――昔、大空を翔けることは、人々の夢であり、願望であり、幻想であった。
ソファにもたれかかり、アリスは本のページをまた一つ捲る。
その本は、彼女ら魔法使いが知識を得、新たな魔術の礎とするための魔道書……ではなく、ただの小説だ。
世界を闇に包んだ竜を倒すべく立ち上がった一人の少年の話。
本棚にはその小説の続きが3冊ほど。要するにまだまだ読み始めたばかりである。
「ふぁ……」
秋の穏やかな日差しに、つい欠伸をしてしまう。
いつの間にか閉じかけていた目を擦り、また文章を辿る。
昼食の後、こうしてのんびりと読書をするのが、アリスは好きだった。
「アリスーー!」
ドアを乱暴に叩く音と自分を呼ぶ声は、聞こえなかったことにして読書を続ける。
「アリス、いるんだろ? 開けろーー!!」
聞こえない。
「アリスーー!!」
聞こえない。
「しょうがない、実力行使だ。10数える間に開けなかったら魔砲で家ごと吹っ飛ばすぜ!」
玄関の前の客が物騒な事を言い出したので、仕方なく栞を挟んで本を閉じた。
はぁ、と一つ溜息。
そして、意識を集中させ始める。
「10、9、8……」
「魔光『デヴィリーライトレイ』」
玄関先が、巨大な光の帯によって包まれた。
「まったく、可愛いお客になんて仕打ちだ」
「何の用? 泥棒の相方なら遠慮しておくけれど」
こちらは眠いのだ。
無意味に魔力を使ったせいで気だるさがさらに増してきていた。
それに目の前の人間の用というのはロクでもないことが多い。
「ちょっと協力して欲しくてな。あるものを綺麗にするのに私一人じゃ大分手間がかかりそうで」
「部屋なら自分で何とかしなさい。じゃ」
そう言ってさっさと家の中に退散しようとする。
「待て待て。一応言っておくが私の部屋じゃない。それと報酬もありだ」
「報酬?」
その言葉に私は動きを止めた。
「ああ。この人形だ」
そう言って魔理沙はどこからか、一つの小さな人形を取り出した。
「へぇ……」
黒のセミロングに暗めの配色の着物、少し褪せた橙の帯、真っ赤な目。
いかにも呪いがかかっていそうな気配のある、しかしどこか可愛らしい人形だった。
「香霖堂でたまたま見つけてな」
「いい人形ね。名前は……いちの、たえ? 読み方がわからないわ」
「どうだ、引き受けてくれるか?」
傍若無人な魔理沙がちゃんと報酬まで用意しているのだ。そこそこまともな用件なのだろう。
……いや、いつも以上に破天荒な内容ということも有り得るかもしれないが。
それに、私がこの人形を気に入ってしまった。欲しいと思ってしまった。
それなら答えはもう決まっている。
「いいわ。引き受けましょう」
少し空を飛んで、私たちはその場所へとやってきた。
「これだぜ」
「……これ、何?」
見慣れない大きな物体がそこにあった。
「香霖の話じゃこいつは外の世界の物で、人を乗せて空を飛ぶらしいぜ」
「これが?」
確かに形だけ見れば、鳥に似ている……と言えなくもない。
だが大きすぎる。特別軽い素材でできている訳でもなさそうだ。
「騙してないでしょうね」
「私も香霖に言われた時はそう思ったぜ。けど、思いっきり速度を出せば飛ぶらしい。
まぁ、要するに私のブレイジングスターみたいなもんだな」
「なんか例えが違う気がする」
とはいえ、霖之助がそう言うのなら実際に飛ぶのだろう。
目の前の魔理沙が嘘を付いているという風にも見えなかった。
「それで、これを綺麗にしてやろうかと思ったわけだ」
「……話が飛びすぎよ、魔理沙」
「えーっと……私も上手くは言えないんだが」
少し困ったような顔。
話が飛んだのは、魔理沙自身も説明がし辛いからだったらしい。
「空を飛ぶって言うのは普通の人間にはできない。だから、こいつができた時はきっと皆にもてはやされてたと思うんだ。
何の修行もなしに飛べるなんて、夢みたいだろう? 妖怪のお前は飛べて当然なのかもしれないが。
だけど欠陥があったのか、壊れたのか、あるいはもっといい物が出来たかで、次第に皆が忘れていって、
それでいつしか幻想の物になって……そんなの、悲しすぎるだろう」
目をぱちくりさせる。
驚いた。いつも気ままに生きてるような魔理沙の口からこんな言葉が出てくるなんて。
「あんた本当に魔理沙よね? 実は熱とかあったりしない?」
「失礼な」
「……ま、何となくわかったわ」
私の人形達のうちいくつかも、そして報酬としてこれから貰う人形も、そうしてここにたどり着いた。
だから、魔理沙の気持ちはよく分かる。
「よし。じゃあ作業に移るか。大雑把なのは私とアリス、細かい所は人形で」
「任せなさい。みんな、出番よ」
アリスの両手が光り、そして人形達が現れる。
上海、蓬莱を始めとする、十体以上のアリスの人形。それらに、指示をかける。
「中の細かい所をお願いね。上海、蓬莱、貴方達に指揮を任せるわ。でも自分達だけ楽しちゃだめよ」
「ハーイ」
「ワカッター」
「ガンバルー」
身体の小ささと主人のアリスの性質上、細かい作業は得意。
こなせる作業量はそう多くないが、そこは数の力でカバー。部屋の掃除もいつもそうやっているのだ。
「さて、私達もはじめるか」
「そうね」
濡れた雑巾を手に取り、石鹸の泡を含ませて外側を拭いていく。
汚れは落ちにくいが、それでも懸命に拭けばある程度ましにはなった。
「にしても魔理沙……この情熱を少しは部屋の片付けに回せないのかしら」
「もしやっても一週間経てば元通りになる自信があるぜ」
「そんなに誇らしそうに言わない」
無駄話をしながら手を動かしていく。
上では人形達があわただしく声をあげている。手間取っているようだが、まぁ何とかするだろう。
一時間後。
座り込んで休む私と魔理沙の横で、その物体はそれなりに綺麗になっていた。
「付き合ってくれてありがとな。正直、お前がいなかったらもっと時間がかかってたぜ」
「いいわよ、これぐらい」
最近は掃除を人形達に任せきりだったこともあって、かなり疲れた。
けれど心の中は充足感でいっぱい。こんなに心地よい疲れは久し振りだ。
「さて。私はそろそろ帰るけど、アリスはどうする?」
「もう少しここに居るわ」
「そうか。じゃ、これ置いとくぜ」
そう言って、報酬の人形を私の傍らに置くと、魔理沙は箒にまたがって飛んでいった。
私はそれを見送って、やがて魔理沙が見えなくなると身体を地面に投げ出した。
「たまには、外でお昼寝もいいわね」
草の香り。地面の香り。穏やかに輝く太陽。
家の中にいることが多い私にはどれも新鮮なものに思える。
やがて睡魔がやってきて、私は意識を手放した。
――かつて人を大空へと運び、夢を見せた機械。
――今は森の近くの草原で、眠る少女の側で静かにたたずんでいる。
件の空飛ぶ機械は複葉機かな?
機械は・・・最近引退したYS-11でしょうかねぇ
いちのたえってポップンのアレですか?あれですよね・・・
仰るとおりポップンのあれです。アリスが読み方間違えてるのは仕様です。
アリスへの報酬を人形にしたはいいけどどんな人形にしよう、
と考えていたときにふと頭をよぎったので
『誰か気づいてくれるかなぁ』とさりげなく入れてみた次第です。
なぜか私は東方とあさ○に微妙な共通点を感じます。
なにはともあれ、なかなか面白い話でした。
短いけど中身があるというか、山場がある訳じゃないけど飽きさせないというか、オチがある訳じゃないけど充実感があるというか。
優しい作品だなぁと思います。
もしまたお名前を見つけたときには読ませて頂きます。
面白かったです。