何処かで鈴が鳴っている――
涼しさを感じさせる音色が耳を突き、ふと目を覚ます。
現実に引き戻された意識が、気だるい暑さにまみれ朦朧とする。
「あ、目が覚めたわね」
どこからか、パチュリー様の声が聞こえ意識が向く。
ここは一体どこなのだろうか。
「大丈夫? 意識ははっきりしてる?」
柔らかい布団が気持ち良い。
「大丈夫ですよ、私は紅美鈴です。
はっきりと分かります」
私は先にソレを告げた。
朦朧とした意識の中でもそれだけはハッキリ分かった。
それなのに――他が全く出てこない。
「済みません、ここはどこで、私は何……でしたっけ?」
そう告げると、パチュリー様は部屋を飛び出ていかれた。
広い部屋のベッドに、寂しく独り私が残された。
驚かれるのも無理は無いだろう、私はおそらく「記憶喪失」というやつだ。
自身の名前はすぐに分かったし、パチュリー様の事も覚えている。
もちろん館の主であるレミリアお嬢様と、メイド長の咲夜さんの事も覚えている。
会ったことは無いけど妹様の事だって。
でもそういった大事な事以外の、日常的な生活に関することが全て抜け落ちてる。
何故こんな事になったのか、それも記憶が無いから思い出すことができない。
パチュリー様はきっと、これから私をどうするか相談しにいってるんだろう。
もう役立たずだから解雇、なんて言われてしまわないだろうか。
沈んだ気持ちに身を委ね滅入った頃、ようやくパチュリー様が帰ってきた。
「お帰りなさいませ」
「美鈴、どの程度まで覚えてるかしら?」
「えっと……どうやって生活してたかはほとんど覚えてません」
「……では、あなたの職業は何?」
職業、一体なんだったか。
私はこの強大な存在――吸血鬼を主とする紅魔館に居たのだ。
私は吸血鬼ではない。
働いてここに居たのだ。
何をやっていたか。
「……門番とか?」
……それだ!
「そうです、門番です!」
そうだ、門番だった。
まさか自分の大事な職すら忘れてしまうなんて、恐ろしい事だ。
「まあ順調にでも記憶が戻ってくれると良いわね。
とりあえず明日から門番隊に戻ってもらうとするわ、進展があったら教えてね」
私はゆっくりと体を起こした。
体は軽く、記憶は無いが外傷は無い様だった。
明日から早速仕事に復帰するべく頬を両手で叩き気を入れ、足を進めた。
「……美鈴、そっちは逆よ」
自分の部屋の場所すら覚えていなかった。
§ § §
パチュリー様に連れられて、部屋に辿り着く。
「じゃ、おやすみ」
「お休みなさいませ」
ばたん、とドアを閉じた。
辺りを見回しても懐かしさを感じることは何一つ無い。
この部屋に本当にあったか、無かったか、何も分からない物ばかり。
ここが自分の部屋かと言われても、納得も否定も出来ない。
「ちゃんとしっかり記憶戻ってくれるのかなー」
独りで呟いてみた。
不安だ、こんな心境のまま過ごし続けたくない。
記憶に刻まれていたはずの過去がごっそり抜けているというのは、
土台を失くした家のように不安定で、非常に心許ない。
「あー……、もう寝よ」
落ち込んでしまいそうになる前に、考えをやめて寝ることにした。
§ § §
むくっ
「……朝だ」
まだ周りが薄暗い中、私は起きた。うん、良い目覚めだ。
私はいつもの緑の制服と帽子を準備し、着替えた。
「みんな、おはよう」
私は門番隊の皆に声をかけた。
「あ、隊長。おはようございます、えっと……もう平気なんですか?」
皆の顔には困惑した表情がちらほら見える。
そりゃそうだ、隊長がいきなり記憶喪失とかになったらびっくりだ。
「ええ、もう平気よ。心配かけて悪かったわ。
じゃあ今日もまたビシッと門を守りましょー!」
「「はい!」」
一丸となって気合を入れる。
実に充実ある仕事だと思った。
こうして周りの風景や、皆の働いてる様を眺めると、ちゃんと実感できる。
私が過ごしてきた日常の風景は間違いなくここだったということが。
「悲劇のヒロインの定番は、自分が誰なのかも分からなくなっちゃうからね。
そういう意味では私は幸せね」
とはいえ、例え一部でも記憶が飛んでる時点で不幸なのかもしれない。
記憶喪失、本当にその理由は全く思い出せない。
――あとでパチュリー様に聞いてみよう。
§ § §
私は図書館を訪れると、奥で二人が話していた。
「本当に平気なんでしょうね?」
「時間が解決してくれるわ、大丈夫……睨まないで。
分かった、荒療治でいいならそれ向きの魔術を良く調べておくわ」
二人がしているのは私の話なんだろうか。
立ち聞きしてしまうのも失礼に感じ、このまま声をかける。
「失礼します」
「! ………………」
「あら美鈴、いらっしゃい」
レミリアお嬢様は私と目を合わせることなく退室していった。
それはいつもの事、お嬢様は私の事を普段から気にも留めていない。
私のような下々の者には興味が無いのだろう。
ただ今日は少し雰囲気が違った。
明らかに私を避けているような印象だった。
「美鈴、調子はどう?」
声をかけられて私は我に返る。
「元気ですよ、記憶は戻りませんが何の支障も無さそうです」
「そう……それは良かったわ」
パチュリー様が目を瞑り、僅かに口元を緩める。
「ところでパチュリー様、お尋ねしたいのですが」
「何?」
「私はどうして記憶喪失になったのでしょうか?」
「ああ、それはね……」
何かとんでもない理由だったりするのだろうか。
「覚えてないと思うけど、貴方凄い飲みすぎたのよ」
「飲みすぎた?」
お酒を連想するが、私は酔いつぶれるほど酒を飲むことは無い。
「魔理沙にね、貴方は酒樽に投げ込まれたのよ」
「え」
「溺れかけてタップリ酒漬けだったわよ」
記憶を手繰り寄せると、うっすらと思い出せた気もする。
確か魔理沙とアリスが研究に必要だと、私の酒を貰いに来たのだ。
ただ、それは結構以前の事だった記憶がある。
記憶がほとんど無い状態で記憶違いというのも変だが、とにかく実感が無い。
「う~んそうでしたか……」
納得は出来なかったが、受け入れるしかないのは辛い立場である。
しかし原因を気にするよりも、これからが大事なのだ。
幸い生活に支障は無いのだから、今までどおり精一杯頑張ろう。
「でも元気になってよかったわ、これからも頑張って」
パチュリー様の優しい言葉が背中を押す。
そうだ、私の居場所はここにあるんだ。
何の疑問を持つ必要も無い、私は幸せなんだ。
「有難うございます、それでは持ち場に戻ります」
急いで戻ろう、こんなところで油を売ってるのが見つかれば怒られる。
怒られる。
そう、いつも咲夜さんに私は怒られてばかりだった。
毎日顔を合わせていて、必ず一度は小言を貰ってしまう。
決して嫌な気分になることは無かったし、自戒として有難い存在だった。
「そういえば――」
私は戻る足を止め、パチュリー様に、何の深い意味も無い問いを投げかけた。
「今日は咲夜さんを見ませんね?」
「レミィの命令で出掛けているの、しばらく戻らないわ」
「そうでしたか。 失礼しました、では……」
私は振り返ることなく真っ直ぐに扉へと歩き、図書館を後にした。
空気が違った。
夜も更けた頃、私は昼間の事を思い出す。
パチュリー様は至って冷静に私の問いに応えた。
何の変哲も無い、何も気にする必要の無いはずだった。
でも私は確かに違和感を覚えた。
私は昔から『気』に敏感で、些細な変化をも見逃さす感じ取ることができた。
目を瞑って居ても、誰がどこに居るか把握することができる。
敵の襲撃の察知等はお手の物で、それで門番に選ばれた。
ある程度であれば感情の動きすら掴むことができる。
パチュリー様は感情の起伏はほとんど無い方だが、今回は珍しく変化が見えた。
一瞬だけ、彼女に緊張が走ったのが分かったのだ。
パチュリー様は何か隠しているのだろうか?
咲夜さんは何のために出かけているのだろうか?
今の私には全く分からなかった。
「今の私には寝るしか無いよね」
就寝時間にそんな事を呟きながら、頭の中を空っぽにして寝た。
§ § §
むくっ
「……朝だ」
まだ周りが薄暗い中、私は起きた。うん、良い目覚めだ。
私はいつもの緑の制服と帽子を準備し、着替えた。
「隊長は今日は昼からで良いんですよ?」
あれから何回か問題も無く日常を過ごしてきた。
どうやら今日はシフトが違ったらしい、なんてこった。
気合入れてきたというのに空回りだった。
やはり記憶は戻ってくれるに越したことは無い。
想定外のことで暇になってしまう。
私は館の周りを歩きながら、先日の事を考える。
「咲夜さんはいつ帰ってくるのかな……」
パチュリー様は咲夜さんが出かけた理由を私に隠している。
咲夜さんが帰ってくれば、その時点で答えが出るのだろう。
別に大したことではないのだろう。
でも気になる。
理由は分からないが、ただの好奇心だろう。
§ § §
とぼとぼ歩いていると、いつの間にか目の前には花畑が広がっていた。
「わぁ……綺麗」
一面と広がるその花畑に私は目を奪われた。
同時に安堵感が生まれる。
私はその感情に疑問を持ち、そしてその答えを思い出すことが出来た。
「この花畑は貴女が管理していたものよ」
気が付くとパチュリー様が横に立っていた。
神出鬼没な人だと思った。
「おはようございます、パチュリー様。
ええ、今ここに来て思い出す事が出来ました。
私はこの素敵なお花畑の管理を任されていたのですよね」
「そうよ、美鈴。
では……ミステリーサークルのことも覚えているかしら?」
「覚えていますとも!
あの時はお嬢様に怒られないか本当ヒヤヒヤしましたよ~」
笑いながら答える。
それは楽しい思い出であり、思い出せたことに対する喜びである笑いだ。
「元気そうね、良かったわ」
「え……」
私は意外な言葉に耳を疑ってしまう。
昨日もそうだった、パチュリー様がとても優しくしてくれる。
今までこんな事あっただろうか。
からかわれることはあっても、こんなに優しい扱いは有り得なかった。
いや、でも……
(ん……頭が)
少し頭が痛くなった。
何か今大事なことを思い出しそうだった。
思い出せないのに大事な事と分かるのは変だが、なんとなくそんな予感がした。
「――――いてる? ねえ」
「え?」
「もしかしなくても聞いてなかったのね、はぁ……」
呆れたような表情をされてしまった。
「す、すみません」
「いや、もういいわ」
会話を切られた。
沈黙が続いて気まずい空気になる。
この空気を変えたい私は、先日の疑問を話の種にすることにした。
「パチュリー様、咲夜さんは何処に行ったんですか?」
「私は知らないわ」
即答された。
「咲夜に命令したのはレミィだもの、気になるなら貴女が直接聞く?」
「め、めっそうもないですよ! そんな恐ろしい……」
「ふふ、そうよね」
パチュリー様が口元に手をあてて、笑みを浮かべる。
私もそれに習い笑みを返す、なんとか持ち直せてほっと溜息を吐く。
「それじゃあ、私はそろそろ仕事に入りますね」
会釈をし、その場を立ち去る。
最近はパチュリー様と接する機会がとても多い。
本来私は図書館に用事は無いし、パチュリー様も外に滅多に出られない。
記憶を失ってから、私の経過を見るために会うたび面倒を見てくれる。
申し訳ない反面、とても嬉しいことだった。
レミリア様や咲夜さんと違い、のんびりして落ち着ける方なのだ。
§ § §
太陽が真っ直ぐに私を照らす。
眩しい光を手で遮ると、その手は暖かくなっていく。
そして全身に熱が与えられ、私は身も心も包まれたような気分になる。
分からないことは、不安なことだ。
だからどうしても不安な思考に傾いてしまう。
記憶が無くなった事。
咲夜さんが不在の理由が隠されていること。
全て杞憂だ。
パチュリー様は本当に理由を知らないのだろう。
だとすれば、何か隠していると感じたのも勘違いだったのだ。
私は酒の飲みすぎで記憶をなくした。
咲夜さんは出かけている。
それだけだ。
門に向かうと、隊員達の声が聞こえてくる。
「でもなぁ、やっぱりやりにくいよ」
「うん、早く記憶が元通りになって欲しいね」
「……私は別にこのままでもいいかな」
「あんたねぇ……」
内容は私の事のようだった。
ここ数日、私に対する隊員の反応はどこかぎこちなかった。
原因は思ったとおりで、やはり不安だったのだ。
致し方ない、かくいう私でさえ不安定な気持ちで働いているのだから。
私は青空を見上げ、爽やかな空気を肺に入れる。
一瞬溜めた後、大きな声を出した。
「こら! 持ち場から離れて無駄口叩いてるんじゃないー」
喝を入れてあげよう。
『いつも通り』の私をしっかり見せてあげよう。
皆の隊長は元気に復帰してるんだって。
今まで以上に私は元気に振舞うことにした。
私の声を聞き、隊員達は驚きながら一目散に逃げていく。
なんだか大げさな気もするが――
「うん、よろしい」
――まあ、よろしい。
息を吐き、門の前に立つ。
ふと、先ほどの隊員が独りだけ残っていることに気づいた。
彼女は、気が弱い子で、私を強く慕ってくれる隊員である。
私にとっても放っておけない妹のように可愛がっていた存在だった。
「……あの」
今にも泣き出しそうな表情を見せられて、私は戸惑っていた。
そうしたら先にあちらから声をかけてきた。
「隊長……お願いがあるんです」
「なぁに?」
お願い、大体予想はつく。
「無理に記憶……戻さなくていいと思うんです。
……今のまま……ずっと……私達の隊長で居てください」
私は満面の笑みを浮かべ、右手で思い切り頭を撫でてやった。
「全く……大丈夫よ、私はいつまでもここに居るから」
不安なのは私一人では無いのだ。
皆が私を支えてくれるように、私も誰かを支えよう。
そう、皆で。
いつまでも仲良く。
§ § §
辺りはすっかり真っ暗になる。
深夜、私は門の灯りの元に身を構えている。
(何か居る……)
目は頼りにならない。
隣の隊員は立ちながらウトウトしているので頼りにならない。
自分の気だけが頼りだ。
全神経を集中し、前方の気配を探る。
森の奥から粗悪な殺気を感じ取る、おそらく野盗の類だろう。
しかしその殺意はこの紅魔館には向いていなかった。
何処か違う場所に行くのだろう、彼らが向かう先は――
(――人里……ね)
最近はすっかり平和になったと思っていた。
でもまだまだ、私のような者の役目は残っているのだと感じた。
「留守は任せたわ!」
隣の隊員の頬を平手打ちしながら、私は真っ直ぐと駆け抜けた。
「そこの貴方達、止まりなさい。
そうですね、荷物を全て置いていけば見逃してあげます」
彼等の前に立ちふさがる。
人数は5人、皆が腰にサーベルを携えている。
樽や大量の矢を持っており、放火を計画していたのだと推測した。
誰一人怯むことはなく、刀を抜きこちらを睨み返してきた。
ゆっくりと輪になり、私を囲むような位置につく。
「痛い目を見たいらしいですね」
私はその言葉を発するや否や、まず一人の男に一撃をお見舞いする。
「言っておきますけど、私は強いですよ?」
決して紅魔館では言う事の出来ない台詞を言ってやる。
しかし彼らは動じなかった。
一撃をお見舞いした筈の男も、フラつくも持ち直しまた立ち塞がる。
予想以上にタフだったのかもしれないが、それでも倒す自信はあった。
平和ボケで筋力が落ちたのだろうか。
私は悔いる。
慢心は最大の敵である。
基本に忠実に、拳に気を集中させ、急所を付き倒していこう。
まず最初にサーベルで襲い掛かってきた男の水月を突く。
次に横から連続で襲い掛かってきた男の人中を突く。
後ろから襲い掛かってきた男のサーベルを避け、そのまま秘中を突く。
戸惑い腰が引けた男の松風を突く。
残りの一人は全速力で逃げていった、追うこともあるまい。
今度は誰一人起き上がることは無かった。
まずは、念のために武器の類を全て使い物にならなくしておく。
そして彼らが持っていたロープを使って全員を縛り上げる。
「朝まで反省してるといいですよー」
朝になれば誰かが気づくだろう。
気づかなくても縛られたまま必死に這って移動すればいい。
「あ……」
気づいてしまった。
私が。
帰り道が分からない。
灯りが無い。
私は当然何も所持していない。
彼らの灯りは“逃げた”。
せめて明るかったならまだ分かったかもしれない。
記憶喪失の影響もあるのか、この森の位置は全く分からない。
方向も何かも分からなくなっていた。
頼りない月明かりだけが道標であった。
(な、なんでこんなことに……)
泣きそうだ。
本気で道が分からない。
なんとなく足を進めているが、こっちで正しいという保証は無い。
せめて拓けた場所に出れば、と明るい場所を目指して進む。
やがて進んでいる方向の明るさがどんどん大きくなっていく。
このままなら森は抜けれそうだった。
(ん?)
人影がチラっと見えた。
明かりの先に誰か居るようだった。
どんどん進んでいくとその人物の輪郭がはっきりと浮かび上がる。
(え……?)
パチュリー様だった。
もしかして私を探しに来たのだろうか、等と都合の良い解釈をした。
しかし私に気づくこともなくパチュリー様は視界から消えていく。
そもそも私が居なくなったのは一人の隊員しか知らないし、
あれから数時間しか経っていないのだから、有り得ない事だった。
だとしたら益々不思議である。
パチュリー様はこんな夜分遅くに外で何をしていたのだろうか。
私はパチュリー様が見えたその場所へがむしゃらに走った。
視界が拓ける。
どうやら森を抜けたようで、遠くには大きな建物が見える。
あれは間違いなく紅魔館だろう。
「よ、よかっ……ベブッ!」
安堵感で気が抜けた私は思い切り地面に激突する。
足元の大きな石に気づかず躓いてしまったのだ。
痛さに顔を歪めながら辺りを見回す。
この場所には確かに何も無い。
館まで迷わず進むことが出来るだろう。
門まで戻ると隊員の一人が迎えてくれたので、私は尋ねる。
「私がここを離れてたことは貴女しか知らないよね?」
「ええ、別に誰にも話してませんよ?」
疑問は深まるばかりだ。
§ § §
むくっ
「……朝……じゃないんだっけ」
目覚めは悪くない。
今朝まで働いていたので、今回は仮眠を取っていたのだ。
時計を見ると、予定より二時間も多く寝ていたことに気づく。
仕事には影響無いとはいえ、惰眠を貪ってしまったことに失意する。
ここ数日は疲れが溜まっていたのだろうか。
時間はなるべく無駄に使いたくないものだなぁ、と強く反省する。
そう、こんなにも長い時間――
§ § §
私は迷うことなく図書館へ向かう。
パチュリー様に咲夜さんの事を聞くためだ。
私は大事なことを忘れていたのだ。
咲夜さんは時間を操る能力を持っている。
だから出掛けたとしても、それこそ時間をかけずに帰ってこれるのだ。
何日も留守にするなんて有りえない事だ。
今まで違和感を感じたことが全てここに集約する。
パチュリー様が全てを知っている。
私はそう確信し、図書館の扉を開く。
重い空気がのしかかり、緊張で心臓が破裂しそうになる。
何か嫌な予感がする。
次第に二人の声が聞こえてくる。
言い争っているかのような険悪な空気が感じ取れる。
この声はパチュリー様と……おそらく。
「昨日も墓参りに行ってたって訳?」
「……貴女も一度くらい行ってあげて」
「そんな事よりも一刻も早く咲夜を戻して欲しいわ」
「焦らないでゆっくり待って、と言ったはずよ」
「……パチェ、正直に言ってもらうわ。咲夜は必ず“生き返る”の?」
二人の発言に、私は本棚の横で足を止めてしまった。
墓参り?
生き返る?
まるで、それじゃあ……
「……もう戻らないかもしれないわ」
「!! ……ふ、ふざけないで!」
「レ、レミィッ……くっ……」
お嬢様は溢れる怒りをぶつけていた。
胸倉を掴み、服が締め上られパチュリー様は苦しそうだった。
「お嬢様、止めてください!」
私は大声を出し駆け寄った。
私も状況が掴めず、頭の中は混乱して考えが進まない。
でも今やる事は、お嬢様に冷静になってもらうことだった。
それなのに。
お嬢様がパチュリー様から手を離すと、振り返って私を見た。
恐ろしい紅い目だった。
私は恐怖のあまり瞬きをすることすら許されなかった。
体が動かない、嫌な汗が全身を伝う。
とても耐え難い、強力な憎悪の気の塊が発せられていた。
「貴様……良くノコノコここにやって来たな……」
怖い。
恐ろしい。
助けてくれと魂が悲鳴を上げる。
「……けほ……美鈴……駄目よ、すぐ外に出なさい!」
床に倒れたパチュリー様が、必死に声を絞り出す。
私はその命令を聞くことは出来なかった。
「パチュリー様……咲夜さんに何があったんですか……?」
「!! ……避けて!」
寸での事で気づき私はその場から飛びのく。
凄まじい爆音と共に煙が立ち上がる。
もし当たっていれば私は粉微塵となっていたのだろう。
今、お嬢様は本気で私を殺そうとした。
「白々と……その口で……許せない」
お嬢様の殺意は完全に私に向いていた。
先ほどのパチュリー様に向けられた怒りとは違う。
許せない? 私は一体何をしたというのか?
「パチェ、私ねぇ。 咲夜の運命を“視よう”としたのよ」
「……」
「そしたらねぇ“視えない”のよ。
この先、紅魔館の未来に、私の未来に。
咲夜の運命がどうしても“視ることができない”の」
「それは咲夜が……」
「咲夜が死んじゃったから? もう戻らないから?」
「レミィ、落ち着いて。咲夜は――」
「――もう戻らないなら、いっそ全て消えてしまえばいい。
だから私は今ここで貴女を殺すわ」
お嬢様は“壊れた悪魔”の笑みを浮かべ、こう言った。
「私の咲夜を奪った憎い貴女をね!」
頭が真っ白になる。
今、なんて言われたのか。
冗談を言われたのか、嘘を言われたのか。
分からない、今お嬢様はなんて言ったのだ。
言葉が理解出来ない、頭に入ってこない。
脳が拒絶反応をする。
認められない、何も分からない。
私の眼前には大きな魔力の塊が向かってきていた。
もはやこの位置では避けることすら不可能だ。
私は死ぬのか。
死んでしまうんだ。
でも。
最後に。
真実を確かめたい。
「!?」
私は激しい爆音を背に外へと向かって全速力で走った。
不思議とその魔力は私に届くことは無かった。
何故だろう、絶対に避けられないと確信していたのに。
分からないけれど気にはならない。
私が今為すべきことは真実を知りに行くこと。
§ § §
大雨だった。
この大雨ならばお嬢様は私を追いかけることが出来ないだろう。
私は後ろを振り返ることなく、昨日の記憶を頼りに進んだ。
パチュリー様が昨日居た場所。
私は息を整える間も惜しんで辺りを探し回る。
そして見つけることが出来た、昨日躓いた大きな石だ。
石の表面には小さくこう書かれていた。
『親愛なる友へ』
これが彼女の“墓”だったのだ。
死者への冒涜という概念すら忘れ、私は夢中で土を掘った。
整った爪が割れて幾度と血が流れるが、
雨に濡れた体の前では何一つ気になる要素は無かった。
棺はあった。
私は今のこの時点でも記憶が戻っていない。
だからこの中に何が入ってるかなんて知らない。
でも私は中を確かめ、その真実を受け止めねばならない。
そして私の記憶を埋めて、その時は贖罪しよう――
――私はゆっくりと棺を開けた。
雨の音だけが虚しく響く。
私は確かに中身が何かは知らなかった。
かといって一連の流れから容易に想像は出来たつもりだった。
それなのに。
「何も……入ってない」
信じられない、意味が分からない。
私は自分の目が信じられず、手探りで棺をくまなく摩った。
そして見つかったのは一つの布の袋だけだった。
私はその袋の口を開け、中を覗く。
「これは……石?」
それは不思議な光を放つ“虹色の石”だった。
(……う……頭が……)
頭に激しい痛みを覚える。
本能で感じる、これがとても重要な意味を持つことに。
私はその“虹色の石”を手に取り袋から出した。
「…………っ!!」
その石は凄い魔力を秘めた石だった。
石から私の身体のありとあらゆる場所へ魔力が流れ入る。
あまりの衝撃に意識が飛びそうになる。
「美鈴!」
パチュリー様の声が聞こえる、追いかけてきたのだろう。
ただ残念ながら私には声を出す余裕が無い。
体の中に押し寄せる魔力に縛られ、身動き一つとることができない。
「この魔力の作用……もしかして……」
パチュリー様が何か言っているがもう私には分からない。
私の意識は遠のいていく。
薄れゆく意識の中で私はついに、全てを思い出すことになる。
§ § § § § § § § § § § §
時は昔に遡る。
私――紅美鈴は、お嬢様とパチュリー様に紅茶を入れていた。
普段は二人に仕え食事の用意や身の回りの世話をした、
それ以外は門の付近で待機し、接客及び外敵の駆除を任され働いていた。
私はこの仕事に誇りを持っていたし、何より必要とされることが嬉しかった。
今日も二人は楽しそうにお昼の紅茶を楽しんでいる。
私は命令があるまで離れた場所で待機し、その様子を微笑ましく眺めている。
私と二人は決して友達ではない。
仕える者の立場として身分を弁えて行動している。
その事には何の不満も無く、幸せな日々を過ごしている。
パチュリー様は言ってくれた。
“身分も、力も、何も関係ない。同じこの館の一員なのだから”
私は同じ紅魔館の一員なのだ。
私を信頼してくださる想いに応えて、自らの責務を全うするのみだ。
ある時、お嬢様が一人の人間を連れてきた。
名を“咲夜”といった。
この紅魔館における仕事を教えるよう頼まれる。
お嬢様からの直々の命令を光栄に思い、その人間に丁寧に教えた。
咲夜は驚くほど器用で、教えたことはすぐに習得し瀟洒にこなした。
先輩としても鼻が高くお嬢様への面目も保つことが出来た。
咲夜は新参でありながら紅魔館への地位を確かなものとしていった。
そんなある日。
とてもとても強い、大雨の日だった。
お嬢様とパチュリー様が外にでかける事になった。
それには本来咲夜も付いて行く予定だった。
しかし咲夜が仕事中に犯した些細なミスにより、
それを至急埋め合わせるべく館から離れることが出来なくなった。
お嬢様も連れて行きたいのはやまやまだったようだが、
自分の仕事は他人に任せてはいけないという責任を優先させた。
パチュリー様が代りにと私をお誘いになった。
私は目が飛び出てしまうくらい嬉しかった。
それでも私は横の咲夜の事を考えると、どうしても踏み切れなかった。
同じ“仕える者”として、悔しさは甚く理解している。
それに彼女にはまだ親しい者も居ない。
この館に残されたのでは心細いというものだ。
だから私は丁重に断った。
彼女と共に居てあげよう、私達は同じ仲間なのだから。
しばらくして咲夜の用事が終わる。
彼女はまだこの紅魔館には馴染みきっていない。
いわば心を開ききっていない。
何かしら思い切って打ち解けられる良い方法は無いかと考えた。
私に思いついたのは一つだけ。
弾幕ごっこ、戦いだ。
咲夜が時を操る能力を持っているというのは私の耳に入っていた。
それがどれほどのものなのか興味があったというのもある。
正直私は自分の実力には自信があった。
この紅魔館の住人には私は及ばないが、それ以外の者に負ける気はしない。
咲夜と戦ってみるとその自信も保つことが出来た。
最初は空間からナイフを出され驚愕したが、
それも一度見てしまえばただの種の無い『手品』同然だった。
人為的なナイフの軌道はとても避けやすく、
もしそれが無理でも手で簡単に弾くことが出来る。
ナイフをいなしながら彼女に近付き、直接攻撃で攻める。
元々当ててしまう気は無いが、咲夜もそれをしっかり回避していた。
お互い同レベルの、白熱した勝負。
時も忘れ、夢中になっていた。
だから直前まで気づくことが出来なかった。
お嬢様とパチュリー様が帰宅したのだ。
ナイフは飛び散り、戦った廊下は荒れている。
この状況で、大人しくお帰りをお待ちしていた、なんて通用しない。
私は観念して、キツいお叱りを覚悟することにした。
だが次の瞬間。
ナイフは一本も無い。
整えられた綺麗な廊下。
全てが一瞬で元通りになっていた。
私が戸惑っている中、咲夜は冷静に二人を迎えていた。
彼女は時を操る能力を持っている。
その能力で時間を止め、一瞬で掃除をやり遂げたのだ。
まさかこれほどの能力をもっているなんて思ってもいない。
戦闘中に使われた能力は大した事をしていなかったからだ。
彼女が深く一礼し頭を下げている。
そしてゆっくり顔をこちらに向けると、初めての笑顔を私に表した。
ああ、そうか。
手加減されていたんだ。
咲夜は主人の世話も、戦闘も完璧にこなした。
天性のその能力を駆使して、ありとあらゆる事が誰よりも優れた。
私の仕事が変わっていくのはそう遅くは無かった。
最終的には外の仕事全般を任されることになる。
主人の身の回り、紅魔館の中の仕事は咲夜が全て受け持つ。
後日、お嬢様達がでかけることになる。
だがそれは私の予想通りの結果だった。
私には何一つ知らされず、挨拶すらされず、出かけていったのだ。
私は寂しかった。
この気持ち、咲夜なら分かる筈だ。
それなのに私を置いていった。
私は寂しい、貴女を置いていかなかったのに。
私はもう紅魔館の一員ではないのだ。
お嬢様とも、パチュリー様とも、咲夜とも違う。
ただの空気みたいな存在なのだ。
(咲夜……ああ、もう呼び捨てにするのも失礼ね。
彼女は私とは違う偉い人、咲夜“さん”だものね……)
月日が流れ行く。
私の黒い感情は募り行くばかりだった。
私は誰にも愛されていない。
ああ、私の居場所を奪ったあの女が憎い。
そうだ殺してやろう。
そして私も死のう。
私は彼女を呼びつけ、対峙する。
恨み辛み、全てをぶちまけた。
彼女は驚いた表情のまま、何も口に出さなかった。
貴女みたいに幸せな人間に、
最初から私の気持ちは分からなかったのかもしれない。
私は全ての気を放出し、彼女にぶつけた。
意識が遠のいていく。
私はおそらく彼女を殺したのだろう。
それなのに何もすっきりしない。
ああ……私は……
§ § § § § § § § § § § §
時は、少し昔に遡る。
私――十六夜咲夜は、図書館に居た。
目の前でパチュリー様が黙々と本を読んでいる。
私はというと何もせず、ただ俯いて座り続けていた。
「何か言ってくれないと分からないんだけど……」
私はパチュリー様に無理行って、悩みの相談をお願いした。
だけどイザとなると全く言葉が出ない。
口に出すことが躊躇われ、そのまま何時間も経過していた。
「…………」
何一つ話していないのだから、パチュリー様は何も分からない。
だから私が黙っていれば、これは永久に進まない。
それが分かっていても私の口は死んだ貝の様に開くことは無かった。
「もう寿命が長くないのね?」
「!?」
パチュリー様の声にハッと顔を上げる。
「……気づいて……らしたんですか……」
「貴女の普段の様子を見ていれば誰でも気づく、レミィが鈍いだけよ」
実感は無かったが、私の能力は普通の人間にはとても有り余るものだという。
吸血鬼でも、魔女でもない私はその能力に体が耐え切れず、寿命が短い。
それでも私はもっと長く生きていられるものだと楽観視していた。
でも実際はもっと早かった。
自分の体のことは自分で分かる、もう一年ともたないだろう。
「私、今すぐにでも死にたいんです」
「何故?」
「もう私の身体は衰えていく一方です。
いつかはお嬢様に気づかれた挙句、多大なご迷惑をかけるかもしれません。
こんな私に生きてる価値なんてありますか?」
「さあ。 自分の価値なんて自分が決めるものよ」
「私は価値は無いと思っています」
「あら、そう」
パチュリー様はどこから取り出したのか、一つの杯を出す。
目の前にそれがコトンと音を立てて置かれる。
「咲夜、ここに金色の……杯があるわ。
この杯には毒が入ってるの、飲めば一瞬で苦しまずに死ぬことが出来るわ。
貴女はそれをすぐにでも手に取ることが出来る。
選択権は貴女にある、この杯を貴女の好きなようにしなさい」
私は迷うことなく杯に手をかける。
これを飲めば全てが終わる。
悩むことも無く、迷惑をかけることも無く、全てが解決する。
「咲夜、一ついいかしら」
「はい」
私は杯を口元で止める、私の決意は揺らがない。
「死ぬということは、本当に簡単なことよね」
「……?」
「選択肢として誰にでも与えられ、いつでもどこでも死ぬことが出来る」
私はパチュリー様の物言いに少し腹が立ち、杯を置き言い返す。
「そうですね。だからといって安直な選択肢ではありません」
「ええ、安直だとは思わないわ。
貴女が必死に選んだ選択肢だもの、尊重さえするわ」
パチュリー様が優しい顔を浮かべ語っている。
私の気持ちを汲んでくれているのだろう。
そしてその顔は次に厳しいものとなる。
「でもね、咲夜。いつでも出来る事なのに、一度しか選べないのよ」
「……」
「死とはまさしく“終”よ。
生きるという事象において“終”は死以外に無いの。
生きている限り、貴女には無限に続く選択肢があるのよ」
「ですが……それでも私は……」
死ぬ以外の良い選択肢は無いと考える。
「貴女は今幸せ?」
「え?」
「少なくとも幸せに満ち足りた顔じゃあないわよね」
「……そうですね」
「貴女が死んだら、レミィはどうなると思う?」
私は少し考えてから慎重に言葉を出す。
「……傲慢かとは思いますが、悲しんでくれると思います」
「謙虚ね、悲しむどころの騒ぎじゃないと私は予想するけれど」
「でも……すぐに立ち直ってくれると思います」
「何故?」
「お嬢様は強いですから」
「無理ね、立ち直れないわ」
「どうしてですか?」
「レミィの中には、不幸のまま死んでいった咲夜が永久に残るからよ」
「――」
「止まってしまった時計の針は動くことなく、その時間しか表さないの」
「……」
私は何も言えなくなってしまった。
結局、自分のことしか考える事が出来ていなかったのだ。
「ねえ咲夜、生きるって素晴らしいことよ。
いつでも可能性に満ち溢れている、それをわざわざ閉ざす事も無いわ。
気が向いたときに何かやって、なんとなく生きていけばいい。
人生というのは自らが推し量れるような簡単なものじゃないわ。
悪いことしか起きないように思えても、運命は貴女の斜め上を行く。
貴女は……少し真面目すぎね。
生きるっていうことは、もっと気楽に楽しめるものなのよ」
「パチュリー様……一ついいですか」
「何?」
「パチュリー様の柄じゃないですね、なんだか……」
「そうね、喋りすぎたわ」
にっこり微笑む姿につられて私も気分が和らぐ。
私の心の闇はほとんどが浄化された。
それでも一番の問題が残っている。
「咲夜、もうその杯は使わないのかしら」
「あ……そうですね、はい」
「じゃあ私が代わりに一つ選択肢を増やしてあげるわ」
「?」
「自分の身体の時間を止めてみなさい」
「自分の……身体を、ですか?」
「術式は私が手伝うわ。
身体の時間を止めてる間は老いることも朽ちることも無い。
ただその時間を止めてるのは同じ身体だから……寿命は少し縮むわね。
でも死ぬときまで元気いっぱい動ける筈よ、それに……」
「それに?」
「時間を止める能力を生命に作用させる事は、因果律をも弄る事。
万が一レミィが能力を行使しても、貴女の死期は“視えなく”なるはずよ」
「それなら問題もありませんね……是非やらせてください」
「余り長く続けると精神に異常きたす可能性もあるけど」
「え」
冗談か本気か分からない台詞を受けながら私は自らの体の時を止めた。
月日が立ち、私は正常にメイド長として変わりなく過ごしてきた。
確かに身体の感覚は気持ち悪いほど異常で、精神的にキツかった。
それでも老いることも朽ちることも無い身体は、精一杯貢献できた。
私は幸せに最後まで過ごす事が出来そうだ。
ただもし、もう少し望むことが許されるなら……。
美鈴と仲直りがしたかった。
この紅魔館に来たとき一番優しくしてくれたのは美鈴だった。
昔は二人で仲良くやっていたのだけれど、
そのうち働く場所が変わり会う機会が少なくなっていた。
そして久しぶりに会えたと思ったら彼女は私に言った。
『ああ咲夜“さん”。
私みたいな下々の事は気にしてくださらなくていいんですよ』
彼女はすっかり変わっていた。
昔は敬称無しに互いを呼び合う仲だったのに。
私は知らず知らずのうちに彼女を傷つけてしまったのだろうか。
閻魔さまに言われたことがある、私は優しさが足りないらしい。
今まで誰かに冷たくしてるつもりは無かったし、
気遣っていたつもりなのだけれど、何か勘違いしていたのかもしれない。
もしそれが分かれば、彼女に謝って仲直りがしたかった。
そしてある日、その手紙は来た。
内容は簡素なもので用件だけ。
夜に会いたいというものだった。
それが美鈴からのものだったから私は嬉しくなった。
どこか壁のある、いつものやり取りではなく、
本音をぶつけられるいい機会なのだから。
「貴女は今幸せ?」
「幸せよ」
「私は不幸だわ、全て貴女に奪われたから」
私の予想とは違っていた。
「あの時も、私に手加減して。
見下していたんでしょう、馬鹿にしていたんでしょう?」
「そんなつもりじゃなかった……」
彼女がこんなにも思いつめて、こんなにも私を憎んで。
「貴女はお嬢様からもパチュリー様からも愛されていいわね。
私は二人からは必要とされなかった。 そして貴女にも裏切られた」
「ごめん……なさい」
こんな私には彼女に何も言う資格なんてなかった。
彼女が私に襲い掛かる。
全身全霊を込めた、最期の一撃だ。
彼女は私と一緒に死ぬ気なのだろう。
私はどうしても避けられなかった。
彼女の想いは痛いほど分かるから。
最期くらい受け止めてあげたい、このまま“終”にしたくはない。
身体に強い衝撃が与えられる。
その時私は気づいた。
私の身体は時間が止まっている。
おそらく死ぬことは出来ないのだろう。
しかし彼女の気だろうか、全身を包み込むそれに意識を奪われそうになる。
死ぬまでは無くても気絶くらいはしそうだ。
「なんで……」
意識がハッキリしない中、美鈴の声だけがしっかり頭に響く。
「なんで……避けなかったの」
「……ごめんなさい、美鈴」
「何で……謝るの」
「私、美鈴の気持ち、分かってなかったから……。
ずっと酷いことしてたのよね……本当にごめんなさい」
「……」
私の目から涙が流れ落ちるのが分かった。
身体が止まっていても感情だけは敏感なようだ。
「薄々分かってた」
「え?」
「これ、私の逆恨みだって」
「そんなことないわ」
「今気づいたわ、私は貴女に嫉妬してただけなのよ。
それで独りで捻くれて……自分で道を閉ざしてしまった」
「美……鈴……」
「でもね、これだけは分かって。
私は本当に寂しかったの。
誰にも愛されてない私には、もう死ぬしかなかったの」
「美鈴、それは違う。
貴女は本当に愛されていた、貴女が気づかなかっただけ。
死ぬなんて選択肢は、不幸のうちに選んではいけないの」
どうか……それに気づいて欲しい。
そこで彼女の気は収まり、私もその場に倒れる。
薄れ行く意識の中、私の前に美鈴の姿はなかった。
在るのは“虹色の石”だけ。
ふと気づくと私はベッドに横たわっていた。
私の意識はなかった。
パチュリー様の質問に私の口がこう発した。
『大丈夫ですよ、私は紅美鈴です』
§ § § § § § § § § § § §
時は、かなり昔に遡る。
私――パチュリー・ノーレッジは二人で紅茶を飲んでいた。
「門番が欲しい」
「はぁ?」
紅魔館の主であるレミリア――レミィの言う事は突拍子もない。
流石は我侭で気分屋なお嬢様だ。
普段は貴族らしく社交的に振舞うのが得意で、私と正反対。
それが私と二人きりになると途端に厄介なやつになる。
「門に鈴を付けてあげたでしょ」
「あんなの何者かが来たという事実しか分からない。
敵が門に触るとサイレントセレナが発動する罠の鈴とか作れないのか」
「無茶言わない」
私を便利品発明家だと勘違いしてるらしい。
事あるごとに不満があるとそれを解消する魔具の製作を依頼してくる。
せめて作れそうなものだけ依頼して欲しいものだ。
「頼むよパチェ。紅茶の時間を敵に邪魔されるのは不愉快だろう」
「そうねぇ……不味くなるわね」
「なんか適当な悪魔でも門番用に召還するのはどう?」
「もう使い魔は居るし、二体扱う気はしないわ」
道具にはやはり限界がある。
かといって生命を補充するには良い逸材がない。
どうすればいい?
「あ」
閃いた。
これなら私も有意義な時間を過ごす事が出来る。
私は以前に作った賢者の石――“虹色の石”――を持ち出す。
これは一番最初に作った石なのだが、実は完全な代物ではなかった。
今は完全な物を常備している。
これでも充分な魔力があるから、消費する実験としては相応しいといえる。
賢者の石で生命を作る。
植物、水、血、魔力、色んなものを組み合わせる。
最後に今まで門番をしてくれた“鈴”を投げ込んでみる。
我ながら変なものを媒介にするのが好きだな、と思った。
そして、それはいとも簡単に創り出す事が出来た。
服を用意して身に着けさせる。
仕上げとして頭に星型の魔具を装着させる。
「いい、貴女の名前は“紅美鈴”。 紅きを守る美しい鈴よ――」
「パチェは器用だな」
「……どうも」
この笑顔に騙される私が駄目な気がした。
美鈴は素晴らしく理想どおりに働いてくれた。
咲夜が来た後も、外の仕事を全てこなしてくれて本当に助かった。
ただ私は一つ不安があった。
私は術式を以って彼女に精神を打ち込み創りだした。
しかし賢者の石が完全ではなかったことが作用したのか。
どうにも精神的に不安定な面が見られた。
なるべく様子を見ておいたほうがいいのかもしれない。
しかし私は生活の都合上滅多に彼女に会うことはない。
何の用もなくでかけることは無いから門には行くことは無い。
だとしたら私が行く場所は何処だろうか。
そこは花畑だった。
美鈴にはここの世話をさせている。
花は綺麗で香りも良い、暖かく空気も良くのんびりできる。
ここならたまには来たいかもしれない。
ある時、私は実験をする。
ミステリーサークルを試しに作ろうという気分になった。
それを花畑で作ってあげた、我ながら綺麗な仕上がりだと思う。
何故かレミィが一番喜んでいた、すぐ飽きるだろうけど。
「試しに私が作ったものよ」
「えええええええー!?」
予想通り驚いてくれた。
私は必死に我慢しているが可笑しくてたまらない。
彼女も驚きながらも元気に楽しそうに振舞っていた。
このサークルは星型に作った。
もちろん、彼女の頭につけている魔具にちなんでだ。
まあそんな些細な事は気分が向いたら話すとしよう。
この様子なら何の心配も無さそうだから――
――そして悲劇は起こってしまったのだ。
私は事態を把握すると、紅魔館全体に通達し口裏を合わせるよう命じた。
“美鈴の意識を持った咲夜”への扱いは慎重にしなければいけない。
レミィは無理にでも美鈴の意識を剥がせないかと提案した。
私はそれは不可能だと一蹴した。
でもそれは嘘だ。
不可能ではなかったかもしれない。
でもその時美鈴の心は一生救われないままなのだ。
何故こうなったのかは分からない。
それでも肉体を失い精神の塊であった虹色の石からは、
負の感情で溢れていた事がはっきりと伝わってきた。
時間が解決してくれるというわけでもなさそうだった。
私は精神に関する魔術の本を寝る間も惜しんで読み漁る。
そして一つの魔術が見つかった。
“Judgement of Arcana”
タロットカードを用いた魔術で、対象の精神を復活させる禁術らしい。
しかしかなり難しく、使いこなす特訓にも数日がかかりそうだ。
それでもやらなければいけない。
二人とも救うにはこの手段しか無いのだから。
合間には墓参り、そして美鈴への接触を欠かすことは無かった。
今まで何もしてあげられなかったのだ。
私が創りだした子だというのに。
何一つとして。
ごめんなさい――
§ § § § § § § § § § § §
――そして今現在
「……私が間違ってました」
“虹色の石”となった美鈴の声が響く。
その声で私――十六夜咲夜の意識は覚醒する。
目の前ではパチュリー様が“虹色の石”を抱きしめていた。
「私……とっても愛されていたんですね。
特に、隊員の皆……咲夜さん……パチュリー様。本当に有難うございます」
「ごめんなさい美鈴……私は……貴女に……」
「パチュリー様、そんな顔をしないでください。
私、最期に……死ぬ前に幸せになれて本当によかったです」
虹色の石は輝きを次第に失ってゆく、彼女の“終”が近付いているのだ。
「咲夜、有難う」
最期にそう一言。
一言発して、その石は永遠に輝きを失った。
雨の音だけが無常に響く。
パチュリー様は動かない。
彼女の為に泣いているのかもしれない。
「パチュリー様、戻りましょう。ここは冷えます」
「そうね……」
§ § §
ある日の昼。
お嬢様とパチュリー様が紅茶を飲んでいる。
あれからずっと強い雨が降り続けている。
雨音が五月蝿く、耳障りだった。
「いや~咲夜の紅茶はやっぱり上手いな」
お嬢様は独り上機嫌だったが、私とパチュリー様は黙っていた。
ふと、気がつくと窓の外から光が差していた。
雨が止んだのだ。
「おおパチェ、綺麗な虹だ」
それは素晴らしく綺麗な虹だった。
見る者を魅了する、美しく大きい文句なしの最高の虹だった。
「最高の幸せって……」
「ん?」
「幸せに満ち足りたときに死ぬことよね。
幸せに死ぬことで、永久にその状態で止まっていられるのだから」
閉口していたパチュリー様が口を開いた。
その言葉は誰に向けられたものかも分からない、独り言のようだった。
「生きていれば欲が出てしまう。
かといって幸せだったら死のうとは思わない。
だからせめて、死んでしまう時、その時幸せであることは大事よね」
必死にパチュリー様は自分に言い聞かせているのだろう。
この論理は何も間違っていないと思う。
彼女にとってこれ以上の幸せな死に方は無かった。
周りの者にとっても最高の結果であったと言えるだろう。
間違いない。
それだけは間違いない。
それでも私とパチュリー様の顔から曇りが取れることが出来ない。
二人とも、どうしても考えてしまうからだ。
「ああ、それにしても本当に虹が綺麗だな」
雨を彩る虹は美しく、綺麗で素晴らしい。
それは何事にも変え難い、かけがえのない素晴らしいものだ。
後悔したってしょうがない、そんな事は二人とも分かっている
それでも強く思わずにはいられない。
「雨さえ……」
「ん?」
「雨さえ降らなければ、
最初からずっと日の下で暖かく皆でやっていけましたね」
私も誰に向けたわけでもなく、独り言のように呟いた。
何が正しかったのかなんてもう分からない。
もう終わったことなのだ。
やり直す選択肢も、可能性も無い。
――どくん
体に異変を感じる。
ついに来てしまったのだ。
私の寿命だ、まさか今日が命日になるとは思わなかった。
これはもう避けられないことだ。
私は精一杯、お嬢様に自分の幸せをアピールしなければいけない。
やる事は決まっている。
私は自らの体への能力を解除する。
そして私はポケットから出した懐中時計の“時”を止めた。
もうこの時計は動くことは無い。
(今まで主人のために働いたメイド長は貴女の下を去ることになります。
もう動くことは二度と無いでしょう。
でも貴女のために過ごした幸せな時間は確かにありました。
私はそれらを誇りに思い、満足して逝く事が出来ます。
今まで本当に有難うございます、貴女もお幸せに)
私はその場に倒れた。
お嬢様が血相を変えて駆け寄ってくる。
残り僅かな時間で私はどれだけの事が言えるだろうか。
願わくばこの懐中時計に込めた私の想いに気づいてくれますように――
――薄れゆく意識の中、鈴の音が聞こえた気がした
良いお話でした。
アルカナの物語へと続く道、堪能させて頂きました。
涙腺が緩んでしょうがないです。
パチュリーがいい味出してました。よかったです。
うぅ予想が外れた
咲夜さん、美鈴とあの世で会えたかな?
ので、気づいた点を一つ。
野盗退治のあたりですが、
>急所を付き倒していこう。
とありました。
付き→突き
ではないかなと。
久々に涙腺が緩みました。
不覚にも涙が出そうになりました(´;ω;`)
・月日が立ち→月日が経ち
・私とパチュリー様の顔から曇りが取れることが出来ない
→私とパチュリー様の顔から曇りが取れない
私もパチュリー様も、顔の曇りを取ることが出来ない とか
良作だけに詰めの甘さが惜しいと感じました。
でも、どうしてこう……人の思いというのはうまくかみ合わないのでしょうね。この美しくてとても不便な言葉という道具に、ひとかけらの勇気と、感じ取る心のアンテナを駆使しないといけないというのは……難儀なものです。
あの物語で美鈴がいない理由はこんな理由だったんですか
……悲しくもきれいな物語でした。
物悲しくも美しく散った、紅美鈴に冥福を
また、誤字の指摘大変有難うございます。
特に反魂さんの『曇りが取れることが出来ない』の部分は不覚でした……
日本語として正しい文章をミスなく振舞えるようよりいっそう気をつけます。
改めて有難うございました、次回も宜しくお願いします。
と思いました。
単体作品として楽しんでいただけるのを念頭に書いていますので、特に先に読む必要がある作品は無いつもりでした。単体で楽しめなかったのであれば、力不足申し訳ないです。もっと頑張らせていただきます。
うわ、得点つけにくっ!
面白いか、面白くないか、と聞かれると面白いのですが。
なんだろう、私が持ってるイメージとずれてるからなのかな?
ということで、すみませんが得点はパスさせていただきます。
私の中でどう得点評価したらいいのかわかりませんでした。
人であれ妖怪であれ避けられない死の時に幸せであるかどうか。
咲夜と美鈴が幸せであったことを願います。
死は現実の続き・・・・
現実は・・・・・・・・・・
生への始まり・・・・・
臨床輪廻・・・・・・・・・
2人はきっと・・・・・・・・・
再びめぐり合えるのだから・・・・・・
私はそう・・・・・・・・信じたい・・・・・
でもやっぱり悲しいよ・・・