それは、午後三時を僅かに回った辺りの事だった。
「……」
私は、図書館内の一角に設えられた書斎で、読書に励んでいた。
むしろ、こうしていない時間のほうが少ないというのが正解だろうか。
本との邂逅こそが私の日常であり、そしてパチュリー・ノーレッジという存在を形成する、もっとも大きな要素だと言えよう。
でも、最近思うことがある。
こうしていることが、少し退屈だ、と。
だが、これは初めての感覚という訳ではない。
幼い頃に一度飽き、それを通り過ぎて日常となり、そして今また飽きつつあるのだ。
言うなれば、第二次倦怠期といった所だろうか。
もっとも、こんな事をつらつらと考えている内に、瞬くように時は過ぎて行くのだろう。
そしていつしか、この倦怠期も終わり、私は再び読書という名の日常へと埋没するに違いない。
レミィ風に言うなら、これもまた運命か。
「パチュリー様っ!!!」
突如として響き渡った、素っ頓狂な叫び声に、私のシリアスじみた思考は幕を下ろした。
無論、これも私の日常の一ページに含まれている事象であり、ある程度の予測は出来ていた。
故に私の取った反応は、動揺で手をほんの少しだけ動かすという、ごく些細なものに過ぎない。
……が、事の起こりとは、得てして些細なものであったりもする。
その時、私の手にはティーカップがあった。
角度を変えられたティーカップは、マニュアル通りに緊急出動を発令。
そして、よし任せろとばかりに緋色の液体が、私の口内へと突入を試みた。
沸点に限りなく近い、灼熱の液体の向かう先は、食道及び気道。
「げふっ!」
私は豪快にむせた。
例え前もって脅威が知らされていようとも、どうにもならない事だってある。
喘息持ちの私に対する気道への攻撃とは、即ちそういうものであり……。
ああもう、理屈はどうでもいいの! 誰だってむせるのよ!
「けふっ、けふっ……あ」
そして、当然というか、惨劇はそこに留まらなかった。
咳き込んだ私が反射的に振るった手が、机上の砂糖壷を弾き飛ばしてしまい、
その砂糖壷が前々からバランスの面で改善を求めていた本の山を直撃し、大きくバランスを崩して倒壊。
雪崩となった本の山は、これまた質量的な限界に近付きつつあった本棚へと襲い掛かり、それもまた物理法則に従い倒壊。
勢い良く倒れた本棚の衝撃は、老朽化していたシャンデリアの接続部に致命的な損傷を与えたらしく、
そこに佇んだままであれば人々の目を楽しませていたであろうに、
いえ、そうは参りませんとでも言いたげに、律儀に落下した。
直下に位置していたのが何か……いや、誰であるかは言うまでもないだろう。
私は、重力加速度に従って落下するシャンデリアを見上げながら、ふと思いついた言葉を口にしていた。
「ピタゴラスイッチ……」
「痛い、痛いわよっ! もっと優しくしなさいっ」
「もう、我慢して下さいよ。医療は私の専門外なんですから」
数分後。
何とか小悪魔に助け出された私は、別室で治療を受けていた。
先ほどの一件による被害は、甚大の一言。
本のみならず、調度品まで軒並み駄目になってしまった事もあり、あの一角はしばらく使い物にならないだろう。
せめてもの救いは、私自身は大した怪我ではなかった事くらいかしら。
「普通は死にますけどね」
「でも、私はこうして生きているわ」
「見れば分かります。というか、タンコブ一つで済んでるって、物理的におかしい気がするんですが」
「体が資本のこの仕事。崩落の一つや二つでガタガタ言ってられっかいべらぼうめ。こちとら江戸っ娘でい」
「……病弱なのに怪我に強いって、本当に摩訶不思議な体質ですよね」
突っ込み易いボケをかましたというのに、あろう事か小悪魔は冷静にスルー。
相変わらずこの娘には、芸人としての自覚が足りないわね。
……それとも、ボケとツッコミを固定しない私に問題があるのかしら。
確かに小悪魔の適正を考えるなら、ボケに専念させるべきだとは思うけれど、
それでは中田ダイマルラケットに対して申し訳が……。
「あの、せめてやすきよにしませんか。分かる人、誰もいませんよ」
「……そうね。観衆置いてけぼりを芸の域に高めるには、まだまだ私達には経験が足りないものね」
「と、とりあえずそっちのお話は、また別の機会にお願いします。
それよりも、本題に入りたいんですが、宜しいでしょうか」
「……本題?」
意味が分からない。
芸の研鑽以上に優先すべき議題が存在するとでも言うつもりかしら。
小悪魔。貴方は今、間違いなく私を怒らせた……!
「そこ、切れる場面じゃないですから」
「分かってるわ。で、本題って何よ。
私にこれだけの被害を負わせるくらいだもの、さぞかし夢工場ドキドキパニックな話なんでしょうね」
「……どうして嬉しそうなんですか?」
嬉しそう……やはりそう見えるのだろうか。
正直に言えば、第二次倦怠期中ということもあって、少し期待感のようなものを抱いていたのは事実。
こういった形での小悪魔の提案は、大抵が刺激的な出来事と直結していると気付いていたからだ。
まあ、刺激的と言っても、存在意義を否定されたり、身に覚えの無い既成事実をでっち上げられたり、
過去のトラウマを抉られたりなんだけ……ど。
「……私って、マゾヒスト気質があるのかしら」
「え、突然何を!?」
「ううん、間違い無いわ。だって、ボケの高みを極めんとしている貴方に対して、
あろうことかツッコミを求めるような、はしたない女なのよ?」
「もう、その話題から離れませんか。というか、それだと芸人の半分以上が資本主義の豚になってしまいます」
「それだけじゃないわ。魔理沙が本を盗みにやってくるのだって、心待ちにしているくらいだもの。
世間的には、魔理沙自身に興味があるように思われてるけど、実は奪われるという行為そのものに身悶えて……」
「あ、それです」
「そう、それよ。……え?」
どういう事かしら。
まさか、私の性癖について、かねてより研究を進めていたという意味?
それは困るわ。調べる事は大好きだけど、調べられるのはお断りしたいもの。
ああ……でも、いつしかそれが快感になって……。
「違います。この図書館のあり方についてです。本がどうこうという辺りで思い出しました」
「そ、そう。貴方らしくもない真っ当な議題ね」
「真面目に聞いて下さい。
実はこのところ、紅魔館の経営事情が、あまり思わしくないらしいのです」
「そうみたいね」
無論、そのことは私も知っている。
だからこそ、先ほどのような事故が起きたのだろう。
簡単に言えば、図書館の修繕及び改装に関する予算案が却下されたからだ。
実質的に居候に近い立場の私には、再審を要求する権利は与えられていないから……。
運命も魔法も結構だけれど、結局のところ、世界を支配しているのはお金なのね。
幻想って一体、何なのかしら。
「私としても、パチュリー様がそうした微妙な立場に置かれているのは心苦しいです」
「あ、ありがとう……で良いのかしら」
「そこでですね。何かこの図書館を利用して、外貨を獲得する手段は無いものかと思ったんです」
「……成る程」
少し真面目に考えてみる事にした。
ここで私の手で紅魔館経済を活性化させるというのは、中々に悪くない提案だと思う。
というか、現実に畑を耕すことで活性化させている小悪魔に言われてしまったら、どうにも否定のしようがない。
そういえばこの娘、今でも自分の職業が司書であると自覚してるのかしら。
確か昨日、アンケート用紙の職業欄に専業農家って書いていた気がするんだけど。
せめて兼業にして欲しかったと思うのは、私の我侭?
……おほん。
まず、小悪魔の言葉の通り、何を始めるにせよ、図書館内でというのが大前提だろう。
外での活動は私の体力的に難しいし、そもそも二つ名詐称罪で地獄送りにされかねない。
すると、図書館で出来るものは何かとなるのだけど……それは考えるまでもない。
図書館とは本を置いてある場所なのだから、当然、本を利用した商売だ。
「私はあまり頭が柔らかいほうではないので、一般公開して入場料を取るくらいしか思いつきませんでした」
柔らか過ぎて原型が無くなっているんじゃないかしら。
……と、それはともかく、やはり蔵書を利用するならそういう形に落ち着くだろう。
なお、売るのは論外。
それは単なる資産の切り売りに過ぎないし、私自身にその気が欠片も無いからだ。
「んー……でも、それを商売と直結するのは難しいわね」
「何故ですか?」
「まず、ここの蔵書に興味を持ったとしても、実際に足を運ぼうと考える者が多いとは思えないのよ」
店舗型商売の基本、それは立地条件だと何かで読んだ記憶がある。
一般的に、交通の便がよく、なおかつ人通りの多い、日当たりの良い場所。というのが理想的な条件だそうだ。
だが、ここはどうだろう。
交通の便は良いとは言いがたい。何しろ、徒歩ではたどり着く事自体が困難なくらいだから。
人通りはどうかというと、ほとんど妖精の類しか見かけないというのが実情。
日当たりに関しては論外である事は言うまでもないわね。
むしろ、吸血鬼の館の図書館で日当たりの良い場所を教えて欲しいくらいよ。
「でも、本当に興味のある方なら、そういった条件は気にされないんじゃないですか?」
「そうかしら。そんな例外は魔理沙くらいだと思うのだけど」
来る人はどんな環境だろうと来る。というのは否定しない。
でも、それだけでは商売としては薄い気がしてならなかった。
お金を稼ぐ為には、何よりも多くの人に来てもらう必要がある。
確かに、ここの蔵書は何処に出しても誇れる質と量だと思うけれど、
それを理解して貰う為にも、とりあえず最初の一度の来訪がないと話にならないからだ。
「もっとこう……興味の薄い者をも惹きつける付加価値が必要かもしれないわ」
「付加価値、ですか。なんだか難しい話になってきましたね……」
「振ったのは貴方でしょう。付き合いなさい」
「……はぁい」
私は椅子に座り込むと、机へと両肘を付き、手を合わせるように組んでは、その上から視線を覗かせる。
長年に渡って研鑽を重ね、先週ついに完成した、黙考のポーズその一だ。
同時に小悪魔は、私の左後方に立つと、後ろ手を組んで虚空を見上げていた。
お約束を遵守した小悪魔の姿勢に、私は口の端のみを使った笑みを浮かべる。
このポーズは、二人が揃っていないと成立しない……それを小悪魔は良く分かっていた。
「あの……本当にこのポーズに意味はあるんですか?」
「あるのよ。何となく全てが分かっているかのような妄想に浸れるでしょう」
「仮定形だらけじゃないですか……」
「ああもう、こんな時ばかり律儀に突っ込むのね。
貴方には客を楽しませようというエンターテイメント精神は無いの?」
「だから私は芸人でも店員でも……あ」
その瞬間、まるで何かに目覚めたかのように、小悪魔の双眸がかっと見開かれる。
ポーズも相まって、真に迫りすぎで怖い。
「ど、ど、どうしたの、使徒でも発見したの?」
「違います! お店ですよ、お店!」
「い、イメクラ?」
「あ、惜しいです。ニアピン賞といった所でしょうか」
「惜しいの!?」
私が動揺すると、自然にボケツッコミが逆転するのは何故なのかしら。
……と、それはさておいて。
小悪魔のアイデアとは、図書館に喫茶店の機能を追加してみてはどうかというものだった。
どの辺りがイメクラと繋がるのかが理解出来ないけど、小悪魔の発言だし、そこは考えるだけ無駄ね。
「やはり、単に開放するというだけでは、元々興味の無い方には訴えかける物が少ないと思うんです。
そこで現状のままの紅魔館でも提供できるサービスとなりますと……」
「紅茶。という訳ね」
「はい」
「うん……その案、悪くないわ」
長時間の読書に、お茶の類は切り離せるものではない。
要はそれをシステム化してしまうことで、収入源へ引き上げようという算段だろう。
また、初めからお茶のほうを目的とした客を呼び込めるかもしれないという狙いもある。
日本文化が根付いた幻想郷において、美味しい紅茶を提供する場所は、ごく少ないからだ。
私としては、本そのものの扱いが悪くなるのは避けたいところではある。
でも、そんな甘い事を抜かしていたら、商売など成立しない。
全てのゲストにハピネスを提供する。それが、幻想コウマーランドの経営方針なのだから。
そうでしょう? ミッ……。
「ギリギリだから止めて下さい本当に。存在、消されますよ?」
「……少し後悔してるわ」
ともあれ、これで基本的な方針は決まった。
私はこの図書館を、飲食店も兼ねた閲覧施設として開放する。
一応レミィと咲夜あたりには話を通す必要はあるだろうけど……ま、平気でしょう。
私が自分の領分で何かを始めるに際しては、駄目出しをされた記憶は無いし、
何よりもこれは、紅魔館の将来を考えてのものなのだから。
即断即決、私はレミィの私室へと乗り込んでいた。
というか、思い立った段階で行動しないと有耶無耶になりそうって理由で、無理やり小悪魔に行かされたんだけど。
「却下」
「えー」
返答まで、時間にして一秒にすら満たなかった。
これは余りにも酷い。
ネタとしても古すぎるし、短すぎるせいで私のほうから振りを仕掛けないと場が沸かせ辛い。
やはりレミィは、友人としては最高でも、相方としてやっていくのは難しいわね。
「えー、じゃない。却下といったら却下なの」
「り、理由を聞かせて頂戴。私にも標準経営責任者、通称NEOとしての意地があるもの。
ちなみに読み仮名はネオでもエヌイーオーでもないわよ。にゃーお」
「ツッコミどころが多すぎて困ってるんだけど……第一に、私の威厳の問題よ。
紅魔館内にそんなフレンドリーな施設を開業しようのものなら、カリスマ性が疑われかねないわ」
「今のレミィに威厳があるのかどうは置いておくとして、それは杞憂じゃないかしら」
「……? どういう意味よ」
「ただ一方的に押さえつけるだけが支配者の形じゃないわ。
むしろ、こうした新たなる一面を見せ付ける事によって、別の方向から威厳が付与されるとは思わない?
『おお、紅魔館の主は強く気高く美しいのみならず、文化の普及にも心を砕かれる偉大なるカリスマだ!』……と」
「むぅ。まあ、上手くいけばそうなるかもしれないけど」
「大丈夫、信じて。魔女、嘘つかない」
「私、嘘を吐かなかった魔女に会ったことないのよね」
「け、経営に関しては流石に断言は出来ないわ。私も始めての試みだから」
「……」
レミィは押し黙ったまま、視線を明後日の方向へと向けた。
それが真面目に考えている時のポーズだと知っている私は、意図的に言葉を切る。
吸血鬼には脳という中継点が無いから、一気に押し切ろうとするのはかえって逆効果なのだ。
「……初めての試みって言うより、初体験って言ったほうが、色々と誤解を招けて効果的じゃない?」
「え、考えてたのってそっち?」
「他に何があるのよ」
前言撤回。
吸血鬼には脳という記憶回路が無いから、忘れてしまわないうちに一気に畳み込むべし、と。
「レミィ、残念だけど私にはもう、芸人道を究めようと一方的に誓ったパートナーが存在するの。
新コンビ結成は諦めて頂戴」
「そう、なの……それが貴方の運命だと言うのなら、私に止める事は出来ないわね……」
威厳云々の話は何処に消えてしまったのかしら。
それとも、彼女にとっては芸もカリスマの内という事?
分からないわ……レミリア・スカーレット。単純そうに見えて、中々奥が深いわ。
「で、商売のほうなんだけど」
「ん。とりあえず、仮営業という形でなら認めてあげるわ。
ただし、大々的に宣伝とかしちゃ駄目よ」
「様子見、という事ね」
「理解して。私だって三重の意味で後が無いんだから……」
多分、威厳の問題と、経済的な問題、そして個人的な心情の問題だろう。
その複雑な心境は、私には理解できるだなんて言えない。
確かに今の私はあやふやな立場だけど、逆に言うなら責任を負わされない立場でもあるから。
「分かったわ、レミィ。
でも、安心して。例え何世紀経とうとも、紅魔館は紅魔財閥か紅魔花月として歴史に名を残すわ」
「あー、うん。そっちの方向で大成功しても複雑なんだけど……」
ともあれ、こうなれば私とて後には引けない。
この商売、何としてでも成功させないと……。
「うわぁ、そんな事言っちゃったんですか。
ただの思いつきの重なりなのに、凄い自信ですね」
「貴方が行けって言ったんでしょうがっ!!」
思わず、素で突っ込んでしまった。
小悪魔のボケは、時として世界を混沌へと導きかねない危険な代物だということを、改めて実感したわ。
「そ、そんなに怒らないで下さいよぅ。
私だって、パチュリー様が談判されてる間、色々と考えていたんですから」
「……どんな事よ。言ってみなさい」
「ええと、ですね。客層の問題です」
「客層?」
「はい。私の個人的なイメージですが、図書館という響きは、どうも小難しい印象を与える気がするんですよ」
「それの何が問題なの?」
「子供とか、近付き難いと思いませんか?」
「……子供……」
盲点と言えば盲点だった。
私は初めから、ある程度の知識層が利用するものと思っていたけれど、どうも小悪魔の抱いていたものは違ったらしい。
それこそ本当に、幻想コウマーランドに近いものかもしれないわね。
「ですから、もっと親しみを与える為に、マスコットキャラを作るとか……」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。貴方、子供なんか呼び寄せてどうするつもりなのよ」
「それは勿論、図書館を利用して頂くんです」
「……ここ、絵本なんて置いてないけど」
「ありますよ? それはもう、たくさん」
「あるの!?」
「はい。というか、管理者であるパチュリー様がご存知でなかったのが不思議なんですが……」
「う……」
それを言われると痛い。
私の仕事は、魔術書を研究したり、自分で編纂したりすることが主であって、
蔵書そのものの管理業務は、小悪魔に任せっきりだったからだ。
まあ、ここ最近の蔵書は、殆どが外界から流れてきたものだし、何が存在しても不思議ではないのだけど……。
「……これはひょっとすると、根本から考えを変える必要があるかもしれないわ」
「はい?」
「小悪魔。貴方、ここの本を読んで一日を過ごせと言われたら、どんな種類の本を選ぶ?」
「え、どうしたんですか突然」
「いいから答えなさい。思ったままを正直に、よ」
「えーと、でも、その、少し恥ずかしいです」
何故か小悪魔は、顔を赤らめてもじもじを始めた。
ここに来て萌えキャラ路線を狙うだなんて、もう手遅れだという事に気付かないのかしら。
「照れる必要なんて無いわ。大方、漫画でしょう?」
「あう……」
予想通りだった。
基本的に小悪魔は真面目で仕事熱心だけど、それでも何度か気を抜いている所を見かけた記憶はある。
そういう時に読んでいたものは、例外なく漫画本の類だったからだ。
「私には良く分からないんだけど、ああいうものってそんなに面白いの?」
「はい、それはもう! メイドさんたちが貸りて行かれる本も、殆どが漫画かどうじ……」
「……ああストップストップ。そこまでで良いわ」
小悪魔の口を、強引に塞いで止める。
これ以上続けさせては、BLだのJUNEだのといった言葉が飛び出して、話の方向性を歪めかねないものね。
ともかく、漫画が大人気だという事は分かった。
そしてこの図書館は、そうしたニーズにも耐え得るとも。
「うん……やっぱり、間口は広いに越したことは無いわね……」
「?」
「小悪魔、私の中でアイデアが纏まりつつあるわ。
これから語ってみせるから、貴方は文書に記しなさい」
「あ、はい、かしこまりました!」
何かが降りた。とは、まさにこういう事を言うのだろう。
私は、浮かび上がるイメージをそのまま言葉に乗せ、小悪魔がそれを形に残す。
これは今回に限らず、私達の間で基本となっている作業形態だ。
故に、文字通り流れるように作業は進む。
言うなれば、それまでどこか絵空事のように感じていたものを、現実へと定着させる儀式。
でも、物には限度というものがある。
「……まる」
「……はい、まる」
小悪魔は、復唱を終えると同時に、テーブルへと突っ伏した。
私はというと、ずっと前から倒れていたせいで、既に家具と一体化しつつあるような状態だった。
作業開始から、どれほどの時が流れたのだろうか。
正確なところは不明だけど、多分、軽く二桁は超えているものと思う。
兎にも角にも、草案は出来上がった。
が、流石に今は、それを推敲するだけの気力が残っていない。
ぶっちゃけ、疲れたのよ。
「失礼いたします。お茶をお持ち致しました」
「「……」」
どこぞから、咲夜の声が聞こえた気がする。
……ということは、丁度丸一日が経過したという事なのだろうか。
二日である可能性もあるし、ひょっとすれば三日経っていたのかもしれないが、
ともかく、咲夜が尋ねてきたという事は、今は昼下がりのティータイムに相違ない。
「如何なされましたか?
まるで、こちとら長い事飯も食ってないんじゃ。茶よりそっち持ってこい! とでも言いたげに見えるのですが」
「……読唇術?」
「いえ、推理ですわ」
そういえば、まだ一言も口を開いてなかったわね。
「有り合わせでも宜しければ、直ぐに用意致しますが」
「……お願い。小悪魔の分もね」
「かしこまりました。しばしお待ちを」
これまで咲夜が姿を見せなかった事は、別段不自然ではない。
このところ、私の食事は、殆どが小悪魔が作っていたし、
作業に没頭した私が長期間閉じこもる事も珍しくは無いからだ。
もっとも、その小悪魔も付き合わせてしまうと、必然的にこういった事態を招いてしまうんだけど。
「ああ、咲夜、待ちなさい」
「はい?」
「食事の間、これに目を通しておいてくれないかしら」
「……拝見致します」
咲夜は、ティーセットを小脇に抱えたまま、私の企画書(著者、小悪魔)を一瞥する。
「これが、そうなのですか。
お嬢様から大体は伺っておりましたが……ここまで進んでいるとは思いませんでした」
「……勢い任せに近いものがあったからね。
とりあえず、第三者の意見を聞いてみたいの。頼まれて頂戴」
まずは咲夜に見てもらおうというのは、最初から決めていた事だった。
彼女は、紅魔館の侍従長であると同時に、経営監査役でもあるからだ。
……ま、今はそれよりも優先事項があるけどね。
めし、はやく、たのむ。
「ふぅ……少し食べ過ぎました」
「空腹に勝る調味料は無し、ね」
食事を終えた私と小悪魔は、通常よりも一時間ほど遅いティータイムに入っていた。
有り合わせとは咲夜流の謙遜かと思っていたら、本当に残り物の寄せ集めだったのには一本取られたけれど、
それでも味は悪くなかったし、全部食べてしまった以上、文句を付ける気も起きない。
「それで、拝見させて頂いた感想ですが……」
私がカップを置いたのを見計らって、咲夜が口を開く。
「基本的に問題点というべきものは見当たらないように思われます。
正確に申し上げるなら、未知の事項が多すぎる為に、個人的にそう思った。というだけですが」
「……まあ、当然ね。こんな商売の形態、私だって聞いたこと無いもの」
「何よりも、パチュリー様が紅魔館の経営事情に関心を抱いて下さったことを嬉しく思います。
故に私からは、協力の申し出以外にお伝えする言葉はありません」
「……そう」
慇懃な言葉使いのせいで分かり辛いから、少し魔理沙語に翻訳してみようと思う。
『こんなもんやってみないと分からんが、まあ、目の付け所は良いんじゃないか。
とりあえず、口出しはしないから好きにやってみろ。
あ、失敗されても困るから一応手伝うぜ』
こんな所かしら。
「少し捻くれすぎじゃないですか?」
「内心なんて誰だってこんなものよ。実際、他人事なら私もこう思うでしょうし」
「……はあ」
「で、咲夜。貴方から何か、新しいアイデアは無いかしら。
これは単なる初項。付与も改善も、今の内ならいくらでも可能よ」
私の振りに対し、咲夜は待ってましたとばかりに笑顔を見せた。
……って、やっぱり意見あるんじゃないの。
「では、僭越ながら……基本コンセプトに、ある一要素を付け加えてみるのは如何でしょうか」
「どんな要素?」
「エロスです」
……。
………。
…………。
「い、いひゃいいひゃい、にゃ、にゃにをにゃしゃるんでふか」
「……本物のようね。スキマ妖怪が化けているのかとでも思ったのだけど」
残念な事に、いくら引っ張っても咲夜の皮は剥げなかった。
でも、口調が面白かったから、猫度にプラス3点しておきましょう。
これからも精進なさい。
「おほん……別段、冗談で申し上げた訳ではありません。これはれっきとした商売の本質だと言えるでしょう」
「……どういう事よ」
「私も色々な商売を見てきましたが、普及するにあたっての最大の要因は、大概がエロスです。
故に、最も儲かる商売とはエロスであるとの関連付けが出来ます」
「な、何というか、納得できるけど納得したくない結論ね」
「お諦め下さいませ。
どんなに高名な教師が指導しても学力の向上しなかった少年が、
褒美にそういった品を用意するだけで、一躍トップへとのし上る……それがエロスの力なのです」
「……」
本当に、この話は東方SSなのかしら。
作者自身も疑問に感じてきたようだし、読者はなおのこと疑問でしょうね……。
「あの、咲夜さん。えっちなのはいけないと思います」
「べ、別に私は強要している訳じゃないのよ。単に、一般論の一つとして……」
流石に自分でも迂闊だったと思ったのか、珍しく咲夜が動揺を見せていた。
それにしても、この台詞を、悪魔がメイドに向かって放つだなんて、一体全体どういう因果の縺れなのかしら。
……じゃなくて。
「私も小悪魔と同意見よ。
最初からエロスを前面に打ち出してしまったら、他の目的の客がすべて排除されてしまうでしょう?」
「そう、ですね……お耳汚し失礼しました」
「でも、裏面で展開するのなら……」
「パチュリー様っ!」
「……冗談よ」
本当、悪魔のくせにどうしてこういう話題に弱いのかしら。
「それは、私だって色々な方向性を模索するのは悪くないとは思います。
でも、やはりえっちなのは子供達が……」
「って、もう貴方の中では、ここが子供達で溢れてるのは決定事項なのね」
「……?」
……突っ込みは少し控えましょう。
いくら私でも、体力的に持ちそうにないわ。
「パチュリー様。汚名返上ではありませんが、私からもう一つ考えを述べさせていただいても宜しいでしょうか?」
そこに再び、咲夜が流れを作り出した。
本当に良く気が利く……と言いたいところだけど、流れを切ったのも咲夜だから相殺ね。
「……良いわ。どんなアイデア?」
「これは外界の話なのですが……食事を目当てとしない客が売り上げの大半を占めている料理店があるらしいのです」
「「?」」
料理店なのに、食事が目当てではない……?
何故そんな現象が起こりうるのか、まったく想像が付かなかった。
それは小悪魔も同じだったらしく、私達は意図せず顔を見合わせる。
「その料理店の客の大半は、若い男性が占めておりました。
彼らは皆、従業員の制服姿を眺める為に、店を訪れていたのです」
「制服……って、もしかして」
「いえ、一見して扇情的という訳ではありません。
むしろ、造形美のほうを重視したタイプかと」
「良く分からないわ。どうしてそれと若い男が繋がるの?」
「私も女ですし、良くは分かりませんが……恐らく、可愛いものは誰とて好きなのだという事でしょう」
「……ふむ」
と言う事は、その店の従業員は皆女性なのだろう。
男が男を見て喜ぶとも……一部の層を除いては思えないわ。
ええ、大丈夫。私は現実と創作の境界は分かっている。
男に対して『美人』という賛美を用いる男性は、決して一般的では無いのよ。多分。
……ん? でも、逆は別に珍しくも無いわよね。
どうも、この辺りに色々と謎が隠されているような気がするわ。
「パチュリー様? 気分でも優れないのですか?」
「あ、いえ、何でもないわ。ともかく、貴方が言いたいのは、
可愛らしい制服でも採用したら良いんじゃないかって事でしょう?」
「はい。どうせ飲食店の形態を取るのでしたら、そうした方針も一考されてみてはいかがかと」
「……ふむ」
まあ、貴重な意見ではあったと思う。
これまで私達は、システム的な面ばかりに着目していて、そうした点までは思いが至っていなかったから。
でも……現実的にはどうかしら。
「あの、咲夜さん。そういった人気のある制服って、具体的にはどのようなものなんですか?」
「それは……その」
小悪魔の質問に、何故か咲夜は口ごもってしまった。
余程恥ずかしいものだから……という意味では無い気がする。
さっきも別段扇情的ではないって言っていたものね。
すると……。
「……来たわ。私の灰色の脳細胞が、明確な解答を指し示している!」
「え」
「ズヴァリ! メイド服ね! 貴方のその服装は、時代も世界も超えて大人気!
やあれ、誰ぞこの結論に意義があろうものか!!」
「……!!」
勝った……。
驚愕を顔に貼り付けつつ床へと崩れ落ちた咲夜を前に、私は静かに達成感を噛み締める。
長く果てしない戦いも、これで終わったのだ。
さあ、楽しいと銘打っていながら、実は退屈なだけのスタッフロールが待っているわ。
「でも、外界はともかくとして、幻想郷ではメイド服って珍しくも無いですよね」
「そうね。一部に好事家はいるようだけれど、改めて売り文句にするにはインパクトに欠ける気がするわ」
「ご理解が早くて助かりますわ」
咲夜は何事も無かったかのように、微笑を浮かべていた。
この立ち直りの早さこそが、彼女の完全たる所以かしら。
「それで、他にはどんなものが?」
「後はまあ、巫女服であったり、和服であったり、学生服であったり、ゴシックロリータであったり……。
結局は多種多様であるとしか申し上げられませんわ」
「……何だか、どれも見覚えがある気がしますね」
私も小悪魔とまったく同意見だったりする。
もしや、適当に知り合いを捕まえて従業員をさせれば、それで済むのではないかしら。
外界の人間の考える事は良く分からないわね……。
……ん?
「ねぇ、小悪魔」
「はい?」
「貴方、確かさっき、イメクラがどうこうとか言っていたわよね。
それってもしかして、この事?」
「ええと、仰られる意味が理解できません。ごめんなさい」
「……そう」
少し、安心した。
幻想郷には、外界の人間以上に、思考回路の理解できない輩が存在すると分かったから。
その日を境に、図書館の改築作業は急ピッチで動き出した。
無論、大体の方針が固まったからだ。
簡潔にまとめると、専門魔導学術漫画児童図書館喫茶コスプレもあるでよin紅魔館。といった名称になるだろうか。
ええ、全く簡潔ではないわね。
でも、他に適切な呼称が見つからない以上、仕方の無い事と諦める他無い。
経営者には柔軟な姿勢が求められるのが世の常なのよ。
「いらっしゃいましたぁーーっ! おおっと、残念ながらぶぶ漬けはお断りだ!
私が求めるのは成果のみだぜ! いざ! いざ! いざ!」
で、そんな修羅場の真っ只中に現れるような輩と言えば、やはり空気の読めない黒いのだったりする。
「あ、魔理沙さん、こんにちは。お久し振りですね」
「色々と忙しくてな。人気者は辛いって奴だ」
思うに、この紛れも無い不法侵入者を、普通に客人扱いで出迎える小悪魔にも問題があるのかしら。
この娘。説教強盗には格好の標的でしょうね。
まあ幸いというか、魔理沙は説教こそしないけれど、それでは強盗ではないのかと尋ねられると返答に困る。
もう私のほうも、同じ行為を繰り返され過ぎで、常識と非常識の境界が曖昧になっているのかもしれないわ。
が、今となってはもう、そう暢気な事も言っていられない。
事が動き出した今、私はもう、個人的な心情や個人的な性癖に流される訳には行かないのだから。
……はて、性癖?
「……魔理沙……」
私は、意を決して口を開く。
「おう、パチュリー。相変わらず顔色悪いな。
そんなに私に会えなかったのが寂しかっ……たの……」
魔理沙の語尾が、擦れて消えていくのが分かる。
どうやら、表情は上手く作れているようだ。
掴みはおっけー。
後は、勢いのままに押し切るのみよ。
「今までのことは水に流しても良いわ。持って行った本も返してくれなくて構わない。
でもね……これからは、絶、対、に許さないから」
「お、おい、どうしたってんだよ、本気で真に迫る物を感じるんだが」
「本気なのよ。もし、これからも略奪行為を働く心積りなら、私は命に代えてでも貴方を止めてみせるわ。
……いえ、たとえ命を失っても、冥界からグノーシス波動を送ってあげましょう」
「と、とりあえず事情を聞かせてくれると有難いんだが。
流石に、第一声から殺人宣言されたんじゃ、頷けるものも頷けないぜ」
「……分かったわ」
私は今日に至るまでの過程を、熱に浮かされたかの如く一息に語って見せた。
元々、ほんの気紛れから始まった事なのに、今となっては自分が一番必死なのが少し可笑しい。
「……はあ。そりゃまた何つーか、突拍子も無い事を始めるもんだな」
「私だってこうなるだなんて思ってなかったわよ。……それで、どうなの?」
「どうもこうも無いぜ。そこまで言われちゃ頷くしか無いさ」
意外というか、魔理沙は私の提案という名の脅迫を、いともあっさりと受け入れてくれた。
どんな難癖を付けて来るのかと思っていただけに、拍子抜けだ。
もっとも実際問題、魔理沙相手に口約束を取り付けたところで、意味があるとも思えないのだけど、
改修作業も大分進みつつあるここで、肉体言語を用いて対話する訳にも行かなかったし、
ここは魔理沙を信用する意外に無い。
……にしても、それほどまでに、私は必死に見えたのかしら。
「あー、それはあるな。珍しい光景を拝ませてもらったぜ」
「そ、そう……ん? という事は、他にも理由があるのね?」
「当たり前だろ、私を誰だと思ってるんだ」
元々、問題だったのは魔理沙の行動なのに、どうしてこうも自信に満ち溢れてるのかしら。
説教強盗では無くとも、居直り強盗ではあるのね。
「言いなさい。言わないと、憤怒のポーズその九、もしくは怨嗟のポーズその六で視姦するわよ」
「それ、少し見てみたい気がするんだが」
「駄目よ。私の芸は安売りするものではないの」
「いやいや、いつも某諜報機関並みにだだ漏れじゃないか」
「茶化さないで。それよりも早く答えなさい」
「……私が悪いのか?」
「いえ、間違いなくパチュリー様が問題かと」
あろう事か、小悪魔は私の味方をしてくれなかった。
でも、それなのに、妙に嬉しく思えてしまったのは何故だろう。
……やっぱり、性癖?
「仕方ないな、答えてやろう。
そんな形で万人に公開されたんじゃ、蒐集物としての価値は殆ど無くなるだろ?
そうなれば私にとって残るのはリスクだけ。となりゃ、結論は一つしかない」
「……」
「簡単に言えば、やる気が失せたんだ。……納得したか?」
「……なるほど」
隠しているから欲しくなる……そういう意味ね。
子供のような理論だけど、なんとなく納得できる気もする。
事実、魔理沙は良くも悪くも子供なんだろう。
「ま、資料として読みに来るくらいは構わないんだろ? 私だけ出入り禁止なんてのは勘弁だぜ」
「ちゃんと料金を払ってくれるなら、ね」
「……がめついなぁ」
むしろ、これまでの経緯を思えば、永久追放処分のほうが妥当なのかもしれないけど、
それが元で拗ねられるのは、私としても避けたい所だった。
……いえ、むしろ個人的な感情の面が大きいんだろう。
強盗云々は論外だけれど、私人としての魔理沙は、別段嫌っている訳ではなかったから。
レミィの気苦労、少しだけ分かった気がするわ。
「もっとも、経営者としての視点で見れば、それくらいで良いのかもな……」
「……?」
何故か、魔理沙は少し遠い目をして呟いた。
私に言ったというよりは、自然と口を付いたという感じだろうか。
「何か、似たような経験でもおありなんですか?」
「あ、いや、そんな事は無いぜ。
別に、常連客のみで固められた店はとことん儲からないから、シビアなくらいで丁度良い。
なんて語るつもりも無いからな」
「「……」」
恐らく実話ね。
それも、ごく近い身内の経験則と見たわ。
でなければ、こうも説得力が感じられるとは思えないもの。
「半信半疑……いえ、二信八疑だったこの方針も、あながち間違いではないのかしら」
「あらゆる客層を模索するとかって奴か?
流石にそいつは、やってみないと分からないだろ。
まぁ、間口は狭いより広いほうが良いに決まってるけどな」
図らずも魔理沙は、以前の私と同じ発言をした。
それにより、私は一層確信を深める。
「私もそう思います。
老若男女が安心して楽しめるエンターテイメント空間を目指すべきでしょう」
どうも小悪魔は、ここが泣く子も黙る紅魔館内の施設であると忘れている気がするわ。
というか、元々そういう自覚があったのかも怪しいわね。
……ま、良いでしょう。
何事も、中途半端が一番悪いもの、ね。
「皆の者! 括目なさい!」
どん、と力強くテーブルへと足を乗せる。
私になら出来る、私にしか出来ない、私しかやろうと思わないであろう事をする為に。
「な、なんだ、どうした、薬でも切れたのか?」
「魔理沙さん、パチュリー様一世一代の大舞台です。
どうか、暖かく見守って上げてください」
「い、いや、そんなご大層な場面が、観衆二名で展開されて良いのか?」
「それは無問題です。前回は私一人でしたから」
「随分と安い大舞台だな……って、何回もあったのかよ」
二人のお約束に導かれたボケ突っ込みを背景に、私は息を大きく吸い込む。
肺活量にはあまり自信がないけれど、こういうものは一息に言い切らなければ意味が無いのだ。
さあ、行くわよ、パチュリー。
「私はここに宣言するわ!
幻想郷が全てを受け入れるように、我が図書館は全ての客を受け入れる!
知識を求めるのも良し! 紅茶を飲みに来るでも良し!
単行本の続きが気になったからでも良し! 営業回りのサボタージュでも良し!
エロスを追及するのもお手洗いの中なら良し! でもセクハラ行為は退場願います!
そう、お客様はかみしゃ……けふっ、けふっ……か、神様です!」
……。
決まった。
締めに若干の難が見られた気もするけど、それでも決まったわ。
その証拠に、見て御覧なさい。
私を見つめているであろう、二つの輝いた瞳と、二つの濁った瞳を。
「素晴らしいです! 今のパチュリー様は、源氏蛍の如き輝きを放っています!」
「それじゃ開店より早く力尽きるだろ……」
小悪魔の方向性がズレた賛美も、魔理沙のやる気のない突っ込みも、今の私にとっては全て糧となる。
一度動き出した機関車は決して止まらない。
前に立ちはだからんと試みた愚者は、無様に跳ね飛ばされるのみ!
「ねぇ小悪魔……やっぱり止めましょ?」
「って、オープン前日になって何を言い出すんですか!」
機関車ノーレッジ、停止。
あの日の魔理沙の突っ込みは、図らずも真実を突いていたと言う事になる。
ええ、そうなのよ。いくら内燃機関が頑張ったところで、車体や運転士が持つとは限らないの……。
「世紀を跨いだ引き篭もりの私には所詮、客商売なんて無理なのよ……げふっ、げふっ。
ああ……おしょうさん、はなれていてくだちいな。こんなに真っ赤な皿が……」
「言語も思考回路も乱れすぎですよ……それと、藤子F先生に謝ってください」
「謝らないわ! むしろ媚びない! 引かない! 省みない!」
「……ふんっ」
「ぐぇ」
瞬間、小悪魔の腰の入った右拳が、私の脆弱な鳩尾を貫いた。
横隔膜ではない辺り、やはりお約束を良く分かっている。
……というか、効いたわ。
「落ち着かれましたか?」
「え、ええ、魂以外はね」
「それは良かったです。せっかくだから魂も紐で括り付けておきましょうね」
「努力します……」
どうも今日の小悪魔は、いつになく厳しい気がする。
やはり契約更改の場でくしゃみをしてしまった事が原因なのかしら。
寂しいし、ネタとしても寒いです。とか言ってたくらいだものね。
すると、これはむしろ契約後悔?
「全然違いますから。というか、さりげなく前作のタイトル解説しないで下さい」
「大丈夫よ。誰も覚えてないから」
日課のウォーミングアップをしていると、少しずつ調子が戻って来るのが分かる。
そう、今更いくら泣き言を漏らしたところで、明日と言う時は確実にやって来るのだ。
覆水盆に返らず。
英語にすればIt's no use crying over spilt milk
それを更に再翻訳すれば、こぼれたミルクは嘆いても無駄。
垂れ落ちてしまった脂肪の塊は、もはや乳房とはなりえないという、哀れな乙女の嘆き……。
「あ、あの、少し調子が戻りすぎだと思います」
「そうかしら、普通よ?」
「その普通が問題なんです……ともかく、今の内に明日の流れを確認しておきましょう」
「……仕方ないわね」
私と小悪魔は、額を突き合わせるようにして、計画書へと目線を落とす。
何だってこんなに距離が近いのかと問われたら、従業員用スペースが狭いからとしか答えられないわ。
……これ、設計的に間違ってるんじゃないかしら。
「当初は二十四時間営業という話もありましたが……とりあえずは午前十時から午後十時までの十二時間営業です」
「……まあ、妥当じゃないかしら。レミィや妹様の活動時間帯は色々と不味い気がするもの」
「ですよね。入場者と退場者の数が一致しないのは、客商売として問題だと思います」
客商売というか、倫理的に問題ね。
「で、ヘルプはちゃんと揃いそうなの?」
「はい、ごく一部の方を除いて、快く協力してくださいました。
初日のラインナップは、巫女服、ゴスロリ、甘ロリ、ブレザー、チャイナ服、
現役女子中学生、和服、ナース、十二単、園児、といった面々です」
「……後ろのほうの連中、良く引き受けたわね」
「あちらにも色々と事情があるらしいですから……」
それに約一名、身内が混ざってる気がするんだけど……まあ良いわ。
どうせ明日以降は、門番の存在意義が希薄になるんだし。
今でも存分に薄いとは言わないわ。私にだって慈悲の心はあるのよ。
「加えて、本館のメイドさん達も、咲夜さんを含め一部が手伝ってくださるそうです」
「そう……死角は無いという訳ね」
あくまでも見た目の上は、だけど。
まあ、咲夜が来るなら何とかなるでしょう。
「ただ……一つだけ」
「……どうしたの?」
「あの、本当に私が現場責任者で良いんでしょうか」
「その事はもう決めたでしょう。今更怖気付いたとでも言うつもり?」
これまでも何度となく繰り返されてきた問答に、私は少し語気を強めて口を開く。
……とりあえず、数十分前の自分のことは棚に上げておこう。
「最初に提案した時点で、ある程度の覚悟はしていましたが、
まさかこれほど話が大きくなるとは夢にも思わなかったので……」
「ん……まあ、私も少し驚いているけど」
大々的に宣伝はしない。と決めた筈だけど、ヘルプの面々を考えるに、
もう幻想郷全土に知れ渡っているものと考えて差し支えないと思う。
それでも、レミィは何も口を出してはこなかった。
信頼してくれているのか、単に諦めたのか……前者であることを願いたいものね。
「そ、その、もしもこれで大失敗なんかをやらかしてしまったら、
私のみならず、パチュリー様やレミリア様にまでご迷惑を……」
「……馬鹿を言わないの。貴方、私の肩書きを知っているでしょう?」
「え? 動かない大図書館、ですか?」
「それは二つ名」
「……金食い虫の居候?」
「ぼてくりまわすわよ。それは風評」
「ええと……ああ、にゃーご。でしたっけ」
「にゃーお、よ。正式名称は標準経営責任者。
その言葉が示す意味くらいは分かるでしょう?」
「……」
別に私は、思いつきでこの肩書きを付けた訳じゃない。
……いや、略称は思い付きだけどそうじゃなくて、経営に関する責任は概ね私にあるという意味。
あえて最高と付けなかったのは、レミィの立場を尊重しての事だ。
「だから、仮にこの事業が失敗したところで、貴方とは無関係よ。
仮に追求されるとしたら、それは任免した者の責任。
さて、小悪魔。貴方のご主人様は、そんな杜撰な人選を行うような輩だった?」
「……どうでしょう、難しい質問ですね」
その時、私が見せたコケは、未来永劫語り継がれるであろう完璧なワンシーンだったと断言出来る。
なんというボケ。
なんという空気の読めなさ。
この娘は間違いなく大物……!
「……パチュリー様? 何故泣いておられるんですか?」
「いい加減慣れなさい……私は泣きたいときは素直に泣く性分なの……。
……言っておくけど、これは間違っても感涙じゃないからね」
「……??」
ああ、もう良いわ。
あと十時間もすれば、嫌が応にも騒乱が巻き起こるであろうこの場で、
シリアスな場面を展開しようとした私が間違っていたという事にしておこう。
「ええと、よく分かりませんが、励まして下さってありがとうございます。
私も覚悟を決めました。泣き言はしばらく封印したいと思います」
「……そう。私も苦労した甲斐があったわ」
まあ、そのマイペース振りも、客商売にはプラスに働くでしょう。多分。
せいぜい、子供に泣きつかれて右往左往しなさい。
……あ。
「……聞き忘れていたけど、畑のほうは大丈夫なの?」
「あ、はい、そっちは問題ありません。
収穫期は終わりましたし、弟子達もかなり育ってきましたから」
「弟子……」
もうここまでくると、私の実力では突っ込む事なんて出来はしない。
この娘は、一体どこまで行くつもりなのかしら。
未来の歴史書に、幻想郷における農業革命の開祖として記されていても、何ら驚きを覚えないでしょう。
「もしかして、お疲れですか?」
「ええ……疲れたわ、精神的に」
「それはいけません。明日のこともありますし、早めにお休みになられるべきかと思います」
「……」
お前のせいだ。とは言えなかった。
今だって本気で私を心配しているんだろうし、そもそも小悪魔には何の悪気も無い。
……まあ、だから始末に終えないんだけど。
「そうさせて貰うわ。貴方も早く休みなさい」
「はい、お休みなぷぁ」
……なぷぁ?
サイヤ人でも襲来したのかしら?
でも、その割には大きな気は感じられ……って、ちょい待った。
「ちょ、ちょっと、何でここで倒れるのよっ!
確かに私は口を酸っぱくして言ったわ! 繰り返しはギャグの基本だって!
でも、それにしたって時と場合というものがあるでしょう! 小悪魔っ!」
「……くー……」
「睡眠!? 単に眠気が限界に来ていただけってオチ!?
オープン準備の為に、密かに頑張ってましたという感動的秘話!?
それにしてもこの知識人、ノリノリである!?」
自分でも何を言ってるのか分からない錯乱状態のまま、私は小悪魔を寝室まで運び届けた。
え? そんな状態なのに、どうして連れて行った事を覚えているのかですって?
……私も同じベッドで寝ていたからよ。
こうして私達は、運命に導かれるままにオープン当日を迎える事となった。
客入りはどうなのか。従業員との軋轢は無かったのか。レミィの威厳は保たれたのか。チャイナ服の名前は何なのか。
想像だけならば、いくらでも可能だ。
が、断言出来る事となれば、それは僅かに一つのみに絞られるだろう。
現実とはいつだって、想像の斜め上を行っているものだ、と。
>現役女子中学生
あれか?水兵の服の(ry
続かないと言われようとも右手を上から下へ振り下ろしつつ続編を希望させて頂く所存です。切に。
盛り上がってきた所で終わってしまった感じが強いので、点数はこのぐらいで。
ってちょとまった!完結してまうんですかぃ!?
しかし、ここまで期待させる終わり方で続きが無いというのは、一種の拷問……ッ!
いろんなネタが使用されていたのが効きました。
想像の斜め上読みたいなぁ。
パチェこあコンビは最高や!!