第1話「学園の素敵な巫女」
数多の人間と人間以外が住む幻想郷の中心に存在する幻想学園。
一応『学園』とは言うものの、幻想郷でのそれは境界の外側にある現実世界の学園のそれとは当然異なっていた。
守らねばならない規律は存在しないし、制服もない、試験も何にも無い。
運動会はもちろん昼にグラウンドで行う。
学年も存在せず、クラスは四季になぞらえて、春夏秋冬の四つがあるのみ。
教師と生徒との違いはただ『教師』か『生徒』かという役職の違いでしかなく、特に上下関係があるわけでもない。
そこにはただひたすらに『学園』という場所が存在するだけだった。
―――夏組教室―――
「まったく、とんだ災難だったぜ」
崩れるように自分の席に突っ伏してぼやく魔理沙。
窓際の最後尾、咲かない妖怪桜が見える特等席はつい先ほど自らの力(暴力)で勝ち得た席だ。その後ろでは席を奪われた被害者が涙目に魔理沙を睨めつけ何事か喚いているが、当の犯人は気にも止めていない。
霧雨魔理沙、基本的にワルである。
「何言ってるの、災難なのはこれからよ。放課後が台無しじゃない」
隣の席に腰かけながら霊夢が漏らす。
「あー映姫か。すっかり忘れてた」
「鳥かあんたは」
映姫の説教の長さは有名だ。
果たして今日中に家に帰ることが出来るだろうかと、霊夢と魔理沙さは深くため息をつく、2人とも原因が何であったかすっかり失念し、なんで私が、とボヤく。
都合の悪いことは無かった事にするのが幻想郷で上手く生活するコツだ。
「ってオイ! いつまであたしのこと無視してるんだよマリサ!!」
先ほどからずっと喚いていた被害者がもう我慢できないとばかりに大音声をあげる。その顔は真っ赤になっており、目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「なにようるさいわね・・・・・・」
「ん、どうしたんだチルノ? 何かあったのか、泣いてるじゃないか」
犯人はいけしゃあしゃあと言ってのけた。
原因が自分だなどとは露ほどにも思っていない心底不思議そうな顔だ。
「な、泣いてない! 泣いてないもんね!」
氷の妖精チルノは腕で目を擦り、叫びすぎて乱れた息を整えると、今度は百面相をしだした。どうやら叫びすぎで話す内容を忘れたらしい。
忙しいヤツね、と霊夢は他人事のようその様子を眺めている。魔理沙がチルノに何をしたかは隣の席なので当然知っているが、自分には無関係だと気にも止めない。
百面相だったチルノは混乱から回復したのか、いつの間にか偉そうな顔に表情が固定されていた。
「ふふん、まぁいいわ。それにしてもアンタたち本当にバカよね。初日から山田に目つけられるなんて、山田の言うとおり休みすぎてボケたんじゃないの? いい気味よ」
偉そうにふんぞり返り、鬼の首を獲ったかのように捲くし立てる。格好の攻撃材料を思い出したチルノは、最早座席のことはすっかり忘却の彼方だった。一度に多くのことは覚えられない脳なのだ。
ちなみに『山田』とは四季映姫の俗称である。
『『・・・・・・うぜぇ』』
延々とつづくノイズは一向に止まる気配がなく、霊夢と魔理沙はそろそろ限界だった。
いい加減どうにかしようかと思っていると、魔理沙がおもむろに立ち上がりチルノの正面に立つ。
ふんぞり返って調子良さそうにペラペラと喋っているチルノは眼前の魔理沙に気付いていない。
魔理沙はゆっくりと右手を頭上に掲げるとその手を思い切りチルノ目掛けて振り下ろした。最大限まで引き伸ばされた右腕は対象めがけて一気に加速、鮮やかな弧を描いた右腕はその重量と加速度の全てを対象に叩き込む。インパクトの瞬間、空気が破裂したような音。
直撃を受けたチルノはわけもわからぬまま壁に叩きつけられ、ぐえ、と蛙が潰れたような呻き声をあげそのまま動かなくなった。
「これが私のマスタースパークだ」
「いやただの張り手だから」
「……それにしても五月蝿い羽虫だったな」
「あんた凄いわね。それで済ませる気?」
マスタースパーク(張り手)を喰らい、ど根性ガエルの様に壁に張り付いたままのチルノを見ながら霊夢が言う。
「あんまり大きかったんでな、さすがの私も驚いたぜ」
「……まぁ平和が一番よね」
面倒ごとが嫌いな霊夢は特に何も言うことなく正面に向き直る。内心、まぁチルノだしいいよね、という気持ちも無いでもない。
と、机に影が落ちる。
「貴方たち、もう少し落ち着けないの」
呆れたような、事実呆れているのだろう声を出し、クラス委員長のアリス・マーガトロイドが正面に立っていた。
「おかしいわね。つい最近同じようなことがあった気がするわ」
「奇遇だな、私もだ」
「たった一時間前に同じことやってたわ。これだから人間とバカな妖精は困るのよ。クラスを纏める私の身にもなってもらえないかしら?」
額に手を当て困ったような仕種でそう言い放ち、それだけよ、と自分の席に戻っていく。騒がしいのを注意しに来ただけで特にチルノのことはどうでもいいらしい。席に戻るアリスの後姿を見ながら、なぜ魔理沙ではなく自分のところに来たのだろうと霊夢は不思議に思っていた。
チャイムが鳴りホームルームが始まる。
教卓には夏組担任教師であるワーハクタクの上白沢慧音(担当教科:歴史)が点呼をとりながら出席簿に何やら書き込んでいる。
「チルノ。……ん、居ないのか? 確か来ていたハズだが」
しかし返事は無い。チルノは未だ壁に張り付いたままだった。
慧音はそれに気づくと何も言わずに出席簿のチルノの欄に○を付けた。
「氷の妖精チルノ出席、と」
上白沢慧音、幻想郷の中で彼女以上に『無かったことにする』のが得意な者はいない。
幻想学園夏組は今日も平和だった。
ホームルームも無事? 終了し、放課後映姫にたっぷりと(4時間)ありがたい説教をされた霊夢は夜の幻想郷を低空でふよふよと浮きながら帰途へとついている。
辺りはすっかり暗くなりどこかで夜雀の歌声が聞こえる。幻想郷は夜も賑やかだ。
「はぁ~」
吐き出されるのは大きなため息。
「まったく、初日から大変な目にあったわ。魔理沙のせいで」
自業自得だと言うのは棚にあげてボヤく。
いつもいつも穏やかに平和に面倒ごとに巻き込まれること無く地味に生活していきたいと思っているのにどうしてこうも騒動が起きるのか、いい迷惑だわ。きっと幻想郷には自分勝手なヤツしかいないからね、と自分勝手に考える。
紅い霧が覆った時も、春が消えた時も、酒宴が3日毎に続いた時も、夜が止まった時も、花と幽霊で溢れかえった時も、幻想郷に何か大きな異変が起きた時はいつもそうだ。
自分が動かないと決して解決しない、事態が進展しない、何もしてないのにいつも巻き込まれてばかりなのだ。
「こういうのも職業病っていうのかしら。巫女なんて適当に境内の掃除してれば後は縁側でのんびりとお茶でも飲んで賽銭を待つ気楽な仕事だと思ってたのに、とんだ計算違いだったわ」
初日から4時間も説教を受けたのが相当効いたのだろう。映姫の説教はそれほど精神に負担をかける代物だ。ぶつぶつと独り言を言うあたりかなり参った様子だ。
そうこうしている内に家の前にたどり着く。
前、とは言っても目の前にはそれなりに続く石段があり、頂上にはそれなりに歴史を感じさせる、悪く言えば古びた鳥居が構えている。石段の根元、向かって右側には石柱があり『博麗神社』の4文字が刻まれている。
この博麗神社が住むべき家であり、ここで巫女を勤めるのが霊夢の生業だ。
神社とは言っても神主は居ない。巫女である霊夢がこの神社の所有者であり、今は霊夢と一人の居候が暮らしている。
「今日は早く寝よう」
そう呟いて霊夢は通りなれた我が家へ続く石段をふよふよと登っていった。
「ただいまー」
「おかえりー。今日は遅かったね霊夢。始業式だけで終わりじゃなかったの? まぁいいや、ホラ座って座って。駆けつけ三杯」
「…………」
玄関を上がり居間へと続く襖を開けば、そこにはだらしなく寝転がり手酌をしている鬼がいる。つのつの二本……何鬼だろうコイツは。酒を飲んでいるし酒天童子だろうか? 多分違う。
「どうしたの? まるで家に帰ってきたら酒呑みの鬼にでも逢ったような顔してるよ」
「家に帰ってきたら酒呑みの鬼にでも逢ったような顔してるのよ。ああもう私の唯一安らげる空間を返して~」
「? ここは霊夢の家なんだから好きなだけ安らげばいいじゃない」
畳の上に大の字になり明らかに家主よりも安らいだ顔で言う居候の鬼。
鬼の名前は伊吹萃香という。本来幻想郷には鬼は存在しなかった筈だが『三日毎に繰り返される宴会』の騒動の時に酒犯としてひょっこり現れたのだ。
あの時は強大な力を持った冥界の亡霊や紅魔館の吸血鬼も動いていたのだが、結局は毎回神社を宴会の会場に使われて困っていた霊夢が動いてようやく解決の運びとなった。(鬼を倒すのはいつだって人間だ)
それからというもの、この小さく強大な鬼は博麗神社に居座るようになってしまった。
恐らくは人間や人間以外が萃まりやすいここは、宴会好きの萃香にとって都合がいいからだろう。
『そういえばあの時も一番被害が大きかったのは私じゃない。毎回毎回宴会場に使われて、終わったあとは片付けもしないで帰っていくやつらばかり。いつもいつも誰が片付けてると思ってるのよ、せめて賽銭くらい入れていきなさいっての!』
「どうしたのれーむ? ぼーっとして」
萃香にそう言われ、ハッっと我に返る。もう終わったことを持ち出してまでこんなこと考えているなんて、どうやら今日は調子が悪いらしいと今更ながら自覚する。
そもそもこの程度のこと、大して気にも留めるほどじゃないのだ。ここ最近は何事もなく平穏な日々を過ごしていたから、その反動でちょっとしたことで目くじらをたててしまうのだろう。やっぱり休みボケが抜けていなかったようだ。映姫やチルノの言う通りじゃないかと苦笑する。
「今日はもうお風呂に入って寝るわ。ちゃんと部屋片付けておいてね」
こういう時はさっさと寝るのが一番だ。霊夢はそう言い残すと居間を後にした。
ゆっくりと風呂に浸かり、寝間着へと着替えて寝室に。布団に入ると肺活量の限界まで息を吐き出す。淀んだ吐息と共に悩みや疲れも抜けていくような錯覚。今朝、出かける前に干しておいた布団は太陽の光をたっぷりと浴びてやわらかだ。
この布団が今日一番の収穫だなと思いながら、霊夢はゆっくりと眠りに落ちていった。
明日は穏やかな一日でありますように。
―――次の日―――
博麗霊夢は奔っていた。全速力で飛んでいた。
「あぁもう! まさか寝坊するなんて」
昨日は疲れていたせいかグッスリ眠ることができた。おかげで寝起きはすっきり、気分は最高、体の調子も問題なし、と一日の始まりとしては最良のスタートを切ることが出来ると思っていた。
ただ、時間だけが圧倒的に足りなかった。
遅刻するわけにはいかない。遅刻は色々とめんどうだ。霊夢は幻想学園への最短距離を全速力で飛行する。幸い今の時間ならまだ何とか間に合う。
同じように急ぐ人間以外を蹴散らしながら突き進むと前方に校門が見えてくる。よかった間に合った。霊夢は安堵の息を吐きながら校門の手前10m程の位置に着地する。空を飛んだまま校内を出入りするのは禁止されているからだ。
歩いて校門に近づくと門前には一人の少女がいた。
透き通るような銀髪を風にたなびかせ門の中心に佇む少女は、地面に突いた刀の柄尻に両の掌を重ね、まるでそこを通る者を阻むように存在している。腕には『風紀委員』の文字が刺繍された腕章。
魂魄妖夢がそこに立っていた。
「おはよう妖夢」
「おはようございます霊夢。早くしないと遅刻ですよ」
軽く妖夢に挨拶をして校門を通り抜ける。既に安全圏内とはいえ、立ち止まってお喋りしている暇はない。教室に向かってまっすぐに足を踏み出した。
校門と校舎への入り口との間にある広場。その真ん中辺りに来たところで霊夢はふと立ち止まる。一際強い風が吹き、桜並木が大量の花びらを躍らせる。
一瞬、妖怪桜が咲いたのかと幻想し空を見上げる。しかし校舎を隔ててもなお臨むことが出来る妖怪桜はやはり花を咲かせてはいない。
更に見上げれば、そこには雲ひとつ無い大空と、視界の端にちらちらと写る桜の色。
目を瞑る。
世界から音が消える。
目を開く。
世界から音が溢れる。
「号外~号外~。『文々。新聞』春の特別号だよー」
掲示板の傍では鴉天狗が昨日の始業式の様子を特集した新聞をバラ巻いている。
「待てそこの黒いの! 塀を乗り越えるのはやめておとなしく斬られなさい」
「敷地内に入ってしまえばこっちのものだ!」
校門では塀を乗り越えようとした魔理沙を妖夢が追いかけている。
校舎を見れば窓をブチ破って大量のナイフやら不死鳥やらが飛び出している。
きっとどこかの門番がまた迂闊なことを言ったり、輝夜が昨日新しく編入されたという転校生と争っているのだろう。
幻想郷はいつだって賑やかだ。
「はぁ~。まったくしょうがないわね」
呟き、口元を僅かに笑みの形に歪めると、博麗霊夢は舞い散る桜に歓迎されたその道を教室に向かって駆け出していく。
また―――幻想学園の騒がしい一日がはじまる―――――――
数多の人間と人間以外が住む幻想郷の中心に存在する幻想学園。
一応『学園』とは言うものの、幻想郷でのそれは境界の外側にある現実世界の学園のそれとは当然異なっていた。
守らねばならない規律は存在しないし、制服もない、試験も何にも無い。
運動会はもちろん昼にグラウンドで行う。
学年も存在せず、クラスは四季になぞらえて、春夏秋冬の四つがあるのみ。
教師と生徒との違いはただ『教師』か『生徒』かという役職の違いでしかなく、特に上下関係があるわけでもない。
そこにはただひたすらに『学園』という場所が存在するだけだった。
―――夏組教室―――
「まったく、とんだ災難だったぜ」
崩れるように自分の席に突っ伏してぼやく魔理沙。
窓際の最後尾、咲かない妖怪桜が見える特等席はつい先ほど自らの力(暴力)で勝ち得た席だ。その後ろでは席を奪われた被害者が涙目に魔理沙を睨めつけ何事か喚いているが、当の犯人は気にも止めていない。
霧雨魔理沙、基本的にワルである。
「何言ってるの、災難なのはこれからよ。放課後が台無しじゃない」
隣の席に腰かけながら霊夢が漏らす。
「あー映姫か。すっかり忘れてた」
「鳥かあんたは」
映姫の説教の長さは有名だ。
果たして今日中に家に帰ることが出来るだろうかと、霊夢と魔理沙さは深くため息をつく、2人とも原因が何であったかすっかり失念し、なんで私が、とボヤく。
都合の悪いことは無かった事にするのが幻想郷で上手く生活するコツだ。
「ってオイ! いつまであたしのこと無視してるんだよマリサ!!」
先ほどからずっと喚いていた被害者がもう我慢できないとばかりに大音声をあげる。その顔は真っ赤になっており、目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「なにようるさいわね・・・・・・」
「ん、どうしたんだチルノ? 何かあったのか、泣いてるじゃないか」
犯人はいけしゃあしゃあと言ってのけた。
原因が自分だなどとは露ほどにも思っていない心底不思議そうな顔だ。
「な、泣いてない! 泣いてないもんね!」
氷の妖精チルノは腕で目を擦り、叫びすぎて乱れた息を整えると、今度は百面相をしだした。どうやら叫びすぎで話す内容を忘れたらしい。
忙しいヤツね、と霊夢は他人事のようその様子を眺めている。魔理沙がチルノに何をしたかは隣の席なので当然知っているが、自分には無関係だと気にも止めない。
百面相だったチルノは混乱から回復したのか、いつの間にか偉そうな顔に表情が固定されていた。
「ふふん、まぁいいわ。それにしてもアンタたち本当にバカよね。初日から山田に目つけられるなんて、山田の言うとおり休みすぎてボケたんじゃないの? いい気味よ」
偉そうにふんぞり返り、鬼の首を獲ったかのように捲くし立てる。格好の攻撃材料を思い出したチルノは、最早座席のことはすっかり忘却の彼方だった。一度に多くのことは覚えられない脳なのだ。
ちなみに『山田』とは四季映姫の俗称である。
『『・・・・・・うぜぇ』』
延々とつづくノイズは一向に止まる気配がなく、霊夢と魔理沙はそろそろ限界だった。
いい加減どうにかしようかと思っていると、魔理沙がおもむろに立ち上がりチルノの正面に立つ。
ふんぞり返って調子良さそうにペラペラと喋っているチルノは眼前の魔理沙に気付いていない。
魔理沙はゆっくりと右手を頭上に掲げるとその手を思い切りチルノ目掛けて振り下ろした。最大限まで引き伸ばされた右腕は対象めがけて一気に加速、鮮やかな弧を描いた右腕はその重量と加速度の全てを対象に叩き込む。インパクトの瞬間、空気が破裂したような音。
直撃を受けたチルノはわけもわからぬまま壁に叩きつけられ、ぐえ、と蛙が潰れたような呻き声をあげそのまま動かなくなった。
「これが私のマスタースパークだ」
「いやただの張り手だから」
「……それにしても五月蝿い羽虫だったな」
「あんた凄いわね。それで済ませる気?」
マスタースパーク(張り手)を喰らい、ど根性ガエルの様に壁に張り付いたままのチルノを見ながら霊夢が言う。
「あんまり大きかったんでな、さすがの私も驚いたぜ」
「……まぁ平和が一番よね」
面倒ごとが嫌いな霊夢は特に何も言うことなく正面に向き直る。内心、まぁチルノだしいいよね、という気持ちも無いでもない。
と、机に影が落ちる。
「貴方たち、もう少し落ち着けないの」
呆れたような、事実呆れているのだろう声を出し、クラス委員長のアリス・マーガトロイドが正面に立っていた。
「おかしいわね。つい最近同じようなことがあった気がするわ」
「奇遇だな、私もだ」
「たった一時間前に同じことやってたわ。これだから人間とバカな妖精は困るのよ。クラスを纏める私の身にもなってもらえないかしら?」
額に手を当て困ったような仕種でそう言い放ち、それだけよ、と自分の席に戻っていく。騒がしいのを注意しに来ただけで特にチルノのことはどうでもいいらしい。席に戻るアリスの後姿を見ながら、なぜ魔理沙ではなく自分のところに来たのだろうと霊夢は不思議に思っていた。
チャイムが鳴りホームルームが始まる。
教卓には夏組担任教師であるワーハクタクの上白沢慧音(担当教科:歴史)が点呼をとりながら出席簿に何やら書き込んでいる。
「チルノ。……ん、居ないのか? 確か来ていたハズだが」
しかし返事は無い。チルノは未だ壁に張り付いたままだった。
慧音はそれに気づくと何も言わずに出席簿のチルノの欄に○を付けた。
「氷の妖精チルノ出席、と」
上白沢慧音、幻想郷の中で彼女以上に『無かったことにする』のが得意な者はいない。
幻想学園夏組は今日も平和だった。
ホームルームも無事? 終了し、放課後映姫にたっぷりと(4時間)ありがたい説教をされた霊夢は夜の幻想郷を低空でふよふよと浮きながら帰途へとついている。
辺りはすっかり暗くなりどこかで夜雀の歌声が聞こえる。幻想郷は夜も賑やかだ。
「はぁ~」
吐き出されるのは大きなため息。
「まったく、初日から大変な目にあったわ。魔理沙のせいで」
自業自得だと言うのは棚にあげてボヤく。
いつもいつも穏やかに平和に面倒ごとに巻き込まれること無く地味に生活していきたいと思っているのにどうしてこうも騒動が起きるのか、いい迷惑だわ。きっと幻想郷には自分勝手なヤツしかいないからね、と自分勝手に考える。
紅い霧が覆った時も、春が消えた時も、酒宴が3日毎に続いた時も、夜が止まった時も、花と幽霊で溢れかえった時も、幻想郷に何か大きな異変が起きた時はいつもそうだ。
自分が動かないと決して解決しない、事態が進展しない、何もしてないのにいつも巻き込まれてばかりなのだ。
「こういうのも職業病っていうのかしら。巫女なんて適当に境内の掃除してれば後は縁側でのんびりとお茶でも飲んで賽銭を待つ気楽な仕事だと思ってたのに、とんだ計算違いだったわ」
初日から4時間も説教を受けたのが相当効いたのだろう。映姫の説教はそれほど精神に負担をかける代物だ。ぶつぶつと独り言を言うあたりかなり参った様子だ。
そうこうしている内に家の前にたどり着く。
前、とは言っても目の前にはそれなりに続く石段があり、頂上にはそれなりに歴史を感じさせる、悪く言えば古びた鳥居が構えている。石段の根元、向かって右側には石柱があり『博麗神社』の4文字が刻まれている。
この博麗神社が住むべき家であり、ここで巫女を勤めるのが霊夢の生業だ。
神社とは言っても神主は居ない。巫女である霊夢がこの神社の所有者であり、今は霊夢と一人の居候が暮らしている。
「今日は早く寝よう」
そう呟いて霊夢は通りなれた我が家へ続く石段をふよふよと登っていった。
「ただいまー」
「おかえりー。今日は遅かったね霊夢。始業式だけで終わりじゃなかったの? まぁいいや、ホラ座って座って。駆けつけ三杯」
「…………」
玄関を上がり居間へと続く襖を開けば、そこにはだらしなく寝転がり手酌をしている鬼がいる。つのつの二本……何鬼だろうコイツは。酒を飲んでいるし酒天童子だろうか? 多分違う。
「どうしたの? まるで家に帰ってきたら酒呑みの鬼にでも逢ったような顔してるよ」
「家に帰ってきたら酒呑みの鬼にでも逢ったような顔してるのよ。ああもう私の唯一安らげる空間を返して~」
「? ここは霊夢の家なんだから好きなだけ安らげばいいじゃない」
畳の上に大の字になり明らかに家主よりも安らいだ顔で言う居候の鬼。
鬼の名前は伊吹萃香という。本来幻想郷には鬼は存在しなかった筈だが『三日毎に繰り返される宴会』の騒動の時に酒犯としてひょっこり現れたのだ。
あの時は強大な力を持った冥界の亡霊や紅魔館の吸血鬼も動いていたのだが、結局は毎回神社を宴会の会場に使われて困っていた霊夢が動いてようやく解決の運びとなった。(鬼を倒すのはいつだって人間だ)
それからというもの、この小さく強大な鬼は博麗神社に居座るようになってしまった。
恐らくは人間や人間以外が萃まりやすいここは、宴会好きの萃香にとって都合がいいからだろう。
『そういえばあの時も一番被害が大きかったのは私じゃない。毎回毎回宴会場に使われて、終わったあとは片付けもしないで帰っていくやつらばかり。いつもいつも誰が片付けてると思ってるのよ、せめて賽銭くらい入れていきなさいっての!』
「どうしたのれーむ? ぼーっとして」
萃香にそう言われ、ハッっと我に返る。もう終わったことを持ち出してまでこんなこと考えているなんて、どうやら今日は調子が悪いらしいと今更ながら自覚する。
そもそもこの程度のこと、大して気にも留めるほどじゃないのだ。ここ最近は何事もなく平穏な日々を過ごしていたから、その反動でちょっとしたことで目くじらをたててしまうのだろう。やっぱり休みボケが抜けていなかったようだ。映姫やチルノの言う通りじゃないかと苦笑する。
「今日はもうお風呂に入って寝るわ。ちゃんと部屋片付けておいてね」
こういう時はさっさと寝るのが一番だ。霊夢はそう言い残すと居間を後にした。
ゆっくりと風呂に浸かり、寝間着へと着替えて寝室に。布団に入ると肺活量の限界まで息を吐き出す。淀んだ吐息と共に悩みや疲れも抜けていくような錯覚。今朝、出かける前に干しておいた布団は太陽の光をたっぷりと浴びてやわらかだ。
この布団が今日一番の収穫だなと思いながら、霊夢はゆっくりと眠りに落ちていった。
明日は穏やかな一日でありますように。
―――次の日―――
博麗霊夢は奔っていた。全速力で飛んでいた。
「あぁもう! まさか寝坊するなんて」
昨日は疲れていたせいかグッスリ眠ることができた。おかげで寝起きはすっきり、気分は最高、体の調子も問題なし、と一日の始まりとしては最良のスタートを切ることが出来ると思っていた。
ただ、時間だけが圧倒的に足りなかった。
遅刻するわけにはいかない。遅刻は色々とめんどうだ。霊夢は幻想学園への最短距離を全速力で飛行する。幸い今の時間ならまだ何とか間に合う。
同じように急ぐ人間以外を蹴散らしながら突き進むと前方に校門が見えてくる。よかった間に合った。霊夢は安堵の息を吐きながら校門の手前10m程の位置に着地する。空を飛んだまま校内を出入りするのは禁止されているからだ。
歩いて校門に近づくと門前には一人の少女がいた。
透き通るような銀髪を風にたなびかせ門の中心に佇む少女は、地面に突いた刀の柄尻に両の掌を重ね、まるでそこを通る者を阻むように存在している。腕には『風紀委員』の文字が刺繍された腕章。
魂魄妖夢がそこに立っていた。
「おはよう妖夢」
「おはようございます霊夢。早くしないと遅刻ですよ」
軽く妖夢に挨拶をして校門を通り抜ける。既に安全圏内とはいえ、立ち止まってお喋りしている暇はない。教室に向かってまっすぐに足を踏み出した。
校門と校舎への入り口との間にある広場。その真ん中辺りに来たところで霊夢はふと立ち止まる。一際強い風が吹き、桜並木が大量の花びらを躍らせる。
一瞬、妖怪桜が咲いたのかと幻想し空を見上げる。しかし校舎を隔ててもなお臨むことが出来る妖怪桜はやはり花を咲かせてはいない。
更に見上げれば、そこには雲ひとつ無い大空と、視界の端にちらちらと写る桜の色。
目を瞑る。
世界から音が消える。
目を開く。
世界から音が溢れる。
「号外~号外~。『文々。新聞』春の特別号だよー」
掲示板の傍では鴉天狗が昨日の始業式の様子を特集した新聞をバラ巻いている。
「待てそこの黒いの! 塀を乗り越えるのはやめておとなしく斬られなさい」
「敷地内に入ってしまえばこっちのものだ!」
校門では塀を乗り越えようとした魔理沙を妖夢が追いかけている。
校舎を見れば窓をブチ破って大量のナイフやら不死鳥やらが飛び出している。
きっとどこかの門番がまた迂闊なことを言ったり、輝夜が昨日新しく編入されたという転校生と争っているのだろう。
幻想郷はいつだって賑やかだ。
「はぁ~。まったくしょうがないわね」
呟き、口元を僅かに笑みの形に歪めると、博麗霊夢は舞い散る桜に歓迎されたその道を教室に向かって駆け出していく。
また―――幻想学園の騒がしい一日がはじまる―――――――
さて、ここからどう話が展開するやら楽しみです。
後、霊夢が帰宅したときに居たのが紫じゃなく萃香だったってのが新鮮でヤラレタ。
自体が進展→事態かと
酒犯→主犯かと、でもワザとなら無問題ですが。
>自体→事態
あ、これはミスですね。修正しておきます
>酒犯→主犯
これはワザとです。って自ら解説恥ずかしい~っ?!
続きが楽しみ。
チルノとか妖夢とか特に。
しかし、同じ人の作品でもけっこう、このくらいの長さから何倍もの長さまでぶれがあったりしますので、今のところそれほど気にする必要はないかと。
頑張って下さい。