「幽々子さま、お顔が緩み過ぎですよ……」
「えー、いーじゃなーい、別に誰も見てないんだしぃ」
「少なくとも私は見てます」
「あら、妖夢にだったらどんなトコを見られても私は平気よ。ほらほら例えば女性のあんなところとか」
「わーっわーっ、出さないで下さい!」
「出す訳ないじゃない。うふふふふ、やっぱり妖夢をからかうと面白いわ~」
「…………」
すぐ、いつもみたいにはぐらかされてしまう。断じて私は悪くない。と言うかこれ見よがしにその豊かな部分を見せようとしないで下さい。着物の上からでも充分に量感的なんですから、ブツブツ。それに比べて私は……。
ってそうじゃない。いくらなんでもはぐらかされ過ぎだ私。……いつもの事、だけれども。
――冬を迎え、ここ白玉楼の居間にもコタツが導入される時期と相成った。
普段は家の事など私に任せっきりな幽々子さまだけれども、コタツを用意する時に限っては率先して動いて下さる。現金な事このうえない。
で、幽々子さまはコタツが導入されると、一日の大半、それこそ朝から晩までをそこで過ごすのが日常となる。普通に書を読まれているのならば何の問題もないのだが、先程の様に卓の上に顔を乗っけてにへらーと気持ち良さそうに緩み切った表情をされると従者として注意のひとつでもしたくなるのが道理というものだ。
そりゃあもちろん、私だってコタツは好きだ。暖かいし、その中に入ってるととてもゆったりとした気分になれる。もっと言えば、心地良い眠気さえももよおす。
けれどいったん入ってしまうと、あまりの居心地の良さのために、そこから抜け出すのには強靭な意志を要する。極めて中毒性の高い場所なのだ。
庭木の剪定から家事全般まで、私は白玉楼でのありとあらゆる仕事を受け持っている。それゆえ、それらが片付くまでうかつにコタツには入れないのだ。
だから、
「妖夢~、一緒に暖まらな~い?」
なんて誘われても、私は涙をのんでその誘惑から撤退せねばならないのだった。
/
「ねえ妖夢、ちょっといいかしら」
「なんでしょう」
昼餉を済ませ、食後のお茶を出すと、幽々子さまが私に頼み事をする。
普段から幽々子さまは、あれやってとかこれ持って来てとか私に物を頼む事が多いのだが、こうしてコタツを出している時はそれが余計酷くなる。
さすがに御手洗いに立たれる時は、嫌々ながらコタツから出て行くが。まあ、「妖夢ぅ、厠持って来て~」とか言おうものならさすがに私は貴方を叩っ切って新たな奉公先を求めて放浪の旅に出掛けますけどね。
「書庫からこの本の続きを持って来て欲しいんだけど」
そう言って幽々子さまが差し出したのは、一冊の書物。
「……源氏、物語?」
「ええ。久し振りに読んでるんだけど、面白くてつい夢中になっちゃって」
表題は聞いた事がある。随分昔に書かれた大著であるという事は知っているが、実際に読んだ事はなかった。
「面白いって、どういう内容なんですか?」
「そうねぇ、天皇の血を引く光源氏の半生を、色んな女性との関わりと共に描いた平安時代の恋愛物語、ってところかしら」
「恋愛物語、ですか。何かいいですねぇ」
恋愛、と聞くと、ついつい“ろまんちっく”な想像をしてしまうのは、やはり私が女の子であるが故。日ごろから刀を振り回したりなんだりしてる私だって、まだまだ恋に恋する夢見る少女なのだ。
けれど幽々子さまは、そんな空想に耽る私を見て、
「あらあら、何だか甘ったるい想像してるみたいだけど、妖夢が読むにはまだまだ早いわね」
「……どうしてですか?」
「どうしてって、こう、細やかな感情の機微を理解したり、その他何だかんだを受け止めるには、妖夢はまだまだお子様、って事よ」
どこか妖しい表情をして幽々子さまは言う。これは、腹に一物二物持っている時の顔だ。
「そこまで言われたら、読まない訳にはいかないじゃないですか」
「うふふ、読んでも全然構わないけどねー」
ちくしょう、何だか物凄く馬鹿にされてる。絶対に後で読んでやる。
/
「うぅ、冷たぁい……」
食事の後の、食器洗い。
当たり前だけれども、この時期の洗い物は水が冷たいのがとにかく辛い。なので、身震いしながらの作業となる。
とは言え、こんな震える思いをするのは食器洗いに限らない。衣服の洗濯もそうだし、調理の際は野菜を洗ったりなんだりで冷たい水に触れる事が多い。そう言えば、今日は雑巾掛けの仕事もあったっけ。
そしてそれらに加え、今の時期は、庭木の剪定が私の主な仕事となっている。寒風にさらされながらの作業は、たとえ修行の一環だと自らに言い聞かせても、やはりこたえるものがあるのだった。
私がこんな思いをしている間も、幽々子さまはコタツでぬくぬく過ごしているんだなぁ、と思うと、何だか凄く理不尽だ。
思わず、先程の幽々子さまのにへら顔が脳裏に浮かぶ。
「………………」
食器を割らずに済んだのは、僥倖だった。
/
洗い物を終えて居間に戻ると、幽々子さまが果物入れのカゴを指に引っ掛けてくるくると回していた。
「ねえ妖夢、ミカンが終わっちゃったんだけど。この間紫から貰った分はまだまだあったわよね」
「はい、炊事場にたくさん」
「お願い、持って来てぇ」
「……少しはコタツからお出になられてはいかがでしょうか」
「だって、コタツから出ると寒いんだもの」
「亡霊が何を寒いとか……」
抜かしてるんだ、まで言いそうになったのを何とかこらえた。
それにしても、今日の朝の段階でカゴにミカンを補充しておいたハズなのだけれども。はてさて、それは一体どうしたのだろう。とボケてみたくなるくらい、幽々子さまはあっという間にそのミカンを平らげてしまった様だ。と言うか昼を済ませたばかりなのに更にミカンを食すとは、何を考えているのだろうか。
……食べる事ばかり考えているのだろうなぁ。我ながら愚かな問いだった。
「それにぃ、私にそれを取りに行かせたら、どうなると思って?」
「う……」
それは、容易に想像がつく。
先日紫様から頂いたミカンは、どこから持って来たのか、膨大な量にのぼった。それだけに、幽々子さまは後先考えずにどんどん食べ続けてしまうだろうと考えられた。そのため、ミカンの管理は私がする事になったのだ。居間に置いてある分だけ、食べてもいいですよ、と。
だから、幽々子さまに取りに行かせたら一体どれだけのミカンを持って来るのか、考えるだけでも恐ろしい。
とは言え、幽々子さまの言いつけに従ってミカンを持って来るのでは、管理もへったくれもない気がした。
幽々子さまが取りに行けば、大量のミカンがここに持ち込まれる。
私が取りに行けば、幽々子さまはコタツで暖まったまま、ミカンを入手する事が出来る。
何だ、どっちに転んでも幽々子さまの思うツボではないか。
「分かりましたよ。私が持って来ます」
「ありがと~」
いい笑顔だなぁ。でもその笑顔は、私にと言うよりはミカンに向いてそうだった。
さぁて、ミカンを持って来たら、次の仕事にかからないと。
/
「うりゃああああああああああああ!」
廊下の雑巾掛け。
白玉楼には基本的に、年末の大掃除というものは存在しない。物が増えたり減ったりする事がほとんどないので、特別に整理を行なう必要もないし、掃除ならば常日頃私がやっているからだ。
ただ一応、一年の汚れを落とすという意味で、この時期の掃除は多少気合いを入れる。
だからつい、それが声に出てしまうのだった。普段からあんな叫び声を上げながら雑巾掛けをしている訳では、断じてない。断じて。
まあそれは置いといて。
雑巾掛けというものは、意外と楽しい。それは、床を磨くという名の下に、普段は走る事が許されない廊下においてドタバタと全速ダッシュが出来るからなのかも知れない。――我ながら子供じみた理由な気がしたのでやはり却下しよう。
まあとにかく、雑巾掛けをこなしていく。
白玉楼は割と無駄に広かったりするので、全ての廊下を拭くだけでひと苦労だ。
そして、私が今いるのは、庭に面した縁側。ここの廊下は非常に長く、一直線で20間――約36メートル――もある。つまりはそれだけ、ダッシュのし甲斐があるというものだ。
廊下の幅から考えて、3往復の雑巾掛けが必要になる。つまりは、120間ぶんのダッシュを要する計算だ。ダッシュでなければならない理由は、まあ、アレだ。習慣というやつで。
「――うりゃあああああああああああああ!!」
で、結局叫んでいる私。
ぶっちゃけてしまえば、縁側とは要するに屋外な訳で、つまりは寒いので叫んだりダッシュしたりしてないとやってられないのだ。
2往復半を終え、いよいよ最後の直線。私はスタートからダッシュをかけた。一気に片付けるのだ。
と、その時、
「ようむ~」
前方から、力が抜けそうなのんびりとした幽々子さまの声。向こうで障子が開いている。あそこは居間か。
叫んでたりドタバタ騒がしかったりしたのを咎められるのかとも思ったが、今のは、私をからかおうとしている時の呼び声だ。経験上、声の調子でそれが分かってしまう。ヤな経験則である。
だが私は、今のこのダッシュを緩める訳にはいかない。ゴールはもうすぐなのだ。
しかし、目線を向こうのゴールに据える私の視界に、居間からのっそりと幽々子さまの頭が割って入る。
――何故、雑巾掛けをしている私と、その頭が同じ高さなのだ?
そんな疑問を持った私の目に入ったのは、幽々子さまの頭と、――コタツ?
幽々子さまは、コタツをカタツムリの殻の様に背負い、私の方を見て歌う様に言った。
「でーんでーんむーしむしこーたつーむーりー」
何か、すっげぇむかついた。
なので、私は速度を落とさず、そのコタツムリとやらをそのまま轢いてやった。
私の方が痛かった。
/
「あ、妖夢、いいところに。お茶お願いね」
「はいはい、今お持ちいたします」
仕事の合間に居間に顔を出すと、幽々子さまにお茶を頼まれる。
側仕えとして、こうして幽々子さまの様子をちょくちょくうかがうのも忘れてはいけない。こうして側仕えを長く続けていると、幽々子さまがお茶をご所望する頃合いがだいだい読めてしまうのだった。
私は炊事場に向かい、お茶を淹れる。ついでに自分の分も。まだ仕事が片付いた訳ではないけれど、時々小休止を取る事までに罪悪感を感じる必要はない、と思う。
「ふぅ……、やっぱり冬はコタツでミカンを食べながらお茶を啜るのが一番ね」
お茶をツツ、と啜って、幽々子さまが和んだ表情で言った。何と言うか、物凄く年寄り臭い。言わないけど。
とにかく、私もコタツを挟んで幽々子さまと向かい合って座り、お茶を啜る。はふぅ、と和みたくなったが、何とか思いとどまる。私はまだ若いのだ。老成しちゃいけない。
「あら、ところで妖夢はコタツに入らないの?」
幽々子さまが背筋を伸ばし、私の姿勢を見る。
私は正座をして座布団に座っているが、足はコタツに入れていなかった。
「はい、まだ仕事の途中ですし、下手に入ると後で出るのが嫌になっちゃいますから」
「妖夢は意志薄弱ねぇ」
コタツムリに言われたくないわ! と言うのを、すんでのところで耐えた。
私だって本当は、コタツに入りたくてたまらない。ぶっちゃけるとコタツムリしたい。けれど、この小休止の後には、寒空の下での剪定作業が待っている。だから今は我慢の子。あったかいお茶の入った湯飲みに触れて、ささやかな暖を取る。それだけにとどめているのだった。
幽々子さまは私をからかうのを止め、カゴのミカンを手に取った。先程補充したので、さほど減ってはいない。
ミカンの皮をむく幽々子さまの手に、私は目が行った。
幽々子さまの手は白くてすべすべで、とても綺麗に見えた。そのほっそりとした華奢な指は、白魚の様な、という形容がまさにぴったりだと思った。
私は、自分自身の手を見つめ直す。
手のひらはともかく、手の甲がひどい。
外で寒風にあたったり、水仕事をしたりしているせいで、この時期は必ずあかぎれが出来てしまう。ひどい時にはひりひりと痛みさえ感じてしまうほどに、肌が荒れる。肌荒れは女の子の大敵だというのに。
なので、近々永遠亭に顔を出して、あかぎれに効く薬でも処方して貰おうかと思っているのだった。
私は、視線を幽々子さまの手に戻す。
と、皮をむき終えた幽々子さまと目が合った。
「あら、妖夢も食べたいの?」
「あ、いえ、そういう訳では……」
「はい、あーん」
聞いちゃいねぇ。
けれど、幽々子さまの「あーん」が拒否不可能だという事は今までの経験から知っている。
傍から見れば恥ずかしい光景だろうけれど、幽々子さまに言わせれば、「どうせ誰も見ていない」なのだから、まあいいか、とも思う。
あーん、に従って、私が幽々子さまの前で口を開くと、一粒のミカンが放り込まれる。
口の中でミカンの汁が弾け、甘酸っぱい味が口中に広がった。
「このミカン、美味しいわよね。紫もいい仕事するわ」
いい仕事というか、これは紫様が栽培したのではなくて、どこかスキマの向こうから失敬して来た物でしょうに。ただまあ、出所がどこであれ、その恩恵にあずかっている以上は文句など言えなかった。美味しいのは確かなのだし。
ミカンを飲み込みながら、私は、あーんをしてくれた時の幽々子さまの手を思い出す。
間近で見たその手はやっぱり白くて綺麗で、指の先、爪の先まで可憐さが行き届いていた。
憧れちゃうな、と思った。
「どしたの妖夢、ぼ~っとしちゃって」
「あ、えっと……、何でもないです。……私、仕事に戻りますね」
「そう」
幽々子さまはそれ以上は何も言わず、湯飲みを口にしていた。
/
黙々と刀を振るい、私は枝の剪定を進めていく。
この仕事を始めてからもう長いから、切り取るべき枝はすぐに見極めがつく。一本の木が終わったら、すぐさま隣りの木へ。こうやって、次々と数をこなしていく。
桜の剪定は、木々が葉を落とした冬場にするものと相場が決まっている。だから、いくら屋外が寒くても、私はこの時期は庭での作業を余儀なくされる。
白玉楼に生えている桜の木々は膨大な数になり、毎日数時間の作業を冬の間ずっと続けなければ、花が芽を出す頃までに全ての木の整枝剪定を終える事が出来ない。正確さはもちろんの事、迅速さをも要する仕事なのだった。
ここの桜の木々は、少なくとも私が物心ついた頃には、今の様な姿で既に存在していた。この役目を私が仰せつかる前は、先代のお師匠様が管理していたと聞く。つまりは、私が生まれる前からずっと生えていて、春を迎えるたびに美しい桜の花を咲かせていたという事だろう。樹齢がもうどのくらいになるのか、私には想像もつかなかった。
それほどの歴史を持つ桜の木々なのだ。それを私の代で絶やさせるなどという事は、私の自尊心が許さなかった。
――と言えばとてもかっこ良いのだけれど、私が寒さを物ともせずに剪定に励む第一の理由は、それではなかった。
幽々子さまは桜の花が大変お好きで、春になるとそれこそ一日中、縁側で桜の木々を眺めている時もある。
三度のメシより桜が好き――とは、ゴメンナサイ幽々子さま、私には言えません。けれど、それくらい桜の花が好きなのは確かだった。
そうやって、縁側に腰掛けて花見をしている時の幽々子さまはいつも、とても穏やかな表情をしている。両の手をそっと膝の上に置き、慎ましやかな居住まいで桜を眺める幽々子さまは、満開の桜に引けを取らず美しかった。それこそ、そのお姿を一枚の絵画に収めてしまいたいと思うくらいに。
私は、幽々子さまの傍で一緒に花見をしつつ、そのお姿を目にするのが好きだった。
私が尊敬し、敬愛する幽々子さまというものが、その姿には余すところなく凝縮されているのだった。
そして、幸せそうな表情を咲かせて、たった一言、私に言うのだ。
桜が綺麗ね――と。
その言葉を聞いた瞬間、私は、長い冬の間に積み重ねて来た労苦が報われた心地がするのだった。幽々子さまの言葉が、まるで魔法の様に体中に染み渡り、私を満たしてくれる。
主の幸せは従者の幸せ。なんて言い切れるほど私は従者としてできていないけれど、その時は確かに、同じ幸せを、幽々子さまと共有しているのだと思える。
そんなひと時を枝々の向こうに夢想しつつ、私は作業に従事しているのだ。
だから庭木の剪定は、辛くて大変な仕事ではあっても、嫌な作業ではないのだった。
ただ、真冬の屋外での作業は、やはり長くは続かない。どう頑張っても手がかじかんでしまい、刀を握る手に思う様に力が入らなくなる。寒さそのものは気合いで我慢出来ても、これはさすがに、努力や修練でどうにかなるものではなかった。
風に煽られると、身体の熱が奪われて思わずぶるりと身震いする。こうして風が吹くだけで、体感温度は何度も下がる。
加えて、この時期は日が傾くのも早い。暗くなって来ると、切るべき枝の見極めが難しくなる。
そろそろ切り上げる頃合いだった。
「っつ!」
枝を切る動きで、手の甲を別の枝でこすってしまった。時折、こんな風に枝で手指を擦ってしまい、切り傷が出来る事もある。
怪我にはなっていないが、手がかじかんでいる事もあって、やはりひりひりする。
やっはり、そろそろ戻り時だろう。そう考えた時、
「妖夢~」
遠くからの、幽々子さまの声。
お屋敷の方を見ると、幽々子さまが居間から縁側に顔を出していた。居間の明かりに照らし出された幽々子さまは――またコタツムリをしていた。
なんかこう、先程まで想起していた幽々子さまの麗しき御姿が、頭の中でガラガラと音を立てて崩れていくのを感じた。もう突っ込む気すら起きない。
いやいや、これは冬の間だけこうなのであって、春になればまた元の幽々子さまに戻って下さる。でなければ、こうして一所懸命剪定に励む私自身が報われない。
「もう上がって来なさ~い」
「は~い」
こうやって夕刻になると、私はよく幽々子さまに呼び戻される。何か、外で遊んでいた子供と、夕飯の用意が出来て子供を呼ぶ母親の図が思い浮かんだ。けど、夕餉を作るのは私なんだよなぁ。
それで、大抵は「そろそろごはーん」なんていう台詞が続くのだけれども、今日は珍しくそれがなかった。エサのミカンが効いてるのだろうか。
何か、主に対して物凄く失礼な事を考えた気もしたが、気にしない事にした。
/
手を洗ってから居間に戻ると、幽々子さまは普通にコタツに入って私を待っていた。カゴをちらりと見ると、ミカンがほとんど減っていない。湯飲みを見ると、既にお茶は飲み干されている。
私は先程の、「冬はコタツでミカンとお茶」発言を思い出した。
「あ、お茶でしたら今お持ちいたします」
「ああ、いいのいいの。妖夢もコタツに入りなさい。夕餉の支度を始めるにはまだ早いし」
「はぁ……」
何だか分からないが、とりあえずそれに従い、コタツに入る。でも本当は、体中が震えるくらい凍えていたので、幽々子さまのお言葉はありがたかった。
手足をコタツに突っ込むと、とても暖かい。ただ、震えがおさまるまでには少し時間がかかりそうだった。身体の芯まですっかり冷えてしまっていた。
「妖夢、手を出しなさい」
「……え?」
困惑しつつも、私は卓の上に手を差し出す。
すると幽々子さまは、私の両手を包み込む様にして握ってしまった。
「わ、妖夢の手、凄く冷たい」
「ダメですよ幽々子さま。外から戻ったばかりで、私の手は冷たいんですから」
「いいの。だから私があっためてあげるんだから」
「…………」
幽々子さまはしっかりと私の手を握ってしまい、私が手を引っ込めてしまうのを許さなかった。
私が手を引くのをやめると、幽々子さまは手の握りをゆるめる。そして、ゆっくりと私の手を撫でさすり、冷えて強張った私の手を、解きほぐす様にあたためてくれる。
その手は柔らかくて、撫でてくれるのがとっても気持ちがいい。そして、あたたかい。いつの間にか、身体の震えが止んでいた。
幽々子さまの手が先程よりやや赤みが差して見えるのは、コタツの中で手をあたためていたからかも知れない。もしかしたら、こうして私の手をあたためるために。
そしてその手は、やっぱり綺麗だった。
「幽々子さまの手、お美しいですよね……」
「そう? ありがと」
「それに比べて、私の手は……」
それ以上を言うのは、さすがに思いとどまった。
我ながら、拗ねた物言いだと思った。本当は、あくまで幽々子さまの手を褒めるだけのつもりだったのに、余計な事まで言ってしまう。
幽々子さまは、撫でる動きをいったん止め、私の手の甲を見る。幽々子さまの手と比べるとはっきりと見劣りする、あかぎれのひどい手だった。
「妖夢の手、随分荒れちゃってるわよね」
「はい……」
幽々子さまはいったん私の手を放し、傍らから小さな壷を手にとってコタツの上に載せる。
蓋を外し、幽々子さまがその中に手を入れると、指先にクリーム状のものがついていた。
「それは、何ですか?」
「肌荒れに効く塗り薬よ。永遠亭から貰って来たの」
「え……っ?」
「塗ってあげるわね」
私はされるがままに、幽々子さまに薬を塗られる。最初はひび割れた肌にひりひりと来たけれど、その内じんわりとあたたかくなって、何だか気持ち良くなった。
「仕事もいいけれど、もう少し自愛なさい」
「はい……」
「でもこれは、それだけ妖夢がちゃんと仕事をしてるっていう事の証……。働き者の手、ね」
「幽々子さま……」
私の手を見つめるそのまなざしは、あくまで優しく、慈しみに満ちている。
そして薬を塗り終えた幽々子さまはまた、私の手をゆっくりと撫でてくれる。手を通して、その暖かさが私の胸にまで届くのだった。
幽々子さまは、全てお見通しなのだ。
普段の私が何を考えているのか、どんな思いで従者を務めているのかという事を。
どの様な言葉を用いれば、どんな事をすれば、こうして私の心を満たせるのかという事を。
そして、そういった私へのちょっとした心配りが、何よりも私に効く“くすり”だという事を。
何もかもを、分かっている。
だからこそ。
私は、幽々子さまがずるい――と思うのだ。
そんな事を言われては、どんなに辛い仕事でも、また明日から頑張ってしまうではないか。
幽々子さまは、こうやって私の事をすっかり丸め込んでしまう術を、完璧に身に付けている。
普段の、私をからかってはぐらかす時でも、今みたいな時でも。
私は、まさに文字通り、幽々子さまの手の内にあるのだった。
もちろん、私は幽々子さまの事が大好きで、こういう風に気遣ってくれる事はとても嬉しく思う。
けれど、だから私は、自分自身が悔しくてならない、とも思う。この様な気遣いを、幽々子さまから引き出させてしまう自分が。
幽々子さまは恐らく、私が自分自身について知っている以上に、私の事を把握している。こういった心遣いが、今の私にはまだまだ必要なのだと思ったから、幽々子さまはそうしているのだろう。
私はそんな優しい心遣いを、必要ない、と突っぱねてしまうほど子供ではないけれど、また大人でもない。
だから私は、幽々子さまにされるがままに、黙って手を撫でて貰うしかなかった。
今の私には、込み上げてくるものをどうにか抑える事――それだけしか出来なかった。
手を撫でて貰いながら、私は思う。
幽々子さまにこんな気遣いをさせずに済むまでには、あとどれくらい、私は成長をしなければならないのだろう、と。
この作品、クリスマスプレゼントとして頂戴いたしました。
爆笑死した私。
妖夢の生真面目でやさしくて悔しがるところが彼女らしかった。
けど、コタツムリfeatゆゆ様を轢くのは激しすぎる突っ込みですね。