夜も更け、館の使用人達も寝入っている時間。
静まり返った紅魔館の大広間にはレミリアとパチュリーだけがいた。
「今夜はこんなにも月が綺麗だから――ちょっとした御伽噺をしましょうか」
レミリアが唐突にそう云った。
ソファに座り読書に勤しんでいたパチュリーは、読みかけの本から顔を上げ、怪訝な顔をした。
「何故」
「さぁ何故かしら?」
「ふん、どうせいつもの気紛れね」
「そんな事ないわよ――」
レミリアは不機嫌そうな顔をして頬を膨らませた。パチュリーはジッと友人の顔を覗き込むと、少し思案してから眼鏡を外し、姿勢を正した。本当に話をしたがっている時には、ちゃんと聞いてやるのが礼儀というものだろう。友人であれば尚更だ。
「いいわ。何の話?云っておくけど、大抵の御伽噺なら全部本で読んでるわよ」
「特別な話よ。如何にして吸血鬼が幻想になったかという物語」
パチュリーは僅かに片眉を上げた。
「興味深いわね。他の誰かに話した事は?」
「貴方が初めてになる。長い癖に在り来たりな話。面倒だから誰にも話してないわ」
「長くなりそうなら紅茶の御代わりでも淹れてきましょうか」
咲夜は既に寝ている。紅茶一杯を用意させる為に叩き起こす程、彼女達は狭量では無かったし、何より今のレミリアにはパチュリーだけに話したそうな雰囲気があった。
「いい、私がやるわ。パチェは座ってて」
レミリアは立ち上がると大広間を出て、暫くするとポットを片手に戻ってきた。熱湯をティーポットに注ぐ。慣れた手付きだ。パチュリーの口元がにやりと綻ぶ。
「巧いじゃない」
「お嬢様ってのは一通りの躾がされてるものよ。それに、一時期は全部自分でしなきゃいけない頃もあったし」
「使用人は?」
「だから、いなかったからよ」
二つのティーカップになみなみと注がれ、白い湯気を立てる琥珀色の液体。小さなテーブルを挟んで二人は向かい合い、それをそろそろと啜った。
「そうね。時代は今より百年くらい前だったかしら――」
レミリアはリラックスした様子で唐突と語り始めた。
場所は此処よりずっと西の国。海よりずっと離れた内陸に在って、周りは山ばかり。
冬は物凄く寒いけれど、夏は涼しくて過ごしやすかったわ。
山に囲まれた大きな盆地が平原になっていて、人間達はそういう所に村を作って住んでいた。度重なる侵略と政変でその国を支配する人間はどんどん変わって行ったけど、そんな変化すら何の影響も受けないくらいの山奥。歴史に置いてかれた村よ。昔ながらの自給自足の生活――畑を耕したり、森へ行って動物を狩ったり。あと、古来通りの素朴な信仰が残っていたってのも特徴ね――忌々しい事に。
だけど、そんな閑散とした、世界に置いてけぼりを食らった様な場所だから、私達は最後まであそこにいられたのだと思う。他の仲間は新天地を目指して人間に退治されたり、自暴自棄になって、やっぱり人間に討たれたり――。
あの当時、私はつくづく自分の生まれた時代を間違えたと思っていた。
せめて祖父の代に生まれていれば、優雅で退廃的な生活を営めたでしょうに――ええ、もちろん今の生活は気に入ってるわ。優秀なメイドのお陰で楽は出来ているし。
だけど、あの頃は――そうじゃなかった。
ええ、そう。恥ずかしながら告白させて貰えば、あの頃の紅魔館ってのはすっかり零落れていていて、お化け屋敷みたいだったし、まともな使用人すら居なかったのよ。
悲惨だった。
まぁ一番悲惨だったのは、そういう斜陽の中に居ながら、自分達が未だに全盛期の中で存在しているのだと信じて疑わなかった連中かしらね。
私達の種族は光に背き、永遠の夜を闊歩する様になった時から、とっくに終わってたんだと思う。恒常性を保ち続けるってのはつまり適応の拒絶だもの。だから世界の変化に置いてかれたの。
――うん、前置きが随分と長くなってしまったわ。
それじゃ、朝にならない内に話してしまいましょうか。
如何にして吸血鬼が幻想になってしまったかという話を。
夜明けから日没まで。
その間だけが唯一の、そして、絶対の好機なのだと男は何度も自分に云い聞かせていた。太陽さえ昇っていれば何とかなる筈なのだ、と。
しかし館に近づくにつれて、とっくに克服した筈の恐怖心が、心の奥底でその鎌首をもたげてきた事を、男はひしひしと感じずにはいられなかった。
滲み出る冷や汗を荒い麻のシャツの袖で拭い、心の裡に立ち込める恐怖心を払拭するように、跨る黒馬の脇腹を強く蹴りつけた。
馬の嘶きが人の気配の無い灰色の平原に吸い込まれていく。
男は背中に背負ったずだ袋と、その中に押し込んできた手製の杭の事を思った。森の中で見つけたトネリコの樹の、その太い枝から削りだしてきたものだった。太さは赤ん坊の手首程、長さは七十センチはある。
それは普通に考えればとても武器とは呼べない代物だった。
しかし、男はその杭がどんな剣や斧、さらには銃よりも、自分がこれから対峙する存在にとっては有効である事を知悉していた。
男は思い出す。
数ヶ月前、此処より大分離れた遠方の土地で、村人達が立ち上がり、一致団結し、化け物を退治したと云う風の噂を。その話が本当だとすれば伝説の通り、杭と大蒜と十字架は奴等の弱点なのだ。なればこそ奴等が寝ている昼の間に、その寝床を陽の元に曝し、心臓に杭を突き立て、首を斧で斬り飛ばしさえすれば、それで決着が付く。何を恐れる事があろうか。
男はそうやって自らを鼓舞し、ますます強く馬の脇腹を締め上げた。
しかし懸命の早駆けにも関わらず、峠を越えた辺りで天気が崩れ始めた。
朝、村を出た頃は快晴だったのが、今や地平線の彼方に不吉な黒雲の姿が見え隠れし始めている。嵐の気配だ。
男は焦った。
黒雲で覆われた空の下でなら奴等は活動を再開するかもしれない。そうでなくとも、少しばかり早い闇の到来が、彼らの眠りを覚ます可能性は十分にあるように思われた。
男は胸に下げた木彫りの素朴なロザリオを強く握り、神に祈った。そのロザリオは彼の妻となる筈だった女性の形見だった。
果たして、祈りが天に届いたのか、馬が息も絶え絶えになりだした頃、黒い森の中にぽつりと建った紅い館が見えてきた。
紅い館は血を吸う悪魔の城だった。不死身の化け物が代々住んでいる呪われた館だった。
その館がいつからその場所に建っているのか男は知らない。男の村ができるより以前から存在したのかもしれない。少なくとも曽祖父の時代には、紅い館は既に悪徳と畏怖の象徴として人々の間で恐れられていた。だから人々は、例え館の悪魔達が時折、村へとやって来て、誰かの血が吸い、若者を攫っていくような事をしても、それに対して憎憎しく思いながらもじっと耐え忍んで来たのだった。どうして人を主食とする化け物相手に逆らう事ができようか。誰もがそう考えていた。
しかし、男だけは違った。彼はその理不尽をどうしても許す事ができなかったのだ。
だからこそ、無謀と判りつつも魔物を打ち倒す為に、単身で館へとやって来たのだった。
石造りの門をくぐり抜け、男は館の正面玄関まで馬で滑り込んだ。
空を見上げると、辛うじてまだ太陽が顔を覗かせていた。何とか間に合ったのだと男は安堵の溜息を漏らした。
しかし、主人を乗せて館まで全速で駆け続けてきた黒馬は既に限界を迎えていたようだ。男を背から降ろすとそのまま崩れ落ちるように倒れこみ、息絶えた。男は胸の前で十字を切り、自分に尽くしてくれた馬と、己の幸運に感謝し、神に祈りを捧げた。
それが済むと、男はいよいよ玄関の分厚い扉の前に立ち、館を見上げた。遠くから見るとちっぽけに見えた館も、近くで見ると相応の迫力がある。何よりその特徴的な赤い外観の異様さは、近くからだとますます際立っていた。
赤煉瓦で組み上げられたと思しき壁は、要所がさらに上から赤い漆喰で塗り固められており、てらてらと色艶良く輝いている。それは血の色そのもので、嫌悪感を催させるのに十分な効果があった。
忌々しい気分と共に男は玄関扉に手を掛け、できるだけ音を立てないように慎重に押し開けた。鍵は掛かっておらず、男が体重を掛けて押すと、扉は数年来一度も開かれた事が無いような重く響く音を立てて開いた。
思いの外に大きく音が響き、男は思わず息を止める。
今の音で中の住人達が眼を覚ましはしなかっただろうかと、不安が心の中に湧き立った。
恐る恐る男は首だけを突っ込み、中を覗き見る。
内部は暗いが、開いた扉の隙間から差し込む薄ら明かりでエントランスらしき広い空間が広がっているのが見えた。さらによく眼を凝らせば、その内装も全て、外観と同じ血の赤をしていた。男はその不気味な意匠にゴクリと生唾を飲み込む。
男はずだ袋から燭台と蝋燭を取り出して火を付けると、中に足を踏み入れた。
息を吸うと異臭が鼻を突いた。何年も空気の入れ替えをしなかった密室の臭い。吸う程に肺に重く溜まっていく、そんな厭な感じさえする。退廃的な、死を連想させる臭いだった。
長い間、まともに掃除もされてないのか、歩くたびに薄く積った埃が舞い上がる様子が、蝋燭の炎に照らされて見える。
男は訝しんだ。
本当にこの館に化け物どもは住んでいるのだろうか。
敵の姿が見えない事が、想像をより悪い方向へ導いていく。云い知れぬ予感に打ち震えながら、奥歯を強く噛み締め、男はさらに奥に進んだ。
屋敷の内部は耳が痛いほど静かで、自分の激しい息遣いと足音だけが反射して聞こえた。闇は濃く、身に纏わりついてくる様な錯覚さえ覚え、そして相も変わらず全ての壁が執拗なまでに赤く塗られていて、それが男の恐慌をますます煽る。
男は寝床を探す事にした。
彼の悪魔達は自分の生まれた土地の土を敷いた棺に入って寝る習慣がある。そして、棺に収まり寝ている時だけが、驚異的な身体能力を持つ彼らの唯一にして絶対の無防備な瞬間だと云われていた。だからこそ彼らは、自らの就寝場所を他者に知られる事を極端に恐れる。故に、多くの場合、彼等は棺を隠し部屋の様な所に設置したがった。或いは侵入者を拒む罠だらけの部屋に。
当然、この紅い館に初めて足を踏み入れる男は館の主の寝床を知らない。しかし何としても棺を見つけ出さなければ、只の人間である彼には万に一つも勝ち目は無かった。
焼け焦げそうな思考の中、気付けば蝋燭の長さが半分になっていた。
思ったより時間が経っている。
日没までまだ時間はある筈だが、時間は幾らあっても足りない様に思える。
冷静になれ、と男は自分に云い聞かすが、焦燥が既に心の弱い部分を追い詰め始めていた。
ここは一旦引いて、後日再び訪れるべきではないかと云う甘い考えさえ浮かんだ。しかし同時に浮かんだ、今逃げ帰れば自分がこの館に挑む気分に二度とはなれないだろうという惨めな気持ちが逃亡を踏み止まらせた。
他の村人と同じ様に、この館に対する恐怖の虜になり、愛する人の仇すら討てずに残りの人生を過ごすというのは拷問に等しい。
それならば、この場で果てて二度と陽の目を見ない方がまだマシだ。
男は幾分か冷静さを取り戻し、化け物の寝首を掻く方法を模索する事に集中し始めた。
と、その時、キイッとか細い鳴き声が聞こえた。
男の心臓が跳ね上がる。
反射的に背中のずだ袋に手を伸ばし、中にある杭を探し求めていた。
息を止め、気配を覗う。
長い間、時間が停止した様に思われた。
耐え難い沈黙の後、再びキイッと鳴き声がする。
男は身構えた。
咄嗟の事態にも、自分が逃げ腰にならなかった事により、最初より肝が据わってきていた。仇討ちへの強い執念が、生存の為の本能を上回ったのだ。
キイッと三度声がして、同時にぱたぱたと羽音がした。
燭台を高く持ち上げ、声のした辺りの天井を照らす。
するとそこには蝙蝠が器用に天井に足を引っ掛け、逆さまにぶら下がっていた。
男は安堵の溜息を吐く。そして気分を入れ替え仕切りなおす為にも、殆ど溶けて崩れ落ちようとする蝋燭を新しい物に変えようと思い、その場にしゃがみ込んだ。
と、視界の隅に奇妙な物を捉えた。
最初はそれが何か分からなかったが、それの意味する事に気付いた時、男は戦慄と共に思わず胸に下げた形見のロザリオを強く握り締めていた。
薄く積った埃の中に真新しい足跡を見つけたのだ。
男のものよりは二周りは小さな足跡。狭い歩幅のものが等間隔で奥まで続いている。館に足を踏み入れてようやく発見した、館に何者かが潜んでいると云う証左だった。
男は強い興奮を覚えると、ある種の確信と共に足跡を辿った。
足跡は暫く廊下の奥の方まで続き、その突き当たりで唐突に消えていた。一見すれば何も無い壁。しかし蝋燭の明かりを頼りに、慎重に辺りを探ると、壁に小さな切れ目がある事に気付いた。そこを強く押し込むと、予想通りに壁が動き、大の大人が通り抜けれる程の暗闇が現れた。
男は会心の笑みを漏らす。
この館に隠し部屋があるとすれば、それが意味することは唯一つだけだ。
いよいよ決心を固めると、手に持った杭を強く握り締め、より深い暗闇の中に足を踏み入れた。
一歩一歩、曲がりくねる石の階段を降りる毎に、男の浮かべる笑みは壮絶なモノへと変わっていった。
この階段の先に彼が追い求める怨敵が居ると云う確信。
その化け物を、手にした杭で串刺しにして殺しえると云う確信。
愛する女性を奪っていった存在に対する復讐を果たせると云う確信。
最初、館に足を踏み入れた時の恐怖は何処へやら、男は異様な興奮を覚えていた。
覚えず、乾いた口から、途切れ途切れに不敵な笑いが零れた。
階段を降り切った先には木の扉があった。
錠前の類は付いていず、ノブを捻れば簡単に開いた。
男は部屋に足を踏み入れる。
四方が石造りの、まるで牢屋の様な暗い気配を持つ小部屋だった。
そこに棺が三つ並んでいるのを見つけ、男は生唾を何度も飲み込んだ。
棺はあらゆる光を拒否するような漆黒色をしていた。木でできていると思しいが、表面の艶やかさは磨き上げられた大理石の様でもある。
男は燭台を床に置くと、慎重に棺に近寄った。
三つの棺はどれもほぼ同じ大きさをしているが、表面に彫られた禍々しいレリーフが微妙に違う。例えば、右端の棺には見た事も無い文字が円周上に配置され、それに絡み付く様な蛇が意匠されていた。魔法陣か何かの類の様に思えたが、男にそれを理解する術は無い。
直感的に、真ん中の棺がこの館の主の物だと悟った。
一番意匠が凝っていて、古そうに見える。
杭を右手に構え、空いた左手で棺の蓋に手を掛けた。棺はやはり木でできている様だったが、その表面は石のように冷たい。
男は引き攣った笑いを口元に貼り付けたまま、ゆっくりと蓋を横にずらし始めた。
中の化け物がどんな奴なのか想像も付かなかったが、その姿が見えた瞬間に、胸を一刺しにするつもりだった。無論、この真ん中の奴を仕留めた後、両脇の棺も同様に始末をつける気でいた。
もどかしいほどゆっくりと蓋がずれる。
ハァーッハァーッと男の荒い息が狭い部屋に響き――そして、完全に止まった。
男は息をするのも忘れ、目の前の光景に見入っていたのだ。
鼻から息を大きく吸う。
棺の中は空だった。
男は小さな引き攣るような笑い声を上げた。緊張の糸と理性がズタズタに焼き切れ、虚ろな笑いはやがて哄笑に変わる。
自分が罠に嵌められたと気付いたのだ。
男は僅かな勝機に掛けてここまで来たつもりだった。
人を遥かに上回る化け物と対峙する為に、そして己の愛した女性の復讐を果たす為に、自分の力と知性を総動員し、神に祈り、運を天に任せ、そうしてようやく化け物の寝首を掻いてやる所までやって来れたのだった。否、やって来れたつもりだった。
だが、それらは全て狡猾な罠だった。
そんな男の働きを惜しむ様に「残念ね」と背後から声が聞こえた。そして同時に、ぱたぱたと羽音が聞こえ、コツンと地面に着地する靴音がした。
男は振り返らなかった。
「此処まで来れたのは、人間では貴方が初めて」
男の耳元で先程よりはっきりと少女の声がした。それまで館に立ち込めていた瘴気とは全く異なる、芳しい香りが鼻を突き、ハッと男は我に返った。
「だけど勇気と蛮勇は似て非なるもの――自ら悪魔の住処に足を踏み入れるなんて愚かの極み。だけど――その意思の強さは敬意に値します」
掛け値無しの賞賛の声。男は満足気に微笑んだ。少女の褒め言葉にでは無い。わざわざ獲物が自分から姿を現した事についてだ。
少女の甘い声は淡々と続けられる。
「儚い命を天秤に掛ける勇者さん――何がお望み?」
――望みだって?
男は口元に皮肉な笑みを浮かべると、返答代わりに振り向き様に背後の存在へと杭を突き立てた。
杭が風を切る音と、骨がへし折れる音は同時に響いた。
「――――ッ」
男は、声にならない声で女の名前を叫びながら事切れた。男の首は少女の細い腕でつかまれていて、在り得ない方向に捻じ曲がっていた。
やがて少女が手が離すと大きな体は仰向けに倒れた。
再び完全な沈黙。
少女は長い間、倒れた男をジッと見ていた。やがて傍に近寄りしゃがむと、彼の胸元に紐でぶら下げられている木彫りの十字架を見つけ、目を細めた。
「――普通の吸血鬼だったら、逆にやられてたかもね」
男が振り向くと共に視界に入る十字架。眼を焼かれ苦悶する吸血鬼。そして心臓に突き立てられる杭――在り得る光景だ。仮にでも背後を取った吸血鬼が油断していれば尚更。
「やっぱり人間って怖いわ」
少女は男の首からロザリオを取ると、自分の首へと掛けた。十字架には精油が塗られ、お陰で磔にされた聖者の意匠が鈍く輝いている。少女はそれが気に入ったと見え、指先で少しの間弄んでいたが、やがて死者の耳元へと顔を近づけ、その耳朶に囁いた。
「復讐がお望み?いいわ、死人にはもう復讐は果たせないけど、そうできる様に私が運命を弄ってあげる。感謝しなくてもいいわよ。私の為にもなるんだから――」
強張っていた男の顔が安らかなものに変わった。否、そう見えただけで、実は顔の筋肉の緊張が解けただけかもしれないし、仄かな蝋燭の灯りが生み出す陰影の悪戯なのかも知れなかった。
やがて少女は足首を掴むと、自分の体よりもずっと大きさのあるそれを悠々と引きずりながら、地下の暗い墓所を出た。
日没と共に、館の主は眼を覚ました。
そして、自分が棺ではなく柔らかいベッドの上で寝ていた事に気付き、はてと首を傾げた。
主の体に覆い被さる様に半裸の女が倒れている。彼はそれを邪魔臭そうに払い除けると、ベッドから立ち上がった。
主は背の高い、美しい顔をした若者だった。豪奢な金髪が背中まで垂れていて、艶やかな唇が艶然と微笑を形作っている。
彼こそが紅魔館の主、今代の紅魔卿。ロード・スカーレットだった。
そうだ、と主は思い出した。
今朝、彼の姪が決していつもの棺では寝ない様にと強く念押ししたので、それに従い、彼にしては珍しく上階の寝室で横になったのだ。
どうやら姪には未来を予知する能力があるらしい。実際、幾度と無く彼女の警句を受け入れる事により難を逃れている。
彼の姪は少し変わっていた。
例えば、普段から棺ではなくベッドの上で寝起きしている。彼はそれを吸血鬼らしからぬと常々思っていた。まるで人間の様ではないかと。しかし、今日ベッドで目覚めた時は中々に気分が良かった。偶にはいいかも知れない、卿はそう思った。
主は上機嫌で着替えを始め、金刺繍の施された緋色の衣服に袖を通し終えた所で、ありえぬ方向に首が捻じ曲がった女の死体に気が付き「ああ」と残念そうな声を上げた。
「折角、眷属にしてやったと云うのに、首が折れたくらいで死んでしまうなんて――情けない」
しかし、すぐに不死人(アンデッド)が死人(デッド)になっただけだと思い直し、まぁいいかと納得した。飽きっぽく、物事に頓着しないのは永遠の夜を生きる一族に共通する性格であったが、彼の家系は特にその気が強かった。
死んでしまったものは仕方なかったが、かと云って、死体をこのまま寝室に放置するのも躊躇われた。主は誰かに掃除をさせようと思い、しかし、この館に従者はもう一人も残っていない事を思い出す。
何故なら、主の足元に倒れている女が最後の従者だったからだ。
これはまた村へ行き、仲間を増やさなければならないかも知れない。
主はそう考え、その面倒さや煩わしさを思い、憂鬱さに顔を曇らせた。
部屋の中で腐らす訳にもいかず、仕方なく窓を開くと、女の足首を掴み外へと放り出した。森に住む野犬どもが喰って始末してくれるだろう。そういう算段だった。
部屋を出て、階段を降りた。
酸鼻な血の香りが鼻を突く。
「レミリアかい?」
紅魔卿は暗闇の中、姪の姿を求めて彷徨う。
「叔父様、おはようございます」
レミリアと呼ばれた彼の姪が、白いブラウスの胸元を血で真っ赤に染め上げた姿を見せた。背の低い小柄な少女だった。見た目は人間と変わらない――ただしこの娘の背には羽があったが。そして幼い外見に似合わぬ、気高く、知性を感じさせる物云い。何処か不遜で、我儘そうな雰囲気もある。
「また血で服を汚してしまったね」
「ごめんなさい。叔父様、私まだ血が巧く飲めないの」
レミリアの小さな口元からだらりと血の筋が垂れていた。
卿は姪の口から零れたそれを、自らの指で掬うと長い舌で舐めた。苦い顔をする。
「男だね。しかも童貞じゃ無い」
酷く落胆した顔で紅魔卿は呟いた。
「レミリア、こんな酷い味の血をわざわざ飲まなくても、村へ行けば幾らでも美味しい血が手に入るだろう。生娘、子供、幼子――選り取り見取りだ」
「お腹が空いたから吸ったのではありません」レミリアは澄ました顔で云った。「礼儀です」
「どういう意味かな」
どうやらまた姪が小難しい事を云い始めるらしい。困ったものだな、と卿は思い苦笑した。
「彼は勇敢でした。人の身でありながら、この悪魔の館へと独りで乗り込んできたのですから」
「それは喜劇だね、レミリア。その人間はとても愚かだ」
「愚か――確かにそうかも知れません。現に彼は、私達に一矢報いる間もなく死んだ。私が殺しました」
「そうか。それは良くやった」
「だから彼を吸ったのです。敬意を表して」
「ふむ、そこがよく分からないな。速やかにぶち殺したのは評価できるが、不味そうな血をわざわざ吸ってやる必要もあるまい」
今度はレミリアが困った表情を浮かべた。
「叔父様、それが人間との契約だからです。あの男は吸血鬼としての私達を狩りに来たハンターですわ。それに対峙する私達も『化け物』らしく振舞ってあげないと可哀想です。ほら、私達は血を吸う鬼なんですから、殺した後はちゃんと吸ってあげないと――」
紅魔卿は先代の紅魔館の主を思い出した。先代はレミリアの実父であり、彼にとって実兄に当たる。先代もよくレミリアの様に、小難しい理屈ばかり捏ねていたものだった。やがてうんざりした様に、大仰に首を左右に振ると肩を竦めた。
「レミリア、その話は今度にしようじゃないか。それより、そのやって来た男とはどんな奴だったんだい?」
「見ますか?死体がまだロビーにありますけど」
ぴょこぴょこと小股に歩いて行くレミリアの後を追い、卿はロビーまでやって来た。埃が積った絨毯には死体を引っ張ってきた後が付いていて、その先に男が倒れている。
男は体躯の確りとした若者だった。首があらぬ方向に折れていて、その首筋には乱杭歯で開けられた傷口が二つある。一つ不思議だったのは、男の死に顔が意外に安らかだった事だ。
「ああ、コイツは――」暫く死体を見詰めていた卿は頷いた。「『彼女』の許婚だった男だ」
「この男をご存知なのですか?」
「ほら、最近、眷属に加えてやった女がいたろう」
紅魔卿は先程、窓から投げ捨てた女の事を考えた。
「綺麗な方でしたね」
レミリアは意味深に微笑んだ。
「そうだな。綺麗な顔をしていた。血を吸いに行った夜、偶々見つけたんだ。処女だったから吸って仲間にした」
「だから彼は仇討ちに来たのですね」
「仇討ちだって?」
紅魔卿の顔に剣呑な影が広がった。
「莫迦を云っちゃいけない。あの女は、自ら望んで夜の一族になったのだ。事実、最初の夜、私の口付けを受けて以来、あの女は毎晩窓を開け放して私の訪れを待っていた。許婚がいたにも関わらず、吸血鬼である私を受け入れた。分かるだろう、レミリア。我々は許可されないと部屋に入る事はできない。そういう忌々しいルールがある。つまり私が入れたと云う事は、招かれていた――そういう事だ」
「そうです」
「だと云うのにこの男は仇を討ちに来たと云うのかい?冗談じゃない。私に女を取られた事に対する嫉妬だよ」
荒々しく云い放ち、卿は冷たい眼で男の死体を見下ろした。レミリアはやんわりと窘める様に云った。
「でも、叔父様。私達の口付けを受けると云う事はそういう事です。人である事を止めて、魔に近づくと云う事。私達の存在を受け入れる様に『強制』する事です。最初の夜は彼女だって抵抗した筈でしょう?」
「どうだったかな」
紅魔卿は薄ら笑いを浮かべて答えをはぐらかした。
「どちらにせよ、私の首を狙うのは穏やかな話じゃない。まさか、この私が人間などに滅ぼされるなんて事はありえないが――これは気分の問題だ。付け狙われるというのは、それだけで気分が悪い。君だって、お前の父や母の様に、私が人間なぞに討たれるのは厭だろう?」
レミリアは顔を顰めた。
「それは、そうです。だから叔父様は私が人間からお守り致しますわ。私の能力がある限り、誰にも叔父様の寝首を掻かせたりはしない」
「ふふ、私はどうやら良い姪に恵まれた様だ」
卿は微笑を浮かべて、姪の頭を撫でた。そして面倒そうに呟く。
「しかし、この男の死体も処分しないとな――」
「それなら見せしめにこの男の村に捨てるのが宜しいでしょう。人々に紅魔館の吸血鬼の恐ろしさを身を持って教えませんと、この男の様な人間がまたこの館へ挑もうと思うかもしれない」
「それは心配しすぎだろう。死体は森に捨てておけばいいさ。野犬が始末してくれて楽だろう」
彼はそれだけ云うと、もはや何の関心も喪ったかの様に二階の書斎へ行こうと歩き出した。そこにレミリアの声が掛かる。
「そういえば叔父様。『彼女』は何処へ行きましたか。姿が見えないのですが」
足を止めて振り返る。
「『彼女』がいないと何か問題があるのかな」
「いい加減、館の掃除をして貰わないと困ります」
「ふぅん、そうか」
館の美観などに何の関心も持っていない主は、たった今気付いたかの様に頷いた。
「確かに掃除係が必要だね――だけど残念ながら『彼女』はもういないよ」
「何故」
「フランがね、また壊してしまったらしい」
その言葉にレミリアの表情が強張った。
「あの子にも困った物だ。私が新しく増やした仲間を片っ端からダメにしてしまう。そうだ、レミリア。明日の夜、私と一緒に人里に行こう。狩りをするんだ――」
それだけ云うと紅魔卿は今度こそ館の暗闇の中へと消えていった。ロビーに独り残されたレミリアは、淡い侮蔑の表情を浮かべ、叔父の消えていった先を眺めていた。
同じ夜、レミリアは自らの言葉通り、吸血鬼に牙を剥いた勇敢な男の死体を彼の村へと運び、その四辻へと捨ててきた。
乱杭歯の痕が男の末路を雄弁に語ってくれる。明日の朝になれば村は大騒ぎになるだろう。
――紅魔館の吸血鬼は此処にあり。
それを周知させ、畏怖で人々を震え上がらせる事。それが今や吸血鬼にとって必要不可欠な行為である事は、幼いレミリアでも見抜いていた。
館に帰る途中、天空を仰ぎ見ると黒々とした雲の切れ間に、研ぎ澄まされた刃物の様な怜悧な月が蒼白く静謐に輝いていた。見慣れた退屈な月の姿。
昔々、レミリアの祖父の代、さらにその祖父の代の頃、月は妖しく紅く輝く姿を度々見せていたと云う。今の月の光は、そんな昔の狂気など忘れてしまったかの様に、理知的で冷たく、何処かお高く止まっている。
レミリアは幼い頃に、一度だけ朱色に輝く月を見た事を憶えていた。充満した狂気で今にも破裂しそうな錆色の月。その姿は吸血鬼の心の琴線に触れる何かがあった。
――何故、月は自らの狂気を隠すようになったのかしら。
レミリアはお腹を天空へと向けて、翼をピンと張った状態で風に乗った。手足を伸ばし、背面飛行のまま滑空する。
夜風が心地良かった。
しかしこの風もまた、昔とは異なってきている事をレミリアは知っていた。大気のマナやエーテルはどんどんと希薄になってきている。このままでは何百年後かには、風は死に絶えるに違いない。
其れだけでは無い。
いつの間にか竜は神話の中に姿を消し、妖精達は月明かりの下で踊る事を止め、魔女達も何処へともなく姿を隠した。サーオインの収穫祭、或いは、聖ジョージの前夜。世界中の魔が翼を広げ、昏い祝祭に湧き立ったあの夜達も、今は遠い昔だった。
そして今、そういう古くからいる存在に取って代わろうとしているのは人間達だ。彼等は個体としての弱さを数で補い、拙い能力を道具で補強し、貪欲に、世界を覆い尽くさんばかりの勢いで増え続けている。数千年前の状況では考えられない事だった。
レミリアは昼に館へやって来た男の事を考えた。
無知と迷信に凝り固まり、夜をただ怯え続ける者達とは違い、己の智恵と力で夜の王すら打倒せんとする大胆不敵な連中。そういうタイプの人間がここ百年程で多く増えてきている。このまま人間達は力を付け続け、やがては夜さえも昼に変え、全ての魔物を駆逐するかもしれない。
――我々、ヴァンパイアさえも。
レミリアは自分の一族の事を思った。
スカーレットの家はもう宗主の叔父とレミリア、そして妹のフランドールの三人しか残っていない。レミリアの両親は、百年程前にハンターによって就寝中に棺を暴かれ、杭を打ち込まれて死んだと聞いていた。横で寝ていたレミリアとフランドールは運良く生き残り、これまた運良く館を離れていて難を逃れた叔父を新当主としてスカーレットの家は再興された。
たった三名の家系。
普通の生物ならば既に絶滅したも同然なのだろうが、頑丈な体と長い寿命を持ち、さらには血を吸って仲間を増やすと云う特殊な繁殖法を持つ吸血鬼にとって三という数は十分なのだ。
しかし本当にそうなのだろうか。
レミリアは未だ相手の血を吸って眷属に取り込むという事ができない。これが何か先天的な欠陥によるものなのか、幼さ故の未熟さから来ているかは分からない。成長しさえすれば、普通の吸血鬼の様に繁殖ができる可能性は高い。しかし、少なくとも今のレミリアは吸血鬼としての繁殖能力は無い。
妹のフランドールも同じく繁殖が不可能だが、その理由はレミリアより性質が悪いだろう。
彼女は余りにも一族の血が濃すぎた。
例えば、レミリアの曽祖父は同時に祖父であり、祖母は曽祖父の実娘である。吸血鬼の一族は自らの血統に誇りを持ち、その純粋さを保つ為に近親で交配を行う事もままある。それは血族のアイデンティティーを守る為に何代にも渡り繰り返された作業であり、スカーレットの家だけが特別に行っている事ではない。
とはいえ、現実、濃くなった血は狂気を蓄積し、時折、生まれついての凶状持ちを産みだす。そしてフランドールはそういうケースの一つだった。
生まれ付きの強力な力と引き換えに、不安定な情緒を持ち、吸血鬼としてのごく当然の意識を欠いている。彼女は人を吸血対象としては認識せず、視界に入った蠅を鬱陶しさから叩き潰すのと同じ様に、ただ壊す対象としか考えないだろう。レミリアの場合と異なり、こちらが改善する可能性は絶無に思われた。
そうなると、姉妹の叔父だけが、現状のスカーレット家の中で唯一、吸血鬼として繁殖する事が可能だ。しかしレミリアはその点についても楽観はしていなかった。これもまた呪われた血の性か、叔父には気紛れに人間を吸い、せっかく仲間にしても気紛れに使い潰すと云う度し難い悪癖があった。
普通、ヴァンパイアにとって吸血による繁殖は、単なる生殖では無く、遊戯的問題も含む。つまり、吸血により仲間を増やし、一つの村、一つの街、一つの国を自らの配下に置くという一種の政治ゲームなのだ。
それを思えば、今代の紅魔卿の行いが如何に愚かしいか分かる。彼は気紛れで自らの手駒を潰し、自分の首を絞めている様なものなのだ。
そうでなくとも、政治ゲームの難易度は確実に上がってきている。最近では、焦って仲間を増やそうとしたある吸血鬼が人間達に逆襲され、灰にされた所だ。昔ながらの館を捨て、何処ともなく姿を消した者もいると聞く。人間の社会に混じって生活を始めたのだろうか?
兎に角、昔の様に、夜に襲えば済む話ではないのだ。生き残る為にはより狡猾に冷徹に、長期的な展望の下で行動する。それが出来ないのなら灰に還るしかない。
だけど、何時かは限界が訪れる。騙し騙しの延命策では、決して滅びの運命から逃れる事は出来ない。
――そろそろ潮時なのかしら。
レミリアの双眸はやがては来る夜の王の落日をはっきりと捉えていた。
次の日の夜。レミリアが叔父と『狩り』の約束をした日。
夕暮れの訪れと共に紅魔館へ一匹の大鴉が舞い降りてきた。その大きな羽を広げて、奇声を発する様子は、悪魔にでさえ不吉な気持ちを抱かせるのに十分だった。
鴉の足には手紙が括りつけられていた。
玄関口で手紙を受け取ったレミリアは、それを叔父の元へと持っていった。
大広間にある玉座に気だるく腰を下ろしていた叔父は、その手紙を受け取ると眉を顰めた。
「信じられん」
手紙を読み進めるにつれて叔父の顔面が蒼白になっていく。
「――信じられん」
もう一度そう呟くと、顔を両手で覆った。
「どうなされたのですか」
叔父の狼狽を愉しむ様にレミリアは薄笑いを浮かべる。
「伯爵が人間に討たれた」
「それはそれは――大変ですわ」
レミリアは爪を噛んだ。
伯爵は古参の吸血鬼で、その来歴の所為もあり一目置かれる存在だった。その彼が人間に滅ぼされたとなれば叔父が動揺するのも無理のない事だろう。
「古巣を出て、倫敦に渡り――小娘一人眷族に出来ず、挙句にエクソシストでもない只の人間に追われ――追い詰められ、討たれた。俄かには信じ難い。またこれが真実だとしても狂気の沙汰だ」
「それだけ人間達が力を付けて来ているという事ですわ」
「莫迦な。奴等お得意の銃で撃たれた所で我等は滅びぬよ。非力な人間が杭を振りかざしてくるのならば、その素っ首を捻ってやればいい」
「本当に怖いのは人間の智恵です。彼等は賢い。巧妙に立ち回り、私達の裏を掻こうとする。悪魔的とも云える執念ですわ」
「所詮は百年も生きられぬ連中の浅知恵、何を恐れる事があるか」
紅魔卿は憤懣足るや無いという風に云ったが、その暗い瞳の奥にある怯えをレミリアは敏感に感じ取った。あどけない笑みに隠された冷笑が一段と深くなる。
「ねぇ叔父様、お父様がこんな事を仰ってた事がありました。『長く在り続ける事が問題なのでは無い。如何に在り続けるかが問題なんだ』と。我々に約束されたのは永劫に等しい長い時間。ただ存在し続けるのであれば、路傍の石ころと同じ。そうは思いませんか?」
「ああ、兄の言葉は良く憶えているよ。老いもせず、死にもしない我々だからこそ引き際を見極めなければいけない――そんな話だっただろう。だがそんものは観念的な諧謔に過ぎないよ。その証拠にそう云った兄本人は人間に呆気無く討たれたじゃないか。あれが彼の『引き際』だったとレミリアは云うのかい?あの惨めな最後が」
レミリアの実父への嘲りを含んだ紅魔卿の言葉だったが、レミリアは動じず満足げな笑みを浮かべて首肯した。
「或いはそうだったのではないかと思います。お父様は幸せでした。だってお母様を手に入れる事ができたのですもの。お母様も幸せでした。お父様に吸って貰って『同じ存在』になれたのだから。同じ夜の同胞に。我々の一族に。二人は幸せでした。いつ滅んでも良かったと思っていた――だから滅ぼされた時が『引き際』ですわ」
「それは君の想像に過ぎない」
紅魔卿は顔を顰めてぴしゃりと云ってのけた。憂鬱な顔。蒼白い顔がさらに白くなり、暗闇の中で蝋の様な不気味な照り返しを見せている。レミリアは口だけを動かし、目の前の叔父に気付かれぬようにそっと問い掛けた。
――でも貴方はそんな二人が羨ましかったのでしょう?
そしてクスクスと笑った。
仲間がまた一匹討たれたというのに、それを面白がる姪の挙動を理解できない紅魔卿は困惑の面持ちを見せる。
「レミリアは何とも思わないのかい?伯爵が討たれた事について」
「私如き小娘があの方の事をどうこう云うのは非常に差し出がましいとは思いますが――そうですね、あの方の気持ちは少し分かる気がします。ただ存在し続けるという事に飽いたのでしょう。生きてもないし、死んでもない――そんな私達でも『飽き』はありますものね。終りの無い倦怠は針の蓆のように私達を苛ましますわ」
「だから伯爵は人間と同じ土俵に立って戦い、わざわざ討たれたっていうのかね。何故そこまで人間に拘るのか私には理解できんね」
「人間より完璧に優れている吸血鬼は、人間を糧にする。だけどそれは裏を返せば、私達は人間抜きでは存在できないという意味でもあります。強い癖に弱点が多く、不死の癖にお腹は空く――そういう呪われた存在ですからね、私達は。そういう意味では私達を退治するのは、やはり人間が相応しいのではないですか」
「伯爵がそう思ったというのかい?」
「いいえ、私の個人的な憶測です。伯爵御本人が何を感じ、何を思ったかは興味深いですけど、今はもう分かりませんから永遠の謎です。だけどあの方ならたぶん――」
「なんだい?」
「終りの無い生の中で好きな人間の女性でも出来たのでしょう。それこそ命懸けで手に入れたい程の」
「莫迦莫迦しい!!」
レミリアは曖昧な微笑を浮かべて肩を竦めた。冗談ですよ、と云いたげな軽い様子だったが眼は真剣だ。しかし紅魔卿は悩ましげに顔を曇らせるばかりで、そんな姪の細やかな所作には最後まで気付かなかった。
「それで叔父様、今夜の狩りはどうなされますの?」
押し黙ったままの館主に強請るような甘い声で囁くレミリア。
「悪いが中止にしよう。そんな気分にはなれないんだ」
「そうですか――」
レミリアは心底残念そうに肩を落とした。
「叔父様、お忘れにならないで下さい。私達、吸血鬼が夜の王であるのは、ただ他の魔物達より強いからというだけではなく、そう見せかける為に、賢く立ち振る舞ってきた歴史があるからだと云う事を」
「そんなのは当然じゃないか。今更何を心配しているんだい」
「人間達もどんどん賢くなっています。少なくとも、私達が長い年月を掛けて築いてきた虚勢(ブラフ)を見破る程度には。どうか心して下さい。人に畏れられなくなった『魔』は退治されるしかないという事を――どうか」
それがレミリアができる精一杯の忠告と譲歩だった。
紅魔卿は姪の言葉に理解を示す表情を作り、物憂げに微笑んで見せた。しかし、それだけだった。玉座の上で尊大にふんぞり返り、眷属を増やす為に夜の空を飛び出そうともしない。
レミリアは憤慨とも同情ともつかぬ眼でそんな叔父の姿を見詰めた。
次の日の朝、今にも雨が降り出しそうな空の下。寒々しい灰色の平原を越え、深い森の中へ分け入る物々しい一団が現れた。
皆一様に緊張した面持ちで、先頭を行く葦毛の馬の後に続き、長い列を成してゆっくりと移動している。格好はバラバラで、農作業を放り出してきたのではないかと思われる軽装の男がいるかと思えば、先祖が戦争で使ったらしい重々しい甲冑姿の老人もいた。手に持つ得物も剣、槍、斧、銃と不揃いで、さらには聖書や十字架、大蒜、そして木で削りだした杭を携帯している者もいる。殆どは男だったが、中には女も混じっていた。
列の中の一人は不安気に雲に覆われた空を見上げ、隣を歩く男に囁いた。
――こんな嵐が来そうな日にするより、晴れの日を待っちゃどうだ。
黄昏まで時間はまだまだある筈なのに、生憎の雨空で空は薄暗い。
吸血鬼狩りにおいて『太陽』の重大さは云うまでも無い。夜とまではいかなくとも、夕方よりもずっと暗いこの状況が、吸血鬼にとって有利の働くのではないかと危惧を抱いているのだ。
問われた男は首を振った。
――皆、今は憤って仲間の仇を討つつもりでいるが、明日になると気持ちが挫けるとも限らん。鉄は熱い内に打つに限るって訳さ。それに、何でも吸血鬼ってのは雨に弱いらしい。この雨は俺達にも有利って話だ。
――なんだ。吸血鬼ってのは思ってたよりおっかなくはないんだな。雨に弱いだなんて。
そんな会話があちらこちらから聞こえる。自分達がこれから行う事に怯えながらも強く興奮している声だ。
彼等は、先日レミリアが殺めた人間と同じ村の者達だった。
村は田舎らしく閉鎖的で、都会から何世紀も置いてけぼりを食らったように因習的な習慣が根強く残る場所であり、吸血鬼に対する恐怖も一入だった。だがそれでも、何時までも吸血鬼の気紛れの供物となるのを良しとしない者達も徐々に増えてきており、そういう人間が中心となってこの度の村を上げての吸血鬼退治が行われる事になったのだった。
その直接の切っ掛けは、四辻に置かれた若者の冒涜的な死体だった。村人は最初その所業に恐れ戦いたものの、単身で悪魔に戦いを挑んだ若者を――勇者を称える者も少なくなかった。
花嫁が初夜に吸血に攫われ、二度と帰って来ない事が当たり前の村にとって、それは大きな変化だった。
亡骸が四辻で発見されてからすぐさま決行された吸血鬼狩り。集められた有志の人々。十字架を首から下げ、杭を手に持ち、一行が目指すのは吸血鬼の根城――紅魔館。
暗い地下室。ランプの灯りが頼りなく揺れている。
「ねぇ、フラン。今より自由になったら何がしてみたい?」
レミリアは小さなテーブルを挟んで向かい合う自分の妹にそう聞いた。
今後フランドールが自由になる可能性は限りなく低い。だからレミリアの問いは、その実、自分自身への問い掛けでもあった。
「もっと遊びたいかな」
昼間からレミリアに起こされたフランドールは眠そうな眼を擦りながら、至って無邪気に答えた。レミリアは心に疚しさを感じながらも同意を示す為に頷く。
「そうね、遊びは必要ね。私は友達が欲しいわ。私の知らない事をたくさん知っている、そんな子がいい。それから昼間も安心して眠れるように館を守ってくれる優秀な守衛と、それから館を掃除してくれる優秀なメイドも――今の館は嫌いよ、まるでお化け屋敷みたい。お父様とお母様がいた頃の綺麗な紅魔館が懐かしいわ。そうだ、どうせだから館も綺麗な場所に移した方がいいわね。澄んだ湖に囲まれた孤島――深く色鮮やかな緑の森――館の紅が映えてきっと素敵よ」
珍しく饒舌な姉の言葉にフランドールは首を傾げる。
「引越しするの?」
「もうすぐよ」
「どうして」
「たぶん私達が幻想になるからじゃないかしら」
「幻想?」
「吸血鬼の存在が幻想になるのよ。だから私達は『其処』に行く事になる。きっと良い場所よ。私達を畏怖の対象としてそのまま受け入れてくれる。私は其処でたっぷりと吸血鬼らしく振舞うつもりなの。だってこの世界の人間は余りに賢くなりすぎて、私達をもう怖がったりしないもの」
そう云ってレミリアは立ち上がった。
「何処へ行くの?」
「叔父様の所へ」
「叔父様も一緒に『其処』へ行くの?」
「いいえ。邪魔だから置いていくわ」
「良かった」
フランドールが無邪気に笑う。
「私、叔父様の事、余り好きじゃないから。だって自分で作った玩具に飽きたら、すぐにそれを壊して、壊れたのは全部、私の所為にするんだよ」
「貴方の所為じゃない事は分かってるわ。有難うね――今まで我慢して叔父様を壊さないでいてくれて。もし貴方が叔父様を壊したら、貴方が次の紅魔卿にならなきゃいけない。そうしたら私が紅魔卿になる為にはフランを手に掛けなきゃいけない。残り数少ない一族で当主を巡って、今更殺し合いなんて莫迦みたいよ。でも私達、吸血鬼はそういうのを尊んできたのだし、律儀にそれを守っていた。本当に因習的で、やる事が少しも進歩してないのは人間ではなく私達の方よ」
「でもそういうのはビガクだってお父様は教えてくれたよ!」
「美学――?そうかも。私達に本当に必要なのは夜の王足りうるプライドよ。そうでなければ私達は、永久の夜に閉じ込められた、虚ろで空っぽの存在になってしまう。本能の赴くままに血を吸うだけが生き甲斐だなんて――まるで蚊と変わらないじゃない。ねぇ、お願いだから暫く大人しく待っててね、フラン。私は叔父様と話をして来るから」
レミリアは優しい笑みを浮かべながら地下深くにあるフランドールの部屋を出た。
そして重い音を闇に響かせ、分厚い扉に容赦無く鍵を掛ける。狂った妹の管理も当主の仕事の一つだと云わんばかりに。
雨が疎らに降り出した。
さらに風も強くなり、遠雷の音も聞こえる。
雨脚が強まる気配。夕立の気配。
石造りの門を越え、人々は館の前に立った。
見る者を圧倒する重厚な造り。畏怖を覚えさせる紅い壁。周囲の森は鬱蒼としていて近付く事すら躊躇われる。姿は見えないのに何処からか聞こえる鴉の鳴き声。
分厚い木でできた正面玄関をこじ開けようと人々は躍起になったが、結局果たせなかった。銃によって弾丸が何発か館に撃ち込まれたが反応は無し。せいぜい窓硝子が数枚割れたに過ぎなかった。
リーダー格の男が声を上げる
「予定通り館に火を付けよう。中から燻り出してやれ」
どうせ館の中に雪崩れ込んだ所でも、暗闇の中で個別に襲われて全滅するのが精々だろう。かと云って夜になって吸血鬼が中から出てくるのを待つのも分が悪い。
館ごと燃やすというのが人間達の考え出した苦肉の策だった。吸血鬼が炎に紛れて逃げ出すのではないか、と危惧する者もあったが、幸いな事に雨が降り始めている。吸血鬼は雨の中を移動する事はできない。或いは、炎に耐えられず飛び出てきた吸血鬼を討つ時にも、雨という条件は有利に働くに違いなかった。
火を付ける用意は既に出来ている。馬に引かせて持って来た薪、そして油を容れた樽。さらに森までが丸焼けになるのを防ぐ為に、館の周囲の木々が切り倒され、それらも薪にし館の周りに積み上げられた。
木を切り倒す音、人々が駆ける音、早口で捲くし立てられる怒号。喧騒に驚いた森の鴉や野犬達が姿を見せ、人の姿を見るや慌てて逃げ出した。
雨がいよいよ強くなる。
作業は已む無く中断された。
薪を雨から守る為、油を沁み込ませた布が掛けられる。
人々は濡れそぼった体を寒さから守る為に一塊になり、紅い館と、黒雲で覆われた空を見上げた。雨は吸血鬼を館の中に閉じ込めるが、しかし余りに雨風が強くては、館を全焼させる事はできない。微妙な天気の塩梅がこの戦いの鍵となりそうだった。人間にとっても、吸血鬼にとってもだ。そして空の気紛れだけは双方どうしようも無く、運命は天に任されていた。
「叔父様、起きて下さい」
主の寝室に飛び込んだレミリアが甲高い声を上げる。
深い眠りから叩き起こされた吸血鬼の機嫌は例外無く悪い。紅魔卿も端正な顔に非難も顕に、姪を睨みつけながら上半身を起こした。
「どうしたんだいレミリア。夜はまだだろう?」
「人間ですわ。叔父様、人間が、私達を、討ち倒しに来ました」
レミリアは酷くゆっくりとした物云いで、事実を端的に告げた。
「――何だって」
その時の紅魔卿の狼狽した表情はちょっとした見物だった。
「どうして事前に教えてくれなかったんだレミリア。君は未来予知ができるんだろう?」
レミリアは無言のまま薄く笑い、首を横に振った。
紅魔卿は訳も分からず慌てふためき、無様にも姪の前で服を着替え始め、豪奢な朱色の衣服を纏ったが、そこには威厳など無く、立派な格好は反って滑稽ですらあった。
着替えた紅魔卿は寝室から廊下へと躍り出ると、階下の大広間へと向かった。
レミリアは無言でその後をついて駆ける。
吸血鬼の耳は、外に集まった人々の足音や鎧が擦り合わさってカチャカチャと鳴る音を捉えていた。吸血鬼の鼻は、外に集まった人々の怒りを含んだ強い興奮の匂いを感じていた。吸血鬼の肌は、迫り来る危機をぴりぴりとした感触で伝えていた。
「こんなたくさんの殺意に囲まれたことなんてありません。きっと外には五十人以上います」
「何故また今になって人間達は我々に歯向かう気になったんだろうね」
レミリアは答えない。原因は明白だった。吸血鬼側の怠慢。恐怖で人々を震え上がらせ、真綿で首を絞めるようにして支配するのが夜の一族のやり方。それを怠ったからだ。
先日、レミリアが殺めた青年の死体を村に置いて来た事は、結果から云えば、藪を突付いた形になったが、しかし次の夜にでも村を襲い、何人かを見せしめに吸っていれば、人々に再び従属的な態度を取り戻させる事も出来た筈なのだ。それを紅魔卿が伯爵が討たれた動揺から怠った事は致命的なミスだった。だけどもう後の祭り。最後の賽は既に投げられている。運命はもはや覆しようが無かった。
紅魔卿は大広間にある、大きな張り出し窓の格子からそっと外を覗いた。
居る。
人間の群れが居る。
武装した人間の群れが。
男も女も、皆が狩人となってそこに居た。
「奴等は中には入って来ないのか」
「館に攻め込んだ所で、返り討ちにされるのを理解しているのでしょう」
「なんて事だ――雨まで降っているじゃないか」
紅魔卿が忌々しそうに呻く。
「そう、雨です。私達は外へは出られない。しかもどうやら館に火を付ける準備をしている様子」
「雨さえ上がれば――」
「雨が上がれば、太陽が姿を現します。結局、日没まで待たなくてはなりません。日没になって、さらにその時、雨が上がっていれば――外へ出て蹂躙できるでしょうね」
クスクスとレミリアが笑う。
紅魔卿も引き攣った笑みを浮かべた。
「随分と余裕なんだね、レミリア。何か策でもあるのかい?」
「何も」
レミリアは素っ気無く答えながら、大広間の中をゆっくりと歩いて移動した。紅魔卿の視線がレミリアを追う。大広間には幾つかの古い調度と、主が座る為の紅い玉座しか無い。
レミリアは闇の中を移動しつつ、玉座に近付くと、その椅子の高い背を愛しそうに撫でた。
「歴代の紅魔卿が座り――かつて私の父も座っていた椅子です」
「そうだね」
紅魔卿はそんな姪の会話には気乗りしない様子だった。そんな事はどうでもいいではないかと思いつつも、姪のご機嫌取りの為に適当に会話を合わせようとしている意図が無理やり作った笑みから読み取れる。
「私は父を尊敬していました。母と同じくらいに」
「私も兄は好きだったよ。少々変わった所があったがね」
「確かに、吸血鬼にしては可笑しな方だったのでしょう。だって人間に恋したのですから。だけど母もまた可笑しな人だった――何故なら吸血鬼に恋をした」
「レミリア。その話は今は止めようじゃないか。この状況を何とかする方が先じゃないかな」
ふっと視線を明後日の方向へ向けた紅魔卿の顔が強張った事をレミリアは見逃さなかった。幼い吸血鬼は口元を綻ばせ、やんわりと包み込む様に云う。
「どうせ日没まで私達は動けません。急ぐ必要なんてありませんよ」
「だけど館に火をつけられたらどうする?逃げる事も出来ずに、我々は焼かれるぞ」
レミリアは即答する。
「その心配もありません。これだけ強い雨が降っている限り、この館が全焼する程の火事になる事はありえないのですから。雨は私達をここに足止めするけども、同時に火から守ってくれています」
「それは君の能力が導いた答えなのかい」
「いいえ――」
レミリアは鼻で笑い、自分のこめかみを指先で突付いた。
「考えれば、誰にだって分かる事です」
「――成る程」
部屋の空気がぴりっと張り詰めた。しかしレミリアは動じる事も無く、マイペースに話し続ける。
「だから日没になるか、雨が止むかしないと次の局面には進まない。だからそれまでお父様とお母様の話をしましょうよ――叔父様」
「――良いだろう」
紅魔卿は腕を組んで姪を睨み付けながら頷いた。
レミリアの可憐な声が暗闇に響く。
「愛し合った父と母は、共に在り続ける為の道を探さなくてはならなかった。人の寿命は高々百年。吸血鬼のそれと比べて余りに短い。すぐに老いて、すぐに死ぬ。だから二人は同じ時間を過ごす為に、どちらかに歩み寄る事にした。吸血鬼が人間になる事はできない。だけど、人間が吸血鬼になる事はできる――だから二人はそうした。お互いの合意の上で」
「自分からヴァンパイアの仲間になりたがる人間は意外と多い。不老不死目当てでな。君の母親も大方そんなとこだろう」
「いいえ。二人が恐れていたのは死そのものではなく、死によって齎される別れだった。そんな事も分からなかったのですか?愚鈍なのですね」
「レミリアッ!!」
紅魔卿が吼えた。
「口に気を付ける事だ。余り調子付かれると――私も我慢できなくなる」
レミリアは唇を捻じ曲げて微笑んだ。可愛い口元に似合わぬ乱杭歯が露になる。明確な敵意を孕んだ威嚇行動だった。
「叔父様、どうか正直に答えて下さい。貴方は私の母を愛していましたか?父がそう思った様に――」
「いいや」
紅魔卿は鬱陶しそうに呟く。
「欲しかっただけだ。彼女は兄の物だった。だから少し欲しくなった、それだけさ。私は昔からそうだった。兄が新しい玩具を手に入れると、同じ物が欲しくなってしまうんだ。だけど心優しい兄が玩具を譲ってくれると――すぐに飽きるんだな」
「度し難い悪癖ですわ、叔父様。先々代が屋敷を追い出したのも頷けます。父が亡くなりさえしなければ、貴方がこの館に戻り、この紅の玉座に座る事も無かった」
「だが現実に兄は人間に討たれた。不幸な事故だった」
紅魔卿の憂いを含んだ錆び付いた声。だけど、そんなのはポーズに過ぎない。
レミリアはぎりぎりと歯を鳴らした。
三文芝居にこれ以上、付き合う義理は無かった。
「貴様が殺したんだろう!父と母が棺で寝ている所に忍んで行って、心臓に杭を刺してッ!!」
レミリアの告発が闇に木霊する。
「母はお前の物になんかならなかった!だから殺したんだ!父も貴様が殺した!!お前は『紅魔卿』の座も欲しかったから――ッ」
近くで雷の鳴る音が聞こえた。雨粒が館の壁を叩く音がする。
稲光で空が光った。鎧戸の隙間から差し込んだ光が一瞬だけ室内を明るく照らし出す。
逆光の中で二匹の魔は静かに睨みあっていた。
そして再び暗闇が戻ってきた時、紅魔卿の陰鬱な声が大広間に響いた。
「そうだ」
紅魔卿は顔色一つ変えず頷いた。しかしすぐに首を傾げる。
「――いや、本当にそうだったかな?随分と昔の事なんで理由なんて忘れてしまったよ。まぁ心に残っていないという事は、たぶん衝動的だったんだろうが――どちらにせよ『紅魔卿』なんてのも手に入れてしまえば――すぐに飽きてしまう、そんな詰まらないモノだった」
そう呟いた悪魔の微笑みは、レミリアが今まで見た中でも最も穏やかだった。
気紛れで、何にでもすぐに飽き、愛し方を知らず、壊す事しか出来ない。それは何処かフランドールに似ている。種族としての、そして血脈しての呪われた性だ、とレミリアは思った。
レミリアはすぅっと大きく息を吸い、出来る限り気分を落ち着かせて云った。
「――叔父様が父と母を殺めた事は、随分と昔から知っていました」
ほう、と紅魔卿は意外そうな声を上げる。
「今日までずっと黙っていたのは、叔父様の裏切りは褒められる物ではあっても、決して非難されるべき事ではない――親殺し、子殺し、近親相姦、そんなのが当たり前の我々血族にとっては――この上なく正統で、真っ当な方法であったからです」
「ハハッ!兄のよく云った吸血鬼のプライド、美学って奴だな!頂点に君臨したければ自らの力を持って制すべし。強く美しく、それが吸血鬼のモットーだと。その哲理にケチを付ける奴がいるとすれば、寝首を掻かれたマヌケ本人か、さもなきゃそのマヌケの係累って事だ――成る程、合点がいったよレミリア。兄は本当に素晴らしい躾をしたものだ。君は他でもない尊敬する父親の信条に雁字搦めにされ、百年以上もの間、怨敵を前にジッと我慢しなきゃならなかった訳だね。だけどそんなに我慢強い君が、今更になって昔の事を蒸し返すのは何故だね?」
「たった百年です。時間さえあればもう百年待っても良い。どうせ私とフランでは血族は増やせませんから――だけどもう時間が無い。世界は変わってしまった。これからは人間達により夜は侵され、魔は狩られる事になるでしょう。私達の居場所は此処にはもうありません」
「莫迦な。夜は――我等の夜は永劫だ。至る所に闇があり、影がある。人間達に深い闇のその全てを掬い上げる事ができるだなんて本気で思っているのかい?私達は一掴み残された闇の中で眠っていればいいんだ。時間は常に私達に味方する。我等は長い年月の果てに蘇り、人が居なくなった後の世界を闊歩しようではないか」
「なら、叔父様はそうして下さい。私は妹と共に新天地を目指します。だけど、二つ程頂いて行きたいモノがあります」
「二つもか。我儘だな」
「一つは、この思い出深い館」
「主である私がそれを許すと思うのかい」
「いいえ」
にぃっと笑い、レミリアは牙を剥いた。
紅魔卿もそれに応え、端正な顔に禍々しい赤い眼を爛々と輝かせる。
「もう一つは?」
「もう一つは――紅魔卿の座。どうせ何時かは取り返すつもりでいた代物です。今貰って行っても宜しいでしょう」
「吼えたな、レミリア」
同時に二つの影が暗闇に躍り、交差する。
外ではいつの間にか雷鳴は消えている。
雨音も聞こえなくなっていた。
激しい嵐はやって来た時と同じく、唐突に去った。
風が吹き、黒雲が吹き散らされる。雲間から太陽が顔を覗かす。
湧き起こる歓声。厳かに神の名を唱える者も居る。
「今だ火を付けろ!!」
号令と共に積まれた薪の上に油がばしゃばしゃと注がれる。火種が放り込まれ、燃え上がる薪。水蒸気の混じった白い煙を濛々と立ち上る。太い枝も炎に炙られ、間もなく赤々と色づき始めた。
「油断するな。火に耐えられなくなった吸血鬼が飛び出してくるかも知れん」
村人達はその言葉に顔を強張らせ、緩みかけていた気を引き締めなおした。剣や銃をぐっと胸の高さまで持ち上げ、炎の中でゆらゆらと揺れている大きな正面扉を睨んだ。
館は想像以上にしぶとかった。
木で出来た窓枠等は兎も角も、煉瓦と漆喰で固められた壁などは燃え上がる気配は無い。迷信的な者の何人かは、館を作った魔女や悪魔の人知を超えた呪法がそうさせているのだと主張し、確かに炎の包まれながらも焼け落ちる気配の無い扉からは、さもあらんという感じがした。
既に太陽は西へと傾き、空は紅く染まり始めている。
逢魔ヶ刻の到来。
もう一刻程で夜がやって来るだろう。
人々は炎に炙られる館を見ながら、自身も焦燥でジリジリと焼かれる思いだった。
館が燃え落ちるのが早いか。それとも夜になるのが先か。
途中で雨さえ降らなければ、と誰もが思ったが口に出して嘆く者はいなかった。嘆いた所で状況は好転しないからだ。そして逃げ出す者もいない。逃げ出した所でどうにもならないからだ。
一度反攻したからには残された道は、徹底的に戦い続けるか、さもなくば諦めて今まで以上の恐怖の元で震え続けるしかない。
人々は覚悟を決めていた。神話の中の英雄が、怪物と戦う時にそうした様に。
吸血鬼同士の戦いは、その性質から殆ど駆け引きの余地も無い、単純なパワーゲームに終始していた。
紅魔卿はリーチと莫迦力に任せ、レミリアを捕まえ、引き裂こうとする。
対するレミリアは小さな体を活かし、伸びてくる腕を辛くも避けつつ、隙を見て喉笛に噛み付こうとする。使い魔を繰り出し牽制。天井を這い、壁を蹴って、死角から飛び掛る。心臓への致命的な一撃を避ける為に手足を犠牲にする。切り裂かれ朱に染まるブラウス。
悪魔の哄笑。
「さっきの威勢はどうしたんだい?まるで話しにならないじゃないか」
齢数百年を数える魔物同士とはいえ、大人と子供である事に変わりは無い。レミリアの力も強かったが、倍も生きてきた個体には適わない。徐々に追い詰められていく。
やがて痺れを切らしたレミリアが、小柄な体躯を滑りこませる様にワンステップで相手の胸の中に飛び込んだ。心臓を一突きにする為に繰り出される繊腕。
紅魔卿はそんな事は全部お見通しだと云わんばかりに悠々とそれを避けると、突き出されたレミリアの細い腕を鷲掴みにして容赦無く捻った。厭な音がする。さらにそのままレミリアの小さな体を壁に投げつけた。くぐもった音を立てて、壁に罅が入る。舞い散る埃。折れた腕を庇いつつ、レミリアは立ち上がった。体の傷は少しずつ再生している。だがダメージは明らかに蓄積していた。
「ああ、叔父様、一つ気になってた事があるのですが――」
壁に体を預けて何とか立っているレミリア。体が再生するまでの時間稼ぎ。紅魔卿はそれを見越した上で鷹揚に頷いた。
「何だね」
「両親を殺した時、横で寝ていた私と妹を見逃したのは何故」
「さてね。殺す理由は無かった。だから手を掛けなかったのかも知れないが――いや、それも単なる気紛れに過ぎないのだろう。それとも恐れていたのかな。自分が一族の最後の生き残りになる事に」
「それはつまり将来的に私かあの子、或いは両方との間に継嗣を設けて、血を次へと引き継ぐつもりだったのですね」
嫌悪感の篭ったレミリアの言葉。叔父は憮然として答える。
「我々ヴァンパイアはそういう生き物だ。吸って仲間を増やしながらも、同時に祖としての血の純潔さも守っていかなければならない」
体を庇いつつ、乾いた声でレミリアは笑った。
「まさか貴方から吸血鬼の流儀を講釈されるとは思いませんでした。崇高な目的も、向上心も無く、意志薄弱で我慢する事を知らず、気高くあろうともせず、人間達を下に見ながら、心底では怯え続け、場当たり的に血を吸い、腹を膨らせる事しか能の無い貴方に――」
紅魔卿の姿が消える。バックステップでレミリアも後ろへと跳ぶ。しかし飛び掛った紅魔卿の方が速かった。逃げ切れなかったレミリアは馬乗りにされ、腕を掴まれ、完全に動きを封じられる。すぐ眼の前には赤光を眼に滾らせた叔父の顔。それでも顔色一つ変えずに不敵な笑みを浮かべる幼い吸血鬼。その糾弾は止まらない。
「愚かなんですよ。貴方は。生まれついて持った能力を浪費するだけでコントロールする事を知らない。まるで子供の様。典型的な自滅するタイプ。貴方が今日まで存在できたのは、この館があったのと、私がいたからです」
「まだ云うかレミリア!?」
グッと力を込めてレミリアの手足を押さえつけ、残った手で顔を塞ぐ。レミリアは表情を歪ませながらも喋り続ける。
「ほら、聞こえるでしょう、館を燃やそうとする炎の音が、人々の怒りの声が。もう私達には何も無いんです。人を恐怖させる事もできず、支配する事もでき無い。領地や館を捨てて、人間の世に紛れ込めば生き残れるかも知れない。身分を隠し、本性を隠し、この先何百年もずっと。だけど自制の出来ない貴方にそれは無理だ!私も吸血鬼としての矜持がそれを許さない!だったら大人しくこの世界から消え去るしかない――時代に取り残された吸血鬼なんて存在はもう『幻想』の中だけで十分なんですよ。だから私は其処へと去り、吸血鬼の幻想そのものとなりましょう!」
「ならば私も連れて行け!その『幻想』とやらにッ!」
「断じて――お断り申し上げます」
組み伏せられたレミリアの最後の抵抗。全力を込めて束縛から逃れようともがく。
過度の負荷にミシミシと骨が鳴った。
「非力だなぁレミリア!」
余裕を持って押さえつける紅魔卿。長い舌を出し、ぞろりとレミリアの白い首筋を舐め上げる。レミリアは悪寒に表情を強張らせた。
「吸ってやろう。二度と生意気な口が利けない様に」
レミリアの蒼白く浮き出た静脈の上を、紅魔卿の乱杭歯が撫で上げる。
「やれるものならやってみなさい――この変態(ペド)野郎」
紅魔卿はレミリアの、自身の血で赤く染まったブラウスを胸元から引き裂いた。
鋭く短い悲鳴が上がる。しかし悲鳴を上げたのはレミリアではなく――紅魔卿自身だった。
「嗚呼アアアアアアアアアアアッ!!」
館全体が震える程の吼え声。苦悶と痛み。紅魔卿は両眼を押さえ、その場で無様に転げまわった。レミリアはその姿を視界に収め、乱れた服を繕いながらゆっくりと立ち上がり、紐で胸元にぶら下がっているソレを外す。
数日前に、館に侵入してきた男が持っていた聖者の彫られた木の十字架。元は男の恋人の持ち物。その恋人は紅魔卿に吸われ、壊され、捨てられた。しかして運命の円環は巡り、死人の遺志が不死者へと致命的な傷を負わした。死人の復讐が成就した瞬間でもあった。
「全ては運命通り――。貴方には想像も付かない事でしょうが、私に十字架は効きません。もしかしたらお母様が『敬虔な信徒』だったらしい所為かもなんて思いますが――真実は闇の中」
レミリアはさらに無慈悲に十字架を転げまわる男の額に押し付けた。肉の焼ける音がし、白い煙が立ち上り、さらに一層甲高い悲鳴が響き渡る。紅魔卿の――否、紅魔卿だった吸血鬼の端正な顔は今や無残に焼け爛れていた。レミリアは足首を掴むと、床を引きずって大広間の端まで連れて行く。断続的に上がり、止まらない悲鳴。
レミリアは淡々と告げる。
「仕上げと参りましょう――ここまで頑張った人間達には褒美をやらないといけません。つまりは吸血鬼を退治したという成果を。彼等は満足してくれるでしょう。それで私も安心して旅立てます。灰は灰に、塵は塵に――そして私、レミリアは、今より本当の意味でのレミリア・スカーレットになります。そう、紅魔卿に――」
叔父の足首を掴んだまま、レミリアは張り出し窓に向かってその体を思いっきり放り投げた。硝子と鎧戸を叩き破り、館の外へと吸血鬼が投げ出される。
奇しくも外は黄昏時。
遠く地平線に太陽が沈もうとしているまさにその瞬間だった。
空中に放り出された紅魔卿は陽の光を一身に浴び、十字架を喰らわされた時以上の、この世の物とは思えぬ悲鳴を上げた。
周囲を炎に囲まれ、斜陽を浴びて美しく輝く紅魔館。
絶叫し、全身から白い煙を吐き出しながら落下していく吸血鬼。
一番驚いたのは、下で待ち構えていた人間達だった。
「上を見ろッ!!」
「出てきたぞ!」
人ならば即死する高さから落ちた吸血鬼を人々が囲む。
「殺せ」
「逃がすなッ!!」
太陽の光を浴び、煙を噴き上げる全身に次々と槍が剣が突き立てられる。吸血鬼は血を吐き、言葉にならぬ呪詛を吐き続けながら、のた打ち回った。
「レミリァァァァアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
館の方へと手を伸ばす。何かを掴み取るかの様に。その腕もすぐに斬り飛ばされた。絶叫。人々の制裁。十字架と聖水と大蒜と祈りが降り注ぐ。銀弾と心臓に杭。蟲の息。だがまだ生きている。
「呪われた化け物めッ!!」
嘲笑と罵声。吸血鬼は恐れ戦き、半狂乱になって泣き喚く。
その時、切り裂く様な鋭い音を立て、館の扉が自発的に内側から開いた。
そして扉の奥の、深い暗闇から紅い靄が溢れ出して来た。それは地面を走り、急速に広がり、拡散していく。屋敷の周りの炎は紅い霧に飲み込まれて一瞬で消えた。傍にいた人間達も霧に飲み込まれる。
「退け退け退け!」
突如起こった異変に人間達は恐慌に陥りながら、館から一目散に逃げ始めた。
靄は館を包み、濃厚な霧となった。霧はほんのりと紅く色づいていて、夕日を浴びて真っ赤に染まっている。
その中で人々は館が尚も健在である事を確かめた。悪魔の館はその赤い壁を多少煤けさせてはいたものの、依然として威圧的な佇まいをほんの少しも崩しては居なかった。
さらに眼の良い何人かは、館の上階、破れた窓からこちらを見下ろしている少女のシルエットを見つけた。すぐに霧はさらに濃くなり少女の姿さえかき消したが、確かにそこに少女は居た。
紅い霧が出ていたのはどのくらいの長さだったのか誰にも分からなかったが、霧が消え、再び視界が明瞭になった時には既に太陽は沈み、完全な夜が訪れていた。
空には蒼白い月が昇っている。鬱蒼とした森の奥深くから梟の鳴き声が聴こえた。
信じられない程の静寂の中、人々はかつて館が建っていた場所を凝視していた。
森の中、そこだけ木が一本も生えず、平地が広がるのみとなっている。
館が建っていた痕跡は全く残っていない。
何もかもが夢の様な話だった。
――何処へ行ったんだろう?
誰かが口にした。
――そもそも吸血鬼なんていたのだろうか?
答える者はいなかった。
ただ実感として、吸血鬼は二度と現れないだろうという感慨だけが皆の胸に在った。
風が吹き、かつては『何か』だった灰の山を吹き散らしていく。
こうして吸血鬼は幻想になった。
夜が明ける前に話は終わった。
レミリアは話し終えると、すぐに席を立って自分の部屋へと戻ってしまった。
一人大広間に取り残されたパチュリーは、話の余韻に浸りながら、思索を廻らせた。
――果たして今の話はどこまでが真実なのだろうか。
先ずパチュリーが思ったのはそこだった。
両親の事、先代の館の主の事、吸血鬼の事。
結構な長い付き合いの中で、友人がこれ程饒舌に語ったのは初めてだった。
勿論、全部嘘の可能性もある。
しかし話に込められた熱意から、全てが嘘だとは思わなかった。幾つかのエピソードは彼女の作り話だったとはしても、幾つかは真実なのだろう。
どの程度本当の事なのか――パチュリーはそれを考えようとして、すぐに止めた。
それは野暮のする事だ。友人が、彼女には珍しく自分に関する話をしたのだ。
その心情こそを察してやるべきだろう。
パチュリーはソファに踏ん反り返りながら冷めた紅茶を啜り、自分の居る紅い大広間を見ながら考えた。
話が本当ならば、百年程前にレミリアが叔父と殺し合いを演じた場所。ただの吸血鬼レミリアが、名実共に紅魔卿レミリア・スカーレットになった場所だ。彼女はどんな気分であの紅い玉座に座ったのだろうか。或いは紅魔館が、現在の紅魔館になる前、自分や咲夜と出会う前の彼女はどんな気分で過ごしていたのだろうか――話の中でその片鱗を垣間見た気がする。
しかしパチュリーは再び思考を自制した。
感傷に流され過ぎている。憶測は重ねた所で無駄だ。
――何故、唐突に彼女はあんな話をしたがったのだろう。
それが問題の焦点に思えた。
白み始めた外を窓から見ながら、友人の話をゆっくりと反芻した。
「孤独――寂しさの所為かしら?」
何とは無しに寂しさを感じ、その心情を他者に吐露したくなる気分は誰にだってある。齢五百を重ねた吸血鬼にだってあるだろう。
が、すぐにそれを別の直観が否定した。
――単なる寂しさの所為なんかじゃない。
話に何度か出てきた言葉。
吸血鬼の矜持、プライド、アイデンティティ――。
そしてそんな言葉を使う時の、誇らしげな友人の横顔を想起する。
我儘、傲岸不遜、畏怖、恐怖、夜の支配者、不死身の怪物、でも弱点も多い、そしてチャーミングなお嬢様――。
パチュリーの知っているレミリア・スカーレットは強い存在だった。
そんな彼女が寂しさの所為から、ふと他者に心の内を漏らしたりするのだろうか。もしそうだとしても彼女自身が、自分のそういう弱さを認めるだろうか。
否だ。
孤独だったとしても、寂しかったとしても、それを彼女は決して認めようとはしないに違いない。そんな無様をプライドが許さないからだ。
「つまり吸血鬼は孤高なのね」
孤高というイメージはしっくりと来た。
そうだ吸血鬼は――孤高な生き物なのだろう。
永遠の夜を生きるデーモンロード。飛び切り強くタフな生き物はその強さゆえに畏怖されるが、同時に疎まれる存在でもある。だから彼等はますます頂点に居続け、全てを支配しようとし続ける。そうでなければ自身の拠り所を失ってしまうからだろう。自分の弱みを決して見せずに威張り散らし、意地を張り続けるガキ大将みたいだ。
そしてパチュリーには、友人はまさしくそういう種族の典型に思えた。強い癖に弱くて、弱い癖に強い、愛すべきガキ大将。
――ああ、何て手の掛かる種族なんだろう!
パチュリーは立ち上がり、自分の寝床には戻らずにレミリアの部屋へと向かった。部屋の前まで来て扉をノックすると、返事も聞かずに押し入る。
「どうしたのパチェ」
暗い部屋の中、天蓋付きの大きなベッドに小さな体を潜り込ませ、掛け布団の中から顔の上半分だけを覗かせているレミリアが問い掛けた。
パチュリーの答えは素っ気無い。
「眠れないの」
「私も眠れない。眼が冴えて寝付けないの」
きっと紅茶の飲みすぎね、とレミリアは少し云い訳がましく云った。
パチュリーは素直に頷く。
「きっとそうよ。だから眠くなるまで一緒に居ていいかしら、レミィ?」
「貴方がそんな事を云うなんて、初めてじゃないかしら」
レミリアは驚きつつも、友人が同じ布団に入る事に抵抗を見せなかった。
パチュリーはふかふかと軽い羽根布団に身を埋めると、そっとその中で友人の手を握った。ついでに照れ隠しにフンと鼻を鳴らす。
「な、何よ!?」
むすっとして声を荒げるレミリア。
「別に。何でもないわ」
皆まで云わすなという感じで答えるパチュリー。
そして長い沈黙の後、レミリアは小声で囁いた。
「――ありがとう」
「どういたしまして」
永久の夜を越えて行く者。
その呪われた生に祝福あれ。
お姫様にさえ逆らったり、医者の玩具にされたり、妻を想い続けたり、糸や気も瞬時に会得したり
でも、更に好きなお婆様の死因を作ってくれちゃったのは許せぬ。
レスタト(ヴァンパイヤ(ア?)・クロニクル)は文庫を全巻読破済み
しかし、インタビューウィズヴァンパイアは本もDVDも見ておらず
クラシックな味わいのある作品でした
東方分は薄めでも、お嬢様分は十分でした。カリスマカリスマ。
吸血鬼は斯く在るべし――つまり美学にこだわる様が素敵でした。
レミ×パチュかパチュ×レミか
それが問題だ。
最後に台無しだ
うん、褒め言葉だ
伏線の張り方も絶妙で楽しませていただきました
パワーにものを言わせた”暴君レミリア”も良いのですが、こういった”夜の王””吸血鬼レミリア”をきちんと書いた作品は中々無いのですよ
GJですw
以下、感想とは違って余計かもしれませんが・・・
インタビューウィズヴァンパイアを見たならヴァンパイア クロニクルズ シリーズを読んで見ることをお勧めします^^
私が読んだのは
ヴァンパイア レスタト
呪われし者の女王
肉体泥棒の罠
悪魔メムノック
どれも世界観にどっぷりつかれるかと。
ただし、途中から空飛べる能力を身につけた者でたり、「メムノック」では天地移動で悪魔や神にあったりもするのである意味、上記メッセージ作品以上のキワモノに・・・・なるのかな?^^;
列車に乗ってたイスラムの天敵の名としてしか知りません。あうち
退廃的な館の雰囲気とそれでも気高く夜の王たらんとするお嬢様。
実に吸血鬼らしい。スバラシイ。
・若者を勇者を
秋月が好きです。先生の作品の中で一番好きかも。
戦闘で叔父に押されて驚きましたが、逆転の方法にまた驚きました。
っていうか、木の十字架の存在を忘れていました。
特に今回はコメントの内容の濃さに思わずニヤニヤが止まりません。
>ベイ将軍
知らない方の為に解説すると、こいつは菊地秀行先生の作品「夜叉姫伝」に出てくる吸血鬼です。
優男風の美男子というイメージがありがちな吸血鬼の中で、厳つい顔をした武闘派のオッサンというちょっと変わったタイプ。文庫版のカラー挿絵がかっちょいいのです。
カズィクル・ベイの意味はそのものズバリ「串刺し公」らしいけど。
「夜叉姫伝」自体、吸血鬼を取り扱った作品としては屈指の名作だと思うので、未読で興味のある方にはお勧めです。古本屋でもそこそこ見ますし。
>エロス感
吸血鬼はえろいと思うよ、思うよ!
お嬢様は「れみりあ、うーっ」のうーっの部分の手首の角度がセクシー
>ヴァンパイアクロニクルズシリーズ
アン・ライス読もう読もうと思いつつまだ未読です。
映画の続編はアレだけど、小説の方が後の方が良いとか聞くのでわくてかしながら本屋で探してきます(´ω`)
>蒼き影のリリス
激しく同意。あのまま長くシリーズ化しなかったのが悔やまれます。
秋月は珍しく正統な主人公キャラクターで、ひねてなくて、厭味がなくて良かったなぁ。彼が夜の空を飛ぶシーンの描写が綺麗で今も強く印象に残ってますね。
菊地先生は質より量の作家だと思ってたら、時々、神懸った文章を描くから油断できない
個人的野望としては新作の発表までにもう一作品くらい書きたいものです。ギャグを。
最後のパチェのくだりもよかったです。
レミパパ&ママも萌えますた。
恐怖を与える存在ではあっても、野獣等とは一線を画しているのですね。
>おぜう様が村人を串刺しにして並べ、見せしめにする
やらなくて確実に正解だったと思います。
後先考えない戦いになって、
TRPGや人間同士の戦のように提作って水責めとか埋め立て、粉塵爆発なんかで対応されるのは
自業自得な叔父は兎も角、レミリアには似合わないかと。
吸血鬼としての矜持、そしてその在るべき姿。それが文章からひしひしと伝わってきます。この作品を例えるならば、熟成された赤ワインが相応しいのかもしれませんね。正に、赤きデーモン・ロード。
…とは言え、私は吸血鬼に関しては詳しくないのですけど。
ただ、アレな叔父と聡明な姪というあたりで
Red Magicの元ネタの方も彷彿とさせられたりしましたっけ。
あとは…謝礼代わりと言っては何ですが、誤字(?)報告まで。
「男の女も、皆が狩人となってそこに居た」
男「も」ですかね?
出番少ないけどフランちゃんも素敵。
はい、その通りでございます。
誤字は永遠の敵(つω`)
ぐもんしきの後に改めて見るとちょっと変ですねぇ。
でもこれはこれで割り切って楽しんで頂けばよろしいかとー
何かキャラクターそれぞれに物凄く深みがあるというか
愚鈍な叔父様も、古典的だけど崇高なレミ父もイイ。
オリキャラであることを忘れてしまったぐらい。
月並みな言葉で申し訳ないが、普通に100点です。
レミリアかっこいいよ!
吸血鬼というか夜の王のプライドに掛けて戦ったレミリアがカッコよかったです