「なあ、妹紅よ。最近は幻想郷も便利になったものだな」
「突然、何の話? 慧音」
「例えばだ。歴史理論の一つに≪世界システム論≫というものがあるのだが、妹紅は知っているか?」
「そんなの、私が知っているわけ無いじゃない」
「だろうな。そういう時には、幻想郷の記憶に触れてみるんだ」
「幻想郷の記憶?」
「幻想郷の住民なら、ちょっとした霊力があれば出来る。コツさえ掴めば簡単だ。
まず、≪世界システム論≫という言葉を反転する」
「ちょっと待ってよ慧音。遠まわしな言い方をしても解らないって、私は」
「あーすまんすまん。でも、本当に反転するんだ。
反転するには、指を押さえながらその言葉の上をなぞるだけでいい。
あとは、その言葉を検索するんだ」
んー…と目を瞑り妹紅は言われたとおりに≪世界システム論≫を検索する。
「うわ、なんかいっぱい出てきた。これが幻想郷の記憶?」
「そうだ。とりあえず一番上にある記憶を見てみろ、妹紅」
カチカチと、妹紅は幻想郷の記憶に接触する。
その後ろで慧音は、結局自分で解説し始める。
「まあ、つまるところ≪世界システム論≫とは、大きい視野で歴史を視ることなんだ」
「今から何年前の何月何日に誰が何をした。それも歴史の本質だ。けれど、それだけじゃ見えないこともある」
「解ったような、解らないような…歴史なんて、自分の周りで起こったことだけ憶えていれば十分だわ」
「ははは…妹紅らしいな」
慧音はなおも妹紅に自論をあれこれと語っていたが、聞く方は少しうんざりした表情になっていた。
黄昏色の空。
もうすぐ夜が来る。
別にどうって事はないのだけど、少し落ち着かない。
私が彼女と初めて出会ったのは、太陽が最後の輝きを放つ冬の夕暮れだった。
「今晩和―――」
そんな浮かない顔をして、何事かお悩みですか?
先程からあなたが博麗神社の周りを回った回数は十一回。
歩数にしておよそ四千五百二十七歩、距離にして実に千百九十二間。
愚かな提案があるのですが、どうでしょうか?
私で良ければあなたの――」
「話し相手になりたいのです」
【東方のRoman】
突然やってきた彼女の名は、稗田阿求(ひえだのあきゅう)というらしい。
何でも、里からこの博麗神社までわざわざ足を運んでくれたのだと。
仕方ないので、今は二人並んで縁側に座っている。
「というか、あんたよくこんなところに来れたわね」
私としては全く不本意だけど、この神社には滅多に人間は訪れてくれない。
人間が来たとしても、それは…
普通の魔法使いだったり、メイドだったり、半霊だったり、
とにかく普通の人が訪れてくれることは皆無だった。
「神社とは、そもそも神を祀るための祭祀施設なのではないですか? 私はその神様に柏手を打ちに参ったのです」
「あーまぁ…」
私は笑いながら言葉を濁す。
調子狂うなぁ。
私の周りには、うちの神社をそういう風に見てくれる人や妖怪なんていない。
うぅん、この阿求という少女が言うことが本来の姿なのだ。
祀っている神はまぁ、アレだけどね。そんなの言わなきゃバレないわ。
「けれどもそこで神社の巫女とばったり出会いました。博麗神社の博麗霊夢にです」
「あれ? 私の名前言ったっけ?」
「いいえ」
「…」
「…」
にこっ
?
微笑む私に、首を傾げる阿求。
勿論、阿求と私は初対面だった。
「何で知ってる」
「私は幻想郷の記憶だからです」
「あー?」
彼女、里からわざわざこの博麗神社に参拝しに来たという阿求、からよくよく話を聞いたところ…
どうやら彼女は”一度見た物を忘れない”らしい。
「なんだか肩がこりそうね…」
「大丈夫ですよ」
何気ない顔で即答される。
「あーそう…」
私はまた言葉を濁す。
やはりというべきか、どうも変わった人間のようだった。
「幻想郷で起こった異変のことも、私は全て憶えています。
そしてその元凶とあなたは会っていますね。だから、博麗霊夢はとても有名人です」
「それが巫女の仕事だからよ」
「例えば、幻想郷を紅い霧が覆う異常気象の元凶」
「レミリアね」
「終らない冬に舞い散る、雪と桜の花びらの元凶」
「あれは幽々子の思いつきだったわ」
「本当の満月を取り戻すために、夜を止めた元凶」
「…夜を止めたのは(主に)紫よ」
「私は幻想郷で起こったことを、概ね全て記憶しています」
「それは結構みんな知ってる事だと思うんだけど」
横槍を入れる私を、横目でジトッと見る阿求。
「では、例えばレミリア=スカーレットがどのように運命を操っているのか。あなたには解りますか?」
「さぁ。悪魔の為せる業なんじゃないの?」
「正解です。確かに、博麗霊夢の言う事は、ここ幻想郷に居る限りは間違い無い」
ただの勘だけどね。とはあえて言わないでおこう。
「けれども、あなたはいつも過程を無視します。巫女が動けば異変は解決する。
いいえ、解決しなければならないという幻想郷の不文律…」
体の小さい阿求は神社の縁側に腰掛けたまま、ゆっくりと、しかし雄弁に語る。
「あなたは、業が深すぎると言われたことが有る筈です」
「…そうね」
それは、映姫がおせっかいにもありがたい忠告をしてくれた言葉そのままだった。
「巫女であるにも関わらず神と交信しないばかりか、牙を剥くことすらあるからだ、と。
でもそれは幻想郷の不文律故の行為。どんな肩書きを持つものだろうと、異変を起こすものには対立するのが巫女だからです。
しかしそれでは、巫女であること自体が業が深いということになってしまいます」
「失礼な話ね」
「そうです。けれどもあなたはその事を気にしていない筈。なぜなら、霊夢は過程を無視するから」
「そんなこと考えたことも無かったわ。いつも私は、あるがまま、よ」
というか、この阿求という少女は面白いことを考えるなぁ、と感心する。
「だからあなたは今、自分が感じているものの正体に気付けないでいるのですよ」
「何か感じていたっけ?」
何も感じてはいない。
私は何も感じてはいない。だって、幻想郷に異変は訪れていないのだから。
阿求は、すっと立ち上がり私のほうを向く。
沈みかけた夕日は、阿求の表情に影を作る。
「…壱は、そのままでは決して弐にはなりません。壱が弐となる過程を無視してしまえば、弐の正体を掴めないのは真です」
「1が2になったのなら、あと1を足したんじゃない」
そんなの簡単だ。1+1=2とならないのは、湖に住む氷の妖精ぐらいだ。
「弐は、乗じられたのかもしれません」
「あーまぁ…」
1×2=2、か。なるほどね。
「話を戻しましょう。レミリア=スカーレットのことです。
彼女は、どのように運命を操っているのか…それには、運命の正体を知る必要があります。
運命とは≪時間の矢≫によって作られるのです」
「≪時間の矢≫?」
「時間は過去から未来へ、エントロピーの増大する方へ連続的に流れるものです。
それが≪時間の矢≫。この矢の向いている先が普通は一方向だから運命は決まったものになるという訳です。
つまり、レミリア=スカーレットはこの≪時間の矢≫の飛ぶ先を操ることが出来る。
それは矢の飛んできた軌跡という歴史だけを見ているワーハクタクには、確かに想像も出来ない能力」
「うーん…よく解らないわ」
「そういう事実があったのです。私は覚えている。
レミリア=スカーレットが上白沢慧音に言ったこと…
『歴史ばっかり見ているお前には、運命は変えられないよ』…と。」
目の前で阿求はなかなか興味深いことを語ってくれた。
そんなこと、考えたことも無かった。
きっと阿求はこういう事を考えるほどに暇を持て余しているのだろう。
うちの神社にわざわざきたのも、その一環なのだ、たぶん。
「何だかあなたって、変わってるけど、面白くていいヤツね」
ただ、悪いヤツじゃない。
胡散臭くて、変わってるだけだ。
「まぁお茶ぐらい出してあげるから、そこに座って待っていなさい」
立ち上がり神社の中に入りお茶の準備をしようとする私を、阿求は止める。
「いえ、お構いなく。もう暗くなってきましたので、今日のところは名残惜しいですがそろそろ里に戻ります」
「大丈夫? ≪鎮守の森≫を抜けてからは、危ないかもしれないわよ?」
ご心配ありがとう御座います。と阿求は笑って答える。
「危なくなったら、紫様に里まで送ってもらいますから」
「あーそう…」
紫の知り合いだったとは。それを聞いてこいつの胡散臭さにも納得した。
鳥居をくぐり、阿求は里へ歩きながら帰っていく。
あ…そういえば。
「”一度見た物を忘れない”ね…」
苦笑する。なぜなら、阿求はここに来た目的を忘れていたのだ。
また来るかもしれないわね…と、そう思った。
「先日の悩みに対する回答は出ましたか?
あなたと別れてから今日でちょうど七曜が廻りました。
時辰にして八十四時辰、刻にして三百三十六刻、刹那にして四千五百三十六万刹那。
と、言っている間にも千七百二十五刹那が過ぎてしまいました」
「今日もあなたと――話しに来ました」
私の予想通りに阿求はやって来た。
「ああ、よく来たわね。まぁそこに座りなさい。お茶を持ってきてあげるわ」
この一週間も、これまでの一年間と同じように穏やかに過ぎた。
大きな異変は一年中の花が全て咲き出したあの時以来無く、今日まで幻想郷は平和そのものだった。
「あなた、この前は結局お参りしなかったわね」
お茶を出しながら、阿求が先日本来の目的を忘れていた事を指摘してみた。
「そうです。すっかり忘れていたことに帰ってから気付きました」
割とあっさりと、阿求は忘れていたことを認める。もっと言い訳するのかとも思っていたのだけど。
「あんたって、”一度見た物を忘れない”んじゃなかったっけ?」
なるほど、と相打ちを打って阿求は私の質問に答える。
「それは事実に限ります。博麗神社に祀られた神――と言っても祟り神ですが――を参拝しよう、というのは私の思いですから、忘れることもあります」
あ、魅魔のことを知ってるのね。
さすが幻想郷の記憶。阿求に隠し事は出来ないらしい。
「私は事実を数値化することによって、忘れないように固定化しているのです。
数値は劣化しません。だから忘れないのです。
事実は、突詰めていけば”ある”か”ない”かです。それはつまり、零か壱か。
数値化された事実は劣化すること無く私の記憶に残り続けます。
けれど、有り体な言い方ですが、感情は数値化できないのです」
ふーん、そういうものなのか。と思いながらお茶を阿求に渡す。
阿求は、ありがとう御座います、と差し出されたそれを丁寧に受け取り、やはり上品にそれを少し口にする。
「つまり、事実を陰陽に分けるということ?」
私は自分に解りやすいように換言してみる。
「そうとも言えます。八八≪六十四卦≫の二重結界を操る巫女には、爻の陰陽の方が馴染み深いですね」
なるほどね。
阿求は忘れる事が無い。それはつまり、頭が良すぎるのではないだろうか?
「…私が巫女だから、阿求は賢者というところかしら?」
「私は≪サヴァン症候群≫ではないですよ?」
「そんなこと言って無いってば」
阿求の話は時に理解できないこともあったけど、大抵の場合私の視点で説明してくれるのでよく解った。
意味が解れば、彼女の話は結構面白い。
阿求は私の知らないことを色々知っていたけど、興味深いのはその記憶に裏打ちされた独特の考え方だった。
まぁ、頭が良いヤツは変わってるということなんだけど。
阿求は私が陰陽玉に振り回されていた時代のことや、魔理沙に火あぶりにされたこと等々…
あまり公言して欲しくない事実についても、仔細に良く知っていた。
この辺は扱いに気をつけないと…
やんわりと口止めしとこ。
「それよりも…ここは大丈夫なのですか?」
「な、な…急に何を言い出すのよ。参拝客が少なくっても、うちは量より質で勝負するタイプの神社だから大丈夫よ、そう大丈夫だから」
「どうして、≪結界≫が弱まっているのですか?」
私が必死に弁明しているのを無視して、阿求はそう言った。
「え?」
≪結界≫が…弱まっている?
「その事にすら気付いていなかったのですね。
あなたは自分の悩みにそろそろ気付かなくてはいけません。
幻想郷は、あなただけの世界ではないのです」
「わ…私は別に何も悩むことなんてないわ。全てはあるがままよ。
…それに、ここ一年はずっと異変も無く平和だし」
「あなたは幻想郷という世界のシステムの根幹をなす存在です。
幻想郷の巫女が異変を解決するというのは、その最も顕著な喩になります。
この世界に幾つか有る≪タブー≫。
幻想郷の≪タブー≫は巫女によって守られてきました。つまり、夢と伝統を保守する巫女によって、です。
故に、巫女は≪タブー≫を具現化した≪結界≫を代々用いてきたのです」
「それが一体…」
幻想郷の記憶、稗田阿求は霊夢の発言を無視して、話を続ける。
「さて、これで前提条件は全て出ました。
博麗霊夢は過程を無視する存在であること。巫女は幻想郷の不文律そのものであり、これからもそうであること。
そして、博麗霊夢は巫女であることの三つです。
過程を無視する博麗霊夢とは、あなたが異変の原因を一つずつ考えなくて済む様にした安全装置です。
勿論、過程を無視しても正しい場所に帰結するようにプログラムされています。
幻想郷の結界を護る巫女とは、幻想郷を保守するという≪アルゴリズム≫の≪ルーチン≫の実体です。
神社から巫女が居なくなる時、それは幻想郷に異変が起こったことと同義です。
博麗霊夢が巫女である事とは、あなた――つまり、巫女である博麗霊夢――は幻想郷の異変を解決するという存在そのもの、ということなのです。
今、幻想郷は随分と平和です。
故に、あなたは悩んでいる。
解決すべき異変が訪れなければ、あなたは自分の存在を見失うことになるからです。
私と初めて出会ったあの時、あなたは博麗大結界を弱めながら神社の周りを何度も回り、実はこう考えていたに違いありません。
”今年の冬には、何か異変が起きないだろうか?”
と…。
けれども、私の計算では十度目の異変はもう少し後になります。
それに、私自身には異変を起こす力もありません。
だから私は――あなたの話し相手になりたいのです」
「突然、何の話? 慧音」
「例えばだ。歴史理論の一つに≪世界システム論≫というものがあるのだが、妹紅は知っているか?」
「そんなの、私が知っているわけ無いじゃない」
「だろうな。そういう時には、幻想郷の記憶に触れてみるんだ」
「幻想郷の記憶?」
「幻想郷の住民なら、ちょっとした霊力があれば出来る。コツさえ掴めば簡単だ。
まず、≪世界システム論≫という言葉を反転する」
「ちょっと待ってよ慧音。遠まわしな言い方をしても解らないって、私は」
「あーすまんすまん。でも、本当に反転するんだ。
反転するには、指を押さえながらその言葉の上をなぞるだけでいい。
あとは、その言葉を検索するんだ」
んー…と目を瞑り妹紅は言われたとおりに≪世界システム論≫を検索する。
「うわ、なんかいっぱい出てきた。これが幻想郷の記憶?」
「そうだ。とりあえず一番上にある記憶を見てみろ、妹紅」
カチカチと、妹紅は幻想郷の記憶に接触する。
その後ろで慧音は、結局自分で解説し始める。
「まあ、つまるところ≪世界システム論≫とは、大きい視野で歴史を視ることなんだ」
「今から何年前の何月何日に誰が何をした。それも歴史の本質だ。けれど、それだけじゃ見えないこともある」
「解ったような、解らないような…歴史なんて、自分の周りで起こったことだけ憶えていれば十分だわ」
「ははは…妹紅らしいな」
慧音はなおも妹紅に自論をあれこれと語っていたが、聞く方は少しうんざりした表情になっていた。
黄昏色の空。
もうすぐ夜が来る。
別にどうって事はないのだけど、少し落ち着かない。
私が彼女と初めて出会ったのは、太陽が最後の輝きを放つ冬の夕暮れだった。
「今晩和―――」
そんな浮かない顔をして、何事かお悩みですか?
先程からあなたが博麗神社の周りを回った回数は十一回。
歩数にしておよそ四千五百二十七歩、距離にして実に千百九十二間。
愚かな提案があるのですが、どうでしょうか?
私で良ければあなたの――」
「話し相手になりたいのです」
【東方のRoman】
突然やってきた彼女の名は、稗田阿求(ひえだのあきゅう)というらしい。
何でも、里からこの博麗神社までわざわざ足を運んでくれたのだと。
仕方ないので、今は二人並んで縁側に座っている。
「というか、あんたよくこんなところに来れたわね」
私としては全く不本意だけど、この神社には滅多に人間は訪れてくれない。
人間が来たとしても、それは…
普通の魔法使いだったり、メイドだったり、半霊だったり、
とにかく普通の人が訪れてくれることは皆無だった。
「神社とは、そもそも神を祀るための祭祀施設なのではないですか? 私はその神様に柏手を打ちに参ったのです」
「あーまぁ…」
私は笑いながら言葉を濁す。
調子狂うなぁ。
私の周りには、うちの神社をそういう風に見てくれる人や妖怪なんていない。
うぅん、この阿求という少女が言うことが本来の姿なのだ。
祀っている神はまぁ、アレだけどね。そんなの言わなきゃバレないわ。
「けれどもそこで神社の巫女とばったり出会いました。博麗神社の博麗霊夢にです」
「あれ? 私の名前言ったっけ?」
「いいえ」
「…」
「…」
にこっ
?
微笑む私に、首を傾げる阿求。
勿論、阿求と私は初対面だった。
「何で知ってる」
「私は幻想郷の記憶だからです」
「あー?」
彼女、里からわざわざこの博麗神社に参拝しに来たという阿求、からよくよく話を聞いたところ…
どうやら彼女は”一度見た物を忘れない”らしい。
「なんだか肩がこりそうね…」
「大丈夫ですよ」
何気ない顔で即答される。
「あーそう…」
私はまた言葉を濁す。
やはりというべきか、どうも変わった人間のようだった。
「幻想郷で起こった異変のことも、私は全て憶えています。
そしてその元凶とあなたは会っていますね。だから、博麗霊夢はとても有名人です」
「それが巫女の仕事だからよ」
「例えば、幻想郷を紅い霧が覆う異常気象の元凶」
「レミリアね」
「終らない冬に舞い散る、雪と桜の花びらの元凶」
「あれは幽々子の思いつきだったわ」
「本当の満月を取り戻すために、夜を止めた元凶」
「…夜を止めたのは(主に)紫よ」
「私は幻想郷で起こったことを、概ね全て記憶しています」
「それは結構みんな知ってる事だと思うんだけど」
横槍を入れる私を、横目でジトッと見る阿求。
「では、例えばレミリア=スカーレットがどのように運命を操っているのか。あなたには解りますか?」
「さぁ。悪魔の為せる業なんじゃないの?」
「正解です。確かに、博麗霊夢の言う事は、ここ幻想郷に居る限りは間違い無い」
ただの勘だけどね。とはあえて言わないでおこう。
「けれども、あなたはいつも過程を無視します。巫女が動けば異変は解決する。
いいえ、解決しなければならないという幻想郷の不文律…」
体の小さい阿求は神社の縁側に腰掛けたまま、ゆっくりと、しかし雄弁に語る。
「あなたは、業が深すぎると言われたことが有る筈です」
「…そうね」
それは、映姫がおせっかいにもありがたい忠告をしてくれた言葉そのままだった。
「巫女であるにも関わらず神と交信しないばかりか、牙を剥くことすらあるからだ、と。
でもそれは幻想郷の不文律故の行為。どんな肩書きを持つものだろうと、異変を起こすものには対立するのが巫女だからです。
しかしそれでは、巫女であること自体が業が深いということになってしまいます」
「失礼な話ね」
「そうです。けれどもあなたはその事を気にしていない筈。なぜなら、霊夢は過程を無視するから」
「そんなこと考えたことも無かったわ。いつも私は、あるがまま、よ」
というか、この阿求という少女は面白いことを考えるなぁ、と感心する。
「だからあなたは今、自分が感じているものの正体に気付けないでいるのですよ」
「何か感じていたっけ?」
何も感じてはいない。
私は何も感じてはいない。だって、幻想郷に異変は訪れていないのだから。
阿求は、すっと立ち上がり私のほうを向く。
沈みかけた夕日は、阿求の表情に影を作る。
「…壱は、そのままでは決して弐にはなりません。壱が弐となる過程を無視してしまえば、弐の正体を掴めないのは真です」
「1が2になったのなら、あと1を足したんじゃない」
そんなの簡単だ。1+1=2とならないのは、湖に住む氷の妖精ぐらいだ。
「弐は、乗じられたのかもしれません」
「あーまぁ…」
1×2=2、か。なるほどね。
「話を戻しましょう。レミリア=スカーレットのことです。
彼女は、どのように運命を操っているのか…それには、運命の正体を知る必要があります。
運命とは≪時間の矢≫によって作られるのです」
「≪時間の矢≫?」
「時間は過去から未来へ、エントロピーの増大する方へ連続的に流れるものです。
それが≪時間の矢≫。この矢の向いている先が普通は一方向だから運命は決まったものになるという訳です。
つまり、レミリア=スカーレットはこの≪時間の矢≫の飛ぶ先を操ることが出来る。
それは矢の飛んできた軌跡という歴史だけを見ているワーハクタクには、確かに想像も出来ない能力」
「うーん…よく解らないわ」
「そういう事実があったのです。私は覚えている。
レミリア=スカーレットが上白沢慧音に言ったこと…
『歴史ばっかり見ているお前には、運命は変えられないよ』…と。」
目の前で阿求はなかなか興味深いことを語ってくれた。
そんなこと、考えたことも無かった。
きっと阿求はこういう事を考えるほどに暇を持て余しているのだろう。
うちの神社にわざわざきたのも、その一環なのだ、たぶん。
「何だかあなたって、変わってるけど、面白くていいヤツね」
ただ、悪いヤツじゃない。
胡散臭くて、変わってるだけだ。
「まぁお茶ぐらい出してあげるから、そこに座って待っていなさい」
立ち上がり神社の中に入りお茶の準備をしようとする私を、阿求は止める。
「いえ、お構いなく。もう暗くなってきましたので、今日のところは名残惜しいですがそろそろ里に戻ります」
「大丈夫? ≪鎮守の森≫を抜けてからは、危ないかもしれないわよ?」
ご心配ありがとう御座います。と阿求は笑って答える。
「危なくなったら、紫様に里まで送ってもらいますから」
「あーそう…」
紫の知り合いだったとは。それを聞いてこいつの胡散臭さにも納得した。
鳥居をくぐり、阿求は里へ歩きながら帰っていく。
あ…そういえば。
「”一度見た物を忘れない”ね…」
苦笑する。なぜなら、阿求はここに来た目的を忘れていたのだ。
また来るかもしれないわね…と、そう思った。
「先日の悩みに対する回答は出ましたか?
あなたと別れてから今日でちょうど七曜が廻りました。
時辰にして八十四時辰、刻にして三百三十六刻、刹那にして四千五百三十六万刹那。
と、言っている間にも千七百二十五刹那が過ぎてしまいました」
「今日もあなたと――話しに来ました」
私の予想通りに阿求はやって来た。
「ああ、よく来たわね。まぁそこに座りなさい。お茶を持ってきてあげるわ」
この一週間も、これまでの一年間と同じように穏やかに過ぎた。
大きな異変は一年中の花が全て咲き出したあの時以来無く、今日まで幻想郷は平和そのものだった。
「あなた、この前は結局お参りしなかったわね」
お茶を出しながら、阿求が先日本来の目的を忘れていた事を指摘してみた。
「そうです。すっかり忘れていたことに帰ってから気付きました」
割とあっさりと、阿求は忘れていたことを認める。もっと言い訳するのかとも思っていたのだけど。
「あんたって、”一度見た物を忘れない”んじゃなかったっけ?」
なるほど、と相打ちを打って阿求は私の質問に答える。
「それは事実に限ります。博麗神社に祀られた神――と言っても祟り神ですが――を参拝しよう、というのは私の思いですから、忘れることもあります」
あ、魅魔のことを知ってるのね。
さすが幻想郷の記憶。阿求に隠し事は出来ないらしい。
「私は事実を数値化することによって、忘れないように固定化しているのです。
数値は劣化しません。だから忘れないのです。
事実は、突詰めていけば”ある”か”ない”かです。それはつまり、零か壱か。
数値化された事実は劣化すること無く私の記憶に残り続けます。
けれど、有り体な言い方ですが、感情は数値化できないのです」
ふーん、そういうものなのか。と思いながらお茶を阿求に渡す。
阿求は、ありがとう御座います、と差し出されたそれを丁寧に受け取り、やはり上品にそれを少し口にする。
「つまり、事実を陰陽に分けるということ?」
私は自分に解りやすいように換言してみる。
「そうとも言えます。八八≪六十四卦≫の二重結界を操る巫女には、爻の陰陽の方が馴染み深いですね」
なるほどね。
阿求は忘れる事が無い。それはつまり、頭が良すぎるのではないだろうか?
「…私が巫女だから、阿求は賢者というところかしら?」
「私は≪サヴァン症候群≫ではないですよ?」
「そんなこと言って無いってば」
阿求の話は時に理解できないこともあったけど、大抵の場合私の視点で説明してくれるのでよく解った。
意味が解れば、彼女の話は結構面白い。
阿求は私の知らないことを色々知っていたけど、興味深いのはその記憶に裏打ちされた独特の考え方だった。
まぁ、頭が良いヤツは変わってるということなんだけど。
阿求は私が陰陽玉に振り回されていた時代のことや、魔理沙に火あぶりにされたこと等々…
あまり公言して欲しくない事実についても、仔細に良く知っていた。
この辺は扱いに気をつけないと…
やんわりと口止めしとこ。
「それよりも…ここは大丈夫なのですか?」
「な、な…急に何を言い出すのよ。参拝客が少なくっても、うちは量より質で勝負するタイプの神社だから大丈夫よ、そう大丈夫だから」
「どうして、≪結界≫が弱まっているのですか?」
私が必死に弁明しているのを無視して、阿求はそう言った。
「え?」
≪結界≫が…弱まっている?
「その事にすら気付いていなかったのですね。
あなたは自分の悩みにそろそろ気付かなくてはいけません。
幻想郷は、あなただけの世界ではないのです」
「わ…私は別に何も悩むことなんてないわ。全てはあるがままよ。
…それに、ここ一年はずっと異変も無く平和だし」
「あなたは幻想郷という世界のシステムの根幹をなす存在です。
幻想郷の巫女が異変を解決するというのは、その最も顕著な喩になります。
この世界に幾つか有る≪タブー≫。
幻想郷の≪タブー≫は巫女によって守られてきました。つまり、夢と伝統を保守する巫女によって、です。
故に、巫女は≪タブー≫を具現化した≪結界≫を代々用いてきたのです」
「それが一体…」
幻想郷の記憶、稗田阿求は霊夢の発言を無視して、話を続ける。
「さて、これで前提条件は全て出ました。
博麗霊夢は過程を無視する存在であること。巫女は幻想郷の不文律そのものであり、これからもそうであること。
そして、博麗霊夢は巫女であることの三つです。
過程を無視する博麗霊夢とは、あなたが異変の原因を一つずつ考えなくて済む様にした安全装置です。
勿論、過程を無視しても正しい場所に帰結するようにプログラムされています。
幻想郷の結界を護る巫女とは、幻想郷を保守するという≪アルゴリズム≫の≪ルーチン≫の実体です。
神社から巫女が居なくなる時、それは幻想郷に異変が起こったことと同義です。
博麗霊夢が巫女である事とは、あなた――つまり、巫女である博麗霊夢――は幻想郷の異変を解決するという存在そのもの、ということなのです。
今、幻想郷は随分と平和です。
故に、あなたは悩んでいる。
解決すべき異変が訪れなければ、あなたは自分の存在を見失うことになるからです。
私と初めて出会ったあの時、あなたは博麗大結界を弱めながら神社の周りを何度も回り、実はこう考えていたに違いありません。
”今年の冬には、何か異変が起きないだろうか?”
と…。
けれども、私の計算では十度目の異変はもう少し後になります。
それに、私自身には異変を起こす力もありません。
だから私は――あなたの話し相手になりたいのです」
……ってあっきゅんかよ!
こんなあっきゅんも素敵だなぁ。
それは抜きにしても面白いです。つーか阿求かよw
でもこれは繋げていけば、装置である霊夢が幻想郷の異変だったりするのではないか?
いや、これは些か穿ち過ぎなのかもしれない。
パソコンみたいな奴だな・・・
まぁ、其れは其れで楽しいかもしれない、パソコンは言われたことしかしないが
阿求は自分の意思で行動し、自分の意思で過ごす、其処がパソコンとの違いだ
まぁ、魂とかそう言うのが解明されたら、其れも多少は変わってくるんだろうが
あえていうなら阿球と霊夢は、はじめましてにはならないんだよなぁ。
REX読めというのも酷ではありますが。
興味深かった。とても、面白かった。