※その34「ナイトメアによろしく ―1―」
その35「ナイトメアによろしく ―2―」の続きです。
チルノが来ない。
時が経つにつれ、文の困惑は加速し始めていた。
もちろん今までだって、毎日欠かさずチルノと会っていたわけではなく、二日や三日の間隔が空くのが普通だった。
しかし、最後にチルノと別れてからもう一週間になる。
これだけの期間、二人が顔を合わせずにいるのは、チルノが文を訪ねるようになってから初めてのことだった。
チルノが突然来なくなった理由を考えあぐねて途方に暮れもしたし、会えないこと自体に寂しさを募らせもした。しかしチルノの保護者たることを自らに課したせいか、今の文が最も案じているのはチルノ自身の安否であった。
悪戯が過ぎて誰かに捕まったのかもしれないとか、たちの悪い妖怪に襲われたのかもしれないとか、そういったことについてはこれまでも常々心を砕いてきた。
だが今はもう一つ、大きな心配の種がある。
チルノは他の妖精から恐れられているがゆえに孤独だった。
だから、その孤独を癒すために文を慕う。
そのはずだった。
そのチルノがどういう理由にせよ文と会うことをしなくなれば、彼女は掛け値なしの孤独にさらされることになるのではないか。
今もどこかで寂しがっているのではないか。
そんなことをぐるぐると考え始めれば、家でじっとしていられなくなるのも時間の問題だった。
上の空で書いた誤字だらけの原稿を丸めて放り投げ、それが屑籠に入らなかったのも無視して、文は自分からチルノを探すべく家を飛び出したのである。
――◇―― ◇―― ◇◇―◇ ―◇――◇
意外にも、あっさりとチルノは見つかった。
チルノがねぐらにしている湖。速度を落としてその上空を飛んでいると、今や文が見紛うはずもない氷精の姿が、ぽつりと眼下に見えたのである。
なぜかすぐに声をかけることに迷い、文は湖畔に茂る木々の一本に降り立って、湖のほとりに立つチルノの様子を窺った。
チルノは浅い水に素足を浸し、足元をなにやら凝視しながら、ぱしゃぱしゃと歩き回っていた。
時折、身をかがめて水の中に手を伸ばし、おそらくは砂利であろう小さな物を拾い上げては値踏みするようにあらため、やがてつまらなそうに放り投げるということを繰り返している。
まずはチルノの無事な姿を見て胸を撫で下ろした文だったが、そうなると次の疑問が頭をもたげてくる。
チルノはこの一週間、ずっとこんなことをしていたのだろうか。
今まで文が見聞きしてきたチルノの遊びと比べると、いかにも地味なことをしているように見える。
チルノが文と会わない理由はまだ判然としないが、そのことでチルノ自身も気付かないうちに気持ちが塞いでいるとしたら、放っておくわけにはいかない。
こうして観測しているばかりでは埒があかないことだし、思い切って話をしてみるべきだろう――と文は思った。
チルノには負けるが、文だって少しは成長するのだ。
――よし。
心を決めたら、少し緊張してきた。
声をかけよう。
チルノさん、と、うんと明るい声で。
息を吸って、吐いて、吸って――。
さあ、
「チ――」
チルノちゃん、と。
明るい声が湖畔に響き渡った。
「――えっ?」
文ではなかった。
文の声はそれにかき消されたのである。
ともあれチルノは名を呼ばれ、声の主を振り返った。
文も振り返った。
妖精がいた。
背格好はチルノと同じくらい。幼い少女の姿をした妖精たちが、寄り集まって五人ほど。
皆、形や大きさに違いはあれど背中に美しい羽を持ち、それを軽やかにはばたかせながらチルノの元に飛んでくる。
それを迎えるチルノの顔は、彼女を呼んだ声と同じくらい、明るかった。
――◇―― ◇―― ◇◇―◇ ―◇――◇
天狗は見ている。
一転して賑やかになった湖畔を。
妖精たちはチルノを取り囲み、楽しげにおしゃべりを始めた。
あっちにたくさんあったとか、私はこれだけ集めたとか、断片的な言葉がちらちらと聞こえてくる。ポケットから何かを取り出して見せあう者もいた。
その輪の中で、チルノもまた楽しそうだった。
笑顔だった。
――他の妖精たちと、仲良くなれたんだ。
文は見ている。
なんの違和感もなく、妖精の群れに溶け込んでいるチルノを。
当たり前だ――チルノだって妖精なのだから。
これが、あるべき姿なのだ。
考えてみれば、結果は初めから見えていたのかもしれない。
妖精とは本来群れるもの。不安定な力ゆえに同族から距離を置かれていたチルノが、それなりの分別を身に付ければどうなるか。
妖精の孤独を癒すのに、最も相応しい存在は、何か。
かつては誰にも向けられず、つい最近までは文にのみ向けられていた弾けるような笑みが、今は仲間のそれとともに輝いている。
その光景から、文は目が放せなかった。
見とれているのか。ただ体が動かないだけなのか。
文自身にも、わからなかった。
――ふと、妖精の中でひとまわり背の高い一人が、なにかの拍子に文のいる辺りを見上げる。
「!」
咄嗟に体が反応した。
文は弾かれたように飛びすさり、羽ばたくことすら一瞬忘れ、足場にしていた木の裏側へと背中から落ちてゆく。
「――――っ」
地面に激突する寸前に、体を反転させる。
そのまま湖に背を向けて、文は全速力で飛び去った。
速く。
もっと速く。
風鳴り以外に、なにも聞こえなくなるまで。
――◇―― ◇―― ◇◇―◇ ―◇――◇
どこをどう飛んだか。
気が付けば、自分の部屋に戻ってきていた。
途端に体が水銀のように重くなり、文はがくんと床に膝をつく。
「……はっ……はぁっ……」
自分の口から漏れる乾いた音が、ひどく耳障りだった。
止まぬ動悸で体全体が震え、それが邪魔で思考もままならない。
汗で額に張り付く前髪を鬱陶しげにかきわけながら、文は辛抱強く息が整うのを待った。
――――ふぅ。
ようやく落ち着いてくるにつれ、先程見た光景が脳裏に蘇ってくる。
妖精たちと一緒に、屈託なく笑うチルノ。
文を諭したあの裁判長は、いずれこうなることも予期していたに違いない。
文自身とて、チルノの保護者を標榜するからには、そんなことは解っていてしかるべきだった。
ただ、その実現が、誰の想像よりも早かっただけのこと。
そして、喜ぶべきことだった。
文は酒を飲んでいる。
大きな酒瓶と茶碗を卓袱台に置いて。
もちろん、祝い酒だった。
なにしろ、本人の自覚がなかったとはいえ長年チルノを苛んできた問題が、最良の形で解決したのだから。
チルノの境遇を知り、またそれに関して責任の一端を負う文が、これを喜ばない道理はなかった。
――そうだ、閻魔様にも報告しなきゃ。
どうせ、知らせなくたってお見通しだろうけど。
文は酒を飲む。
成長した氷精と、彼女の新しい友達に、幾度目かの乾杯。
チルノはこの一週間、ああして仲間と遊んでいたのだろう。
チルノを知る者があの姿を見れば、きっと誰でも納得する。あれこそが妖精の本来の姿であり、今までのチルノが異端だったのだと。
いかにもチルノは異端であり、それゆえ文に依存していた。
だが、これからはその必要もなくなるだろう。
わざわざ文の家まで来てガラクタを見せびらかす必要はないし、そこら中の棚を漁っては文を質問攻めにすることもない。危うい手つきで野菜の皮剥きを手伝うこともなければそうして出来た料理を綺麗にたいらげてくれることもなく、文の腕の中で眠ってくれることもくっつきそうな距離で微笑みかけてくれることも――
「…………っ」
文は飲み続ける。
こんなに苦い酒は始めてだった。
さっきから茶碗に落ちて混じる雫のせいかもしれない。
もちろん、嬉し涙のはずだった。
「……ふっ……ぅ…………」
文はいつまでも飲んでいた。
広すぎる卓袱台で、生ぬるい酒を。
――孤独に気付かされたのは、どちらだったか。
――◇―― ◇―― ◇◇―◇ ―◇――◇
底なし沼の底にいるような眠りだった。
夢はなく、絶対の闇と静寂に押し固められた、最も死に近い眠り。
…………、……、
その黒い世界の外側から、遠く、呼びかける声があった。
――、――――!
声は静寂を吹き散らし、不動の闇をゆっくりとほぐしてゆく。
――文――、文ってば――
体が揺さぶられ、沈殿していた意識がずるりと浮上を始める。
それでやっと、聞こえるようになった。
「――文ぁっ!」
恋しい氷精の、必死の声が。
――◇―― ◇―― ◇◇―◇ ―◇――◇
そして文は、底なし沼の淵から這い上がった。
目を開けると、そこはベッドではなく畳の上だった。
仰向けに寝そべる文を、チルノが半分泣きそうな顔で覗き込んでいる。
――その潤んだ目と、目が合った。
「……あっ……」
チルノが停止した。
文を呼び続けていた声も揺さぶっていた手も止め、口を半開きにして文を見つめる。
そして、すぐにまた動き出した。
「あ、文……やっと起きたぁ……」
チルノの不安げな顔から、たちまち力が抜けてゆく。
のろのろと上半身を起こす文にチルノは浅く抱き付き、体中をぺたぺたと触ってくる。
「もうっ、なんでこんな所で寝てたのよ。久しぶりに来たらいきなり倒れてて――」
その安堵と怒りの混じった声を、文はほとんど聞いていなかった。
――チルノさんだ。チルノさんが来てくれた。
酒と眠りに虚勢を洗い流された心は、取り繕うということをしなかった。
「呼んでも揺すっても全然起きないし、私、文が死んじゃうかと――」
――ゆらり、と。
なおも言いつのるチルノの胸に、文は倒れ込むように顔をうずめた。
「チルノ、さん」
「…………文?」
声と体が、どうしようもなく震える。
押さえの利かなくなった涙が、目尻から溢れる。
その涙も、嗚咽も、文はすべてチルノに叩きつけた。
「……チルノ、さんっ……!」
チルノの胸で、文が泣き出した。
まるであの夜の再来だった。二人の立場が逆になったことを除けば。
だから、文はひたすらに泣き、チルノはとにかく混乱した。
「ど、どうしたの文!? もしかして本当にどこか悪い――」
初めて見る文の様子に慌てふためくチルノに、文は消え入りそうな声で訴えた。
「…………いやです」
「えっ――?」
「私だって……一人は嫌。お願い、チルノさん、一人にしないで……っ」
切れ切れに、やっとそれだけ言った。
そうして懐でしゃくり上げる文を、チルノは静かに見つめ直す。
「……文、寂しかったの?」
ぐい、と。
チルノの胸に押し付けられたままの頭が頷いた。
「……私が来なかったから?」
ぐい。
文は迷わず頷く。
「……ん。そうだったんだ」
行き場に迷って宙に浮いていた、チルノの両手。
それが、おずおずと文の背中に添えられた。
「ごめんね、文。ごめんね……」
「――――っ」
その言葉と背中のぬくもりで、余計に涙が出てきた。
文はそのまま、好きなだけ泣いた。
チルノも文の好きにさせてくれた。
寂しさが溶けると、涙になるのだろう。
――◇―― ◇―― ◇◇―◇ ―◇――◇
泣き尽くして気持ちが静まれば、まともな思考も戻ってくる。
おかげで文は今、猛烈に恥ずかしかった。
顔を上げるタイミングが掴めず、チルノの胸にもたれたまま、文はぽつりと言う。
「……もう、来てくれないかと思ってました」
「へっ?」
慣れない手つきで文の背中や髪を撫でていたチルノが、間の抜けた反応を返す。
「どうして? しばらく来なかったから?」
「それもありますけど……妖精のお友達がたくさんできたから、もう寂しくないかな、と思って」
「――知ってたの!?」
心底驚いた様子で、チルノの手が止まる。
天狗はなんでも知ってるんですよー。
普段なら、それくらいの軽口は叩いてやるのだが。
「だから、わ、私に会いに来る必要なんて、もうないんじゃないかと――」
まずい。
口に出して言ったらまた悲しくなってきた。
「そ、そんなことない! 今だって、文に会いたいから来たんだもん!」
「じゃあ、じゃあなんで一週間も来てくれなかったんですか~」
「え? えっと、それはぁ……」
一向に顔を上げないまま再びぐずり始める文に、チルノはなにかを迷っている様子で口ごもる。
「あ、あのね文、」
「…………うぅ」
「その、言わなきゃ駄目?」
ずび。
返事の代わりに、鼻をすする音が返ってくる。
「――や、やっぱり、本当は私のことなんてもう要らないって、」
「あーーー、もうっ!」
「ほわっ!?」
業を煮やしたチルノが、文の肩を掴んでひっぺがした。
涙でぐしゃぐしゃの顔をいきなりさらされ、文は咄嗟に目の前をかばう。
「はいっ、これ!」
「――え?」
その両腕の隙間から、チルノのすねたような声とともに突き出された物が見えた。
輪っか、に見えた。
大きさはチルノの掌にちょうど収まるくらい。中に糸でも通してあるのか、蒼い小さな石が連なって環になっている。宝石の類ではないようだが、透明感と光沢のある綺麗な石だった。
「あの、これ……?」
「ん、」
なおも突き付けられたそれをわけも解らずに受け取り、文は当惑の視線を手元とチルノの間で行き来させる。
そうして数秒後、チルノがやっと説明のために口を開いてくれた。
「――それが流行ってるの」
「えっ?」
「湖で、ときどきそういう綺麗な石が見つかるの。それを集めて腕輪とか首飾りを作るのが流行ってるの」
「……妖精さんたちの間で?」
チルノは頷く。
「みんなに教えてもらって、私もそれ作ってたの。文にあげようと思って」
「――わたし、に」
文は平坦な声でつぶやきながら、今度はじっくりと手の上の物体を見つめる。
言われてみれば確かに腕輪だった。
石の形があまり揃っていないあたりが、いかにも手作りらしい。
「これ、チルノさんが作ったんですか……」
「いい石を一生懸命探してちゃんと磨けば、もっと綺麗になるんだけどね?」
口惜しそうに、チルノが続ける。
「文がびっくりするくらい、うんと綺麗なのができるまで頑張ろうと思って、会うの我慢してたの。――だけど、」
一瞬、言葉が途切れ、文は視線を上げてチルノを見る。
少し顔を赤くしたチルノが、軽く目を逸らしながら、
「我慢できなくなって……来ちゃった」
「――――……」
文が凍った。
チルノは構わず続ける。
「寂しかったよ。私だって」
文は応えない。
チルノは言い募る。
「文ってばずるいよね。私も、会ったら一番に抱きつこうと思ってたのに」
文は。
チルノは。
「みんなと遊ぶのはすごく楽しいけど、文に会えないとなんだか苦しかった。みんなと遊ぶようになって初めて、楽しいっていう気持ちにも色々あるんだってわかった。遊んで楽しいとドキドキするけど、文といるときのドキドキはちょっと違う感じなの。自分でもよくわからないけど、今だって、」
いつしか、手を取られていた。
その文の手をチルノは自身の胸に導き、
「――ドキドキしてるんだよ?」
――とくん。
押し当てた手に、 鼓動が伝わる。
――とくん。
その一拍一拍が、文の中に染み込んでくる。
知りたかった。
望んでいた。
諦めたつもりだった、ものが。
「……チルノさん、私、」
熱湯を浴びせられたガラスのように。
深海から引きずり出された魚のように。
心を激変にさらされて、文は怯えすら抱く。
「私、怖いんです。これが夢じゃないかって思うと……」
「夢じゃないよ。さっき起こしたでしょ」
証拠が欲しかった。
夢でない証に、確かな感触が。
「――抱いてもいいですか?」
他意はない。
今はただ、チルノを抱き締めたかった。
「それもさっき言った。……ねえ文、ぎゅってして」
チルノはそう言って微笑んだ。
文もやっと、泣きそうな顔で微笑んだ。
「で、ではその、失礼します……」
わざわざ断りを入れたら、逆に恥ずかしくなってきた。
早く抱いてしまおう。
このわだかまる不安を消し去ろう。
文は震える腕を支えに身を乗り出し、
――がくん、と視界が傾いた。
「――――えっ?」
二人の声が重なった。
文は畳に這いつくばって。
チルノは文を呆然と見下ろして。
「……あ、あれ……?」
文は起き上がろうと腕を踏ん張るが、まるで力が入らなかった。
「あ、文? 今度はどうしちゃったのよ!」
たちまち火が点いたチルノの声をどこか遠くに聞きながら、文は考える。
手足が震えて力が入らず、全身が熱っぽくて思考がまとまらない。
緊張と安堵を繰り返していたせいで今まで気付かなかったが、これは――
「文、あや……死んじゃやだぁ……」
「お、落ち着いてくださいチルノさん。大丈夫、ただの、風邪、ですから……」
――風邪?
錯乱寸前の様子で文にしがみついていたチルノは、目をぱちくりさせる。
そして、思い出したように文の額に手を差し伸べた。
「――あ、熱っ! ちょっと文、全然大丈夫じゃないじゃない!」
「え……? そ、そうかなぁ……」
慌てふためくチルノをよそに、文はどこか脳天気だった。
実際、安心していたのだ。
額に当てられた手の冷たさが、これは夢でないと教えてくれたから。
これからもチルノと一緒にいられると解ったから。
「……ふぅっ……」
熱っぽい溜め息を一つ。
なんだか急に気が抜けてきた。
チルノには申し訳ないが、今はこのまま――
「わあぁん! しっかりしてよ文ぁっ!」
そんなに心配しないでください。こう見えても最高の気分なんですよ。
意識が落ちる前に、そう言ってあげたかったのだけど。
――◇―― ◇―― ◇◇―◇ ―◇――◇
次に目が覚めたときには、ちゃんとベッドの上にいた。
ちらりと脇を見ると、ちゃんとチルノもいた。
――ただし仏頂面で。
「…………」
「あの、チル――」
「…………」
「――――」
「………………文」
「は、はい」
すぅ、とチルノは息を吸い込んで、
「ほんっっっっっっっっとに心配したんだからね!」
「……面目次第もありません」
「風邪は大丈夫? 気分はどうなの?」
問いながら、チルノが水の入った湯飲みを差し出してくれた。
水を目にした途端に焼けつくような渇きが蘇り、受け取ったそれを文は夢中で飲み干した。
考えてみれば、一晩中酒浸りだった上にそれ以外のものをずっと口にしていなかったのだ。
「……えーっと、」
空になった湯飲みの底を見つめながら、文は自分の体調を分析する。
「気分は悪くありませんよ。熱っぽくてだるいのは確かですけど、それ以外は大したことありません」
「――そう」
ぼふっ。
糸が切れたように、チルノが布団越しに文の上に倒れ込んできた。
間近で文と向き合い、顔の下半分を布団に埋めたままもごもごとつぶやく。
「もう。風邪だっていうのに、なんでちゃんと寝てなかったのよー」
「いや、その。そもそも風邪に気付いたのがさっき倒れる直前のことでして……」
「さっき? そんなに急に、倒れちゃうような風邪にかかるもんなの?」
「あ、あはは……。あんな所で酔い潰れて寝ちゃったのがまずかったんですかねぇ」
おそらく、それだけではあるまい。
以前、永遠亭の薬師から聞いたことがあった。妖怪は人間と比べて、肉体よりも精神の占める割合が高いのだと。
だから、気の持ちようによっては天狗といえども弱い存在になるのかもしれない。
チルノさんに会えないのが寂しくて寂しくて精神状態が最悪だったので簡単に風邪にかかってしまいました、とは流石に言えないけれど。
「……もう、夕方なんですね」
ふと横を向くと、窓から差し込む光にはすでに黄昏の色が混じっていた。
存外に長い間、眠っていたらしい。
「今日は、ずっと一緒にいるからね」
「泊まっていくつもりですか? でも、あんまり居ると風邪がうつっ――」
「なんか文句ある!?」
「ありません」
有無を言わせぬ口調のチルノに、文はあっさり引き下がる。
長時間眠っていたということは、それだけチルノに心配をかけていたということだ。
しばらくチルノには頭が上がりそうもなかった。
病人食の基本は粥である、と。
夕飯は私が作ると言って聞かないチルノにそう教えると、果たして出来上がったものはごくまっとうな粥だった。
ある一点を除いては。
「はい文、あーん」
「あ、あーん……」
文は散々ためらってから、雛鳥のように口を開けた。
栄養をつけなければならないのは承知しているが、これではかえって熱が上がってしまいそうな気がする。
――もぐもぐ。
「……どう?」
「ん……おいしいです。立派なお粥の味になってますよ」
「ほんと? よかったぁ!」
食欲があるのが幸いだった。
決してお世辞ではない文の言葉に、緊張していたチルノの顔がほころぶ。
「いっぱい作ったから、どんどん食べてね!」
「え、ええ。それはすごくありがたいんですけど……チルノさん、」
「ん、なに?」
「その分量はちょっと、どうかと思うのですが……」
土鍋一杯。
添えられた梅干しとのコントラストは、さながら湖にたたずむ紅魔館のよう。
「なに言ってんの。たくさん食べて元気にならなきゃ!」
元気というか、体が糊になると思う。
「はい、あ~ん」
「あわわ、あーん」
――もぐもぐ。
「そういえばチルノさん、自分の夕食は用意していないのですか?」
「…………あ」
死中に活。
結局、鍋は二人で食べることにした。
気付けば丸二日、風呂に入っていなかった。
まだ体臭は気になるほどではないが、そうなってからでは遅いのだ。チルノに「くさい」などと言われた日には死ぬしかない。
だから文は体を拭こうと思ったし、当然それを自分でやろうとしたのである。
が。
風呂場に行こうと立ち上がったとき、ふらついて膝をつくところをチルノに目撃されてしまったのがまずかった。
ノー。スリップだ。効いちゃいない。
そう主張するも受け入れられず、湯桶と手拭いが速やかに用意された。
そして、その手拭いは今、チルノの手にある。
「チ、チルノさん。体を拭くくらい、自分でできますってば……」
「い、いいの! 私がやるったらやるの!」
それならそれで、今さら赤面するのは勘弁して欲しい。
「……じゃあ、あの、拭くね?」
「は、はひ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………っ」
「…………」
「…………」
「………………おわり」
「………………ありがと」
この後しばし、共に無言。
そうこうしているうちに、文もチルノも寝る以外にすることがなくなった。
特にチルノはよく働いたせいか、いつもより早い時間だが眠そうな様子だった。
――眠そうな目で、文を、
「だ、駄目ですよそんな顔したって。予備の布団は押し入れにありますから――」
「……わかってるもん」
理解はするが納得はしていない――そんな口調でチルノは呟き、大儀そうに布団を引っ張り出してくると、ベッドの隣に粛々と敷いてゆく。
本当は同じ部屋で寝るのも良くないと思うのだが、そこまでは口に出せなかった。
第一、文とて断腸の思いでチルノを遠ざけているのである。
「……おやすみ、文」
「おやすみなさい。チルノさん」
――早く治りたいなあ。
少しだけ遠いチルノの声を聞きながら、文はそう思った。
――◇―― ◇―― ◇◇―◇ ―◇――◇
明けて翌日。
文の熱は、いまいち下がらない。
養生していても快復に多少の時間はかかるのが道理とはいえ、チルノにあれこれ世話を焼いてもらっている身としてはちょっと申し訳ない気もする。
だからというわけではないが、ベッド脇に腰を据えるチルノに言ってみた。
「チルノさん、今日は外で遊ばないんですか?」
「――へっ?」
さも意外なことを言われたかのように、チルノは文を見返す。
「そんなの、行くわけないじゃない。文が治るまでは一緒にいるって決めたもん」
ああ、やっぱり。
それはすごく嬉しいこと、なのだが。
「私の風邪はもう、寝ていればじきに治ります。でもチルノさんは元気なんですから、あまり閉じこもっていては体に毒ですよ」
「それは、そうかもしれないけど……」
「今日、お友達と遊ぶ約束はしていないんですか?」
約束?
文のその言葉に、チルノははたと口を結んで記憶を探る。
「……昨日、湖を出るとき、また明日ねって言った気もするけど」
「それなら、やっぱり行くべきですよ。お友達は湖で待ってるんじゃないですか?」
「うーん……」
チルノはまた少し考える。
だがさして迷った様子もなく、すぐに顔を上げて、
「やっぱりいいよ、別に行かなくても。今日はずっと――」
「駄目ですっ!」
病人にしては、迫力があったかもしれない。
にわかに強まった文の語気に、チルノは一瞬すくみ上がった。
「……あ、文?」
気合い一発、ベッドから体を起こして身を乗り出す文を、チルノは何事かと見つめる。
「チルノさん、」
火照った両手を、チルノの肩に置いた。
「私を心配してくれるチルノさんのその気持ちは、本当に嬉しい。でも私は、それと同じくらい、あなたにお友達ができたことも嬉しく思ってるんです」
そう。やっと。
「……やっと、心から素直に、嬉しいって思えるようになったんです」
身勝手な心変わりだということは承知している。
「私はもちろんチルノさんと一緒にいたいけど、チルノさんには私だけじゃなく、たくさんの仲間とも共に在って欲しい」
なかま、とチルノの口が動く。
チルノは文の言いたいことをすべて理解している様子ではなかったが、真剣さは伝わっているようだった。
「……だから、お願い。大切にしてください。お友達も、そのお友達とした約束も」
「…………」
「ね?」
「……うん」
チルノが小さくうなずく。
それで、安心できた。
文は一仕事終えたように大きく息をつくと、再び頭を枕に沈める。
「――ごめんなさい。私ってわがままですよね。一人にしないでって言ったり、遊びに行けって言ったり……」
その呟きにチルノが首を振る。
「……ううん。文の言いたいこと、なんとなくわかったから」
「そう、ですか」
「でも大丈夫? 私が出掛けても寂しくない?」
「大丈夫ですよ。チルノさんがまた来てくれると解っていれば、安心して待っていられますから」
「昨日みたいに泣かない?」
「あ、あれは昨日が特別だったんですっ。あのときはほらなんというか精神的に不安定で……」
「…………」
「……泣きませんよ?」
「……わかった」
――ちゃんと寝ててよ?
その台詞を十回は繰り返し、チルノはようやく出掛けていった。
急に静かになった家で、文は相変わらずベッドに横たわっていたが、さりとて真面目に眠っているというわけでもなかった。
なにをしているのかといえば、チルノにもらった腕輪をつけて、さっきからずっと眺めているのである。
――もう一度湖に持ってって、綺麗に作り直してこようか?
出かけしなチルノにそう言われて、文は首を振った。
これが良かったのだ。
荒削りで、不揃いで、でもところどころには驚くほど綺麗に光る石が混じっている。
これはきっと、今のチルノの気持ちそのものだ。
――自分でもよくわからないけど――
彼女自身がそう語ったように、チルノが文に対して抱いている気持ちはまだ未熟なものなのだろう。
それを、大切にしたいと思う。
見上げる腕がいい加減にくたびれてきて、布団の上にぱたりと下ろす。
ベッド脇に置いた水差しの中の氷が、からりと鳴った。
しばらく看病ができないからと、チルノが血管切れるかと思うほどに力を込めて作った氷だった。見た目も冷たさも普通の氷と変わらないのに、これはいつまで経っても解けないのだ。
本当に成長したものだと思う。
案外、妖精仲間の間では頼れるお姉さんになるのかもしれない。
それにしても、しぶとい風邪だった。
闘病たかだか二日目でこんなことを考えるのはいささか罰当たりかもしれないが、そもそも精神的に落ち込んでいたのが原因でかかった風邪である。その悩みが十二分に解決した今、軽く治ってくれても良さそうなものではないか。
――チルノさん、いつごろ帰ってくるかなあ。
いかん。
自分から送り出しておいて何を考えているのだ。
どうもチルノの成長に反して、最近の自分は子供っぽくなっている気がする。
私のことは気にせずに遊んできていいのよと、せっかくお姉さんぶりを発揮したところなのだ。ここは泰然とチルノを待つべきであろう。
でも落ち着かない。
新聞とチルノの両方から切り離された今の自分はなんだか宙に浮いているようで、新鮮ではあるが決して長居したい状態でもない。
おとなしく眠ってしまえれば一番楽なのだが、文にとっての安眠とは、実のある取材か満足のいく原稿かチルノのおやすみの後に訪れるものだった。今の体調で外を飛び回るなど風邪を長引かせるだけだし、取材ができなければ書くこともない。つまるところはチルノさん早く帰って――
いかん、いかん。
邪念? 雑念? いや、ちょっと違うか。
とにかくそんな弱いココロを叱責しながら、文はぶんぶん首をふる。
――それで、ふと、机の上に置いてある手帖が目についた。
文が肌身離さず持っているこの手帖は、ライフワークである取材の成果を書き留めるものであり、また決定的瞬間を捕らえた写真を綴じ込んでおくものである。
当然、その内容は順次記事に使われるわけだから、挟んである写真も世代交替は激しく、同じものは何日と置いてはおかれない。
のだが。
最近、その限りではない写真が、一枚だけあるのだった。
「…………」
――◇―― ◇―― ◇◇―◇ ―◇――◇
――ただいまっ。
――文ぁ、調子はどう……っと、寝てるのか。
――あれっ?
夢うつつにチルノの声を聞いた気がした。
それで初めて、自分が眠っていたことを知った。
「……んっ……」
目を開ける。
うすらぼやけた視界の中、チルノがベッドの縁に手をかけて、文を覗き込んでいた。
「チルノさん……、おかえりなさい」
「えっ? あ、うん。ただいま……」
文が目を覚ましていたことに、今気が付いたような返事。
どうもチルノの目線は、文の顔ではなくもっと下の方に向いているようだった。
一体何があるのかと思い、文も頭を起こして自分の足下に目を向けて、
「…………あ」
忘れていた。
迂闊だった。
そこにあったのは、布団の上に投げ出された文自身の腕。
そしてその手に抱き締められるようにして、一枚の写真があった。
チルノはさっきから、その写真を見ていたのである。
「……文」
「…………あぅ」
顔を赤くしたチルノが、口をとがらせる。
「や、やっぱり寂しかったんなら、そう言えば――」
「ちょ、ちょっとだけですよちょっとだけ! チルノさんの手を煩わせるほどではありませんからっ」
そういう問題でもないと、自分でも思う。
「そっ、それよりチルノさんはどうです? お友達と楽しく遊んできましたか?」
「……私? うん。色々してきたけど――」
まあ素敵。どんな遊びをしてきたんですか? 私、チルノさんのお話が聞きたいなあ。せっかくですからお茶でも入れましょう。いえいえ、あんまり動かないのも気が滅入りますから私にやらせてください。さあさあチルノさんも手を洗って。
そそくさと、台所へ逃げた。
――◇―― ◇―― ◇◇―◇ ―◇――◇
お茶を入れて、久しぶりに二人で卓袱台を囲む。
家に閉じこもって寝てばかりいるわけだから、文が外の情報に飢えているのは本当だった。
どんなことをしてきたのかという文の問いに、チルノは開口一番、こう答えた。
「みんなにね、文のこと話したの」
「――えっ?」
予想もしていなかった言葉に、文は固まる。
「私のことって……私の、こと?」
「うん」
「その、具体的に、どんなことを?」
「えー? だから文のことよ。飛ぶのがすごく速いとか、料理が上手だとか」
「……私が天狗で、その私とよく会っていることも、話したんですか?」
「うん」
しまった、と思った。
文との関係については口止めしておくべきだったのだ。
ようやく打ち解けることができたとはいえ、チルノが妖精たちの中で特異な存在であることに変わりはない。下手をすればまたどんな理由でつまはじきにされるとも限らないのだ。
小町が指摘したとおり、文自身にその認識は希薄であるが、天狗といえば大妖怪なのである。その天狗と付き合いがあることが知れれば、妖精たちとの間に新たな溝を作りかねない。
「……それはその、どういったいきさつで話したんですか?」
時すでに遅し。
だが手遅れは手遅れとして、フォローできることがあればしなければならない。
文は心を引き締めながら、チルノに話の続きを促す。
「遊んでたら、言われたの。そわそわしてどうしたの? って」
やはり心配してくれていたらしい。
それは嬉しいのだが。
「だから言ったの。私の一番大切な人が風邪ひいてるって。それでみんながそれはどんな人? って知りたがったから、文のこと色々……」
一番大切な人。
それは、涙が出るほど嬉しい言葉なのだが――
「――そしたらね?」
「は、はい」
「えっと……これ」
これ。
そう言ってチルノがポケットから取り出して見せたのは、小さなガラス瓶。
胡蝶夢丸の瓶よりも一回り小さく、中には淡い黄金色の液体が満たされているようだった。
「……これは、どうしたんですか? 中に入っているのは……?」
「一人、物知りな子がいてね」
文の目の前で瓶を振りながら、チルノは先を続ける。
「文の風邪のこと話したら、教えてくれたの。湖の近くに咲く花で、蜜が風邪に効くやつがあるんだって」
「……じゃあ、これはチルノさんが」
ううん。
チルノは笑って首を振る。
「みんな。みんなが一緒に集めようって言ってくれたの」
「――――っ!」
まるで雷に打たれたように、文は目を見開く。
「妖精の皆さんが、私のために……?」
「うん。もちろん私も集めたんだよ! あんまりたくさんじゃないけど……」
チルノは得意げに小瓶の蓋を取り、文は呆然とそれを目で追う。
「そういうわけだから。はい、あ~ん」
チルノが、蜜をすくった指を差し出す。
「あ……」
文は恥じ入ることすら忘れ、自動人形のように口を開けた。
きらめく蜜に覆われたチルノの指が、舌の上に乗せられる。
「ん、むっ――」
「……どう? どんな味?」
甘い。
がんじがらめに甘い。
――甘すぎて、涙が出た。
「…………っ……」
「ど、どうしたの文!? マズいのこれ?」
文はチルノの指をくわえたまま嗚咽を漏らし、指の持ち主は予想外の反応に狼狽する。
「文、大丈夫? お茶飲む?」
「……違うん、ですっ……」
「えっ?」
「う、嬉しくて……」
文は目尻に指をやりながら、慌てて笑い顔を作る。
「あ、あはは……。駄目ですね、体が弱ると涙もろくなって……」
嬉しかった。本当に。
そして、妖精たちの度量を小さく見積もりすぎていた自分を恥じた。
チルノの新しい友達は、チルノばかりか、文をも受け入れてくれるのだ。
「……臆病になる必要なんて、なかったんですね」
「臆病? なんのこと?」
「チルノさんは、本当にいいお友達を持ったってことですよ」
「あー……、うん。そうだね」
文が喜んでいると解って、チルノの顔にも笑みが戻る。
「それじゃ、もっと食べて! これできっと治るよね!」
「ええ……治ります。治りますとも」
チルノは張り切って蜜をもうひとすくいする。
我に返ってみれば相当に恥ずかしい行為ではあったが、いまさら遠慮するわけにもいかない。
文はそろりと、チルノの指に唇を寄せた。
「――――」
痺れるような甘みに再び口中を満たされながら、文は今までの自分を順繰りに思い返す。
一人でもいいと思っていた。
チルノがいてくれればいいと思っていた。
チルノが幸せなら、それでいいと思っていた。
文と、チルノと、チルノの幸せ。
今は、すべてが共にある。
なんて素敵なんだろう。
――◇―― ◇―― ◇◇―◇ ―◇――◇
文はベッドに戻り、チルノはやはり帰ろうとはしなかった。
差し込む夕日で部屋は緋色に染まり、文もチルノもただ静かだった。
「……私も、文の写真が欲しいな」
ベッドの隣で椅子に腰掛けていたチルノが、ぽつりと呟く。
その視線の先――机の上には、先ほど文が持っていた写真があった。
「チルノさん」
眠れないなりに閉じていた目を、文はゆっくりと開く。
「私の風邪が治ったら、デートしましょう」
「――で、でぇと!?」
「はい。カメラを持って、一緒にお出かけしましょう。そしたら、」
照れくささで失速しかける言葉を、どうにか立て直す。
「――私を、撮ってくれますか?」
「――――……」
文は、夕日と一緒にはにかんだ。
とんだ不意討ちに反応しきれなかったチルノも、やがてみるみる理解と歓喜の表情を取り戻す。
机の上の写真にも負けない、最高の笑顔だった。
「――――うんっ!」
さあ、ここまで言ったのだ。
ブン屋の魂にかけて、この風邪は明日までに治す。
にわかに浮き足立った様子のチルノを見ながら、文は静かに燃えていた。
「えへ、文と一緒にお出かけかぁ。初めてだよね」
「ええ」
「どこに行こうか? ねえ、文はどこに行きたい?」
「私、チルノさんのお友達に会いたいです。蜜のお礼も言いたいし……」
風邪のいいところを一つ発見した。
治ったらしたいことが、たくさん見つかること。
――◇―― ◇―― ◇◇―◇ ―◇――◇
翌朝、文の風邪はものの見事に完治していた。
文とチルノと、妖精たちの勝利だった。
チルノよりも早く目覚めた文は、運動不足にきしむ体に喝を入れ、台所を駆けずり回った。
遅れて起きたチルノは文の立ち回りを見て歓声を上げ、喜び勇んで手伝いに加わった。
二人並んで朝食をこしらえるかたわら、文は久しく使っていなかったオーブンに火を入れる。
食事と身支度を終え、カメラと大きな籠を持って、文とチルノは家を出た。
久しぶりに風を切って飛ぶ感覚が心地良く、ついスピードを出し過ぎてチルノに文句を言われた。
太陽の下にかざした腕輪は澄みわたる蒼色に輝き、何度も立ち止まって見とれていたらチルノに文句を言われた。
検討の結果、二人は手を繋いで湖を目指す。
道中、黒い魔法使いと遭遇。
魔法使いは手に手を取って飛ぶ二人を見て不思議そうな顔を浮かべていたが、やがてその興味はチルノが抱える大きな籠に移った。
短い押し問答の末、布で覆われた籠に注がれる視線が狩人のそれに変わるや、文はチルノを抱えて全速力で逃げ出した。
チルノはきゃあきゃあ笑いながら文の胸にしがみついていた。
湖に到着。
そこら中を飛び回りながらチルノが呼び掛けると、出るわ出るわ、妖精の少女たちがわらわらと。
物珍しそうにチルノの連れを見つめる彼女らに、天狗の文です、とはっきり名乗った。
妖精たちは動じる風でもなく、人懐っこい笑みを文に向けてくれた。
案外、壁を作っていたのは文の方だったのかもしれない。
文と妖精たちが挨拶を交わしている間、チルノはずっと文の腕に自慢げに抱きついていた。
その様子があんまり嬉しそうだったためか、真似をする妖精が現れた。
一人の少女がはしゃいで文に飛びつくと、他の妖精たちも次々とそのノリに乗じ、文はたちまち蟻にたかられる角砂糖のような有様になってしまった。
いつの間にか押しやられ、文を独占できなくなったチルノが、次第に不機嫌になるのが解った。
群がる妖精にもみくちゃにされながらこっそりキスしたら、機嫌は一発で治ったけれど。
湖畔に皆で腰をおろし、文は籠の覆いを取り去った。
中には、蜜のお返しにクッキーがどっさり。
少女たちが歓声を上げながら手に取ったそれらは、よく見れば花の形をしていた。鈴蘭とドクダミと胡蝶蘭。そうは見えなくてもそうなのだ。
どうして鈴蘭とドクダミと胡蝶蘭なの? と妖精の一人に訊かれても、文とチルノは悪戯っぽく顔を見合わせて笑うだけだった。
手を振りながら湖を後にして、それから二人の撮影会が始まった。
代わりばんこにカメラを持ち、チルノが立ったり文が座ったりチルノが飛んだり文が転んだりする様を愛おしげに写真に閉じ込める。
撮られることに慣れていない文は、チルノよりよほど緊張していた。
通りすがりの暇そうなお爺さんに頼んで、二人一緒の写真を撮ってもらった。
なぜか一枚、心霊写真が混ざっていた。
肩を寄せる二人の背後ででっかい人魂が手を振っていたが、あまり怖い感じはしなかった。
きっとシュクフクしてくれてるのよ、とチルノは言う。
――◇―― ◇―― ◇◇―◇ ―◇――◇
「文ぁー! こっちこっち! 今度はあそこで撮ろうよーっ!」
最も愛しい笑顔が、風に舞う。
文も、自分が同じ笑顔を浮かべている自信があった。
今は、ただ感謝したかった。
自分を求めてくれたチルノに。
チルノに惹かれた自分に。
今ここに在る二人を育んでくれた幻想郷と、そこに住まうすべてに。
号外に書いて、ばら撒いてやりたいくらいの気分。
でも、物書きとして恥ずべきことだが、思い浮かぶのはたったの一文。
――こうだ。
幻想郷の皆さん。
私は、チルノさんのことが、大好きです。
~完~
なんといってもチルノとハッピーエンドが好きなもので。
>通りすがりの暇そうなお爺さんに頼んで、二人一緒の写真を撮ってもらった。
>なぜか一枚、心霊写真が混ざっていた。
>肩を寄せる二人の背後ででっかい人魂が
なんと妖忌登場!?
ああ、なんだかこれほどまでに続きが待ち遠しかった創想話作品もなかった。
ひとりの文派としてありがとう! ありがとう!!
最高の文×チルノでしたよ!
ブンブンとチルノをシュクフクします。
だがそれがいい!
しかし妖忌のじっさんよ、そんなとこで何やってんだw
すてきなあやちるをありがとう
ひねりがないからって、妖忌かよ!(笑)
ぜひ後日談で、すっかり元気になっていつも通りはっちゃけた文を。
簡易評価じゃとても足りません。
すごい甘くて致死量、でも幸せ。
そんなわけで、十二分に楽しませてもらいました!
良作ありがとうございました!
何気に良かったのが>寂しさが溶けると~ のくだり
文×チルGJ~!
一人は、嫌だよねぇ
にしても、妖忌www
ちょっとだけ成長した氷精と天狗に幸あれ。
文とチルノと妖精たちと、このどこまでも優しい幻想郷に、シュクフクあれ。
完結おつかれさんです!
あー、甘かった!
読後の幸福感も格別…最高です!
最高!!
年明け最初のSSで完結編が読めてとても嬉しいです。
もうニヤニヤしっぱなしです!軽く5、6回はウギ死するところでした!
甘いお話を本当にありがとうございました!
でもここは学校のPC室、自制しろ私自制しろ私!!
都合でしばらくクーリエにこれない間に…!
いい、いいです、あやちるwww
悶えすぎて死ぬかと思いました!
超念
てかジイさん何してんの…
もう……最高すぎだぜコンチクショーーッッ!!
でも妖忌wwwwwwwww
大ちゃんが登場しないのは大人の事情として、二作目以降理由はあるにしろ大人っぽくなったチルノはらしくないと言うか何と言うか。
「私、文のこと…」と照れるチルノより「あたいったら最強ね!」と無い胸を張ってるチルノの方が好きな愚者の戯言ですけどね。
こんな作品を届けてくださった監督さまに感謝!
GJ!! 文チルいいよね!!
ごちそうさまでしたw
ほのシリ甘なチル文をありがとうございました!
何で今まで見落としてたんだろう…
甘ほのぼの過ぎて私の脳内がフジヤマヴォルケイノ。
最高のエンターテイメントをありがとう。
妖忌は笑うしかないですね´ω`*
とても、面白かったです。
だけどそれがいい。
いい甘さだ
甘い文チルありがとうございます。
こういう文ちゃんもかわいくていいですね。
感動した。
100じゃ足りんよもう!
それぐらい続きが気になったんです。素敵な文チルありがとう!!
文チルさいこうです!
最高の作品をありがとうございました!!
こんな話を読ませてくれる貴方は白!
ぶらぼーーー!
最高の文チル話です!
何度読んでもハッピーエンドは良いものです。
3部作一気読みしました。最高でした・・・!
これを紹介してくれた人ありがとう。そして監督さん、素敵な文チルをありがとう!