もう駄目だと魔女は思った。
チェックメイト。完全に終わっている。手札を失い、全身に傷を負ったこの状態で、あの化け物を相手にどう戦えばいいのか。
何より――肉を切り、骨を断ち、原形を止めないまでにばらばらにしても死なないなら……いったいどうやれば殺せるというのか。
夜の王。その力はあまりに強大で、勝つ可能性など初めから万に一つもなく、生き残る可能性はさらに低い――いや、ゼロと言ってもいいかもしれない。
諦めろ。
魔女を見る吸血鬼の目はそう言っているようで、また、逆らう気も起きなかった。
「これで終わり、か。案外呆気ないものね」
「そうね。百年振りに楽しめると思って来てみればとんだ茶番に付き合わされたものだわ」
吸血鬼は大仰に手を広げ、わざとらしくため息をついてから、改めて魔女を見下ろす。
紅い瞳に睨まれて、魔女はわずかに体を強ばらせた。
と、その目から険が抜け落ちる。
「だいたい貴方、私を馬鹿にしているの?」
「……は?」
地面に降り立ち、ちょこちょこ歩きながら腰に手を当てて怒るその姿は、年相応の少女にしか見えない。そのインパクトたるや痛みさえ忘れてしまうほどだ。
「夜の吸血鬼《わたし》を相手に正面からぶつかって、しかも聖水も白木の杭も太陽の光もなしに本気で勝てると思っていたの?」
「……」
「だんまりってことは、つまりそういうことね。……ねえ、貴方、本当に昨日と同じ人?」
次から次へと投げかけられる言葉に、魔女はただ唖然となるばかりだった。
………………
…………
……
「帰る」
たっぷりと十分は喋った頃、吸血鬼は唐突に言った。
「そう。じゃあ手早くお願いするわ」
いい加減うんざりしていた魔女は投げやり気味にそう返した。
吸血鬼は答えずに魔女を見ていたが、何を考えたのかその脇を抜けて歩き出した。
「……殺さないの?」
吸血鬼は答えない。足を止めることなく歩いていく。
助かったにもかかわらず、魔女の心の中には何か重たいものが溜まっていくような、そんな不快感があった。足音が遠ざかるほどそれは重みを増していく。
やがて、彼女は声を張り上げて、言った。
「――答えなさいよ!」
その声には問い詰めるというより、教えてくれと懇願するような響きがあった。
足音が止まる。
「あー……『どうして殺さないのか?』って?」
振り返ったその先で、吸血鬼は空を見上げながらぽつりと言った。
――だって、今の貴方にはその価値がないもの。
返ってきた言葉は簡潔なものだった。
振り向き、無邪気な笑顔を浮かべて吸血鬼は続ける。
「必要な手段を講じることもせず、自分の力を過信し、不利になればさっさと勝負を投げて、視えるはずのない未来を勝手に作り出してそこに閉じこもる。「もう駄目だ。私はここで死ぬんだ」って。だからこうして私が無防備な姿をさらしていても行動一つ起こしやしない。わかる? 今の貴方は生ける屍同然。相手にする価値さえない。殺したところで私の名が汚れるだけ。だから死にたければ勝手に死ねばいい。生きたければ生きればいい。私にはもう何の関係もないことよ」
一方的に喋って、吸血鬼は空に飛び上がるとそのまま館の方へ飛び去っていった。
魔女はしばらく呆然としていた。
当たり前のことだが体中が痛い。血もかなり流れてしまった。そのせいか、寒気と目眩が同時に襲ってくる。
魔女はついにその感覚に耐えられなくなって膝をつき、やがて倒れた。
倒れても揺れは収まらない。それどころか蒸せかえるような血の臭いを吸い込んで余計に気持ちが悪くなった。無理もない。ここは自分と吸血鬼の血でべっとりだ。
痛み。
吐き気。
寒気。
暗くなっていく視界。
それらの意味するところは――死。
気づけば彼女は鉛のように重い体を引きずって、両の足で立って歩いていた。
「ふ、ふ……あはははは……」
そして笑っていた。
おかしかった。
さっきはあんなにあっさりと生きることを放棄したはずの自分が、痛みと苦しみとに負けて、こうして情けない姿を晒しながら必死に足掻いていることが。
……あの吸血鬼の言うとおりだ。
私は本当につまらない存在だった。
だから吸血鬼は私を見逃した。興味を失った相手に構ってやるほど悪魔はお人好しではないから。
そのことが、何故か悔しかった。
頭の悪い輩のように声に出して思い切り叫んでみれば少しは落ち着くかもしれない。
けれど悲しいかな。今の体でそんなことをすれば、失神するか天からお迎えが来てしまうだろう。
(こんなことを考えるなんて、我ながらどうかしてるわ……)
やっとの思いで部屋に戻った彼女は、小瓶に入った薬を一口飲んでベッドに倒れ込んだ。
◆
「お帰りなさい、お嬢さま」
「ただいま。……これ、使うまでもなかったわ」
「そうですか」
吸血鬼から日傘を受け取りながら、妖怪は脇を通り抜けていく主の横顔を眺めた。
見たところ、機嫌は良いらしい。ということは無事に目的を果たすことが出来たのだろう。
「違うわよ」
「……え?」
門を潜って館に入っていく主は、彼女の考えを読んだかのように言った。
彼女は慌ててその後を追いかける。幸い、歩幅が倍ほども違うのですぐに追いつくことができた。
「どういうことですか?」
「だから、『殺してない』って言ったのよ」
持ち場を離れたことを咎めることも無く、吸血鬼は言った。
ただ、後ろをついて歩く妖怪からは、その表情を見ることは出来なかった。
「……あの、そのために出ていったんじゃないんですか?」
「ええ。初めはそのつもりだったのだけど……?」
言いかけて、吸血鬼はその場で歩くことを止めた。
それから何を思ったのか、自分の顔の近くで手を握ったり開いたりしている。
疑問に思った妖怪が行動の意味を尋ねようとしたその時、吸血鬼の腕が自身の重みに耐えきれなくなったように千切れて落ちた。
「……さすがね、って褒めてあげるべきだったかしら。こんなに綺麗な月の晩でもなければ……危なかったかもしれないわ」
脚が本来有り得ない方向に曲がったかと思うと、とっさに伸ばした妖怪の手をすり抜けて、嫌な音を立てながら吸血鬼は床に倒れこんだ。
その様は、潰れたトマトと表現するのが適当だろう。
事実、吸血鬼の体は――頭こそ無事なものの――中ほどまでが完全に潰れていた。血や肉片が彼女の着ている白い服を赤く彩っていく。
「お、……お嬢さま!!」
小さな体を抱き上げようとして、しかし、妖怪は躊躇った。
なにせ倒れただけでこれだ。抱き起こそうとすればどうなるかわからない。
そうなれば、もしかしたら生きているかもしれない主を完全に殺してしまうのではないか?
誰かを呼ぶことさえ思いつかずおろおろしていると、すぐ後ろで何かが羽ばたくような音を聞いた。
――振り返るな。
彼女の行動を先読みしたかのように、彼女の良く知る声で、それは言った。
「……お、お嬢様?」
万が一ということもあるのでとりあえず聞いてみる。
……。
答えは返ってこなかった。
「お嬢様……ですよね?」
意を決してもう一度聞いてみる。
――そうよ。
今度は不機嫌な声が返って来た。
「……なんで振り返っちゃいけないんですか?」
――見られたくないからよ!
自分では至極真っ当な質問だと思ったのだが、何故か怒られた。
そこで彼女は考える。
どうして主は自分の姿を見るなと言うのだろうか?
寝起きだって裸だって見たことがあるのに。
それに「見るな」と言われれば見たくなるのが世の常である。
――仕方ないじゃない。欠損が酷すぎてその体を維持できなくなっちゃったんだから。
見れば確かに、床の上に倒れていた主の体は霧のように消えていた。
では、今はどんな格好を?
お嬢様の言葉はやたらと彼女の好奇心を刺激する。
事故を装えば何とかなるかもしれない。
数秒の葛藤の末、彼女はついにそんな考えに至る。
――とりあえず、そのまま立って、私の部屋まで案内しなさい。
「わかりました」
と、命令に従う振りをして、廊下の角を曲がるその瞬間、わざとよろけて後ろを……
――殺すわよ?
振り向かずに歩いて無事に部屋まで辿りつき、黙ってドアを開けて閉めて立ち去った。
この時の主がどんな姿をしていたか、彼女は未来永劫、知ることは無い。
◆
それから幾つもの夜が過ぎて。
満月の下を、魔女は一冊の魔道書を手に、飛んでいた。
あの吸血鬼が住んでいる、悪趣味なまでに紅い館へと。
(これで……今度こそ間違いなく殺されるわね)
家を出てから何度同じことを考えただろうか。
考えたくはないが、考えずにはいられない。あの爪が、牙が、容赦なく体を切り刻み、喰いちぎる。その後に訪れる死という結末のことを。
想像しただけであの戦いの記憶が蘇る。書を持つ手に汗が滲み、体が震える。
今ならまだ間に合う。引き返してこの地を離れ、また別の場所に住めばいいだけのことじゃないか。吸血鬼を討つなんて、所詮は一魔法使いである自分には過ぎた目標だった。それだけのこと。何を恥じることがある。
そんな考えが頭の中をぐるぐる回る。
確かに、吸血鬼という強大な力を持つものに対して、魔法使いという存在はあまりに弱い。加えて満月ともなれば、戦力差は前回の比ではないだろう。
しかし、それら全てを踏まえた上で、彼女は吸血鬼と戦うことを決めた。
ここで死ぬなら、それもいい。あの夜の王の手にかかって死ねるなら、悔いも残らない。
そんな開き直りとも取れる考えに、彼女自身、初めは驚いたものだ。
けれども今となっては何故、その考えに至ったか、理解できる。
「え――?」
肌に感じたのは斬りつけられた痛み。服と肌が裂け、傷口から赤い血が噴き出す。
(落ち着け……!)
魔女は出かかった声を飲み込み、目を閉じて強く、意識を自分に向ける。目を開けると何も変わってはいなかった。
殺気ではない、触れれば切れるような気迫を感じるだけ。
「考え事をしているうちに着いちゃったみたいね。……さて、正面からっていうのは私の流儀じゃないけれど、今回ばかりはそれで行こうかしら」
地面に降り立つと張り詰めていた空気がふっと緩む。
相手にも何か考え合ってのことだろう。魔女は特に気にすることなく歩いていく。
そして、門の前に立つ紅い髪の妖怪を見つけ、足を止めた。
「そのまま引き返してください。さもなくば……」
名乗ることもせず、妖怪は腰を落とし、構えを取る。
「この紅魔館の門を預かる者として、お嬢様の命により貴方を排除します」
彼女から感じ取れるのは侵入者は排除するという一つの決意のみ。
殺すかあるいは体の自由を奪わない限り、先に進むことは難しいだろうと、魔女は思った。
しかし、それはたいした障害ではないとも思う。
なぜなら。
「……貴方、良い人なのね」
単純にこの妖怪は人が良すぎるのだ。
「……?」
「さっきもそう。不意を討てば私を殺すことだって出来たはずなのに。そのことに感謝はするけど、でも残念ね。貴方の言葉に耳を貸すつもりは無いわ。私が聞きたいのは一つだけ。ここを通すのか、通さないのか。答えなさい」
魔女は一方的に言いたいことだけを言って再び歩き始める。
「答えるまでもない!」
「……そう」
妖怪が踏み込むのと同時に、魔女は呪文を唱え終わっていた。
彼女の周囲につむじ風が起こる。風は砂と土を巻き上げ、妖怪の攻撃を阻む。思わず庇った目から手をどけると、視界いっぱいに広がった掌。
――瞬間、昼間と見紛うほどの閃光があたりを照らす。
二三歩後ずさり、声を上げることもなく妖怪は崩れ落ちた。
「聞こえているかどうか分からないけど忠告を一つあげる。死にたくないなら……これからは侵入者を見つけたら不意打ちでも何でもいい、殺すことだけを考えなさい」
倒れたままピクリとも動かない妖怪にそう告げて、魔女は門を潜っていった。
◇
延々と続く紅い廊下。
綺麗な色もここまで過ぎれば毒々しく映るらしい。あまりに鮮やかな色のせいで目がおかしくなりそうだ。
奥に見える扉を目指しながら、魔女はそんなことを考えていた――もとい、考えられるほどに暇だった。
門番を倒してからこっち、彼女の侵入に気づいているはずなのに、誰も迎撃に出てこない。
この洋館、大きくはないが、決して小さくもない。少なくとも使用人の十や二十はいると思っていただけに、さすがにこれは拍子抜けだった。
(と言うことは……無人か)
とはいえ、小物を相手に無駄な体力を使わないで済むならそれに越したことはない。
魔女は進み――おそらくは広間に通じているであろう大きな扉に辿りつく。
「これは……魔法で吹き飛ばすべきかしら……それともノック?」
少し考えて、自分の言ったことを思い出した魔女は手を上げ、扉をノックしようとして――何もない空間を叩いた。
――ようこそ魔法使いさん。私は貴方を歓迎するわ。
そして、音もなく開かれた扉の向こうには、その体躯に不釣合いなほど大きな玉座に腰掛けた吸血鬼がいた。
「自分で言ったことは守るのね、貴方」
「……そう心掛けているわ」
笑顔を浮かべてはいるが吸血鬼の目は真っ直ぐに魔女へと向けられている。
逃げ出したい衝動に駆られながらも、魔女はそれを真っ向から見返す。
「貴方とまた会えるなんてね。あの様子じゃ逃げ出すだろうと思っていたわ」
「そうね。否定はしない」
魔女はゆっくりと、一歩ずつ進んでいく。
「では、何故? 別にいいのよ、逃げたって。魔法使いが一人で夜の王に挑むなんて無謀もいいところ。それとも、せっかく拾った命を捨てるつもり?」
「いいえ」
静かに、けれどもはっきりと、魔女は言う。
「命を捨てるつもりなんてないわ」
「それなら何? 私に忠誠でも誓ってくれるのかしら?」
「――質の悪い冗談ね」
魔女の持っていた魔道書が音もなく開いた。
その中の一ページ、緑の光を放つそれに手をかざすと、一枚のカードが浮かび上がる。
「今度こそ……私は――」
魔女はスペルを宣言する。
空気は渦を巻き、刃となって吸血鬼に襲いかかった。
◇
……夢を見た。
ここではないどこか、大きな部屋に大勢の人が集まっていた。
見れば大人から子供まで年は様々。腰の曲がった老人もいれば小さな子供もいる。
彼らは大きく二つのグループに分かれていた。
簡単に言ってしまえば、大人と、子供に。
大人たちはそこでも二つのグループに分かれて言い争っていた。
凄まじい形相で相手を睨みつけ、唾を飛ばしながら口汚く罵る者。
相手を宥め、あくまでも穏やかに話をしようとする者。
子供たちはその輪から外れて部屋の隅に固まり、大人たちの話が終わるのをじっと待っていた。
私はどちらかで言えば子供だった。周りの子供よりは幾らか年が上だったが、やはり幼く、矢継ぎ早に喋る彼らの言葉の半分も聞き取れていなかった。
でも、時々聞こえてくる会話の端々に幾つかの言葉を聞き取ることはできた。
「臆病者」「卑怯者」「滅びる」「殺すべきだ」「人間」「魔法使い」「誇り」
意味はわかった。
あまり良い意味ではないことも。
なにしろ、それらを口にする者の目がすでに常軌を逸しているのだ――子供の私にさえわかるほどに。
だから私たちは皆でいっそう寄り集まっていた。
そうでもしないと、一人になると不安に押し潰されそうだったから。
泣きそうになるのを必死に堪えながら、私たちは嵐が過ぎ去るのを待つ小鳥のように、小さく身を屈め、息を殺してじっとしていた。
やがて日が暮れて、皆が皆、それぞれの家に帰っていく。
私は母に手を引かれて、祖父と兄の後ろを歩いていた。
父はいなかった。母に聞くと「今夜は帰らないそうよ」と寂しそうに言われた。
母はそれ以上何も語らず、それからは祖父も兄も一言も喋らなかった。
……どうして、こんなことになったの?
布団に潜り込んだ私は思いを巡らせる。
きっかけは……そう、人が増えすぎたことにあったと聞いた気がする。
彼らは木を切り、土を掘り起こし、川の流れをせき止めて、石と鉄の建物で大地を覆っていった。
魔法使いの力の源は自然にある。
このままでは魔法そのものが衰退、あるいは消滅してしまう。
そう考えた私たちの祖先は彼らと話し合い、境界線を設けて、不可侵の地とした。
しかし、私たち魔法使いに比べて人間の寿命はあまりに短かった。
世代を重ねるごとに価値観は変わり、彼らは次第に私たちとの『約束』を忘れていった。
そして一月前、あの事件が起こった。
境界線の境に住んでいた一家が、人間に殺されたのだ。
どちらが先に手を出したのか、人間たちの目的は何だったのか、今となってはわからない。
あれ以来、この里は二つに分かれている。
つまり、父を初めとする「仲間を殺した人間と戦うべきだ」と主張するグループと、
祖父を初めとする、「争いを避けて隠れ住むべきだ」と主張するグループに。
父が帰ってこないのはそういうわけだった。
私はそこで眠ってしまった。
結局、子供の私にできることは何もない。
毎日のように開かれる集会に、母に手を引かれて着いていくだけだった。
場面が切り替わる。
どれだけの時間が経ったのかはわからない。
一つだけ確かなことは、人間との戦争が始まってしまったということ。
ただ、後から考えれば、それが戦争と呼べるものであったかどうかは疑問だ。
例えるならそれは――蟻が巨象に立ち向かうような、絶対的な力の差。
第三者の視点で見れば、あまりに滑稽な、無謀な行為に他ならなかったからだ。
その日の夜、大人たちは魔道書を手に、今度は自らの足で境界線を越えて人間たちの町に攻め入った。
魔法の力は強大だった。燃え上がる炎は夜空を赤く染め上げ、住民たちは為す術なく倒れ――死んでいった。
私はその様子を、里外れの木の上に登って眺めていた。
遠見の魔法を使えば焼かれて死んでいく人々の姿まで見ることが出来た。
風の精霊に頼めば苦しむ人の声まで聞くことも出来た。
そして、何かに怯える精霊たちの声も……。
次の日。
目を覚ますと全てが終わった。
ベッドから這い出た私の目に入ったのは見たこともない精霊。
彼らはつるりとした黒い皮膚と、体の半分以上を占めるのではないかというくらい大きな口を持っていた。彼らは何をするでもなく、私の言葉に耳を貸すでもなく、ふわふわとそこらを漂っている。
嫌な予感がして、私は寝巻きのまま部屋を飛び出した。
家中を探し回っても、母も、兄も、祖父も見つけることが出来ない。
胸の内で嫌な予感がどんどん膨らんでいく。
家を出た私は、予感が現実となったことを知った。
木は枯れ、川は澱み、辺りには嫌な臭いが立ち込めていた。
何より、昨日はあれほどいた精霊たちがどこにもいなかった。代わりに、町のいたるところであの黒い精霊を見かける。
やがて私は理解する。
あの精霊は――死、だと。
そして、その原因は人間たちだと。
そう断定するだけの根拠が私にはあった。
私たちの使う魔法とはつまり、自然に存在している精霊の力を借りて行うもの。
逆に言ってしまえば、精霊そのものがなくなってしまえば魔法は使えなくなる。
だから人間たちは空気を汚し、木を枯らし、川を殺して私たちから戦う力を奪ったのだ。
『約束』を忘れていたのは人間たちだけじゃない。自然が失われれば魔法が使えなくなると、私たちの祖先は彼らに教えていた――私たちはそのことを忘れていた。
心臓の鼓動が、足の運びが速くなる。
理解したことはもう一つあった。
それは「自分たちを傷つけた者たちから戦う力を奪った後、人間たちはどうするのだろうか?」ということ。
私なら生かしてはおかない。
自分たちを傷つけた、自分たちとは違う種族を生かしておこうなんて思わない。
そう。
私の父たちがそうしたように、きっと彼らも――。
辿りついた広場にはおびただしい数の黒い精霊と、あの嫌な臭いが漂っていた。
私は目を宙に向けたまま、ごくりと唾を飲み込む。
この精霊たちは『死』の精霊。彼らがいるところでは必ず何らかの死がある。
それなら……、これほど多くの精霊が漂うこの場所には、私の足元には何が転がっているのだろうか?
吐き気を堪えるよう奥歯をきつく噛み締めて、少しずつ、少しずつ目線を下げていく。
――初めに目が合ったのは、兄だった。
胸に開いた穴から流れ出ていた血は乾いて固まり、死んでから時間が経っていることを示していた。
目は念入りに潰され、口がこじ開けられて舌を切り取られている。
涙は出てこなかった。悲しいとか、気持ち悪いとか、そこまで頭が回らなかったのかもしれない。
ただ、なるほどよく調べている、とだけ思った。
優れた魔法使いは目を見るだけで相手を操ることが出来るし、ほとんどの魔法は喋ることが出来なければ使えない。
目と舌。この二つが魔法使いにとっての生命線と言える。
転がっている死体を調べながら、私は頭のどこかで冷静にそんなことを考えていた。
探せばみんなすぐに見つかった。
中には見たことのない服装の死体――これが『人間』だろう――も混じっていたけれど、住人全部を合わせても百に満たないこの里だ。思ったより時間はかからなかった。
やはり母も、祖父も、同じように目を潰されて舌を切り取られていた。
しかし父だけは違っていた。両手両足がおかしな方向に捻じ曲がり、耳と鼻が削ぎ落とされて、目と舌を引きずり出された状態で中央の木に吊るされていた。
酷いとは思ったが、また無理もない、とも思う。
真っ先に人間に町に攻め込むことを提案したのは父。脅迫紛いの行動を取りながら皆を説得したのも父。実際に人間の町に攻め込んだ時にも先頭にいたのもやはり父だった。
父が何を考えていたのかは分からないが、もしかしたらこの惨劇の原因は父にあったのかもしれない。
ならば、これは当然の報いなのだろう。
……あ、そうだ。逃げなくちゃ。
空白の後、私は里の外に向かって走っていた。
履いていた靴はいつの間にか脱げていて、死体の上を歩いていたせいで足はどす黒い血の色に染まっている。しかも裸足で走るものだから足の裏が擦り剥けて血が滲んでいた。
でもぜんぜん気にならなかった。
これ以上ここに留まっていれば人間たちに殺されるのは間違いなかったし、あの黒い精霊を見るのは嫌だったし、死体の臭いを嗅ぐのも嫌だったから。
息をするたびに体の中が汚れていくようで、私は袖で口を覆いながらひたすら走り続けた。
それから続くのは本に囲まれた日々。
私は全てを忘れるようと必死になって本を読み漁り、様々な知識を身に付け、それを実践していった。
しかし、その度に誰かが頭の中で囁く声が聞こえた――それでは駄目だ、と。
声を振り払うように私は本を読み、知識を身に付けていく。
本を読むことであの忌まわしい記憶を一時でも忘れられたし、知識を身に付けることで僅かばかりの安心を得ることが出来たから。
やがて声は聞こえなくなったが、それでも私は本を読むことを止めようとはしなかった――正確には止められなくなっていた、と言ったほうが正しいだろう。
何のことはない。
私はあれからずっと逃げ続けてきたからだ。
本と知識を隠れ身にしてあらゆるものに心を閉ざして、ずっと逃げ続けてきた。
だから逃げることを止められなくなっていた。
肉親を殺され、一人生き残った者が何を考えるか?
私はこう答えるだろう――復讐と。
ならば私は復讐しなければならない。
私の肉親を殺し、里のものを皆殺しにした人間に復讐しなければならない。
……私が、復讐する? 誰に? 人間に?
嫌だ。
結果は見えている。
千人は殺せるかもしれない。万を殺せるかもしれない。
でもそんなのは人間の中のほんの一握りだ。
その数十倍、数百倍の人間が私を殺しにやって来る。
手に武器を持って、皆が私一人に目を向けて、殺しにやって来る。
そして私は殺されるだろう。
父のように手足を折られ、耳と鼻を削ぎ落とされて、目と舌を引きずり出されて。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――!
思い出すだけで体が震える。
だから私は本を開く。
本を開いている間は嫌なことは全て忘れられたから。嫌なことから逃げることが出来たから。
敵とは実験材料。得た知識を試すだけの存在でしかない。
そう考えていた私が……何故かあの吸血鬼に心を惹かれていた。
一度目。危険を承知で部屋の中まで招き入れ、貴重な魔道書を軒並み破壊されながらも気に掛けていたのはあの吸血鬼のこと。
二度目。敗れたことにではなく、あの吸血鬼に愛想をつかされた自分に悔しさを感じていた。
三度目。逃げることなど初めから頭の中にはなかった。
私は自分の持てる全ての力であれに戦いを挑む。
そして私は……私は――もう、逃げることはしない。
◇
魔女の手から五枚目のスペルカードが落ちた。間を置かず弧を描くように横へ跳び、吸血鬼の追撃をやり過ごす。
また一枚、別のスペルカードを取り出した魔女を見て、吸血鬼は目を細めた。
「ずいぶんたくさん持ってきたのね。ここから先は期待していいのかしら?」
「ええ、もちろん。退屈させないことを保証するわ」
スペルカードが青い光を放つ。
「金生水――水符『ベリーインレイク』」
「きん、しょう、すい……?」
聞き慣れない言葉に首を傾げた瞬間、じわりと滲み出た水が吸血鬼の脚に絡みつき――比喩でも何でもなく、文字通り吸血鬼の脚を喰いちぎった。
「――ふん」
舌打ち一つ。吸血鬼は水の塊を殴りつける。
蒸発した水と入れ違いにちぎれた脚がコウモリとなって主の元に戻り、元通りの脚を構成した。
その間にも水はじわじわと数を増していく。
動き自体は速くない。緩慢に、触手を伸ばして獲物を捕らえようと迫ってくる。
「……またこのパターン?」
いつぞやの夜を思い出しながら吸血鬼はその身を霧へ変えようとして、思いとどまった。
自分の体を侵すほどの水なら、細分化した状態ではひとたまりもない。
(なるほど。一応は考えているわけね)
吸血鬼は考え直し、水の間を抜けて天井まで一気に飛び上がった。
逆さに張りついた彼女の目に標的を見失って動きを止めた触手の群れが映る。
「夜符『デーモンキングクレイドル』」
スペルを宣言。
吸血鬼の小さな体を膨大な魔力が包み込み、一個の砲弾へと変える。
天井を蹴り、急降下する砲弾は遮るもの全てを巻き込み、消滅させながら床に激突し、館全体を揺るがした。
ややあって、床にできたクレーターの中央で、膝をついた吸血鬼が立ち上がる。
もうあの水が湧き出てくる気配はない。少しばかりの安堵を覚えたところへ、
「水生木――『グリーンストーム』」
先程とは比較にならない、竜巻と呼んでも差し支えないほど強力な風の刃が襲い掛かる。
さすがにこれを避けることは出来なかった。飛べば体を引きちぎられてしまう。
吸血鬼は大きく広げた翼で体を守り、膝をついて嵐をやり過ごそうとする。
それを見た魔女は次のスペルカードを取り出す。風の刃ではどうあっても翼のまとう魔力を突破できないことが分かっていたからだ。
「木生火――『アグニレイディアンス』」
魔女がスペルを唱えると風が徐々に弱まっていき、その力を吸い上げたように大きく、強く輝く炎が生み出された。
頭上の炎に向けて両手を揃え、前へ。投擲の要領で放たれた炎は、未だに守りを解かない吸血鬼をその翼ごと焼き払おうと襲い掛かる。
しかし。
「ごぎょう……五行。確か東洋の国の言葉だったわね?」
炎が届く寸前、広げられた翼がそれを二つに切り裂く。
涼しい顔をして立っている吸血鬼とは対照的に魔女の顔には動揺が現れている。
「当たりみたいね。木から火……それなら次は土、かしら?」
「火生土――『トリリトンシェイク』」
「やっぱり」
地面から突き出してくる石柱を見て吸血鬼は笑う。
「でも残念。こんなに力の乱れた魔法では私は倒せないわ」
吸血鬼はひらりひらりとそれらをかわし、時には砕きながら言った。
魔女は答えを返さず、次のスペルカードを取り出し、構える。
その瞳の光が消えていないことを見て取った吸血鬼は目を細めた。この魔法使いはまだ、何かを隠し持っている。そう直感したからだ。
「土生金――『シルバードラゴン』」
スペルを唱え終わると同時に石柱が崩れて土塊に戻り、その中から銀色に輝く巨大な竜が姿を現した。
無機質な瞳が吸血鬼の姿を捉え、その体に似合わぬ速さで吸血鬼に襲い掛かる。大きく開かれた口の中にはずらりと、凶悪な光を放つ牙が並んでいる。これに喰いつかれれば抵抗する間もなくばらばらにされてしまうだろう。
だが、速さだけで言うなら吸血鬼はその数段上を行っていた。竜の顎が閉じられた瞬間、ほとんど消えたとしか思えない速さで背後に回りこんでいる。
そこから繰り出された爪はしかし、竜の持つ硬い皮膚に弾かれる。体勢を崩したところへ尾の一撃。吸血鬼の小さな体は勢いよく壁に叩きつけられた。
「あいたたた……なんて硬さよ、もう」
めり込んだ体を壁から剥がし、吸血鬼は再び跳躍する。
突撃する竜の顎をかわしたところで轟音。勢いを殺すことなく竜が頭から外に面した壁に突っ込み、大穴を開けたのだ。
当然の事ながら、頭を引き抜いた竜には――吸血鬼の爪を弾くほどの皮膚には傷ひとつない。
吸血鬼の眉がかすかに動いた。
竜は宙に浮く吸血鬼を見つけ、反転した。吸血鬼が「あ」と言ったときにはもう遅い。振るわれた尻尾が、遠心力も相まって壁一枚を完全に薙ぎ倒す。
風通しの良い、とても穴とは呼べないものが一つ出来上がった。ぴくり、と吸血鬼のこめかみに筋が浮く。
「――必殺『ハートブレイク』」
手に現れたのは真紅の槍。
禍々しい光を放つそれを大きく振り被り、今度こそ喰らいつこうと襲い来る竜に向けて投げ放つ。
それは、文字通り必殺の一撃。
狙い違わず竜の口を貫き、尾を喰い破って床に突き刺さった。
竜は大きく開けた口をゆっくりと、金属の軋む音を立てながら閉じ、それを最後にぼろぼろと崩れ落ちていった。
「やれやれ、ね。竜退治と言えば剣が基本なのだけど……?」
ひときわ強い光に気を引かれそちらへ首を向けると、魔女の手には五枚のスペルカードがあった。
それらは互いを打ち消しあうことなく、むしろ高め合いながら一つへと重なり、
「完成――火水木金土符『賢者の石』」
同時に吸血鬼を囲むように五つの宝玉が出現した。
その一つ一つが先程のスペルと同等の力を秘めていることは本能が理解している。下手な防御や回避は通用しないだろう。
「ふ……ははっ」
吸血鬼はこの時、初めて声を出して笑った。
本当に嬉しそうに、愉しそうに。
両手を上げて空を仰ぎ、目を閉じて感動のため息を漏らす。
「これで、やっと……」
静寂に響く、小さな呟き。
「――紅魔『スカーレットデビル』」
天を突く、巨大な紅い十字架。
魔女の目にそれはそう映った。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははは――!!」
真紅の目を大きく開けて吸血鬼は力の限りに笑っていた。
狂ったように、その体に秘められた暴力を余すことなく撒き散らす。
五つの宝玉はもとより、広間の天井、壁という壁が全て吹き飛ばされた。
やがて光が消え、大きく抉られた地面に吸血鬼は降り立った。
心地よい疲労感に身を任せながら、ようやく立ち上がった魔女に言葉を掛ける。
「いいわ、貴方……本気を出したのなんていつ以来かしら? さあ、次は、」
「――言ったわね?」
「……ん?」
「貴方は言ったわね。「聖水も白木の杭も太陽の光もなしに本気で勝てると思っていたの?」と」
「何を……言っている?」
魔女の言葉の意味が理解できない。
吸血鬼は気づかないうちに一歩、後ろへ下がっていた。
魔女の魔道書が開く。
現れたカードは白く、
「だから用意してきたわ。実物とまではいかないけれど」
徐々に橙へと色を変えていく。
それは吸血鬼がこの世で最も嫌うもの。
浴びれば存在そのものを消し去られてしまう絶対的な力。
「……ぁ、ぁ」
吸血鬼の目が限界まで見開かれる。
「感謝するわ。この戦いは私が誇れる唯一の戦いよ」
――日符『ロイヤルフレア』――
辺りを埋め尽くす一面の光。
その威力に比例して、魔女の体からは膨大な量の魔力が奪われ続ける。
持続時間は十秒にも満たなかったが、それでも十分だったのだろう。
吸血鬼の姿はなく、気配の欠片も感じられない。
「私、勝ったの……?」
声に出してみて、初めて実感する。
彼女の声に答える者はいない。答える者がいないということはつまり、あの吸血鬼は滅んだということ。
「私は……勝ったんだ」
何物にも代えがたい達成感が体中を駆け巡る。
手の力が緩み、ふとした拍子に魔道書が滑り落ちたその瞬間、
――始まりが唐突なら、終わりもまた突然にやって来るものである。
いつか読んだ本にそう書いてあったように、それは突然やって来た。
ぶちぶちと何かが千切れる音が耳の奥に響く。宙返りをするように視界が回転し、彼女は地面に転がった。
痛みは無い。落ち方が良かったのだろうか?
月を見上げながら、魔女はそんなことを思った。
起き上がろうとして、止める。腰から下が無くなっていたからだ。
生物は痛みが限界を超えると痛覚を遮断することがあると聞いたことがある。
ならば、これは死に近づき過ぎたせいだろうと、彼女は頭の中で結論づけた。
魔力は底を尽き、体も動かない。
(……勝負あり、か)
魔女は心の中で呟く。
勝敗は決した。
ともあれ、これで本当に終わりだ。望む最高の結果ではないが、満足できる最後だと思う。
知らず、魔女はほっとしたように笑っていた。
「それにしても……あと一歩届かず、ね」
それは嘘。
「やっぱり無謀だったかしら」
それも嘘。
「残念だわ……」
それだけは本当。
彼女にはわかっていた。
あの瞬間、自分の力が僅かにとはいえ、吸血鬼を凌駕したことも、確かに勝利を収めていたことも。
だが。
だからこそわからないこともある。
それならどうして私はここにこうして倒れているのか、その理由だ。
あの時、あの場に於いて、二人の立場は完全に逆転していた。
魔女の切り札、日符『ロイヤルフレア』――実物に劣るとはいえ、生み出した太陽の炎で相手を焼き尽くす魔法を、遮る物のないこの空間でどうやって凌いだというのか。それも他ならぬ、太陽の光を浴びれば即死と言われている吸血鬼が、だ。
「……教えてもらえるかしら?」
魔女はそう問いかけたが、声になっているかどうかわからなかった。相手に聞こえているかどうかもわからない。
けれども。
必ず答えは返ってくると、魔女は確信していた。
「……影よ」
果たして、不機嫌――と言うより自己嫌悪に満ちた声が返ってきた。
それから魔女を見下ろすように吸血鬼が顔を出す。
さすがに傷は深かったらしい。彼女は片腕を失くし半身を火傷と出血で赤く染めていた。
「影?」
「そうよ」
朦朧とした意識の中で問いかける魔女に、吸血鬼は頷いて見せる。
「光が強ければ、落とされた影もまたその深さを増す。だから、あの時私は――」
――そこに逃げ込むしかなかった。
吸血鬼は吐き捨てるように言った。
「……なるほどね」
魔女は納得する。
吸血鬼は傷を負ったことに怒っていたのではない。敵の攻撃を前にして、真っ向から受けることなく、避けるでもなく――ただただ恐怖から逃げ出した自分が許せなかったのだ。
「でも」
それは決して悪いことではないと魔女は思った。
死んで得るものなど何もない。
――それは、人間と戦って死んだ彼らのように。
生きていればこそ、先に続く道を進むこともできる。逆に、引き返すことも。
――それは、人間から逃げ出した私のように。
しかし彼女はそれを口には出さず、曖昧に言葉を濁した。
死を覚悟して臨んだ自分のように、相手には相手なりの理屈があることくらいは分かっている。
吸血鬼が逃げることを良しとしなかったのは、それが最も楽な方法だったからだ。
楽な道を避け、敢えて険しい道を行く。一見すれば馬鹿馬鹿しい行為だが、それを実行するためには想像を絶する信念が必要だろう。
そう。
単に私を殺すだけなら初めに出会った時に、正面から会いに来ず、不意を突くか寝込みを襲うだけでよかった。
二度目もそうだ。わざわざ私のスペルをまともに受ける必要がどこにあったのか。あんなことをせずに、一点突破を行えば楽に勝てることくらい分かっていたはずだ。戦意を無くした私を見逃したことも同じこと。
そう考えれば今日でさえ、本気で私を殺そうとしていたのかどうか疑わしい。
いくら吸血鬼とはいえ、この小さな体でそれを成すことに、彼女は今更ながらに恐怖と尊敬と……少しの嫉妬を覚えた。
「……まったく、大したものね」
「それを言うなら貴方の方よ。魔法使いが私をここまで追いつめたのだから」
ほら、これだ。
真面目な顔で言う吸血鬼に、魔女は苦笑する。
これだけのことをしておきながら、本人にその自覚がない。
彼女にとってこれは特別なことではなく、当然のことなのだ。
まったく、敵わない。勝てるはずもない。
「それを聞ければ……満足よ。私の……負けね……」
口にした途端にふっと目の前が暗くなる。言いたいことも、知りたいこともなくなって、張り詰めていたものが切れたらしい。
考えてみれば、体を二つに裂かれているのだ。ここまで生きていたことが奇跡だと言える。
我ながら本当に良くやったと誉めてやりたい。
――ああ、でも……。
「できるなら」と最後に思った。
できるなら……この吸血鬼ともっと違う出会い方をしたかった、と。
◇ Epiroge
ふわふわ。
わたしはそらをとんでるみたい。
ふわふわしてゆらゆらしてとってもきもちがいい。
ぷにぷにほっぺたをつつかれる。
やさしいけどさきがとんがっててちょっといたくてちょっとくすぐったい。
(よくわかんないけどこのへんかな?)
てをのばしたらいっぽんのほそいのをつかまえた。
ほそいのはゆびだった。
やさしくわたしのてをにぎってくれた。
わたしはゆっくりめをあける。
「おはよう」
わたしをだっこしてたおんなのこはそういってにっこりわらった。
とってもうれしいみたい。
わたしもうれしい。
「ぁ~ぅ~」
わたしも「おはよう」っていおうとしたけどうまくいえなかったみたい。
ざんねん。
でもおんなのこはわかったみたい。
にっこりわらってゆっくりいった。
「私はレミリア。レミリア・スカーレットよ。これからよろしくね、魔法使いさん」
「ぅ~」
わたしも「よろしく」っていおうとしたけどやっぱりうまくいえなかったみたい。
おんなのこはわらってる。
わたしもわらった。
わらうとうれしい。
わらうとたのしい。
でもまたねむたくなってきちゃった。
「ぅ~み~……れ~……み~」
「おやすみれみりあ」っていおうとしたのにまたしっぱい。
はやくいえるようになりたいなぁ。
「ええ、おやすみなさい。また明日ね」
れみりあはあたまをなでてくれた。
うれしいな。
おやすみれみりあ。
またあしたね。
wktkが止まらない!
期待しております。
続きが気になるではないですか!
ぜひ続いてください。