一部、人格崩壊していますので、見苦しかったらアウト・オブ・眼中でお願いします。
大きな白木の門を叩く。
白玉楼を来訪するのは初めて、……という訳ではない。
知った顔を見に行く、たったそれだけなのに何故か咲夜は、汗ばんだ掌をエプロンで拭ってしまった。
その顔はいつになく強張っている。
まるで、嫁入りまえの町娘みたいで、実際に彼女の格好もそのまま、「嫁ぎます」と、誰しも疑わないだろう。
普段の彼女を知らないのなら、の話だけど。
いつものメイド服に緑で螺旋模様の風呂敷に包まれた沢山の荷物を背負い、門を見上げた。
紅魔館の門と比べ、高さは低いがあそこには無い頑丈さが伺える。
これなら、美鈴みたいな番人は不要かもしれないわ。
彼女にクビと言ったらどんな反応をするのか、しばし黙考して楽しんでると
「あ……、おはようございます。今日は幽々子様の我侭でお呼びしてすいませんでした」
門が古めかしい音を立てて、開いた隙間から魂魄 妖夢が頭を下げる。
「いえ、こちらこそ___、よろしくお願いします」
邂逅一番に謝罪されても唐突過ぎて気の効いた事が言えなかったのは少し悔しい。
「ええ、では中に……、まず部屋に案内させてもらいますので、荷物などは」
堅苦しい挨拶に咲夜は息が詰まる想いで、何か談笑できるような話題を投げかけようと探る。
しかし、こんな時に限って何一つ思い出せないのは何故なのか?
敷つめられた石の庭を踏み鳴らしながら自分より背の低い妖夢のつむじを見下ろして、無言のまま付いて行く。
普段は逆の立場なだけに、お客人とはどんな態度であるべきなのか、最近はまともな人が来訪していないので特に身に覚えは無かった。
どうすればいいのだろう?
うーん、唸る咲夜に妖夢はあえて気付かない振りをしたことは分からない。
そうだ、と思う。
紅魔館にはよく来訪する人物達がいる。
普段は気にもしないが、彼女たちはどんな態度で居たのか、咲夜は思い出す。
魔理沙___窓ガラスを突き抜けて、派手に参上___名品珍品限定品など強奪して帰っていく。
はい、まずキレイさっぱり『この』世の人にされてしまう。
そこまで考え、一つの問題。
紅白や黒い魔に常識などは無い。
ならば、それを真似ては自分が一般教養も欠けたメイドに成り下がってしまうではないか。
再び思考のループに囚われる。
ただ単に、彼女達に常識が無い事を思い出せるのなら、その時にされて嫌だと思ったことをしなければ良いとは咲夜は不覚にも思いつかなかった。
話題もない、気まずい雰囲気を初めに払拭したのは咲夜ではなく、妖夢だった。
「ところで、今日はなんで、その…えーと、あの…」
ごにょごにょごにょ。
妖夢の声が小さすぎて鳥が囀っているようにしか聞こえない。
なんだか、俯いていてよく見えないけど顔が少し赤い。照れてるみたいだ。
彼女が何を言いたいのか、なるたけ柔らかく尋ねる。
「あー、はい。今日はなんでそんな、___ソレをつけているんですか?」
__ソレ。
妖夢のソレが何を指しているのか、『今日は』との綴りから普段付けているカチューシャの代わりに在るコレだと考えに至った。
あまりに違和感が無さ過ぎて、咲夜はその存在をまるっきり忘れていたのだ。
存在を確かめる為か、パチェリー様が直々に手渡してくれた____頭の上にある___コレに手を伸ばして触れてみる。
さわさわと指先を掠める感触には髪の毛じゃない、何か薄肉を覆った柔らかな毛と三角形の____。
そう、それは____、
”猫の耳”(パチェリー作)が悠々と風になびいていた。
「……やっぱり、これって変よね。『貴女は犬だけど、明日は無礼がないように『借りてきた猫』みたいになって貰うわ』って否応なしに…」
「いえ、全然ゼンッ、可笑しくないですオカシクナイデスよォ!?むしろ、お似合いです、似合いすぎて私は、妖夢は___」
『可笑しくないと言う、お前がおかしい』と喉から出かけるが、なんとか飲み込む。
首を高速で横に振り続ける少女。
ぶんぶんと風を切る音さえ聞こえる。
茸のカサみたいに白髪が弧を描いたまま重力に負けじと浮いているぐらいに。
なんとゆうか、ご愁傷様な感じがしてやまない。
実際に彼女は半分死んでいるからあながち間違ってはいないのだが。
普段は明るく慎ましくも真面目な彼女の、あまりにもな過剰な反応に咲夜の胸中は不安で満たされていく。
決して貶してる訳ではないのは分かる。
が、___。
その真っ赤に染まった顔に嬉々とした笑みと昂揚した雰囲気
妖夢が言うとおりに似合っているのかもしれない。
自分の容姿と合っている、鏡を見てもそう実感は出来なかったけど、もしかしたらそうなのかもしれない。
その点は純粋に顔が火照ってしまうぐらい嬉しい。『その点は』。
何故なら、一歩、二歩、知らぬ間に足が後退していく。
その事実に気付き、あえて無視して霧散した言葉が形を伴って蘇る。
なんというか、____貞操の危機?
大きく身体を仰け反らせたり、頭を抱え悶えている妖夢が不意にその奇行を停止させた。
「アリエナイ!そんな、そんなくぅッッはあ!!ああ、煩悩如きがこの私に、___この白楼剣に斬れぬモノなんて、ちょっとしかないっ!!」
叫びと共に鞘から短剣・白楼剣を抜く。
短剣の柄を逆手で握り、高く振り上げて妖夢は____そのまま自分の腹を突き破った。
「嘘__?」
ヴワル魔法図書館で見た記憶があった。
古の儀式、割腹__ハラキリともいう自殺行為。
深々と突き刺さった短剣に、しかし腹からは血の一滴さえも漏れてこない。
その体勢で妖夢は微動だにしない。
なぜなら咲夜が時間を止めたからだ。
だけど、止めるのが遅かった。間に合わなかったのは、突然の行為に驚いた自分が未熟だから。
歯噛みしながら右足を上げて、地面を強く蹴った。
幻想郷に来てから初めての事だ。
こんなに悔しいのは。
歯を食いしばりながら、腹に刺さった刀に触らない様に妖夢を担ぎ、中に運ぶ。
今、出来ることを速考、まず幽々子の所へ運ぶ。
そして、永琳を呼んで来る。
全て時間を止めたままでやらなければいけない。
長時間、能力を酷使するのは危険だが、そんなことよりも妖夢の方が遥かに危うい。是非を問いてはいけない。
咲夜にとって稀有なぐらいの決意が瞳に宿っていた。
それからの咲夜は速かった。
時間の枠から外れて動いていた咲夜にとっては長くもどかしい時間だったが、幽々子や永琳にとって一瞬の出来事だった。
幽々子の前に忽然と現れ、ぐったりとした妖夢を預け言葉を発する前に消えた。
永琳に否応さえも言わせず、一方的に言葉を紡いで治療器具一式片手に白玉桜へ強制連行された。
あまりに必死で迅速な彼女の感情と行為に幽々子と永琳はただ目を丸くして見つめていた。
そして、今
木目が揃った長い廊下に咲夜だけが立っている。
幽々子は居ない。
事の次第を告げ、「ふーん」と興味なさそうな顔には愕然とした。
「お腹減ったー」と喚いていたから台所で何か漁っているのかもしれない。
___従者が死にかけているのに。
瞬間的に殺したくなった、それぐらいに幽々子は薄情だった。
けど止めれなかった自分にそんな権利は無いのもまた事実。
あとは、神を信じない咲夜はただ待つことしかできない。
既に時間の感覚は狂っている。
朝、この白玉桜に来訪し、妖夢が割腹してから___丸一日は経っている気がした。
ぱたん、と音が聞こえ前を見ると、襖を後ろ手に閉じて永琳が出てきた。
緊張で震える肩を抱きしめながらも、努めて冷静に問う。
「どうなりました?」
返事はない。
ただ、首を横に振る彼女の瞳にはなんにも無かった。
悲しみとか悔しさもない。ただ無心。
それが咲夜にとって、とても怖い答えに繋がった。
「___嘘?」
「……貴女には、辛いことになったわ」
________。
床を踏みつける音は、果たして自分が原因なのか
それすらも分からない。
それ以前、頭に入ってこない。
そんな些細な事は気にならない。
今は_____。
襖を横に押し切るように思い切り開放、霊魂が灯す光で薄暗い六畳半の和室。
その真ん中に敷いてある布団に妖夢はいた。
「はっ、は____、ぁ」
すぐ近くまで寄り、膝を床につけて妖夢を観る。
黒を抜いた日本人形みたいに全てが白い。
来ている着物も合わせたように白く、死装束の三文字が浮かぶ。
顔を見る限りは、健やかな寝顔とも取れる死に顔、触れる頬には人としての温かみは最早__亡い。
胸に手を当てる。そのまま服に皺が出来るのも無視して、痛いぐらいに胸を握りしめる。
嗚呼、酷く空しい。
背後で永琳が痛々しい視線で見つめている。
「……、__?」
不意にどたどた、と騒々しい走る音が聞こえた。
次第に大きくなる音、咲夜は苛立ちを浮かべて背後を振り向く。
永琳は部屋から廊下に顔を出して音の正体を見つけたらしく、何か呟く。
『まだ、早いわ』___?
それがどんな意味なのか、考える前に騒音の正体__幽々子は部屋に飛び込んできた。
「妖ー夢ー、ご飯よご飯ー♪んふふ、久しぶりに作ったから美味いかは知らないわよ~」
両手に持つ土鍋を床に置いて、咲夜の隣に飛び込むように座り込んだ。
土鍋の蓋を外して、中に入っていた蓮華を取り出し、中身の雑炊らしき(濃緑色でグツグツと得体の知れない何かが溶け込んでいる)を掬って妖夢の口元に運ぶ。
死体を見たことはこれが初めてじゃない。
今までの経験と自身の勘から、妖夢が生きて幽々子の介抱を受ける事は二度とないだろう。
「はい、あーん♪。……口を開けないと顔面に落とすわよー」
死者の癖にいつも陽気な亡霊は悲しみを知らないのか?
見れば分かる。
死んでいるのだ、まさか死に誘える幽々子が気付かないとは思えない。
だとしたら___、そこまで考え、気付く。
蓮華を持つ、幽々子の手が震えていることに。
もしかしたら私がここに居て、泣けないだけかも、いやそうに違いない。
……帰ろう。此処に居ても私は意味がない。
そう思い、退室しようと膝を立てた時、幽々子が____
びちゃり。粘度の高い水質、
つまり__
呆然と咲夜は眼を見開き、永琳は眼も向けられないと額に手を当て、天井を仰ぎ見る。
__ホクホクと熱そうに湯気を立てた雑炊と蓮華を妖夢の顔面に落としたということ。
そして、現在進行形で火傷するぐらいの熱と湯気を発しながらも未だそこに居座っている。ホクホクと。
重苦しい沈黙が、ただただ幽々子を責めている、彼女は仕方ないと罰が悪そうな表情を浮かべ、言い訳を試みる。
「ッあ、、指が熱いの仕方ないじゃない」
咲夜は思った。
私の勘違いだったのか……。
それはもう、愛玩動物のような可愛らしさではなく、切なそうな顔でため息を吐く。
「当たり前じゃない。雑炊と一緒に蓮華も土鍋の中に入れてた、蓮華が高温なのは火を見るより明らか。どれ見せてごらんなさい。まさか幽霊が火傷なんて笑えないわよ」
永琳が普通の口調で幽々子の指を診察する。
なんかがおかしい。
可笑しい、ではなく変という意味でだ。
何故、なんでコイツ等は知人が死んでこんなにも平然と
スカートの中に手を伸ばし、ナイフを掴む
その行為には殺意は無い。
けれど、結果から見れば『殺そう』とすることには変わりはないのだろう。
そして、
「~~~~~、!?熱い、顔痛、痛いーー!?!」
妖夢が跳ね起きた。
掛け布団が見事にひっくり返り、広いとはいえない和室を駆け回る。
どたばた、と。
「あらあら、妖夢ったら。私の手料理があんなに嬉しいなんて」
扇子で口元を隠して笑う幽々子。
「あれが嬉しがってるように見えるなら、貴女の眼は大した伽藍洞ね」
半ば呆れながらも、微笑している永琳。
一方、___。
一気に騒々しくなった景色に付いて行けず眼を丸くしている咲夜。
永琳が声を掛ける。
「嗚呼、さっきまでの貴女の反応全て、___あは。楽しませてもらったわ」
「え?」
永琳は無言で妖夢が散らかした布団の横に置いてある二振りの刀を指差す。
妖怪に鍛えられた刀、それがどうしたのだろう。
咲夜にはその意図がよく分からなかった。
頭上に?を浮かべる咲夜を見かね、幽々子が告げる
「妖夢はいつも庭師としてではなく、幽霊の引率として彼岸の死神まで案内をすることがあるわ。その中で、偶に従わない幽霊がいて、その原因はいつもなんらかのわだかまり、_____未練を抱えて逃げるのよ。……と、言うわけよ。分かった?」
……。
そんな説明とも取れない、話の何処に答えがあるのか。
ふふ、と笑い声が聞こえ、永琳を見る。
薄く裂けたような笑みに細める眼、全てを知り、だけどその行く末を見つめるような不敵な顔。
そんな顔は八雲 紫で十分に足りている。
だけど、何か知っているらしい。無言で答えを促す。
「それで分かるのは、既知とした者か勘が良い者だけ。___つまりね、咲夜。逃がさない為に、幽霊の未練や後悔を無くすことができる、そんな刀なのよそれは。で、今回は半人前な幽霊が自身の煩悩を切り裂いた。それだけの話」
「……、じゃあ私は何を…」
確かに…。
それなら合点が行く。
今朝起きた出来事を反芻すると、_____ああ、嘘だ、嘘です。
妖夢の異様な態度には今一度釈然としない。
たかだか、猫の耳の模造を身につけたぐらいで、ああまで狂いはしないだろう。……多分。
だけど、それならば私の努力は何だったの?
「まったくの無駄ね。茶番にも劣る、一人相撲も良いところよ」
ふざけるな。
しかし、思うだけで怒声は発せれない。何故?と問う前に体が今さっき妖夢が身を落としていた布団に倒れてしまったぐらいに脱力。
___膝に力が入らない。
___指を動かしたが感触はない。
そういえば、と思い出せば、目が覚めたように蘇ってくる苦痛。
足ばかりではなく、頭がビギリと万力に固定されるような痛みに、心臓は早鐘で呼吸が苦しい、上空を高速で駆けたせいか、指は赤く、かじかんでひび割れたように生ぬるい外気が染みて痛い。
全てが能力の酷使とその作用の代償。
それなのに、その努力は徒労と成り下がる現実、まったくクダラナ過ぎて早とちりした自身が嫌になってきた。
「ええ、だから貴女にとって辛い事に。__と言ったのよ」
慰める声音に何処か懐かしいものが込み上げて来る。
この声は……?
しかし、記憶を模索できる程度にはまだ体が回復はしていない。
次第に暗くなる光景に、独り言のような呟き。
「貴女の体は休息を欲している。今は眠りなさい」
やっぱり、永琳は…。
頬を伝う感触を最後に咲夜の意識は完全に落ちた。
昔、「妖精は人を攫う」と、叔母は言った気がした。まだ幼子の時に聞かされた話がおぼろげながらも、思い出される。
それは昨日、起きた出来事だ。
村は騒然とし、魔術師と名高い『彼女』を呼ぶことにしたらしく、私の目の前には黒と白の服に、茶色のコートを羽織った男装の麗人がいた。
長く垂らされ、下方で束ねられた銀髪は大きいフランスパンに見えた。
「じゃあ、事のあらましを教えてくださいまし」
子供だからと、軽んじない丁寧さに重たい責任を感じる。だけど、当事者は私しかいない。
まず何から話せばいいのか、分からないながらもたどたどしい言葉を紡いでいく。
私の友達が、森に入ってそのまま消えた。
「あそこで何か光った?……なんだろう」
一目散に走っていく彼女。
快晴。
夏には適した天気。
その所為か彼女の眼が強い日の光でおかしかった気がする。
そう、兎みたいに真っ赤に見えたのだ。
それに、あんなに大人しい彼女があんなに速く走ったのは初めて、まるで彼女じゃないみたいだった。
「あ、ちょっと待って!」
呼び止める声が空しく森の中を木霊した。
それだけ。
帰ってくる返事はなく、戻ってくる姿も結局、私は見無かったのだ。
落陽が完全に空から姿を隠したときに、探索に行った大人達は皆、帰ってきた。
その折に、皆大人達は不可思議そうに首を傾げていた。
口々に交わされる言葉に共通される単語は時間。
__もう、そんなに時間が、
__いや、二刻程度しか___。
__あそこはおかしい
「彼等は皆、時間の国を彷徨っていたんでしょーね」
私は吃驚して『彼女』を見つめる。
「あっははは。気にしないで、僕はよく変な揶揄ばかり使うものだから「お前の話はわかりづらい」と言われるんだ」
聞き手に徹してた彼女が、手を返すような唐突なタイミングで口を開いたのだから。
それと、異端者__砂漠を旅する人のような、此処とはかけ離れた静謐な雰囲気を纏っていた彼女が、とても親密に思えたから。
彼女の口調ががらりと変わったのもある。
それに自分を”僕”と呼ぶ歪さに、私は惹かれてしまった。
その様々な要素が四重に絡み、消化しきれず、未だに私は固まったままだ。
さすがに、おかしいと思ったのか、「おや?」と呟き、素早い動作で__
「おーい、起きてますか?」
私の顔を覗きこんできた。
壮麗な顔立ちと、薄くキレイな唇。なにより穏やかな眼付きに、芯が通った鋭い眼光。
私の湿った唇を彼女の吐息が涼しげに撫でた。
「え、…ぅわ!」
体が大きく仰け反り、それに伴い椅子が後ろにゆっくりと倒れてしまった。
当然、座っていた私も背面から床に着いてしまう。
だけど、痛みは無く、それどころか今まで感じた事のない不思議な感覚が全身を包んでいた。
「あは、ごめんね。少し意地悪だったね。まあ、怪我がなくてなにより」
彼女の言葉からコレは彼女の仕業らしい。
なるほど。さすが、魔術師と呼ばれるだけのことはある。
私の体と椅子がフワリとまた一段高く、重力を無視して飛び上がったのだ。
薄暗い部屋、咲夜はゆっくりと眼を開き、辺りを見回す。
しかし、どうでも良いとばかりにまた目蓋を降ろした。
……懐かしい。
夢と分かっているのに、逢えた喜びが胸に染みていく。
閉じた目蓋の裏に映る過去の世界
『私は忘れてしまうけど、咲夜は憶えていてね。どうか、貴女が行く道と見る未知に祝福を』
心友との別離、『彼女』との出会い。
それから、私は旅をしたのも憶えている。
運命とは偶発的に起きる奇跡、それを操る主人に出会うまで僅かばかりの独り。
しかし、魔女と罵られ、唯一の友達と出会うまで、母が息を引き取った時の孤独を思えば、その一時はとても大事で暖かい思い出である。
そして、自分が仕える事になった真っ赤な館に____
「お目覚めになった?」
四、五回ほど、パチクリと目蓋を開閉してしまう。
寝ていたとはいえ、気配が感じられなかった。
普段の私なら……、__体調の不利を理由に咲夜は思うがすぐに心の中で首を横に振るう。
永琳はかなりの実力者、気付かせないぐらいは容易なはず。
それも含め、しかしコレが最大の理由かもしれない。
『彼女』は、永琳は懐かしいのだ。
警戒など出来るはずがないぐらいに、永琳の存在を認めてしまっている。
あるいは、主人___レミリア・スカーレット以上に。
「……体調は完全に治ったわね。さあて、大間部屋に宴会の支度をしてくるわ、貴女はお呼びが掛かるまでそのままボーっとしてなさい」
意地悪い笑みを浮かべ、永琳は颯爽と襖に手を掛け、廊下に身を出す。
その背中を呼び止めるように咲夜は言葉をかける。
「待って、私も手伝うわ。いつまでも寝てるのも気が引けるの」
布団から這い出る咲夜を咎めるように横目で見つめながら、今度は柔らかい表情の横顔を覗かせ言う。
「なに、そんなことは気にしないでいいわ。今夜の主役は貴女なのよ。だから来られると興が削がれる。だからこの部屋でゆっくりと養生してなさい」
有無を言わせない迫力に、遠まわしな気遣いの言葉を吐く永琳が酷く卑怯だった。
そんな事を言われると、私はどうしようもないじゃない
ため息を付き、咲夜は自分の温もりで暖かい布団に潜りこむと、まだ幾分か睡魔が残っているのに気付き、寝入ることにした。
「……ま、良いわね」
不貞寝とも取れることに気付き、だけど偶には良いかと思う。
そして、再び意識は暗い底に落ちていった。
大きな白木の門を叩く。
白玉楼を来訪するのは初めて、……という訳ではない。
知った顔を見に行く、たったそれだけなのに何故か咲夜は、汗ばんだ掌をエプロンで拭ってしまった。
その顔はいつになく強張っている。
まるで、嫁入りまえの町娘みたいで、実際に彼女の格好もそのまま、「嫁ぎます」と、誰しも疑わないだろう。
普段の彼女を知らないのなら、の話だけど。
いつものメイド服に緑で螺旋模様の風呂敷に包まれた沢山の荷物を背負い、門を見上げた。
紅魔館の門と比べ、高さは低いがあそこには無い頑丈さが伺える。
これなら、美鈴みたいな番人は不要かもしれないわ。
彼女にクビと言ったらどんな反応をするのか、しばし黙考して楽しんでると
「あ……、おはようございます。今日は幽々子様の我侭でお呼びしてすいませんでした」
門が古めかしい音を立てて、開いた隙間から魂魄 妖夢が頭を下げる。
「いえ、こちらこそ___、よろしくお願いします」
邂逅一番に謝罪されても唐突過ぎて気の効いた事が言えなかったのは少し悔しい。
「ええ、では中に……、まず部屋に案内させてもらいますので、荷物などは」
堅苦しい挨拶に咲夜は息が詰まる想いで、何か談笑できるような話題を投げかけようと探る。
しかし、こんな時に限って何一つ思い出せないのは何故なのか?
敷つめられた石の庭を踏み鳴らしながら自分より背の低い妖夢のつむじを見下ろして、無言のまま付いて行く。
普段は逆の立場なだけに、お客人とはどんな態度であるべきなのか、最近はまともな人が来訪していないので特に身に覚えは無かった。
どうすればいいのだろう?
うーん、唸る咲夜に妖夢はあえて気付かない振りをしたことは分からない。
そうだ、と思う。
紅魔館にはよく来訪する人物達がいる。
普段は気にもしないが、彼女たちはどんな態度で居たのか、咲夜は思い出す。
魔理沙___窓ガラスを突き抜けて、派手に参上___名品珍品限定品など強奪して帰っていく。
はい、まずキレイさっぱり『この』世の人にされてしまう。
そこまで考え、一つの問題。
紅白や黒い魔に常識などは無い。
ならば、それを真似ては自分が一般教養も欠けたメイドに成り下がってしまうではないか。
再び思考のループに囚われる。
ただ単に、彼女達に常識が無い事を思い出せるのなら、その時にされて嫌だと思ったことをしなければ良いとは咲夜は不覚にも思いつかなかった。
話題もない、気まずい雰囲気を初めに払拭したのは咲夜ではなく、妖夢だった。
「ところで、今日はなんで、その…えーと、あの…」
ごにょごにょごにょ。
妖夢の声が小さすぎて鳥が囀っているようにしか聞こえない。
なんだか、俯いていてよく見えないけど顔が少し赤い。照れてるみたいだ。
彼女が何を言いたいのか、なるたけ柔らかく尋ねる。
「あー、はい。今日はなんでそんな、___ソレをつけているんですか?」
__ソレ。
妖夢のソレが何を指しているのか、『今日は』との綴りから普段付けているカチューシャの代わりに在るコレだと考えに至った。
あまりに違和感が無さ過ぎて、咲夜はその存在をまるっきり忘れていたのだ。
存在を確かめる為か、パチェリー様が直々に手渡してくれた____頭の上にある___コレに手を伸ばして触れてみる。
さわさわと指先を掠める感触には髪の毛じゃない、何か薄肉を覆った柔らかな毛と三角形の____。
そう、それは____、
”猫の耳”(パチェリー作)が悠々と風になびいていた。
「……やっぱり、これって変よね。『貴女は犬だけど、明日は無礼がないように『借りてきた猫』みたいになって貰うわ』って否応なしに…」
「いえ、全然ゼンッ、可笑しくないですオカシクナイデスよォ!?むしろ、お似合いです、似合いすぎて私は、妖夢は___」
『可笑しくないと言う、お前がおかしい』と喉から出かけるが、なんとか飲み込む。
首を高速で横に振り続ける少女。
ぶんぶんと風を切る音さえ聞こえる。
茸のカサみたいに白髪が弧を描いたまま重力に負けじと浮いているぐらいに。
なんとゆうか、ご愁傷様な感じがしてやまない。
実際に彼女は半分死んでいるからあながち間違ってはいないのだが。
普段は明るく慎ましくも真面目な彼女の、あまりにもな過剰な反応に咲夜の胸中は不安で満たされていく。
決して貶してる訳ではないのは分かる。
が、___。
その真っ赤に染まった顔に嬉々とした笑みと昂揚した雰囲気
妖夢が言うとおりに似合っているのかもしれない。
自分の容姿と合っている、鏡を見てもそう実感は出来なかったけど、もしかしたらそうなのかもしれない。
その点は純粋に顔が火照ってしまうぐらい嬉しい。『その点は』。
何故なら、一歩、二歩、知らぬ間に足が後退していく。
その事実に気付き、あえて無視して霧散した言葉が形を伴って蘇る。
なんというか、____貞操の危機?
大きく身体を仰け反らせたり、頭を抱え悶えている妖夢が不意にその奇行を停止させた。
「アリエナイ!そんな、そんなくぅッッはあ!!ああ、煩悩如きがこの私に、___この白楼剣に斬れぬモノなんて、ちょっとしかないっ!!」
叫びと共に鞘から短剣・白楼剣を抜く。
短剣の柄を逆手で握り、高く振り上げて妖夢は____そのまま自分の腹を突き破った。
「嘘__?」
ヴワル魔法図書館で見た記憶があった。
古の儀式、割腹__ハラキリともいう自殺行為。
深々と突き刺さった短剣に、しかし腹からは血の一滴さえも漏れてこない。
その体勢で妖夢は微動だにしない。
なぜなら咲夜が時間を止めたからだ。
だけど、止めるのが遅かった。間に合わなかったのは、突然の行為に驚いた自分が未熟だから。
歯噛みしながら右足を上げて、地面を強く蹴った。
幻想郷に来てから初めての事だ。
こんなに悔しいのは。
歯を食いしばりながら、腹に刺さった刀に触らない様に妖夢を担ぎ、中に運ぶ。
今、出来ることを速考、まず幽々子の所へ運ぶ。
そして、永琳を呼んで来る。
全て時間を止めたままでやらなければいけない。
長時間、能力を酷使するのは危険だが、そんなことよりも妖夢の方が遥かに危うい。是非を問いてはいけない。
咲夜にとって稀有なぐらいの決意が瞳に宿っていた。
それからの咲夜は速かった。
時間の枠から外れて動いていた咲夜にとっては長くもどかしい時間だったが、幽々子や永琳にとって一瞬の出来事だった。
幽々子の前に忽然と現れ、ぐったりとした妖夢を預け言葉を発する前に消えた。
永琳に否応さえも言わせず、一方的に言葉を紡いで治療器具一式片手に白玉桜へ強制連行された。
あまりに必死で迅速な彼女の感情と行為に幽々子と永琳はただ目を丸くして見つめていた。
そして、今
木目が揃った長い廊下に咲夜だけが立っている。
幽々子は居ない。
事の次第を告げ、「ふーん」と興味なさそうな顔には愕然とした。
「お腹減ったー」と喚いていたから台所で何か漁っているのかもしれない。
___従者が死にかけているのに。
瞬間的に殺したくなった、それぐらいに幽々子は薄情だった。
けど止めれなかった自分にそんな権利は無いのもまた事実。
あとは、神を信じない咲夜はただ待つことしかできない。
既に時間の感覚は狂っている。
朝、この白玉桜に来訪し、妖夢が割腹してから___丸一日は経っている気がした。
ぱたん、と音が聞こえ前を見ると、襖を後ろ手に閉じて永琳が出てきた。
緊張で震える肩を抱きしめながらも、努めて冷静に問う。
「どうなりました?」
返事はない。
ただ、首を横に振る彼女の瞳にはなんにも無かった。
悲しみとか悔しさもない。ただ無心。
それが咲夜にとって、とても怖い答えに繋がった。
「___嘘?」
「……貴女には、辛いことになったわ」
________。
床を踏みつける音は、果たして自分が原因なのか
それすらも分からない。
それ以前、頭に入ってこない。
そんな些細な事は気にならない。
今は_____。
襖を横に押し切るように思い切り開放、霊魂が灯す光で薄暗い六畳半の和室。
その真ん中に敷いてある布団に妖夢はいた。
「はっ、は____、ぁ」
すぐ近くまで寄り、膝を床につけて妖夢を観る。
黒を抜いた日本人形みたいに全てが白い。
来ている着物も合わせたように白く、死装束の三文字が浮かぶ。
顔を見る限りは、健やかな寝顔とも取れる死に顔、触れる頬には人としての温かみは最早__亡い。
胸に手を当てる。そのまま服に皺が出来るのも無視して、痛いぐらいに胸を握りしめる。
嗚呼、酷く空しい。
背後で永琳が痛々しい視線で見つめている。
「……、__?」
不意にどたどた、と騒々しい走る音が聞こえた。
次第に大きくなる音、咲夜は苛立ちを浮かべて背後を振り向く。
永琳は部屋から廊下に顔を出して音の正体を見つけたらしく、何か呟く。
『まだ、早いわ』___?
それがどんな意味なのか、考える前に騒音の正体__幽々子は部屋に飛び込んできた。
「妖ー夢ー、ご飯よご飯ー♪んふふ、久しぶりに作ったから美味いかは知らないわよ~」
両手に持つ土鍋を床に置いて、咲夜の隣に飛び込むように座り込んだ。
土鍋の蓋を外して、中に入っていた蓮華を取り出し、中身の雑炊らしき(濃緑色でグツグツと得体の知れない何かが溶け込んでいる)を掬って妖夢の口元に運ぶ。
死体を見たことはこれが初めてじゃない。
今までの経験と自身の勘から、妖夢が生きて幽々子の介抱を受ける事は二度とないだろう。
「はい、あーん♪。……口を開けないと顔面に落とすわよー」
死者の癖にいつも陽気な亡霊は悲しみを知らないのか?
見れば分かる。
死んでいるのだ、まさか死に誘える幽々子が気付かないとは思えない。
だとしたら___、そこまで考え、気付く。
蓮華を持つ、幽々子の手が震えていることに。
もしかしたら私がここに居て、泣けないだけかも、いやそうに違いない。
……帰ろう。此処に居ても私は意味がない。
そう思い、退室しようと膝を立てた時、幽々子が____
びちゃり。粘度の高い水質、
つまり__
呆然と咲夜は眼を見開き、永琳は眼も向けられないと額に手を当て、天井を仰ぎ見る。
__ホクホクと熱そうに湯気を立てた雑炊と蓮華を妖夢の顔面に落としたということ。
そして、現在進行形で火傷するぐらいの熱と湯気を発しながらも未だそこに居座っている。ホクホクと。
重苦しい沈黙が、ただただ幽々子を責めている、彼女は仕方ないと罰が悪そうな表情を浮かべ、言い訳を試みる。
「ッあ、、指が熱いの仕方ないじゃない」
咲夜は思った。
私の勘違いだったのか……。
それはもう、愛玩動物のような可愛らしさではなく、切なそうな顔でため息を吐く。
「当たり前じゃない。雑炊と一緒に蓮華も土鍋の中に入れてた、蓮華が高温なのは火を見るより明らか。どれ見せてごらんなさい。まさか幽霊が火傷なんて笑えないわよ」
永琳が普通の口調で幽々子の指を診察する。
なんかがおかしい。
可笑しい、ではなく変という意味でだ。
何故、なんでコイツ等は知人が死んでこんなにも平然と
スカートの中に手を伸ばし、ナイフを掴む
その行為には殺意は無い。
けれど、結果から見れば『殺そう』とすることには変わりはないのだろう。
そして、
「~~~~~、!?熱い、顔痛、痛いーー!?!」
妖夢が跳ね起きた。
掛け布団が見事にひっくり返り、広いとはいえない和室を駆け回る。
どたばた、と。
「あらあら、妖夢ったら。私の手料理があんなに嬉しいなんて」
扇子で口元を隠して笑う幽々子。
「あれが嬉しがってるように見えるなら、貴女の眼は大した伽藍洞ね」
半ば呆れながらも、微笑している永琳。
一方、___。
一気に騒々しくなった景色に付いて行けず眼を丸くしている咲夜。
永琳が声を掛ける。
「嗚呼、さっきまでの貴女の反応全て、___あは。楽しませてもらったわ」
「え?」
永琳は無言で妖夢が散らかした布団の横に置いてある二振りの刀を指差す。
妖怪に鍛えられた刀、それがどうしたのだろう。
咲夜にはその意図がよく分からなかった。
頭上に?を浮かべる咲夜を見かね、幽々子が告げる
「妖夢はいつも庭師としてではなく、幽霊の引率として彼岸の死神まで案内をすることがあるわ。その中で、偶に従わない幽霊がいて、その原因はいつもなんらかのわだかまり、_____未練を抱えて逃げるのよ。……と、言うわけよ。分かった?」
……。
そんな説明とも取れない、話の何処に答えがあるのか。
ふふ、と笑い声が聞こえ、永琳を見る。
薄く裂けたような笑みに細める眼、全てを知り、だけどその行く末を見つめるような不敵な顔。
そんな顔は八雲 紫で十分に足りている。
だけど、何か知っているらしい。無言で答えを促す。
「それで分かるのは、既知とした者か勘が良い者だけ。___つまりね、咲夜。逃がさない為に、幽霊の未練や後悔を無くすことができる、そんな刀なのよそれは。で、今回は半人前な幽霊が自身の煩悩を切り裂いた。それだけの話」
「……、じゃあ私は何を…」
確かに…。
それなら合点が行く。
今朝起きた出来事を反芻すると、_____ああ、嘘だ、嘘です。
妖夢の異様な態度には今一度釈然としない。
たかだか、猫の耳の模造を身につけたぐらいで、ああまで狂いはしないだろう。……多分。
だけど、それならば私の努力は何だったの?
「まったくの無駄ね。茶番にも劣る、一人相撲も良いところよ」
ふざけるな。
しかし、思うだけで怒声は発せれない。何故?と問う前に体が今さっき妖夢が身を落としていた布団に倒れてしまったぐらいに脱力。
___膝に力が入らない。
___指を動かしたが感触はない。
そういえば、と思い出せば、目が覚めたように蘇ってくる苦痛。
足ばかりではなく、頭がビギリと万力に固定されるような痛みに、心臓は早鐘で呼吸が苦しい、上空を高速で駆けたせいか、指は赤く、かじかんでひび割れたように生ぬるい外気が染みて痛い。
全てが能力の酷使とその作用の代償。
それなのに、その努力は徒労と成り下がる現実、まったくクダラナ過ぎて早とちりした自身が嫌になってきた。
「ええ、だから貴女にとって辛い事に。__と言ったのよ」
慰める声音に何処か懐かしいものが込み上げて来る。
この声は……?
しかし、記憶を模索できる程度にはまだ体が回復はしていない。
次第に暗くなる光景に、独り言のような呟き。
「貴女の体は休息を欲している。今は眠りなさい」
やっぱり、永琳は…。
頬を伝う感触を最後に咲夜の意識は完全に落ちた。
昔、「妖精は人を攫う」と、叔母は言った気がした。まだ幼子の時に聞かされた話がおぼろげながらも、思い出される。
それは昨日、起きた出来事だ。
村は騒然とし、魔術師と名高い『彼女』を呼ぶことにしたらしく、私の目の前には黒と白の服に、茶色のコートを羽織った男装の麗人がいた。
長く垂らされ、下方で束ねられた銀髪は大きいフランスパンに見えた。
「じゃあ、事のあらましを教えてくださいまし」
子供だからと、軽んじない丁寧さに重たい責任を感じる。だけど、当事者は私しかいない。
まず何から話せばいいのか、分からないながらもたどたどしい言葉を紡いでいく。
私の友達が、森に入ってそのまま消えた。
「あそこで何か光った?……なんだろう」
一目散に走っていく彼女。
快晴。
夏には適した天気。
その所為か彼女の眼が強い日の光でおかしかった気がする。
そう、兎みたいに真っ赤に見えたのだ。
それに、あんなに大人しい彼女があんなに速く走ったのは初めて、まるで彼女じゃないみたいだった。
「あ、ちょっと待って!」
呼び止める声が空しく森の中を木霊した。
それだけ。
帰ってくる返事はなく、戻ってくる姿も結局、私は見無かったのだ。
落陽が完全に空から姿を隠したときに、探索に行った大人達は皆、帰ってきた。
その折に、皆大人達は不可思議そうに首を傾げていた。
口々に交わされる言葉に共通される単語は時間。
__もう、そんなに時間が、
__いや、二刻程度しか___。
__あそこはおかしい
「彼等は皆、時間の国を彷徨っていたんでしょーね」
私は吃驚して『彼女』を見つめる。
「あっははは。気にしないで、僕はよく変な揶揄ばかり使うものだから「お前の話はわかりづらい」と言われるんだ」
聞き手に徹してた彼女が、手を返すような唐突なタイミングで口を開いたのだから。
それと、異端者__砂漠を旅する人のような、此処とはかけ離れた静謐な雰囲気を纏っていた彼女が、とても親密に思えたから。
彼女の口調ががらりと変わったのもある。
それに自分を”僕”と呼ぶ歪さに、私は惹かれてしまった。
その様々な要素が四重に絡み、消化しきれず、未だに私は固まったままだ。
さすがに、おかしいと思ったのか、「おや?」と呟き、素早い動作で__
「おーい、起きてますか?」
私の顔を覗きこんできた。
壮麗な顔立ちと、薄くキレイな唇。なにより穏やかな眼付きに、芯が通った鋭い眼光。
私の湿った唇を彼女の吐息が涼しげに撫でた。
「え、…ぅわ!」
体が大きく仰け反り、それに伴い椅子が後ろにゆっくりと倒れてしまった。
当然、座っていた私も背面から床に着いてしまう。
だけど、痛みは無く、それどころか今まで感じた事のない不思議な感覚が全身を包んでいた。
「あは、ごめんね。少し意地悪だったね。まあ、怪我がなくてなにより」
彼女の言葉からコレは彼女の仕業らしい。
なるほど。さすが、魔術師と呼ばれるだけのことはある。
私の体と椅子がフワリとまた一段高く、重力を無視して飛び上がったのだ。
薄暗い部屋、咲夜はゆっくりと眼を開き、辺りを見回す。
しかし、どうでも良いとばかりにまた目蓋を降ろした。
……懐かしい。
夢と分かっているのに、逢えた喜びが胸に染みていく。
閉じた目蓋の裏に映る過去の世界
『私は忘れてしまうけど、咲夜は憶えていてね。どうか、貴女が行く道と見る未知に祝福を』
心友との別離、『彼女』との出会い。
それから、私は旅をしたのも憶えている。
運命とは偶発的に起きる奇跡、それを操る主人に出会うまで僅かばかりの独り。
しかし、魔女と罵られ、唯一の友達と出会うまで、母が息を引き取った時の孤独を思えば、その一時はとても大事で暖かい思い出である。
そして、自分が仕える事になった真っ赤な館に____
「お目覚めになった?」
四、五回ほど、パチクリと目蓋を開閉してしまう。
寝ていたとはいえ、気配が感じられなかった。
普段の私なら……、__体調の不利を理由に咲夜は思うがすぐに心の中で首を横に振るう。
永琳はかなりの実力者、気付かせないぐらいは容易なはず。
それも含め、しかしコレが最大の理由かもしれない。
『彼女』は、永琳は懐かしいのだ。
警戒など出来るはずがないぐらいに、永琳の存在を認めてしまっている。
あるいは、主人___レミリア・スカーレット以上に。
「……体調は完全に治ったわね。さあて、大間部屋に宴会の支度をしてくるわ、貴女はお呼びが掛かるまでそのままボーっとしてなさい」
意地悪い笑みを浮かべ、永琳は颯爽と襖に手を掛け、廊下に身を出す。
その背中を呼び止めるように咲夜は言葉をかける。
「待って、私も手伝うわ。いつまでも寝てるのも気が引けるの」
布団から這い出る咲夜を咎めるように横目で見つめながら、今度は柔らかい表情の横顔を覗かせ言う。
「なに、そんなことは気にしないでいいわ。今夜の主役は貴女なのよ。だから来られると興が削がれる。だからこの部屋でゆっくりと養生してなさい」
有無を言わせない迫力に、遠まわしな気遣いの言葉を吐く永琳が酷く卑怯だった。
そんな事を言われると、私はどうしようもないじゃない
ため息を付き、咲夜は自分の温もりで暖かい布団に潜りこむと、まだ幾分か睡魔が残っているのに気付き、寝入ることにした。
「……ま、良いわね」
不貞寝とも取れることに気付き、だけど偶には良いかと思う。
そして、再び意識は暗い底に落ちていった。
ひとまず目立った点と言えば「_」を多用しているところでしょうか。
一般的に小説に「_」は使用しません。使うとすれば「―」の方です。
やはりどうしても目立って見えてしまう点ですのでお気をつけを。
そして「―」と「…」は二回続けるのが、これも一般的なルール。
前者ほど目立ちはしませんが、気になさる方もいるので一応。
しゃしゃり出て不快に感じられたら申し訳ありません。
続き楽しみにさせていただきますね。
あと、終盤の場面転換がちょっと分かりにくかったかと。
>妖夢の異様な態度には今一度釈然としない
あえてこれが地というのに一票w