※ 以下、謎に長いです。
なので、気合または気迫をかけて、さらに根性またはド根性を読んでる最中にかけることを推奨します
また、シリアスなのでギャグに関しては皆無と思ってください
なお、本作品はスパロボには全く関係ないので悪しからず。
「………でさぁ、もう四季様の説教する時の顔といったら…」
ここは再思の道、三途の川。
ここで、小野塚小町はいつもの如く三途の渡し守をしていた。
いや、正確には渡し守の仕事など二の次であって、幽霊たちとの会話を楽しんでいた。
つまるところマイペース、これが自分の生きる道なのだ、と小町は適当に理由をつけている。
仕事をするのが辛いわけではない。だが、そこまで急ぐ必要も無い。
今日も今日で舟を漕ぐのを忘れ、幽霊たちと話をしていた。
◇
「小町っ!! 全くあなたは何時になったら真面目に仕事をしてくれるのですか!!」
「ひぇぇっ! すみません四季様ぁ~っ!!」
その日の仕事後、当然のように小町の上司の四季映姫・ヤマザナドゥに呼び出された。
当然、こなす仕事の量が少なすぎた所為だ。
「あなたはたった一人で60年の周期をぶち壊すつもりなのですか!?」
「い、いえ…そそ、そんなことは…」
60年に一度。幽霊たちが異常に増え、その身の拠り所に花を選ぶ年。
ついこの間それは起こった。
そして、いつものことだがそのときにも小町はこってりと絞られたのだ。
あの時は確かに仕事量が多すぎたこともあったが、今はそうでもない。
しかし、その状況にもかかわらず運んでくる亡霊の量が少なすぎるのだ。
これではサボタージュの泰斗と呼ばれても仕方の無いことだ。
そう呼んだのは白黒の奴だったか。
「はぁ、本当に私が莫迦でした…前に一度言いましたがあなたは真面目に見えたのに…」
「で、でも自分のペースを守ることも大切なわけで…」
「黙りなさい」
「は、はひぃっ!?」
確かに自分のペースを守るのも大切なことだが、それ以上に仕事をしなさ過ぎる。
小町もサボっていることを自覚はしていたが、何とかなるだろうと思っていた。
今日サボった分は明日に回そう。
明日出来なかった分は明後日に回そう。
そういうことを繰り返すと亡霊が増えてくるのも真理である。
終わりの無いいたちごっこである。
映姫の説教に、小町は平身低頭するばかりである。
もっとも、悪いのは小町なのだが。
「………他の同僚のところには相変わらず『真面目な』死神が霊を運んでいるというのに…」
「う………それは……」
『真面目な』というところを強調して言う映姫。
何だか、今回はいつも以上に怒っている気がする。
イライラすることでもあったのだろうか、と小町は思うが、そんなことを考える余裕は無い。
今は上手い言い訳を探して説教から逃れ、明日から真面目に働こうと思っていた。
この考えも、一晩寝れば忘れてしまうのだが。小町の悪いところはそこだった。
「し、四季様…えっと……」
「言い訳は聞きたくありません」
「で、でも…」
「………結構です。もう今日は下がりなさい、あなたには少々落胆させられました」
「………」
「がっかりです、こんなことなら別の死神を雇うべきでした」
途端に気まずくなった。
やはり仏の顔も三度までということなのだろうか。
いや、三度以上こんなやり取りは経験済みだ。
四季様の堪忍袋の緒が切れたのだろうか、と小町は思う。
重苦しい空気が二人の間を包む。言葉を発するにも発せられなかった。
と、ギィと音がして映姫が椅子から降りた。
自分の部屋に戻る時に、横目で小町を見ていた。
小町と映姫はそこで目が合った、が、その映姫の目はゾッとするほど冷たいものだった。
「どうしたの? 今日はもう終わりよ?」
「………っ」
小町は息が詰まった。
相も変わらず、冷たい態度そのままに冷たく言葉が投げかけられた。
小町は動くことが出来なかった。その場に立ち尽くすだけで、何も出来ない。
映姫からも視線を外した。気まずいのだ。
「………はぁ…」
最後に大きなため息をつき、映姫が自分の部屋へのドアを開けた。
直後、ドシンという強い音とともにドアが閉まった。
その大きな音に小町の身体が一瞬跳ねた。
小町は映姫が消えていったドアを見る。
まさか、あぁまで怒るとは思わなかった。
いつもならゲンコツの一つくらいで『明日こそはきっちり働いてもらいますからね』というお説教で終わるはずだった。
でも、今日は…今日の四季様は……
怖かった。
身震いするほどに。
それもあたいが悪いのだが、何もあんなに怒ることはないじゃないか。
少し、四季様とあたいの『距離』が開いた気がした。
◇
「はぁ………」
映姫は自分の部屋に戻ってため息をつく。
ドアに背中を預け、今日の自分を省みる。
罪を裁くことは辛い仕事だ。
でも、今日はもっと辛いことをしてしまった気がする。
(小町に少々きつく言い過ぎましたか…)
部屋に戻り、気持ちが落ち着くと先ほどのことが後悔される。
帽子を脱ぎ、ベッドに倒れこんだ。
顔が少しだけ布団に埋まる。目の前には白いシーツがある。
私はその白のシーツをぐっと掴んだ。
目を閉じる。
目を閉じた向こうに見えるのは、最後に見た小町の表情。
怒られた子供のような表情だった。
「はぁ………らしくないですね、私…」
誰に言うわけでもなく、呟く。
今は、白のシーツが眩しかった。
自分の緑の髪が、少しだけシーツに散っている。
でも、考えることは小町のことだった。
―『がっかりです、こんなことなら別の死神を雇うべきでした』
自分は何でこんなことを言ってしまったのだろう。
絶対に言い過ぎたと思う。
小町はこんな私を許してくれるだろうか。
いつものように困った表情や笑った表情を見せてくれるだろうか。
一緒に、私と働いてくれるだろうか。
そもそも、私は何であんなにイライラしていたのだろうか。
「………………」
しばしの間考える。しかし、私に答えは出ない。
だというのなら私は訳も分からずにカリカリしていたのだろうか。
私は小町に八つ当たりをしただけだったのだろうか。
知らないうちに身体の内に溜め込んだストレスを、小町にぶつけてしまっただけじゃないのか。
人間にもこういうことはあるらしい。
原因も分からず無性に腹が立って…そして、身近な者を傷つける。
この身近な者は誰でもいいわけではない。
時には家族であり、時にはペットであり、時には恋人であり、時には大切な者でもある。
何故今になって私にこんなことが起きたのだろう…いや、今はそんなことはどうでもいいのだ。
私は、大した理由も無いのに小町を傷つけてしまった。
……………小町が、私の大切なものであるが故に。
瞬間的に、後悔の念が私に押し寄せてくる。
小町は………どうしているだろうか。
まさか泣いてはいないだろうか。
心配になった。
口では色々言いつつも、私は小町を信頼し、信用していたのだ。
なのに私はわけも分からずにあんなに小町を突き放してしまった。
(明日の朝、迎えに行って謝りましょう…)
どう考えても私が悪いのだから。
そう決めた私に、突然睡魔が襲ってきた。
私は、布団に倒れこんだ姿勢のまま深い眠りに落ちていった。
◇
「…………」
自分の部屋に戻っても、小町は眠れなかった。
思い出していたのは今日の終わりの出来事。
四季様の冷たい視線、冷たい言葉、冷たい態度。
その全てが目を閉じると思い出され、眠れないのだ。
一言、謝りに行こうとも何度も思った。
でも、その度にきつい言葉を言われたらどうしようという想像が小町を引き止めていた。
今度、似たことを言われでもすればあたいは立ち直れるだろうか。
立ち直れたとしても四季様と前のような関係に戻れるだろうか。
「……………」
いいや、きっと無理だ。
一度開いた『距離』は、詰まることが無いかのように離れていくばかりだ。
距離を操る程度の能力を持つあたいでも、人との気持ちの距離は操れない。
そう思えた瞬間、悲しくなってきた。
体の奥の方から、何か熱いものがこみ上げてくるような感覚に襲われた。
堪えようとしても、押さえ切れなかった。
涙腺が緩む。
あたいは目を閉じだが、そうしたところで涙が止まるはずもなかった。
閉じられた目から滲むように涙が溢れ出した。
………情け無い。
久しぶりに泣いてしまうあたいが情けない。
あたいの勇気のなさが情けない。
これでは、明日の朝に四季様にあわせる顔が無い。
こうなることなら、もっと真面目に仕事をしていればよかった。
もう少しだけの真面目ささえあれば、あたいも四季様もきっと今までどおりで居られたはずなんだ。
「……………っ…」
出よう。
四季様には多分、あたいは合ってない。
四季様にはあたいのような出来の悪い死神より、もっと優秀な死神が相応しいのだ。
自分の机に座り、筆をとる。
適当な紙を引っ張り出し、あたいは手紙を書いて。
「………じゃあ………さよなら……」
机の上に手紙を置き、部屋にあった荷物も全部まとめ、自分の部屋に別れを告げた。
◇
目覚まし時計が鳴っている。
いつもの枕元じゃない、少しだけ離れた場所だった。
まだ眠い頭で思い出す。
(あ……私そのまま寝ちゃっていましたか…)
その間も目覚ましは鳴り続けている。
私は起き上がり、目覚ましを止める。
そのまま洗面所に行き、顔を洗って歯磨きをし、すっきりさせる。
髪の手入れが終わったあと、思い出す。
(そうだ、小町に謝りに行かないと………)
一通り支度を済ませた私は帽子を被り、部屋を出て小町の部屋へと向かった。
小町はどんな顔で出迎えてくれるだろうか、そんなことを考えつつ小町の部屋の前に立つ。
ドアにノックをしようとして一瞬ためらい、それでも私はノックをした。
コンコン、と控えめな音が響いた。
少しの間待ってみる、が反応が無い。
「…小町? まだ寝てるのですか?」
私はもう一度コンコンと強めにノックする。
しかし、またしても反応が無い。
よほど深く眠っているのだろうか。
でも、そろそろ仕事が始まる時間だ。
「小町? 失礼ながら開けますよ~?」
私はドアノブをひねり、小町の部屋に入った。
でも………
「…………小町?」
そこに、私の知っている陽気でサボりがちな死神は居なかった。
よく見ると綺麗に部屋が片付いている。
まるで引っ越した直後のように。
ふと、机を見ると置手紙があった。
私は急いでそれを手に取った。
手紙を開くと、小町が書いたのだろう、少しだけ雑な字が並んであった。
―『すみません四季様、あたいのような死神を雇ってくれてありがとうございました
これからは不真面目なあたいよりも、もっと真面目で優秀な死神を雇ってください』
「…………っ!!」
手紙は短く、閑散としたものだった。
しかし、よく見ると紙のところどころが不思議な形になっている。
ふやけて乾いたあとのように、一部が膨れ上がっていた。
そう、それは水玉模様のように。
それは、涙を流しながら書いたかのようで。
私は手紙を握り締め、無縁塚を出て三途の川に向かった。
昨日の自分の行動を深く後悔しながら。
「小町のバカっ………!!」
◇
「暑いぜ」
「そうね…」
「だな…」
博麗神社の縁側に白黒と紅白と、一つの人影がある。
みんながみんなうだるような暑さに足をぶらぶらさせていた。
だからといって涼しくなるわけでもないが。
一つはいつものように暇つぶしをしている霧雨魔理沙。
一つは神社の主である博麗霊夢。
そしてもう一つは………
「…にしてもどういう経緯であんたがここに居るわけ?」
「それはあれだぜ、サボりに決まってるじゃないか」
「それはまぁ…………」
「………?」
何故だろうか。
小町はあの後、目的もなく飛んでいた。
ただ何をするわけでもなく飛び回っていたら、いつの間にかここにきてしまっていたのだ。
この神社がいいと感じたわけでも無いが、自然とここへ向かっていた。
「ま、この際何でもいいけどね…サボりも程々にしておきなさいよ?」
「いや、まぁ……サボりというか…サボりでもないというか…」
「さっきからよく分からないわね………」
「暑いぜ」
「………あのねぇ…」
魔理沙だけが不思議な空間にトリップしていた。
というか、暑いのは事実なんだがそう暑いと何度も言われるともっと暑くなる。
「なぁ霊夢、こういう暑い日はやっぱり宴会だよな?」
「何でそうなるのよっ!?」
「小町もそう思うだろ、な?」
「うぅむ…………あたいはそんな気分じゃ…」
じゃああたいは何しにここに来たんだろう。
いや、それは多分些細なことだと思う。
ただ、ここの神社の居心地が不思議といいと思ったからだ。
それは、霊夢の人徳もあるかもしれない。
煙たがってはいるが追い出すような雰囲気でもなく、くつろいでいられる。
何かと不思議な場所だった。
「ほら、小町もそんな気分じゃないって」
「よし、じゃあそんな気分にさせるために宴会をするぜ!」
「何でよっ!?」
「何でだよっ!?」
霊夢と小町の声が見事にハモった。
二人、お互い顔を見合わせる。
不思議と、クスリと笑いあった。
しかし、そうこうしているうちに魔理沙は箒に乗って飛び立つ準備をしている。
「今日は珍しい奴が居るから盛大な奴にするか…じゃあなっ!」
「ちょ、ちょっとちょっと!」
「はは………霊夢も苦労が絶えないな…」
「じゃあ一度だけでもここの宴会の片づけをやってみる? 一人で」
「遠慮する」
ちっ、と軽く舌打ちを入れてそのまま霊夢が仰向けに寝転ぶ。
自分の手を団扇代わりにして扇ぐが、それでも熱風が来るだけだと思う。
「暑いわね………夜になったら少しは涼しくなるのかしら…」
「どうだろうな…」
「つまらないわね…」
なら聞くなよ、とも言いたくなった。
「………ねぇ、暇でしょ? 弾幕で対戦しない?」
「…下心見え見えだから遠慮しよう」
霊夢が賽銭の角度を微調整していた。
あたいの弾は銭だ。
いくらお賽銭が素敵だからと言っても博麗神社にはお金は全く入らない。
だからってあたいを利用するか…?
「つまらないわね~………」
「かなり失礼な奴だな……お前は三途を渡してやらんぞ」
とは言うものの、悪い印象は受けない。
それがこの巫女のいいところなのだろう。
だからたくさんの妖怪や人間たちが集まる。
本人は迷惑がっているが、嫌がってはいないのだろう。
だからあたいもここに来たのかもしれない。
「はぁ………今夜の宴会のことを考えると頭が痛いわ…」
「諦めも早いんだな…」
「魔理沙のことだから止めたって無駄なのよ……はぁ…」
「そうか…」
この二人はお互いを良く分かっている。
こうもお互いを良く知られていることが羨ましく思えた。
あたいも四季様とこんな関係であれ『た』ら…
過去形になってしまうことが悲しかった。
◇
「まったく、小町ったら何処に…」
私は小町を探して三途の川の岸に寄った。
渡し舟はあるものの、小町の姿が見えない。
やはり私が言いすぎたのだろう。
昨日のうちに謝りに行くべきだったと、さっきから後悔ばかりしている。
と、三途の岸辺に大量の霊が集まっていた。
小町を探すことも重要だが霊を裁くことも重要である。
私はしばらく悩んだ結果、今日は三途の岸辺で霊を裁くことにした。
こういうとき、仕事を選ぶ自分が凄く悲しかった。
私は霊が集まる場所へ降りていった。
《おや、あなた様は…?》
「あなたたち、今日は私がこの場で直々に裁判をします、よろしいですね?」
《は、はぁ………小町様はどうなされたのですか?》
「………小町? ………何故あなたが小町のことを知っているの?」
それもそうだ。
霊は小町によって私のところへ運ばれ、私によって裁かれる。
三途の岸辺に居る霊が小町を知っていることは不思議極まりなかった。
《いやぁ、小町様は私たちを船に乗せる前にたくさんお話をしてくれるのです》
「はぁ………」
《それで、昨日私もあなた様のところへ運ばれるはずだったのですが…》
「小町がサボったお陰でまだここに居た、と……」
《そうなりますね…ははは…》
なるほど、今の説明で合点がいった。
つまりは小町が霊たちと話をしすぎる所為で全く仕事が進まないと。
《ということは…もしやあなた様が四季様でしょうか…》
「ま、まぁそうですけど………」
《小町様から色々と聞いておりますよ。説教の時の顔が面白い、と…》
「っ!?」
途端、顔が赤くなるのを感じた。
凄く恥ずかしい話だった。
そんな話を小町は………まったくもう……っ!
《はっはっは、顔が赤いですよ?》
「ししし、静かになさいっ!?!?」
つい平生を装おうとするもなかなか上手くいかない。
呂律が回らず、いろんな場所で噛んでしまう。
十王の裁判長の一である私がこんなことで動揺するなんて…
ま、まったく、小町を後でもっと説教してやる必要が……
って、それだとまた私の説教の時の顔が………
「あぁぁぁぁあああ~~~~~~………どうすればいいのやら……」
《はっはっは、四季様もお話のように面白い方ですね》
「お、面白いなんて失礼ですっ!」
《いえいえ、小町様が四季様の話をするときの表情がなんとも嬉々としていたので…》
「…小町が………?」
小町が私の話をするときに、嬉しそうだった…?
その一言が、何だか照れくさい。
そんな小町に辛く当たってしまったことが、辛い。
《………小町様は良い方です。死んで塞ぎこんでしまった私たちを元気付け、励ましてくださる…》
「………そう、ですか…」
思い返してみれば確かにそうだ。
私が裁判をするときの霊は緊張はしているものの塞ぎこんでいた霊は少なかった。
少しだけ希望を貰ったような、そんな感じがしていた。
言われてみて、初めて気付くような些細なこと。
だけど、些細なことも大事であることだってあるのだ。
「………小町が…ねぇ………」
私は霊たちから視線を外し、大きな広い空を見上げた。
サボり癖のあった死神。
いつも飄々としていて、陽気だった死神。
無意識だろうけど、怪我の功名だろうけど…亡霊たちを励ましてくれた死神。
そして、私付きの死神。
死神の癖に、お人好しだと思えた。
その死神は、知らず知らずのうちに私までも元気付けてくれていたのかもしれない。
どうして私は気付けなかったのだろうか…
《……四季様? どうかなされました?》
「……え?」
どうやら、しばらく黙り込んで考えていたらしい。
その様子が亡霊たちに一抹の不安をよぎらせたのかもしれなかった。
「…いいえ、何でもありません………そうですね…」
小町がいない私に出来ること。
小町が出来ていたこと。
それを、私もやろうと思った。
「予定が変わりました。今日は裁判はお休みします」
《え…っ?》
亡霊たちが驚いたように私を見る。
私は、そんな亡霊たちに微笑みかけて、こう言った。
「今日は小町の代わりに、私が話し相手になりましょう」
◇
「……………」
博麗霊夢は額に明らかに怒りマークを浮かべていた。
同時に、後悔の表情も浮かべている。
なんとも器用な表情である。人間にこういう表情が出来るのかと感心するくらいだった。
その原因は、白黒こと霧雨魔理沙である。
「な、なぁ霊夢………そんなに怒ると肌に悪いぜ?」
「魔理沙っ! あんた呼ぶ人数にも限度があるわよっ!?」
「ま、まぁまぁ…いいじゃねぇか、宴会なんだし?」
「片付けは誰がすると思ってんのっ!!!」
「……………霊夢?」
「今日はアンタが片付けなさいっ!!」
霊夢が怒るのも当然である。
何と魔理沙は、幻想郷中を飛び回り、大量の人間と妖怪を呼んできたのだ。
「まぁ、いいじゃないのよ…夜なら私だって活動できるし、フランも嬉しそうよ?」
「レミリア……重要なのは時刻じゃないのよ…」
「お姉様~、咲夜が呼んでる~」
「分かった、今行くわ………というわけらしいから。じゃ、楽しませてもらうわね?」
霊夢にウィンク一つしてレミリアは咲夜のところへ向かっていった。
フランも虹色に輝く羽をパタパタさせながらレミリアについていく。
入れ違いに、妖夢が霊夢に向かってきた。
「何だか申し訳ない気がむんむんとするんだけど…幽々子様がどうしても、って駄々こねるから…」
「今に始まったことじゃないわよ…苦労人同士仲良くやりましょうね…」
「はぁ、まぁ出来るだけ酔わないようにしてみるよ…意識があれば片付けも手伝うから…」
「後半部分に凄く不安を感じるんだけど…」
「あ、あはは……気にしないで…」
「よーむー、よ~む~~~っ!! お酒が足りないわぁ~~~~~っ!!」
「って早っ!? 幽々子様、さっき3本運んだばっかりですよっ!?」
「よ~む~、よ~む~! よよよ~~む~~っ!! お酒が無いと大変だわぁ~~っ!!」
「一体何ですか『よよよ~~む~~っ』って!? そ、それじゃ私はこれで…」
「頑張ってね~……………」
妖夢が申し訳なさそうに一礼すると、幽々子の元に走っていった。
あんな主が居ると大変そうね…と、霊夢はしみじみと思う。
もし私が妖夢と立場が変わったとしたらどうなるだろう。
………
…………
……………
幽々子が餓死寸前な場面を幻視した。
あれ、幽霊って死ぬっけ…?
………まぁいいや。
「ねぇねぇ霊夢ぅ~♪」
「うん? あ、てゐじゃない、どうしたの?」
気が付くと、てゐが私のすぐ近くに立っていた。
「幸運を招くお賽銭、お一ついかが~? 今なら500―――」
「却下」
「まだ値段言ってないのに…」
「どうせあれでしょ、これを買うとお賽銭がどんどん入ってくる~…って言う詐欺じゃない」
「え~、それはそうだけど~……私の能力を忘れたの~?」
「う………」
人間を幸運にする程度の能力。
てゐがそう言うのならものすごく説得力がある。
確かに魅力的なお賽銭かもしれない。
一瞬手が伸びそうになる。
が、てゐが非常に笑顔でこっちを見ているのを見て、思い直した。
「やっぱり却下」
「え~…霊夢のお賽銭なんてどうせ1円も入って無いんでしょ~? それなら私のお賽銭の方が…」
「こら、てゐっ!! 何やってるのっ!!」
「わっ、厄介なウサギが来たっ!」
てゐが再び詐欺の道に走っていると、鈴仙が走ってやってきた。
てゐはすかさずそれこそ文字通り脱兎のように鈴仙から逃げ出す。
その速度はなかなかのものだった。
逃げ足は速いというか…詐欺師のスキルを全て持っている気がした。
「あっ、こら! …………全くもう…」
「いいじゃない、引っかかりそうになったけど害は無いわ」
「そうじゃなくて~………せっかく閻魔様にお説教してもらったのに全然懲りてないというか…」
「まぁ、あれも一つの生き甲斐なんじゃない?」
「嫌な生き甲斐ね…」
「確かに………」
自分で言ってなんだが、鈴仙に突っ込まれるまでもなく嫌だった。
二人、呆れたように乾いた笑いを漏らす。
「早く追いかけないと、あの子また詐欺るわよ?」
「あ、そういえばそうだった……ごめん霊夢っ、それじゃ楽しませてもらうわ~!」
ちなみに詐欺るとは今作った言葉だ。通称霊夢語。
いや、別に私が創始者じゃないかもしれないけど。
っていうか、創始者って何だ、私。何かの宗教じみてきた。
宗教………霊夢教。
…
明らかに胡散臭そうな教団だった。
流れ的に幹部は私だろう。
…
胡散臭さ3割増。
「そうよねぇ…霊夢教なんて信者一人で終わりそうよねぇ…あ、もちろん一人っていうのは霊夢ね」
「な…っ! ゆ、紫っ!? あんた何処から出て…いや、それよりなんで考えてること分かるのよ!?」
「ん~…最近お賽銭が全然入らないんだもの、家計が厳しいわ~…」
またいきなり話題をトリップさせる…
紫に付き合ってるとろくなことが無い。
しかも意味不明なことを言ってるし………
「はぁ? お賽銭…?」
「そう、素敵なお賽銭箱」
「……………?」
「まぁ、気付かないなら気付かないでいいわよ~♪」
紫はそれきり、幽々子のところに突撃していった。
のちに、魔理沙があいつは呼んだ覚えないぜ、とも言っていた。
あー、どうせそんなことだろうと思いましたよ。
呼ばないときに限って出てくる奴でしたねあいつは。
「酷いわ霊夢、そんなこと考えてたなんて」
「スキマから顔だけ出すなっ、ホラー映画じゃあるまいしっ!」
「あら残念」
紫は再びスキマを閉じて宴会に集中したようだ。
宴会に集中されても困ることには変わりが無い。
「なんてヤなやつなの、あいつは………」
「はは、紫様には私も手を焼かされるよ」
いつの間にか藍が私のそばに来て、縁側に座っていた。
紫に式にされていろいろと苦労が絶えなさそうな妖怪の一人だ。
「藍…アンタも苦労人’sの仲間入りね…」
「いや、私は随分と昔に慣れてしまったよ、紫様は寝てばかりだからな~…」
「いや、この際人数は多いほうがいいわ、あんたも苦労人’s、これ決定」
「え、あ、あぁ……まぁ、いいが………」
「ちなみにメンバーは妖夢、ウドンゲ、私、あんた。レッドは私ね」
「れ、れっど…?」
「アンタはイエロー、カレー好き」
「は、はぁ? カレーは確かに嫌いじゃないが…油揚げの方が…」
「妖夢はグリーン、地味」
「無視か……言いたい放題だな、何か嫌なことでもあったか?」
「………聞きたい?」
「………い、一応な…」
藍がごくりと唾を飲む音が聞こえる。
興味半分、恐ろしさ半分といった表情で私を見つめている。
「すぅぅぅぅぅ……………」
私は息を大きく吸った。
準備完了。
波動砲、エネルギー充電120%。
120%まで溜めると爆発しないか、という突っ込みはこの際なしにする。
「こ・の・え・ん・か・い・よっ!!!」
◇
「何ちびちび飲んでるんだ、らしくないぜ?」
「魔理沙か…」
小町が少し集団の輪から離れて飲んでいるところに、魔理沙が近寄る。
その顔は既に赤らめており、酔いが少し回っていることを示している。
魔理沙はどっかと小町の隣に腰掛けた。
「今日は変だぞ、お前~……仕事もせずにずっとここに居るなんてらしくないぜ~…あ、ある意味ではらしいけどな~」
からみ癖があるんだろうか、魔理沙はあたいに酔った顔を近づけて言う。
吐く息が少し、いや、かなり酒臭かった。
どれだけこいつは酒に強いんだろう、と時々思う。
いや、強いわけでもないとは思うが、絡み癖はどうもやめて欲しい。
「そうだな………」
「閻魔様と何かあったのかぁ~? 人に話せば何か楽になるかもしれないぜ~?」
「………お前に話すようなことなんかじゃ…」
「いいえ、魔理沙の言う通りよ。困った時は人に悩みを話す、それが一番の治療法よ?」
「まぁ、そうだな…人間に限らず、意思あるものはそういうことで気が楽になることもある」
「永琳…それに慧音か………」
顔を上げると、長い髪を月の光に輝かせて二人が歩み寄ってきた。
どうも、二人は酔った気配が無い。
酒に強いのか、それともあまり飲んでいないのかは定かではなかったが…
「お~? お前らお守りはいいのかぁ~?」
「妹紅と姫のこと? あの二人なら…」
「双方ダウンした、どうやら二人とも素面だったようだな…」
「ほ~…まぁ、確かに二人とも弱そうだったしな~」
酔いが回っている魔理沙がけらけらと笑う。
お前だって酔っ払ってるだろう、と思ったがまだ意識があるので言わないことにした。
どうせ言ったところで目を覚ましたら覚えていないだろうが…
「で? 何を悩んでいるの?」
「…………すまない、言えるような内容じゃないんだ…」
「そうか? まぁ、無理強いはしないが強がるのもいけないと私は思うがな…」
「強がる…? あたいが…?」
強がってなんかいない。
そう口にしようとしたが躊躇われた。
今のあたいが強がってないと、本当に言い切れるだろうか。
いつものあたいならここで色々喋っているんじゃないか。
確かにあたいは強がっているのかもしれない。
でも、正直に言うのも躊躇われた。
複雑な心の葛藤があたいを悩ませる。
そんな中、魔理沙の声がした。
「ったくよ~、お前がそんな風にいじけてると酔いも覚めちまうぜ~?」
「い、いじけてなんか…」
「意地張っちゃダメよ、身体に悪い薬だわ」
「永琳まで………」
「ほらほら、こういうときは酒でもがば飲みして全てを忘れるってもんだぜ~っ!!」
魔理沙が一升瓶片手にあたいに迫ってくる。
いや、ちょっと待て、さすがのあたいでも一升瓶はちょっと…
逃げようとした瞬間、永琳ががっしりとあたいの身体を掴んだ。う、動けない…
永琳の顔を見ると、かつて無いくらいの笑顔だった。逆に怖い。
今度は慧音に助けを求めようとした。が、動く気配が無い。達観していた。助けろよ…
そうこうしているうちに魔理沙があたいに迫る。
思わず引く、だが永琳が放さない。
魔理沙が迫る、迫る、迫る。恐怖だ。
「ひ、ひえぇぇっ、お助けぇえええええええええええ!!!??」
「オラオラ、飲んで飲んで飲みまくれ~~っ♪」
直前に見たのは魔理沙の楽しそうな表情だった。
あたいは押し倒され、有無を言わさず一升瓶を口の中に注ぎ込まれた。
断っておくが、『酒』じゃなく『一升瓶』を押し込まれた。
飲みきれなかった酒が口の端から飛び出て身体に流れる。
「はっはっは~っ♪ 全身酒まみれなのも悪くないぜ~♪」
「や、やりすぎだと思うが…」
慧音が少し青ざめていた。そう思うなら魔理沙を止めてくれと言いたかった。
と、思ったそのときだった。
大量の水があたいもろとも魔理沙に浴びせられた。
「ぶわっ!? なな、なんだなんだっ?!」
「魔理沙、あなたちょっとやりすぎよ」
「何だ、パチュリーか…全く驚いたぜ~…」
魔理沙の背後にパチュリーが立っていた。気のせいか、顔が赤い。
しかし、あれだけ大量に水を浴びたくせに魔理沙はちっとも酔いが覚めてない気がする。
「まったく、魔理沙もちったぁパチュリーを見習って欲しいもんだね~」
「おぉ? 小町も言うようになったな~」
「はっ、伊達に三途の渡し守してるわけじゃないっての~」
「クス…」
パチュリーが小さく笑った。
何故だろう、と思ったがそれ以前にあたいが普通に喋ってることが気になった。
気が付けば、体中が随分と酒臭い。
慧音も永琳も、二人して笑っている。
もしや……と思ったが、それは確信に変わった。
「魔理沙はやらせないわ~………っく…」
「……………」
パチュリーは酔っている。
喘息の癖に酒を飲むとは何事かと思ったが、ろくに思考が働かない。
となると、さっき大量に浴びせられたのは水ではない。
デリュージュフォーティーディの水かと思っていたが…水が全部酒だ。余計に性質が悪い。
が、あたいのまともな思考もそこまで考えて、終わった。
◇
「鳥が~走ると~、世界記録~♪」
「ねぇ、あれどうにかならないの?」
「私に言われても…チルノちゃんはどう思う?」
「へ? あたい? あたいは最強だけど?」
「………」
ミスティアが快く歌っているところに、大妖精とリグルとチルノが居る。
正確には、大妖精とリグルとチルノが居たところに酔ったミスティアが突撃してきた。
いきなり突撃してきてリサイタルとは、迷惑千万な奴だ。
チルノはチルノで人の話は聞かずひたすら食ったり飲んだり…
「ミスティアちゃん、お酒飲んでるんだよね…」
「じゃないとあんなに気持ちよく歌ってないと思うよ…」
「私たちはジュースなのに…」
唯一まともな思考の大妖精とリグルが会話する。
チルノも酔ってはいないがまともに人の話を聞かない、というか現に聞いていなかったので除外。
と、そこに両腕を開いた何かが突っ込んできた。
「そーなのかーーーーー………」
「人間は走っても~……地べたふぎゃっ!?」
両腕を開いた何かはリサイタル中のミスティアを巻き込んで、どこかに転がっていった。
よく姿は見えなかったが、ふらふらと飛んでいた。
しかもあの姿勢をするのは幻想郷広しといえども一人くらいしか思い浮かばない。
「…ルーミアちゃんも酔っちゃってたのかな…」
「だろうね……あの調子じゃ…」
「「はぁ………」」
実は、ここにも苦労人’sはいたのだ。
◇
「まぁな~……ちょっと昨日四季様に怒られてな~…それがいつもの怒り方じゃなかったんだって!」
小町が酒ビンを片手に喋っている。
パチュリーは魔理沙に寄り添ったまま、永琳と慧音は座って普通に話を聞いている。
当の魔理沙は眠ってしまったのだが。
「へぇ~、普通じゃない怒り方ってどんなのかしら?」
永琳が疑問を挟む。
小町が怒られるのはいつものことだ。
だが、あの小町が普通じゃない怒られ方をしたのでここに来たとしたら、非常に気になる話ではある。
慧音も同意見のように、小町に無言で話の続きを促している。
「それがねぇ~、いつも以上に嫌味ったらしかったというかぁ~…」
「嫌味?」
「そう、何だか『真面目な』死神が欲しかったとか何とか言っちゃって~、真面目だけ強調するんだぞ~?
これが嫌味じゃなかったらなんだって言うんだ~! ってな感じでぇ~…」
「そうか…あの映姫がそんなことを言うなんてな…」
「慧音、どう思う?」
「まだ結論は出せないな…永琳は?」
「あなたと同じよ」
小町が話している最中、永琳と慧音は小声で話し合っていた。
しかし、小町はそれに気付いたようもなくただ話し続ける。
「でその後がさぁ~…『今日はもう終わりよ』な~んて冷たく言われちまうとさぁ、こっちだってやる気が殺がれるわけですよ、はい」
「あなたにやる気という単語が出てくるなんて思わなかったわ」
パチュリーが地味に突っ込む。
「そこぉ、うるさいよ~!」
「まぁまぁ…それで、あなたはどうしたの?」
「よくぞ聞いてくれたっ! あたいはさぁ、もうそれきり四季様にはついていけねぇって思ってさぁ…
そんな態度とるくらいならあたいを雇うなよ~っ! って言いたくなったね、あたいは」
「で、ここに至るというわけね」
「そうそう、まったく四季様もあぁまで怒らなくていいのになぁ~、カルシウム足りてないんじゃないかって思うよ」
そこまで話すと、小町はもう一杯、酒を仰いだ。
永琳と慧音は少しばかり小声で話したあと、小町に顔を向けた。
「小町、あなたはそれでいいの?」
「はい? いきなり何を言っ」
「静かにしないか」
慧音のその言葉に、小町は四季様に突き放されたことを瞬間的に思い出した。
―『黙りなさい』
―『言い訳は聞きたくありません』
昨日の映姫の言葉が頭の中で何度もリフレインする。
慧音の攻めるような視線が癪に障った。
瞬間、小町の中の何かが切れた。
慧音の胸倉を掴んで、叫んだ。
「あんたに…あんたにあたいの何が分かるっ!! あたいは、あたいはっ!!」
「何も分からないさ、お前が何を考えているか、気持ちを理解するとか私には無理な話だ」
「そうだよ! 何も分からないような奴にっ!」
瞬間、小町の顔が弾かれたように横を向いた。
乾いたような音がして、小町は何が起こったかわからなくなった。
数瞬して、頬にジンジンとした痛みが広がってきた。
横を見ると、永琳が小町の頬を張ったのだと悟った。
「責めるならお門違いよ、小町」
「永琳………っ!!」
永琳にも、先ほどの慧音のような視線で見られた。
責めるような、突き放すような冷たい目だった。
それが、その目が、その態度がやはり小町の逆鱗に触れた。
そして、まるで癇癪を起こした子供のように、叫んだ。
自分の存在を激しく主張するように、必死で吠えた。
「何でっ!! 何でお前たちまでそんな目であたいを見るんだっ!! そんな…もうたくさんなんだ!!
もうそんな目で見られるのは嫌なんだ!! もう嫌われるのは嫌なんだっ!!」
小町は、まるで駄々っ子のように泣き叫んだ。
不恰好だと、自分でも思った。
でも、泣き叫ばずにはいられなかった。
「………ここなら、あたいにだって居場所になってくれるはずだ。
そう思ったからあたいはここに来たんだ。なのに何であたいはそんな目で見られなきゃいけないんだ!
あたいはもう……もう何処に行けばいいのか………っ!! ……わからない…わからないよ、永琳、慧音…っ!」
「……………小町…」
「あなた、馬鹿じゃないの?」
途端、パチュリーの声が響いた。
「居場所をなくしたのはあなた自身。他の誰かが奪ったのではなく、あなたが自分で居場所をなくしたのよ」
「な……に………?」
「奪われたのなら取り返す、壊れたなら作り直す。じゃあ失くしたものは? ………それは自分で取り戻すしかないのよ」
「パチュリー…」
次にパチュリーの言葉を、永琳が引き継いだ。
そう、先ほどとは違う、冷たい目ではなくて暖かさを感じる目で。
「パチュリーの言う通りね…人間であれ妖怪であれ、生きとし生ける者に意思がある限り思想の相違は生まれるものよ。
それは生きる上での大きな壁となって立ちはだかるわ。でももしそこで挫けたら? そこで立ち止まったら?
そう、それ以上先へは進めない。壁は崩れることもなく、永遠にあなたの前に立ちはだかるだけよ。
誰かが手助けしてくれるでもなく、誰かが壁を崩してくれるわけでもない、解決するのは自分自身なんだから」
「永……琳………」
「………私の人里でも、子供たちはよく喧嘩をする。どちらかが悪いのでもなく、良いのでもなく…な。
しかし、ひとしきり喧嘩をしても翌日となればまた同じ楽しい生活が始まる。子供は純粋だからな。
…だが、不思議なもので年齢を重ねるほど相手には謝りにくくなるものだ。
大人となると自分が悪いと分かっていても謝りたいのに謝れない、そんな日が何日も続き………最悪、破綻する」
「っ…」
破綻という言葉に小町は少し体を震わせる。
小町は恐れているのだ。映姫との破局を。
慧音は続ける。
「だが、今のお前はそうじゃない…まだたった1日じゃないか。お前はまだ大丈夫だ。
今のお前に足りないのは、謝る勇気。まぁ、口で言うと容易いが、実際難しいものだろう?」
「………ああ…」
そうだ、そのことはあの夜に何度も思ったじゃないか。
謝りに行くこと。
あの時は、謝りに行って、辛い言葉をかけられたときのことを想定して怖がっていた。
あたいは臆病風に吹かれて、この場所へと来ているんだ。
これでは、本当にただの弱虫だ。
そうだ、ここで立ち止まったりなんかしてはいけないんだ。
辛い言葉をかけられても、何度も謝りに行く。
許してくれなくても、許してくれるまで何度も謝るんだ。
だって…だってあたいは、四季様と一緒に仕事がしたいから…!
「私たちはあなたの勇気を後押しすることは出来ないわ…これはあなた自身の問題だから」
「心からぶつかっていきなさい、映姫もあなたの誠意が伝わればきっと許してくれるわ」
「だからお前の気持ちを精一杯、ぶつけて来い。辛くなったら、また相談に乗ろう」
「パチュリー、永琳、慧音………」
「あ~~、それと、だ」
ふと、しばらく聞いていなかった声が上がった。
黒の帽子を目深に被って、先ほどまで寝ていたはずの魔理沙だ。
べろんべろんに酔っていたはずだが……
「………魔理沙、起きてたの?」
「いや、まぁちょっとばっかし前からだがな…」
寄り添っていたパチュリーが意外そうな声を上げる。
あれだけ近くに居たパチュリーに起きたことを気付かせないとは、魔理沙の無駄なスキルである。
「お前、さっき嫌いになるか何とか言ってたけど…ここのみんなは、誰一人としてお前を嫌っちゃいないぜ」
「魔理沙……」
「サボタージュの泰斗、お前が本当に嫌いなら私たちはお前と会話なんかして無いぜ」
魔理沙は、手をピストルの形にして、小町に向けた。
「…知ってるか? 愛情の正反対の言葉は憎しみでもない、無関心だってな」
指はそのままに指鉄砲でバン、と撃つかのように腕を軽く上げた。
酔った頭で、しかしまともなことを言う、とパチュリーは思った。
「無関心、か……………………ふふっ…」
サボタージュの泰斗。
いきなりこう言われたことに少し可笑しくもあった。
思えば、いきなりコイツが名付けたのだ。
でも、不思議と悪い感じはしない。
魔理沙という人物がそうさせているのだろうか。
どっちにしろ、霧雨魔理沙という人物に出会えて本当に良かったと、心から思う。
「どうにか解決したみたいだな」
「そうね……それと小町、さっきの痛かったかしら…」
永琳が少しだけ心配そうにあたいを見ていた。
さっきの、というと頬を張ったことだろう。
その永琳の優しさがあたいには暖かかった。
「あぁ、確かに効いたよ……でも、今は感謝してる」
「そう………それならいいんだけど…」
「ははっ、本当に大丈夫だからいいって。それよりも…永琳、慧音、パチュリー、そして魔理沙………ありがとな」
「へ、へへっ…やっぱお前、今日はらしくないぜ…」
魔理沙が照れ隠しに、帽子を目深に被りなおした。
永琳と慧音はその様子に微笑をたたえている。
パチュリーは少しだけむすっとした表情だったが。
「いや、らしくなくても…もう一度言わせてくれ………ありがtぐはぁっ!?」
「そーなのかーーーーー………」
「きゅぅ~………」
突如、小町の後頭部に謎の二人組が追突した。
小町を除くその場に居た全員が、目を丸くする。
衝突したのはただの酔っ払いと化したルーミアと目を回しているミスティアである。
無論、二人には悪気は全く無いのだが…感動的な台詞を言いそびれた小町にとっては目の敵である。
「お、お前らぁ~…………二人まとめて彼岸に送ってやるっ!!」
「そ、そーなのかーーーっ!?」
「ちょ、ま、待てよ小町っ!!」
「止めるな魔理沙っ! 食らえお前らっ、死神『ヒガンルトゥール』っ!!」
と、小町が放とうとした時だった。
なにやら神社の方から土煙を上げつつこちらに何かが向かってくる…
「だぁぁぁあぁぁぁっ!! お金寄越しなさぁぁぁぁぁぁいっ!!」
「うわっ、霊夢が血相変えてお賽銭箱持って突撃してきたぜっ!?!?」
「お金の匂いにだけは敏感だな…」
と、慧音。
「目がイってる………」
と、これはパチュリー。
「あっ、弾幕だぁ~~っ!! 遊ぼうよ~~っ!!」
と、そこに小町の弾幕に引き寄せられてきたのか、フランドールが飛んできた。
すると、その向こうに小さくレミリアの姿が見える。
さらにレミリアと並んで、咲夜も猛追してきていた。
「フランっ、ちょっと待ちなさいっ! 危ないわよ!?」
「お嬢様、危険ですっ! ここは咲夜めにお任せをっ!!」
「あらあら、紅魔組も来たようね~」
何かと楽しそうな永琳。
すると、騒ぎを聞きつけたのか知らないがプリズムリバー三姉妹まで登場してきた。
しかし、弾幕をするのでもなくひたすらにアップテンポの曲を演奏し続ける。
BGMとしては悪くは無いのだが如何せん少々うるさい。
「姉さんっ、もっと激しく楽しく豪壮華麗、絢爛豪華にっ!!」
「あ~、私の得意分野ね~♪」
「………リリカが私をいじめる……」
「……………あいつら呼んでないぜ…?」
魔理沙が呆れたように呟く。
しかし、来てしまったものは仕方が無い。
別に宴会の乱入を拒むつもりも無い、というか宴会を拒む理由も無い。
偶然見つからなかっただけである。
「まぁ、いいじゃない…?」
「やれやれだぜ…パチュリー、悪いが私はもう一眠りするぜ…」
魔理沙は飲み疲れかは知らないが、パチュリーの方にもたれかかって目を閉じた。
「ちょ、ま、魔理沙……こんなところで………ってもう寝てるわね…」
「すぅ……すぅ………」
パチュリーの言葉むなしく、魔理沙は音速で眠りに入っていた。
パチュリーは別に嫌がるわけでもなく、少し頬を赤らめていた。
「うわぁぁっ!? 賽銭箱で前が見えないっ!?」
「お金ぇぇえぇぇぇぇぇええ!!」
「そーなのかーーーーっ!?!」
「禁弾『スターボウブレイク』~~っ♪」
「フランっ、やりすぎよっ!?」
「お嬢様、ここは私が抑えますっ!!」
もはや、宴会どころの騒ぎではなかった。
博麗神社の宴会は、壮絶な弾幕戦となってしまった。
「それで小町、もう一度言いたかった言葉は何なのかしら~?」
「に、二度と言うものかっ!!」
永琳の言葉に顔を真っ赤にして返した小町だった。
「あ、ほらよ~む~、綺麗な弾幕ね~…あれはフランちゃんのスターボウブレイクかしら~♪」
「うぅ………気持ち悪…」
「もう、妖夢ったらだらしないわね~……それじゃ景気付けに妖夢にもう一瓶~♪」
「幽々子様っ、私を殺す気ですかっ!!」
「あら、半分死んでるじゃない?」
「半分生きてますよっ!!」
「………いっぺん、死○でみる?」
「…著作権に関わりそうなことはやめてください幽々子様」
「あら、一度言ってみたかっただけなのに………ひどいわ妖夢……」
「あ~、はいはい………どうでもいいですけど私を少し休ませてくださいね……」
「あ~~っ、酷いわよ~む~~っ!! 私を捨てるのね~っ、散々弄んでおいて私を捨てるのね~っ!?」
「誤解を招くような発言は控えてくださいっ!! ……うえっ…叫んだら気持ちが悪く…」
「あぁ、妖夢っ!? そんな………助けてくださいっ、助けてくださぁぁぁぁぁぁいっ!!」
「だから著作権に関わりそうなことはやめてくださいって!!」
◇
もうじき日付が変わる。
だというのに小町は帰ってこない。
それは当然だろう、置手紙まで書いてまた戻ってくるなんて変人のすることだ。
だけど…私は小町に戻ってきて欲しい。
だって、彼女は私が選んだ、私だけの死神だから。
他の死神を雇うなど考えられなかった。
私は、もう何度目かわからないため息をつく。
「はぁ…今頃何処に居るのでしょうか…」
今日、私も仕事をサボったことになるのだろう。
三途の川で亡霊たちと会話し、仕事はやっていないのだから。
だが、その会話の中で私は、私の知らない小町の一面を知ったような気がした。
三途の川渡し。
不安、恨み、妬み、焦燥感、そして恐怖…
さまざまな感情を持って死んだ霊たちが脅えつつも渡らなければいけない川。
その川を渡るために必要なのは、生きた価値の財産を全額支払うこと。
それを手放すことはまともな神経では即断即決など出来はしない。
そこに現れるのが小町だ。
彼女はいつものような陽気な会話で亡霊の負の念を取り除く。あくまで無神経だろうけど。
小町の会話を聞くだけで、自然と勇気が沸いて出てくるのだという。
全財産を手放すのを渋っていた気持ちが、手放してもいいような感覚になるという。
その会話のネタが、随分と私絡みなのは非常に気になったが。
だけど、そのお陰で私は裁判ができるのだ。
死神と閻魔、二人の息が合ってこそ裁判の流れはスムーズに行くのだ。
「………はぁ…」
ため息をつき、ふと窓の外を見る。
窓の外には綺麗な月が浮かんでいる。
小町もどこかでこの月を見ているのだろうか、という気分に浸る。
もう既に勤務の時間は終わっている。
だが、私はこうしていつもの椅子に腰掛け、小町が帰ってくるのを待っている。
やはり、探しに行ったほうがいいのだろうか。
だが、今は夜だ。夜に探しに出たとしても、見つからないようなことは分かっている。
ましてや小町はサボり癖があるとはいえ多くの面で優秀だ。
隠れることに専念すれば、私の捜索など無意味なのだろう。
(また明日、探しに行きましょう…)
私は、そう決めた。
でも、何故かいつもの椅子から離れることは出来なかった。
それは、私が小町が帰ってくることを期待していたからなのだろうか。
帰ってくるはずが無いとは分かっていても、頭のどこかでは帰ってくるかもしれないという気持ちもあるのだろう。
私は、自分の気持ちに嘘がつけないことが情けなかった。
白黒はっきりつける程度の能力を持つ私が、頭の中で白黒はっきりつけられていないじゃないか。
軽く自嘲気味に笑うと私は机の上の閻魔帳に手を伸ばした。
結局、私はこの場所で待つことにした。だが、身体を動かしていないとおかしくなりそうだった。
閻魔帳を開き、過去に裁いた履歴を見返し始めた。
◇
「ん………うぅ………」
「あら、お目覚め? 意外に早かったわね」
小町はゆっくりと目を開ける。
まだ頭がぐらぐらする。
まぶたが非常に重い。身体も心なしか重く感じられる。
たったこれだけの作業がここまで辛いものだとは思わなかった。
ようやく開いた目線の先には、紅白の人影…霊夢が後片付けをしていた。
「あれ…あたいは………」
「起きたなら片付け手伝ってくれる? 妖夢もウドンゲもべろんべろんで使い物にならないのよね…」
あたいも似たような状態だ、と言おうとしたがやめた。
目を凝らすと妖夢と鈴仙が顔色を悪くしてグロッキーになっていた。
確かに、あたいのほうが動けるかもしれない、と思った。
周囲を見渡すと数人、いまだに飲んでいる人影もあった。
幽々子と紫、それに萃香と文、そして永琳だ。
少人数だけの2次会…3、4次会かもしれないが、盛り上がっていたのはそこだけだ。
気が付くと、紅魔館組の姿が見えなかった。
「霊夢…レミリアたちは?」
「あぁ、ついさっき帰ったわよ…何でも、フランが眠たくなったらしくてね」
「なるほどな…っとと………」
身体を起こし、立ってみる。
やや世界はまだ回っているが、そんなに酷くはない。
そこまで酔いは酷くないようだ。やれる。
「すまんな、あらかた片付けさせてしまって」
片づけをやろうとしたが、大部分は大雑把にだが片付けられていた。
それを見てあたいは随分と長い間眠っていたんだろうと思った。
「別にいいわよ、こういうの慣れてるしね……それにしてもホントに今日はらしくないわね」
「霊夢までそう言うのか……」
「そうよ、あんたの口からすまないなんて言葉が出るとは思わなかったわ…」
「そ、そりゃぁ…」
確かにそうだ、普段のあたいなら礼の言葉どころか、片付けもきっとしていかないだろう。
なるほど、言われてみて気付くものだって確かにある。
「初対面でいきなり『思い直せ』なんて言われた奴にねぇ…」
「いやぁ、三途に来る人間は自殺したがりだからついな…」
「半分嘘ね、自分の仕事の量を増やしたくなかったんでしょう?」
「……やっぱりバレるか…」
「これでも一応巫女なのよ」
「それとこれと何の関係がある…」
「さ、早く一部以外片付けてしまいましょう?」
「話を聞けーっ!」
ふふっ、と二人で笑い合う。
こんな日常のやり取りが、楽しい。
昔から博麗の家系はこんな感じなのだったのだろうか。
人からも妖怪からも、そして死神からも好かれる…
そう、小町は霊夢のことは嫌いではない、むしろ好きな方だ。
博麗大結界を張った先代の博麗だって、きっとこんな人物であったのだろう。
誰よりも幻想郷を好み、誰よりも幻想郷の幸福を望み、そして誰よりも――――――
―幻想郷を愛していた―
目の前の巫女は確かにその血筋を持っているのだろう。
血は争えない、と向こうの世界の言葉にもある。
この不思議な人徳があればこそ、幻想郷は平和でいられるのだ。
そして、今の幻想郷があるのだ。
「………何ボーっとしてるのよ、手がお留守よ?」
「おっと、これは失敗だったな」
どうやら考え事に耽っていたらしい。
一つのことに集中すると行動が止まってしまう、あたいの謎の癖だ。
三途の幽霊たちとも、話し込んでつい手が動かなかったものだ。
自分で可笑しくなってくる。
「……あ~、あと私にそっちの気は無いからじっと見つめても無駄よ」
「誰がだ、誰がっ!」
即座に突っ込みを入れ、再び転がっている酒瓶を拾い集める。
と、目を向けると酒樽まで転がっていた。一体誰が持ち出したんだこんなもの…
「それより、何だかご機嫌じゃないか?」
「まぁね、あんたのお陰でお賽銭箱が久々に膨れたからね~」
「久々じゃなくて初めての間違いじゃないか?」
「…………」
「…………」
「久々よ?」
「今の間は何なんだーっ!?」
そういえば意識を失う前に弾幕合戦をしたような気がする。よく覚えていないが。
でも、別に覚えているとか、覚えていないとかはいいと思う。
楽しければそれで楽しいものだ。
だから、あたいもこの幻想郷に住むみんなが大好きだ。
そして、この幻想郷も大好きだ。
なら、今この時を精一杯楽しもう。
過去を振り返るのもいい、だけど後悔はしない。
後悔は、ただ歩みを止めるだけのものだから。
大事なのは過去を振り返り、その経験を今にどう活かしていくべきかだと思う。
「…………ありがとう、霊夢」
「な、何よ、いきなり改まって気持ち悪いわね………でもま、私からも礼を言うわ、片づけしてくれてありがと」
「あぁ…お互い様、な」
「…で、あんたはこれからどうするの?」
「決まっている。これから四季様にこってりと絞られてくるさ」
「そう………あんた、昨日ここに来た時よりもいい目になったわね」
「よしてくれ、お前もらしくないぞ」
「私はいつでも清廉潔白、品行方正な素敵な巫女よ?」
「がめついくせによく言う…」
「何よ?」
「何だ?」
至近距離で睨み合う。
が、霊夢が先に目線をそらした。
その後、やれやれと小声で呟くと、小町のほうに向き直った。
「さぁ、ほら行った行った、早く行かないと1秒ごとに小言が増えていくわよ」
「そ、それは勘弁だな……それじゃ世話になった、魔理沙にも礼を言っておいてくれ」
「やーよ、それはあんたがまた今度来たときに直接言いなさい?」
「ま、それもそうだな…」
あたいは捩じれた鎌を肩越しに担いだ。
もう月はほとんど傾いている。
四季様は眠っているだろう。
なら、明日からは真面目に仕事をしよう、それがあたいに出来る唯一のことだから。
あたいは、霊夢に見送られて博麗神社を後にした。
月明かりの下で、永琳が誰にも気付かれずに、小町に微笑みかけていた。
◇
手にしていた4冊目の閻魔帳を机の上に放り投げた。
これまで裁いてきた霊の数は多く、目を通すだけでも目が痛くなりそうだった。
ある魔女は言っていた。
目が悪くなったのではなく、目が近距離のものを見ることに特化しただけ。
それ以外は不要なものとして目が捨ててしまったということ。
このままでは自分も近眼になりかねないと思った。
しかし、日付が変わってもう4時間も経つ。
小町がここには戻ってこないと知りつつも何故か淡い期待を抱いている。
だからこそ、私は待っているのだ。
だけど、慣れないことをした所為かもう目蓋が重い。
10秒間くらいあれば眠ってしまいそうなほど重い。
明日からは、今日のようにサボりはしない。
もう寝ないと明日の勤務に支障を与えてしまう。明日、と言っても今日だが。
映姫は机のスタンドの明かりを消し、椅子から降りた。
ギィ、と椅子が鳴った。
「あの時も、この椅子はこんな音を出していましたね………」
愛用の椅子に手を触れ、優しく撫でる。
そしてそのまま、しばらく物思いに耽った。
私は帽子を脱ぎ、首を振った。
同時に一方だけ伸ばしている緑の髪が首の動きにつられて空中を踊る。
もう、寝よう。
私らしくはないが、仕事のことは起きてから考えよう。
私はゆっくりと自室へと繋がるドアに手を掛けた。
金属製のノブが何故だか妙に冷たく感じられた。
ドアノブを捻ったその時だった。
突如、背後の扉がドン、と音を立てて勢い良く開かれた。
「四季様っ!!?」
そして、そのドアの向こうに立っていた者は…
赤い髪を二つに束ね、純和風の着物を着て、いつものように曲がった鎌を持っていた。
そう、それは私が良く知っている死神………
―名を
―小野塚小町と言った
◇
「四季様っ!!?」
あたいは扉を勢い良く開けた。
こんな時間までこの部屋の電気が点いていたことが不思議だったからだ。
最初は、ただの電気の消し忘れだと思った。
が、四季様がそんなことをするはずが無いと、自分の意見を即座に否定した。
となると、今までこの部屋にずっと居たということになる。
理由は分からなかった。
でも、今すぐ四季様に会いたいと思った。ただそれだけだった。
「…小………町………?」
四季様が呆然とした表情で私の方を見る。
「四季様、こんな時間まで一体何を…!? いや、それよりも無理をしないでください、大事な身体なんですから!」
「あなた…本当に小町……?」
「はいっ、四季様お付きの死神の、小野塚小町ですっ!」
「……………」
もう四季様は新しい死神を雇っていたのかもしれない。
でも、あたいは『四季様お付きの死神の』と言った。
あたいは、四季様にずっとついていきたかった、だからそう言ったのかもしれない。
もしくは、自分勝手な思い込みだが、まだあたいを死神として使ってくれるのかもしれない、という思いもあった。
どっちにしろ、あたいはまだ四季様と一緒にいたかった。
少々傲慢かも、自惚れが強すぎるのかもしれない。
もしかすると、もう厄介者なのかもしれない。
だけどあたいは自分の気持ちには正直に生きていきたいのだ。
「そう………小町……本当に小町なのね……」
「は、はいっ、そうですけど……それがどうかしま―――」
「バカですかあなたはっ!! 私がどれだけ心ぱ………苦労したと思っているのですかっ!?」
「ひぃっ!?」
言葉を遮られて怒鳴られた。
そりゃ、当然なのかもしれない。
書置きを残した以上、ここには居ないことになっているのにノコノコと戻ってきたのだ。
今更ながら恥ずかしくなる。
これではまるで道化だと思った。
「全く、今日は終日仕事もせずにサボって何処に行ってたのですか!? 無給休暇にも限度がありますっ!」
「ひっ、ごご、ごめんなさ~いっ!?」
「謝っても許してあげませんっ! 今日という今日はじっくりと説教させてもらいますからね!」
「あ、でもでも四季様、もう今日は遅いのでお休みを取られた方が…」
「休みなどたくさん取りました! それもこれもあなたが霊を送らないからっ!」
「それは嘘です、四季様っ! ほら、目の下にくっきりと隈が…」
「――――――っ!?!?」
四季様が慌てて自分の目の下に触れる。
触れたからといって隈が分かるわけでもないのだが。
「休みを取られて無いんでしょう? あたいは逃げませんからもう今日は休んでください」
「小町………」
映姫は思った。
あれ、私は真っ先に謝るはずでしたよね…
何ででしょう…小町の顔を見た途端にお説教を食らわせてやりたくなって…
でも嬉しくて…小町が戻ってきたことが嬉しくて…
自分の喜びが上手く表現できない。それは疲れから来ているのかもしれないが。
だから、やや八つ当たり気味に小町と接している。
もちろん、先日とは違う八つ当たりだが。
でも、私たちの関係とは前からこうではなかったのではないかと思う節もある。
それに、小町も心配してくれている。
今は、言葉に甘えておこう。
「………分かりました……今は休みを取ります」
「良かった……それと、すみません四季様…勝手に出て行ったりして…」
「………全くもう…」
「こ、これからは仕事もきっちりやりますから~っ」
「………はぁ…もういいです、あなたも今日は休みなさい」
「四季様………」
違う、仕事云々の話じゃない。
謝らなければならないのは私だ。
でも小町ばかり謝っている…まるで私に謝らせる隙を作らせないようだった。
「…小町、過去の罪を今償おうとするのは良い姿勢です……ですがっ!!」
「は、はひっ!?」
「あなたのしたことはそう簡単に許されるものでもありませんっ、分かってますね、小町っ!!」
「は、はいっ、わかっておりますわかっておりますっ!!」
「よろしい。では一週間後………一週間後に私はあなたを裁きます」
「……………はい…」
あれ、とまた思った。
自分でも、何を言っているのか分からなかった。
でも、私はこう表現するしか方法を知らないのだ。
だから不器用でも、こう言うのだ。
「なるほど、覚悟は決めていた、というわけですか……いいでしょう」
「四季様…?」
「その代わり、サボった分今日からみっちり働いてもらいますからね」
「は………はいっ、力の限り働きます!」
「当然です………まぁ、その力を発揮するために今日はお互い休みましょう」
無言で私は自室へのドアに再び手を伸ばした。
「そうですね……………四季様、お休みなさい」
「……………えぇ、あなたもね、小町」
そう言うと、映姫はそのドアを閉めた。
カチャリと静かな音がしてこの部屋に静寂が訪れた。
「……………ふぅ」
小町は映姫が消えたドアをしばらく見つめていたが、瞬間、疲れがどっと押し寄せてきた。
あれだけ眠ったのにまだ寝足りないのかと思えたが、本能には勝てなかった。
身体が、脳が休めと命令している。
小町は部屋の電気を消すと、自室へと繋がるドアに消えていった。
………
………
………
自室は、出て行ったときと全く同じ状態だった。
まるで小町の帰還を歓迎しているかのようだった…
◇
翌朝。
少しだけ眠い目を擦りつつ起き上がる。
顔を洗い、歯を磨いて自室を出る。
少しまだ眠いが、しかし今日は嬉しかった。
小町が帰ってきた。
ただ、それだけで私は嬉しかったのだ。
まだ小町は寝ているだろうと思い、部屋まで迎えに行く。
久しぶりに寝起きの小町が見られるなと、私はややウキウキした気持ちでドアをノックする。
こんこんと、扉が単調な音を奏でた。
「小町? そろそろ起きなければ仕事の時間ですよ」
もっとも、前まではこの後に『仕事をするかどうか分かりませんが』と、軽い皮肉を入れるのだが。
流石に昨日の今日では拙いと思い、それは控えることにする。
私は小町が部屋から出てくるのを待った。
しかし、幾分経っても小町の返事が無い。
瞬間、私の脳裏に嫌なことが思い浮かんだ。
嫌な予感……嫌な予感こそ良く当たるものだ。
私は、居ても経っても居られなくなりドアを勢い良く開けた。
「小町っ!?」
勢い良く開け放したドアは、部屋の無音と相まって恐怖さえ感じる響きを起こした。
案の定、小町は居なかった。
しかし、乱雑なベッドを見て、そして荷物がいつものように並べられているのを見て、私はほっとした。
小町は逃げてはいない。
それは、ちゃんと寝る前に約束してくれたことなのだ。
小町を信じ切れなかった自分が少し腹立たしかった。
だが、だとすると小町は何処に行ったのだろうか。
そこいん、ある一つの可能性が示唆される。
「まさか、こんな早くから仕事…? ま、まさか…ね………」
自分で言って少し信じられないことだとは思った。
あの小町が私より早起きして早速仕事に行くとは考えられなかった。
しかし、何処にも居ないというならそれしかあるまい…
…
(ま、まさか…………まさかね……)
自分を納得させるように思い直し、私はいつもの職場へと向かった。
扉の向こうに広がる景色を知らないまま、私は職場へのドアを開けた。
その光景に、私はどこか鳥肌すら立ちそうなくらいだった。
それ以上に、開いた口が塞がらなかった。
「………………」
まず、目に入ってきたのは机の前に行列を為す霊たちであった。
自分の裁判をまだかまだかと言わんばかりに並んでいた。
と、そこに外へと続く扉を開いて小町が入ってきた。
新たな霊をつれて。
「あ、四季様。おはようございます」
「……………」
だめだ、開いた口が塞がらない。
かつてこういう光景があっただろうか、いや、無い。
私は疑問を解決するために、何とか言葉を出した。
「こ、小町…? これは一体…」
「えっと、今のところ徳の高い霊ばかりだから運ぶ時間が少なかったんですけどね」
「は、はぁ……」
違う、そんなことを聞いているのではない。
いや、ますますあり得ない。
あの小町が。
私より早く起きて、真面目に働いている。
これは、異常だ。
巫女を呼んで解決してもらいましょう、とも思った。
「それじゃ、あたいはまだ仕事が残ってますんで…それでは~っ」
そう言うと、小町は再び姿を消した。
私は、まだ目の前の光景が信じられなかった。
明日は雹が台風を伴って吹き荒れるのではないか、と懸念してみたくもなった。
もしくは、魔理沙がたくさん降ってきても可笑しくないのではないだろうか。
しかし、小町が仕事をしているのに私がしないわけにはいかない。
私は我に返り、いつものように裁判の準備を始めた。
霊たちもいつものように塞ぎこんでいる様子はない。
仕事は真面目にするが、霊へのケアもしっかりやっているんだろう。
何度も言うように本人は無意識だろうが。
やれば出来る子なのだ、小町は。
ならば、私も小町に負けないように仕事をこなしますか、と心に思った。
「それでは、これより一名ずつ裁判を執り行います。名を呼ばれたものは前へ」
堂々とした声で私は言った。
だが、心のどこかでいまだ信じられないという思いは残っていた。
◇
「お客さんも、死ぬ前は結構いい生活していたんだね。それに徳も高いと来た」
あたいはいつものように、舟を漕ぎながら霊と会話する。
いや、『いつものように』ではなく『珍しく』の方が合っているかもしれない。
霊と会話するのは同じだが、舟を漕ぐのは真面目なのだ。
いつもは舟を漕ぐのを疎かにしているので運ぶ霊の数が少ないのだが。
いや、自分が昼寝をしたりしているのも原因の一つでもあるのだが。
でも今日からはあたいは真面目に働こうと決めていたのだ。
四季様が頑張るなら、あたいも頑張る。ただそれだけのことだ。
「ほら、お客さんもこんなに早くに彼岸に着いちゃったよ、お疲れ様だね」
《いやいや、小町様もお疲れ様です…随分と楽しい道中でした》
「いやぁ、そんなこと言われるとつい嬉しくなっちゃうね~。仕事にも力が入るってものだよ」
《いえ、本当にありがとうございました…助かります》
「あぁ、四季様の裁判は少し厳しいかもしれないけど…お客さんなら大丈夫さ、頑張ってな~」
あたいは霊に手を振ってお別れをすると、向こうも深くお辞儀(なのだろう)をした。
そしてまた舟を漕ぎ出し、次の霊を迎えに行く。
額の汗を軽く袖で拭い、手に持つ櫂に力を込める。
三途の川を掻き分けて進む。
水面が陽光を反射して眩しい光が差し込む。
水を掻き分けた時に飛び散る水滴も反射して、どこか幻想的な光景を生み出す。
その中を、あたいは満喫しながらも舟を戻していく。
三途の川幅は霊によって異なる。
霊の生前の生活や生き方に左右されるからだ。
まして、今はあたい一人しか乗っていないから此岸に到着するのはすぐだった。
此岸にはまだまだたくさんの霊が居る。
随分と今まで霊を運んできたが、これはまだ序の口だ。
まぁ、自業自得だが。
「ほいっ、次のお客さんは誰だい?」
あたいは開口一番、元気良く今日何度目かの台詞を口にした。
後には大量の霊が控えている。
今日からはしばらく忙しいことになるぞ、と思う。
だけど、こんなに身体を動かすのも嫌いではなかった。
むしろ自分は此方の方が好きではないのか、と疑いたくなる。
と、霊の一つが舟に乗り込んだ。
「お客さん、それじゃ手持ちのお金を全部渡してくれないか」
《ぜ、全部ですか…?》
「ん~、嫌なら渡してあげないんだが………」
《う…それは…》
「あっはっは、まぁ冗談じゃないんだけどお客さんはまだまだ塞ぎこんでるようだね?」
《……………》
「うん、それじゃ出発してから決めてくれ。それまであたいと話をしようじゃないか」
そう言うと、あたいは舟を動かし始めた。
本当は払えないなら川に突き落とすところだが…小町はこうしていた。
渋っているなら説得させればいい、そのためには友好を深めるのだ。
結果、それが霊の気持ちを和らげてくれているのだが本人は知る由も無い。
小町の話に釣れられて『あぁ、結構いいところなんだな』と霊も納得するのだ。
そして、全額を支払う。
もっとも、少し前までは此岸でその話ばかりしていたのだが。
前半の客は説得する必要がなかったから、雑談を楽しみながらスムーズに進んだ。
というか、我先にと乗ってきた霊も居るくらいなのだ。
この霊は恐らく此岸に来て間もないのだろう、見たときから脅えていた。
というのも霊同士で会話もするだろうから、孤立あるいは来て間も無い霊でなければ説得の必要は無い。
手間がかからないのもいいが、こういう霊は小町にとって、話し甲斐のある絶好のお客さんだった。
「それじゃ、まず初めにあたいの上司の閻魔様のお話でもしようかね」
もちろん、舟を漕ぐ手は休めることなく小町は楽しく話を始めた。
◇
それは六日目だった。
小町が真面目に働き始めて早六日、映姫もそのシュールな光景を目にしても戸惑わなくなった。
まるで昔からこうでしたと言わんばかりに日常が過ぎていった。
裁く霊の数は今までと比べ物にならないほど多く、小町も映姫も勤務終了と同時にヘトヘトであった。
小町なんかは二日目、三日目に筋肉痛にうなされ、苦笑いを浮かべていた。
徳の低い霊など、生前良い行いをしなかった霊は三途を渡りきるのに時間がかかる。
それでも小町はほぼ休みなく舟を漕ぎ続けていたのだ。
今までろくに働いてこなかったことも踏まえると、筋肉痛になるのは当然だろう。
死神が筋肉痛になるのは如何せん疑問だが。
今日も小町は働き続け、本日最後の霊を舟に乗せ、幾ばくか進んだところだった。
「ふむふむ、お客さんヤクザのヘッドだったんだって? 凄いなぁ…」
《いや、そんなスゲェもんでもねぇっすよ? 首都高をバイクで走りまわしたりとか…》
「ほう、暴走族も兼ねてたんだな~…いいねぇ、あたいの友達を思い出すよ」
《へぇ、友達?》
「あぁそうさ、ヤクザじゃないんだが何かと暴走するのが大好きでな…あぁ、宴会も大好きなんだ、そいつ」
《ほぉ、そいつぁ会ってみたかったぜ……》
ちなみに、分かるだろうが白黒こと魔理沙のことである。
酒と暴走と、弾幕はパワーだと言い張る度胸と、その実力の高さ。
確かに何かとこの霊と気が合うかもしれない。
いや、それはそれで困ることもありそうだが。
《でもまぁ、こんな行動してたんなら俺は地獄行きだろうなぁ…》
「いや、そうとも限らんよ? というか、お客さんみたいなすっきりさっぱりした性格の奴ほど根はいいって言うしな~」
《はっはっは、、よしてくれよ~》
「いやいや、案外あり得るかもしれないぞ? 四季様のお説教は長くなるかもしれないけどな」
《うぇっへぇ~……長いお説教なんて勘弁だぜ…》
「はは、でも地獄に落とされたくないなら我慢我慢………っと、お客さん、彼岸が見えてきたよ」
いつものように楽しく会話しながらも舟を進め、彼岸が見えてきた。
ここまで来ればもうすぐだ、もう今日は疲れた。
小町は最後の力を振り絞って櫂に力を込めた。
と、そのときである。
小町の鼻の頭にポツ、と水滴が降ってきた。
「む…おや?」
《どうしました、こまっさん?》
「いや、雨が降ってきたみたいだから少し急ぐよ、お客さん」
《おうさ、了解だぜっ!》
やはり元々の職業(?)柄なのか知らないが、ノリがいい。
こういうお客さんが小町は大好きだった。
小町はやる気をもっと絞り出してどんどんと舟を彼岸に寄せていく。
その間、最初は弱かった雨がどんどんと本降りになってくる。
霊は性質上濡れないが小町は雨をまともに受ける。
舟にも水がたまっていくなど、雨は三途の川の天敵だ。
最近めっきり降っていないと思いきや…突然降ってくることもある。
それでも、基本的に晴れの日のほうが多いのだが。
(でも助かったな…これが最後のお客さんで)
髪や服を雨に濡らしながら、櫂を前から後ろへ、舟を前へと進める。
雨は、どんどんと酷くなる。
小町は力の限り漕いだ。
《こまっさん、舟に水が溜まってきやしたぜ!》
「大丈夫、もう岸に着くから…あぁ、お客さんは先に裁判所の方に行っててくれないか?」
《あれ、こまっさんは?》
「あたいは舟を一度雨の影響が無い場所に移動させておくから…それじゃ、裁判頑張って来いよ~?」
《おうさ、こまっさんもお疲れ様だぜ~!》
元ヤクザヘッドのその霊は、最後までハイテンションで映姫の待つ裁判室へと入っていった。
小町は大きく手を振りながら見送った。
「まったく、威勢があっていいねぇ」
あたいは舟をいつものように三途に流されない程度まで引き上げるために、舟の縁を掴む。
しかし、思った以上に重い。
いや、多少船底に雨が溜まっている所為か。
舟をひっくり返して中の水を全て吐き出す。
もう一度引っ張ってみると、何とか動いた。
あたいは半ば引きずるようにして舟を岸から上げた。
岸から3mほど離れた場所で舟を止め、そのまま雨が降り込まないようにひっくり返す。
「ふぅ……なかなか重かったな…」
しかし、この程度までやれば安全だろう。
三途の川は雨による要因では増水しない。
三途は川幅の変化はするものの、物理的な要因では変化しないのだ。
ここまでやると全身が雨に打たれてずぶ濡れになっている。
しかし、疲れた身体にはこのくらいの雨が気持ちよかった。
その場に仰向けになって大の字に寝転がる。
風呂にでも入りたい気持ちもあったが、自然のシャワーを浴びるのも悪くない気がした。
「いよいよ明日か………」
四季様が指定したあたいの裁判の日まで残り一日。
もう何を言われようが覚悟は出来ていた。
たとえ解雇されようが、それはそれで受け入れようと思った。
それだけの量を、あたいは仕事していなかったからだ。
ならせめて、その時のために後輩にサボった分の仕事をさせるわけにはいかない。
自分の不始末は自分で処理する、それがあたいの信念であり、プライドであり、けじめでもあった。
ゆっくりと目を閉じる。
顔に当たる雨粒が程よく気持ちいい。
少しくらいなら、眠ってもいいかもしれない。
「ふぅ………」
身体が疲れている、身体が休憩を欲している。
ため息をつくと、一気に身体の奥底から眠気が湧き上がった。
ほんの10分。
そのくらいなら、眠ってもいいだろう。
どうせずぶ濡れだ、これ以上悪くなることは無いはずだ。
仕事も終わったし、少しだけなら自然をその身に浴びて寝るのもいいだろう。
あたいは自分自身を納得させると、意識を深い身体の奥底へと沈めていった。
◇
私は最後の霊を裁いた後に、ふと窓の外を見た。
「雨、ですか……」
いつの間に降ってきたのだろうか。
最後の霊のお説教は確かに長かったとは思う。
だけど、別段悪いことをしていたわけではない。
それは確かに多数の人に迷惑はかけていたが素直でさっぱりしていた。
説教は長くなったが地獄に落とすほどのものでもない。
深く反省もしていたし、根は良かった人なのかもしれない。
仲間内で悪く振舞っている人物は実は義理に厚く、優しい人物であることが多い。
ただ、それを表現したくないから悪く振舞っているだけなのだ。
中には性根から悪い人物も居るが、今まで裁いた中ではそんな人物は少なかった。
(今日も疲れましたね………)
椅子から降りて、くたくたになった両腕をだらんと下ろす。
小町が真面目になってから嘘みたいに忙しくなった。
まぁ、これが本来の姿なのだが。
今までがかえって暇すぎたのかもしれない。
映姫は苦笑しつつもう一度窓を見る。
雨に打たれた窓ガラスが窓の向こうの視界をあやふやなものにしている。
明日までに止まないと舟渡しが大変ですね…と思ったときだった。
重要なことを忘れている。
―――小町―――
今朝、小町は傘など持って行かなかったはずだ。
当然、雨をまともに浴びることになる。
なのに小町は、まだ帰って来ない。
つまり、小町はまだ外に居る…
「あぁもう、私ってなんて間が抜けてるんでしょうっ!!」
何故今まで気付かなかったのかと思い、ドアを思い切り開ける。
雨は結構本降りであり、傘無しではとてもじゃないが進めない。
私は傘置き場に立てかけてあった番傘を引っつかんで外に出た。
飛び立つと同時に傘を開く。
やや傘を前に傾けて、ひたすら進んでいく。
(全く、あの子は一体何を…!)
私は疲れた身体に鞭打ち、体力の限り速度を上げた。
向かう先は三途の川だ。
無意識にそう頭が判断していた。
もしかしたら別の場所に居るかもしれない、という考えは浮かんでこなかった。
それが何故かは分からない。
ただ、小町が三途に居ると感じたからなのだろうか。
一体何が私をそこに向かわせているのかは知らないが、とりあえずその感性にしたがってみることにした。
◇
夢を見ていた。
昔の夢だ。
それは随分と昔の夢だった。
それは何年前かも分からないが、あたいが居た。
あたいの他には同期が9人、横一列になっている。
そうだ。
これは十王の裁判長に死神を選んでもらう時のことだ。
(これまた随分と懐かしいな…)
あたいは何か透明人間になったようで、目の前の自分自身や同期たちの前に立っていても、反応が無い。
夢を夢と自覚できる夢だった。
あたいは思い出に耽りながら昔を思い出す。
だけど、随分昔のことだ、何を話していたのかすら覚えていないし、最初の四季様も覚えていない。
半ば、初めて見る映像のようにあたいは時間の経過を待った。
しばらくすると扉が開き、十人の裁判長が入ってきた。
そして最後に、裁判長を総括しているかのような爺さんが現れた。
「あ~、それではこれより十王が裁判長の右腕となる死神の選定を執り行う」
いかにもといった感じの、古風で形式ばった話し方だった。
今改めて見ると、こういう人も居たなぁ、くらいの記憶が戻ってきた。
しかし、それ以外のことは全く記憶から抜け落ちてしまっている。
思えば、あたいが四季様の死神となって随分と年月が経つ。
記憶とは脆く、儚いものなのだということを再認識した。
しかし、60年は経っていない。
なぜなら、60年前に起こったという花の異変にあたいは関わっていなかったからだ。
なら、これは何時頃の記憶なのだろう。
死神に年齢という概念はほとんど無い。
まぁ、妖怪にだって同じことは言えるだろうが。
(しかし…なんでまたこんな夢を見るんだ…?)
記憶を掘り起こそうと、先ほど思い出した爺さんをじろじろと見てみる。
あ、鼻毛出てる。
(………)
違う。
あたいは何を見ているんだ、意味不明じゃないか。
爺さんから何か得るものが無いかと続けてじっくりと見る。
しかし…
思い出せるのは顔と風貌くらいで、何も思い出せなかった。
その間の会話のやり取りは、全く聞いていない。
気付けば、あたいの同期の5人ほどが既に十王の裁判長に任命された後だった。
(あ、何時の間にこんなに…)
しかし、時既に遅し。
思い出せない同期の死神の名前もそのままに、次の裁判長の名前を爺さんが読み上げる。
「次…幻想郷が裁判長、四季映姫」
「はい」
(おっと、これはグッドタイミング)
意識を元に戻した後に、丁度四季様の出番だった。
(………え?)
しかし、あたいは姿を見たときに目を丸くした。
だって、その時の四季様は………
―――髪が、長い。
それは腰まで届きそうなほどの緑の髪。
大きく違っていたのはそこだった。
その他の点では今の四季様と同じだ。
相変わらず小柄な体格。
強い意志を宿した目。
だがやはり、何といってもその長い髪があたいには新鮮だった。
そして、過去の記憶が蘇る。
昔の四季様の姿が、今目の前にいる四季様とダブる。
………
………
同じだった。
そうだ。四季様は、初めは髪が長かったのだ。
そうあたいが思い出しているその間に、四季様は死神を見定めていた。
端の方から目が順番に移っていき………昔のあたいの目の前で止まった。
そして…
「決めました、私はこの子にします」
あたいが選ばれた。
選ばれた昔のあたいは少しだけ驚きの表情を浮かべた。
「は、はいっ! ええ、えっと…四季様の目に留まって光栄ですっ!!」
そんな昔のあたいを見て、少し笑いがこぼれた。
明らかに緊張している。
見ていて初々しく、少し恥ずかしくもあり、懐かしくもあった。
そんな昔のあたいを見て四季様が少し微笑んだ。
「ふふ…そんなに緊張しないで、リラックスリラックス」
「はは、はいっ!」
「あまり改善されて無い気もしますが…まぁいいでしょう。あなた、名前はなんと言うのですか?」
「ああ、あたいは……こっ、小町です、小野塚小町ですっ! 何卒よろしくお願いしますっ!!」
「ふふっ、よろしくお願いしますね。頼りにしていますよ、小町?」
(………)
瞬間、なんとも言えないような感覚が胸を打った。
何かは分からないが、今の四季様の声が心に響いたのだ。
一言で表現するのなら、感動、とでも言うのだろうか。
―『頼りにしていますよ、小町?』
そうだ。
思い出した。
あたいは…四季様に頼りにされていたんだ。
初見で何故あたいが選ばれたのかは分からない。
だけど、あたいは四季様の力になりたいと思っていたことは確かなのだ。
過去を顧みて今を猛省する。
何であたいはこんな大事な記憶を忘れてしまっていたのだろう…
これは、忘れてはいけない大切な記憶なのだ。
(はぁ………これは神様があたいにくれたチャンスなのかもしれないな………っと)
その夢はそこで終わった。
だが、次の夢が後に続いた。
そこは、見覚えのある景色だった。
そう、今でもある無縁塚だ。
「四季さまー、四季さまー」
昔のあたいがこれまた見覚えのあるドアに手を掛ける。
これは四季様の部屋のドアだった。
ガチャリと音がして扉が開かれる。
「四季さまー、そろそろ勤務の時間で………」
そこで、昔のあたいの言葉が止まった。
まるで部屋の中に何か恐ろしいものでも見たかのように口を開けて呆然としていた。
あたいも身を乗り出して部屋の中の様子を探った。
そして、あたいも昔の自分と同じように絶句した。
なまじ先ほどの夢を見ていたから言葉を失ったのであって。
「あら小町、わざわざありがとう」
部屋の向こうにいた四季様は、『今』の四季様と同じだった。
そう。
その長くて綺麗だった緑の髪をばっさりと切って。
「し、四季様っ!? 髪が…」
「ええ、すっきりしたでしょう? でも左手で切ったから左右非対称になってしまったのよ…」
「い、いえ、あたいはその髪形も似合ってるって思いますっ!」
「あら、そうですか?」
「は、はい………じゃなくて! 何で突然………」
そこまで言うと、四季様がふと立ち上がり昔のあたいに近づいてきた。
そしてあたいの後ろ髪の辺りを触り…
「ほら…お揃いですよ、小町」
と言った。
目の前で四季様が微笑んでいる。
途端、昔のあたいも、夢を見ている今のあたいも恥ずかしくなった。
見ると、昔のあたいは顔面から火が出そうなくらい顔が赤くなっていた。
それを見て、微笑ましく思う。
そして、今の四季様を思う。
四季様は今日までも、ずっと髪は短く切ったままだ。
それは何故か。
それは、もしかすると四季様があたいを………
『……まちっ!! こ…………!! こま……っ!!』
(ん………何だ…?)
『………小町っ、小町ったら!! 起きなさい!!』
誰かがあたいを呼んでいる。
………
あぁ、そうだ。
そういえばあたいは夢の中の住人になっていたんだっけ。
確か仕事の時に雨が降ってきて………
舟をいつものように引き上げて…そのまま寝たんだっけか。
その瞬間、聞こえていなかったはずの雨音が聴こえるようになった。
夢とはこういうものなのだろう、と思う。
あたいはもう少し夢を見ていたいと思いつつも、起きることにした。
ただ、一つ違和感があった。
雨音は確かに聴こえる。雨は今でも降り続いているのだろう。
でも、雨音はしているのに
―雨が、止んでいた気がした
◇
私が三途に到着すると同時に、小町の姿はすぐに見つかった。
それは、私の予想を大きく超えていた。
まさか、川岸で大の字になって寝ているとは思わなかった。
だけど、まだ安心は出来ない。
昼寝ではなく、どこか体調が悪くなったのかもしれない。
そして疲労のあまり倒れたのだとしたら………
いや、ネガティブなことを考えるのはよそう。
私は頭を振ってその考えを否定した。
ゆっくりと番傘を持って小町の近くに降り立つ。
「小町っ! こら小町、起きなさいっ!!」
軽く小町の身体を揺さぶってみる。
だけど、小町はうぅ、と唸っただけでまるで起きる様子を見せない。
まさか本当に体調が優れないのかも…
だとしたら事態は一刻を争う。
「小町っ!!? ねぇ小町ったら!! 起きなさい!!」
先ほどよりも強く身体を揺さぶってみた。
すると、小町はかすかに身じろぎをして、
「う、うぅ………ん………」
と唸り、薄目を開けた。
ちょっとだけ安堵の息が漏れる。
だけど、まだ小町の様態は分からない。
でも小町は眠そうな目を擦り、呆けた表情で私を見て、こう言った。
「あ……四季様……おはようございます………」
「おはよう、じゃないですっ! 小町、あなたは何をしているのですかっ!?」
「あぁ、それは……えっと………」
あまりに平和な返事に、ついいつもの癖で説教をしてしまう。
小町はというと気まずそうに身を起こし、頬をポリポリと掻いている。
仕草はいつも通りだ。返事に困っているのもいつも通りだった。
「小町、どこか体調でも悪くしたの?」
今度は怒鳴らないように出来るだけ優しく言った。
その対応の変化に、小町はさらに困惑した表情を浮かべた。
ちょっと複雑な気分…
しばしの沈黙の後に、小町が口を開いた。
「いや、別に体調が悪いとかではなくてですね………ちょっと昼寝をしてみようかと…」
「お馬鹿っ!!」
「きゃん!! か、堪忍してください~!」
思わず手にしていた笏で小町の頭をぺしぺしと叩く。
あ。
まただ、私はここのところ『思わず』の行動が多い気がした。
瞬間的に反省し、すぐに叩くのをやめる。
と、小町が不思議そうな顔で私を見た。
そんなに珍しい行動だったのかしら………
それより、とりあえず体調は大丈夫らしい。
「まったく、服も身体もこんなに濡らしてしまって…」
「い、いやぁ、はは………」
「笑い事じゃありませんっ! 風邪でも引いたらどうするつもりっ!?」
「う…す、すみません…」
「謝れば良いというものでもないですっ!」
私は小町の額に触れ、その前髪をかき上げた。
傘を首と肩の間に挟み、もう片方の手で自分の前髪を上げる。
当然、傘が非常に不安定になるが気にしない。
そのまま私は小町の額と自分の額をくっつけた。
「わっ、わわわ………しし、四季様っ!?」
「しっ、暴れないで」
「無理ですーーっ!!」
騒ぎ立てる小町を尻目に、自分の額と小町の額の温度を比べる。
なるほど確かに、雨で少し冷たく感じるのかもしれないが恐らく大丈夫だろう。
私はそれを確認すると額を離した。
「熱は出てないようですが……何であんなところで、しかもよりによって雨の日に昼寝するんですかっ!?」
「あ、いや、それはその………」
「…それは?」
「……………思いつき…なんちて」
「お馬鹿っ!!」
「す、すみませ~んっ!!」
つい癖で再び笏を握る手に力を込める。
が、今回は思いとどまり、怒鳴るだけに収まった。
どうやら本当に何も無いらしい。
全く、心配させてくれて………
と、小町の無事を確認した瞬間、何故か胸が熱くなった。
本当に理由は分からない。
安心に近い感情だったが、安心よりも深い感情だ。
何と言うのか分からないが、とりあえず悪い気はしなかった。
「あ、あの…四季様?」
気が付くと、小町が心配そうに私を見ていた。
説教がなかったことに対して驚いているのだろうか。
それとも突然何も喋らなくなったのが不思議に思ったのだろうか。
まったく、心配したのは私の方だというのに…
私が心配されたら本末転倒ではないか。
「何でもありません…さ、もう帰りますよ」
「は、はいっ!」
と言って、小町は先に飛び立とうとしていた。
「お待ちなさい、小町っ!」
「はは、はいっ!?」
「あなたはこんな雨の中また濡れて帰るつもりですかっ!!」
「え、ええっ!? でで、でもあたいはもう濡れちゃってるから別に…」
「別にいいわけありませんっ!」
「で、でも四季様、傘は一つしか無いですし…」
「あ………」
しまった、ありがちなミスをしてしまった。
小町のことを考えるあまり、二人分の傘を持ってくるのを忘れてしまっていた。
どうしようもなく、目が小町と私の傘の間を泳ぐ。
「でしょう? だから四季様は雨に濡れないように傘を使ってください」
「………いえ」
「へ?」
小町が素っ頓狂な声を出す。
私の頭には、もう一つの答えしか残っていなかった。
その考えを、言葉にする。
「一緒に入って帰りましょう、小町」
「ええっ!? で、でもそんなことしたら二人とも濡れてしまいますよ~!」
「小町だけを犠牲にすることなど出来ませんっ! いいですか、嫌と言っても傘に入れますからね!」
「う……」
小町は言葉に詰まった。
移動速度に関しては私の方が早いのは分かっている。
それに、小町は私の大事な仲間だ。
出来るなら、もうなるべく雨の中に晒してあげたくない。
私のわがままとも言える。
だけど、その気持ちは真実だった。
すると、小町は半ば諦めたような表情でため息をついた。
「はぁ……分かりましたよ………」
「よろしい」
私は、満足に頷くとゆっくりとした速度で飛び始めた。
傘から身体の一部がはみ出る形となったが構わなかった。
雨が降りしきる中、私たちは一つの傘に身を寄り添ってゆっくりと飛行した。
お互い、ほとんど何も喋らなかった。
二人とも疲れていたこともあるし、小町の方も何か考え込んでいるようだったからだ。
何を考えているのか知りたくもなったが、そういう詮索はするものでもないとも思った。
程なくして、二人は無縁塚へと到着し、傘を閉じた。
「ふぅ……今日もお疲れ様、小町」
「四季様……少しだけ雨に打たれたんじゃ…」
「私のほうは小さな被害です。それよりも小町、あなたは早く湯浴みをして暖まりなさい!」
「は、はいっ!」
「それと………明日のこと、覚えていますね?」
「……………はい…」
少しだけ言葉をなくしたが、小町は小さく返事をした。
そう、明日は私が小町の裁判をする日だ。
小町の表情から、元気が少しだけ消えた。
「なら、明日は仕事をやらなくてもいいのでそのまま裁判室に来なさい、いいですね?」
「え…仕事はやらなくてもいいんですかっ?」
「えぇ、だから早いところ暖を取ってゆっくりと休みなさい。明日は疲れますから」
「………はい」
そう言うと、小町はゆっくりと扉に手を掛けた。
濡れた肌が、服が、見ていていたたまれなくなった。
表情も、何処となく沈んでいる。
明日のことを考えているのだろう。
でも、明日の判決はもう決まっていた。
不公平だと言われるかもしれないし、公私混同していると罵られるかもしれない。
裁判長としてやってはいけないことかもしれない。
だけど、それだけは私の手では覆すことは出来なかった。
「………四季様、お休みなさい」
そんな小町の言葉に元気は無い。
だけど、小町は無理に笑顔を作って私にこう言ってくれた。
その表情が、見ていて痛い、辛い。
私はそのまま小町を呼び止めたい衝動に駆られた。
だけど、それは全て明日の仕事なのだ。
だから私も、
「えぇ…お休みなさい、小町」
と、いつも通りの返事を返すのだ。
これでいい。
小町がドアを閉めたのを確認すると、私も電気を消して部屋へと続くドアに手を伸ばした。
部屋に入ると、いつもの私の部屋が温かく私を迎えてくれた。
帽子を脱ぎ、笏と帽子を机の上に置いて私も風呂に入った。
今日一日の疲れを取るように、久しぶりに長く入った。
足を揉みほぐし、全身をマッサージするように軽く湯船の中で運動をする。
十分にストレッチを終えると、風呂から上がり、寝巻を着る。
そのまま私はベッドに倒れこんだ。
シーツが、布団が私を優しく包む。
身体の各部が休憩を求めていた。
私は物惜しそうにベッドから離れると、部屋の電気を消してもう一度ベッドに倒れこんだ。
軽く目を閉じると、睡魔がすぐに襲ってきた。
布団に潜り、枕に頭を乗せる。
映姫が規則正しい寝息を立てるまでに5分とかからなかった。
―――その夜、映姫は夢を見た
―――それは奇しくも
―――小町が三途で見た夢と同じだった
◇
今朝は、いつもより早くに目が覚めた。
我ながら緊張しているのだろう。
まだ目覚まし時計すらも鳴っていなかった。
この一週間、早くにセットしていた目覚まし時計。
あたいはその時間よりも早くに起きていた。
これではまるで子供じゃないか、と思う。
でも、二度寝する気にもなれずにあたいは暇を持て余す。
でもじっとしていると何か得体の知れない焦燥感や不安があたいを押しつぶそうとする。
だから、気分を一新しようとしてまずはシャワーを浴びることにした。
シャワーを浴びてる間も、考えることは今日のことだけだった。
そして、昨日の四季様の言葉。
―『明日は仕事をやらなくてもいいのでそのまま裁判室に来なさい、いいですね?』
どういうことか、仕事はやらなくてもいいらしい。
あの時は意外で何も考えられなかったが、今改めて考え直すと辛い。
仕事をしなくてもいい。
それはつまり、あたいにはもう用が無いということなのだろうか。
それはつまり、もう別の死神が仕事に入るということなのだろうか。
なら、あたいはこれからどうすればいいのだろう。
死神としてあたいは何をすればいいんだろう。
分からない。
もう、この際裁判は受けずにおこうか。
そんな考えが一瞬浮かんだが、すぐにその案を消す。
(逃げちゃダメなんだ……あたいは逃げない、逃げずに大人しく裁判を受けるんだ!)
体を流れる水があたいの悪い考えを流してくれているように感じた。
あたいは両頬をぱちんと叩く。
少し強く叩きすぎたのか、ちょっと痛かった。
でもお陰で色々と吹っ切れた。
うん、大丈夫だ。
あたいはシャワーを止めていつもの服に着替え、部屋を後にした。
裁判室に向かう間、胸は高鳴りっぱなしだったが逃げることは考えなかった。
そして、部屋のドアに手を掛ける。
一瞬、開ける手を躊躇った。
でも覚悟は決めたはずだ、後悔は無い。
あとは野となれ山となれ、ケセラセラ、レットイットビー。
あたいは深呼吸を一つするとドアをゆっくりと開いた。
「あ………」
扉の向こうでは、四季様がちょこんと椅子に座っていた。
随分と予想外だ。
あたいもかなり早く起きたはずなのに…
「小町? 随分と早かったのね」
「し、四季様こそお早いですね……」
「ええ……ちょっと、ね…」
四季様はそこでちょっと表情を濁した。
だけど、すぐにいつもの表情へと戻り、真っ直ぐに私を見た。
でも、今度はすぐに顔を伏せた。
流石に挙動不審だった。
「……あの、四季様?」
「っ!? な、何でもありませんっ!」
「…?」
「それより、お互い早く来たのですから早めに始めましょう?」
「あ~…それもそうですね……」
それだけ言うと、あたいは四季様の机の前に立った。
四季様は裁判の準備を始めていたらしく、てきぱきと机の上に書類を広げていく。
あの書類にあたいの罪状が書かれているのだろうか…
つい気になってしまうところだが、心を強く持って見ないことにした。
見てしまうと四季様のお説教の時間がさらに延びるかもしれなかったし。
そして、あらかた準備が終わったかと思うと、四季様は咳払いを一つした。
オホン、という声に少しだけドキッとする。
いつのまにか緊張し始めた。
裁判を受ける気分はこんなものなのだろう、と思った。
「それでは、ただ今より小野塚小町の裁判を執り行う」
「………」
裁判を行うときの四季様は凜としている。
まるで別人が目の前に居るかのような錯覚にとらわれる。
胸が再び高鳴り、鼓動が早くなる。
「では、最初に小野塚小町の罪状を読み上げます…」
「………はい…」
「……第一に職務怠慢、第二に職務怠慢、第三に職務怠慢、第四に職務怠慢、第五に……………はぁ、以下同文」
「あ、あはは………」
我ながら酷い言われようだった。
確かに事実ではあったが。
「はぁ…呆れた、前にも後にも職務怠慢ばかりね……」
「も、申し訳ありません…」
「まぁ、小町ですから大して驚きはしませんが……」
それも少し酷いとは思う。
でも、それだけ四季様があたいのことを理解しているということだった。
少し全身がむず痒くなるような恥ずかしさがこみ上げた。
「まったく、もう少し早く真面目になってもらいたかったですね…」
「す、すみません…」
「まぁ、あなたのやってきたことは罪であるとはいえ……この一週間の働きぶりは見事でした」
「あ………」
そう言う四季様の表情は少し穏やかで。
その四季様の表情を見るだけで少し心がほっとした。
でも、一筋縄でいかないのが四季様だった。
「はぁ…どれだけ幽霊を溜めていればあんな仕事量になるのか…」
「も、申し訳ありません~っ!」
「久しぶりに休み無しの勤務をやった感じです」
「で、ですから申し訳ありません~っ!」
「ふぅ……小言はこのくらいにしておきますか…でも珍しいですね、今日は言い訳が出ないとは…」
「いえ、それは………」
「それは?」
四季様に聞き返されて、一瞬言葉に詰まった。
答えはあたいの中でもう出ている。
というより、もう喉まで出掛かっているのだ。
だけど、いざ口にするとなると無性に気恥ずかしくなってくる。
四季様の前でこんな台詞を言うのか…
言えないこともないけど、やっぱり恥ずかしい。
口を開けたまま、あたいは静止していた。
言え、言うんだ。
今言わないと、もう言う機会が無いのかもしれないんだ。
だから、今言うんだ、小町っ!
自分で自分を励まし、口が動く。
ゆっくりと、でも確実にあたいは口を動かし、言葉を紡ぐ。
喉に引っかかっていた言葉をゆっくりと吐き出す。
「今日………今日、あたいは言い訳をして逃げる自分にはならないと決めたんです」
「………」
「本当のところ、裁判にも逃げたいと思った瞬間もありました。でも逃げたところで何も解決しないんです」
言ってて恥ずかしい。
でも一度言葉を出せば止まらない、止まれない。
「逃げることは誰にだって出来る、でも逃げた先には何も待っていない、何もないって分かったんです」
あたいは、自分に言える精一杯の言葉を四季様に言う。
「そして、あたいに足りないものを色んな人たちが教えてくれました」
心の奥底に沈めていたありったけの気持ちをぶつける。
そう、あたいに足りなかったのはちっぽけな、でも力強く在る勇気。
永琳、慧音、パチュリー、魔理沙、霊夢。
あいつらのお陰であたいはそれを手に入れたんだ。
ありがとう。
「だから四季様、この場を借りて一つだけ言わせてください」
そしてあたいは深々と頭を下げた。
今までに無いくらいの誠意と反省を込めて。
「これまで、ちょくちょく仕事をサボって申し訳ありませんでした」
「小町………」
「これだけ言いたかったんです。これで……これで胸の靄が消えました」
「……………」
「時間をとって申し訳ありませんでした………でも、今なら如何なる判決でも心から受け入れられます」
今の言葉は心から言ったものだ。嘘は混じってない。
事実、言いたいことを言えてすっきりとした。
四季様はというと、やや俯いていた。
帽子と前髪で表情がよく分からない。
でも、あたいはもう吹っ切れた。
どんな判決が待っていようと、すんなりと受け入れよう。
クビと言われれば当てもなく放浪するか。
「四季様、判決をどうぞ」
「………分かりました…言いたいことは以上ですね…」
「はい」
あたいは、迷いの無い返事をした。
今なら、胸を張って何処にだって行けそうな気がした。
身体が軽かった。
「では……以上のことを考慮して、小野塚小町が現在積める善行を発表します」
「………」
あたいは目をゆっくりと閉じた。
暗闇の向こうで審判が降りるのを待つ。
「それは………」
いよいよだ。
さぁ、来い。
なんだって受け入れてやる。
どんなことでもあたいは動じないぞ。
もう悔いは残ってない。
四季様に気持ちをぶつけられただけでも十分だった。
闇の向こうで、四季様の声が響くのを待つ。
そのとき、微かにだがギィ、という椅子の音がした。
なんだろう、と思った瞬間だった。
あたいの手に、暖かいものが包まれた。
「今から、私と一緒に幻想郷に行くこと」
「へ?」
驚いてあたいは目を開ける。
すると、目の前には四季様が微笑んで立っていた。
あたいの手を、両手で包み込むようにして握っている。
「そしてもう一つ…」
四季様が目を瞑った。
しかしそれも一瞬のことで、すぐに目を開けた。
先ほどと変わらないような微笑みを湛えて、
「これからも、私と一緒に働くこと。以上が小町に積める善行です」
「………」
あたいは呆然とした。
そのあまり、開いた口が全く塞がらなかった。
同時に、胸にジーンと来るものがこみ上げた。
丁度、昨日の夢を見たときのような『感動』だった。
四季様と一緒に居られる。
四季様と一緒に働けるんだ。
それだけで、もう胸が一杯になった。
涙が出そうなのを必死で堪えた。
堪えて、堪えて、意地になって堪えた。
「………小町、私が今言ったことを忘れましたか?」
「………い、いえっ…」
「ならよし。さぁ、一緒に幻想郷に行きましょうか」
「で、でも四季様、仕事は………」
「今日はお休みです。何のために私が昨日『仕事をしなくてもいい』と言ったと思うんですか?」
「あ………四季、様ぁ…………」
だめだ、また泣きそうになる。
あたいは首をぶんぶんと振って、自分の気持ちを整理する。
四季様と一緒に居られる、今はそれだけで十分だった。
どうやら、あたいの盛大な取り越し苦労だったようだ。
「小町、早く行きましょう?」
「は、はいっ!」
四季様がまるで子供のようにあたいを急かす。
あたいも釣られるように裁判室のドアを開け放ち大空に飛び立つ。
四季様が隣を並んで飛ぶ。
その視線に気付いた四季様が僅かに微笑みかけてきた。
一瞬戸惑ったが、あたいもすぐに微笑み返し、幻想郷へと向けて進んでいった。
このとき、一瞬だけ映姫が暗い表情をしたのに、小町は気が付かなかった。
◇
小町とともに幻想郷まで飛んでいく。
昨日一緒に飛んだばかりなのに何故か新鮮な気持ちがする。
まぁ、昨日と違って雨も降っていないし小町の顔もよく見えるから違うのかもしれないが。
仕事をせずに幻想郷まで来るのは久しぶりだ。
やっぱり、こういう息抜きも必要なのかもしれない。
そう思いつつ飛んでいると、小さな神社が見えた。
幻想郷に似つかわしくない、どこか外の世界に似た空気を持つ神社だ。
縁側では紅白と白黒の人影が暇を持て余していた。
「小町、寄っていきませんか?」
「へ? 神社にですか? まぁ、神社に居れば暇じゃなくなるからいいですけど…」
「そう、なら決まりね」
「う~ん、あたいとしては紅魔館とか永遠亭とか巡っても面白そうなんですけどね~…」
小町が何か呟いていた気もするが、風にかき消されてよく聞こえなかった。
私は気にせず神社へと向かって降下する。
少し遅れて小町もついてきているようだ。
私と小町に気付いた霊夢と魔理沙が多少驚いた顔をしてこちらを見る。
「こりゃまた珍しいわね…」
「お、ついに閻魔様もサボタージュか?」
「しませんよ、そんなこと……今日はお休みを取っただけです」
「へぇ……珍しいこともあるものね…」
霊夢がお茶をすすりながらさして気にしていないように言う。
と思いきや魔理沙が颯爽と箒に飛び乗っていた。
「だとしたら今夜は決まりだな、霊夢」
「ぶっ!?」
霊夢が飲んでいたお茶を盛大に噴き出した。
相当慌てているのが目に見て取れる。
霊夢は魔理沙を引きとめようとして手を伸ばす。
だが、魔理沙は既に空高く飛び乗っていた。
霊夢の伸びた手が空しく残る。
心なしか、腕が少しだけプルプルと震えていた。
「幻想郷始まって以来の大宴会だぜっ!!」
「ちょ、待っ…………魔理沙のバカぁぁぁぁあ~~~っ!!!!」
「褒め言葉だぜ~!!」
霊夢の叫びも空しく、魔理沙の姿はドップラー効果を伴って返事したきり見えなくなった。
さすが幻想郷で1、2を争う速度を持つと言われるだけのことはある。
素直に感動してしまった。
霊夢が半ば諦めたように、はぁ、とため息をついた。
「霊夢、お前も大変そうだなぁ…」
「あんた、実は死神じゃなくて疫病神なんじゃないの?」
「いや、それはちょっと否定しよう」
「確か一週間前もあんたが来て大宴会に…」
「一週間前といえば…………小町っ?!」
「きゃんっ! すみませんすみません~!!」
何度も何度も苦笑いしつつぺこぺこと頭を下げる小町。
その様子が可笑しくて、つい笑みがこぼれてしまう。
そんな私たちを見ていた霊夢が私を見て、小町を続けて見た。
そして自分で何か納得したように頷くと、立てかけてあった竹箒を手に取った。
「掃除をするのかい? どうせ今夜にまた散らかるだろうに」
「だからってお客に散らかった境内を見せるわけにもいかないでしょ?」
「ふむ、それもそうですね………小町、私たちも手伝いましょう?」
その言葉に一瞬小町は嫌な顔をしたが、すぐに慌てた表情へと変わった。
ころころとよく表情が変わるものですね、と思った。
小町は大雑把に見えて実は器用なんじゃないだろうか、とも思えた。
「いやいや、四季様の手を煩わせるわけには……あたいだけで十分ですよ~」
「あ、そう? じゃあお願いするわ」
霊夢があっさりと手にしていた竹箒を小町に渡した。
「何でだーっ!?」
「だってあんただけで十分なんでしょ?」
「違ーーーうっ!!」
「あら小町、嘘はいけませんよ? 嘘をつくことは大きな罪なのですから」
「四季様まで………あんまりだーっ!!」
小町が半泣き状態で掃除を始めた。
口では色々言いつつも掃除をするところが、小町の優しさなんだと思う。
私は霊夢と顔を見合わせてクスリと笑うと、予備の竹箒を出して一緒に掃除を始めた。
途端に小町が私の竹箒を取ろうとしたが、制した。
大体、竹箒二刀流で掃除など出来ないだろうし。
小町は少し申し訳なさそうにしていたが、渋々納得して私たちは掃除を始めた。
境内は意外に広く、さすが宴会の集会所になるとも思った。
落ち葉をかき集め、散った花びらもかき集め、三人でいろんな場所のゴミも集めた。
今宵、再び散らかるのだろうけれど、こうまで綺麗に掃除をすると気持ちがよかった。
途中、霊夢と小町がチャンバラを始めていたりしたので、即座にお説教をした。
落葉を集めていると、紅葉があったので拾ったりした。
紅葉のほかにも銀杏の葉も落ちていて、しばらく感じていなかった秋を感じさせてくれた。
ここの神社は不思議だ。
春には桜が、夏には紫陽花が、秋には紅葉や銀杏、そして冬には山茶花がそれぞれ違う場所で季節を『魅』せてくれる。
気が付けば日は暮れ始め、夕焼けが地平線の向こうに消えていき、夜の帳が下りようとしていた。
私も久しぶりに身体をたくさん動かして、へとへとになっていた。
「ふぅ…さすがに……」
「疲れたわね……」
「四季様もお疲れ様です………」
三人、境内に足を投げ出して上を見ていた。
夕焼け色から黒く染まり始めた空に、一番星が輝いている。
季節の変わり目を表現するかのように、ほんの僅かに夏の名残のある風が涼しい秋の空気を運んでくる。
少しだけ汗ばんだ身体に、それは気持ちがいい。
目を閉じて初秋を感じ入る。
そのまま10分もしないうちにタン、と音がして近くに誰かが降り立った。
「おいおい、三人とも疲れすぎだぜ……夜はこれからだってのにな」
「あ、魔理沙……今日も今日で遅かったわね」
「ま、綺麗に掃除してあるところを見ると頑張ったようだな…だけど、私も負けないくらい頑張ったぜ」
「正直あまり頑張らないで欲しかったわね…」
よいしょ、とゆっくり霊夢が身体を起こす。
次に小町が同じように身体を起こし、私も小町に続いた。
「ま、そんな野暮なこと言うなよ………ということでっ」
魔理沙はそのまま神社の入り口の方へ身体を向けた。
「お前ら~~っ!! 今夜は盛大に、飲みまくるぜ~~~~っ!!!!!」
大声で叫んで、拳を高々と掲げた。
その魔理沙の声に呼応するかのように、次の瞬間聞いたこともないような音が響いた。
《おぉ~~~~~っ!!!!!!》
「……………」
「……………」
「……………」
絶句するしかなかった。
神社の階段の方から、それはもうたくさんの人間や妖怪たちが一斉に顔を出した。
博麗神社に収まるかどうか、それすらも危ぶまれるような人数だ。
準備がいいことに、それぞれ食料と酒は持参してきている。
魔理沙が呆然としている私たちを振り返り、不敵にニッと笑った。
思わず私は微笑み、小町は見て分かるように喜び、そして霊夢は頭を抱えていた。
そうして、季節の境界に幻想郷で最大級の大宴会が幕を開けた。
◇
「ふぅ……」
綺麗な満月を見ながらレミリアは大きなため息をつく。
手にはワイングラス、中身は血のように赤いワインが入っている。
ワインを月に透かしてみる。
それはあたかも、昔に自身が引き起こした赤い月を彷彿とさせた。
じっくりとその即席の紅い月を眺める。
今日みたいな満月の日に宴会があるのも、何かの運命なのだろう。
丁度一週間前は上弦の月だったか。
あの時はさほど気にも留めなかったが、流石に満月となると美しさが違う。
「お嬢様、いかがなされましたか?」
ふと、背後から声がかかった。
ボーっと物思いに耽っていると、私を案じて声をかけてくれたらしい。
別に気に病むこともなく、月に見とれていただけなのだが。
こういう細かいことでも咲夜は気にする、神経質な人間だ。
それは丁度いいときに来たり、別に何も用が無いときにも来たり。
付き合いも長いんだからそろそろ私の表情から心情も読み取って欲しいものだわ、と思った。
が、神でもない限りそれは恐らく無理な相談だろう。
レミリアは咲夜に何でもないわ、と言おうとして、ふとある考えが浮かんだ。
今は丁度いいときに咲夜が来たものだと思う。
「咲夜、フランとパチェ、それに小悪魔と門番を呼んできて頂戴」
「分かりました、少々時間をいただければ」
「ありがとう、特に急いではないんだけど…お願いするわね」
「いえ、それでは行ってまいります」
そう言うと、ふっと咲夜の姿が消えた。
急いではないと言ったけど咲夜のことだ、きっとすぐさまみんなを連れてくるに違いない。
その間、レミリアはグラスのワインを飲み干し、ブランデーを注ぎ足した。
それはまた血のように赤いブランデーだった。
軽くワイングラスを円を描くように揺らし、その波の動きをじっと見る。
こうしているとまるでソムリエみたいだ。
別に憧れているわけではないがワイングラスを持つとついこうしたくなる癖がある。
そう思うと、自分はまだまだ子供ね、と思えてくる。
月を見つつ、レミリアは苦笑した。
程なくして、再び声がかかった。
「お姉様~? 一体どうしたの?」
「レミィ、悪いけど私は今日は絶好調って訳じゃないからね」
「それでもこの宴会には来るパチュリー様には脱帽ですけどね」
「レミリア様から直々にお呼び出しなんて珍しいですよね、しかも門番の私まで…」
「お嬢様、連れて来ましたが…」
「あら、早かったわね…ありがとう、咲夜」
「いいえ、これも勤めですので」
咲夜がスカートの裾をちょんとつまんで慇懃にお辞儀をする。
その様子を見て、そして咲夜が集めてくれた全員を見る。
みんながみんな不思議そうな目でレミリアを見る。
そんな視線を浴びながらレミリアは口を開いた。
「みんな、集まってもらって悪いわね……まぁ、用っていうのは簡単なことなんだけど…」
「何よ、レミィらしくもない……それで、何?」
「えぇ、それじゃ………みんなで乾杯しましょうか」
《え?》
その場に居た一同が目を丸くする。
それもそのはず、宴会が始まってもう随分と経つ今になって乾杯するとは思わなかったからだ。
全員が呆気に取られている中で、咲夜が口を開いた。
「お嬢様、それは一体そういう……増してや乾杯はもう…」
「あら、終わってないわよ? さ、みんなグラスを取って」
渋々ながら、みんながそれぞれグラスを取る。
まだ何が起こるのかさっぱり掴めない状況だった。
レミリアは咲夜に合図をすると、みんなのグラスにブランデーを注ぎ始めた(パチュリーはジュースだったが)。
余談だが、美鈴だけは自分で注いでいた。
そして、全員の準備が出来た。
「お嬢様、終わりましたが…」
「そう、ありがとう。それじゃ乾杯しましょうか」
「お姉様ぁ、だから乾杯は…」
「フラン、あなたもまだまだね。だって、『私たち』の乾杯が終わってないでしょう?」
「…? 私たち?」
フランと小悪魔と美鈴が不思議そうに首をかしげる。
が、パチュリーと咲夜は理解したようで、喜びと意外性とが交じり合った笑いをこぼした。
私たちの乾杯。
そう、それは《紅魔館》だけの乾杯。
「ほら、フランも小悪魔も中国も…」
パチュリーがまだ理解をしていない3人を促す。
3人はまだ首をひねりながらも円になり、美鈴と小悪魔はグラスを掲げた。
レミリアもその輪の中に入った。
「む~? お姉様~?」
フランがまだ分からないといった様子だが、グラスを高く掲げた。
「じゃ、みんないくわよ」
レミリアがコホン、と軽く咳払いをする。
そしてゆっくりと口を開いた。
「紅魔館に、乾杯」
咲夜とパチュリーがレミリアに続いた。
「乾杯」
「絶好調じゃないからジュースだけど…乾杯」
残りの3人はあっ、という表情をして、グラスを合わせた。
チン、とグラスがぶつかり合う綺麗な音を奏でられる。
それぞれが全員とグラスをあわせ、そしてグラスの中身を飲み干す。
「ふぅ……やっぱりこういうのもいいわね…」
「そうですね、お嬢様…」
「うぅ、何か感動します~…」
「中国さん、泣いちゃダメですよ~」
「え、あれ? わ、私泣いてないよ~………」
小悪魔が美鈴の背中をポンポンと叩く。
自分では泣いていないと言っているが、目の端には既に涙がたまっていた。
フランも乾杯の意味を理解したのか、嬉しく思っているようだ。
フランのこんな嬉しそうな表情を見るのも久しぶりじゃなくなったわね、とレミリアは思う。
と、パチュリーがレミリアに近づいてきた。
「レミィ、一体どうしたの? 何かいいことでもあった?」
「そうねぇ……特に理由は無いかしら…」
「思いつき? レミィにしては珍しいわね…」
「う~ん、そうねぇ……強いて理由を挙げるとすれば―――――」
「幽々子」
「あら、紫じゃない?」
スキマから顔を覗かせ、紫が幽々子を呼ぶ。
そのままスキマから出て、地面に降り立つ。
「あ、紫様…自分から出向くなんて珍しいですね」
「ふ~ん、妖夢って私のことをそんな目で見ていたのね」
「あ、いや、さっきのは言葉の綾というか…」
「妖夢、私の友達に失礼でしょう?」
「そうね、失礼されたの」
「あ、う、それはその………紫様、申し訳ありませんでした」
妖夢がご丁寧に地面に手を着いて深々とお辞儀をした。
「あら妖夢、お酒が足りなくなったわ」
「謝らせておいていきなりですかっ!?」
「あら、私は紫に謝れとは一言も言ってないわよ?」
「そうねぇ、私も謝らせた記憶は無いわ」
「あ~、う~………」
妖夢が頭を悩ませる。
どうしてこう、自分の主人はこんなにも扱いにくいんだろう。
どうしてこう、幽々子様の友人はこんなに面倒なのだろう。
まぁ、確かに謝れとは一言も言ってないが…
でも、あの状況は謝らないと何かされる状況だろう、と思う。
渋々ながら妖夢は幽々子の盃に酒を注ぐ。
「それにしてもどうしたの、紫? あなたが自然に絡んでくるなんて」
「ま、気分というものね」
妖夢は続けて紫の盃にも酒を注ぐ。
と、先ほど酒を注いだ方向から、
「妖夢、お酒がなくなったわ~」
「早っ!?」
方向転換し、再び幽々子の盃にお酒を注ぐ。
すると、今度は別の方向から、
「妖夢、私もお酒がなくなったの」
「紫様も早っ!?」
妖夢は再び急激に方向転換をする。
と、その向きを変えた瞬間また、
「よーむ、よ~むっ! お酒が切れたわ~っ!?」
「あぁもうっ!」
まだ紫の盃に酒を注いでないと言うのに幽々子が早くもお酒を飲み干していた。
一体どんな肝臓を持っているのだろう。
妖夢は紫の盃にお酒を注ぐ。
「よ~むっ、よ~むぅっ!! 早くしないと死んじゃうわぁ~~っ!?!?!」
「幽々子様がこれ以上どう死ねるって言うんですかっ!?」
「あら妖夢、私は幽霊よ? これ以上死ぬことなんて無いわ」
「えぇ~~っ!?! じゃあさっきのは何なんですかっ!?」
「妖夢、あなたちょっと疲れてるんじゃない? 私は何も言ってないわよ~?」
「確かに疲れてますけど……でもさっきのは…」
「ほらほら妖夢、手が留守よ~?」
「はいはいはい、ただ今っ!」
せわしなく妖夢が動き、幽々子に酒を注ぎ始める。
すると、また別の方向から、
「妖夢、幽々子の相手ばかりってことは私を捨てるのね……あ~あ、妖夢に捨てられたわ~…」
「ち、違いますからっ!!」
妖夢が幽々子の酒を注ぎ終わると、再び紫に向き直る。
すると、またしても、
「え~~っ!? 妖夢ってば紫の庭師になるの~っ!? あ~あ、よ~むに捨てられたわぁ~…」
「えぇぇっ!? 何でそうなるんですかっ!?」
「ほら妖夢、手がお留守よ」
「うわ~~~んっ!!! 紫様も幽々子様も無茶言いすぎですよ~~っ!!」
ついに妖夢が折れ、その場にダウンする。
その様子を見て、幽々子と紫がクスクスと笑いあう。
笑い声を聞いた妖夢は、分かってはいたがからかわれていることを知った。
さらに落ち込む。
「しくしく……もう宴会ヤダ…」
「ほら妖夢、このくらいでいじけないの~」
「いじけますよ…まったく、紫様も幽々子様もお遊びが過ぎますよぅ……」
「まだまだ妖夢は半人前ね…まだうちの藍の方が偉いわ」
「もうなんとでも言ってください…しくしく……」
もはや諦めの境地に達した妖夢。
そんな境地に達してもあまり嬉しくないが…
そんな妖夢を見て苦笑しつつ、幽々子が紫を見る。
「で、紫? 今日は随分とご機嫌じゃない?」
「あら、幽々子にはやっぱり分かるのね」
「まぁねぇ…だって長い付き合いなんだし……それで、理由は何かしら?」
「またまた、幽々子にも分かってるくせに…」
「あら、私は何も分からないわよ? さっぱりだわ~」
と、クスクスと笑いつつ扇子を広げて口を隠す。
紫はそれを見て、同じように笑って扇子を広げて口を隠した。
と、幽々子は落ち込んでいる妖夢をちらと見る。
「妖夢」
「なんですか幽々子様……」
凄く落ち込んだ口調で妖夢が答える。
どうやらさっきので随分と参ってしまったようだ。
だが、受け答えする分妖夢の律儀さが出ている。
その様子を紫が見て笑いを漏らす。
「ほら、いつまでも拗ねてないで~」
「はいはい、また私をからかうんですね………」
「もう、さっきのことは謝るわよ~」
苦笑しつつ幽々子が手を合わせ、簡単に謝罪をする。
妖夢はそれを見て渋々納得し、幽々子に向き直った。
誠意があるかは別として、何とか反応してくれるまで機嫌は回復したようだ。
「それで、何ですか幽々子様?」
「ほら、月を見なさい?」
幽々子が閉じた扇子で月を示す。
「月、ですか? 月が何か……………あ」
「ね? そうでしょ、紫」
幽々子が紫にウィンクをする。
それを見て紫が、やっぱり分かってたんじゃない、とでも言いたげに扇子を閉じた。
そして幽々子にウィンクを返す。
対する幽々子は、月を見てぼんやりと物思いに耽っていたかと思うと、ふと口ずさんだ。
「残暑散り 望月見ゆる 宵の空 艶なりしさま 言はむかたなし」
「あら、幽々子もご機嫌ね~……妖夢もこのくらいの風流は分かるわよね?」
「はい…」
紫の問いに妖夢はやや呆けつつ答える。
その様子を幽々子がちらりと見て笑う。
「だって今宵は――――――」
「だって今夜は――――――」
幽々子と紫が口をそろえる。
「橙、こっちにおいで」
「はい? どうしました藍しゃま~」
橙が千鳥足で主である藍の元へ行く。
もはや真っ直ぐ歩いていないその様子に、藍は苦笑した。
「こらこら橙、随分と酔いが回っているぞ」
「いえいえ~、そんなことはありませんよ~……」
「はは、まったく信憑性が無いな」
「う~」
事実、橙の口からは酒臭い呼気が多分に含まれている。
顔も真っ赤っかになっている。
一体どれだけの量を飲んだというのだろうか。
確かに橙はお酒にはあまり強くないはずだが、と藍は思う。
でもまぁ、今日くらいは自由にさせてやるかと考え直す。
「藍しゃまぁ~……尻尾もふもふさせてください~」
「また尻尾か? 橙も好きだなぁ」
「えへへ~…ふかふかして気持ちいいですから~」
言うが早く、橙が藍の尻尾に飛びついてきた。
藍も飛びついてきたのを確認すると、ふよふよと尻尾を動かす。
体躯が小さく、さほど重くも無い橙の身体は藍の尻尾に泳がされる。
たまに余った尻尾で橙の頭も撫でてやる。
「ふにゃ~…」
「はは、橙は甘えん坊だなぁ」
「えへ~……それで藍しゃま、私ににゃにか用ですかぁ~?」
普段は出ないはずの猫言葉まで出ている。
いや、被弾した時も出るけど。
しかし、平常心すら忘れさせるほど飲んだのか。
この小さい身体にどれほどの酒が入っていったのかと思うと驚きを隠せない藍だった。
が、橙の言葉に目的を思い出した。
「おっと、そうだ忘れるところだったな…」
「もう、藍しゃまも飲みすぎですかぁ~? ひっく…」
「いやいや、私は橙ほど酒乱じゃないよ」
「むぅ~、それって私が飲んだくれみたいじゃないですか~」
「う~ん、事実そうなんだけどなぁ…」
「ぷぅ~っ!」
そう言うと、橙は頬を膨らませて怒った仕草をする。
ほんのりと酒気を含んだ顔が可愛いと、親バカならぬ式バカと自覚できるほど思う藍だった。
「っと、それでまぁ、大したことじゃないんだけどな?」
「はいはい~?」
途端に機嫌をよくする橙。
その様子に苦笑を湛えざるを得ない藍。
まるで年の離れた姉妹を見ているようだ。
さながらしっかり者の姉に遊び人の妹といったところか。
と、藍は空を見上げた。
「ほら橙、空を見てごらん?」
「そら~? えっと、えっと………わぁ~~っ!」
空を見上げた橙が歓喜の声を藍の横で漏らす。
その声を聞いて藍も微笑んだ。
「見えるか?」
「うんっ、まんまる~!」
「どうだ、いいものだろう?」
「うん、飛びつきたいくらい~!」
「はは、橙は丸いものに目が無いからなぁ」
「むぅ~、どうせ私は猫ですよ~…」
「こらこら、拗ねるな拗ねるな」
藍と橙はじゃれ付くように寄り添って、一緒に空を見上げた。
月光が二人の顔を明るく照らしている。
「藍しゃま~…」
「ふふ、橙も興奮してるな~……まぁ、仕方が無いか」
橙を微笑ましく見て、そして再び視線を夜空に浮かぶ円に向ける。
「なんて言ったって、今夜は――――――」
月明かりの下で、黒の長髪がある人影に近づいていく。
その髪の持ち主は、蓬莱山輝夜。
後ろには永遠亭の住人が楽しく雑談しながらついてきている。
月の頭脳、八意永琳。
狂気の月の兎、鈴仙・優曇華院・イナバ。
地上の兎、因幡てゐ。
銀と黒の髪が月に照らされて美しく輝いている。
「妹紅」
輝夜は人影の前で立ち止まり、その名前を呼んだ。
同じような銀髪を持つ藤原妹紅。
輝夜や永琳と同じく蓬莱人となった、不倶戴天の敵だ。
妹紅の隣にはハクタク化した慧音が居る。
「輝夜か……よくもノコノコと私の前に出てきたな」
喧嘩を売るような口調で妹紅が言う。
「あら、これはまたご挨拶じゃない?」
「うるさいな……それで、一体何の用?」
二人はお互いを敵として認識している。
それはどんな場においても、対峙すれば常に敵同士なのだ。
一触即発の雰囲気をかもし出す妹紅を、隣の慧音がいさめる。
「妹紅、今日くらいはやめないか」
「何だよ慧音、文句でもあるのか?」
「いや、どうやらあちらも別に戦うために来たわけじゃないらしい」
と、視線を妹紅からそらし、輝夜、永琳、鈴仙。そしててゐへと向ける。
永琳と目が合ったとき、永琳が僅かに微笑んだ。
それを見て、こちらも笑い返す。
「…それで? 戦いに来たんじゃないなら何しに来たのさ」
「その喧嘩っ早い気性はもう少し落ち着けて欲しいところね…慧音も大変でしょうに」
「な、何だとっ!? こんな体にしたのも全ては―――」
そこでパン、と大きく手を叩く音がした。
その音に妹紅の言葉が途切れる。
音の発生源は永琳だった。
「だから突っかかるのはやめなさい、今はこうして一緒にお酒でも酌み交わそうとしに来たというのに」
「酒? 何でまたお前らなんかと…」
「まぁ、いいじゃないか妹紅。向こうだって別に他意があるわけでも無いだろう?」
「どうだか…酒に毒でも入れたりしてな」
「入れてもいいけど、あなた死なないじゃない」
輝夜が冷静に突っ込み返す。
その台詞を聞いて妹紅がまた突っかかりそうになるのを、慧音が必死で止めた。
友人の止めも入ったので、妹紅も黙ったようだ。
「まぁ確かに入れる可能性も無きにしも非ず、疑われるのも当然よね…」
「…永琳?」
永琳の言葉に慧音が疑問を含んで聞き返す。
が、永琳は続けた。
「でも本当に今夜は他意はないわ、一緒に飲もうと思っただけよ? 毒なんて入れてないわ、私の誇りに誓って」
「………ふ、ふん…そんなこと言われてもな…」
「師匠は誇りをあっさりと捨てるような人じゃないわ、てゐなら毒を入れそうだけど…これだけは信じてもらえる?」
「ちょ、ちょっと~! まるで私が詐欺師みたいじゃない~っ!」
「え、事実でしょ?」
「え゛ぅ…」
鈴仙の言葉にてゐが反論する。
が、返される反論に珍しくてゐが口を噤む。
確かに事実だけどぉ…、という声が細々と聞こえた。
そのやり取りを聞いていた輝夜がクスリと笑いを漏らす。
「まぁ、いいじゃない? 今夜くらいは敵ということも忘れて飲みましょう?」
輝夜が手にしていた高級そうなお酒を持ち上げる。
妹紅はしばらく考え込み…お酒と輝夜を見て逡巡する。
そして長らくの沈黙の後に、ゆっくりと重い口を開いた。
「……今夜は特別だ」
「ふぅ…そうこなくてはな、妹紅」
「た、ただし今夜だけだぞっ!?」
慧音の嬉しそうな口調に、ついムキになって反論してしまう。
その様子を見て輝夜どころか、永琳や鈴仙、てゐにも笑われた。
「わ、笑うなっ、今夜だけだって言ってるだろうっ!?」
「素直じゃないわねぇ、本当に」
「私は素直だーーっ!!」
永琳がムキになっている妹紅を見てくすくすと笑う。
事実、一週間前も輝夜と妹紅は二人して飲んでいる。
まぁ、酔っていたから記憶が無いのかもしれないが…
確かに二人は敵同士ではあるが、楽しみは分かち合える友なのだ。
二人とも認めないだろうけど…
「さ、じゃあ妹紅には私から注ぐわね」
「ふん、じゃあ私も直々にお前の盃に注いでやるよ…」
輝夜と妹紅がお互いに盃を差し出し、お互いに酒を注ぎあう。
と、暇になったのか知らないが鈴仙が慧音のそばまでやってきた。
「それじゃ、今夜は敵とかそんなもの関係なく、幻想郷の仲間として」
「あぁ、同じ幻想郷に生きる者として、この酒宴に感謝しよう」
鈴仙と慧音がお互いのお酒を交換する。
「あら、ウドンゲも社交的になったものね」
「し、師匠~…それじゃまるで私が人間嫌いの引きこもりみたいじゃないですか~…」
「別にそんな含みを持たせたわけじゃないけど……ほらてゐ、てゐには私が注いであげる」
「うわ、本当にいいんですか~っ?」
と、てゐが小さめの盃を持つ。
永琳が甘酒をその盃に注ぎこんでいく。
「あ~っ、師匠、私にも~!」
「あらウドンゲ、嫉妬?」
「違いますよ~っ!?」
鈴仙がムキになって反論する。
それを見た永琳と慧音、そしててゐが嬉しそうに笑う。
と、気分を害したのか鈴仙が多少いじけてしまった。
いかにも定番だが、地面に『の』の字を書くようにいじけている。
随分と古風ないじけ方だった。
「ほらウドンゲ、注いであげるから早くその注がれてるお酒を飲みなさい?」
「え…師匠…………?」
いじけていた鈴仙がふと顔を上げて、永琳を見る。
一瞬時が止まったように動かなかったが、ふと我に返り手にしていた酒を見る。
と、見るや否やぐいっとお酒を飲み干してしまった。
一気飲みは身体に悪いのだが…この際気にしないでおこう。
永琳は苦笑しつつ鈴仙に新たに酒を注ぎ足した。
一方で、輝夜と妹紅がお互いに酒を通じて打ち解けていた。
先ほどの険悪な空気が嘘のようだった。
「それにしても…輝夜、どういう経緯で一緒に飲もうなんて考えたんだ?」
「あぁ、それは何と言うのかしらね…何かこう、そんな気分になったものよ」
「むぅ? いまいちよく分からないな…」
「確かにそれは私も気になっていたところだ…永琳、何故いきなり?」
輝夜と妹紅の話を聞いて、慧音も疑問に思ったようだ。
その質問に永琳は迷いの無い笑みを浮かべて、
「慧音、あなたになら分かるんじゃない? 一番顕著に現れているわよ」
夜空に浮かぶ満月を指差した。
永琳の指につられて慧音が空を見上げる。
指の先にあるものを見て、慧音はすぐに大きく頷いた。
「なるほどな…これなら確かに納得がいく」
「…慧音? お前には何か分かったのか?」
と、二人のやり取りを聞いていたらしい妹紅が慧音に聞いた。
輝夜もその原因を知りたいらしく、身体をこちらに向けていた。
「あぁ妹紅、これは至って簡単なことだったよ」
そう言って夜空を見上げた。
つられて輝夜と妹紅も夜空を見上げる。
そしてそれぞれの視線の先にあるものを見て二人も納得したように首を縦に振った。
「なるほどね…原因が分かったわ」
「うん………これは見事だな…」
妹紅が天に輝く月に見とれる。
そして、細々とこう呟いた。
「山の端の ささら愛壮士 天の原 門渡る光 見らくしよしも」
「あら、万葉集ね」
妹紅の詠んだ歌に輝夜がコメントをする。
「な、何だよ、悪いか…」
「いいえ、別に? そうねぇ………」
というと、輝夜も満月を見てふと考える。
それもほんの少しの間で、輝夜もこう詠み返した。
「明日の宵 照らむ月夜は 片寄りに 今夜に寄りて 夜長くあらなむ」
「………お前も万葉集じゃないか」
「ふふ、万葉集には万葉集で返すのよ」
「そんなもんかねぇ……っと、酒が切れてるぞ、輝夜」
「そういうあなたもよ、妹紅」
二人、仲良く酒を注ぎ合う。
月を見て、風流を謳歌しあえる二人は、きっと幸せなのだろう。
その様子を見ていた慧音が二人を温かく見守っていた。
永琳もさほど驚いた様子はなく、二人を見た後に、もう一度満月を見た。
「そうね、こんなこともたまにはあっていいわよね」
「永琳………ふ、それもそうだな」
隣に居た慧音がいつの間にか永琳を見ていた。
お互い顔を見合わせて、クスリと笑い、こう言う。
「何せ今夜は――――――」
「なぜなら今夜は――――――」
「おーーーー………」
ルーミアがいつもの十進法ポーズではなく、天に向けて両手を伸ばしていた。
まるで嬉しいことがあったかのように笑顔だ。
まぁ、ルーミアの場合常に笑顔のような気もするが、そこには触れないでおく。
「何してるの、ルーミアちゃん…」
最初はみんなで楽しんでいたが、突然手を伸ばしたルーミアを気にかけて大妖精が言う。
彼女のことだ、いろいろと気を利かせたのだろう。
「ほっときないよ大ちゃん、ルーミアはいつも唐突なんだから」
「おーーーー………とーとつー…」
つまみをほおばり、甘酒を飲みながらチルノが言う。
ルーミアもさして気にしていない様子で、夜空に向けて腕を伸ばしたままだ。
しかし、それでも気になるのか大妖精はちらちらとルーミアのことを気にかけていた。
そこへ、リグルが助け舟を出す。
「ねぇルーミア、一体何を見ているの?」
イカ焼きを頬張りながらリグルがルーミアに尋ねた。
対するルーミアの答えは単純かつ簡単なものだった。
「お月さまー」
「月?」
その簡素な答えにリグルは目を丸くする。
同じくその答えに驚いた大妖精も目を丸くした。
「お月様がどうかしたの?」
同じく一緒に居たミスティアが夜空を見る。
確かに、満月が浮かんでいるが…
すると、不意に大妖精がルーミアと同じように背伸びをしながら夜空に手を伸ばした。
「うぅ~~ん………」
「大ちゃん、何やってるの?」
その様子を見ていたチルノが驚いて大妖精を見る。
「えへへ…えっとね、ルーミアちゃんが本当にうれしそうだったからつい…」
「わーっ、仲間なかまー♪」
「つい、って…あのね、大ちゃん………」
「それじゃ、私もやってみようかな」
「えぇっ!?」
大妖精に続き、リグルも空高く両手を伸ばす。
その様子を隣で見ていたミスティアも一瞬意外そうな顔をした。
が、すぐにその表情は消え、羽を大きく広げ、続いて両手を月に向けてあげた。
「何だか知らないけど、私も~!」
「ミスティアまで……あんたたちバカ?」
「むぅ、チルノちゃんには言われたく無いよ…」
「ちょっと大ちゃん、それってどういう意味?」
「あ、いや、それは言葉の綾で………ほ、ほら、チルノちゃんもやってみようよ~?」
「なんであたいがそんなこと…」
大妖精の勧誘にもめげず、チルノはマイペースを崩さない。
それを見て、リグルもミスティアもルーミアもチルノを見る。
四人の視線にチルノはひたすら耐える。
多少気まずくなっても気にしない、それがチルノクオリティ。
と、まず先に口を開いたのはリグルだった。
「まぁ、チルノもやってみればわかるよ。たったこれだけなんだけど気持ちいいんだよ?」
「あ~、何だかいい歌が歌えそうな気がする~…」
「まんげつー」
「チルノちゃん、一緒にやってみようよ」
「う………」
ルーミアはさておき、みんなの説得がチルノの心を揺るがす。
「ね、チルノちゃん」
「………………あぁもうっ!」
チルノは自分に一喝するように大声を出す。
「分かったわよ、少しくらいならあんたたちに付き合ってあげるっ!」
「そう来なくちゃねっ!」
仲のいい大妖精の隣に並び、おずおずと両腕を天に掲げる。
月明かりが僅かに影を作り、チルノの顔を少しだけ覆う。
隣と見ると、大妖精が屈託の無い笑顔でチルノを見ていた。
周りを見回すと、他の四人もチルノを見て微笑んでいる。
まぁ悪くないわね、と心の奥底で思う。
こうして5人集まって馬鹿をやるのも楽しい。
それに、何故か今夜は気分がいいのだ。
「あ~、何だか歌いたくなってきた~!」
「ミスティア、もうちょっとだけこうしていようよ」
「う~ん……ま、リグルの言うことにも一理あるかな~……じゃ、あとちょっとだけ」
歌いたくてうずうずしているのを、くるくると回って昇華する。
まるで一人だけの舞踏会をやっているようだったが、不思議と綺麗だった。
その傍らでは…
「はぁ、レティにもこの月を見せたかったなぁ…」
「私も…リリーちゃんならすっごく喜んでくれてたと思うのに…」
「あいつの場合は弾幕になりかねないからやめた方がいいと思うけど…」
チルノと大妖精が、今ここに居ない冬の忘れ物と春を運ぶ妖精に思いを馳せる。
冬と春にしか出てこない二人にはこの月を見ることが出来ない。
この感動を分かち合いたいのに、二人はまだ出てくる季節じゃない。
出来ることなら無理にでも引っ張って連れて来たいのだが、如何せん所在が分からない。
「チルノちゃん……だったら私たちは二人の分まで楽しまないとね?」
「大ちゃん………うん、そだね…今度こんなにいい夜があったら意地でも探し回って連れて来てやるんだから!」
「うん…二人で一緒に探そうよっ!」
「当ったり前でし……ま、まぁそれもありね…」
突如としてチルノは語気を変える。
今更ながら、自分の言葉に恥ずかしさを感じるチルノ。
何故こんなに熱くなっているのだろう。
でもまぁ、不思議と嫌な感じはしない。
それもこれも、この月の所為だとチルノは思い込んだ。
「ねーねー」
と、突然ルーミアが4人に向かって言う。
いや、向かって言ったのかは分からないが、会話の矛先は4人に向けられているのだろう。
だって、ルーミアは依然として月を見上げているままだったから。
「何かみんなでこーしてると楽しいよねー?」
「え?」
一瞬、質問の意味を理解しかねたリグルが聞き返す。
だがすぐに考え込むと、自分の意見が纏まったように笑った。
「………うん、楽しい」
「私も私も~っ♪」
リグルに続いてミスティアが激しく自己主張するように叫ぶ。
「私も何だかよく分からないけど不思議と楽しいよ、チルノちゃんは?」
「あ、あたい? あたいは………」
突然大妖精に話を振られ、びっくりする。
そしてちょっと考え込んで…みんなの顔を見て、俯いた。
しばらくの沈黙の後に、顔を上げてこう言った。
「……た、楽しいに決まってるじゃない」
よほど照れくさかったのだろう、少しだけ頬が赤い。
その様子を見て、4人が笑った。
くどいようだが、ルーミアは常に笑っていたが。
「じゃあ、おてんと様に感謝ー」
ルーミアが月に向けて手を振った。
そしてリグルが続く。
「届け、私たちの喜び」
「届け~、この楽しさ~♪」
「ありがとうございます、こんな素晴らしい夜を」
ミスティア、大妖精と続き、チルノに回る。
流石のチルノもこれは予想外の出来事であったようで、言う言葉が何も見つからない。
なら、心に想っていることを直接叫ぶしかない、と考えた。
そしてチルノは大きく息を吸い込んで…
「あたいってば最強おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
と、力の限り叫んだ。
その一言に、その場に居た4人は一瞬目を丸くし、呆然とした。
が、直後にどっと笑いが起こり、そしてチルノ自身もすっきりしたのか、笑っていた。
今夜は気分がいい。
今夜は楽しい。
だから、この爽快さをくれた満月に感謝しよう。
天まで届け、5つの想い。
だって、今日の夜空は――――――
「萃香さん」
「おー、天狗じゃん。元気?」
「それはもう、おかげさまで」
一人で飲んでいた萃香に、文が寄ってきた。
手にはいかにも高級そうなお酒を持って、だ。
文は萃香の真正面に腰を下ろした。
「んで、何か用? 私をネタにしようにも面白いことは何にも無いよ~?」
そう言って萃香は手に持っている瓢箪から酒を飲んだ。
伊吹瓢と呼ばれるそれは、中身の酒が尽きることが無い。
ぐびぐびと飲んだ後に再び文に向き直る。
文も文で持参した酒をラッパ飲みする。
ふぅ、という声とともに酒気がそこら中に舞った。
「お、いい飲みっぷりじゃない?」
「ふふ、乗ってきましたか?」
「ん、まぁまぁね……んぐ、んぐ…」
随分前からかなりの量を飲んでいるはずの萃香だが、飲む勢いは衰えることを知らない。
一定間隔をあけて酒を飲んではぷはぁ~、といかにもといった息を吐く。
「それで、ちょっと萃香さんに用というものはですね?」
「あ~、うぃうぃ? あんたが私のところに来るなんて珍しいじゃん」
「ええ…少し萃香さんと飲み比べでもしようかな、と」
「飲み比べ? 鬼の私と? へぇ、天狗がなかなか言うようになったじゃない?」
それまで斜に構えていた萃香が居住まいを正す。
と言っても、だらけた座り方から胡坐になっただけなのだが。
文は流石に胡坐はかけないので足を崩し、両足を両脇にたたむ、所謂ぺたん座りをした。
「鬼の萃香さんと勝負できそうなのは天狗の私くらいですからね」
「ほぅ、天狗が天狗になってる?」
「オヤジギャグですか?」
「無礼者、私はこんなにも美肌つるつるのギャルなのに」
「失礼しました、どっちかというとオヤジギャルですね。それにギャルなら私の方が似合ってますよ」
「何を、全然ギャルとはかけ離れたような性格に容姿をしてるくせに」
そう言うと、二人で笑いあった。
天狗と鬼では種族こそ違うものの、何か通じるところがあるらしかった。
それは弾幕での強さでもあり、酒の強さでもある。
だけど、今は笑いを共有できることが楽しいのだろう。
ひとしきり笑った後に、お互いに顔を見合わせた。
「で、私と飲み比べだなんて本気?」
「えぇ、本気の本気ですよ」
「へぇ……………よっし、その度胸と喧嘩、買ってやる! 後で後悔しても知らないよ?」
「それはこっちの台詞です、久々に本気でも出しますからね?」
「そうこなくちゃね、全力じゃないっていうのを負けの言い訳にされたらかなわないし」
「あら、天狗は嘘をつきませんよ?」
「それ自体が嘘だってのっ」
二人は笑いつつ自分の盃を取り出す。
盃と言っても、それは宴会用の直径50cmはあろうかという超巨大なやつだ。
萃香が伊吹瓢からそれぞれの盃に酒をなみなみと注ぐ。
「じゃあ、準備はいい? 私の飲みっぷりに惚れなさんなよ?」
「あら、私の飲みっぷりだって萃香さんには負けないと思いますよ?」
「ははっ、言うねぇ……それじゃまずは一杯目、行くか~♪」
「えぇ、いつでもいけますよ~」
そしてお互い巨大な盃を軽く打ち合わせる。
「乾ぱ~い!」
「はい、乾杯です」
カツン、と音がして両者酒を飲み始める。
萃香も文も流石は自信があるのだろう、どんどんと飲み干していく。
速度も同じ程度と、両者の(酒飲みの)実力は拮抗している。
幻想郷一のうわばみを競ってるのかは知らないがとにかくレベルが高い。
そしてお互いほぼ同時に一杯目を飲み干した。
「ぷはぁ~っ! へぇ~、天狗も伊達に天狗をやってないね」
「萃香さんこそ伊達に鬼じゃないですね、その飲みっぷり」
「なんたって『鬼殺し』だって飲むから………なんてね。それよりもさ、私からも一つ聞いていい?」
「はい、なんでしょう?」
「どうして急に私と飲み比べでもやりたくなったわけ?」
まだまだ余裕なのだろう、表情も普通(といっても赤いが)に萃香が聞く。
それに対して、文の答えは既に決まっていた。
「ふふ、それは萃香さんもよくご存知なのでは?」
「いやぁ~、私は無知だからね、分からんのよ」
「またまたご冗談を…」
月光が境内を明るく照らしていた。
そう言って文は夜空を見上げた。
文に続いて萃香も数多の星が煌く空を見上げる。
その目の先には、見事な満月が輝いている。
「あぁ~、なるほどねぇ~♪」
萃香は含みのある笑いを漏らす。
「ほら、やっぱり知ってたんじゃないですか」
「いやぁ~、天狗も随分と風流じゃん、と思ってね」
「褒め言葉として受け取っておきます。それよりも…」
文が急かすように空になった盃をくいと持ち上げる。
「分かってるって、そんなに焦らないでいいんよ」
「まぁ、確かにそうですね…何せ勝負はまだ始まったばかりですから」
「ふっふ~、何処まで私についてこれるかな?」
「ついていくどころか追い越してあげますよ」
「はっはっはー! よく言った、それでこそ天狗だー!」
気分をよくした萃香が再び伊吹瓢から二つの盃にたっぷりと酒を注ぐ。
そして二人はニッと笑った後に、二杯目を飲み始めた。
夜は長い。
二人の飲み比べの夜はまだ始まったばかりだ。
たまにはこういう飲み比べも悪くはない。
二人とも、飲み比べをしても先に相手が潰れることの方が多いためこういうレベルの高い相手になると嬉しいのだ。
お互い、口には出さないものの、表情からそう読み取れた。
そして顔を見合わせて笑い、空に煌々と輝く満月を二人で見る。
今夜は楽しい夜になりそうだ。
だって、今夜は――――――
夜中の神社に盛大な演奏が流れている。
それはある意味やかましいだけの騒音だったが、宴会場にはもってこいのBGMでもあった。
その音を出しているのはヴァイオリン、トランペット、ピアノという不釣合いな3つ。
それは何も触れていないのに自動で音を出していた。
楽器の主であるのはポルターガイストのプリズムリバー三姉妹だ。
手を使わずに演奏することのできる能力のお陰で、宴会を楽しみながら音を出せる。
やかましく音を出していた3つの楽器だが、ふとヴァイオリンの音色が止まった。
「…姉さん?」
その異変に気付き、三女のリリカが長女のルナサに声をかける。
対するルナサは演奏をやめたかと思うと、酒を飲むのでもなく、立ったまま寝るのでもなくボーっとしている。
ボーっとするのはルナサにはよくあることなのだが、演奏をやめるとなると珍しい。
次女メルランも演奏をやめ、ルナサの様子を伺った。
「どうしたのよ姉さん~? どこか具合でも悪いの~?」
「…………」
しかしルナサはボーっとして動かない。
リリカが目の前で手を振っても何の反応も無い。
まるで石像のように突っ立っている。
さすがにここまで来ると陽気なメルランでも少し不安になってくる。
「どうしたのかしら、姉さん…」
「う~ん、ボーっとするのはいつものことだけど……あ、そうだ、メル姉の音で元気付けてやれないかな?」
メルランは音に『躁』の念を込め、陽気な気分にさせる。
リリカはそれを利用しようと思いついたのだが、メルランは首を横に振る。
「それが出来ていたら姉さんは既に私たちの知る姉さんじゃなくなってるわ~」
「あぁ、ハイテンションなルナ姉になるってわけね……確かにそれは変すぎる…」
「というか、不気味を通り越してシュールよね~」
「だよね~」
恐らくハイテンションなルナサを想像したのだろう、クスクスと含み笑いをしている。
姉への心配は何処へやら、と言いたいところだ。
と、二人が不自然な姉の姿を想像している時だった。
「メルラン、リリカ」
凛とした声が響く。
その声は決して大きくなかったものの、メルランとリリカにはきちんと聴こえた。
同時に二人が身を強張らせた。
「ひゃぁっ!? 姉さんごめんなさい~~っ!!」
「こ、これはねルナ姉、全部メル姉が…」
「ちょっとリリカ~っ!? リリカが言いだしっぺじゃないの~っ?!」
「め、メル姉だって笑ってたくせに!?」
「あ、あれはあれ、これはこれよ~?!」
と、妹二人が不毛な言い争いをしている。
そこへ、ルナサが宙に浮かんでいるヴァイオリンを手元に引き寄せた。
そのままヴァイオリンを持ち、メルランとリリカの元へと歩いてくる。
それを見てメルランとリリカは竦みあがり、お互いに抱き合った。
ルナ姉を怒らせてしまった。
それだけで怖い。何と言っても長女なのだから。
二人の近くまで来てから妹たちの震える様子を見て、ルナサは首をかしげた。
「二人とも、何をしてるの」
「へ?」
「はい?」
メルランとリリカは素っ頓狂な声を出す。
てっきりルナサを怒らせたと思い込んでいた手前、何も反応できない。
ルナサは特に何も気にすることはなく二人をじっと見つめた。
でも、怒っている目ではなく、いつもの何を考えているか分からない瞳だった。
「早く楽器を持って………」
「へ? 楽器? ………姉さん、怒ってないの?」
「………? ……怒るって…何を?」
「あ~いやいやいや!! 別になんでもないのよルナ姉、ね~メル姉?」
「そ、そうよ~! 別になんでもないのよ~!」
「?」
まだ不思議そうに首をかしげるルナサを尻目に、メルランとリリカは安堵の息を吐いた。
「でも姉さん、どうして楽器を? 私たちはせっかく手足を使わずに演奏できるのに…」
「確かにそれは出来る………でも私たちは…何?」
「騒霊…ポルターガイスト……」
「そう、私たちは騒霊。手足を使わないで楽器を弾かなければならないという制約なんて無いはず」
「ま、まぁそれはそうだけど~…」
「まぁ………いいから楽器を持ちなさい……直接弾くわ」
メルランとリリカは首をかしげながらも、宙に浮いていたトランペットとキーボードを手元に寄せた。
握る楽器の感触は、何時感じてもいいものだった。
自然とやる気が沸くというか…楽しめるというか…とにかくよく分からないが気分がよくなるのだ。
「でも姉さん、どういう経緯でこんなことに~?」
「うん、ルナ姉は気分で物言いをするときもあるけどそんなにしないし…」
「うん………まぁ…ちょっと、月を見ていたらね」
「月?」
「お月様~?」
二人が夜空に浮かぶ満月を見上げる。
「つい見とれていたんだ………そしたら急にこいつが恋しくなってな」
「はぁ~…確かに見とれるわよね~…」
「う~ん、あまり関心は無かったけど改めて見ると何だかね…」
ルナサがヴァイオリンを、メルランはトランペットを、リリカはキーボードを撫でる。
その視線はどこか恍惚としたものであり、愛おしいようでもある。
すると、沈黙を破ってルナサが声を出した。
「……メルラン」
「うん、なぁに?」
「………私は『鬱』の音を出す。そしてメルランは『躁』の音を出す」
「え、えぇ…それがどうかしたの~?」
そこでルナサはリリカに視線を向けた。
「リリカ……リリカは私たちでは不協和音となるその旋律を融合し、最高の音にする」
「う、うん…そうだけど?」
メルランに続いてリリカも今更のことのように思い、疑問に思う。
二人ともよく分からないといった様子でルナサを見る。
ルナサの表情はあくまでも凜としていて、先ほどのボーっとした表情は無い。
見様によってはボーっとしているようにも見えるが二人には分かる。
「『鬱』の音だけでも『躁』の音だけでも最高の音は作れない。私たちは3人揃って最高の音楽を作るんだ」
「…………姉さん?」
「そう、3人揃ったら作れない音なんか無い。音は何ものをも超えて、聴く人の心に響いていく」
「………ルナ姉? 一体何を…」
「音は心を動かす大きな力を持っている。それを運ぶのは私たち騒霊だ。それは誇り高い職業なんだ」
妹たちの声をまるで聞いていないかのように独白を続けるルナサ。
その瞳の輝きは今までになく強く、そしてはっきりとした意思が込められている。
いつものルナサでは考えられない、凛々しい表情。
メルランとリリカは改めて、長女を尊敬する。
一体何が彼女を動かしているのかは分からない。
けど、これは非常に大切な話なのだということは分かった。
「音楽は心を癒し、心を慰め、心を救い、心を落ち着ける。でも、私たち3人では音楽は完璧じゃない」
「え? 姉さん、それってさっきと言ってることが違うんじゃ~…」
メルランが口を挟む。
リリカも同じ意見のようで、少しだけ頷いていた。
そのメルランの言葉に、ルナサは少し微笑んだ。
「そう、3人じゃ完璧じゃない。私たちは4人で1つなんだ」
「あ………レイラのこと…?」
「そう、レイラはいつまでも私たちとともに生きている。私たちの心の中に生きている」
プリズムリバー家は、四姉妹だった。
レイラとは四女のことで、今はもうこの世に居ない。
しかし、ルナサ、メルラン、リリカを生んだのは彼女なのだ。
彼女はプリズムリバーの大切な四女。
だから、プリズムリバーは4人で一つなのだ。
「確かに今までは騒霊として弾きたい所で弾いてきた、そしてそれはこれからも変わらないと思う。けど…」
「…けど?」
「今日は…今夜は今までに無いくらいの最高の演奏にしよう。レイラが喜ぶような最大級の演奏にしよう」
「姉さん…」
「ルナ姉…………うん、そうだね…」
リリカがキーボードを構え、本格的に弾く準備をする。
その様はどこか凛々しく、いつものような裏がありそうな表情はここには無い。
れっきとしたキーボーディストとしての、リリカ・プリズムリバーが居る。
「そうねぇ~、確かにこんなに大きな宴会は後にも先にもなさそうだしね~!」
メルランがトランペットを構えた。
酒に酔っていた顔も、目つきも真剣なものへと変わっている。
そして最後にルナサがヴァイオリンを顎に当てた。
そう、トランペッターとしてのメルラン・プリズムリバー。
ヴァイオリニストとしてのルナサ・プリズムリバーが立派に立っているのだ。
3人とも、目で会話する。
言葉はなくとも通じ合える、だから姉妹はいつまでも仲がいいのだ。
時に喧嘩だってするのも、仲がいい証拠なのだ。
3人が、お互いをよく知り、お互いを信頼し、信用している。
それは、これまでも、そしてこれからも崩れることは無いだろう。
4人目のプリズムリバーが心に生き続ける限り、この姉妹はずっと仲がいいのだろう。
「メルラン、リリカ、そしてレイラ………さ、幻想郷一の大コンサートを始めよう」
「分かったわ、姉さんっ!」
「二人のフォローは任せて! 最高の音を奏でてあげるから!」
そして、それはゆっくりとリリカのキーボードの音で始まった。
その音は幻想的であり、今までになく最高の音であった。
メルラン、ルナサが同時に美しい音を奏で始める。
それはいつものような騒音と言われることも無い、本当に最高の音楽だった。
やはり直接弾く方が、手足を使わずに演奏するよりも、数ランク上の音が出る。
演奏していて気持ちがいい、3人はそう感じていた。
「それにしても、どうして急にあんなこと言ったの、ルナ姉?」
演奏中、リリカがルナサに聞いた。
メルランは喋れないが、リリカと同じことを考えていたようだ。
その二人にルナサはウィンク一つして、こう言った。
「何でって………それは今夜の――――――」
「うぃ~っく……アリスぅ………地球が回ってるぜ~………」
「全く、飲みすぎよ魔理沙……あと、地球は最初から回ってるものよ」
「アリスも大変ね、飲んだくれの魔理沙のつきそいなんて」
「はぁ………霊夢だって片づけが大変でしょ? 大変なのはあなたの方よ」
「はぁ…それもそうね…」
アリスと霊夢はお互いに大きなため息をついた。
ここは神社の屋根だ。
何故こんなところにいるかというと、霊夢の気まぐれでしかないのだが。
霊夢のところへ、べろんべろんに酔っ払った魔理沙にアリスが肩を貸して来たのだ。
そこへ、偶然居合わせただけに過ぎない。
「まったく、酔い覚ましには高い場所にって…魔理沙、どうにかしてるわよ」
「あぁ、魔理沙がどうかしてるのはいつものことだから気にしないで」
「確かにそれもそうねぇ…」
「っく………二人とも…酷いぜ………うぇっぷ…」
「ちょっと魔理沙、本当に大丈夫?」
顔色が明らかに悪い魔理沙を見て流石に心配したのか、アリスが背中をさする。
それを霊夢が大変そうに見ている。
しかし見ているだけでちびちびと酒を飲んでいるだけである。
流石霊夢というか、これでこそ霊夢というか。
アリスのほうも元々期待はしていなかったらしい。
そばを飛ぶ上海人形も小さいながら魔理沙の背中をさすっていた。
「おぉ……アリスに上海もすまんな………おえっ……」
「こら、喋らないの魔理沙」
上海人形も同じ意見のようで、こくこくと小さい身体ながら大きく頷いている。
二人(?)のお陰か、魔理沙のほうも何とか少しだけ気分がよくなったらしい。
もういいぜ、と言って霊夢の隣にゆっくりと腰掛ける。
アリスも魔理沙の隣に座った。
「っく、霊夢ぅ、飲んでるかぁ~?」
「私まで酔っ払ったら一体誰が後片付けをするのよ…まったく、あんたらは騒いでばっかで片づけしないし…」
「でも霊夢もこれで食い扶持を繋いでるようなものでしょ? ならいいじゃない」
「ま、それも一理あるけど……ってちょっと待ちなさいよアリスっ!?」
「あら、何よ?」
「それってまるで私が乞食みたいな言い方じゃないっ!?」
「あら、そう言ったつもりだけど分からなかった?」
悪戯っぽくアリスが霊夢をくすくすと笑った。
そばに居る上海人形も小さな身体を精一杯動かして笑っているのを表現している。
小馬鹿にされたような気がして(実際されたのだが)、霊夢は少し悔しくなった。
少しだけ肩を震わせている。
ついでに言うと、目は笑っているのに少し怒っている。
「あのねぇ…」
「霊夢ぅ……そんなに霊力出したら頭に響くからやめて欲しいぜ……っく…」
「それはあんたが飲みすぎるからでしょ!?」
「お、おおぅ…大声もきついからやめてくれ……」
「知らないわよ、そんなのっ!」
「ほう、じゃあここで吐いてもいいということか」
「ごめん」
驚くべき速さで霊夢が謝った。
まぁ、誠意は感じられるかどうかは別にして、吐かれずにすんだようだ。
「魔理沙、年頃の女の子の言う台詞じゃないわよ」
魔理沙の少し下品な発言に対し、アリスが諫める。
「何だよ、けち臭いな…宴会なんだからちょっとくらい気にするなって……うっく…」
「ダメよ魔理沙、もう少し酔いを覚ましてからまた飲みなさい」
「っく………お前は魔理沙魔理沙ってその口癖治って無いなぁ……」
「なっ………何ですってーーっ!!?」
今度はアリスが怒る番になった。
少しだけ、アリスの顔が紅いのは何故だろうと魔理沙は思ったが、特に気にしないことにした。
その二人を見て、次は霊夢が喧嘩の収拾役に回りそうだった。
というか、回らねば魔理沙がここで吐いてしまう。
「ほらアリス、落ち着きなさいよ…まったく、魔理沙のことになったらすぐにお馬鹿になるんだから…」
「う、うるさいわねっ!」
「何、私とやる気?」
「丁度決着を付けたいと思ってたところよ…」
霊夢の余計な一言の所為で、今度は霊夢VSアリスの図式が出来上がってしまった。
しかも、魔理沙はグロッキーなので今度は止める人が居ない。
二人が視線の火花を散らせていた。
と、そこに二つの気配が神社の屋根に降り立った。
「ふぅ、まだ宴会は続いてるのよね? なんとか間に合ったみたい…今晩は」
「こんばんは~」
「おぉメディスン、来れたのか?」
「うん、幽香のお陰でね」
神社の屋根に降り立ったのはメディスンと幽香だった。
突然の二人の訪問に、アリスと霊夢のいがみ合いは唐突に終わりを迎えた。
アリスが二人に挨拶し、霊夢は頭を抱えて落ち込んでいた。
霊夢にとっては厄介者が二人増えただけなので、当然といえば当然の反応だろう。。
魔理沙もメディスンを呼んだのだが、鈴蘭畑から離れるのが怖かったらしく不参加の意思だったのだが…
「幽香が私の周囲だけに鈴蘭の香りを撒いてくれたから多分大丈夫だと思う…」
「へぇ…お前もたまにはいいことするじゃないか」
「『たまには』は余計よ、って言いたいところだけど……ま、実際珍しいわよね」
「そうねー、自称幻想郷最強の女にも情けをかける血は入っていたみたいねー」
霊夢がむっすりとした声で皮肉る。
明らかに怒っているというか、それすらも通り越して呆れているというか、拗ねているというか。
そんな霊夢を見て、幽香がクスクスと笑う。
霊夢は一瞬その笑いに食いつきそうになったが、すぐにまた大きなため息を一つついて酒を飲み始めた。
もはや諦めの境地でも悟ったのだろうか。嫌な境地だ。
「あ、そういうわけだから私の近くにはあまり寄らない方がいいのかも」
「あぁ、鈴蘭の毒ね…」
「限りなく薄くメディスンの周囲だけに撒いてるけど…近寄りすぎると毒にかかるわ」
幽香が魔理沙とアリスに忠告をした。
霊夢はというと、虚空を見つめて酒をちびちびと飲んでいるので聞いていたのかどうか分からない。
「でも幽香、本当に嬉しいよ。ありがとうね」
「本当に良かったの? あなた人形だからお酒が飲めないでしょうに」
「ううん、雰囲気が楽しければ私も楽しくなれるから…」
「そう…メディスンはいい子ね。第一印象はちょっときつかったけど」
そのメディスンの言葉に、アリスが笑って冗談めかして言った。
「そりゃ、私とスーさんのテリトリーに土足で侵入してくるからつい…」
「つい、で毒を撒かれちゃたまらないぜ」
その魔理沙の言葉に、メディスンを含むみんなが笑った。
魔理沙も少しずつ回復してきているらしい。
なんとか会話に入る余裕も出来たようだ。
アリスとメディスンは人形に通じ合うところがあったのだろう、すぐに打ち解けた。
メディスンに友達が増えるのも、そう遠くないだろう。
もっと鈴蘭畑の外に出られれば増えるのだが…それがネックである。
「ま、せっかくメディスンも幽香も来てくれたんだ、歓迎するぜ」
「歓迎しなーい」
霊夢が相変わらずのローテンションでむっすりと言う。
いつまで根に持っているだろうか。
そんな霊夢を見て再びみんなでクスリと笑った。
そして改めてアリスが服の裾をちょんとつまみ、一礼した。
上海人形もアリスの真似をして、ちょこんと礼をした。
「宴会場へようこそ、メディスンに幽香」
「うん、魔理沙もアリスもありがとーっ!」
「ま、主役は遅れて来るって言うしね」
「何時からアンタが主役になったのよ…」
再び霊夢のツッコミが幽香に炸裂する。
そして何事も無かったかのように、お茶をすするように酒を飲んでいた。
その様子がいかにもほのぼのとした霊夢っぽさを出していた。
「それよりも幽香もあまり乗り気じゃなかったよな? どういう経緯で参加したくなったんだ?」
そう、魔理沙が誘いに行った時、幽香もメディスンと同じく不参加の意思だったのだ。
まぁ、理由は『気分』という単純なものだった。
幽香は唇の下に指を当ててう~ん、としばらく考えた。
10秒ほど経っただろうか、まだよくわからないといった表情でこう言った。
「そうねぇ………何だかじっとしてられなくなったというのかしらねぇ…」
「またよく分からない理由だぜ…」
「ふふ、じゃあ気分ってことで♪」
「おいおい、行くのも行かないのも気分の問題なのか」
「まぁ、細かいことは気にしないで…で、その途中に鈴蘭畑にメディが居たから誘ったのよ」
そして幽香がメディスンを見た。
アリスと会話していたメディスンが視線に気付き、幽香を見る。
幽香はにっこりと微笑んで、日傘を持っていないほうの手を軽く振った。
メディスンもまた満面の笑顔で軽く手を振り返してきた。
実に和む光景だ、と柄にもなく魔理沙は思う。
「でも、本当になんでこう駆り立てられたのかしらねぇ…」
「それは私に聞いても分からないぜ」
「理由なら単純じゃない」
「「え?」」
と、今まで静かに酒を飲んでいた霊夢が二人の方を見ずに言う。
落ち込んで一人酒でもやっているのかと思えば、話は聞いていたようだった。
寂しくなったのか、それともちゃっかり者なのか。
いや、第三者だからこそのポジションとも言えるが。
気付くと、霊夢の顔は僅かに上に向かっていた。
その視線の先にあるのは幾多の星と大きな満月。
「おい霊夢、理由ってのがなんなのか教えてくれよ」
「そうね、私も知りたいわ」
「はぁ……鈍感ね、あんたたち……」
呆れたような、苦笑混じりのため息を漏らす。
「上を見なさい、上を」
「上?」
幽香が傘をおろして満天の星が輝く夜空を見上げた。
魔理沙も幽香に続くように上を見上げる。
正直酔った身体には辛かったが、好奇心が酔いに打ち勝っていた。
「アリスもメディスンも、ちょっと空を見てみなさい」
「もう、何よ霊夢…空がどうしたって言うの?」
「空~? 空に何があるの?」
そしてアリスとメディスンも顔を上げて無限に広がる空を見た。
数多の星が自分の存在を強く主張するように明滅している。
その星の親玉のように、大きな満月が輝いていた。
「ほぉ…こいつぁいいぜ」
「確かに…何でこんな気分になったのか納得したわ」
「ほら上海、見てみなさい?」
「うわぁ………」
「ね、分かったでしょ?」
霊夢が手にしていた酒瓶を魔理沙に手渡した。
魔理沙は酒を少しだけ飲み、幽香に渡す。
幽香も上品に(といってもラッパ飲みだが)一口飲んでアリスに渡す。
アリスは嗜み程度の量を飲んで、メディスンに一瞬目を向ける。
メディスンは私は呑めないから、とでも言いたげに手と首を横に振った。
「メディスン、こういうときは気持ちだけでもいいから合わせるのよ」
「霊夢…」
「ま、匂いを嗅ぐだけでもいいぜ」
「そうね、他人に合わせることは友達を増やす秘訣よ」
「魔理沙、幽香……」
そしてアリスがウィンクをしてメディスンに酒瓶を渡した。
おずおずと瓶を受け取ると、珍しそうに中身を見る。
そして少しだけ匂いを嗅いだ。
アルコール特有の香りがメディスンの鼻腔をくすぐった。
そして、メディスンが顔を上げた時、4人はメディスンを見て微笑んでいた。
それを見て、メディスンもぱっと笑顔を作った。
「霊夢、魔理沙、アリス、そして私を連れ出してくれた幽香…本当にありがと…」
「感謝なら私にするものじゃないわ」
「だな、私だって感謝する対象が出来たしな」
「ほら、上海も私と一緒に感謝しましょう?」
上海人形も、アリスの言葉を受けて了解を示すように大きく動いた。
メディスンもちょっとだけ微笑んでみんなの視線が集中するものへと向ける。
そんなみんなの様子を見て、霊夢が困ったようにため息をついた。
今夜はため息をついてばっかりだな、と思った。
「ま、私は感謝なんてしないつもりだったけど…こんな夜くらいいいか」
頭をポリポリと掻きながら仕方が無い、といった風にまたため息をついた。
「おっと、何だか霊夢らしくないぜ」
「うっさいわね、別にいいでしょ?」
魔理沙を人睨みしてから、再び視線を夜空の星たちに囲まれる月へと向けた。
「「「「「だって今夜は――――――」」」」」
5人の声が、完全に揃った。
◇
あたいは四季様を背負って神社を後にした。
別に、宴会を抜けるつもりではない。
早々に酔いつぶれてしまった四季様の酔いを醒ますために、近くの静かで落ち着く水場に来ただけだ。
夜も遅いのに、キリギリスやマツムシの鳴く声がそこらの草むらから聞こえてくる。
秋と実感できるような静かな夜だった。
「う、うぅん……あ、あれ……」
「あ、四季様…起きました~?」
「小町……? えっと、私は………」
四季様が何かを思い出すように眉間に指を当てる。
しばらく考えた後に、思い出したように拳を手の平に軽くぽんと打ちつけた。
「確か魔理沙に勧められるままに酒を飲んで……少しの間眠っていたような…」
「はい、正解です」
「…はぁ………私としたことが…」
あたいはゆっくりと四季様を地面に下ろした。
四季様は少しだけふらついたが、歩けなくなるほどではなかったようだった。
自分の足で、きちんと真っ直ぐとは言いがたいが立っている。
「…小町………宴会はどうなってますか?」
「あぁ、まだ続いてますよ。とりあえず四季様が凄い状態だったので気分転換にでもと思って…」
「そう、ですか………」
「…もしかして、余計なお世話だったり?」
四季様の声が少しぎこちなかったので、ちょっと不安に思った。
「いえ………ちょっと酔いが残ってるだけです…」
「はぁ……まぁ、無理はしないでくださいね」
「……えぇ………」
四季様はそう言ってあたいの脇を通り過ぎ、岸に立った。
どこを見るともなく、四季様の瞳は暗い水面を映し出している。
その視線の先に何が映っているのか、あたいには分からなかった。
哀愁を湛えているわけでもなく、かといって疲れを出しているわけでもない。
何を考えているのか、あたいには推し量ることが出来なかった。
ずっと四季様のその様子を見ていると、急に四季様がこっちを向いた。
あまりに突然だったので、少し驚く。
「…小町」
「は、はいっ…?」
その四季様の目はあまりにも澄んでいて。
だから、見とれるとともに、緊張した。
その深く、不思議な瞳からあたいは目を逸らすことが出来なかった。
「……話すべきことがあります……いいですか…?」
「は、はぁ……どうしたんですか、急に改まって」
「いいから……聞いてください、大事な話ですから…」
「………はぁ」
いつも通りのはずの、しかしどこか違う真面目な話し振りに、あたいも居住まいを正す。
何か悪いことでもしたっけ…? 身に覚えは無いんだけど…
そんなことを思いつつ、四季様を見つめた。
四季様もあたいを見つめていたが、ふと視線を左下に逸らした。
「小町…あなたは長い間本当によく私に仕えてくれましたね…」
「え? はぁ、まぁ………」
「……感謝しています、本当にありがとう」
「そ、そんな急に…一体どうしちゃったんです?」
「……………四季様?」
四季様は気まずそうに、視線を上げようとはしない。
もしかしてあたいがまた何か悪いことでもしたのだろうか…
もしそうなら、取り返しが付かなくなる前に謝らなければ。
もう、あんな思いをするのは耐えられない。
「あの、四季様? あたいが何か悪いことをしたのなら謝ります、どんな罰だって受けますけど…」
「違う……違うのです、小町」
あたいの言葉に、首を振って否定を示す四季様。
「小町は謝る必要なんて無いです……本当に謝らなければいけないのは、私…」
「え?」
四季様が? 謝る? あたいに?
何かの間違いだろうと思う。
だって四季様は何もしていないし、何かやったとするならあたいの方だ。
最初は酔ってるからこんなことを言い出しているのかと思った。
でも、酔ってるとしたらこんなに真剣にはなれないだろう。
「……一週間前のこと、覚えていますか?」
「えっと………あぁ…」
一週間前のことを思い出し、気まずくなる。
四季様があたいに冷たく当たった日のことを言ってるのだろう。
でも、あの件はあたいの不始末が招いたことのはずだ。
四季様は何も悪くないはずなのだが…
「あの時、私はあなたに非常に冷たい態度を取ってしまいました…」
「いや、でも四季様、あれはあたいが仕事をしなかったから…」
「いえ…たったそれだけでは私はあんなに冷たくしませんよ」
言われてみると、何だかそんな気がする。
そうでなければ、あたいはとっくの昔に解雇されていたはずだ。
いや、結局あたいが悪いんだろうけど。
「実はあの時、冷たくした理由は………無いんです…」
「え?」
「ですから、理由もなく私は小町に当たってしまったんです………本当にごめんなさい…」
四季様があたいに向かって深々と頭を下げる。
だが、上司に頭を下げられると、流石のあたいでも気まずい。
早いところ、気が気でなくてあまり気持ちのいいものではない。
あたいは一瞬テンパったが、すぐに平常心を取り戻す。
そして笑顔を作った。
「やだなぁ…あのことなら全然気にしてませんよ?」
「…………」
それでも、四季様は頭を下げたままだった。
一向に頭を上げる気配が無い。
「あ、あの~…四季様? ですからあのときのことは気にしてな―――」
「嘘っ!!!」
途端に、四季様があたいの声を途中で遮って、四季様らしからぬ大きな声を出した。
それは、叫びにも悲鳴にも似た声だった。
はっきりとした意思の感じられるその声は、まるで反論を許さないかのようだった。
あたいの顔から笑顔が消える。
「気にしてないなら…っ!! 何で出て行ったりしたのですかっ!!」
「そ、それ…は……」
瞬間、言葉に詰まった。
正直、自分でも勢いに任せて出て行った節もある。
だから、それは否定できなかった。
否定は嘘だったからだ。
「……………ごめんなさい、取り乱しました……私らしくもない…」
「四季様…」
四季様が顔を上げないまま自嘲した。
弱々しく、でもはっきりと聞こえる言葉が紡がれる。
それは、虫の声をBGMにしてもなおよく聞こえていた。
不思議と、五月蝿いとは感じなかった。
「小町、覚えてますか…………最初に出会ったときのことを………」
「………」
「あの時、私はこう言いました……『頼りにしていますよ、小町?』と…」
それは覚えている。
いや、正確には丁度この前思い出した、だ。
夢の中での昔の四季様が、昔のあたいにかけてくれた優しい言葉だ。
「私は…っ……私は、あなたを頼りにしていた…信頼していた…信用してたんです…っ! ……でも…!」
「………でも…?」
「こんなにも頼りにしていたのに……私はその初心すら忘れてしまって……っ…」
「………四季様…」
四季様の口調には、自分自身を責めるようなものがあった。
でも、責められなければならないのはあたいもだ。
あたいも、初心を忘れ、頼りにされていたことを忘れ、四季様の期待を裏切ったのだ。
それを、夢で気付かされた。
「昨日、昔の夢を見て……それをやっと思い出したんです……」
「…………」
あたいも夢を見るまでそのことを忘れていましたよ、と言いたかった。
だけど、何故か知らないけど言い出せなかった。
喉まで出掛かっているのに、言葉にすることが出来ない。
歯痒かった。
四季様は一切顔を上げなかった。
まるで、自分を責めるように俯いたままだった。
「………小町、今日は……今日の宴会は楽しめましたか?」
「…は?」
四季様が顔を上げて突然そう言った。
無理矢理作った笑顔で、あたいを見ていた。
その笑顔を見るのが、非常に辛かった。心が痛んだ。
目の端にはうっすらと水滴が付いていた。
泣いて…いる……?
「小町、楽しめましたか?」
四季様が繰り返すように聞いてくる。
その声は無理矢理搾り出しているような感じがして、いたたまれなかった。
もう、声を出すのもいっぱいいっぱいなのだろうか。
答えを出すよりも、四季様のことが気にかかっている。
でも、四季様はあたいの答えが欲しいらしかった。
だからあたいはひとまず答えることにした。
「……はい、楽しめたというか、まだこれからも楽しむつもりです」
「……そう…良かった………」
四季様が、一瞬だけ喜びを表情に出してまた顔を伏せた。
「…小町……今までお疲れ様でした……」
「え………」
『今まで』?
突然何で、何でそんな…っ!!
「い、いきなり何を言い出すんですかっ!? まるでお別れみたいにっ!!」
「そう……あなたも辛かったでしょう、こんな説教臭くて、小言が多い上司なんて…」
「そんなことない…そんなことないですっ! 第一、今日無縁塚を出る前に一緒に働こうって言ってくれたじゃないですか!」
「あぁ………………あれは…嘘です…」
「う、嘘…?」
その言葉を聞いた途端、あたいの体が硬直した。
まるで金縛りにでもあったかのような気持ちだった。
嘘が嫌いな四季様が嘘をつくなんて、ありえない。
あたいは、さっきの発言こそ嘘であって欲しかった。
でも四季様は、理由を付け足した。
「…小町が今日楽しめるように……あとで振り返ってみて最高に楽しい一日にするための嘘です……」
「違うっ! あたいは四季様と働いてる時だって最高に楽しいんだっ!!」
自分の思いをぶつけるあまり、口調が変化した。
慌てて口に手を当てるが、四季様はさして気にしていないようだった。
と、四季様は顔を上げて自嘲するように微笑んだ。
「違いますよ、小町……最高の一日にしたかったのは私の方……」
「は?」
一瞬、意味が分からず間の抜けた返事になった。
そこで四季様は再びうなだれた。
「『私の』思い出作りなのです………最後に小町と一緒に過ごした、最高の思い出にしたかったから…
今日という日が楽しかったって………胸を張って言えるような思い出にしたかったから………」
「そんな、『思い出』だなんて………そんなの、これからだって作れるじゃないですかっ!」
「そんなの、無理に決まってるじゃないですか……っ」
「どうしてっ!!」
「だって…っ! だって私は小町を傷つけて! 小町を突き放して! 小町を…悲しませた…っ!!」
あたいの叫ぶような言葉に、四季様も語気を荒げて言った。
そのとき、地面にぽつぽつと水滴が落ちた。
あれは…四季様の涙………?
「そんな問題なんて………あたいは気にしないですよっ!」
「私が気にしますっ! これは私の罪だから!!」
「だったらあたいにだって罪はあるっ! 四季様をこんなに追い詰めたあたいにだって!!」
「そんな優しくしないで……っ! これ以上優しい言葉をかけないでくださいっ!!」
「っ!!?」
それははっきりとした拒絶の意思だった。
それはあたいが初めて見る、四季様の顔だった。
ぼろぼろと涙をこぼしながら、子供のように泣き叫んでいた。
「……小町、あなたは優しすぎる………優しさはTPOによっては暴力となるのです…」
「四季、様………」
「だから小町……もう、やめてください………っ…」
最後のほうは、声が掠れてほとんど聴こえなかった。
秋の虫たちが奏でるオーケストラにかき消されそうな声だった。
四季様の周囲の地面にぽつぽつと涙が落ちていく。
これは……四季様の本心なのだろうか。
………いや、違う。
何故かは知らないけど、確信できた。
四季様は明らかに無理をしている。
なら、あたいは四季様を引きとどめるだけだ。
だって、四季様と一緒に居たいから…
「……四季様、こなす仕事はまだまだ残ってますよ、そんなこと言わないでください」
「っ……?!」
弾かれるように四季様が顔を上げた。
その顔は、涙でくしゃくしゃになっていた。
こんな表情も、初めて見る。
今日はいろんな発見がある日だな、と思った。
「どうして……優しくしないでって言ったじゃない…」
「だって四季様無理してますもん、そのくらい分かります」
「それ、は………」
「四季様のことはあたいが一番良く知ってるんですから、嘘ついたってだめですよ」
「………」
四季様がまた押し黙った。
再び訪れる静寂に、虫たちが自分の存在を誇張するように綺麗な音を奏でていた。
秋の夜、満月が輝く下で沈黙が続く。
そして、四季様が悩んだ挙句、口を開いた。
「………やはり、無理です…」
「なっ………どうしてっ!?」
「だって………っ! ………だって私は、小町が好きだからっ!!」
「へ?」
予想外の答えに、あたいは変な声を出す。
「髪を短く切ったままなのも、あなたが似合うって言ってくれたからっ!!
……小町が好きだから…だから、一緒に居られない………迷惑をかけたくない…
これ以上一緒に居て傷つけたくない、悲しませたくない、苦しめたくないんですっ!!」
「四季様………」
「……ごめんなさい、いきなりこんなことを言って……
散々小町を叱り、傷つけ、悲しませ、苦しめた私に許されるはずないですよね…
それなのにこんなことを言い出して……つくづく卑怯ですね、私は…」
「そんな、卑怯なんかじゃ…」
「こんな私に、こんなことを言う資格なんて無いですよね…
偉そうにして、大切な部下を手伝いもせず、それでいてうるさい小言を言う私なんて…っ!」
「違うっ! そんなのっ―――」
「何が違うのっ!? 何一つ違わないじゃない!
私は……私が嫌い! こんな卑怯な私が大嫌い!
こんなに自分勝手で、卑怯で、それでいてまだ小町の優しさに甘えようとする私が大っ嫌いっ!!」
「っ………!」
あたいは言葉を失った。
言葉遣いを変えてしまうほど、自分を追い詰めていたなんて思いもしなかった。
自分をここまで追い詰めて、そして自分の罪深さを言葉で罵る。
そしてその結果が、自分を嫌うこと。
四季様は癇癪を起こしたように泣き叫び、自分を傷つけて解決しようとしていた。
「小町、分かったでしょう……もう、私たちが一緒に居てもあなたを苦しめるだけだと…」
「……四季…様……」
「ですから小町、ここで終わりにしましょう………
……ありがとう、小町……今まで楽しかった………っ……!」
終わりにする。
それはあたいを解雇するのではなく、四季様の自虐だ。
そんなの……認めたくない、認められない、認めない。
もう、そんな四季様を見るのが我慢が出来なかった。
四季様を引き止める。
それがあたいに出来るただ一つの善行だ。
だから、あたいは唯一つ、持っている答えを出す。
「………嫌だ」
「っ!?」
四季様が、一瞬驚いたような表情をして、苦虫を噛み潰したような表情になる。
下唇を強く歯で噛みしめていた。
その頬を涙がつつ、と流れ落ちた。
「小町…っ! あなっ…あなたはまだっ…! わか、分からないの、ですか……っ!!」
「分かるわけない! 分かりたくもない! そんな勝手に言われたって分かってたまるかっ!」
「これっ、は…っ! 上司の命令で、すっ! 言うことを聞きなさい!」
「ふざけんなっ!! そんなの聞かない、聞けない、聞きたくもないねっ!」
「小町っ! 我侭を言わないで…っ!! あっ…あまり聞き分けがないと……ぶちますよ!?」
「できるもんならやってみるがいいさ! ちっとも怖くなんかないよ!」
「っ!! 小町っ!!」
次の瞬間、パァンという乾いた大きな音が静かな水場に響き渡った。
それは、偶然か分からないが、あたいが一週間前に永琳に張られた場所と同じ箇所だった。
遅れてやってきた痛みとともに、懐かしさがこみ上げてくる。
最近はよくビンタされるなぁ、と思う。
弾かれた顔を動かさずに、横目で四季様を見る。
「あ………あぁ………こ、小町………っ…?」
「四季様………やれば出来るじゃないですか…」
「いや、いやぁ……こんなつもりじゃ…………ご、ごめんなさい……っ!!」
四季様が慌ててあたいに近寄ってくる。
「小町、小町ぃ………ごめんなさいっ、大丈夫ですか…っ!!?」
涙で目を腫らしながらも、四季様はあたいを案じてくれる。
あたいより身長が低い四季様があたいの顔を覗き込んでくる。
自然と上目遣いになってくる四季様を、可愛いと思った。
「四季様…………やっと……そばに来てくれた………」
「…え?」
あたいは、四季様をぎゅっと抱きしめた。
「捕まえた………もう、逃がさないです………」
「なっ……こ、こま、ちっ……!? は、離しなさ―――」
「ずるいですよ、四季様………自分の気持ちばかり喋って………」
「そ、それは………」
四季様の言葉を遮ってあたいが喋る。
この質問に対し、四季様は口ごもった。
「あたいにも…あたいの想いを喋らせてくださいよ………」
「…こま、ち…………」
あたいの耳元で四季様の細々とした声が聞こえた。
小柄な四季様は、抱きしめていると今にも壊れそうだった。
「四季様………実はあたいも頼りにされてる、ってこと忘れてたんですよ……
そして、四季様と同じように夢でそのことを思い出したんです」
「え………あなた、も……っ…………?」
「…はい、恥ずかしながら………そして、四季様の髪を短く切っているのも夢で思い出して…
もしかしたら、あたいを好いてくれてる気持ちが心のどこかにあったからなのかな、って思ってたんです」
四季様を抱きしめながら、告白する。
あたいの気持ちを、四季様にぶつける。
耳元で、四季様が嗚咽を漏らしていた。
「確かに四季様は小言も多いし、説教臭いし、よくあたいを叱ります…
でも、それでこそ四季様なんじゃないですか? それをしない四季様なんて、四季様じゃありません」
「こ、まち……っ………! で、でも………っ………私は………あなたに酷いことを…」
「何言ってるんですか、四季様も生きてるから仕方がないじゃないですか。
永琳の受け売りですけど……生きてる限り思想の相違は生まれるものですよ。
そして、それは応用すればどうしようもなく、理由もないイライラだって生まれることです。
そのストレスが溜まりに溜まって、あたいにぶつかっただけでしょう? ただそれだけじゃないですか」
「………でもっ………! でも、私は…ぁ…………っ!!」
表情までは見えないが、まだ涙声で四季様が言う。
喉の奥で言葉が引っかかって、上手く出せないような心境なのだろう。
誰もが経験したことのある、涙と嗚咽で喋れない状況なのだ。
あたいは、四季様の後頭部をゆっくりと優しく撫でた。
「泣かないでください、四季様………
………あたいは、小言を言ったり、お説教をしたり、あたいを叱ってくれる四季様が好きです…
喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだりする四季様が好きです。
良いところ、悪いところ……それら全部含めて、あたいは四季様が大好きなんです」
「っ………!? 小町…っ……?」
「いいじゃないですか、四季様は四季様で。
四季様が悲しんでいるなら、あたいも一緒に悲しみます、慰めてあげます。
四季様が苦しいなら励ましてあげます、そばに居てあげます。
四季様が辛いのなら、あたいが一緒に解決してあげます。
………そして、全てが終わって嫌なことが全部吹き飛んだら………」
「一緒に声を上げて…大声出して気持ちよく笑えれば…笑顔になれたのならそれでいいんです」
「だからあたいは………
あたいは、四季様と一緒に居たい。
四季様と一緒に働いていきたい。
四季様と一緒に、楽しいことも悲しいことも歩んでいきたい。
ずっとずっと、二人でやっていきましょうよ。
もちろん、これからもサボるかもしれませんけど……
そのときは、四季様があたいを叱っちゃってください。
あたいも出来るだけ、四季様を手伝いますから………」
「……………っ………うぅっ…………あぅっ………!」
「ダメ、ですか………?」
あたいの問いに、四季様はあたいの腕の中で顔を横に振った。
あたいの服を強く掴んで、肩口で何度も首を横に振った。
「小町、こそ……っ…………こん、な……こんな私で……っ…い、いいんですかぁっ……?!」
顔をあたいの服に押し付けたまま、四季様が言った。
声がくぐもっていて、途切れ途切れだったがこんなにも近くに居るから、はっきりと聞こえた。
その声には、まだ微かな迷いが感じられた気がした。
「こんな……最低な、私で………こんな………自分勝手な私に……ついてきてくれる、と……っ…?」
「そんなの…」
思った。
四季様は、自分を責めすぎる傾向にあるんだ。
それは、自分が閻魔だから、罪を裁く者だからという意識からきているのかもしれない。
いつか、四季様は言ってくれた。
他人の罪を裁く私こそが、この世界で最も罪深い者だと。
その意識があるから、こうして許されることに不慣れなのかもしれない。
こうして、優しさに触れる機会がほとんどないのかもしれない。
なら、あたいが優しく包み込んであげよう。
あたいが、支えになってあげよう。
だって。
「当たり前じゃないですか。あたいの上司は四季様しか勤まりませんよ」
「うっ………うぅっ………こ、まちぃ……小町ぃ………っ!!」
「ほら、あたいが見えてないうちに涙を拭いてください…泣き顔の四季様なんてあまり見たくないですから」
「うん……うん…………っ…」
四季様が、あたいの服に顔を押し付けて涙を拭いた。
まるで子供のようだった。
こんなにも甘える四季様を、初めて見た。
「…………小町……今日は本当に……ごめんなさい………」
「へ? 四季様?」
そういうと、四季様はあたいからゆっくりと抱擁を解いていった。
あたいもそれに合わせて腕を緩めて、離す。
四季様がニ、三歩後ろに引いて顔を上げた。
目が随分と赤く腫れていたが、涙はなかった。
それを見て安心するあたいが居た。
「いえ、今日は………何だか小町に世話になりっぱなしで……何だか迷惑をかけてしまったみたいで…」
「やだな、四季様………迷惑だなんてものじゃないし、それに間違ってますよ?」
「…え?」
「そういうときは『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』、です」
「小町………………」
四季様が、一瞬だけあたいの顔を見つめる。
そして照れたように俯いて、とても小さな声でこう言った。
「……………ありがとう、小町」
そんな様子の四季様を見て、あたいは少し笑みを零して、
「どういたしまして」
と返した。
ごめんではなく、ありがとうと言える。
たったそれだけの小さなことだけど、とても重要なこと。
この小さなことを、育てて大きくしていこう。
あたいたちはまだまだこれからなんだから。
そう思ってふと、あたいは水辺に目を向けた。
風で微かに波紋が立つ水面に、綺麗に輝く円が映し出されていた。
そして頭を上げる。
予想通り、頭上には大きく、丸く、美しく輝く満月が浮かんでいた。
その月に魅了されたように、しばし目を奪われる。
しばらくそうしていると、隣に人の気配がした。
「……月を、見ているのですか?」
「四季様…………はい、そうです」
「………美しいですね…」
「はい、つい見とれちゃいますね……………だって今宵は―――」
―月が、こんなにも綺麗だから―
◇
「遅いわよ、何処ほっつき歩いてたの?」
「うわっ、霊夢っ!?」
「『うわっ』とはゴアイサツね………あんた達が全然帰ってこないから心配してやったのに…」
「そ、それはすみません……」
あの後、映姫と小町はゆっくりと時間を過ごし、再び神社に戻ってきた。
階段を上りきった直後に、霊夢に出迎えられたのだった。
なんだかんだ言いつつも、霊夢は大局を見ている、他人の心配もしてくれる。
「まったく………まぁいいわ、戻ってきたんだし…」
そう言って、神社の縁側に腰掛けている幽香を見た。
そしてちょいちょいとこっちに来い、の合図を送る。
一瞬幽香が顔をしかめたが、やれやれといった表情でいつものように日傘を差し、霊夢の近くに寄ってくる。
自分で動かないところがいかにも霊夢らしい。
「それで、一体何の用よ?」
「幽香、ちょっとあんたに頼みごとがあってね」
「あら、明日は雪ね」
「うるさい」
まるで漫才のように会話をする二人。
と、霊夢が映姫と小町を振り返って、微笑んだ。
「良かったじゃない、小町。そんな二人に、私からのささやかなプレゼントよ」
「プレゼント?」
「?」
映姫だけは霊夢の言葉の意味を解してなかったようだが、霊夢は続けて幽香を見た。
「幽香……桜を咲かせてくれないかしら? そりゃもう、満開の」
「ふぅん………霊夢もなかなかお人よしじゃない?」
「うるさいわよ…それで? まさか出来ないとか」
「あら、私を舐めてもらうと困るわ」
そして、幽香がパチンと指を鳴らした。
次の瞬間、神社の桜という桜が、春でも来たかのように咲き乱れた。
舞い散る桜は雪のようで、それでいて月に負けず劣らずの美しさだった。
小町も映姫も、その幻想的な光景に目を奪われる。
いや、二人に限ったことではない。
この神社に集まった幻想郷のみんなが、突然咲き乱れる桜に言葉を失った。
そんな中、幽香と霊夢だけが微笑んでいた。
「綺麗でしょ、うちの桜」
「………えぇ、そうですね…」
自慢げに話す霊夢に、映姫が応えた。
優雅に散る、季節外れの桜の花びらは有無を言わさず、綺麗だと言えた。
ありがとう、霊夢。
映姫も小町も、口には出さないが心からそう思っていた。
霊夢にも伝わったようで、二人に照れくさそうに笑いかけてくれた。
「ほら、宴会はまだまだこれからだぜ? お前ら全然飲み足りてないだろう?」
と、桜がまだ舞い散る中で、霊夢の隣に魔理沙が着地した。
少し前までの気分の悪さは何処へやら、すっかり元気になっている。
いや、元気になって、またさらに飲んでいる。
魔理沙の胃袋はチタンを通り越してアダマンタイトででも出来ているのだろうか。
「ほら、酒だぜ酒。いいから持てって」
「あ、あぁ…」
「え、えぇ……」
魔理沙が強引に映姫と小町に徳利を持たせた。
持たされた二人はといえば、突然の出来事に呆然としている。
「お前ら、何やってるんだ?」
「え?」
「ほら、乾杯しようぜ? 確かお前らとはやってなかった気がしてな」
「あぁ、そういえば……」
「そうでしたっけ……?」
二人が持たされた徳利を前に突き出すと、魔理沙も手にしていた酒瓶を突き出す。
そして豪快に突き合わせた。
チィン、という高い音が一瞬だけ響き、その音もまた宴会場に消えていく。
魔理沙も、映姫も、小町もそれぞれ少し飲んで、ぷはぁと息を吐いた。
「くぅ~、やっぱり酒は良いぜ………それじゃ、まだまだ楽しんでいってくれよな~?」
あばよ~、と酒瓶を振りつつまたどこかへふらふらと行ってしまった。
あまりの突然の来襲と、突然去っていく魔理沙に、結局唖然としたままの二人だった。
嵐のような奴だったが、悪い気はしない。
霊夢も魔理沙も、いい奴だ。
この機会を逃すと、もう二度とこんな最高の二人に出会えないかもしれない。
だから、今この時を生きる幻想郷のみんなは、幸せなのだろう。
口に出して言えないが、誰もがそう思えるはずだ。
今、この幸せをくれた時の神に。
この二人にめぐり合わせてくれた、運命の神に。
この世界を生み出してくれた博麗の祖先に。
素晴らしい夜をくれた、こんなにも綺麗な満月に。
心から感謝の唄を捧げよう。
そして、この幻想郷に。
須臾も忘れぬ、永劫の幸があらんことを。
◇
「ふぅ…」
あれから、私と小町はいつものような日常を過ごしていた。
小町が運んでくる霊を私が裁く。
そのサイクルが日常を埋め尽くしていた。
小町は相変わらずよくサボっていて、私はそのたびに小町を叱ってあげる。
その後の数時間はよく働いてくれるのだが、またペースが遅くなる。
本当に、変わらない日々だった。
唯一つ、違うとしたら…
二人で一緒に休みを取って、幻想郷に遊びに行く機会が増えたことだ。
「はぁ………霊が送られてこなくなりましたね…」
さっきから2~3時間待っているが、全く来る気配が無い。
大方、また昼寝でもしているのだろう。
全く、世話がかかる死神ですね。
私は無縁塚を飛び出し、小町が居るであろう三途の川に向かった。
飛び続けて10分もすると、川岸でぐっすりと眠りこけている小町を発見した。
私がそばに降り立っても、起きる素振りすら見せない。
私は、小町をいつものように起こそうと思って息を大きく吸い………………やめた。
「すぅ………くかー……………」
「…………ふふ…」
あまりにぐっすりと眠っているので、起こすのも気が引けた。
それに、小町の寝顔を観察するのも悪くは無い。
疲れているだろうし、少しの休憩だと思えばなんともないですか。
私は小町のそばに正座して、起こさないようにゆっくりと小町の頭を膝の上に乗せた。
多少身じろぎはしたが、どうやら起こさずに済んだらしい。
再び規則正しい寝息を立てて私の膝の上で眠っていた。
「すや……………くぅ…………」
「やれやれ………」
全く、気持ちの良さそうな表情をしてくれちゃって………
私は苦笑して、小町の前髪を優しく撫でた。
秋風に吹かれて、私と小町の髪がそよそよと僅かになびいていた。
空の彼方を見る。
青空が広がって、雲が散らばっていた。
今日もいい天気だ。素晴らしい秋晴れだ。
と、青空の彼方から特徴のある二つの人影が見えた。
それはゆっくりと近づいてくる。
霊魂ではない、生きた人間だった。
死なないでここに来る物好きな人間は、あまり思い浮かばなかった。
そして姿が確認できるようになると、私の予想は的中した。
二人は、私のそばに軽く着地をしてこう言った。
「遊びに来たわよ」
「遊びに来たぜ」
「えぇ、いらっしゃい」
※ 以下、綺麗な終わり方がどうも自分にあってないのでオチです
このまま終わりたい方は飛ばしてどうぞ
「~♪」
霊夢はご機嫌だった。
何といっても小町のお陰で、素敵なお賽銭箱に大量のお金が入ったからだ。
まぁ、お陰でというか、半ば強引にかき集めたというか……
今日は、一週間に一度だけの、ワクワクを確認する日だ。
この中には、かつて見たこともない量のお金が詰まっていることだろう。
「あ~、でも銭って使えるのかしらね…ま、香霖に渡しておけば何とかなるでしょ」
多分、何かしてくれるだろう。
最近、いろんな道具にガタが来ている。
そろそろ買い替え時だと思ったし、渡しに船ってこのことよね。
でも道具を一新してもまだ余りそうね……まぁ、今使わないといけないって訳でもないし。
霊夢は頭の中で未来予想図を作っていた。
「さ~てと………おっ金、おっ金~♪」
るんるん気分で賽銭箱の扉をに手を掛ける。
これを開いた瞬間、お金が大量に降りかかってくるんだろう。
それを想像するだけでワクワクしていた。
「さぁっ、私のお金よ~~っ!!」
そして、目を閉じて一気に扉を開いた。
………
………
………
「………あれ?」
いくら待ってもお金は襲い掛かってこない。
不思議に思い、ゆっくりと目を開けた。
すると、霊夢の目に飛び込んできたのは………
「………ない…」
いつものように、空のお賽銭の中だった。
あれほど必死にかき集めたお金が、綺麗さっぱりなくなっていた。
「え……なにこれ、嘘…………」
もはや自分が信じられないといった表情で賽銭箱の中をくまなく探す。
と、そこに紙切れが落ちていた。
いや、違った。
綺麗に折りたたんで、封をしてあるところを見ると手紙のようだった。
お金のほうが大事なので捨てようかと思ったが、多少気になったので見ることにする。
封を開け、そして中身を取り出して手紙を開いた。
内容は、こうだった。
『スキマ+ing=スキミング 今、外の世界で流行ってるそうよ。霊夢も気をつけなさいね?』
くしゃっ。
一瞬で手紙を握りつぶす。
書き手の名前は書かれていなかったが、一瞬で理解した。
ぐっと手を握りしめる。
力を入れすぎて、肩どころか身体が震えていた。
そして、天に向かって大きく息を吸った。
「紫ぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!」
おしまい
なので、気合または気迫をかけて、さらに根性またはド根性を読んでる最中にかけることを推奨します
また、シリアスなのでギャグに関しては皆無と思ってください
なお、本作品はスパロボには全く関係ないので悪しからず。
「………でさぁ、もう四季様の説教する時の顔といったら…」
ここは再思の道、三途の川。
ここで、小野塚小町はいつもの如く三途の渡し守をしていた。
いや、正確には渡し守の仕事など二の次であって、幽霊たちとの会話を楽しんでいた。
つまるところマイペース、これが自分の生きる道なのだ、と小町は適当に理由をつけている。
仕事をするのが辛いわけではない。だが、そこまで急ぐ必要も無い。
今日も今日で舟を漕ぐのを忘れ、幽霊たちと話をしていた。
◇
「小町っ!! 全くあなたは何時になったら真面目に仕事をしてくれるのですか!!」
「ひぇぇっ! すみません四季様ぁ~っ!!」
その日の仕事後、当然のように小町の上司の四季映姫・ヤマザナドゥに呼び出された。
当然、こなす仕事の量が少なすぎた所為だ。
「あなたはたった一人で60年の周期をぶち壊すつもりなのですか!?」
「い、いえ…そそ、そんなことは…」
60年に一度。幽霊たちが異常に増え、その身の拠り所に花を選ぶ年。
ついこの間それは起こった。
そして、いつものことだがそのときにも小町はこってりと絞られたのだ。
あの時は確かに仕事量が多すぎたこともあったが、今はそうでもない。
しかし、その状況にもかかわらず運んでくる亡霊の量が少なすぎるのだ。
これではサボタージュの泰斗と呼ばれても仕方の無いことだ。
そう呼んだのは白黒の奴だったか。
「はぁ、本当に私が莫迦でした…前に一度言いましたがあなたは真面目に見えたのに…」
「で、でも自分のペースを守ることも大切なわけで…」
「黙りなさい」
「は、はひぃっ!?」
確かに自分のペースを守るのも大切なことだが、それ以上に仕事をしなさ過ぎる。
小町もサボっていることを自覚はしていたが、何とかなるだろうと思っていた。
今日サボった分は明日に回そう。
明日出来なかった分は明後日に回そう。
そういうことを繰り返すと亡霊が増えてくるのも真理である。
終わりの無いいたちごっこである。
映姫の説教に、小町は平身低頭するばかりである。
もっとも、悪いのは小町なのだが。
「………他の同僚のところには相変わらず『真面目な』死神が霊を運んでいるというのに…」
「う………それは……」
『真面目な』というところを強調して言う映姫。
何だか、今回はいつも以上に怒っている気がする。
イライラすることでもあったのだろうか、と小町は思うが、そんなことを考える余裕は無い。
今は上手い言い訳を探して説教から逃れ、明日から真面目に働こうと思っていた。
この考えも、一晩寝れば忘れてしまうのだが。小町の悪いところはそこだった。
「し、四季様…えっと……」
「言い訳は聞きたくありません」
「で、でも…」
「………結構です。もう今日は下がりなさい、あなたには少々落胆させられました」
「………」
「がっかりです、こんなことなら別の死神を雇うべきでした」
途端に気まずくなった。
やはり仏の顔も三度までということなのだろうか。
いや、三度以上こんなやり取りは経験済みだ。
四季様の堪忍袋の緒が切れたのだろうか、と小町は思う。
重苦しい空気が二人の間を包む。言葉を発するにも発せられなかった。
と、ギィと音がして映姫が椅子から降りた。
自分の部屋に戻る時に、横目で小町を見ていた。
小町と映姫はそこで目が合った、が、その映姫の目はゾッとするほど冷たいものだった。
「どうしたの? 今日はもう終わりよ?」
「………っ」
小町は息が詰まった。
相も変わらず、冷たい態度そのままに冷たく言葉が投げかけられた。
小町は動くことが出来なかった。その場に立ち尽くすだけで、何も出来ない。
映姫からも視線を外した。気まずいのだ。
「………はぁ…」
最後に大きなため息をつき、映姫が自分の部屋へのドアを開けた。
直後、ドシンという強い音とともにドアが閉まった。
その大きな音に小町の身体が一瞬跳ねた。
小町は映姫が消えていったドアを見る。
まさか、あぁまで怒るとは思わなかった。
いつもならゲンコツの一つくらいで『明日こそはきっちり働いてもらいますからね』というお説教で終わるはずだった。
でも、今日は…今日の四季様は……
怖かった。
身震いするほどに。
それもあたいが悪いのだが、何もあんなに怒ることはないじゃないか。
少し、四季様とあたいの『距離』が開いた気がした。
◇
「はぁ………」
映姫は自分の部屋に戻ってため息をつく。
ドアに背中を預け、今日の自分を省みる。
罪を裁くことは辛い仕事だ。
でも、今日はもっと辛いことをしてしまった気がする。
(小町に少々きつく言い過ぎましたか…)
部屋に戻り、気持ちが落ち着くと先ほどのことが後悔される。
帽子を脱ぎ、ベッドに倒れこんだ。
顔が少しだけ布団に埋まる。目の前には白いシーツがある。
私はその白のシーツをぐっと掴んだ。
目を閉じる。
目を閉じた向こうに見えるのは、最後に見た小町の表情。
怒られた子供のような表情だった。
「はぁ………らしくないですね、私…」
誰に言うわけでもなく、呟く。
今は、白のシーツが眩しかった。
自分の緑の髪が、少しだけシーツに散っている。
でも、考えることは小町のことだった。
―『がっかりです、こんなことなら別の死神を雇うべきでした』
自分は何でこんなことを言ってしまったのだろう。
絶対に言い過ぎたと思う。
小町はこんな私を許してくれるだろうか。
いつものように困った表情や笑った表情を見せてくれるだろうか。
一緒に、私と働いてくれるだろうか。
そもそも、私は何であんなにイライラしていたのだろうか。
「………………」
しばしの間考える。しかし、私に答えは出ない。
だというのなら私は訳も分からずにカリカリしていたのだろうか。
私は小町に八つ当たりをしただけだったのだろうか。
知らないうちに身体の内に溜め込んだストレスを、小町にぶつけてしまっただけじゃないのか。
人間にもこういうことはあるらしい。
原因も分からず無性に腹が立って…そして、身近な者を傷つける。
この身近な者は誰でもいいわけではない。
時には家族であり、時にはペットであり、時には恋人であり、時には大切な者でもある。
何故今になって私にこんなことが起きたのだろう…いや、今はそんなことはどうでもいいのだ。
私は、大した理由も無いのに小町を傷つけてしまった。
……………小町が、私の大切なものであるが故に。
瞬間的に、後悔の念が私に押し寄せてくる。
小町は………どうしているだろうか。
まさか泣いてはいないだろうか。
心配になった。
口では色々言いつつも、私は小町を信頼し、信用していたのだ。
なのに私はわけも分からずにあんなに小町を突き放してしまった。
(明日の朝、迎えに行って謝りましょう…)
どう考えても私が悪いのだから。
そう決めた私に、突然睡魔が襲ってきた。
私は、布団に倒れこんだ姿勢のまま深い眠りに落ちていった。
◇
「…………」
自分の部屋に戻っても、小町は眠れなかった。
思い出していたのは今日の終わりの出来事。
四季様の冷たい視線、冷たい言葉、冷たい態度。
その全てが目を閉じると思い出され、眠れないのだ。
一言、謝りに行こうとも何度も思った。
でも、その度にきつい言葉を言われたらどうしようという想像が小町を引き止めていた。
今度、似たことを言われでもすればあたいは立ち直れるだろうか。
立ち直れたとしても四季様と前のような関係に戻れるだろうか。
「……………」
いいや、きっと無理だ。
一度開いた『距離』は、詰まることが無いかのように離れていくばかりだ。
距離を操る程度の能力を持つあたいでも、人との気持ちの距離は操れない。
そう思えた瞬間、悲しくなってきた。
体の奥の方から、何か熱いものがこみ上げてくるような感覚に襲われた。
堪えようとしても、押さえ切れなかった。
涙腺が緩む。
あたいは目を閉じだが、そうしたところで涙が止まるはずもなかった。
閉じられた目から滲むように涙が溢れ出した。
………情け無い。
久しぶりに泣いてしまうあたいが情けない。
あたいの勇気のなさが情けない。
これでは、明日の朝に四季様にあわせる顔が無い。
こうなることなら、もっと真面目に仕事をしていればよかった。
もう少しだけの真面目ささえあれば、あたいも四季様もきっと今までどおりで居られたはずなんだ。
「……………っ…」
出よう。
四季様には多分、あたいは合ってない。
四季様にはあたいのような出来の悪い死神より、もっと優秀な死神が相応しいのだ。
自分の机に座り、筆をとる。
適当な紙を引っ張り出し、あたいは手紙を書いて。
「………じゃあ………さよなら……」
机の上に手紙を置き、部屋にあった荷物も全部まとめ、自分の部屋に別れを告げた。
◇
目覚まし時計が鳴っている。
いつもの枕元じゃない、少しだけ離れた場所だった。
まだ眠い頭で思い出す。
(あ……私そのまま寝ちゃっていましたか…)
その間も目覚ましは鳴り続けている。
私は起き上がり、目覚ましを止める。
そのまま洗面所に行き、顔を洗って歯磨きをし、すっきりさせる。
髪の手入れが終わったあと、思い出す。
(そうだ、小町に謝りに行かないと………)
一通り支度を済ませた私は帽子を被り、部屋を出て小町の部屋へと向かった。
小町はどんな顔で出迎えてくれるだろうか、そんなことを考えつつ小町の部屋の前に立つ。
ドアにノックをしようとして一瞬ためらい、それでも私はノックをした。
コンコン、と控えめな音が響いた。
少しの間待ってみる、が反応が無い。
「…小町? まだ寝てるのですか?」
私はもう一度コンコンと強めにノックする。
しかし、またしても反応が無い。
よほど深く眠っているのだろうか。
でも、そろそろ仕事が始まる時間だ。
「小町? 失礼ながら開けますよ~?」
私はドアノブをひねり、小町の部屋に入った。
でも………
「…………小町?」
そこに、私の知っている陽気でサボりがちな死神は居なかった。
よく見ると綺麗に部屋が片付いている。
まるで引っ越した直後のように。
ふと、机を見ると置手紙があった。
私は急いでそれを手に取った。
手紙を開くと、小町が書いたのだろう、少しだけ雑な字が並んであった。
―『すみません四季様、あたいのような死神を雇ってくれてありがとうございました
これからは不真面目なあたいよりも、もっと真面目で優秀な死神を雇ってください』
「…………っ!!」
手紙は短く、閑散としたものだった。
しかし、よく見ると紙のところどころが不思議な形になっている。
ふやけて乾いたあとのように、一部が膨れ上がっていた。
そう、それは水玉模様のように。
それは、涙を流しながら書いたかのようで。
私は手紙を握り締め、無縁塚を出て三途の川に向かった。
昨日の自分の行動を深く後悔しながら。
「小町のバカっ………!!」
◇
「暑いぜ」
「そうね…」
「だな…」
博麗神社の縁側に白黒と紅白と、一つの人影がある。
みんながみんなうだるような暑さに足をぶらぶらさせていた。
だからといって涼しくなるわけでもないが。
一つはいつものように暇つぶしをしている霧雨魔理沙。
一つは神社の主である博麗霊夢。
そしてもう一つは………
「…にしてもどういう経緯であんたがここに居るわけ?」
「それはあれだぜ、サボりに決まってるじゃないか」
「それはまぁ…………」
「………?」
何故だろうか。
小町はあの後、目的もなく飛んでいた。
ただ何をするわけでもなく飛び回っていたら、いつの間にかここにきてしまっていたのだ。
この神社がいいと感じたわけでも無いが、自然とここへ向かっていた。
「ま、この際何でもいいけどね…サボりも程々にしておきなさいよ?」
「いや、まぁ……サボりというか…サボりでもないというか…」
「さっきからよく分からないわね………」
「暑いぜ」
「………あのねぇ…」
魔理沙だけが不思議な空間にトリップしていた。
というか、暑いのは事実なんだがそう暑いと何度も言われるともっと暑くなる。
「なぁ霊夢、こういう暑い日はやっぱり宴会だよな?」
「何でそうなるのよっ!?」
「小町もそう思うだろ、な?」
「うぅむ…………あたいはそんな気分じゃ…」
じゃああたいは何しにここに来たんだろう。
いや、それは多分些細なことだと思う。
ただ、ここの神社の居心地が不思議といいと思ったからだ。
それは、霊夢の人徳もあるかもしれない。
煙たがってはいるが追い出すような雰囲気でもなく、くつろいでいられる。
何かと不思議な場所だった。
「ほら、小町もそんな気分じゃないって」
「よし、じゃあそんな気分にさせるために宴会をするぜ!」
「何でよっ!?」
「何でだよっ!?」
霊夢と小町の声が見事にハモった。
二人、お互い顔を見合わせる。
不思議と、クスリと笑いあった。
しかし、そうこうしているうちに魔理沙は箒に乗って飛び立つ準備をしている。
「今日は珍しい奴が居るから盛大な奴にするか…じゃあなっ!」
「ちょ、ちょっとちょっと!」
「はは………霊夢も苦労が絶えないな…」
「じゃあ一度だけでもここの宴会の片づけをやってみる? 一人で」
「遠慮する」
ちっ、と軽く舌打ちを入れてそのまま霊夢が仰向けに寝転ぶ。
自分の手を団扇代わりにして扇ぐが、それでも熱風が来るだけだと思う。
「暑いわね………夜になったら少しは涼しくなるのかしら…」
「どうだろうな…」
「つまらないわね…」
なら聞くなよ、とも言いたくなった。
「………ねぇ、暇でしょ? 弾幕で対戦しない?」
「…下心見え見えだから遠慮しよう」
霊夢が賽銭の角度を微調整していた。
あたいの弾は銭だ。
いくらお賽銭が素敵だからと言っても博麗神社にはお金は全く入らない。
だからってあたいを利用するか…?
「つまらないわね~………」
「かなり失礼な奴だな……お前は三途を渡してやらんぞ」
とは言うものの、悪い印象は受けない。
それがこの巫女のいいところなのだろう。
だからたくさんの妖怪や人間たちが集まる。
本人は迷惑がっているが、嫌がってはいないのだろう。
だからあたいもここに来たのかもしれない。
「はぁ………今夜の宴会のことを考えると頭が痛いわ…」
「諦めも早いんだな…」
「魔理沙のことだから止めたって無駄なのよ……はぁ…」
「そうか…」
この二人はお互いを良く分かっている。
こうもお互いを良く知られていることが羨ましく思えた。
あたいも四季様とこんな関係であれ『た』ら…
過去形になってしまうことが悲しかった。
◇
「まったく、小町ったら何処に…」
私は小町を探して三途の川の岸に寄った。
渡し舟はあるものの、小町の姿が見えない。
やはり私が言いすぎたのだろう。
昨日のうちに謝りに行くべきだったと、さっきから後悔ばかりしている。
と、三途の岸辺に大量の霊が集まっていた。
小町を探すことも重要だが霊を裁くことも重要である。
私はしばらく悩んだ結果、今日は三途の岸辺で霊を裁くことにした。
こういうとき、仕事を選ぶ自分が凄く悲しかった。
私は霊が集まる場所へ降りていった。
《おや、あなた様は…?》
「あなたたち、今日は私がこの場で直々に裁判をします、よろしいですね?」
《は、はぁ………小町様はどうなされたのですか?》
「………小町? ………何故あなたが小町のことを知っているの?」
それもそうだ。
霊は小町によって私のところへ運ばれ、私によって裁かれる。
三途の岸辺に居る霊が小町を知っていることは不思議極まりなかった。
《いやぁ、小町様は私たちを船に乗せる前にたくさんお話をしてくれるのです》
「はぁ………」
《それで、昨日私もあなた様のところへ運ばれるはずだったのですが…》
「小町がサボったお陰でまだここに居た、と……」
《そうなりますね…ははは…》
なるほど、今の説明で合点がいった。
つまりは小町が霊たちと話をしすぎる所為で全く仕事が進まないと。
《ということは…もしやあなた様が四季様でしょうか…》
「ま、まぁそうですけど………」
《小町様から色々と聞いておりますよ。説教の時の顔が面白い、と…》
「っ!?」
途端、顔が赤くなるのを感じた。
凄く恥ずかしい話だった。
そんな話を小町は………まったくもう……っ!
《はっはっは、顔が赤いですよ?》
「ししし、静かになさいっ!?!?」
つい平生を装おうとするもなかなか上手くいかない。
呂律が回らず、いろんな場所で噛んでしまう。
十王の裁判長の一である私がこんなことで動揺するなんて…
ま、まったく、小町を後でもっと説教してやる必要が……
って、それだとまた私の説教の時の顔が………
「あぁぁぁぁあああ~~~~~~………どうすればいいのやら……」
《はっはっは、四季様もお話のように面白い方ですね》
「お、面白いなんて失礼ですっ!」
《いえいえ、小町様が四季様の話をするときの表情がなんとも嬉々としていたので…》
「…小町が………?」
小町が私の話をするときに、嬉しそうだった…?
その一言が、何だか照れくさい。
そんな小町に辛く当たってしまったことが、辛い。
《………小町様は良い方です。死んで塞ぎこんでしまった私たちを元気付け、励ましてくださる…》
「………そう、ですか…」
思い返してみれば確かにそうだ。
私が裁判をするときの霊は緊張はしているものの塞ぎこんでいた霊は少なかった。
少しだけ希望を貰ったような、そんな感じがしていた。
言われてみて、初めて気付くような些細なこと。
だけど、些細なことも大事であることだってあるのだ。
「………小町が…ねぇ………」
私は霊たちから視線を外し、大きな広い空を見上げた。
サボり癖のあった死神。
いつも飄々としていて、陽気だった死神。
無意識だろうけど、怪我の功名だろうけど…亡霊たちを励ましてくれた死神。
そして、私付きの死神。
死神の癖に、お人好しだと思えた。
その死神は、知らず知らずのうちに私までも元気付けてくれていたのかもしれない。
どうして私は気付けなかったのだろうか…
《……四季様? どうかなされました?》
「……え?」
どうやら、しばらく黙り込んで考えていたらしい。
その様子が亡霊たちに一抹の不安をよぎらせたのかもしれなかった。
「…いいえ、何でもありません………そうですね…」
小町がいない私に出来ること。
小町が出来ていたこと。
それを、私もやろうと思った。
「予定が変わりました。今日は裁判はお休みします」
《え…っ?》
亡霊たちが驚いたように私を見る。
私は、そんな亡霊たちに微笑みかけて、こう言った。
「今日は小町の代わりに、私が話し相手になりましょう」
◇
「……………」
博麗霊夢は額に明らかに怒りマークを浮かべていた。
同時に、後悔の表情も浮かべている。
なんとも器用な表情である。人間にこういう表情が出来るのかと感心するくらいだった。
その原因は、白黒こと霧雨魔理沙である。
「な、なぁ霊夢………そんなに怒ると肌に悪いぜ?」
「魔理沙っ! あんた呼ぶ人数にも限度があるわよっ!?」
「ま、まぁまぁ…いいじゃねぇか、宴会なんだし?」
「片付けは誰がすると思ってんのっ!!!」
「……………霊夢?」
「今日はアンタが片付けなさいっ!!」
霊夢が怒るのも当然である。
何と魔理沙は、幻想郷中を飛び回り、大量の人間と妖怪を呼んできたのだ。
「まぁ、いいじゃないのよ…夜なら私だって活動できるし、フランも嬉しそうよ?」
「レミリア……重要なのは時刻じゃないのよ…」
「お姉様~、咲夜が呼んでる~」
「分かった、今行くわ………というわけらしいから。じゃ、楽しませてもらうわね?」
霊夢にウィンク一つしてレミリアは咲夜のところへ向かっていった。
フランも虹色に輝く羽をパタパタさせながらレミリアについていく。
入れ違いに、妖夢が霊夢に向かってきた。
「何だか申し訳ない気がむんむんとするんだけど…幽々子様がどうしても、って駄々こねるから…」
「今に始まったことじゃないわよ…苦労人同士仲良くやりましょうね…」
「はぁ、まぁ出来るだけ酔わないようにしてみるよ…意識があれば片付けも手伝うから…」
「後半部分に凄く不安を感じるんだけど…」
「あ、あはは……気にしないで…」
「よーむー、よ~む~~~っ!! お酒が足りないわぁ~~~~~っ!!」
「って早っ!? 幽々子様、さっき3本運んだばっかりですよっ!?」
「よ~む~、よ~む~! よよよ~~む~~っ!! お酒が無いと大変だわぁ~~っ!!」
「一体何ですか『よよよ~~む~~っ』って!? そ、それじゃ私はこれで…」
「頑張ってね~……………」
妖夢が申し訳なさそうに一礼すると、幽々子の元に走っていった。
あんな主が居ると大変そうね…と、霊夢はしみじみと思う。
もし私が妖夢と立場が変わったとしたらどうなるだろう。
………
…………
……………
幽々子が餓死寸前な場面を幻視した。
あれ、幽霊って死ぬっけ…?
………まぁいいや。
「ねぇねぇ霊夢ぅ~♪」
「うん? あ、てゐじゃない、どうしたの?」
気が付くと、てゐが私のすぐ近くに立っていた。
「幸運を招くお賽銭、お一ついかが~? 今なら500―――」
「却下」
「まだ値段言ってないのに…」
「どうせあれでしょ、これを買うとお賽銭がどんどん入ってくる~…って言う詐欺じゃない」
「え~、それはそうだけど~……私の能力を忘れたの~?」
「う………」
人間を幸運にする程度の能力。
てゐがそう言うのならものすごく説得力がある。
確かに魅力的なお賽銭かもしれない。
一瞬手が伸びそうになる。
が、てゐが非常に笑顔でこっちを見ているのを見て、思い直した。
「やっぱり却下」
「え~…霊夢のお賽銭なんてどうせ1円も入って無いんでしょ~? それなら私のお賽銭の方が…」
「こら、てゐっ!! 何やってるのっ!!」
「わっ、厄介なウサギが来たっ!」
てゐが再び詐欺の道に走っていると、鈴仙が走ってやってきた。
てゐはすかさずそれこそ文字通り脱兎のように鈴仙から逃げ出す。
その速度はなかなかのものだった。
逃げ足は速いというか…詐欺師のスキルを全て持っている気がした。
「あっ、こら! …………全くもう…」
「いいじゃない、引っかかりそうになったけど害は無いわ」
「そうじゃなくて~………せっかく閻魔様にお説教してもらったのに全然懲りてないというか…」
「まぁ、あれも一つの生き甲斐なんじゃない?」
「嫌な生き甲斐ね…」
「確かに………」
自分で言ってなんだが、鈴仙に突っ込まれるまでもなく嫌だった。
二人、呆れたように乾いた笑いを漏らす。
「早く追いかけないと、あの子また詐欺るわよ?」
「あ、そういえばそうだった……ごめん霊夢っ、それじゃ楽しませてもらうわ~!」
ちなみに詐欺るとは今作った言葉だ。通称霊夢語。
いや、別に私が創始者じゃないかもしれないけど。
っていうか、創始者って何だ、私。何かの宗教じみてきた。
宗教………霊夢教。
…
明らかに胡散臭そうな教団だった。
流れ的に幹部は私だろう。
…
胡散臭さ3割増。
「そうよねぇ…霊夢教なんて信者一人で終わりそうよねぇ…あ、もちろん一人っていうのは霊夢ね」
「な…っ! ゆ、紫っ!? あんた何処から出て…いや、それよりなんで考えてること分かるのよ!?」
「ん~…最近お賽銭が全然入らないんだもの、家計が厳しいわ~…」
またいきなり話題をトリップさせる…
紫に付き合ってるとろくなことが無い。
しかも意味不明なことを言ってるし………
「はぁ? お賽銭…?」
「そう、素敵なお賽銭箱」
「……………?」
「まぁ、気付かないなら気付かないでいいわよ~♪」
紫はそれきり、幽々子のところに突撃していった。
のちに、魔理沙があいつは呼んだ覚えないぜ、とも言っていた。
あー、どうせそんなことだろうと思いましたよ。
呼ばないときに限って出てくる奴でしたねあいつは。
「酷いわ霊夢、そんなこと考えてたなんて」
「スキマから顔だけ出すなっ、ホラー映画じゃあるまいしっ!」
「あら残念」
紫は再びスキマを閉じて宴会に集中したようだ。
宴会に集中されても困ることには変わりが無い。
「なんてヤなやつなの、あいつは………」
「はは、紫様には私も手を焼かされるよ」
いつの間にか藍が私のそばに来て、縁側に座っていた。
紫に式にされていろいろと苦労が絶えなさそうな妖怪の一人だ。
「藍…アンタも苦労人’sの仲間入りね…」
「いや、私は随分と昔に慣れてしまったよ、紫様は寝てばかりだからな~…」
「いや、この際人数は多いほうがいいわ、あんたも苦労人’s、これ決定」
「え、あ、あぁ……まぁ、いいが………」
「ちなみにメンバーは妖夢、ウドンゲ、私、あんた。レッドは私ね」
「れ、れっど…?」
「アンタはイエロー、カレー好き」
「は、はぁ? カレーは確かに嫌いじゃないが…油揚げの方が…」
「妖夢はグリーン、地味」
「無視か……言いたい放題だな、何か嫌なことでもあったか?」
「………聞きたい?」
「………い、一応な…」
藍がごくりと唾を飲む音が聞こえる。
興味半分、恐ろしさ半分といった表情で私を見つめている。
「すぅぅぅぅぅ……………」
私は息を大きく吸った。
準備完了。
波動砲、エネルギー充電120%。
120%まで溜めると爆発しないか、という突っ込みはこの際なしにする。
「こ・の・え・ん・か・い・よっ!!!」
◇
「何ちびちび飲んでるんだ、らしくないぜ?」
「魔理沙か…」
小町が少し集団の輪から離れて飲んでいるところに、魔理沙が近寄る。
その顔は既に赤らめており、酔いが少し回っていることを示している。
魔理沙はどっかと小町の隣に腰掛けた。
「今日は変だぞ、お前~……仕事もせずにずっとここに居るなんてらしくないぜ~…あ、ある意味ではらしいけどな~」
からみ癖があるんだろうか、魔理沙はあたいに酔った顔を近づけて言う。
吐く息が少し、いや、かなり酒臭かった。
どれだけこいつは酒に強いんだろう、と時々思う。
いや、強いわけでもないとは思うが、絡み癖はどうもやめて欲しい。
「そうだな………」
「閻魔様と何かあったのかぁ~? 人に話せば何か楽になるかもしれないぜ~?」
「………お前に話すようなことなんかじゃ…」
「いいえ、魔理沙の言う通りよ。困った時は人に悩みを話す、それが一番の治療法よ?」
「まぁ、そうだな…人間に限らず、意思あるものはそういうことで気が楽になることもある」
「永琳…それに慧音か………」
顔を上げると、長い髪を月の光に輝かせて二人が歩み寄ってきた。
どうも、二人は酔った気配が無い。
酒に強いのか、それともあまり飲んでいないのかは定かではなかったが…
「お~? お前らお守りはいいのかぁ~?」
「妹紅と姫のこと? あの二人なら…」
「双方ダウンした、どうやら二人とも素面だったようだな…」
「ほ~…まぁ、確かに二人とも弱そうだったしな~」
酔いが回っている魔理沙がけらけらと笑う。
お前だって酔っ払ってるだろう、と思ったがまだ意識があるので言わないことにした。
どうせ言ったところで目を覚ましたら覚えていないだろうが…
「で? 何を悩んでいるの?」
「…………すまない、言えるような内容じゃないんだ…」
「そうか? まぁ、無理強いはしないが強がるのもいけないと私は思うがな…」
「強がる…? あたいが…?」
強がってなんかいない。
そう口にしようとしたが躊躇われた。
今のあたいが強がってないと、本当に言い切れるだろうか。
いつものあたいならここで色々喋っているんじゃないか。
確かにあたいは強がっているのかもしれない。
でも、正直に言うのも躊躇われた。
複雑な心の葛藤があたいを悩ませる。
そんな中、魔理沙の声がした。
「ったくよ~、お前がそんな風にいじけてると酔いも覚めちまうぜ~?」
「い、いじけてなんか…」
「意地張っちゃダメよ、身体に悪い薬だわ」
「永琳まで………」
「ほらほら、こういうときは酒でもがば飲みして全てを忘れるってもんだぜ~っ!!」
魔理沙が一升瓶片手にあたいに迫ってくる。
いや、ちょっと待て、さすがのあたいでも一升瓶はちょっと…
逃げようとした瞬間、永琳ががっしりとあたいの身体を掴んだ。う、動けない…
永琳の顔を見ると、かつて無いくらいの笑顔だった。逆に怖い。
今度は慧音に助けを求めようとした。が、動く気配が無い。達観していた。助けろよ…
そうこうしているうちに魔理沙があたいに迫る。
思わず引く、だが永琳が放さない。
魔理沙が迫る、迫る、迫る。恐怖だ。
「ひ、ひえぇぇっ、お助けぇえええええええええええ!!!??」
「オラオラ、飲んで飲んで飲みまくれ~~っ♪」
直前に見たのは魔理沙の楽しそうな表情だった。
あたいは押し倒され、有無を言わさず一升瓶を口の中に注ぎ込まれた。
断っておくが、『酒』じゃなく『一升瓶』を押し込まれた。
飲みきれなかった酒が口の端から飛び出て身体に流れる。
「はっはっは~っ♪ 全身酒まみれなのも悪くないぜ~♪」
「や、やりすぎだと思うが…」
慧音が少し青ざめていた。そう思うなら魔理沙を止めてくれと言いたかった。
と、思ったそのときだった。
大量の水があたいもろとも魔理沙に浴びせられた。
「ぶわっ!? なな、なんだなんだっ?!」
「魔理沙、あなたちょっとやりすぎよ」
「何だ、パチュリーか…全く驚いたぜ~…」
魔理沙の背後にパチュリーが立っていた。気のせいか、顔が赤い。
しかし、あれだけ大量に水を浴びたくせに魔理沙はちっとも酔いが覚めてない気がする。
「まったく、魔理沙もちったぁパチュリーを見習って欲しいもんだね~」
「おぉ? 小町も言うようになったな~」
「はっ、伊達に三途の渡し守してるわけじゃないっての~」
「クス…」
パチュリーが小さく笑った。
何故だろう、と思ったがそれ以前にあたいが普通に喋ってることが気になった。
気が付けば、体中が随分と酒臭い。
慧音も永琳も、二人して笑っている。
もしや……と思ったが、それは確信に変わった。
「魔理沙はやらせないわ~………っく…」
「……………」
パチュリーは酔っている。
喘息の癖に酒を飲むとは何事かと思ったが、ろくに思考が働かない。
となると、さっき大量に浴びせられたのは水ではない。
デリュージュフォーティーディの水かと思っていたが…水が全部酒だ。余計に性質が悪い。
が、あたいのまともな思考もそこまで考えて、終わった。
◇
「鳥が~走ると~、世界記録~♪」
「ねぇ、あれどうにかならないの?」
「私に言われても…チルノちゃんはどう思う?」
「へ? あたい? あたいは最強だけど?」
「………」
ミスティアが快く歌っているところに、大妖精とリグルとチルノが居る。
正確には、大妖精とリグルとチルノが居たところに酔ったミスティアが突撃してきた。
いきなり突撃してきてリサイタルとは、迷惑千万な奴だ。
チルノはチルノで人の話は聞かずひたすら食ったり飲んだり…
「ミスティアちゃん、お酒飲んでるんだよね…」
「じゃないとあんなに気持ちよく歌ってないと思うよ…」
「私たちはジュースなのに…」
唯一まともな思考の大妖精とリグルが会話する。
チルノも酔ってはいないがまともに人の話を聞かない、というか現に聞いていなかったので除外。
と、そこに両腕を開いた何かが突っ込んできた。
「そーなのかーーーーー………」
「人間は走っても~……地べたふぎゃっ!?」
両腕を開いた何かはリサイタル中のミスティアを巻き込んで、どこかに転がっていった。
よく姿は見えなかったが、ふらふらと飛んでいた。
しかもあの姿勢をするのは幻想郷広しといえども一人くらいしか思い浮かばない。
「…ルーミアちゃんも酔っちゃってたのかな…」
「だろうね……あの調子じゃ…」
「「はぁ………」」
実は、ここにも苦労人’sはいたのだ。
◇
「まぁな~……ちょっと昨日四季様に怒られてな~…それがいつもの怒り方じゃなかったんだって!」
小町が酒ビンを片手に喋っている。
パチュリーは魔理沙に寄り添ったまま、永琳と慧音は座って普通に話を聞いている。
当の魔理沙は眠ってしまったのだが。
「へぇ~、普通じゃない怒り方ってどんなのかしら?」
永琳が疑問を挟む。
小町が怒られるのはいつものことだ。
だが、あの小町が普通じゃない怒られ方をしたのでここに来たとしたら、非常に気になる話ではある。
慧音も同意見のように、小町に無言で話の続きを促している。
「それがねぇ~、いつも以上に嫌味ったらしかったというかぁ~…」
「嫌味?」
「そう、何だか『真面目な』死神が欲しかったとか何とか言っちゃって~、真面目だけ強調するんだぞ~?
これが嫌味じゃなかったらなんだって言うんだ~! ってな感じでぇ~…」
「そうか…あの映姫がそんなことを言うなんてな…」
「慧音、どう思う?」
「まだ結論は出せないな…永琳は?」
「あなたと同じよ」
小町が話している最中、永琳と慧音は小声で話し合っていた。
しかし、小町はそれに気付いたようもなくただ話し続ける。
「でその後がさぁ~…『今日はもう終わりよ』な~んて冷たく言われちまうとさぁ、こっちだってやる気が殺がれるわけですよ、はい」
「あなたにやる気という単語が出てくるなんて思わなかったわ」
パチュリーが地味に突っ込む。
「そこぉ、うるさいよ~!」
「まぁまぁ…それで、あなたはどうしたの?」
「よくぞ聞いてくれたっ! あたいはさぁ、もうそれきり四季様にはついていけねぇって思ってさぁ…
そんな態度とるくらいならあたいを雇うなよ~っ! って言いたくなったね、あたいは」
「で、ここに至るというわけね」
「そうそう、まったく四季様もあぁまで怒らなくていいのになぁ~、カルシウム足りてないんじゃないかって思うよ」
そこまで話すと、小町はもう一杯、酒を仰いだ。
永琳と慧音は少しばかり小声で話したあと、小町に顔を向けた。
「小町、あなたはそれでいいの?」
「はい? いきなり何を言っ」
「静かにしないか」
慧音のその言葉に、小町は四季様に突き放されたことを瞬間的に思い出した。
―『黙りなさい』
―『言い訳は聞きたくありません』
昨日の映姫の言葉が頭の中で何度もリフレインする。
慧音の攻めるような視線が癪に障った。
瞬間、小町の中の何かが切れた。
慧音の胸倉を掴んで、叫んだ。
「あんたに…あんたにあたいの何が分かるっ!! あたいは、あたいはっ!!」
「何も分からないさ、お前が何を考えているか、気持ちを理解するとか私には無理な話だ」
「そうだよ! 何も分からないような奴にっ!」
瞬間、小町の顔が弾かれたように横を向いた。
乾いたような音がして、小町は何が起こったかわからなくなった。
数瞬して、頬にジンジンとした痛みが広がってきた。
横を見ると、永琳が小町の頬を張ったのだと悟った。
「責めるならお門違いよ、小町」
「永琳………っ!!」
永琳にも、先ほどの慧音のような視線で見られた。
責めるような、突き放すような冷たい目だった。
それが、その目が、その態度がやはり小町の逆鱗に触れた。
そして、まるで癇癪を起こした子供のように、叫んだ。
自分の存在を激しく主張するように、必死で吠えた。
「何でっ!! 何でお前たちまでそんな目であたいを見るんだっ!! そんな…もうたくさんなんだ!!
もうそんな目で見られるのは嫌なんだ!! もう嫌われるのは嫌なんだっ!!」
小町は、まるで駄々っ子のように泣き叫んだ。
不恰好だと、自分でも思った。
でも、泣き叫ばずにはいられなかった。
「………ここなら、あたいにだって居場所になってくれるはずだ。
そう思ったからあたいはここに来たんだ。なのに何であたいはそんな目で見られなきゃいけないんだ!
あたいはもう……もう何処に行けばいいのか………っ!! ……わからない…わからないよ、永琳、慧音…っ!」
「……………小町…」
「あなた、馬鹿じゃないの?」
途端、パチュリーの声が響いた。
「居場所をなくしたのはあなた自身。他の誰かが奪ったのではなく、あなたが自分で居場所をなくしたのよ」
「な……に………?」
「奪われたのなら取り返す、壊れたなら作り直す。じゃあ失くしたものは? ………それは自分で取り戻すしかないのよ」
「パチュリー…」
次にパチュリーの言葉を、永琳が引き継いだ。
そう、先ほどとは違う、冷たい目ではなくて暖かさを感じる目で。
「パチュリーの言う通りね…人間であれ妖怪であれ、生きとし生ける者に意思がある限り思想の相違は生まれるものよ。
それは生きる上での大きな壁となって立ちはだかるわ。でももしそこで挫けたら? そこで立ち止まったら?
そう、それ以上先へは進めない。壁は崩れることもなく、永遠にあなたの前に立ちはだかるだけよ。
誰かが手助けしてくれるでもなく、誰かが壁を崩してくれるわけでもない、解決するのは自分自身なんだから」
「永……琳………」
「………私の人里でも、子供たちはよく喧嘩をする。どちらかが悪いのでもなく、良いのでもなく…な。
しかし、ひとしきり喧嘩をしても翌日となればまた同じ楽しい生活が始まる。子供は純粋だからな。
…だが、不思議なもので年齢を重ねるほど相手には謝りにくくなるものだ。
大人となると自分が悪いと分かっていても謝りたいのに謝れない、そんな日が何日も続き………最悪、破綻する」
「っ…」
破綻という言葉に小町は少し体を震わせる。
小町は恐れているのだ。映姫との破局を。
慧音は続ける。
「だが、今のお前はそうじゃない…まだたった1日じゃないか。お前はまだ大丈夫だ。
今のお前に足りないのは、謝る勇気。まぁ、口で言うと容易いが、実際難しいものだろう?」
「………ああ…」
そうだ、そのことはあの夜に何度も思ったじゃないか。
謝りに行くこと。
あの時は、謝りに行って、辛い言葉をかけられたときのことを想定して怖がっていた。
あたいは臆病風に吹かれて、この場所へと来ているんだ。
これでは、本当にただの弱虫だ。
そうだ、ここで立ち止まったりなんかしてはいけないんだ。
辛い言葉をかけられても、何度も謝りに行く。
許してくれなくても、許してくれるまで何度も謝るんだ。
だって…だってあたいは、四季様と一緒に仕事がしたいから…!
「私たちはあなたの勇気を後押しすることは出来ないわ…これはあなた自身の問題だから」
「心からぶつかっていきなさい、映姫もあなたの誠意が伝わればきっと許してくれるわ」
「だからお前の気持ちを精一杯、ぶつけて来い。辛くなったら、また相談に乗ろう」
「パチュリー、永琳、慧音………」
「あ~~、それと、だ」
ふと、しばらく聞いていなかった声が上がった。
黒の帽子を目深に被って、先ほどまで寝ていたはずの魔理沙だ。
べろんべろんに酔っていたはずだが……
「………魔理沙、起きてたの?」
「いや、まぁちょっとばっかし前からだがな…」
寄り添っていたパチュリーが意外そうな声を上げる。
あれだけ近くに居たパチュリーに起きたことを気付かせないとは、魔理沙の無駄なスキルである。
「お前、さっき嫌いになるか何とか言ってたけど…ここのみんなは、誰一人としてお前を嫌っちゃいないぜ」
「魔理沙……」
「サボタージュの泰斗、お前が本当に嫌いなら私たちはお前と会話なんかして無いぜ」
魔理沙は、手をピストルの形にして、小町に向けた。
「…知ってるか? 愛情の正反対の言葉は憎しみでもない、無関心だってな」
指はそのままに指鉄砲でバン、と撃つかのように腕を軽く上げた。
酔った頭で、しかしまともなことを言う、とパチュリーは思った。
「無関心、か……………………ふふっ…」
サボタージュの泰斗。
いきなりこう言われたことに少し可笑しくもあった。
思えば、いきなりコイツが名付けたのだ。
でも、不思議と悪い感じはしない。
魔理沙という人物がそうさせているのだろうか。
どっちにしろ、霧雨魔理沙という人物に出会えて本当に良かったと、心から思う。
「どうにか解決したみたいだな」
「そうね……それと小町、さっきの痛かったかしら…」
永琳が少しだけ心配そうにあたいを見ていた。
さっきの、というと頬を張ったことだろう。
その永琳の優しさがあたいには暖かかった。
「あぁ、確かに効いたよ……でも、今は感謝してる」
「そう………それならいいんだけど…」
「ははっ、本当に大丈夫だからいいって。それよりも…永琳、慧音、パチュリー、そして魔理沙………ありがとな」
「へ、へへっ…やっぱお前、今日はらしくないぜ…」
魔理沙が照れ隠しに、帽子を目深に被りなおした。
永琳と慧音はその様子に微笑をたたえている。
パチュリーは少しだけむすっとした表情だったが。
「いや、らしくなくても…もう一度言わせてくれ………ありがtぐはぁっ!?」
「そーなのかーーーーー………」
「きゅぅ~………」
突如、小町の後頭部に謎の二人組が追突した。
小町を除くその場に居た全員が、目を丸くする。
衝突したのはただの酔っ払いと化したルーミアと目を回しているミスティアである。
無論、二人には悪気は全く無いのだが…感動的な台詞を言いそびれた小町にとっては目の敵である。
「お、お前らぁ~…………二人まとめて彼岸に送ってやるっ!!」
「そ、そーなのかーーーっ!?」
「ちょ、ま、待てよ小町っ!!」
「止めるな魔理沙っ! 食らえお前らっ、死神『ヒガンルトゥール』っ!!」
と、小町が放とうとした時だった。
なにやら神社の方から土煙を上げつつこちらに何かが向かってくる…
「だぁぁぁあぁぁぁっ!! お金寄越しなさぁぁぁぁぁぁいっ!!」
「うわっ、霊夢が血相変えてお賽銭箱持って突撃してきたぜっ!?!?」
「お金の匂いにだけは敏感だな…」
と、慧音。
「目がイってる………」
と、これはパチュリー。
「あっ、弾幕だぁ~~っ!! 遊ぼうよ~~っ!!」
と、そこに小町の弾幕に引き寄せられてきたのか、フランドールが飛んできた。
すると、その向こうに小さくレミリアの姿が見える。
さらにレミリアと並んで、咲夜も猛追してきていた。
「フランっ、ちょっと待ちなさいっ! 危ないわよ!?」
「お嬢様、危険ですっ! ここは咲夜めにお任せをっ!!」
「あらあら、紅魔組も来たようね~」
何かと楽しそうな永琳。
すると、騒ぎを聞きつけたのか知らないがプリズムリバー三姉妹まで登場してきた。
しかし、弾幕をするのでもなくひたすらにアップテンポの曲を演奏し続ける。
BGMとしては悪くは無いのだが如何せん少々うるさい。
「姉さんっ、もっと激しく楽しく豪壮華麗、絢爛豪華にっ!!」
「あ~、私の得意分野ね~♪」
「………リリカが私をいじめる……」
「……………あいつら呼んでないぜ…?」
魔理沙が呆れたように呟く。
しかし、来てしまったものは仕方が無い。
別に宴会の乱入を拒むつもりも無い、というか宴会を拒む理由も無い。
偶然見つからなかっただけである。
「まぁ、いいじゃない…?」
「やれやれだぜ…パチュリー、悪いが私はもう一眠りするぜ…」
魔理沙は飲み疲れかは知らないが、パチュリーの方にもたれかかって目を閉じた。
「ちょ、ま、魔理沙……こんなところで………ってもう寝てるわね…」
「すぅ……すぅ………」
パチュリーの言葉むなしく、魔理沙は音速で眠りに入っていた。
パチュリーは別に嫌がるわけでもなく、少し頬を赤らめていた。
「うわぁぁっ!? 賽銭箱で前が見えないっ!?」
「お金ぇぇえぇぇぇぇぇええ!!」
「そーなのかーーーーっ!?!」
「禁弾『スターボウブレイク』~~っ♪」
「フランっ、やりすぎよっ!?」
「お嬢様、ここは私が抑えますっ!!」
もはや、宴会どころの騒ぎではなかった。
博麗神社の宴会は、壮絶な弾幕戦となってしまった。
「それで小町、もう一度言いたかった言葉は何なのかしら~?」
「に、二度と言うものかっ!!」
永琳の言葉に顔を真っ赤にして返した小町だった。
「あ、ほらよ~む~、綺麗な弾幕ね~…あれはフランちゃんのスターボウブレイクかしら~♪」
「うぅ………気持ち悪…」
「もう、妖夢ったらだらしないわね~……それじゃ景気付けに妖夢にもう一瓶~♪」
「幽々子様っ、私を殺す気ですかっ!!」
「あら、半分死んでるじゃない?」
「半分生きてますよっ!!」
「………いっぺん、死○でみる?」
「…著作権に関わりそうなことはやめてください幽々子様」
「あら、一度言ってみたかっただけなのに………ひどいわ妖夢……」
「あ~、はいはい………どうでもいいですけど私を少し休ませてくださいね……」
「あ~~っ、酷いわよ~む~~っ!! 私を捨てるのね~っ、散々弄んでおいて私を捨てるのね~っ!?」
「誤解を招くような発言は控えてくださいっ!! ……うえっ…叫んだら気持ちが悪く…」
「あぁ、妖夢っ!? そんな………助けてくださいっ、助けてくださぁぁぁぁぁぁいっ!!」
「だから著作権に関わりそうなことはやめてくださいって!!」
◇
もうじき日付が変わる。
だというのに小町は帰ってこない。
それは当然だろう、置手紙まで書いてまた戻ってくるなんて変人のすることだ。
だけど…私は小町に戻ってきて欲しい。
だって、彼女は私が選んだ、私だけの死神だから。
他の死神を雇うなど考えられなかった。
私は、もう何度目かわからないため息をつく。
「はぁ…今頃何処に居るのでしょうか…」
今日、私も仕事をサボったことになるのだろう。
三途の川で亡霊たちと会話し、仕事はやっていないのだから。
だが、その会話の中で私は、私の知らない小町の一面を知ったような気がした。
三途の川渡し。
不安、恨み、妬み、焦燥感、そして恐怖…
さまざまな感情を持って死んだ霊たちが脅えつつも渡らなければいけない川。
その川を渡るために必要なのは、生きた価値の財産を全額支払うこと。
それを手放すことはまともな神経では即断即決など出来はしない。
そこに現れるのが小町だ。
彼女はいつものような陽気な会話で亡霊の負の念を取り除く。あくまで無神経だろうけど。
小町の会話を聞くだけで、自然と勇気が沸いて出てくるのだという。
全財産を手放すのを渋っていた気持ちが、手放してもいいような感覚になるという。
その会話のネタが、随分と私絡みなのは非常に気になったが。
だけど、そのお陰で私は裁判ができるのだ。
死神と閻魔、二人の息が合ってこそ裁判の流れはスムーズに行くのだ。
「………はぁ…」
ため息をつき、ふと窓の外を見る。
窓の外には綺麗な月が浮かんでいる。
小町もどこかでこの月を見ているのだろうか、という気分に浸る。
もう既に勤務の時間は終わっている。
だが、私はこうしていつもの椅子に腰掛け、小町が帰ってくるのを待っている。
やはり、探しに行ったほうがいいのだろうか。
だが、今は夜だ。夜に探しに出たとしても、見つからないようなことは分かっている。
ましてや小町はサボり癖があるとはいえ多くの面で優秀だ。
隠れることに専念すれば、私の捜索など無意味なのだろう。
(また明日、探しに行きましょう…)
私は、そう決めた。
でも、何故かいつもの椅子から離れることは出来なかった。
それは、私が小町が帰ってくることを期待していたからなのだろうか。
帰ってくるはずが無いとは分かっていても、頭のどこかでは帰ってくるかもしれないという気持ちもあるのだろう。
私は、自分の気持ちに嘘がつけないことが情けなかった。
白黒はっきりつける程度の能力を持つ私が、頭の中で白黒はっきりつけられていないじゃないか。
軽く自嘲気味に笑うと私は机の上の閻魔帳に手を伸ばした。
結局、私はこの場所で待つことにした。だが、身体を動かしていないとおかしくなりそうだった。
閻魔帳を開き、過去に裁いた履歴を見返し始めた。
◇
「ん………うぅ………」
「あら、お目覚め? 意外に早かったわね」
小町はゆっくりと目を開ける。
まだ頭がぐらぐらする。
まぶたが非常に重い。身体も心なしか重く感じられる。
たったこれだけの作業がここまで辛いものだとは思わなかった。
ようやく開いた目線の先には、紅白の人影…霊夢が後片付けをしていた。
「あれ…あたいは………」
「起きたなら片付け手伝ってくれる? 妖夢もウドンゲもべろんべろんで使い物にならないのよね…」
あたいも似たような状態だ、と言おうとしたがやめた。
目を凝らすと妖夢と鈴仙が顔色を悪くしてグロッキーになっていた。
確かに、あたいのほうが動けるかもしれない、と思った。
周囲を見渡すと数人、いまだに飲んでいる人影もあった。
幽々子と紫、それに萃香と文、そして永琳だ。
少人数だけの2次会…3、4次会かもしれないが、盛り上がっていたのはそこだけだ。
気が付くと、紅魔館組の姿が見えなかった。
「霊夢…レミリアたちは?」
「あぁ、ついさっき帰ったわよ…何でも、フランが眠たくなったらしくてね」
「なるほどな…っとと………」
身体を起こし、立ってみる。
やや世界はまだ回っているが、そんなに酷くはない。
そこまで酔いは酷くないようだ。やれる。
「すまんな、あらかた片付けさせてしまって」
片づけをやろうとしたが、大部分は大雑把にだが片付けられていた。
それを見てあたいは随分と長い間眠っていたんだろうと思った。
「別にいいわよ、こういうの慣れてるしね……それにしてもホントに今日はらしくないわね」
「霊夢までそう言うのか……」
「そうよ、あんたの口からすまないなんて言葉が出るとは思わなかったわ…」
「そ、そりゃぁ…」
確かにそうだ、普段のあたいなら礼の言葉どころか、片付けもきっとしていかないだろう。
なるほど、言われてみて気付くものだって確かにある。
「初対面でいきなり『思い直せ』なんて言われた奴にねぇ…」
「いやぁ、三途に来る人間は自殺したがりだからついな…」
「半分嘘ね、自分の仕事の量を増やしたくなかったんでしょう?」
「……やっぱりバレるか…」
「これでも一応巫女なのよ」
「それとこれと何の関係がある…」
「さ、早く一部以外片付けてしまいましょう?」
「話を聞けーっ!」
ふふっ、と二人で笑い合う。
こんな日常のやり取りが、楽しい。
昔から博麗の家系はこんな感じなのだったのだろうか。
人からも妖怪からも、そして死神からも好かれる…
そう、小町は霊夢のことは嫌いではない、むしろ好きな方だ。
博麗大結界を張った先代の博麗だって、きっとこんな人物であったのだろう。
誰よりも幻想郷を好み、誰よりも幻想郷の幸福を望み、そして誰よりも――――――
―幻想郷を愛していた―
目の前の巫女は確かにその血筋を持っているのだろう。
血は争えない、と向こうの世界の言葉にもある。
この不思議な人徳があればこそ、幻想郷は平和でいられるのだ。
そして、今の幻想郷があるのだ。
「………何ボーっとしてるのよ、手がお留守よ?」
「おっと、これは失敗だったな」
どうやら考え事に耽っていたらしい。
一つのことに集中すると行動が止まってしまう、あたいの謎の癖だ。
三途の幽霊たちとも、話し込んでつい手が動かなかったものだ。
自分で可笑しくなってくる。
「……あ~、あと私にそっちの気は無いからじっと見つめても無駄よ」
「誰がだ、誰がっ!」
即座に突っ込みを入れ、再び転がっている酒瓶を拾い集める。
と、目を向けると酒樽まで転がっていた。一体誰が持ち出したんだこんなもの…
「それより、何だかご機嫌じゃないか?」
「まぁね、あんたのお陰でお賽銭箱が久々に膨れたからね~」
「久々じゃなくて初めての間違いじゃないか?」
「…………」
「…………」
「久々よ?」
「今の間は何なんだーっ!?」
そういえば意識を失う前に弾幕合戦をしたような気がする。よく覚えていないが。
でも、別に覚えているとか、覚えていないとかはいいと思う。
楽しければそれで楽しいものだ。
だから、あたいもこの幻想郷に住むみんなが大好きだ。
そして、この幻想郷も大好きだ。
なら、今この時を精一杯楽しもう。
過去を振り返るのもいい、だけど後悔はしない。
後悔は、ただ歩みを止めるだけのものだから。
大事なのは過去を振り返り、その経験を今にどう活かしていくべきかだと思う。
「…………ありがとう、霊夢」
「な、何よ、いきなり改まって気持ち悪いわね………でもま、私からも礼を言うわ、片づけしてくれてありがと」
「あぁ…お互い様、な」
「…で、あんたはこれからどうするの?」
「決まっている。これから四季様にこってりと絞られてくるさ」
「そう………あんた、昨日ここに来た時よりもいい目になったわね」
「よしてくれ、お前もらしくないぞ」
「私はいつでも清廉潔白、品行方正な素敵な巫女よ?」
「がめついくせによく言う…」
「何よ?」
「何だ?」
至近距離で睨み合う。
が、霊夢が先に目線をそらした。
その後、やれやれと小声で呟くと、小町のほうに向き直った。
「さぁ、ほら行った行った、早く行かないと1秒ごとに小言が増えていくわよ」
「そ、それは勘弁だな……それじゃ世話になった、魔理沙にも礼を言っておいてくれ」
「やーよ、それはあんたがまた今度来たときに直接言いなさい?」
「ま、それもそうだな…」
あたいは捩じれた鎌を肩越しに担いだ。
もう月はほとんど傾いている。
四季様は眠っているだろう。
なら、明日からは真面目に仕事をしよう、それがあたいに出来る唯一のことだから。
あたいは、霊夢に見送られて博麗神社を後にした。
月明かりの下で、永琳が誰にも気付かれずに、小町に微笑みかけていた。
◇
手にしていた4冊目の閻魔帳を机の上に放り投げた。
これまで裁いてきた霊の数は多く、目を通すだけでも目が痛くなりそうだった。
ある魔女は言っていた。
目が悪くなったのではなく、目が近距離のものを見ることに特化しただけ。
それ以外は不要なものとして目が捨ててしまったということ。
このままでは自分も近眼になりかねないと思った。
しかし、日付が変わってもう4時間も経つ。
小町がここには戻ってこないと知りつつも何故か淡い期待を抱いている。
だからこそ、私は待っているのだ。
だけど、慣れないことをした所為かもう目蓋が重い。
10秒間くらいあれば眠ってしまいそうなほど重い。
明日からは、今日のようにサボりはしない。
もう寝ないと明日の勤務に支障を与えてしまう。明日、と言っても今日だが。
映姫は机のスタンドの明かりを消し、椅子から降りた。
ギィ、と椅子が鳴った。
「あの時も、この椅子はこんな音を出していましたね………」
愛用の椅子に手を触れ、優しく撫でる。
そしてそのまま、しばらく物思いに耽った。
私は帽子を脱ぎ、首を振った。
同時に一方だけ伸ばしている緑の髪が首の動きにつられて空中を踊る。
もう、寝よう。
私らしくはないが、仕事のことは起きてから考えよう。
私はゆっくりと自室へと繋がるドアに手を掛けた。
金属製のノブが何故だか妙に冷たく感じられた。
ドアノブを捻ったその時だった。
突如、背後の扉がドン、と音を立てて勢い良く開かれた。
「四季様っ!!?」
そして、そのドアの向こうに立っていた者は…
赤い髪を二つに束ね、純和風の着物を着て、いつものように曲がった鎌を持っていた。
そう、それは私が良く知っている死神………
―名を
―小野塚小町と言った
◇
「四季様っ!!?」
あたいは扉を勢い良く開けた。
こんな時間までこの部屋の電気が点いていたことが不思議だったからだ。
最初は、ただの電気の消し忘れだと思った。
が、四季様がそんなことをするはずが無いと、自分の意見を即座に否定した。
となると、今までこの部屋にずっと居たということになる。
理由は分からなかった。
でも、今すぐ四季様に会いたいと思った。ただそれだけだった。
「…小………町………?」
四季様が呆然とした表情で私の方を見る。
「四季様、こんな時間まで一体何を…!? いや、それよりも無理をしないでください、大事な身体なんですから!」
「あなた…本当に小町……?」
「はいっ、四季様お付きの死神の、小野塚小町ですっ!」
「……………」
もう四季様は新しい死神を雇っていたのかもしれない。
でも、あたいは『四季様お付きの死神の』と言った。
あたいは、四季様にずっとついていきたかった、だからそう言ったのかもしれない。
もしくは、自分勝手な思い込みだが、まだあたいを死神として使ってくれるのかもしれない、という思いもあった。
どっちにしろ、あたいはまだ四季様と一緒にいたかった。
少々傲慢かも、自惚れが強すぎるのかもしれない。
もしかすると、もう厄介者なのかもしれない。
だけどあたいは自分の気持ちには正直に生きていきたいのだ。
「そう………小町……本当に小町なのね……」
「は、はいっ、そうですけど……それがどうかしま―――」
「バカですかあなたはっ!! 私がどれだけ心ぱ………苦労したと思っているのですかっ!?」
「ひぃっ!?」
言葉を遮られて怒鳴られた。
そりゃ、当然なのかもしれない。
書置きを残した以上、ここには居ないことになっているのにノコノコと戻ってきたのだ。
今更ながら恥ずかしくなる。
これではまるで道化だと思った。
「全く、今日は終日仕事もせずにサボって何処に行ってたのですか!? 無給休暇にも限度がありますっ!」
「ひっ、ごご、ごめんなさ~いっ!?」
「謝っても許してあげませんっ! 今日という今日はじっくりと説教させてもらいますからね!」
「あ、でもでも四季様、もう今日は遅いのでお休みを取られた方が…」
「休みなどたくさん取りました! それもこれもあなたが霊を送らないからっ!」
「それは嘘です、四季様っ! ほら、目の下にくっきりと隈が…」
「――――――っ!?!?」
四季様が慌てて自分の目の下に触れる。
触れたからといって隈が分かるわけでもないのだが。
「休みを取られて無いんでしょう? あたいは逃げませんからもう今日は休んでください」
「小町………」
映姫は思った。
あれ、私は真っ先に謝るはずでしたよね…
何ででしょう…小町の顔を見た途端にお説教を食らわせてやりたくなって…
でも嬉しくて…小町が戻ってきたことが嬉しくて…
自分の喜びが上手く表現できない。それは疲れから来ているのかもしれないが。
だから、やや八つ当たり気味に小町と接している。
もちろん、先日とは違う八つ当たりだが。
でも、私たちの関係とは前からこうではなかったのではないかと思う節もある。
それに、小町も心配してくれている。
今は、言葉に甘えておこう。
「………分かりました……今は休みを取ります」
「良かった……それと、すみません四季様…勝手に出て行ったりして…」
「………全くもう…」
「こ、これからは仕事もきっちりやりますから~っ」
「………はぁ…もういいです、あなたも今日は休みなさい」
「四季様………」
違う、仕事云々の話じゃない。
謝らなければならないのは私だ。
でも小町ばかり謝っている…まるで私に謝らせる隙を作らせないようだった。
「…小町、過去の罪を今償おうとするのは良い姿勢です……ですがっ!!」
「は、はひっ!?」
「あなたのしたことはそう簡単に許されるものでもありませんっ、分かってますね、小町っ!!」
「は、はいっ、わかっておりますわかっておりますっ!!」
「よろしい。では一週間後………一週間後に私はあなたを裁きます」
「……………はい…」
あれ、とまた思った。
自分でも、何を言っているのか分からなかった。
でも、私はこう表現するしか方法を知らないのだ。
だから不器用でも、こう言うのだ。
「なるほど、覚悟は決めていた、というわけですか……いいでしょう」
「四季様…?」
「その代わり、サボった分今日からみっちり働いてもらいますからね」
「は………はいっ、力の限り働きます!」
「当然です………まぁ、その力を発揮するために今日はお互い休みましょう」
無言で私は自室へのドアに再び手を伸ばした。
「そうですね……………四季様、お休みなさい」
「……………えぇ、あなたもね、小町」
そう言うと、映姫はそのドアを閉めた。
カチャリと静かな音がしてこの部屋に静寂が訪れた。
「……………ふぅ」
小町は映姫が消えたドアをしばらく見つめていたが、瞬間、疲れがどっと押し寄せてきた。
あれだけ眠ったのにまだ寝足りないのかと思えたが、本能には勝てなかった。
身体が、脳が休めと命令している。
小町は部屋の電気を消すと、自室へと繋がるドアに消えていった。
………
………
………
自室は、出て行ったときと全く同じ状態だった。
まるで小町の帰還を歓迎しているかのようだった…
◇
翌朝。
少しだけ眠い目を擦りつつ起き上がる。
顔を洗い、歯を磨いて自室を出る。
少しまだ眠いが、しかし今日は嬉しかった。
小町が帰ってきた。
ただ、それだけで私は嬉しかったのだ。
まだ小町は寝ているだろうと思い、部屋まで迎えに行く。
久しぶりに寝起きの小町が見られるなと、私はややウキウキした気持ちでドアをノックする。
こんこんと、扉が単調な音を奏でた。
「小町? そろそろ起きなければ仕事の時間ですよ」
もっとも、前まではこの後に『仕事をするかどうか分かりませんが』と、軽い皮肉を入れるのだが。
流石に昨日の今日では拙いと思い、それは控えることにする。
私は小町が部屋から出てくるのを待った。
しかし、幾分経っても小町の返事が無い。
瞬間、私の脳裏に嫌なことが思い浮かんだ。
嫌な予感……嫌な予感こそ良く当たるものだ。
私は、居ても経っても居られなくなりドアを勢い良く開けた。
「小町っ!?」
勢い良く開け放したドアは、部屋の無音と相まって恐怖さえ感じる響きを起こした。
案の定、小町は居なかった。
しかし、乱雑なベッドを見て、そして荷物がいつものように並べられているのを見て、私はほっとした。
小町は逃げてはいない。
それは、ちゃんと寝る前に約束してくれたことなのだ。
小町を信じ切れなかった自分が少し腹立たしかった。
だが、だとすると小町は何処に行ったのだろうか。
そこいん、ある一つの可能性が示唆される。
「まさか、こんな早くから仕事…? ま、まさか…ね………」
自分で言って少し信じられないことだとは思った。
あの小町が私より早起きして早速仕事に行くとは考えられなかった。
しかし、何処にも居ないというならそれしかあるまい…
…
(ま、まさか…………まさかね……)
自分を納得させるように思い直し、私はいつもの職場へと向かった。
扉の向こうに広がる景色を知らないまま、私は職場へのドアを開けた。
その光景に、私はどこか鳥肌すら立ちそうなくらいだった。
それ以上に、開いた口が塞がらなかった。
「………………」
まず、目に入ってきたのは机の前に行列を為す霊たちであった。
自分の裁判をまだかまだかと言わんばかりに並んでいた。
と、そこに外へと続く扉を開いて小町が入ってきた。
新たな霊をつれて。
「あ、四季様。おはようございます」
「……………」
だめだ、開いた口が塞がらない。
かつてこういう光景があっただろうか、いや、無い。
私は疑問を解決するために、何とか言葉を出した。
「こ、小町…? これは一体…」
「えっと、今のところ徳の高い霊ばかりだから運ぶ時間が少なかったんですけどね」
「は、はぁ……」
違う、そんなことを聞いているのではない。
いや、ますますあり得ない。
あの小町が。
私より早く起きて、真面目に働いている。
これは、異常だ。
巫女を呼んで解決してもらいましょう、とも思った。
「それじゃ、あたいはまだ仕事が残ってますんで…それでは~っ」
そう言うと、小町は再び姿を消した。
私は、まだ目の前の光景が信じられなかった。
明日は雹が台風を伴って吹き荒れるのではないか、と懸念してみたくもなった。
もしくは、魔理沙がたくさん降ってきても可笑しくないのではないだろうか。
しかし、小町が仕事をしているのに私がしないわけにはいかない。
私は我に返り、いつものように裁判の準備を始めた。
霊たちもいつものように塞ぎこんでいる様子はない。
仕事は真面目にするが、霊へのケアもしっかりやっているんだろう。
何度も言うように本人は無意識だろうが。
やれば出来る子なのだ、小町は。
ならば、私も小町に負けないように仕事をこなしますか、と心に思った。
「それでは、これより一名ずつ裁判を執り行います。名を呼ばれたものは前へ」
堂々とした声で私は言った。
だが、心のどこかでいまだ信じられないという思いは残っていた。
◇
「お客さんも、死ぬ前は結構いい生活していたんだね。それに徳も高いと来た」
あたいはいつものように、舟を漕ぎながら霊と会話する。
いや、『いつものように』ではなく『珍しく』の方が合っているかもしれない。
霊と会話するのは同じだが、舟を漕ぐのは真面目なのだ。
いつもは舟を漕ぐのを疎かにしているので運ぶ霊の数が少ないのだが。
いや、自分が昼寝をしたりしているのも原因の一つでもあるのだが。
でも今日からはあたいは真面目に働こうと決めていたのだ。
四季様が頑張るなら、あたいも頑張る。ただそれだけのことだ。
「ほら、お客さんもこんなに早くに彼岸に着いちゃったよ、お疲れ様だね」
《いやいや、小町様もお疲れ様です…随分と楽しい道中でした》
「いやぁ、そんなこと言われるとつい嬉しくなっちゃうね~。仕事にも力が入るってものだよ」
《いえ、本当にありがとうございました…助かります》
「あぁ、四季様の裁判は少し厳しいかもしれないけど…お客さんなら大丈夫さ、頑張ってな~」
あたいは霊に手を振ってお別れをすると、向こうも深くお辞儀(なのだろう)をした。
そしてまた舟を漕ぎ出し、次の霊を迎えに行く。
額の汗を軽く袖で拭い、手に持つ櫂に力を込める。
三途の川を掻き分けて進む。
水面が陽光を反射して眩しい光が差し込む。
水を掻き分けた時に飛び散る水滴も反射して、どこか幻想的な光景を生み出す。
その中を、あたいは満喫しながらも舟を戻していく。
三途の川幅は霊によって異なる。
霊の生前の生活や生き方に左右されるからだ。
まして、今はあたい一人しか乗っていないから此岸に到着するのはすぐだった。
此岸にはまだまだたくさんの霊が居る。
随分と今まで霊を運んできたが、これはまだ序の口だ。
まぁ、自業自得だが。
「ほいっ、次のお客さんは誰だい?」
あたいは開口一番、元気良く今日何度目かの台詞を口にした。
後には大量の霊が控えている。
今日からはしばらく忙しいことになるぞ、と思う。
だけど、こんなに身体を動かすのも嫌いではなかった。
むしろ自分は此方の方が好きではないのか、と疑いたくなる。
と、霊の一つが舟に乗り込んだ。
「お客さん、それじゃ手持ちのお金を全部渡してくれないか」
《ぜ、全部ですか…?》
「ん~、嫌なら渡してあげないんだが………」
《う…それは…》
「あっはっは、まぁ冗談じゃないんだけどお客さんはまだまだ塞ぎこんでるようだね?」
《……………》
「うん、それじゃ出発してから決めてくれ。それまであたいと話をしようじゃないか」
そう言うと、あたいは舟を動かし始めた。
本当は払えないなら川に突き落とすところだが…小町はこうしていた。
渋っているなら説得させればいい、そのためには友好を深めるのだ。
結果、それが霊の気持ちを和らげてくれているのだが本人は知る由も無い。
小町の話に釣れられて『あぁ、結構いいところなんだな』と霊も納得するのだ。
そして、全額を支払う。
もっとも、少し前までは此岸でその話ばかりしていたのだが。
前半の客は説得する必要がなかったから、雑談を楽しみながらスムーズに進んだ。
というか、我先にと乗ってきた霊も居るくらいなのだ。
この霊は恐らく此岸に来て間もないのだろう、見たときから脅えていた。
というのも霊同士で会話もするだろうから、孤立あるいは来て間も無い霊でなければ説得の必要は無い。
手間がかからないのもいいが、こういう霊は小町にとって、話し甲斐のある絶好のお客さんだった。
「それじゃ、まず初めにあたいの上司の閻魔様のお話でもしようかね」
もちろん、舟を漕ぐ手は休めることなく小町は楽しく話を始めた。
◇
それは六日目だった。
小町が真面目に働き始めて早六日、映姫もそのシュールな光景を目にしても戸惑わなくなった。
まるで昔からこうでしたと言わんばかりに日常が過ぎていった。
裁く霊の数は今までと比べ物にならないほど多く、小町も映姫も勤務終了と同時にヘトヘトであった。
小町なんかは二日目、三日目に筋肉痛にうなされ、苦笑いを浮かべていた。
徳の低い霊など、生前良い行いをしなかった霊は三途を渡りきるのに時間がかかる。
それでも小町はほぼ休みなく舟を漕ぎ続けていたのだ。
今までろくに働いてこなかったことも踏まえると、筋肉痛になるのは当然だろう。
死神が筋肉痛になるのは如何せん疑問だが。
今日も小町は働き続け、本日最後の霊を舟に乗せ、幾ばくか進んだところだった。
「ふむふむ、お客さんヤクザのヘッドだったんだって? 凄いなぁ…」
《いや、そんなスゲェもんでもねぇっすよ? 首都高をバイクで走りまわしたりとか…》
「ほう、暴走族も兼ねてたんだな~…いいねぇ、あたいの友達を思い出すよ」
《へぇ、友達?》
「あぁそうさ、ヤクザじゃないんだが何かと暴走するのが大好きでな…あぁ、宴会も大好きなんだ、そいつ」
《ほぉ、そいつぁ会ってみたかったぜ……》
ちなみに、分かるだろうが白黒こと魔理沙のことである。
酒と暴走と、弾幕はパワーだと言い張る度胸と、その実力の高さ。
確かに何かとこの霊と気が合うかもしれない。
いや、それはそれで困ることもありそうだが。
《でもまぁ、こんな行動してたんなら俺は地獄行きだろうなぁ…》
「いや、そうとも限らんよ? というか、お客さんみたいなすっきりさっぱりした性格の奴ほど根はいいって言うしな~」
《はっはっは、、よしてくれよ~》
「いやいや、案外あり得るかもしれないぞ? 四季様のお説教は長くなるかもしれないけどな」
《うぇっへぇ~……長いお説教なんて勘弁だぜ…》
「はは、でも地獄に落とされたくないなら我慢我慢………っと、お客さん、彼岸が見えてきたよ」
いつものように楽しく会話しながらも舟を進め、彼岸が見えてきた。
ここまで来ればもうすぐだ、もう今日は疲れた。
小町は最後の力を振り絞って櫂に力を込めた。
と、そのときである。
小町の鼻の頭にポツ、と水滴が降ってきた。
「む…おや?」
《どうしました、こまっさん?》
「いや、雨が降ってきたみたいだから少し急ぐよ、お客さん」
《おうさ、了解だぜっ!》
やはり元々の職業(?)柄なのか知らないが、ノリがいい。
こういうお客さんが小町は大好きだった。
小町はやる気をもっと絞り出してどんどんと舟を彼岸に寄せていく。
その間、最初は弱かった雨がどんどんと本降りになってくる。
霊は性質上濡れないが小町は雨をまともに受ける。
舟にも水がたまっていくなど、雨は三途の川の天敵だ。
最近めっきり降っていないと思いきや…突然降ってくることもある。
それでも、基本的に晴れの日のほうが多いのだが。
(でも助かったな…これが最後のお客さんで)
髪や服を雨に濡らしながら、櫂を前から後ろへ、舟を前へと進める。
雨は、どんどんと酷くなる。
小町は力の限り漕いだ。
《こまっさん、舟に水が溜まってきやしたぜ!》
「大丈夫、もう岸に着くから…あぁ、お客さんは先に裁判所の方に行っててくれないか?」
《あれ、こまっさんは?》
「あたいは舟を一度雨の影響が無い場所に移動させておくから…それじゃ、裁判頑張って来いよ~?」
《おうさ、こまっさんもお疲れ様だぜ~!》
元ヤクザヘッドのその霊は、最後までハイテンションで映姫の待つ裁判室へと入っていった。
小町は大きく手を振りながら見送った。
「まったく、威勢があっていいねぇ」
あたいは舟をいつものように三途に流されない程度まで引き上げるために、舟の縁を掴む。
しかし、思った以上に重い。
いや、多少船底に雨が溜まっている所為か。
舟をひっくり返して中の水を全て吐き出す。
もう一度引っ張ってみると、何とか動いた。
あたいは半ば引きずるようにして舟を岸から上げた。
岸から3mほど離れた場所で舟を止め、そのまま雨が降り込まないようにひっくり返す。
「ふぅ……なかなか重かったな…」
しかし、この程度までやれば安全だろう。
三途の川は雨による要因では増水しない。
三途は川幅の変化はするものの、物理的な要因では変化しないのだ。
ここまでやると全身が雨に打たれてずぶ濡れになっている。
しかし、疲れた身体にはこのくらいの雨が気持ちよかった。
その場に仰向けになって大の字に寝転がる。
風呂にでも入りたい気持ちもあったが、自然のシャワーを浴びるのも悪くない気がした。
「いよいよ明日か………」
四季様が指定したあたいの裁判の日まで残り一日。
もう何を言われようが覚悟は出来ていた。
たとえ解雇されようが、それはそれで受け入れようと思った。
それだけの量を、あたいは仕事していなかったからだ。
ならせめて、その時のために後輩にサボった分の仕事をさせるわけにはいかない。
自分の不始末は自分で処理する、それがあたいの信念であり、プライドであり、けじめでもあった。
ゆっくりと目を閉じる。
顔に当たる雨粒が程よく気持ちいい。
少しくらいなら、眠ってもいいかもしれない。
「ふぅ………」
身体が疲れている、身体が休憩を欲している。
ため息をつくと、一気に身体の奥底から眠気が湧き上がった。
ほんの10分。
そのくらいなら、眠ってもいいだろう。
どうせずぶ濡れだ、これ以上悪くなることは無いはずだ。
仕事も終わったし、少しだけなら自然をその身に浴びて寝るのもいいだろう。
あたいは自分自身を納得させると、意識を深い身体の奥底へと沈めていった。
◇
私は最後の霊を裁いた後に、ふと窓の外を見た。
「雨、ですか……」
いつの間に降ってきたのだろうか。
最後の霊のお説教は確かに長かったとは思う。
だけど、別段悪いことをしていたわけではない。
それは確かに多数の人に迷惑はかけていたが素直でさっぱりしていた。
説教は長くなったが地獄に落とすほどのものでもない。
深く反省もしていたし、根は良かった人なのかもしれない。
仲間内で悪く振舞っている人物は実は義理に厚く、優しい人物であることが多い。
ただ、それを表現したくないから悪く振舞っているだけなのだ。
中には性根から悪い人物も居るが、今まで裁いた中ではそんな人物は少なかった。
(今日も疲れましたね………)
椅子から降りて、くたくたになった両腕をだらんと下ろす。
小町が真面目になってから嘘みたいに忙しくなった。
まぁ、これが本来の姿なのだが。
今までがかえって暇すぎたのかもしれない。
映姫は苦笑しつつもう一度窓を見る。
雨に打たれた窓ガラスが窓の向こうの視界をあやふやなものにしている。
明日までに止まないと舟渡しが大変ですね…と思ったときだった。
重要なことを忘れている。
―――小町―――
今朝、小町は傘など持って行かなかったはずだ。
当然、雨をまともに浴びることになる。
なのに小町は、まだ帰って来ない。
つまり、小町はまだ外に居る…
「あぁもう、私ってなんて間が抜けてるんでしょうっ!!」
何故今まで気付かなかったのかと思い、ドアを思い切り開ける。
雨は結構本降りであり、傘無しではとてもじゃないが進めない。
私は傘置き場に立てかけてあった番傘を引っつかんで外に出た。
飛び立つと同時に傘を開く。
やや傘を前に傾けて、ひたすら進んでいく。
(全く、あの子は一体何を…!)
私は疲れた身体に鞭打ち、体力の限り速度を上げた。
向かう先は三途の川だ。
無意識にそう頭が判断していた。
もしかしたら別の場所に居るかもしれない、という考えは浮かんでこなかった。
それが何故かは分からない。
ただ、小町が三途に居ると感じたからなのだろうか。
一体何が私をそこに向かわせているのかは知らないが、とりあえずその感性にしたがってみることにした。
◇
夢を見ていた。
昔の夢だ。
それは随分と昔の夢だった。
それは何年前かも分からないが、あたいが居た。
あたいの他には同期が9人、横一列になっている。
そうだ。
これは十王の裁判長に死神を選んでもらう時のことだ。
(これまた随分と懐かしいな…)
あたいは何か透明人間になったようで、目の前の自分自身や同期たちの前に立っていても、反応が無い。
夢を夢と自覚できる夢だった。
あたいは思い出に耽りながら昔を思い出す。
だけど、随分昔のことだ、何を話していたのかすら覚えていないし、最初の四季様も覚えていない。
半ば、初めて見る映像のようにあたいは時間の経過を待った。
しばらくすると扉が開き、十人の裁判長が入ってきた。
そして最後に、裁判長を総括しているかのような爺さんが現れた。
「あ~、それではこれより十王が裁判長の右腕となる死神の選定を執り行う」
いかにもといった感じの、古風で形式ばった話し方だった。
今改めて見ると、こういう人も居たなぁ、くらいの記憶が戻ってきた。
しかし、それ以外のことは全く記憶から抜け落ちてしまっている。
思えば、あたいが四季様の死神となって随分と年月が経つ。
記憶とは脆く、儚いものなのだということを再認識した。
しかし、60年は経っていない。
なぜなら、60年前に起こったという花の異変にあたいは関わっていなかったからだ。
なら、これは何時頃の記憶なのだろう。
死神に年齢という概念はほとんど無い。
まぁ、妖怪にだって同じことは言えるだろうが。
(しかし…なんでまたこんな夢を見るんだ…?)
記憶を掘り起こそうと、先ほど思い出した爺さんをじろじろと見てみる。
あ、鼻毛出てる。
(………)
違う。
あたいは何を見ているんだ、意味不明じゃないか。
爺さんから何か得るものが無いかと続けてじっくりと見る。
しかし…
思い出せるのは顔と風貌くらいで、何も思い出せなかった。
その間の会話のやり取りは、全く聞いていない。
気付けば、あたいの同期の5人ほどが既に十王の裁判長に任命された後だった。
(あ、何時の間にこんなに…)
しかし、時既に遅し。
思い出せない同期の死神の名前もそのままに、次の裁判長の名前を爺さんが読み上げる。
「次…幻想郷が裁判長、四季映姫」
「はい」
(おっと、これはグッドタイミング)
意識を元に戻した後に、丁度四季様の出番だった。
(………え?)
しかし、あたいは姿を見たときに目を丸くした。
だって、その時の四季様は………
―――髪が、長い。
それは腰まで届きそうなほどの緑の髪。
大きく違っていたのはそこだった。
その他の点では今の四季様と同じだ。
相変わらず小柄な体格。
強い意志を宿した目。
だがやはり、何といってもその長い髪があたいには新鮮だった。
そして、過去の記憶が蘇る。
昔の四季様の姿が、今目の前にいる四季様とダブる。
………
………
同じだった。
そうだ。四季様は、初めは髪が長かったのだ。
そうあたいが思い出しているその間に、四季様は死神を見定めていた。
端の方から目が順番に移っていき………昔のあたいの目の前で止まった。
そして…
「決めました、私はこの子にします」
あたいが選ばれた。
選ばれた昔のあたいは少しだけ驚きの表情を浮かべた。
「は、はいっ! ええ、えっと…四季様の目に留まって光栄ですっ!!」
そんな昔のあたいを見て、少し笑いがこぼれた。
明らかに緊張している。
見ていて初々しく、少し恥ずかしくもあり、懐かしくもあった。
そんな昔のあたいを見て四季様が少し微笑んだ。
「ふふ…そんなに緊張しないで、リラックスリラックス」
「はは、はいっ!」
「あまり改善されて無い気もしますが…まぁいいでしょう。あなた、名前はなんと言うのですか?」
「ああ、あたいは……こっ、小町です、小野塚小町ですっ! 何卒よろしくお願いしますっ!!」
「ふふっ、よろしくお願いしますね。頼りにしていますよ、小町?」
(………)
瞬間、なんとも言えないような感覚が胸を打った。
何かは分からないが、今の四季様の声が心に響いたのだ。
一言で表現するのなら、感動、とでも言うのだろうか。
―『頼りにしていますよ、小町?』
そうだ。
思い出した。
あたいは…四季様に頼りにされていたんだ。
初見で何故あたいが選ばれたのかは分からない。
だけど、あたいは四季様の力になりたいと思っていたことは確かなのだ。
過去を顧みて今を猛省する。
何であたいはこんな大事な記憶を忘れてしまっていたのだろう…
これは、忘れてはいけない大切な記憶なのだ。
(はぁ………これは神様があたいにくれたチャンスなのかもしれないな………っと)
その夢はそこで終わった。
だが、次の夢が後に続いた。
そこは、見覚えのある景色だった。
そう、今でもある無縁塚だ。
「四季さまー、四季さまー」
昔のあたいがこれまた見覚えのあるドアに手を掛ける。
これは四季様の部屋のドアだった。
ガチャリと音がして扉が開かれる。
「四季さまー、そろそろ勤務の時間で………」
そこで、昔のあたいの言葉が止まった。
まるで部屋の中に何か恐ろしいものでも見たかのように口を開けて呆然としていた。
あたいも身を乗り出して部屋の中の様子を探った。
そして、あたいも昔の自分と同じように絶句した。
なまじ先ほどの夢を見ていたから言葉を失ったのであって。
「あら小町、わざわざありがとう」
部屋の向こうにいた四季様は、『今』の四季様と同じだった。
そう。
その長くて綺麗だった緑の髪をばっさりと切って。
「し、四季様っ!? 髪が…」
「ええ、すっきりしたでしょう? でも左手で切ったから左右非対称になってしまったのよ…」
「い、いえ、あたいはその髪形も似合ってるって思いますっ!」
「あら、そうですか?」
「は、はい………じゃなくて! 何で突然………」
そこまで言うと、四季様がふと立ち上がり昔のあたいに近づいてきた。
そしてあたいの後ろ髪の辺りを触り…
「ほら…お揃いですよ、小町」
と言った。
目の前で四季様が微笑んでいる。
途端、昔のあたいも、夢を見ている今のあたいも恥ずかしくなった。
見ると、昔のあたいは顔面から火が出そうなくらい顔が赤くなっていた。
それを見て、微笑ましく思う。
そして、今の四季様を思う。
四季様は今日までも、ずっと髪は短く切ったままだ。
それは何故か。
それは、もしかすると四季様があたいを………
『……まちっ!! こ…………!! こま……っ!!』
(ん………何だ…?)
『………小町っ、小町ったら!! 起きなさい!!』
誰かがあたいを呼んでいる。
………
あぁ、そうだ。
そういえばあたいは夢の中の住人になっていたんだっけ。
確か仕事の時に雨が降ってきて………
舟をいつものように引き上げて…そのまま寝たんだっけか。
その瞬間、聞こえていなかったはずの雨音が聴こえるようになった。
夢とはこういうものなのだろう、と思う。
あたいはもう少し夢を見ていたいと思いつつも、起きることにした。
ただ、一つ違和感があった。
雨音は確かに聴こえる。雨は今でも降り続いているのだろう。
でも、雨音はしているのに
―雨が、止んでいた気がした
◇
私が三途に到着すると同時に、小町の姿はすぐに見つかった。
それは、私の予想を大きく超えていた。
まさか、川岸で大の字になって寝ているとは思わなかった。
だけど、まだ安心は出来ない。
昼寝ではなく、どこか体調が悪くなったのかもしれない。
そして疲労のあまり倒れたのだとしたら………
いや、ネガティブなことを考えるのはよそう。
私は頭を振ってその考えを否定した。
ゆっくりと番傘を持って小町の近くに降り立つ。
「小町っ! こら小町、起きなさいっ!!」
軽く小町の身体を揺さぶってみる。
だけど、小町はうぅ、と唸っただけでまるで起きる様子を見せない。
まさか本当に体調が優れないのかも…
だとしたら事態は一刻を争う。
「小町っ!!? ねぇ小町ったら!! 起きなさい!!」
先ほどよりも強く身体を揺さぶってみた。
すると、小町はかすかに身じろぎをして、
「う、うぅ………ん………」
と唸り、薄目を開けた。
ちょっとだけ安堵の息が漏れる。
だけど、まだ小町の様態は分からない。
でも小町は眠そうな目を擦り、呆けた表情で私を見て、こう言った。
「あ……四季様……おはようございます………」
「おはよう、じゃないですっ! 小町、あなたは何をしているのですかっ!?」
「あぁ、それは……えっと………」
あまりに平和な返事に、ついいつもの癖で説教をしてしまう。
小町はというと気まずそうに身を起こし、頬をポリポリと掻いている。
仕草はいつも通りだ。返事に困っているのもいつも通りだった。
「小町、どこか体調でも悪くしたの?」
今度は怒鳴らないように出来るだけ優しく言った。
その対応の変化に、小町はさらに困惑した表情を浮かべた。
ちょっと複雑な気分…
しばしの沈黙の後に、小町が口を開いた。
「いや、別に体調が悪いとかではなくてですね………ちょっと昼寝をしてみようかと…」
「お馬鹿っ!!」
「きゃん!! か、堪忍してください~!」
思わず手にしていた笏で小町の頭をぺしぺしと叩く。
あ。
まただ、私はここのところ『思わず』の行動が多い気がした。
瞬間的に反省し、すぐに叩くのをやめる。
と、小町が不思議そうな顔で私を見た。
そんなに珍しい行動だったのかしら………
それより、とりあえず体調は大丈夫らしい。
「まったく、服も身体もこんなに濡らしてしまって…」
「い、いやぁ、はは………」
「笑い事じゃありませんっ! 風邪でも引いたらどうするつもりっ!?」
「う…す、すみません…」
「謝れば良いというものでもないですっ!」
私は小町の額に触れ、その前髪をかき上げた。
傘を首と肩の間に挟み、もう片方の手で自分の前髪を上げる。
当然、傘が非常に不安定になるが気にしない。
そのまま私は小町の額と自分の額をくっつけた。
「わっ、わわわ………しし、四季様っ!?」
「しっ、暴れないで」
「無理ですーーっ!!」
騒ぎ立てる小町を尻目に、自分の額と小町の額の温度を比べる。
なるほど確かに、雨で少し冷たく感じるのかもしれないが恐らく大丈夫だろう。
私はそれを確認すると額を離した。
「熱は出てないようですが……何であんなところで、しかもよりによって雨の日に昼寝するんですかっ!?」
「あ、いや、それはその………」
「…それは?」
「……………思いつき…なんちて」
「お馬鹿っ!!」
「す、すみませ~んっ!!」
つい癖で再び笏を握る手に力を込める。
が、今回は思いとどまり、怒鳴るだけに収まった。
どうやら本当に何も無いらしい。
全く、心配させてくれて………
と、小町の無事を確認した瞬間、何故か胸が熱くなった。
本当に理由は分からない。
安心に近い感情だったが、安心よりも深い感情だ。
何と言うのか分からないが、とりあえず悪い気はしなかった。
「あ、あの…四季様?」
気が付くと、小町が心配そうに私を見ていた。
説教がなかったことに対して驚いているのだろうか。
それとも突然何も喋らなくなったのが不思議に思ったのだろうか。
まったく、心配したのは私の方だというのに…
私が心配されたら本末転倒ではないか。
「何でもありません…さ、もう帰りますよ」
「は、はいっ!」
と言って、小町は先に飛び立とうとしていた。
「お待ちなさい、小町っ!」
「はは、はいっ!?」
「あなたはこんな雨の中また濡れて帰るつもりですかっ!!」
「え、ええっ!? でで、でもあたいはもう濡れちゃってるから別に…」
「別にいいわけありませんっ!」
「で、でも四季様、傘は一つしか無いですし…」
「あ………」
しまった、ありがちなミスをしてしまった。
小町のことを考えるあまり、二人分の傘を持ってくるのを忘れてしまっていた。
どうしようもなく、目が小町と私の傘の間を泳ぐ。
「でしょう? だから四季様は雨に濡れないように傘を使ってください」
「………いえ」
「へ?」
小町が素っ頓狂な声を出す。
私の頭には、もう一つの答えしか残っていなかった。
その考えを、言葉にする。
「一緒に入って帰りましょう、小町」
「ええっ!? で、でもそんなことしたら二人とも濡れてしまいますよ~!」
「小町だけを犠牲にすることなど出来ませんっ! いいですか、嫌と言っても傘に入れますからね!」
「う……」
小町は言葉に詰まった。
移動速度に関しては私の方が早いのは分かっている。
それに、小町は私の大事な仲間だ。
出来るなら、もうなるべく雨の中に晒してあげたくない。
私のわがままとも言える。
だけど、その気持ちは真実だった。
すると、小町は半ば諦めたような表情でため息をついた。
「はぁ……分かりましたよ………」
「よろしい」
私は、満足に頷くとゆっくりとした速度で飛び始めた。
傘から身体の一部がはみ出る形となったが構わなかった。
雨が降りしきる中、私たちは一つの傘に身を寄り添ってゆっくりと飛行した。
お互い、ほとんど何も喋らなかった。
二人とも疲れていたこともあるし、小町の方も何か考え込んでいるようだったからだ。
何を考えているのか知りたくもなったが、そういう詮索はするものでもないとも思った。
程なくして、二人は無縁塚へと到着し、傘を閉じた。
「ふぅ……今日もお疲れ様、小町」
「四季様……少しだけ雨に打たれたんじゃ…」
「私のほうは小さな被害です。それよりも小町、あなたは早く湯浴みをして暖まりなさい!」
「は、はいっ!」
「それと………明日のこと、覚えていますね?」
「……………はい…」
少しだけ言葉をなくしたが、小町は小さく返事をした。
そう、明日は私が小町の裁判をする日だ。
小町の表情から、元気が少しだけ消えた。
「なら、明日は仕事をやらなくてもいいのでそのまま裁判室に来なさい、いいですね?」
「え…仕事はやらなくてもいいんですかっ?」
「えぇ、だから早いところ暖を取ってゆっくりと休みなさい。明日は疲れますから」
「………はい」
そう言うと、小町はゆっくりと扉に手を掛けた。
濡れた肌が、服が、見ていていたたまれなくなった。
表情も、何処となく沈んでいる。
明日のことを考えているのだろう。
でも、明日の判決はもう決まっていた。
不公平だと言われるかもしれないし、公私混同していると罵られるかもしれない。
裁判長としてやってはいけないことかもしれない。
だけど、それだけは私の手では覆すことは出来なかった。
「………四季様、お休みなさい」
そんな小町の言葉に元気は無い。
だけど、小町は無理に笑顔を作って私にこう言ってくれた。
その表情が、見ていて痛い、辛い。
私はそのまま小町を呼び止めたい衝動に駆られた。
だけど、それは全て明日の仕事なのだ。
だから私も、
「えぇ…お休みなさい、小町」
と、いつも通りの返事を返すのだ。
これでいい。
小町がドアを閉めたのを確認すると、私も電気を消して部屋へと続くドアに手を伸ばした。
部屋に入ると、いつもの私の部屋が温かく私を迎えてくれた。
帽子を脱ぎ、笏と帽子を机の上に置いて私も風呂に入った。
今日一日の疲れを取るように、久しぶりに長く入った。
足を揉みほぐし、全身をマッサージするように軽く湯船の中で運動をする。
十分にストレッチを終えると、風呂から上がり、寝巻を着る。
そのまま私はベッドに倒れこんだ。
シーツが、布団が私を優しく包む。
身体の各部が休憩を求めていた。
私は物惜しそうにベッドから離れると、部屋の電気を消してもう一度ベッドに倒れこんだ。
軽く目を閉じると、睡魔がすぐに襲ってきた。
布団に潜り、枕に頭を乗せる。
映姫が規則正しい寝息を立てるまでに5分とかからなかった。
―――その夜、映姫は夢を見た
―――それは奇しくも
―――小町が三途で見た夢と同じだった
◇
今朝は、いつもより早くに目が覚めた。
我ながら緊張しているのだろう。
まだ目覚まし時計すらも鳴っていなかった。
この一週間、早くにセットしていた目覚まし時計。
あたいはその時間よりも早くに起きていた。
これではまるで子供じゃないか、と思う。
でも、二度寝する気にもなれずにあたいは暇を持て余す。
でもじっとしていると何か得体の知れない焦燥感や不安があたいを押しつぶそうとする。
だから、気分を一新しようとしてまずはシャワーを浴びることにした。
シャワーを浴びてる間も、考えることは今日のことだけだった。
そして、昨日の四季様の言葉。
―『明日は仕事をやらなくてもいいのでそのまま裁判室に来なさい、いいですね?』
どういうことか、仕事はやらなくてもいいらしい。
あの時は意外で何も考えられなかったが、今改めて考え直すと辛い。
仕事をしなくてもいい。
それはつまり、あたいにはもう用が無いということなのだろうか。
それはつまり、もう別の死神が仕事に入るということなのだろうか。
なら、あたいはこれからどうすればいいのだろう。
死神としてあたいは何をすればいいんだろう。
分からない。
もう、この際裁判は受けずにおこうか。
そんな考えが一瞬浮かんだが、すぐにその案を消す。
(逃げちゃダメなんだ……あたいは逃げない、逃げずに大人しく裁判を受けるんだ!)
体を流れる水があたいの悪い考えを流してくれているように感じた。
あたいは両頬をぱちんと叩く。
少し強く叩きすぎたのか、ちょっと痛かった。
でもお陰で色々と吹っ切れた。
うん、大丈夫だ。
あたいはシャワーを止めていつもの服に着替え、部屋を後にした。
裁判室に向かう間、胸は高鳴りっぱなしだったが逃げることは考えなかった。
そして、部屋のドアに手を掛ける。
一瞬、開ける手を躊躇った。
でも覚悟は決めたはずだ、後悔は無い。
あとは野となれ山となれ、ケセラセラ、レットイットビー。
あたいは深呼吸を一つするとドアをゆっくりと開いた。
「あ………」
扉の向こうでは、四季様がちょこんと椅子に座っていた。
随分と予想外だ。
あたいもかなり早く起きたはずなのに…
「小町? 随分と早かったのね」
「し、四季様こそお早いですね……」
「ええ……ちょっと、ね…」
四季様はそこでちょっと表情を濁した。
だけど、すぐにいつもの表情へと戻り、真っ直ぐに私を見た。
でも、今度はすぐに顔を伏せた。
流石に挙動不審だった。
「……あの、四季様?」
「っ!? な、何でもありませんっ!」
「…?」
「それより、お互い早く来たのですから早めに始めましょう?」
「あ~…それもそうですね……」
それだけ言うと、あたいは四季様の机の前に立った。
四季様は裁判の準備を始めていたらしく、てきぱきと机の上に書類を広げていく。
あの書類にあたいの罪状が書かれているのだろうか…
つい気になってしまうところだが、心を強く持って見ないことにした。
見てしまうと四季様のお説教の時間がさらに延びるかもしれなかったし。
そして、あらかた準備が終わったかと思うと、四季様は咳払いを一つした。
オホン、という声に少しだけドキッとする。
いつのまにか緊張し始めた。
裁判を受ける気分はこんなものなのだろう、と思った。
「それでは、ただ今より小野塚小町の裁判を執り行う」
「………」
裁判を行うときの四季様は凜としている。
まるで別人が目の前に居るかのような錯覚にとらわれる。
胸が再び高鳴り、鼓動が早くなる。
「では、最初に小野塚小町の罪状を読み上げます…」
「………はい…」
「……第一に職務怠慢、第二に職務怠慢、第三に職務怠慢、第四に職務怠慢、第五に……………はぁ、以下同文」
「あ、あはは………」
我ながら酷い言われようだった。
確かに事実ではあったが。
「はぁ…呆れた、前にも後にも職務怠慢ばかりね……」
「も、申し訳ありません…」
「まぁ、小町ですから大して驚きはしませんが……」
それも少し酷いとは思う。
でも、それだけ四季様があたいのことを理解しているということだった。
少し全身がむず痒くなるような恥ずかしさがこみ上げた。
「まったく、もう少し早く真面目になってもらいたかったですね…」
「す、すみません…」
「まぁ、あなたのやってきたことは罪であるとはいえ……この一週間の働きぶりは見事でした」
「あ………」
そう言う四季様の表情は少し穏やかで。
その四季様の表情を見るだけで少し心がほっとした。
でも、一筋縄でいかないのが四季様だった。
「はぁ…どれだけ幽霊を溜めていればあんな仕事量になるのか…」
「も、申し訳ありません~っ!」
「久しぶりに休み無しの勤務をやった感じです」
「で、ですから申し訳ありません~っ!」
「ふぅ……小言はこのくらいにしておきますか…でも珍しいですね、今日は言い訳が出ないとは…」
「いえ、それは………」
「それは?」
四季様に聞き返されて、一瞬言葉に詰まった。
答えはあたいの中でもう出ている。
というより、もう喉まで出掛かっているのだ。
だけど、いざ口にするとなると無性に気恥ずかしくなってくる。
四季様の前でこんな台詞を言うのか…
言えないこともないけど、やっぱり恥ずかしい。
口を開けたまま、あたいは静止していた。
言え、言うんだ。
今言わないと、もう言う機会が無いのかもしれないんだ。
だから、今言うんだ、小町っ!
自分で自分を励まし、口が動く。
ゆっくりと、でも確実にあたいは口を動かし、言葉を紡ぐ。
喉に引っかかっていた言葉をゆっくりと吐き出す。
「今日………今日、あたいは言い訳をして逃げる自分にはならないと決めたんです」
「………」
「本当のところ、裁判にも逃げたいと思った瞬間もありました。でも逃げたところで何も解決しないんです」
言ってて恥ずかしい。
でも一度言葉を出せば止まらない、止まれない。
「逃げることは誰にだって出来る、でも逃げた先には何も待っていない、何もないって分かったんです」
あたいは、自分に言える精一杯の言葉を四季様に言う。
「そして、あたいに足りないものを色んな人たちが教えてくれました」
心の奥底に沈めていたありったけの気持ちをぶつける。
そう、あたいに足りなかったのはちっぽけな、でも力強く在る勇気。
永琳、慧音、パチュリー、魔理沙、霊夢。
あいつらのお陰であたいはそれを手に入れたんだ。
ありがとう。
「だから四季様、この場を借りて一つだけ言わせてください」
そしてあたいは深々と頭を下げた。
今までに無いくらいの誠意と反省を込めて。
「これまで、ちょくちょく仕事をサボって申し訳ありませんでした」
「小町………」
「これだけ言いたかったんです。これで……これで胸の靄が消えました」
「……………」
「時間をとって申し訳ありませんでした………でも、今なら如何なる判決でも心から受け入れられます」
今の言葉は心から言ったものだ。嘘は混じってない。
事実、言いたいことを言えてすっきりとした。
四季様はというと、やや俯いていた。
帽子と前髪で表情がよく分からない。
でも、あたいはもう吹っ切れた。
どんな判決が待っていようと、すんなりと受け入れよう。
クビと言われれば当てもなく放浪するか。
「四季様、判決をどうぞ」
「………分かりました…言いたいことは以上ですね…」
「はい」
あたいは、迷いの無い返事をした。
今なら、胸を張って何処にだって行けそうな気がした。
身体が軽かった。
「では……以上のことを考慮して、小野塚小町が現在積める善行を発表します」
「………」
あたいは目をゆっくりと閉じた。
暗闇の向こうで審判が降りるのを待つ。
「それは………」
いよいよだ。
さぁ、来い。
なんだって受け入れてやる。
どんなことでもあたいは動じないぞ。
もう悔いは残ってない。
四季様に気持ちをぶつけられただけでも十分だった。
闇の向こうで、四季様の声が響くのを待つ。
そのとき、微かにだがギィ、という椅子の音がした。
なんだろう、と思った瞬間だった。
あたいの手に、暖かいものが包まれた。
「今から、私と一緒に幻想郷に行くこと」
「へ?」
驚いてあたいは目を開ける。
すると、目の前には四季様が微笑んで立っていた。
あたいの手を、両手で包み込むようにして握っている。
「そしてもう一つ…」
四季様が目を瞑った。
しかしそれも一瞬のことで、すぐに目を開けた。
先ほどと変わらないような微笑みを湛えて、
「これからも、私と一緒に働くこと。以上が小町に積める善行です」
「………」
あたいは呆然とした。
そのあまり、開いた口が全く塞がらなかった。
同時に、胸にジーンと来るものがこみ上げた。
丁度、昨日の夢を見たときのような『感動』だった。
四季様と一緒に居られる。
四季様と一緒に働けるんだ。
それだけで、もう胸が一杯になった。
涙が出そうなのを必死で堪えた。
堪えて、堪えて、意地になって堪えた。
「………小町、私が今言ったことを忘れましたか?」
「………い、いえっ…」
「ならよし。さぁ、一緒に幻想郷に行きましょうか」
「で、でも四季様、仕事は………」
「今日はお休みです。何のために私が昨日『仕事をしなくてもいい』と言ったと思うんですか?」
「あ………四季、様ぁ…………」
だめだ、また泣きそうになる。
あたいは首をぶんぶんと振って、自分の気持ちを整理する。
四季様と一緒に居られる、今はそれだけで十分だった。
どうやら、あたいの盛大な取り越し苦労だったようだ。
「小町、早く行きましょう?」
「は、はいっ!」
四季様がまるで子供のようにあたいを急かす。
あたいも釣られるように裁判室のドアを開け放ち大空に飛び立つ。
四季様が隣を並んで飛ぶ。
その視線に気付いた四季様が僅かに微笑みかけてきた。
一瞬戸惑ったが、あたいもすぐに微笑み返し、幻想郷へと向けて進んでいった。
このとき、一瞬だけ映姫が暗い表情をしたのに、小町は気が付かなかった。
◇
小町とともに幻想郷まで飛んでいく。
昨日一緒に飛んだばかりなのに何故か新鮮な気持ちがする。
まぁ、昨日と違って雨も降っていないし小町の顔もよく見えるから違うのかもしれないが。
仕事をせずに幻想郷まで来るのは久しぶりだ。
やっぱり、こういう息抜きも必要なのかもしれない。
そう思いつつ飛んでいると、小さな神社が見えた。
幻想郷に似つかわしくない、どこか外の世界に似た空気を持つ神社だ。
縁側では紅白と白黒の人影が暇を持て余していた。
「小町、寄っていきませんか?」
「へ? 神社にですか? まぁ、神社に居れば暇じゃなくなるからいいですけど…」
「そう、なら決まりね」
「う~ん、あたいとしては紅魔館とか永遠亭とか巡っても面白そうなんですけどね~…」
小町が何か呟いていた気もするが、風にかき消されてよく聞こえなかった。
私は気にせず神社へと向かって降下する。
少し遅れて小町もついてきているようだ。
私と小町に気付いた霊夢と魔理沙が多少驚いた顔をしてこちらを見る。
「こりゃまた珍しいわね…」
「お、ついに閻魔様もサボタージュか?」
「しませんよ、そんなこと……今日はお休みを取っただけです」
「へぇ……珍しいこともあるものね…」
霊夢がお茶をすすりながらさして気にしていないように言う。
と思いきや魔理沙が颯爽と箒に飛び乗っていた。
「だとしたら今夜は決まりだな、霊夢」
「ぶっ!?」
霊夢が飲んでいたお茶を盛大に噴き出した。
相当慌てているのが目に見て取れる。
霊夢は魔理沙を引きとめようとして手を伸ばす。
だが、魔理沙は既に空高く飛び乗っていた。
霊夢の伸びた手が空しく残る。
心なしか、腕が少しだけプルプルと震えていた。
「幻想郷始まって以来の大宴会だぜっ!!」
「ちょ、待っ…………魔理沙のバカぁぁぁぁあ~~~っ!!!!」
「褒め言葉だぜ~!!」
霊夢の叫びも空しく、魔理沙の姿はドップラー効果を伴って返事したきり見えなくなった。
さすが幻想郷で1、2を争う速度を持つと言われるだけのことはある。
素直に感動してしまった。
霊夢が半ば諦めたように、はぁ、とため息をついた。
「霊夢、お前も大変そうだなぁ…」
「あんた、実は死神じゃなくて疫病神なんじゃないの?」
「いや、それはちょっと否定しよう」
「確か一週間前もあんたが来て大宴会に…」
「一週間前といえば…………小町っ?!」
「きゃんっ! すみませんすみません~!!」
何度も何度も苦笑いしつつぺこぺこと頭を下げる小町。
その様子が可笑しくて、つい笑みがこぼれてしまう。
そんな私たちを見ていた霊夢が私を見て、小町を続けて見た。
そして自分で何か納得したように頷くと、立てかけてあった竹箒を手に取った。
「掃除をするのかい? どうせ今夜にまた散らかるだろうに」
「だからってお客に散らかった境内を見せるわけにもいかないでしょ?」
「ふむ、それもそうですね………小町、私たちも手伝いましょう?」
その言葉に一瞬小町は嫌な顔をしたが、すぐに慌てた表情へと変わった。
ころころとよく表情が変わるものですね、と思った。
小町は大雑把に見えて実は器用なんじゃないだろうか、とも思えた。
「いやいや、四季様の手を煩わせるわけには……あたいだけで十分ですよ~」
「あ、そう? じゃあお願いするわ」
霊夢があっさりと手にしていた竹箒を小町に渡した。
「何でだーっ!?」
「だってあんただけで十分なんでしょ?」
「違ーーーうっ!!」
「あら小町、嘘はいけませんよ? 嘘をつくことは大きな罪なのですから」
「四季様まで………あんまりだーっ!!」
小町が半泣き状態で掃除を始めた。
口では色々言いつつも掃除をするところが、小町の優しさなんだと思う。
私は霊夢と顔を見合わせてクスリと笑うと、予備の竹箒を出して一緒に掃除を始めた。
途端に小町が私の竹箒を取ろうとしたが、制した。
大体、竹箒二刀流で掃除など出来ないだろうし。
小町は少し申し訳なさそうにしていたが、渋々納得して私たちは掃除を始めた。
境内は意外に広く、さすが宴会の集会所になるとも思った。
落ち葉をかき集め、散った花びらもかき集め、三人でいろんな場所のゴミも集めた。
今宵、再び散らかるのだろうけれど、こうまで綺麗に掃除をすると気持ちがよかった。
途中、霊夢と小町がチャンバラを始めていたりしたので、即座にお説教をした。
落葉を集めていると、紅葉があったので拾ったりした。
紅葉のほかにも銀杏の葉も落ちていて、しばらく感じていなかった秋を感じさせてくれた。
ここの神社は不思議だ。
春には桜が、夏には紫陽花が、秋には紅葉や銀杏、そして冬には山茶花がそれぞれ違う場所で季節を『魅』せてくれる。
気が付けば日は暮れ始め、夕焼けが地平線の向こうに消えていき、夜の帳が下りようとしていた。
私も久しぶりに身体をたくさん動かして、へとへとになっていた。
「ふぅ…さすがに……」
「疲れたわね……」
「四季様もお疲れ様です………」
三人、境内に足を投げ出して上を見ていた。
夕焼け色から黒く染まり始めた空に、一番星が輝いている。
季節の変わり目を表現するかのように、ほんの僅かに夏の名残のある風が涼しい秋の空気を運んでくる。
少しだけ汗ばんだ身体に、それは気持ちがいい。
目を閉じて初秋を感じ入る。
そのまま10分もしないうちにタン、と音がして近くに誰かが降り立った。
「おいおい、三人とも疲れすぎだぜ……夜はこれからだってのにな」
「あ、魔理沙……今日も今日で遅かったわね」
「ま、綺麗に掃除してあるところを見ると頑張ったようだな…だけど、私も負けないくらい頑張ったぜ」
「正直あまり頑張らないで欲しかったわね…」
よいしょ、とゆっくり霊夢が身体を起こす。
次に小町が同じように身体を起こし、私も小町に続いた。
「ま、そんな野暮なこと言うなよ………ということでっ」
魔理沙はそのまま神社の入り口の方へ身体を向けた。
「お前ら~~っ!! 今夜は盛大に、飲みまくるぜ~~~~っ!!!!!」
大声で叫んで、拳を高々と掲げた。
その魔理沙の声に呼応するかのように、次の瞬間聞いたこともないような音が響いた。
《おぉ~~~~~っ!!!!!!》
「……………」
「……………」
「……………」
絶句するしかなかった。
神社の階段の方から、それはもうたくさんの人間や妖怪たちが一斉に顔を出した。
博麗神社に収まるかどうか、それすらも危ぶまれるような人数だ。
準備がいいことに、それぞれ食料と酒は持参してきている。
魔理沙が呆然としている私たちを振り返り、不敵にニッと笑った。
思わず私は微笑み、小町は見て分かるように喜び、そして霊夢は頭を抱えていた。
そうして、季節の境界に幻想郷で最大級の大宴会が幕を開けた。
◇
「ふぅ……」
綺麗な満月を見ながらレミリアは大きなため息をつく。
手にはワイングラス、中身は血のように赤いワインが入っている。
ワインを月に透かしてみる。
それはあたかも、昔に自身が引き起こした赤い月を彷彿とさせた。
じっくりとその即席の紅い月を眺める。
今日みたいな満月の日に宴会があるのも、何かの運命なのだろう。
丁度一週間前は上弦の月だったか。
あの時はさほど気にも留めなかったが、流石に満月となると美しさが違う。
「お嬢様、いかがなされましたか?」
ふと、背後から声がかかった。
ボーっと物思いに耽っていると、私を案じて声をかけてくれたらしい。
別に気に病むこともなく、月に見とれていただけなのだが。
こういう細かいことでも咲夜は気にする、神経質な人間だ。
それは丁度いいときに来たり、別に何も用が無いときにも来たり。
付き合いも長いんだからそろそろ私の表情から心情も読み取って欲しいものだわ、と思った。
が、神でもない限りそれは恐らく無理な相談だろう。
レミリアは咲夜に何でもないわ、と言おうとして、ふとある考えが浮かんだ。
今は丁度いいときに咲夜が来たものだと思う。
「咲夜、フランとパチェ、それに小悪魔と門番を呼んできて頂戴」
「分かりました、少々時間をいただければ」
「ありがとう、特に急いではないんだけど…お願いするわね」
「いえ、それでは行ってまいります」
そう言うと、ふっと咲夜の姿が消えた。
急いではないと言ったけど咲夜のことだ、きっとすぐさまみんなを連れてくるに違いない。
その間、レミリアはグラスのワインを飲み干し、ブランデーを注ぎ足した。
それはまた血のように赤いブランデーだった。
軽くワイングラスを円を描くように揺らし、その波の動きをじっと見る。
こうしているとまるでソムリエみたいだ。
別に憧れているわけではないがワイングラスを持つとついこうしたくなる癖がある。
そう思うと、自分はまだまだ子供ね、と思えてくる。
月を見つつ、レミリアは苦笑した。
程なくして、再び声がかかった。
「お姉様~? 一体どうしたの?」
「レミィ、悪いけど私は今日は絶好調って訳じゃないからね」
「それでもこの宴会には来るパチュリー様には脱帽ですけどね」
「レミリア様から直々にお呼び出しなんて珍しいですよね、しかも門番の私まで…」
「お嬢様、連れて来ましたが…」
「あら、早かったわね…ありがとう、咲夜」
「いいえ、これも勤めですので」
咲夜がスカートの裾をちょんとつまんで慇懃にお辞儀をする。
その様子を見て、そして咲夜が集めてくれた全員を見る。
みんながみんな不思議そうな目でレミリアを見る。
そんな視線を浴びながらレミリアは口を開いた。
「みんな、集まってもらって悪いわね……まぁ、用っていうのは簡単なことなんだけど…」
「何よ、レミィらしくもない……それで、何?」
「えぇ、それじゃ………みんなで乾杯しましょうか」
《え?》
その場に居た一同が目を丸くする。
それもそのはず、宴会が始まってもう随分と経つ今になって乾杯するとは思わなかったからだ。
全員が呆気に取られている中で、咲夜が口を開いた。
「お嬢様、それは一体そういう……増してや乾杯はもう…」
「あら、終わってないわよ? さ、みんなグラスを取って」
渋々ながら、みんながそれぞれグラスを取る。
まだ何が起こるのかさっぱり掴めない状況だった。
レミリアは咲夜に合図をすると、みんなのグラスにブランデーを注ぎ始めた(パチュリーはジュースだったが)。
余談だが、美鈴だけは自分で注いでいた。
そして、全員の準備が出来た。
「お嬢様、終わりましたが…」
「そう、ありがとう。それじゃ乾杯しましょうか」
「お姉様ぁ、だから乾杯は…」
「フラン、あなたもまだまだね。だって、『私たち』の乾杯が終わってないでしょう?」
「…? 私たち?」
フランと小悪魔と美鈴が不思議そうに首をかしげる。
が、パチュリーと咲夜は理解したようで、喜びと意外性とが交じり合った笑いをこぼした。
私たちの乾杯。
そう、それは《紅魔館》だけの乾杯。
「ほら、フランも小悪魔も中国も…」
パチュリーがまだ理解をしていない3人を促す。
3人はまだ首をひねりながらも円になり、美鈴と小悪魔はグラスを掲げた。
レミリアもその輪の中に入った。
「む~? お姉様~?」
フランがまだ分からないといった様子だが、グラスを高く掲げた。
「じゃ、みんないくわよ」
レミリアがコホン、と軽く咳払いをする。
そしてゆっくりと口を開いた。
「紅魔館に、乾杯」
咲夜とパチュリーがレミリアに続いた。
「乾杯」
「絶好調じゃないからジュースだけど…乾杯」
残りの3人はあっ、という表情をして、グラスを合わせた。
チン、とグラスがぶつかり合う綺麗な音を奏でられる。
それぞれが全員とグラスをあわせ、そしてグラスの中身を飲み干す。
「ふぅ……やっぱりこういうのもいいわね…」
「そうですね、お嬢様…」
「うぅ、何か感動します~…」
「中国さん、泣いちゃダメですよ~」
「え、あれ? わ、私泣いてないよ~………」
小悪魔が美鈴の背中をポンポンと叩く。
自分では泣いていないと言っているが、目の端には既に涙がたまっていた。
フランも乾杯の意味を理解したのか、嬉しく思っているようだ。
フランのこんな嬉しそうな表情を見るのも久しぶりじゃなくなったわね、とレミリアは思う。
と、パチュリーがレミリアに近づいてきた。
「レミィ、一体どうしたの? 何かいいことでもあった?」
「そうねぇ……特に理由は無いかしら…」
「思いつき? レミィにしては珍しいわね…」
「う~ん、そうねぇ……強いて理由を挙げるとすれば―――――」
「幽々子」
「あら、紫じゃない?」
スキマから顔を覗かせ、紫が幽々子を呼ぶ。
そのままスキマから出て、地面に降り立つ。
「あ、紫様…自分から出向くなんて珍しいですね」
「ふ~ん、妖夢って私のことをそんな目で見ていたのね」
「あ、いや、さっきのは言葉の綾というか…」
「妖夢、私の友達に失礼でしょう?」
「そうね、失礼されたの」
「あ、う、それはその………紫様、申し訳ありませんでした」
妖夢がご丁寧に地面に手を着いて深々とお辞儀をした。
「あら妖夢、お酒が足りなくなったわ」
「謝らせておいていきなりですかっ!?」
「あら、私は紫に謝れとは一言も言ってないわよ?」
「そうねぇ、私も謝らせた記憶は無いわ」
「あ~、う~………」
妖夢が頭を悩ませる。
どうしてこう、自分の主人はこんなにも扱いにくいんだろう。
どうしてこう、幽々子様の友人はこんなに面倒なのだろう。
まぁ、確かに謝れとは一言も言ってないが…
でも、あの状況は謝らないと何かされる状況だろう、と思う。
渋々ながら妖夢は幽々子の盃に酒を注ぐ。
「それにしてもどうしたの、紫? あなたが自然に絡んでくるなんて」
「ま、気分というものね」
妖夢は続けて紫の盃にも酒を注ぐ。
と、先ほど酒を注いだ方向から、
「妖夢、お酒がなくなったわ~」
「早っ!?」
方向転換し、再び幽々子の盃にお酒を注ぐ。
すると、今度は別の方向から、
「妖夢、私もお酒がなくなったの」
「紫様も早っ!?」
妖夢は再び急激に方向転換をする。
と、その向きを変えた瞬間また、
「よーむ、よ~むっ! お酒が切れたわ~っ!?」
「あぁもうっ!」
まだ紫の盃に酒を注いでないと言うのに幽々子が早くもお酒を飲み干していた。
一体どんな肝臓を持っているのだろう。
妖夢は紫の盃にお酒を注ぐ。
「よ~むっ、よ~むぅっ!! 早くしないと死んじゃうわぁ~~っ!?!?!」
「幽々子様がこれ以上どう死ねるって言うんですかっ!?」
「あら妖夢、私は幽霊よ? これ以上死ぬことなんて無いわ」
「えぇ~~っ!?! じゃあさっきのは何なんですかっ!?」
「妖夢、あなたちょっと疲れてるんじゃない? 私は何も言ってないわよ~?」
「確かに疲れてますけど……でもさっきのは…」
「ほらほら妖夢、手が留守よ~?」
「はいはいはい、ただ今っ!」
せわしなく妖夢が動き、幽々子に酒を注ぎ始める。
すると、また別の方向から、
「妖夢、幽々子の相手ばかりってことは私を捨てるのね……あ~あ、妖夢に捨てられたわ~…」
「ち、違いますからっ!!」
妖夢が幽々子の酒を注ぎ終わると、再び紫に向き直る。
すると、またしても、
「え~~っ!? 妖夢ってば紫の庭師になるの~っ!? あ~あ、よ~むに捨てられたわぁ~…」
「えぇぇっ!? 何でそうなるんですかっ!?」
「ほら妖夢、手がお留守よ」
「うわ~~~んっ!!! 紫様も幽々子様も無茶言いすぎですよ~~っ!!」
ついに妖夢が折れ、その場にダウンする。
その様子を見て、幽々子と紫がクスクスと笑いあう。
笑い声を聞いた妖夢は、分かってはいたがからかわれていることを知った。
さらに落ち込む。
「しくしく……もう宴会ヤダ…」
「ほら妖夢、このくらいでいじけないの~」
「いじけますよ…まったく、紫様も幽々子様もお遊びが過ぎますよぅ……」
「まだまだ妖夢は半人前ね…まだうちの藍の方が偉いわ」
「もうなんとでも言ってください…しくしく……」
もはや諦めの境地に達した妖夢。
そんな境地に達してもあまり嬉しくないが…
そんな妖夢を見て苦笑しつつ、幽々子が紫を見る。
「で、紫? 今日は随分とご機嫌じゃない?」
「あら、幽々子にはやっぱり分かるのね」
「まぁねぇ…だって長い付き合いなんだし……それで、理由は何かしら?」
「またまた、幽々子にも分かってるくせに…」
「あら、私は何も分からないわよ? さっぱりだわ~」
と、クスクスと笑いつつ扇子を広げて口を隠す。
紫はそれを見て、同じように笑って扇子を広げて口を隠した。
と、幽々子は落ち込んでいる妖夢をちらと見る。
「妖夢」
「なんですか幽々子様……」
凄く落ち込んだ口調で妖夢が答える。
どうやらさっきので随分と参ってしまったようだ。
だが、受け答えする分妖夢の律儀さが出ている。
その様子を紫が見て笑いを漏らす。
「ほら、いつまでも拗ねてないで~」
「はいはい、また私をからかうんですね………」
「もう、さっきのことは謝るわよ~」
苦笑しつつ幽々子が手を合わせ、簡単に謝罪をする。
妖夢はそれを見て渋々納得し、幽々子に向き直った。
誠意があるかは別として、何とか反応してくれるまで機嫌は回復したようだ。
「それで、何ですか幽々子様?」
「ほら、月を見なさい?」
幽々子が閉じた扇子で月を示す。
「月、ですか? 月が何か……………あ」
「ね? そうでしょ、紫」
幽々子が紫にウィンクをする。
それを見て紫が、やっぱり分かってたんじゃない、とでも言いたげに扇子を閉じた。
そして幽々子にウィンクを返す。
対する幽々子は、月を見てぼんやりと物思いに耽っていたかと思うと、ふと口ずさんだ。
「残暑散り 望月見ゆる 宵の空 艶なりしさま 言はむかたなし」
「あら、幽々子もご機嫌ね~……妖夢もこのくらいの風流は分かるわよね?」
「はい…」
紫の問いに妖夢はやや呆けつつ答える。
その様子を幽々子がちらりと見て笑う。
「だって今宵は――――――」
「だって今夜は――――――」
幽々子と紫が口をそろえる。
「橙、こっちにおいで」
「はい? どうしました藍しゃま~」
橙が千鳥足で主である藍の元へ行く。
もはや真っ直ぐ歩いていないその様子に、藍は苦笑した。
「こらこら橙、随分と酔いが回っているぞ」
「いえいえ~、そんなことはありませんよ~……」
「はは、まったく信憑性が無いな」
「う~」
事実、橙の口からは酒臭い呼気が多分に含まれている。
顔も真っ赤っかになっている。
一体どれだけの量を飲んだというのだろうか。
確かに橙はお酒にはあまり強くないはずだが、と藍は思う。
でもまぁ、今日くらいは自由にさせてやるかと考え直す。
「藍しゃまぁ~……尻尾もふもふさせてください~」
「また尻尾か? 橙も好きだなぁ」
「えへへ~…ふかふかして気持ちいいですから~」
言うが早く、橙が藍の尻尾に飛びついてきた。
藍も飛びついてきたのを確認すると、ふよふよと尻尾を動かす。
体躯が小さく、さほど重くも無い橙の身体は藍の尻尾に泳がされる。
たまに余った尻尾で橙の頭も撫でてやる。
「ふにゃ~…」
「はは、橙は甘えん坊だなぁ」
「えへ~……それで藍しゃま、私ににゃにか用ですかぁ~?」
普段は出ないはずの猫言葉まで出ている。
いや、被弾した時も出るけど。
しかし、平常心すら忘れさせるほど飲んだのか。
この小さい身体にどれほどの酒が入っていったのかと思うと驚きを隠せない藍だった。
が、橙の言葉に目的を思い出した。
「おっと、そうだ忘れるところだったな…」
「もう、藍しゃまも飲みすぎですかぁ~? ひっく…」
「いやいや、私は橙ほど酒乱じゃないよ」
「むぅ~、それって私が飲んだくれみたいじゃないですか~」
「う~ん、事実そうなんだけどなぁ…」
「ぷぅ~っ!」
そう言うと、橙は頬を膨らませて怒った仕草をする。
ほんのりと酒気を含んだ顔が可愛いと、親バカならぬ式バカと自覚できるほど思う藍だった。
「っと、それでまぁ、大したことじゃないんだけどな?」
「はいはい~?」
途端に機嫌をよくする橙。
その様子に苦笑を湛えざるを得ない藍。
まるで年の離れた姉妹を見ているようだ。
さながらしっかり者の姉に遊び人の妹といったところか。
と、藍は空を見上げた。
「ほら橙、空を見てごらん?」
「そら~? えっと、えっと………わぁ~~っ!」
空を見上げた橙が歓喜の声を藍の横で漏らす。
その声を聞いて藍も微笑んだ。
「見えるか?」
「うんっ、まんまる~!」
「どうだ、いいものだろう?」
「うん、飛びつきたいくらい~!」
「はは、橙は丸いものに目が無いからなぁ」
「むぅ~、どうせ私は猫ですよ~…」
「こらこら、拗ねるな拗ねるな」
藍と橙はじゃれ付くように寄り添って、一緒に空を見上げた。
月光が二人の顔を明るく照らしている。
「藍しゃま~…」
「ふふ、橙も興奮してるな~……まぁ、仕方が無いか」
橙を微笑ましく見て、そして再び視線を夜空に浮かぶ円に向ける。
「なんて言ったって、今夜は――――――」
月明かりの下で、黒の長髪がある人影に近づいていく。
その髪の持ち主は、蓬莱山輝夜。
後ろには永遠亭の住人が楽しく雑談しながらついてきている。
月の頭脳、八意永琳。
狂気の月の兎、鈴仙・優曇華院・イナバ。
地上の兎、因幡てゐ。
銀と黒の髪が月に照らされて美しく輝いている。
「妹紅」
輝夜は人影の前で立ち止まり、その名前を呼んだ。
同じような銀髪を持つ藤原妹紅。
輝夜や永琳と同じく蓬莱人となった、不倶戴天の敵だ。
妹紅の隣にはハクタク化した慧音が居る。
「輝夜か……よくもノコノコと私の前に出てきたな」
喧嘩を売るような口調で妹紅が言う。
「あら、これはまたご挨拶じゃない?」
「うるさいな……それで、一体何の用?」
二人はお互いを敵として認識している。
それはどんな場においても、対峙すれば常に敵同士なのだ。
一触即発の雰囲気をかもし出す妹紅を、隣の慧音がいさめる。
「妹紅、今日くらいはやめないか」
「何だよ慧音、文句でもあるのか?」
「いや、どうやらあちらも別に戦うために来たわけじゃないらしい」
と、視線を妹紅からそらし、輝夜、永琳、鈴仙。そしててゐへと向ける。
永琳と目が合ったとき、永琳が僅かに微笑んだ。
それを見て、こちらも笑い返す。
「…それで? 戦いに来たんじゃないなら何しに来たのさ」
「その喧嘩っ早い気性はもう少し落ち着けて欲しいところね…慧音も大変でしょうに」
「な、何だとっ!? こんな体にしたのも全ては―――」
そこでパン、と大きく手を叩く音がした。
その音に妹紅の言葉が途切れる。
音の発生源は永琳だった。
「だから突っかかるのはやめなさい、今はこうして一緒にお酒でも酌み交わそうとしに来たというのに」
「酒? 何でまたお前らなんかと…」
「まぁ、いいじゃないか妹紅。向こうだって別に他意があるわけでも無いだろう?」
「どうだか…酒に毒でも入れたりしてな」
「入れてもいいけど、あなた死なないじゃない」
輝夜が冷静に突っ込み返す。
その台詞を聞いて妹紅がまた突っかかりそうになるのを、慧音が必死で止めた。
友人の止めも入ったので、妹紅も黙ったようだ。
「まぁ確かに入れる可能性も無きにしも非ず、疑われるのも当然よね…」
「…永琳?」
永琳の言葉に慧音が疑問を含んで聞き返す。
が、永琳は続けた。
「でも本当に今夜は他意はないわ、一緒に飲もうと思っただけよ? 毒なんて入れてないわ、私の誇りに誓って」
「………ふ、ふん…そんなこと言われてもな…」
「師匠は誇りをあっさりと捨てるような人じゃないわ、てゐなら毒を入れそうだけど…これだけは信じてもらえる?」
「ちょ、ちょっと~! まるで私が詐欺師みたいじゃない~っ!」
「え、事実でしょ?」
「え゛ぅ…」
鈴仙の言葉にてゐが反論する。
が、返される反論に珍しくてゐが口を噤む。
確かに事実だけどぉ…、という声が細々と聞こえた。
そのやり取りを聞いていた輝夜がクスリと笑いを漏らす。
「まぁ、いいじゃない? 今夜くらいは敵ということも忘れて飲みましょう?」
輝夜が手にしていた高級そうなお酒を持ち上げる。
妹紅はしばらく考え込み…お酒と輝夜を見て逡巡する。
そして長らくの沈黙の後に、ゆっくりと重い口を開いた。
「……今夜は特別だ」
「ふぅ…そうこなくてはな、妹紅」
「た、ただし今夜だけだぞっ!?」
慧音の嬉しそうな口調に、ついムキになって反論してしまう。
その様子を見て輝夜どころか、永琳や鈴仙、てゐにも笑われた。
「わ、笑うなっ、今夜だけだって言ってるだろうっ!?」
「素直じゃないわねぇ、本当に」
「私は素直だーーっ!!」
永琳がムキになっている妹紅を見てくすくすと笑う。
事実、一週間前も輝夜と妹紅は二人して飲んでいる。
まぁ、酔っていたから記憶が無いのかもしれないが…
確かに二人は敵同士ではあるが、楽しみは分かち合える友なのだ。
二人とも認めないだろうけど…
「さ、じゃあ妹紅には私から注ぐわね」
「ふん、じゃあ私も直々にお前の盃に注いでやるよ…」
輝夜と妹紅がお互いに盃を差し出し、お互いに酒を注ぎあう。
と、暇になったのか知らないが鈴仙が慧音のそばまでやってきた。
「それじゃ、今夜は敵とかそんなもの関係なく、幻想郷の仲間として」
「あぁ、同じ幻想郷に生きる者として、この酒宴に感謝しよう」
鈴仙と慧音がお互いのお酒を交換する。
「あら、ウドンゲも社交的になったものね」
「し、師匠~…それじゃまるで私が人間嫌いの引きこもりみたいじゃないですか~…」
「別にそんな含みを持たせたわけじゃないけど……ほらてゐ、てゐには私が注いであげる」
「うわ、本当にいいんですか~っ?」
と、てゐが小さめの盃を持つ。
永琳が甘酒をその盃に注ぎこんでいく。
「あ~っ、師匠、私にも~!」
「あらウドンゲ、嫉妬?」
「違いますよ~っ!?」
鈴仙がムキになって反論する。
それを見た永琳と慧音、そしててゐが嬉しそうに笑う。
と、気分を害したのか鈴仙が多少いじけてしまった。
いかにも定番だが、地面に『の』の字を書くようにいじけている。
随分と古風ないじけ方だった。
「ほらウドンゲ、注いであげるから早くその注がれてるお酒を飲みなさい?」
「え…師匠…………?」
いじけていた鈴仙がふと顔を上げて、永琳を見る。
一瞬時が止まったように動かなかったが、ふと我に返り手にしていた酒を見る。
と、見るや否やぐいっとお酒を飲み干してしまった。
一気飲みは身体に悪いのだが…この際気にしないでおこう。
永琳は苦笑しつつ鈴仙に新たに酒を注ぎ足した。
一方で、輝夜と妹紅がお互いに酒を通じて打ち解けていた。
先ほどの険悪な空気が嘘のようだった。
「それにしても…輝夜、どういう経緯で一緒に飲もうなんて考えたんだ?」
「あぁ、それは何と言うのかしらね…何かこう、そんな気分になったものよ」
「むぅ? いまいちよく分からないな…」
「確かにそれは私も気になっていたところだ…永琳、何故いきなり?」
輝夜と妹紅の話を聞いて、慧音も疑問に思ったようだ。
その質問に永琳は迷いの無い笑みを浮かべて、
「慧音、あなたになら分かるんじゃない? 一番顕著に現れているわよ」
夜空に浮かぶ満月を指差した。
永琳の指につられて慧音が空を見上げる。
指の先にあるものを見て、慧音はすぐに大きく頷いた。
「なるほどな…これなら確かに納得がいく」
「…慧音? お前には何か分かったのか?」
と、二人のやり取りを聞いていたらしい妹紅が慧音に聞いた。
輝夜もその原因を知りたいらしく、身体をこちらに向けていた。
「あぁ妹紅、これは至って簡単なことだったよ」
そう言って夜空を見上げた。
つられて輝夜と妹紅も夜空を見上げる。
そしてそれぞれの視線の先にあるものを見て二人も納得したように首を縦に振った。
「なるほどね…原因が分かったわ」
「うん………これは見事だな…」
妹紅が天に輝く月に見とれる。
そして、細々とこう呟いた。
「山の端の ささら愛壮士 天の原 門渡る光 見らくしよしも」
「あら、万葉集ね」
妹紅の詠んだ歌に輝夜がコメントをする。
「な、何だよ、悪いか…」
「いいえ、別に? そうねぇ………」
というと、輝夜も満月を見てふと考える。
それもほんの少しの間で、輝夜もこう詠み返した。
「明日の宵 照らむ月夜は 片寄りに 今夜に寄りて 夜長くあらなむ」
「………お前も万葉集じゃないか」
「ふふ、万葉集には万葉集で返すのよ」
「そんなもんかねぇ……っと、酒が切れてるぞ、輝夜」
「そういうあなたもよ、妹紅」
二人、仲良く酒を注ぎ合う。
月を見て、風流を謳歌しあえる二人は、きっと幸せなのだろう。
その様子を見ていた慧音が二人を温かく見守っていた。
永琳もさほど驚いた様子はなく、二人を見た後に、もう一度満月を見た。
「そうね、こんなこともたまにはあっていいわよね」
「永琳………ふ、それもそうだな」
隣に居た慧音がいつの間にか永琳を見ていた。
お互い顔を見合わせて、クスリと笑い、こう言う。
「何せ今夜は――――――」
「なぜなら今夜は――――――」
「おーーーー………」
ルーミアがいつもの十進法ポーズではなく、天に向けて両手を伸ばしていた。
まるで嬉しいことがあったかのように笑顔だ。
まぁ、ルーミアの場合常に笑顔のような気もするが、そこには触れないでおく。
「何してるの、ルーミアちゃん…」
最初はみんなで楽しんでいたが、突然手を伸ばしたルーミアを気にかけて大妖精が言う。
彼女のことだ、いろいろと気を利かせたのだろう。
「ほっときないよ大ちゃん、ルーミアはいつも唐突なんだから」
「おーーーー………とーとつー…」
つまみをほおばり、甘酒を飲みながらチルノが言う。
ルーミアもさして気にしていない様子で、夜空に向けて腕を伸ばしたままだ。
しかし、それでも気になるのか大妖精はちらちらとルーミアのことを気にかけていた。
そこへ、リグルが助け舟を出す。
「ねぇルーミア、一体何を見ているの?」
イカ焼きを頬張りながらリグルがルーミアに尋ねた。
対するルーミアの答えは単純かつ簡単なものだった。
「お月さまー」
「月?」
その簡素な答えにリグルは目を丸くする。
同じくその答えに驚いた大妖精も目を丸くした。
「お月様がどうかしたの?」
同じく一緒に居たミスティアが夜空を見る。
確かに、満月が浮かんでいるが…
すると、不意に大妖精がルーミアと同じように背伸びをしながら夜空に手を伸ばした。
「うぅ~~ん………」
「大ちゃん、何やってるの?」
その様子を見ていたチルノが驚いて大妖精を見る。
「えへへ…えっとね、ルーミアちゃんが本当にうれしそうだったからつい…」
「わーっ、仲間なかまー♪」
「つい、って…あのね、大ちゃん………」
「それじゃ、私もやってみようかな」
「えぇっ!?」
大妖精に続き、リグルも空高く両手を伸ばす。
その様子を隣で見ていたミスティアも一瞬意外そうな顔をした。
が、すぐにその表情は消え、羽を大きく広げ、続いて両手を月に向けてあげた。
「何だか知らないけど、私も~!」
「ミスティアまで……あんたたちバカ?」
「むぅ、チルノちゃんには言われたく無いよ…」
「ちょっと大ちゃん、それってどういう意味?」
「あ、いや、それは言葉の綾で………ほ、ほら、チルノちゃんもやってみようよ~?」
「なんであたいがそんなこと…」
大妖精の勧誘にもめげず、チルノはマイペースを崩さない。
それを見て、リグルもミスティアもルーミアもチルノを見る。
四人の視線にチルノはひたすら耐える。
多少気まずくなっても気にしない、それがチルノクオリティ。
と、まず先に口を開いたのはリグルだった。
「まぁ、チルノもやってみればわかるよ。たったこれだけなんだけど気持ちいいんだよ?」
「あ~、何だかいい歌が歌えそうな気がする~…」
「まんげつー」
「チルノちゃん、一緒にやってみようよ」
「う………」
ルーミアはさておき、みんなの説得がチルノの心を揺るがす。
「ね、チルノちゃん」
「………………あぁもうっ!」
チルノは自分に一喝するように大声を出す。
「分かったわよ、少しくらいならあんたたちに付き合ってあげるっ!」
「そう来なくちゃねっ!」
仲のいい大妖精の隣に並び、おずおずと両腕を天に掲げる。
月明かりが僅かに影を作り、チルノの顔を少しだけ覆う。
隣と見ると、大妖精が屈託の無い笑顔でチルノを見ていた。
周りを見回すと、他の四人もチルノを見て微笑んでいる。
まぁ悪くないわね、と心の奥底で思う。
こうして5人集まって馬鹿をやるのも楽しい。
それに、何故か今夜は気分がいいのだ。
「あ~、何だか歌いたくなってきた~!」
「ミスティア、もうちょっとだけこうしていようよ」
「う~ん……ま、リグルの言うことにも一理あるかな~……じゃ、あとちょっとだけ」
歌いたくてうずうずしているのを、くるくると回って昇華する。
まるで一人だけの舞踏会をやっているようだったが、不思議と綺麗だった。
その傍らでは…
「はぁ、レティにもこの月を見せたかったなぁ…」
「私も…リリーちゃんならすっごく喜んでくれてたと思うのに…」
「あいつの場合は弾幕になりかねないからやめた方がいいと思うけど…」
チルノと大妖精が、今ここに居ない冬の忘れ物と春を運ぶ妖精に思いを馳せる。
冬と春にしか出てこない二人にはこの月を見ることが出来ない。
この感動を分かち合いたいのに、二人はまだ出てくる季節じゃない。
出来ることなら無理にでも引っ張って連れて来たいのだが、如何せん所在が分からない。
「チルノちゃん……だったら私たちは二人の分まで楽しまないとね?」
「大ちゃん………うん、そだね…今度こんなにいい夜があったら意地でも探し回って連れて来てやるんだから!」
「うん…二人で一緒に探そうよっ!」
「当ったり前でし……ま、まぁそれもありね…」
突如としてチルノは語気を変える。
今更ながら、自分の言葉に恥ずかしさを感じるチルノ。
何故こんなに熱くなっているのだろう。
でもまぁ、不思議と嫌な感じはしない。
それもこれも、この月の所為だとチルノは思い込んだ。
「ねーねー」
と、突然ルーミアが4人に向かって言う。
いや、向かって言ったのかは分からないが、会話の矛先は4人に向けられているのだろう。
だって、ルーミアは依然として月を見上げているままだったから。
「何かみんなでこーしてると楽しいよねー?」
「え?」
一瞬、質問の意味を理解しかねたリグルが聞き返す。
だがすぐに考え込むと、自分の意見が纏まったように笑った。
「………うん、楽しい」
「私も私も~っ♪」
リグルに続いてミスティアが激しく自己主張するように叫ぶ。
「私も何だかよく分からないけど不思議と楽しいよ、チルノちゃんは?」
「あ、あたい? あたいは………」
突然大妖精に話を振られ、びっくりする。
そしてちょっと考え込んで…みんなの顔を見て、俯いた。
しばらくの沈黙の後に、顔を上げてこう言った。
「……た、楽しいに決まってるじゃない」
よほど照れくさかったのだろう、少しだけ頬が赤い。
その様子を見て、4人が笑った。
くどいようだが、ルーミアは常に笑っていたが。
「じゃあ、おてんと様に感謝ー」
ルーミアが月に向けて手を振った。
そしてリグルが続く。
「届け、私たちの喜び」
「届け~、この楽しさ~♪」
「ありがとうございます、こんな素晴らしい夜を」
ミスティア、大妖精と続き、チルノに回る。
流石のチルノもこれは予想外の出来事であったようで、言う言葉が何も見つからない。
なら、心に想っていることを直接叫ぶしかない、と考えた。
そしてチルノは大きく息を吸い込んで…
「あたいってば最強おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
と、力の限り叫んだ。
その一言に、その場に居た4人は一瞬目を丸くし、呆然とした。
が、直後にどっと笑いが起こり、そしてチルノ自身もすっきりしたのか、笑っていた。
今夜は気分がいい。
今夜は楽しい。
だから、この爽快さをくれた満月に感謝しよう。
天まで届け、5つの想い。
だって、今日の夜空は――――――
「萃香さん」
「おー、天狗じゃん。元気?」
「それはもう、おかげさまで」
一人で飲んでいた萃香に、文が寄ってきた。
手にはいかにも高級そうなお酒を持って、だ。
文は萃香の真正面に腰を下ろした。
「んで、何か用? 私をネタにしようにも面白いことは何にも無いよ~?」
そう言って萃香は手に持っている瓢箪から酒を飲んだ。
伊吹瓢と呼ばれるそれは、中身の酒が尽きることが無い。
ぐびぐびと飲んだ後に再び文に向き直る。
文も文で持参した酒をラッパ飲みする。
ふぅ、という声とともに酒気がそこら中に舞った。
「お、いい飲みっぷりじゃない?」
「ふふ、乗ってきましたか?」
「ん、まぁまぁね……んぐ、んぐ…」
随分前からかなりの量を飲んでいるはずの萃香だが、飲む勢いは衰えることを知らない。
一定間隔をあけて酒を飲んではぷはぁ~、といかにもといった息を吐く。
「それで、ちょっと萃香さんに用というものはですね?」
「あ~、うぃうぃ? あんたが私のところに来るなんて珍しいじゃん」
「ええ…少し萃香さんと飲み比べでもしようかな、と」
「飲み比べ? 鬼の私と? へぇ、天狗がなかなか言うようになったじゃない?」
それまで斜に構えていた萃香が居住まいを正す。
と言っても、だらけた座り方から胡坐になっただけなのだが。
文は流石に胡坐はかけないので足を崩し、両足を両脇にたたむ、所謂ぺたん座りをした。
「鬼の萃香さんと勝負できそうなのは天狗の私くらいですからね」
「ほぅ、天狗が天狗になってる?」
「オヤジギャグですか?」
「無礼者、私はこんなにも美肌つるつるのギャルなのに」
「失礼しました、どっちかというとオヤジギャルですね。それにギャルなら私の方が似合ってますよ」
「何を、全然ギャルとはかけ離れたような性格に容姿をしてるくせに」
そう言うと、二人で笑いあった。
天狗と鬼では種族こそ違うものの、何か通じるところがあるらしかった。
それは弾幕での強さでもあり、酒の強さでもある。
だけど、今は笑いを共有できることが楽しいのだろう。
ひとしきり笑った後に、お互いに顔を見合わせた。
「で、私と飲み比べだなんて本気?」
「えぇ、本気の本気ですよ」
「へぇ……………よっし、その度胸と喧嘩、買ってやる! 後で後悔しても知らないよ?」
「それはこっちの台詞です、久々に本気でも出しますからね?」
「そうこなくちゃね、全力じゃないっていうのを負けの言い訳にされたらかなわないし」
「あら、天狗は嘘をつきませんよ?」
「それ自体が嘘だってのっ」
二人は笑いつつ自分の盃を取り出す。
盃と言っても、それは宴会用の直径50cmはあろうかという超巨大なやつだ。
萃香が伊吹瓢からそれぞれの盃に酒をなみなみと注ぐ。
「じゃあ、準備はいい? 私の飲みっぷりに惚れなさんなよ?」
「あら、私の飲みっぷりだって萃香さんには負けないと思いますよ?」
「ははっ、言うねぇ……それじゃまずは一杯目、行くか~♪」
「えぇ、いつでもいけますよ~」
そしてお互い巨大な盃を軽く打ち合わせる。
「乾ぱ~い!」
「はい、乾杯です」
カツン、と音がして両者酒を飲み始める。
萃香も文も流石は自信があるのだろう、どんどんと飲み干していく。
速度も同じ程度と、両者の(酒飲みの)実力は拮抗している。
幻想郷一のうわばみを競ってるのかは知らないがとにかくレベルが高い。
そしてお互いほぼ同時に一杯目を飲み干した。
「ぷはぁ~っ! へぇ~、天狗も伊達に天狗をやってないね」
「萃香さんこそ伊達に鬼じゃないですね、その飲みっぷり」
「なんたって『鬼殺し』だって飲むから………なんてね。それよりもさ、私からも一つ聞いていい?」
「はい、なんでしょう?」
「どうして急に私と飲み比べでもやりたくなったわけ?」
まだまだ余裕なのだろう、表情も普通(といっても赤いが)に萃香が聞く。
それに対して、文の答えは既に決まっていた。
「ふふ、それは萃香さんもよくご存知なのでは?」
「いやぁ~、私は無知だからね、分からんのよ」
「またまたご冗談を…」
月光が境内を明るく照らしていた。
そう言って文は夜空を見上げた。
文に続いて萃香も数多の星が煌く空を見上げる。
その目の先には、見事な満月が輝いている。
「あぁ~、なるほどねぇ~♪」
萃香は含みのある笑いを漏らす。
「ほら、やっぱり知ってたんじゃないですか」
「いやぁ~、天狗も随分と風流じゃん、と思ってね」
「褒め言葉として受け取っておきます。それよりも…」
文が急かすように空になった盃をくいと持ち上げる。
「分かってるって、そんなに焦らないでいいんよ」
「まぁ、確かにそうですね…何せ勝負はまだ始まったばかりですから」
「ふっふ~、何処まで私についてこれるかな?」
「ついていくどころか追い越してあげますよ」
「はっはっはー! よく言った、それでこそ天狗だー!」
気分をよくした萃香が再び伊吹瓢から二つの盃にたっぷりと酒を注ぐ。
そして二人はニッと笑った後に、二杯目を飲み始めた。
夜は長い。
二人の飲み比べの夜はまだ始まったばかりだ。
たまにはこういう飲み比べも悪くはない。
二人とも、飲み比べをしても先に相手が潰れることの方が多いためこういうレベルの高い相手になると嬉しいのだ。
お互い、口には出さないものの、表情からそう読み取れた。
そして顔を見合わせて笑い、空に煌々と輝く満月を二人で見る。
今夜は楽しい夜になりそうだ。
だって、今夜は――――――
夜中の神社に盛大な演奏が流れている。
それはある意味やかましいだけの騒音だったが、宴会場にはもってこいのBGMでもあった。
その音を出しているのはヴァイオリン、トランペット、ピアノという不釣合いな3つ。
それは何も触れていないのに自動で音を出していた。
楽器の主であるのはポルターガイストのプリズムリバー三姉妹だ。
手を使わずに演奏することのできる能力のお陰で、宴会を楽しみながら音を出せる。
やかましく音を出していた3つの楽器だが、ふとヴァイオリンの音色が止まった。
「…姉さん?」
その異変に気付き、三女のリリカが長女のルナサに声をかける。
対するルナサは演奏をやめたかと思うと、酒を飲むのでもなく、立ったまま寝るのでもなくボーっとしている。
ボーっとするのはルナサにはよくあることなのだが、演奏をやめるとなると珍しい。
次女メルランも演奏をやめ、ルナサの様子を伺った。
「どうしたのよ姉さん~? どこか具合でも悪いの~?」
「…………」
しかしルナサはボーっとして動かない。
リリカが目の前で手を振っても何の反応も無い。
まるで石像のように突っ立っている。
さすがにここまで来ると陽気なメルランでも少し不安になってくる。
「どうしたのかしら、姉さん…」
「う~ん、ボーっとするのはいつものことだけど……あ、そうだ、メル姉の音で元気付けてやれないかな?」
メルランは音に『躁』の念を込め、陽気な気分にさせる。
リリカはそれを利用しようと思いついたのだが、メルランは首を横に振る。
「それが出来ていたら姉さんは既に私たちの知る姉さんじゃなくなってるわ~」
「あぁ、ハイテンションなルナ姉になるってわけね……確かにそれは変すぎる…」
「というか、不気味を通り越してシュールよね~」
「だよね~」
恐らくハイテンションなルナサを想像したのだろう、クスクスと含み笑いをしている。
姉への心配は何処へやら、と言いたいところだ。
と、二人が不自然な姉の姿を想像している時だった。
「メルラン、リリカ」
凛とした声が響く。
その声は決して大きくなかったものの、メルランとリリカにはきちんと聴こえた。
同時に二人が身を強張らせた。
「ひゃぁっ!? 姉さんごめんなさい~~っ!!」
「こ、これはねルナ姉、全部メル姉が…」
「ちょっとリリカ~っ!? リリカが言いだしっぺじゃないの~っ?!」
「め、メル姉だって笑ってたくせに!?」
「あ、あれはあれ、これはこれよ~?!」
と、妹二人が不毛な言い争いをしている。
そこへ、ルナサが宙に浮かんでいるヴァイオリンを手元に引き寄せた。
そのままヴァイオリンを持ち、メルランとリリカの元へと歩いてくる。
それを見てメルランとリリカは竦みあがり、お互いに抱き合った。
ルナ姉を怒らせてしまった。
それだけで怖い。何と言っても長女なのだから。
二人の近くまで来てから妹たちの震える様子を見て、ルナサは首をかしげた。
「二人とも、何をしてるの」
「へ?」
「はい?」
メルランとリリカは素っ頓狂な声を出す。
てっきりルナサを怒らせたと思い込んでいた手前、何も反応できない。
ルナサは特に何も気にすることはなく二人をじっと見つめた。
でも、怒っている目ではなく、いつもの何を考えているか分からない瞳だった。
「早く楽器を持って………」
「へ? 楽器? ………姉さん、怒ってないの?」
「………? ……怒るって…何を?」
「あ~いやいやいや!! 別になんでもないのよルナ姉、ね~メル姉?」
「そ、そうよ~! 別になんでもないのよ~!」
「?」
まだ不思議そうに首をかしげるルナサを尻目に、メルランとリリカは安堵の息を吐いた。
「でも姉さん、どうして楽器を? 私たちはせっかく手足を使わずに演奏できるのに…」
「確かにそれは出来る………でも私たちは…何?」
「騒霊…ポルターガイスト……」
「そう、私たちは騒霊。手足を使わないで楽器を弾かなければならないという制約なんて無いはず」
「ま、まぁそれはそうだけど~…」
「まぁ………いいから楽器を持ちなさい……直接弾くわ」
メルランとリリカは首をかしげながらも、宙に浮いていたトランペットとキーボードを手元に寄せた。
握る楽器の感触は、何時感じてもいいものだった。
自然とやる気が沸くというか…楽しめるというか…とにかくよく分からないが気分がよくなるのだ。
「でも姉さん、どういう経緯でこんなことに~?」
「うん、ルナ姉は気分で物言いをするときもあるけどそんなにしないし…」
「うん………まぁ…ちょっと、月を見ていたらね」
「月?」
「お月様~?」
二人が夜空に浮かぶ満月を見上げる。
「つい見とれていたんだ………そしたら急にこいつが恋しくなってな」
「はぁ~…確かに見とれるわよね~…」
「う~ん、あまり関心は無かったけど改めて見ると何だかね…」
ルナサがヴァイオリンを、メルランはトランペットを、リリカはキーボードを撫でる。
その視線はどこか恍惚としたものであり、愛おしいようでもある。
すると、沈黙を破ってルナサが声を出した。
「……メルラン」
「うん、なぁに?」
「………私は『鬱』の音を出す。そしてメルランは『躁』の音を出す」
「え、えぇ…それがどうかしたの~?」
そこでルナサはリリカに視線を向けた。
「リリカ……リリカは私たちでは不協和音となるその旋律を融合し、最高の音にする」
「う、うん…そうだけど?」
メルランに続いてリリカも今更のことのように思い、疑問に思う。
二人ともよく分からないといった様子でルナサを見る。
ルナサの表情はあくまでも凜としていて、先ほどのボーっとした表情は無い。
見様によってはボーっとしているようにも見えるが二人には分かる。
「『鬱』の音だけでも『躁』の音だけでも最高の音は作れない。私たちは3人揃って最高の音楽を作るんだ」
「…………姉さん?」
「そう、3人揃ったら作れない音なんか無い。音は何ものをも超えて、聴く人の心に響いていく」
「………ルナ姉? 一体何を…」
「音は心を動かす大きな力を持っている。それを運ぶのは私たち騒霊だ。それは誇り高い職業なんだ」
妹たちの声をまるで聞いていないかのように独白を続けるルナサ。
その瞳の輝きは今までになく強く、そしてはっきりとした意思が込められている。
いつものルナサでは考えられない、凛々しい表情。
メルランとリリカは改めて、長女を尊敬する。
一体何が彼女を動かしているのかは分からない。
けど、これは非常に大切な話なのだということは分かった。
「音楽は心を癒し、心を慰め、心を救い、心を落ち着ける。でも、私たち3人では音楽は完璧じゃない」
「え? 姉さん、それってさっきと言ってることが違うんじゃ~…」
メルランが口を挟む。
リリカも同じ意見のようで、少しだけ頷いていた。
そのメルランの言葉に、ルナサは少し微笑んだ。
「そう、3人じゃ完璧じゃない。私たちは4人で1つなんだ」
「あ………レイラのこと…?」
「そう、レイラはいつまでも私たちとともに生きている。私たちの心の中に生きている」
プリズムリバー家は、四姉妹だった。
レイラとは四女のことで、今はもうこの世に居ない。
しかし、ルナサ、メルラン、リリカを生んだのは彼女なのだ。
彼女はプリズムリバーの大切な四女。
だから、プリズムリバーは4人で一つなのだ。
「確かに今までは騒霊として弾きたい所で弾いてきた、そしてそれはこれからも変わらないと思う。けど…」
「…けど?」
「今日は…今夜は今までに無いくらいの最高の演奏にしよう。レイラが喜ぶような最大級の演奏にしよう」
「姉さん…」
「ルナ姉…………うん、そうだね…」
リリカがキーボードを構え、本格的に弾く準備をする。
その様はどこか凛々しく、いつものような裏がありそうな表情はここには無い。
れっきとしたキーボーディストとしての、リリカ・プリズムリバーが居る。
「そうねぇ~、確かにこんなに大きな宴会は後にも先にもなさそうだしね~!」
メルランがトランペットを構えた。
酒に酔っていた顔も、目つきも真剣なものへと変わっている。
そして最後にルナサがヴァイオリンを顎に当てた。
そう、トランペッターとしてのメルラン・プリズムリバー。
ヴァイオリニストとしてのルナサ・プリズムリバーが立派に立っているのだ。
3人とも、目で会話する。
言葉はなくとも通じ合える、だから姉妹はいつまでも仲がいいのだ。
時に喧嘩だってするのも、仲がいい証拠なのだ。
3人が、お互いをよく知り、お互いを信頼し、信用している。
それは、これまでも、そしてこれからも崩れることは無いだろう。
4人目のプリズムリバーが心に生き続ける限り、この姉妹はずっと仲がいいのだろう。
「メルラン、リリカ、そしてレイラ………さ、幻想郷一の大コンサートを始めよう」
「分かったわ、姉さんっ!」
「二人のフォローは任せて! 最高の音を奏でてあげるから!」
そして、それはゆっくりとリリカのキーボードの音で始まった。
その音は幻想的であり、今までになく最高の音であった。
メルラン、ルナサが同時に美しい音を奏で始める。
それはいつものような騒音と言われることも無い、本当に最高の音楽だった。
やはり直接弾く方が、手足を使わずに演奏するよりも、数ランク上の音が出る。
演奏していて気持ちがいい、3人はそう感じていた。
「それにしても、どうして急にあんなこと言ったの、ルナ姉?」
演奏中、リリカがルナサに聞いた。
メルランは喋れないが、リリカと同じことを考えていたようだ。
その二人にルナサはウィンク一つして、こう言った。
「何でって………それは今夜の――――――」
「うぃ~っく……アリスぅ………地球が回ってるぜ~………」
「全く、飲みすぎよ魔理沙……あと、地球は最初から回ってるものよ」
「アリスも大変ね、飲んだくれの魔理沙のつきそいなんて」
「はぁ………霊夢だって片づけが大変でしょ? 大変なのはあなたの方よ」
「はぁ…それもそうね…」
アリスと霊夢はお互いに大きなため息をついた。
ここは神社の屋根だ。
何故こんなところにいるかというと、霊夢の気まぐれでしかないのだが。
霊夢のところへ、べろんべろんに酔っ払った魔理沙にアリスが肩を貸して来たのだ。
そこへ、偶然居合わせただけに過ぎない。
「まったく、酔い覚ましには高い場所にって…魔理沙、どうにかしてるわよ」
「あぁ、魔理沙がどうかしてるのはいつものことだから気にしないで」
「確かにそれもそうねぇ…」
「っく………二人とも…酷いぜ………うぇっぷ…」
「ちょっと魔理沙、本当に大丈夫?」
顔色が明らかに悪い魔理沙を見て流石に心配したのか、アリスが背中をさする。
それを霊夢が大変そうに見ている。
しかし見ているだけでちびちびと酒を飲んでいるだけである。
流石霊夢というか、これでこそ霊夢というか。
アリスのほうも元々期待はしていなかったらしい。
そばを飛ぶ上海人形も小さいながら魔理沙の背中をさすっていた。
「おぉ……アリスに上海もすまんな………おえっ……」
「こら、喋らないの魔理沙」
上海人形も同じ意見のようで、こくこくと小さい身体ながら大きく頷いている。
二人(?)のお陰か、魔理沙のほうも何とか少しだけ気分がよくなったらしい。
もういいぜ、と言って霊夢の隣にゆっくりと腰掛ける。
アリスも魔理沙の隣に座った。
「っく、霊夢ぅ、飲んでるかぁ~?」
「私まで酔っ払ったら一体誰が後片付けをするのよ…まったく、あんたらは騒いでばっかで片づけしないし…」
「でも霊夢もこれで食い扶持を繋いでるようなものでしょ? ならいいじゃない」
「ま、それも一理あるけど……ってちょっと待ちなさいよアリスっ!?」
「あら、何よ?」
「それってまるで私が乞食みたいな言い方じゃないっ!?」
「あら、そう言ったつもりだけど分からなかった?」
悪戯っぽくアリスが霊夢をくすくすと笑った。
そばに居る上海人形も小さな身体を精一杯動かして笑っているのを表現している。
小馬鹿にされたような気がして(実際されたのだが)、霊夢は少し悔しくなった。
少しだけ肩を震わせている。
ついでに言うと、目は笑っているのに少し怒っている。
「あのねぇ…」
「霊夢ぅ……そんなに霊力出したら頭に響くからやめて欲しいぜ……っく…」
「それはあんたが飲みすぎるからでしょ!?」
「お、おおぅ…大声もきついからやめてくれ……」
「知らないわよ、そんなのっ!」
「ほう、じゃあここで吐いてもいいということか」
「ごめん」
驚くべき速さで霊夢が謝った。
まぁ、誠意は感じられるかどうかは別にして、吐かれずにすんだようだ。
「魔理沙、年頃の女の子の言う台詞じゃないわよ」
魔理沙の少し下品な発言に対し、アリスが諫める。
「何だよ、けち臭いな…宴会なんだからちょっとくらい気にするなって……うっく…」
「ダメよ魔理沙、もう少し酔いを覚ましてからまた飲みなさい」
「っく………お前は魔理沙魔理沙ってその口癖治って無いなぁ……」
「なっ………何ですってーーっ!!?」
今度はアリスが怒る番になった。
少しだけ、アリスの顔が紅いのは何故だろうと魔理沙は思ったが、特に気にしないことにした。
その二人を見て、次は霊夢が喧嘩の収拾役に回りそうだった。
というか、回らねば魔理沙がここで吐いてしまう。
「ほらアリス、落ち着きなさいよ…まったく、魔理沙のことになったらすぐにお馬鹿になるんだから…」
「う、うるさいわねっ!」
「何、私とやる気?」
「丁度決着を付けたいと思ってたところよ…」
霊夢の余計な一言の所為で、今度は霊夢VSアリスの図式が出来上がってしまった。
しかも、魔理沙はグロッキーなので今度は止める人が居ない。
二人が視線の火花を散らせていた。
と、そこに二つの気配が神社の屋根に降り立った。
「ふぅ、まだ宴会は続いてるのよね? なんとか間に合ったみたい…今晩は」
「こんばんは~」
「おぉメディスン、来れたのか?」
「うん、幽香のお陰でね」
神社の屋根に降り立ったのはメディスンと幽香だった。
突然の二人の訪問に、アリスと霊夢のいがみ合いは唐突に終わりを迎えた。
アリスが二人に挨拶し、霊夢は頭を抱えて落ち込んでいた。
霊夢にとっては厄介者が二人増えただけなので、当然といえば当然の反応だろう。。
魔理沙もメディスンを呼んだのだが、鈴蘭畑から離れるのが怖かったらしく不参加の意思だったのだが…
「幽香が私の周囲だけに鈴蘭の香りを撒いてくれたから多分大丈夫だと思う…」
「へぇ…お前もたまにはいいことするじゃないか」
「『たまには』は余計よ、って言いたいところだけど……ま、実際珍しいわよね」
「そうねー、自称幻想郷最強の女にも情けをかける血は入っていたみたいねー」
霊夢がむっすりとした声で皮肉る。
明らかに怒っているというか、それすらも通り越して呆れているというか、拗ねているというか。
そんな霊夢を見て、幽香がクスクスと笑う。
霊夢は一瞬その笑いに食いつきそうになったが、すぐにまた大きなため息を一つついて酒を飲み始めた。
もはや諦めの境地でも悟ったのだろうか。嫌な境地だ。
「あ、そういうわけだから私の近くにはあまり寄らない方がいいのかも」
「あぁ、鈴蘭の毒ね…」
「限りなく薄くメディスンの周囲だけに撒いてるけど…近寄りすぎると毒にかかるわ」
幽香が魔理沙とアリスに忠告をした。
霊夢はというと、虚空を見つめて酒をちびちびと飲んでいるので聞いていたのかどうか分からない。
「でも幽香、本当に嬉しいよ。ありがとうね」
「本当に良かったの? あなた人形だからお酒が飲めないでしょうに」
「ううん、雰囲気が楽しければ私も楽しくなれるから…」
「そう…メディスンはいい子ね。第一印象はちょっときつかったけど」
そのメディスンの言葉に、アリスが笑って冗談めかして言った。
「そりゃ、私とスーさんのテリトリーに土足で侵入してくるからつい…」
「つい、で毒を撒かれちゃたまらないぜ」
その魔理沙の言葉に、メディスンを含むみんなが笑った。
魔理沙も少しずつ回復してきているらしい。
なんとか会話に入る余裕も出来たようだ。
アリスとメディスンは人形に通じ合うところがあったのだろう、すぐに打ち解けた。
メディスンに友達が増えるのも、そう遠くないだろう。
もっと鈴蘭畑の外に出られれば増えるのだが…それがネックである。
「ま、せっかくメディスンも幽香も来てくれたんだ、歓迎するぜ」
「歓迎しなーい」
霊夢が相変わらずのローテンションでむっすりと言う。
いつまで根に持っているだろうか。
そんな霊夢を見て再びみんなでクスリと笑った。
そして改めてアリスが服の裾をちょんとつまみ、一礼した。
上海人形もアリスの真似をして、ちょこんと礼をした。
「宴会場へようこそ、メディスンに幽香」
「うん、魔理沙もアリスもありがとーっ!」
「ま、主役は遅れて来るって言うしね」
「何時からアンタが主役になったのよ…」
再び霊夢のツッコミが幽香に炸裂する。
そして何事も無かったかのように、お茶をすするように酒を飲んでいた。
その様子がいかにもほのぼのとした霊夢っぽさを出していた。
「それよりも幽香もあまり乗り気じゃなかったよな? どういう経緯で参加したくなったんだ?」
そう、魔理沙が誘いに行った時、幽香もメディスンと同じく不参加の意思だったのだ。
まぁ、理由は『気分』という単純なものだった。
幽香は唇の下に指を当ててう~ん、としばらく考えた。
10秒ほど経っただろうか、まだよくわからないといった表情でこう言った。
「そうねぇ………何だかじっとしてられなくなったというのかしらねぇ…」
「またよく分からない理由だぜ…」
「ふふ、じゃあ気分ってことで♪」
「おいおい、行くのも行かないのも気分の問題なのか」
「まぁ、細かいことは気にしないで…で、その途中に鈴蘭畑にメディが居たから誘ったのよ」
そして幽香がメディスンを見た。
アリスと会話していたメディスンが視線に気付き、幽香を見る。
幽香はにっこりと微笑んで、日傘を持っていないほうの手を軽く振った。
メディスンもまた満面の笑顔で軽く手を振り返してきた。
実に和む光景だ、と柄にもなく魔理沙は思う。
「でも、本当になんでこう駆り立てられたのかしらねぇ…」
「それは私に聞いても分からないぜ」
「理由なら単純じゃない」
「「え?」」
と、今まで静かに酒を飲んでいた霊夢が二人の方を見ずに言う。
落ち込んで一人酒でもやっているのかと思えば、話は聞いていたようだった。
寂しくなったのか、それともちゃっかり者なのか。
いや、第三者だからこそのポジションとも言えるが。
気付くと、霊夢の顔は僅かに上に向かっていた。
その視線の先にあるのは幾多の星と大きな満月。
「おい霊夢、理由ってのがなんなのか教えてくれよ」
「そうね、私も知りたいわ」
「はぁ……鈍感ね、あんたたち……」
呆れたような、苦笑混じりのため息を漏らす。
「上を見なさい、上を」
「上?」
幽香が傘をおろして満天の星が輝く夜空を見上げた。
魔理沙も幽香に続くように上を見上げる。
正直酔った身体には辛かったが、好奇心が酔いに打ち勝っていた。
「アリスもメディスンも、ちょっと空を見てみなさい」
「もう、何よ霊夢…空がどうしたって言うの?」
「空~? 空に何があるの?」
そしてアリスとメディスンも顔を上げて無限に広がる空を見た。
数多の星が自分の存在を強く主張するように明滅している。
その星の親玉のように、大きな満月が輝いていた。
「ほぉ…こいつぁいいぜ」
「確かに…何でこんな気分になったのか納得したわ」
「ほら上海、見てみなさい?」
「うわぁ………」
「ね、分かったでしょ?」
霊夢が手にしていた酒瓶を魔理沙に手渡した。
魔理沙は酒を少しだけ飲み、幽香に渡す。
幽香も上品に(といってもラッパ飲みだが)一口飲んでアリスに渡す。
アリスは嗜み程度の量を飲んで、メディスンに一瞬目を向ける。
メディスンは私は呑めないから、とでも言いたげに手と首を横に振った。
「メディスン、こういうときは気持ちだけでもいいから合わせるのよ」
「霊夢…」
「ま、匂いを嗅ぐだけでもいいぜ」
「そうね、他人に合わせることは友達を増やす秘訣よ」
「魔理沙、幽香……」
そしてアリスがウィンクをしてメディスンに酒瓶を渡した。
おずおずと瓶を受け取ると、珍しそうに中身を見る。
そして少しだけ匂いを嗅いだ。
アルコール特有の香りがメディスンの鼻腔をくすぐった。
そして、メディスンが顔を上げた時、4人はメディスンを見て微笑んでいた。
それを見て、メディスンもぱっと笑顔を作った。
「霊夢、魔理沙、アリス、そして私を連れ出してくれた幽香…本当にありがと…」
「感謝なら私にするものじゃないわ」
「だな、私だって感謝する対象が出来たしな」
「ほら、上海も私と一緒に感謝しましょう?」
上海人形も、アリスの言葉を受けて了解を示すように大きく動いた。
メディスンもちょっとだけ微笑んでみんなの視線が集中するものへと向ける。
そんなみんなの様子を見て、霊夢が困ったようにため息をついた。
今夜はため息をついてばっかりだな、と思った。
「ま、私は感謝なんてしないつもりだったけど…こんな夜くらいいいか」
頭をポリポリと掻きながら仕方が無い、といった風にまたため息をついた。
「おっと、何だか霊夢らしくないぜ」
「うっさいわね、別にいいでしょ?」
魔理沙を人睨みしてから、再び視線を夜空の星たちに囲まれる月へと向けた。
「「「「「だって今夜は――――――」」」」」
5人の声が、完全に揃った。
◇
あたいは四季様を背負って神社を後にした。
別に、宴会を抜けるつもりではない。
早々に酔いつぶれてしまった四季様の酔いを醒ますために、近くの静かで落ち着く水場に来ただけだ。
夜も遅いのに、キリギリスやマツムシの鳴く声がそこらの草むらから聞こえてくる。
秋と実感できるような静かな夜だった。
「う、うぅん……あ、あれ……」
「あ、四季様…起きました~?」
「小町……? えっと、私は………」
四季様が何かを思い出すように眉間に指を当てる。
しばらく考えた後に、思い出したように拳を手の平に軽くぽんと打ちつけた。
「確か魔理沙に勧められるままに酒を飲んで……少しの間眠っていたような…」
「はい、正解です」
「…はぁ………私としたことが…」
あたいはゆっくりと四季様を地面に下ろした。
四季様は少しだけふらついたが、歩けなくなるほどではなかったようだった。
自分の足で、きちんと真っ直ぐとは言いがたいが立っている。
「…小町………宴会はどうなってますか?」
「あぁ、まだ続いてますよ。とりあえず四季様が凄い状態だったので気分転換にでもと思って…」
「そう、ですか………」
「…もしかして、余計なお世話だったり?」
四季様の声が少しぎこちなかったので、ちょっと不安に思った。
「いえ………ちょっと酔いが残ってるだけです…」
「はぁ……まぁ、無理はしないでくださいね」
「……えぇ………」
四季様はそう言ってあたいの脇を通り過ぎ、岸に立った。
どこを見るともなく、四季様の瞳は暗い水面を映し出している。
その視線の先に何が映っているのか、あたいには分からなかった。
哀愁を湛えているわけでもなく、かといって疲れを出しているわけでもない。
何を考えているのか、あたいには推し量ることが出来なかった。
ずっと四季様のその様子を見ていると、急に四季様がこっちを向いた。
あまりに突然だったので、少し驚く。
「…小町」
「は、はいっ…?」
その四季様の目はあまりにも澄んでいて。
だから、見とれるとともに、緊張した。
その深く、不思議な瞳からあたいは目を逸らすことが出来なかった。
「……話すべきことがあります……いいですか…?」
「は、はぁ……どうしたんですか、急に改まって」
「いいから……聞いてください、大事な話ですから…」
「………はぁ」
いつも通りのはずの、しかしどこか違う真面目な話し振りに、あたいも居住まいを正す。
何か悪いことでもしたっけ…? 身に覚えは無いんだけど…
そんなことを思いつつ、四季様を見つめた。
四季様もあたいを見つめていたが、ふと視線を左下に逸らした。
「小町…あなたは長い間本当によく私に仕えてくれましたね…」
「え? はぁ、まぁ………」
「……感謝しています、本当にありがとう」
「そ、そんな急に…一体どうしちゃったんです?」
「……………四季様?」
四季様は気まずそうに、視線を上げようとはしない。
もしかしてあたいがまた何か悪いことでもしたのだろうか…
もしそうなら、取り返しが付かなくなる前に謝らなければ。
もう、あんな思いをするのは耐えられない。
「あの、四季様? あたいが何か悪いことをしたのなら謝ります、どんな罰だって受けますけど…」
「違う……違うのです、小町」
あたいの言葉に、首を振って否定を示す四季様。
「小町は謝る必要なんて無いです……本当に謝らなければいけないのは、私…」
「え?」
四季様が? 謝る? あたいに?
何かの間違いだろうと思う。
だって四季様は何もしていないし、何かやったとするならあたいの方だ。
最初は酔ってるからこんなことを言い出しているのかと思った。
でも、酔ってるとしたらこんなに真剣にはなれないだろう。
「……一週間前のこと、覚えていますか?」
「えっと………あぁ…」
一週間前のことを思い出し、気まずくなる。
四季様があたいに冷たく当たった日のことを言ってるのだろう。
でも、あの件はあたいの不始末が招いたことのはずだ。
四季様は何も悪くないはずなのだが…
「あの時、私はあなたに非常に冷たい態度を取ってしまいました…」
「いや、でも四季様、あれはあたいが仕事をしなかったから…」
「いえ…たったそれだけでは私はあんなに冷たくしませんよ」
言われてみると、何だかそんな気がする。
そうでなければ、あたいはとっくの昔に解雇されていたはずだ。
いや、結局あたいが悪いんだろうけど。
「実はあの時、冷たくした理由は………無いんです…」
「え?」
「ですから、理由もなく私は小町に当たってしまったんです………本当にごめんなさい…」
四季様があたいに向かって深々と頭を下げる。
だが、上司に頭を下げられると、流石のあたいでも気まずい。
早いところ、気が気でなくてあまり気持ちのいいものではない。
あたいは一瞬テンパったが、すぐに平常心を取り戻す。
そして笑顔を作った。
「やだなぁ…あのことなら全然気にしてませんよ?」
「…………」
それでも、四季様は頭を下げたままだった。
一向に頭を上げる気配が無い。
「あ、あの~…四季様? ですからあのときのことは気にしてな―――」
「嘘っ!!!」
途端に、四季様があたいの声を途中で遮って、四季様らしからぬ大きな声を出した。
それは、叫びにも悲鳴にも似た声だった。
はっきりとした意思の感じられるその声は、まるで反論を許さないかのようだった。
あたいの顔から笑顔が消える。
「気にしてないなら…っ!! 何で出て行ったりしたのですかっ!!」
「そ、それ…は……」
瞬間、言葉に詰まった。
正直、自分でも勢いに任せて出て行った節もある。
だから、それは否定できなかった。
否定は嘘だったからだ。
「……………ごめんなさい、取り乱しました……私らしくもない…」
「四季様…」
四季様が顔を上げないまま自嘲した。
弱々しく、でもはっきりと聞こえる言葉が紡がれる。
それは、虫の声をBGMにしてもなおよく聞こえていた。
不思議と、五月蝿いとは感じなかった。
「小町、覚えてますか…………最初に出会ったときのことを………」
「………」
「あの時、私はこう言いました……『頼りにしていますよ、小町?』と…」
それは覚えている。
いや、正確には丁度この前思い出した、だ。
夢の中での昔の四季様が、昔のあたいにかけてくれた優しい言葉だ。
「私は…っ……私は、あなたを頼りにしていた…信頼していた…信用してたんです…っ! ……でも…!」
「………でも…?」
「こんなにも頼りにしていたのに……私はその初心すら忘れてしまって……っ…」
「………四季様…」
四季様の口調には、自分自身を責めるようなものがあった。
でも、責められなければならないのはあたいもだ。
あたいも、初心を忘れ、頼りにされていたことを忘れ、四季様の期待を裏切ったのだ。
それを、夢で気付かされた。
「昨日、昔の夢を見て……それをやっと思い出したんです……」
「…………」
あたいも夢を見るまでそのことを忘れていましたよ、と言いたかった。
だけど、何故か知らないけど言い出せなかった。
喉まで出掛かっているのに、言葉にすることが出来ない。
歯痒かった。
四季様は一切顔を上げなかった。
まるで、自分を責めるように俯いたままだった。
「………小町、今日は……今日の宴会は楽しめましたか?」
「…は?」
四季様が顔を上げて突然そう言った。
無理矢理作った笑顔で、あたいを見ていた。
その笑顔を見るのが、非常に辛かった。心が痛んだ。
目の端にはうっすらと水滴が付いていた。
泣いて…いる……?
「小町、楽しめましたか?」
四季様が繰り返すように聞いてくる。
その声は無理矢理搾り出しているような感じがして、いたたまれなかった。
もう、声を出すのもいっぱいいっぱいなのだろうか。
答えを出すよりも、四季様のことが気にかかっている。
でも、四季様はあたいの答えが欲しいらしかった。
だからあたいはひとまず答えることにした。
「……はい、楽しめたというか、まだこれからも楽しむつもりです」
「……そう…良かった………」
四季様が、一瞬だけ喜びを表情に出してまた顔を伏せた。
「…小町……今までお疲れ様でした……」
「え………」
『今まで』?
突然何で、何でそんな…っ!!
「い、いきなり何を言い出すんですかっ!? まるでお別れみたいにっ!!」
「そう……あなたも辛かったでしょう、こんな説教臭くて、小言が多い上司なんて…」
「そんなことない…そんなことないですっ! 第一、今日無縁塚を出る前に一緒に働こうって言ってくれたじゃないですか!」
「あぁ………………あれは…嘘です…」
「う、嘘…?」
その言葉を聞いた途端、あたいの体が硬直した。
まるで金縛りにでもあったかのような気持ちだった。
嘘が嫌いな四季様が嘘をつくなんて、ありえない。
あたいは、さっきの発言こそ嘘であって欲しかった。
でも四季様は、理由を付け足した。
「…小町が今日楽しめるように……あとで振り返ってみて最高に楽しい一日にするための嘘です……」
「違うっ! あたいは四季様と働いてる時だって最高に楽しいんだっ!!」
自分の思いをぶつけるあまり、口調が変化した。
慌てて口に手を当てるが、四季様はさして気にしていないようだった。
と、四季様は顔を上げて自嘲するように微笑んだ。
「違いますよ、小町……最高の一日にしたかったのは私の方……」
「は?」
一瞬、意味が分からず間の抜けた返事になった。
そこで四季様は再びうなだれた。
「『私の』思い出作りなのです………最後に小町と一緒に過ごした、最高の思い出にしたかったから…
今日という日が楽しかったって………胸を張って言えるような思い出にしたかったから………」
「そんな、『思い出』だなんて………そんなの、これからだって作れるじゃないですかっ!」
「そんなの、無理に決まってるじゃないですか……っ」
「どうしてっ!!」
「だって…っ! だって私は小町を傷つけて! 小町を突き放して! 小町を…悲しませた…っ!!」
あたいの叫ぶような言葉に、四季様も語気を荒げて言った。
そのとき、地面にぽつぽつと水滴が落ちた。
あれは…四季様の涙………?
「そんな問題なんて………あたいは気にしないですよっ!」
「私が気にしますっ! これは私の罪だから!!」
「だったらあたいにだって罪はあるっ! 四季様をこんなに追い詰めたあたいにだって!!」
「そんな優しくしないで……っ! これ以上優しい言葉をかけないでくださいっ!!」
「っ!!?」
それははっきりとした拒絶の意思だった。
それはあたいが初めて見る、四季様の顔だった。
ぼろぼろと涙をこぼしながら、子供のように泣き叫んでいた。
「……小町、あなたは優しすぎる………優しさはTPOによっては暴力となるのです…」
「四季、様………」
「だから小町……もう、やめてください………っ…」
最後のほうは、声が掠れてほとんど聴こえなかった。
秋の虫たちが奏でるオーケストラにかき消されそうな声だった。
四季様の周囲の地面にぽつぽつと涙が落ちていく。
これは……四季様の本心なのだろうか。
………いや、違う。
何故かは知らないけど、確信できた。
四季様は明らかに無理をしている。
なら、あたいは四季様を引きとどめるだけだ。
だって、四季様と一緒に居たいから…
「……四季様、こなす仕事はまだまだ残ってますよ、そんなこと言わないでください」
「っ……?!」
弾かれるように四季様が顔を上げた。
その顔は、涙でくしゃくしゃになっていた。
こんな表情も、初めて見る。
今日はいろんな発見がある日だな、と思った。
「どうして……優しくしないでって言ったじゃない…」
「だって四季様無理してますもん、そのくらい分かります」
「それ、は………」
「四季様のことはあたいが一番良く知ってるんですから、嘘ついたってだめですよ」
「………」
四季様がまた押し黙った。
再び訪れる静寂に、虫たちが自分の存在を誇張するように綺麗な音を奏でていた。
秋の夜、満月が輝く下で沈黙が続く。
そして、四季様が悩んだ挙句、口を開いた。
「………やはり、無理です…」
「なっ………どうしてっ!?」
「だって………っ! ………だって私は、小町が好きだからっ!!」
「へ?」
予想外の答えに、あたいは変な声を出す。
「髪を短く切ったままなのも、あなたが似合うって言ってくれたからっ!!
……小町が好きだから…だから、一緒に居られない………迷惑をかけたくない…
これ以上一緒に居て傷つけたくない、悲しませたくない、苦しめたくないんですっ!!」
「四季様………」
「……ごめんなさい、いきなりこんなことを言って……
散々小町を叱り、傷つけ、悲しませ、苦しめた私に許されるはずないですよね…
それなのにこんなことを言い出して……つくづく卑怯ですね、私は…」
「そんな、卑怯なんかじゃ…」
「こんな私に、こんなことを言う資格なんて無いですよね…
偉そうにして、大切な部下を手伝いもせず、それでいてうるさい小言を言う私なんて…っ!」
「違うっ! そんなのっ―――」
「何が違うのっ!? 何一つ違わないじゃない!
私は……私が嫌い! こんな卑怯な私が大嫌い!
こんなに自分勝手で、卑怯で、それでいてまだ小町の優しさに甘えようとする私が大っ嫌いっ!!」
「っ………!」
あたいは言葉を失った。
言葉遣いを変えてしまうほど、自分を追い詰めていたなんて思いもしなかった。
自分をここまで追い詰めて、そして自分の罪深さを言葉で罵る。
そしてその結果が、自分を嫌うこと。
四季様は癇癪を起こしたように泣き叫び、自分を傷つけて解決しようとしていた。
「小町、分かったでしょう……もう、私たちが一緒に居てもあなたを苦しめるだけだと…」
「……四季…様……」
「ですから小町、ここで終わりにしましょう………
……ありがとう、小町……今まで楽しかった………っ……!」
終わりにする。
それはあたいを解雇するのではなく、四季様の自虐だ。
そんなの……認めたくない、認められない、認めない。
もう、そんな四季様を見るのが我慢が出来なかった。
四季様を引き止める。
それがあたいに出来るただ一つの善行だ。
だから、あたいは唯一つ、持っている答えを出す。
「………嫌だ」
「っ!?」
四季様が、一瞬驚いたような表情をして、苦虫を噛み潰したような表情になる。
下唇を強く歯で噛みしめていた。
その頬を涙がつつ、と流れ落ちた。
「小町…っ! あなっ…あなたはまだっ…! わか、分からないの、ですか……っ!!」
「分かるわけない! 分かりたくもない! そんな勝手に言われたって分かってたまるかっ!」
「これっ、は…っ! 上司の命令で、すっ! 言うことを聞きなさい!」
「ふざけんなっ!! そんなの聞かない、聞けない、聞きたくもないねっ!」
「小町っ! 我侭を言わないで…っ!! あっ…あまり聞き分けがないと……ぶちますよ!?」
「できるもんならやってみるがいいさ! ちっとも怖くなんかないよ!」
「っ!! 小町っ!!」
次の瞬間、パァンという乾いた大きな音が静かな水場に響き渡った。
それは、偶然か分からないが、あたいが一週間前に永琳に張られた場所と同じ箇所だった。
遅れてやってきた痛みとともに、懐かしさがこみ上げてくる。
最近はよくビンタされるなぁ、と思う。
弾かれた顔を動かさずに、横目で四季様を見る。
「あ………あぁ………こ、小町………っ…?」
「四季様………やれば出来るじゃないですか…」
「いや、いやぁ……こんなつもりじゃ…………ご、ごめんなさい……っ!!」
四季様が慌ててあたいに近寄ってくる。
「小町、小町ぃ………ごめんなさいっ、大丈夫ですか…っ!!?」
涙で目を腫らしながらも、四季様はあたいを案じてくれる。
あたいより身長が低い四季様があたいの顔を覗き込んでくる。
自然と上目遣いになってくる四季様を、可愛いと思った。
「四季様…………やっと……そばに来てくれた………」
「…え?」
あたいは、四季様をぎゅっと抱きしめた。
「捕まえた………もう、逃がさないです………」
「なっ……こ、こま、ちっ……!? は、離しなさ―――」
「ずるいですよ、四季様………自分の気持ちばかり喋って………」
「そ、それは………」
四季様の言葉を遮ってあたいが喋る。
この質問に対し、四季様は口ごもった。
「あたいにも…あたいの想いを喋らせてくださいよ………」
「…こま、ち…………」
あたいの耳元で四季様の細々とした声が聞こえた。
小柄な四季様は、抱きしめていると今にも壊れそうだった。
「四季様………実はあたいも頼りにされてる、ってこと忘れてたんですよ……
そして、四季様と同じように夢でそのことを思い出したんです」
「え………あなた、も……っ…………?」
「…はい、恥ずかしながら………そして、四季様の髪を短く切っているのも夢で思い出して…
もしかしたら、あたいを好いてくれてる気持ちが心のどこかにあったからなのかな、って思ってたんです」
四季様を抱きしめながら、告白する。
あたいの気持ちを、四季様にぶつける。
耳元で、四季様が嗚咽を漏らしていた。
「確かに四季様は小言も多いし、説教臭いし、よくあたいを叱ります…
でも、それでこそ四季様なんじゃないですか? それをしない四季様なんて、四季様じゃありません」
「こ、まち……っ………! で、でも………っ………私は………あなたに酷いことを…」
「何言ってるんですか、四季様も生きてるから仕方がないじゃないですか。
永琳の受け売りですけど……生きてる限り思想の相違は生まれるものですよ。
そして、それは応用すればどうしようもなく、理由もないイライラだって生まれることです。
そのストレスが溜まりに溜まって、あたいにぶつかっただけでしょう? ただそれだけじゃないですか」
「………でもっ………! でも、私は…ぁ…………っ!!」
表情までは見えないが、まだ涙声で四季様が言う。
喉の奥で言葉が引っかかって、上手く出せないような心境なのだろう。
誰もが経験したことのある、涙と嗚咽で喋れない状況なのだ。
あたいは、四季様の後頭部をゆっくりと優しく撫でた。
「泣かないでください、四季様………
………あたいは、小言を言ったり、お説教をしたり、あたいを叱ってくれる四季様が好きです…
喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだりする四季様が好きです。
良いところ、悪いところ……それら全部含めて、あたいは四季様が大好きなんです」
「っ………!? 小町…っ……?」
「いいじゃないですか、四季様は四季様で。
四季様が悲しんでいるなら、あたいも一緒に悲しみます、慰めてあげます。
四季様が苦しいなら励ましてあげます、そばに居てあげます。
四季様が辛いのなら、あたいが一緒に解決してあげます。
………そして、全てが終わって嫌なことが全部吹き飛んだら………」
「一緒に声を上げて…大声出して気持ちよく笑えれば…笑顔になれたのならそれでいいんです」
「だからあたいは………
あたいは、四季様と一緒に居たい。
四季様と一緒に働いていきたい。
四季様と一緒に、楽しいことも悲しいことも歩んでいきたい。
ずっとずっと、二人でやっていきましょうよ。
もちろん、これからもサボるかもしれませんけど……
そのときは、四季様があたいを叱っちゃってください。
あたいも出来るだけ、四季様を手伝いますから………」
「……………っ………うぅっ…………あぅっ………!」
「ダメ、ですか………?」
あたいの問いに、四季様はあたいの腕の中で顔を横に振った。
あたいの服を強く掴んで、肩口で何度も首を横に振った。
「小町、こそ……っ…………こん、な……こんな私で……っ…い、いいんですかぁっ……?!」
顔をあたいの服に押し付けたまま、四季様が言った。
声がくぐもっていて、途切れ途切れだったがこんなにも近くに居るから、はっきりと聞こえた。
その声には、まだ微かな迷いが感じられた気がした。
「こんな……最低な、私で………こんな………自分勝手な私に……ついてきてくれる、と……っ…?」
「そんなの…」
思った。
四季様は、自分を責めすぎる傾向にあるんだ。
それは、自分が閻魔だから、罪を裁く者だからという意識からきているのかもしれない。
いつか、四季様は言ってくれた。
他人の罪を裁く私こそが、この世界で最も罪深い者だと。
その意識があるから、こうして許されることに不慣れなのかもしれない。
こうして、優しさに触れる機会がほとんどないのかもしれない。
なら、あたいが優しく包み込んであげよう。
あたいが、支えになってあげよう。
だって。
「当たり前じゃないですか。あたいの上司は四季様しか勤まりませんよ」
「うっ………うぅっ………こ、まちぃ……小町ぃ………っ!!」
「ほら、あたいが見えてないうちに涙を拭いてください…泣き顔の四季様なんてあまり見たくないですから」
「うん……うん…………っ…」
四季様が、あたいの服に顔を押し付けて涙を拭いた。
まるで子供のようだった。
こんなにも甘える四季様を、初めて見た。
「…………小町……今日は本当に……ごめんなさい………」
「へ? 四季様?」
そういうと、四季様はあたいからゆっくりと抱擁を解いていった。
あたいもそれに合わせて腕を緩めて、離す。
四季様がニ、三歩後ろに引いて顔を上げた。
目が随分と赤く腫れていたが、涙はなかった。
それを見て安心するあたいが居た。
「いえ、今日は………何だか小町に世話になりっぱなしで……何だか迷惑をかけてしまったみたいで…」
「やだな、四季様………迷惑だなんてものじゃないし、それに間違ってますよ?」
「…え?」
「そういうときは『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』、です」
「小町………………」
四季様が、一瞬だけあたいの顔を見つめる。
そして照れたように俯いて、とても小さな声でこう言った。
「……………ありがとう、小町」
そんな様子の四季様を見て、あたいは少し笑みを零して、
「どういたしまして」
と返した。
ごめんではなく、ありがとうと言える。
たったそれだけの小さなことだけど、とても重要なこと。
この小さなことを、育てて大きくしていこう。
あたいたちはまだまだこれからなんだから。
そう思ってふと、あたいは水辺に目を向けた。
風で微かに波紋が立つ水面に、綺麗に輝く円が映し出されていた。
そして頭を上げる。
予想通り、頭上には大きく、丸く、美しく輝く満月が浮かんでいた。
その月に魅了されたように、しばし目を奪われる。
しばらくそうしていると、隣に人の気配がした。
「……月を、見ているのですか?」
「四季様…………はい、そうです」
「………美しいですね…」
「はい、つい見とれちゃいますね……………だって今宵は―――」
―月が、こんなにも綺麗だから―
◇
「遅いわよ、何処ほっつき歩いてたの?」
「うわっ、霊夢っ!?」
「『うわっ』とはゴアイサツね………あんた達が全然帰ってこないから心配してやったのに…」
「そ、それはすみません……」
あの後、映姫と小町はゆっくりと時間を過ごし、再び神社に戻ってきた。
階段を上りきった直後に、霊夢に出迎えられたのだった。
なんだかんだ言いつつも、霊夢は大局を見ている、他人の心配もしてくれる。
「まったく………まぁいいわ、戻ってきたんだし…」
そう言って、神社の縁側に腰掛けている幽香を見た。
そしてちょいちょいとこっちに来い、の合図を送る。
一瞬幽香が顔をしかめたが、やれやれといった表情でいつものように日傘を差し、霊夢の近くに寄ってくる。
自分で動かないところがいかにも霊夢らしい。
「それで、一体何の用よ?」
「幽香、ちょっとあんたに頼みごとがあってね」
「あら、明日は雪ね」
「うるさい」
まるで漫才のように会話をする二人。
と、霊夢が映姫と小町を振り返って、微笑んだ。
「良かったじゃない、小町。そんな二人に、私からのささやかなプレゼントよ」
「プレゼント?」
「?」
映姫だけは霊夢の言葉の意味を解してなかったようだが、霊夢は続けて幽香を見た。
「幽香……桜を咲かせてくれないかしら? そりゃもう、満開の」
「ふぅん………霊夢もなかなかお人よしじゃない?」
「うるさいわよ…それで? まさか出来ないとか」
「あら、私を舐めてもらうと困るわ」
そして、幽香がパチンと指を鳴らした。
次の瞬間、神社の桜という桜が、春でも来たかのように咲き乱れた。
舞い散る桜は雪のようで、それでいて月に負けず劣らずの美しさだった。
小町も映姫も、その幻想的な光景に目を奪われる。
いや、二人に限ったことではない。
この神社に集まった幻想郷のみんなが、突然咲き乱れる桜に言葉を失った。
そんな中、幽香と霊夢だけが微笑んでいた。
「綺麗でしょ、うちの桜」
「………えぇ、そうですね…」
自慢げに話す霊夢に、映姫が応えた。
優雅に散る、季節外れの桜の花びらは有無を言わさず、綺麗だと言えた。
ありがとう、霊夢。
映姫も小町も、口には出さないが心からそう思っていた。
霊夢にも伝わったようで、二人に照れくさそうに笑いかけてくれた。
「ほら、宴会はまだまだこれからだぜ? お前ら全然飲み足りてないだろう?」
と、桜がまだ舞い散る中で、霊夢の隣に魔理沙が着地した。
少し前までの気分の悪さは何処へやら、すっかり元気になっている。
いや、元気になって、またさらに飲んでいる。
魔理沙の胃袋はチタンを通り越してアダマンタイトででも出来ているのだろうか。
「ほら、酒だぜ酒。いいから持てって」
「あ、あぁ…」
「え、えぇ……」
魔理沙が強引に映姫と小町に徳利を持たせた。
持たされた二人はといえば、突然の出来事に呆然としている。
「お前ら、何やってるんだ?」
「え?」
「ほら、乾杯しようぜ? 確かお前らとはやってなかった気がしてな」
「あぁ、そういえば……」
「そうでしたっけ……?」
二人が持たされた徳利を前に突き出すと、魔理沙も手にしていた酒瓶を突き出す。
そして豪快に突き合わせた。
チィン、という高い音が一瞬だけ響き、その音もまた宴会場に消えていく。
魔理沙も、映姫も、小町もそれぞれ少し飲んで、ぷはぁと息を吐いた。
「くぅ~、やっぱり酒は良いぜ………それじゃ、まだまだ楽しんでいってくれよな~?」
あばよ~、と酒瓶を振りつつまたどこかへふらふらと行ってしまった。
あまりの突然の来襲と、突然去っていく魔理沙に、結局唖然としたままの二人だった。
嵐のような奴だったが、悪い気はしない。
霊夢も魔理沙も、いい奴だ。
この機会を逃すと、もう二度とこんな最高の二人に出会えないかもしれない。
だから、今この時を生きる幻想郷のみんなは、幸せなのだろう。
口に出して言えないが、誰もがそう思えるはずだ。
今、この幸せをくれた時の神に。
この二人にめぐり合わせてくれた、運命の神に。
この世界を生み出してくれた博麗の祖先に。
素晴らしい夜をくれた、こんなにも綺麗な満月に。
心から感謝の唄を捧げよう。
そして、この幻想郷に。
須臾も忘れぬ、永劫の幸があらんことを。
◇
「ふぅ…」
あれから、私と小町はいつものような日常を過ごしていた。
小町が運んでくる霊を私が裁く。
そのサイクルが日常を埋め尽くしていた。
小町は相変わらずよくサボっていて、私はそのたびに小町を叱ってあげる。
その後の数時間はよく働いてくれるのだが、またペースが遅くなる。
本当に、変わらない日々だった。
唯一つ、違うとしたら…
二人で一緒に休みを取って、幻想郷に遊びに行く機会が増えたことだ。
「はぁ………霊が送られてこなくなりましたね…」
さっきから2~3時間待っているが、全く来る気配が無い。
大方、また昼寝でもしているのだろう。
全く、世話がかかる死神ですね。
私は無縁塚を飛び出し、小町が居るであろう三途の川に向かった。
飛び続けて10分もすると、川岸でぐっすりと眠りこけている小町を発見した。
私がそばに降り立っても、起きる素振りすら見せない。
私は、小町をいつものように起こそうと思って息を大きく吸い………………やめた。
「すぅ………くかー……………」
「…………ふふ…」
あまりにぐっすりと眠っているので、起こすのも気が引けた。
それに、小町の寝顔を観察するのも悪くは無い。
疲れているだろうし、少しの休憩だと思えばなんともないですか。
私は小町のそばに正座して、起こさないようにゆっくりと小町の頭を膝の上に乗せた。
多少身じろぎはしたが、どうやら起こさずに済んだらしい。
再び規則正しい寝息を立てて私の膝の上で眠っていた。
「すや……………くぅ…………」
「やれやれ………」
全く、気持ちの良さそうな表情をしてくれちゃって………
私は苦笑して、小町の前髪を優しく撫でた。
秋風に吹かれて、私と小町の髪がそよそよと僅かになびいていた。
空の彼方を見る。
青空が広がって、雲が散らばっていた。
今日もいい天気だ。素晴らしい秋晴れだ。
と、青空の彼方から特徴のある二つの人影が見えた。
それはゆっくりと近づいてくる。
霊魂ではない、生きた人間だった。
死なないでここに来る物好きな人間は、あまり思い浮かばなかった。
そして姿が確認できるようになると、私の予想は的中した。
二人は、私のそばに軽く着地をしてこう言った。
「遊びに来たわよ」
「遊びに来たぜ」
「えぇ、いらっしゃい」
※ 以下、綺麗な終わり方がどうも自分にあってないのでオチです
このまま終わりたい方は飛ばしてどうぞ
「~♪」
霊夢はご機嫌だった。
何といっても小町のお陰で、素敵なお賽銭箱に大量のお金が入ったからだ。
まぁ、お陰でというか、半ば強引にかき集めたというか……
今日は、一週間に一度だけの、ワクワクを確認する日だ。
この中には、かつて見たこともない量のお金が詰まっていることだろう。
「あ~、でも銭って使えるのかしらね…ま、香霖に渡しておけば何とかなるでしょ」
多分、何かしてくれるだろう。
最近、いろんな道具にガタが来ている。
そろそろ買い替え時だと思ったし、渡しに船ってこのことよね。
でも道具を一新してもまだ余りそうね……まぁ、今使わないといけないって訳でもないし。
霊夢は頭の中で未来予想図を作っていた。
「さ~てと………おっ金、おっ金~♪」
るんるん気分で賽銭箱の扉をに手を掛ける。
これを開いた瞬間、お金が大量に降りかかってくるんだろう。
それを想像するだけでワクワクしていた。
「さぁっ、私のお金よ~~っ!!」
そして、目を閉じて一気に扉を開いた。
………
………
………
「………あれ?」
いくら待ってもお金は襲い掛かってこない。
不思議に思い、ゆっくりと目を開けた。
すると、霊夢の目に飛び込んできたのは………
「………ない…」
いつものように、空のお賽銭の中だった。
あれほど必死にかき集めたお金が、綺麗さっぱりなくなっていた。
「え……なにこれ、嘘…………」
もはや自分が信じられないといった表情で賽銭箱の中をくまなく探す。
と、そこに紙切れが落ちていた。
いや、違った。
綺麗に折りたたんで、封をしてあるところを見ると手紙のようだった。
お金のほうが大事なので捨てようかと思ったが、多少気になったので見ることにする。
封を開け、そして中身を取り出して手紙を開いた。
内容は、こうだった。
『スキマ+ing=スキミング 今、外の世界で流行ってるそうよ。霊夢も気をつけなさいね?』
くしゃっ。
一瞬で手紙を握りつぶす。
書き手の名前は書かれていなかったが、一瞬で理解した。
ぐっと手を握りしめる。
力を入れすぎて、肩どころか身体が震えていた。
そして、天に向かって大きく息を吸った。
「紫ぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!」
おしまい
読んでられねーッス
>バカさん
それは作品の評価じゃないんじゃ?
読んでないのならフリーレスでいいかと
そんなこといったら日本書紀と古事記の作者の幽霊に私はなんと言えばいいのですか(笑)
私もあなたと変わりません。この前の模試なんか国語が一番偏差値低かったし。
「血に染まる月」も書いたのは一週間程度でしたが構想(妄想)にはそれこそ数ヶ月使ってます。
以下はなんか偉そうなので、あくまであなたが私の話を優れていると思っているのを前提として。
まず下の-30点の方はあんまりだと思いますが長すぎるという感じは否めません。
実際この話一本だけで私の作品全編あわせてよりもまだ長いです。内容に関わらず集中力が切れる可能性が高い。
実際私も途中でかなり注意力散漫になって話の筋がみえなくなったり^^;
私はあの作品で何を大事にしたかというと「間」です。単純に改行と考えてもいいですが。
物語の根幹に関わる台詞、内容、あるいは衝撃的、なんとなく格好いい言葉を際立たせ読みやすくするためです。
もちろん心を抉るような台詞を作る努力もしました(酷)
その点これはある程度改行しているとはいえ殆どが一行。途中でやや単調な感じを受けるかもしれません。
そのため何処がポイントか、というのが明瞭でない気がします。
視点の変化も何のために行ったのかという目的と必然性が見えにくい。
無意味にいれるべきではないと思われます。
それとやはり3作以上に分けたほうが新鮮な気持ちで楽しめた気がします。
長いからといって一作を途中で読むのをやめてまた読みやめたところを探して読み直すのはなかなか面倒なことです。
あ、でもスキミングとかは普通に私のギャグのセンスを超えてますから。
というか話自体は本当に悪くないです。
次回作品に期待して、今回は辛めにこの点数とさせていただきます。
何を偉そうなこと言っているんだと一笑に伏してくださいませ。
オチにも吹きましたし。
お疲れ様でした。
しかし、いくら自分らしくない文章だとしても最後のオチはないほうがよかったと思う。ので80点。次回に期待、こんな物を読まされたら嫌でも期待しちゃうじゃないか!
>バカさん
くぅ、申し訳ないです……今度は分かりやすくもっと短く纏めてみますね
なにぶん未熟なもので、はい
>ゼラチナスマターさん
いえ、長いとやはり目にもきついでしょうに…
よく読んでくれました、感謝しますね…
>■2006-10-14 15:16:49 名前がない程度の能力さん
楽しめましたか……いや、こんな無駄に長い文には勿体無いお言葉です
それと、とりあえず読み手に読む気をなくす俺も悪いと思うのであまり責めないであげてください…
>■2006-10-14 18:03:11 名前がない程度の能力さん
スキミングは…ふと、頭の中に思いついたものです…
いや、ただそれだけなんです、これ以上のギャグセンスは持ち合わせておりません(滝汗
>月読さん
く、なんとも長レスありがとうございます、まさかあの大作を一週間で書き上げていたとは…(汗
まずはレスを付けてくださってありがとうございます。
なかなか的確なアドバイスをしてくださってありがとうございます
やはり分けたほうがいいですか…それと間の作り方とかも勉強してみますね
何だか、本当に国語の偏差値が悪いのか疑いたくなるほどにためになるアドバイスありがとうございました(汗
次回作とは言っても長編はあまり書かないので次はプチでギャグ系を書きたいと思ってます
>■2006-10-14 22:32:15 名前がない程度の能力さん
うぅん、読む気を失くすような量だと自負しておりますが…
最後まで読んでくださって本当に感謝しています
>偽皇帝さん
いや、話的には結構ありがちかもしれません…
ですがそれでも良かったと言ってくれて、凄く嬉しいです
こちらこそ、読んで頂いたのにもお疲れ様でしたを言いたいですね
>名前ガの兎さん
うぐ、やっぱりオチはないほうがいいですかね…とりあえず考慮しておきます
また、先ほども述べたように長編は書く集中力があまりないので、次は出来ればプチでギャグ系を書くつもりです
あ、あまり期待しないでください、ビクビクしちゃうじゃないですか(笑
どうも読んでくれた皆さんにお礼を言いたいです。
本当にありがとうございました。
気になったところは、
ルーミアが感謝するのはおてんと様じゃなくてお月様だと思う。
でも月を輝かせてるのは太陽だからそれでもいいのかな。
いや、良いお話でしたよ。
ただ、話の流れがどうも、終わりそうで終わらない…といった感じでしたので、
もう少しメリハリをつけて話を分けるなり、脇キャラの話は別にするなりした方が、読みやすかったかもしれません。
(個人的には気にせずに楽しく読んでましたけど。)
細かく言わせていただくと霊夢はコーリンの事をりんのすけさんと呼んでたのでは
?っていうのはありましたが、それはまあ姑の掃除点検って事で。
ご本人は一発屋と仰ってますが次回も楽しみにしております。