*ドクダミハザード1の続きです。
『ドクダミハザード2-鋼鉄のホウキフレンド-』
数日前のこと。
霧雨邸の裏……庭と呼べるほど手入れされたものではないが、森の中であるに関わらず草も木も生えていないスペースがある。
魔理沙はそこに立ち、涙していた。四つの墓標を眺めて……その墓標には『スパーク○号』と書いてあった。
最近魔理沙と戦う者があれば即座にその箒を狙ってくる、そうして折られた箒は四本にも及んでいた。
「箒に罪は無いじゃないか……なんで皆箒ばっかり狙うんだよ……」
自分でもわかってはいる、箒に乗っている魔理沙はそれだけ厄介なのだろう。
その高速移動は一撃離脱を可能とし、火力に特化した魔理沙のスペルカードの効果を何倍にも引き上げる。
最初は紫のみが嫌がらせとして勝利後に箒をへし折り、ついでに他のいたずらをしていく程度だったのだが……。
いつからかその噂が広がり、今では魔理沙と戦う者は皆真っ先に箒を狙う。
紅魔館の魔法図書館に本を拝借しに行くときに、いつも邪魔しにくるチルノでさえもだ。
「紫のせいだ……!」
紫はただでさえ悪夢のような強さを誇るくせに、勝利後の嫌がらせもまさに悪夢である。
「敗者は勝者の言うことを黙って聞くものなの」
などと自分勝手な理屈を押し通し、帽子を奪っては頭に餃子を皮を乗せるだとか、へし折った箒の代わりに耳かきをよこしたり……。
やりたい放題やった後は実に満足そうな顔でスキマをくぐって帰るのだ、あの憎たらしい顔が魔理沙の脳裏に蘇る。
「お前達の死は無駄にはしないぜ……」
魔理沙は涙をぬぐってから、踵を返して家の中へと歩き出した。
玄関で靴を脱ぎ、とある部屋へと向かう。そこは魔理沙が本当に大切なものを保管している部屋。
大切じゃないものも結構混ざってしまっているが、魔理沙の目的の品の場所はしっかりと記憶している。
泣いて少し腫れぼったくなったその目は真剣そのものであった。一つの迷いも無く保管庫の中を掻き分けて進んでいく。
積み上げられたいくつものコレクションが崩れ落ちるが、そんなことお構い無しに魔理沙は一つの箱を手に取った。
縦五十センチ、横三十センチ、深さ三十センチほどの木箱……魔理沙はそれを大切そうに抱えると、コレクションを踏まないようにゆっくり歩く。
「やれやれ……片付けしなきゃいけないのかなぁ……」
大体どこに何があるか覚えているので良いとは思うのだが、大切なものが無残に散らかっているのを改めて目にすると、
やはりあまり気持ちの良いものではなかった。
「ま、今度で良いか」
いつもこうして散らかっていく。だが今はそんなこと関係無いと納得し、保管庫を後にした。
そして埃臭い木箱を抱きかかえたまま、魔理沙は居間へと。
「さて……ついにこいつを出す日が来たか」
食卓の上に木箱を置くと、魔理沙は紐を解いてその蓋をゆっくりと開けた。
その中にはいくつかの筒が入っている、それらは全て長さ十センチほどで直径は三センチほど。
そしてその中に一つ、筒とは大分形の違ったものが混ざっていた。それは箒の先っぽであった。
そう、木箱の中に入っていたのはバラバラに解体された箒である。
魔理沙はそれらを一つ一つ取り上げては丹念に点検し始めた。
片目を閉じて眺めてみたり、光に当ててみたり、手でさすってその感触を確かめてみたりと、その作業には余念が無い。
一通りの点検を終えると魔理沙はそれらを丁寧に箱の中へと戻し、大きく頷いた。
しかし満足そうな表情ではない、その顔にはどこか不安が入り混じっていた。魔理沙は腕を組み、眉間にしわを寄せている。
「最強の箒『マスター号』……今の私にこいつが扱いきれるのか?」
魔理沙の不安はそこにあった。
この『マスター号』はスパークシリーズ以前に開発したもので、移動のみならず攻撃性能や防御性能全てを最大限に引き上げた箒である。
扱いきれればスペルカードはおろか、小手先の魔法すら使わずに相手を打ちのめすほどのポテンシャルを秘めている。
だがそんな都合の良い物を簡単に使えるほど世の中は甘くない。その多様な機能による燃費の悪さが欠点だった。
完成した後、試しに使ってみたら魔理沙の全魔力を十数分足らずで全て吸い尽くしてしまった問題の箒なのだ。
他のスペルカードや魔法を使うことなしにそれである、実際の戦闘では何分乗っていられたものか想像もつかない。
箒だけで相手に勝てるとは言っても、もちろん強力な相手に対してはそう簡単にはいかない。
嫌でも箒以外の攻撃や防御が必要になってくるであろう、それは目の仇にしている紫などが相手の場合は確実だ。
結局はそれらの問題点を考慮して、魔理沙は燃費のみに焦点を絞ったスパークシリーズの開発を手がけた。
移動速度も妥協できるところまで妥協したが、それでも十分な速度は得られたのでスパークシリーズを正式採用した。
しかしそんな矢先に箒が狙われるようになった、魔理沙自身の修行もさることながら、箒についても考える必要がある。
「マスター号……」
魔理沙がバラバラになったマスター号の柄の一つを手に持ち、魔力を込める。
すると他のパーツが浮かび上がり、組み合わさって箒の形を成した。
マスター号は特殊な素材を使用しており、頑丈な上に様々な属性に対応可能である。特に電気との相性が良い。
魔法に付け加えて電磁気を応用することで、分離合体可能なヴァリアブル箒なのだ。
ちなみに電磁気学についての本はパチュリーの図書館から失敬した。
「けど……魔力の馴染みが問題か……くっ、きつい……!」
箒の形を維持させるだけで一苦労であった、魔理沙の苦しそうな表情に汗が滲む。
スパークシリーズの何倍もの速度で飛び、さらに電磁障壁を生じさせたりと……。
とにかく思いつく限りの機能を加えたために、その燃費の悪さは想像を絶するものであった。
素材自身も魔力への抵抗が高めで、馴染みにくい。
「くそっ! やっぱりダメだ!」
魔理沙がマスター号から手を離すとマスター号はバラバラになり、カラカラと音を立てて床を転がった。
手が震える、息が上がる、汗がとめどなく流れてくる。ほんの短い間だったに関わらず魔理沙は酷く消耗していた。
しかしこれはまず分離するのでへし折られる心配がほぼ無い、素材自体も丈夫なので合体した状態で盾にすることさえ可能だ。
さらには電磁障壁を発生させることで様々な攻撃を遮断することができる、防御能力は申し分無い。
それだけではない。魔理沙の攻撃の大半がレーザーなので、電磁気との相互作用で攻撃面も大幅に強化される。
「なんとかならないのか……!?」
要するに、マスター号を使いこなせれば敵は無いのだ。
魔理沙は本棚からいくつかの分厚い本を取り出し、よたよたと危なっかしく抱えながらそれらを机に乗せた。
そしてノートを引っ張り出し、ペンを片手に研究を始めた。ノートの表紙には「マスター号」と書いてある。
なんとかしてマスター号の能力を落とさずに使えるようにする、一度は投げた難題だがやるしかない。
首と肩を回し大きく深呼吸をしてから、魔理沙は分厚い本の一冊を開いた。
「えーと、電磁誘導が……」
久しぶりにてこずりそうな壁を前に魔理沙は途方に暮れると同時に、言いようの無い情熱を感じた。
逆境を跳ね除けたとき、きっと自分はより高みに登れると信じて。
しかし事はそう簡単ではなかった。
「ぐぁー」
魔理沙は大の字でベッドに寝転がり、唸っていた。
マスター号を利用したいくつものスペル、さらに電磁気学を応用して強化したいくつものスペル。
それらは理論上完成している、発動できればなんとかコントロールも可能な威力だ。
だがやはりそれを発動させる為に必要不可欠なエネルギー面の問題が解決できない。
強力な技や魔法を扱うにはそれ相応のエネルギー、つまりは魔力を必要とする。だがマスター号の燃費は落とせない。
「くそー、なんとかならないかなぁ……」
長時間机に向かっていたため酷く目が疲れていた。魔理沙は辛そうに目をしばたたき、ベッドの上で手足をバタつかせる。
そのまま目を閉じて考える、疲れてはいるが眠気は無い。
魔理沙は思う……正直なところ、これからどう努力しようともマスター号が実用化に至る事は無いだろう。
マスタースパークやファイナルスパークをあれほど乱射できるようになるまでにだって、相当な修練を積んだのだ。
それを遥かに上回る消耗度のマスター号、扱いきるのは不可能に近い。
「考えられるとすれば……魔力増強に薬か何か使うことだな……」
しかしこれも口で言うほど簡単なことではない。
以前、失った魔力をいくらか補充するドリンクを開発したが、それすらもマスター号の前には焼け石に水だった。
今では疲れて帰ってきたときにたまに飲むぐらいで、戦闘するときにわざわざ持ち歩いたりはしていない。
当然それは使い物にならない。この方法で行くにしても、また別の研究が必要となる。
「なんか使えるキノコ無いかなぁ……」
魔理沙は気だるそうに身を起こし、覇気の無い面持ちで後頭部を撫で下ろす。
魔理沙の住む魔法の森には、様々な効能を持つ不思議なキノコがたくさん生えていた。
同じく魔法の森に住むアリスはそれらのキノコに見向きもしないのだが、魔理沙はこれほど勿体無いことは無いと思う。
確かに稀に危険なキノコもある、それによって生命の危機に晒されたこともあった。
しかしそれでも、リスクを背負って利用するだけの価値がキノコにはあると思う。
「魔力増強に使えるようなキノコがあればなぁ」
魔理沙は緩慢な動作でベッドから降り、帽子をかぶりつつとぼとぼと居間へ歩いていった。
そういえばキノコ狩りもしばらくしていなかった、時期的にもたくさん生えていそうだ。
ダメそうなら食用のキノコでも拾ってこようなどと考えながら、机の引き出しから一冊のノートを引っ張り出す。
それは魔理沙自筆のキノコ図鑑であった、魔法の森のキノコは図鑑に載ってないものが多いため、自ら書き記しているのだ。
魔理沙によるキノコの適当なスケッチと、適当な解説が書かれている。
スケッチは他の者が見てもそれが何だかわからないぐらい不細工だった。だが魔理沙本人はちゃんとわかるらしい。
「魔法の森は私の庭だぜ~」
玄関に置いてある大きな籠を背負い、手袋をして魔理沙は家を出た。
普通の人間なら入るのも嫌がる魔法の森だが、魔理沙にとっては庭のようなものらしい。
「おっと、箒を忘れるところだった」
玄関に戻ってマスター号ではない普通の箒を手に取ると、乗るわけでもなく紐で背中にくくりつけた。
帰りは飛んで帰るので道に迷わないのだ、つまり無いと道に迷う可能性があると考えられる。
なのに庭と呼ぶのはおかしな感じがする。が、魔理沙はもちろんそんなことは気にしていない。
久々のキノコ狩りに胸を躍らせつつ、軽快に森の中へと踏み込んで行く。良い気分転換になったようだ。
スケッチと見比べつつ、とりあえず目に付いた食用キノコを背中の籠へと放り込む。
「おお、こいつは味噌汁に入れるとうまいんだ、もうけもうけ」
魔理沙はすこぶるご機嫌な様子だった。目的も若干ズレてきた。
形を崩さずに次々キノコをむしりとる、その手つきは慣れたものだ、瞬く間に籠の中が賑やかになっていく。
「こいつは蒸し焼きにすると風味が増すんだよなぁ、今度霊夢のとこで一緒に食べよう」
食用ばかり拾っていた。
しかし、マスター号のことが徐々に頭の隅に追いやられていく中、魔理沙は不気味な気配を感じた。
(なんだ……? いくつもの視線を感じるぜ)
魔理沙が視線を感じる方へと目を向けると、そこには薄気味の悪い人面キノコが群生していた。
薄暗い森の中で、太い樹の根元に……さながら肩を寄せ合って生きているかのように。
「おおおっ!? ヒトクイダケの群生地だったのかここは!!」
魔理沙は酷く狼狽して尻餅をつく。その衝撃で籠の中のキノコがいくつか飛び出し、地面を転がった。
ヒトクイダケ……魔理沙曰く『汚いオッサンみたいな顔したキノコ』まさにそんなキノコだ。
ひっこ抜くと奇声をあげて胞子をバラまき、側にいる人間に寄生する。
寄生された人間の頭からはいくらかの潜伏期間を経た後、普通の外見をしたキノコが生えてくる。
宿主の養分を吸って育ち、撫でると気持ち良いのだが、刺激を受けて巨大化が早まってしまう。
ついにはその重さで宿主の首を折って殺し、養分を吸い尽くして最後にまた胞子をバラまく。
そしてその胞子がまた汚いオッサン顔のキノコになるのだ、恐ろしいキノコである。
魔理沙は一度興味本位でこのキノコを抜いて死の危機に瀕したことがあった。
なんとか永琳に除去してもらい一命は取り留めた。さらに永琳の薬で耐性もついたのでもう頭に生えることも無い。
「ふぅ……あまりの数に思わず腰を抜かしてしまったが、今の私にもうキノコは生えないぜ!」
魔理沙は忌々しげに群生したそのキノコを蹴り飛ばす。その顔が醜くにひしゃげ、コロコロと森の薄暗闇の中へ消えていった。
「この『害キノコ』め! シイタケやマツタケを少しは見習え!」
「うんっ!!」
「うんっ!!」
「うんっ!!」
別にキノコが魔理沙の言いつけに従うというのではなく、抜けたときにあげる奇声が「うんっ!!」なのだ。
連続して蹴り飛ばしているとまるで何かの楽器のようだった。キノコごとに微妙な声質の差がある。
「絶滅してしまえ!」
「うんっ!!」
「うんっ!!」
「気持ち良いか!?」
「うんっ!!」
「うんっ!!」
魔理沙は少し楽しくなってきた、今はいくらこのキノコを抜いたところで胞子は通用しないのだから。
鬱憤晴らしか復讐か、キノコを蹴り飛ばす足に力が入る。
「私は気持ち悪いぞ!」
「うんっ!!」
「うんっ!!」
「ですっ!!」
「ひぃぃぃっ!?」
キノコの群れの中に一つ、希少種でも混ざっていたのだろうか……「ですっ!!」と叫んだキノコがあった。
魔理沙は再び腰を抜かして籠の中のキノコを地面にバラまき、青ざめた。
「し、しまったぁぁぁ!! 調子に乗りすぎたか!?」
もしかしたら「ですっ!!」は突然変異のヒトクイダケで、今の魔理沙の耐性ではどうしようも無いかもしれない。
となると、また頭にキノコが生えてしまうのだろうか……永琳に頼めばなんとかなるだろうが、良い気分はしない。
魔理沙は悪あがきするように帽子を深くかぶって箒にまたがると、即座にその場を後にした。
籠からこぼしてしまったキノコを拾い集めることすら忘れて……かぶった胞子を落とそうとでもしているのか、最大速度で飛び立つ。
分厚い木々の天井を突きぬけ、いくつもの木の葉をまき散らして飛んでいく。
――そして全ての歯車が狂い始める。
翌日魔理沙は洗面所の鏡を見て悲鳴をあげた。
「うわぁぁぁ!! やっぱりかー!!」
パジャマのまま、寝起きで乱れた髪の毛の中にひっそりと親指大のキノコが生えている。
魔理沙は鏡の前で、現実を認められずに呆然と立ち尽くしていた。
しかしキノコも以前のものとは違う。撫でても気持ち良くないし、なんだかほのかに青白く発光している。
「なんだ……?」
落胆したのも束の間……なんだかとても体調が良い事に気が付いた。全身に魔力が満ち溢れている。
キノコを撫でれば撫でるほど、無尽蔵に魔力が湧き出してくることに気が付いた。
これだけの魔力があればマスター号を乗りこなすことも可能だろう、数々の新スペルや強化スペルも使えるはずだ。
しかしなんとなく嫌な予感がしないでもない。
努力家の魔理沙にしてみれば、労せずして都合良く力を手に入れてしまった事態に対して、幾分かの如何わしさを感じずにはいられなかった。
このままこの力を使って良いものなのか、どうも素直には受け入れがたい。
ただでさえ、前のヒトクイダケは殺す気満々なキノコだったわけだし、似たようなキノコであるこれがそうでないとは思えなかった。
それに霊夢との対決はきっちりと自分自身の実力で勝利をもぎ取りたいと思う、こんな借り物の力で勝ったところで仕方が無い。
だが魔理沙は……『天敵』八雲紫に対してはそうは思わなかった。
「この力があれば……」
紫を見る魔理沙の目は、決して霊夢を見るときのような……ライバルに向けるそれではない。
憎たらしいいじめっ子。箒の仇敵。存在そのものが反則のような強さ……汎用性の高い特殊能力。
怖いもの知らずな紫のにやけ顔を想像したとき、魔理沙の嗜虐心が首をもたげた。
このキノコが生えている限り、魔理沙はきっとマスター号を使いこなす、紫に対抗し得る力を持つ。
(紫を一回いじめるぐらいなら……)
魔理沙はまたキノコを撫でた、力と勇気が湧いてくる……怒りや恨みと同時に。
「一度ぐらい良いじゃないか」と、邪な考えが心を支配する。得てしてそういうことを考えた後はろくな結果にならないものだ。
しかし紫を負かして泣かせて、嫌がらせしてやりたい……。
魔理沙はその欲望に身を任せてみることにした。
そして数日後。太陽が傾き、地平線へとその身を沈める頃。
状況は、鈴仙の強化が済むか済まないかという頃の話に戻る。
今日の八雲邸の夕食は早い。いつもより早めに起きた紫は藍と食事を共にした後、ちゃぶ台で雑談に耽っていた。
橙はどこかに出かけていて帰ってこない。冬になったらあまり外出もできないだろうから遊び貯めしているのだろうか。
「藍が風邪をひいてしまいました、どんなセキをするでしょーか?」
「……コンコン」
「はい正解、藍は頭が良いわね」
先ほどから紫はくだらないなぞなぞを藍に投げかけていた。藍は呆れたような様子でそれに答えている。
藍の九本の尻尾が頼りなく右往左往していた。
「風邪をひいてしまった藍はくしゃみもします、どんなくしゃみでしょーか?」
「ん、ん~……?」
「実際のくしゃみっぽく答えるのよ」
「あ、あぁ、そうか……ふぇ、ふぇ……フォックス!!」
「ブブーッ!! ハズレなの!!」
「え? そんなバカな!?」
確実に当たりだと思った答えが空振りして、藍は興奮気味に身を乗り出した。
紫はそんな藍の様子を見て、口元を手で押さえて面白そうにクスクスと笑っている。
「ならば何が正解だとおっしゃるのですか!」
「ふふ……秘密よ」
「なっ!? 気になりますよ!!」
興奮してちゃぶ台をバンバンと叩く藍。何か嫌なことがあったのかしら、と紫は思った。
しかしながらここまで必死になるとは予想外だったので、思わず面食らって後ずさってしまう。
「……実は考えてなかったから、フォックスで良いわよもう……」
「投げやりですよ……ちゃんとしてください……」
ろくな考えもなしにハズレということにしただけらしい。そんな適当なちょっかいを藍にかけるぐらい暇だった。
紫は面白くなさそうにごろんと仰向けになり、溜息混じりに呟く。
「あー、霊夢でも遊びに来ないかしらねえ」
「霊夢はそうそう神社から出ないでしょう、いつものようにスキマからいろいろ見ていてはいかがですか」
「やあねえ、まるで私を覗き魔みたいに」
「そんなこと言っておりませんよ」
「……む?」
「どうしました?」
紫が横向きに寝そべった姿勢で硬直した。何かを感じたらしい。
人差し指を口に当て、藍に静かにするように示したまま、身動き一つせずに何かを探っている。
「魔理沙が……」
「魔理沙がどうかなさいましたか?」
「超高速……普段の三倍ぐらいの速度でここに迫っているわ、この様子だとあと一分ほどで到着するの」
「何でしょうね? まぁ暇つぶしにはなるんじゃないですか?」
「様子がおかしいわ、何かしらこの強大な魔力……嫌な予感がするの、藍、身構えておきなさい」
紫は立ち上がって妖力を高め始めた。藍にはかすかにしか魔理沙の気配は感じられず、何をそこまで警戒するのかわからなかった。
しかし紫がここまで緊張しているのは珍しい、ただならないものを肌で感じた。
そうしている間にも魔理沙の気配はどんどん濃厚になり、紫の妖力も同様に上昇し続ける。
「挨拶代わりに結界を引いてみたけど強行突破してきたわ、来る」
「何の用か知りませんが、土足で人の家に上がるような行為は捨て置けませんね、迎撃しましょう」
「もちろんよ」
二人は緊張した面持ちで外へと駆け出す、家の中で暴れられたらたまったものではない。
全身を平手で打たれるような激しい魔力、攻撃的な気配。ただごとではない……これは確実に襲撃である。
家から飛び出して空を見ると、二本に分離したマスター号にそれぞれの足を乗せ、腕組みをした魔理沙が迫っていた。
豆粒ほどの大きさにしか見えなかった魔理沙は見る見るうちに接近し、その姿を徐々に拡大していく。
「何!? あんな姿勢で箒に乗れるものなのか!?」
「藍、手が必要なときは呼ぶわ、まずは後ろから様子を見ていなさい」
「はっ!」
魔理沙が接近してくる、その顔には不敵な笑み。
魔理沙は組んでいた腕を解き、身を屈めて叫んだ。
「スパーク1号の恨みぃーっ!!」
「唐突に来たから何かと思えばそんなことなの? 貴女の復讐の動機はそんなにも安く済んでしまうのね」
「箒乗りじゃないお前にはわからんさ!! 行くぞ紫! お前の大切なものも奪ってやる!!」
目標を確認して箒の速度を落とした魔理沙は、二本の箒に強い魔力を注ぎ込み始めた。
箒を含めた魔理沙の周囲が青白く発光している、紫電を散らす。
「私の四重結界を貫けるかしら? 受けて立つわ!」
「食らえ紫! 『ブレイジングスーパーノヴァ』だ!!」
二本の箒に電磁加速された魔理沙が、紫に捨て身の体当たりを敢行した。
膨大な魔力と強力な電磁障壁を身に纏った魔理沙が、一筋の流れ星となって紫に向かっていく。
それは既存の必殺技「ブレイジングスター」を強化したもの。いわゆる電磁加速砲『レールガン』である。
もちろん幻想郷にそのようなものは存在しない、にも関わらず独学でその理論を導き出し、
戦闘に応用できるまでに発展させたのは、魔理沙の驚くべき発想力に他ならない。
まさに誰にも真似できない唯一無二の必殺技。弾が魔理沙自身だというのも驚嘆に値する。
「おおぉぉぉぉぉぉっ!! 貫けぇぇぇ!!」
「な、何なの!? 体当たりだなんて!!」
流石に一瞬で四重結界を貫くには至らなかったが、魔理沙は結界を破壊して確実に突き進んでいく。
紫も先ほどから全力で結界を張っているのだが、魔理沙の突進力はそれを大きく上回った。
一見捨て身に見えるこの攻撃だが、魔理沙はそこまで抜けてはいない。
絶対の防御能力を誇る電磁障壁を身に纏っているからこそこの技は効果を発揮する。
霊夢や紫だって本来防御に利用するべき結界を攻撃に使うことはよくある、それと同じことだ。
あわや四重結界が貫かれる、というところで魔理沙は体勢を変えて、両手に魔力を収束させ始めた。
「この距離でダブルスパークでも撃つつもりなのかしら?」
「スーパーノヴァは小手調べだ。この技は確実にお前の結界を貫く、覚悟するんだな!!」
魔理沙が姿勢を変えたことによりスーパーノヴァの威力は半減し、紫は急いで結界を張り直した。
今までの魔理沙のファイナルスパーク辺りまでなら、四重結界で完全に遮断する自信があった。
だが今回は少々状況が異なる、スーパーノヴァなどという突飛な技もそうだが、魔理沙から発せられる魔力は尋常ではない。
「藍! 援護なさい!!」
「はっ! 承知しました!」
「無駄無駄! そんな狐一匹増えたところで、こいつは止められないぜ!」
突進による結界の貫通は中止し、走って距離を取った魔理沙の両手には十分な魔力が練られている。
箒は先ほど魔理沙を射出してからどこかへ言ってしまったのだが、魔理沙はそれをどうするつもりなのか。
「黙って撃たせると思うな魔理沙! これでも食らえ!」
藍は大量のクナイを召喚してそれを一斉に魔理沙に向かわせた。
向こうが見えなくなるほどの大量のクナイは、さながら動く壁のように魔理沙を包み込む。
しかしそのどれ一つとして魔理沙を傷つけることはできなかった、魔理沙を包む強力な磁界によって全て打ち返される。
「無駄だぜ、金属なんて通すはずがないんだ! さて準備は良いか? 回避は無理だろうぜ、結界をしっかり張れよ!!」
「貴女に命令される筋合いは無いわ、言われなくてもこの四重結界……貴女の魔砲に打ち抜かれるほど脆くはない」
「なら勝負だ紫!」
右手の上に左手を重ね、その照準を紫に合わせる。
「マスタースパークを引き絞って、スピードと貫通力を強化することに成功した! とくと見ろ!」
「藍、攻撃準備を。この攻撃は私がなんとしても防ぐわ」
「はっ、紫様!」
「貫け! スパイラルマスタースパァァァーク!」
展開しようとする右手からのマスタースパークに、左手のノンディレクショナルレーザーが螺旋を描いて絡みつく。
ノンディレクショナルレーザーによって歪に引き絞られたSマスタースパークは、凄まじい加速で空を切り裂いた。
そして四重結界に直撃するや否や、いとも簡単にそれらを穿って紫に炸裂する。
遅れ気味に四重結界が音を立てて割れ、地面にこぼれ落ち、数回弾んでから儚く霧散した。
「そんな!? キャアァァァァッ!!」
「紫様……うわぁぁぁぁっ!!」
決着はたったの一撃。
魔理沙はあまりに強大な自分の力に打ち震えた。まさかあの紫がこうもあっさり……。
不意打ち気味だったが、決してアンフェアな戦いではなかったはずだ。向こうは二人がかりだったことだし。
「こ、こんなもので終わると思わないで……」
「ん? 無事だったのか……流石だぜ」
Sマスタースパークに吹き飛ばされたように見えた紫だったが、藍共々スキマの中に逃げ込んで、すんでのところで直撃は避けたらしい。
しかしそれでもダメージは深刻なようだ、足を引きずっている藍に肩を貸す紫の表情も苦痛に歪んでいる。
肩で息をしながら、紫が藍に妖力を注ぎ込む。
「まだやれるわね、藍……」
「もちろんです。敬愛する主の前で恥をかかせたことを後悔させてやります」
見る見る藍の傷が修復されていく、しかし魔理沙はそれを見てもまったくひるまない。
むしろ、この程度で終わらなくて少しほっとしたのが本心だった。まだまだいじめ足りない。
「ふん、もうスペルを使うまでもないな……来いッ!! マスター号!!」
魔理沙が手をかざすと、どこからともなく一直線にマスター号が飛んでくる。
先ほどは二本に分離していたが、全て結合して一本の長い箒の状態になっていた。
さながら忠実な僕であるかのように、マスター号はすいっと魔理沙の手のひらに納まった。
「なに? 遠隔操作可能な箒?」
「そのようです……まぁへし折ってやればいつも通り腑抜けになるでしょう」
「そうね、私は少し傷を癒すわ、藍」
「時間稼ぎとは言わず、箒をへし折って泣かせて見せます」
「帽子は私が引っ剥がすから取っといてね」
「はっ!」
肉弾戦に支障が無い程度にまで傷が癒えた藍は、両腕を持ち上げて垂直に振り下ろした。
すると指先から鋭い爪が伸びる、血のように真っ赤なそれは金属さえもバターのように切り刻むだろう。
「肉弾戦で良いんだな? へし折るへし折るって好き勝手言ってるが、いつもそう上手くいくと思うなよ!」
魔理沙は棍のようにマスター号を頭上で振り回し、右腋に挟んで構えを取った。
身を包む魔力は身体能力にまで影響を及ぼしているらしく、その動きは実に力強く映る。
「妖狐の力を甘く見るな、行くわよ魔理沙!」
「かかってこい! 今日の私は今までのようにはやられんぜ!」
全身に妖力を充実させた藍は、蹴った地面に窪みを作りながら猛スピードで魔理沙に迫った。
魔理沙はたじろぎもせずにマスター号を構え、藍の動向を探っている。
藍と魔理沙の距離が十メートルほどまで縮んだとき、藍は大地にひときわ大きな窪を作って、回転しながら魔理沙に飛び掛った。
人間をはるかに超越した身体能力を持つ藍の踵が、遠心力で更に威力を増して魔理沙に振り下ろされる。
直前に九本の尾が魔理沙の視界を遮る、見事な攻撃だった。その大振りな動きも機敏さによってカバーされている。
「さあ自慢の箒で防いでみろ! 折れてしまうだろうけど!」
「ヌルいぜ八雲藍!」
藍のリクエスト通り魔理沙はマスター号で垂直にその回転蹴りを受けたが、マスター号はびくともしない。
逆に、そこを走る高圧電流による反撃が藍を待ち受けていた。
「うぁぁぁっ!?」
「チェストーッ!!」
感電して吹き飛んだ藍に、箒を振り上げた魔理沙が襲い掛かる。
身を震わせながらも藍は地面に片手をついて体勢を立て直し、自分に向かって振り下ろされた箒に爪による斬撃を放った。
空間に赤い切れ目を描きながら、その鋭い爪が箒に振り上げられる。
「叩いて折れないなら、真っ二つに切り裂いてやる!!」
「分離だマスター号!!」
「なにっ!?」
藍の爪は虚しく空を斬り、周辺にはバラバラに分離したマスター号がふわふわと浮かんでいた。
魔理沙がその素晴らしい性能に歓喜の雄叫びをあげる。
「このマスター号すごいぜぇ! 流石スパークシリーズのお兄さん!!」
「く、くそっ!! なんだこの箒はぁぁ!!」
「式神じゃ話になりゃしない! 藍! お前さんは退場願うぜ!!」
先端が分離したことによって短くなってしまったマスター号だったが、魔理沙はそれを気にもかけずに藍の腹部に付き立てた。
魔理沙が動作を起こすたびに、その身体の随所から紫電が弾ける。魔理沙自身が高圧電流を帯びてほの白く光っていた。
またも感電した藍は尻尾の毛を逆立て、その強張った身体を激しく痙攣させる。
「くあぁぁぁぁぁっ!!」
「おう! こんがりキツネ色だな、藍!」
「あ……ぁ……」
魔理沙が放電しているマスター号の先端を離すと、藍は受け身すら取らずに顔面から倒れこんだ。
頭と地面が衝突する鈍い音を尻目に、魔理沙は再びマスター号を合体させて、遠くに居る紫を睨み付ける。
「藍をこうも簡単に……一体どうしたというの? 魔理沙」
紫の傷はほとんどそのままの形で痕を残していた。式神を修復するのと己を修復するのは勝手が違うものらしい。
藍がここまで早く負けてしまうことは予想外で、本来ならもっと力の戻った状態で戦えるはずだった。
二、三度競り合っただけであの藍を行動不能にしてしまうとは……紫は狼狽を隠すことができない。
「お前さんに仕返しするためにちょっと工夫しただけだ、さぁ真打ちのご登場に期待するぜ」
「損なものね、真打ちも」
「寝てばっかりでなまってるお前の体、電気ショックで活性化してやるよ」
「それは気持ち良いの?」
「おう、死ぬほど気持ち良いぜ」
「死ぬのは嫌だわ」
その後の展開は酷く一方的なものだった。
真打ちの登場に合わせて再びスペルカードを解禁した魔理沙。魔理沙にしてみればSマスタースパークは最強のスペルではなかった。
ファイナルスパークやファイナルマスタースパークだってあるのだから、それらを引き絞ればどうなるか……簡単に予想がつく。
しかしながら、Sマスタースパークでさえ紫の結界を貫通するに余りある威力を有している。
紫も多少は食い下がり、結界以外の手段で数度攻撃を回避したりしたものの、反撃に転じる余裕はただの一度も生まれなかった。
まさしく電光石火のように、壮絶なテンポで高出力のスペルカードを連発する魔理沙の前に、紫は敗退した。
傷が癒えきっていなかったのも敗因の一つだろうが、そもそもその傷を負わせたのだって魔理沙である。
今日の魔理沙は紫など比較にならないほど『非常識』だった。
「あっけなかったな、お前本気じゃなかったろ?」
紫は答えない、答えることができない。
幾度と無く放射された魔砲によって周辺は荒れきっていた。木々や草花は炭化し、大地は乱暴にえぐられている。
お互い離れた位置に横たわる二人の妖怪は、意識も無くただ呼吸を繰り返すばかりである。
魔理沙は倒れている紫を転がして、これから行う嫌がらせに都合の良い姿勢、うつ伏せにした。
「ジャジャーン、これがなんだかわかるか紫? うっ、くさっ」
何やら袋を取り出す魔理沙。どこから出てきたのかは不明だ。魔理沙の上半身ほども大きさがあるそれはパンパンに張り詰めていた。
その袋は魔理沙の言葉通り周囲に悪臭を振りまき、袋の底から茶色く濁った雫をポタポタと垂らしている。
それを紫の側に置くと、魔理沙は紫の腰に張り付いているスキマに手をかけて力を込めた。
「ふぬーっ!! んぎぎぎーっ!!」
魔理沙の腕から紫電が走る、紫以外がスキマを開けるのは相当な困難のようだ。
魔理沙が顔を真っ赤にして力んだにも関わらず数センチ広がっただけで、あとはピクリとも動かなくなってしまった。
「ま、まぁこれだけ開いてれば大丈夫だな、ぜえぜえ……」
紫の側に置いた例の臭い汁袋を再び手に取ると、魔理沙はその口をスキマの中へ滑り込ませる。
そして少し眉をしかめ、おそるおそるその袋の後ろをつまみ、ひっくり返して乱暴に揺さぶった。
一度揺さぶられるたびにその中身をスキマに吐き出し、袋は軽く、張りが無くなってしわくちゃになっていく。
「うーくさっ。でもこれでお前の大好きな覗きも不法侵入もしばらくできないはずだな」
袋をつまんだ指を鼻に近づけて、嫌そうに表情を歪める魔理沙。
スキマに食わせたのは生ゴミである。わざわざ強くなって紫を完膚なきまでに叩きのめした割には、やることがせこい。
「これはスパーク1号の分!!」
空っぽになったゴミ袋を投げ捨てると、魔理沙はハンカチで手を拭きつつ次のターゲット、藍の元へと歩み寄る。
ハンカチを懐へしまい込んだ後は、それと入れ替えて今度は見慣れない器具を手に握り締めている。
ペンチのような形をしていて、その二本の足を魔理沙が握ると、シャキシャキと快い音が鳴った。
「こういうこともあろうかと思って、香霖の家からちょっぱって来たんだ、へへ」
――手動バリカン。
「紫はお前の尻尾を大層気に入っているそうじゃないか……お前自身よりも尻尾の方が重要だったりしてな」
憎々しげに吐き捨てると、魔理沙は藍の尻尾を一本手に取った。そして少しにぎにぎしてみた。
「……むっ?」
一度バリカンを足元に置き、今度は両手でふかふかしてみた。
「な、なるほどこれは……」
素晴らしい手触りだった。これならば紫でなくとも気に入ってしまうのではなかろうか。
毛自体はそれほど細いというわけではなかったが、それにしても柔らかく、一本も絡み合うことなく整然と生え揃っている。
それでいてふんだんに空気を含み、弾力にも富んでいる。ツルツルともスベスベとも言い表せない質感も絶妙だった。
「……」
ごくり。大きな音を立てて唾を飲み込んだ魔理沙は、周囲をきょろきょろと見回した。
何者も居るはずが無い、居たとしてもさっきまでの激しい戦闘で逃げてしまっているはずだ。
紫もしっかりとオネンネしている。それらを確認して一つ頷くと、魔理沙は藍の尻尾を顔に近づけた。
「う、うわぁ、柔らかいな……」
頬擦りすると、柔らかな石鹸の香りが鼻腔をくすぐる。
なるほど、これを大事にしていたのならば……刈り取られたとき相当悔しがるに違いない。
魔理沙はしばらく恍惚の表情を浮かべてその感触を楽しんだ後、幾分名残惜しそうに顔を離した。
何やら神聖視のようなものが無いでもない。これを刈り取るという行為はある種の背徳感を心の内に生じさせる。
「よし、こいつは持ち帰ってクッションを作るぜ、うんうん」
我ながら良い案だ、と腕組みをして大きく頷き、魔理沙は忘れかけていた手動バリカンを再び手にした。
この尻尾の毛を刈り取り、クッションへと加工する。魔理沙はとてつもないことをしているという錯覚に陥る。
こんな尻尾が九本もあるなんて、神はなんてものを創りたもうたのか。しかしそれを禍々しさの塊のような八雲紫が独占しているという事実。
半ば嫉妬のような感情、バリカンを握る手に力が入りそうになる。だがこの毛を生み出す藍の尻尾を傷つけるわけにはいかない。
「ふぅ……綺麗に刈り取れたか」
蒐集癖のある魔理沙は常に風呂敷やら袋やらを携帯しているので、藍の毛をそれに詰め込んだ。
あの大きな尻尾九本分ともなると凄まじいボリュームだった。それを詰め込んだだけの袋をクッションと見紛う程に。
魔理沙は立ったままそれに顔を埋めてぎゅうと抱きしめ、しばらくそのまま立ち尽くしていた。
「ふふふ……見たか紫! これはスパーク2号の分だ!」
魔理沙は毛袋に顔を埋め込んだまま、くぐもった声で高らかに復讐の終焉を宣言した。
傍らには、全ての尻尾の毛を綺麗に刈り取られた藍が、そうとも知らずに倒れている。
実際はもうすでに復讐などどうでもよく、魔理沙は一刻も早くこれをクッションにしたい気持ちで一杯だった。
そうだ香霖の所に行って、今度は上質の布をちょっぱってこよう。絹が良いだろうか。最高の毛には最高の布が必要だ。
この毛を紡いで布にすることもできるかもしれないが、流石にそこまでの量は無い。大切に使わなければ。
「さて、善は急げだ、早速帰るぜ」
強く抱きしめられていた毛袋は、その拘束を解かれると一瞬で膨らんだ。まるで生きているかのような弾力。
中身が飛び出さないように強く口を結び、マスター号にくくりつけ、魔理沙はそれにまたがった。
――以上が八雲邸で起きた事の顛末。
八雲邸へ向かう永琳と鈴仙は、そこに近付くにつれて濃厚になる魔理沙の気配をしきりに警戒していた。
「ウドンゲ……感じているわね?」
「はい、なんでしょうこの気配……結界も全て破壊されてるし……妙ですね」
超高速で飛んでいる魔理沙は、始めのうちは決して永琳と鈴仙に向かって飛んできているわけではなかった。
お互い普段の通りならば気付かずそのまますれ違って、八雲一家のみが受難していただろう。
だが鈴仙にしろ魔理沙にしろその強大な魔力は目立ちすぎた。互いの第六感を刺激してしまった。
魔理沙は途中で軌道を変え、強大な力の主を確かめようとでもしているのか……永琳達に向かって真っ直ぐ向かってくる。
永琳達は幾度か進路を変えたが、その度に魔理沙も進路を変える、何が何でも接触を試みる所存のようだ。
「結界が破壊され、八雲邸の方角から高速で飛んでくる何者か……霧雨魔理沙に近い気もするけど、この威圧感は何かしら」
「何のつもりかわからないけどこっちに来ていますし……まぁ今の私と師匠が二人でかかれば大丈夫だと思います」
もうあまり距離が無い。
魔理沙の飛行速度は尋常ではなかった、鈴仙の飛行能力もDの力で大幅に強化されたものの、それでも振り切ることは不可能だろう。
まるで追尾機能のあるミサイルのように、高速かつ正確に永琳達の方へと向かってくる。
「ウドンゲ、荒事はお前の領分よ、任せるわ」
「わかりました、これじゃ八雲紫はやられているでしょう……相手にとって不足無しです、Dの成果を確認してください」
「そうね……来るわウドンゲ、おしゃべりはここまでよ」
「はい!」
そのあまりにも荒々しい飛行物体は、真っ赤な夕焼け空を揺さぶって鈴仙へと向かってくる。万能な電磁障壁で衝撃波さえも打ち消して。
遠目にはたった一つの点だった魔理沙が、瞬きをした次の瞬間には既に人の形を成していた。
「ん? 永遠亭の連中か、何してんだ?」
あれだけ乱暴に接近してきた割に、魔理沙はあっけらかんとして首を傾げた。特に敵意があるというものではないらしい。
魔理沙が連れてきた暴風が鈴仙達に襲い掛かり、衣服や頭髪を乱れさせた。
「おっと、悪い悪い……なんだよ、何か言えよ……クサッ!?」
鈴仙から発せられる異常な魔力とドクダミ臭。風上にいるうちは気付かなかったが、少し風が落ち着いた瞬間魔理沙は悪臭に包み込まれた。
一瞬のけぞった後、鼻を押さえながら恐怖と驚きの入り混じった複雑な表情で鈴仙を睨む。
「いきなり臭いなんて失礼ね、仕方ないのよこれは」
「強烈過ぎて逆に何の臭いかわからなかったが……これはドクダミの臭いか、お前ら何企んでるんだよ」
「そっちこそ何企んでるのよ、八雲紫は?」
「あー? 質問を質問で返すとはお前さん随分と礼儀正しいな。それが月の作法か?」
「教えることは無い、それが答えよ」
「強気だな月兎。ならこっちだって教えることなんか無いんだぜ」
鈴仙が元より穏便に済ますつもりのなかったことに魔理沙は勘付いていた。
その赤い眼の動向も魔理沙に狂気を植えつけようとしている節がある。魔理沙は何度も鈴仙の視線を受け流した。
キノコの力を使って戦うのは一度だけのつもりだったが、鈴仙は今にも襲い掛かってきそうな様子だ。
とはいえ紫と戦った後も特に異常は無いし、もう一度ぐらいは大丈夫だろう……魔理沙は戦う決意をした。
「……くさい、くさいな、きな臭いしドクダミ臭い、これほど剣呑なことは無いぜ」
「紫電散らして、音の壁を通り越した箒乗りに言われたくないわ」
「ようし。霊夢よ、この異変は私がいただくとするぜ、先手必勝だ」
「あははははは……ウドンゲ!! やっておしまい!!」
「あ、は、はい師匠……」
「うわぁ……」
永琳が突然割り込んで来て偉そうに叫んだ。こんなに小さく見える師匠は初めてだわ、鈴仙は少し悲しくなった。
実際魔理沙と戦ったら結構善戦するかもしれないし、もしかしたら勝つかもしれない、それはわからないはずなのに……。
鈴仙はもし永琳と魔理沙が戦っても、永琳がこてんぱんにされる映像しか幻視できなかった、悲しかった。
「鬱陶しい外野だぜ!! スパイラルマスタースパァァーク!!」
その動作は極めて俊敏だった。魔力の練り込みも一瞬。恋の魔砲は初速も加速も申し分無い。
今なら能力的に劣るとは思わなかった魔理沙だが、永琳は策で敵を弄する頭脳戦においても危険な存在である。
一応現状は背後に隠れているが、全てを鈴仙に任せるとは考えにくい。戦況が悪くなれば一つ二つ小細工を仕掛けてくるだろう。
そして急速に燃え上がった闘争心に冷水を浴びせるような、無粋な真似をしたのも許せなかった。
「あはははは、無駄よ! 威力があっても当たらなければ恐ろしくはないわ、前の太いままの方が良かったのではなくて?」
魔理沙の行動は読まれていた。
永琳は浮遊状態を解除すると同時に、地面に向けて『飛んだ』。重力を合わせる事で通常以上の速度で回避したのだ。
Sマスタースパークは視認してからの回避は困難を極めるが、永琳は自分に攻撃が来ることを予測していた。
それゆえにSマスタースパークの回避に成功したのだ。内心の焦りを表情に出さない辺りも見事としか言いようがない。
「ウドンゲ! 今よ!」
「は、はい!」
「クソッ!! 謀ったな!!」
なんと既に魔理沙は永琳の術中にはまり込んでいた。完全に出鼻を挫かれた形である。
陽動という意味では十分な効果を発揮した作戦だったが、鈴仙までも術中にはまり込んでいたのは失敗だった。
魔理沙が騙されている間も永琳を案じるばかりで、虚を衝こうとする狡猾な判断が即座にできなかったのだ。
案外てゐのようなパートナーの方が永琳には合うのかもしれない。こうした点において、てゐは比類無きまでに瀟洒だ。
しかしこうしておけば魔理沙も永琳を無視できず、常に予想外の攻撃を想定しなければならない。
鈴仙にとって戦いやすい状態になったのには違いなかった。これなら思い切り力を出して、自分の天井を知ることができる。
「目をそらしても無駄! 私の視線は脳細胞に直接届く!! いけぇっ!!」
「鈴仙! お前が間抜けで助かったぜ! 無駄なのはそっちの攻撃だと思い知らせてやる!」
鈴仙が前のめりになって顔を突き出す。その目から発射された狂気は、視認できるほど強力な赤い光線となって魔理沙に迫る。
対する魔理沙は先んじてマスター号の半分程を分離させた。そしてそれらを円形に配置、前面に一際強力な電磁障壁を張って迎え撃つ。
狂気の光線と電磁障壁がぶつかり合い、激しく火花を散らした。光線が弾け飛んでいるのか、電磁障壁が削られているのかはわからない。
「な、何よあの箒!?」
「うわっ!? 目から光線かよ!! いよいよもって妖怪らしくなったなお前!!」
「手からも目からも大差ないわよ!! 失礼ね!!」
「手から出た方が文化的でかっこいいって、昔からそう決まってるんだ……おぉぉぉっ!?」
魔理沙が両目を押さえてのけぞる、電磁障壁は狂気の光線を大幅に弱めたものの完全に防ぐことはできなかった。
光線はそのまま直進して魔理沙の頭部を通過し、あたかもそれを破砕するかの様な激痛を与えた。
魔理沙の頭の中は雑音で満たされ、痛みが引いていくと共にその意識は破壊衝動に支配されていく。
「うぁぁぁ……っ!!」
「ウドンゲ、間髪入れずにもう一撃よ!!」
「く、くそっ!! こんなところでやられてたまるかっ!!」
自分が自分で無くなるかのような気味の悪い感覚に抗いながら、魔理沙はマスター号を合体させた。
マスター号は全て結合した状態でなければ最高速度が出ない、つまりは逃げようとしているということだ。
まるで空間に入ったヒビのように強烈な紫電を発しながら、魔理沙は一目散にその場を離脱する。
「三十六計逃げるにしかずってやつだぜー!!」
「逃がすかーっ!! 貴女の嗅覚を破壊してあげるわ!!」
逃げる魔理沙に向かって鈴仙が最後に一撃見舞う。
いかなマスター号とて光速には届かない、鈴仙の嗅覚破壊光線は見事に魔理沙の頭部を侵した。
魔理沙は蛇行して逃げていたのだが、鈴仙は耳から発する電波で光線の軌道をある程度コントロールすることができるのだ。
「わぎゃっ!?」
嗅覚破壊光線を受けた魔理沙は箒からずり落ちそうになったが、なんとか磁力でしがみつきフラフラと飛んでいった。
「すいません師匠、逃がしてしまいました」
「いいえ、十分だわウドンゲ……あの普段と違う魔理沙を完全に圧倒していたもの」
「ええ、まぁ……スパイラルマスタースパークでしたっけ? あれも恐らく問題にはならないと思います」
「そうね、お前なら……では八雲紫のところへ行くわよ、とんだ邪魔が入ったわね」
「はい、行きましょう」
「ひっ!?」
「ん? ……あ、す、すいません!!」
うっかり鈴仙と目が合ってしまい、永琳は目を押さえて身体をくねらせた。
平常時は出力を抑えている鈴仙だったが、戦闘直後で気が抜けていたために狂気を垂れ流していたのだ。
鈴仙は心配そうに近付いて、その背中をさする。
「うぅ……」
「す、すいません……」
「もう……気を付けるだっちゃ!!」
「だっちゃ!?」
少し狂ってしまった。
一方の魔理沙は、自宅へと戻ってクッションの製作にかかるつもりだったのに、それどころではなくなっていた。
鈴仙の嗅覚破壊光線である。飛んでる間はその効果がよくわからなかったが、家に着くと嫌というほどその脅威を味わうハメになった。
「うぁぁぁぁっ!! 鼻が!! 鼻がぁぁ!!」
怒り狂って興奮気味に、部屋の中を転げまわって悶える魔理沙。
あちこちコレクションの山にぶつかって崩し、埋もれてしまったり、それを弾き飛ばしてはまた転げまわったりと忙しい。
ゴンッ!!
「ぐあぁっ!?」
勢い良く転げまわって最終的には食卓の足に後頭部を強打した。小さなキノコの生えたその頭を抱えて丸まる。
そのまま魔理沙は動かなくなったが、少し経つと全身を震わせ始めた。
「くそぉ、くそぉ……どこに居ても鼻の穴の中がドクダミ臭に満ちてるぜ……気が狂いそうだぁぁ……っ!!」
流石はドクダミイナバ。嗅覚を失わせるのではなく、ドクダミの臭いをしみつけることで嗅覚を破壊したらしい。
脳に直接働きかけたあの光線は魔理沙の神経を狂わせ……常にドクダミの臭いを感じるという幻覚を与えていた。
事故や病気で手足を切断した人間が、無くなった腕の痛みを感じるようなものだろうか……多分違う。
しかし、あるはずのないドクダミの臭いが確かに感じられる。
「臭い……臭い……臭い臭い臭い臭いぃぃぃぃ……」
目に見えぬドクダミが、鼻腔を通じて魔理沙の脳に直接語りかけてくる。
「うぅぅぅっ!! 許さない、許さないぜ鈴仙、永琳……!!」
魔理沙は鈴仙の狂気の瞳によって怒りのたがが外されていた。
それまで遠慮がちに使っていたキノコの力……何が起こるかわからないから封印していたが……。
黄金色だった魔理沙の目は今や真っ赤に染まり、怒りによって烈火の様に燃え盛っている。
その手は頭頂部のキノコへ。そして慣れた手つきでキノコのかさを撫で回していた。
一撫でするたびに魔理沙の魔力は膨らんでいく、そしてその目は更に赤く染まっていくように感じられる。
復讐は復讐を呼んでしまうのだ。
丁度同時期に、紫も藍の尻尾の毛が刈られていたことに気付き、慟哭をあげていた。
それにしても……誰も彼もやることがせこい。これはどうにかならないものなのか。
尻尾の毛を刈るだとか、片やドクダミの臭いを錯覚させるだとか。どうにも規模が小さい。
復讐の連鎖と大袈裟に言うよりは『嫌がらせとその仕返し』といった様相である。
Dの連鎖はまだ続く。
それは嫌がらせの連鎖。
それはそれはせこい嫌がらせの連鎖。
――続く――
『ドクダミハザード2-鋼鉄のホウキフレンド-』
数日前のこと。
霧雨邸の裏……庭と呼べるほど手入れされたものではないが、森の中であるに関わらず草も木も生えていないスペースがある。
魔理沙はそこに立ち、涙していた。四つの墓標を眺めて……その墓標には『スパーク○号』と書いてあった。
最近魔理沙と戦う者があれば即座にその箒を狙ってくる、そうして折られた箒は四本にも及んでいた。
「箒に罪は無いじゃないか……なんで皆箒ばっかり狙うんだよ……」
自分でもわかってはいる、箒に乗っている魔理沙はそれだけ厄介なのだろう。
その高速移動は一撃離脱を可能とし、火力に特化した魔理沙のスペルカードの効果を何倍にも引き上げる。
最初は紫のみが嫌がらせとして勝利後に箒をへし折り、ついでに他のいたずらをしていく程度だったのだが……。
いつからかその噂が広がり、今では魔理沙と戦う者は皆真っ先に箒を狙う。
紅魔館の魔法図書館に本を拝借しに行くときに、いつも邪魔しにくるチルノでさえもだ。
「紫のせいだ……!」
紫はただでさえ悪夢のような強さを誇るくせに、勝利後の嫌がらせもまさに悪夢である。
「敗者は勝者の言うことを黙って聞くものなの」
などと自分勝手な理屈を押し通し、帽子を奪っては頭に餃子を皮を乗せるだとか、へし折った箒の代わりに耳かきをよこしたり……。
やりたい放題やった後は実に満足そうな顔でスキマをくぐって帰るのだ、あの憎たらしい顔が魔理沙の脳裏に蘇る。
「お前達の死は無駄にはしないぜ……」
魔理沙は涙をぬぐってから、踵を返して家の中へと歩き出した。
玄関で靴を脱ぎ、とある部屋へと向かう。そこは魔理沙が本当に大切なものを保管している部屋。
大切じゃないものも結構混ざってしまっているが、魔理沙の目的の品の場所はしっかりと記憶している。
泣いて少し腫れぼったくなったその目は真剣そのものであった。一つの迷いも無く保管庫の中を掻き分けて進んでいく。
積み上げられたいくつものコレクションが崩れ落ちるが、そんなことお構い無しに魔理沙は一つの箱を手に取った。
縦五十センチ、横三十センチ、深さ三十センチほどの木箱……魔理沙はそれを大切そうに抱えると、コレクションを踏まないようにゆっくり歩く。
「やれやれ……片付けしなきゃいけないのかなぁ……」
大体どこに何があるか覚えているので良いとは思うのだが、大切なものが無残に散らかっているのを改めて目にすると、
やはりあまり気持ちの良いものではなかった。
「ま、今度で良いか」
いつもこうして散らかっていく。だが今はそんなこと関係無いと納得し、保管庫を後にした。
そして埃臭い木箱を抱きかかえたまま、魔理沙は居間へと。
「さて……ついにこいつを出す日が来たか」
食卓の上に木箱を置くと、魔理沙は紐を解いてその蓋をゆっくりと開けた。
その中にはいくつかの筒が入っている、それらは全て長さ十センチほどで直径は三センチほど。
そしてその中に一つ、筒とは大分形の違ったものが混ざっていた。それは箒の先っぽであった。
そう、木箱の中に入っていたのはバラバラに解体された箒である。
魔理沙はそれらを一つ一つ取り上げては丹念に点検し始めた。
片目を閉じて眺めてみたり、光に当ててみたり、手でさすってその感触を確かめてみたりと、その作業には余念が無い。
一通りの点検を終えると魔理沙はそれらを丁寧に箱の中へと戻し、大きく頷いた。
しかし満足そうな表情ではない、その顔にはどこか不安が入り混じっていた。魔理沙は腕を組み、眉間にしわを寄せている。
「最強の箒『マスター号』……今の私にこいつが扱いきれるのか?」
魔理沙の不安はそこにあった。
この『マスター号』はスパークシリーズ以前に開発したもので、移動のみならず攻撃性能や防御性能全てを最大限に引き上げた箒である。
扱いきれればスペルカードはおろか、小手先の魔法すら使わずに相手を打ちのめすほどのポテンシャルを秘めている。
だがそんな都合の良い物を簡単に使えるほど世の中は甘くない。その多様な機能による燃費の悪さが欠点だった。
完成した後、試しに使ってみたら魔理沙の全魔力を十数分足らずで全て吸い尽くしてしまった問題の箒なのだ。
他のスペルカードや魔法を使うことなしにそれである、実際の戦闘では何分乗っていられたものか想像もつかない。
箒だけで相手に勝てるとは言っても、もちろん強力な相手に対してはそう簡単にはいかない。
嫌でも箒以外の攻撃や防御が必要になってくるであろう、それは目の仇にしている紫などが相手の場合は確実だ。
結局はそれらの問題点を考慮して、魔理沙は燃費のみに焦点を絞ったスパークシリーズの開発を手がけた。
移動速度も妥協できるところまで妥協したが、それでも十分な速度は得られたのでスパークシリーズを正式採用した。
しかしそんな矢先に箒が狙われるようになった、魔理沙自身の修行もさることながら、箒についても考える必要がある。
「マスター号……」
魔理沙がバラバラになったマスター号の柄の一つを手に持ち、魔力を込める。
すると他のパーツが浮かび上がり、組み合わさって箒の形を成した。
マスター号は特殊な素材を使用しており、頑丈な上に様々な属性に対応可能である。特に電気との相性が良い。
魔法に付け加えて電磁気を応用することで、分離合体可能なヴァリアブル箒なのだ。
ちなみに電磁気学についての本はパチュリーの図書館から失敬した。
「けど……魔力の馴染みが問題か……くっ、きつい……!」
箒の形を維持させるだけで一苦労であった、魔理沙の苦しそうな表情に汗が滲む。
スパークシリーズの何倍もの速度で飛び、さらに電磁障壁を生じさせたりと……。
とにかく思いつく限りの機能を加えたために、その燃費の悪さは想像を絶するものであった。
素材自身も魔力への抵抗が高めで、馴染みにくい。
「くそっ! やっぱりダメだ!」
魔理沙がマスター号から手を離すとマスター号はバラバラになり、カラカラと音を立てて床を転がった。
手が震える、息が上がる、汗がとめどなく流れてくる。ほんの短い間だったに関わらず魔理沙は酷く消耗していた。
しかしこれはまず分離するのでへし折られる心配がほぼ無い、素材自体も丈夫なので合体した状態で盾にすることさえ可能だ。
さらには電磁障壁を発生させることで様々な攻撃を遮断することができる、防御能力は申し分無い。
それだけではない。魔理沙の攻撃の大半がレーザーなので、電磁気との相互作用で攻撃面も大幅に強化される。
「なんとかならないのか……!?」
要するに、マスター号を使いこなせれば敵は無いのだ。
魔理沙は本棚からいくつかの分厚い本を取り出し、よたよたと危なっかしく抱えながらそれらを机に乗せた。
そしてノートを引っ張り出し、ペンを片手に研究を始めた。ノートの表紙には「マスター号」と書いてある。
なんとかしてマスター号の能力を落とさずに使えるようにする、一度は投げた難題だがやるしかない。
首と肩を回し大きく深呼吸をしてから、魔理沙は分厚い本の一冊を開いた。
「えーと、電磁誘導が……」
久しぶりにてこずりそうな壁を前に魔理沙は途方に暮れると同時に、言いようの無い情熱を感じた。
逆境を跳ね除けたとき、きっと自分はより高みに登れると信じて。
しかし事はそう簡単ではなかった。
「ぐぁー」
魔理沙は大の字でベッドに寝転がり、唸っていた。
マスター号を利用したいくつものスペル、さらに電磁気学を応用して強化したいくつものスペル。
それらは理論上完成している、発動できればなんとかコントロールも可能な威力だ。
だがやはりそれを発動させる為に必要不可欠なエネルギー面の問題が解決できない。
強力な技や魔法を扱うにはそれ相応のエネルギー、つまりは魔力を必要とする。だがマスター号の燃費は落とせない。
「くそー、なんとかならないかなぁ……」
長時間机に向かっていたため酷く目が疲れていた。魔理沙は辛そうに目をしばたたき、ベッドの上で手足をバタつかせる。
そのまま目を閉じて考える、疲れてはいるが眠気は無い。
魔理沙は思う……正直なところ、これからどう努力しようともマスター号が実用化に至る事は無いだろう。
マスタースパークやファイナルスパークをあれほど乱射できるようになるまでにだって、相当な修練を積んだのだ。
それを遥かに上回る消耗度のマスター号、扱いきるのは不可能に近い。
「考えられるとすれば……魔力増強に薬か何か使うことだな……」
しかしこれも口で言うほど簡単なことではない。
以前、失った魔力をいくらか補充するドリンクを開発したが、それすらもマスター号の前には焼け石に水だった。
今では疲れて帰ってきたときにたまに飲むぐらいで、戦闘するときにわざわざ持ち歩いたりはしていない。
当然それは使い物にならない。この方法で行くにしても、また別の研究が必要となる。
「なんか使えるキノコ無いかなぁ……」
魔理沙は気だるそうに身を起こし、覇気の無い面持ちで後頭部を撫で下ろす。
魔理沙の住む魔法の森には、様々な効能を持つ不思議なキノコがたくさん生えていた。
同じく魔法の森に住むアリスはそれらのキノコに見向きもしないのだが、魔理沙はこれほど勿体無いことは無いと思う。
確かに稀に危険なキノコもある、それによって生命の危機に晒されたこともあった。
しかしそれでも、リスクを背負って利用するだけの価値がキノコにはあると思う。
「魔力増強に使えるようなキノコがあればなぁ」
魔理沙は緩慢な動作でベッドから降り、帽子をかぶりつつとぼとぼと居間へ歩いていった。
そういえばキノコ狩りもしばらくしていなかった、時期的にもたくさん生えていそうだ。
ダメそうなら食用のキノコでも拾ってこようなどと考えながら、机の引き出しから一冊のノートを引っ張り出す。
それは魔理沙自筆のキノコ図鑑であった、魔法の森のキノコは図鑑に載ってないものが多いため、自ら書き記しているのだ。
魔理沙によるキノコの適当なスケッチと、適当な解説が書かれている。
スケッチは他の者が見てもそれが何だかわからないぐらい不細工だった。だが魔理沙本人はちゃんとわかるらしい。
「魔法の森は私の庭だぜ~」
玄関に置いてある大きな籠を背負い、手袋をして魔理沙は家を出た。
普通の人間なら入るのも嫌がる魔法の森だが、魔理沙にとっては庭のようなものらしい。
「おっと、箒を忘れるところだった」
玄関に戻ってマスター号ではない普通の箒を手に取ると、乗るわけでもなく紐で背中にくくりつけた。
帰りは飛んで帰るので道に迷わないのだ、つまり無いと道に迷う可能性があると考えられる。
なのに庭と呼ぶのはおかしな感じがする。が、魔理沙はもちろんそんなことは気にしていない。
久々のキノコ狩りに胸を躍らせつつ、軽快に森の中へと踏み込んで行く。良い気分転換になったようだ。
スケッチと見比べつつ、とりあえず目に付いた食用キノコを背中の籠へと放り込む。
「おお、こいつは味噌汁に入れるとうまいんだ、もうけもうけ」
魔理沙はすこぶるご機嫌な様子だった。目的も若干ズレてきた。
形を崩さずに次々キノコをむしりとる、その手つきは慣れたものだ、瞬く間に籠の中が賑やかになっていく。
「こいつは蒸し焼きにすると風味が増すんだよなぁ、今度霊夢のとこで一緒に食べよう」
食用ばかり拾っていた。
しかし、マスター号のことが徐々に頭の隅に追いやられていく中、魔理沙は不気味な気配を感じた。
(なんだ……? いくつもの視線を感じるぜ)
魔理沙が視線を感じる方へと目を向けると、そこには薄気味の悪い人面キノコが群生していた。
薄暗い森の中で、太い樹の根元に……さながら肩を寄せ合って生きているかのように。
「おおおっ!? ヒトクイダケの群生地だったのかここは!!」
魔理沙は酷く狼狽して尻餅をつく。その衝撃で籠の中のキノコがいくつか飛び出し、地面を転がった。
ヒトクイダケ……魔理沙曰く『汚いオッサンみたいな顔したキノコ』まさにそんなキノコだ。
ひっこ抜くと奇声をあげて胞子をバラまき、側にいる人間に寄生する。
寄生された人間の頭からはいくらかの潜伏期間を経た後、普通の外見をしたキノコが生えてくる。
宿主の養分を吸って育ち、撫でると気持ち良いのだが、刺激を受けて巨大化が早まってしまう。
ついにはその重さで宿主の首を折って殺し、養分を吸い尽くして最後にまた胞子をバラまく。
そしてその胞子がまた汚いオッサン顔のキノコになるのだ、恐ろしいキノコである。
魔理沙は一度興味本位でこのキノコを抜いて死の危機に瀕したことがあった。
なんとか永琳に除去してもらい一命は取り留めた。さらに永琳の薬で耐性もついたのでもう頭に生えることも無い。
「ふぅ……あまりの数に思わず腰を抜かしてしまったが、今の私にもうキノコは生えないぜ!」
魔理沙は忌々しげに群生したそのキノコを蹴り飛ばす。その顔が醜くにひしゃげ、コロコロと森の薄暗闇の中へ消えていった。
「この『害キノコ』め! シイタケやマツタケを少しは見習え!」
「うんっ!!」
「うんっ!!」
「うんっ!!」
別にキノコが魔理沙の言いつけに従うというのではなく、抜けたときにあげる奇声が「うんっ!!」なのだ。
連続して蹴り飛ばしているとまるで何かの楽器のようだった。キノコごとに微妙な声質の差がある。
「絶滅してしまえ!」
「うんっ!!」
「うんっ!!」
「気持ち良いか!?」
「うんっ!!」
「うんっ!!」
魔理沙は少し楽しくなってきた、今はいくらこのキノコを抜いたところで胞子は通用しないのだから。
鬱憤晴らしか復讐か、キノコを蹴り飛ばす足に力が入る。
「私は気持ち悪いぞ!」
「うんっ!!」
「うんっ!!」
「ですっ!!」
「ひぃぃぃっ!?」
キノコの群れの中に一つ、希少種でも混ざっていたのだろうか……「ですっ!!」と叫んだキノコがあった。
魔理沙は再び腰を抜かして籠の中のキノコを地面にバラまき、青ざめた。
「し、しまったぁぁぁ!! 調子に乗りすぎたか!?」
もしかしたら「ですっ!!」は突然変異のヒトクイダケで、今の魔理沙の耐性ではどうしようも無いかもしれない。
となると、また頭にキノコが生えてしまうのだろうか……永琳に頼めばなんとかなるだろうが、良い気分はしない。
魔理沙は悪あがきするように帽子を深くかぶって箒にまたがると、即座にその場を後にした。
籠からこぼしてしまったキノコを拾い集めることすら忘れて……かぶった胞子を落とそうとでもしているのか、最大速度で飛び立つ。
分厚い木々の天井を突きぬけ、いくつもの木の葉をまき散らして飛んでいく。
――そして全ての歯車が狂い始める。
翌日魔理沙は洗面所の鏡を見て悲鳴をあげた。
「うわぁぁぁ!! やっぱりかー!!」
パジャマのまま、寝起きで乱れた髪の毛の中にひっそりと親指大のキノコが生えている。
魔理沙は鏡の前で、現実を認められずに呆然と立ち尽くしていた。
しかしキノコも以前のものとは違う。撫でても気持ち良くないし、なんだかほのかに青白く発光している。
「なんだ……?」
落胆したのも束の間……なんだかとても体調が良い事に気が付いた。全身に魔力が満ち溢れている。
キノコを撫でれば撫でるほど、無尽蔵に魔力が湧き出してくることに気が付いた。
これだけの魔力があればマスター号を乗りこなすことも可能だろう、数々の新スペルや強化スペルも使えるはずだ。
しかしなんとなく嫌な予感がしないでもない。
努力家の魔理沙にしてみれば、労せずして都合良く力を手に入れてしまった事態に対して、幾分かの如何わしさを感じずにはいられなかった。
このままこの力を使って良いものなのか、どうも素直には受け入れがたい。
ただでさえ、前のヒトクイダケは殺す気満々なキノコだったわけだし、似たようなキノコであるこれがそうでないとは思えなかった。
それに霊夢との対決はきっちりと自分自身の実力で勝利をもぎ取りたいと思う、こんな借り物の力で勝ったところで仕方が無い。
だが魔理沙は……『天敵』八雲紫に対してはそうは思わなかった。
「この力があれば……」
紫を見る魔理沙の目は、決して霊夢を見るときのような……ライバルに向けるそれではない。
憎たらしいいじめっ子。箒の仇敵。存在そのものが反則のような強さ……汎用性の高い特殊能力。
怖いもの知らずな紫のにやけ顔を想像したとき、魔理沙の嗜虐心が首をもたげた。
このキノコが生えている限り、魔理沙はきっとマスター号を使いこなす、紫に対抗し得る力を持つ。
(紫を一回いじめるぐらいなら……)
魔理沙はまたキノコを撫でた、力と勇気が湧いてくる……怒りや恨みと同時に。
「一度ぐらい良いじゃないか」と、邪な考えが心を支配する。得てしてそういうことを考えた後はろくな結果にならないものだ。
しかし紫を負かして泣かせて、嫌がらせしてやりたい……。
魔理沙はその欲望に身を任せてみることにした。
そして数日後。太陽が傾き、地平線へとその身を沈める頃。
状況は、鈴仙の強化が済むか済まないかという頃の話に戻る。
今日の八雲邸の夕食は早い。いつもより早めに起きた紫は藍と食事を共にした後、ちゃぶ台で雑談に耽っていた。
橙はどこかに出かけていて帰ってこない。冬になったらあまり外出もできないだろうから遊び貯めしているのだろうか。
「藍が風邪をひいてしまいました、どんなセキをするでしょーか?」
「……コンコン」
「はい正解、藍は頭が良いわね」
先ほどから紫はくだらないなぞなぞを藍に投げかけていた。藍は呆れたような様子でそれに答えている。
藍の九本の尻尾が頼りなく右往左往していた。
「風邪をひいてしまった藍はくしゃみもします、どんなくしゃみでしょーか?」
「ん、ん~……?」
「実際のくしゃみっぽく答えるのよ」
「あ、あぁ、そうか……ふぇ、ふぇ……フォックス!!」
「ブブーッ!! ハズレなの!!」
「え? そんなバカな!?」
確実に当たりだと思った答えが空振りして、藍は興奮気味に身を乗り出した。
紫はそんな藍の様子を見て、口元を手で押さえて面白そうにクスクスと笑っている。
「ならば何が正解だとおっしゃるのですか!」
「ふふ……秘密よ」
「なっ!? 気になりますよ!!」
興奮してちゃぶ台をバンバンと叩く藍。何か嫌なことがあったのかしら、と紫は思った。
しかしながらここまで必死になるとは予想外だったので、思わず面食らって後ずさってしまう。
「……実は考えてなかったから、フォックスで良いわよもう……」
「投げやりですよ……ちゃんとしてください……」
ろくな考えもなしにハズレということにしただけらしい。そんな適当なちょっかいを藍にかけるぐらい暇だった。
紫は面白くなさそうにごろんと仰向けになり、溜息混じりに呟く。
「あー、霊夢でも遊びに来ないかしらねえ」
「霊夢はそうそう神社から出ないでしょう、いつものようにスキマからいろいろ見ていてはいかがですか」
「やあねえ、まるで私を覗き魔みたいに」
「そんなこと言っておりませんよ」
「……む?」
「どうしました?」
紫が横向きに寝そべった姿勢で硬直した。何かを感じたらしい。
人差し指を口に当て、藍に静かにするように示したまま、身動き一つせずに何かを探っている。
「魔理沙が……」
「魔理沙がどうかなさいましたか?」
「超高速……普段の三倍ぐらいの速度でここに迫っているわ、この様子だとあと一分ほどで到着するの」
「何でしょうね? まぁ暇つぶしにはなるんじゃないですか?」
「様子がおかしいわ、何かしらこの強大な魔力……嫌な予感がするの、藍、身構えておきなさい」
紫は立ち上がって妖力を高め始めた。藍にはかすかにしか魔理沙の気配は感じられず、何をそこまで警戒するのかわからなかった。
しかし紫がここまで緊張しているのは珍しい、ただならないものを肌で感じた。
そうしている間にも魔理沙の気配はどんどん濃厚になり、紫の妖力も同様に上昇し続ける。
「挨拶代わりに結界を引いてみたけど強行突破してきたわ、来る」
「何の用か知りませんが、土足で人の家に上がるような行為は捨て置けませんね、迎撃しましょう」
「もちろんよ」
二人は緊張した面持ちで外へと駆け出す、家の中で暴れられたらたまったものではない。
全身を平手で打たれるような激しい魔力、攻撃的な気配。ただごとではない……これは確実に襲撃である。
家から飛び出して空を見ると、二本に分離したマスター号にそれぞれの足を乗せ、腕組みをした魔理沙が迫っていた。
豆粒ほどの大きさにしか見えなかった魔理沙は見る見るうちに接近し、その姿を徐々に拡大していく。
「何!? あんな姿勢で箒に乗れるものなのか!?」
「藍、手が必要なときは呼ぶわ、まずは後ろから様子を見ていなさい」
「はっ!」
魔理沙が接近してくる、その顔には不敵な笑み。
魔理沙は組んでいた腕を解き、身を屈めて叫んだ。
「スパーク1号の恨みぃーっ!!」
「唐突に来たから何かと思えばそんなことなの? 貴女の復讐の動機はそんなにも安く済んでしまうのね」
「箒乗りじゃないお前にはわからんさ!! 行くぞ紫! お前の大切なものも奪ってやる!!」
目標を確認して箒の速度を落とした魔理沙は、二本の箒に強い魔力を注ぎ込み始めた。
箒を含めた魔理沙の周囲が青白く発光している、紫電を散らす。
「私の四重結界を貫けるかしら? 受けて立つわ!」
「食らえ紫! 『ブレイジングスーパーノヴァ』だ!!」
二本の箒に電磁加速された魔理沙が、紫に捨て身の体当たりを敢行した。
膨大な魔力と強力な電磁障壁を身に纏った魔理沙が、一筋の流れ星となって紫に向かっていく。
それは既存の必殺技「ブレイジングスター」を強化したもの。いわゆる電磁加速砲『レールガン』である。
もちろん幻想郷にそのようなものは存在しない、にも関わらず独学でその理論を導き出し、
戦闘に応用できるまでに発展させたのは、魔理沙の驚くべき発想力に他ならない。
まさに誰にも真似できない唯一無二の必殺技。弾が魔理沙自身だというのも驚嘆に値する。
「おおぉぉぉぉぉぉっ!! 貫けぇぇぇ!!」
「な、何なの!? 体当たりだなんて!!」
流石に一瞬で四重結界を貫くには至らなかったが、魔理沙は結界を破壊して確実に突き進んでいく。
紫も先ほどから全力で結界を張っているのだが、魔理沙の突進力はそれを大きく上回った。
一見捨て身に見えるこの攻撃だが、魔理沙はそこまで抜けてはいない。
絶対の防御能力を誇る電磁障壁を身に纏っているからこそこの技は効果を発揮する。
霊夢や紫だって本来防御に利用するべき結界を攻撃に使うことはよくある、それと同じことだ。
あわや四重結界が貫かれる、というところで魔理沙は体勢を変えて、両手に魔力を収束させ始めた。
「この距離でダブルスパークでも撃つつもりなのかしら?」
「スーパーノヴァは小手調べだ。この技は確実にお前の結界を貫く、覚悟するんだな!!」
魔理沙が姿勢を変えたことによりスーパーノヴァの威力は半減し、紫は急いで結界を張り直した。
今までの魔理沙のファイナルスパーク辺りまでなら、四重結界で完全に遮断する自信があった。
だが今回は少々状況が異なる、スーパーノヴァなどという突飛な技もそうだが、魔理沙から発せられる魔力は尋常ではない。
「藍! 援護なさい!!」
「はっ! 承知しました!」
「無駄無駄! そんな狐一匹増えたところで、こいつは止められないぜ!」
突進による結界の貫通は中止し、走って距離を取った魔理沙の両手には十分な魔力が練られている。
箒は先ほど魔理沙を射出してからどこかへ言ってしまったのだが、魔理沙はそれをどうするつもりなのか。
「黙って撃たせると思うな魔理沙! これでも食らえ!」
藍は大量のクナイを召喚してそれを一斉に魔理沙に向かわせた。
向こうが見えなくなるほどの大量のクナイは、さながら動く壁のように魔理沙を包み込む。
しかしそのどれ一つとして魔理沙を傷つけることはできなかった、魔理沙を包む強力な磁界によって全て打ち返される。
「無駄だぜ、金属なんて通すはずがないんだ! さて準備は良いか? 回避は無理だろうぜ、結界をしっかり張れよ!!」
「貴女に命令される筋合いは無いわ、言われなくてもこの四重結界……貴女の魔砲に打ち抜かれるほど脆くはない」
「なら勝負だ紫!」
右手の上に左手を重ね、その照準を紫に合わせる。
「マスタースパークを引き絞って、スピードと貫通力を強化することに成功した! とくと見ろ!」
「藍、攻撃準備を。この攻撃は私がなんとしても防ぐわ」
「はっ、紫様!」
「貫け! スパイラルマスタースパァァァーク!」
展開しようとする右手からのマスタースパークに、左手のノンディレクショナルレーザーが螺旋を描いて絡みつく。
ノンディレクショナルレーザーによって歪に引き絞られたSマスタースパークは、凄まじい加速で空を切り裂いた。
そして四重結界に直撃するや否や、いとも簡単にそれらを穿って紫に炸裂する。
遅れ気味に四重結界が音を立てて割れ、地面にこぼれ落ち、数回弾んでから儚く霧散した。
「そんな!? キャアァァァァッ!!」
「紫様……うわぁぁぁぁっ!!」
決着はたったの一撃。
魔理沙はあまりに強大な自分の力に打ち震えた。まさかあの紫がこうもあっさり……。
不意打ち気味だったが、決してアンフェアな戦いではなかったはずだ。向こうは二人がかりだったことだし。
「こ、こんなもので終わると思わないで……」
「ん? 無事だったのか……流石だぜ」
Sマスタースパークに吹き飛ばされたように見えた紫だったが、藍共々スキマの中に逃げ込んで、すんでのところで直撃は避けたらしい。
しかしそれでもダメージは深刻なようだ、足を引きずっている藍に肩を貸す紫の表情も苦痛に歪んでいる。
肩で息をしながら、紫が藍に妖力を注ぎ込む。
「まだやれるわね、藍……」
「もちろんです。敬愛する主の前で恥をかかせたことを後悔させてやります」
見る見る藍の傷が修復されていく、しかし魔理沙はそれを見てもまったくひるまない。
むしろ、この程度で終わらなくて少しほっとしたのが本心だった。まだまだいじめ足りない。
「ふん、もうスペルを使うまでもないな……来いッ!! マスター号!!」
魔理沙が手をかざすと、どこからともなく一直線にマスター号が飛んでくる。
先ほどは二本に分離していたが、全て結合して一本の長い箒の状態になっていた。
さながら忠実な僕であるかのように、マスター号はすいっと魔理沙の手のひらに納まった。
「なに? 遠隔操作可能な箒?」
「そのようです……まぁへし折ってやればいつも通り腑抜けになるでしょう」
「そうね、私は少し傷を癒すわ、藍」
「時間稼ぎとは言わず、箒をへし折って泣かせて見せます」
「帽子は私が引っ剥がすから取っといてね」
「はっ!」
肉弾戦に支障が無い程度にまで傷が癒えた藍は、両腕を持ち上げて垂直に振り下ろした。
すると指先から鋭い爪が伸びる、血のように真っ赤なそれは金属さえもバターのように切り刻むだろう。
「肉弾戦で良いんだな? へし折るへし折るって好き勝手言ってるが、いつもそう上手くいくと思うなよ!」
魔理沙は棍のようにマスター号を頭上で振り回し、右腋に挟んで構えを取った。
身を包む魔力は身体能力にまで影響を及ぼしているらしく、その動きは実に力強く映る。
「妖狐の力を甘く見るな、行くわよ魔理沙!」
「かかってこい! 今日の私は今までのようにはやられんぜ!」
全身に妖力を充実させた藍は、蹴った地面に窪みを作りながら猛スピードで魔理沙に迫った。
魔理沙はたじろぎもせずにマスター号を構え、藍の動向を探っている。
藍と魔理沙の距離が十メートルほどまで縮んだとき、藍は大地にひときわ大きな窪を作って、回転しながら魔理沙に飛び掛った。
人間をはるかに超越した身体能力を持つ藍の踵が、遠心力で更に威力を増して魔理沙に振り下ろされる。
直前に九本の尾が魔理沙の視界を遮る、見事な攻撃だった。その大振りな動きも機敏さによってカバーされている。
「さあ自慢の箒で防いでみろ! 折れてしまうだろうけど!」
「ヌルいぜ八雲藍!」
藍のリクエスト通り魔理沙はマスター号で垂直にその回転蹴りを受けたが、マスター号はびくともしない。
逆に、そこを走る高圧電流による反撃が藍を待ち受けていた。
「うぁぁぁっ!?」
「チェストーッ!!」
感電して吹き飛んだ藍に、箒を振り上げた魔理沙が襲い掛かる。
身を震わせながらも藍は地面に片手をついて体勢を立て直し、自分に向かって振り下ろされた箒に爪による斬撃を放った。
空間に赤い切れ目を描きながら、その鋭い爪が箒に振り上げられる。
「叩いて折れないなら、真っ二つに切り裂いてやる!!」
「分離だマスター号!!」
「なにっ!?」
藍の爪は虚しく空を斬り、周辺にはバラバラに分離したマスター号がふわふわと浮かんでいた。
魔理沙がその素晴らしい性能に歓喜の雄叫びをあげる。
「このマスター号すごいぜぇ! 流石スパークシリーズのお兄さん!!」
「く、くそっ!! なんだこの箒はぁぁ!!」
「式神じゃ話になりゃしない! 藍! お前さんは退場願うぜ!!」
先端が分離したことによって短くなってしまったマスター号だったが、魔理沙はそれを気にもかけずに藍の腹部に付き立てた。
魔理沙が動作を起こすたびに、その身体の随所から紫電が弾ける。魔理沙自身が高圧電流を帯びてほの白く光っていた。
またも感電した藍は尻尾の毛を逆立て、その強張った身体を激しく痙攣させる。
「くあぁぁぁぁぁっ!!」
「おう! こんがりキツネ色だな、藍!」
「あ……ぁ……」
魔理沙が放電しているマスター号の先端を離すと、藍は受け身すら取らずに顔面から倒れこんだ。
頭と地面が衝突する鈍い音を尻目に、魔理沙は再びマスター号を合体させて、遠くに居る紫を睨み付ける。
「藍をこうも簡単に……一体どうしたというの? 魔理沙」
紫の傷はほとんどそのままの形で痕を残していた。式神を修復するのと己を修復するのは勝手が違うものらしい。
藍がここまで早く負けてしまうことは予想外で、本来ならもっと力の戻った状態で戦えるはずだった。
二、三度競り合っただけであの藍を行動不能にしてしまうとは……紫は狼狽を隠すことができない。
「お前さんに仕返しするためにちょっと工夫しただけだ、さぁ真打ちのご登場に期待するぜ」
「損なものね、真打ちも」
「寝てばっかりでなまってるお前の体、電気ショックで活性化してやるよ」
「それは気持ち良いの?」
「おう、死ぬほど気持ち良いぜ」
「死ぬのは嫌だわ」
その後の展開は酷く一方的なものだった。
真打ちの登場に合わせて再びスペルカードを解禁した魔理沙。魔理沙にしてみればSマスタースパークは最強のスペルではなかった。
ファイナルスパークやファイナルマスタースパークだってあるのだから、それらを引き絞ればどうなるか……簡単に予想がつく。
しかしながら、Sマスタースパークでさえ紫の結界を貫通するに余りある威力を有している。
紫も多少は食い下がり、結界以外の手段で数度攻撃を回避したりしたものの、反撃に転じる余裕はただの一度も生まれなかった。
まさしく電光石火のように、壮絶なテンポで高出力のスペルカードを連発する魔理沙の前に、紫は敗退した。
傷が癒えきっていなかったのも敗因の一つだろうが、そもそもその傷を負わせたのだって魔理沙である。
今日の魔理沙は紫など比較にならないほど『非常識』だった。
「あっけなかったな、お前本気じゃなかったろ?」
紫は答えない、答えることができない。
幾度と無く放射された魔砲によって周辺は荒れきっていた。木々や草花は炭化し、大地は乱暴にえぐられている。
お互い離れた位置に横たわる二人の妖怪は、意識も無くただ呼吸を繰り返すばかりである。
魔理沙は倒れている紫を転がして、これから行う嫌がらせに都合の良い姿勢、うつ伏せにした。
「ジャジャーン、これがなんだかわかるか紫? うっ、くさっ」
何やら袋を取り出す魔理沙。どこから出てきたのかは不明だ。魔理沙の上半身ほども大きさがあるそれはパンパンに張り詰めていた。
その袋は魔理沙の言葉通り周囲に悪臭を振りまき、袋の底から茶色く濁った雫をポタポタと垂らしている。
それを紫の側に置くと、魔理沙は紫の腰に張り付いているスキマに手をかけて力を込めた。
「ふぬーっ!! んぎぎぎーっ!!」
魔理沙の腕から紫電が走る、紫以外がスキマを開けるのは相当な困難のようだ。
魔理沙が顔を真っ赤にして力んだにも関わらず数センチ広がっただけで、あとはピクリとも動かなくなってしまった。
「ま、まぁこれだけ開いてれば大丈夫だな、ぜえぜえ……」
紫の側に置いた例の臭い汁袋を再び手に取ると、魔理沙はその口をスキマの中へ滑り込ませる。
そして少し眉をしかめ、おそるおそるその袋の後ろをつまみ、ひっくり返して乱暴に揺さぶった。
一度揺さぶられるたびにその中身をスキマに吐き出し、袋は軽く、張りが無くなってしわくちゃになっていく。
「うーくさっ。でもこれでお前の大好きな覗きも不法侵入もしばらくできないはずだな」
袋をつまんだ指を鼻に近づけて、嫌そうに表情を歪める魔理沙。
スキマに食わせたのは生ゴミである。わざわざ強くなって紫を完膚なきまでに叩きのめした割には、やることがせこい。
「これはスパーク1号の分!!」
空っぽになったゴミ袋を投げ捨てると、魔理沙はハンカチで手を拭きつつ次のターゲット、藍の元へと歩み寄る。
ハンカチを懐へしまい込んだ後は、それと入れ替えて今度は見慣れない器具を手に握り締めている。
ペンチのような形をしていて、その二本の足を魔理沙が握ると、シャキシャキと快い音が鳴った。
「こういうこともあろうかと思って、香霖の家からちょっぱって来たんだ、へへ」
――手動バリカン。
「紫はお前の尻尾を大層気に入っているそうじゃないか……お前自身よりも尻尾の方が重要だったりしてな」
憎々しげに吐き捨てると、魔理沙は藍の尻尾を一本手に取った。そして少しにぎにぎしてみた。
「……むっ?」
一度バリカンを足元に置き、今度は両手でふかふかしてみた。
「な、なるほどこれは……」
素晴らしい手触りだった。これならば紫でなくとも気に入ってしまうのではなかろうか。
毛自体はそれほど細いというわけではなかったが、それにしても柔らかく、一本も絡み合うことなく整然と生え揃っている。
それでいてふんだんに空気を含み、弾力にも富んでいる。ツルツルともスベスベとも言い表せない質感も絶妙だった。
「……」
ごくり。大きな音を立てて唾を飲み込んだ魔理沙は、周囲をきょろきょろと見回した。
何者も居るはずが無い、居たとしてもさっきまでの激しい戦闘で逃げてしまっているはずだ。
紫もしっかりとオネンネしている。それらを確認して一つ頷くと、魔理沙は藍の尻尾を顔に近づけた。
「う、うわぁ、柔らかいな……」
頬擦りすると、柔らかな石鹸の香りが鼻腔をくすぐる。
なるほど、これを大事にしていたのならば……刈り取られたとき相当悔しがるに違いない。
魔理沙はしばらく恍惚の表情を浮かべてその感触を楽しんだ後、幾分名残惜しそうに顔を離した。
何やら神聖視のようなものが無いでもない。これを刈り取るという行為はある種の背徳感を心の内に生じさせる。
「よし、こいつは持ち帰ってクッションを作るぜ、うんうん」
我ながら良い案だ、と腕組みをして大きく頷き、魔理沙は忘れかけていた手動バリカンを再び手にした。
この尻尾の毛を刈り取り、クッションへと加工する。魔理沙はとてつもないことをしているという錯覚に陥る。
こんな尻尾が九本もあるなんて、神はなんてものを創りたもうたのか。しかしそれを禍々しさの塊のような八雲紫が独占しているという事実。
半ば嫉妬のような感情、バリカンを握る手に力が入りそうになる。だがこの毛を生み出す藍の尻尾を傷つけるわけにはいかない。
「ふぅ……綺麗に刈り取れたか」
蒐集癖のある魔理沙は常に風呂敷やら袋やらを携帯しているので、藍の毛をそれに詰め込んだ。
あの大きな尻尾九本分ともなると凄まじいボリュームだった。それを詰め込んだだけの袋をクッションと見紛う程に。
魔理沙は立ったままそれに顔を埋めてぎゅうと抱きしめ、しばらくそのまま立ち尽くしていた。
「ふふふ……見たか紫! これはスパーク2号の分だ!」
魔理沙は毛袋に顔を埋め込んだまま、くぐもった声で高らかに復讐の終焉を宣言した。
傍らには、全ての尻尾の毛を綺麗に刈り取られた藍が、そうとも知らずに倒れている。
実際はもうすでに復讐などどうでもよく、魔理沙は一刻も早くこれをクッションにしたい気持ちで一杯だった。
そうだ香霖の所に行って、今度は上質の布をちょっぱってこよう。絹が良いだろうか。最高の毛には最高の布が必要だ。
この毛を紡いで布にすることもできるかもしれないが、流石にそこまでの量は無い。大切に使わなければ。
「さて、善は急げだ、早速帰るぜ」
強く抱きしめられていた毛袋は、その拘束を解かれると一瞬で膨らんだ。まるで生きているかのような弾力。
中身が飛び出さないように強く口を結び、マスター号にくくりつけ、魔理沙はそれにまたがった。
――以上が八雲邸で起きた事の顛末。
八雲邸へ向かう永琳と鈴仙は、そこに近付くにつれて濃厚になる魔理沙の気配をしきりに警戒していた。
「ウドンゲ……感じているわね?」
「はい、なんでしょうこの気配……結界も全て破壊されてるし……妙ですね」
超高速で飛んでいる魔理沙は、始めのうちは決して永琳と鈴仙に向かって飛んできているわけではなかった。
お互い普段の通りならば気付かずそのまますれ違って、八雲一家のみが受難していただろう。
だが鈴仙にしろ魔理沙にしろその強大な魔力は目立ちすぎた。互いの第六感を刺激してしまった。
魔理沙は途中で軌道を変え、強大な力の主を確かめようとでもしているのか……永琳達に向かって真っ直ぐ向かってくる。
永琳達は幾度か進路を変えたが、その度に魔理沙も進路を変える、何が何でも接触を試みる所存のようだ。
「結界が破壊され、八雲邸の方角から高速で飛んでくる何者か……霧雨魔理沙に近い気もするけど、この威圧感は何かしら」
「何のつもりかわからないけどこっちに来ていますし……まぁ今の私と師匠が二人でかかれば大丈夫だと思います」
もうあまり距離が無い。
魔理沙の飛行速度は尋常ではなかった、鈴仙の飛行能力もDの力で大幅に強化されたものの、それでも振り切ることは不可能だろう。
まるで追尾機能のあるミサイルのように、高速かつ正確に永琳達の方へと向かってくる。
「ウドンゲ、荒事はお前の領分よ、任せるわ」
「わかりました、これじゃ八雲紫はやられているでしょう……相手にとって不足無しです、Dの成果を確認してください」
「そうね……来るわウドンゲ、おしゃべりはここまでよ」
「はい!」
そのあまりにも荒々しい飛行物体は、真っ赤な夕焼け空を揺さぶって鈴仙へと向かってくる。万能な電磁障壁で衝撃波さえも打ち消して。
遠目にはたった一つの点だった魔理沙が、瞬きをした次の瞬間には既に人の形を成していた。
「ん? 永遠亭の連中か、何してんだ?」
あれだけ乱暴に接近してきた割に、魔理沙はあっけらかんとして首を傾げた。特に敵意があるというものではないらしい。
魔理沙が連れてきた暴風が鈴仙達に襲い掛かり、衣服や頭髪を乱れさせた。
「おっと、悪い悪い……なんだよ、何か言えよ……クサッ!?」
鈴仙から発せられる異常な魔力とドクダミ臭。風上にいるうちは気付かなかったが、少し風が落ち着いた瞬間魔理沙は悪臭に包み込まれた。
一瞬のけぞった後、鼻を押さえながら恐怖と驚きの入り混じった複雑な表情で鈴仙を睨む。
「いきなり臭いなんて失礼ね、仕方ないのよこれは」
「強烈過ぎて逆に何の臭いかわからなかったが……これはドクダミの臭いか、お前ら何企んでるんだよ」
「そっちこそ何企んでるのよ、八雲紫は?」
「あー? 質問を質問で返すとはお前さん随分と礼儀正しいな。それが月の作法か?」
「教えることは無い、それが答えよ」
「強気だな月兎。ならこっちだって教えることなんか無いんだぜ」
鈴仙が元より穏便に済ますつもりのなかったことに魔理沙は勘付いていた。
その赤い眼の動向も魔理沙に狂気を植えつけようとしている節がある。魔理沙は何度も鈴仙の視線を受け流した。
キノコの力を使って戦うのは一度だけのつもりだったが、鈴仙は今にも襲い掛かってきそうな様子だ。
とはいえ紫と戦った後も特に異常は無いし、もう一度ぐらいは大丈夫だろう……魔理沙は戦う決意をした。
「……くさい、くさいな、きな臭いしドクダミ臭い、これほど剣呑なことは無いぜ」
「紫電散らして、音の壁を通り越した箒乗りに言われたくないわ」
「ようし。霊夢よ、この異変は私がいただくとするぜ、先手必勝だ」
「あははははは……ウドンゲ!! やっておしまい!!」
「あ、は、はい師匠……」
「うわぁ……」
永琳が突然割り込んで来て偉そうに叫んだ。こんなに小さく見える師匠は初めてだわ、鈴仙は少し悲しくなった。
実際魔理沙と戦ったら結構善戦するかもしれないし、もしかしたら勝つかもしれない、それはわからないはずなのに……。
鈴仙はもし永琳と魔理沙が戦っても、永琳がこてんぱんにされる映像しか幻視できなかった、悲しかった。
「鬱陶しい外野だぜ!! スパイラルマスタースパァァーク!!」
その動作は極めて俊敏だった。魔力の練り込みも一瞬。恋の魔砲は初速も加速も申し分無い。
今なら能力的に劣るとは思わなかった魔理沙だが、永琳は策で敵を弄する頭脳戦においても危険な存在である。
一応現状は背後に隠れているが、全てを鈴仙に任せるとは考えにくい。戦況が悪くなれば一つ二つ小細工を仕掛けてくるだろう。
そして急速に燃え上がった闘争心に冷水を浴びせるような、無粋な真似をしたのも許せなかった。
「あはははは、無駄よ! 威力があっても当たらなければ恐ろしくはないわ、前の太いままの方が良かったのではなくて?」
魔理沙の行動は読まれていた。
永琳は浮遊状態を解除すると同時に、地面に向けて『飛んだ』。重力を合わせる事で通常以上の速度で回避したのだ。
Sマスタースパークは視認してからの回避は困難を極めるが、永琳は自分に攻撃が来ることを予測していた。
それゆえにSマスタースパークの回避に成功したのだ。内心の焦りを表情に出さない辺りも見事としか言いようがない。
「ウドンゲ! 今よ!」
「は、はい!」
「クソッ!! 謀ったな!!」
なんと既に魔理沙は永琳の術中にはまり込んでいた。完全に出鼻を挫かれた形である。
陽動という意味では十分な効果を発揮した作戦だったが、鈴仙までも術中にはまり込んでいたのは失敗だった。
魔理沙が騙されている間も永琳を案じるばかりで、虚を衝こうとする狡猾な判断が即座にできなかったのだ。
案外てゐのようなパートナーの方が永琳には合うのかもしれない。こうした点において、てゐは比類無きまでに瀟洒だ。
しかしこうしておけば魔理沙も永琳を無視できず、常に予想外の攻撃を想定しなければならない。
鈴仙にとって戦いやすい状態になったのには違いなかった。これなら思い切り力を出して、自分の天井を知ることができる。
「目をそらしても無駄! 私の視線は脳細胞に直接届く!! いけぇっ!!」
「鈴仙! お前が間抜けで助かったぜ! 無駄なのはそっちの攻撃だと思い知らせてやる!」
鈴仙が前のめりになって顔を突き出す。その目から発射された狂気は、視認できるほど強力な赤い光線となって魔理沙に迫る。
対する魔理沙は先んじてマスター号の半分程を分離させた。そしてそれらを円形に配置、前面に一際強力な電磁障壁を張って迎え撃つ。
狂気の光線と電磁障壁がぶつかり合い、激しく火花を散らした。光線が弾け飛んでいるのか、電磁障壁が削られているのかはわからない。
「な、何よあの箒!?」
「うわっ!? 目から光線かよ!! いよいよもって妖怪らしくなったなお前!!」
「手からも目からも大差ないわよ!! 失礼ね!!」
「手から出た方が文化的でかっこいいって、昔からそう決まってるんだ……おぉぉぉっ!?」
魔理沙が両目を押さえてのけぞる、電磁障壁は狂気の光線を大幅に弱めたものの完全に防ぐことはできなかった。
光線はそのまま直進して魔理沙の頭部を通過し、あたかもそれを破砕するかの様な激痛を与えた。
魔理沙の頭の中は雑音で満たされ、痛みが引いていくと共にその意識は破壊衝動に支配されていく。
「うぁぁぁ……っ!!」
「ウドンゲ、間髪入れずにもう一撃よ!!」
「く、くそっ!! こんなところでやられてたまるかっ!!」
自分が自分で無くなるかのような気味の悪い感覚に抗いながら、魔理沙はマスター号を合体させた。
マスター号は全て結合した状態でなければ最高速度が出ない、つまりは逃げようとしているということだ。
まるで空間に入ったヒビのように強烈な紫電を発しながら、魔理沙は一目散にその場を離脱する。
「三十六計逃げるにしかずってやつだぜー!!」
「逃がすかーっ!! 貴女の嗅覚を破壊してあげるわ!!」
逃げる魔理沙に向かって鈴仙が最後に一撃見舞う。
いかなマスター号とて光速には届かない、鈴仙の嗅覚破壊光線は見事に魔理沙の頭部を侵した。
魔理沙は蛇行して逃げていたのだが、鈴仙は耳から発する電波で光線の軌道をある程度コントロールすることができるのだ。
「わぎゃっ!?」
嗅覚破壊光線を受けた魔理沙は箒からずり落ちそうになったが、なんとか磁力でしがみつきフラフラと飛んでいった。
「すいません師匠、逃がしてしまいました」
「いいえ、十分だわウドンゲ……あの普段と違う魔理沙を完全に圧倒していたもの」
「ええ、まぁ……スパイラルマスタースパークでしたっけ? あれも恐らく問題にはならないと思います」
「そうね、お前なら……では八雲紫のところへ行くわよ、とんだ邪魔が入ったわね」
「はい、行きましょう」
「ひっ!?」
「ん? ……あ、す、すいません!!」
うっかり鈴仙と目が合ってしまい、永琳は目を押さえて身体をくねらせた。
平常時は出力を抑えている鈴仙だったが、戦闘直後で気が抜けていたために狂気を垂れ流していたのだ。
鈴仙は心配そうに近付いて、その背中をさする。
「うぅ……」
「す、すいません……」
「もう……気を付けるだっちゃ!!」
「だっちゃ!?」
少し狂ってしまった。
一方の魔理沙は、自宅へと戻ってクッションの製作にかかるつもりだったのに、それどころではなくなっていた。
鈴仙の嗅覚破壊光線である。飛んでる間はその効果がよくわからなかったが、家に着くと嫌というほどその脅威を味わうハメになった。
「うぁぁぁぁっ!! 鼻が!! 鼻がぁぁ!!」
怒り狂って興奮気味に、部屋の中を転げまわって悶える魔理沙。
あちこちコレクションの山にぶつかって崩し、埋もれてしまったり、それを弾き飛ばしてはまた転げまわったりと忙しい。
ゴンッ!!
「ぐあぁっ!?」
勢い良く転げまわって最終的には食卓の足に後頭部を強打した。小さなキノコの生えたその頭を抱えて丸まる。
そのまま魔理沙は動かなくなったが、少し経つと全身を震わせ始めた。
「くそぉ、くそぉ……どこに居ても鼻の穴の中がドクダミ臭に満ちてるぜ……気が狂いそうだぁぁ……っ!!」
流石はドクダミイナバ。嗅覚を失わせるのではなく、ドクダミの臭いをしみつけることで嗅覚を破壊したらしい。
脳に直接働きかけたあの光線は魔理沙の神経を狂わせ……常にドクダミの臭いを感じるという幻覚を与えていた。
事故や病気で手足を切断した人間が、無くなった腕の痛みを感じるようなものだろうか……多分違う。
しかし、あるはずのないドクダミの臭いが確かに感じられる。
「臭い……臭い……臭い臭い臭い臭いぃぃぃぃ……」
目に見えぬドクダミが、鼻腔を通じて魔理沙の脳に直接語りかけてくる。
「うぅぅぅっ!! 許さない、許さないぜ鈴仙、永琳……!!」
魔理沙は鈴仙の狂気の瞳によって怒りのたがが外されていた。
それまで遠慮がちに使っていたキノコの力……何が起こるかわからないから封印していたが……。
黄金色だった魔理沙の目は今や真っ赤に染まり、怒りによって烈火の様に燃え盛っている。
その手は頭頂部のキノコへ。そして慣れた手つきでキノコのかさを撫で回していた。
一撫でするたびに魔理沙の魔力は膨らんでいく、そしてその目は更に赤く染まっていくように感じられる。
復讐は復讐を呼んでしまうのだ。
丁度同時期に、紫も藍の尻尾の毛が刈られていたことに気付き、慟哭をあげていた。
それにしても……誰も彼もやることがせこい。これはどうにかならないものなのか。
尻尾の毛を刈るだとか、片やドクダミの臭いを錯覚させるだとか。どうにも規模が小さい。
復讐の連鎖と大袈裟に言うよりは『嫌がらせとその仕返し』といった様相である。
Dの連鎖はまだ続く。
それは嫌がらせの連鎖。
それはそれはせこい嫌がらせの連鎖。
――続く――
マスター号が折れても安心ですねっ
は、腹が…w
今度はいったい何なんだー
久々に笑わせていただきました。
ありがとうっ!