最初に私がこのメモを執るに至った経緯を簡単に記しておこうと思う。
それは本当に些細なことだった。
博麗神社の宴会…酒の席でのことである。
たまたま近くに座っていた霧雨魔理沙が不可解なことを言い出したのだ。
「人間の人生ってのは…あれだ…そのつまみみたいなものですわ」
因みに、これらの記述は全て私の記憶によるものであることを先に断っておく。酒の入った状態での記憶など当てにならないと思われるかもしれないが、私に限ってはそんな心配は一切無用だ。冴え渡る記憶力で、殆ど忠実に会話が再現されているはずだ。
話を戻そう。
私は霧雨魔理沙の言葉に驚いた。
突如として謎の人生論をぶった上に、口調もぶれていた。それだけでその時の彼女に如何に酒が入っていたのかが理解いただけるだろう。
酔っ払いの与太…と切り捨てても問題ないような言葉だったが、私はひどく興味を引かれた。自分をも含む人間をつまみとした心をなんとしても聞きたかったのだ。
「その心は?」
私の言葉に、霧雨魔理沙はにやりと笑い、ひょいと私の手元のつまみを奪って食べてしまった。そして、一言こう言った。
「余所見してたら食べられる」
正直、その時の私は魔理沙の言葉に多少醒めた。どう考え立って私のつまみを横盗るための前振りだったとしか思えなくなったからだ。
しかし、改めて考えると言い得て妙な気がしてきた。
妖怪に食われる…等の物理的な話だけではなく…人生の選択をせまられる状況でも同じことが言えるのではないか?
余所見…迷っていたら食べられる。
なるほど、なかなかどうして彼女自身の生き方を象徴した一言だったのかもしれないなと思った。迷っていたら仕損じると考えているからこそ、彼女はああして無鉄砲の考え無しに生きているのかもしれない。
いかにも馬鹿馬鹿しい理論だが、馬鹿なりに評価できるものだ。
そこで私は人間の生き方に興味を持った。
ちょうど新聞の特集のネタを決めかねていたということもあって、私はその方向での取材を考えてみたのだ。
しかし所詮は人間を扱った話題である。そこまで必死にするようなものでもない。何か別の話題が見つかったら迷わず切り替えるつもりでいる。
記者は時間を無駄には出来ない。
さしあたって、その宴会中に面白い話をしてくれそうな人物をピックアップして取材を申し込み、一晩で面白い話が出なかったら諦める方向で行くことにした。
以降がその取材内容となっている。
私はまず引き続き霧雨魔理沙に食い下がった。
「余所見してたら食べられる…というのはどういうことですか?」
私の言葉に霧雨魔理沙は「うん?」と首をかしげた。
「…どういうことって…お前、つまみ私に食べられただろ?」
「はい」
「そういうことだよ」
まるで説明になっていない。このことから、彼女の先ほどの発言がその場の思いつきだった線が濃厚になった。
しかし、さすがにそんな簡単に頓挫させるわけにもいかない。やると決めたなら真面目に取り組むことが大切なのだ。
私がもう一度尋ねようとしたとき、周りの妖怪たちがワッと湧き上がった。
私も視線をやると、そこには白玉楼の庭師、魂魄妖夢が立ち上がって何やら叫んでいる姿があった。顔を見ると視線も定まってはおらず…完全に出来上がっているのが解る。
珍妙な踊り好きで有名な彼女に、しきりに踊りの催促が飛ぶ。
「妖夢~~!皿回せ~~っ!」
私の隣の霧雨魔理沙も手を叩いて笑っていた。
「わひゃりまひたとも!」
…と魂魄妖夢が叫んだのだが、恐らくは「解りましたとも」と言いたかったのだろう。呂律が全く回っていなかった。
彼女はやおら皿を取り出すと、剣を抜いた。
「こんぱくようむ!けんひのおこりをかへて…おさらをまわひまふ!」
もはや何と言ったのか理解できないレベルだが、後で聞いた話では「剣士の誇りを賭けて皿を回す」と言っていたらしい。
何故皿を回すのに剣士の誇りなのか理解できないが、まぁ酒に呑まれている人の言葉にいちいち理解を示す必要は無いだろう。
げに恐ろしきは酒の魔力というところだろうか。
「とりゃ~~!」
と叫びながら彼女は剣の先端に皿をのせ、回していた。私はてっきり別の皿回しかと思っていたが…これはこれで面白かったのでよかった。
話を戻そう。あまりに皿回しが印象深かったのでついつい余分な記述をしてしまった。
私は霧雨魔理沙からの取材はそうそうに諦め、別の人物を探すことにした。
事前にある程度あたりはつけている。
次に話を聞こうと思っていたのは紅魔館のメイド長、十六夜咲夜である。
私は彼女の主人であるレミリア・スカーレットのそばで控えている十六夜咲夜の姿を見つけ、すぐに取材に入った。
あまり言葉や動作には出ていないが、彼女も少なくない酒を煽っているらしく…ほんのりと頬に朱が差していた。それでも意識がしっかりしている辺りは、メイドとしての面目躍如といったところだろうか。
「私にとっての人生?」
十六夜咲夜は私の言葉に眉根を寄せた。
「酒の席にそんな話題はどうかしら」
「いえいえ、取材です」
「取材?こんなよっぱらいばっかりのところでよくやるわ」
「でもあなたは酔ってはいないですよね」
彼女は軽く笑った。
「そりゃ、あの中央で皿回してる連中に比べたら素面ね」
視線につられて中央に目をやると…いつの間にやら霧雨魔理沙も加わり箒で皿を回していた。どうして箸で回さないのだろうかと思ったが…ここでは関係がないことだった。
「例えばあなたはメイドをしてますよね」
「してるわね」
「使われる人生に疑問は無いですか?」
「あなたは自分が記者をしていることに疑問は無いの?」
質問を質問で返されてしまう。どうも彼女は前々から取材をのらりくらりとかわす傾向がある。
「私は好きでしていますから」
「私も好きでしてるのよ」
なるほど、と頷く他は無い。私は少し切り口を変えた。
「じゃあ、あなたは主人であるレミリアさんが死ねとおっしゃれば死にます?」
彼女は笑った。
「そんなの、答えるまでもない…」
「死ぬんですね?」
「死なないわよ」
「あ、死なないんですか…なんでまた…?」
「死ねと言う理由も謎なのよ?死ぬわけが無いわ。知ってる?死んだら、死ぬのよ?」
「それはそうですが…でも今の言い方だと理由があれば死ぬとも取れますが?」
「死ぬに足る理由があれば、仕方が無いわよ。だって、死ぬに足るんだから」
なんだか当たり前のことを言われるだけで私は不満だった。死ねば死ぬ。死ぬに足るなら死ぬ。すべて当たり前だ。
「咲夜!」
その時レミリア嬢の鋭いお呼びが掛かった。
「はいはい、何でしょうか?お嬢様…」
彼女は慌しく自分の主人のところへ向かう。
「さっきあの馬鹿幽霊、自分の使用人が皿回しの王者とかぬかしてたわ!気に食わないから咲夜、あなたが皿回し記録を更新してきなさい!」
「…皿回しですか…」
「これは紅魔館の沽券の問題だわ!後塵を拝したままでは帰れないでしょ!」
…この時のレミリア嬢は酔っ払っていたのだろうか?皿回しが沽券に係わるとは、一体どういう貴族だろう。
十六夜咲夜はそのまま皿回しに向かってしまったのでこれ以上の取材は無理だった。
続き、私は目を付けていたもう一人の人物に取材に向かった。
仏頂面で酒をごくごく…というにはあまりにも大量に…がばがばと呑んでいる神社の巫女。博麗霊夢である。
人間に取材をするなら、彼女は外せないだろう。
「ご機嫌そうですね」
私は軽く挨拶をする。
「不機嫌だわ」
彼女も軽く答えた。
「あいつらの回してる皿、ほとんどウチのじゃない。どうせ最後には全部割るんだから…これからは紙の皿で充分ね」
そう言いながらも止めに行かない辺り、彼女も内心楽しんでいるのだろう。ぶつぶつ言いながらもこの巫女が宴会をこよなく愛してやまないのは有名な話だ。
「まぁまぁ、とりあえずは…」
などと言いつつ酒を呑ませる。一番難解なようで、この巫女への取材取り付けが一番簡単だったりするのが不思議だ。
そうしておいて、私は取材を開始する。…が、正直この時の巫女はすでにほぼ出来上がりつつある状態だった。話の信憑性は甚だ疑わしいものであることを事前に断っておく。
「人生?人生がどうしたって?」
「どうしたというか…あなたにとっての人生を取材したいのです」
ふぅむと巫女は唸った。
しかし、その酔っ払った頭でそんな深い思考が出来ているとは到底思えない。
「お茶飲んで…庭を掃除して…妖怪を退治して…お賽銭に期待して…」
最後の言葉のなんと哀愁漂うことだろう。しかし大方の予想通りトンチンカンな回答が返ってきた。
「改めてそう考えれば、私の人生って大忙しね!もっとゆとりを持たないと!」
「いえ、概ね暇にしか聞こえませんが…」
やはり出来上がっている。まさか本気で言っているわけではないだろう。
「で?それがどうかしたの?」
どうしたのと言われても困る。こちらとしてもそんな巫女の日課を聞いた訳ではないのだ。
「例えば、先ほど霧雨魔理沙さんは人生はつまみみたいなものだと言ってましたよ」
「つまみ?」
それを聞いた巫女は楽しそうに笑った。
「魔理沙にしては上手いこと言ったわ。詩があるわね」
どこに詩があるのかと思うが、口には出さなかった。
このままではまるで話が纏まらない。私は半ば強引に笑いに割り込む。
「それで、ですよ!あなたもそうやって一言で人生を言うことは出来ませんか?」
「一言で?それは無理だわ。だって…」
巫女は続ける。
「お茶と掃除は外せないもの」
まだ巫女はそう言った。どうして私の言いたいことを解ってくれないのか、もどかしくて私は頭を掻いた。
巫女は続けて言う。
「あんたの質問の意図は解ってるのよ?その上で私はそう言ってるの。解る?それが私の人生。解らないなら、まぁ別にいいけど」
私はため息を吐いた。やはり、宴会中の巫女は取材対象にはならないらしい。
と、丁度そこに霧雨魔理沙が箒で皿を回しながら現れた。
「どうだ霊夢!お前出来るか?」
たったそれだけの簡単な挑発だった。それだけで巫女は腰を上げた。
「あんたより上手いわよ!見てなさい!」
そういうと皿回しが行われている場所に駆けて行った。…結局は彼女も皿回しがやりたかったのだろう。
すっかり巫女の取材のあてがはずれてしまったものだから私はため息を吐いた。…しかし、ある程度先の三人から面白い話が得られないであろう事態は考えていた。
言うならば、想定の範囲内ということだ。
私は目を付けていた四人目を探した。
彼女はすぐ見つかった。そう言えば今日は満月である。高々とそびえる角が恰好の目印となっている。
私は上白沢慧音に話しかけた。
「どうも」
「ん?あぁ…」
彼女はちびちびと酒を飲んでいた。まだ全然呑んでいないであろうことが匂いでわかる。
「呑んでないですね。体調不良ですか?」
「いや、明日のことを考えて酒の量を控えているんです」
「明日のことというと?」
「人間の学校」
「あぁ」
「前日に酒をがばがば呑むというのも物を教える立場としてはどうかと思って…」
「なるほど。でも明日まで残りますか?」
「残る残らないじゃなくて、自覚の…教えるものとしてのモラルの問題です」
それなら最初から参加しないのが良いのでは?…と言う言葉は口には出さないでおいた。
「そういうあなたはメモとペン何か持って何か用?」
「はい、ちょっと取材です」
「宴会の?」
「違います。人間の人生観についての特集を組もうかと考えているのですが…どうもここに居る人間でははっきりしないのです。…で、ここは人間に詳しいあなたの意見を頂こうと参上した次第です。ですからこちらとしてはまだ呑んでいないのは有難いことですね」
彼女は不思議そうに言う。
「人間の人生観?そんな人間の思考に迫るようなことも特集するのか?…到底、妖怪に理解できる類のものではないと思うけど…」
「するのです。まぁ、他に面白い話題があれば即刻止めますが…」
ふぅん、と上白沢慧音は頷く。
「確かに、妖怪に人間の生死観を多少でも知らせるのは重要かもしれません。妖怪と人間の相互理解云々ではなく、単純な知識としての話ですが…」
前置きが長いが、兎も角私は取材を始めた。
「人間は時折自分の生き方、人生について疑問を持つことがあります」
「疑問とは?」
「この生き方でいいのか…自分の生き方は間違っていないか…まぁそんなところです」
「へぇ」
私は多少なり驚いた。
「人間というのはそんなことも解らないのですか」
「人間というのはあなたたちの様に好きなことを好きなときに好きなようにしていれば良いというものではないのです。生きるためには時として好きなことを諦めなければならないこともあります」
「それはつまらないですね。したいことも出来ないなんて人間の人生は哀れです」
何が気に入らなかったのか、上白沢慧音は少しむっとしたように顔を顰めた。私は慌てて話題を変える。
「でも、魔理沙さんなんてもうしたいことしかしてないように見えますけどね。実は彼女もああ見えて自分の生き方に疑問を持っていると?」
「それは私には解りかねることですね。一見好きなように生きているようで…実は何かに縛られているのかもしれない。…まぁ、多分好きなように生きているでしょうけど」
「ここの巫女とか…」
「巫女は…難しいところです。単純に先ほどの例は当てはまらないでしょう」
「と言うと?」
「例えば、巫女にその取材をしたとして…彼女が何と答えるか、私には解らないわ」
「先ほどしました」
「え?したの?」
「しました。でも私の質問を理解しているのか…お茶を飲んだり掃除したりするのが人生だと言っていましたね」
「それだけ?」
「妖怪退治したりすることや賽銭を期待することも人生だと言っていましたね」
「なるほど」
上白沢慧音は深く頷いた。
「霊夢の自分の立場への理解の深さを窺い知りました」
「え?今ので?どこがですか?」
「彼女は巫女です」
「そうですね」
「…ということは、霊夢の人生は巫女ということになります」
「はぁ」
「しかし、彼女はそうは言わなかった」
「言いませんでしたね」
「人生には、選択権がある…ものとしましょう。誰しもそうです。魔理沙だって魔法使いの人生を止めたければ止められる」
「はい」
「つまり、巫女が人生なら巫女も辞める事が出来るという理屈になる」
「そうなりますね」
「ですが、霊夢は自分の人生は巫女だとは言わなかった。あくまで、茶を飲み掃除をすることが人生だといったわけです」
「そうです」
「なら、彼女は一体どのレベルで自分のことを巫女だと認識してるのでしょうか?」
「知りません」
「人生という取り返しのつくレベルではない…ということでしょう。もっと上…自分という存在が巫女…ぐらいのレベルでの認識ではないでしょうか」
「…はぁ」
「解りやすくいうなら、自分には巫女以外のあり方は無い…と考えているということです」
「解ります…けど正直、だから何だという感想しか…」
「この考え方は、人間的ではありません。…むしろ、妖怪に近いような気すらします」
「そうですか?」
「妖怪に近い人生観ということは…その生き方への迷いが無いことを意味します。それは強さでもありますが…別の側面から見れば、ある種哀れなことでもあります」
そこまで話して、ようやく上白沢慧音は一息吐いた。そして…宴会の輪の中央に視線をやる。
「まぁ、今のあの巫女の様子を見ると…酔っ払いの与太だったという気も多分にしますが…」
巫女はお祓い棒を逆さまに持ち、それでぐるぐると笑いながら皿を回している。…何というか、ひどく罰当たりな印象を受けた。
「おーい!慧音!」
と、次の瞬間また霧雨魔理沙が皿を回しながら現れた。
「…なんだ?」
少し警戒したように慧音が言う。
「皿回しだぜ!今日のお前が皿を回さず誰が回すんだ!」
そう言って、魔理沙は皿回しを止め慧音の腕を引いた。
「さ…皿回し?私が?ちょっ…どういうことだ!?」
「なんだよぅ、その頭の立派な角は何のためにあるんだ?」
「つ…角?お前、私に角で皿回しをさせる気なのか?そんなみっともない真似が出来るわけが…」
「心配するな!」
何が「心配するな」なのか解らないが、ともかくそういうわけで上白沢慧音も連れて行かれてしまった。
かくして、このたびの取材は非常に尾切れトンボな形で終了したのである。
「うん、こんなところか…」
射命丸文はそう言って書き上げた原稿に目をやった。
「……うぅん…」
唇を窄める。
「なんだかなぁ…我ながら全然纏まっていないわ…結局なんの取材だったのかも解らないぐらいのものね…唯一それらしい取材になったメイドからは当たり前なことしか聞けなかったし…」
これは自分が悪いのではない…と、文は思う。取材に応じた連中の責任である。
「仕方ないかぁ…」
文はそう言ってため息を吐いた。
博霊神社。
「おーい、霊夢!」
「なに、魔理沙」
「文々。新聞の新刊見たか?」
「見てないわよ。…案外あなたってコマメに新聞チェックしてるのね」
「私とお前のこともちょこっとのってるぜ」
『特集!
深夜の宴会中で始まった皿回し大会!
優勝は自慢の角で二皿を同時に回した上白沢慧音に決定!』
「あぁ~、あれね~。あの皿回しはすごかったわ…頭ぐいんぐいん回してたものね」
「あぁ、あれにはさすがの私も負けたと思ったぜ…」
「あれ?そう言えば私あの日鴉に取材受けたと思ったんだけど…それは載ってないの?」
「没ったんじゃないか?一体何言ったんだ?」
「…全然憶えてないわ…何か適当なことを言っといた記憶は微かにあるんだけど…」
「それは没っても仕方ないな」
所詮、妖怪に人間の人生観を理解することは出来ない。その逆もまた然り。
お互いに共感出来ないからこそ、妖怪は人を襲い、人は妖怪を退治する。
それが、あくまでも自然な形なのだ。
せいぜい共感出来るのは、酒の味と皿を回す楽しみぐらいで充分だ。
ところで人里では…
「あれ?今日慧音様の学校は?」
「休みらしいよ」
「なんで?」
「なんでも首を回しすぎて捻挫したとか…」
「……なんで?」
《終わる》
それは本当に些細なことだった。
博麗神社の宴会…酒の席でのことである。
たまたま近くに座っていた霧雨魔理沙が不可解なことを言い出したのだ。
「人間の人生ってのは…あれだ…そのつまみみたいなものですわ」
因みに、これらの記述は全て私の記憶によるものであることを先に断っておく。酒の入った状態での記憶など当てにならないと思われるかもしれないが、私に限ってはそんな心配は一切無用だ。冴え渡る記憶力で、殆ど忠実に会話が再現されているはずだ。
話を戻そう。
私は霧雨魔理沙の言葉に驚いた。
突如として謎の人生論をぶった上に、口調もぶれていた。それだけでその時の彼女に如何に酒が入っていたのかが理解いただけるだろう。
酔っ払いの与太…と切り捨てても問題ないような言葉だったが、私はひどく興味を引かれた。自分をも含む人間をつまみとした心をなんとしても聞きたかったのだ。
「その心は?」
私の言葉に、霧雨魔理沙はにやりと笑い、ひょいと私の手元のつまみを奪って食べてしまった。そして、一言こう言った。
「余所見してたら食べられる」
正直、その時の私は魔理沙の言葉に多少醒めた。どう考え立って私のつまみを横盗るための前振りだったとしか思えなくなったからだ。
しかし、改めて考えると言い得て妙な気がしてきた。
妖怪に食われる…等の物理的な話だけではなく…人生の選択をせまられる状況でも同じことが言えるのではないか?
余所見…迷っていたら食べられる。
なるほど、なかなかどうして彼女自身の生き方を象徴した一言だったのかもしれないなと思った。迷っていたら仕損じると考えているからこそ、彼女はああして無鉄砲の考え無しに生きているのかもしれない。
いかにも馬鹿馬鹿しい理論だが、馬鹿なりに評価できるものだ。
そこで私は人間の生き方に興味を持った。
ちょうど新聞の特集のネタを決めかねていたということもあって、私はその方向での取材を考えてみたのだ。
しかし所詮は人間を扱った話題である。そこまで必死にするようなものでもない。何か別の話題が見つかったら迷わず切り替えるつもりでいる。
記者は時間を無駄には出来ない。
さしあたって、その宴会中に面白い話をしてくれそうな人物をピックアップして取材を申し込み、一晩で面白い話が出なかったら諦める方向で行くことにした。
以降がその取材内容となっている。
私はまず引き続き霧雨魔理沙に食い下がった。
「余所見してたら食べられる…というのはどういうことですか?」
私の言葉に霧雨魔理沙は「うん?」と首をかしげた。
「…どういうことって…お前、つまみ私に食べられただろ?」
「はい」
「そういうことだよ」
まるで説明になっていない。このことから、彼女の先ほどの発言がその場の思いつきだった線が濃厚になった。
しかし、さすがにそんな簡単に頓挫させるわけにもいかない。やると決めたなら真面目に取り組むことが大切なのだ。
私がもう一度尋ねようとしたとき、周りの妖怪たちがワッと湧き上がった。
私も視線をやると、そこには白玉楼の庭師、魂魄妖夢が立ち上がって何やら叫んでいる姿があった。顔を見ると視線も定まってはおらず…完全に出来上がっているのが解る。
珍妙な踊り好きで有名な彼女に、しきりに踊りの催促が飛ぶ。
「妖夢~~!皿回せ~~っ!」
私の隣の霧雨魔理沙も手を叩いて笑っていた。
「わひゃりまひたとも!」
…と魂魄妖夢が叫んだのだが、恐らくは「解りましたとも」と言いたかったのだろう。呂律が全く回っていなかった。
彼女はやおら皿を取り出すと、剣を抜いた。
「こんぱくようむ!けんひのおこりをかへて…おさらをまわひまふ!」
もはや何と言ったのか理解できないレベルだが、後で聞いた話では「剣士の誇りを賭けて皿を回す」と言っていたらしい。
何故皿を回すのに剣士の誇りなのか理解できないが、まぁ酒に呑まれている人の言葉にいちいち理解を示す必要は無いだろう。
げに恐ろしきは酒の魔力というところだろうか。
「とりゃ~~!」
と叫びながら彼女は剣の先端に皿をのせ、回していた。私はてっきり別の皿回しかと思っていたが…これはこれで面白かったのでよかった。
話を戻そう。あまりに皿回しが印象深かったのでついつい余分な記述をしてしまった。
私は霧雨魔理沙からの取材はそうそうに諦め、別の人物を探すことにした。
事前にある程度あたりはつけている。
次に話を聞こうと思っていたのは紅魔館のメイド長、十六夜咲夜である。
私は彼女の主人であるレミリア・スカーレットのそばで控えている十六夜咲夜の姿を見つけ、すぐに取材に入った。
あまり言葉や動作には出ていないが、彼女も少なくない酒を煽っているらしく…ほんのりと頬に朱が差していた。それでも意識がしっかりしている辺りは、メイドとしての面目躍如といったところだろうか。
「私にとっての人生?」
十六夜咲夜は私の言葉に眉根を寄せた。
「酒の席にそんな話題はどうかしら」
「いえいえ、取材です」
「取材?こんなよっぱらいばっかりのところでよくやるわ」
「でもあなたは酔ってはいないですよね」
彼女は軽く笑った。
「そりゃ、あの中央で皿回してる連中に比べたら素面ね」
視線につられて中央に目をやると…いつの間にやら霧雨魔理沙も加わり箒で皿を回していた。どうして箸で回さないのだろうかと思ったが…ここでは関係がないことだった。
「例えばあなたはメイドをしてますよね」
「してるわね」
「使われる人生に疑問は無いですか?」
「あなたは自分が記者をしていることに疑問は無いの?」
質問を質問で返されてしまう。どうも彼女は前々から取材をのらりくらりとかわす傾向がある。
「私は好きでしていますから」
「私も好きでしてるのよ」
なるほど、と頷く他は無い。私は少し切り口を変えた。
「じゃあ、あなたは主人であるレミリアさんが死ねとおっしゃれば死にます?」
彼女は笑った。
「そんなの、答えるまでもない…」
「死ぬんですね?」
「死なないわよ」
「あ、死なないんですか…なんでまた…?」
「死ねと言う理由も謎なのよ?死ぬわけが無いわ。知ってる?死んだら、死ぬのよ?」
「それはそうですが…でも今の言い方だと理由があれば死ぬとも取れますが?」
「死ぬに足る理由があれば、仕方が無いわよ。だって、死ぬに足るんだから」
なんだか当たり前のことを言われるだけで私は不満だった。死ねば死ぬ。死ぬに足るなら死ぬ。すべて当たり前だ。
「咲夜!」
その時レミリア嬢の鋭いお呼びが掛かった。
「はいはい、何でしょうか?お嬢様…」
彼女は慌しく自分の主人のところへ向かう。
「さっきあの馬鹿幽霊、自分の使用人が皿回しの王者とかぬかしてたわ!気に食わないから咲夜、あなたが皿回し記録を更新してきなさい!」
「…皿回しですか…」
「これは紅魔館の沽券の問題だわ!後塵を拝したままでは帰れないでしょ!」
…この時のレミリア嬢は酔っ払っていたのだろうか?皿回しが沽券に係わるとは、一体どういう貴族だろう。
十六夜咲夜はそのまま皿回しに向かってしまったのでこれ以上の取材は無理だった。
続き、私は目を付けていたもう一人の人物に取材に向かった。
仏頂面で酒をごくごく…というにはあまりにも大量に…がばがばと呑んでいる神社の巫女。博麗霊夢である。
人間に取材をするなら、彼女は外せないだろう。
「ご機嫌そうですね」
私は軽く挨拶をする。
「不機嫌だわ」
彼女も軽く答えた。
「あいつらの回してる皿、ほとんどウチのじゃない。どうせ最後には全部割るんだから…これからは紙の皿で充分ね」
そう言いながらも止めに行かない辺り、彼女も内心楽しんでいるのだろう。ぶつぶつ言いながらもこの巫女が宴会をこよなく愛してやまないのは有名な話だ。
「まぁまぁ、とりあえずは…」
などと言いつつ酒を呑ませる。一番難解なようで、この巫女への取材取り付けが一番簡単だったりするのが不思議だ。
そうしておいて、私は取材を開始する。…が、正直この時の巫女はすでにほぼ出来上がりつつある状態だった。話の信憑性は甚だ疑わしいものであることを事前に断っておく。
「人生?人生がどうしたって?」
「どうしたというか…あなたにとっての人生を取材したいのです」
ふぅむと巫女は唸った。
しかし、その酔っ払った頭でそんな深い思考が出来ているとは到底思えない。
「お茶飲んで…庭を掃除して…妖怪を退治して…お賽銭に期待して…」
最後の言葉のなんと哀愁漂うことだろう。しかし大方の予想通りトンチンカンな回答が返ってきた。
「改めてそう考えれば、私の人生って大忙しね!もっとゆとりを持たないと!」
「いえ、概ね暇にしか聞こえませんが…」
やはり出来上がっている。まさか本気で言っているわけではないだろう。
「で?それがどうかしたの?」
どうしたのと言われても困る。こちらとしてもそんな巫女の日課を聞いた訳ではないのだ。
「例えば、先ほど霧雨魔理沙さんは人生はつまみみたいなものだと言ってましたよ」
「つまみ?」
それを聞いた巫女は楽しそうに笑った。
「魔理沙にしては上手いこと言ったわ。詩があるわね」
どこに詩があるのかと思うが、口には出さなかった。
このままではまるで話が纏まらない。私は半ば強引に笑いに割り込む。
「それで、ですよ!あなたもそうやって一言で人生を言うことは出来ませんか?」
「一言で?それは無理だわ。だって…」
巫女は続ける。
「お茶と掃除は外せないもの」
まだ巫女はそう言った。どうして私の言いたいことを解ってくれないのか、もどかしくて私は頭を掻いた。
巫女は続けて言う。
「あんたの質問の意図は解ってるのよ?その上で私はそう言ってるの。解る?それが私の人生。解らないなら、まぁ別にいいけど」
私はため息を吐いた。やはり、宴会中の巫女は取材対象にはならないらしい。
と、丁度そこに霧雨魔理沙が箒で皿を回しながら現れた。
「どうだ霊夢!お前出来るか?」
たったそれだけの簡単な挑発だった。それだけで巫女は腰を上げた。
「あんたより上手いわよ!見てなさい!」
そういうと皿回しが行われている場所に駆けて行った。…結局は彼女も皿回しがやりたかったのだろう。
すっかり巫女の取材のあてがはずれてしまったものだから私はため息を吐いた。…しかし、ある程度先の三人から面白い話が得られないであろう事態は考えていた。
言うならば、想定の範囲内ということだ。
私は目を付けていた四人目を探した。
彼女はすぐ見つかった。そう言えば今日は満月である。高々とそびえる角が恰好の目印となっている。
私は上白沢慧音に話しかけた。
「どうも」
「ん?あぁ…」
彼女はちびちびと酒を飲んでいた。まだ全然呑んでいないであろうことが匂いでわかる。
「呑んでないですね。体調不良ですか?」
「いや、明日のことを考えて酒の量を控えているんです」
「明日のことというと?」
「人間の学校」
「あぁ」
「前日に酒をがばがば呑むというのも物を教える立場としてはどうかと思って…」
「なるほど。でも明日まで残りますか?」
「残る残らないじゃなくて、自覚の…教えるものとしてのモラルの問題です」
それなら最初から参加しないのが良いのでは?…と言う言葉は口には出さないでおいた。
「そういうあなたはメモとペン何か持って何か用?」
「はい、ちょっと取材です」
「宴会の?」
「違います。人間の人生観についての特集を組もうかと考えているのですが…どうもここに居る人間でははっきりしないのです。…で、ここは人間に詳しいあなたの意見を頂こうと参上した次第です。ですからこちらとしてはまだ呑んでいないのは有難いことですね」
彼女は不思議そうに言う。
「人間の人生観?そんな人間の思考に迫るようなことも特集するのか?…到底、妖怪に理解できる類のものではないと思うけど…」
「するのです。まぁ、他に面白い話題があれば即刻止めますが…」
ふぅん、と上白沢慧音は頷く。
「確かに、妖怪に人間の生死観を多少でも知らせるのは重要かもしれません。妖怪と人間の相互理解云々ではなく、単純な知識としての話ですが…」
前置きが長いが、兎も角私は取材を始めた。
「人間は時折自分の生き方、人生について疑問を持つことがあります」
「疑問とは?」
「この生き方でいいのか…自分の生き方は間違っていないか…まぁそんなところです」
「へぇ」
私は多少なり驚いた。
「人間というのはそんなことも解らないのですか」
「人間というのはあなたたちの様に好きなことを好きなときに好きなようにしていれば良いというものではないのです。生きるためには時として好きなことを諦めなければならないこともあります」
「それはつまらないですね。したいことも出来ないなんて人間の人生は哀れです」
何が気に入らなかったのか、上白沢慧音は少しむっとしたように顔を顰めた。私は慌てて話題を変える。
「でも、魔理沙さんなんてもうしたいことしかしてないように見えますけどね。実は彼女もああ見えて自分の生き方に疑問を持っていると?」
「それは私には解りかねることですね。一見好きなように生きているようで…実は何かに縛られているのかもしれない。…まぁ、多分好きなように生きているでしょうけど」
「ここの巫女とか…」
「巫女は…難しいところです。単純に先ほどの例は当てはまらないでしょう」
「と言うと?」
「例えば、巫女にその取材をしたとして…彼女が何と答えるか、私には解らないわ」
「先ほどしました」
「え?したの?」
「しました。でも私の質問を理解しているのか…お茶を飲んだり掃除したりするのが人生だと言っていましたね」
「それだけ?」
「妖怪退治したりすることや賽銭を期待することも人生だと言っていましたね」
「なるほど」
上白沢慧音は深く頷いた。
「霊夢の自分の立場への理解の深さを窺い知りました」
「え?今ので?どこがですか?」
「彼女は巫女です」
「そうですね」
「…ということは、霊夢の人生は巫女ということになります」
「はぁ」
「しかし、彼女はそうは言わなかった」
「言いませんでしたね」
「人生には、選択権がある…ものとしましょう。誰しもそうです。魔理沙だって魔法使いの人生を止めたければ止められる」
「はい」
「つまり、巫女が人生なら巫女も辞める事が出来るという理屈になる」
「そうなりますね」
「ですが、霊夢は自分の人生は巫女だとは言わなかった。あくまで、茶を飲み掃除をすることが人生だといったわけです」
「そうです」
「なら、彼女は一体どのレベルで自分のことを巫女だと認識してるのでしょうか?」
「知りません」
「人生という取り返しのつくレベルではない…ということでしょう。もっと上…自分という存在が巫女…ぐらいのレベルでの認識ではないでしょうか」
「…はぁ」
「解りやすくいうなら、自分には巫女以外のあり方は無い…と考えているということです」
「解ります…けど正直、だから何だという感想しか…」
「この考え方は、人間的ではありません。…むしろ、妖怪に近いような気すらします」
「そうですか?」
「妖怪に近い人生観ということは…その生き方への迷いが無いことを意味します。それは強さでもありますが…別の側面から見れば、ある種哀れなことでもあります」
そこまで話して、ようやく上白沢慧音は一息吐いた。そして…宴会の輪の中央に視線をやる。
「まぁ、今のあの巫女の様子を見ると…酔っ払いの与太だったという気も多分にしますが…」
巫女はお祓い棒を逆さまに持ち、それでぐるぐると笑いながら皿を回している。…何というか、ひどく罰当たりな印象を受けた。
「おーい!慧音!」
と、次の瞬間また霧雨魔理沙が皿を回しながら現れた。
「…なんだ?」
少し警戒したように慧音が言う。
「皿回しだぜ!今日のお前が皿を回さず誰が回すんだ!」
そう言って、魔理沙は皿回しを止め慧音の腕を引いた。
「さ…皿回し?私が?ちょっ…どういうことだ!?」
「なんだよぅ、その頭の立派な角は何のためにあるんだ?」
「つ…角?お前、私に角で皿回しをさせる気なのか?そんなみっともない真似が出来るわけが…」
「心配するな!」
何が「心配するな」なのか解らないが、ともかくそういうわけで上白沢慧音も連れて行かれてしまった。
かくして、このたびの取材は非常に尾切れトンボな形で終了したのである。
「うん、こんなところか…」
射命丸文はそう言って書き上げた原稿に目をやった。
「……うぅん…」
唇を窄める。
「なんだかなぁ…我ながら全然纏まっていないわ…結局なんの取材だったのかも解らないぐらいのものね…唯一それらしい取材になったメイドからは当たり前なことしか聞けなかったし…」
これは自分が悪いのではない…と、文は思う。取材に応じた連中の責任である。
「仕方ないかぁ…」
文はそう言ってため息を吐いた。
博霊神社。
「おーい、霊夢!」
「なに、魔理沙」
「文々。新聞の新刊見たか?」
「見てないわよ。…案外あなたってコマメに新聞チェックしてるのね」
「私とお前のこともちょこっとのってるぜ」
『特集!
深夜の宴会中で始まった皿回し大会!
優勝は自慢の角で二皿を同時に回した上白沢慧音に決定!』
「あぁ~、あれね~。あの皿回しはすごかったわ…頭ぐいんぐいん回してたものね」
「あぁ、あれにはさすがの私も負けたと思ったぜ…」
「あれ?そう言えば私あの日鴉に取材受けたと思ったんだけど…それは載ってないの?」
「没ったんじゃないか?一体何言ったんだ?」
「…全然憶えてないわ…何か適当なことを言っといた記憶は微かにあるんだけど…」
「それは没っても仕方ないな」
所詮、妖怪に人間の人生観を理解することは出来ない。その逆もまた然り。
お互いに共感出来ないからこそ、妖怪は人を襲い、人は妖怪を退治する。
それが、あくまでも自然な形なのだ。
せいぜい共感出来るのは、酒の味と皿を回す楽しみぐらいで充分だ。
ところで人里では…
「あれ?今日慧音様の学校は?」
「休みらしいよ」
「なんで?」
「なんでも首を回しすぎて捻挫したとか…」
「……なんで?」
《終わる》