全てが白に覆われ、白に閉ざされる季節。冬。
木々は葉を落とし、動物は暖を求め、ねぐらへと引き篭もる。
全てが閉ざされ、全てが休息する季節。冬。
…いや、ほんの少し例外もいた。
【幻想郷の冬の始まり】
「霊夢ー、霊夢ーっ!」
外からの呼び声に、霊夢は大儀そうに障子を開けた。
「ぷわっ。」
ほんの少し開いた障子の隙間からとたんに吹き込んできた冷たい木枯らしに、霊夢は思わず咽いでしまった。
「なによ、霊夢。こんな冬に閉じこもっちゃって。」
声の主は、氷の妖精チルノだった。
「人間は冬には閉じこもるものなの。」
「ふーん…。あ!それより霊夢!今年もまたレティが出てきたよ!」
「あらチルノ。あなたが言う前に私が出て行って霊夢を驚かせる作戦じゃなかったの?」
キラキラと目を輝かせるチルノの横に姿を見せたのは、冬の妖怪レティだった。
「あ、そうだったっけ。失敗、失敗。」
テヘヘと笑うチルノ。
「なんか嬉しくてさぁ。だって、またレティと遊べるんだもん。」
「相変わらず何も考えてないわね、あんた。」
「むぅ。」
今度はプゥと頬を膨らますチルノ。コロコロと表情が変わるのは、今が楽しくてしょうがないなによりの証拠。
「お久しぶりね。今年もよろしく。」
「久しぶり。もうあんたが出てくる時期なのね…。」
「ええ。今年は調子がいいみたい。結構寒くなりそうね。」
「はぁ、私たちには憂鬱な話だわ…。」
いつものようににこやかな様子のレティとは対照的に、霊夢は大儀そうにため息をついた。
毎年冬のある頃になると、フラリと何処からともなく出てくるレティ。
彼女が出現したということは、冬もいよいよ本番を迎えると言えよう。
「さてと…。じゃあ、あたしもそろそろ本腰いれて、残りの準備を済ませちゃわないと…。」
霊夢は立ち上がると、う~っと背伸びをした。
「ん?準備?」
「そ。冬を過ごすための支度済ませなきゃ。」
「えー。そんなの後にしようよ。せっかくレティが出てきたんだから遊ぼうよ。」
「あたしたち人間は、あんたたちと違って、いろいろ準備が必要なのよ。特に冬は。
フラフラしていられるどっかの妖精や妖怪とは違うんだから。」
「む。なんか引っかかる言い方。」
「ほらチルノ。霊夢の邪魔しちゃ悪いわ。今日はもう行きましょう?」
「レティもなんとか言い返してよー。」
「それに今日中に一通り挨拶回りすませなきゃ。」
「そ、そうだね。」
やや納得がいかない、といった表情のチルノであったが、レティに諭され、引き下がった。
「いい、霊夢?また今度弾幕だからね。」
「あんた達がタッグで来るなら、こっちも誰かとタッグで受けようかしら?」
「ふ、フン!あんたが誰と組もうとも、このあたいとレティのコンビが最強なんだからね!」
「さすがに今時期飛んでるヤツなんていなさそうね。」
「そうね。」
「折角気持ちいいのにもったいない。」
「皆が皆そう思うわけじゃないから仕方ないわ。」
主に弾幕が飛び交う幻想郷の空も、今は静かだ。今にも弾幕の代わりに白い雪が舞い散りそうな、そんな灰色の雲に覆われている。
「う~、寒い、寒い~。寒くて死ぬぜ~…。」
なんて声が聞こえてきたのは、ちょうど地上が整然とした林から、欝蒼とした森に変わってきた頃だった。
「ゲッ!⑨に黒幕か!?うわー、こんな時期にこいつらに遭うなんて、ますます寒くなるぜ~…。」
飛んでいたのは霧雨魔理沙。いつも元気な魔理沙もこの寒さには参っているようだ。とはいえ、その口は衰えを知らない様子。
「だから⑨ってどーゆー意味よー!?」
「わっ、近づくな!お前の周りはタダでさえ寒いんだから!」
ホウキに腰掛ながらも、魔理沙は器用にチルノを回避した。
「へへー、珍しくからかいがいのありそうな反応してくれるじゃん。」
そんな魔理沙の反応に、ニヤリ、といたずら妖精の笑みを浮かべるチルノ。
両手をワキワキと動かしながら魔理沙に近づいていく。
「な、なんだよ、チルノ…?」
「へっへっへー。今までいじめられてた恨み、今こそ晴らさでかぁ~~~…。」
チルノの周りは常に冷たい。チルノが近づくにつれ魔理沙の周りも気温が下がっていく。
「お、おい、あんまり近づくなよ…。」
「ん~~?なにか言ったかなぁ~~?」
「あ、あんまり近づくと…。」
「近づくとどうなるのかなぁー?」
「…私が動く。」
「へ?」
不意に魔理沙の姿が掻き消える!
しかしそれはチルノの視界の中だけ。
実際は違う。
急速旋廻でチルノの背後に回り込む魔理沙。
その手にはミニ八卦炉を握り。
「寒いの、寒いの、吹っ飛べーーっ!!」
―魔砲「ファイナルスパーク」
「へ?…へ?へぇえぇぇ~~~~…!?」
ミニ八卦炉から放たれた極光を背に、哀れ、チルノは遠くのお山に飛んでいってしまった…。
「今のは72へぇくらいだな。」
もしくは48そーなのかー、といったトコロか、とチルノの消えた方向を眺め、魔理沙は満足げにうなずくのだった。
「遠くのお山に飛ばすのは『痛いの』じゃなかったかしら?」
「吹っ飛ばしたいモノには変わりないさ。で、黒幕もやるか?」
「私は遠慮しておくわ。あの子を拾いに行かないといけないし。」
「はは、余計な手間かけさせるな。」
そういう魔理沙の顔は、しかし悪びれた様子はこれっぽっちもなかった。
「それにしても、あなたの力はいつでも全開ね。」
「魔法は火力だからな!」
「あ、ルーミアじゃん。」
「わはー。」
森の一角。チルノがよく遊び場とする広場にはルーミアがいた。
いつもなら、ルーミアだけでなく、リグルやミスティア、他の妖精達がいるこの広場にも、今はルーミア一人だった。
「今日は一人なの?」
「そーいえば、リグルもミスチーも最近見ないねー。」
うん?とルーミアは首をかしげ考えた。
「食べられちゃったのかな?」
「その場合、犯人はあんたの可能性が一番高いわよ…。」
「みんな、冬眠に入っちゃったのかしらね。」
多くの、陽気を好み、寒気を嫌うモノたちは冬は冬眠に入る。
リグルやミスティアのように、妖怪化したモノは冬でも時折出てくることもある。
しかし彼女らの元々の性質を考えれば、冬眠してしまうのも当然かもしれない。妖精の多くも冬はあまり出てこない。
「あー、レティのおばちゃんー。」
「…私はおばちゃんじゃないわよ?」
「…あうー…。ごめんなさいなのー…。」
レティに「おばちゃん」はタブーのようだ。チルノは、レティから発せられる異様な冷気を感じた…。
「…冬眠、か…。」
「どうしたの、チルノ?」
ルーミアを凍えさせたレティは振り返って尋ねた。
「なんでもない。」
そういうチルノの顔はあまり「なんでもない」様子ではなかったが、レティは何も言わなかった。
「ねー、チルノちゃん?遊ぼうよー。」
クイクイとチルノのスカートをルーミアは引っ張った。
「ゴメン、今日はもう行かなきゃ。」
「そーなのかー…。」
そう言うルーミアは少し寂しそうだった。
「また今度遊びましょうね。」
レティは優しくルーミアに言うと、先に行こうとするチルノを追った。
また一人になってしまったルーミアは一人、チルノ達の飛んでいった灰色の空を見上げていた。
ぐうぅぅ~…。
そんなルーミアのお腹からは、こちらも少し寂しそうな蟲の声が聞こえてきた。
冬眠の必要こそないが、食料の少なくなるこの季節は、ルーミアにとっても厳しい季節だった。
「…お腹、空いたな…。」
その後も二人は顔見知りのいる様々な場所へと赴いていった。
永遠亭では引き篭もりのお姫様に迷惑がられ、
紅魔館では危うくフランに拘束されそうになり…。
「ねぇ、レティ?」
二人は、チルノのもうひとつの遊び場である、紅魔館近くの湖のほとりに戻ってきた。
「なあに、チルノ?」
「また…春がきたら…、レティはまたどっか行っちゃうんだよね…。」
「あら、冬が始まったばっかりなのに、もう終わりの話をしてるの?」
チルノはせっかちねぇ、とクスクス笑うレティに対して、チルノは真剣な眼差しでレティを見ていた。
「レティはそれでいいの?」
「春がきたらまた消えちゃうこと?」
「私はイヤだよ。ずっと冬が続けばいいのに。」
「そんなこと言っちゃダメよ?」
「だって…。」
抱えた膝に顔を埋めてしまったチルノに、レティは優しく話しかけた。
「冬がずっと続いては、あなたのたくさんのお友達が困ってしまうわ。」
「あたいは、レティと居るほうが楽しい。」
いつも微笑みながらチルノを諭すレティ。
冬の妖怪である故、自分と違って冬しか居られない存在。
それなのに冬が終わる事を何とも思っていない。
確かに冬になると他の季節と違って、多くの妖怪や陽気を好む妖精はあまり見かけない。
冬は彼女らにとって過ごしにくいからだ。
ただ、冬は過ごしにくい、というだけで、居られないわけではない。
けれど、レティにとっての春、夏、秋は過ごしにくい、というだけでなく、過ごすことの出来ない季節になる。
冬以外には居られない存在がレティだった。
それなのに、レティ自身は他の連中の事を心配している。
自分の事はどうでもいいの?
そんな、レティから返ってきた返事は
「ありがとう。」
ただ一言だけだった。
「私も一緒にいたいわ」とか自分に賛同してくれると思ってたのに、いつも通り微笑んではいるけど、ただの一言。
チルノにはレティの考えていることが分からなかった。
「レティはそれでいいの?冬しか居られないんだよ?春も夏も秋も楽しめなくて、それでいいの?」
「ありがとう。」
それでもレティからの返事は一言。
そんな、いつもと変わらぬ笑顔のままのレティに、チルノはとうとう大声を上げていた。
「なんで!?なんでレティはそんな風にしていられるのっ!?」
「チルノ。」
「何よっ!?」
「あなたは優しい子ね。」
「なっ、なによ、急に。」
「寒い寒い、花も咲かない、木々は葉を落としてしまう、動物達は冬眠に入らなきゃいけない、そんな冬に優しくしてくれるのは貴方くらいよ。」
「あ、あたいはただ、レティと一緒に遊んでいたいから冬が続けばいいのに、って思ってるだけ。」
そう言いながらそっぽを向くチルノ。
「それに、あたいが言ってるのは冬の事じゃなくて…。」
まくし立てようとするチルノをレティは後ろから優しく抱きしめた。
「え?な、何レティ?」
「皆が嫌がる、そんな冬と同意義な私に優しくしてくれるのもチルノ、貴方だけ。」
「だ、だって、氷の妖精なんて他の妖精でさえも嫌がるんだもん。
そんな私に、こうして優しくしてくれるのはレティくらいだもん。」
チルノを抱きしめるレティの腕をチルノはギュッと掴んだ。
「こんな…、こんな冷たい氷の妖精をこうして抱きしめてくれるのなんて…、レティだけだもん…。」
そのチルノの手は震えていた。
「ずっとずっとレティと遊んでたいんだもん!」
「私が唯一居られる、冬のためにそんな風に涙を流してくれるのはあなただけよ。」
「あ、あたいは…、あたいは、レティと別れたくない!離れたくないんだもん!!」
声を、全身を震わせて、チルノは叫んでいた。
チルノは、レティには知っていて欲しかった。
本当は周りから孤立している氷の妖精にとって、レティはチルノにとって一番近い存在であることを。
そんなチルノの本当の気持ちを。
普段は元気に振舞っているけど、本当はすごく寂しいこの気持ちを
そんなチルノを優しく抱きしめながら、レティは三度言うのだった。
「ありがとう。」
「貴方は色々な事を知っている。」
レティはいつもの顔で、ようやく落ち着いたチルノを見て言った。
「でもレティの方が長生きしてるし、あたいなんてバカだから…。」
「ううん、あなたは私の知らない春を知っている。夏を知っている。秋を知っている。
冬しか知らない私に比べて色々な事を知っているわ。」
そういう風に改めて言われるとなんだか照れてしまう。ちょっぴり頬を赤らめてチルノはレティの話を聞いていた。
「でも、あなたはもっともっと色々な事を知っていかなきゃいけない。」
「例えばどんな事?」
「そうね…。」
んー、とちょっと考えてからレティは話を続けた。
「私の知らないこと。私は知っているけどあなたは知らないこと。どんな事でもいいわ。」
首をかしげてよく分からない、といった様子のチルノにレティは続けた。
「春の楽しみ、夏の楽しみ、秋の楽しみ…。春の辛さ、夏の辛さ、秋の辛さ…。」
「辛いことも知らなきゃいけないの?」
「好きなことだけじゃなくて、嫌な事も知っていかなきゃいけないわ。」
「嫌な事は嫌いだなぁ…。」
「でも、冬だって楽しいことばかりじゃないでしょ?」
「んー、この前のやたらと冬が長かったときは紅白に攻撃されたっけ…。アレはもう最悪だったなぁ…。」
「まぁ…、それは例外かしら…?」
「うーん…、そうだね。冬はリグルもミスチーもほとんど出てこないから寂しい。
皆もレティと遊べればいいのに。」
「あの子達は、他の季節に活動するモノなの。私が冬しか活動できない様にね。」
「そんなぁ…。みんなで一緒に遊びたいのになぁ…。」
そんなチルノにレティは優しく笑った。
「あー、笑わなくてもいいじゃない。」
「ふふっ、あなたは冬に、だけじゃなくて誰にでも優しいのね。」
「べ、別に。あたいは、ただ皆と遊べたらなー、って思ってるだけ。」
そう言いながら、チルノはまたそっぽを向いてしまった。
しかしその耳は赤くなっている。どうやらまた照れているようだ。
レティは思った。
チルノは分かっている。四季それぞれにある楽しさ、辛さを。多くの友人達と過ごす時間の中で自然と。
それを理屈で理解していないだけで。
なら、今は小難しい話は無しにしよう。
「春、夏、秋にはミスティアやリグルたちと遊ぶ。冬は私と遊ぶ。それでいいんじゃないかしら?」
「え?」
「楽しく遊べる時間もあれば、友達と別れなくてはならない時間もやってくる。季節もそんなものなのよ。」
「日が暮れる頃にはみんなが家に帰るみたいに?」
「そういうこと。」
レティは満足そうにうなずいた。
「でも、そのときにあなたは約束するでしょ、『また明日も遊ぼうね』って。」
「うん。」
「だからまたみんなと遊べる。」
「明日って約束はしなかったとしても、その次の日とかには遊べるよ。」
「私もそう。ただ、私の場合はその『明日』までがすごく長いのだけれどね。」
『明日』は必ず来るし、『その次の日』はその次に必ず来る。だからまた必ずみんなと出会える。
「うぅー、長く待つのはイヤだよぅ…。」
この様子だと、チルノはまだ冬の終わりを理屈で納得することは出来ないだろう。
しかし、チルノの優しく純粋な気持ちは様々な事を吸収し、いつかきっと季節の移ろいを理解してくれるだろう。
レティはそう思うのだった。
「なら今は、今の冬を存分に楽しまなくてはいけないわね。」
いつもの微笑みのまま、レティはチルノに手を差し伸べた。
「行きましょう、チルノ。」
「え?何処に?」
「どこでもいいんじゃない?冬は始まったばかりなのだから。」
秋が終わり、冬がやってくる。そして、冬が終わり、春がやってくる。
人間の言うところの、春一番が吹く頃、急に寒さが舞い戻ってくることがあるだろう。
だが、どうかそんな寒さも大目に見て欲しい。
それは、リリーの出現に、またレティとの別れが近づいてきた事を知ってしまったチルノの仕業なのだから…。
まだレティとの別れを、冬の終わりを納得できないチルノの仕業なのだから。
以前「チルノ」を「散るの」と誤変換した時、
自分の名前も「チッタ」→「散った」と変換できる事に気づいて以来、自分はチルノ以上に⑨だと思っております。
そんな私を⑨呼ばわりするのは、最大のほめ言葉ですとも!w