。
妹紅はそんな慧音の様子を見ながらもじっと慧音の瞳を見つめる。
しかし、雪を払っているのにも関わらずに妹紅の姿は段々と白くなっていく。
「慧音……」
「ん、どうしたんだ妹紅?」
慧音は妹紅の頭を膝にのせ、膝枕のようにしてあげつつも聞き返す。
妹紅はそんな慧音の膝枕を堪能しつつも言葉を続ける。
「ありがとうね……私の馬鹿なわがままに付き合ってくれて……」
「いまさら礼なんていわなくて言いぞ。最期まで普通の暮らしを妹紅と一緒に続けたかったのは、私の願い出もあるからな」
「うん……私……後悔してないからね……本当に楽しかった……」
「私もだ……」
そして再びお互いに泣きながら微笑みあう。
妹紅の体はどんどん白くなっていく。
否、白くなっていっているのではない。
白に見えるのは地面に積もっている雪のせいなのだ。
妹紅の体は、今、文字通り消えかけているのだ。
慧音は妹紅の髪を優しく撫でてやる。
まだ感触が残っているうちに、できるだけ妹紅の感触を味わっておきたかったのだ。
「妹紅っ!!!」
その時、荒い息と共に妹紅の名前が呼ばれる。
慧音が声をした方向を向くと、そこには息を荒げながらもこちらへと向かってくる輝夜と永琳の姿があった。
「妹紅っ!」
「輝夜……」
輝夜は妹紅の側につくや否や、慧音の膝枕に頭を預けている妹紅を力強く抱きしめた。
「どうしたのさ……興醒めて永遠亭に帰ったんじゃなかったのか……?」
「馬鹿っ!!そんなことしていられる訳ないでしょう……妹紅……馬鹿妹紅……っ!!」
「馬鹿はどっちだよ……全く……気づかなければいいものを……」
「そんなこと言わないでよ……っ!私……私……っ!!」
輝夜の腕に力がこもる。
まるで妹紅がもう何処にも逃げれないようにするかのように。
そんな様子を見て妹紅は苦笑し、同じく力強く輝夜を抱きしめてやる。
「ごめんね……あんた一人を残して先に逝っちゃうなんて……本当に私って最低……」
「ああ……本当に最低よ……阿鼻に堕ちてしまうほど最低……だから……」
そういってから輝夜は妹紅から離れる。
そして、一度慧音のほうを見てから永琳の側へと歩いていく。
「だから、絶対に戻ってきて私にその罪を償いなさい。そうしたら許してあげなくもないわ」
「それは……かなり無理な注文……じゃないか……?」
「阿鼻の罰よりかは全然無理ではないでしょう?ちゃんと待っているからね。何年でも何十年でも何百年でも」
輝夜の顔は涙でぐちゃぐちゃになっているが、その口元には勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
その笑みを見て妹紅は安心した。
輝夜はもう大丈夫だ……と。
妹紅が輝夜と話している間に、妹紅の体はほとんど消えそうな状況まできてしまっていた。
そのためか雪の冷たさによるものかは判断がつかないが、慧音の膝にはもうほとんど妹紅の感触を感じることが出来なくなっていた。
もうほとんど時間は残されていなかった。
妹紅は一度大きく息を吸い、そして吐いてからかろうじて首を動かし、ここにいる全員の顔を一人ずつ見つめていく。
「永琳……」
「何かしら?」
「薬とか色々ありがとうね……それに……永琳がいてくれたおかげで……慧音や輝夜と出会ったりこうしていろんなことを経験できることができた……本当にありがとう……」
「そんなこと……こちらこそありがとう……すごく楽しかったわ」
「輝夜……」
「ん……」
「あんたと色々やりあって本当に楽しかった……あんたがいなかったらとっくの昔に生きるのに飽きていたと思う……本当にありがとう……」
「私も同じよ。だからこそ、ちゃんと約束は守るのよ?」
「できるだけ善処する……」
二人に向かってそれぞれ言葉を送ってから、再び妹紅は慧音を見つめる。
妹紅にとって最も愛しい人。
妹紅にとって最も大切な人。
伝えたいことはまだまだたくさんある。
だけど、それを口にだす必要はなかった。
ただ見つめあうだけで、思いを通じあわせることができたのだ。
「慧音……」
「ん……どうした妹紅?」
「なんだか私……すごく眠くなってきたよ……」
「そりゃあ、あれだけ体を動かしたからな」
「うん……だから……私ちょっと眠るよ……」
「ああ……」
「朝になったら……また……いつものように起こしてね……」
「まかせとけ。朝食を作っておくからな」
「あはは……楽しみだなぁ……それじゃあ……そろそろ寝るね……」
「ああ……お休み、妹紅」
「お休み……慧……音……」
今まで妹紅が着ていた服とリボンが、雪の重みに耐え切れず慧音の手の中に落ちた。
「……なあ……永琳……」
「……何かしら?」
「私……最期まで笑っている事が出来たか……?」
「ええ……」
「最期まで……妹紅は……笑っていた……か……?」
「……ええ……」
「うっ…………妹紅……もこ……う……っ……!!うくっ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
慧音は手にある妹紅の衣服とリボンを抱きしめ、力の限り泣いた。
今までずっと我慢してきた感情は、関を切ると留まることを知らない勢いで慧音を揺るがしていく。
同じく、永琳と輝夜も自分の感情の奔流に任せて泣いた。
三人の慟哭が竹林の中に響く。
そんな三人を、天から舞い降りてきた白い妖精たちが優しく包み込んでいったのだった。
~17.靈禽蓮々歌~
季節は春。
春はすべての生命の誕生の季節。
今年は冬が長く続いたり花が異常に咲くこともなく、実に平和だった。
里の子供達もようやく訪れた暖かな陽気を喜び、元気に外で遊んでいる。
今日も人間の里は平和そのものであった。
「これで今回の依頼の内容は全部ですね?」
「ああ。思わず膨大な量になってしまってすまないな」
「気にしないで下さい。これも私の役目なんですからね」
そういいつつも、阿求は今まで慧音から聞いた話を書き上げた草紙をもう一度そろえて苦笑した。
今までも何度も様々な御伽噺やら世間噺やらを書物としてまとめてきたが、ここまでの量になったのは早々ないだろう。
とりあえず、一つでもなくなっては今後の製本の際に大騒ぎになってしまうので、用心して紐で草紙を縛っていく。
一回じゃ少し不安だったので、もう一本紐を持ってきて二重に縛り上げていく。
これでよほどの事がない限り、一枚だけ何処かになくなってしまうという事はなくなるだろう。
「しかし、今回の内容はすごいですよ」
「どういうことだ?」
慧音は首をかしげ、興味ありげに阿求の方を見る。
阿求はそんな慧音の視線に気づいてか、こほん、と一度咳をしてから続ける。
「今回慧音さんからお聞きした内容は今までの話とは全く毛色の違うんです。なんというか、普通だと実体験に基づく話にしてもどこか『お噺』っていう雰囲気が抜け切らないんです。ですが、今回の内容はそういった『お噺』の雰囲気は全く見られないで、代わりにこれでもか!ってくらいに生々しさが伝わってくるんです」
わざわざ手を大きく広げて『これでもか!』の具合を表現する阿求。
そんな阿求を見て、ついつい慧音は笑みをこぼしてしまう。
「あ、酷いです。人が真面目に質問に答えているのに」
「すまない。ついその仕草が面白くてな……だが、きっと生々しさが残るのはきっとつい最近本当にあったことだからだろうな」
くっくっく、と忍び笑いをこぼしながらも、慧音はこの冬にあった出来事……妹紅の最期を思い出した。
あの後、慧音は覚悟していたとはいえ、やはり暫くの間はふさぎこんでしまっていた。
毎日に覇気がなく、事あるごとに妹紅の事を思い出しては一人泣いていたのだった。
もちろんそんな状況で寺小屋を開けるはずもなく、暫くの間庵に閉じこもりっきりになってしまっていた。
そんな慧音の元に、永琳や里の子供達が慰めに来てくれたのだ。
慧音にとって、それは最初鬱陶しいものでしかなかった。
だが、何度も何度も繰り返し慧音の元に訪れて声をかけてきてくれる里の子供達の声が、段々と慧音の心の氷を溶かしていったのだった。
そして、慧音はこうして立ち直ることが出来たのだった。
永琳や里の子供達に対しては本当に感謝しても仕切れないほどである。
また、慧音もいつまでも妹紅の事を引きずることも出来ないのでこうして阿求に頼んで妹紅の事についての物語を書いてもらうことにしたのだった。
もちろんそれで完璧に妹紅への思いを断ち切るわけではないのだが、それでも妹紅と共に歩んだ道を書物として残すことによって慧音の心は幾分か軽くなった。
書物を通せば、妹紅が存在したこと、そして妹紅が自分と歩んでいたことを大勢の人に知ってもらえることが出来る。
そして、誰かの心に妹紅の物語が留まってくれる限り妹紅が帰るための縁となるだろう。
そんな願いがあって、慧音は阿求にこれまでの出来事を綴った本の製本を頼んだのであった。
「慧音さん、聞いていますか?」
阿求の声で慧音は我に帰る。
「すまない。少し物思いに耽ってしまっていた」
「もう……折角人が質問に答えてあげていましたのに……それじゃ指導者として失格ですよ?」
「今度から気をつけるよ。で、なんのことだった?」
慧音は頭を下げて真剣に謝る。
そんな慧音の様子をみて、はぁっ、と息をついてから阿求はゆっくりとしゃべりだす。
「ですから、慧音さんの物語がやけに生々しいって言うことですよ。実体験にしろ、こんなに辛い話の場合はどうしても噺として婉曲させることで自分に言い聞かせて、そして自分の心の傷を癒そうとすることが多いんですよ。ですが、慧音さんの場合はそれが見られない……つまり、妹紅さんとの別れを真正面から受け止めている事が出来ているということです」
人差し指を立てて説明する阿求を見て、ふと慧音は阿求が指導者に向いているんじゃないかと思う。
だが、ここで深く考えてはさっきの二の舞になるために深く考えるのをやめた。
すると、阿求は急に辛そうな表情をして慧音を見たのだった。
「本当に……辛かったと思います」
「ああ……里のみんなや永琳がいなかったら私は立ち直ることが出来ていなかったかもな。それに、このままうじうじしていると妹紅に笑われるだろうからな」
慧音はそういって微笑みながら、今自分の髪につけているリボンを触る。
これはあの時、妹紅が遺していったものをそのままつけているのである。
「そうですか……」
それに気づいた阿求はしまったという顔をしてから申し訳なさそうにうつむいてしまった。
一気に場の雰囲気が重くなる。
確かに本の内容がそういう雰囲気のものというのもあるが、流石にこの雰囲気が長く続くと気まずいので慧音はどうにかして雰囲気を変えようと思索する。
と、その途中で阿求が急に顔を上げる。
「そうだ。慧音さん、この物語の題名は何にしますか?まだ聞いていなかったんですが……決まっていますか?」
おそらく阿求も同じ考えだったのだろう。
話題を転換することによって場の雰囲気を元に戻すことには成功した。
「ああ。もう決まっている」
そう、この物語を編纂してもらおうと決めた時から決まっていたのだった。
その題名は……
「『靈禽蓮々歌』だ」
「れいきんれんれんか……ですか?」
「ああ。靈禽……つまり不死鳥が自らの宿命から逃れて転生の象徴となり蓮に新たな命として生まれ変わる。そういう意味を持たせたつもりだ」
「なるほど……靈禽蓮々歌ですか。この靈禽というのは妹紅さんを表しているわけですね」
「そういうことだ」
そういって慧音は優しく微笑む。
そんな慧音の微笑みを見ながらも、阿求はとあることに気づいた。
――慧音さん。これをわざとやったのか、それとも偶然こうなったのかは分かりませんが、慧音さんの願いはきっと叶うと思いますよ。
靈禽蓮々歌。
慧音さんと妹紅さんの冷たく澄み切った無形の魂である『靈』は、いくら離れ離れになってもお互いを『禽』とす……つまり、お互いがお互いを引き寄せあい捕らえあう。例えそれが、何回も『蓮』の中から生まれ変わったその後であっても――
今日のような春の朗らかな日には、冬の寒さに耐え切った種子がその目を土から覗かせ、新たな命をはぐくむ為に相手を探し子孫を残していく。
それは植物に限らず動物……人間にも共通の事である。
その日
新たに一つの命が誕生したのであった
このような長文を書くのは初めてで今後の参考としたいのでどうかよろしくお願いします。