男達全員が少女に縄で縛られた後、村の中央にある家に連れて行かれた。それまでは家の中に引っ込んでいたらしい村人たちぞろぞろとやってきては、彼らにとっては奇妙な人間らしい霧島たちを指差し、何やら話し合っている。どうやら日本語のように聞こえるが、訛りが強いせいか正確に聞き取ることは難しかった。あっちでも犯罪者、こっちでも犯罪者か。これからどうなるのかと思うと、ひたすらに気が重くなった。
少女が連れてきた家は質素な作りと言えたが、それでも他の家よりは頑丈に作られており、外の寒風は入って来ない。少女がしゃがみこんで火鉢に火をつける様を眺めながら、ここは村長の家か何かだろうか、と考える。全員が身体検査をされ、持ち物は床の上に並べられる。霧島たちが説明するそれらを少女は暫くためつすがめつしていたが、あふれ出る好奇心を満足させると、ようやく霧島たちの話に耳を傾ける気になった。それでも床の物が名残惜しいらしく、ちらちらと盗み見はしていたが。
チームを代表して高田が、自分らはここではない異次元から来た事、それも一部の人間に無理矢理連れて来られたという事。あそこの家に押し入ったのは森の中で仲間を殺されてしまい、誰も彼もが酷く警戒していたため。三日もすればここを絶対に出て行くし反省しているから、どうか縄を解いて欲しい。そういったことを説明した。
別の世界から来たという説明は、正直言って怒り出すかキチガイだと思われるに違いない、と霧島は思った。自分たちでさえたまに不安に思うことがあるのだ、ついさっき出会ったばかりの人間に信じてもらうことに無理がある。だが少女は思案げな表情をし、酷く真面目な顔つきで深く考え込んだ後で頷いた。
「以前に見慣れない服装をした少年を保護したことがある。自分の出身について詳しく言おうとはしなかったが、ひょっとしたらお前達と同じ所かもしれん。見つけたのが夜中だったから家に泊めたのだが、眠っている間に逃げ出したのかいなくなってしまった」
穴から帰還した唯一の少年に違いない、と霧島は思い、同じ考えに行き着いたらしい高田にもそれを伝える。それから少年はこっちの国の人間が保護していること、自分たちがやってきたのはその少年が切っ掛けであること、また後遺症らしきものもなく、元気に暮らしていることを霧島は少女に話した。本当に後遺症が無いのかは分からなかったが、相手側は少年のことを思いやっているようなのだからわざわざそれを反故にする理由が無いし、またご機嫌を取るに越したことは無い。
その他の話については作り話の可能性を疑っているようだったが、最後まできちんと話を聞いてくれた所から見ると、一応は信じてくれたようだった。
「結界の綻びのせいかもしれないな、もしかして、あの森と関係が………」と意味不明のことを呟いていたが、話をややこしくしたくないのでとりあえず聞かなかったことにした。こっちはひたすらやるべきことをするだけの話だ。
一応少女の監視付きという条件で縄を解いてもらうと、滞在許可を得る為に村長の家に向かわなければいけない、と言われる。少女が村長じゃなかったのかと内心驚きつつも、外には出さなかった。どんな村長が待ち受けているのかとそこに行くと、村の外側にある少し小さな家であり、中にいるのは気のいいおじさんと言えるような相貌をした男だった。事情を話して滞在許可を訊ねると、いともたやすく了承してくれた。ついでにこの場所について調査したいのだが、誰に聞けば良いのか聞いてみると、霧島たちを引率してくれた少女に聞いた方が手っ取り早いと言われ、少女の家へと逆戻りした。念の為に話を伺ってもいいかと聞くと、首を縦に振ってくれる。
少女の家に戻った後で荷物の中からレコーダーとメモ帳を取り出すと、レコーダーを見て少女がハテナマークを浮かべた。用途を説明すると納得した顔つきになったが、ああやはりここは異世界なのだ、と霧島は思った。どんなに日本語を流暢に喋り日本人風の人相をしていようとも、ここは日本ではないのだ。
高田にメモ帳を渡し、美村たちは脇で待機してもらうことにする。霧島はハンディカムを回し始めると、質問をするから答えて欲しい、と少女に言った。これも調査のため、と言うと簡単に頷く。
まず、この場所………この世界に何か名前はついているのか? と尋ねた。漫画とか小説では大体名前というか呼称があったからだ。難しいし微妙な質問だと思ったが、少女は難なく答えた。多分幻想郷、という名前で合っているだろう。
「幻想郷?」
高田が不思議そうな顔で言った。
「そんなユートピアというか、何とも不思議な名前なのか?」
そっちにしてみれば異論はあるかもしれないが、本当にそう言う名前なんだ、と少女が返したので、とりあえずそういうことにした。ここは幻想郷、幻想郷。俺達がいるこの世界は幻想郷という名前だ。
「そういえば、まだ自己紹介をしてなかったな」
少女が言い、一拍置いてから名前を告げた。
「私は上白沢慧音と言うんだ。慧音って呼んでくれればいい」
やたらとややこしい名前だ、と思ったが言わないでおいた。チーム全員も自己紹介をしてから、質問を再開する。
この村の名前、地理的環境、大まかな人口、幻想郷全体の地図の確認(慧音が奥から取ってきたそれを、霧島は撮影しておいた)、それにおいての村がある所、人口の分布、気候の移り変わり、通貨は何を使っているのか、この世界に政府は存在しているのか、どのような勢力があるのか、今流行しているものは何か? 聞けるものはとことん聞き、篠田や美村も一緒に思いつく限りの質問をした。慧音もすらすらと、まるで本の中味を朗読しているように易々と答えて見せた。この子は学校の先生でもしているのか? と霧島は思ったが、今は考えずにおいた。
またこの世界独特の生物――妖怪の存在も慧音から聞いた。それらは生態系においてバランス調整に非常に役立っており、仇敵として人間を食うため、人口があまりに増えすぎるということはない。時には人間が妖怪を討伐するために妖怪側も数を増やしすぎることがなく、どっちかの一極支配という事態までは成り立たない。話がそこまで進んだところで高田が顔をしかめた。
「あんたら、自分達の仲間が殺されても別にいいってのか? 身体を張って止めようとは思わないのか?」
「そうは言っても食われるのは年に数人、しかも決まりを破って勝手に森の中に入った連中だ。私達も最大限努力しているけれど、犠牲になる人間はどうしてもいる。それに人間自身がこの環境に適応しているからだと思うが、各家庭でもあまり子供が増えすぎると言う事も無い。一人か二人、多くても三人で打ち止めだな。だから自然を壊さず、私達は自分たちの領域から出て動物たちを殺さなくても暮らすことができる、というわけだ」
「あー、ちょっと良いですか?」
腹を押さえたままの篠田が手を上げる。まだ痛むらしい。
「ここの人間って、その……みんながあなたみたいに力持ちなんですか?」
慧音が苦笑した。
「私は人間じゃない、半獣なんだ」
ハンジュウ? 顔を見合わせた男達に対し、慧音が説明する。
「つまり、半分が獣で半分が人間だということ、要するに…私は妖怪なんだ。今は普通の人間の姿をしているが、満月の夜になれば角だって生える。それは二日後だったから、お前達がここに居る間に見ることができるだろう」
霧島はしみじみと慧音の正座姿を上から下まで観察したが、妖怪という単語がその姿に当てはまるとは思えなかった。それに角? どこの怪獣だって?
話が慧音の他にいる妖怪に及ぶと、再び慧音が喋りだす。
「名のある妖怪としては村のずっと向こうにある魔法の森に住んでいる、アリス・マーガトロイド、紅魔館にいるレミリア・スカーレット、マヨイガに住んでいる八雲紫、八雲藍、橙、ここからじゃ遥か遠いが、冥界には西行寺幽々子という亡霊と魂魄妖夢というお付の庭師がいる。他にも鬼や閻魔に幽霊などたくさんいるが……全部知りたいか?」
自分が関わっているのは、もしかしてとんでもなくヤバイ世界なのかもしれないと今更ながらに、霧島は頷いた。高田はメモ帳にいちいち名前を書き込んでいたが、途中から綴りが分からなくなったのか全部カタカナで書き始めた。おそらく後でまとめて綴りを尋ねる気なのだろう。
閻魔、死神、鬼、フラワーマスター(高田が真っ先に首を傾げたが、これはその妖怪が自称しているということだった)、天狗、自分の意志を持った人形、蓬莱人(永遠の命を持った人間らしい)、月兎、夜雀、妖精、魔法使いエトセトラエトセトラ。それこそ挙げればキリが無い数を慧音は全て暗記しているらしく、途切れることなく喋り続けた。もし男たちの一人が民俗学を専攻でもしていれば、列挙された種族の中に関連性を見つけ出したかもしれないが、残念ながら彼らは全員大学に通っていなかった。
「こいつはすごいね」
聞き及んだ何十にも及ぶ種族をメモ帳に書き込んだ後で高田が呟いた。
「次は何がいるんだ? 龍か? 河童か? それとも神様か?」
慧音が真顔で答えた。
「魔界の神ならばいるぞ。神綺という名前だ」
高田の顔がひきつり、霧島が無理矢理話を再開させた。
また、慧音からはこの幻想郷における戦闘方式についても説明してもらった。『弾幕ごっこ』と言う名前のそれは、互いが弾幕(このようなものだ、と光の弾を慧音は事も無さそうに出して見せた。男達は目を丸くした)を相手に対して放ち、相手はそれをかわしつつも自身で弾幕をまた張り、どちらかが撃墜されるまで続けるというもの。それを行なう殆どが妖怪なので、死者が発生したことは殆ど無いらしい。つまり、単なるお遊び。だからこそ『ごっこ』だった。全力で挑む妖怪というのは大分稀らしい。また、弾幕ごっこ中の決め技としてスペルカードというものがあり、それは自身が作り上げた特製の弾幕であり、だからこそ普通の弾幕よりも回避することが困難ということだった。
「何か、昔やったシューティングゲームに似てるな」とぽつりと美村が呟いた。慧音はそれを聞いて訝しげな顔をしたが、詳しくは聞かなかった。まあ根掘り葉掘り聞かれたとしても簡単には答えられなかっただろうな、と霧島は考えた。
その後で村から離れた場所にある博麗神社に居る人間の巫女、博麗霊夢。魔法の森に住む魔法使い、霧雨魔理沙。紅魔館に住み込みで働いているメイド、十六夜咲夜。等等の人間について教えてもらった。最早何が出てきても驚くまいと思った霧島だが、隙を見せれば首を落とされかねない状況で生き抜いている人間がいたことには舌を巻いた。
しかも驚いたのは、その全員が空を飛べる、という事実だった。
「飛ぶって、あのロケットとかブーストとかを使わないで、自分の力で飛ぶってことか?」
ロケットやブーストについては知らなかっただろうが、それでも慧音は頷いた。
「そういうことになる」
それから実践する積もりなのか、慧音の身体が宙に浮いた。正座の状態のままで浮き上がり、風が吹いてもいないのに服が翻り、髪が揺れ動く。男達は信じられない面持ちでそれを見つめていた。
唐突に、ぺたんと音を立てて慧音が床に下りる。
「これで信じられるだろう?」と言い、全員がただ頷くことしかできなかった。妖怪のほぼ全てがそれを出来るという話を聞かされても頷き続けた。もう槍でも円盤でも何でも来い、という心境だった。多分この世界の人間にとって空から槍が降り注いでも当たり前のことなんだろう。
結局全ての話を聞き終えるまでには何時間もかかり、窓の外では日が暮れ始めていた。録音が終了したテープレコーダーとデジカメを弄びながら、果たして本当にあの教官や兵士たちがこの内容を信じるだろうか、と霧島は考えた。こんな突飛すぎる話が録音されていたのだったら、事実と考えるよりもどうにかして嘘を録音したと思うだろう。正直言って、聞かされた方も嘘にしか思えなかった。だが慧音は自分で空を飛んでいたし、弾というものを出したし、幻想郷の生活や長い長い歴史や風土について澱みなくすらすらと語り続けた。きっと彼女を嘘発見器にかけても、正常値しか出てこないだろう。
信じるしかなかった。
外で泊まるのは朝のことで多少抵抗があったため、今日は慧音の家で一晩を過ごさせてもらうことにした。最近では何故か分からないが妖怪たちが凶暴化しており、日中でも森の中は危ないらしい(その言葉を聞いて霧島は真っ先に慧音から後ずさったが、馬鹿にするなと怒られた)。戻る際にはより警戒しなければいけないようだった。自分たちが出てきた時は、本当に運が良かったに違いない。
折角糧食があるのだからそっちを食べようかと思ったが、慧音が夕飯を作ってしまったため、全員でそれをご馳走になることにした。霧島は手作りの料理を食ったのは久しぶりで、本当に美味しい代物だった。他の全員も同意であることは、食事中に脇目も振らず食い続ける態度から明らかだった。
その後では各々自由時間ということになり、高田が自動小銃の整備を、美村たちがウノに興じている様を横目にしながら霧島は立ち上がる。奥の部屋で書き物をしていたらしい慧音を呼び出すと、一緒に散歩でもしないかと誘った。霧島の言葉に含みがあるのを感じ取った慧音は、何も聞かずに頷いた。ただ整理に時間がかかるから、先に外へ出ていてくれと言った。こっそりと家から出ると、冷たい風が吹き付ける夜の中で思わず立ちすくむ。氷点下ではないかと思えるほど厳しい寒さだった。少しでも寒さを弱めるために風が遮られる家の脇へ行く。雪がちらほらと降り始めており、既に家の前は積もり始めていた。明日は雪かきの必要があるだろう。外では人々の姿が見えなかったが、こんなところに夜更かしの習慣は無いだろうなということに思い至った。そういえば、もうすぐ年明けだがここには除夜の鐘なんてあるのだろうか?
慧音も家から出てくると、壁を背にしていた霧島に近づいた。
「どうした?」
「今日あんたに捕まった時、仲間を殺されたって弁解を俺達はした。覚えてるか?」
慧音が頷いた。あまり良い気分はしないのか、顔をしかめている。
「その時は言わなかったが、実は仲間の一人がそいつに連れ去られていたんだ。俺にはよく見えなかったが、仲間の高田って奴――あんたの話をメモしてた奴だ――がそいつのことを良く見ていた。そいつ、日傘を差していたらしい」
慧音の表情が真剣なものになった。「続けてくれ」
「あんたが話してくれた妖怪の中に、吸血鬼が一人いたな。レミリアだっけ、そいつは朝っぱらから外出する癖でもあるのか?」
「ある。夜もいいが朝だと空気がより澄んでいるからだと、以前に聞いたことがある」
「そいつが人をさらう可能性は?」
何に対してか分からないが、慧音はため息をついた。
「ありえる。彼女は人の血液を主食としているからだ。平時なら配下に取ってこさせるが、気が向けば自分で調達するというのもあるだろう」
分かった、と霧島は頷いた。大体が頭の中でまとまっていくのが分かる。仕上げにもうひとつ質問をした。
「そいつが攫った奴をすぐに殺してしまう可能性は?」
慧音は暫く目を閉じて考えていたが、やがて首を振った。
「分からない。彼女は気まぐれだからすぐに殺すかと思えば、いつまでも生かしておくこともあるんだ。確実なことば言えない。でもまさか……」
ありがとう、と言うと霧島は慧音に背を向けた。どこに行くんだ? という質問に霧島は、ちょっと散歩してくると言った。慧音は止めようとしたが、吹雪に遮られて霧島の姿はすぐに見えなくなった。
慧音はどうするべきかと思ったが、こうしていても仕方が無いと思い、家の中に引っ込んだ。この天気だ、すぐに戻ってくるだろう、と。
二人のその様子をネズミのようにこっそりと見ていた男が一人いたが、両者ともそれには気付かなかった。
二十分ほど大風の中で歩き回った後、身体と頭を存分に冷やした霧島は家に戻った。その姿を見た篠田や熊谷から何をしていたのかと聞かれたが話をはぐらかし、沸かせてもらった風呂に入るとすぐに霧島は眠った。
霧島が考え事を打ち明けたのは翌日、朝早くから雪かきをした後で昨日と同じく慧音が作ってくれた朝食を食いながらだった。外の天気は昨日と変わらず曇っており、今日は昨日よりも冷え込みそうに思われた。ご飯を掻きこむ仲間達の前で、彼は言った。
「斉藤を、助けに行こうかと思ってる」
全員の箸が止まった。高田がそれを置いて、茶を啜りながら呟いた。
「無理だな」
「どうしてそう思う」
「同程度の装備を持ったあいつらを虐殺した吸血鬼に、俺達が立ち向かった所で勝てると思うか?」
「第一、どこにいるかも分からないだろう」
篠田も高田に賛同するように言い、美村と熊谷が頷いた。高田はもう話をする気が失せたのか、飯に再度取り付き始めた。
「吸血鬼の名前はレミリア・スカーレット。紅魔館って場所に住んでいて、その場所は湖の真っ只中。ここからそう遠くじゃない。そこらへんまでは昨日慧音から聞いた」
「というかだな、何で斉藤を助けたいと思うんだ?」
熊谷が篠田の代わりに問うように言う。
「奴を助けようとしても俺達が死ぬだけだ。それだったら残念だが見殺しにするしかないだろう」
正論だった。何が棲んでいるのかも知れない館の中、生きているかも死んでいるかも分からない男を助けたいと自分は言っているのだ。しかも相手にしなければいけないのは、拳銃と自動小銃で武装した男たちを軽々と殺してのけた吸血鬼。神話に出てくるような生き物に非力な人間がどうやって対抗すればいいのか?
だが、自分が我儘や無謀なことを言い放っているのは承知していた。承知の上で言っていた。
霧島の脳裏に、雪を地面に敷いた林の中で見た光景が蘇り、それと同時に向こうの光景がちらつく。今では粉になってしまった父親、母親、弟、それに教官に首を蹴り飛ばされ、挙げ句の果てには蝿に食われたカズ。
もう死体や、人の死にまつわるものを見るのは御免だった。今まで何人もの人の死を見てきて、そしてそれは殆ど自分が理由となったせいで起きたことなのだ。家族は自分が殺した、カズは彼の誘いに従わなかったら殺された。この上もう、誰かの死について考えなければならなくなるのは真っ平だった。
それに、と霧島は思った。俺はたとえ自由になったとしても何をすればいいのか? こんな状態のまま娑婆に放り込まれたとしても、どうやって生き甲斐を見つければいいのか? 戻ったとしても仲間とは離れ離れだろうし、小説を書くことで食っていけるとでも? 自分の力量は自分が一番分かっている。一千万が支払われたとしてもすぐに食いつぶすだろうし、最後には自殺か交通事故で死ぬだろう。それならば、僅かな希に繋げようと努力するほうがよっぽど良いんじゃないか? その……無駄に生きるよりもやり遂げる価値があるんじゃないか?
「俺は、もともと何の役にも立たない人間だった」
踏ん切りがついたようにぽつぽつと霧島は喋り始める。
「弟からは馬鹿にされて、両親からは……多分、虐待なんだろうな、あれも。とにかく色々あって、最後にはみんな殺してしまって、ほぼ一生刑務所の中にいるよう宣告された。もう絶対に人の生死に関わることなんて無いと思っていたんだ。だけど」
言葉を区切り、また話し始める。美村や篠田はともかく、高田までが霧島を見始めていた。みんなが注目している、霧島はそう考えた。説得できるなら今しかない。
「例え相手がどんな奴だったとしても、人を助けられるチャンスが出来たんだ。命を救えるかもしれない、どんなにふざけた事だとしても………可能性があるかもしれない。だから、俺はやりたい」
行きたくない奴は残って欲しい。これは俺の我儘だから、という言葉で区切り、俯いた。全員が押し黙ったが、やがて美村が言った。
「その気持ち、なんとなく分かるよ。多分霧島の言うことは無茶苦茶で、自殺行為だってのは分かるんだけどな、俺はついていこうと思う」
まさか同意する人間がいるとは思わなかったため、霧島がぎょっとしたように顔を上げた。
「だってさ、全員で生きて帰ってくるって約束したじゃんよ。一人より二人の方がその確率が上がると思わない、か?」
「右に同じく」
篠田が茶を啜って、片手を上げる。
「名演説をどうも。このまま戻るより、確かにお前についていく方が面白そうだ。俺の命に大した価値は無いしな」
熊谷は口に手を当てて、自分の心情を推し量るように黙っていたが、やがて言った。
「可能性はあるんだな?」
「ある。そのための方法は絶対に考え出す」
「乗った」
幻想郷特有の建物に入って中の様子を調査すれば、特別ボーナスが出るかもしれないしな。熊谷が冗談を言うと、美村に篠田、霧島の三人が破顔した。高田は何も言わず、タバコに火を点ける。さっきの意見を曲げるつもりはないのか、それとも同意してくれるのか、果たしてどっちなのか。
「高田は、どうするんだ?」
自分の声が期待で上ずっているのが分かったが、霧島にはどうしようもなかった。
暫く目を閉じて考えていたが、彼は立ち上がった。
「考えさせてくれ」
霧島は頷き、高田は外へ出て行った。その後で慧音が御膳を取りに来た。美村がお代わりを頼んだ。
高田は曇天の中に出ると、身体の芯まで染み込むような寒さを我慢しつつ歩き始める。頭の中も同じぐらい冷え込むため、ある意味好都合だった。適当な物の上に腰掛けてタバコに火をつけると、遠くで子供たちが遊ぶ姿が見えて、またきゃいきゃい騒ぐ声も聞こえた。
傭兵で居た頃は、ずっと損得計算を支えにして生きてきた。こっちに付いた方がより得か、生き延びられる可能性が高いか。もしくはあっちのチームに志願すればちゃんとした飯にありつけて、給与だってまともに支払われるかもしれない。最初の一年で命というのは世間一般の人間が言うほど尊いものではないことを知った。場所によってはハンバーガーほどの値段で簡単に取引されるし、自分だけは死なないと豪語する奴が戦場では我先にとバタバタ死んでいった。カラシニコフで武装したガキが砲弾の中をこっちに突っ込んでくる様を見たこともあるし、その全員が爆死するかもしくは射殺された。頭の中に発生する幻想など、あそこでは絶対に通用しなかった。そこで頼りになるのは確かな数字、確かな武器、そして謙虚な自信だった。少なくとも、無謀な真似を繰り返して生き延びられるほど甘い場所ではない。一度か二度続いても、結局はそこで運のつきだ。
煙を吐き出し、その中にあの四人の顔を思い浮かべてみる。笑った顔、緊張しきってガチガチになった顔、そして死ぬ時に浮かべるであろう表情。
彼らがやろうとしているのは、自殺としか言い様が無かった。あいつらは戦場の只中で墓穴を掘り、銃弾の嵐に身を投げ出して死ぬのを待っている馬鹿にすぎない。損得の視点から考えれば見捨てるのが最も得策だったし、彼の生存本能はそれを推奨どころか命令していた。絶対についていくな、浅はかで馬鹿なことをするな。まだまだ生き延びなければならない、やらなきゃいけないことがお前にはあるのだから。上手い酒、上手い飯、ふかふかのベッド、イカした音楽、何もかもがお前を待っている。ここで死ななければいけない謂れなど無い。
それにも関わらず、高田の心は彼らについていこうと思い始めている。
二重思考、アンビバレンスって奴だっけか、と思った。この場合はダブルシンクか?
訓練期間中の、霧島や美村のポカを思い出す。射撃訓練の際に、拳銃の引き金を引いても発射されないため、思わず銃口を覗き込んだことが一度か二度。あの時彼らは高田と兵士の両方に強くどやされて、兵士からは殴られていた。
篠田は無口なためか声が小さく、質問の答えを何度も聞きなおさなければならなかった。熊谷は楽するためにすぐにズルしようとしたため、常に注意を向ける必要があった。あの強制キャンプでの彼らは、他の傭兵とは違っていた。それがプラスの要素にしろマイナスの要素にしろ。彼らは高田の心により違ったものを与え、名前も分からない何かを育ませていた。
だからこそ、彼らを失いたくは無かった。指一本でも、両腕両足を欠けさせたくはなかったし、死なせるなんてもっての外だった。たとえ相手が誰であってもだ。生存本能と心は互いに逆のことを命令しあっている。
困ったもんだ、ともう一本タバコをとりだそうとしたら、いつのまにかなくなっていた。舌打ちして空箱を後ろに放り投げる。
「環境破壊はやめたほうがいいんじゃないかー?」
声をかけられて首を動かすと、霧島がこっちに向かって歩いていた。どうせここは辺鄙な異次元なんだ、環境なんて知るかよ。高田は首を竦めた。
「ちょっとは考え、まとまったか?」
「聞くのが早すぎだと思うんだがな」
「俺せっかちなんだよ」
霧島が笑う。
いい笑顔だな、と高田は思った。犯罪者ってのは大抵が人間の屑みたいな奴で笑顔なんて子供を怖がらせるようなものと思っていたが、どうやらそれは偏見だったようだ。もしかしたら、美村や篠田に熊谷も同じ顔をするのかもしれない。斉藤だってするのかもしれないし、あの死んだ四人もそういった顔をしていたのかもしれない。いや、したことがあったのかもしれない。
高田はため息をついてから、霧島に言った。
「行くよ。でもちょっとでも身の危険を感じたり、状況がヤバくなったと思ったら俺はすぐに放棄するからな。ついでにお前らが何を言ったとしても絶対連れ戻す。一人と五人じゃ命の重みは違うからだ」
分かった、と霧島は言った。それから深々とお辞儀をして、ありがとうと言った。気恥ずかしくて高田は笑った。
外で具体的なことについて色々と話し込んだが、有効だと思えるものは何一つ出てこなかった。十字架を百個近く用意する。タマネギを投げつける。接近戦で杭を心臓にぶちこむ(勿論成功の可能性が最も低い)。やはり慧音に相談した方が早い、ということになって家に戻った。
「レミリアなら、毎月満月の晩なら確実に外出はするな。それこそ雨の日でも」という慧音の言葉によって問題は簡単に解決した。やはり吸血鬼のせいか、満月の晩には夜空を飛び回って各地を巡行するということらしい。それはいつだ、と慧音に聞くと、都合良く明日だ、という答えが返ってくる。こうして決行の日取りが決まった。
「でもさ、確かメイド長ってのがいたんじゃなかったか? 館の全メイドを統率するとかなんとか」
昨日の話を思い出したのか、篠田が疑問を発したが、これもすぐに解決する。大抵はレミリアに付き添って外出するため、館は空っぽも同然ということになる。他にも力のある妖怪はいるにはいるが、それは離れの図書館に陣取っているため、館まで出向くことは滅多に無いらしい。
最も大きな問題が解決した所で、他に解決すべき問題を霧島はとりあえずメモ帳に書き記してみた。他の人からの指摘も受けて加筆修正をしてから、大方はこのようになった。
一、館は湖の真ん中にある島の中に位置している、どのように侵入するか? 二、館の中では常時戦闘可能なメイドが見回っている。彼女らをどのように回避するか? 三、そもそも斉藤がどこに捕らえられているか、どうやって知る?
一番は手近な材木を切り出して、筏を作ればどうにかなりそうだった。湖の上では妖精が棲んでおり人間も襲うらしいが、その問題については棚上げにして後で考えることにした。二番は散々頭を悩ませた挙げ句、慧音が「私が囮になって注意をひきつける」という提案を発した。
「本気か? 俺達だけじゃなくて、あんたやこの村にも迷惑がかかるぞ?」
猫の手も借りたいこの状況ではあったが、霧島は慧音に警告した。たとえ自分達が全滅するにしても、周りの環境に禍根を残したくは無かった。
「構わない、別の世界からやってきたとしても、お前達は人間だからな。それに一度は酷い目にあわせたんだ、償いぐらいさせてくれ」
霧島はあまり納得していないようだったが、向こうから助勢してくれるのだから有り難いと思い、高田が了承した。またこれによって湖の上にいる妖精の注意もひきつけられるのだから一石二鳥だった。
三番については本気でどうしようもなかったため、館の人間から無理矢理聞きだすということにする。その時、慧音が何かを思い出したように奥の部屋へ入っていった。
持ってきたのは地図のようなものだった。机の上に広げると、筆書きで地図らしきものが記されている。どこかの建物のようだった。
「これ、もしかして紅魔館の?」
美村が聞いた。
「そうだ、何百年か前のものだから細部はあてにできないが、大体の場所はこれで確認できると思う。外観を見た限り、大した増築工事もしていないようだしな。あそこは広いから、きちんと確認しておかないとすぐ迷子になるぞ」
よほど奥深い所に入っていたのか、埃に汚れた顔で慧音が言った。そんなものがすぐに思い浮かぶ頭の良さに霧島は感心したが、それ以上に慧音の家にはどれほど古くからの書物が存在しているのかと不思議に思った。最初に出会えたのが慧音だということを含めて自分達は本当に幸運だったのかもしれない。
それから作戦の細かい点や矛盾する箇所を調整しているうちに、時刻は昼頃になった。昼飯を食べた後で森の中に入ると、慧音の護衛の下で快く手伝いを申し出てくれた村人たちに助けてもらいながら材木を切り始める。
「こんな世界で伐採やるなんて、三日前の俺は思わなかっただろうな」と熊谷が漏らしたが、霧島も同意だった。
休憩中に霧島が木陰に入って茶を飲んでいると、美村が近づいてきた。あたりの様子を伺うようにあちこち首を巡らしているその様子にハテナマークが浮かんだが、とりあえず気にしないことにする。
「ちょっとさ、話、いいか?」
そう言うと美村は森の奥の方へと親指を指す。別に構わなかったが、迷ったり怪物に襲われる可能性があったので、少しだけにとどめた。
「で、どうしたんだ?」
美村は緊張を解すように深呼吸を繰り返した後で、言った。
「お前さ、あの慧音って子と仲いいよな?」
霧島は顔をぽかんとさせた。慧音? あの上白沢慧音のことか? 仲がいい? どこを取ってそう言える?
「え、まあ………良いと言えば良いのかもしんないけどさ」
「じゃあさ」
畳み掛けるような口調で美村が質問する。思わず霧島は鼻白んだ。
「あの子の好きなものとか、何か聞いてないか? 好きな花とか食べ物とか、どうとか」
「花っても………あ」
そこで霧島は美村の質問の意味に気がついた。
「お前、惚れた「しーしーっ!!」」
こんな所で盗み聞きする人間もいないというのに、美村はスパイ同士の会話のように神経を尖らせていた。その様子がなんだかおかしくて、思わず霧島の顔がにやける。まあ綺麗な顔をしてるしスタイルもいいとは思うけどさ、そうか、そうなのか。
「でもさ、何で俺に聞いたんだ?」
「いや、昨日の夜、外で話してたじゃん。け……慧音とさ」
納得した。美村はおそらくあの時、外に出て行く二人の姿を不審に思ったのか盗み見していたのだ。それで内輪的な会話をしていると思ったわけだ。
「と言っても、紅魔館についてだよ。個人的な話とかそういうの、全然無かったよ、すまん」
そっかあ、と美村は神妙な顔つきで頷いた。そう考えれば、今朝から美村はいちいち慧音の顔を見ていた気がしなくもない。慧音本人は全く気がついていないようだが、それは果たして良かったのか悪かったのか。いずれにせよ、この時期に心温まるような一報を聞けて霧島は満足していた。殺すとか逃げるとか言った殺伐とした言葉が蔓延していたから、美村が抱いた恋ごころは清涼剤のようなものがあった。
「まあ何はともかく、頑張れ。応援してるから」
ぽんぽんと肩を叩くと、美村が安心したように首を縦に振る。ついでだったので、一つ質問をしてみることにした。
「あの子のどこに惚れたんだ? やっぱ顔?」
霧島が見立てるように自分の顔を指差すと、彼の方は半分そうだけど半分違う、と返した。
「慧音ってさ、雰囲気が前に付き合ってた子と似てるんだよ。知的な所とか、その……カッコいい所とか、さ」
口をもごもごとさせたので、話の続きを促す。
「でもその子、俺が捕まる直前に別れたんだ。というか…俺がやってること、バレたんだ。被害者ってか、ヤった子の写真を部屋に持ってくる癖が俺、あってさ。その時丁度来た子が、机の上でしまい忘れてた写真を見ちゃって。新聞とか結構載ってたからすぐにバレて……強制的にお終い。最後に彼女、何て言ったか分かるかい?」
首を振る。自分がどうしようと美村は言っただろう、と霧島は思った。多分誰かに話したくて仕方が無いのだ。
「早く死ね、糞野郎ってさ」
自嘲する段階はとっくに過ぎ去ったというように、平板とした声で、淡々と話し続ける。
「そんで人生悲観して、遺書用意して、首つりかけて……でも失敗して、病院運ばれた後で警察に捕まった」
「そっか」
霧島はそれ以上話を掘り下げようとはしなかった。誰だって話したくないことの一つや二つ、あるものだろう。霧島だって家族を殺した理由を他人に話す気など全く無かった。こればかりは墓まで持って行く積もりだった。
「だからさ、ひょっとしたら俺、慧音に彼女を被せているんだと思うけど…だけど、惚れちまったもんはしょうがないよ、な?」
問いかけるように霧島を見る。どう答えりゃいいんだよ、と心の中で苦笑したが、とりあえず頷いておく。それに、例え経緯がどうであろうと抱いてしまったのはしょうがないものだし、嘘じゃないならそれでいいだろうと思ったからだ。
「ん、じゃさ、応援、してくれるよな?」
もう一度真剣に、訴えかけるような目つきで霧島を見る。嘘をつく積もりはさらさらなかったため、こっくりと頷いた。
「ああ、良かった」
大げさに脱力したような身振りをする美村に、思わず笑ってしまう。
そろそろ戻ろうぜ、と霧島が勧めると美村はそれに従い、戻ると再び作業を始めた。さっきまでの話は二人の胸の裡にしまいこみ、他の人間にバラす気はもとより存在しなかった。黙々と木を切って纏める作業を行い、あくせくと働き続けた。
夕方頃になって作業は一段落し、手伝ってくれた村人にお礼の品として糧食をあげると、彼らと一緒に早めの夕食を摂った。その間にちまちまと慧音に対してコミュニケーションを取ろうとする美村を眺めたり、好きな食べ物と嫌いな食べ物を選り分けている熊谷の行動を指摘してやったりと、明日には命をかけて行動をするというのに緊張感が全く無かった。高田や篠田の方はもう少し緊張している素振りだったが、それでも他の人間とは大分打ち解けているようだった。というより、明日が命がけなのだから今日はゆっくりしているべきなのかもしれない。
そのうちに霧島は、一連の様子を撮影しているハンディカムを本当にあの兵士たちに渡していいのかと、そんな気持ちになった。確かにこれは提出しなければいけない代物なんだろうけど、だからと言ってはいどうぞと渡してしまっていいのか? それがここの村人たちを危険に晒す行為になると分かっていても? 戦闘中に破損したとか、そんな勿体つけた理由でもなんとかなるんじゃないか?
無理だな、と自問自答する。あいつらは自分達の要求に添えないことが分かるとすぐさま俺を、俺達を撃ち殺すだろう。あいつらにとって代わりは幾らでもいるのだ。だからこそカズをあんなに簡単に射殺したのだから。ふつふつと奴らに対して怒りが再び湧き上がってくるが、今はそういう時ではないと我慢した。
食休みの間は暫く憂鬱な気持ちに囚われていたものの、筏の建造を再開しはじめるとすぐにそんな心情を振り払う。作る予定なのは小型だったが、最終的に完成したのは日が落ちて大分経ってからだった。村人たちにお礼を言いつつ慧音の家に戻ると、作戦について詳細部分を検討しはじめる。万が一に備えて退却する時の手順を検討し、どのように動くかについて何回も同じ事を話し合った。用心の上ということはあるけれど、それ以上に不安だった。同じ事を繰り返して頭に刻み付けないと、本番の時にとちってしまうのかと怖かった。
会議は深夜まで及び、終わった時に霧島は憔悴のあまり心配事を忘れて布団の中に飛び込んだ。津波のような大きさの睡魔が彼を包み込み、一気に闇の中に落とし込む。
眠る直前、紅魔館で囚われているはずの斉藤の姿が目に浮かんだ。
だがそれが生きているのか既に死んでいるのか、霧島には判別できなかった。
夜の中、厳しい寒さと風に耐えながら男達は立っていた。夜空には満月が煌々と輝いており、昨日までの悪天候はどこにも見当たらない。完璧な快晴だった。これならば吸血鬼とメイド長が外出しないわけがない。彼らは岸辺の辺りに一塊となって集まりながら、自分が務める役割の最終チェックを行なっている。慧音もそこにいたが、彼女はいつも被っている帽子を外し、頭からは角を生やしている。それが生え始めたのを見た時は全員が流石に驚いて慧音を見たが、いそいそと彼女が角にリボンをつける様を見て、不思議と和んだ。そういえば満月の日には角が生えるとか言ってたか、と霧島は思った。角が生える他に違いはあるのかと尋ねると、一言で言えば人型のときよりも強くなれる、と答えが返ってくる。何もかも好都合というわけだった。
「それじゃ、最後のおさらいだ」
こういったことには慣れているのか落ち着いた口調で高田が言い、それに全員が頷く。
「慧音以外の全員が筏に乗って、俺と篠田、霧島が裏口から館に潜入する。館に入ったらまず、無防備だと思えるメイドを見つけて拉致し、斉藤の居場所を聞き出す。死亡していたらそれを確認した時点で脱出、そうでなければ吸血鬼が帰ってくる前に素早く斉藤を救出し、脱出。ここを出た後は村に戻るのも危険だから、そのまま穴へと直行する。地図でもう一度確認はしておけ。熊谷は筏を人目のつかない所に隠して待機。脱出の際は連絡する。お前に調査結果は託しておくから最悪の場合、お前だけでも逃げること。いいな?」
唇が乾いてるのか、しきりに舌で舐めながら熊谷が頷く。あまり眠れなかったのか、緊張で目が充血している。篠田はいつものように何も言わないが、その目はいつもよりも遥かにギラギラとしていた。霧島は両手が塞がらないように、ハンディカムは頭に巻きつけてある。だが邪魔になりそうな時はすぐに捨てようと思っていた。
「慧音は俺達が出発する前に湖の上を飛んでもらって、正門の辺りで大暴れしてもらう。できれば半径二十キロ四方の奴らが集まってきそうなほど派手に頼む。そうすれば妖精やメイドの殆どを惹きつけられるからな。無線機の使い方はもう覚えたか?」
無線機を服の中に隠し、イヤホンを耳に突っ込んでいる慧音は首肯した。
「バッチリだ、任せてくれ」
「よし。なるべく長い時間騒いでもらいたいが、もう無理だと思ったらすぐに館から離れてくれ。とくにメイド長や吸血鬼が戻ってきた場合はな。後のことは気にするな、俺達に何が起きてもだ。役目を終えたら無線機は捨ててもらっても構わん。見つけられてもあいつらに理解できるものじゃないし、もしそうでなかったら湖の中に捨ててくれればいい」
慧音に対して説明し終わったのか、次は美村だ、首を動かす。
「美村は慧音のサポート役、一応西の自動小銃と双眼鏡は渡しておく。脱出の時は連絡するが、もし無線機が破損したり連絡がとれない場合は、慧音と一緒に脱出してもらう。確か慧音、一人ぐらいなら楽に運べるな?」
慧音が頷いた。以上だ、と言われた美村が小刻みに首を振る。
「各自、無線機は絶対に壊すな、連絡が取れなくなる。弾数は常に確認しろ、もし切らしたら終わりだ。それと、最後に――」
高田が言葉を切り、全員の顔を改めて見回し、言った。
「お前ら。全員で生きて帰るぞ。例え任務が失敗しても成功してもだ」
それに応え、慧音を含む男達が頷いた。
「ようし、紅魔館突入作戦開始だ。気合入れて行けッ!」
散開すると、慧音が湖に向かって飛び立とうとする。美村がその背を呼び止めた。
「慧音!!」
何だ? と言いそうな顔で慧音が振り向く。美村は親指を上げる、《グッドラック》というジェスチャーをした。見慣れないものに最初は驚いたような顔をしたが、すぐに親指を立てて真似をした。地面を蹴ると、彼女は猛スピードで湖へと飛び立っていった。
「さあ急げ、あいつがドンパチしはじめたら俺達の出番だ」
高田に急かされて、霧島たちは筏を湖の中に入れる。即席の産物でオールも手作りだが、男達を乗せていくには十分な面積を持っていた。この上で死ぬことがありませんように、と霧島は始めて神に祈った。雪が積もった林で死んでいった男たちと、カズの死に様が目に浮かぶ。あいつらみたく死んでしまいませんように。
それから紅魔館の方角に双眼鏡を据えて、戦闘が始まるその時を今か今かと待ち続けた。
少女が連れてきた家は質素な作りと言えたが、それでも他の家よりは頑丈に作られており、外の寒風は入って来ない。少女がしゃがみこんで火鉢に火をつける様を眺めながら、ここは村長の家か何かだろうか、と考える。全員が身体検査をされ、持ち物は床の上に並べられる。霧島たちが説明するそれらを少女は暫くためつすがめつしていたが、あふれ出る好奇心を満足させると、ようやく霧島たちの話に耳を傾ける気になった。それでも床の物が名残惜しいらしく、ちらちらと盗み見はしていたが。
チームを代表して高田が、自分らはここではない異次元から来た事、それも一部の人間に無理矢理連れて来られたという事。あそこの家に押し入ったのは森の中で仲間を殺されてしまい、誰も彼もが酷く警戒していたため。三日もすればここを絶対に出て行くし反省しているから、どうか縄を解いて欲しい。そういったことを説明した。
別の世界から来たという説明は、正直言って怒り出すかキチガイだと思われるに違いない、と霧島は思った。自分たちでさえたまに不安に思うことがあるのだ、ついさっき出会ったばかりの人間に信じてもらうことに無理がある。だが少女は思案げな表情をし、酷く真面目な顔つきで深く考え込んだ後で頷いた。
「以前に見慣れない服装をした少年を保護したことがある。自分の出身について詳しく言おうとはしなかったが、ひょっとしたらお前達と同じ所かもしれん。見つけたのが夜中だったから家に泊めたのだが、眠っている間に逃げ出したのかいなくなってしまった」
穴から帰還した唯一の少年に違いない、と霧島は思い、同じ考えに行き着いたらしい高田にもそれを伝える。それから少年はこっちの国の人間が保護していること、自分たちがやってきたのはその少年が切っ掛けであること、また後遺症らしきものもなく、元気に暮らしていることを霧島は少女に話した。本当に後遺症が無いのかは分からなかったが、相手側は少年のことを思いやっているようなのだからわざわざそれを反故にする理由が無いし、またご機嫌を取るに越したことは無い。
その他の話については作り話の可能性を疑っているようだったが、最後まできちんと話を聞いてくれた所から見ると、一応は信じてくれたようだった。
「結界の綻びのせいかもしれないな、もしかして、あの森と関係が………」と意味不明のことを呟いていたが、話をややこしくしたくないのでとりあえず聞かなかったことにした。こっちはひたすらやるべきことをするだけの話だ。
一応少女の監視付きという条件で縄を解いてもらうと、滞在許可を得る為に村長の家に向かわなければいけない、と言われる。少女が村長じゃなかったのかと内心驚きつつも、外には出さなかった。どんな村長が待ち受けているのかとそこに行くと、村の外側にある少し小さな家であり、中にいるのは気のいいおじさんと言えるような相貌をした男だった。事情を話して滞在許可を訊ねると、いともたやすく了承してくれた。ついでにこの場所について調査したいのだが、誰に聞けば良いのか聞いてみると、霧島たちを引率してくれた少女に聞いた方が手っ取り早いと言われ、少女の家へと逆戻りした。念の為に話を伺ってもいいかと聞くと、首を縦に振ってくれる。
少女の家に戻った後で荷物の中からレコーダーとメモ帳を取り出すと、レコーダーを見て少女がハテナマークを浮かべた。用途を説明すると納得した顔つきになったが、ああやはりここは異世界なのだ、と霧島は思った。どんなに日本語を流暢に喋り日本人風の人相をしていようとも、ここは日本ではないのだ。
高田にメモ帳を渡し、美村たちは脇で待機してもらうことにする。霧島はハンディカムを回し始めると、質問をするから答えて欲しい、と少女に言った。これも調査のため、と言うと簡単に頷く。
まず、この場所………この世界に何か名前はついているのか? と尋ねた。漫画とか小説では大体名前というか呼称があったからだ。難しいし微妙な質問だと思ったが、少女は難なく答えた。多分幻想郷、という名前で合っているだろう。
「幻想郷?」
高田が不思議そうな顔で言った。
「そんなユートピアというか、何とも不思議な名前なのか?」
そっちにしてみれば異論はあるかもしれないが、本当にそう言う名前なんだ、と少女が返したので、とりあえずそういうことにした。ここは幻想郷、幻想郷。俺達がいるこの世界は幻想郷という名前だ。
「そういえば、まだ自己紹介をしてなかったな」
少女が言い、一拍置いてから名前を告げた。
「私は上白沢慧音と言うんだ。慧音って呼んでくれればいい」
やたらとややこしい名前だ、と思ったが言わないでおいた。チーム全員も自己紹介をしてから、質問を再開する。
この村の名前、地理的環境、大まかな人口、幻想郷全体の地図の確認(慧音が奥から取ってきたそれを、霧島は撮影しておいた)、それにおいての村がある所、人口の分布、気候の移り変わり、通貨は何を使っているのか、この世界に政府は存在しているのか、どのような勢力があるのか、今流行しているものは何か? 聞けるものはとことん聞き、篠田や美村も一緒に思いつく限りの質問をした。慧音もすらすらと、まるで本の中味を朗読しているように易々と答えて見せた。この子は学校の先生でもしているのか? と霧島は思ったが、今は考えずにおいた。
またこの世界独特の生物――妖怪の存在も慧音から聞いた。それらは生態系においてバランス調整に非常に役立っており、仇敵として人間を食うため、人口があまりに増えすぎるということはない。時には人間が妖怪を討伐するために妖怪側も数を増やしすぎることがなく、どっちかの一極支配という事態までは成り立たない。話がそこまで進んだところで高田が顔をしかめた。
「あんたら、自分達の仲間が殺されても別にいいってのか? 身体を張って止めようとは思わないのか?」
「そうは言っても食われるのは年に数人、しかも決まりを破って勝手に森の中に入った連中だ。私達も最大限努力しているけれど、犠牲になる人間はどうしてもいる。それに人間自身がこの環境に適応しているからだと思うが、各家庭でもあまり子供が増えすぎると言う事も無い。一人か二人、多くても三人で打ち止めだな。だから自然を壊さず、私達は自分たちの領域から出て動物たちを殺さなくても暮らすことができる、というわけだ」
「あー、ちょっと良いですか?」
腹を押さえたままの篠田が手を上げる。まだ痛むらしい。
「ここの人間って、その……みんながあなたみたいに力持ちなんですか?」
慧音が苦笑した。
「私は人間じゃない、半獣なんだ」
ハンジュウ? 顔を見合わせた男達に対し、慧音が説明する。
「つまり、半分が獣で半分が人間だということ、要するに…私は妖怪なんだ。今は普通の人間の姿をしているが、満月の夜になれば角だって生える。それは二日後だったから、お前達がここに居る間に見ることができるだろう」
霧島はしみじみと慧音の正座姿を上から下まで観察したが、妖怪という単語がその姿に当てはまるとは思えなかった。それに角? どこの怪獣だって?
話が慧音の他にいる妖怪に及ぶと、再び慧音が喋りだす。
「名のある妖怪としては村のずっと向こうにある魔法の森に住んでいる、アリス・マーガトロイド、紅魔館にいるレミリア・スカーレット、マヨイガに住んでいる八雲紫、八雲藍、橙、ここからじゃ遥か遠いが、冥界には西行寺幽々子という亡霊と魂魄妖夢というお付の庭師がいる。他にも鬼や閻魔に幽霊などたくさんいるが……全部知りたいか?」
自分が関わっているのは、もしかしてとんでもなくヤバイ世界なのかもしれないと今更ながらに、霧島は頷いた。高田はメモ帳にいちいち名前を書き込んでいたが、途中から綴りが分からなくなったのか全部カタカナで書き始めた。おそらく後でまとめて綴りを尋ねる気なのだろう。
閻魔、死神、鬼、フラワーマスター(高田が真っ先に首を傾げたが、これはその妖怪が自称しているということだった)、天狗、自分の意志を持った人形、蓬莱人(永遠の命を持った人間らしい)、月兎、夜雀、妖精、魔法使いエトセトラエトセトラ。それこそ挙げればキリが無い数を慧音は全て暗記しているらしく、途切れることなく喋り続けた。もし男たちの一人が民俗学を専攻でもしていれば、列挙された種族の中に関連性を見つけ出したかもしれないが、残念ながら彼らは全員大学に通っていなかった。
「こいつはすごいね」
聞き及んだ何十にも及ぶ種族をメモ帳に書き込んだ後で高田が呟いた。
「次は何がいるんだ? 龍か? 河童か? それとも神様か?」
慧音が真顔で答えた。
「魔界の神ならばいるぞ。神綺という名前だ」
高田の顔がひきつり、霧島が無理矢理話を再開させた。
また、慧音からはこの幻想郷における戦闘方式についても説明してもらった。『弾幕ごっこ』と言う名前のそれは、互いが弾幕(このようなものだ、と光の弾を慧音は事も無さそうに出して見せた。男達は目を丸くした)を相手に対して放ち、相手はそれをかわしつつも自身で弾幕をまた張り、どちらかが撃墜されるまで続けるというもの。それを行なう殆どが妖怪なので、死者が発生したことは殆ど無いらしい。つまり、単なるお遊び。だからこそ『ごっこ』だった。全力で挑む妖怪というのは大分稀らしい。また、弾幕ごっこ中の決め技としてスペルカードというものがあり、それは自身が作り上げた特製の弾幕であり、だからこそ普通の弾幕よりも回避することが困難ということだった。
「何か、昔やったシューティングゲームに似てるな」とぽつりと美村が呟いた。慧音はそれを聞いて訝しげな顔をしたが、詳しくは聞かなかった。まあ根掘り葉掘り聞かれたとしても簡単には答えられなかっただろうな、と霧島は考えた。
その後で村から離れた場所にある博麗神社に居る人間の巫女、博麗霊夢。魔法の森に住む魔法使い、霧雨魔理沙。紅魔館に住み込みで働いているメイド、十六夜咲夜。等等の人間について教えてもらった。最早何が出てきても驚くまいと思った霧島だが、隙を見せれば首を落とされかねない状況で生き抜いている人間がいたことには舌を巻いた。
しかも驚いたのは、その全員が空を飛べる、という事実だった。
「飛ぶって、あのロケットとかブーストとかを使わないで、自分の力で飛ぶってことか?」
ロケットやブーストについては知らなかっただろうが、それでも慧音は頷いた。
「そういうことになる」
それから実践する積もりなのか、慧音の身体が宙に浮いた。正座の状態のままで浮き上がり、風が吹いてもいないのに服が翻り、髪が揺れ動く。男達は信じられない面持ちでそれを見つめていた。
唐突に、ぺたんと音を立てて慧音が床に下りる。
「これで信じられるだろう?」と言い、全員がただ頷くことしかできなかった。妖怪のほぼ全てがそれを出来るという話を聞かされても頷き続けた。もう槍でも円盤でも何でも来い、という心境だった。多分この世界の人間にとって空から槍が降り注いでも当たり前のことなんだろう。
結局全ての話を聞き終えるまでには何時間もかかり、窓の外では日が暮れ始めていた。録音が終了したテープレコーダーとデジカメを弄びながら、果たして本当にあの教官や兵士たちがこの内容を信じるだろうか、と霧島は考えた。こんな突飛すぎる話が録音されていたのだったら、事実と考えるよりもどうにかして嘘を録音したと思うだろう。正直言って、聞かされた方も嘘にしか思えなかった。だが慧音は自分で空を飛んでいたし、弾というものを出したし、幻想郷の生活や長い長い歴史や風土について澱みなくすらすらと語り続けた。きっと彼女を嘘発見器にかけても、正常値しか出てこないだろう。
信じるしかなかった。
外で泊まるのは朝のことで多少抵抗があったため、今日は慧音の家で一晩を過ごさせてもらうことにした。最近では何故か分からないが妖怪たちが凶暴化しており、日中でも森の中は危ないらしい(その言葉を聞いて霧島は真っ先に慧音から後ずさったが、馬鹿にするなと怒られた)。戻る際にはより警戒しなければいけないようだった。自分たちが出てきた時は、本当に運が良かったに違いない。
折角糧食があるのだからそっちを食べようかと思ったが、慧音が夕飯を作ってしまったため、全員でそれをご馳走になることにした。霧島は手作りの料理を食ったのは久しぶりで、本当に美味しい代物だった。他の全員も同意であることは、食事中に脇目も振らず食い続ける態度から明らかだった。
その後では各々自由時間ということになり、高田が自動小銃の整備を、美村たちがウノに興じている様を横目にしながら霧島は立ち上がる。奥の部屋で書き物をしていたらしい慧音を呼び出すと、一緒に散歩でもしないかと誘った。霧島の言葉に含みがあるのを感じ取った慧音は、何も聞かずに頷いた。ただ整理に時間がかかるから、先に外へ出ていてくれと言った。こっそりと家から出ると、冷たい風が吹き付ける夜の中で思わず立ちすくむ。氷点下ではないかと思えるほど厳しい寒さだった。少しでも寒さを弱めるために風が遮られる家の脇へ行く。雪がちらほらと降り始めており、既に家の前は積もり始めていた。明日は雪かきの必要があるだろう。外では人々の姿が見えなかったが、こんなところに夜更かしの習慣は無いだろうなということに思い至った。そういえば、もうすぐ年明けだがここには除夜の鐘なんてあるのだろうか?
慧音も家から出てくると、壁を背にしていた霧島に近づいた。
「どうした?」
「今日あんたに捕まった時、仲間を殺されたって弁解を俺達はした。覚えてるか?」
慧音が頷いた。あまり良い気分はしないのか、顔をしかめている。
「その時は言わなかったが、実は仲間の一人がそいつに連れ去られていたんだ。俺にはよく見えなかったが、仲間の高田って奴――あんたの話をメモしてた奴だ――がそいつのことを良く見ていた。そいつ、日傘を差していたらしい」
慧音の表情が真剣なものになった。「続けてくれ」
「あんたが話してくれた妖怪の中に、吸血鬼が一人いたな。レミリアだっけ、そいつは朝っぱらから外出する癖でもあるのか?」
「ある。夜もいいが朝だと空気がより澄んでいるからだと、以前に聞いたことがある」
「そいつが人をさらう可能性は?」
何に対してか分からないが、慧音はため息をついた。
「ありえる。彼女は人の血液を主食としているからだ。平時なら配下に取ってこさせるが、気が向けば自分で調達するというのもあるだろう」
分かった、と霧島は頷いた。大体が頭の中でまとまっていくのが分かる。仕上げにもうひとつ質問をした。
「そいつが攫った奴をすぐに殺してしまう可能性は?」
慧音は暫く目を閉じて考えていたが、やがて首を振った。
「分からない。彼女は気まぐれだからすぐに殺すかと思えば、いつまでも生かしておくこともあるんだ。確実なことば言えない。でもまさか……」
ありがとう、と言うと霧島は慧音に背を向けた。どこに行くんだ? という質問に霧島は、ちょっと散歩してくると言った。慧音は止めようとしたが、吹雪に遮られて霧島の姿はすぐに見えなくなった。
慧音はどうするべきかと思ったが、こうしていても仕方が無いと思い、家の中に引っ込んだ。この天気だ、すぐに戻ってくるだろう、と。
二人のその様子をネズミのようにこっそりと見ていた男が一人いたが、両者ともそれには気付かなかった。
二十分ほど大風の中で歩き回った後、身体と頭を存分に冷やした霧島は家に戻った。その姿を見た篠田や熊谷から何をしていたのかと聞かれたが話をはぐらかし、沸かせてもらった風呂に入るとすぐに霧島は眠った。
霧島が考え事を打ち明けたのは翌日、朝早くから雪かきをした後で昨日と同じく慧音が作ってくれた朝食を食いながらだった。外の天気は昨日と変わらず曇っており、今日は昨日よりも冷え込みそうに思われた。ご飯を掻きこむ仲間達の前で、彼は言った。
「斉藤を、助けに行こうかと思ってる」
全員の箸が止まった。高田がそれを置いて、茶を啜りながら呟いた。
「無理だな」
「どうしてそう思う」
「同程度の装備を持ったあいつらを虐殺した吸血鬼に、俺達が立ち向かった所で勝てると思うか?」
「第一、どこにいるかも分からないだろう」
篠田も高田に賛同するように言い、美村と熊谷が頷いた。高田はもう話をする気が失せたのか、飯に再度取り付き始めた。
「吸血鬼の名前はレミリア・スカーレット。紅魔館って場所に住んでいて、その場所は湖の真っ只中。ここからそう遠くじゃない。そこらへんまでは昨日慧音から聞いた」
「というかだな、何で斉藤を助けたいと思うんだ?」
熊谷が篠田の代わりに問うように言う。
「奴を助けようとしても俺達が死ぬだけだ。それだったら残念だが見殺しにするしかないだろう」
正論だった。何が棲んでいるのかも知れない館の中、生きているかも死んでいるかも分からない男を助けたいと自分は言っているのだ。しかも相手にしなければいけないのは、拳銃と自動小銃で武装した男たちを軽々と殺してのけた吸血鬼。神話に出てくるような生き物に非力な人間がどうやって対抗すればいいのか?
だが、自分が我儘や無謀なことを言い放っているのは承知していた。承知の上で言っていた。
霧島の脳裏に、雪を地面に敷いた林の中で見た光景が蘇り、それと同時に向こうの光景がちらつく。今では粉になってしまった父親、母親、弟、それに教官に首を蹴り飛ばされ、挙げ句の果てには蝿に食われたカズ。
もう死体や、人の死にまつわるものを見るのは御免だった。今まで何人もの人の死を見てきて、そしてそれは殆ど自分が理由となったせいで起きたことなのだ。家族は自分が殺した、カズは彼の誘いに従わなかったら殺された。この上もう、誰かの死について考えなければならなくなるのは真っ平だった。
それに、と霧島は思った。俺はたとえ自由になったとしても何をすればいいのか? こんな状態のまま娑婆に放り込まれたとしても、どうやって生き甲斐を見つければいいのか? 戻ったとしても仲間とは離れ離れだろうし、小説を書くことで食っていけるとでも? 自分の力量は自分が一番分かっている。一千万が支払われたとしてもすぐに食いつぶすだろうし、最後には自殺か交通事故で死ぬだろう。それならば、僅かな希に繋げようと努力するほうがよっぽど良いんじゃないか? その……無駄に生きるよりもやり遂げる価値があるんじゃないか?
「俺は、もともと何の役にも立たない人間だった」
踏ん切りがついたようにぽつぽつと霧島は喋り始める。
「弟からは馬鹿にされて、両親からは……多分、虐待なんだろうな、あれも。とにかく色々あって、最後にはみんな殺してしまって、ほぼ一生刑務所の中にいるよう宣告された。もう絶対に人の生死に関わることなんて無いと思っていたんだ。だけど」
言葉を区切り、また話し始める。美村や篠田はともかく、高田までが霧島を見始めていた。みんなが注目している、霧島はそう考えた。説得できるなら今しかない。
「例え相手がどんな奴だったとしても、人を助けられるチャンスが出来たんだ。命を救えるかもしれない、どんなにふざけた事だとしても………可能性があるかもしれない。だから、俺はやりたい」
行きたくない奴は残って欲しい。これは俺の我儘だから、という言葉で区切り、俯いた。全員が押し黙ったが、やがて美村が言った。
「その気持ち、なんとなく分かるよ。多分霧島の言うことは無茶苦茶で、自殺行為だってのは分かるんだけどな、俺はついていこうと思う」
まさか同意する人間がいるとは思わなかったため、霧島がぎょっとしたように顔を上げた。
「だってさ、全員で生きて帰ってくるって約束したじゃんよ。一人より二人の方がその確率が上がると思わない、か?」
「右に同じく」
篠田が茶を啜って、片手を上げる。
「名演説をどうも。このまま戻るより、確かにお前についていく方が面白そうだ。俺の命に大した価値は無いしな」
熊谷は口に手を当てて、自分の心情を推し量るように黙っていたが、やがて言った。
「可能性はあるんだな?」
「ある。そのための方法は絶対に考え出す」
「乗った」
幻想郷特有の建物に入って中の様子を調査すれば、特別ボーナスが出るかもしれないしな。熊谷が冗談を言うと、美村に篠田、霧島の三人が破顔した。高田は何も言わず、タバコに火を点ける。さっきの意見を曲げるつもりはないのか、それとも同意してくれるのか、果たしてどっちなのか。
「高田は、どうするんだ?」
自分の声が期待で上ずっているのが分かったが、霧島にはどうしようもなかった。
暫く目を閉じて考えていたが、彼は立ち上がった。
「考えさせてくれ」
霧島は頷き、高田は外へ出て行った。その後で慧音が御膳を取りに来た。美村がお代わりを頼んだ。
高田は曇天の中に出ると、身体の芯まで染み込むような寒さを我慢しつつ歩き始める。頭の中も同じぐらい冷え込むため、ある意味好都合だった。適当な物の上に腰掛けてタバコに火をつけると、遠くで子供たちが遊ぶ姿が見えて、またきゃいきゃい騒ぐ声も聞こえた。
傭兵で居た頃は、ずっと損得計算を支えにして生きてきた。こっちに付いた方がより得か、生き延びられる可能性が高いか。もしくはあっちのチームに志願すればちゃんとした飯にありつけて、給与だってまともに支払われるかもしれない。最初の一年で命というのは世間一般の人間が言うほど尊いものではないことを知った。場所によってはハンバーガーほどの値段で簡単に取引されるし、自分だけは死なないと豪語する奴が戦場では我先にとバタバタ死んでいった。カラシニコフで武装したガキが砲弾の中をこっちに突っ込んでくる様を見たこともあるし、その全員が爆死するかもしくは射殺された。頭の中に発生する幻想など、あそこでは絶対に通用しなかった。そこで頼りになるのは確かな数字、確かな武器、そして謙虚な自信だった。少なくとも、無謀な真似を繰り返して生き延びられるほど甘い場所ではない。一度か二度続いても、結局はそこで運のつきだ。
煙を吐き出し、その中にあの四人の顔を思い浮かべてみる。笑った顔、緊張しきってガチガチになった顔、そして死ぬ時に浮かべるであろう表情。
彼らがやろうとしているのは、自殺としか言い様が無かった。あいつらは戦場の只中で墓穴を掘り、銃弾の嵐に身を投げ出して死ぬのを待っている馬鹿にすぎない。損得の視点から考えれば見捨てるのが最も得策だったし、彼の生存本能はそれを推奨どころか命令していた。絶対についていくな、浅はかで馬鹿なことをするな。まだまだ生き延びなければならない、やらなきゃいけないことがお前にはあるのだから。上手い酒、上手い飯、ふかふかのベッド、イカした音楽、何もかもがお前を待っている。ここで死ななければいけない謂れなど無い。
それにも関わらず、高田の心は彼らについていこうと思い始めている。
二重思考、アンビバレンスって奴だっけか、と思った。この場合はダブルシンクか?
訓練期間中の、霧島や美村のポカを思い出す。射撃訓練の際に、拳銃の引き金を引いても発射されないため、思わず銃口を覗き込んだことが一度か二度。あの時彼らは高田と兵士の両方に強くどやされて、兵士からは殴られていた。
篠田は無口なためか声が小さく、質問の答えを何度も聞きなおさなければならなかった。熊谷は楽するためにすぐにズルしようとしたため、常に注意を向ける必要があった。あの強制キャンプでの彼らは、他の傭兵とは違っていた。それがプラスの要素にしろマイナスの要素にしろ。彼らは高田の心により違ったものを与え、名前も分からない何かを育ませていた。
だからこそ、彼らを失いたくは無かった。指一本でも、両腕両足を欠けさせたくはなかったし、死なせるなんてもっての外だった。たとえ相手が誰であってもだ。生存本能と心は互いに逆のことを命令しあっている。
困ったもんだ、ともう一本タバコをとりだそうとしたら、いつのまにかなくなっていた。舌打ちして空箱を後ろに放り投げる。
「環境破壊はやめたほうがいいんじゃないかー?」
声をかけられて首を動かすと、霧島がこっちに向かって歩いていた。どうせここは辺鄙な異次元なんだ、環境なんて知るかよ。高田は首を竦めた。
「ちょっとは考え、まとまったか?」
「聞くのが早すぎだと思うんだがな」
「俺せっかちなんだよ」
霧島が笑う。
いい笑顔だな、と高田は思った。犯罪者ってのは大抵が人間の屑みたいな奴で笑顔なんて子供を怖がらせるようなものと思っていたが、どうやらそれは偏見だったようだ。もしかしたら、美村や篠田に熊谷も同じ顔をするのかもしれない。斉藤だってするのかもしれないし、あの死んだ四人もそういった顔をしていたのかもしれない。いや、したことがあったのかもしれない。
高田はため息をついてから、霧島に言った。
「行くよ。でもちょっとでも身の危険を感じたり、状況がヤバくなったと思ったら俺はすぐに放棄するからな。ついでにお前らが何を言ったとしても絶対連れ戻す。一人と五人じゃ命の重みは違うからだ」
分かった、と霧島は言った。それから深々とお辞儀をして、ありがとうと言った。気恥ずかしくて高田は笑った。
外で具体的なことについて色々と話し込んだが、有効だと思えるものは何一つ出てこなかった。十字架を百個近く用意する。タマネギを投げつける。接近戦で杭を心臓にぶちこむ(勿論成功の可能性が最も低い)。やはり慧音に相談した方が早い、ということになって家に戻った。
「レミリアなら、毎月満月の晩なら確実に外出はするな。それこそ雨の日でも」という慧音の言葉によって問題は簡単に解決した。やはり吸血鬼のせいか、満月の晩には夜空を飛び回って各地を巡行するということらしい。それはいつだ、と慧音に聞くと、都合良く明日だ、という答えが返ってくる。こうして決行の日取りが決まった。
「でもさ、確かメイド長ってのがいたんじゃなかったか? 館の全メイドを統率するとかなんとか」
昨日の話を思い出したのか、篠田が疑問を発したが、これもすぐに解決する。大抵はレミリアに付き添って外出するため、館は空っぽも同然ということになる。他にも力のある妖怪はいるにはいるが、それは離れの図書館に陣取っているため、館まで出向くことは滅多に無いらしい。
最も大きな問題が解決した所で、他に解決すべき問題を霧島はとりあえずメモ帳に書き記してみた。他の人からの指摘も受けて加筆修正をしてから、大方はこのようになった。
一、館は湖の真ん中にある島の中に位置している、どのように侵入するか? 二、館の中では常時戦闘可能なメイドが見回っている。彼女らをどのように回避するか? 三、そもそも斉藤がどこに捕らえられているか、どうやって知る?
一番は手近な材木を切り出して、筏を作ればどうにかなりそうだった。湖の上では妖精が棲んでおり人間も襲うらしいが、その問題については棚上げにして後で考えることにした。二番は散々頭を悩ませた挙げ句、慧音が「私が囮になって注意をひきつける」という提案を発した。
「本気か? 俺達だけじゃなくて、あんたやこの村にも迷惑がかかるぞ?」
猫の手も借りたいこの状況ではあったが、霧島は慧音に警告した。たとえ自分達が全滅するにしても、周りの環境に禍根を残したくは無かった。
「構わない、別の世界からやってきたとしても、お前達は人間だからな。それに一度は酷い目にあわせたんだ、償いぐらいさせてくれ」
霧島はあまり納得していないようだったが、向こうから助勢してくれるのだから有り難いと思い、高田が了承した。またこれによって湖の上にいる妖精の注意もひきつけられるのだから一石二鳥だった。
三番については本気でどうしようもなかったため、館の人間から無理矢理聞きだすということにする。その時、慧音が何かを思い出したように奥の部屋へ入っていった。
持ってきたのは地図のようなものだった。机の上に広げると、筆書きで地図らしきものが記されている。どこかの建物のようだった。
「これ、もしかして紅魔館の?」
美村が聞いた。
「そうだ、何百年か前のものだから細部はあてにできないが、大体の場所はこれで確認できると思う。外観を見た限り、大した増築工事もしていないようだしな。あそこは広いから、きちんと確認しておかないとすぐ迷子になるぞ」
よほど奥深い所に入っていたのか、埃に汚れた顔で慧音が言った。そんなものがすぐに思い浮かぶ頭の良さに霧島は感心したが、それ以上に慧音の家にはどれほど古くからの書物が存在しているのかと不思議に思った。最初に出会えたのが慧音だということを含めて自分達は本当に幸運だったのかもしれない。
それから作戦の細かい点や矛盾する箇所を調整しているうちに、時刻は昼頃になった。昼飯を食べた後で森の中に入ると、慧音の護衛の下で快く手伝いを申し出てくれた村人たちに助けてもらいながら材木を切り始める。
「こんな世界で伐採やるなんて、三日前の俺は思わなかっただろうな」と熊谷が漏らしたが、霧島も同意だった。
休憩中に霧島が木陰に入って茶を飲んでいると、美村が近づいてきた。あたりの様子を伺うようにあちこち首を巡らしているその様子にハテナマークが浮かんだが、とりあえず気にしないことにする。
「ちょっとさ、話、いいか?」
そう言うと美村は森の奥の方へと親指を指す。別に構わなかったが、迷ったり怪物に襲われる可能性があったので、少しだけにとどめた。
「で、どうしたんだ?」
美村は緊張を解すように深呼吸を繰り返した後で、言った。
「お前さ、あの慧音って子と仲いいよな?」
霧島は顔をぽかんとさせた。慧音? あの上白沢慧音のことか? 仲がいい? どこを取ってそう言える?
「え、まあ………良いと言えば良いのかもしんないけどさ」
「じゃあさ」
畳み掛けるような口調で美村が質問する。思わず霧島は鼻白んだ。
「あの子の好きなものとか、何か聞いてないか? 好きな花とか食べ物とか、どうとか」
「花っても………あ」
そこで霧島は美村の質問の意味に気がついた。
「お前、惚れた「しーしーっ!!」」
こんな所で盗み聞きする人間もいないというのに、美村はスパイ同士の会話のように神経を尖らせていた。その様子がなんだかおかしくて、思わず霧島の顔がにやける。まあ綺麗な顔をしてるしスタイルもいいとは思うけどさ、そうか、そうなのか。
「でもさ、何で俺に聞いたんだ?」
「いや、昨日の夜、外で話してたじゃん。け……慧音とさ」
納得した。美村はおそらくあの時、外に出て行く二人の姿を不審に思ったのか盗み見していたのだ。それで内輪的な会話をしていると思ったわけだ。
「と言っても、紅魔館についてだよ。個人的な話とかそういうの、全然無かったよ、すまん」
そっかあ、と美村は神妙な顔つきで頷いた。そう考えれば、今朝から美村はいちいち慧音の顔を見ていた気がしなくもない。慧音本人は全く気がついていないようだが、それは果たして良かったのか悪かったのか。いずれにせよ、この時期に心温まるような一報を聞けて霧島は満足していた。殺すとか逃げるとか言った殺伐とした言葉が蔓延していたから、美村が抱いた恋ごころは清涼剤のようなものがあった。
「まあ何はともかく、頑張れ。応援してるから」
ぽんぽんと肩を叩くと、美村が安心したように首を縦に振る。ついでだったので、一つ質問をしてみることにした。
「あの子のどこに惚れたんだ? やっぱ顔?」
霧島が見立てるように自分の顔を指差すと、彼の方は半分そうだけど半分違う、と返した。
「慧音ってさ、雰囲気が前に付き合ってた子と似てるんだよ。知的な所とか、その……カッコいい所とか、さ」
口をもごもごとさせたので、話の続きを促す。
「でもその子、俺が捕まる直前に別れたんだ。というか…俺がやってること、バレたんだ。被害者ってか、ヤった子の写真を部屋に持ってくる癖が俺、あってさ。その時丁度来た子が、机の上でしまい忘れてた写真を見ちゃって。新聞とか結構載ってたからすぐにバレて……強制的にお終い。最後に彼女、何て言ったか分かるかい?」
首を振る。自分がどうしようと美村は言っただろう、と霧島は思った。多分誰かに話したくて仕方が無いのだ。
「早く死ね、糞野郎ってさ」
自嘲する段階はとっくに過ぎ去ったというように、平板とした声で、淡々と話し続ける。
「そんで人生悲観して、遺書用意して、首つりかけて……でも失敗して、病院運ばれた後で警察に捕まった」
「そっか」
霧島はそれ以上話を掘り下げようとはしなかった。誰だって話したくないことの一つや二つ、あるものだろう。霧島だって家族を殺した理由を他人に話す気など全く無かった。こればかりは墓まで持って行く積もりだった。
「だからさ、ひょっとしたら俺、慧音に彼女を被せているんだと思うけど…だけど、惚れちまったもんはしょうがないよ、な?」
問いかけるように霧島を見る。どう答えりゃいいんだよ、と心の中で苦笑したが、とりあえず頷いておく。それに、例え経緯がどうであろうと抱いてしまったのはしょうがないものだし、嘘じゃないならそれでいいだろうと思ったからだ。
「ん、じゃさ、応援、してくれるよな?」
もう一度真剣に、訴えかけるような目つきで霧島を見る。嘘をつく積もりはさらさらなかったため、こっくりと頷いた。
「ああ、良かった」
大げさに脱力したような身振りをする美村に、思わず笑ってしまう。
そろそろ戻ろうぜ、と霧島が勧めると美村はそれに従い、戻ると再び作業を始めた。さっきまでの話は二人の胸の裡にしまいこみ、他の人間にバラす気はもとより存在しなかった。黙々と木を切って纏める作業を行い、あくせくと働き続けた。
夕方頃になって作業は一段落し、手伝ってくれた村人にお礼の品として糧食をあげると、彼らと一緒に早めの夕食を摂った。その間にちまちまと慧音に対してコミュニケーションを取ろうとする美村を眺めたり、好きな食べ物と嫌いな食べ物を選り分けている熊谷の行動を指摘してやったりと、明日には命をかけて行動をするというのに緊張感が全く無かった。高田や篠田の方はもう少し緊張している素振りだったが、それでも他の人間とは大分打ち解けているようだった。というより、明日が命がけなのだから今日はゆっくりしているべきなのかもしれない。
そのうちに霧島は、一連の様子を撮影しているハンディカムを本当にあの兵士たちに渡していいのかと、そんな気持ちになった。確かにこれは提出しなければいけない代物なんだろうけど、だからと言ってはいどうぞと渡してしまっていいのか? それがここの村人たちを危険に晒す行為になると分かっていても? 戦闘中に破損したとか、そんな勿体つけた理由でもなんとかなるんじゃないか?
無理だな、と自問自答する。あいつらは自分達の要求に添えないことが分かるとすぐさま俺を、俺達を撃ち殺すだろう。あいつらにとって代わりは幾らでもいるのだ。だからこそカズをあんなに簡単に射殺したのだから。ふつふつと奴らに対して怒りが再び湧き上がってくるが、今はそういう時ではないと我慢した。
食休みの間は暫く憂鬱な気持ちに囚われていたものの、筏の建造を再開しはじめるとすぐにそんな心情を振り払う。作る予定なのは小型だったが、最終的に完成したのは日が落ちて大分経ってからだった。村人たちにお礼を言いつつ慧音の家に戻ると、作戦について詳細部分を検討しはじめる。万が一に備えて退却する時の手順を検討し、どのように動くかについて何回も同じ事を話し合った。用心の上ということはあるけれど、それ以上に不安だった。同じ事を繰り返して頭に刻み付けないと、本番の時にとちってしまうのかと怖かった。
会議は深夜まで及び、終わった時に霧島は憔悴のあまり心配事を忘れて布団の中に飛び込んだ。津波のような大きさの睡魔が彼を包み込み、一気に闇の中に落とし込む。
眠る直前、紅魔館で囚われているはずの斉藤の姿が目に浮かんだ。
だがそれが生きているのか既に死んでいるのか、霧島には判別できなかった。
夜の中、厳しい寒さと風に耐えながら男達は立っていた。夜空には満月が煌々と輝いており、昨日までの悪天候はどこにも見当たらない。完璧な快晴だった。これならば吸血鬼とメイド長が外出しないわけがない。彼らは岸辺の辺りに一塊となって集まりながら、自分が務める役割の最終チェックを行なっている。慧音もそこにいたが、彼女はいつも被っている帽子を外し、頭からは角を生やしている。それが生え始めたのを見た時は全員が流石に驚いて慧音を見たが、いそいそと彼女が角にリボンをつける様を見て、不思議と和んだ。そういえば満月の日には角が生えるとか言ってたか、と霧島は思った。角が生える他に違いはあるのかと尋ねると、一言で言えば人型のときよりも強くなれる、と答えが返ってくる。何もかも好都合というわけだった。
「それじゃ、最後のおさらいだ」
こういったことには慣れているのか落ち着いた口調で高田が言い、それに全員が頷く。
「慧音以外の全員が筏に乗って、俺と篠田、霧島が裏口から館に潜入する。館に入ったらまず、無防備だと思えるメイドを見つけて拉致し、斉藤の居場所を聞き出す。死亡していたらそれを確認した時点で脱出、そうでなければ吸血鬼が帰ってくる前に素早く斉藤を救出し、脱出。ここを出た後は村に戻るのも危険だから、そのまま穴へと直行する。地図でもう一度確認はしておけ。熊谷は筏を人目のつかない所に隠して待機。脱出の際は連絡する。お前に調査結果は託しておくから最悪の場合、お前だけでも逃げること。いいな?」
唇が乾いてるのか、しきりに舌で舐めながら熊谷が頷く。あまり眠れなかったのか、緊張で目が充血している。篠田はいつものように何も言わないが、その目はいつもよりも遥かにギラギラとしていた。霧島は両手が塞がらないように、ハンディカムは頭に巻きつけてある。だが邪魔になりそうな時はすぐに捨てようと思っていた。
「慧音は俺達が出発する前に湖の上を飛んでもらって、正門の辺りで大暴れしてもらう。できれば半径二十キロ四方の奴らが集まってきそうなほど派手に頼む。そうすれば妖精やメイドの殆どを惹きつけられるからな。無線機の使い方はもう覚えたか?」
無線機を服の中に隠し、イヤホンを耳に突っ込んでいる慧音は首肯した。
「バッチリだ、任せてくれ」
「よし。なるべく長い時間騒いでもらいたいが、もう無理だと思ったらすぐに館から離れてくれ。とくにメイド長や吸血鬼が戻ってきた場合はな。後のことは気にするな、俺達に何が起きてもだ。役目を終えたら無線機は捨ててもらっても構わん。見つけられてもあいつらに理解できるものじゃないし、もしそうでなかったら湖の中に捨ててくれればいい」
慧音に対して説明し終わったのか、次は美村だ、首を動かす。
「美村は慧音のサポート役、一応西の自動小銃と双眼鏡は渡しておく。脱出の時は連絡するが、もし無線機が破損したり連絡がとれない場合は、慧音と一緒に脱出してもらう。確か慧音、一人ぐらいなら楽に運べるな?」
慧音が頷いた。以上だ、と言われた美村が小刻みに首を振る。
「各自、無線機は絶対に壊すな、連絡が取れなくなる。弾数は常に確認しろ、もし切らしたら終わりだ。それと、最後に――」
高田が言葉を切り、全員の顔を改めて見回し、言った。
「お前ら。全員で生きて帰るぞ。例え任務が失敗しても成功してもだ」
それに応え、慧音を含む男達が頷いた。
「ようし、紅魔館突入作戦開始だ。気合入れて行けッ!」
散開すると、慧音が湖に向かって飛び立とうとする。美村がその背を呼び止めた。
「慧音!!」
何だ? と言いそうな顔で慧音が振り向く。美村は親指を上げる、《グッドラック》というジェスチャーをした。見慣れないものに最初は驚いたような顔をしたが、すぐに親指を立てて真似をした。地面を蹴ると、彼女は猛スピードで湖へと飛び立っていった。
「さあ急げ、あいつがドンパチしはじめたら俺達の出番だ」
高田に急かされて、霧島たちは筏を湖の中に入れる。即席の産物でオールも手作りだが、男達を乗せていくには十分な面積を持っていた。この上で死ぬことがありませんように、と霧島は始めて神に祈った。雪が積もった林で死んでいった男たちと、カズの死に様が目に浮かぶ。あいつらみたく死んでしまいませんように。
それから紅魔館の方角に双眼鏡を据えて、戦闘が始まるその時を今か今かと待ち続けた。
これからの展開に期待してます!
ありがとうございます。
というかレミリアって濡れ衣!?Σ(ノ>ヮ<)ノ
感じとしては突入直前の特殊部隊を思い描いてみました。多分三%ぐらいしか再現できていない気がしますが、それでもかっこいいと思ってもらえて幸いです。