※ドアは閉まっていますか? 窓に鍵は掛かっていますか? 部屋には貴方だけですか?
確認が終わったなら下へどうぞ…。
○月×日 晴れ
今日も月が綺麗だ。月が綺麗な夜は気分が良い。
だが今日の私はたとえ月が出ていなくても、きっと最高の気分だろう。
なぜなら、今日は私に新しい家族が出来たからだ。
まぁ、家族と言っても吸血鬼ではないので、厳密には家族と言えないのだが。
――では呼び方を変えよう。
友人。彼女は私のかけがえのない友人。
私を罠に嵌め、手傷を負わせた希有な存在だ――
「んー……」
そこまで書いたところでレミリアは一度、筆を置いた。
「『……私を罠に嵌め、手傷を負わせた希有な存在だ』」
それから自分で書いた日記を口に出して読むという、限りなく恥ずかしい行為を大真面目にやってのけた後、腕組みをしてうなった。
「何かねー……これじゃあの子の凄さがいまいち伝わらないような気がするのよね……」
罠に嵌める。
手傷を負う。
レミリアにとって、これは別に珍しいことではなかった。
そもそもレミリア自身、体に傷の一つも負わせられないような輩は元より眼中にない。
また、吸血鬼を相手に無策で正面から戦いを挑むような馬鹿はまずいない。(とはいえその馬鹿の中でも最高に位置する馬鹿が生き残り、今現在ここの門番をやっているのだから世の中わからないものである)
結局どういうことかと言うと、彼女が誰かと戦えばほとんど必ず何らかの罠に嵌り、傷を負うということだ。
「って言ってもねぇ……」
レミリアの性格上、『本気を出した上に殺されるところでした。だから逃げて後ろから攻撃して勝ちました』なんて正直に書けるわけもなかった。
事実はありのままに書きたい。
でも、そこに格好悪い自分(絶体絶命の危機など)が書かれていてはならない。
それでいてある程度は相手を立てなければならない。
この絶対に相容れない三つの要点を抑え、形にするなど不可能なことだ。
それならせめて『事実』という一点を無視して、おかしくない程度に脚色すればいいものを、貴族としての意地がそれを許さない。
結論、誰がやったって出来るはずがないのである。
レミリア本人もそれに気づいてはいるのだが――これまた意地という奴であろうか。一度始めたことをなかなか放り出せずにいる。
「何としても書き上げなきゃ……」
よし、と気合を入れなおしてペンを手に取るレミリア。
ちなみに日記には今日とあるものの、あれからすでに一ヶ月近く過ぎてしまったことは……秘密だ。
――ふ……ぅあああああん……!
その時、別の部屋から泣き声が聞こえてきた。
レミリアははっとなって時計に目をやる。時計の針は予定の時間を大きく過ぎていた。
「いけない――もうこんな時間」
彼女にしては珍しく慌てた様子で日記帳とペンをしまい、部屋を飛び出して行く。
その間にも泣き声は少しずつ大きくなっていった。
「……れー、み……れーみ」
部屋に入ったレミリアを待っていたのは、ベッドの上で自分の名前を呼びながら泣いている赤ん坊だった。
またやってしまった。
そんな後悔と共に、レミリアの額にびっしりと汗が浮かぶ。
「ぁぁぁぁぁ……」
確か昨日はオムツが濡れていた。
その前はお腹が空いていた。
さらにその前は……何だったか。
とにかくいろいろあったので、レミリアはどうすればいいのか分からなくなっていた。
その結果、積極的に動くことも出来ず彼女は部屋の入り口でおろおろするばかりである。
(でも……私が行かなくては!)
それから暫し。
逃走本能を精神力で抑えつけ、しかし腰は引けたまま歩き出したその時、
「ぁ~ぅ……れーみ」
レミリアを見つけたのか、這いよろうとした赤ん坊の体がベッドから落ちそうになる。
「危ない――!」
レミリアはとっさにヘッドスライディング!
……ゴン。
目測を誤ったのかタイミングを謝ったのかはたまたその両方か。
とにかくレミリアは豪快――と言ううにはやや控え目にベッドの脚に頭をぶつけた。
「ぅ~……?」
がしかし。
脚が折れはしなかったものの、レミリアがぶつかったのだからベッドは揺れる。
揺れれば落ちる一歩手前の赤ん坊は当然落ちる。
そして真下にいるレミリアの腰に着弾。
「ぐぇ」
カエルが潰れたような声を上げながらレミリアはエビ反った。
直後、パタンと力なく手足が落ちる。
「ふぅ……なんとか間に合――痛たたたた!」
「れーみ~♪」
ぐい。
息をつく間もなく赤ん坊の手がレミリアの髪を引っ張る。
ぐいぐい。
レミリアは背骨が折れるんじゃないかと思うほど仰け反ったがそれも無駄な抵抗だった。
むしろ仰け反ったことによって赤ん坊の体が後ろに傾いたために事態悪化。ぶちぶちと小気味よい音を立てながら赤ん坊の掴んでいた髪の毛が全部千切れる。
「ぎゃあああああぁぁぁー!」
窓ガラスにひびが入るほどの大声で絶叫するレミリアと、
「ぅ~?」
そのレミリアの千切れた髪の毛を掴んだままころころと後ろ向きに転がっていく赤ん坊。
レミリアは叫び終わると今度は本当に、力尽きて床に突っ伏した。
「何なのよ……私が何したって言うのよぉ……」
それからすぐにすすり泣く声が聞こえてきた。
したと言えばした。してないとは言えないはずである。
ただ、いつもの時間に傍にいなかっただけで(結果的にではあるが)髪の毛をごっそり千切られるのは……割に合わないというものだろう。
汚れた服やらはどうとでもなるが、髪の毛はすぐに元通りにならないのだ。
ぺちぺち。
二の腕を叩かれる感触で我に返る。億劫ながらも顔を向けると、目の前には赤ん坊の顔があった。
しかも、どういうわけか先程と打って変わって上機嫌である。
「れーみ」
四つん這いのままもう少し近寄って、今度は頬をぺちぺち叩く――と言うより触れる。
まだ伸び始めたばかりの、少年のような紫色の髪が月の光に照らされて輝いていた。
そして、それにも勝る純粋な笑顔。
(やば……こいつ可愛いわ)
レミリアは体の底から力が湧き上がってくるのを感じた。
この子が笑うために必要だったなら、あれしきの髪が抜けたくらい何だと言うのか。
「よし!」
涙を拭いて代わりに笑顔を浮かべ、レミリアは勢いよく起き上がった。
「それじゃあ今日は、空の散歩に行きましょうか」
抱き上げられた赤ん坊は応える代わりに小さな手でレミリアの服をしっかりと握り締めた。
それからぎゅっと、体を寄せる。
レミリアは一つ頷いて、窓を開けると夜空へと飛び出していった……。
×月△日
試行錯誤の末、この子に名前を付けた。
パチュリー ・ ノーレッジ。
付けたと言っても“彼女”が持っていた魔道書に書かれていた名前をそのまま使っただけ。いろいろと別の名前を付けてみたのだけれど、どうもしっくり来なかったから。
門番の紅美鈴にも意見を聞いてみた(この私が!)ところ、やはりその方が良いだろう、とのことだった。
私もそう思う。
名前は常に一つ。他人がどうこうしていいものではないということだ。
欲を言えば『スカーレット』をどこかに入れたかったんだけど。
それから……最近の私、パチュリーに避けられている気がするのよね。
どうしてかしら?
「パチュリー、どこー?」
夜の紅魔館にレミリアの声が響く。続いてドアを一つ一つ開ける音。今日も今日とてレミリアはパチュリーの世話に大忙しなのである。
「むぅ……いない、か」
全ての部屋を周り終えたレミリアはそう言って腕組みをした。
妖怪や悪魔の類は基本的に成長が早い。それは個として生きていく種族が自然と備えている機能である。
と言っても、魔法使いは生活形態が人間に似ているため、他の種と比べた場合、一人立ちまでの期間は比較的遅い部類に入る。
早熟な者なら五、六年。遅くても十年。
血や魂と共に受け継がれる知識が肉体に馴染むまでの時間は人それぞれ。
まあ、生まれてから一年と経たないパチュリーには、まだまだ先の話だ。
「となると……どこかに隠れているわけよね」
館の出入りには美鈴が四六時中目を光らせているし、地下には厳重な結界を張っているから問題はない。が、この紅魔館の中には隠れる場所などいくらでもある。
吸血鬼の超感覚を持ってすれば見つけることなど容易いのだが、それではあまりに大人気ないというもの。というよりレミリアが面白くない。
やはり宝は苦労して見つけるからこそ価値があるのだ。
「さーて、それじゃあ始めるとしましょうか」
不敵な笑みを浮かべつつ、レミリアはもう一度、館の中を回ることにした。
――数時間後。
レミリアはへばっていた。
館を一回り、虱潰しに捜したというのにパチュリーの姿はどこにも見当たらなかったからだ。
それだけではない。日の出が近いことを体が知らせている――レミリアは眠りを欲していたのだ。
「まったく。日に日に隠れるのが上手になっていくわね……」
パチュリーの行方は心配だが、美鈴に任せておけば外へ出ることはないだろう。
次第に重たくなっていく体を引きずりながら、レミリアは自分の部屋へと戻っていった。
「おかえり、レミィ」
「……」
自分のベッドに座っているパチュリーを見て、レミリアはしばらくの間動くことが出来なかった。
「どうしたの?」
「……いえ、自分の迂闊さに呆れていただけよ」
問いかけるパチュリーにそう答える。
迂闊。
まあ、確かに。
レミリアは館の中をずっと探し回っていたものの、自分の寝室だけは除いていた。初めに一度、探したきりである。
これは見事に裏をかかれたと頭を掻きながらレミリアはベッドに乗った。
ちょうど真ん中辺りにいるパチュリーの元へとのそのそ這っていく。
「ところでパチュリー」
「なに?」
「私はこれから寝るんだけど」
「そ」
言って、パチュリーはごろんとベッドに斜めに寝転ぶ。
最近成長期なのか、レミリアと同じくらいになった彼女が寝ると当然ベッドは狭くなる。それでも何とか寝ることは出来るのだが、問題はパチュリーが斜めに寝転んだことだ。
面積は実質半分以下。これでは到底寝ることなどできない。
別の部屋へ行けば良いような気もするがそこはレミリア。何故私が自分の部屋から出ていかなければならないのかと起き上がって座り直し、
「パチュリー、ちょっとここに座りなさい」
と、自分の前を指差して子供に説教する父親のようなことを言った。
生まれてこの方数百年。経験豊富な(?)人生の先輩として、友人として、言っておきたいことがあった。思い出したのだが、聞きたいこともあった。
ところが。
「や」
これ以上ないほど簡潔な一言が返ってきた。
流れに任せてずっこけたい衝動を堪えるレミリア。
いけないいけない。この頃思考が子供と同レベルになっている。
パチュリーに付きっきりだったから、ある意味仕方のないことではあった。
気を取り直して背筋を伸ばし、ぽんぽんと二度ベッドを叩く。
「ここに、座りなさい」
「……やだ」
ぷい。
今度はそっぽを向かれた。
ぶつん。
「――パチュリー!」
さすがに手は出さなかった。
しかし、レミリアはその一歩手前まで来ている自分を自覚していた。
だから怒鳴った。やり場のない怒りを込めて、怒鳴った。
パチュリーは雷に打たれたように体を震わせたあと、微かに首を横に振って弱々しい抵抗を見せた。
が、今のレミリアにそんなものは通じない。
「パチュリー、これが最後よ。私が本当に怒らないうちに、大人しく言うことを聞きなさい」
「……」
十秒か二十秒か、わずかな時間を挟んでパチュリーは俯いたままゆっくりと起き上がった。
レミリアは内心、ほっと胸をなで下ろす。
これ以上強情を張られたら手の打ちようがなかったからだ。
同時に、パチュリーを怒鳴りつけた自分に対して嫌悪感を覚えた。
もっと他にやりようはなかったのか?
引け目にも似た思いが、レミリアの視線をパチュリーから逸らす。
「……最近、私を避けているわね。どうして? 今日だってそう。私の部屋に隠れたりして」
「……」
パチュリーは答えない。
まただんまりか。レミリアはため息をついた。
このままでは事態は進展しないだろう。それに、私もいい加減に疲れた。
「……ねえ、パチュリー。この話はまた明日にしましょうか」
そう言った時、俯いているだけだったパチュリーの様子に変化が見られた。
口が小さく動く。
「……レミィ」
「なに、パチュリー?」
「……」
そして、まただんまり。
レミリアはため息をもう一つ。
相手が何を考えているのか、何を伝えたいのかがわからない。
こんな時は一度時間を置いて、それから話した方が良いのかもしれない。
「パチュリー……私、もう寝るわ。また明日、気持ちを落ち着けてから続きを話しましょう?」
「――レミィ……!」
眠ろうとしたレミリアの耳にパチュリーの、押し殺した、悲鳴のような声が届く。
慌てて身を起こし――初めてパチュリーの顔を正面から見て――レミリアは言葉を失った。
ぽろぽろと涙をこぼしながら、服をぎゅっと握りしめて、パチュリーは真っ直ぐにレミリアを見ていた。
「わ、わたしは、ずっとレミィって、よんでるのに……」
何度もつっかえながら、パチュリーはそれでも必死に何かを伝えようと言葉を続ける。
レミリアは開きかけた口を閉じた。
「レミィは、このまえ、わたしのこと、パチェってよんで、くれて、」
「……うん」
「まちがえたのかも、しれない、けど、わたしは、そのことが、とってもうれしくて、」
「……うん」
「だから、ありがとうって、またよんでねって、」
そういえば少し前にそんなことがあった。
あの時は確か、いろいろな名前と一緒に愛称のようなものも考えていた。
『パチェ』という呼び方はその中の一つだったと思う。
「レミィは、うんって、いってくれたのに、それからずっと、よんでくれない」
「それは……」
堪らなくなってレミリアは目を逸らした。
名前は常に一つだとか、他人がどうこうしていいものではないとか、そんなことはどうでもいいことだった。
パチュリーは『パチェ』と呼んで欲しいのだと、ずっと言っていた。上手く言葉に出来なかったから、態度で、行動でそれを示していた。
初めは謝ろうかと思った。
だが、パチュリーの送っていたメッセージに気づいてやれなかった自分が、どんな言葉をかけてやれるというのだろうか。
考えた結果、レミリアは身を投げ出してベッドに倒れこんだ。
「あ……ご、ごめんなさい、もう、ねるのよね」
パチュリーは、俯いたまま立とうとする。
くい、とその袖が引っ張られた。
恐る恐る振り返ると、レミリアがパチュリーの袖を掴んでいた。
「……?」
「ぁー、ぅ……そ、その、一緒に寝ましょう…………パ、パチェ」
視線で問いかけるパチュリーに、顔を真っ赤にして、しどろもどろになりながらレミリアは言う。
その意味を理解したのか、パチュリーの表情がぱっと明るくなる。
「うふふ……レミィ、おかおがまっか」
「――!! ああもう、うるさいうるさい! 寝るの? 寝ないの?」
帽子で顔を隠しながらヤケクソになってレミリアはわめいた。
そんなレミリアがいつもより幼く、近くに感じられて、
「いっしょにねる――!」
パチュリーは元気よく、レミリアに飛びついた。
△月○日
……困った。
最近、パチェが病気がちだ。
よく咳をするし、肌の色も私と同じくらいに白い。
原因は栄養不足にあると美鈴に言われた。
それならきちんと栄養のあるものを食べさせれば良いだろうに、美鈴の奴は「お嬢様から言ってあげてください」と何だか元気のない顔をして言ってきた。
いつもだったら張り倒して「お前がやれ」と言ってやるところだが、元気印娘にあんな顔で言われたのでは引き受けないわけにもいかないだろう。
つくづく、私は損な役回りを引き受けることが多い。
まあ、これもわが友人殿のため、一肌脱ぐとしよう。
そんなこんなで夜。
レミリアはパチュリーの部屋を訪れていた。
いや、部屋と言うよりこれはもう――図書館、と呼んだ方が正しいだろう。
パチュリーが生まれたその日に美鈴に命じて突貫工事を行い、幾つもの部屋を繋ぎ、本棚を調達して作り上げたこの図書館。本は次の日にパチュリーの家から運ばせた。
以来、ここをパチュリーの勉強部屋として使っていたのだが、彼女はこの頃になって一日の大半を読書に費やすようになり、自然とこの図書館に閉じこもることが多くなった。
それ自体は良い事だとレミリアは思っていた。魔法使いとは知識を求める者だからだ。
……が、パチュリーの場合、それは些か度を過ぎていたようだ。
美鈴の話では、日の光で本が傷むというので、まず窓を塞ぐことから始まったという。
次は魔法で部屋の空気の流れを遮断し、最後は勝手に入って来られると読書の邪魔になるからと、魔法で鍵を掛けるまでになった。
つまり、図書館から自分以外の者を締め出してしまったのである。
そこまで高度な魔法を使えるようになったと喜ぶべきか、そんなことにしか使えないのかと叱るべきか、友人としては迷うところではあるが……とにかくパチュリーと話しをしてみないことには始まらない。
しばらく様子見と離れていたこともあって、ゆっくり話が出来る久しぶりの機会。
口では「仕方ないわねえ」とか言いながらも、お茶菓子持参でスキップするその姿は、まさしく子供のそれであった。
「ドアの魔法は解いてありますから」という美鈴の言葉どおり、ドアは何の抵抗もなく開いた。
「パチェー、入るわよー……ぉ?」
足を踏み入れた途端に視界が真っ暗になったので、レミリアは危うく転ぶところだった。
その寸前で何とか踏みとどまり、体勢を立て直してから、ゆっくりと辺りを見回す。
全ての窓を塞いだというのは本当だったようだ。一つとして残すことなく、隙間なく板が打ち付けられていて、まるで嵐に備えている家のような有様だ。
それから、明らかに本が増えていた。
美鈴に全ての本を詰め込ませた際、半分近くの本棚は空っぽだったはず。それが今はどうだ。本棚は本で埋め尽くされ、入りきらなかった物が床のあちこちに積まれている。……記憶違いであれば良いが、本棚そのものも増えている気がした。
「パチェー、どこにいるのー?」
返事はない。
まあこれだけ広いのだから、聞こえないのも無理はないだろう。
とりあえず奥の方へ進もうと床の本を足でどけたその時。
……ジリリリリリリリ――!
突然、館内に金属音が鳴り響いた。
おそらく精霊の力を使っているのだろう。なんとも器用なことだ。
そんなことを思いながらレミリアは周囲に目を向ける。
あの音が何を意味しているのかはわからないが、どうせろくなことではあるまい。
奥の方できらりと何かが光る。
首を軽く倒したその横をレーザーが通り過ぎていく。
(やっぱりね……)
まずは窓を塞ぐことから始まった。次は空気の流れを止めて、鍵を掛ける。つまりは他人を締め出して、自分だけの世界を作ったということ。
そして、どこからか本を集めるようになった。
やることがどんどんエスカレートしていくなら、その次にすることは何か?
いろいろあるのだが、この対応を見る限り答えは一つ。
自分の世界を守る手段を考える。
この世界も、本も、静かな時間さえも自分のもの。
邪魔をするものは全てが敵、というわけだ。
(私も敵ってわけ?……まったくもう)
レミリアの目的は二つ。
パチュリーと会うことと、持ってきたお茶菓子の安全の確保。
さしあたっての障害はこの――
「あー鬱陶しい!」
レミリアはトレイに乗ったティーポットに気を配りながら、飛んでくるレーザー、弾幕、その他諸々を右に左にかわしながら進む。
遥か向こうに小さな灯りが見えた。
まだまだ先は長い。
「さぁてパチェ、ちょっといいかしら?」
ところどころ焦げながら、それでもお茶菓子は無傷のまま、レミリアはパチュリーの元にたどり着いた。
さすがに我慢の限界が近いのか、顔の筋肉が微妙に引きつっていた。
が、レミリアの呼びかけにパチュリーは背を向けたまま、無言で本を読んでいる。
「……ちょっとパチェ、聞いてるの?」
本をどけてテーブルにお茶菓子を乗せて、パチュリーの肩に手を掛けたそのとき、不意にパチュリーの体が傾いた。力なく、床に倒れこむ。
「――パチェ!?」
栄養失調、衰弱死……悪い想像ばかりが頭をよぎる。
それでもパチュリーの体を抱き起こし、その顔を覗き込んだレミリアの目に、こんな文字が飛び込んできた。
『は ・ ず ・ れ』
「……は?」
思わず間抜けな声を出してしまう。
抱き起こしたパチュリーの顔に、『はずれ』と大きく書かれた紙が張ってあったのだ。
紙をめくってみるとその下には精巧に作られた人形の顔。どこまでも手の込んだ悪戯である。
「あれ? レミィじゃない」
振り返るとさらに奥の本棚から、数冊の本を抱えてパチュリーが歩いて来る。
「美鈴かと思ったのに。あ、でも彼女じゃここまで来るのにもう少し時間がかかるわよね……あら? これ、レミィが持ってきてくれたの?」
「ええ、そうよ。久しぶりに話でも……」
「――そ。ありがと。それじゃあ私はまた本を読むから邪魔しないでね」
「……」
声を掛けたレミリアを無視して、パチュリーは人形をどかして椅子に座り、本を開いた。
もうレミリアのことなど忘れてしまったかのように、黙々と頁をめくっている。
これはさすがに頭にきた。
「おいパチェ」
「……何? まだいた――」
振り向いたところに鉄拳制裁。
ゴツンと、館内に重い音が響き渡る。
「……きゅう」
あっさりと気絶したパチュリーを担いで、レミリアは図書館を後にした。
自室に戻ったレミリアは、ベッドの上にパチュリーを寝かせる。と、その目が開いた。
その視線は初めうろうろと当てもなくさまよっていたが、レミリアを見つけると少しだけ大きく開かれた。パチュリーが凄い勢いで起き上がる。
「ちょっとレミィ! 何てことする……ごほごほ」
「あのねえパチェ。貴方、ちょっと怒鳴ったくらいで咳するなんておかしいと思わないの?」
「……別に。怒鳴らなければいいだけのことだし。本を読むことに不自由はしないわ」
「まあ、それはそうでしょうけど」
「納得してもらえたようね。それじゃ、私は戻るから」
「だから、それは駄目だって言ったでしょ?」
襟首を掴まれてベッドに放り込まれる。パチュリーの体はすでにレミリアよりも大きいのだが、力比べでレミリアに勝てるはずもない。パチュリーは大人しく布団の中に潜り込んだ。
レミリアはその横、ベッドの端に腰掛ける。
「私が何を言いたいのかくらい、分かっているんでしょ?」
「……生活習慣の改善、ってところかしら」
「そうね。少なくとも、もう少し丈夫な体にはなってちょうだい。……今の貴方はほとんど死にかけているようなものよ」
「知ってる」
パチュリーは小さく答えて、居心地が悪そうに、レミリアに背を向ける。
「でも……何て言うのかな、時間がもったいないのよ。本当はこうしてレミィと喋っている時間も惜しいくらい」
「それでも、よ。パチェ、貴方は私の友人よ。そんな貴方が自分で自分の首を絞めるような真似をするのを、私が放っておけると思う?」
「……思わないわ」
「じゃあ、わかるわね?」
少し考えた後、パチュリーは観念したように、レミリアの顔を見て頷いた。
それから少し照れたように、
「あのね、レミィ……お腹、空いたわ」
そんなことを言った。
と、まるでタイミングを見計らったようにドアをノックする音が聞こえる。
「誰か呼んだの?」
「……いいえ」
二人して顔を見合わせていると、ドアを開けて美鈴が入って来た。
「お嬢様、お食事をお持ちしました」
そう言って、美鈴は手際よく料理をテーブルの上に並べていく。
料理はどれもいい匂いがして美味しそうなのだが……どうも小食のレミリア一人で片付けるには量が多すぎるように思えた。
そこに意図的なものを感じて目を向けると、美鈴はパチュリーに見えないようにそっと微笑んだ。
(あら、珍しく気が利くじゃない)
(もちろんです。私だってたまには役に立つんですよ)
「では、失礼します」
「ええ、ご苦労様」
美鈴が部屋を出て行くとレミリアはパチュリーに向き直った。
「パチェ」
「……何?」
お腹が空いているというのは本当のことらしく、パチュリーの目はちらちらと料理を見ている。
珍しい友人の姿に微笑ましいものを感じながら、レミリアは話を切り出した。
「あー、その、ね。美鈴が料理作りすぎちゃったみたいで……良かったら手伝ってもらえるかしら?」
さすがにわざとらしかっただろうか?
レミリアは言いながらパチュリーの顔を窺う。
「……そうね。そういうことなら頂こうかしら」
気づいているのかいないのか、パチュリーは少し恥ずかしそうにそう言った。
それから二人は“何故か”二本用意してあったフォークを手に、遅めの夕食を取るのだった。
◇
「あー、そういえばこんなこともあったわね……」
ヴワル魔法図書館にて。
テーブルに置かれたままになっていた一冊の本をぱらぱらとめくりながら、美鈴は昔を懐かしむように言った。
あれから百年。いろいろなことがあった。
はっきりとは思い出せないことばかりだけど、こうして日記を読み返せば驚くほど鮮明に当時が蘇ってくる。
パチュリーに付っきりだったレミリア。
レミリアに甘えていたパチュリー。
そして放置されっぱなしだった自分。
「――いやそうじゃなくて」
突っ込みを入れつつ美鈴は本を閉じる。
昔に浸るのもいいが、これは他の人には見せられないものだ。
……お嬢様やパチュリー様と共有している大切な思い出だから、とかじゃなくて、もっと単純な意味で。
「美鈴? 貴方がこんなところにいるなんて珍しいわね」
「――うひゃっ!?」
後ろから声を掛けられて、美鈴は飛び上がるほど驚いた。
恐る恐る振り返ると咲夜が立っていた。
手にはティーカップの乗ったトレイ。どうやらパチュリーにと持ってきたものらしい。
「……何をそんなに驚いているの?」
「い、いいいいいえいえいえなんでもないですよ?」
「……あからさまに怪しいわね」
咲夜は腕組みをして考える。手にしていたトレイはいつの間にかテーブルの上に置かれていた。
「で、美鈴。その理由だけど――これにあるんじゃないかしら?」
「これって……ああ!?」
意地の悪い笑みを浮かべながら咲夜が取り出したのは、美鈴が持っていたはずの日記だった。
しまった。トレイを置くために時間を止めた、そのときにやられたのか!
後悔してももう遅い。
咲夜は興味津々といった感じで表紙を見ている。
「どうせ貴方が昔つけていた日記とかそういうのかしら? 興味はないけど一応チェックさせてもらうわね♪」
「興味ないって……そんなニヤニヤした顔で言う台詞じゃないでしょう! あー……それはその……紅魔館の触れてはいけない黒歴史というか、暗黒史というか……とにかく読んじゃ駄目です!!」
「もう遅い――え?」
掴みかかろうとする美鈴を他所に、咲夜は本を開こうとして、ふと落ちた頭上の影を見上げた。
◇
ゆさゆさと肩を揺すられる。
「あと五分……」と呟くと「それはさっきも聞いたわ」という答えが返ってきた。
そうか。それなら仕方がない。
体を起こしながらゆっくりと目を開けると、いつもどおり無表情のパチュリーが立っていた。
「おはよう、咲夜。さっそくで悪いんだけど、そこ、どいてもらえるかしら?」
「……?」
まだ寝ぼけている頭を総動員して現状を把握する。
どうやら座ったまま寝ていたらしく、腰が少し痛い。すぐ傍には紅茶の乗ったトレイ。手には、『美鈴の花壇観察記録』……?
考えを整理してみる。
確か自分は、パチュリー様に頼まれていた紅茶を持って来て、何かの本を手に取って……そこから先はよく覚えていない。
多分、疲れが溜まっていたのだと思う。これを読みながら椅子に腰掛けて、そのまま眠ってしまったというわけだ。
立ち上がり、まずはパチュリーに謝罪する。
「申し訳ありません。少し疲れていたようで……」
「気にしなくていいわ。あとは特に頼むこともないから、下がっていいわよ」
「はい。それでは失礼します」
最後に一礼して、咲夜は部屋を後にする。
ただ、こんなことを思った。
私が手に取ったのはあんな本だっただろうかと。
しかし、彼女がそれを思い出すことはもう二度とない。
昨年入れた点数を入れなおし。
昔の思い出はいいものだ