Coolier - 新生・東方創想話

指折り数えて

2006/10/20 05:19:56
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初秋の話である。
幻想郷のどこかにあるはずれの地の、どこにでもあるあばら家。お世辞にも立派とはいえない藁屋根のあばら家。
人間の親子三人寝転がれば埋まってしまう程度の広さの居間に蚊帳を吊り、寝所を設けて寝息を立てている少女がいた。
少女は寝苦しそうに幾度となく寝返りを打つ。部屋の中のじっとりと重い闇に混じり、人間の少女独特の甘酸っぱい匂いが漂う。
どうしてこの宵闇の中を腹を空かせた物の怪が、獲物を探してやってはこないのか。彼女をよく知らぬ者には答える事などできぬであろう。
「ん、んんぅ」
少女の声。寝苦しさの所為かどうやら目が覚めたらしいのだが、心地よいまどろみをまだ手放すまいと布団を顔まで引き上げて中に潜る。やや間を挟み、また布団から顔を覗かせては布団を引く。引いては潜り、引いては潜り、蛞蝓のような動きで徐々に布団を上っていく。枕を使っていれば都合がよろしかったのだが、生憎彼女は枕を使わぬほうがよく眠れる体質であった。とうに目は覚めているのだからいい加減に諦めればよいのに、それでもなお布団に潜り、顔を出す。
がちゃん。
とうとう彼女は枕元に置いてあった水差しに頭突きをくらわせた。
「いた、っぴゃ!?」
己の長い髪が水に濡れ、慌てて布団を蹴り退けるが、それがまたいけない。退けられた布団が傍の足にぶつかり、灯明立てが倒れ蝋燭が布団の上に転がる。火がついてないのが幸いだった。
「畜生、こんな真夜中に何を……んにゃ!?」
己の髪を踏んづけてしまわぬように注意を払いつつ、少女はぶつぶつと声を零しながら立ち上がる。もっとも未だ冴えぬ頭で気を回してみても、布団の上の蝋燭には気付けなかったのだから残念無念、これを踏みつけて足を滑らせた。少女の頭の下には倒れた木製の蝋燭立て。
ごりん、と凄まじい音がでた。
「づぅ~~~~~っ……涙が出るぐらい痛いっ!」
たっぷり数分は悶絶してから少女は気を荒くして再び立ち上がる。しかしあろうことか、痛みのおかげで彼女は蚊帳の存在を失念していた。不覚の至りである。
「うふぁ、今度はなに!? って痛っ! 髪踏んっ……」
ごりん。
「あ~~~~~~~痛い、痛いっ! 死にそうなぐらい痛ぁぁぁいっ!」
泣き面に蜂とはまさにこの事。
少女の名前は妹紅、藤原妹紅といった。

   * * *

「はあ……」
先程引っ掻き回してしまったものの始末を終え、妹紅は肩を落とす。夜は妖怪の時間なので彼等が騒ぐ声もしばしば届くが、何事も慣れというのか、大の大人ですら震え上がるというのに顔すら上げぬ。
「参っちゃうわねぇ。夢見は悪いし、布団も駄目にしちゃうし」
完全に目が覚めてしまったのにも弱るが、何より家に一枚しかない布団が水浸しとなってしまったのだからこれ以上眠りようがない。蝋燭の薄明かりを頼りに殺風景な室内を見回し、以前友人に借りた本を見つけて読み始める。
内容は東海道を舞台とした二人の男達の珍道中。元は読書を勧められ、固い本を読むのが嫌で選んだものなのだが、これがなかなか面白い。
「暗いわね」
途中で本を置く妹紅。小箪笥より蝋燭を数本取り出すのだが、なんと先端を一撫でするだけで火を灯してしまったではないか。事も無げに灯りの設置を済ませた彼女が座布団に戻り本の続きを読もうとして、叫ぶ。
「あーっ、栞、挟んでない!?」
ありがちな不注意である。これで一気に白けてしまった妹紅は読書を止め、何をする事も無く座ったまま思い耽る。起きる直前まで見ていた夢が頭に思い浮かんだらしく、
「どうして私があのにっくき月人と卓を囲んで葉書を読まにゃいけないのよ」
なにがインペリシャブルナイトだ、こんなに幻視力あったかなあ等々、溢れ出す愚痴を並べては溜め息をつき、
「おのれ、あの狸女め」
挙句には仇敵に怒りの矛先を定めて気炎を上げる。
蓬莱山輝夜。
月の者などと嘯き世の男を惑わせた上、忌々しい薬で妹紅の体を不老不死と変えてしまった諸悪の根源。討ち滅ぼさんとすれども、奇しくも同じ死の無い体のために殺しても殺されても終わりがない。
現在では竹林の向こうに永遠亭とかいう居を構え、腹心・八意永琳と共に地上の兎を集めて暮らしている。稀に刺客を送ってくる事があり、過去には夜も眠れぬ日々を過ごした時もあった。
「気が滅入る。何か他の事を考えるとしようか。差し当たって」
少々陰鬱な気分になったのか頭をがしがしと乱暴に掻いて妹紅が立ち上がり外を見る。いくら満月の夜とはいえ、外が騒がしすぎるのだ。何か変わった事でもあるのかと塗下駄を履いて外に踏み出す。
夜風が体を通り抜けるこの感覚は存外に心地よい。八方どこを見渡しても竹しか見えぬ視界には別段変わった様子もなく、昼夜を問わずに鳴き続ける虫の音は妖怪の声より気にならぬ。
髪を手で押さえて妹紅が夜天を見上げれば見事な満月が南の空に見えた。
「これはまだ子の刻も過ぎちゃなさそうね」
困った困ったと苦笑い。夜明けはまだまだ先らしい。どのように時間を潰そうかと横髪を指で弄んでいた妹紅だったが、ある事に気付いて再び月を眺めた。
「妙だね。まだ一刻程度しか立ってないなんて」
ここより竹林のさらに奥、常に霧のかかる場所を抜ければ冬でも湯の湧く温泉があり、実は妹紅がこの辺境に住み暮らす理由の一つでもだったりする。湯浴み帰りの道すがら見た満月は亥の二つという頃合だった。己の感覚としてはたっぷり四刻は寝ていたはずで、遠い昔から使い慣らした己の体内時計にも妹紅は自信がある。
ともなれば間違ってるのは己ではなくこの夜か。
「何とも馬鹿馬鹿しい話になるが、ちょいと気になるね」
妹紅は一度家に戻る。遠出の準備をする為だ。

   * * *

白と赤の衣装に身を扮した妹紅が空を行く。永い夜にさぞ妖怪が喜び蠢いているだろうと思いきや、意外にも見かける数は少ない。妖怪共も戸惑っているのだろうかと妹紅としても勘繰ってしまう。
彼女が目指す先は近くの人里。人との関わり薄く日々を暮らしている妹紅だが何かと世話を焼いてくれる者があった。
上白沢慧音。
知識と歴史の半獣を名乗る彼女であれば、この夜についてもきっと何か教えてくれる事だろう。半妖たる彼女は夜中を里を守って過ごすという。寝ているという事は恐らくあるまい。
家から里までは飛んで一刻弱。そろそろかと空を見上げれば月星に変化は見られず。
「いよいよもって怪しくなってきた」
速度を上げて妹紅は旅路を急ぐ。
途中で鳥の妖怪にも出くわしたが問題なく撃ち落した。


進みを緩めて辺りを見回した妹紅は思わず呆然となった。
「里が、無い?」
もう一度辺りの景色をよく確かめてみる事にした。方角、山川の位置、そして前々から目印としていた大松の老木。少なく数えても百は訪れた事に加え、短い間とはいえ暮らしていた事もある。故に彼女が里の位置を間違えるはずはない。
そもそも妹紅は住民達と折り合いが付かなくて人里から離れ暮らしているのではない。輝夜の刺客として妖怪がやってくるからだ。
里が忽然と姿を消してしまった。状況を整理して落ち着こうとした筈の妹紅だが、考えれば考える程深みにはまっていく。
「慧音ー! けーいーねー!! 弁当箱あーたまの天皇マーニアーーっ!! 前方後円墳、里の裏に作ろうとしてるの知ってるぞーーー!!」
怒って飛び出してきたらそれはそれと大声を出してみるが何一つ反応はない。もし聞かれていたら目も当てられぬ事態に陥るのは分かりきっているのだから、妹紅は既に冷静でなかったか。何か手がかりになるものはないかと辺りを飛び回り、ついに土地の一角で弾幕ごっこの形跡を見つけた。
かなり激しい弾幕痕を見やり妹紅は断定する。
「里に、何か来たな」
戦ったのが慧音なのかどうかまでは判らないが、これは子供の遊びで起こるような荒れ具合ではない。
その後も周囲をうろうろしていた妹紅だったがやがて再度空へと飛び上がった。どうやらこの場所に見切りをつけたようだ。今度は迷う様子も見せずに北西の方角へと向かっていく。もっとも、この辺りで怪しい連中なぞ数えるほどもいないのだから自ずと目的地も決まってくる。
「久方振りの殴り込みだね」
妹紅の顔は自然と笑みを作っていた。

   * * *

一方、竹林の奥深く。
虫、鳥、妖怪。種類を問わず、その辺りからは勘の良い生き物の姿は消えている。普段は至って暢気な妖精が我先と逃げ去った事からも混迷の程が知れよう。今や騒ぎの中心は闇の向こうのお屋敷。藤原妹紅の向かう先、永遠亭は既に戦場と変わっていた。
炸裂音に破砕音、屋敷に住み暮らす兎達の雄叫び、悲鳴、呻き声。
離れた部屋に待機する月の兎、鈴仙・優雲華院・イナバが苛立たしげな表情を作っていた。
「嫌なものを思いださせてくれるわ」
壁に背を預け、落ち着きなく指で自分の体を叩きながら目の先にある障子を睨んでいる。だというのに障子が開かれればびくりと身を竦める体たらくであった。
「あ、師匠。何か御用でも?」
顔を見せたのは銀色の髪を後ろに編んだ女性。彼女は鈴仙の問いに答えず一瞥し、
「震えるぐらいなら奥へ行ってなさいな」
「違いますっ! これ、そうこれ、武者震いです」
「そうかしら」
沈黙が降りると鬨の声が遠くから聞こえてくる。
女性は口を開こうとはせずに鈴仙を見つめる。空気に耐えられず、折れたのは鈴仙であった。
「すいません、ちょっと緊張しちゃってるみたいです」
「呆れた。賊退治に志願したのは貴女でしょうに」
そう言われてしまえば返す言葉などあるはずもなく、鈴仙は視線を下げる。
満月の今夜、使者が月へと連れ戻そうとしているのは自分一人。姫や師匠、屋敷に住む兎達までもがその為に手を焼いてくれているというのに、一人物陰で耳を押さえて怯え隠れるのはいたたまれなかった。だから少しでも役に立とうとしたはずなのに、なんて情けない。
「貴女は私を何だと思っているの」
弾かれたように顔を上げる鈴仙。師の不愉快そうな顔に、なんと答えればい良いのか分からずただ頭を下げる。
「申し訳ありません」
「謝罪の意味を聞いておくべきか判断に迷うところだけど。いいウドンゲ、貴女の後ろに控えているのは私」
雄に誇るまでもなく彼女はいつもどおりの自信に満ち溢れている。そしてそれ相応の力を持っている事を鈴仙もよく見知っていた。
師と仰ぐのは月の頭脳。天才、八意永琳。
それと気付くだけであれだけの不安や緊張が朝靄の如く消えていくではないか。自分はなんて単純な生き物なのだろう、と鈴仙はつい苦笑を浮かべた。
「ありがとうございます、師匠。なんだか馬鹿みたいでしたね」
「もう平気なの? まさか。そんな筈がないわよね」
ここで永琳は妙な事を言いだした。微笑を湛え、声を返す暇も与えず彼女は胸元から取り出した包みを鈴仙に握らせる。
「そこで滋養強心覚醒恍惚なんでもござれの自信作を用意したのよ。貴女って本当にラッキーねえ」
ぐぐぐいっ、と奇妙な程に力強く。
「お気遣い嬉しいんですが私、狂気成分はこの瞳だけで足りてますんで」
鈴仙も乾いた笑みでずずずいっ、と押し返す。
ぐぐぐぐぐっ。
ずずずずずっ。
どちらも引かぬ一進一退、師弟の争い。永遠亭において決して珍しくはない。
「師匠。手にした時点でオブラートの奥に潜む何かの動きを感じるんですけど」
「生ですもの」
「なまぐすり!?」
「名前の半分に私のものを引用したんだけど、実験体になる貴女の名前も借りようかしら?」
「臨床試験してないんですかー!?」
「…………そうね、ウドコロリン」
「狙われてる! 私の命狙われてる! ていうか私の本名覚えてます!?」
「嫌なら名前は初めどおりデキゴコロね」
「死ぬー!! 戦いに行く前に殺されるー!!」
「戦って死ぬより飲んで死になさい」
「待たれい師匠! あいやしばらく、いやしばらくー!!」
薬の押し付け合いが熱を帯びてきた頃、遠くから近づいてきた激しい足音が、開かれたままのこの部屋の敷居を越えた。足音は永遠亭の主でもある蓬莱山輝夜であった。必死の形相に息を弾ませていようが、それすら絵になる絶世の美女は、
「えーりんえーりん助けてえーりん! 家が壊されちゃうよウワァァァァン」
などとのたまう。屠殺する動物でも眺めるような視線を主に向けるのが対する永琳。魔の手から逃れたのが鈴仙。
「姫、笑いながら仰られては私も仕様がありません」
「あら珍しや月の頭脳の困り顔。結構な難題だったはずだけれど」
どういうことか、輝夜は突如態度を変えてころころと笑い出したではないか。この緊急事態のいったい何が楽しいのか鈴仙には判らない。そんな心を見透かしたかのように、輝夜は彼女に涼しげな目を向ける。只でさえ作り物じみた美貌を持つ輝夜にこうも嫣然とした表情を作られては、愚かな男共は一も二もなく惚れ込んでしまうであろう。同姓の鈴仙ですら息を飲むほどなのだから。
「私達は襲われてるのですもの、怖がってやらねばいけないわ。興乗らぬれば饗と叶わず、よ」
やや間を挟み、輝夜がまた声を立てて笑い出す。気苦労の滲み出た永琳の表情は誰の目にも映らずに済んだ。
「ほらイナバ、筆! 私の訓録に忘れないうちに記しておいて頂戴」
「え、ええ!? ちょっと待って下さいよ~……」
これこそ鶴の一声である。急かされてやむなく部屋中を引っ掻き回し、不憫にも埃を被った鈴仙が向き直り一言。
「書がありません」
「まあ、何という事なのかしら」
嬉しげに輝夜が笑みを作り、優しげに語り掛けた。鬼子母神という神がいるが、今はあまり関係がないと思いたい。
「貴女は私の何だったかしら。言ってみなさい」
「……し、僕、ですか」
笑顔のまま御石の鉢が掴まれるを見て、鈴仙のふにゃけた耳が一瞬ぴぃんと立つ。
「ぺ、ペットでした! 私は姫のペットですっ!」
「よろしい。では、自分が何をすべきか判ってるはずでしょう? 貴女は賢いものね」
「た、只今お持ちしますぅ~」
賢いからこそ、情けない声を残して鈴仙が部屋の外に消えていく。その様こそ脱兎の如しだが、寧ろ犬と言えなくもない。
足音が完全に聞こえなくなってから、永琳は輝夜に向かって一礼した。元々、彼女に話が会るからこそやってきたのだろう。
「貴女が切り出しては勘繰られるものねえ。それで、聞かせたくないのはどんな話?」
「星詠みを行っていたところ、動きが」
「どう出たの?」
「大陰未だ強く輝かず。天蓬星の光妖しく、螢惑が南の空で強い光を帯びています」
「螢惑とは、確か火曜星の事でしょ?」
目顔で答える従者を確認し輝夜は微かに表情を緩め、透き通った声で歌を詠む。
「隠蓑おのが隠れていかがせむ」
「眼下に望む世のわびしさよ」
そんな行動にも慣れたのか眉一つ動かさず、永琳は淀みなく下の句を紡ぎ話を続ける。
「今、藤原の娘を近づける事に利はないかと」
「芳しくない状況ね。策はあるのかしら」
「無論に」
「じゃあ私は奥で物見といきましょう。でないと貴女が怒るものね」
終始笑みを絶やすことなく、足取り軽いまま輝夜は部屋から歩み去っていく。
その背中に永琳は思う。前々からの享楽主義であったが最近は特にその気が強くなっている。道化を演じ続ける事の何が楽しいのだろうか。最近は兎達も彼女を軽んじた発言を零していると聞く。それがまた楽しいのよと笑う顔に嘘はない。
読む事こそ容易いが理解の範疇ではない。彼女の全てを記すにはどれほどの書紙が必要になるだろう。
「さて。うちには芝居っ気が強いのがもう一人いるのよね」
呟いた辺りで、廊下の向こうのどたどたという足音が大きくなってくる。永琳の僅かに綻んだ相貌が俄かと引き締まる。
「遅くなりましたー!」
お前じゃない。竹の書簡を小脇に抱えた月の兎に向けられる乾いた視線。
「あ、あれ? 師匠、姫はどこに?」
「お部屋に戻られたわ」
「そんな殺生なぁ」
がっくりと肩を落としうなだれる鈴仙ではあるが、もはや顔に蔭りは見当たらぬ。輝夜の命の真意を見抜くには、彼女ではまだ若すぎる。知らぬは本人ばかり也。
「騒々しくなってきたわね」
その言葉どおり、戦場が近くに移りつつあるようだ。土壁の一画が吹き飛んだような破壊の音の後、僅かに部屋が揺れる。
「頃合でしょうか」
緊迫した表情となった鈴仙が問う。永琳も同じ事を考えていた。手筈どおりに事が進んでいるのであれば、今頃は兎の纏め役が侵入者を無限回廊へと誘い込んだであろう。
「行くわよ」
「はい」
気分の高揚か鈴仙は顔をわずかに赤く染まらせ、永琳は余裕綽々といった平静たる顔。短い言葉の後で師弟揃いだって廊下に出た。


いくらも行かぬうちに聞こえてきたのは廊下の向こうの闇の中。ぎしりぎしりと床板を鳴らして近づいてくるモノの影。相手の姿はまだ見えやしないのだが、永琳は構わず声をかける。
「首尾は」
すると近づいた影は二人が来るのを待つかのように動きを止め、落ち着いた声で答える。
「侵入者二組のうち、地に足のついてなさそうな一組は永劫回廊に踏み入りました」
「頼んでもないのに別れてくれるなんて、めでたい連中ね」
「全く以って」
二人のやり取りを黙って聞いていた鈴仙が緊張感もなく口を挟む。
「真面目な貴女を見てると、改めて非常事態なんだなあって実感するわ」
「……鈴仙、それひどくない?」
ようやく互いの表情が分かる距離まで近寄れば、待ち構えていた因幡てゐが恨みがましい視線を鈴仙にぶつける。
「何言ってるの。貴女が日頃からちゃんとしてくれてれば、私の睡眠時間も半刻は増えるのに」
「それこそ日頃の行いだよね」
「そう、日頃の行い」
「貴女達の日常に興味はないんだけど」
話の長引きそうな雰囲気を読んだのだろう、永琳の言。
「では私は回廊の組を先に片付けるわ。ウドンゲ、私が行くまでもう一方を出来るだけ足止めなさい」
「わかりました」
頷く鈴仙。
それを見て名を呼ばれなかったてゐ、ここぞとばかりに手を上げる。
「それじゃあ私は連中の逃げ場を絶つべく館の入り口辺りで待ち伏せを……いたたた鈴仙座薬ぶつけないで」
「座薬言わないで。貴女も逃げないで私と一緒に来る」
「えー? 鈴仙の受け持ちじゃない、弾幕ごっことか座薬とか肉体系のは」
「座薬じゃないし肉体派でもないわよ! 腹黒ウサギ!」
「息も荒く、目を赤く血走らせたエロウサギの鈴仙であった」
「せめて武闘派って言いなさいよー!」
唸り声を上げての睨み合いを始める両者だが突如笑顔で直立不動となる。詳しくは語らないが注射器が出てきたせいだ。しかし薬を見て笑顔になるのはかなり嫌だ。
「そう言うのならてゐには外回り頼もうかしら」
「え? でも」
「お任せ下さい永琳師匠!」
鈴仙の声を返事で掻き消し、背を伸ばし踵を合わせてぴしりと敬礼を作るてゐ。いったいどこで覚えたものやら。
「ただし哨戒も任務に加えるわ。万が一、外から虎がやってきた場合は貴女が撃退するように」
「了解しました!」
びしりと最敬礼を決めたてゐは来た時同様、飛び跳ねるようにして廊下の向こうへと跳び去った。
「師匠、先ほどは戦力分散の愚を説いてませんでしたか」
「今、一時の時間も無駄にできないの。ウドンゲ、貴女はさっさと頭のおめでたい賊連中を足止めに向かいなさい」
納得いかない、といった様子の鈴仙の背中を小突いて急かす永琳が刹那、表情を変える。
「ここはあの子に任せるほか無い、か」
自分が出ては屋敷の守りが薄くなる。姫が出るのはそれ以上に戴けない。この子を向かわせるなぞ片手落ちもいいところ。
「師匠。今、何か?」
「いいえ。さ、急ぎなさい。一人では不安というならここに滋養強心覚醒恍惚」
「やです」

   * * *

「たらったらったら~、私ってなーんて運のいいうさぎなの~」
見回りという大義名分を得て、侵入者の相手をせずともよくなった因幡てゐは中庭から外の竹林に抜け、軽快な足取りで辺りを歩いていた。終わらぬ夜の上にうっすら霧までかかる竹林は視界の悪い事この上ないのだが、この一帯を誰より熟知していると自認する彼女は環境の悪さをものともしない。
「無敵の戦略とは戦わない事~。まあ勝負したって負けないけど~」
それにしても何よりてゐの身にこたえたのは、侵入者を前に立ったあの瞬間。ぐびりと唾を飲んだ渦巻き頭の女。あれは捕食者、飢えた狼だ。自ら便通の話題を振ってくる鈴仙と同じ目をしていたのがその証拠。負けた瞬間に毛皮を剥がれて煮えた湯に放り込まれてもおかしくない。あれは他の誰かが何とかするべきだ、というのがてゐの導き出した結論であった。
「さ~て、何して時間つぶそっかな~? 筍でも取ろうかな~? でも服に泥ついちゃうし却下~」
思い悩みながらも暗がりを一度たりとも足を取らずに進むてゐ、やがてぱちんと指を鳴らす。
「黄金色の竹取りにけって~!」
くるくると回ったりなど小躍りなどしつつ、足取り軽く竹の間を進むてゐ。薄気味悪い夜である事さえ除けばなんとも微笑ましい光景で、見る者に幸福を運ぶという説明があっても不思議ではない。
しかし、不意に兎は動きを止める。中程から垂れた大きな耳をぴくぴくさせた後、
「永琳師匠の鬼……恨んでやる~!」
生い茂る竹の葉の隙間から見える夜天に一叫び、それから矢のような勢いで彼方へと飛び出した。無規則に並び立つ竹の幹を、風に揺れる枝を葉を、掠りもせずに突き進む姿は緑の波間を飛び交う早魚のよう、
「……呪ってやる呪ってやるわ惨すぎるひどい仕打ちよ辛い辛いよ死んじゃうよ……」
反して彼女の呟きは負の力に満ち溢れている。あまり耳にしていたくない。
てゐにすればこの事態は見過ごしてしまいたいところ。だが永遠亭幾百にも上る兎達の長が命令といえど総力戦の最中に屋敷を抜け出し、加えて誰の目にも明らかな侵入者を素通りにしたと知られれば、以後の立つ瀬がなくなってしまうではないか。
「えーりんえーりんひどいやえーりん」
やがて、てゐの目が宙に浮かぶ一人の人間を捉える。
得意の話術で煙に撒こうにもまともに話を聞かないやつだ。

   * * *

永遠亭を包む竹林の中、妹紅はすぐ異変に感づいた。一帯に生き物の気配が無い。妖精一匹見当たらないここは古くから根を張る老竹ですら何かに慄いているかのようだ。さらには遠くから聞こえてくる闘争のどよめき。林中を反響しているため方角こそ判別できないが目的地ゆえに悩む必要もない。
「先客かな?」
呟くと飛行速度が上がった。友人の顔を思い浮かべたのが理由の一つ、もう一つは単純に闘争心の高揚である。警備も薄くなってるかなと妹紅が思えば、果たしてその通りなのか兎の仔一匹見受けられぬ。
たまには楽でいい、とは彼女の独り言。
「ちょっと待て!」
「とと、そんなに人生甘くはないね」
横からかかった声に思わず苦笑し、妹紅は声の主を見やる。
「誰に断ってこの竹林を抜けようっていうの?」
闇の中から飛び出したのは黒髪の兎。あまり区別できない妹紅にも見覚えがある者だった。
「お前、因幡てゐとかいったっけ」
「名乗った覚えはないんだけどね」
そうは言いつつも満足げに頷いた。
「聞いておこうか。この時、この夜、この月。後ろで糸を引いてるのはお前達か?」
「一度に聞かれても困るけど、たぶん私達じゃないわ」
「ならばお邪魔しようか。連中の口を割らせに」
「どう答えても結局来るのよね」
呆れ顔となるてゐに対し、妹紅の顔はどこか嗜虐的なものが含まれた、他者の痛みを知らぬ子供のような笑いで彩られる。
「兎の耳がどうして長いのか知ってるか?」
「ご褒美よ。賢い私達に、他の動物の言葉も覚えられるようにって神様がくれたの」
「今のお前が賢いとは思えないけどね」
「浮世のしがらみなんて貴女には分からないでしょ」
てゐが挑発的な仕草で腕組みする。居直る事を決め込んだのだろう。
「非力な兎はやむなしと自ら炎に飛び込むか。兎の肝はやっぱり小さいのかしら」
くつくつと笑う妹紅の視線は品定めを怠っていないが、これは顔を合わせた瞬間からか。
「それだけ神と近しい生き物なのよ。私なんかもう神様かも」
「神の丸焼きか、悪くないね!」

開戦。
勝負は無論、弾幕ごっこ。

一方は握り締めた札を大量にばら撒き、一方は竹林の陰を活用して素早く動き回る。
守りを考えず攻撃に尽力し圧倒する、これこそ妹紅の弾幕ごっこにおける姿勢であり戦略である。てゐも機を見て反撃してはいるのだがいかんせん手数が少ない。次第に反撃の手は止まり、場の流れは開始早々一方的となる。
「なんだなんだ情けない。お前、やる気あるのか?」
「さ、作戦よ。あなたには判らないかもしれないけど、ひゃぅっ!?」
首を縮めて逃げまとう姿を胡散臭そうに眺めつつ、内心ではこんなものだろうとも妹紅は思っていた。内情を知り尽くしている訳ではないが、永遠亭の実力者は上からにっくき輝夜に八意永琳、うどん某の後にこの因幡てゐの名が連なると彼女は記憶していた。うどん某は過去何度か刺客として送られてきたが、尻さえ隠せば大した相手でもなかった。となればこの兎に負ける道理もない。
妹紅が指に一枚の札を挟み、前に突き出した。
「スペルカード!? ちょ、そこまでしなくても~!」
スペルカード。それは弾幕ごっこにおいて文字通りの切り札である。
具体的には戦闘中にカードに備わった呪を読み上げる事で発動し、まず空間を漂う霊力に弾幕とその他諸々、周囲の力という力を全て吸収。そして蓄えた力に己の霊力を上乗せしてより強力な弾幕を放つ、攻防一体の矛であり盾。当然集めた力でその効果も左右する。扱える者こそ一部に限られているが、その存在はただの撃ち合いを多様な戦術が絡む高度な次元へと昇華させた。
閑話休題。
妹紅が皮肉を込めてその呪を詠み上げれば、宙を飛び交う妖弾札弾がまとめて札に吸い込まれて溶け消える。


   ―――滅罪「正直者の死」


「うわわわ、ど、動物虐待反対~!!」
一瞬の間の後、逃げ道を塞ぐように降り注ぐ弾幕。
葉を穿ち、土を抉り、ごうごうと周囲一体のものを撃ち壊していく光景は、まさしく雨あられという喩えが相応しい。
慌てて周囲を見回すてゐだったが、この状況で退路があるはずもない。
「詰んだよ」
砂埃が徐々に視界を悪くする中、妹紅が腕を振るう。ただそれだけの動作で、腕の軌道をなぞるように放たれた熱線が竹林を引き裂いていく。
追い込まれた兎は息を大きく吸って天を仰ぐ。視線の先には己の勝利を信じて疑わぬ妹紅。覚悟を決めたか。
「ええぃ最後に物を言うのは度胸! 死なばもろともぉーっ!!」
吼えた後、舞い上がる砂埃から一気に飛び出した。両腕で頭を抱え、もの凄い勢いで自ら熱戦に飛び込む。狂気の沙汰か、いやそれは正しい判断。この呪においての唯一の死角は真正面だった。
「抜けたーーー!」
「残念だねぇ」
「え」
だが、道具を誰よりも熟知しているのは使用者に他ならない。ましてや数百年にも及ぶ闘争を経て、己の弱点に気付かぬ者などあるはずもない。彗星の如く向かってくるてゐを尻目に、妹紅が拳に炎を宿して大きく振りかぶる。
「これで、終わりだっ!」
打撃音。
渾身の一撃が決まった瞬間、凄まじい破裂音を立てててゐの小さな体は爆ぜた。白と黒と赤を撒き散らしながら竹林の陰へと落ち、消える。静まり返った空間で妹紅はぽりぽりと頬を掻いた。
「うげ。やりすぎたか?」
「あいこだからね。おっけー」

衝撃。

「な――」
突然の不意打ちにろくに声も出せず、妹紅の体が地面へと叩きつけられる。何も判らぬうちに土に塗れた彼女の顔は目も口も大きく開いたままで、そこから血が流れ出る。
全てはあっという間の出来事。襲撃者は誰もいない竹林の中、得意げに自分の身ほどもある得物を構えた。
「へへ、てゐちゃんの逆転勝利っと! おつかれさーん」
どこから引っ張ってきたとも分らぬ杵を投げ捨て、掴んでいた一枚の札も懐へと仕舞い込む。再び使うには時間を要する白紙となった札。少し前までは『因幡の素兎』と名うたれていた札であった。
「智謀、経験、時の運。三拍子揃った私に騙し合いで勝とうなんて笑っちゃうわ」
てゐはさも愉快げに声を立てて笑った後、ざっと地表を一瞥して彼方を見上げる。
「そして何よりこの状況でも気を抜かない冷静さ。因幡てゐの名前、忘れられないくなったでしょ?」

転瞬、世界の色が変わる。
ようやっと丑の刻に差し掛かった頃の夜がまばゆい光に彩られ、目が痛くなるほどに輝きだす。
金色の竹が何本あればこれだけの幻象が起きうるだろうか。
光はじきに力と変わり、渦巻く奔流となって一つの空間に集約されていく。
それは例えるとすれば孵化直前の卵のような生命力に満ち溢れており、てゐの体はどこか原始的な感動に震えた。

「リザレクション」

その言葉を合図に光の塊は破れ、中から一人の少女の姿が浮かび上がる。
老いる事も死ぬ事も無い程度の能力を持つ、藤原妹紅その人である。
「切り札を無駄打ちした挙句殺されるとはね。死がないせいか、どうも油断が抜けない」
悠然と告げる彼女の表情は、自分を殺そうとした者に向ける表情としてはおよそ似つかわしくない。
兎の少女もまた小生意気に慎ましやかな胸を張り、怯む事なく視線を返す。
「その油断をうまく利用するのが私の十八番なの」
「ふん。口惜しいが認めてやるさ。輝夜や永琳以外の相手に殺されたのなんて久し振りよ」
「永遠亭の兎の長の力、思い知った?」
「ああ、体に刻んだよ」
妹紅の眦が吊り上がる。怒りによってではない。
口元を歪ませ、目を爛々と輝かせる様は肉食の獣のそれか。
竹林が赤く染まっていく。
「今度は私の番だよな」
ぱちぱちと鳴る火の粉を散らしながら炎の翼が、足が、尾が、妹紅の背中に顕現する。
鳳凰。
膝から背中まで這い上がってくる震えに呑まれぬよう、てゐも表情を緊迫させる。鷲に近いか鷹に近いかまでは知らぬがアレは猛禽の一種であり、つまりは兎の天敵なのだ。
見当違いの方角へと両者が大雑把に弾幕を放つ。攻撃のために非ず、弾幕ごっこの様式美。
「さあ来なさいよ! 私を、貴方を、何もかもを偽ってでもここから先へは進ませない!」
「かの化生はその姿で目を奪い、その力で命を奪う! これ以上時間は割いてらんないんだよ!」
二人が同時に動き、全く変わらぬ動作でのカード宣言で辺りから力を吸い上げる。



   ―――不死「火の鳥 -鳳翼天翔-」     脱兎「フラスターエスケープ」―――


宙を焦がしながら一直線に襲い掛かる火の鳥と、分散して四方八方から迫る兎の群。
攻守の形こそ初めと同じであれ、放たれる弾幕は量も質も雲泥の差。火の鳥の接触を一度でも許せばてゐの身は焼き尽くされるだろうし、大挙して押し寄せる弾幕に妹紅とて回避行動を取らずにはいられぬ。
「こんな忙しい時に来るんじゃないわよ!」
大切な一張羅の随所を焼かれながらも巧みに動き回っててゐが叫ぶ。
「悪巧みの準備に大童か? それは悪かったね!」
あまり弾幕避けを得意としない妹紅は四方八方からの躱し切れない弾幕を、鳳凰の翼で叩き落す。
「夜を止めてるのは私達じゃない!」
「世迷い事を!」
両腕を突き出し、一挙に三羽もの火の鳥を生み出して放つ妹紅。一つを撃ち落とし、一つを潜り抜けたまでまではよかったがそれまで。最後の一羽の突撃を避けきる余力はてゐに残されてはいない。
やがて、爆縮。
「きゃあああっ!!」
火の鳥の直撃を確認して妹紅は短く息を吐き出す。
「不倶戴天の怨敵を討つ。その一事があれば全て瑣末事になるものさ」
今度こそ片がついたと妹紅は呪を解除しかけるものの、何故だかそれが躊躇われているようだった。思えば彼女は直感に救われたのだろう。まだてゐのスペル・ブレイクは成っていなかったのだから。
「隙ありっ!」
砂煙とはおよそかけ離れた位置から飛び出したてゐが縦横無尽の弾幕射撃を再開する。半数を避け、半数を鳳凰に防がせつつ妹紅は思う。
ある意味あのうどん某よりも戦いにくい。強いというよりは駆け引きが巧妙を極めている。喰えない兎め。
(埒が開かない……どうする?)
だが、妙案が思いつくより先に鋭い一撃が妹紅の頭部を襲った。妹紅は僅かに目を細めただけだというのに、てゐはそれを意識への没入と容易に看過してしまったのだ。
「まさか降参? ボーっとしちゃって、どーしたのっ!」
さらに激しい攻めを繰り出すてゐを、守勢に回りつつも睨みつける妹紅。
(こいつは兵法でも学んだのか? 鬱陶しいたらありゃしない)
目の上から流れ落ちるものに反応して妹紅は目を閉じる。それで終わるのなら気に留める意味もない行動だったのだが、何を思ったか彼女はそれを親指で掬い取り、口に運んだ。
(私の血、か?)
手の止まった妹紅に容赦なくてゐは猛攻を加える。

己の血。
(父様から受けた藤原の血)
血は赤く、
(永遠の病に身を落とした藤は不治)
炎はより紅く、
(不治は富士と移り、その怒りは野を焼き尽くす)
紅い炎によって生じた煙は、きっと月まで届くのだろう。
「やれやれ。私もこれでなかなかの間抜けみたいだ。は」
動きを止め、身の守りを鳳凰に任せるだけとなっていた妹紅の体には無数の傷が生まれ、そこから流れる血が彼女をさらに紅く紅く染め上げていた。少女には似合わぬ獰猛な笑みを浮かべる妹紅。相手の動向を見逃すまいと見張っていたてゐは気の毒にもそれを目に留め、身を竦ませた。

「は、はは、あはははははははは!!」

妹紅の天を仰ぎ笑う声がこだまする。どこか冥い響きの、狂気を孕んだ笑い。
ぞわり。理解できうる枠外の行動にてゐの背中に言いえぬ寒気が這い回る。
「今の今まで自分を履き違えてたよ。これもあんたの作戦かい、兎?」
数十、数百の攻撃に見舞われながら何がおかしいのか笑い続ける妹紅。一方的に攻撃を加えている立場だというのに、てゐは湧き上がる焦りに唇を噛まされている。
(狂ってる!)
そう思ってから、何を馬鹿なと彼女は己を叱咤した。
(狂人に決まってたじゃない! あれは姫様や永琳師匠と同じ、蓬莱人なんだから!)
「小賢しい駆け引きはお前達の役割。私にはそんなもの必要ない。一息に攻めて砕けばいい。砕けないほど硬いなら、不滅の炎で溶かせばいい」
妹紅と視線が噛み合った瞬間、まずいと感じたてゐがその場を飛び退く。前触れもなしに生まれてきた三羽の火の鳥がその位置を通り抜け、着弾点に炎を撒き散らした。焦げた葉や砂を含む熱風がてゐの全身を撫で抜ける。
「流石によく跳ねるが、もう飽きたかな」
無造作に妹紅が右手を上げると鳳凰から別れて形を変える火の塊。その数、五。
「さあ、お戯びは御仕舞い」
慈悲もなく腕は振り下ろされ、てゐにとどめを刺さんと迫り来る五つの火の鳥。逃げ場など残されているはずもなかったが、何を見たのかてゐはその場から動こうともせず、腕を組んで仁王立ちする。
諦観としか見えない行動。
その意図は、火の鳥達が途中で闇に塗り潰されるが如く消え去った事で示された。
「また? 次は何を……と、なんだ時間切れか」
「は~い、残念残念」
白紙となった札を確認して不満そうに妹紅が頬を膨らませる。札に蓄えた力が底をついた。
自分のスペルカードの消滅に気付いていたてゐは、妹紅のそれも同様に消えるだろう事を見抜いていた。大した洞察力と言えるが、それ以上に凄まじいのは消滅を疑わず一歩たりとも動かなかった胆力である。いかに発動が同時といえども、術者の力や位置関係によって呪の持続時間は変わってしまう。他人がおいそれと真似できるものではないのだ。
「ふふふん、これで姫と永琳様二人を相手にできるつもりなのかな~? その調子じゃ鈴仙にやられてお嫁にいけない体にされちゃうのがオチね」
いったい鈴仙を何だと思っているのやら。
だが虚ろな目となった妹紅はてゐの言葉に何ら反応を示さない。動いてくる気配も見受けられぬ。このまま帰ってくれるならいいのにな、などとてゐが思っていた矢先の出来事である。

「蓬莱」

「え?」
てゐが思わず聞き返すと、妹紅は獣じみた笑みを作って見せる。
「凱風快晴」
「ちょっ……!?」
狂気の炎、未だ消えやらぬ。妹紅は一枚の札を右手に取り満月を突かんとばかりに高々と掲げた。
「フジヤマヴォルケイノ」
一度は消えた鳳凰が再び現れて紅く紅く輝きだす、しかも先程より明らかに炎の勢いが増している。
自分の置かれた状況を察したてゐは流石に青ざめた。彼女の知っている限り、宣言された呪は藤原妹紅が扱うもののなかでも一、二を争う威力を有していたはずであった。それでも決して怯んではやらないのが彼女の強さ。
「あれ、そんな大技、ここで使っちゃっていいの?」
「さてね。そんな事は全て終わってから考えればいいんじゃないか」
「質問を質問で返すのは学が足りない証拠よ」
「なぁに、足りなきゃ後で足しておくさ。時間だけはたっぷりあるからな」
攻撃を止める様子はまるで見られぬ。仕方なくてゐも覚悟を決めた。
燃え盛る炎で煌々と輝く鳳凰。それを背負う妹紅の体も赤一色に染まり、開いた赤い瞳孔の禍々しさは筆舌にできぬほどで、炎の化生と成り果てた者がそこにいた。
「お前が死んだら、灰にして月人に売りつけてやろうか。ご利益なぞはなかろうが、お前にゃぴったりの役回りだ」
「灰だけじゃちょっとね。竹は朽ちる前にしか花を咲かせないから」
「葉を待たず春の夜に溶けし赤い華。風に散り首を落とすは白い華。
炎は火の御で火は陽と響く。往生しなよ、私の色は死生を悉く掌る!」
妹紅の掌に現れる、紅く膨張する球体。いくらも絶たぬうちに、あの小さな太陽は彼女の手から放たれるだろう。
焦げだらけの服の懐に手を伸ばし、てゐがスペルカードを取り出せるよう身構える。
周囲の力が再び蓄えられるのにも時間が必要な為スペルカードの後撃ちは不利なのだが、背に腹は変えられぬ。
染まれ。
まだよ。
二人の視線と思惑がぶつかったその時、だ。



「何?」
夜が、揺れた。




満月がまるで支えを失ったかの如く揺れ動き、天の全ての星という星が線を引いて流れ、沈んでいくではないか。彼方からは何かの遠吠えらしきものが聞こえる。幻想郷の全ての者が、この天変地異に驚き慄いているらしい。
何故このような事が起きているのか。理由は分からないが、てゐは永遠亭で何かあったのだろうと推察する。
「まさか、永琳様に何か」
「違う」
まさか答えが返ってくるとは思ってなかったてゐが驚きつつ横に目を向けた。早々に戦闘態勢を解いた妹紅は、理性の宿った目で憮然と空を睨んでいる。
「あれは輝夜の力だ。奴が……夜を終わらせようとしているのか?」
「そんな! 満月の秘術を施したのは永琳様なのよ?」
「私があれの力を間違える訳がない。あいつ以外の呪で、ここまで不快を感じられるはずがない」
妹紅は憎々しげに吐き捨てた。
東の空が白みがかってきたのがもうはっきりと分かる。直に朝日が返ってくるのだろう。
ふんと息を吐き、彼女はあらぬ方角に向き直る。
「帰るの?」
「私は夜を終わらせるために出てきたんだ。用がなくなったから帰って寝る」
「私の案内なしでここから出られるのかしら?」
「来た道を通るだけだ。難しい話でもない」
妹紅は一瞥もせずに彼方へと飛び去っていく。
てゐは土の上に降りてその後ろ姿を見送る。
「ふう。私もすぐに帰らなきゃダメなのかなあ」
ひとりごちた後、その小さな体は崩れ落ちた。

   * * *

人里からほど遠い辺境の地。
空も見えないほどに竹が生い茂った林の中に、隠れるようにして存在するあばら屋があった。

「なるほど、そっちはそっちで大変だったみたいね」
「腑に落ちないところもあるが、あの夜を終わらせたのは博麗の巫女だろうな」
「そんなに凄いの、その巫女」
「博麗は人と妖怪の間に立ち、幻想郷の秩序を守る者。
 悪しき妖怪を退治する傍らで妖怪と共存して生きている。
 だから力も常識も性格も普通のものとはかけ離れているのだろうな」
「誰かに似てるね」
「妹紅は今日は食を断って読書か。感心だな」
「そんなに巫女に似てちゃ嫌なんだ」

あの夜、里を隠したのは他でもない慧音だった。
夜は妖怪の時間であり、幻想郷にいる妖怪の多くは夜に活動が活発となる。
故に人間を護る為に彼女は里の歴史を「食べた」のだという。
もっとも、そこを妖怪を引き連れた巫女にやられたらしいが。

「でも、結局月人どもは何をやらかそうとしてたんだろうね」
「あの連中は、恐らく月を掏り替えたのだろう」
「大きく出たね」
「私はワーハクタク。月によって力が左右する者だ。特に満月の晩は妖怪に近づいて普段以上の力が使えるようになる」
「具体的には?」
「だがあの日の満月からは何の力も得られなかった。つまりあの満月は本物ではなかったんだ」
「なるほど。それで?」
「まあ目的までは判らないが」
「えらく中途半端じゃない」
「そう焦るな。次の満月になれば全て判る事だ」
「何か特別な事でもあるの?」
「そういう訳じゃないが、うむ。その次の日にでも教えてやろう」

慧音は何かを隠している、妹紅にもそれは分かった。
しかし無理にそれを聞き出すつもりはない。妹紅にとって、彼女は唯一の客。
彼女がここに来なくなってしまったら、それこそ月人のところまで暇潰しに行かなければならないではないか。

「巫女ってどんな奴だったの」
「話を蒸し返すんじゃない。怒るぞ」
「そういう意味じゃなくてさあ」

慧音を人間の味方をする妖怪とすれば、博麗は妖怪の味方もする人間。
立場の似ている慧音と巫女。だからこそ巫女に対して興味が湧いたのだ。
今日はもう友人もその話をしてはくれないだろう。だから妹紅は次の満月まで待つ事にした。
生まれ過ごした月日は数知れず。これから待つ年月は永遠に等しい。
たかだか一月。答えが来るまではいろいろな夢を見るとしよう。未来にはそれだけの価値があるのだから。
生きるという事は素晴らしい。妹紅はそれを再認した。

「ああ次の満月が楽しみだよ。私の密かな楽しみを里一帯にバラして、物笑いにしてくれたんだからな。ふふふ……」











「時経りてあやしく満ちず秋月やこのこころをも隠し給はば。さあ、果たして残りの難題も片付けてくれるかしら」
「その為だけにあの連中を黙って帰してやったのが正しいのかは判りかねますが」
「一や二が足掻いたところで永遠無量には及ばないもの。貴女も一句どう?」
「籠拾い数え寝たらず月と藤、常世の君やいついつ落つる」
「まあ」
初めまして、お手と申します。我ながらひどいネーミングセンスですね。
まずは拙作をお読みいただいてありがとうございます。永夜事変の夜、妹紅は何をしていたのかと疑問に思ったのがこの妄想の生まれ所でした。文章を作って人様のお目にかけるのはこれが人生初めてのことですので、なにか不備や間違えがあった場合にはご指摘下さると嬉しいです。
歌は適当なんで気にしないでやってください。学生時代も理系でしたので怪しさ満点です。
最後にこういった場を設けて下さっているmarvs氏とここまでお付き合い頂けた皆様に、感謝を。


よし、Luna通常設定クリア目指すぞー。

10月20日、ちょっとだけ修正。
お手
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コメント



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1.80Admiral削除
面白い。
てゐと妹紅の戦いは珍しいですが、なかなか楽しめました。

>ウドコロリン、デキゴコロ
うまいなぁw。