強い風が吹いた。
その風に木の葉は踊り、小さな渦を巻きながら宙を舞う。
雲は何かに急かされるように流れては夜空を覆い隠す。
その流れゆく雲の小さな隙間から時折、顔をのぞかせる僅かに欠けた月。
その月光は多くの生命に等しく降り注ぐ。
明日は満月になるだろう。
月が、最も美しく輝くときであり
そして人ならざるモノたちに与えられる舞台となる日。
「悪いが今日は早く店じまいするから、早めに解散してくれ」
髪をかきあげながら、僕は目の前の二人の友人に言った。
あれでもない、これでもないと大事な商品をポイポイ投げ捨てていた紅白の巫女と白黒の魔法使いの手がぴたりと止まった。
二人は顔をあわせ、しばらく眉間にしわを寄せながら考えた後、一つの結論を同時に口にした。
「逢引?」
とりあえず近くにあったハリセンというやつで二人の頭を叩くと、スッパーンと小気味よい音が店の中に響いた。
博麗神社と人里とをつなぐ道と、その脇に広がる魔法の森
人と妖怪とを分け隔てる境界線でもあるその丁度中心に、僕の店は存在する。
香霖堂と名づけたこの店には古今東西ありとあらゆる物が集まる。
普通の食器家具からお払い棒、マジックアイテムから失われた名刀など挙げていけばきりが無いほどだ。
どれもこれも何かしら呪詛的なものが宿っており、どちらかというとこれらを管理していると言ってもあまりさし差し支えない。
まあ、その中でも一級品のものは魔理沙によって強奪されていくのだが。
不埒なことをのたまう二人に特性マジックアイテムと芋羊羹を手渡し、早々に退散させる。
途中、霊夢が意味ありげな笑顔でこちらを見ていたのだが、僕には何のことかさっぱりわからなかった。
夜。
魔法の森を、カンテラを片手に持ってがさがさと獣道を歩き、時折立ち止っては方角を見定める。
懐中時計を開きカンテラをかざすと、時計の針は11と数分の時を刻んでいた。
そろそろついてもいい頃だろう。
上を見る。
僕よりも数倍、背の高い竹たちが空をさえぎり、月の様子は分からない。
だが、さっきから身体の疼きが収まらない。
もうすぐ始まる。
僕は視線を前に戻し、道を急いだ。
数分後、獣道は途切れ、空をさえぎる竹は前に進むごとにその数を減らしていく。
そして空や道を隠していたものは消え去り、目の前には、ただまっさらな草原が広がっていた。
風に流れ、その身をこすりあわせながらススキが歌う。
さらさらと流れるその音は、あの幽霊楽団の少女達にも負けないくらいすばらしい夜想曲を奏でていた。
適当な場所に座り込んで、時を待つ。
そして、月が完全に上りきった。
ドクン
「ぐぅっ」
自分の声とは思えないほど重く、低い声が漏れる。
肺が縮み上がり、呼吸さえままならない。
両手で胸を出来る限り強く押さえるが、心臓は酸素が足りないと激しく抗議する。
ぎちぎちと全身の筋肉が悲鳴をあげ、血液がまるで濁流のように血管を流れているのが分かる。
ザア
ザア
ザア
視界がどんどんノイズで埋め尽くされていく。
頭は割れんばかりに悲鳴をあげ、こめかみから突き抜ける痛みが絶えず走った。
地に膝をつく。
いや、もう倒れこんでいるのかもしれない。
視界は砂嵐。
あんなに素敵な夜想曲を奏でていたススキ達も、今はただザアザアザアと不快なノイズを叫ぶ。
そして、全てが闇に堕ちた。
「おや、先客がいたか」
その声に僕は目を覚ました。
ぼやけた頭で声のした方向を見る。
薄く霧のかかった視界に、一つの影が映っている。
どうやら人で間違いなさそうなのだが、どうにも頭部であろう位置から角のようなものが二つ生えていた。
角が生えているということは妖怪なのだろう。
角のついている妖怪。
角。
角。
……牛鬼?
「だれが牛鬼か」
ごすんっと、けっこう硬い何かで頭を殴られる。
今の一撃で多少の痛みと引き換えに、視界の霧が晴れた。
改めて目の前の人物を視界にとらえる。
目の前に居たのは、
「…どなたでしょうか」
「…それは私のセリフなんだがな」
白銀の髪を風になびかせ、一升瓶を片手に上白沢慧音と名乗った少女は笑った。
「なんと、するとあなたも半人半妖」
ほほうとあごに手を沿え、じろじろと僕を見るワーハクタクの少女。
彼女も偶然にここを見つけていたらしく、今日は友人と月見酒を楽しむ予定だったらしい。
しかし友人にちょっとした野暮用が入ったらしく、今日は会えなくなったため仕方なく一人で来たそうなのだ。
そこで倒れこんでいる僕を見つけた、そんなところだ。
軽い自己紹介をした僕らは、互いに酒を交えての昔話に華を咲かせた。
まあ、その殆どが苦労話というのはなかなか悲惨ではあるのだが。
「しかしなんだ、キレイな髪をしているな」
と、隣に座っていた彼女の手が僕の髪を梳く。
突然のことに多少驚くが、さして嫌悪感も無かったのでおとなしくしていることにした。
今、僕の身体は妖怪化している。
肩までしかなかった髪は腰まで伸び、今は衣服で隠れて目立たないが身体にはミミズ腫れのような跡が浮き出ており、肌の色はやや黒みを帯びていた。
鏡を見て分かったことだが顔にも多少の変化があり、金色の瞳は紅く染まり、そしてなにより額に二つ小さな角のようなものが隆起していた。
原因は言わずもがな頭上に上る月の魔力によるものだ。
特に今日は満月の日。
今夜だけは妖怪の為に整えられた舞台だ。
いつの頃からなのかは忘れてしまったがこの時期になると僕の、いわゆる「妖怪の血」というやつが活発に表に出てくるのだ。
今まで人間のように生活してきた僕にとって、妖怪の力というのはやはり扱いきれないところがある。
一度、抑えきれない魔力が暴走しかけたことがあり危険な目にあったことがあり、だからこうしてここで朝日が昇るまでじっとしているしかなかった。
なにより、こんな姿をあの二人に見せたくは無かった。
幸いにも、ここら辺りに妖怪などが出る気配も無いので、安心して朝を迎えることが出来る場所なのである。
「しかし、今夜はいい夜だな」
髪を触るに飽きたのだろう慧音は空を見上げた。
つられて僕も空を見上げた。
すこし雲がかかってはいるが、それでも月は圧倒的な光と存在感で夜空に君臨していた。
ふと彼女の顔を見た。
その気配を感じ取ったのか、彼女が振り向いた。
ふわりと舞った髪がから、ほのかに香る石鹸の匂い。
月光に照らされた肌は、透き通るように白く、淡く。
そして、彼女のかすかな笑みは、僕を惚けさせるのに十分な美しさだった。
「大丈夫か?」
不思議そうに、僕の眼前で手をふる慧音。
「な、なんでもない」
僕はあわてて顔を背けた。
顔が熱い。
息苦しい。
心臓の動悸が激しい。
けど、先ほどとは違う心地よさ。
どうやら、月の魔力は僕が思っていた以上に強力だったらしい。
しばらく二人で月を見ていたが、彼女は置いてきた友人が気がかりらしく先ほど帰っていった。
半人半妖と友好関係を持つ人物というのも興味深いが、さすがに他人のプライバシーにまで踏み込むのは無粋というものだろう。
ごろんと大地に寝そべる。
月はすでに西の空へ落ちており、そろそろ夜が明けるだろう。
明日…いや、今日か。
今日から、またいつもの日常が始まろうとしていた。
「で、いつまでやるんだい?」
僕は、今日で6度目の疑問を彼女たちにぶつける。
あれでもない、これでもないと、倉庫に保管してある商品を適当にあさっては投げ捨てるを繰り返していた彼女たちは、振り向きもせず今日で6回目の回答を寄こす。
「「飽きるまで」」
もうまな板の鯉の気分である。
「すまない、だれか居ないだろうか」
と、珍しくお客が来たようだ。
「はい、ただいま」
急いで入り口へ向かうと二人の客人が居た。
一人は地に足が付きそうなほど青い髪を揺らしながら、物珍しそうに商品をいろいろ物色している。
そして、もう一人は何時ぞやの夜に会った上白沢慧音であった。
「いらっしゃい。あの夜以来ですね」
「こんにちは店主。なかなかいい店を構えているじゃないか」
どこか楽しそうに店内を見回す慧音。
歴史に関係する能力の持ち主だからなのか、どうやら年代物や骨董品などには目が無いように見える。
「お~い慧音~。こんなボロっちい店のどこが面白いんだ?」
商品を見るのに飽きたのだろう青髪の少女は、退屈そうに慧音に後ろから抱きついた。
「こら妹紅、店主に失礼だろう。すまない店主」
ぺしっと妹紅と呼ばれた少女の頭を叩き、僕に頭を下げる慧音。
「いや、いいんだ。実際かなり年季が入っているしね」
売り上げのほうもぼちぼちさと苦笑いして僕は答えた。
「それはそれは。何か買いたいのは山々なのだが生憎、今日は別の用件できたのだ」
「用件?」
オウム返しで僕が慧音に聞いた時、倉庫から霊夢と魔理沙が出てきた。
「お?また珍しい奴らが来たもんだ」
魔理沙が驚きの目で彼女たちを見る。
「なんだい、知り合いなのか?」
僕の問いに霊夢は「まあ、ちょっとね」という何かを濁すような返事を返す。
霊夢がその台詞を言うときは、大体は弾幕ごっこがらみの関係である。
「お前らこそ知り合いなのかよ」
未だに慧音に抱きついたままの妹紅がこんどはこちらに問いかけてきた。
「ええ、そうよ。彼は森近霖之助さん。ここのボロっちいお店の店主よ」
ついでにいつ何時も赤字経営と余計なことまで口にしてくれた霊夢。
それに多少は君の責任でもあることを理解してほしい。
「あ~。名乗り遅れたが、藤原妹紅だ。妹紅でいい」
よろしくとこちらに顔を向け、片手を上げる妹紅。
僕もよろしくとそれに答えた。
「お、そうだ、お前らも手伝え。そろそろ新しいコレクションが欲しいんだが、如何せん決まらないんだ」
ぽりぽりと頭をかきながら二人に申し出る魔理沙。
「別にコレクションにするのは構わないのだが、お金を払ってくれないことには何も譲る気がないのだが」
「いいじゃないか、借りるだけだぜ。私が死ぬまで」
それ借りるといわない。
僕と慧音のツッコミが入るが、無視した魔理沙は妹紅をつれてまた倉庫へ閉じこもってしまった。
「はあ、魔理沙にも困ったものだ」
これで今月の赤字がさらに増えることになるだろう。
椅子に座り、机に突っ伏した僕に慧音が問いかける。
「ところで、満月の日はいつもあそこに行くのか?」
「多分…そうですね。次の満月もそこでやり過ごすでしょう」
机に突っ伏したまま、僕は答える。
次の満月のこともあるが、今はただ増え続ける赤字に頭が一杯だ。
だから、彼女が近づいてくることに気付かなかった。
「なら、次の満月にまた、酒を酌み交わそうじゃないか」
耳元で聞こえた、ゆったりとした甘い声。
突然の声に驚いた僕は、その拍子に椅子から転げ落ちてしまった。
珍妙な顔になっているだろう僕を、彼女は満足そうに見ていた。
まるで、いたずらが成功した子供のような笑顔で。
してやられた。
僕は恥ずかしくなってそっぽを向いた。
その様子に慧音と霊夢は声を出して笑っていた。
今日も、幻想郷は平和。
…正直に告白します。霖之助への殺意が湧いて仕方がありません(笑)
最終的に魔王の右腕になったり煉獄で阿修羅を晩餐にしたりな意味で。