※この物語は「靈禽蓮々歌~Inevitable night~ 第一章」の続きとなっていますので、先にそちらをお読みください。
~5.悲壮な嘘~
慧音達が輝夜と永琳の住まう永遠亭に着いたのは日が昇る少し前のことだった。
時間が時間だったため、普段は多くの兎で賑わう永遠亭も静けさに包まれていた。
しかし、その中で永琳だけが何故か起きており、慧音達が永遠亭に入ると彼女はすぐに現れたのだった。
彼女の姿を見た瞬間慧音は助かったと思ったが、それでも妹紅の容態は一刻を争うものだったので気を引き締める。
慧音は簡単なことを伝えると、永琳は一言
「付いてきて」
とだけ言い、慧音を一つの部屋へと案内したのだった。
そして今現在にいたる。
部屋は永遠亭の最も奥にあり、入り口は永遠亭の和風な雰囲気に似合わず洋風のドアだった。
そして部屋の中には入り口や窓はなく、中央には診察台のようなものがあり、壁際の棚には色々な薬品が所狭しと並べられている。
見た感じ何かの実験室か処置室のように見えた。
「……で、気がつけば異常なほど体温が上がっていて、今の様な状況になっていたと……これで間違いないわね?」
永琳は妹紅を診察台のようなベッドに横たえ、触診したり熱を測ったりしながら確認をするように聞いてくる。
その顔はいつもののほほんとしたものでなく、冗談など一切感じられない緊張した面持ちだった。
「ああ……私が食事の支度を終えて妹紅の元へ行くと既にこうなっていた……いつ頃から苦しんでいたのかはわからないが……」
慧音は永琳の真剣な顔を見ると落ち着きを取り戻してきたが、それと同時に自責の念もつのっていった。
何故もっと早く異変に気づけなかったのか。
何故妹紅の苦痛に気づいてあげられなかったのか。
他人が見たら仕方がないと思ってしまうことも、慧音は全て自らの責任として背負い込んでいってしまう。
「なるほどね……分かったわ。とりあえず落ち着きなさい。貴女が悩んでいたら妹紅だって申し訳なく思って治るものも治らなくなるわよ?」
ふっ……と永琳は今まで緊張させていた顔を緩ませる。
彼女も慧音が思い悩んでいることに気づいており、優しく諭すように語りかけ、自責の念を取り払うように心がける。
「あ、ああ、すまない……少し考えすぎていたようだな。それで……妹紅の様子はどうなんだ?」
永琳の想いが通じてか、今までの気持ちを振り払うように顔を上げる慧音。
まだ少し後悔の念が残るようだが、先ほどまでのように強くはない。
「そうね……詳しく調べてみないと断言できないわ。とりあえずこれから詳しく調べたいから、その間に数種類の薬草を集めてきて欲しいんだけど……大丈夫かしら?」
「ああ、私に出来ることだったら何でもやるぞ」
「そこらへんにある薬草だから結構簡単に見つかると思うけど……これらなんだけど分かるかしら?」
そういって永琳は数種類の薬草を適当な紙に書きつけ慧音に渡す。
「……ああ、これくらいのなら私にも分かる。それに里に行けば簡単に手に入る種類だな」
「それは良かったわ。だったらそれらを持ってきてもらえるようお願いしてもいいかしら?」
「ああ、分かった。おそらく一刻ほどで戻ってくると思うから……それまで妹紅の事を頼む」
「任せなさい。貴女が帰ってくるまでに原因を解明しておくわ」
慧音は紙を受け取ると書かれてる薬草を一瞥して把握し、一度永琳に向かって軽く頭を下げてから足早に里へ向かっていった。
その後には先ほどとは一転して難しそうな顔をして立っている永琳と、診察台の上で荒い息をしている妹紅だけが残されているのであった。
――と、
「……今さっきの薬草……本当は必要ない……んじゃないの……?」
その言葉に永琳はゆっくりと妹紅のほうを向く。
見ると息はまだ荒くしゃべるのも一苦労だが、意識をはっきりと取り戻した妹紅が顔だけを永琳のほうに向けていた。
「……気づいていたの?」
永琳はゆっくりとつぶやくように言う。
その表情は辛さと悲しさ等が混ざった複雑な表情ものだった。
「……まあね……自分の事でもあるし……永琳のその顔を見れば大体は想像つくよ……」
妹紅は苦しそうな中、なんとか永琳に微笑みかける。
まるで永琳の苦しみを取り去ろうとしているかのように。
永琳はそんな妹紅の様子を見て胸が痛みつつも、幾分肩がかるくなるような気がした。
「そう……なら貴女にはもう必要はないわね。問題は慧音だけど……」
「慧音には……もう少し待ってほしい……いずれ分かっちゃう……その時までは……」
「……分かったわ。でもいつまでも隠し通せるわけじゃないわよ?」
「分かっている……でも……やっぱり……私は……」
妹紅は悲しそうな表情で少し視線を下げる。
おそらく、彼女は自分の今の状況よりも慧音の事が心配なのだろう。
いずればれてしまうことなのは一目瞭然だが、それでも立て続けに慧音を悩ますよりも時間をおいてゆっくりと事実を話すほうがまだ慧音の負担を減らせると妹紅は判断したのだ。
「……それ以上言わないでいいわ。とりあえず今すぐにその症状を抑える薬を調合するからもう少し待ってくれるかしら」
「うん……あと……輝夜にも……」
「もちろん姫様にも内緒にしておくわ。今はともかく体力を使わないように安静にしておきなさい」
「うん……ありがとう……永り……」
それっきり妹紅の言葉が紡がれることはなく、はぁはぁという荒い息だけが響くようになった。
そしてそのすぐ後に、ごりごりという何かをすりつぶすような音が聞こえ出す。
ようやく日が昇り始めた時分。
永遠亭は異様なほどの静けさに包まれたままだった。
~6.おもいあい~
「妹紅、ただいま戻ったぞ!」
「私への挨拶はないわけ?」
「ああ、すまん……いつもの癖でな」
慧音が里から帰ってきたのは、先ほど慧音自身が言っていたとおりぴったり一刻過ぎてからであった。
「で、頼まれてきた薬草はこれになるが……これで大丈夫か?」
「エビスグサにクチナシ、大麦にしょうが……そうね、これだけそろっていれば上等よ。後はこれを今まで作っていたのに混ぜていけば完成ね」
慧音から受け取った薬草を一つずつ確認して満足げに頷き、製薬へと戻る。
先ほどすり潰していたものに受け取った薬草を加え、再びごりごりとすり潰しだす。
新鮮な草の独特な匂いが部屋に充満する。
慧音は苦しそうに息をしている妹紅を一度見てから、じっと製薬を続ける薬師の背中を見る。
その視線には鋭い何かが宿っていた。
「これですり潰したのをこの液に入れて混ぜれば……完成よ。これを飲めばとりあえず楽になると思うわ。ちょっと苦いけど我慢してね」
2,3分たって薬が出来たらしく、永琳が振り返る。
その手には深緑色の液体がはいったフラスコが握られていた。
薬が出来たにもかかわらず慧音の表情は固いままであった。
その視線は、何かが納得できない、と語っているように思える。
妹紅が薬を飲む。
やはり薬が苦いのか最初は顔を顰めるが、完全に嚥下すると幾分息の荒さがなくなってくる。
「ん……少し楽になったような気がする……」
「薬はなるべく即効性なのを作ったんだけど、それでも完全に効くまでは時間が出ちゃうからそれまでもうちょっと安静にしてちょうだいね」
「分かったよ」
「そうか……」
素直に答える妹紅の一方で、未だに目に宿す鋭さを残す慧音。
そんな慧音の様子に妹紅は気づいていない。
永琳はずっと妹紅の様子だけを見ている。
彼女は時折何かを考えるかのような仕草をみせ、自身の髪を弄る。
会話が途絶える。
ここだけ時間が止まってしまったかのような無音の時間がただただ過ぎていく。
しかし、この無音状態がずっと続くわけがなかった。
「永琳、ちょっといいか?」
沈黙を破ったのは慧音だった。
先ほどと変わらぬ視線のまま、一人部屋の外へと出て行く。
妹紅には聞かれたくない話しのようだ。
永琳は慧音のその気持ちを汲み取り、続いて永琳も無言のまま後についていく。
残された妹紅はそんな二人をただ見守ることだけしか出来なかった。
廊下は太陽が昇ったというのにまだ冷たかった。
冬の朝独特の凛と澄み切った空気があたりを占めている。
その廊下の冷たさが二人の体を冷やしていく。
住民の兎たちはまだ起きていないらしく、微かに聞こえてくるのは外から小鳥の囀りだけである。
「で……妹紅に聞かれたくない話しとは何のことかしら?」
永琳は今まではっきりとは見なかった慧音の瞳を真正面から見る。
慧音の瞳には様々な感情が入り乱れており、泣いているようにも怒っているようにも見える。
だが、そのどれもが負の感情ばかりであった。
「さっき私に頼んだ薬の事だが……あれ、本当は必要なかったんじゃないのか?」
ぴくっと永琳の体がかすかに反応する。
ほんの僅かな、普段では見過ごしてしまうような動作。
だが、緊張に包まれていた空気の中ではそれは大きすぎた。
「やっぱりな……」
はぁっとため息をつく。
その瞳には先ほどとは違った色の感情が見え始めていた。
「これでも一応、大抵の知識は入ってるつもりだ。もちろん薬草や漢方に関する基本的な知識もな……」
「そう……」
無感情な声で返す永琳。
その表情に焦燥はなかった。
いつの間にか外の小鳥は飛び去ってしまったらしく、辺りには木々のざわめく音しか聞こえてこない。
「で、私が薬草を取りに里に戻っている間、私に聞かれたくない何か妹紅に話さないといけないことがあった……」
永琳は答えない。
先ほどの髪を弄る仕草もせずにただじっと慧音を見つめている。
「肯定ということか……」
永琳の動作から全てを理解したらしく、今まではりつめていた緊張を解く。
ぽつ、ぽつ、という音が聞こえきて、程なくざぁーという音が永遠亭を包み込む。
永遠亭を洗い流す天の涙が、周囲の空気を更に冷やしていく。
再び沈黙が二人の間を支配する。
「少し……間違っているわ」
長い沈黙の後、その沈黙を打ち破るかのように永琳が口を開いた。
「貴女に取りに行ってもらった薬草は必要なものよ。彼女にとっても……貴女にとってもね」
――カッ!!―――――ゴロゴロゴロゴロ……――――
一瞬廊下に眩い閃光がはしり、数秒してから遠くのほうで雷が鳴る。
どうやら本格的な雨になるらしい。
「私にも必要だった……?」
「そうよ。貴女はここに来た時すごく動揺していたわ。些細な疑問点……私がなんでこんなにも早く貴女達を受け入れることができたという疑問にすら思い至らないほどにね……」
「あっ……!」
永琳言われ、慧音はようやく気づく。
考えてみればそうだ。
こんな早朝に押しかけたなら普通はまだ夢の中にいるはずである。
しかし、永琳は慧音達が玄関にたどり着いた時にすぐに現れた。
しかも、慧音の話しを少し聞くだけですぐに妹紅を処置できる場所へと案内したのだった。
「つまりは永琳は最初からすべて知っていたということか……どうして私はそんな簡単なことに気づかなかったんだ……」
「それほど冷静さを失っていたということよ。だからあまり効果がないように思われる薬草を取りにいってもらった」
「私は妹紅の事だけを思っているから、その勢いで頼まれた薬草の効果を思い出そうとする。そしてその効果について疑問を持たせて私に冷静さを取り戻させるか……」
「そのとおりよ」
無表情のまま答える。
再び稲光が走り、二人の顔を一瞬照らす。
この時慧音は悪寒を感じた。
あのような状況の中でここまで自分の行動を冷静に分析され、そして思うままに操られていたことに……
もし、今彼女を敵に回したりでもしたら、慧音は全く抵抗できないまま潰されてしまうだろう。
しかし、今はそんなことを考えていては仕方がない、と慧音は自分自身に言い聞かせ気を取り直す。
「なるほど……な。私について効果があったのは分かった。だが、妹紅について効果があるというのは一体……」
「プラシーボ効果……つまり、偽薬効果と言ったらいいかしら?」
「薬には効果がないが、偽薬を使うことによって精神的に安心させ効果が出るという奴か?」
「ご明解。まあ、彼女の熱を下げるのは本当の薬の効果だけど、それに加えて彼女を安心させようと思ってやったわ。でも彼女は……私の思っている以上に強くて……優しかった」
今まで無表情だった永琳の顔が悲しみに染まる。
「妹紅は……自分の体に何が起こっているのか気づいているのか……?」
「おそらくは誰よりも……ね」
――カッ!――ゴロゴロゴロ!!――――
再び閃光が走ったかと思うと、今度はほとんど間をあけずに雷鳴が聞こえる。
そして一気に雨足が強くなり、当たりは雨が永遠亭を叩く音で一杯になる。
「永琳……」
慧音はしっかりと永琳を見つめる。
外の雨は更に激しさを増し、どしゃ降りといえるほどにまでなっていた。
「妹紅と私に……本当の事を話してくれないか……?」
「……本当にいいのね……?」
「ああ……それが私の……そしてきっと妹紅も望むことだ。覚悟は……出来ている」
「……分かったわ」
慧音の悲しき決断を受け取り、永琳も心を決めた。
その様子を見た慧音は、先に部屋の中へと入っていく。
残された永琳の耳に届くのは外のどしゃ降りの雨の音だけだった。
「どうして……こんな運命になってしまったのかしらね……」
ぽつり、と永琳は誰に言うとでもなく呟く。
しかし、その独り言ですら外の雨の音にほとんどかき消されてしまった。
雨は更に勢いを増し、あたり一面の穢れを洗い流していく。
まるで、この三人の代わりに泣いているかのように……
~7.それぞれの覚悟~
―――がちゃ
部屋に存在する唯一つの入り口がゆっくりと開かれる。
最初に姿を見せたのは慧音だった。
「慧音……」
妹紅が心配そうな顔で慧音を見る。
どうやら慧音達が外で話している間に永琳の薬が効いたらしく、とりあえずは落ち着いたらしい。
今は身を起こしてベッドに腰掛けている。
「妹紅……」
慧音が妹紅を見る。
以心伝心とはこのことであろうか。
妹紅は慧音の瞳を見た瞬間、自分が隠し通したかった事が慧音にばれてしまったと分かってしまった。
――どうしてこんなにも早く気づいてしまったのか?
そんな気持ちがこみ上げる一方で、こんなにも早く自分の容態を見抜けるほど慧音が自分をずっと見守っていてくれたという嬉しさもこみ上げてくる。
二人は何もしゃべらずにいたが、この一瞬で二人の絆はより強く結ばれた。
――がちゃ
再びドアが開き、永琳が部屋に入ってくる。
外の、冷たく湿った、雨に独特の重い空気が同時に部屋に流れ込む。
ドアが閉められると――おそらく防音対策になっているのだろう――外の雷雨の音は全く聞こえなくなる。
慧音は妹紅の側に立ち、永琳は二人の目の前にある椅子に腰掛ける。
3人のいるところは入り口から一番離れた奥ばった場所であり、そこだけ切り離された空間であるかのように他とは違い重い雰囲気が漂っている。
慧音が無言で永琳を見つめる。
永琳はその視線に促され、ふぅ……、と大きく息を吐き出してから二人をしっかり見つめる。
「一つ、最初に言っておくわ」
永琳が口を開く。
その表情は、他の二人同様覚悟を決めたものだった。
「これから妹紅の容態について説明するけど、おそらく残酷な内容になってしまうと思うわ。それでも……後悔はしないわね?」
それは越えてしまったら最後、例えその先に絶望しかなくとも二度と戻ってくることが出来ないライン。
しかし、慧音と妹紅はそのラインを越えることに一切の躊躇も見せなかった。
「もちろん。私の心は既に決まっている。たとえ残酷だとしても、何も知らないまま何も出来ずに妹紅が苦しむのを見るだけなんてもう嫌だ」
「私も曖昧な憶測よりもはっきりとした事が判ったほうがいい。そのほうが吹っ切ることもできるから……」
二人の言葉を聞き、永琳は頷く。
一線を越える準備は整った。
「……分かったわ。それじゃあ、最初に妹紅の今の状況について単刀直入に言うわ」
ごくっと慧音の喉がなる。
いくら覚悟を決めたからといえ、やはり事実を聞くことに恐怖や不安はある。
それらがどんどん大きくなり、彼女を押しつぶそうとする。
しかし、ここで立ち止まるわけには行かない。
ついさっき先に進む覚悟を決めたばかりだ。
ここで立ち止まるわけには……
――ぎゅっ
と、慧音は手のひらに暖かい感触を感じた。
見ると妹紅の手が彼女の手を握っている。
柔らかくて暖かい、妹紅の小さな手。
そんな彼女の手は小さく震えていた。
自分の体の事だといっても、やはり慧音と同じくらい……いや、それ以上に不安を抱えているのだろう。
慧音はそっと妹紅の手を握り締めてやる。
妹紅もしっかりと手を握り返してくる。
それだけで今までの不安が和らいだ。
そして、永琳がゆっくりと口を開く。
「おそらく、妹紅はよくてあと半年しか生きられないわ」
慧音は、遠くでかすかに雷の落ちる音が聞こえたような気がした。
~8.残酷な運命~
「妹紅が……あと半年しか生きられない……だって……?」
「そうよ」
慧音の問いにはっきりと永琳が答える。
慧音は目の前が真っ暗になったような錯覚をおこす。
「ちょっと待ってくれ……こんな時に悪い冗談はやめてくれ」
慧音は肩透かしを食らったように少しよろめきつつも、頭に手を置き軽く頭を振る。
「妹紅は蓬莱の薬を飲んで不老不死になっただろ?なのに、なんであと半年後には死ぬということになるんだ?妹紅は輝夜と同じ蓬莱の薬を飲んで不老不死の体を得たはずだ。不老不死というのは、その名のとおり老いることも死ぬこともなくなるという事だろう?だったら半年しか生きられないというのは矛盾してないか?」
慧音は半ば自棄になり全ての疑問を永琳にぶつける。
しかし、慧音はそうせずにはいられなかった。
覚悟は出来ていたはずだった。
どんな事が待っていようと、それを全て真正面から受け入れると。
しかし、この事実はあまりにも非現実的すぎた。
例えるなら、今まで東から昇ってきていた太陽が北から昇ってきたようなものだ。
妹紅に最も遠い位置にあると考えられていた『死』という概念。
それを今、目の前につきつけられたという現実を、慧音は受け入れることが出来ないでいた。
再び遠くで雷の音が聞こえ、雨の音が聞こえ出す。
どうやら外の雷雨は相当激しいらしく、永遠亭全体を風雨が揺らす。
しかし、彼女達にとってそんなことはどうでもいいことであった。
「そうね……少し語弊があったわ。言い直すと“よくてあと半年しか存在することが出来ない”ということよ」
永琳は慧音の動揺振りを見て、ゆっくり、しかしはっきりと訂正する。
「存在……出来ない……?」
「ええ……今から詳しいことを話すから、ちゃんと冷静になるのよ。これからの話は全部本当の話で、今妹紅に実際に起こっている問題だからね」
永琳の真剣な眼差しが慧音を射る。
それで慧音ははっとした。
こういうときに私が混乱してどうするのだ。
今、自分が手を握っている妹紅はもっとつらいはずなのに!
怖くて自分が押しつぶされてしまうのを必至にこらえているのに!
さっき廊下で永琳に言われたことをもう忘れたのか!
慧音は心の中で自分自身を叱咤する。
そして目をつぶって大きく深呼吸をし、これからの内容をしっかり受けとめる為に心を落ち着かせる。
目を開けたとき、慧音は完全に心を落ち着かせ全てを受け入れる準備が出来た。
――もう怖いものは……何もない。
永琳は慧音が落ち着きを取り戻すのを見てから、ゆっくりと話し出す。
「さっき、存在できないといったわよね。そのことについてもっと詳しく言うと“妹紅はいつ消滅してしまってもおかしくない”と言うことなの。消滅は不老不死でも起こりうる……これはわかるかしら?」
「いや……それでもまだ違和感が残る。消滅という事も不老不死と矛盾するんじゃないのか?」
『消滅』と『死』
正直、慧音はこの二つの言葉の意味の違いが分からなかった。
「不老不死というのはさっき貴女も言ったとおり、年を取ることも死ぬこともないこと。
『死ぬ』ということの意味は、“息絶え生命がなくなる”ということよ。
で、ここでいう『生命』というのは、簡単に言うと“生物現象そのもの”を示す。つまり、運動、成長、栄養代謝を行うことよ。
だから、不老不死における『死』という意味合いは、“運動、栄養代謝を行わなくなるということ”ね。
ここまではわかるかしら?」
「つまるところ、永琳が今説明した『死』というのは“肉体から魂が抜けて二度と元には戻れなくなる”ということでもあるのだろう?
不老不死になるということは肉体を捨てて魂が本体となっているから、妹紅にとって『死』という概念は無意味ということだしな」
「そういうことね。
で、次に消滅についてだけど、『消滅』というのは知ってのとおり“消えてなくなってしまう”こと。つまりは肉体どころか魂もが消え去ってしまうことよ。
だから、消滅という事は不老不死にもありえることなの」
慧音は額を指で軽く押しながらも考える。
「だが、それだとおかしくないか?妹紅は過去にも何度か体全部を失ったときがあるが、そのときもリザレクションで復活していたぞ。あの時は消滅じゃないのか?」
「それは見かけ上の消滅よ。実際には妹紅の魂が一度視覚では確認できないほどにまで分解されてから、再び集まってきて形を成しているのよ。私が言っているのは意味上の消滅……本当にこの世から消えてなくなってしまうことを言っているの。分かるかしら?」
ここで一旦会話が止まる。
慧音は永琳の言葉をもう一度頭の中で繰り返し、自分の知識と併せ持って理解していく。
今までの永琳の話は言葉の意味を言及しているだけなので普通に考えれば当たり前の話なのだが、この当たり前すぎる事がかえって理解を難しくなってしまっている。
永琳もそれを分かっているのか、慧音が理解するまでは次の話には進めない。
どうしても慧音にしっかりと理解して欲しいのだ。
そして、そんな2人を妹紅は何も言わずにじっと見守っている。
彼女は2人の会話を完璧には理解できないだろう。
しかし、実際に彼女に起こっているについて話しているのだから2人よりも理解できているのかもしれない。
しばらくして、慧音の思考がまとまったようだ。
「ああ……不老不死にも消滅するという可能性があるということは理解できた」
「上等よ。それじゃあ、次は何故妹紅が消滅しかけているか。その話をするわね」
――ごくっ
静かな部屋にやけに大きく唾を飲み込む音が聞こえる。
しかし、こうなってしまうのは無理もない。
妹紅に起こっている異変。
この異変の原因を取り去ることが出来るのなら、妹紅がいなくなってしまうという危機を逃れることが出来るかもしれないからだ。
その気持ちは永琳も同じだった。
――しかし、それはかなわぬ願いなのだ。
永琳は崩れそうになる表情を意識的に保ちながら話を続ける。
「そもそも妹紅が蓬莱の薬を飲んで得たのは不老不死とフェニックスの力でしょ?ここでいうフェニックスは、もちろん世俗的に知られているものと同じよ。でね、もともとフェニックスというのは、西方にある埃及(エジプト)という国の伝説的な霊鳥のことを言うわ。このことについて何か心当たりはないかしら?」
じっと永琳が慧音を見る。
慧音はその視線に促され、自らが知りうる知識を探っていく。
彼女の知識は幻想郷が成立する前の世界のものも含まれる。
故に、フェニックスについての知識も持っているのだ。
「確かフェニックスは埃及の神話で出てきたはずだ。
それによると、亜剌比亜(アラビア)にある砂漠に住んでいる霊鳥で、半世紀生きると自らの巣に香木を積み重ね火をつけ、自ら炎の中へ身を投げ一度死に……自ら炎に……」
その言葉を口にした瞬間、何か頭の中でかちゃりと音がしたような気がした。
慧音の脳裏に様々なことが思い浮かぶ。
それは、昨夜の妹紅と輝夜の戦い……
それは、妹紅の異常な高熱……
それは、妹紅の気遣い……
それは、フェニックスの生態……
そして、これ等が全て、一つの真実へと結びついていく。
「まさ……か……っ!!」
その真実を見出した瞬間、慧音はあまりの衝撃に2,3歩よろめいてしまう。
もし今自分の考えていることが事実だとするなら、物理的な処置法は何もないことになる。
出来れば自分の思い違いであって欲しい。
出来れば永琳の口から別の事実が出てきて欲しい。
慧音の心中はそのような気持ちで一杯になる。
――だが現実は無惨にも慧音を切り捨てたのであった。
「……おそらく、貴女が今一番あってほしくないと思っていることが事実よ。妹紅の中のフェニックスの能力は、神話の中のフェニックスと同じ働きをしようとしているの。
つまり、自らの身を無に還そうとしているの……」
その事実は、慧音を絶望という名の腐海に突き落としたのだった。
~9.僅かな希望~
部屋の中を再び沈黙が支配する。
先ほどは僅かな可能性を信じて真剣な顔をしていた慧音も、今は沈痛な面持ちでうつむいてしまっている。
しかし、彼女の心の中ではまだあきらめていなかった。
どこかにこの状況を打破する方法はないだろうか。
永琳の説明に落ち目はないだろうか。
彼女は周りが見えなくなるほど集中し、先ほどの話を頭の中で繰り返す。
慧音のそのような様子を妹紅は悲しそうな表情で見ていた。
妹紅にとっては自分の身に起こっている出来事である。
故に、先ほど永琳が話したような理屈は分からないにしろ、自分の身に起こっている異変については分かっているのだろう。
慧音がこのように自分を心配してくれるのは嬉しい。
しかし、それ以上に自分が慧音を悩ませ苦しませてしまっていることで心を痛めている。
そのことが、妹紅にとって耐えられなかった。
これから自分が消滅してしまうということ以上に耐えられなかったのだ。
「慧音……」
妹紅が慧音をそっと抱きしめようとしたその時、慧音が突然はっとして顔を上げる
「……永琳、さっきの説明、間違っているぞ……!」
先ほどの絶望だけしかない表情とはうってかわって、希望にあふれた表情で慧音は永琳を見つめる。
「どういうこと?」
永琳は聞き返す。
しかし、その表情には希望が一切見られなかった。
「さっき永琳は、フェニックスの力が妹紅の身を無に返そうとしているといっただろう?」
「そうよ」
「だが、もともと神話では、フェニックスは自らの肉体を燃やし、その灰の中から幼鳥として再びよみがえるとなっているだろう?これは肉体を一度燃やし、新たな肉体を作り直しているだけだ。
妹紅のリザレクションみたいにな。
つまりは、魂にはなんの影響も与えていないということになるだろう?」
「ええ」
「だったらここで矛盾が生じてくる。
妹紅は不老不死となって肉体を捨てた、魂だけの存在だ。それなら、フェニックスの自らを殺すという能力が働いても壊すべき肉体はなくて壊してはいけない魂しかないから、妹紅を消滅させるなんてことは起こりえないんじゃないのか?」
淡々と答える永琳を見て、慧音はある意味勝ち誇ったかのような表情を浮かべる。
論理的にはまったく間違いのない説明。
これで妹紅を救う方法を見つけることが出来た、と、半ば安心してしまう慧音。
――だが
「……少し……説明不足だったようね……」
それを永琳の一言がものの見事に壊してしまう。
慧音の表情が固まる。
それを伝えた永琳の表情も、今にも泣きそうな表情となっている。
本当であればこんなことを言いたくない。
本当であれば自分も明るい顔で慧音の意見に同意したい。
しかし、現実はそれほど甘くはなかった。
「確かにフェニックスは自らの肉体を滅ぼし、新たな肉体を作り上げる。でもね、妹紅の場合はこれに当てはまらないの。その理由は2つあるわ」
そういって永琳は慧音に見せ付けるように右手の人差し指と中指をたてて見せ、強調する。
慧音の表情が再びみるみる曇っていく。
そんな慧音を見て罪悪感に苛まれる自らの感情を必至に押し殺しながら、永琳は話を続ける。
「一つ、もともとフェニックスは魂自体は滅びないけど肉体は滅びるから、魂の上では不老不死であっても肉体の上ではそうはいかない。
そして、その性質と相反する本当の不老不死の能力とが妹紅という一つの器の中に同時に存在する事により、ある相互作用を起こしてしまった。
それは、不老不死という体を持ちながらも消滅という可能性を内包してしまう現象」
永琳はなるべく無表情を努める。
そうでなければ、たちまち表情が崩れこれ以上の事を言えなくなってしまうからだった。
そして、その葛藤を慧音達に悟られないようにしつつも、今度は中指をたたみ人差し指一本を強調する。
「もう一つ、もともと蓬莱の薬は姫様――月の民が使う事を前提に作ったわ。だから、地上の人間だった妹紅が使うことによって、どのような副作用が出てきてもおかしくないことだったの。それが今回、一つ目の相互作用を増幅させるという風に裏目に出てしまったのよ」
永琳は残りの人差し指をたたみ、じっと慧音を見つめる。
慧音の表情は先ほどの明るい表情はなく、再び絶望がそのほとんどを占めている。
望みが絶える。
これほど残酷な事はない。
慧音は力なく妹紅の座っているベッドに腰をかける。
気がつけば外の雷雨の音は全く聞こえてこなくなっており、無音の世界が広がっている
キィーン、と慧音の頭の中で耳鳴りともつかない音がなり続いている。
普段は気にならない音だが、今はやけに耳につく。
頭の中から消し去ろうと意識すればするほど、その音は大きくなっていく。
そのせいで慧音の頭は更に混乱してしまう。
完全に手詰まりだった。
「慧音……もういいよ。もう慧音が苦しむ必要はないんだよ」
頭を抱えている慧音を横からそっと抱きしめる。
その柔らかさに、はっ、と慧音意識が元に戻る。
慧音は頭の中の雑音がだんだんと消えていくような気がした。
「妹紅……」
「ごめんね、慧音……私のせいでこんなに苦しませてしまって……本当に……ごめんね……」
慧音を抱きしめる妹紅の腕の力が強くなる。
そして聞こえてくる嗚咽。
慧音も居た堪らなくなり、ぎゅっ、と妹紅の頭を抱きしめ返す。
その様子に永琳も耐えられなくなり、2人から視線をはずして唇を噛む。
嗚咽だけが部屋に悲しく響く。
しばらくして嗚咽が小さくなり、妹紅がポツリとつぶやく。
「運命ってなんでこんなに残酷なんだろうね……」
その言葉に、はっ、と慧音が顔を上げる。
運命という言葉。
既に決められていたことの巡り合わせ。
慧音の頭の中に、ある悪魔が思い浮かぶ。
運命を操ることの出来る紅い悪魔の姿が。
「妹紅!もしかしたらこの運命を変えることが出来るかもしれないぞ!」
「え?」
きょとんとした顔で妹紅は慧音を見る。
永琳もまた、驚いた様子で慧音を見ている。
「あの紅い悪魔に頼めば妹紅のこの運命を変えられるかもしれない!」
絶望の中にあったほんの一筋の光。
それは、慧音を突き動かすのに十分な力を持っていたのだった。
~続く~
~5.悲壮な嘘~
慧音達が輝夜と永琳の住まう永遠亭に着いたのは日が昇る少し前のことだった。
時間が時間だったため、普段は多くの兎で賑わう永遠亭も静けさに包まれていた。
しかし、その中で永琳だけが何故か起きており、慧音達が永遠亭に入ると彼女はすぐに現れたのだった。
彼女の姿を見た瞬間慧音は助かったと思ったが、それでも妹紅の容態は一刻を争うものだったので気を引き締める。
慧音は簡単なことを伝えると、永琳は一言
「付いてきて」
とだけ言い、慧音を一つの部屋へと案内したのだった。
そして今現在にいたる。
部屋は永遠亭の最も奥にあり、入り口は永遠亭の和風な雰囲気に似合わず洋風のドアだった。
そして部屋の中には入り口や窓はなく、中央には診察台のようなものがあり、壁際の棚には色々な薬品が所狭しと並べられている。
見た感じ何かの実験室か処置室のように見えた。
「……で、気がつけば異常なほど体温が上がっていて、今の様な状況になっていたと……これで間違いないわね?」
永琳は妹紅を診察台のようなベッドに横たえ、触診したり熱を測ったりしながら確認をするように聞いてくる。
その顔はいつもののほほんとしたものでなく、冗談など一切感じられない緊張した面持ちだった。
「ああ……私が食事の支度を終えて妹紅の元へ行くと既にこうなっていた……いつ頃から苦しんでいたのかはわからないが……」
慧音は永琳の真剣な顔を見ると落ち着きを取り戻してきたが、それと同時に自責の念もつのっていった。
何故もっと早く異変に気づけなかったのか。
何故妹紅の苦痛に気づいてあげられなかったのか。
他人が見たら仕方がないと思ってしまうことも、慧音は全て自らの責任として背負い込んでいってしまう。
「なるほどね……分かったわ。とりあえず落ち着きなさい。貴女が悩んでいたら妹紅だって申し訳なく思って治るものも治らなくなるわよ?」
ふっ……と永琳は今まで緊張させていた顔を緩ませる。
彼女も慧音が思い悩んでいることに気づいており、優しく諭すように語りかけ、自責の念を取り払うように心がける。
「あ、ああ、すまない……少し考えすぎていたようだな。それで……妹紅の様子はどうなんだ?」
永琳の想いが通じてか、今までの気持ちを振り払うように顔を上げる慧音。
まだ少し後悔の念が残るようだが、先ほどまでのように強くはない。
「そうね……詳しく調べてみないと断言できないわ。とりあえずこれから詳しく調べたいから、その間に数種類の薬草を集めてきて欲しいんだけど……大丈夫かしら?」
「ああ、私に出来ることだったら何でもやるぞ」
「そこらへんにある薬草だから結構簡単に見つかると思うけど……これらなんだけど分かるかしら?」
そういって永琳は数種類の薬草を適当な紙に書きつけ慧音に渡す。
「……ああ、これくらいのなら私にも分かる。それに里に行けば簡単に手に入る種類だな」
「それは良かったわ。だったらそれらを持ってきてもらえるようお願いしてもいいかしら?」
「ああ、分かった。おそらく一刻ほどで戻ってくると思うから……それまで妹紅の事を頼む」
「任せなさい。貴女が帰ってくるまでに原因を解明しておくわ」
慧音は紙を受け取ると書かれてる薬草を一瞥して把握し、一度永琳に向かって軽く頭を下げてから足早に里へ向かっていった。
その後には先ほどとは一転して難しそうな顔をして立っている永琳と、診察台の上で荒い息をしている妹紅だけが残されているのであった。
――と、
「……今さっきの薬草……本当は必要ない……んじゃないの……?」
その言葉に永琳はゆっくりと妹紅のほうを向く。
見ると息はまだ荒くしゃべるのも一苦労だが、意識をはっきりと取り戻した妹紅が顔だけを永琳のほうに向けていた。
「……気づいていたの?」
永琳はゆっくりとつぶやくように言う。
その表情は辛さと悲しさ等が混ざった複雑な表情ものだった。
「……まあね……自分の事でもあるし……永琳のその顔を見れば大体は想像つくよ……」
妹紅は苦しそうな中、なんとか永琳に微笑みかける。
まるで永琳の苦しみを取り去ろうとしているかのように。
永琳はそんな妹紅の様子を見て胸が痛みつつも、幾分肩がかるくなるような気がした。
「そう……なら貴女にはもう必要はないわね。問題は慧音だけど……」
「慧音には……もう少し待ってほしい……いずれ分かっちゃう……その時までは……」
「……分かったわ。でもいつまでも隠し通せるわけじゃないわよ?」
「分かっている……でも……やっぱり……私は……」
妹紅は悲しそうな表情で少し視線を下げる。
おそらく、彼女は自分の今の状況よりも慧音の事が心配なのだろう。
いずればれてしまうことなのは一目瞭然だが、それでも立て続けに慧音を悩ますよりも時間をおいてゆっくりと事実を話すほうがまだ慧音の負担を減らせると妹紅は判断したのだ。
「……それ以上言わないでいいわ。とりあえず今すぐにその症状を抑える薬を調合するからもう少し待ってくれるかしら」
「うん……あと……輝夜にも……」
「もちろん姫様にも内緒にしておくわ。今はともかく体力を使わないように安静にしておきなさい」
「うん……ありがとう……永り……」
それっきり妹紅の言葉が紡がれることはなく、はぁはぁという荒い息だけが響くようになった。
そしてそのすぐ後に、ごりごりという何かをすりつぶすような音が聞こえ出す。
ようやく日が昇り始めた時分。
永遠亭は異様なほどの静けさに包まれたままだった。
~6.おもいあい~
「妹紅、ただいま戻ったぞ!」
「私への挨拶はないわけ?」
「ああ、すまん……いつもの癖でな」
慧音が里から帰ってきたのは、先ほど慧音自身が言っていたとおりぴったり一刻過ぎてからであった。
「で、頼まれてきた薬草はこれになるが……これで大丈夫か?」
「エビスグサにクチナシ、大麦にしょうが……そうね、これだけそろっていれば上等よ。後はこれを今まで作っていたのに混ぜていけば完成ね」
慧音から受け取った薬草を一つずつ確認して満足げに頷き、製薬へと戻る。
先ほどすり潰していたものに受け取った薬草を加え、再びごりごりとすり潰しだす。
新鮮な草の独特な匂いが部屋に充満する。
慧音は苦しそうに息をしている妹紅を一度見てから、じっと製薬を続ける薬師の背中を見る。
その視線には鋭い何かが宿っていた。
「これですり潰したのをこの液に入れて混ぜれば……完成よ。これを飲めばとりあえず楽になると思うわ。ちょっと苦いけど我慢してね」
2,3分たって薬が出来たらしく、永琳が振り返る。
その手には深緑色の液体がはいったフラスコが握られていた。
薬が出来たにもかかわらず慧音の表情は固いままであった。
その視線は、何かが納得できない、と語っているように思える。
妹紅が薬を飲む。
やはり薬が苦いのか最初は顔を顰めるが、完全に嚥下すると幾分息の荒さがなくなってくる。
「ん……少し楽になったような気がする……」
「薬はなるべく即効性なのを作ったんだけど、それでも完全に効くまでは時間が出ちゃうからそれまでもうちょっと安静にしてちょうだいね」
「分かったよ」
「そうか……」
素直に答える妹紅の一方で、未だに目に宿す鋭さを残す慧音。
そんな慧音の様子に妹紅は気づいていない。
永琳はずっと妹紅の様子だけを見ている。
彼女は時折何かを考えるかのような仕草をみせ、自身の髪を弄る。
会話が途絶える。
ここだけ時間が止まってしまったかのような無音の時間がただただ過ぎていく。
しかし、この無音状態がずっと続くわけがなかった。
「永琳、ちょっといいか?」
沈黙を破ったのは慧音だった。
先ほどと変わらぬ視線のまま、一人部屋の外へと出て行く。
妹紅には聞かれたくない話しのようだ。
永琳は慧音のその気持ちを汲み取り、続いて永琳も無言のまま後についていく。
残された妹紅はそんな二人をただ見守ることだけしか出来なかった。
廊下は太陽が昇ったというのにまだ冷たかった。
冬の朝独特の凛と澄み切った空気があたりを占めている。
その廊下の冷たさが二人の体を冷やしていく。
住民の兎たちはまだ起きていないらしく、微かに聞こえてくるのは外から小鳥の囀りだけである。
「で……妹紅に聞かれたくない話しとは何のことかしら?」
永琳は今まではっきりとは見なかった慧音の瞳を真正面から見る。
慧音の瞳には様々な感情が入り乱れており、泣いているようにも怒っているようにも見える。
だが、そのどれもが負の感情ばかりであった。
「さっき私に頼んだ薬の事だが……あれ、本当は必要なかったんじゃないのか?」
ぴくっと永琳の体がかすかに反応する。
ほんの僅かな、普段では見過ごしてしまうような動作。
だが、緊張に包まれていた空気の中ではそれは大きすぎた。
「やっぱりな……」
はぁっとため息をつく。
その瞳には先ほどとは違った色の感情が見え始めていた。
「これでも一応、大抵の知識は入ってるつもりだ。もちろん薬草や漢方に関する基本的な知識もな……」
「そう……」
無感情な声で返す永琳。
その表情に焦燥はなかった。
いつの間にか外の小鳥は飛び去ってしまったらしく、辺りには木々のざわめく音しか聞こえてこない。
「で、私が薬草を取りに里に戻っている間、私に聞かれたくない何か妹紅に話さないといけないことがあった……」
永琳は答えない。
先ほどの髪を弄る仕草もせずにただじっと慧音を見つめている。
「肯定ということか……」
永琳の動作から全てを理解したらしく、今まではりつめていた緊張を解く。
ぽつ、ぽつ、という音が聞こえきて、程なくざぁーという音が永遠亭を包み込む。
永遠亭を洗い流す天の涙が、周囲の空気を更に冷やしていく。
再び沈黙が二人の間を支配する。
「少し……間違っているわ」
長い沈黙の後、その沈黙を打ち破るかのように永琳が口を開いた。
「貴女に取りに行ってもらった薬草は必要なものよ。彼女にとっても……貴女にとってもね」
――カッ!!―――――ゴロゴロゴロゴロ……――――
一瞬廊下に眩い閃光がはしり、数秒してから遠くのほうで雷が鳴る。
どうやら本格的な雨になるらしい。
「私にも必要だった……?」
「そうよ。貴女はここに来た時すごく動揺していたわ。些細な疑問点……私がなんでこんなにも早く貴女達を受け入れることができたという疑問にすら思い至らないほどにね……」
「あっ……!」
永琳言われ、慧音はようやく気づく。
考えてみればそうだ。
こんな早朝に押しかけたなら普通はまだ夢の中にいるはずである。
しかし、永琳は慧音達が玄関にたどり着いた時にすぐに現れた。
しかも、慧音の話しを少し聞くだけですぐに妹紅を処置できる場所へと案内したのだった。
「つまりは永琳は最初からすべて知っていたということか……どうして私はそんな簡単なことに気づかなかったんだ……」
「それほど冷静さを失っていたということよ。だからあまり効果がないように思われる薬草を取りにいってもらった」
「私は妹紅の事だけを思っているから、その勢いで頼まれた薬草の効果を思い出そうとする。そしてその効果について疑問を持たせて私に冷静さを取り戻させるか……」
「そのとおりよ」
無表情のまま答える。
再び稲光が走り、二人の顔を一瞬照らす。
この時慧音は悪寒を感じた。
あのような状況の中でここまで自分の行動を冷静に分析され、そして思うままに操られていたことに……
もし、今彼女を敵に回したりでもしたら、慧音は全く抵抗できないまま潰されてしまうだろう。
しかし、今はそんなことを考えていては仕方がない、と慧音は自分自身に言い聞かせ気を取り直す。
「なるほど……な。私について効果があったのは分かった。だが、妹紅について効果があるというのは一体……」
「プラシーボ効果……つまり、偽薬効果と言ったらいいかしら?」
「薬には効果がないが、偽薬を使うことによって精神的に安心させ効果が出るという奴か?」
「ご明解。まあ、彼女の熱を下げるのは本当の薬の効果だけど、それに加えて彼女を安心させようと思ってやったわ。でも彼女は……私の思っている以上に強くて……優しかった」
今まで無表情だった永琳の顔が悲しみに染まる。
「妹紅は……自分の体に何が起こっているのか気づいているのか……?」
「おそらくは誰よりも……ね」
――カッ!――ゴロゴロゴロ!!――――
再び閃光が走ったかと思うと、今度はほとんど間をあけずに雷鳴が聞こえる。
そして一気に雨足が強くなり、当たりは雨が永遠亭を叩く音で一杯になる。
「永琳……」
慧音はしっかりと永琳を見つめる。
外の雨は更に激しさを増し、どしゃ降りといえるほどにまでなっていた。
「妹紅と私に……本当の事を話してくれないか……?」
「……本当にいいのね……?」
「ああ……それが私の……そしてきっと妹紅も望むことだ。覚悟は……出来ている」
「……分かったわ」
慧音の悲しき決断を受け取り、永琳も心を決めた。
その様子を見た慧音は、先に部屋の中へと入っていく。
残された永琳の耳に届くのは外のどしゃ降りの雨の音だけだった。
「どうして……こんな運命になってしまったのかしらね……」
ぽつり、と永琳は誰に言うとでもなく呟く。
しかし、その独り言ですら外の雨の音にほとんどかき消されてしまった。
雨は更に勢いを増し、あたり一面の穢れを洗い流していく。
まるで、この三人の代わりに泣いているかのように……
~7.それぞれの覚悟~
―――がちゃ
部屋に存在する唯一つの入り口がゆっくりと開かれる。
最初に姿を見せたのは慧音だった。
「慧音……」
妹紅が心配そうな顔で慧音を見る。
どうやら慧音達が外で話している間に永琳の薬が効いたらしく、とりあえずは落ち着いたらしい。
今は身を起こしてベッドに腰掛けている。
「妹紅……」
慧音が妹紅を見る。
以心伝心とはこのことであろうか。
妹紅は慧音の瞳を見た瞬間、自分が隠し通したかった事が慧音にばれてしまったと分かってしまった。
――どうしてこんなにも早く気づいてしまったのか?
そんな気持ちがこみ上げる一方で、こんなにも早く自分の容態を見抜けるほど慧音が自分をずっと見守っていてくれたという嬉しさもこみ上げてくる。
二人は何もしゃべらずにいたが、この一瞬で二人の絆はより強く結ばれた。
――がちゃ
再びドアが開き、永琳が部屋に入ってくる。
外の、冷たく湿った、雨に独特の重い空気が同時に部屋に流れ込む。
ドアが閉められると――おそらく防音対策になっているのだろう――外の雷雨の音は全く聞こえなくなる。
慧音は妹紅の側に立ち、永琳は二人の目の前にある椅子に腰掛ける。
3人のいるところは入り口から一番離れた奥ばった場所であり、そこだけ切り離された空間であるかのように他とは違い重い雰囲気が漂っている。
慧音が無言で永琳を見つめる。
永琳はその視線に促され、ふぅ……、と大きく息を吐き出してから二人をしっかり見つめる。
「一つ、最初に言っておくわ」
永琳が口を開く。
その表情は、他の二人同様覚悟を決めたものだった。
「これから妹紅の容態について説明するけど、おそらく残酷な内容になってしまうと思うわ。それでも……後悔はしないわね?」
それは越えてしまったら最後、例えその先に絶望しかなくとも二度と戻ってくることが出来ないライン。
しかし、慧音と妹紅はそのラインを越えることに一切の躊躇も見せなかった。
「もちろん。私の心は既に決まっている。たとえ残酷だとしても、何も知らないまま何も出来ずに妹紅が苦しむのを見るだけなんてもう嫌だ」
「私も曖昧な憶測よりもはっきりとした事が判ったほうがいい。そのほうが吹っ切ることもできるから……」
二人の言葉を聞き、永琳は頷く。
一線を越える準備は整った。
「……分かったわ。それじゃあ、最初に妹紅の今の状況について単刀直入に言うわ」
ごくっと慧音の喉がなる。
いくら覚悟を決めたからといえ、やはり事実を聞くことに恐怖や不安はある。
それらがどんどん大きくなり、彼女を押しつぶそうとする。
しかし、ここで立ち止まるわけには行かない。
ついさっき先に進む覚悟を決めたばかりだ。
ここで立ち止まるわけには……
――ぎゅっ
と、慧音は手のひらに暖かい感触を感じた。
見ると妹紅の手が彼女の手を握っている。
柔らかくて暖かい、妹紅の小さな手。
そんな彼女の手は小さく震えていた。
自分の体の事だといっても、やはり慧音と同じくらい……いや、それ以上に不安を抱えているのだろう。
慧音はそっと妹紅の手を握り締めてやる。
妹紅もしっかりと手を握り返してくる。
それだけで今までの不安が和らいだ。
そして、永琳がゆっくりと口を開く。
慧音は、遠くでかすかに雷の落ちる音が聞こえたような気がした。
~8.残酷な運命~
「妹紅が……あと半年しか生きられない……だって……?」
「そうよ」
慧音の問いにはっきりと永琳が答える。
慧音は目の前が真っ暗になったような錯覚をおこす。
「ちょっと待ってくれ……こんな時に悪い冗談はやめてくれ」
慧音は肩透かしを食らったように少しよろめきつつも、頭に手を置き軽く頭を振る。
「妹紅は蓬莱の薬を飲んで不老不死になっただろ?なのに、なんであと半年後には死ぬということになるんだ?妹紅は輝夜と同じ蓬莱の薬を飲んで不老不死の体を得たはずだ。不老不死というのは、その名のとおり老いることも死ぬこともなくなるという事だろう?だったら半年しか生きられないというのは矛盾してないか?」
慧音は半ば自棄になり全ての疑問を永琳にぶつける。
しかし、慧音はそうせずにはいられなかった。
覚悟は出来ていたはずだった。
どんな事が待っていようと、それを全て真正面から受け入れると。
しかし、この事実はあまりにも非現実的すぎた。
例えるなら、今まで東から昇ってきていた太陽が北から昇ってきたようなものだ。
妹紅に最も遠い位置にあると考えられていた『死』という概念。
それを今、目の前につきつけられたという現実を、慧音は受け入れることが出来ないでいた。
再び遠くで雷の音が聞こえ、雨の音が聞こえ出す。
どうやら外の雷雨は相当激しいらしく、永遠亭全体を風雨が揺らす。
しかし、彼女達にとってそんなことはどうでもいいことであった。
「そうね……少し語弊があったわ。言い直すと“よくてあと半年しか存在することが出来ない”ということよ」
永琳は慧音の動揺振りを見て、ゆっくり、しかしはっきりと訂正する。
「存在……出来ない……?」
「ええ……今から詳しいことを話すから、ちゃんと冷静になるのよ。これからの話は全部本当の話で、今妹紅に実際に起こっている問題だからね」
永琳の真剣な眼差しが慧音を射る。
それで慧音ははっとした。
こういうときに私が混乱してどうするのだ。
今、自分が手を握っている妹紅はもっとつらいはずなのに!
怖くて自分が押しつぶされてしまうのを必至にこらえているのに!
さっき廊下で永琳に言われたことをもう忘れたのか!
慧音は心の中で自分自身を叱咤する。
そして目をつぶって大きく深呼吸をし、これからの内容をしっかり受けとめる為に心を落ち着かせる。
目を開けたとき、慧音は完全に心を落ち着かせ全てを受け入れる準備が出来た。
――もう怖いものは……何もない。
永琳は慧音が落ち着きを取り戻すのを見てから、ゆっくりと話し出す。
「さっき、存在できないといったわよね。そのことについてもっと詳しく言うと“妹紅はいつ消滅してしまってもおかしくない”と言うことなの。消滅は不老不死でも起こりうる……これはわかるかしら?」
「いや……それでもまだ違和感が残る。消滅という事も不老不死と矛盾するんじゃないのか?」
『消滅』と『死』
正直、慧音はこの二つの言葉の意味の違いが分からなかった。
「不老不死というのはさっき貴女も言ったとおり、年を取ることも死ぬこともないこと。
『死ぬ』ということの意味は、“息絶え生命がなくなる”ということよ。
で、ここでいう『生命』というのは、簡単に言うと“生物現象そのもの”を示す。つまり、運動、成長、栄養代謝を行うことよ。
だから、不老不死における『死』という意味合いは、“運動、栄養代謝を行わなくなるということ”ね。
ここまではわかるかしら?」
「つまるところ、永琳が今説明した『死』というのは“肉体から魂が抜けて二度と元には戻れなくなる”ということでもあるのだろう?
不老不死になるということは肉体を捨てて魂が本体となっているから、妹紅にとって『死』という概念は無意味ということだしな」
「そういうことね。
で、次に消滅についてだけど、『消滅』というのは知ってのとおり“消えてなくなってしまう”こと。つまりは肉体どころか魂もが消え去ってしまうことよ。
だから、消滅という事は不老不死にもありえることなの」
慧音は額を指で軽く押しながらも考える。
「だが、それだとおかしくないか?妹紅は過去にも何度か体全部を失ったときがあるが、そのときもリザレクションで復活していたぞ。あの時は消滅じゃないのか?」
「それは見かけ上の消滅よ。実際には妹紅の魂が一度視覚では確認できないほどにまで分解されてから、再び集まってきて形を成しているのよ。私が言っているのは意味上の消滅……本当にこの世から消えてなくなってしまうことを言っているの。分かるかしら?」
ここで一旦会話が止まる。
慧音は永琳の言葉をもう一度頭の中で繰り返し、自分の知識と併せ持って理解していく。
今までの永琳の話は言葉の意味を言及しているだけなので普通に考えれば当たり前の話なのだが、この当たり前すぎる事がかえって理解を難しくなってしまっている。
永琳もそれを分かっているのか、慧音が理解するまでは次の話には進めない。
どうしても慧音にしっかりと理解して欲しいのだ。
そして、そんな2人を妹紅は何も言わずにじっと見守っている。
彼女は2人の会話を完璧には理解できないだろう。
しかし、実際に彼女に起こっているについて話しているのだから2人よりも理解できているのかもしれない。
しばらくして、慧音の思考がまとまったようだ。
「ああ……不老不死にも消滅するという可能性があるということは理解できた」
「上等よ。それじゃあ、次は何故妹紅が消滅しかけているか。その話をするわね」
――ごくっ
静かな部屋にやけに大きく唾を飲み込む音が聞こえる。
しかし、こうなってしまうのは無理もない。
妹紅に起こっている異変。
この異変の原因を取り去ることが出来るのなら、妹紅がいなくなってしまうという危機を逃れることが出来るかもしれないからだ。
その気持ちは永琳も同じだった。
――しかし、それはかなわぬ願いなのだ。
永琳は崩れそうになる表情を意識的に保ちながら話を続ける。
「そもそも妹紅が蓬莱の薬を飲んで得たのは不老不死とフェニックスの力でしょ?ここでいうフェニックスは、もちろん世俗的に知られているものと同じよ。でね、もともとフェニックスというのは、西方にある埃及(エジプト)という国の伝説的な霊鳥のことを言うわ。このことについて何か心当たりはないかしら?」
じっと永琳が慧音を見る。
慧音はその視線に促され、自らが知りうる知識を探っていく。
彼女の知識は幻想郷が成立する前の世界のものも含まれる。
故に、フェニックスについての知識も持っているのだ。
「確かフェニックスは埃及の神話で出てきたはずだ。
それによると、亜剌比亜(アラビア)にある砂漠に住んでいる霊鳥で、半世紀生きると自らの巣に香木を積み重ね火をつけ、自ら炎の中へ身を投げ一度死に……自ら炎に……」
その言葉を口にした瞬間、何か頭の中でかちゃりと音がしたような気がした。
慧音の脳裏に様々なことが思い浮かぶ。
それは、昨夜の妹紅と輝夜の戦い……
それは、妹紅の異常な高熱……
それは、妹紅の気遣い……
それは、フェニックスの生態……
そして、これ等が全て、一つの真実へと結びついていく。
「まさ……か……っ!!」
その真実を見出した瞬間、慧音はあまりの衝撃に2,3歩よろめいてしまう。
もし今自分の考えていることが事実だとするなら、物理的な処置法は何もないことになる。
出来れば自分の思い違いであって欲しい。
出来れば永琳の口から別の事実が出てきて欲しい。
慧音の心中はそのような気持ちで一杯になる。
――だが現実は無惨にも慧音を切り捨てたのであった。
「……おそらく、貴女が今一番あってほしくないと思っていることが事実よ。妹紅の中のフェニックスの能力は、神話の中のフェニックスと同じ働きをしようとしているの。
つまり、自らの身を無に還そうとしているの……」
その事実は、慧音を絶望という名の腐海に突き落としたのだった。
~9.僅かな希望~
部屋の中を再び沈黙が支配する。
先ほどは僅かな可能性を信じて真剣な顔をしていた慧音も、今は沈痛な面持ちでうつむいてしまっている。
しかし、彼女の心の中ではまだあきらめていなかった。
どこかにこの状況を打破する方法はないだろうか。
永琳の説明に落ち目はないだろうか。
彼女は周りが見えなくなるほど集中し、先ほどの話を頭の中で繰り返す。
慧音のそのような様子を妹紅は悲しそうな表情で見ていた。
妹紅にとっては自分の身に起こっている出来事である。
故に、先ほど永琳が話したような理屈は分からないにしろ、自分の身に起こっている異変については分かっているのだろう。
慧音がこのように自分を心配してくれるのは嬉しい。
しかし、それ以上に自分が慧音を悩ませ苦しませてしまっていることで心を痛めている。
そのことが、妹紅にとって耐えられなかった。
これから自分が消滅してしまうということ以上に耐えられなかったのだ。
「慧音……」
妹紅が慧音をそっと抱きしめようとしたその時、慧音が突然はっとして顔を上げる
「……永琳、さっきの説明、間違っているぞ……!」
先ほどの絶望だけしかない表情とはうってかわって、希望にあふれた表情で慧音は永琳を見つめる。
「どういうこと?」
永琳は聞き返す。
しかし、その表情には希望が一切見られなかった。
「さっき永琳は、フェニックスの力が妹紅の身を無に返そうとしているといっただろう?」
「そうよ」
「だが、もともと神話では、フェニックスは自らの肉体を燃やし、その灰の中から幼鳥として再びよみがえるとなっているだろう?これは肉体を一度燃やし、新たな肉体を作り直しているだけだ。
妹紅のリザレクションみたいにな。
つまりは、魂にはなんの影響も与えていないということになるだろう?」
「ええ」
「だったらここで矛盾が生じてくる。
妹紅は不老不死となって肉体を捨てた、魂だけの存在だ。それなら、フェニックスの自らを殺すという能力が働いても壊すべき肉体はなくて壊してはいけない魂しかないから、妹紅を消滅させるなんてことは起こりえないんじゃないのか?」
淡々と答える永琳を見て、慧音はある意味勝ち誇ったかのような表情を浮かべる。
論理的にはまったく間違いのない説明。
これで妹紅を救う方法を見つけることが出来た、と、半ば安心してしまう慧音。
――だが
「……少し……説明不足だったようね……」
それを永琳の一言がものの見事に壊してしまう。
慧音の表情が固まる。
それを伝えた永琳の表情も、今にも泣きそうな表情となっている。
本当であればこんなことを言いたくない。
本当であれば自分も明るい顔で慧音の意見に同意したい。
しかし、現実はそれほど甘くはなかった。
「確かにフェニックスは自らの肉体を滅ぼし、新たな肉体を作り上げる。でもね、妹紅の場合はこれに当てはまらないの。その理由は2つあるわ」
そういって永琳は慧音に見せ付けるように右手の人差し指と中指をたてて見せ、強調する。
慧音の表情が再びみるみる曇っていく。
そんな慧音を見て罪悪感に苛まれる自らの感情を必至に押し殺しながら、永琳は話を続ける。
「一つ、もともとフェニックスは魂自体は滅びないけど肉体は滅びるから、魂の上では不老不死であっても肉体の上ではそうはいかない。
そして、その性質と相反する本当の不老不死の能力とが妹紅という一つの器の中に同時に存在する事により、ある相互作用を起こしてしまった。
それは、不老不死という体を持ちながらも消滅という可能性を内包してしまう現象」
永琳はなるべく無表情を努める。
そうでなければ、たちまち表情が崩れこれ以上の事を言えなくなってしまうからだった。
そして、その葛藤を慧音達に悟られないようにしつつも、今度は中指をたたみ人差し指一本を強調する。
「もう一つ、もともと蓬莱の薬は姫様――月の民が使う事を前提に作ったわ。だから、地上の人間だった妹紅が使うことによって、どのような副作用が出てきてもおかしくないことだったの。それが今回、一つ目の相互作用を増幅させるという風に裏目に出てしまったのよ」
永琳は残りの人差し指をたたみ、じっと慧音を見つめる。
慧音の表情は先ほどの明るい表情はなく、再び絶望がそのほとんどを占めている。
望みが絶える。
これほど残酷な事はない。
慧音は力なく妹紅の座っているベッドに腰をかける。
気がつけば外の雷雨の音は全く聞こえてこなくなっており、無音の世界が広がっている
キィーン、と慧音の頭の中で耳鳴りともつかない音がなり続いている。
普段は気にならない音だが、今はやけに耳につく。
頭の中から消し去ろうと意識すればするほど、その音は大きくなっていく。
そのせいで慧音の頭は更に混乱してしまう。
完全に手詰まりだった。
「慧音……もういいよ。もう慧音が苦しむ必要はないんだよ」
頭を抱えている慧音を横からそっと抱きしめる。
その柔らかさに、はっ、と慧音意識が元に戻る。
慧音は頭の中の雑音がだんだんと消えていくような気がした。
「妹紅……」
「ごめんね、慧音……私のせいでこんなに苦しませてしまって……本当に……ごめんね……」
慧音を抱きしめる妹紅の腕の力が強くなる。
そして聞こえてくる嗚咽。
慧音も居た堪らなくなり、ぎゅっ、と妹紅の頭を抱きしめ返す。
その様子に永琳も耐えられなくなり、2人から視線をはずして唇を噛む。
嗚咽だけが部屋に悲しく響く。
しばらくして嗚咽が小さくなり、妹紅がポツリとつぶやく。
「運命ってなんでこんなに残酷なんだろうね……」
その言葉に、はっ、と慧音が顔を上げる。
運命という言葉。
既に決められていたことの巡り合わせ。
慧音の頭の中に、ある悪魔が思い浮かぶ。
運命を操ることの出来る紅い悪魔の姿が。
「妹紅!もしかしたらこの運命を変えることが出来るかもしれないぞ!」
「え?」
きょとんとした顔で妹紅は慧音を見る。
永琳もまた、驚いた様子で慧音を見ている。
「あの紅い悪魔に頼めば妹紅のこの運命を変えられるかもしれない!」
絶望の中にあったほんの一筋の光。
それは、慧音を突き動かすのに十分な力を持っていたのだった。
~続く~