Coolier - 新生・東方創想話

慧音の昔語り (2/2)

2006/10/30 11:48:02
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 そして、私がここに来て3年目の初冬だった。



 その日は満月で、小さな嘘をついて私が出る日だった。

「それでは、私はそろそろ行こうかな」
「毎年こんな冬にまで行くなんて、ご苦労様ですねぇ」
「いえ、慣れると苦労でもなんでもないですよ」

 隣人に挨拶して、いつものように日が暮れる前に里の外へと出て行く。
 嘘をつくのは、やはり心がちくりと痛む。
 いつか言い出さなくてはいけないと思っても、言い出す機会が見つからない。
 このまま引き伸ばしにしていても、寿命の関係で誰かが必ず気が付くだろう。
 なら、誰かにばれる前に自分から言わなくては。

 私は里からの道を外れ、山道に入った。
 いつもは満月が出るまで山奥で時間を過ごし、満月が沈んだ後に里に戻る。
 冬でも寒くないように、休む場所は決めていた。
 今日もいつもの場所で待つ。

 満月が顔を出すと、私の身体がゆっくりと変貌を始める。
 髪の色は蒼銀から、少しだけ緑がかってくる。
 頭からはハクタクの角が出て、尻からは尾も生えてくる。
 別に、この間は私は苦痛を感じるでもなく目を閉じたまま過ごす。
 そして、いつものように変身が終わり休む場所へと向かおうとしていた時だった。


「う、うわあぁぁぁぁっ!! 妖怪だぁぁぁっ!!」

「っ!!?!!」


 ふと、近くから叫び声が聞こえた。
 見ると、二人の大人と数人の子供たちが山道の下のほうにいた。
 それは、偶然なのか分からないが全て私が住んでいる里の住人だった。
 くそっ、何でこんな場所にっ!?

「に、逃げろ逃げろぉぉおおおおお!!」
「うわぁぁぁんっ!! 助けてぇぇぇぇ!!!」
「違うっ、これは違うんだっ!!」

 声を張り上げて叫ぶが、誰一人として聞く耳は持たない。
 当然だろう。
 妖怪は人間の天敵であり、力を持たない人間には恐怖以外の何者でもないからだ。

 追いかけようとも思った。
 だが、この姿で今何を言っても彼らは聞き入れはしないだろう。

「くそっ!!」

 思い切り拳を木に打ちつける。
 何で気配に気が付かなかったっ!?
 子供の無邪気な念があったから、感じ取れなかったというのか!?
 しかし、過ぎたことを今更言っても過去が変わるわけでもない。

 子供たちだけなら、まだ良かった。
 子供の言うことなら、大人だって半信半疑だし、パニックで見間違ったとしても通る。
 だが、大人が二人も混じっていた。
 非常に拙い状況だった。
 自分の失敗に激しく気落ちした。

 しかし、今更里にも戻ることも出来ず、私は一晩をそこで過ごした。







 満月が沈んだのを確認して、私は里に戻った。
 冬とはいえ、満月が沈む頃となると流石に少し明るい。
 それと反対に、私の気持ちは沈んでいた。

「…おはよう」
「えっ!? え、ええ………お、おはようございます…」

 朝早くから起きていた里人に挨拶をしただけだ。
 しかし、その人は脅えるように私から目を逸らし、そそくさと家に入っていく。

 …痛い。
 心が痛い。
 やはり、昨日のことが広まっているらしい。
 私は突然一人になった。
 一夜にして私は仲間ではなく、一人の里人へと成り下がった。

 外へ出ても、遠巻きに私を見ているだけで、近寄ってこない。
 私がそちらを向くと、目を合わせまいと言わんばかりに余所を向く。
 私から話しかけても、会話が全く続かない。
 すぐに途切れる会話。

 里人たちの私を見る目は、もはや以前のそれとは異なっていた。
 それは恐怖を見る対象として。
 それは裏切り者を見るように。
 それは異形のモノを見るように。
 もはや、私は里全体から疎外されていた。

 ふと、脳裏に村八分という単語が浮かび上がった。

「………くそ…」

 思い出すんじゃなかった。
 こんなことを思うんじゃなかった。
 分かっていたことを、思い浮かべるだけで気分が一層沈んでくる。
 そして、一度思い浮かべると頭にこびりついて忘れない。
 孤立してしまったことを再認識する羽目になった。

 横になっても、最近全く眠れない。
 里人の奇異の目が離れない。
 眠れるように、何度も目を閉じて、全身の力を抜いた。
 何度も寝返りを打った。
 でも、なかなか眠くならなかった。


 そして毎朝、鏡を見るたびに目の下の隈が酷いなと、しみじみ思った。


 既に私に話しかける人も、私から話しかけることもなかった。
 ただ機械的に一日を過ごし、人と話すこともなく一日を終える。
 気が狂いそうになった。
 人は、誰かと話さないとおかしくなると言うのはあながち間違っていなかったらしい。

 そして、そんな日が10日ほど続いた頃だった。



 私がいつものように機械的に一日を過ごし、夜の帳が下りた頃。


―コンコン


 控えめなノックが私の家の中に響く。
 忘れかけていた音が、10日ぶりに私の耳に蘇った。
 私は重い腰を上げて、ゆっくりとドアに向かった。

「………」

 開けようとした瞬間、私は迷った。
 本当にこれを開けていいのだろうか。
 もはや仲間ではない、私がこのノックに応えていいのだろうか。

 数秒迷った挙句、私はドアを開けた。
 ドアの外には、長老が立っていた。

「老………一体私に何の用でしょうか……」
「…慧音様、少しお話をいいですかな?」
「……………えぇ…」

 私は長老を家の中へと通し、温かいお茶を出した。
 長老は私に軽く礼をすると、床に座った。
 私も続き、長老の真正面に座った。

 久しぶりに見る長老の顔つきは、端正だった。
 しばらくこの空気を沈黙が支配する。
 1分ほど、二人とも黙りこくっていた。
 が、長老がその重い口をゆっくりと開いた。


「慧音様………もう流石にお気づきになっていると思いますでしょうが…」
「………えぇ…」

 やっぱりこの話か。
 私がこの里にいられるのも、もう限界だな。

「…それなら話は早い……ご存知の通り慧音様は実は妖怪だと言う噂が里を飛び交っております」
「…………」

 これから何を言われるのだろうか。
 大体の予想はつく。
 もう私はこの里にいられないのか…
 少しだけ感傷的になった。

「ですが、わしには慧音様が妖怪だとしても人を襲うようには見えないのです」
「っ!? 老……それは…」
「どうか、真実をこの老いぼれに話してくださいませぬか…」
「……………老……」

 少しだけ、ほんの少しだけ救われた気がした。
 私はもう、この里では一人ぼっちだと思っていた。
 だから、長老のこの態度が私を少しだけ救ってくれた。

 私は、再度居住まいを正し、真摯に向き合った。

「…分かりました、お話しましょう」
「すみませぬ、傷を抉るようなことを言ってしまって…」
「いえ、構わずに」

 長老は一杯だけお茶を啜り、私と目を合わせた。


「……して、私が妖怪というのは少しだけ違います。
 私はいつもは人間なのですが、満月の夜にだけハクタクに変身する、半獣です。
 ですが、人間にしてみれば同じようなものですかね…」
「ふむ…半獣、ですか…」
「えぇ……ですが、ハクタクとなった時でも私は人間を襲いたいなどとは微塵にも思いません。
 私は………私は心から、人間が好きなのです。
 だから、ハクタクとなったときの姿を見られて、人間を不安にさせたくなかったのです」

 私は長老から目を逸らさずに、淡々と語る。
 長老も私の目から視線を外さずに、私の放つ言葉を真面目に受け入れている。
 あぁ、やはりこの人はいい人なんだと思った。

「…失礼なことを聞くようですが、慧音様はかつてハクタクに変身した時、人を襲いたいと思ったことは?」
「いえ………私は生まれてこの方、そのようなことは思ったことがありません。
 ですが、人間たちは妖怪という存在を畏怖し、避けています。
 だから、私たちが理解できるというのは、儚い夢であり、幻想だったのかもしれませんね…」
「慧音様……」

「………この里は、妖怪が今までにほとんど来なかったのでしょう?」
「え? え、えぇ………少なくともわしが生きている間は来ておりませぬ…」
「成る程…ならばここの人間の恐れ様も納得がいきますね……
 私が今まで見てきた里は、妖怪の恐怖を知っており、余所者を受け付けませんでした。
 だから、私の思いも届かず、私は里を転々としてきました。
 だからこそ、私がこの里に受けいれられた時は本当に嬉しかった…」
「…………」

「出来ることなら、ずっと平和に生きていければと思っていました。
 そのために、私が半獣であることは知られてはいけない秘密だったのです。
 ですが………なかなか上手くいかないものですね。
 結果、私は里人の信頼を失ってしまった。彼らからすれば私は裏切り者でしょう?
 一度失った信頼を取り戻すことは非常に難しいことです。
 特に、幻想郷では人間と妖怪の図式が出来上がっている以上、それは特に顕著です」
「ですが、慧音様の心を皆が理解してくれれば…」

 その長老の言葉に、私はゆっくりと首を振った。

「恐らく無理でしょう。妖怪と一度見なされた以上は私の言葉は人間には届かないのです」
「慧音様……」
「………少々時間を食いましたが、私からは以上です」

 私はありがとうございました、と深々と手を着いて礼をした。
 長老は私に礼を返して、残ったお茶を飲み干してからゆっくりと立ち上がった。
 そのままゆっくりとした調子でドアの前まで進み、止まった。
 そして、私を振り返った。

「慧音様、真実を話してくださってありがとうございます…
 わしは、里の皆と話をしてみたいと思います…ですから、それまでどうかこの里にいてくだされ…」
「老………お心遣い感謝します…
 そして、私の話を聞いてくださって本当にありがとうございます」
「いえ、わしらは皆仲間ですからのう………」

 仲間、か………
 もし、私が再びこの里にいられることになったのなら、皆は私をそう呼んでくれるだろうか。
 …
 いや、くよくよ考えるのはやめよう。
 私は長老を送り出すためにドアを開けた。



 そこに広がっていた光景に、私は息を飲んだ。




 多くの里人が私の家の前に集まっていた。
 しかし、それは歓迎するものではなく冷ややかな視線だった。
 私は、その視線に耐えられなくなって俯いた。

「これは………皆、どうしたのじゃ…」
「長老、何を吹き込まれたのか知りませんが騙されてはダメです!!」
「そうだそうだ、そいつは今の今まで俺たちを騙してきた妖怪だ!」
「………っ…」

 私は右手で左の肘を掴み、目を逸らした。
 心に刺さる言葉だった。

「皆、それは違うっ! 慧音様は本当は…」
「長老、そいつは騙すことは平気でやってのける妖怪ですよ!?」
「長老の同情を誘って俺たちを皆殺しにするつもりなんですよ!!」
「そんな奴、さっさと追い出してしまいましょう!」

 辛かった。
 ともに働き、ともに汗を流し、ともに楽しみを分かち合った里人が私を違う目で見ている。
 この空気には、とても耐えられるようなものではなかった。

「違う、誤解じゃ皆………」
「長老、あんたは優しすぎるからその優しさにつけ込まれたんだ!」
「そんな奴の言葉なんか信じちゃダメです!!」
「もしや長老は言いくるめられたんじゃ………」

「そう、そうだ……きっとそうなんだ!」
「なら長老ごとここから追い出せばいいんだ!!」
「そうだそうだっ! ここから立ち去れ!!」
「み、皆………違う、違うんじゃ…」

 ダメだ。
 やはり、こうなる運命にあったのだろう、私は。
 なら、全ての責任は私だけにある。
 長老には、全く関係のないことだ。

 私は長老の肩を軽く叩いた。

「老、もういいのです。私が出て行けば早い話なのですから」
「で、ですが慧音様…」
「これ以上いると、無関係のはずの老まで追い出されてしまう。それだけは嫌ですから」
「しかし…」
「いいのです、老………最後にあなたと話せて、良かったと思います。
 …………もし………
 もし私が先にハクタクだと、皆に言っていれば……未来は、変わっていたのかもしれませんね…」

 しかし、それは叶うことはない。
 『もし』で変わる未来も、過去も存在しない。
 私は、今この時を生きていくしかないのだから、『もし』など意味の無いことだ。

 私は長老の横を通り過ぎて、里人たちの輪に進んでいった。
 私が近寄ると、避けるようにして道が開いていく。
 皆の冷たい視線が身にひしひしと感じる。
 私はなるべく顔を見ないようにして、俯いて歩いていった。

 すると、背中に何か小さなものがぶつかった。
 直後、それが地面に落ちてカランカランと音がした。
 何だろうと思って見ると、それは小さな石ころだった。
 人々を見ると、小さな子供が投げたポーズで固まっていた。


 何か、得体の知れない深い悲しさが急激に私を襲った。
 泣きたくなった。


 しかし、それを契機に石ころはどんどん投げられた。

「帰れ!」
「二度と来るな!」
「失せろ!」
「裏切り者!」
「騙しやがって!」

 罵詈雑言を身に浴びながら、石ころはどんどんと投げられる。
 その一つ一つの威力は確かに低い。
 でも、本当に痛かった。
 心が、どんどん傷つけられていった。

 私は再び里人に背を向け、歩き出す。
 その間にも投げられる石の数はどんどんと増えていった。
 石が身体に当たるたびに、心に深い傷が出来ていく。
 その心無い言葉を聴くたびに、心に深い傷が増えていく。
 私は、もういてもたってもいられなくなり、逃げるように走った。

 そのとき、いつの間にか泣いていたのか、涙が横に流れていった。
 もう、涙が抑えきれなかった。
 走った。
 走った。
 ひたすら走った。
 悲しみから逃げるように、これ以上傷つけられないように。

 涙は、とめどなく溢れてきた。
 私はそれを拭くこともせず、腕を振って必死に走った。










 その夜、私は里から出た。



























 一体、私は何がしたいのだろう。
 里を追い出されて、もう3週間ほど経つ。
 その間に雪が降り始め、雪の多いこの地方ではすっかり銀世界となっていた。

 私は、里の近くの山にいた。
 もっと遠くに離れるはずだった。
 もう里のことなど忘れるくらい、遠くに行くつもりだった。

 だけど、出来なかった。
 私は、里のことが忘れられなかった。
 追い出されたとはいえ、情が移ってしまっていた。
 それほど、あの里の日々は楽しく、嬉しく、大切なものだった。
 あの日々は二度と戻って来ないと知りつつも、私はあの里の近くにいた。

 何度も、ここから離れようと思った。
 朝起きたら、旅立とうと何度も思った。
 でも、そんな夜に限って夢を見る。
 あの里で過ごした、笑顔の耐えない毎日を思い出す。
 そして足がすくみ、その日も動けない。

 私は、私の存在意義を探すように里の存在を隠した。
 こうしておけば、妖怪に襲われるということはなくなる。



 でも。



 こうして何が変わると言うのだ。
 ただの私の自己満足じゃないか。
 里の近くにいる理由を探し、里から離れることを恐れているだけじゃないか。

 何故、私はこんな無駄なことをしているのだ。
 未練がましいのにも程がある。
 私は自分自身を叱咤する。
 しかし、何度自分を責めても、何度自分を馬鹿にしても、私はずっとここにとどまっていた。

 情けない…








 そして、それは雪が随分と積もり、夕焼けが山の彼方に消えそうな時刻だった。
 しんしんと雪は降り、それでもなお夕焼けの薄暗いオレンジ色が消えかかっていた。

「くすくす…随分と悩んでいるわね、あなた」
「っ!? だ、誰だっ!!」

 突然どこかから声がかかった。
 しかし、周囲を見渡しても全く姿が見えない。
 私はさらに周囲を注意深く観察したが、姿は見えないままだった。


「何処を見ているの?」


 それは、眼前に広がっていった。
 両端にリボンをつけ、空中に引かれた一筋の黒い線が、真横に延びる。
 約1mほど引かれたところで線は止まった。
 黒の筋は徐々にその面積を広くしていった。
 黒が広がった先に、無数の目玉が見えたかと思うと、その中から金髪の女性が現れた。
 女性は先ほど広げた黒の線に腰掛けた。
 あまりに突飛な光景に、私は息を飲む。

「あら、驚かせちゃったみたい?」
「いや、あまりに突飛な登場の仕方だったものだからな…」
「そうね、『普通の』人間なら驚いているでしょうね」
「な…」

 こいつ……私を知っているとでも言うのか…?

「『こいつ、私を知っているとでも言うのか』とでも言いたげな顔つきね」
「な………!? お前………何者だ?」
「そうねぇ………強いて言うならしがないスキマ妖怪よ」
「妖怪…っ!!」

 私は身構えて、魔力を高める。
 しかし、その妖怪は気にした風でもなく、飄々としていた。

「やぁねぇ、私は別にあなたが追い出された里の人間を食べるわけじゃないわよ」
「なっ……!!?」
「どうして里が見えるんだ、って顔をしてるわね…」

 くそ…
 何故こうも心を見透かされる…?

「まぁ、あの里の歴史を食って無かったことにしていたのはいいと思うわ。私も気付かなかったもの」
「お前、私の能力を…?!」
「でもからくりは分かった。もう私にあなたの能力は通じない」

 そういうと、その妖怪は扇子を取り出して口元を隠した。

「さて、私は妖怪。ここであの里を発見した以上は他の妖怪にも知らせてあげなきゃね」
「な…お前さっきは―――」
「えぇ、私は人間なんかより藍の料理のほうが好きだわ。でも他の妖怪は放っておかないでしょう?」

 その妖怪は意地悪く、クスクスと笑った。
 何を考えているのか全く分からない。
 この余裕は何だ…? 何を考えている…?

「無駄よ、あなたに私の考えは読めない」
「な…」
「それよりも、さぞ嬉しいでしょうね……人里一つ分の人間を食べられる妖怪というのは」
「貴様…っ!!」

 私はカッとなり、右の手からレーザーを妖怪に向けて打ち出した。
 しかし、私の放ったレーザーは妖怪の眼前まで来て………一瞬で霧散した。
 妖怪は余裕のある笑みを相変わらず浮かべて、私を直視した。

「これはこれは。随分とゴアイサツじゃない?」
「………お前が妖怪に他言すると言うのなら、私はお前を黙って帰すわけにはいかない!!」
「あら怖い♪ でも質問があるわ、先生」

 妖怪が、おどけた調子で手を軽く上げた。
 その様子が以前に教えていた里の子供を連想させ、私は辛くなった。
 くそっ、コイツは一体何がしたいんだ…!?



「何故あなたはあの里のためにそんなに必死になるの?」




「そんなの…」
「だって変でしょう? 自分を追い出したあの里がそんなに大好き?
 自分をのけ者にしたあの里がそんなに大好き?
 自分を裏切り者扱いしたあの里がそんなに大好き?
 自分を二度と受け入れてくれないかもしれないのに、何であの里にこだわるの?」
「それは………あの里が……あの里の人間が好きだから…」


「笑っちゃうわね。報われない苦労を重ね、誰からも褒められず、誰からも気付かれない。
 その努力は報われることを知らない。
 そんな下らない作業をあなたは延々と続けるつもり?
 里人だってそう。好きでもない、裏切り者の守護なんて喜んで受け取るかしら?」
「それは………」

 私は口を噤んだ。
 悔しいが、この妖怪の言っていることは正論だ。
 別に努力を認められたくてやってるわけじゃない。
 だけど……あの里人は私が保護していることを喜んでくれるだろうか…

「辛いでしょう、苦しいでしょう? 半獣に生まれた自分が嫌でしょう?
 自分が人間だったら、自分が妖怪だったら…
 そんなことをあなただって思ったことがあるでしょう?」
「………」
「私なら、あなたを純粋な人間にも、純粋な妖怪にもしてあげられるわ」
「な…っ!?」

 馬鹿な!
 そんな夢みたいなこと、出切る筈がない!

「う、嘘をつくな!!」
「嘘じゃないわ、あなたの人間と妖怪の境界を少し弄ってあげれば。
 私はありとあらゆる境界を操ることが出来るの」
「そんな…そんな馬鹿な…」

「さぁ、どうするの? 純粋な妖怪にして欲しい? 純粋な人間にして欲しい?」
「ふざけるな! 私は…私はお前みたいな妖怪の言うことなど―――」
「信じない? 信じたくない? まぁどちらでもいいわ…
 でも、その身体だとあなたはこれから先も苦労することは分かっているでしょう?」
「………くっ…」
「クスクス………あなたも分かっているんでしょう?」




   《そう、あなたは所詮半獣。中途半端な存在》



                               《どの種族にも属さない、まがい物》



           《誰にも受け入れられず、誰からも相手にされず》



                                            《永遠に一人ぼっち》



  《あぁ、何てかわいそうな種族!》



                                                 《何時だってあなたは仲間はずれ》



 《誰からも疎まれる存在》



                                  《爪弾き》



              《人間にもなれず、妖怪にもなれず》



                                              《誰とも馴れ合うことなど出来ない》







「やめろ………」




  

    《気持ち悪い》



                      《居てもいなくても外れ者にされ》



 《人間を憎むことも、妖怪を憎むことも出来ず》



                                   《人間からは嫌われ、妖怪からは冷酷な目で見られる》



                                                《でも悲劇は何時までも続く》



《自分が生きている限り、誰とも付き合うことなんて出来ないの》



                           《だから他人を騙し、自分を騙し》



          《嘘をつき続けて、秘密の露見を恐れ》






「やめろ………っ!」






                                            《あぁ、こんな命なんて要らない!》



 《どうして人間に生んでくれなかったの?》



                                         《どうして妖怪に生んでくれなかったの?》



      《どうして私を中途半端に生んだの?》



                            《仲間はずれは嫌だよ、怖いよ、寂しいよ》





                      《人間になりたい》



《人間になって、みんなと平和に暮らしたい》



                                                     《妖怪になりたい》



                                  《妖怪になって、思う存分人間を食べたい》



                            《もう、こんな苦しみからは解放されたい》







「やめろぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」


 私は耳を塞ぎ、その場に崩れ落ちた。


「……………ほら、逃げた。
 目の前の現実を、事実を突きつけられて逃げた。
 あなたの人生だって同じ、人間に拒絶されて逃げた。
 あなたはずっとずっと、逃げ続けてきた」

 しかし、いくら耳を塞いでも、妖怪の声は聞こえてくる。

「くそ…………くっ…そぉっ………!!」

「妖怪はいいわよ? 人間を食べるのが生きることでもあり、仕事でもある。
 あなたのように半端でもないわ。
 人間だって同じ、妖怪を恐れ、妖怪を退治することで生き続ける。
 半端じゃないもの、あなたと違って。
 どう? 人間か妖怪か、どちらを選びたくなった?」
「私は………私は…………っ」

 まるで全てを悟っているかのように、妖怪が言う。

 そうだ……純粋な人間になれば、もう追放されることもない。
 もう二度と悲しい思いをしなくてもすむ。
 私は、やはり人間になりたいんだ……
 純粋な人間になって、純粋にみんなと笑って暮らしたい。

 私は、目の前の幸福に手を伸ばした。








 いや、違う。






 私は幸福の一歩手前で手を引いた。

 私は、人間になって、みんなと笑って暮らして、それで満足なのか?
 確かに満足するかもしれない。
 でもそれは、作り物の夢だ。
 私自身が実現した夢じゃない。
 妖怪のお陰で、そんな夢が実現されたって、嬉しくもなんともない。

 夢は、自分で掴むものだ。
 そんな作り物の、虚構の夢など、手にしても充たされるはずがない。
 それに…

 顔も知らぬ父と母に顔向けできない。
 そんなに簡単に、両親の恩を捨てることなど出来ない。
 二人が苦労して生んでくれた私を、種族間の壁を越えて生んでくれた私の人生を無下には出来ない。

 だから、私は言うんだ。


「私は………どちらも望まない」

 否定を。
 拒否の言葉を。

「へぇ……自ら荊棘の道を選ぶのは何故?」
「………そんなもの、簡単だ」

 そして理由を。
 揺らぐことのない信念を。

「私の身体は私の身体だ。私は私だ、それ以上でも以下でもない。
 だから、お前なんかにどうこうされていいものじゃない。
 それに、もし純粋な人間になれたとしても………それは幻想だ、虚構だ。
 そんな夢に溺れるのは……空しいだけだ…」

「でもこれからだってあなたは試練の道を進むのよ? それは永遠に叶わぬ夢かもしれないわ」

「そうだな……お前の言うとおり、そうかもしれない。
 でも、私は何度だって立ち上がってやる、何度だって挑戦してやる。
 私は折れることなく、諦めることなく進み続ける。
 人間は、諦めず、何度でもやり直せるんだ。
 だからもう、お前の作った歩きやすく舗装された道など、もう必要ない」

「……………それで? そんなことを言った手前、私はもう加勢しないわ。覚悟は出来ているの?」

 妖怪が冷たい目で、私を睨んだ。
 しかし私はその目をきっと見つめ返し、視線を外さない。

「この命が生まれた時から、とうに覚悟は出来ている」
「そう…………」

 妖怪は、扇子をパタンと閉じ、私を見据えた。
 その目に、先ほどまでの冷たさはなかった。

 と、何かを私に投げつけてきた。
 しかしそれは攻撃するための投げ方ではなく、私が取りやすいような投げ方だった。
 私はそれを受け取る。
 それは、何も書かれていないカード……無印のスペルカードだった。

「これは………何故こんなものを…」
「あなたの決意、聞かせてもらったわ。それはそのお礼」

 そう言うと妖怪は黒の空間―あれがスキマなのだろう―を広げて中に入ろうとした。
 思わず、私は引きとめた。

「ま、待ってくれ!!」
「………」

 妖怪は、スキマに身体を半分ほど埋めて立ち止まった。

「名前……名前を教えてくれ…」
「………私に興味があるの?」
「………あぁ…」
「そう………」

 妖怪は、一切私のほうを向くことはなかった。
 そのまま、黙々とした時間が流れた。
 そして1分ほど経っただろうか。
 妖怪が口を開いた。

「………紫。八雲紫よ」
「八雲………紫…」
「さて、藍がそろそろご飯を作ってくれてる頃だから私は帰るわ」
「え、ちょっ…」
「さようなら、歴史喰いさん。試すようなことをしてごめんなさいね?
 あなたならそのカードを正しい方向に使ってくれると信じているわ………また会いましょう」
「お、おいっ!?」

 私の静止の声も聞かず、紫はスキマの中へと入り込んだ。
 スキマは面積を狭くしていき、一筋の線になったかと思うと、両端のリボンと同時に消えた。

「………八雲、紫か…」

 紫はまた会いましょうと言った。
 なら、再び会ってくれるのだろうか。
 私は、自分の名前を言えなかったことを少し後悔していた。
 私はスペルカードを手に、じっとそれを見つめていた。

 その時だった。



「うわぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
「っ!!」

 山のふもとの方から子供の悲鳴が聞こえた。
 恐らくあの人里の人間だ!!

 私は、一瞬山を下りようかとためらった。
 しかし、即座にその悩みを吹き飛ばし、駆け下りて行った。
 私は決めたじゃないか、何度でも立ち上がると、諦めないと。
 大地を蹴り、土を後ろに飛ばし、全力で山を下りた。

 約30秒ほどで、ふもとに着いた。
 そこには、尻餅をついている子供たちと。
 その眼前に4体の獣型の妖怪がいた。

(くっ…! 何故妖怪がこの場所を…!?)

 一瞬だけ考え、改めて注意を向けると能力が弱まっていた。
 そこへ、偶然子供たちを見つけたといったところだろう。

 私は掌に魔力をかき集めて、妖怪たちに向けて放とうとした。
 が、この距離では子供たちが巻き添えを食ってしまうかもしれない。
 私は思いとどまって魔力を霧散させた。
 同時に、子供たちと妖怪に向けて走り出した。
 しかし、走り出すのとほぼ同時に妖怪たちも子供たちにその鋭利な爪牙を煌かせて飛び掛っていた。






 くそっ、間に合え…っ!!






 私は、全力で駆け抜けた。
 ひたすらに足を前に、前に出した。
 間に合え、間に合え、ひたすらそれだけを願った。

 そして。












―ドッ!!








「がっ…うぐっ!!!」

 途端に、鋭い痛みが体中を駆け抜けた。
 頭がスパークする。
 冬だというのに、一面が銀世界だというのに身体が熱い。
 歯を食いしばり、自分と、子供たちを見た。

 腹部から鋭利な角が突き出て、右腕には凶悪的な牙が食い込み、左足には深々と爪で抉られて血が出ていた。

「かふっ…!!」

 血が、口の中を駆け巡り、飛び出す。
 口の中が鉄の味になった。

 子供たちを見る。
 恐る恐る子供たちは目を開けて、そして呆然とした。
 そして再び脅えたような表情になった。

「ぐ…………無事、か………?」
「あ、あ、あぁぁぁ…」
「う、うぇっ……うぇぇぇぇっ…」

 良かった。
 泣き出してはいるが無事のようだった。

「………逃げ、ろ…」
「えっ、えぐっ…」
「今のうちに遠くまで逃げろ、急げっ!!」

 私は脅える子供たちを叱咤した。
 少しばかり身体に負担をかけたのか、流れる血の量が増した。
 しかし私の怒号を聞いて子供たちは我に返り、騒然と逃げ出した。

 そうだ、それでいい………

 私は、子供たちの背中が遠くに消えていくのを見て少し安心した。
 と、そこへ妖怪が駆け出していった。
 一匹の角は私に刺さり、一匹の牙はまだ食い込んだままだったから、最後の一匹だろう。

「そう、は………させるか………っ!!」

 私は空いた左腕に魔力を少しだけ溜めて、その妖怪に向けて打ち出した。
 牽制程度だが、注意を引けるのなら十分だ。
 それは妖怪の足元で着弾し、積もっていた雪が一瞬で蒸発した。
 妖怪は、足を止めて、今度は私のほうに向き直った。
 どうやら、食えるのなら私でもいいと判断したらしかった。


 そうだ…お前なんかに子供の未来を摘ませるわけにはいかない!


 私は腹部に刺さっている角を抜き、強引に右腕の牙を引き剥がした。

「ぐぅっ!!」

 角が抜けた腹部からより一層血が溢れ、右腕はぐちゃぐちゃになっていた。
 右腕にあまり力が入らない。
 右腕は自分の血で真っ赤に染まっていた。

 綺麗な銀色の雪原に、際立ったように私の血の花だけが咲いていた。
 私は呼吸を整えつつ、ふらふらと3匹から距離をとった。
 全身が悲鳴を上げ、身体が熱い。
 気を抜いたら倒れそうな気がする。
 目の前がぼうっとしてきた。

 だけど…だけどここで倒れるわけにはいかない…!

 倒れそうな自分を無理矢理動かし、先ほど貰ったスペルカードを取り出す。
 その神秘的な力からだろうか、血は全くついていなかった。
 妖怪たちがよだれをたらして、威嚇の唸りを上げていた。


「お前たち、なんかに………里を襲わせ、は………しない………っ!
 私、が……ここに居る限り………一歩も、里に入れない……里人には触れさせ、ない……っ!!」


 私は、手にしたスペルカードを空中に投げた。
 残った魔力をすべてそのスペルカードに込める。
 どっちにしろ、里人は助けに来ないだろう。
 なら私の全てをこのスペルにかける。
 最初で最後の私のスペルを見るがいい、妖怪ども!

「未来…………!」

 里人よ。
 お前たちと過ごした3年間、本当に楽しかった。
 それは、かけがえのない私の思い出だ。
 だから、お前たちの『未来』を、ここで潰えさせるわけにはいかない。
 なら私が、私の命をかけてお前たちの『未来』を紡ごう。

 かつて、天人たちが住んでいたとされる郷のように。
 輝かしいとされていたその郷と同じように、お前たちの『未来』を照らしてやる!
 ………行くぞ、これが私の最後の恩返しだ!


「『高天原』っ!!!」


 途端、スペルカードが輝き、夜であるのに昼であるかのように錯覚させるほどまばゆく辺りを照らした。
 周囲に光球が広がり、溢れんばかりの魔力を洩らす。
 と、生き物のように動いていた光球が、一瞬縮こまったかと思うと、周囲にレーザーを撒き散らした。
 レーザーは雪原に着弾すると雪を蒸発させた。
 それが、幾筋もの光を描き、周囲をさらに眩く照らす。

 あらかた撃ったところでレーザーを中断させた。
 レーザーは狙い通り、妖怪にはかする程度にとどめてあった。
 妖怪たちはすっかり足が竦み、脅えるような目を私に向けていた。
 「死にかけの人間が、何故こんなことが出来るのか」と言わんばかりに。

 私は、最後の力を振り絞り、叫んだ。

「お前たち、見る眼があらば刮目せよ!
 聞く耳があらばしかと聞け!
 覚える頭があらばその脳裏に焼き付けろ!!」

「私は、上白沢慧音! 人を護る者!
 覚えたのなら、二度とここに近づくな!!
 さもなければ……お前たちを焼き払うっ!! さぁ、今すぐここから立ち去れ!!」

 妖怪たちはビクンと身体を跳ねさせて、慌てて遠くに消えていった。
 雪原の向こうに消えたのを確認すると、安心したのか途端に疲れが押し寄せた。
 ぐらりと世界が傾いた。

 いや、傾いたのは私か………

 私は銀世界に膝をゆっくりとつき、そしてうつぶせに倒れた。
 そして、思い出したように雪原に雪が降り始めた。
 倒れた先の雪が、クッションになって柔らかかった。
 雪は積もっているのに、身体が熱い。
 雪を冷たいと感じない。
 もう、指一本すら動かせなかった。
 視界が徐々にぼやけてくる。

 もう、終わりか…
 でも里を護れたからよしとするか………
 あぁ、眠い…
 もう、私はこんなに頑張ったんだ。
 もう、眠っても大丈夫かな………

 私はゆっくりと目を閉じた。
 脳裏にたくさんの思い出が浮かんでは、消えていった。
 あぁ、こういうのが走馬灯と言うのか…
 本当に見えるとは、思わなかったな………

 そして、八雲紫………
 お前は、道化だと私を笑うだろうか。
 こんなところで死んでしまう私を笑うだろうか。
 それでもいい。
 笑いたいなら笑ってくれ。
 自分でも妙なところで死ぬと思っているんだ。
 夢を果たせないまま、眠りにつく私を笑ってくれ。
 そしていつか、随分と先の未来でお前が死んだら、一緒に飲もうじゃないか。
 それまで、私は休ませて貰うよ………

 最後に、子供たちの衣服を私の血で汚してしまったことに、申し訳なく思った。


















 夢を見ていた。

 それは、私があの里にいて、みんなと過ごしていた。

 私がワーハクタクの姿になっても、皆が普通に私と接してくれていた。

 子供が私の頭の上に乗って、角を掴んで楽しんでいた。

 他の子供が自分の番を待って、大人はそれを見て苦笑していた。

 「大変でしょうに」と声をかけられたが「はは、大丈夫ですよ」と返していた。

 それは、まさしく夢だった。

 私の望みを具現化したような、そんな魅力的な夢だった。















「ふふ………また会いに来たわ、こんにちは」
「………え…?」

 私は目を見開いた。
 そこに景色はなく、真っ黒の空間に紫が立っていた。

 ここは…死後の世界と言う奴か…?
 まったく、こんなところまで来られるなんてお前は反則だな…

「八雲紫………随分と早い再会だったな」
「そうね……まぁ、話を本題に移らせるわ」
「あぁ」

 紫はいつものように扇子を開いて口元を隠した。

「あなたの決意、見せてもらったわ」
「そうか………無様だっただろう?」
「そうね、決意としては最低ね。自己犠牲なんて」
「はは…」

 私は苦笑した。
 やはり、言われたか…

「どうせなら生きる覚悟をつけなさい、って言いたいわね」
「それはすまないな…」
「でも………」

 パチンと扇子を閉じて、真剣に私の目を見た。

「信念としては素晴らしいものよ。あなたは本当に人間が大好きなのね」
「ま、まぁ…な………」

 その言葉に、少し照れくさくなって目を逸らし、頬をポリポリとかいた。
 なんと言うか、紫に真顔でこんなことを言われると照れる。

「安心したわ、私の見る眼は正しかった。あなたは素晴らしい信念を持っているわ」
「よ、よせ………照れるじゃないか…」
「照れる必要はないわ。あなたは人に自慢できる、立派なことをしたの。もっと胸を張りなさい」
「そうか……」

 それは惜しいことをしたな…
 私にはもう…

「だけど、私にはもう自慢できる人は居ないし、自慢できる身体も持っていないんだ…」
「あら、どうして?」
「そりゃそうだろう、私はもう死んでしまったのだから…」

 私は視線を足元に向けて、小さな声で言った。
 そう、私は死んだのだ。
 だから、紫がいくら褒めようともどうすることも出来ない。
 はは、残念だな………

 だが、紫は別に気にした風もなく口を開いた。

「あら、どうしてそんなことが言えるの?」
「お前、私の話を聞いてなかったのか…?」
「違うわ、私は一言も『あなたが死んだ』とも『ここは死後の世界よ』とも言ってないだけ」
「え………」

 そこまで言うと、紫が私のそばに近寄ってきた。

「あなたの歴史はまだ続いている」

 扇子を私の額に突きつけて、こう言ったのだ。

「な………そんな馬鹿な…!? 一体何故!?」
「それは自分で確かめることね」

 紫がそう言った途端、頭がぐらぐらしてきた。
 何だ、この変な感覚……

「ゆか、り………? お前、私に何か……」
「この夢から覚めると、あなたは私の記憶を失うようにしたわ」
「な………?」

 私が驚愕の表情を浮かべていると、紫はクスリと意地悪く笑った。

「忘れたの? 私は妖怪よ、私の記憶を持っていることも、わたしを知っていることもあなたには不利に働くわ」
「そ、そんな、こと………」

 くそ、どんどん意識が朦朧としてくる…

「だからあなたは私のことを忘れたほうがいいの」
「や、やめ、ろ………」
「大丈夫よ。あなたの記憶は次に私たちが出会ったとき、私にコテンパンにされたら戻るから」
「な、何を…………っ!?」
「だからそれまでお休みなさい、歴史喰いさん」

 途端に、意識が遠くなっていった。
 身体が全く動かせない。

 覚えていたのは、紫の最後の言葉。

「次に出会うときを楽しみにしているわ。例えば、中途半端な満月が出ているときとかね」





















「う……………っ…」

 私はゆっくりと目を開ける。
 瞼が非常に重かったことが不思議だった。

「あ、気が付いたようですね………」

 そばで誰かの声がした。
 首を動かそうとしたら、その人は立ち上がって奥に消えてしまった。

 ここは、どこだ………?
 暖炉には火がくべられ、暖かい。
 私は布団の中で眠っていた。
 どこか、懐かしい雰囲気が感じられた。

 そこへ、扉を開けて多くの人が入ってきた。
 寝たきりだったので、最初は足しか見えなかった。
 だが、かなりの人数がいるようだった。
 私は身を起こそうとした。
 が、次の瞬間腹部と右腕から鋭い痛みが走った。

「慧音様、身を起こしてはなりません、ゆっくり休んでくだされ…」

 そう言ってくれたのは、あの里の長老だった。
 長老は私をゆっくりと寝かせてくれた。
 かなり痛かったので助かった。

 そして改めて見ると、周囲には見知った顔がたくさんいた。
 全て、あの里の人々だ。
 そして人数は次から次へと増えているようだった。

 これは、あの人里か………

「慧音様、良くぞ生きていてくれました…」

 生きてる、か………
 やはり私はあの人里でこうして生きているんだろう。
 でも…何故ここに居るんだ。
 何故、皆が私といるんだ。


「………何故…助けた………」
「え…?」

「私は………妖怪だ………お前たちを騙した、妖怪だ……お前たち人間が憎むべき、妖怪だぞ…」
「………」

「今なら、何も出来ない………殺すなら、今のうちだぞ………お前たち…」
「慧音様…」

 痛みで声が大きく出ない。
 でも、言っていることは聞こえているようだった。

「私が元気になれば…お前たちを襲うかもしれないぞ………さぁ、こんな千載一隅の機はないぞ」

 私は、目を閉じた。
 何故助けられたのか、何故生きているのか。
 私は人間の敵である妖怪だ。
 だから、殺されても文句など言えない。

「………慧音様、そんなことを言わないで下され」
「老………?」
「慧音様は人間です、わしらと同じ人間です………」
「………」
「慧音様は、この里の子供たちを助けてくださいました…
 驚いたものです、子供たちが『慧音お姉ちゃんを助けて!』と激しく言ってくるのですから…」
「な…………」
「そして行ってみると、慧音様が血だらけで倒れているではありませんか…
 わし等はここへ運び、一生懸命に治療しました。
 二度と目覚めてくれないかもしれないと思いながら、それでも看病し続けました…」
「老………」
「それに、襲うと言っている人に限って、そのようなことはまずありませぬ…」
「それは………」

 確かに、正論だった。
 あらかじめ予告しておいて襲う人を、私は見たことがない。
 長老は私が黙ったのを見て、ゆっくりと手を着いて頭を下げた。

「慧音様、わしらを許してくだされ……あなた様を追放してしまった、わしらを許してくだされ…」
「な……老、このようなことは………」

 と、私が反論した時だった。
 長老の周囲の人々も同じように深々と頭を下げた。

「慧音さんっ、本当にすみませんっ!!」
「ごめんなさい、ごめんなさいっ! 本当に申し訳ありませんっ!!」
「どうか、どうか許してくださいっ!!」

「な、お前たち…………やめてくれ……頭を上げてくれ………」

「いいえ、出来ませぬっ!!」

 里人たちは、頭を上げなかった。
 何故だ……私に何故こうも謝るんだ…

「心の狭い私たちを許してくださいっ!! 追放してしまってごめんなさいっ!!」
「慧音お姉ちゃん、石投げてごめんなさいっ!!」
「けーねお姉ちゃん、本当にごめんなさい!!」

 気付けば、子供たちまで同じように頭を下げていた。
 私はいたたまれなくなって沈黙した
 私は、何もしていない。
 私は、裏切り者であり、お前たちを騙したというのに………

 そして、その場の里人が頭を下げると言う、異様な光景を見るのも辛くなった。

 その時、無邪気な声がした。

「あー、あー………だぁー…」

 私が声の方向へ目を向けると、小さな赤ん坊が私のところへゆっくり近づいていた。
 その子の母親と思しき人物が、一瞬だけ顔を上げて「あっ」という表情をした。
 私は、その赤ん坊にも見覚えがあった。
 たしか、今年の春に私が助産をした両親の子供だ。
 よく面倒を見ていたのを覚えていた。

 その子は、ゆっくりと枕元に近づいた。
 そして、その小さな手を私に差し出した。

「けね、けーねぇ……あくす、あくす!」
「………?」

 一瞬、何を言われたか分からなかった。
 だが、あくすが握手の事を指していることにすぐに気付いた。
 私は、布団の下にある手を、赤ん坊に差し出した。
 赤ん坊はにぱっと笑顔になって、私の手を握った。
 その小さな手には、私の手は大きくて人差し指から中指しか握れていなかった。
 それでも、赤ん坊は嬉しそうだった。

「けね、けねぇ♪」
「………?」

 赤ん坊は嬉しそうに私の手をぶんぶんと振っていた。




「けねぇ、だいしゅき~♪」




「………っ!?」

 その言葉を聴いた瞬間、私の心の琴線が揺れた。
 胸が熱くなる。
 何か熱いものが体の奥からこみ上げてきて、首を通り、目に行った。
 私は必死で堪えたが、どうにもなるものではなかった。

 ゆっくりと、私の目尻から涙が零れ落ちた。
 涙は私の目の横を通り、枕に染みていった。
 でも、涙は止まらなかった。

「ぅっ……………うぅっ……………ぁぅっ……!!」

 堪えよう、堪えようと頑張るのに、涙はそれを許してくれない。
 くそ、止まれ涙っ………
 だが、私がそう思えば思うほど涙は止まらなかった。

「慧音様………」
「う、うぅっ…………み、皆………っ…!」

 嗚咽が漏れ、ろくに喋ることとが出来ない。
 それでも、私は泣きながら言葉を搾り出していく。

「おねっ…お願いだ………っ………ぅっ………!」
「………慧音さん…」

「わ、わだっ………わ゛だじをっ……………も、もうっ…一度………住まぜで…くれっ………!!」
「慧音さん……っ!」
「慧音お姉ちゃん…」
「慧音さん…」

 涙で視界がぼやける。
 里人の顔を見ることが出来ない。
 その中で、長老の声が凜と響いた。

「慧音様………それは、私どもからもお願いします…どうか、もう一度戻ってきてくだされ…!」
「俺からもお願いだ、もう一度一緒に過ごしていきましょう!!」
「私も同じよ! 慧音様と一緒に暮らしたいのっ!!」
「慧音お姉ちゃんと一緒に遊びたいもんっ!」
「私だってけーねお姉ちゃんに一杯教えてもらいたいもんっ!!」
「あっ、うっ…………老っ…………み、んな………っ!」


 この優しい言葉が、どれだけ私を救ってくれただろうか。
 この優しい里人が、どんなに私の支えとなっただろうか。
 私は、もうこれ以上にないくらい、泣いた。
 泣いて泣いて泣いて泣き続けた。
 涙が枯れるかと思うくらい、泣いた。














 その後、私は里に復帰した。
 前までと同じように、里人と笑いあって、楽しく過ごした。
 ハクタクの姿になっても、みんなの前に姿を現した。
 始めは皆遠巻きに見ていたが、すぐに慣れた。

 私は寿命が長いから、人に生死を近くで何度も見てきた。
 長老が死んだ時、激しく涙をこぼしたのを覚えている。
 そして子供たちが大人になり、そして老人になって死んでいく。
 何度も泣いて、夏には必ず墓参りに行った。
 墓参りをするたび、その里人と過ごした思い出が頭を駆け巡り、感傷に浸った。
 私は、死んだ人を忘れない。
 ずっとずっと、忘れない。




 春。皆と一緒に山菜取り。

 夏。遠くの里で打ちあがる花火を、子供を肩車しながら見た。

 秋。ワーハクタクの姿で過ごす、十五夜の月と団子と宴会。

 冬。子供たちと一緒に雪合戦。



 いつか見た、夢と同じ光景が広がるようになった。
 あの夢は、正夢だったのか、それとも私の未来を映したのか。
 それは誰にも分からない。
 だけど、私はこの里が、里人が、人間が大好きだ。
 この事実だけは変わらない。
 そして、今過ごすことのできるこの生活を大切にしたい。




























 ある、おかしな満月が昇った頃だった。

 強力な妖怪の気配を悟ったので、私は里を隠した。

 それは、人間と妖怪のおかしな二人組みだった。



「お前たちか。こんな夜中に里を襲おうとする奴は」

「この惨状はアンタの仕業ね? 人間と人間の里を何処にやったの?」

「お前たち妖怪には、人間を渡しはしない」

「今夜を無かった事にしてやる!」





「あー、お前たち何もんだ?」

「ちょっと、里を元に戻しなさい!」






「しつこいな」

「あんたなんかどうでもいいのよ。

 ここは人間の里だったはずでしょ?

 なのに、何もないじゃない。人間達や家とかどうしたのよ!」

「どうもしてない。

 お前達には見えないようにしてやっただけだ」

「霊夢、こんなところでしっぽりしている暇はないわ。

 こうしている間にも月はどんどん沈んでいるの」

「しっぽりはしてないけど、ちょっと待って。

 人間を里ごと消している妖怪を見逃す訳にはいかない」

「ここには、元々人間は住んでいなかった。

 と言う風に見える様にしただけだ。

 私が、この不吉な夜から人間を守る」

「ねぇねぇ。私には普通に人間の姿が見えるんだけどさぁ。

 この程度のまやかしなんて、全然役に立たないじゃない?」

「! お前達、本当に何もんだ?」

「大丈夫、私には里は見えないわ」

「うう、そんな情けかけられても」

「それにあんた。半獣なんでしょ?」

「満月じゃなければ人間だ」

「人面犬とか人面岩とかと大差ないわね」

「何で顔だけ残して変身する必要があるんだよ。変身は全身だ」

「牛頭馬頭とか、頭だけ獣に変身」

「……まぁいい。そこまで言うなら、もう後には引かせない。

 今夜は、お前達の歴史で満漢全席だ!」

「私はともかく、こいつの歴史は点心位にしかならないわ」

「うるさいなぁ、それだけ毎日が飲茶なのよ」








「さぁ、人間の里を元に戻しなさい!」

「戻しても大丈夫よ。元々ここの人間とあんたなんか眼中に無いわ」

「じゃあ、何処に行こうとしてるんだ?」

「あっち」

「こっち」

「……昨今の異常な月の原因を作った奴なら、そっち」

「ほら言ったとおりじゃない」

「霊夢の指先と70度は違う向きね」

「あんたは110度違う。ってあんた、よく私達の目的が判ったわね」

「判らないほうがおかしいのよ」





 こっぴどくやられた。

 何だあいつら、強すぎじゃないか………

 ふと、その時脳裏にある名前が浮かび上がった。













「………そうか、そうだったのか……八雲紫…っ!」



















「まぁ、こんな感じだな…って妹紅?」

「うわぁぁぁあっ!! ごめん、ごめん慧音っ!!」

「う、うわっ!? 妹紅、落ち着け、落ち着くんだ~~っ!!」

「だ、だって慧音にこんな過去があったなんて………」

「い、いや、泣くほどでもないと思うが…」

「だめっ! 泣くっ、泣かせろっ!! うわぁぁぁんっ!!」

「お、おいおい…まったく、世話が焼けるな………」
どうも、またやっちゃいました、暁スバルです。

まずは読んでくださった皆様に、心からお礼をしたいと思います。

こんな稚拙な文章を読んでくれて、本当に嬉しいです。

とりあえず自分解釈を多分に含んでおります、だから共感しない方もいらっしゃるかもしれません。

それでもいいです、読んでくださったなら感動です。

とりあえず誤字脱字がありましたら、ご指摘くださると嬉しいです。





ちなみに、1/2の冒頭でほのめかした妹紅編は書くかもしれないし、書かないかもしれません。

恐らく後者に6割………
暁スバル
[email protected]
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コメント



0.2080簡易評価
8.90名前ガの兎削除
( ノД`)ええ話や
そして、妹紅編期待あげ!(゚∀゚)コレハタノシミ
19.100慧音様を慕う者削除
感動して目からしょっぱい水が止まりません(´;_;`)
とてもいいお話でした。次回作も楽しみにしております!
27.100名無し妖怪削除
ちょwwwwww
おまwwwwwww
すごい感動しました。目から汗が・・・・・
妹紅編もお願いします!
28.100とおりすがる削除
涙が流れてきました。
慧音の想い、信念が痛いほどに伝わります。
29.100あざみや削除
言葉が出ないです……。凄い……。なんかもう、読ませてくれてありがとうございます。
34.100T・C削除
すばらしい、本当に感動しました(涙
目から海水が流れてきました・・・
35.無評価暁スバル削除
随分と放置してしまいましたが…読んでくださってありがとうございます~

>名前ガの兎さん
ありがとうございます、構想自体は随分前からあったものですがなにぶん遅筆なので…
妹紅編楽しみですか…うぅん、構想中のものは慧音よりも感動が少ないのですが…

>慧音様を慕う者さん
おぉ、名前が全てを表してますね…こんな拙い話でも、読んでくださってありがとうございます。
半獣である慧音ならではの話の展開にしてみたわけなんですが…書いた自分としても嬉しいです。

>名無し妖怪さん
め、目から汗が……これはいけない、永琳先生に見てもらわなければw
妹紅編ですか…あまり慧音編に比べて感動が少ないかと思いますが…

>とおりすがるさん
泣くくらい読んでくださってありがとうございます。
半獣でありながら人間が好きな慧音だけに、その信念はこういう話があったんだろう、と言う構想の元に書きました。

>あざみやさん
前・後編ともにコメントありがとうございます。
こちらこそ読んでくださって感謝しています。いいですよね、慧音先生w

>T・Cさん
こんな下のほうにある作品に眼を通していただいて光栄です…
お涙ちょうだい的な話はあまり書けないのですが…感動して下さると此方も嬉しいです。


え~、とりあえず問題の妹紅編ですが、少しでも需要があるために書いてみようかと思います。
ただし、構想的には感動系のものではなく、黒い話になりそうですが…妹紅って感動する過去とかあまり思いつかないんですよね(汗
なにぶん遅筆なので随分後のことになるかと思いますが…頑張って書いてみようかと思います。

みなさん、読んで下さってありがとうございました。
37.100名前が無い程度の能力削除
読むのが遅かったけど一言
やられた…
40.100名前が無い程度の能力削除
文章で泣くことなんて殆どなかったのに涙出てきたよ…(つд`)