「なぁ慧音」
「うん? どうした妹紅?」
「いやな、私たちが出会ってからもう随分と経つけどさ、お互い昔のことは知らないなって思ってさ」
「あぁ、それもそうだが…」
「………」
「………」
「………やっぱりさ、昔のことは話しにくいか、慧音…?」
「…………………」
注がれた酒を人煽りする。
透明な液体。
その水面に、月を綺麗に映し出す。
「あ、あははっ、ごめんな慧音~っ! 変なこと言っちゃって…今の話は無しってことで!」
「いや………」
妹紅と飲む酒。
確かに、妹紅と出会ってから随分と経つ。
そして、妹紅からの突然の話題だ。
7割が輝夜、2割が私、残りがいろんなことで出来ていそうな妹紅だ。
その妹紅が知りたいというのだ。
「………そうだな、他でもない親友の頼みだ。たまには昔話もいいか…」
「……慧音……ごめん、あんまり無理しないでいいよ…? 元々私の我侭だったんだし…」
「はは、妹紅は謝らなくてもいいさ。今、話したいと思ったのは私の意志だからな」
「慧音………」
「いや、お前だからこそ話そうと思ったのかもしれないな………」
手にしていた盃を置く。
「さて、それじゃあ話そうか」
「あれは随分と昔だったな………そう、私が今の人里に初めて到着した時だ」
◇
日差しが強い一日だった。
額の汗を拭い、ふぅと一息つく。
夏の暑い日だ。
少し遠くに農夫が数人見かけられる。
こんな暑いのにご苦労なことだと思う。
私は近場に居た農夫に声をかけた。
「すまないが、長老の場所を教えてくれないだろうか?」
声をかけられた農夫は鍬を止め、肩にかけたタオルで汗を拭いてから私を見た。
見るとなかなかに筋肉質で、30代前半といった感じの男性だった。
農夫は珍しそうな表情をした。
「む、あんた新入りかい?」
「新入り、か…恐らくそうなることになるんだろうな…」
「そっか………長老の家はほら、あの煙突のある家さ」
農夫が遠くに見える家を指す。
それほど大きな家でもない、質素な感じの家だった。
私はそれを見ると、男に深く頭を下げた。
「すまない、恩に着る」
「いいってことよ、近いうちに仲間になる人なんだから大歓迎さ」
手を軽く振ってから男はまた農作業に戻った。
爽やかな感じのする、好感触の里人だった。
私は再び男に軽く会釈をすると長老の家に向かった。
夏の日差しは人間にはきつい。
出来るだけ木陰を探して、見つけては入って歩いていく。
途中、何人か里人とすれ違った。
みんな汗だくになってはいたが、辛いといった表情でもなく楽しくやっているようだった。
(ここはいい里だな………)
心から、そう思えた。
少しずつ、休憩を入れながら長老の家に近づいていく。
出来るだけ汗を流さないようにゆっくりと歩いていくが、日差しがそれを許してくれない。
もはや汗で洋服が肌に張り付いて気持ちが悪い。
下着を着けているのが煩わしくもなった。
だが、一歩一歩確かに前進することで長老の家には近づく。
近くで見ても、やはりあまり他の家と比べてもなんら遜色のない古風な家作りだった。
(しかし、こういうのもなかなか風流があるものだな…)
ドアの前に立ち、木で出来たそれを控えめにノックする。
コンコン、と樹木特有の音を立てて家の中にノックが吸い込まれていった。
程なくして、横開きのドアが開いた。
まさしく古風だった。
顔を出したのは、白髪が目立つ老婆だった。
「おや…どちら様かえ?」
老婆らしく、ややゆっくりとした口調で話す。
随分と優しそうな人相だった。
「あぁ、私は上白沢慧音という者だが……長老はいらっしゃるだろうか?」
「えぇ、いますよ…まぁ、こんなところで立ち話もなんですから、中にお入りなさい?」
「すまない、それでは遠慮なく…」
「えぇ、どうぞ……外は暑かったでしょう?」
中に入ると、涼しげな風が吹いてきた。
外はあんなにも暑かったのに、室内はそうでもなかった。
何か私には分からない秘密があるのだろう。
私はゆっくりとあるく老婆に歩調を合わせて、奥の部屋へと案内された。
「あなた、お客様ですよ」
老婆が奥に座っていた長老と思しき人物に声をかける。
「おぉ、すまんな………」
その人物は老婆と同じく白髪が目立ち、皺も多かった。
そして、老婆と同じように優しそうな人相をしていた。
素晴らしい夫婦だな、と思う。
「冷えたお茶でも入れてきますね…ごゆっくり…」
「いえ、お構いなく」
老婆はまた来た道を戻っていった。
私は、老婆を見送った後に居住まいを正して、長老の前に正座をする。
そして深々と頭を下げた。
「私は上白沢慧音と申します。この度は、この里に住まわせていただきたく思いここに参りました」
「おやおや………頭を上げなさい、そんなに謙遜するものではないですよ…?」
「いえ、礼は大切なものと存じておりますゆえ」
「ほっほっほ、お堅い方ですなぁ………でも、どうか頭を上げてくだされ、お話が出来ぬよ」
「すみません……それではお言葉に甘えて、失礼します」
私は改めて頭を上げた。
長老は笑顔を讃えていた。
「ご存知でしょうが、わしはこの里の長をしております…なに、そんなに偉いものではないですよ」
ほっほっほ、と笑って長老は返事をした。
穏やかな人だった。
「して、慧音様……この里に住みたいとおっしゃっているが…」
「そんな、敬体を使われるほどの身分ではございません」
「はは、とことんお堅い方ですな……まぁ、話は戻しますが…」
「…はい、ですので出来ればしばらくの間空き家を貸していただきたく思いまして…」
「ふむふむ…」
長老は顎の下に少しだけ生えた、これまた白髪のひげを少し弄りながら答えた。
何か考えている風でもある。
やはりダメなのだろうか……
「無論、家賃の程は払います。ですから、私の家が出来るまでの間貸してくださりませんか?」
「ふむ………こんな田舎の里に本当に住むとおっしゃるので?」
「え? え、えぇ………この空気が気に入りまして…」
私のその返事に長老はふむふむ…、としばらく考えこんだ。
何かを模索しているような感じだった。
そこへ老婆が冷えたお茶を持ってきてくれた。
不思議とひんやりとしていて、コップの外側には結露した水滴がついていた。
窓の外からはせわしなくセミの声が響く。
私は冷えたお茶を一杯飲む。
長老は考え込んだままだった。
その沈黙に耐えかねて、私は口を開いた。
「あ、あの………老?」
「うむ………あそこが空いておったな…」
そういうと長老はすっくと立ち上がった。
「慧音様、ついてきてくだされ」
「え、あ、はぁ………」
その言葉につられて、私も立ち上がった。
空になったコップを老婆の下へと持っていって、私は長老の後について外に出た。
外は、相変わらず暑かった。
汗が引いていた身体には少し嫌な感じだった。
長老は黙々と迷いもなく歩いていく。
私は農作業をする人々を横目に見つつ、長老についていった。
そして歩くこと10分が経っただろうか。
長老は小さな家の前で立ち止まった。
これもまた古風で、高床式の家だった。
「ここは……?」
「慧音様…今日からここがあなたの家ですよ」
「………は?」
早い。
随分と決断が早い。
しかも小さいとはいえ立派な家だ。
「ここはこの間里を出て行った人の家でしてな…丁度家が余っていたのじゃ…」
「で、でもそれだとここの家の人々が戻ってきた時に…」
「ほっほ、家具も調度品もすべて持ち去ってしまっておるし、恐らく大丈夫じゃろうて」
「はぁ………」
私は家のドアを開けた。
少しばかり埃がたまっていたが、少し掃除をするだけで暮らせるようにはなりそうだ。
暖炉もあるし、キッチンもあった。
小さな家だったが、生活に必要最低限のものは完備されていた。
「しかし、私のような輩にこのような家を……本当にいいのでしょうか?」
私は長老を振り返って問う。
しかし、長老は朗らかに笑って、
「本当に謙遜する方ですなぁ…」
「あ、い、いえ、それは………」
何故か私の方が戸惑ってしまった。
「大丈夫じゃよ、むしろわし等は歓迎する方じゃ」
「…え?」
道中、道を教えてくれた農夫も同じようなことを言っていた。
この里では何故こうも受け入れるのだろうか。
それはこの里の人間が優しいからなのだろうか。
かつて、いろんな里に行っても受け入れられなかった私にとって、これは眩しかった。
私には、眩しすぎた。
「さて、それでは慧音様、時間がお出来になりましたら私の家へいらしてくだされ。
このままでは流石に眠れないでしょうから布団をお貸ししましょう」
「え、あ、その…そこまでしてもらわなくとも…」
「人間、困った時はお互い様ですじゃ……人の親切は素直に受け取っておいても損はないですよ?」
「はぁ………」
何故だ。
何故こんなに親切なのだ。
幻想郷では、普通の人間は妖怪に恐れを抱く。
それは、己に退治する力がないからだ。
妖怪の中にも、当然人間に扮して襲うものもいる。
だからこそ警戒して当たり前、受け入れる方が可笑しいのだ。
私がこれまでに受け入れられなかったのも、そんな理由からだ。
だけどこの里は何故こんなにも優しいのだ……
見知らぬ、何処の馬の骨とも分からぬ私に、何故優しくしてくれるのだろうか。
胸が痛くなった。
「そう、それと慧音様…」
「………あ、はい?」
つい、考え事をしていて反応が遅れてしまった。
だが長老は気にした様子でもなかった。
「家賃など要りませぬよ、わし等は一心同体ですからの」
「そ、そんなっ! 流石にそこまでお世話になることはっ!!」
「ほっほ、この里の住人は家賃など払っておらぬよ…
皆が笑って、皆が平和に過ごしていければそんなものは必要ないのじゃ」
「老………」
胸が一杯になった。
上手く言葉が出ない。
人の優しさに触れるのは何時だって私に眩しい。
「うむ、今日はいい日じゃ…今宵、里の中央にある広場に来ていただけませぬか?
慧音様の歓迎会でも開きたく思ってまして……ご迷惑でしょうか?」
私は、声が上手く出せなかったので首を横に振った。
私なんぞのために歓迎会なんて大袈裟だとは思う。
だけど、迷惑なんてものじゃない。
あまりに嬉しくて泣きそうになった。
「おぉ、そうですか……それでは、戌の刻くらいに広場までお越しくだされ」
「は………はいっ……!」
「では、布団の準備をしておきますのでいつでもどうぞ」
「はい…………あ、老っ!」
家から出て行きかけた長老を引き止める。
長老は足を止めて、私のほうに向き直った。
「…ありがとうございます……この親切は後生忘れません」
「ほほ…なぁに、わし等は皆隣人じゃ、気にすることはなかろうて」
長老は軽く黙礼をしてそのまま外に出た。
私もお返しに深々と頭を下げた。
改めて部屋を見渡すと、一人暮らしには広すぎるくらいの家だった。
キッチンもそれほど汚れてはいない。
窓の縁を指でなぞってみた。
指を見ると、真っ白とまではいかないが埃が付着していた。
「さて、まずは一仕事するか…」
まず第一にする仕事、大掃除。
私は半袖をさらに捲り上げた。
白い肌が露出する。
窓の方へ寄っていき、大きく窓を開け放った。
夏の日差しが窓から差し込み、熱風に混じって涼しい風が部屋に入り込んできた。
その光が、部屋にたまっている埃を映し出す。
これは大仕事だな、と内心苦笑しつつ、私は備え付けの箒を手に取り掃除を始めた。
全てが終わる頃、外は少しだけ気温が下がっていた気がした。
日が山奥に隠れ、暗くはないが夜が顔を見せていた。
まず大掃除、溜まりに溜まった埃を除去するのにはかなり骨が折れた。
しかし、掃除をした後は清々しい気分で一杯だった。
次に布団を長老の家に借りに行った。
夏用の布団らしく、薄い出来で夜も涼しそうだった。
この際、ついでだから冬用の布団も借りていくことにした。
夏の日中に冬用の布団を抱いて家まで歩くのは、拷問に近かった。
家に帰り着く頃には全身汗だくになっていた。
どうにも気持ちが悪かったが、次に荷物整理をした。
元々あまり持ってきていなかった所為か、これはすぐに終わった。
次に、近くの家に挨拶に回った。
挨拶に回るたび、この里の人は親切にもてなしてくれた。
別に長居するわけではなかったので家に入るのは断ってきたが、お近づきのしるしといったものをくれた。
しまった、私は気が利かなかったな…すぐにお返しをしようと思った。
『こういうのは気持ちだから』と言ってお返しはいらないと言ってくれたが、それでは私の気が済まない。
そして改めて増えた荷物の整理をした。
ここら辺、私の要領が悪いと思った瞬間だった。
気が付くと、汗が服に染み付いて肌に張り付き、さらに気持ちが悪くなっていた。
日も随分と傾いていたので、丁度いいと思い私はひとっ風呂浴びた。
色々と作業が重なり、疲労が溜まった身体には気持ちが良かった。
そして風呂から上がり、今に至る。
日が沈んでも暑さは残っていたが、冷涼な風も吹いていた。
私は風呂上りの濡れた髪を拭きながら風を受ける。
(そろそろ出るか………中央の広場だったな、確か…)
私はタオルを洗濯籠の中に入れて外に出た。
夏は戌の刻でも少しだけ明るい。
歩きながら、少し早すぎたかと思った。
だが時刻的には恐らく間違いはないはずだった。
広場までに道を、気持ちゆっくりに歩いていった。
広場の方が少しだけ騒がしい。
もう準備は終わっているのだろうか。
やはり早すぎただろうか。
私は少しだけ周辺を散策することにした。
この里はなかなか自然溢れる場所だった。
小川も流れ、日当たりもよく暮らしには最適のようにも思えた。
小川を覗くと、小魚が群れを成して泳いでいるのが何とか見えた。
もう日も暮れた。
夏の虫が精一杯音を出し始めていた。
もういいだろう。
私は広場へと向かった。
少しばかり遅くなったかもしれないけど。
広場には遠目からでもよく分かるくらい、人が集まっていた。
人数自体は少ないが、恐らく里の全てだろう。
老若男女みんなが集まっていた。
そう、私の歓迎会に集まってくれていたのだ。
中心には木が組まれて、そこには火が煌々と燃えていた。
さながらキャンプファイヤーといったところだろうか。
その中に、長老夫妻の姿を見かけた。
向こうも私を見つけたらしく、ゆっくりとした足取りで近づいてきた。
「すまない、少しばかり遅れたでしょうか」
「いえいえ、皆心待ちにしておりましたよ…」
「では慧音様、こちらの高台に…」
「あ、あぁ………しかし、何だか恥ずかしいな」
いくら紹介するとはいえ、里の皆の前に立つのは流石に恥ずかしい。
しかし、ここまで来れば乗りかかった船だ。
私は高台に上った。
そこからの景色を見るにつけ、やはり緊張した。
人数が少ないとはいえ、里全体が集まっている。
皆の死線が私に刺さる。
注目されている。
心臓の動悸が激しくなった。
「では皆の者、この里の新しい隣人を紹介しましょう」
長老のその言葉に、里が湧いた。
すでに酒を飲んで酔っている者も居るようだった。
「さ、慧音様…」
「あ、あぁ………」
ここに来て、しまったと思った。
何一つ言うことを考えていない。
いや、考えていたとしても緊張して言えなかっただろう。
なら、どちらでも変わらない、か………
私は手を強く握り締め、緊張を振り切った。
群集を目の前にして、深呼吸をする。
よし、言おう。
「本日からこの里に住まわせていただくことになった上白沢慧音と申します。
まだ不明な点が多々あるので、しばらくは皆の力を借りることになると思います…
それでは、不束者ですがよろしくお願い致します」
そう言って、深々とお辞儀をして高台を下っていった。
正直、恥ずかしさと緊張が入り混じっている。
台を降りた瞬間、自分でも驚くくらい心臓がバクバクしていた。
背中に里の皆の声援を受けながら、長老のところへ戻る。
「はは、緊張なされましたかな?」
「え、えぇ………あはは…」
バレバレだったようだ。
でも、とりあえず大きな仕事が終わった。
少しずつ、心臓の鼓動も収まってきた。
「では、慧音様もこの宴を楽しんでください」
「はい、本当に私のためにありがとうございます…」
「いえいえ、この里の恒例行事のようなものですよ…お気になさらずに」
そう言うと長老は椅子にゆっくりと腰掛けた。
次の瞬間、私の腕が誰かにつかまれていた。
ほんのりと頬が赤く染まっている若い女子だった。
「ねぇねぇ、慧音さんって言うんでしたっけ?」
「あ、あぁ……」
底抜けなまでに明るい人物だった。
「ほら、こんなところで燻ってないで私たちと一緒に飲みましょうよ~!」
「え、え、えぇ?!」
そんな、いきなりだ。
すると、別の方向からまた声がかかる。
「おいおいっ、慧音さんを独り占めするんじゃねぇぞ~っ、ひっく…」
今度は結構飲んでいるような男衆だった。
皆農作業をしているからかもしれないが、筋骨隆々としていた。
なんと言うか……漢だった。
「もう、いきなり男臭を慧音さんにぶちまけたら失礼でしょ?」
「おっ、男臭とはなんだ~っ!?!」
混乱する私を余所に女衆VS男…いや、漢衆の図面が出来上がっていた。
大体男臭というものは何なんだ……少し興味が湧くじゃないか。
「ふっ、俺たちの筋肉を慧音さんにも見せるのよっ!!」
「え、えぇぇぇ~~っ!?」
それは流石に困る。
「それってセクハラよ、セクハラ!!」
「ええいっ、慧音さんなら俺たちの筋肉を理解してくれるはずだぁっ!!」
「いや、あの………」
すまん、正直そんな理解はあまりしたくない。
いや、何故そのような筋肉がついたことについてなら理解はしているつもりだが。
「まぁまぁ、皆で騒げばいいじゃないですか…」
そこへ長老が助け舟を出してくれた。
非常にありがたい。
天使のようだ。
「ま、まぁそれもそうだな……何だかくだらないことで言い争ってたな、俺たち…」
「まぁまぁ、別にいつものことでしょ? 気にしてないわよ~」
「そっか…よし、慧音さんの歓迎会をお互い楽しむとしようぜ!」
「そうね、それじゃまず私たちも自己紹介しないとね?」
どうやら落ち着いたらしい。
ちょっと言い争ってもすぐに仲直りできるこれも、この里のいいところなのだろう。
だから、皆が平和に笑って暮らせる。
疑わないことが平和に繋がることを、知っている。
何て素晴らしい里なんだろう。
それから、私は自己紹介を聞いた。
中には、昼間に挨拶しに行った者も居た。
元々人の顔と名前を覚えるのは得意だ。
幻想郷の歴史だって知ってるくらいだから、この程度は朝飯前だ。
その後も、一緒に酒を飲んだ。
酔った連中から絡まれて、歌う展開にもなった。
あまり人前で歌ったことはないから自信は無かった。
というか、歌わせないで欲しい。
だけど、彼らにも悪気はないことは分かっている。
こういうのは雰囲気作りなのだ。
でも、あまりに恥ずかしかったので民謡にしておいた。
夜も更けてくると、子供たちが帰っていった。
大人はさらに酔いが回り、べろんべろんになっていた。
途中、私に彼氏がいるとかどうとか言う話になった。
いや、勘弁してくれ………
と言うと、男衆が可愛いから俺の嫁になってくれとも言っていた。
直後、妻のある者は耳をつねられていた。
それを見て、女衆と一緒になって笑った。
平和だった。
こんな平和が長く続いて欲しかった。
こんな楽しさがずっと続いて欲しかった。
いや。
それは夢なんかじゃなく、この里なら出来そうな気がしていた。
この里なら、私を受け入れてくれるのかもしれない。
私は、そう願った。
でも、いつか私が半獣であることを明かさなくてはならない。
その時が来るのが、少しだけ怖くなった。
心の隅でそんなことを考えて、しかし私はこの宴を満喫した。
笑っていられるこのときは、思い出に残したいと思った。
それから、私は里での生活を始めた。
当然、満月の夜はハクタクに変身してしまう。
だから私は満月の夜は「外せない用事があるんだ」と嘘をついて、里から出て行った。
朝早く、5時前後に起きてみると既に起きている人も見かけた。
『早いんですね』と声をかけられたが、偶然ですよと返した。
正直、5時に起きるのには驚いた。
そんなあなたに、『早いんですね』。
日が高くなると、農夫は畑を耕し、雑草を抜く。
私は女衆についていって、山菜を取りに行った。
里から山へは比較的近く、食べられる植物の宝庫でもあった。
私はその知識を活かして、薬草や毒草のことも教えた。
山菜取りから帰ると、随分と汗だくになっていた。
しかし、これから山菜を洗って、夫の農作業の手伝いをするという者もいる。
彼女らを見ると、私ほど汗をかいていなかった。
流石だな、と内心思った。
夏は長い。
9月も終わりに近づいたというのに、日差しは強いままだ。
だが、セミの鳴き声も消えてきて、夜は随分と涼しくなった。
トンボが畑の上を飛び始めた。
8月の終わりくらいに、近くの住人が畑を分けてくれた。
お互い助け合うことを条件に、私はそれを承諾した。
別に気にしなくてもいいのに、と言われたが流石に私にもプライドというものがある。
私は畑をいくつかのブロックに分けて、それぞれの季節に育つ植物を植えた。
春は春キャベツ。
夏はスイカ。
秋はサツマイモ。
冬は大根。
こうして、1年の楽しみが増えた。
セミの鳴き声が寂しく耳に残り、トンボが多く飛ぶ。
もう、秋は近い。
秋。
道の各所に生えている木には、柿が熟し始めた。
子供たちがその柿を取って喜ぶ。
子供たちが喜んで取れた柿を私に見せに来る。
私はその柿を切って、食べられるように子供たちに出した。
子供たちは喜んで柿を食べ、そして私にも分けてくれた。
純粋に、嬉しかった。
子供たちに見えないように、私は少しだけ泣いた。
秋は日が暮れるのも早い。
しかし風が涼しく、日差しもさして強くないために農作業がはかどると言うものだ。
私は自分の畑の作業を一通り終えると、隣人や里の人の作業も手伝いに行った。
私の畑はまだまだだが、他の里人の畑ではかなりの収穫があったようだ。
秋には収穫祭が行われた。
私の歓迎会がついこの間のように思われる。
皆が飲み、騒ぎ、歌い、喜び、笑い、楽しんだ。
私はもう里に馴染んでいた。
ハクタクに変身してしまう理由から、十五夜を里の皆と一緒に過ごせないのは残念だった。
しかし、十六夜には近くの住人と集まって月見をする。
少しだけ欠けた月を見るのは残念だったが、皆は気にせず笑ってくれた。
月を見て、月を酒の水面に映し、月を飲むようにして酒を飲む。
里の人が作ってくれたお団子は、今まで食べたことのないような美味しい味だった。
冬は耐える季節だ。
その寒さのために、農作業があまりはかどらない。
防寒具を着こんで、隣人と『寒いですね』と作業をしながら笑いあう。
実際、もこもこに着込んで農作業をするのは笑えた。
暖を取ってゆっくりと休む。
ふと、窓の外を見ると様子が違った。
雪がちらちらと降っていた。
私は部屋の中から雪に見とれた。
しばらくすると、子供たちが家の中から飛び出してきた。
本当に嬉しそうに笑って喜んでいた。
そんな子供たちを見ながら、『積もればいいな』と願ってあげる自分がいた。
冬が厳しくなると、雪は願ったように積もった。
子供たちは積もった雪で嬉しそうに遊んでいた。
雪合戦をしたり、かまくらを作ったり、雪だるまを作ったり…
その楽しそうな様子に引かれて、私も防寒具を着てから外に出た。
一緒に雪合戦をしたり、協力して大きな雪だるまを作ったりした。
皆で頑張って、随分と大きなかまくらもつくった。
冬だというのに汗をかいたけど、楽しかった。
皆で作ったかまくらの中は、なかなかに暖かかった。
雪も少しずつ溶け始め、春が息吹く頃、私は自分にあてがわれている畑を見た。
冬を立派に過ごした私の畑は、胸を張っているようだった。
『冬ももう終わりですかねぇ』と隣人が話しかけてきた。
私はそうですね、と返事をした。
その言葉に、『子供たちもがっかりしますね』と付け加えた。
隣人は、こう答えた。
『慧音さんはいつも私たちのことを考えてくださる…本当に優しい方ですね』、と。
私は、耳まで赤くなった。
春になった。
土筆が出て、山にはふきのとうが目に入った。
秋と同じく過ごしやすい春は、心地が良かった。
春一番の風に女衆のスカートがめくられる。
農作業をしていた農夫がその光景に手を止めた。
途端に顔つきがいやらしくなった。
直後、農夫が妻にどつかれていた。
その光景を見て、私と女衆は一緒に笑った。
その農夫はいつもあんな感じだ。
しかし、いつも幸せそうだ。
それは、毎日が充実しているからに違いなかった。
畑を見ると、秋に蒔いた春キャベツが見事に育っていた。
緩やかに巻かれた葉は、瑞々しかった。
私の畑で初めて出来た、私の野菜だった。
畑を分けてくれた人から『おめでとうございます』と言われ、少し照れた。
私は出来た春キャベツを、おすそ分けしていった。
ある日、私が来た時のように歓迎会が開かれた。
この里に新しくまた隣人が増えた。
若い夫婦で、非常に仲が良さそうだった。
それからはいつものように、飲んで騒いでの宴となった。
少し離れた所から冷静に見ると分かるのだが、新しく越してきた人はいつも絡まれる運命にあるらしい。
そんな二人に軽く同情を交えつつも、私は宴を楽しんだ。
私が里に来て、1年が過ぎようとしていた。
「誕生日?」
「そう、この間思い出したら確か知らなかったなって思って…」
「そうか、誕生日か…」
春が終わりに近づく頃、里人からこんなことを聞かれた。
正直、誕生日など知らない。
と言うより、こんなことを聞かれたのは初めてだった。
「で、慧音さん。誕生日って何時ですか~?」
「いや、それはその…………実は忘れたんだ…」
忘れた、と言うより知らないんだ。
そんなことは気にも留めなかったし、必要もないような気がしていたからだ。
「う~ん、困ったわねぇ……」
「いや、別に祝ってもらわなくても………私にはそれが普つ」
「ダメダメ~っ!! せっかく同じ里に住んでるんだから…」
「あ、あぁ…」
最後まで言えなかった…
私はその気迫に少しだけ圧倒された。
妙なところでパワフルだな、ここの里人は…
その様子に苦笑を禁じえなかった。
「それじゃ、こんなのはどうかしら? 慧音さんがこの里に来た日」
「私が…ここに来た日?」
「そう、誕生日を忘れたならそれを誕生日にすればいいんじゃない?」
「いや、でも私は別n」
「それじゃ決まりっ!! 慧音さんの誕生日は夏だね!!」
「あ、あぁ…」
またしてもパワフリャーな気迫に押されてしまった。
なんとも恐ろしや、里人パワー…
その有り余るエネルギーは労働だけでは飽き足りないらしい。
と言うことで、私の誕生日は夏に決まってしまった。
でも。
不思議と悪い気はしない。
私は、初めて祝ってもらう誕生日というものに憧れを抱いているとでもいうのだろうか…
その日から、少しずつ夏を楽しみにしだしたのは誰にも言えない秘密だ。
ある日、子供たちに勉強を教えてくれと依頼があった。
別に断る理由もなかったし、青空教室だからすぐに済むだろうと思った。
私は二つ返事でOKを出したのだが……
「けーねせんせーけーねせんせー」
「ねぇ慧音先生ってばぁ~!」
「けーねせんせぇ~…ここの問題が分からない~…」
「慧音先生、ちょっとここで質問があるんですけど…」
「けーねせんせー!! あのね、あのね~っ!!」
ちょっぴり後悔した。
「あ~、そんなに急ぐな、私は一人しかいないんだから………順番に、な?」
と、頑張ってなだめても、
「じゃあボクが先~っ!!」
「あ、私はその次っ!」
「あ~っ、割り込みした!!」
「待てよ、こういうのは年齢が高い順番だろ?」
「慧音先生は私に教えてくれるの~っ!!」
「けーねせんせぇ~~~っ!!」
ずぼっ
「こ、こらっ!? スカートの中に入り込むんじゃないっ!?」
「慧音先生っ!! 結婚してくれぇぇぇぇぇ!!!」
ガツン!
ずるずるずる…
一人何か別のが混じっていたらしい。
「い、痛いっ!! 耳がもげるっ!!」
「アンタは何時になったらその癖が治るって言うんだい!!」
「あ、明日っ!! 明日からっ!!」
「いつも明日じゃないかっ!! まったく、アンタって人はねぇ…」
いつものようにどつかれて、耳を引っ張られて消えていく。
その様子に一瞬呆気に取られたが、少しの間を置いてみんなで笑いあった。
まとまりはないが、楽しかったことは事実だった。
次の日から、先生をすることに楽しみを見つけた。
こうして私の楽しみ、幸せが毎日増えていく。
純粋に、このときが永遠に続けばいいと思った。
永遠などないと分かっていても、今はこの時を精一杯楽しみたかった。
春の終わり、新たな命が芽吹く。
里のとある夫婦の間に、赤ん坊が出来たということは知っていた。
その赤ん坊が、今生まれそうだというのだ。
私は大急ぎでその夫婦の場所へ行った。
夫婦の家には既に多くの人が集まっていた。
「だ、大丈夫なのか?」
「あぁ、慧音さん……今丁度助産婦が出来る者が里の外に出ていて…」
「そうか…すまない、少し通してくれ。出来る限り手伝おう」
私は家の中に入っていった。
中では妻がうんうんと唸っていた。
夫が傍に寄り添い、励ましている。
「すまない、突然入り込んで……それで、様子はどうだ?」
「慧音さんっ!! 助かった…妻が、妻がっ!!」
「お、落ち着け…夫のお前がそんな感じでどうする…」
「そ、そうですね………つい取り乱しちゃって…」
私は寝込んでいる妻の様子を見た。
非常に苦しそうであり、何時生まれても可笑しくない状況だった。
これは……色々と処置をしている時間はない。
「手の空いたものはぬるま湯を風呂に半分ほど入れてくれ!
準備が出来たらあなたは妻をゆっくりと動かし、ぬるま湯に入れてくれ」
随分と痛そうだった。
これは痛みを和らげる水中出産が一番楽になるだろうと思った。
「け、慧音さん…………あ、あのっ……私っ………」
「心配には及ばない、お前は楽な姿勢をとっているんだ」
「は、はい…ありがとうございます……」
私は夫に後を任せて、水を汲みに行った。
桶を片手に、里を流れる小川を目指す。
小川の水は少し冷たかったので、少し火を入れてぬるま湯にした。
他の里人も水を汲んできてくれた。
私は里人に礼を言いつつ、夫婦の家の風呂桶にぬるま湯を入れた。
腰くらいの深さまで溜めると頃合いだと思った。
「夫と里の者は協力してゆっくりと妊婦を風呂場に連れてきてくれ!」
急いで命令を出す。
その間にも妊婦の呼吸は激しく、早くなっていた。
大丈夫だろうか…
私のにわか知識だけで大丈夫なのか不安になったが、今は自分を信じるしかないと思った。
程なくすると、里人と夫が協力して妊婦を運んできた。
「よし、湯船につけて……夫は妻を支えてあげてくれ、私も協力する」
「あ、あぁ…」
その夫は妻をゆっくりと湯船につけた。
大体腰の辺りまで浸かると、私も湯船に浸かり妊婦の身体をそっと支えてやった。
夫もそれに続いた。
よし、何とかここまでこれた。
あとは楽な体勢を取らせ続け、生まれるのを待つだけだ。
いつの間にか額に描いていた汗を、袖で拭った。
ふぅ、と軽くため息をついた。
「皆、ありがとう。ここまで来ればもう大丈夫だ。あとはタオルを大量に用意しててくれれば嬉しい」
「そう…それはよかった…」
里人も安心したようで、各々の家から1枚ずつタオルを持ってきてくれた。
流石にかなりの量になったが。
私と夫はそれから付きっきりで妊婦の身の回りの世話をした。
途中、里人が交代しようかと言ってくれたが、そこまで疲労は溜まっていないから大丈夫、と答えた。
何度も励まし、何度も安心させ、何度も楽な体制にしてやった。
いつの間にか日は沈み、辺りが暗くなった。
里人の多くがこの家に集まっていた。
新たな命の誕生を、まだかまだかと心待ちにしていた。
夫は妻を励まし、私は笑顔で支えてやった。
そんな繰り返しの行動が夜になって2時間ほど続いた頃だった。
「おぎゃっ、おぎゃぁぁぁぁぁあああっ!!!」
「やった、やったぞお前っ!!」
「あなた………やったわ…」
「ふぅ…良かったな、二人とも………」
「あぁ、これも全て慧音さんのお陰だよっ!!」
「いや、私だけではない、里の皆の協力があってこそだよ」
タオルに包まれた新しい命は、母に抱かれて元気に泣き叫んでいた。
私が風呂場から出ると、里人たちは既に大騒ぎしていた。
どうやら産声が聞こえていたらしい。
と、里人が私の両手をつかんでぶんぶん振り回して喜んでいた。
あまりの激しさに、肩が外れるかと思ったが嬉しかった。
他人のことなのに、自分のことのように喜べる。
他人のことなのに、皆で協力して助け合う。
この里は改めて素晴らしいと思えた。
その日の布団は、心なしか心地よかった。
春が来て。
みんなで花見をして。
みんなでたくさんの花を愛でて。
宴会をして、青空の下で日向ぼっこをして。
散り行く桜を見て感傷に浸って、来年また会おうねと言って。
夏が来て。
子供たちに甲虫が採れる木を教えたり、昆虫採集をして。
集めた虫で、童心に帰り一緒に虫相撲をして、小さなはずの勝敗に一喜一憂して。
小川の近くで蛍を見て、綺麗だねと見とれたりして。
里人と一緒に汗をかいて、一緒にスイカを食べて、墓参りをして、盆踊りをしたり、花火をしたりして。
秋が来て。
収穫祭が行われて、みんなではしゃぎあって。
十六夜の月を見ながら風流を感じたりして。
落ち葉を集めて、みんなで焼き芋をして美味しく食べたりして。
山が紅葉で紅く染まっているのを見て、子供たちと民謡を一緒に歌ったりして。
冬が来て。
朝は布団から出るのが辛いですね、と隣人と笑いあって。
雪が降ると子供たちと一緒に雪合戦をしたり、かまくらを作ったり、雪だるまを作ったりして。
年が明けるのをみんなで祝って、おせち料理をみんなで楽しく食べて。
雪が溶ける頃に芽吹く小さな命を見て、春を感じたりして。
春夏秋冬、一年四季ここにあり。
それぞれの季節で、それぞれの幸せがあった。
「うん? どうした妹紅?」
「いやな、私たちが出会ってからもう随分と経つけどさ、お互い昔のことは知らないなって思ってさ」
「あぁ、それもそうだが…」
「………」
「………」
「………やっぱりさ、昔のことは話しにくいか、慧音…?」
「…………………」
注がれた酒を人煽りする。
透明な液体。
その水面に、月を綺麗に映し出す。
「あ、あははっ、ごめんな慧音~っ! 変なこと言っちゃって…今の話は無しってことで!」
「いや………」
妹紅と飲む酒。
確かに、妹紅と出会ってから随分と経つ。
そして、妹紅からの突然の話題だ。
7割が輝夜、2割が私、残りがいろんなことで出来ていそうな妹紅だ。
その妹紅が知りたいというのだ。
「………そうだな、他でもない親友の頼みだ。たまには昔話もいいか…」
「……慧音……ごめん、あんまり無理しないでいいよ…? 元々私の我侭だったんだし…」
「はは、妹紅は謝らなくてもいいさ。今、話したいと思ったのは私の意志だからな」
「慧音………」
「いや、お前だからこそ話そうと思ったのかもしれないな………」
手にしていた盃を置く。
「さて、それじゃあ話そうか」
「あれは随分と昔だったな………そう、私が今の人里に初めて到着した時だ」
◇
日差しが強い一日だった。
額の汗を拭い、ふぅと一息つく。
夏の暑い日だ。
少し遠くに農夫が数人見かけられる。
こんな暑いのにご苦労なことだと思う。
私は近場に居た農夫に声をかけた。
「すまないが、長老の場所を教えてくれないだろうか?」
声をかけられた農夫は鍬を止め、肩にかけたタオルで汗を拭いてから私を見た。
見るとなかなかに筋肉質で、30代前半といった感じの男性だった。
農夫は珍しそうな表情をした。
「む、あんた新入りかい?」
「新入り、か…恐らくそうなることになるんだろうな…」
「そっか………長老の家はほら、あの煙突のある家さ」
農夫が遠くに見える家を指す。
それほど大きな家でもない、質素な感じの家だった。
私はそれを見ると、男に深く頭を下げた。
「すまない、恩に着る」
「いいってことよ、近いうちに仲間になる人なんだから大歓迎さ」
手を軽く振ってから男はまた農作業に戻った。
爽やかな感じのする、好感触の里人だった。
私は再び男に軽く会釈をすると長老の家に向かった。
夏の日差しは人間にはきつい。
出来るだけ木陰を探して、見つけては入って歩いていく。
途中、何人か里人とすれ違った。
みんな汗だくになってはいたが、辛いといった表情でもなく楽しくやっているようだった。
(ここはいい里だな………)
心から、そう思えた。
少しずつ、休憩を入れながら長老の家に近づいていく。
出来るだけ汗を流さないようにゆっくりと歩いていくが、日差しがそれを許してくれない。
もはや汗で洋服が肌に張り付いて気持ちが悪い。
下着を着けているのが煩わしくもなった。
だが、一歩一歩確かに前進することで長老の家には近づく。
近くで見ても、やはりあまり他の家と比べてもなんら遜色のない古風な家作りだった。
(しかし、こういうのもなかなか風流があるものだな…)
ドアの前に立ち、木で出来たそれを控えめにノックする。
コンコン、と樹木特有の音を立てて家の中にノックが吸い込まれていった。
程なくして、横開きのドアが開いた。
まさしく古風だった。
顔を出したのは、白髪が目立つ老婆だった。
「おや…どちら様かえ?」
老婆らしく、ややゆっくりとした口調で話す。
随分と優しそうな人相だった。
「あぁ、私は上白沢慧音という者だが……長老はいらっしゃるだろうか?」
「えぇ、いますよ…まぁ、こんなところで立ち話もなんですから、中にお入りなさい?」
「すまない、それでは遠慮なく…」
「えぇ、どうぞ……外は暑かったでしょう?」
中に入ると、涼しげな風が吹いてきた。
外はあんなにも暑かったのに、室内はそうでもなかった。
何か私には分からない秘密があるのだろう。
私はゆっくりとあるく老婆に歩調を合わせて、奥の部屋へと案内された。
「あなた、お客様ですよ」
老婆が奥に座っていた長老と思しき人物に声をかける。
「おぉ、すまんな………」
その人物は老婆と同じく白髪が目立ち、皺も多かった。
そして、老婆と同じように優しそうな人相をしていた。
素晴らしい夫婦だな、と思う。
「冷えたお茶でも入れてきますね…ごゆっくり…」
「いえ、お構いなく」
老婆はまた来た道を戻っていった。
私は、老婆を見送った後に居住まいを正して、長老の前に正座をする。
そして深々と頭を下げた。
「私は上白沢慧音と申します。この度は、この里に住まわせていただきたく思いここに参りました」
「おやおや………頭を上げなさい、そんなに謙遜するものではないですよ…?」
「いえ、礼は大切なものと存じておりますゆえ」
「ほっほっほ、お堅い方ですなぁ………でも、どうか頭を上げてくだされ、お話が出来ぬよ」
「すみません……それではお言葉に甘えて、失礼します」
私は改めて頭を上げた。
長老は笑顔を讃えていた。
「ご存知でしょうが、わしはこの里の長をしております…なに、そんなに偉いものではないですよ」
ほっほっほ、と笑って長老は返事をした。
穏やかな人だった。
「して、慧音様……この里に住みたいとおっしゃっているが…」
「そんな、敬体を使われるほどの身分ではございません」
「はは、とことんお堅い方ですな……まぁ、話は戻しますが…」
「…はい、ですので出来ればしばらくの間空き家を貸していただきたく思いまして…」
「ふむふむ…」
長老は顎の下に少しだけ生えた、これまた白髪のひげを少し弄りながら答えた。
何か考えている風でもある。
やはりダメなのだろうか……
「無論、家賃の程は払います。ですから、私の家が出来るまでの間貸してくださりませんか?」
「ふむ………こんな田舎の里に本当に住むとおっしゃるので?」
「え? え、えぇ………この空気が気に入りまして…」
私のその返事に長老はふむふむ…、としばらく考えこんだ。
何かを模索しているような感じだった。
そこへ老婆が冷えたお茶を持ってきてくれた。
不思議とひんやりとしていて、コップの外側には結露した水滴がついていた。
窓の外からはせわしなくセミの声が響く。
私は冷えたお茶を一杯飲む。
長老は考え込んだままだった。
その沈黙に耐えかねて、私は口を開いた。
「あ、あの………老?」
「うむ………あそこが空いておったな…」
そういうと長老はすっくと立ち上がった。
「慧音様、ついてきてくだされ」
「え、あ、はぁ………」
その言葉につられて、私も立ち上がった。
空になったコップを老婆の下へと持っていって、私は長老の後について外に出た。
外は、相変わらず暑かった。
汗が引いていた身体には少し嫌な感じだった。
長老は黙々と迷いもなく歩いていく。
私は農作業をする人々を横目に見つつ、長老についていった。
そして歩くこと10分が経っただろうか。
長老は小さな家の前で立ち止まった。
これもまた古風で、高床式の家だった。
「ここは……?」
「慧音様…今日からここがあなたの家ですよ」
「………は?」
早い。
随分と決断が早い。
しかも小さいとはいえ立派な家だ。
「ここはこの間里を出て行った人の家でしてな…丁度家が余っていたのじゃ…」
「で、でもそれだとここの家の人々が戻ってきた時に…」
「ほっほ、家具も調度品もすべて持ち去ってしまっておるし、恐らく大丈夫じゃろうて」
「はぁ………」
私は家のドアを開けた。
少しばかり埃がたまっていたが、少し掃除をするだけで暮らせるようにはなりそうだ。
暖炉もあるし、キッチンもあった。
小さな家だったが、生活に必要最低限のものは完備されていた。
「しかし、私のような輩にこのような家を……本当にいいのでしょうか?」
私は長老を振り返って問う。
しかし、長老は朗らかに笑って、
「本当に謙遜する方ですなぁ…」
「あ、い、いえ、それは………」
何故か私の方が戸惑ってしまった。
「大丈夫じゃよ、むしろわし等は歓迎する方じゃ」
「…え?」
道中、道を教えてくれた農夫も同じようなことを言っていた。
この里では何故こうも受け入れるのだろうか。
それはこの里の人間が優しいからなのだろうか。
かつて、いろんな里に行っても受け入れられなかった私にとって、これは眩しかった。
私には、眩しすぎた。
「さて、それでは慧音様、時間がお出来になりましたら私の家へいらしてくだされ。
このままでは流石に眠れないでしょうから布団をお貸ししましょう」
「え、あ、その…そこまでしてもらわなくとも…」
「人間、困った時はお互い様ですじゃ……人の親切は素直に受け取っておいても損はないですよ?」
「はぁ………」
何故だ。
何故こんなに親切なのだ。
幻想郷では、普通の人間は妖怪に恐れを抱く。
それは、己に退治する力がないからだ。
妖怪の中にも、当然人間に扮して襲うものもいる。
だからこそ警戒して当たり前、受け入れる方が可笑しいのだ。
私がこれまでに受け入れられなかったのも、そんな理由からだ。
だけどこの里は何故こんなにも優しいのだ……
見知らぬ、何処の馬の骨とも分からぬ私に、何故優しくしてくれるのだろうか。
胸が痛くなった。
「そう、それと慧音様…」
「………あ、はい?」
つい、考え事をしていて反応が遅れてしまった。
だが長老は気にした様子でもなかった。
「家賃など要りませぬよ、わし等は一心同体ですからの」
「そ、そんなっ! 流石にそこまでお世話になることはっ!!」
「ほっほ、この里の住人は家賃など払っておらぬよ…
皆が笑って、皆が平和に過ごしていければそんなものは必要ないのじゃ」
「老………」
胸が一杯になった。
上手く言葉が出ない。
人の優しさに触れるのは何時だって私に眩しい。
「うむ、今日はいい日じゃ…今宵、里の中央にある広場に来ていただけませぬか?
慧音様の歓迎会でも開きたく思ってまして……ご迷惑でしょうか?」
私は、声が上手く出せなかったので首を横に振った。
私なんぞのために歓迎会なんて大袈裟だとは思う。
だけど、迷惑なんてものじゃない。
あまりに嬉しくて泣きそうになった。
「おぉ、そうですか……それでは、戌の刻くらいに広場までお越しくだされ」
「は………はいっ……!」
「では、布団の準備をしておきますのでいつでもどうぞ」
「はい…………あ、老っ!」
家から出て行きかけた長老を引き止める。
長老は足を止めて、私のほうに向き直った。
「…ありがとうございます……この親切は後生忘れません」
「ほほ…なぁに、わし等は皆隣人じゃ、気にすることはなかろうて」
長老は軽く黙礼をしてそのまま外に出た。
私もお返しに深々と頭を下げた。
改めて部屋を見渡すと、一人暮らしには広すぎるくらいの家だった。
キッチンもそれほど汚れてはいない。
窓の縁を指でなぞってみた。
指を見ると、真っ白とまではいかないが埃が付着していた。
「さて、まずは一仕事するか…」
まず第一にする仕事、大掃除。
私は半袖をさらに捲り上げた。
白い肌が露出する。
窓の方へ寄っていき、大きく窓を開け放った。
夏の日差しが窓から差し込み、熱風に混じって涼しい風が部屋に入り込んできた。
その光が、部屋にたまっている埃を映し出す。
これは大仕事だな、と内心苦笑しつつ、私は備え付けの箒を手に取り掃除を始めた。
全てが終わる頃、外は少しだけ気温が下がっていた気がした。
日が山奥に隠れ、暗くはないが夜が顔を見せていた。
まず大掃除、溜まりに溜まった埃を除去するのにはかなり骨が折れた。
しかし、掃除をした後は清々しい気分で一杯だった。
次に布団を長老の家に借りに行った。
夏用の布団らしく、薄い出来で夜も涼しそうだった。
この際、ついでだから冬用の布団も借りていくことにした。
夏の日中に冬用の布団を抱いて家まで歩くのは、拷問に近かった。
家に帰り着く頃には全身汗だくになっていた。
どうにも気持ちが悪かったが、次に荷物整理をした。
元々あまり持ってきていなかった所為か、これはすぐに終わった。
次に、近くの家に挨拶に回った。
挨拶に回るたび、この里の人は親切にもてなしてくれた。
別に長居するわけではなかったので家に入るのは断ってきたが、お近づきのしるしといったものをくれた。
しまった、私は気が利かなかったな…すぐにお返しをしようと思った。
『こういうのは気持ちだから』と言ってお返しはいらないと言ってくれたが、それでは私の気が済まない。
そして改めて増えた荷物の整理をした。
ここら辺、私の要領が悪いと思った瞬間だった。
気が付くと、汗が服に染み付いて肌に張り付き、さらに気持ちが悪くなっていた。
日も随分と傾いていたので、丁度いいと思い私はひとっ風呂浴びた。
色々と作業が重なり、疲労が溜まった身体には気持ちが良かった。
そして風呂から上がり、今に至る。
日が沈んでも暑さは残っていたが、冷涼な風も吹いていた。
私は風呂上りの濡れた髪を拭きながら風を受ける。
(そろそろ出るか………中央の広場だったな、確か…)
私はタオルを洗濯籠の中に入れて外に出た。
夏は戌の刻でも少しだけ明るい。
歩きながら、少し早すぎたかと思った。
だが時刻的には恐らく間違いはないはずだった。
広場までに道を、気持ちゆっくりに歩いていった。
広場の方が少しだけ騒がしい。
もう準備は終わっているのだろうか。
やはり早すぎただろうか。
私は少しだけ周辺を散策することにした。
この里はなかなか自然溢れる場所だった。
小川も流れ、日当たりもよく暮らしには最適のようにも思えた。
小川を覗くと、小魚が群れを成して泳いでいるのが何とか見えた。
もう日も暮れた。
夏の虫が精一杯音を出し始めていた。
もういいだろう。
私は広場へと向かった。
少しばかり遅くなったかもしれないけど。
広場には遠目からでもよく分かるくらい、人が集まっていた。
人数自体は少ないが、恐らく里の全てだろう。
老若男女みんなが集まっていた。
そう、私の歓迎会に集まってくれていたのだ。
中心には木が組まれて、そこには火が煌々と燃えていた。
さながらキャンプファイヤーといったところだろうか。
その中に、長老夫妻の姿を見かけた。
向こうも私を見つけたらしく、ゆっくりとした足取りで近づいてきた。
「すまない、少しばかり遅れたでしょうか」
「いえいえ、皆心待ちにしておりましたよ…」
「では慧音様、こちらの高台に…」
「あ、あぁ………しかし、何だか恥ずかしいな」
いくら紹介するとはいえ、里の皆の前に立つのは流石に恥ずかしい。
しかし、ここまで来れば乗りかかった船だ。
私は高台に上った。
そこからの景色を見るにつけ、やはり緊張した。
人数が少ないとはいえ、里全体が集まっている。
皆の死線が私に刺さる。
注目されている。
心臓の動悸が激しくなった。
「では皆の者、この里の新しい隣人を紹介しましょう」
長老のその言葉に、里が湧いた。
すでに酒を飲んで酔っている者も居るようだった。
「さ、慧音様…」
「あ、あぁ………」
ここに来て、しまったと思った。
何一つ言うことを考えていない。
いや、考えていたとしても緊張して言えなかっただろう。
なら、どちらでも変わらない、か………
私は手を強く握り締め、緊張を振り切った。
群集を目の前にして、深呼吸をする。
よし、言おう。
「本日からこの里に住まわせていただくことになった上白沢慧音と申します。
まだ不明な点が多々あるので、しばらくは皆の力を借りることになると思います…
それでは、不束者ですがよろしくお願い致します」
そう言って、深々とお辞儀をして高台を下っていった。
正直、恥ずかしさと緊張が入り混じっている。
台を降りた瞬間、自分でも驚くくらい心臓がバクバクしていた。
背中に里の皆の声援を受けながら、長老のところへ戻る。
「はは、緊張なされましたかな?」
「え、えぇ………あはは…」
バレバレだったようだ。
でも、とりあえず大きな仕事が終わった。
少しずつ、心臓の鼓動も収まってきた。
「では、慧音様もこの宴を楽しんでください」
「はい、本当に私のためにありがとうございます…」
「いえいえ、この里の恒例行事のようなものですよ…お気になさらずに」
そう言うと長老は椅子にゆっくりと腰掛けた。
次の瞬間、私の腕が誰かにつかまれていた。
ほんのりと頬が赤く染まっている若い女子だった。
「ねぇねぇ、慧音さんって言うんでしたっけ?」
「あ、あぁ……」
底抜けなまでに明るい人物だった。
「ほら、こんなところで燻ってないで私たちと一緒に飲みましょうよ~!」
「え、え、えぇ?!」
そんな、いきなりだ。
すると、別の方向からまた声がかかる。
「おいおいっ、慧音さんを独り占めするんじゃねぇぞ~っ、ひっく…」
今度は結構飲んでいるような男衆だった。
皆農作業をしているからかもしれないが、筋骨隆々としていた。
なんと言うか……漢だった。
「もう、いきなり男臭を慧音さんにぶちまけたら失礼でしょ?」
「おっ、男臭とはなんだ~っ!?!」
混乱する私を余所に女衆VS男…いや、漢衆の図面が出来上がっていた。
大体男臭というものは何なんだ……少し興味が湧くじゃないか。
「ふっ、俺たちの筋肉を慧音さんにも見せるのよっ!!」
「え、えぇぇぇ~~っ!?」
それは流石に困る。
「それってセクハラよ、セクハラ!!」
「ええいっ、慧音さんなら俺たちの筋肉を理解してくれるはずだぁっ!!」
「いや、あの………」
すまん、正直そんな理解はあまりしたくない。
いや、何故そのような筋肉がついたことについてなら理解はしているつもりだが。
「まぁまぁ、皆で騒げばいいじゃないですか…」
そこへ長老が助け舟を出してくれた。
非常にありがたい。
天使のようだ。
「ま、まぁそれもそうだな……何だかくだらないことで言い争ってたな、俺たち…」
「まぁまぁ、別にいつものことでしょ? 気にしてないわよ~」
「そっか…よし、慧音さんの歓迎会をお互い楽しむとしようぜ!」
「そうね、それじゃまず私たちも自己紹介しないとね?」
どうやら落ち着いたらしい。
ちょっと言い争ってもすぐに仲直りできるこれも、この里のいいところなのだろう。
だから、皆が平和に笑って暮らせる。
疑わないことが平和に繋がることを、知っている。
何て素晴らしい里なんだろう。
それから、私は自己紹介を聞いた。
中には、昼間に挨拶しに行った者も居た。
元々人の顔と名前を覚えるのは得意だ。
幻想郷の歴史だって知ってるくらいだから、この程度は朝飯前だ。
その後も、一緒に酒を飲んだ。
酔った連中から絡まれて、歌う展開にもなった。
あまり人前で歌ったことはないから自信は無かった。
というか、歌わせないで欲しい。
だけど、彼らにも悪気はないことは分かっている。
こういうのは雰囲気作りなのだ。
でも、あまりに恥ずかしかったので民謡にしておいた。
夜も更けてくると、子供たちが帰っていった。
大人はさらに酔いが回り、べろんべろんになっていた。
途中、私に彼氏がいるとかどうとか言う話になった。
いや、勘弁してくれ………
と言うと、男衆が可愛いから俺の嫁になってくれとも言っていた。
直後、妻のある者は耳をつねられていた。
それを見て、女衆と一緒になって笑った。
平和だった。
こんな平和が長く続いて欲しかった。
こんな楽しさがずっと続いて欲しかった。
いや。
それは夢なんかじゃなく、この里なら出来そうな気がしていた。
この里なら、私を受け入れてくれるのかもしれない。
私は、そう願った。
でも、いつか私が半獣であることを明かさなくてはならない。
その時が来るのが、少しだけ怖くなった。
心の隅でそんなことを考えて、しかし私はこの宴を満喫した。
笑っていられるこのときは、思い出に残したいと思った。
それから、私は里での生活を始めた。
当然、満月の夜はハクタクに変身してしまう。
だから私は満月の夜は「外せない用事があるんだ」と嘘をついて、里から出て行った。
朝早く、5時前後に起きてみると既に起きている人も見かけた。
『早いんですね』と声をかけられたが、偶然ですよと返した。
正直、5時に起きるのには驚いた。
そんなあなたに、『早いんですね』。
日が高くなると、農夫は畑を耕し、雑草を抜く。
私は女衆についていって、山菜を取りに行った。
里から山へは比較的近く、食べられる植物の宝庫でもあった。
私はその知識を活かして、薬草や毒草のことも教えた。
山菜取りから帰ると、随分と汗だくになっていた。
しかし、これから山菜を洗って、夫の農作業の手伝いをするという者もいる。
彼女らを見ると、私ほど汗をかいていなかった。
流石だな、と内心思った。
夏は長い。
9月も終わりに近づいたというのに、日差しは強いままだ。
だが、セミの鳴き声も消えてきて、夜は随分と涼しくなった。
トンボが畑の上を飛び始めた。
8月の終わりくらいに、近くの住人が畑を分けてくれた。
お互い助け合うことを条件に、私はそれを承諾した。
別に気にしなくてもいいのに、と言われたが流石に私にもプライドというものがある。
私は畑をいくつかのブロックに分けて、それぞれの季節に育つ植物を植えた。
春は春キャベツ。
夏はスイカ。
秋はサツマイモ。
冬は大根。
こうして、1年の楽しみが増えた。
セミの鳴き声が寂しく耳に残り、トンボが多く飛ぶ。
もう、秋は近い。
秋。
道の各所に生えている木には、柿が熟し始めた。
子供たちがその柿を取って喜ぶ。
子供たちが喜んで取れた柿を私に見せに来る。
私はその柿を切って、食べられるように子供たちに出した。
子供たちは喜んで柿を食べ、そして私にも分けてくれた。
純粋に、嬉しかった。
子供たちに見えないように、私は少しだけ泣いた。
秋は日が暮れるのも早い。
しかし風が涼しく、日差しもさして強くないために農作業がはかどると言うものだ。
私は自分の畑の作業を一通り終えると、隣人や里の人の作業も手伝いに行った。
私の畑はまだまだだが、他の里人の畑ではかなりの収穫があったようだ。
秋には収穫祭が行われた。
私の歓迎会がついこの間のように思われる。
皆が飲み、騒ぎ、歌い、喜び、笑い、楽しんだ。
私はもう里に馴染んでいた。
ハクタクに変身してしまう理由から、十五夜を里の皆と一緒に過ごせないのは残念だった。
しかし、十六夜には近くの住人と集まって月見をする。
少しだけ欠けた月を見るのは残念だったが、皆は気にせず笑ってくれた。
月を見て、月を酒の水面に映し、月を飲むようにして酒を飲む。
里の人が作ってくれたお団子は、今まで食べたことのないような美味しい味だった。
冬は耐える季節だ。
その寒さのために、農作業があまりはかどらない。
防寒具を着こんで、隣人と『寒いですね』と作業をしながら笑いあう。
実際、もこもこに着込んで農作業をするのは笑えた。
暖を取ってゆっくりと休む。
ふと、窓の外を見ると様子が違った。
雪がちらちらと降っていた。
私は部屋の中から雪に見とれた。
しばらくすると、子供たちが家の中から飛び出してきた。
本当に嬉しそうに笑って喜んでいた。
そんな子供たちを見ながら、『積もればいいな』と願ってあげる自分がいた。
冬が厳しくなると、雪は願ったように積もった。
子供たちは積もった雪で嬉しそうに遊んでいた。
雪合戦をしたり、かまくらを作ったり、雪だるまを作ったり…
その楽しそうな様子に引かれて、私も防寒具を着てから外に出た。
一緒に雪合戦をしたり、協力して大きな雪だるまを作ったりした。
皆で頑張って、随分と大きなかまくらもつくった。
冬だというのに汗をかいたけど、楽しかった。
皆で作ったかまくらの中は、なかなかに暖かかった。
雪も少しずつ溶け始め、春が息吹く頃、私は自分にあてがわれている畑を見た。
冬を立派に過ごした私の畑は、胸を張っているようだった。
『冬ももう終わりですかねぇ』と隣人が話しかけてきた。
私はそうですね、と返事をした。
その言葉に、『子供たちもがっかりしますね』と付け加えた。
隣人は、こう答えた。
『慧音さんはいつも私たちのことを考えてくださる…本当に優しい方ですね』、と。
私は、耳まで赤くなった。
春になった。
土筆が出て、山にはふきのとうが目に入った。
秋と同じく過ごしやすい春は、心地が良かった。
春一番の風に女衆のスカートがめくられる。
農作業をしていた農夫がその光景に手を止めた。
途端に顔つきがいやらしくなった。
直後、農夫が妻にどつかれていた。
その光景を見て、私と女衆は一緒に笑った。
その農夫はいつもあんな感じだ。
しかし、いつも幸せそうだ。
それは、毎日が充実しているからに違いなかった。
畑を見ると、秋に蒔いた春キャベツが見事に育っていた。
緩やかに巻かれた葉は、瑞々しかった。
私の畑で初めて出来た、私の野菜だった。
畑を分けてくれた人から『おめでとうございます』と言われ、少し照れた。
私は出来た春キャベツを、おすそ分けしていった。
ある日、私が来た時のように歓迎会が開かれた。
この里に新しくまた隣人が増えた。
若い夫婦で、非常に仲が良さそうだった。
それからはいつものように、飲んで騒いでの宴となった。
少し離れた所から冷静に見ると分かるのだが、新しく越してきた人はいつも絡まれる運命にあるらしい。
そんな二人に軽く同情を交えつつも、私は宴を楽しんだ。
私が里に来て、1年が過ぎようとしていた。
「誕生日?」
「そう、この間思い出したら確か知らなかったなって思って…」
「そうか、誕生日か…」
春が終わりに近づく頃、里人からこんなことを聞かれた。
正直、誕生日など知らない。
と言うより、こんなことを聞かれたのは初めてだった。
「で、慧音さん。誕生日って何時ですか~?」
「いや、それはその…………実は忘れたんだ…」
忘れた、と言うより知らないんだ。
そんなことは気にも留めなかったし、必要もないような気がしていたからだ。
「う~ん、困ったわねぇ……」
「いや、別に祝ってもらわなくても………私にはそれが普つ」
「ダメダメ~っ!! せっかく同じ里に住んでるんだから…」
「あ、あぁ…」
最後まで言えなかった…
私はその気迫に少しだけ圧倒された。
妙なところでパワフルだな、ここの里人は…
その様子に苦笑を禁じえなかった。
「それじゃ、こんなのはどうかしら? 慧音さんがこの里に来た日」
「私が…ここに来た日?」
「そう、誕生日を忘れたならそれを誕生日にすればいいんじゃない?」
「いや、でも私は別n」
「それじゃ決まりっ!! 慧音さんの誕生日は夏だね!!」
「あ、あぁ…」
またしてもパワフリャーな気迫に押されてしまった。
なんとも恐ろしや、里人パワー…
その有り余るエネルギーは労働だけでは飽き足りないらしい。
と言うことで、私の誕生日は夏に決まってしまった。
でも。
不思議と悪い気はしない。
私は、初めて祝ってもらう誕生日というものに憧れを抱いているとでもいうのだろうか…
その日から、少しずつ夏を楽しみにしだしたのは誰にも言えない秘密だ。
ある日、子供たちに勉強を教えてくれと依頼があった。
別に断る理由もなかったし、青空教室だからすぐに済むだろうと思った。
私は二つ返事でOKを出したのだが……
「けーねせんせーけーねせんせー」
「ねぇ慧音先生ってばぁ~!」
「けーねせんせぇ~…ここの問題が分からない~…」
「慧音先生、ちょっとここで質問があるんですけど…」
「けーねせんせー!! あのね、あのね~っ!!」
ちょっぴり後悔した。
「あ~、そんなに急ぐな、私は一人しかいないんだから………順番に、な?」
と、頑張ってなだめても、
「じゃあボクが先~っ!!」
「あ、私はその次っ!」
「あ~っ、割り込みした!!」
「待てよ、こういうのは年齢が高い順番だろ?」
「慧音先生は私に教えてくれるの~っ!!」
「けーねせんせぇ~~~っ!!」
ずぼっ
「こ、こらっ!? スカートの中に入り込むんじゃないっ!?」
「慧音先生っ!! 結婚してくれぇぇぇぇぇ!!!」
ガツン!
ずるずるずる…
一人何か別のが混じっていたらしい。
「い、痛いっ!! 耳がもげるっ!!」
「アンタは何時になったらその癖が治るって言うんだい!!」
「あ、明日っ!! 明日からっ!!」
「いつも明日じゃないかっ!! まったく、アンタって人はねぇ…」
いつものようにどつかれて、耳を引っ張られて消えていく。
その様子に一瞬呆気に取られたが、少しの間を置いてみんなで笑いあった。
まとまりはないが、楽しかったことは事実だった。
次の日から、先生をすることに楽しみを見つけた。
こうして私の楽しみ、幸せが毎日増えていく。
純粋に、このときが永遠に続けばいいと思った。
永遠などないと分かっていても、今はこの時を精一杯楽しみたかった。
春の終わり、新たな命が芽吹く。
里のとある夫婦の間に、赤ん坊が出来たということは知っていた。
その赤ん坊が、今生まれそうだというのだ。
私は大急ぎでその夫婦の場所へ行った。
夫婦の家には既に多くの人が集まっていた。
「だ、大丈夫なのか?」
「あぁ、慧音さん……今丁度助産婦が出来る者が里の外に出ていて…」
「そうか…すまない、少し通してくれ。出来る限り手伝おう」
私は家の中に入っていった。
中では妻がうんうんと唸っていた。
夫が傍に寄り添い、励ましている。
「すまない、突然入り込んで……それで、様子はどうだ?」
「慧音さんっ!! 助かった…妻が、妻がっ!!」
「お、落ち着け…夫のお前がそんな感じでどうする…」
「そ、そうですね………つい取り乱しちゃって…」
私は寝込んでいる妻の様子を見た。
非常に苦しそうであり、何時生まれても可笑しくない状況だった。
これは……色々と処置をしている時間はない。
「手の空いたものはぬるま湯を風呂に半分ほど入れてくれ!
準備が出来たらあなたは妻をゆっくりと動かし、ぬるま湯に入れてくれ」
随分と痛そうだった。
これは痛みを和らげる水中出産が一番楽になるだろうと思った。
「け、慧音さん…………あ、あのっ……私っ………」
「心配には及ばない、お前は楽な姿勢をとっているんだ」
「は、はい…ありがとうございます……」
私は夫に後を任せて、水を汲みに行った。
桶を片手に、里を流れる小川を目指す。
小川の水は少し冷たかったので、少し火を入れてぬるま湯にした。
他の里人も水を汲んできてくれた。
私は里人に礼を言いつつ、夫婦の家の風呂桶にぬるま湯を入れた。
腰くらいの深さまで溜めると頃合いだと思った。
「夫と里の者は協力してゆっくりと妊婦を風呂場に連れてきてくれ!」
急いで命令を出す。
その間にも妊婦の呼吸は激しく、早くなっていた。
大丈夫だろうか…
私のにわか知識だけで大丈夫なのか不安になったが、今は自分を信じるしかないと思った。
程なくすると、里人と夫が協力して妊婦を運んできた。
「よし、湯船につけて……夫は妻を支えてあげてくれ、私も協力する」
「あ、あぁ…」
その夫は妻をゆっくりと湯船につけた。
大体腰の辺りまで浸かると、私も湯船に浸かり妊婦の身体をそっと支えてやった。
夫もそれに続いた。
よし、何とかここまでこれた。
あとは楽な体勢を取らせ続け、生まれるのを待つだけだ。
いつの間にか額に描いていた汗を、袖で拭った。
ふぅ、と軽くため息をついた。
「皆、ありがとう。ここまで来ればもう大丈夫だ。あとはタオルを大量に用意しててくれれば嬉しい」
「そう…それはよかった…」
里人も安心したようで、各々の家から1枚ずつタオルを持ってきてくれた。
流石にかなりの量になったが。
私と夫はそれから付きっきりで妊婦の身の回りの世話をした。
途中、里人が交代しようかと言ってくれたが、そこまで疲労は溜まっていないから大丈夫、と答えた。
何度も励まし、何度も安心させ、何度も楽な体制にしてやった。
いつの間にか日は沈み、辺りが暗くなった。
里人の多くがこの家に集まっていた。
新たな命の誕生を、まだかまだかと心待ちにしていた。
夫は妻を励まし、私は笑顔で支えてやった。
そんな繰り返しの行動が夜になって2時間ほど続いた頃だった。
「おぎゃっ、おぎゃぁぁぁぁぁあああっ!!!」
「やった、やったぞお前っ!!」
「あなた………やったわ…」
「ふぅ…良かったな、二人とも………」
「あぁ、これも全て慧音さんのお陰だよっ!!」
「いや、私だけではない、里の皆の協力があってこそだよ」
タオルに包まれた新しい命は、母に抱かれて元気に泣き叫んでいた。
私が風呂場から出ると、里人たちは既に大騒ぎしていた。
どうやら産声が聞こえていたらしい。
と、里人が私の両手をつかんでぶんぶん振り回して喜んでいた。
あまりの激しさに、肩が外れるかと思ったが嬉しかった。
他人のことなのに、自分のことのように喜べる。
他人のことなのに、皆で協力して助け合う。
この里は改めて素晴らしいと思えた。
その日の布団は、心なしか心地よかった。
春が来て。
みんなで花見をして。
みんなでたくさんの花を愛でて。
宴会をして、青空の下で日向ぼっこをして。
散り行く桜を見て感傷に浸って、来年また会おうねと言って。
夏が来て。
子供たちに甲虫が採れる木を教えたり、昆虫採集をして。
集めた虫で、童心に帰り一緒に虫相撲をして、小さなはずの勝敗に一喜一憂して。
小川の近くで蛍を見て、綺麗だねと見とれたりして。
里人と一緒に汗をかいて、一緒にスイカを食べて、墓参りをして、盆踊りをしたり、花火をしたりして。
秋が来て。
収穫祭が行われて、みんなではしゃぎあって。
十六夜の月を見ながら風流を感じたりして。
落ち葉を集めて、みんなで焼き芋をして美味しく食べたりして。
山が紅葉で紅く染まっているのを見て、子供たちと民謡を一緒に歌ったりして。
冬が来て。
朝は布団から出るのが辛いですね、と隣人と笑いあって。
雪が降ると子供たちと一緒に雪合戦をしたり、かまくらを作ったり、雪だるまを作ったりして。
年が明けるのをみんなで祝って、おせち料理をみんなで楽しく食べて。
雪が溶ける頃に芽吹く小さな命を見て、春を感じたりして。
春夏秋冬、一年四季ここにあり。
それぞれの季節で、それぞれの幸せがあった。