『真昼の日差しはまだ力強さを残しているものの、頬をなでた風と、吸い込んだ空気によって思い知らされる。
ああ、謳歌の夏は終わったのだ。これからはゆっくりと身支度をして、眠りにつく冬を迎えなくてはならない。
彼女との時間を大切にして、虫を食べ、長く長く眠るのだ』
蛙のうた
「かーえーるーの歌が~、聞こえてこない~、あれ?(クルリ) おや?(クルリ) はて?(クルリ) ああ!(ポン) 聞こえてくるのは断末魔~」
物騒な歌が聞こえた。仰ぎ見れば、鳥がくるくると回りながら歌っている。喰われぬよう物陰に隠れて、抗議の意味で声をあげようとするが、すんで思いとどまる。
鳥だけではなかったのだ。悪魔がいる。同胞の間で恐れられる、冷気の絶対者。
通常、私たちは捕食を行う。そこに思考する是非はない。生きるために食べるのだ。
悪魔は違う。弄んでいるのだ。そして、三に一には無残な…砕け散った同胞の姿を思い出して、目をつぶる。
ともかく、悪魔の存在に気がついてよかった。妙な歌ではあったが、鳥に感謝しながらその場を離れることにした。
「あんた喧嘩売ってるでしょ!売ってるでしょ!砕けちゃうのは3回に1回なんだから!」
「ぐ、ぐぇぇ…っ! ゲコォ…っ! ぐえっ♪ ゲコっ♪ 南無妙法蓮ゲコゲコゲ~♪」
「そ、そんな不気味なうなり声とか歌われたって、知らないよっ。だいたい、砕けたから、声なんてでてないね!」
その断末魔とやらに、あろうことか私は反応してしまった。
聞き覚えのある声……まさか、彼女が!?
あれは、己が砕けた瞬間の無常の叫び。虚空に歌を響かせることも、川の流れに逆らい戯れることも、子を成すことも、もう適わないという無念の怨声。
「聞きなさいよ!くそっ、絶対ウナギとってるときに川をちょっと凍らせたの根に持ってるんだ!」
懐からカードを取り出す悪魔と、ようやく悪魔に気付いたらしい鳥が相対する。
普段ならば逃げていたであろう私は、悪魔を許すことができなかった。
**************
ある程度力ある者には微笑ましく、そうでない者には暴風のような、幻想郷においていつもの風景である弾幕ごっこ。チルノとミスティアのスペル合戦を見つめる者が居た。
チルノとミスティアは川の上で弾幕ごっこを行っているが、その川辺に伸びた木の枝に這い登り、チルノをじっと凝視しているのは一匹の蛙。タイミングを計るように、チルノの挙動を見つめている。
自身のスペルの後展開されたミスティアのスペルを何とか凌いだチルノは、再度の攻守交替とばかりに懐から2枚目のカードを取り出す。
それこそが、蛙の狙っていたタイミングであった。跳躍。
「氷符!パーフェクトフふぎゃ!?」
蛙は、チルノの顔面に張り付くことに成功。パーフェクトフリーズの発動にあわせて顔面に走った衝撃と、張り付かれて視界が利かなくなったチルノは混乱してフラフラと落ちていく。
「ちくしょうめ! さてはまた暗くしたんだなー! 真っ暗にされてもあたいは負けないんだから!」
「えー、違うんだけどなー……」
抵抗のつもりか、目が見えないにも拘らず発動途中の氷符を発現させる。だがそのタイミングは、落下したチルノが川に落ちた瞬間でもあった。
「……まあ、いっか。ウナギでも獲りにいくわ~」
流されていくチルノを目で追うでもなく、ミスティアは歌いながらその場を離れた。
スペルカード宣言と共に開放される妖力。チルノのそれは冷気であり、周辺に渦巻いたあと、弾幕となってばら撒かれる。
だが、今は水中である。ぴしりぴしりと、川の水が凍てつき氷片を大きくする。普段の数倍に膨れ上がった氷塊は、しかし川の流れに押されて流されていく。
パーフェクトフリーズ。このスペルカードの妙は、放たれた弾幕、その運動エネルギーすべてを、一時的に凍結。惰性すら許さず一時的に空間に止めてしまうこと。
宣言されたスペルカードは、撃破されない限り、あるいは使用者が止めようとしない限り、半ば自動的に攻撃を行う。
「が、がぼぼっ、ぼっ…!?」
チルノは突然の水中に溺れ、混乱しきっていた。視界は変わらず暗闇。蛙はまだ、冷気の中心であるチルノにへばりついていた。
『川の水が、この悪魔の周囲だけだろうか、冬眠してしまいそうな冷たさになっている。水場が干上がって、別の水場を探し当てるまで夜を徹してさまよった後、清流にたどり着いて安堵で倒れこむように、自然と眠ってしまいそうだ! 川に落とし、一泡ふかせた。だが、まだ離さない!』
もがくチルノと川の流れ、水を凍りつかせる冷気の中、蛙もチルノの顔面にへばり付く事に必死である。
チルノは考える。どんなスペルカードを使われたのか、あの鳥の攻撃で、目が見えない上にまるで川に落っこちたような身動きの取れない状況になっている。それでも、自分のパーフェクトフリーズは発動している。相手が見えなくとも、撃墜してしまえばことはすむ――鼻に水入った! 鼻に水入った!?
「ぶばべ(くらえ)! がぼっぼ(フリーズ)!」
運動エネルギーを周りの空気ごと凍らされた弾幕がピタリと止まり、凍結解除によって自由になった弾幕は完全ランダムな動きで敵を翻弄する! ……はずなのだが、如何せん水中のため、チルノの周囲の水が凍りついただけ。飛んでいく弾を空気ごと凍らせる冷気は、直径三メートル程の、チルノを中心とした氷塊を作り上げた。
(こ、今度は動けない、口すら動かせない!? 鳥のヤツ、いったいどんな攻撃をしているのよ!…ってあれ、か、川じゃない! ホントに川だったの!?)
『ぐうっ……離れてしまったか。それに氷でびっしりと固定されてしまった……こ、これは、この状況は、まるで三度に一度の……!』
必死にしがみついていた蛙も、冷気の奔流に力負けしたのか、チルノの顔面からはがれてしまった。そればかりか、チルノの眼前で、氷塊に巻き込まれてしまっている。
(なんでこんな事になってるかわかんないけど、氷を戻さなくちゃ……!)
氷漬けになった自身にようやく気付いたチルノが冷気を操ろうとしたとき、氷の内部に鈍い音が響く。
(……?)
氷玉が川底に接触した音だった。押し流されるだけだった球形の氷は、川底への接触で回転をはじめる。
ごつん、ごつんと川底や飛び岩に触れる度に、くるくると氷玉は回った。接触部位は川底か左右のみで、上部の接触が無いため回転は加速し続ける上に、回転軸がランダムに変化した。
(んぎゃああああああああああああああああああ! 気持ち悪い気持ち悪い!)
冷気を操るどころではない。
(うぇぇ……化け猫や狐じゃあるまいし、なんでこんなくるくる回らなきゃいけないのよ……)
氷でガッチリと固定されているため瞼も閉じられず、回転する風景を見続けたチルノはぐったりと意識を手放す寸前だった。
(氷漬けになるのなんて蛙で充分よ……なんであたいが……)
逃避するような思考をうつろな意識で繰り返す。蛙は三度に一度は蘇生出来ない。
(成功……成功……失敗……成功……失敗……成功……)
失敗。失敗した場合の蛙は、形を保っていても全く動かなくなっているか、形が崩れる。
(失敗はやだなぁ……水に入れて溶かしたときは見た目は壊れないけど、氷を割って出す時は氷と一緒に砕けたり……うわっ!?)
今までに無い衝撃が氷にヒビを入れる。大岩に正面からぶつかったらしい。氷に入った亀裂は目の前の蛙のすぐ横を走っていた。
(あれ? ひょっとしてあたい、砕けたりしない……よね?)
大岩との正面衝突で一時は回転と水流から開放されたが、すぐにまた押し流され、回転が始まる。
当たり前だが、氷が割れようが砕けようが、氷の妖精のチルノが砕ける道理は無い。けれど、混乱と疲労で薄弱となった意識ではその当たり前の結論に行き着かず、安心は得られなかった。
『砕ける覚悟は出来た。全くの偶然だが、絶望に凍るこの瞬間、今まで弄んだ蛙の数だけ味わえ!』
チルノと蛙の目が合う。意思疎通など考えたことも無い蛙から、チルノは恨みの声を聞いた気がした。呼応するように、がつんがつんと氷と岩が接触する音が響く。
(や……だ、やだ……どこにもぶつからないで……!)
恐怖に震えながら、チルノは意識を失った。
**************
気が付けば、私は頭が縦に二つある他は人型の者の手のひらに乗せられていた。悪魔や鳥のように川の上に浮かび、自分の手のひらの上の私に語りかけてくる。
「私は四季映姫。幻想郷の閻魔ことヤマザナドゥです。妖怪も人間も、死後は私の前に立ってもらいます。ですが、虫や人間を除いた動物といった者を裁くといった事はしていません。差別ではなく、本能に忠実に生きる彼らには、裁き突きつけるべき悪行が無いのです。存在をまっとうするという善行のみで生を終えた彼らに、裁判に立つ理由は無し。ですから、貴方が妖怪の血を含んでいなければ、私とこうして向き合うことはなかったでしょう。」
「なんと。それでは私は死んだのか。いや、仕方ない。悪魔に一矢報いて、その上に生きながらえようなどとは罰が当たるか。ところで、私は蛙だ。妖怪の血とやらは間違いではないか」
「幾つか勘違いしているようですが、貴方はまだ死んではいませんよ」
四季映姫と名乗った者は良くわからない事を云う。だが、それよりも裁く者という所に惹かれた。四季映姫は悪魔を裁いてくれるやもしれない。
だが、悪魔の所業を伝えても四季映姫は首を横に振った。
「貴方の言う彼女の行動のみ見た場合、地獄へ落ちる要因になる点はありませんよ。強いて言うならば、特に問題も無いけれど善行もしていない、といったところでしょうか」
「そんな馬鹿な。鳥も詠っていた、私はあの声を忘れられるか。同胞が断末の響きを幾度となくあげる事が問題ないとは。私達は虫を食べるために殺し、鳥も食べるために私達を殺すが、悪魔は弄ぶために殺すっ!」
「……これは、私がある閻魔から聞いた話です。
昔、素晴らしい宗教家や仙人が聖人と呼ばれた時代、ある男もまた聖人と呼ばれました。
その男は人間で、宗教を持たず、生涯を通じて何か大きな事柄を成すこともありませんでしたが、ただその在り様が、周りから聖人と言わしめた。
一切の動物を殺さない。単純にして、ほぼ無理であるこの生き方を、貫いたのだそうです。食事は木の実や果実を主としており、その植物を殺してしまう根菜の類すら拒否。住居は山。木を組んで家とすることもなく、野に眠りました。さらに驚くべきことに、その男は地に生きる虫の類を、生涯踏みつけることが無かったといいます。
如何に素晴らしいか、と言う事を伝えたいわけではありません。虫を踏まない事が、周りの人間から聖人と言わしめたという点を、伝えたい。
虫を踏まない男が聖人であるならば、普通と言うことはどういうことか。
誰しも踏み出した足元に、目に止まることすらない小さな生命が居ることを意識しない。出来ない。それが普通だということ。その種族にとっては、悪ではないということ。
聖人と呼ばれたその男が、周りの人間へ与えた影響はともかく、聖人と呼ばれていた事実は、死後の裁きになんら関係は無い。
何故ならば、先ほどと同じように周囲への影響を措けばその在り方は悪では無いと同時に善行でも無いからです」
何を言っているか良く解らない。が、悪魔の所業を裁かないという事について、真摯に説明を受けたのだと思う。多分。それとも、ひょっとすると悪魔は凍らせることが食事なのだろうか。
四季映姫の言葉を受けて、今は理解できなくとも後に解る事が多くあるのだろうという、自分でも良く解らぬ確信があった。だからこそ、溜飲は下がらぬまでも落ち着くことができた。
「悪魔についてはもういいとして、私は、蛙ではないのか?」
「その問いに応える為に質問をしたいのですが、貴方は、何度夏を過ごしましたか?」
「そんな事は覚えていない。九度以上だとは思うが、それ以上は数えられない」
「蛙の中には数十年……九年を何度も重ねる時を生きる種も在りますが、貴方の種の寿命は本来三年から四年です。けれど貴方はもう九と五年を生きているのです」
「そうなのか? 私は長生きなんだな。鳥等に喰われぬよう上手く立ち回っているのが功を奏したか」
「寿命というのは、喰われて亡くなる事は含みませんが、長生きというのは違うでしょう。おそらく、貴方は化け蛙と普通の蛙の両親或いは化け蛙の祖先を持つ存在。半蛙半妖とでもいいましょうか。私はそれを伝えるために貴方の前に立ったのです。……困惑しているようですね。罰や悪魔という言葉を知っている、妖怪の血と説かれて理解できる、その蛙としては跳びぬけた知性が既に証明でもあるのです。貴方以外の蛙はこのように会話を重ねられますか? 声を意思表示の伝達程度にしか使わなかったのではないですか?」
「私以外の蛙も、私と同じと思っていた。言われてみれば、自然に行っているがこういった会話をしたのも初めてかもしれない」
そういえば、あの鳥が死者の声を拾って詠うということも、教わるでもなく私は知っていた。連鎖的に様々な事柄が蛙としては不自然であり、同胞と差異があったと気付く。尻尾が取れた時のような感慨が湧いたが、同時に鳥が詠った彼女の最期の声を思い出した。
「私は、あるいは彼女を守れたかもしれない……?」
「彼女?」
「悪魔の手にかかった、卵を産んでもらおうとしていた蛙だ。悔やんでいる」
「ふむ……」
思案するように卒塔婆と頭を傾けた四季映姫は、川辺を指差した。
「あそこにいる蛙達を見て思う事はありませんか?」
四季映姫が指し示す先には数体の同胞。当然ながら彼女は居ない。だが。
「おおお! 右端しに居る同胞、ナ……ナ!」
「な……?」
「ナイスボディだァァ! のっかりてェー、のっかりてェーッ。クソッ、なんだ、動けねぇー。ああっ、行っちまうーッ!」
「の、のっか……!! ン、ゴホン! その、貴方の本能はわかりましたから、落ち着いて下さい。え、ええと……動けないのは、貴方の身体が川べりにあって今の貴方は魂が出ているからで、幽体離脱といいますか、だから私と話せるわけで……そろそろ落ち着いて、私の手の上で跳ねようと暴れないで下さい!」
「彼女に卵を産んでもらおう。聞こえてないみたいだから、後で声をかけることにする」
「『彼女』の事はもうよいですか?」
何か怒っているような口調だったが、彼女が見えなくなる事のほうが重要だ。
「……四季様? 蛙の魂手に乗せて何やってるんです? そんな声荒げて、顔真っ赤ですよ」
「小町……っ。い、いえ、氷精はどうでしたか?」
ああ、行ってしまった。ふと目をもどすと、四季映姫の仲間であろうか、物騒な大鎌を携えた者が居る。
「氷漬けになって目をまわしていましたが、下流の湖まで流されたところで紅い館の者に拾われていましたよ。食べるとか屠るとかじゃなく、救助って感じだったので放っておきました。……おっと、勇気ある蛙殿、身体との繋がりは切れてないね。無事生き残ったか、流石だねぇ」
かんらかんらと笑いながら、大鎌の者が身体をさすってくる。あまり触られると体表の湿りが拭われるから身をかわそうとすると、大鎌の者は一言詫びてまた笑った。
「いやあ、自分の何倍何十倍かっていうチルノにぶつかって行った時にはたいしたもんだと思ったよ。あたしは自分の火をただ消すようなヤツは好かないが、あの時のアンタは火を炎にしてた。燃え尽きるか、相手を燃やし尽くすか……蛮勇なれど、尊命尽きぬって具合でね」
なにが面白いのかいまいち解らないが、なんとも気持ちのいい笑顔と在りようだ。つられたか、悪魔に一矢報いた実感が湧いてきたか、気付けば私も笑っていた。
「小町」
四季映姫に向き直ると、笑い合っていた私達と違って彼女の表情には笑みは無かった。小町と呼ばれた者が一瞬で押黙ると同時に、私も厳粛な何かを突きつけられて腹の底が乾燥したような畏怖を感じた。
小町へ言葉は名を呼ぶだけで終わったのか、四季映姫は私に向かって律を唱えるような声色を響かせる。
「先程の、貴方の云う悪魔への行動、私怨からともなれば罪と自覚しなければなりません。英雄が地獄へ行かぬ道理はありません」
**************
長い話だった。説教というらしい。四季映姫の言葉は、一つを除いて殆ど良く解らなかった。
その一つというのは、私は蛙であって蛙にない要因を持つ存在だという事。その事が何をもたらすのかは解らないが、忘れてはいけないと思う。
世界が広がった気がする。再び四季映姫に会うまで、やれることをやっていこう。
「チルノにやられないように、自分のように妖怪の強靭さを持った蛙を増やすって云っていましたね。でも、あの蛙は偶発の存在……隔世遺伝かたまたまか、妖怪の血を受け継いでいますけど。子供を作ってもそれがすべて半蛙半妖とも限らないじゃないですか。水差すことは無いと思って言いませんでしたけど、あれでいいんですか?」
「彼はあの氷精と同じく、自覚が少々足りなかったのです。自身が妖精として在るという自覚、自身が妖怪の血を混じえた者であるという自覚。ただ、自覚が無いのは同じでも、その無自覚から傾く側が真逆だったのですね。子供を作ろうという発想が彼なりの自覚ならば、生きている間にどうこう云う必要も無いでしょう。善悪の概念と、死後私の前に立つ事を知った彼の行動なのですから」
「はあ、そんなものですか」
「そんなものです。それよりも小町、有意義ではありましたが、随分と寄り道をしてしまいました」
「たしかに、下手な人間や妖怪よりも、よっぽど真面目に聞いていましたからねー。珍しい」
まずは、ゆっくりと身支度をして、眠りにつく冬を迎えなくてはならない。
彼女との時間を大切にし、虫を食べ、長く長く眠るのだ。
ああ、謳歌の夏は終わったのだ。これからはゆっくりと身支度をして、眠りにつく冬を迎えなくてはならない。
彼女との時間を大切にして、虫を食べ、長く長く眠るのだ』
蛙のうた
「かーえーるーの歌が~、聞こえてこない~、あれ?(クルリ) おや?(クルリ) はて?(クルリ) ああ!(ポン) 聞こえてくるのは断末魔~」
物騒な歌が聞こえた。仰ぎ見れば、鳥がくるくると回りながら歌っている。喰われぬよう物陰に隠れて、抗議の意味で声をあげようとするが、すんで思いとどまる。
鳥だけではなかったのだ。悪魔がいる。同胞の間で恐れられる、冷気の絶対者。
通常、私たちは捕食を行う。そこに思考する是非はない。生きるために食べるのだ。
悪魔は違う。弄んでいるのだ。そして、三に一には無残な…砕け散った同胞の姿を思い出して、目をつぶる。
ともかく、悪魔の存在に気がついてよかった。妙な歌ではあったが、鳥に感謝しながらその場を離れることにした。
「あんた喧嘩売ってるでしょ!売ってるでしょ!砕けちゃうのは3回に1回なんだから!」
「ぐ、ぐぇぇ…っ! ゲコォ…っ! ぐえっ♪ ゲコっ♪ 南無妙法蓮ゲコゲコゲ~♪」
「そ、そんな不気味なうなり声とか歌われたって、知らないよっ。だいたい、砕けたから、声なんてでてないね!」
その断末魔とやらに、あろうことか私は反応してしまった。
聞き覚えのある声……まさか、彼女が!?
あれは、己が砕けた瞬間の無常の叫び。虚空に歌を響かせることも、川の流れに逆らい戯れることも、子を成すことも、もう適わないという無念の怨声。
「聞きなさいよ!くそっ、絶対ウナギとってるときに川をちょっと凍らせたの根に持ってるんだ!」
懐からカードを取り出す悪魔と、ようやく悪魔に気付いたらしい鳥が相対する。
普段ならば逃げていたであろう私は、悪魔を許すことができなかった。
**************
ある程度力ある者には微笑ましく、そうでない者には暴風のような、幻想郷においていつもの風景である弾幕ごっこ。チルノとミスティアのスペル合戦を見つめる者が居た。
チルノとミスティアは川の上で弾幕ごっこを行っているが、その川辺に伸びた木の枝に這い登り、チルノをじっと凝視しているのは一匹の蛙。タイミングを計るように、チルノの挙動を見つめている。
自身のスペルの後展開されたミスティアのスペルを何とか凌いだチルノは、再度の攻守交替とばかりに懐から2枚目のカードを取り出す。
それこそが、蛙の狙っていたタイミングであった。跳躍。
「氷符!パーフェクトフふぎゃ!?」
蛙は、チルノの顔面に張り付くことに成功。パーフェクトフリーズの発動にあわせて顔面に走った衝撃と、張り付かれて視界が利かなくなったチルノは混乱してフラフラと落ちていく。
「ちくしょうめ! さてはまた暗くしたんだなー! 真っ暗にされてもあたいは負けないんだから!」
「えー、違うんだけどなー……」
抵抗のつもりか、目が見えないにも拘らず発動途中の氷符を発現させる。だがそのタイミングは、落下したチルノが川に落ちた瞬間でもあった。
「……まあ、いっか。ウナギでも獲りにいくわ~」
流されていくチルノを目で追うでもなく、ミスティアは歌いながらその場を離れた。
スペルカード宣言と共に開放される妖力。チルノのそれは冷気であり、周辺に渦巻いたあと、弾幕となってばら撒かれる。
だが、今は水中である。ぴしりぴしりと、川の水が凍てつき氷片を大きくする。普段の数倍に膨れ上がった氷塊は、しかし川の流れに押されて流されていく。
パーフェクトフリーズ。このスペルカードの妙は、放たれた弾幕、その運動エネルギーすべてを、一時的に凍結。惰性すら許さず一時的に空間に止めてしまうこと。
宣言されたスペルカードは、撃破されない限り、あるいは使用者が止めようとしない限り、半ば自動的に攻撃を行う。
「が、がぼぼっ、ぼっ…!?」
チルノは突然の水中に溺れ、混乱しきっていた。視界は変わらず暗闇。蛙はまだ、冷気の中心であるチルノにへばりついていた。
『川の水が、この悪魔の周囲だけだろうか、冬眠してしまいそうな冷たさになっている。水場が干上がって、別の水場を探し当てるまで夜を徹してさまよった後、清流にたどり着いて安堵で倒れこむように、自然と眠ってしまいそうだ! 川に落とし、一泡ふかせた。だが、まだ離さない!』
もがくチルノと川の流れ、水を凍りつかせる冷気の中、蛙もチルノの顔面にへばり付く事に必死である。
チルノは考える。どんなスペルカードを使われたのか、あの鳥の攻撃で、目が見えない上にまるで川に落っこちたような身動きの取れない状況になっている。それでも、自分のパーフェクトフリーズは発動している。相手が見えなくとも、撃墜してしまえばことはすむ――鼻に水入った! 鼻に水入った!?
「ぶばべ(くらえ)! がぼっぼ(フリーズ)!」
運動エネルギーを周りの空気ごと凍らされた弾幕がピタリと止まり、凍結解除によって自由になった弾幕は完全ランダムな動きで敵を翻弄する! ……はずなのだが、如何せん水中のため、チルノの周囲の水が凍りついただけ。飛んでいく弾を空気ごと凍らせる冷気は、直径三メートル程の、チルノを中心とした氷塊を作り上げた。
(こ、今度は動けない、口すら動かせない!? 鳥のヤツ、いったいどんな攻撃をしているのよ!…ってあれ、か、川じゃない! ホントに川だったの!?)
『ぐうっ……離れてしまったか。それに氷でびっしりと固定されてしまった……こ、これは、この状況は、まるで三度に一度の……!』
必死にしがみついていた蛙も、冷気の奔流に力負けしたのか、チルノの顔面からはがれてしまった。そればかりか、チルノの眼前で、氷塊に巻き込まれてしまっている。
(なんでこんな事になってるかわかんないけど、氷を戻さなくちゃ……!)
氷漬けになった自身にようやく気付いたチルノが冷気を操ろうとしたとき、氷の内部に鈍い音が響く。
(……?)
氷玉が川底に接触した音だった。押し流されるだけだった球形の氷は、川底への接触で回転をはじめる。
ごつん、ごつんと川底や飛び岩に触れる度に、くるくると氷玉は回った。接触部位は川底か左右のみで、上部の接触が無いため回転は加速し続ける上に、回転軸がランダムに変化した。
(んぎゃああああああああああああああああああ! 気持ち悪い気持ち悪い!)
冷気を操るどころではない。
(うぇぇ……化け猫や狐じゃあるまいし、なんでこんなくるくる回らなきゃいけないのよ……)
氷でガッチリと固定されているため瞼も閉じられず、回転する風景を見続けたチルノはぐったりと意識を手放す寸前だった。
(氷漬けになるのなんて蛙で充分よ……なんであたいが……)
逃避するような思考をうつろな意識で繰り返す。蛙は三度に一度は蘇生出来ない。
(成功……成功……失敗……成功……失敗……成功……)
失敗。失敗した場合の蛙は、形を保っていても全く動かなくなっているか、形が崩れる。
(失敗はやだなぁ……水に入れて溶かしたときは見た目は壊れないけど、氷を割って出す時は氷と一緒に砕けたり……うわっ!?)
今までに無い衝撃が氷にヒビを入れる。大岩に正面からぶつかったらしい。氷に入った亀裂は目の前の蛙のすぐ横を走っていた。
(あれ? ひょっとしてあたい、砕けたりしない……よね?)
大岩との正面衝突で一時は回転と水流から開放されたが、すぐにまた押し流され、回転が始まる。
当たり前だが、氷が割れようが砕けようが、氷の妖精のチルノが砕ける道理は無い。けれど、混乱と疲労で薄弱となった意識ではその当たり前の結論に行き着かず、安心は得られなかった。
『砕ける覚悟は出来た。全くの偶然だが、絶望に凍るこの瞬間、今まで弄んだ蛙の数だけ味わえ!』
チルノと蛙の目が合う。意思疎通など考えたことも無い蛙から、チルノは恨みの声を聞いた気がした。呼応するように、がつんがつんと氷と岩が接触する音が響く。
(や……だ、やだ……どこにもぶつからないで……!)
恐怖に震えながら、チルノは意識を失った。
**************
気が付けば、私は頭が縦に二つある他は人型の者の手のひらに乗せられていた。悪魔や鳥のように川の上に浮かび、自分の手のひらの上の私に語りかけてくる。
「私は四季映姫。幻想郷の閻魔ことヤマザナドゥです。妖怪も人間も、死後は私の前に立ってもらいます。ですが、虫や人間を除いた動物といった者を裁くといった事はしていません。差別ではなく、本能に忠実に生きる彼らには、裁き突きつけるべき悪行が無いのです。存在をまっとうするという善行のみで生を終えた彼らに、裁判に立つ理由は無し。ですから、貴方が妖怪の血を含んでいなければ、私とこうして向き合うことはなかったでしょう。」
「なんと。それでは私は死んだのか。いや、仕方ない。悪魔に一矢報いて、その上に生きながらえようなどとは罰が当たるか。ところで、私は蛙だ。妖怪の血とやらは間違いではないか」
「幾つか勘違いしているようですが、貴方はまだ死んではいませんよ」
四季映姫と名乗った者は良くわからない事を云う。だが、それよりも裁く者という所に惹かれた。四季映姫は悪魔を裁いてくれるやもしれない。
だが、悪魔の所業を伝えても四季映姫は首を横に振った。
「貴方の言う彼女の行動のみ見た場合、地獄へ落ちる要因になる点はありませんよ。強いて言うならば、特に問題も無いけれど善行もしていない、といったところでしょうか」
「そんな馬鹿な。鳥も詠っていた、私はあの声を忘れられるか。同胞が断末の響きを幾度となくあげる事が問題ないとは。私達は虫を食べるために殺し、鳥も食べるために私達を殺すが、悪魔は弄ぶために殺すっ!」
「……これは、私がある閻魔から聞いた話です。
昔、素晴らしい宗教家や仙人が聖人と呼ばれた時代、ある男もまた聖人と呼ばれました。
その男は人間で、宗教を持たず、生涯を通じて何か大きな事柄を成すこともありませんでしたが、ただその在り様が、周りから聖人と言わしめた。
一切の動物を殺さない。単純にして、ほぼ無理であるこの生き方を、貫いたのだそうです。食事は木の実や果実を主としており、その植物を殺してしまう根菜の類すら拒否。住居は山。木を組んで家とすることもなく、野に眠りました。さらに驚くべきことに、その男は地に生きる虫の類を、生涯踏みつけることが無かったといいます。
如何に素晴らしいか、と言う事を伝えたいわけではありません。虫を踏まない事が、周りの人間から聖人と言わしめたという点を、伝えたい。
虫を踏まない男が聖人であるならば、普通と言うことはどういうことか。
誰しも踏み出した足元に、目に止まることすらない小さな生命が居ることを意識しない。出来ない。それが普通だということ。その種族にとっては、悪ではないということ。
聖人と呼ばれたその男が、周りの人間へ与えた影響はともかく、聖人と呼ばれていた事実は、死後の裁きになんら関係は無い。
何故ならば、先ほどと同じように周囲への影響を措けばその在り方は悪では無いと同時に善行でも無いからです」
何を言っているか良く解らない。が、悪魔の所業を裁かないという事について、真摯に説明を受けたのだと思う。多分。それとも、ひょっとすると悪魔は凍らせることが食事なのだろうか。
四季映姫の言葉を受けて、今は理解できなくとも後に解る事が多くあるのだろうという、自分でも良く解らぬ確信があった。だからこそ、溜飲は下がらぬまでも落ち着くことができた。
「悪魔についてはもういいとして、私は、蛙ではないのか?」
「その問いに応える為に質問をしたいのですが、貴方は、何度夏を過ごしましたか?」
「そんな事は覚えていない。九度以上だとは思うが、それ以上は数えられない」
「蛙の中には数十年……九年を何度も重ねる時を生きる種も在りますが、貴方の種の寿命は本来三年から四年です。けれど貴方はもう九と五年を生きているのです」
「そうなのか? 私は長生きなんだな。鳥等に喰われぬよう上手く立ち回っているのが功を奏したか」
「寿命というのは、喰われて亡くなる事は含みませんが、長生きというのは違うでしょう。おそらく、貴方は化け蛙と普通の蛙の両親或いは化け蛙の祖先を持つ存在。半蛙半妖とでもいいましょうか。私はそれを伝えるために貴方の前に立ったのです。……困惑しているようですね。罰や悪魔という言葉を知っている、妖怪の血と説かれて理解できる、その蛙としては跳びぬけた知性が既に証明でもあるのです。貴方以外の蛙はこのように会話を重ねられますか? 声を意思表示の伝達程度にしか使わなかったのではないですか?」
「私以外の蛙も、私と同じと思っていた。言われてみれば、自然に行っているがこういった会話をしたのも初めてかもしれない」
そういえば、あの鳥が死者の声を拾って詠うということも、教わるでもなく私は知っていた。連鎖的に様々な事柄が蛙としては不自然であり、同胞と差異があったと気付く。尻尾が取れた時のような感慨が湧いたが、同時に鳥が詠った彼女の最期の声を思い出した。
「私は、あるいは彼女を守れたかもしれない……?」
「彼女?」
「悪魔の手にかかった、卵を産んでもらおうとしていた蛙だ。悔やんでいる」
「ふむ……」
思案するように卒塔婆と頭を傾けた四季映姫は、川辺を指差した。
「あそこにいる蛙達を見て思う事はありませんか?」
四季映姫が指し示す先には数体の同胞。当然ながら彼女は居ない。だが。
「おおお! 右端しに居る同胞、ナ……ナ!」
「な……?」
「ナイスボディだァァ! のっかりてェー、のっかりてェーッ。クソッ、なんだ、動けねぇー。ああっ、行っちまうーッ!」
「の、のっか……!! ン、ゴホン! その、貴方の本能はわかりましたから、落ち着いて下さい。え、ええと……動けないのは、貴方の身体が川べりにあって今の貴方は魂が出ているからで、幽体離脱といいますか、だから私と話せるわけで……そろそろ落ち着いて、私の手の上で跳ねようと暴れないで下さい!」
「彼女に卵を産んでもらおう。聞こえてないみたいだから、後で声をかけることにする」
「『彼女』の事はもうよいですか?」
何か怒っているような口調だったが、彼女が見えなくなる事のほうが重要だ。
「……四季様? 蛙の魂手に乗せて何やってるんです? そんな声荒げて、顔真っ赤ですよ」
「小町……っ。い、いえ、氷精はどうでしたか?」
ああ、行ってしまった。ふと目をもどすと、四季映姫の仲間であろうか、物騒な大鎌を携えた者が居る。
「氷漬けになって目をまわしていましたが、下流の湖まで流されたところで紅い館の者に拾われていましたよ。食べるとか屠るとかじゃなく、救助って感じだったので放っておきました。……おっと、勇気ある蛙殿、身体との繋がりは切れてないね。無事生き残ったか、流石だねぇ」
かんらかんらと笑いながら、大鎌の者が身体をさすってくる。あまり触られると体表の湿りが拭われるから身をかわそうとすると、大鎌の者は一言詫びてまた笑った。
「いやあ、自分の何倍何十倍かっていうチルノにぶつかって行った時にはたいしたもんだと思ったよ。あたしは自分の火をただ消すようなヤツは好かないが、あの時のアンタは火を炎にしてた。燃え尽きるか、相手を燃やし尽くすか……蛮勇なれど、尊命尽きぬって具合でね」
なにが面白いのかいまいち解らないが、なんとも気持ちのいい笑顔と在りようだ。つられたか、悪魔に一矢報いた実感が湧いてきたか、気付けば私も笑っていた。
「小町」
四季映姫に向き直ると、笑い合っていた私達と違って彼女の表情には笑みは無かった。小町と呼ばれた者が一瞬で押黙ると同時に、私も厳粛な何かを突きつけられて腹の底が乾燥したような畏怖を感じた。
小町へ言葉は名を呼ぶだけで終わったのか、四季映姫は私に向かって律を唱えるような声色を響かせる。
「先程の、貴方の云う悪魔への行動、私怨からともなれば罪と自覚しなければなりません。英雄が地獄へ行かぬ道理はありません」
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長い話だった。説教というらしい。四季映姫の言葉は、一つを除いて殆ど良く解らなかった。
その一つというのは、私は蛙であって蛙にない要因を持つ存在だという事。その事が何をもたらすのかは解らないが、忘れてはいけないと思う。
世界が広がった気がする。再び四季映姫に会うまで、やれることをやっていこう。
「チルノにやられないように、自分のように妖怪の強靭さを持った蛙を増やすって云っていましたね。でも、あの蛙は偶発の存在……隔世遺伝かたまたまか、妖怪の血を受け継いでいますけど。子供を作ってもそれがすべて半蛙半妖とも限らないじゃないですか。水差すことは無いと思って言いませんでしたけど、あれでいいんですか?」
「彼はあの氷精と同じく、自覚が少々足りなかったのです。自身が妖精として在るという自覚、自身が妖怪の血を混じえた者であるという自覚。ただ、自覚が無いのは同じでも、その無自覚から傾く側が真逆だったのですね。子供を作ろうという発想が彼なりの自覚ならば、生きている間にどうこう云う必要も無いでしょう。善悪の概念と、死後私の前に立つ事を知った彼の行動なのですから」
「はあ、そんなものですか」
「そんなものです。それよりも小町、有意義ではありましたが、随分と寄り道をしてしまいました」
「たしかに、下手な人間や妖怪よりも、よっぽど真面目に聞いていましたからねー。珍しい」
まずは、ゆっくりと身支度をして、眠りにつく冬を迎えなくてはならない。
彼女との時間を大切にし、虫を食べ、長く長く眠るのだ。
本能に忠実な蛙さんがとてもラブリーでした
紳士的な幽波紋吹いたwww
映姫殿が真面目な話って意外と見ないと思う今日この頃