弾幕を抜けると、そこはお花畑でした。
アリスは本日二回目の弾幕ごっこで、墜落しながらそう思った。
薄れ行く意識が雪国へ旅立とうとしていたがなんとか引き返し、地面スレスレで慣性の法則を消し去る。目の前には硬い地面があり、もう少し遅ければ顔から突っ込んでいたところだ。
危なかったなぁ、と安堵して、そのまま下と上を逆にし、体勢を正す。
「二戦目は文句無く私の勝ちだな」
上空から魔理沙の声。アリスは見上げることなく被弾した箇所を擦った。
「ええ、これで今日は双方一勝ずつね」
一戦目は上海人形を使って「いつもの弾幕」を展開し、魔理沙が「いつも通り」に避けた瞬間を、狙い撃ちした。目標めがけておそろしいスピードで飛んでいく人形の頭が魔理沙の顎にクリーンヒットし、そのまま木に墜落。枝と枝の間に引っかかる羽目になった。
その後、笑顔を浮かべているものの青筋が浮かびそうなほどの迫力を纏った魔理沙がすぐに二戦目を提案。魔理沙の性格からして「やられたらやり返せ」と感じていたアリスだったが、弾幕の影に隠されていた、魔力がこんもりと篭ったマジックミサイルを当てられてしまった。まさかそのままそっくり返されるとは思っていなかった。
「してやったり」と勝利宣言後にニヤニヤ笑う魔理沙を今度は見上げて、アリスは微笑んだ。しかしその内面は裏腹、負けた後の魔理沙と同じだった。
同属嫌悪なのか、同職嫌悪なのかは不明だが、今日もやはり二人は仲が悪いのである。
「……ところで、いつまで店の前で遊んでるんだ。客が近寄れないだろう」
二人が三度目の激突を迎えようとしたその時、不機嫌そうな青年が一軒の家から出てきた。魔理沙は今度は爽やかな笑みを浮かべると、
「近寄れないんじゃなくて元々閑古鳥だろ、ここは。だから派手にやっておけば野次馬たちでウハウハだぜ」
たいそう回る口であった。
「で、その野次馬たちはいつやって来るんだ?」
「望むものは望めば望むほど遠ざかるんだぜ。一回ぐらい心を無にして商売してみろよ、香霖」
さっきと言ってる事違うじゃない。アリスは心の中で突っ込んだ。しかし二人のやり取りは聞いているだけで面白いので、口に出すことは無い。
「無駄よ霖之助さん。あいつら人の迷惑とか考えたことないもの。いくら言っても暖簾に腕押しよ」
そしてもう一人、家から出てくる。紅白の変わった巫女服を纏った博霊神社の十三代目、博麗霊夢である。彼女は霖之助の一歩後ろに控えていて、ニヤニヤしている。霊夢の心境もアリスと同じであるが、彼女の場合「魔理沙をからかうと面白いのよね」といった邪な念も加わるのでたちが悪い。
「そういえば札のストック分の代金がまだなんだが」
「いいじゃない。いつもトラブルとか困ったことがあれば助けてあげてるんだから」
魔理沙のように誤魔化さず、霊夢はあっさりと言い放つ。しかし言っていることは事実なので上手い反論が浮かばない。
客商売をやっている森近霖之助であるが、口で彼女たちに勝ったことはない。いつも丸め込まれてしまうので、最近は諦めつつある。別に払って貰わなくてもやってはいけているので、いやいやそこで諦めちゃいけないんだ、がんばれ森近霖之助。こうやって軽く葛藤する毎日を送っている。
「ほらあんた達。まだ朝も早いんだし、一旦中断しておきなさい。一応ここだってお店なんだから、お客が来るかもしれないでしょ?」
むぅ。
むぅ。
魔理沙とアリスはほぼ同時にむくれ、ほぼ同時に溜息を吐き、ほぼ同時に休戦を互いに告げた。ちなみに「真似すんな」「真似しないで」とのやり取りを経て、休戦後僅か三秒で戦いが再開されそうになり、呆れ顔の霊夢より夢想封印が放たれたのは別の話である。
「まったく、霊夢は容赦ないな。もっと手心というか……」
「痛くなきゃ覚えないでしょ」
ちぇ。舌打ちをし、魔理沙が淹れ立ての紅茶を啜る。熱ぃ。舌を小さく出し、苦い顔をした。
「何を慌ててるんだ、魔理沙。紅茶は逃げやしないぞ?」
「う、うるさいな。急いだっていいじゃないか」
「急いては事を仕損じる、と昔から言うだろう。火傷でもしたら困るのは魔理沙なんだから、気を付けるに越したことは無い」
「あーもうわかったよ、わかったわかった」
手をひらひらさせて、魔理沙は霖之助を鬱陶しそうに睨めつけた。しかしそれは嫌な視線を含むものではなく、口煩い父親に娘が向けるようなものである。
なんとも微笑ましいそのやり取りを、その他二名が笑いながら見ている。そして霖之助に続いた。
「魔理沙ってしっかりしてるようで結構ズボラなのよね」
「家もそろそろパンクしそうよね」
「なんだ、この前片付けた方がいいと忠告したのにまだやってなかったのか魔理沙」
「……だー! いいだろーもー! 私には私なりのやり方があるんだよー!」
喧々囂々あれやこれや。
遂に爆発した魔理沙は箒を力強く握り締めると、逃げるように出口に向かって飛び出していってしまった。去り際に「いまに見てろよ!」と残して。
嵐が去ったせいか、店内は途端に静かになる。しかしそれも一瞬のことで、すぐに霊夢とアリスが笑い出した。
「まったくもう、魔理沙はからかい甲斐があるわね」
「一々反応してくれるのがいいのよ」
「……君達ほど、友情という言葉が装飾以外の何物でもない事を体現してるのはいないな」
「それは違うわ、霖之助さん。友情っていうのは時には厳しく時に優しく、よ。常に褒めてばかりじゃ腹に一物抱えてるって思われるわよ。事なかれ主義は聞こえだけがよくて、百害あって一利なしなんだから。やっぱり波風は微小なりともないとつまらないじゃない」
もっともな言葉の中にさらりと本音が混じるが、霊夢は気にしない。霖之助は深く息を吐いた。一方アリスは静かに二人のやり取りを見、紅茶を飲み干した。
「……さて、そろそろ私は帰るわね。やることもあるし」
そしてカップを置くと、すっと立ち上がった。上海人形と蓬莱人形もすぐに反応し、彼女の肩に腰掛ける。
「もう帰るの? 珍しいわね。いつもなら店内の品物を目敏く見回って買っていくのに」
「そうしたいのは山々だけどね、早く避難しないといけないのよ」
避難、という単語がアリスの口から出る。霊夢は少しだけ考えて手を打った。一方霖之助は首を傾げ、クエスチョンマーク。二人はにやりと笑った。
「それじゃあ霊夢に霖之助さん、各々で頑張ってね」
「そうするわ。面倒だけど、やらないとね」
「二人とも、僕にも分かるように説明してくれないか。何の事だかさっぱりだ」
「まあ、そのうち」
「嫌でも分かるわよ」
息もぴったり合わせ、アリスはそそくさと去り、霊夢はのんびりと三倍目を啜った。
「なあ霊夢、いったい何が―――」
それはまさに稲妻のように。霖之助が口を開いた刹那、店のドアが勢いよく開かれた。なんだなんだ、ドアが壊れたらどうするんだ、いったい誰なんだ。霖之助の思考回路はやや混乱しつつあるようだが、犯人を見た瞬間、すぐに混乱は収拾された。
盛大に息を切らした魔理沙である。霖之助は呆然となった。霊夢は気にせず茶を啜る。対照的な反応には目もくれず、魔理沙は店内へ意気揚々と入ってきた。
そして霖之助の前に立つと、大きく深呼吸をした。
「さ、さっきは言えなかったが、実はもう私の家は片付いているんだぜ香霖」
「……そ、そうか。それはよかったな」
意味不明な魔理沙の迫力に気圧されて、霖之助は思わず少しだけ仰け反る。魔理沙が去り際に残したセリフの意味を理解すると、今度は腕を掴まれた。もうなす術もなく、なすがままにされている状態だ。いつもの冷静さは最早森近霖之助には存在しない。
「特別にお前たちに証拠を見せてやるぜ。ほら、立て立て」
「お、おい魔理沙、何をそんな無茶な―――」
「いいじゃない。行ってきたら霖之助さん? 店番だったらしててあげるから」
霊夢は自分も誘われているものの、他人事のように振舞う。そういや、と霖之助は先程のアリスと霊夢のやり取りを思い出し、一瞬で彼女たちの意図を理解できた。こういうことか。やられた。
そう思うのと同時に、諦めることにした。
「……わかった魔理沙。見させて頂くよ。それと、何か名称と用途が分からないものがあったらついでにそれも観てやろう」
「お、気前がいいな香霖。頼むぜ」
「それじゃあ、何の気兼ねも無く行ってらっしゃーい」
とてつもなく爽やかすぎる笑顔で、霊夢は二人を送り出しのであった。
「経過は良好ね。わざわざ出張った甲斐がありましたわ」
「……勝手に人の家に入っておいて言うことはそれだけ? もっと言うべき事があるでしょ?」
まるで最初から自分の物と言わんばかりにテーブルを占拠し、更には専用のティーカップまで持ち込んでいるスキマ妖怪をどうやって葬り去ろうかとアリスは真剣に考えた。
しかし八雲紫は動じることなく優雅に微笑んでいる。一瞬首吊り蓬莱人形をブチかまそうかと思ったが、室内ではただの破壊活動になってしまうのでやめた。こいつにいくら言っても怒っても無意味だということは明瞭である。
「結界は一応張ってから出ているみたいだけど、軟弱すぎるわ。もっと強固にしないと」
「それはどうもご忠告ありがとう。……そうじゃなくて」
「まあ、気にしないのが一番よ。カリカリしすぎると長生き出来ないわ」
あなたがそれを言うのかしら。
水掛け論になってしまうことに気付いて、その言葉を堰き止める。
「……で、何の用なの?」
諦めが肝心とはよく言う。アリスは諦観の境地に至り、対面に腰掛けた。
「様子見」
それと。
不適に微笑まれ、アリスは無意識に警戒色を強める。
「ちょっと頼みたいことがあるのよ。あなたに」
「……はい?」
意外すぎる紫の言葉にしばしアリスは呆然自失し、しかしゆっくりと目の前にいる妖怪の言葉を咀嚼し始める。
「意外を通り越して憮然って表情ね。まあ、気持ちは分かるわよ。『私に出来て貴方に出来ないことがあるのか』って思ってるでしょう?」
以前、紫が訪ねて来た時に感じた、精神的な拘束感が再びアリスを絡み取り始める。いったい、こいつは何を企んでいるのだろうと、自然に敵愾心が沸き起こってくる。
「でも実際、私に出来なくて貴方にしか出来ないって事はほぼ存在しないわ。ではなぜ、私は貴方に頼むのか?」
「……『ほぼ』ってのが気になるわね。何、そんな物があると言いたいの?」
「ええ」
きっぱりと紫は言った。揺るがない微笑みを湛え、自分にも不可能なことはあると、強大すぎる力を持つスキマ妖怪は断言したのだ。
「……それで、貴方は私に何を頼もうと言うのかしら?」
「そうね。それじゃあ言わせていただきますわ」
ぱし。扇子が閉じた。
「おつかい」
「…………」
「あら、聞こえなかったのかしら?」
「……ちょ、ちょっと待ちなさいよ。そういうのは私じゃなくて貴方の式の役目でしょう?」
あからさまな肩透かしを食らい、動揺しつつも、アリスは的確に疑問を述べる。しかし紫はそれで崩れない。閉じた扇子でを口元に持ってきて、いやらしく笑う。
「それがねぇ、藍は間違って水の中に入って寝込んでるし橙はマタタビで蕩けてるし、今私の式は貴方の人形より遥かに役に立たなくなっちゃってるのよねえ」
「……なんですって?」
「あら失礼。でも、間違ってはいないわよ」
紫の言葉に篭められている自分への蔑み。しかし如何せん正直に出しすぎたのか、アリスは紫の意図を一瞬で理解する。
「成程、ね。……いいわ、乗ってあげる。やってあげようじゃない」
「そう言ってくれると思っていましたわ」
それじゃあ、はい。
一転して爽やかな笑みになった紫が、アリスに一枚のメモを差し出した。
「そこに、行くべき場所と欲しい物が書いてあるから、お願いね」
「はいはい……」
余りにも早い変わり身を目の当たりにし、怒るのも馬鹿らしくなってくる。アリスはメモを流し読みしようと、視線を走らせた。
そして、
「……はい?」
固まるのであった。
「ちょっと八雲紫! これって……、っていないし」
正に神出鬼没という言葉が相応しい。専用のティーカップも一緒に消えていた。
アリスは力なく項垂れ、溜息を吐く。
その右手にあるメモには、『最初は紅魔館』と、存在とは似つかわしくない丸い文字で、しっかりとそう書いてあった。
続く
アリスは本日二回目の弾幕ごっこで、墜落しながらそう思った。
薄れ行く意識が雪国へ旅立とうとしていたがなんとか引き返し、地面スレスレで慣性の法則を消し去る。目の前には硬い地面があり、もう少し遅ければ顔から突っ込んでいたところだ。
危なかったなぁ、と安堵して、そのまま下と上を逆にし、体勢を正す。
「二戦目は文句無く私の勝ちだな」
上空から魔理沙の声。アリスは見上げることなく被弾した箇所を擦った。
「ええ、これで今日は双方一勝ずつね」
一戦目は上海人形を使って「いつもの弾幕」を展開し、魔理沙が「いつも通り」に避けた瞬間を、狙い撃ちした。目標めがけておそろしいスピードで飛んでいく人形の頭が魔理沙の顎にクリーンヒットし、そのまま木に墜落。枝と枝の間に引っかかる羽目になった。
その後、笑顔を浮かべているものの青筋が浮かびそうなほどの迫力を纏った魔理沙がすぐに二戦目を提案。魔理沙の性格からして「やられたらやり返せ」と感じていたアリスだったが、弾幕の影に隠されていた、魔力がこんもりと篭ったマジックミサイルを当てられてしまった。まさかそのままそっくり返されるとは思っていなかった。
「してやったり」と勝利宣言後にニヤニヤ笑う魔理沙を今度は見上げて、アリスは微笑んだ。しかしその内面は裏腹、負けた後の魔理沙と同じだった。
同属嫌悪なのか、同職嫌悪なのかは不明だが、今日もやはり二人は仲が悪いのである。
「……ところで、いつまで店の前で遊んでるんだ。客が近寄れないだろう」
二人が三度目の激突を迎えようとしたその時、不機嫌そうな青年が一軒の家から出てきた。魔理沙は今度は爽やかな笑みを浮かべると、
「近寄れないんじゃなくて元々閑古鳥だろ、ここは。だから派手にやっておけば野次馬たちでウハウハだぜ」
たいそう回る口であった。
「で、その野次馬たちはいつやって来るんだ?」
「望むものは望めば望むほど遠ざかるんだぜ。一回ぐらい心を無にして商売してみろよ、香霖」
さっきと言ってる事違うじゃない。アリスは心の中で突っ込んだ。しかし二人のやり取りは聞いているだけで面白いので、口に出すことは無い。
「無駄よ霖之助さん。あいつら人の迷惑とか考えたことないもの。いくら言っても暖簾に腕押しよ」
そしてもう一人、家から出てくる。紅白の変わった巫女服を纏った博霊神社の十三代目、博麗霊夢である。彼女は霖之助の一歩後ろに控えていて、ニヤニヤしている。霊夢の心境もアリスと同じであるが、彼女の場合「魔理沙をからかうと面白いのよね」といった邪な念も加わるのでたちが悪い。
「そういえば札のストック分の代金がまだなんだが」
「いいじゃない。いつもトラブルとか困ったことがあれば助けてあげてるんだから」
魔理沙のように誤魔化さず、霊夢はあっさりと言い放つ。しかし言っていることは事実なので上手い反論が浮かばない。
客商売をやっている森近霖之助であるが、口で彼女たちに勝ったことはない。いつも丸め込まれてしまうので、最近は諦めつつある。別に払って貰わなくてもやってはいけているので、いやいやそこで諦めちゃいけないんだ、がんばれ森近霖之助。こうやって軽く葛藤する毎日を送っている。
「ほらあんた達。まだ朝も早いんだし、一旦中断しておきなさい。一応ここだってお店なんだから、お客が来るかもしれないでしょ?」
むぅ。
むぅ。
魔理沙とアリスはほぼ同時にむくれ、ほぼ同時に溜息を吐き、ほぼ同時に休戦を互いに告げた。ちなみに「真似すんな」「真似しないで」とのやり取りを経て、休戦後僅か三秒で戦いが再開されそうになり、呆れ顔の霊夢より夢想封印が放たれたのは別の話である。
「まったく、霊夢は容赦ないな。もっと手心というか……」
「痛くなきゃ覚えないでしょ」
ちぇ。舌打ちをし、魔理沙が淹れ立ての紅茶を啜る。熱ぃ。舌を小さく出し、苦い顔をした。
「何を慌ててるんだ、魔理沙。紅茶は逃げやしないぞ?」
「う、うるさいな。急いだっていいじゃないか」
「急いては事を仕損じる、と昔から言うだろう。火傷でもしたら困るのは魔理沙なんだから、気を付けるに越したことは無い」
「あーもうわかったよ、わかったわかった」
手をひらひらさせて、魔理沙は霖之助を鬱陶しそうに睨めつけた。しかしそれは嫌な視線を含むものではなく、口煩い父親に娘が向けるようなものである。
なんとも微笑ましいそのやり取りを、その他二名が笑いながら見ている。そして霖之助に続いた。
「魔理沙ってしっかりしてるようで結構ズボラなのよね」
「家もそろそろパンクしそうよね」
「なんだ、この前片付けた方がいいと忠告したのにまだやってなかったのか魔理沙」
「……だー! いいだろーもー! 私には私なりのやり方があるんだよー!」
喧々囂々あれやこれや。
遂に爆発した魔理沙は箒を力強く握り締めると、逃げるように出口に向かって飛び出していってしまった。去り際に「いまに見てろよ!」と残して。
嵐が去ったせいか、店内は途端に静かになる。しかしそれも一瞬のことで、すぐに霊夢とアリスが笑い出した。
「まったくもう、魔理沙はからかい甲斐があるわね」
「一々反応してくれるのがいいのよ」
「……君達ほど、友情という言葉が装飾以外の何物でもない事を体現してるのはいないな」
「それは違うわ、霖之助さん。友情っていうのは時には厳しく時に優しく、よ。常に褒めてばかりじゃ腹に一物抱えてるって思われるわよ。事なかれ主義は聞こえだけがよくて、百害あって一利なしなんだから。やっぱり波風は微小なりともないとつまらないじゃない」
もっともな言葉の中にさらりと本音が混じるが、霊夢は気にしない。霖之助は深く息を吐いた。一方アリスは静かに二人のやり取りを見、紅茶を飲み干した。
「……さて、そろそろ私は帰るわね。やることもあるし」
そしてカップを置くと、すっと立ち上がった。上海人形と蓬莱人形もすぐに反応し、彼女の肩に腰掛ける。
「もう帰るの? 珍しいわね。いつもなら店内の品物を目敏く見回って買っていくのに」
「そうしたいのは山々だけどね、早く避難しないといけないのよ」
避難、という単語がアリスの口から出る。霊夢は少しだけ考えて手を打った。一方霖之助は首を傾げ、クエスチョンマーク。二人はにやりと笑った。
「それじゃあ霊夢に霖之助さん、各々で頑張ってね」
「そうするわ。面倒だけど、やらないとね」
「二人とも、僕にも分かるように説明してくれないか。何の事だかさっぱりだ」
「まあ、そのうち」
「嫌でも分かるわよ」
息もぴったり合わせ、アリスはそそくさと去り、霊夢はのんびりと三倍目を啜った。
「なあ霊夢、いったい何が―――」
それはまさに稲妻のように。霖之助が口を開いた刹那、店のドアが勢いよく開かれた。なんだなんだ、ドアが壊れたらどうするんだ、いったい誰なんだ。霖之助の思考回路はやや混乱しつつあるようだが、犯人を見た瞬間、すぐに混乱は収拾された。
盛大に息を切らした魔理沙である。霖之助は呆然となった。霊夢は気にせず茶を啜る。対照的な反応には目もくれず、魔理沙は店内へ意気揚々と入ってきた。
そして霖之助の前に立つと、大きく深呼吸をした。
「さ、さっきは言えなかったが、実はもう私の家は片付いているんだぜ香霖」
「……そ、そうか。それはよかったな」
意味不明な魔理沙の迫力に気圧されて、霖之助は思わず少しだけ仰け反る。魔理沙が去り際に残したセリフの意味を理解すると、今度は腕を掴まれた。もうなす術もなく、なすがままにされている状態だ。いつもの冷静さは最早森近霖之助には存在しない。
「特別にお前たちに証拠を見せてやるぜ。ほら、立て立て」
「お、おい魔理沙、何をそんな無茶な―――」
「いいじゃない。行ってきたら霖之助さん? 店番だったらしててあげるから」
霊夢は自分も誘われているものの、他人事のように振舞う。そういや、と霖之助は先程のアリスと霊夢のやり取りを思い出し、一瞬で彼女たちの意図を理解できた。こういうことか。やられた。
そう思うのと同時に、諦めることにした。
「……わかった魔理沙。見させて頂くよ。それと、何か名称と用途が分からないものがあったらついでにそれも観てやろう」
「お、気前がいいな香霖。頼むぜ」
「それじゃあ、何の気兼ねも無く行ってらっしゃーい」
とてつもなく爽やかすぎる笑顔で、霊夢は二人を送り出しのであった。
「経過は良好ね。わざわざ出張った甲斐がありましたわ」
「……勝手に人の家に入っておいて言うことはそれだけ? もっと言うべき事があるでしょ?」
まるで最初から自分の物と言わんばかりにテーブルを占拠し、更には専用のティーカップまで持ち込んでいるスキマ妖怪をどうやって葬り去ろうかとアリスは真剣に考えた。
しかし八雲紫は動じることなく優雅に微笑んでいる。一瞬首吊り蓬莱人形をブチかまそうかと思ったが、室内ではただの破壊活動になってしまうのでやめた。こいつにいくら言っても怒っても無意味だということは明瞭である。
「結界は一応張ってから出ているみたいだけど、軟弱すぎるわ。もっと強固にしないと」
「それはどうもご忠告ありがとう。……そうじゃなくて」
「まあ、気にしないのが一番よ。カリカリしすぎると長生き出来ないわ」
あなたがそれを言うのかしら。
水掛け論になってしまうことに気付いて、その言葉を堰き止める。
「……で、何の用なの?」
諦めが肝心とはよく言う。アリスは諦観の境地に至り、対面に腰掛けた。
「様子見」
それと。
不適に微笑まれ、アリスは無意識に警戒色を強める。
「ちょっと頼みたいことがあるのよ。あなたに」
「……はい?」
意外すぎる紫の言葉にしばしアリスは呆然自失し、しかしゆっくりと目の前にいる妖怪の言葉を咀嚼し始める。
「意外を通り越して憮然って表情ね。まあ、気持ちは分かるわよ。『私に出来て貴方に出来ないことがあるのか』って思ってるでしょう?」
以前、紫が訪ねて来た時に感じた、精神的な拘束感が再びアリスを絡み取り始める。いったい、こいつは何を企んでいるのだろうと、自然に敵愾心が沸き起こってくる。
「でも実際、私に出来なくて貴方にしか出来ないって事はほぼ存在しないわ。ではなぜ、私は貴方に頼むのか?」
「……『ほぼ』ってのが気になるわね。何、そんな物があると言いたいの?」
「ええ」
きっぱりと紫は言った。揺るがない微笑みを湛え、自分にも不可能なことはあると、強大すぎる力を持つスキマ妖怪は断言したのだ。
「……それで、貴方は私に何を頼もうと言うのかしら?」
「そうね。それじゃあ言わせていただきますわ」
ぱし。扇子が閉じた。
「おつかい」
「…………」
「あら、聞こえなかったのかしら?」
「……ちょ、ちょっと待ちなさいよ。そういうのは私じゃなくて貴方の式の役目でしょう?」
あからさまな肩透かしを食らい、動揺しつつも、アリスは的確に疑問を述べる。しかし紫はそれで崩れない。閉じた扇子でを口元に持ってきて、いやらしく笑う。
「それがねぇ、藍は間違って水の中に入って寝込んでるし橙はマタタビで蕩けてるし、今私の式は貴方の人形より遥かに役に立たなくなっちゃってるのよねえ」
「……なんですって?」
「あら失礼。でも、間違ってはいないわよ」
紫の言葉に篭められている自分への蔑み。しかし如何せん正直に出しすぎたのか、アリスは紫の意図を一瞬で理解する。
「成程、ね。……いいわ、乗ってあげる。やってあげようじゃない」
「そう言ってくれると思っていましたわ」
それじゃあ、はい。
一転して爽やかな笑みになった紫が、アリスに一枚のメモを差し出した。
「そこに、行くべき場所と欲しい物が書いてあるから、お願いね」
「はいはい……」
余りにも早い変わり身を目の当たりにし、怒るのも馬鹿らしくなってくる。アリスはメモを流し読みしようと、視線を走らせた。
そして、
「……はい?」
固まるのであった。
「ちょっと八雲紫! これって……、っていないし」
正に神出鬼没という言葉が相応しい。専用のティーカップも一緒に消えていた。
アリスは力なく項垂れ、溜息を吐く。
その右手にあるメモには、『最初は紅魔館』と、存在とは似つかわしくない丸い文字で、しっかりとそう書いてあった。
続く