あるところに、ルチアとミカエラの仲の良い姉妹がいました。
二人はいつも一緒でした。
「おや、今日もお姉ちゃんにくっついてるんだね。
そんなんじゃ夜1人でトイレにいけないよ?」
「・・・・」
ルチアの手を握ったミカエラはますます身を寄せて手をぎゅっと握ります。
「もう、この子ったら・・・・しょうがないわね~」
そう言いつつ、やれやれという感じのルチア。
村の人たちもそんな光景を見て、いつものことだと笑っていました。
姉のルチアには特技がありました。
影を使って占いをするというもので、村の人たちに評判でした。
しかしそれもあってか、妹のミカエラは村の子供達にこう言われていました。
「お、影女が1人で歩いてるぞ。」
「おーい、気をつけろ~。日向に出ていたら溶けちゃうぞ~」
「早く姉ちゃんとこに逃げなきゃな~、はははは!!」
いつも姉の陰に隠れているミカエラを見た子供達の素直な感想でした。
教会に行くときも買い物に行くときも、姉妹はいつも一緒でした。
そして妹はいつも姉の傍でじっと固まっていました。
そんなことだからそう言われるんだと言って、ルチアはミカエラをお使いに出しますが、
やっぱり子供達には関係ないようでした。
姉妹はもともと4人家族でしたが、両親が病死して以来、
身寄りの無い姉妹は自分達でなんとか生きていくしかありませんでした。
それでも2人だけで暮らせているのは、
姉のルチアが両親が生きていた頃から身に付けていた影占いのおかげでした。
それに教会の神父さんはとても優しく、よく姉妹の面倒を見てきてくれました。
「やあ、ルチア。元気かい?」
「ええ、おかげさまで今日も元気です! ね?ミカエラ?」
「うん。」
「それはよかった。今日もリボンがお似合いだね、ミカエラ。」
「うん!」
彼らには秘密がありました。
ルチアの特技は、実は影占いではないのです。
「ルチア。季節の変わり目だとはいっても、最近仕事に忙しすぎではないかい?」
「平気です。ちゃんと制御できてますし・・・・」
「無理はしちゃいけないよ。様子を見たところ、影を使うのは体力を使うようだから・・・」
「・・・はい。」
ルチアの特技、というよりは能力といった方が良いでしょう。
それは影を操る能力。
しかも気づいたときには既に使いこなせていたのです。
自分でもどう動かしているのか、具体的に解っていません。
ただ、影を通じていろいろな情報を得ることができたので、
あとは占い師っぽく見せて能力を悟られないようにすれば・・・と、ルチアは考えたのです。
「解ってくれたならもういいよ。ただ、あなたの両親はこのことを心配していたからね。」
「はい。心配かけちゃってすいません。
じゃ、私たちはこの辺で。 行こ、ミカエラ!」
「うん!」
仲良く走っていく姉妹。
二人とも金髪の柔らかな髪を持っていましたが、
動きづらいといっていつも肩ほどの長さに保っていました。
姉はカチューシャを、妹はリボンを。
姉はそろそろ美人になってきたし、妹も花を咲かす前の蕾のようでした。
神父は神に祈りを捧げます。
どうかこの日々が続きますよう・・・
あるとき、村に政府の視察官が訪ねてきました。
滞りなく、慎ましく、信心深く人々が生活をしているかを見に来たのです。
「神父さん、この村はどうですか?」
「ええ、至って平和ですよ。毎朝村人全員がここにお祈りに来ます。」
「それは結構なことだ。
どれ、実際に村の様子を見せていただきましょうか。」
「・・どうぞごゆっくり」
神父は嫌な予感がしました。
このところ、魔女狩りの名の下に政府による粛清が行われていました。
もしルチアの能力がばれれば、ただで済むはずがありません。
もしそうなったら・・・・・・
ルチアは寒暖の差の所為で風邪をひいていました。
しかし、占いを待っている人たちを待たせるわけには行きません。
今が稼ぎ時、頑張らないといけません。
ミカエラはいつものように横でお手伝いをしていましたが、心配でなりません。
「お姉ちゃん。大丈夫?」
「うん・・・大丈夫だよ。 このくらいなんとかなるよ。」
正直結構しんどかったのですが、妹を養うためだと躍起です。
土地代、借家代も払わなければなりません。
しかし―
「ええ、それでね・・・・」
「ふむ、なるほど。では―・・・・!?」
視察官が村人から話を聞いていたときのことです。
突然影という影が独りでに動き始めたのです。
影は水面にたゆたう水草のようにゆらりゆらりと影は動いていました。
人々は大変に気味悪がり、そして怒りました。
「ふっ、魔女め!ついに尻尾を出したな!!」
「ルチア、大丈夫かい?」
「お姉ちゃん!」
ルチアはお客さんの前でぐらついてしまいました。
少し無理をしすぎました。
「お医者さんを呼んでくるからここを動くんじゃないよ? 解ったね?」
「うん。」
「あ・・・・」
少し息の上がったルチアをよそ目に、お客さんはよそよそと立ち去っていきました。
「お姉ちゃん、神父さんに言われたでしょ?無理しちゃだめだって」
「ううん、そういうことを言ったんじゃないんだよ、神父さんは。」
「?」
「ふふ、まだよく解んないか・・・
でも、もうやっちゃったからなぁ・・・どうしよう」
ミカエラはよく解っていないけれど、とりあえずと思い姉を休ませようとしました。
そのとき、外で足音がしました。
それもたくさん。
「あ、お姉ちゃん。お医者さん来たよ―」
「! もう来たのか。ミカエラ!早く逃げな!!」
姉の表情が一転して険しくなり、ミカエラは混乱しました。
何故?
「影の占い師!!大人しく家から出て来い!!」
「大人しいと思ったらとんでもないガキだったな!」
「早く引きずり出せ!そんなヤツ、さっさと磔だ!!」
「悪魔め!今まで生かされてきた恩を忘れたのか!!」
ミカエラは村の人たちの豹変振りに今にも泣きそうでした。
私は何か悪いことをしたのか?
私がいつもお姉ちゃんと一緒だったから?
私がいつも無口だったから?
ルチアはふらつきながらも占い台を退かし、床にある取っ手を引きました。
いつかこうなることを、ルチアは知っていました。
両親の家を取られ、小さい小屋で姉妹二人が押し込められるように暮らしてきました。
姉妹は裏で忌み嫌われていました。
「さ、ここから逃げるんだよ。」
「お姉ちゃんは!?」
「私も後からついていくから、心配しないで。」
「やだ!!一緒に来てよ!!!」
「いいから!!早く行きな!!」
ミカエラは泣きながらも必死になってはしごを下っていきました。
姉の背中。
弱っていながらもしゃんと立ってドアを睨んでいた姉の姿。
もう会えないような気がして、すごく恐かった。
暗がりを抜けて、ミカエラがやっと出たところは見慣れた光景でした。
「教会・・・? ??」
「・・・来てしまったね。」
「!??」
振り向いた先にいたのは村人ではなく、神父さんでした。
神父さんは憂いながらも、妹の無事を確認できてほっとしていました。
ミカエラの顔は涙と鼻水と煤で大変なことになっていました。
「ほら、顔拭いて。 もう大丈夫だから。」
「神父さん・・・お姉ちゃんは?お姉ちゃんは!?」
「ルチアは大丈夫だよ。すぐに来れるさ。」
「その通~り。」
ルチアはどこから来たのか、いつの間にかそこに立っていました。
ミカエラは理解できないまま、しかしとても嬉しくなって直ぐに飛び込んでいきました。
「ぐっ・・・・・こ~ら・・・お姉ちゃん風邪ひいてるんだよ?」
「うっっうっ・・・・・お姉ちゃ~ん・・・」
再開までのほんの少しの時間が、ミカエラにはひどく長く感じました。
こんなにも孤独であったと感じたことは今までなかったからです。
ミカエラは改めて、姉がいてくれてよかったと感じました。
「・・・しかし、ここももう直ぐ人が来るだろう。長居はできないよ?」
「解っています。
・・・・・今まで良くしてくれてありがとうございました。」
「お礼なんていらないさ。本当は匿ってやりたいのだけれど・・・・」
「いえ、気持ちだけで十分です。」
「・・・本当に済まない。」
神父さんはミカエラのリボンに何かを唱えました。
「封印は解いたよ。 ついでに新しいお呪いを。」
「??」
「はい。
ミカエラ、行こう。」
「ドコに?」
「どこか遠いところ。 さ、早く!」
大きなドアへ向かって二人は歩きます。
それを神父は見送ります。
「神よ、どうかご加護を・・・アーメン」
神父は胸で十字を切り、その場に背を向けました。
背中を曲げている様は十字架に懺悔しているようでした。
「おい、いたぞ!こっちだ!!」
「逃がさねえぞ、おい、追うぞ!!」
「お姉ちゃん!」
「くっ・・・ミカエラ!こっちに行くよ!」
だんだんと包囲されていくのを感じたルチアは判断を迫られました。
妹だけならなんとか逃がせそうだけど、本人がそれを拒否するだろう。
それに能力も・・・
「もう逃げられないぞ!」
「抵抗するなよ、この魔女め!!」
前も後ろも囲まれて、逃げ場がなくなってしまいました。
殺気立った村人の手には鍬やつるはしや棍棒が持たれていました。
無理に通れば間違いなく殺されるでしょう。
しかし日はもう落ちていました。
ルチアは意を決しました。
試したことはないけれど、今は迷っている時間はありません。
「ミカエラ」
そう言ってルチアは妹をぎゅっと抱きしめました。
「お姉ちゃん・・?」
ルチアは目を瞑り、そして力をふっと抜きました。
そして徐々に妹を包みながら影に溶けていきました。
それは氷が水に変わるように。
ミカエラは何か暖かいものに包まれる感覚を覚えながら、少しずつ意識が闇に溶けていきました。
(影があるところならどこへでも行ける。
体力の続く限りドコへでも遠くへ逃げなきゃ)
影に自分以外のものを溶かし込む。
思ったよりもすんなりいったようです。
「! しまった、やられたぞ!?」
「うわ~・・・今まであんなヤツと相手してたんだなぁ・・・」
「本当、気持ち悪いよな」
「おい、ほっといていいのかよ」
「俺はここからいなくなってくれれば別になんだっていいけど」
「大丈夫だ、後はお偉いさんがなんとかしてくれるさ」
「なんとかって?」
「たしか都から兵隊さん方をたくさん呼んだとか」
「なんでも退魔専門らしいよ」
「まぁ、それは心強いわ」
「まさに悪魔にうってつけだな!!」
「隊長、村の南西方面に引っかかったようです。」
「よし、全隊員そちらに向かうぞ。」
「了解しました。」
退魔師達は視察官からの連絡の後直ぐに駆けつけ、村全体に結界を張っていました。
彼らの仕事の迅速ぶりは国中で評判でした。
「報告によると、やつらは影を操れるそうです。」
「では周囲にさらに結界を張っておけ。徐々に包囲して、最後に浄解する。」
「了解です。」
隊長は、部下には相手が人間であることを隠していました。
彼もまた上の命令には絶対服従でしたし、
そうすることで自分達の地位を確立できることも知っていました。
「隊長、今日はやけに張り切っていますね。」
「ああ、今まで歯ごたえのないやつばかりだったからな。」
彼は張り切っていました。
今までは普通の人間を何人も磔して殺してきました。
でも今回は本当に異能力者なのです。
今度こそ自分達の力を発揮できるいい機会、逃すわけにはいきません。
「仕事が終わったら一杯やろうぜ。俺のおごりだ。」
「え、いいんですか? ちょっと気前良すぎやしませんか?」
「くぅ・・・・結界・・・もう準備してあったのか」
影から戻ったルチアは即時状況を把握し、悟りました。
この様子では逃げ道は全部閉ざされている・・・
しかしここで手を拱いていても・・・・
「お姉ちゃん・・・」
「ん?」
「お姉ちゃん、さっきの、どうやるの?」
「・・・・
う~ん、口では説明しにくいんだけど・・・・
でもね、
ミカエラも同じことできるんだよ?」
「え? でも今までやろうとしたけどできなかったよ?」
「ごめんね、今まで神父さんに封印してもらってたの。」
両親の本当の死因、それはミカエラの力の暴発でした。
ルチアが記憶しているのは、両親が黒い球体に閉じ込められてそのまま消えてしまう光景。
生後わずかの赤ん坊にそれだけの力が備わっていました。
ルチアは幼いながらも1人で神父さんのところまで行き、相談したのでした。
「・・・・だから、いざとなったらミカエラも私みたいに上手く逃げてね?」
「・・・・・・・・・・・・・・うん。」
ルチアはミカエラを恨んではいません。
どんなことがあったとしても、たった一人の家族でした。
逆に、そんな強すぎる力を持ってしまった妹を哀れんですらいました。
力さえ持たねば、不幸な目には合わなかったのです。
ルチアは優しい子でした。
ざっ
「! 来た!!」
さっきと同じように影にまぎれて逃げようとしました。
バチィ!!
「うわ!!・・もうここまで!?」
既に周りには新たな結界が張ってありました。
少し油断しすぎたようです。
「もう逃げられまい? 案外にアッサリ捕まったな。」
結界の外でひときわごつい鎧を着た男が言いました。
周囲の結界のそのまた周りには松明を持った下っ端がにやにやしています。
「今から滅しに行ってやる。頑張って足掻けよ!!」
「くっ・・・勝手なことを!!」
相手は槍を持っています。接近されたらひとたまりもありません。
しかし、幸い結界と姉妹の間には少しばかり距離が空いてました。
(これならいける、か?)
結界で包囲された空間の中心で、ルチアは身構えていました。
ミカエラはぶるぶる震えて姉の胸に顔を埋めています。
「我らには神の加護を受けた槍と鎧がある!臆するな、かかれー!!」
「今だ!!」
結界内に入り込んだ兵士の足元に集中しました。
松明で色濃くなっていた兵士の影を利用したのです。
とたんに兵士の足元が泥沼のようにズブズブと緩みます。
影に自分以外のものを溶かせるのなら、こういうことだって可能だ。
ルチアは咄嗟の機転に優れていました。
「く・・・怯むな!一斉にかかれ!!」
「無駄よ!!」
飲まれた兵士を足場に、後から後から兵士が近づいてきます。
兵士は馬鹿でしたが、その分やっぱり従順でした。
処理が間に合いません。
このままでは姉妹に切っ先が届いてしまいます。
「だったら!!」
姉はさらに相手の影を浮かび上がらせて、発生元の兵士と戦わせます。
周りの松明により彼らの影が明確にかつ複数に現れていました。
おかげで、密度の濃いたくさんの『影』ができます。
兵士は混乱して大変に乱れています。
切っても切れるのは空だけ、兵士のほうだけ一方的に切りつけられています。
影の動きはぎこちなくも、ただ剣を振り回していればそれでも十分なようでした。
影と体力がある限り、姉妹には誰一人として手は出せそうにありませんでした。
「ちい! 全隊員、一度結界から出ろ! 体勢を立て直すぞ!!」
隊長は傲慢かつ愚直でしたが、頭を冷やせばそれなりにできる人間でした。
彼は部下に大量の松明と追加の結界を用意させました。
部下は結界の内側を松明で照らし、影ができない部分に結界を追加していきました。
「どうだ! これを続けていけばお前らの居場所はなくなっていくぞ! そうなれば・・・」
(まずい・・・)
大量の兵士を影に葬り去り、影で殺した。
既に体力は限界に近かった。
いや、ここまで抵抗できたこと自体、大した物だった。
結界の範囲は徐々に狭まり、ついには松明の明かりだけで結界内が満たされました。
もう影ができる余地もありません。
切っ先が今にも触れそうでした。
「ふう、手こずらせやがって・・・」
チェックメイト。投了。パーレイ。降参。
参りましたで済めばよいが、そうもいかなそうです。
お手上げの後に待つのは磔られたイエスの如く。
「ミカエラ・・・ごめんね・・・・・・」
「お姉ちゃんん・・・・」
ミカエラはここまできても結局力を使えませんでした。
何時殺されるかわからない状況で力を使おうということは、幼い彼女には酷でした。
ルチアは叫びます。
「お願い!妹は生かしてやって!!
この子は何にもないの!!だから!!!」
「白々しい!この俺を欺こうなんざ15年早え!!
俺にはな、見えてるんだよ!お前らから出る真っ黒なオーラがな!!
構え!!」
ざざっ
「突撃ぃ!!!」
「おおおおおおおおおお!!!」
突きつけられる槍槍槍槍槍槍槍槍槍槍
先ほどの影の恐怖もあり、兵士達は特に念入りに仕事をしました。
いい大人は子供相手に何度も何度も嬲りました。
いい大人は子供相手に必死でした。
いい大人はコレが子供には見えていませんでした。
「よし、遺体を運ぶぞ。あとのヤツは帰り支度だ!」
「今日のは厄介だったな・・・・」
「ああ、全くだ。何人死んだかな?」
「20人くらいじゃね? アレッシオも飲まれたぜ」
「おおう、恐ぇ。前線に居なくてよかったな」
「しかし勿体無かったな。折角べっぴんさんだったのによ。犯ってから殺ればよかったぜ!」
「お前は食われてた方がよかったかもな」
「んだとぉ!?」
「ごぼっ」
姉にに覆い被さっていたミカエラは辛うじて急所は刺されずに生きていました。
それでももう時間の問題のようでした。
「ん? おい! ちっこい方まだ生きてやがるぜ!!」
「おうマジか! さすが化物だぜ!」
「虫の息じゃねーか。もう一刺しいっとくか?」
「お前がやれよ」
「いや、ここはお前に・・・」
ブワン!!
姉妹を中心に黒い球体が結界と兵士数名を巻き込んで広がった。
その黒は闇夜よりもさらに暗く、
自然に吸い寄せられるような、
そして触れた瞬間に飲み込まれそうだった。
報告を聞いて隊長が駆け寄る。
「しとめ損ねただと!? なにをやってん―」
球体は次第に収縮して消えていき、代わりに少女が1人立っていた。
リボンを付けた小さいほうの少女。
ただ縮こまって震えていた少女の瞳は爛々と揺れ、肌は影そのもの。
柔らかな金髪は黒によく映え、血色の文様が体の各所に刻まれていた。
ソレはずっとうつむいていて、何やらぶつぶつ言っているようだった。
「そ、総員! 直ちにかかれ!!」
少女がすっと動くと、そこら中から異形が湧き出て、次々に兵士らを食っていった。
木の陰から、鎧から、地面から、空から。
そこに影が、闇がある限り、逃れることはできない。
どこへ逃げても、どこまで逃げても、
影がそこにある限り。
闇がそこにある限り。
「ちぃ!!この、化け物があああ!!!」
隊長は果敢にも少女に立ち向かって行った。
いや、彼自身何故そうしたのか理解できなかった。
それは半ば本能だった。
殺らなきゃ食われる。
本来食物連鎖の頂点にある人間が持つことのない被食の恐怖感。
今まで感じたことのない感情。
ヤバイ
ヤバイ
ヤバイ!
ぽんぽん
隊長は不意に肩を叩かれて後ろを向く。
そこには自分と同じ輪郭の影が目の前に立っていた。
隊長の顔は引きつり、影はそれを見て笑ったようだった。
バクぅ!!
影は手を広げて隊長を囲い、
腹から真っ二つに裂けた口に押し込んだ。
「ひぎゃ・・」
誰一人そこに残る者は居なかった。
最初から何もなかったかのように、
そこには血の一滴も、髪の毛一本も、鎧一片も残ってはいなかった。
(残さず食べたね。えらいえらい♪)
少女から涙が溢れた。
がちゃん
神父は懺悔していた。
姉妹と別れたそのときからずっと懺悔していた。
「・・来たね。」
迷える子羊はふらふらとぼとぼと救いを求めるようだった。
神父に歩み寄った少女からは腐敗臭が漂った。
神父は顔をしかめる事もせずに、ただ少女の顔をじっと見た。
少女はミカエラそのものだった。
その臭いと肌の色と瞳の色を除いては。
「ルチアは?」
「・・・ここ」
少女は胸に手を当てた。
「ずっと一緒だって・・・言ってくれたの」
無表情のまま、しかし瞳だけは悲しみに満ちているようだった。
「・・・他の人たちは?」
「・・・ここ」
少女はお腹に手を当てた。
「残さず・・・食べたよ・・・?」
「私も食べるのかい?」
「・・・ううん」
「・・・・そうか」
少女は半ば放心状態だった。
訳のわからないまま、影を疾走し、次々に食らっていった。
そして気づいたら教会に来ていた。
これは夢なのか、現実なのか、わからないでいた。
いや、
解りたくなかった。
「辛かろうに・・・
大丈夫。直ぐに楽にしてやろう」
神父は首にかけてあった十字架を持ち、先端を少女の胸に刺した。
「っが!?」
少女はばったりとその場に倒れた。
神父は少女を仰向けにし、少女の胸に粘度の高い紅い液体が滴っている十字架を乗せた。
そして神父は何かを唱え始めた。
しばらくして、呪いのかけてあったリボンが光り、十字架が体内にずぶずぶと入り込んでいった。
少女の体は十字架を中心に、徐々に見た目元通りの人間に戻っていった。
少女はむくっと起きた。
神父はじっと少女を見ている。
生前と変わらぬ面影、それでも中身はもう別物だった。
異形を造ることは言わずもがな、禁忌であった。
聖職者なら尚更だった。
それでも神父は罪を負うことを選んだ。
それが自分にできる善行だと悟った。
それが偽善だとしても。
彼女には生きていてほしかった。
そして少女はこう言った。
「ねえ」
「あなたは食べてもいい人間?」
神父は微笑んだ。
「はい。私は食べてもいい人間です。」
「そーなのかー。
・・・・その前に」
人見知りをしないのは姉譲りか。
少女は初めての人間相手に臆しなかった。
いや、もう人間は食欲の対象でしかないのか。
「私、何?」
名を持たぬモノに完全な力は得られない。
少女は早く名を知りたかった。
もう自分の名を知りえるのはこの人間しかいなかった。
「・・・・・」
「え? 聴こえないよ?」
「いや・・・・・・・・
君の名は―
LU c i a
MI c h a e l a
―君達はルーミアだ。」
「それ、本当?」
「ああ、間違ってはいない。」
「そーかー。」
何かに引っかかりつつも、確かに力を得られた感じはした。
私の名はルーミア。
「じゃ、頂きます。 神のご加護を♪」
「アーメン。」
互いに胸で十字を切った。
食事の前のお祈り、そのものだった。
「1面ボスも大変よね~」
「そうね~」
ルーミアは知らない。
自分の名が姉妹の名を合わせたものであることを。
実は姉がリボンに持ち主の名前を書いていたことを。
神父は知っていた。
リボンに名前が書いてあることを。
だから呪いで見れないようにした。
名前を隠し、過去を隠した。
それが神父にできる最大限の妥協であり救いだった。
「闇っていうか、どっちかっていうと影よね」
「そうなのか~? でも貴女も蛍って言うよりはg―」
「五月蝿い」
闇を操る程度の能力。
闇と光は常に一緒に存在する。
そして闇は光があるからこそ認識できる。
この妖怪は、自身の体でそれが完結していた。
内に埋め込まれた十字架、影使いとしての能力。
両手を広げたその姿もまた、光を表す十字架だった。
内と外で闇は挟まれ、より一層暗さを増す。
「そのリボン、封印だっけ? はずしちゃえば?
そうすりゃEXも夢じゃないんじゃない?」
「ダメ!これは絶対はずせないの!」
「そうなの~?」
「そうなの!」
「んー??」
神父はもう一つ知っていた。
あのリボンは姉からのプレゼントだった。
絶対はずさないんだと妹は言っていた。
あのときの笑顔は輝いていた。
彼女の封印が解かれることは、多分ない。
二人はいつも一緒でした。
「おや、今日もお姉ちゃんにくっついてるんだね。
そんなんじゃ夜1人でトイレにいけないよ?」
「・・・・」
ルチアの手を握ったミカエラはますます身を寄せて手をぎゅっと握ります。
「もう、この子ったら・・・・しょうがないわね~」
そう言いつつ、やれやれという感じのルチア。
村の人たちもそんな光景を見て、いつものことだと笑っていました。
姉のルチアには特技がありました。
影を使って占いをするというもので、村の人たちに評判でした。
しかしそれもあってか、妹のミカエラは村の子供達にこう言われていました。
「お、影女が1人で歩いてるぞ。」
「おーい、気をつけろ~。日向に出ていたら溶けちゃうぞ~」
「早く姉ちゃんとこに逃げなきゃな~、はははは!!」
いつも姉の陰に隠れているミカエラを見た子供達の素直な感想でした。
教会に行くときも買い物に行くときも、姉妹はいつも一緒でした。
そして妹はいつも姉の傍でじっと固まっていました。
そんなことだからそう言われるんだと言って、ルチアはミカエラをお使いに出しますが、
やっぱり子供達には関係ないようでした。
姉妹はもともと4人家族でしたが、両親が病死して以来、
身寄りの無い姉妹は自分達でなんとか生きていくしかありませんでした。
それでも2人だけで暮らせているのは、
姉のルチアが両親が生きていた頃から身に付けていた影占いのおかげでした。
それに教会の神父さんはとても優しく、よく姉妹の面倒を見てきてくれました。
「やあ、ルチア。元気かい?」
「ええ、おかげさまで今日も元気です! ね?ミカエラ?」
「うん。」
「それはよかった。今日もリボンがお似合いだね、ミカエラ。」
「うん!」
彼らには秘密がありました。
ルチアの特技は、実は影占いではないのです。
「ルチア。季節の変わり目だとはいっても、最近仕事に忙しすぎではないかい?」
「平気です。ちゃんと制御できてますし・・・・」
「無理はしちゃいけないよ。様子を見たところ、影を使うのは体力を使うようだから・・・」
「・・・はい。」
ルチアの特技、というよりは能力といった方が良いでしょう。
それは影を操る能力。
しかも気づいたときには既に使いこなせていたのです。
自分でもどう動かしているのか、具体的に解っていません。
ただ、影を通じていろいろな情報を得ることができたので、
あとは占い師っぽく見せて能力を悟られないようにすれば・・・と、ルチアは考えたのです。
「解ってくれたならもういいよ。ただ、あなたの両親はこのことを心配していたからね。」
「はい。心配かけちゃってすいません。
じゃ、私たちはこの辺で。 行こ、ミカエラ!」
「うん!」
仲良く走っていく姉妹。
二人とも金髪の柔らかな髪を持っていましたが、
動きづらいといっていつも肩ほどの長さに保っていました。
姉はカチューシャを、妹はリボンを。
姉はそろそろ美人になってきたし、妹も花を咲かす前の蕾のようでした。
神父は神に祈りを捧げます。
どうかこの日々が続きますよう・・・
あるとき、村に政府の視察官が訪ねてきました。
滞りなく、慎ましく、信心深く人々が生活をしているかを見に来たのです。
「神父さん、この村はどうですか?」
「ええ、至って平和ですよ。毎朝村人全員がここにお祈りに来ます。」
「それは結構なことだ。
どれ、実際に村の様子を見せていただきましょうか。」
「・・どうぞごゆっくり」
神父は嫌な予感がしました。
このところ、魔女狩りの名の下に政府による粛清が行われていました。
もしルチアの能力がばれれば、ただで済むはずがありません。
もしそうなったら・・・・・・
ルチアは寒暖の差の所為で風邪をひいていました。
しかし、占いを待っている人たちを待たせるわけには行きません。
今が稼ぎ時、頑張らないといけません。
ミカエラはいつものように横でお手伝いをしていましたが、心配でなりません。
「お姉ちゃん。大丈夫?」
「うん・・・大丈夫だよ。 このくらいなんとかなるよ。」
正直結構しんどかったのですが、妹を養うためだと躍起です。
土地代、借家代も払わなければなりません。
しかし―
「ええ、それでね・・・・」
「ふむ、なるほど。では―・・・・!?」
視察官が村人から話を聞いていたときのことです。
突然影という影が独りでに動き始めたのです。
影は水面にたゆたう水草のようにゆらりゆらりと影は動いていました。
人々は大変に気味悪がり、そして怒りました。
「ふっ、魔女め!ついに尻尾を出したな!!」
「ルチア、大丈夫かい?」
「お姉ちゃん!」
ルチアはお客さんの前でぐらついてしまいました。
少し無理をしすぎました。
「お医者さんを呼んでくるからここを動くんじゃないよ? 解ったね?」
「うん。」
「あ・・・・」
少し息の上がったルチアをよそ目に、お客さんはよそよそと立ち去っていきました。
「お姉ちゃん、神父さんに言われたでしょ?無理しちゃだめだって」
「ううん、そういうことを言ったんじゃないんだよ、神父さんは。」
「?」
「ふふ、まだよく解んないか・・・
でも、もうやっちゃったからなぁ・・・どうしよう」
ミカエラはよく解っていないけれど、とりあえずと思い姉を休ませようとしました。
そのとき、外で足音がしました。
それもたくさん。
「あ、お姉ちゃん。お医者さん来たよ―」
「! もう来たのか。ミカエラ!早く逃げな!!」
姉の表情が一転して険しくなり、ミカエラは混乱しました。
何故?
「影の占い師!!大人しく家から出て来い!!」
「大人しいと思ったらとんでもないガキだったな!」
「早く引きずり出せ!そんなヤツ、さっさと磔だ!!」
「悪魔め!今まで生かされてきた恩を忘れたのか!!」
ミカエラは村の人たちの豹変振りに今にも泣きそうでした。
私は何か悪いことをしたのか?
私がいつもお姉ちゃんと一緒だったから?
私がいつも無口だったから?
ルチアはふらつきながらも占い台を退かし、床にある取っ手を引きました。
いつかこうなることを、ルチアは知っていました。
両親の家を取られ、小さい小屋で姉妹二人が押し込められるように暮らしてきました。
姉妹は裏で忌み嫌われていました。
「さ、ここから逃げるんだよ。」
「お姉ちゃんは!?」
「私も後からついていくから、心配しないで。」
「やだ!!一緒に来てよ!!!」
「いいから!!早く行きな!!」
ミカエラは泣きながらも必死になってはしごを下っていきました。
姉の背中。
弱っていながらもしゃんと立ってドアを睨んでいた姉の姿。
もう会えないような気がして、すごく恐かった。
暗がりを抜けて、ミカエラがやっと出たところは見慣れた光景でした。
「教会・・・? ??」
「・・・来てしまったね。」
「!??」
振り向いた先にいたのは村人ではなく、神父さんでした。
神父さんは憂いながらも、妹の無事を確認できてほっとしていました。
ミカエラの顔は涙と鼻水と煤で大変なことになっていました。
「ほら、顔拭いて。 もう大丈夫だから。」
「神父さん・・・お姉ちゃんは?お姉ちゃんは!?」
「ルチアは大丈夫だよ。すぐに来れるさ。」
「その通~り。」
ルチアはどこから来たのか、いつの間にかそこに立っていました。
ミカエラは理解できないまま、しかしとても嬉しくなって直ぐに飛び込んでいきました。
「ぐっ・・・・・こ~ら・・・お姉ちゃん風邪ひいてるんだよ?」
「うっっうっ・・・・・お姉ちゃ~ん・・・」
再開までのほんの少しの時間が、ミカエラにはひどく長く感じました。
こんなにも孤独であったと感じたことは今までなかったからです。
ミカエラは改めて、姉がいてくれてよかったと感じました。
「・・・しかし、ここももう直ぐ人が来るだろう。長居はできないよ?」
「解っています。
・・・・・今まで良くしてくれてありがとうございました。」
「お礼なんていらないさ。本当は匿ってやりたいのだけれど・・・・」
「いえ、気持ちだけで十分です。」
「・・・本当に済まない。」
神父さんはミカエラのリボンに何かを唱えました。
「封印は解いたよ。 ついでに新しいお呪いを。」
「??」
「はい。
ミカエラ、行こう。」
「ドコに?」
「どこか遠いところ。 さ、早く!」
大きなドアへ向かって二人は歩きます。
それを神父は見送ります。
「神よ、どうかご加護を・・・アーメン」
神父は胸で十字を切り、その場に背を向けました。
背中を曲げている様は十字架に懺悔しているようでした。
「おい、いたぞ!こっちだ!!」
「逃がさねえぞ、おい、追うぞ!!」
「お姉ちゃん!」
「くっ・・・ミカエラ!こっちに行くよ!」
だんだんと包囲されていくのを感じたルチアは判断を迫られました。
妹だけならなんとか逃がせそうだけど、本人がそれを拒否するだろう。
それに能力も・・・
「もう逃げられないぞ!」
「抵抗するなよ、この魔女め!!」
前も後ろも囲まれて、逃げ場がなくなってしまいました。
殺気立った村人の手には鍬やつるはしや棍棒が持たれていました。
無理に通れば間違いなく殺されるでしょう。
しかし日はもう落ちていました。
ルチアは意を決しました。
試したことはないけれど、今は迷っている時間はありません。
「ミカエラ」
そう言ってルチアは妹をぎゅっと抱きしめました。
「お姉ちゃん・・?」
ルチアは目を瞑り、そして力をふっと抜きました。
そして徐々に妹を包みながら影に溶けていきました。
それは氷が水に変わるように。
ミカエラは何か暖かいものに包まれる感覚を覚えながら、少しずつ意識が闇に溶けていきました。
(影があるところならどこへでも行ける。
体力の続く限りドコへでも遠くへ逃げなきゃ)
影に自分以外のものを溶かし込む。
思ったよりもすんなりいったようです。
「! しまった、やられたぞ!?」
「うわ~・・・今まであんなヤツと相手してたんだなぁ・・・」
「本当、気持ち悪いよな」
「おい、ほっといていいのかよ」
「俺はここからいなくなってくれれば別になんだっていいけど」
「大丈夫だ、後はお偉いさんがなんとかしてくれるさ」
「なんとかって?」
「たしか都から兵隊さん方をたくさん呼んだとか」
「なんでも退魔専門らしいよ」
「まぁ、それは心強いわ」
「まさに悪魔にうってつけだな!!」
「隊長、村の南西方面に引っかかったようです。」
「よし、全隊員そちらに向かうぞ。」
「了解しました。」
退魔師達は視察官からの連絡の後直ぐに駆けつけ、村全体に結界を張っていました。
彼らの仕事の迅速ぶりは国中で評判でした。
「報告によると、やつらは影を操れるそうです。」
「では周囲にさらに結界を張っておけ。徐々に包囲して、最後に浄解する。」
「了解です。」
隊長は、部下には相手が人間であることを隠していました。
彼もまた上の命令には絶対服従でしたし、
そうすることで自分達の地位を確立できることも知っていました。
「隊長、今日はやけに張り切っていますね。」
「ああ、今まで歯ごたえのないやつばかりだったからな。」
彼は張り切っていました。
今までは普通の人間を何人も磔して殺してきました。
でも今回は本当に異能力者なのです。
今度こそ自分達の力を発揮できるいい機会、逃すわけにはいきません。
「仕事が終わったら一杯やろうぜ。俺のおごりだ。」
「え、いいんですか? ちょっと気前良すぎやしませんか?」
「くぅ・・・・結界・・・もう準備してあったのか」
影から戻ったルチアは即時状況を把握し、悟りました。
この様子では逃げ道は全部閉ざされている・・・
しかしここで手を拱いていても・・・・
「お姉ちゃん・・・」
「ん?」
「お姉ちゃん、さっきの、どうやるの?」
「・・・・
う~ん、口では説明しにくいんだけど・・・・
でもね、
ミカエラも同じことできるんだよ?」
「え? でも今までやろうとしたけどできなかったよ?」
「ごめんね、今まで神父さんに封印してもらってたの。」
両親の本当の死因、それはミカエラの力の暴発でした。
ルチアが記憶しているのは、両親が黒い球体に閉じ込められてそのまま消えてしまう光景。
生後わずかの赤ん坊にそれだけの力が備わっていました。
ルチアは幼いながらも1人で神父さんのところまで行き、相談したのでした。
「・・・・だから、いざとなったらミカエラも私みたいに上手く逃げてね?」
「・・・・・・・・・・・・・・うん。」
ルチアはミカエラを恨んではいません。
どんなことがあったとしても、たった一人の家族でした。
逆に、そんな強すぎる力を持ってしまった妹を哀れんですらいました。
力さえ持たねば、不幸な目には合わなかったのです。
ルチアは優しい子でした。
ざっ
「! 来た!!」
さっきと同じように影にまぎれて逃げようとしました。
バチィ!!
「うわ!!・・もうここまで!?」
既に周りには新たな結界が張ってありました。
少し油断しすぎたようです。
「もう逃げられまい? 案外にアッサリ捕まったな。」
結界の外でひときわごつい鎧を着た男が言いました。
周囲の結界のそのまた周りには松明を持った下っ端がにやにやしています。
「今から滅しに行ってやる。頑張って足掻けよ!!」
「くっ・・・勝手なことを!!」
相手は槍を持っています。接近されたらひとたまりもありません。
しかし、幸い結界と姉妹の間には少しばかり距離が空いてました。
(これならいける、か?)
結界で包囲された空間の中心で、ルチアは身構えていました。
ミカエラはぶるぶる震えて姉の胸に顔を埋めています。
「我らには神の加護を受けた槍と鎧がある!臆するな、かかれー!!」
「今だ!!」
結界内に入り込んだ兵士の足元に集中しました。
松明で色濃くなっていた兵士の影を利用したのです。
とたんに兵士の足元が泥沼のようにズブズブと緩みます。
影に自分以外のものを溶かせるのなら、こういうことだって可能だ。
ルチアは咄嗟の機転に優れていました。
「く・・・怯むな!一斉にかかれ!!」
「無駄よ!!」
飲まれた兵士を足場に、後から後から兵士が近づいてきます。
兵士は馬鹿でしたが、その分やっぱり従順でした。
処理が間に合いません。
このままでは姉妹に切っ先が届いてしまいます。
「だったら!!」
姉はさらに相手の影を浮かび上がらせて、発生元の兵士と戦わせます。
周りの松明により彼らの影が明確にかつ複数に現れていました。
おかげで、密度の濃いたくさんの『影』ができます。
兵士は混乱して大変に乱れています。
切っても切れるのは空だけ、兵士のほうだけ一方的に切りつけられています。
影の動きはぎこちなくも、ただ剣を振り回していればそれでも十分なようでした。
影と体力がある限り、姉妹には誰一人として手は出せそうにありませんでした。
「ちい! 全隊員、一度結界から出ろ! 体勢を立て直すぞ!!」
隊長は傲慢かつ愚直でしたが、頭を冷やせばそれなりにできる人間でした。
彼は部下に大量の松明と追加の結界を用意させました。
部下は結界の内側を松明で照らし、影ができない部分に結界を追加していきました。
「どうだ! これを続けていけばお前らの居場所はなくなっていくぞ! そうなれば・・・」
(まずい・・・)
大量の兵士を影に葬り去り、影で殺した。
既に体力は限界に近かった。
いや、ここまで抵抗できたこと自体、大した物だった。
結界の範囲は徐々に狭まり、ついには松明の明かりだけで結界内が満たされました。
もう影ができる余地もありません。
切っ先が今にも触れそうでした。
「ふう、手こずらせやがって・・・」
チェックメイト。投了。パーレイ。降参。
参りましたで済めばよいが、そうもいかなそうです。
お手上げの後に待つのは磔られたイエスの如く。
「ミカエラ・・・ごめんね・・・・・・」
「お姉ちゃんん・・・・」
ミカエラはここまできても結局力を使えませんでした。
何時殺されるかわからない状況で力を使おうということは、幼い彼女には酷でした。
ルチアは叫びます。
「お願い!妹は生かしてやって!!
この子は何にもないの!!だから!!!」
「白々しい!この俺を欺こうなんざ15年早え!!
俺にはな、見えてるんだよ!お前らから出る真っ黒なオーラがな!!
構え!!」
ざざっ
「突撃ぃ!!!」
「おおおおおおおおおお!!!」
突きつけられる槍槍槍槍槍槍槍槍槍槍
先ほどの影の恐怖もあり、兵士達は特に念入りに仕事をしました。
いい大人は子供相手に何度も何度も嬲りました。
いい大人は子供相手に必死でした。
いい大人はコレが子供には見えていませんでした。
「よし、遺体を運ぶぞ。あとのヤツは帰り支度だ!」
「今日のは厄介だったな・・・・」
「ああ、全くだ。何人死んだかな?」
「20人くらいじゃね? アレッシオも飲まれたぜ」
「おおう、恐ぇ。前線に居なくてよかったな」
「しかし勿体無かったな。折角べっぴんさんだったのによ。犯ってから殺ればよかったぜ!」
「お前は食われてた方がよかったかもな」
「んだとぉ!?」
「ごぼっ」
姉にに覆い被さっていたミカエラは辛うじて急所は刺されずに生きていました。
それでももう時間の問題のようでした。
「ん? おい! ちっこい方まだ生きてやがるぜ!!」
「おうマジか! さすが化物だぜ!」
「虫の息じゃねーか。もう一刺しいっとくか?」
「お前がやれよ」
「いや、ここはお前に・・・」
ブワン!!
姉妹を中心に黒い球体が結界と兵士数名を巻き込んで広がった。
その黒は闇夜よりもさらに暗く、
自然に吸い寄せられるような、
そして触れた瞬間に飲み込まれそうだった。
報告を聞いて隊長が駆け寄る。
「しとめ損ねただと!? なにをやってん―」
球体は次第に収縮して消えていき、代わりに少女が1人立っていた。
リボンを付けた小さいほうの少女。
ただ縮こまって震えていた少女の瞳は爛々と揺れ、肌は影そのもの。
柔らかな金髪は黒によく映え、血色の文様が体の各所に刻まれていた。
ソレはずっとうつむいていて、何やらぶつぶつ言っているようだった。
「そ、総員! 直ちにかかれ!!」
少女がすっと動くと、そこら中から異形が湧き出て、次々に兵士らを食っていった。
木の陰から、鎧から、地面から、空から。
そこに影が、闇がある限り、逃れることはできない。
どこへ逃げても、どこまで逃げても、
影がそこにある限り。
闇がそこにある限り。
「ちぃ!!この、化け物があああ!!!」
隊長は果敢にも少女に立ち向かって行った。
いや、彼自身何故そうしたのか理解できなかった。
それは半ば本能だった。
殺らなきゃ食われる。
本来食物連鎖の頂点にある人間が持つことのない被食の恐怖感。
今まで感じたことのない感情。
ヤバイ
ヤバイ
ヤバイ!
ぽんぽん
隊長は不意に肩を叩かれて後ろを向く。
そこには自分と同じ輪郭の影が目の前に立っていた。
隊長の顔は引きつり、影はそれを見て笑ったようだった。
バクぅ!!
影は手を広げて隊長を囲い、
腹から真っ二つに裂けた口に押し込んだ。
「ひぎゃ・・」
誰一人そこに残る者は居なかった。
最初から何もなかったかのように、
そこには血の一滴も、髪の毛一本も、鎧一片も残ってはいなかった。
(残さず食べたね。えらいえらい♪)
少女から涙が溢れた。
がちゃん
神父は懺悔していた。
姉妹と別れたそのときからずっと懺悔していた。
「・・来たね。」
迷える子羊はふらふらとぼとぼと救いを求めるようだった。
神父に歩み寄った少女からは腐敗臭が漂った。
神父は顔をしかめる事もせずに、ただ少女の顔をじっと見た。
少女はミカエラそのものだった。
その臭いと肌の色と瞳の色を除いては。
「ルチアは?」
「・・・ここ」
少女は胸に手を当てた。
「ずっと一緒だって・・・言ってくれたの」
無表情のまま、しかし瞳だけは悲しみに満ちているようだった。
「・・・他の人たちは?」
「・・・ここ」
少女はお腹に手を当てた。
「残さず・・・食べたよ・・・?」
「私も食べるのかい?」
「・・・ううん」
「・・・・そうか」
少女は半ば放心状態だった。
訳のわからないまま、影を疾走し、次々に食らっていった。
そして気づいたら教会に来ていた。
これは夢なのか、現実なのか、わからないでいた。
いや、
解りたくなかった。
「辛かろうに・・・
大丈夫。直ぐに楽にしてやろう」
神父は首にかけてあった十字架を持ち、先端を少女の胸に刺した。
「っが!?」
少女はばったりとその場に倒れた。
神父は少女を仰向けにし、少女の胸に粘度の高い紅い液体が滴っている十字架を乗せた。
そして神父は何かを唱え始めた。
しばらくして、呪いのかけてあったリボンが光り、十字架が体内にずぶずぶと入り込んでいった。
少女の体は十字架を中心に、徐々に見た目元通りの人間に戻っていった。
少女はむくっと起きた。
神父はじっと少女を見ている。
生前と変わらぬ面影、それでも中身はもう別物だった。
異形を造ることは言わずもがな、禁忌であった。
聖職者なら尚更だった。
それでも神父は罪を負うことを選んだ。
それが自分にできる善行だと悟った。
それが偽善だとしても。
彼女には生きていてほしかった。
そして少女はこう言った。
「ねえ」
「あなたは食べてもいい人間?」
神父は微笑んだ。
「はい。私は食べてもいい人間です。」
「そーなのかー。
・・・・その前に」
人見知りをしないのは姉譲りか。
少女は初めての人間相手に臆しなかった。
いや、もう人間は食欲の対象でしかないのか。
「私、何?」
名を持たぬモノに完全な力は得られない。
少女は早く名を知りたかった。
もう自分の名を知りえるのはこの人間しかいなかった。
「・・・・・」
「え? 聴こえないよ?」
「いや・・・・・・・・
君の名は―
LU c i a
MI c h a e l a
―君達はルーミアだ。」
「それ、本当?」
「ああ、間違ってはいない。」
「そーかー。」
何かに引っかかりつつも、確かに力を得られた感じはした。
私の名はルーミア。
「じゃ、頂きます。 神のご加護を♪」
「アーメン。」
互いに胸で十字を切った。
食事の前のお祈り、そのものだった。
「1面ボスも大変よね~」
「そうね~」
ルーミアは知らない。
自分の名が姉妹の名を合わせたものであることを。
実は姉がリボンに持ち主の名前を書いていたことを。
神父は知っていた。
リボンに名前が書いてあることを。
だから呪いで見れないようにした。
名前を隠し、過去を隠した。
それが神父にできる最大限の妥協であり救いだった。
「闇っていうか、どっちかっていうと影よね」
「そうなのか~? でも貴女も蛍って言うよりはg―」
「五月蝿い」
闇を操る程度の能力。
闇と光は常に一緒に存在する。
そして闇は光があるからこそ認識できる。
この妖怪は、自身の体でそれが完結していた。
内に埋め込まれた十字架、影使いとしての能力。
両手を広げたその姿もまた、光を表す十字架だった。
内と外で闇は挟まれ、より一層暗さを増す。
「そのリボン、封印だっけ? はずしちゃえば?
そうすりゃEXも夢じゃないんじゃない?」
「ダメ!これは絶対はずせないの!」
「そうなの~?」
「そうなの!」
「んー??」
神父はもう一つ知っていた。
あのリボンは姉からのプレゼントだった。
絶対はずさないんだと妹は言っていた。
あのときの笑顔は輝いていた。
彼女の封印が解かれることは、多分ない。