ここは幻想郷。
外界から隔絶されて幾星霜。
数多の魑魅魍魎が跋扈する、妖怪達の楽園である。
外れに流れる川。
「う~~~ん…」
辺にて、一人の少女が大きく背伸びをした。
「今日から忙しくなるな…」
その視線は、彼女を待つ対岸へと向けられる。
商売道具を肩に担いで、少女は重い腰を上げた。
『茄子の牛、胡瓜の馬 ~東方鎮魂花~』
みんみんみんみん…
じーこじーこ…
蝉の鳴く声が境内に響く。
ここは博麗神社。
大結界の外れに在る、由緒正しき神社だ。
寂れているはずのこの場所も、夏だけは喧しい。
そんな社殿の縁で、巫女が一人へばっていた。
「あーつーいー」
木目に頬を擦り付け、突っ伏している。
ひんやりとした木の感触を貪っているようだ。
このだらけ切った少女の名は、博麗霊夢。
幻想郷を包む大結界を守護する博麗の巫女である。
大層な肩書きを持っているこの少女。
それを微塵も感じさせないほどの体たらくだった。
しかし、それも無理はない。
「あ゛ー つ゛ー い゛ー…」
今日は真夏日。
高く昇った太陽が、じりじり地表を焼いている。
それは巫女から、ただでさえ少ない意欲も奪っていく。
喉が渇いても水を汲みにいきたくない。
余計暑くなるから、団扇で扇ぐという動きもしたくない。
しかも、こういう時に限って普段呼んでなくても来る輩…
この状況を何とかしてくれそうな、酔っ払い鬼や万年居眠り妖怪は姿を見せない。
「……?」
茹だるような中でも、霊夢の感覚はそれを捕捉した。
誰かが神社に張った結界を越えて来た。
それも、きちんと鳥居をくぐって。
驚いたことに、手水舎で禊も行って。
その人物は、柔らかな笑みを浮かべて霊夢の元へとやってきた。
「やぁ」
大きな桶を右手に、木材を左手に抱えた少女。
「…珍しいわね、半獣さん」
人間を守護する歴史喰いの半獣、上白沢慧音だった。
「今日はどういったご用向き?」
ようやく巫女は半身を起こす。
「頼みがあって来た」
「ふーん…、どんな?」
「ここの境内の一角を、数日ばかり間借りさせてもらえないだろうか?」
そう言いながら、慧音は両手に持った荷物を降ろした。
木材、青竹、茣蓙、縄。
そして、桶の中に浮く茄子、胡瓜、西瓜。
「あんたね…」
霊夢は呆れ顔だ。
「ここは神社よ。そういうことはお寺でやってもらえないかしら」
「確かにそうなんだが…」
半獣の少女は苦笑い。
「ここ以上に、こういう厳かな儀式に適した場所はないと思ってな」
慧音は桶の中から、大きな西瓜を取り出す。
「お礼はこいつでどうだろうか? 今年の里は豊作でね」
もっと持ってきてもいい、と慧音は付け加えた。
「………」
霊夢は唾を飲み込む。
冷水で、しっかり冷えた西瓜。
その冷たさが、見ているだけで伝わってくる。
そういえば、いらん『すいか』には何度も遭遇しているが…
今年の夏はまだ、こっちの西瓜を口にするどころか拝んですらいなかったのだ。
「…どうだろう?」
もう一度尋ねる声。
そして、霊夢は…
「……まぁ、いいわよ」
あっさり陥落した。
「ちゃんと後片付けまでしてってくれるなら、盂蘭盆会でも何でもするといいわ」
「恩に着る」
慧音は深々と頭を下げた。
「あ、そうそう」
巫女は思い出したように付け加える。
「西瓜、あと三つは持ってきてね」
「………」
にやっと笑う巫女に、半獣の少女も微笑みを返した。
「承った」
盂蘭盆。
解かり易く言えば『お盆』。
明確な起源は不明だが、夏の仏教行事として行われている。
祖先の霊を祀り、迎え、そして送り出す。
そんな風習だ。
ずずずー
水出ししたお茶を啜りながら、巫女は半獣の少女が棚を組み立てているのを見ていた。
慧音は、一人お茶を飲む霊夢を気にすることもなく、黙々と作業を続けている。
「ねぇ」
「なんだ?」
霊夢の声に、慧音は手を休めずに答える。
「誰をお迎えするつもりなの?」
「里の者だよ」
「ふーん…もの好きねぇ」
盆は、祖霊を祀り奉るもの。
本来は故人の親類縁者が行うものだ。
「あんたがそんなことしたら、呼び出される方も、どっちか行き先迷うんじゃない?」
「いや、それはないさ」
慧音の手が止まる。そして、ゆっくりと振り返った。
「私が呼ぶのは、身寄りがない者達だからな」
そう言うと再び棚の方に向き直る。
精霊棚は八割方完成していた。
あとは飾りつけだけ。真菰の茣蓙を敷き、青竹をたて、縄で囲む。
「あとは…」
大事なもの。
「悪いが、野菜を…」
「嫌よ」
即答だった。
「あなたがやりなさい」
冷たい言い方。当の巫女は真剣な面持ちだった。
「………」
慧音は巫女の瞳を見つめる。
「そうだな…私がやるべきことだ」
「そうそう」
霊夢はうんうんと頷く。
そして、立ち上がった。
「西瓜を切ってくるわ。一息入れましょう」
「ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
巫女は微笑みながら社殿の奥へと姿を消す。
「さてと」
半獣の少女は、桶の中から水に浸された茄子を手に取った。
*****
「次の人ー!」
少女の前に順番待ちをしていたものがやって来る。
ところが、舟に乗るのを躊躇っていた。
「どうしたの?」
怪訝そうに尋ねる。
「え、自分には心当たりがないって
いやいや、だってあんたここにいるんだろう?
じゃあそれは、あんたがちゃんと呼ばれてるってことだよ」
少女の笑顔に安心したのか、彼女に従った。
「ん?」
ふと、視線を感じた。
その先に、とても小さなものがいくつかあった。
一つ一つが小さくて、希薄で、不完全な。
「あんた達もかい?」
打たれる相槌。しかしそれも儚げで。
「うーん…」
本来定員は一名だ。
「まぁ、いいや。乗りな
あんた達合わせても一人分にもならないみたいだしね」
その小さな団体を促す。
「あんたも悪いね、もう少し詰めてくれ」
先客に侘びを入れ、少女は櫂を漕ぎ始めた。
*****
「ふむ」
唐突に、少女は今日が何の日か思い出した。
「善は急げだな」
思い立ったが即行動。
それが少女の信条だった。
バンと自宅のドアを蹴破って飛び出す。
そして箒に跨った。
一気に上昇して森を突き抜けると、今度は目的地に向かって急降下。
少女は『普通』の魔法使い。
目指しているのは、遠い隣人の家だった。
「おーい、根暗人形遣いはいるかー?」
ドンドンと扉を叩く。
彼女は遠い隣人の扉を力任せに連打する。
ドンドンドンドンドン…
「うるさーーーい!!」
家の主がバタンと扉を開け放つ。
「何なのよ、魔理沙! 近所迷惑ね」
「近所なんかないぜ、アリス」
私以外にな、と霧雨魔理沙は悪びれた様子もなくそう続けた。
確かに彼女達以外に、この魔法の森を根城にしている者はそういないのだが…
「私が十分迷惑してるわよ」
アリス・マーガトロイドは大層ご立腹だ。
「それよりもだ!」
いつものことだが、魔理沙は全く話を聞いていない。
「アリス、今暇か?」
「は?」
「今暇かって聞いてるんだ」
しかし、アリスも扱いには慣れている。
「どうもこうも、たった今予定が塞がりました。はい残念」
バタンッ!
あっさりと扉は閉ざされた。
「………」
だが、霧雨魔理沙という少女はこれで引き下がる性質ではない。
ガンガンガンガンガン…!
先程よりも重く強くドアを叩く。
「おーい、根暗ー! 寂しがりやー!! 友達いな…」
「あーんーたーねー!!」
天岩戸はあっさりと開いた。
肩で息をしながら人形遣いは、魔法使いを睨み付ける。
「…何の用よ?」
不毛な争いを続けて弾幕ごっこなどにでもなったら…
被害が出るのは間違いなく目前の自分の家だ。
アリスは折れることにした。
「いや、ちょっとな…とりあえず中で話そうぜ」
そう言って、魔理沙は我が物顔でずかずか家に上がりこむ。
「………はぁ…」
深い溜息をついてから、アリスは扉を閉めた。
「それで?」
「ひんひょうふほーひほーへ」
招かれざる客は、アリスが楽しみにしていたおやつのケーキを頬張りながら返事をする。
「それで…?」
アリスは蟀谷に青筋を立てながら、もう一度尋ねた。
口の中のものを慌てて飲み込んだ魔理沙は、声高らかに宣言する。
「人形供養しようぜ!」
「へ…?」
「今日はお盆だ」
アリスも幻想郷に住んで暫く経つ。
この国のそういう風習は知っていた。
「それと人形供養と、どういう関係があるのよ?」
まるで接点がない気がする。
「ほら、そこにいるやつら」
またもアリスの発言を流して、魔理沙は部屋の隅の木箱を指差した。
木箱の中身は、当然アリスも知っている。
もう動かない…アリスでも修復不能な人形達。
言わば、人形達の亡骸。
「お盆ってのは、死者を祀るもんだろ。だからそいつらも祀ってやろうぜ」
「でも…」
木箱の中の人形。
かつては彼等も動いていた。
しかし、例え自分で動いているように見えても、それは見せ掛けだけ。
アリスの魔力なしに、命令なしに動くことはできなかったもの達。
この人形達には魂と呼べるものが無かった。
それは、アリスが一番よく解かっている。
「そいつらの縁者はおまえだけなんだ。
そいつら、みんな、おまえの娘なんだろ?」
「………」
娘…。
アリスが人形に対してやろうとしてきたこと。
それは創造主たる母が、自分やあの双子…諸々の生命を創り出したことの模倣だったのかもしれない。
ならば、自分に出来ることは…
「上海、蓬莱」
アリスは傍らに浮く人形達に話し掛ける。
彼女等には自我はない。だから、その答えは出ている筈だった。
「あなた達は、姉妹の弔いがしたい?」
それでもアリスは、尋ねたかった。
上海人形と蓬莱人形はコクコク頷く。
そして、二人であの木箱を運んできた。
「魔理沙」
アリスは潤んだ瞳を擦りながら顔を上げる。
「一緒に弔ってくれる? 私の娘達を」
魔理沙も照れ隠しに、帽子を深く押さえながら応える。
「ああ、もちろんだ」
*****
「まったく…あんた等には困ったもんだ」
少女はたった今運んできた客達に文句を言う。
定員一名のところ、四人連れを無理に運んできたのだ。
「いくら行き先が同じだからってね」
こちらの苦労も考えて欲しいと、彼女は思う。
「え、行き先がわからない?
そんなことまで面倒見切れないよ」
その上、迷子とは。
どうやら、お迎えがしっかりしたことをやってないらしい。
かと言って、このまま放っておけば、責任は少女に振り掛かる。
「ほら、そこにわかり易い道があるだろう」
少女が指し示した先には、誘導灯のように花が道を成していた。
「そこを進めば見覚えあるところにも出るんじゃないか?」
いい加減な説明で、その団体客を追い払う。
「あー、忙しい忙しい
まったく…何であたいばっかり…」
愚痴を零しながら、少女は次の客を迎えるために舟を出す。
*****
幻想郷のどこか。
ひっそり佇む小さな屋敷。
そこは、住んでいる当人達以外、誰も名前を知らない。
プリズムリバー邸。
その名を冠する賑やかな幽霊ちんどん屋が住んでいる。
中には様々な楽器が散乱して浮かんでいる。
「………」
その中心で、長女のルナサ・プリズムリバーが腕を組んで胡坐を掻いていた。
ちなみに天地は逆さまで、天井から吊られたように浮いている。
悩みの種は、他でもない妹達のこと。
元々縛られない自由な旋律を奏でるのが彼女達の音楽だ。
とはいえ、最近とみに妹達には身勝手な行動が多い。
次女は元々暴走気味だが…
三女も音集めと称して勝手に出かけたりしている。
「今日は家にいろと言ったのに…」
そう言い付けたにも関わらず、二人とも目を離した隙に外出してしまった。
好き勝手する二人を見ていると、長女としての自分に自信がなくなっていく。
「いや、そうじゃないわ…」
自信なんか端からなかったんだ。
そうルナサは理解する。
「中心か…」
かつて、この屋敷には姉妹の中心となる人物がいた。
彼女が三姉妹を創り出し、その真ん中で歌っていたのだ。
楽器の習得はしてみたものの、それに歌を乗せてくれる人は既に亡く…
寂しさを紛らわすために、騒霊の名のとおり、大いに騒いできた。
少なくとも、ルナサはそうだった。
「ふぅ…」
どんよりとした空気が漂う。
ルナサは鬱な気分になっていた。
自分はあの娘の代わりに、長女という名目で二人の妹を纏めているに過ぎない。
そんな思いに駆られる。
溜息と共に、それはどんどん深みにはまっていく。
「はぁ…」
今思うと…あの娘は幸せだったのだろうか。
姿を模しただけの代替品。
そんなものに囲まれて…
「馬鹿ね…」
その声にルナサは瞳を開けた。
見ると、出かけたはずの三女が戸口に浮いている。
「幸せだったに決まってるでしょ」
「リリカ…」
「姉さんの考えてることなんてお見通し」
そう言って薄ら笑いを浮かべた。
妹から見れば、姉のこういうところは単純で、顔に出るからすぐに解かる。
「幸せじゃなかったら、あんな笑顔で逝けないよ」
リリカは自分のキーボードを呼び寄せる。
「それに、あの娘も私達も…うかばれない」
そして、鍵盤をジャラーンと鳴らした。
「私は姉さんを信頼してるし、纏め役は姉さんしかいないって思ってるしね」
ウインクをする妹。
「………」
姉としては、妹のこういう物言いを、素直に受け取れないのが心苦しいところ。
実際、リリカは纏め役なんて面倒なものを背負い込みたくないと思っている。
ルナサも妹のそういうところは十分知っている。
「そうね」
長女はその言葉に頷いた。
考えても始まらない。
ルナサが手招きをすると、愛用のバイオリンがくるくる回転しながらやって来る。
そして、彼女の手に収まった。
弦の調律が勝手にされていく。
「あ、そうそう」
三女がキーボードを叩きながら呼び掛けた。
「冥界の方を覗きに行ったんだけど、庭師に我々以外誰もいないって門前払いされたわ」
「…え?」
その声に、ルナサは顔を上げる。
リリカが朝から出掛けていたのはそのためだった。
彼女は、長女が今日ここに残れと言ってきた理由は読めていた。
だから、もう一人の姉を抱き込んで、その先を行くことにしたのだ。
「メルラン姉さんもそろそろ戻ってくるよ」
自分の方がハズレを引いた。
ならば吉報を持ってくるのは…
パーッパパラッパッパーーー!!
遠くから、トランペットの音が木霊する。
「噂をすれば何とやら」
バッター-ーン!
「姉さーん! リリカー!」
盛大に扉を開け放ち、次女が家へと飛び込んできた。
「あれ、みんなは?」
しかし、メルランはひとり。
リリカの予定では、ここに四人を連れてきて、ルナサを吃驚させるはずなのだが…
「それがね、リリカ」
次女は三女に耳打ちする。
「えー! そんなところに!?」
「うん、責任者に聞いたから間違いないよー」
リリカにとっては予定外。
これでは長女を驚かせるどころではなくなった。
「職務怠慢もいいところね」
「……あのー?」
完全に置いてきぼりをくらったルナサ。
何のことだかさっぱりわからない。
「姉さん、行こう」
「ぐずぐずしてられないよ」
二人の妹がルナサの手を掴む。
一番上の妹が、長女の左手を。
下から二番目の妹が、長女の右手を。
そして微笑んだ。
「私達だって覚えてるよ」
「今日は年に一度の大事な日だもんね!」
そこはプリズムリバー邸。
年中賑やかで、笑い声が絶えることはない。
姉妹はそこから飛び出して、待ち人のところへと向かった。
*****
「うむ」
精霊棚の出来映えに、半獣の少女は深く頷いた。
飾りつけも終わり、その上には箸に刺された野菜。
それは『茄子の牛』に『胡瓜の馬』。
「いいんじゃないの」
巫女は西瓜を啄みながら、感心して評を下す。
「あ、でも塔婆は?」
「必要ない」
慧音は、霊夢の座る縁側へとやって来る。
そして、霊夢が切り分けた慧音の分の西瓜を皿ごと持った。
「彼等の名前は私の歴史の中に在る。
それにな、数を考えたらとてもこんな小さな棚では足りんさ」
苦笑いを浮かべながら、皿の中身に手を付けず、そのまま精霊棚に置いた。
それから、蝋燭と線香に火を点ける。
手を合わせようとしたところで、慧音は自分の失念に気づいた。
「この辺りに花が咲いているところはあるかい?」
供え花を用意してこなかったのだ。
「花ねぇ…」
「あらあら、お花がご入用?」
クスクス笑う声と共に、上空から良い香り。
見上げたそこには、傘を持った少女が一人いた。
*****
とある湖。
その中央には小島が一つ。
そこには紅くて窓の少ない洋館が建っている。
紅魔館という紅い悪魔が住む館。
そして、その中には図書館があった。
弄られた空間に全方位、果てなく並ぶ本棚。
ヴワル魔法図書館と呼ばれるそこは、幻想郷一の蔵書を誇る。
そんな数の本に囲まれて日々を過ごす、知識と日陰の少女。
この大図書館の主、パチュリー・ノーレッジは息詰まっていた。
「むきゅー」
とは言っても、持病の喘息で息詰まっているわけではない。
新しい魔法の開発が上手くいっていないのだ。
ここのところ連続で失敗に終わっている。
「やっぱり相克する属性の合成は難しいわね」
例えば、火と水。水が火を消してしまう。
例えば、土と木。木が土を吸い尽くしてしまう。
こんな相克の関係にあるものの合成は、パチュリーといえど制御が難しい。
ちょっとしたことで打ち消しあって、魔法は消滅してしまう。
頭を抱える魔女の脇を、司書の小悪魔が忙しそうに通り抜ける。
それをパチュリーは呼び止めた。
「ちょっと気分転換してくるわ」
司書はコクリと頷いて、主の久々の外出を見送った。
数少ない紅魔館のテラスから外を見る。
「太陽が眩しいわ」
日の光を見るのは数日振り。
ずっと図書館に篭りっぱなしだったため、中々目が慣れてくれない。
「しかも暑い…」
ちょいちょいっと指先を動かして詠唱をする。
魔法で涼しい空気を自分の周りに纏った。
そうしながら、午前中のできごとを思い出す。
「今日、レミィは留守だったわね」
この館の主は、珍しく朝から従者と共に出掛けていた。
パチュリーの慰問に図書館に顔を出し、言伝を残したあと外出した。
しかも、実妹を連れて。
本当に珍しいことだった。
「ん?」
ふとテラスの下を見る。
そこには、紅魔館自慢の紅いお花畑が広がっている。
その脇で、赤髪の少女がしゃがみ込んでいた。
彼女の存在を思い出し、パチュリーはふわっとテラスから飛ぶ。
そして地面に降り立った。
「こんなところで職務放棄?
うちの猫は相変わらず駄目ね」
「あ、パチュリー様」
赤髪の少女は背後の魔女に気づき、汗を拭いながら立ち上がった。
「ここも私の管轄なんですから。別に職務放棄じゃありませんよ」
紅魔館の門番、紅美鈴。
彼女は門番以外にも外の雑務を色々掛け持ちしている。
「その管轄者が何やってるのよ? レミィが怒るわよ」
広がるお花畑。そこから三分の一以上の花が姿を消している。
しかも、摘まれたそれらは美鈴の手、そして足元に束になっている。
「これは…あの…」
冷や汗をだらだら出しながら、門番はしどろもどろ。
「…とっても深い訳がありまして…その…」
「一体どんな目に合わされるのかしらねぇ」
パチュリーが意地悪く笑う。
「あぅ…」
実に、おちょくりがいがある態度。
レミリアや咲夜の気持ちがよく解かるなぁ、とパチュリーは思った。
しかし、一通り百面相した後、美鈴は真面目な表情へと戻る。
「すみません。あと百八本採るまでは…
眼を瞑っていてください。それからなら、どんな罰でも受けますから」
深々と頭を下げると、門番はしゃがんで再び花を摘み始める。
「……そういえば、去年も似たようなことしてたわね」
館の厨房を占拠して、大量の饅頭を作っていた。
もちろんその後、メイド長による制裁も受けていたわけだが…
饅頭を全て湖に流して、満足そうに微笑んでいたのが思い出される。
「………」
美鈴の手が止まる。
「……部下の分なんですよ。
それと、已むに已まれずここを攻めてきた可哀想な子とか…」
しゃがみ込む門番の表情は、日陰の魔女には見えない。
幻想郷の中で、最も平穏が少ない場所。
そこが彼女の守護する門。
「みんないい子ばかりでした」
そんな場所で、紅魔館最古参の一人である彼女は…
いくつの別れに立ち会ったのだろうか…
それは彼女の持つ花束が物語っている。
「相変わらずね、あなた」
一昔前。
まだ狂気の幼女の心が、今ほど安定していない頃。
フランドールを外に出さないため、二人はよく連携を取っていた。
美鈴は、対物理防御に足止め。
パチュリーは、対魔法防御に決定打。
だから魔女は、普段の彼女のとんと荒事に向かない性質も…
任務遂行時の非情さも知っている。
「役に立たたない猫っぷり」
真に招かざる客は通したことのない門番…
彼女は失った部下ばかりか、自らが手にかけた者にも心を砕く。
「……莫迦ね」
日陰の魔女は、赤髪の少女の正面に腰を下ろした。
そして、花を一本摘み取った。
「パチュリー様…?」
「私もね、後悔していることならたくさんあるのよ」
連携を組んでいた頃、もう少し自分の力が及んでいたなら、出なかった被害もある。
「手伝うわ。残りだけでも」
「……パチュリーさまぁ…」
うるうるした視線をパチュリーに向ける美鈴。
「鬱陶しいわね。そんなんじゃ部下達に笑われるわよ…コホ…」
「パチュリー様も無理しないで下さいね。もやしっ子なんですから」
涙を拭いつつ憎まれ口を叩く門番の頭を、パチュリーはポカッと叩く。
従者と客分。
本来ならば対等でない二人が、同じ目線で笑い合う。
気持ちいい。
素直にパチュリーはそう想った。
「あ、そうだ」
パチュリーは今日の朝のことを思い出す。
この館の主、レミリアがパチュリーに残した伝言。
あの幼い吸血鬼はその能力が故、しばしば予言じみたことを言う。
そして、その時の顔。あれは親友の、何か裏がある時の顔だ。
「美鈴、レミィから言伝よ」
「へ…」
「今日、神社で面白いことが起こるから
夕方までには来るように。
特に、門番は絶対来ること。来なきゃクビ……だって」
「ふぇぇぇぇぇーーーーー!
だって……じゃないですよ!」
バタバタ腕を振り回す。
「あー、そうそう。いい知らせもあるわよ」
知識と日陰の魔女はニヤリと笑う。
「追伸…『今日』のことは大目に見てあげるわ……ですって」
*****
「…これまた珍客ね」
霊夢が溜息に近い声で呟く。
ふわりと傘を持った少女が地に足を着ける。
その刹那、まるで手品のように慧音の手に花がポンッと現れた。
菊、百合、蓮…多種多様な花々。
望んでいた供え花が今、慧音の手元にある。
「…彼女が…?」
半獣の少女の確認に、霊夢が答え合わせをする。
「お察しの通り、こいつが花を操る変なやつよ」
慧音は幻想郷の歴史を司る。よって彼女の存在は知っていた。
「はじめまして。そして、ありがとう、風見幽香殿」
「気にすることなくってよ。単なる気まぐれだし」
頭を下げる慧音を見据えて、幽香はニコニコ笑っている。
「久しぶりに来てみれば、面白そうなことしてたもんだから」
「いや、それでも私の失念を補填してくれたのだ。ありがとう」
もう一度、慧音は頭を下げた。
腰の低い慧音の態度に、最強を自負する彼女はご満悦のようだ。
「あら、嬉しいわね。じゃあもっとサービスしましょうか」
「うわ…」
幽香の言葉に、霊夢は嫌そうな顔をする。
面倒ごとが増えそうな予感がしたのだ。
「それ!」
少女が棚の前で傘を一振りする。
漂う花の匂いが強くなったかと思うと、驚くべきことが起きた。
先程火を点けた線香の煙。
それに花が咲いていくのだ。
煙に沿って、花も次々天に昇る。
花は虹のように、空に道を成していく
「これが本当の花道ってやつね
これなら帰ってくる人も、分かり易くていいでしょう」
驚いた顔で空を見上げる二人を見て、大妖怪は満足そうに微笑んだ。
*****
鬱蒼と茂る竹林。
暑い夏の陽射しも、この中には微かにしか届かない。
真夏日だというのに、涼しい風が通り抜けていく。
その中を、少女が一人飛んでいる。
少女の頭には、白くて長い耳。
彼女は兎。
それも月の兎。
鈴仙・優曇華院・イナバは自分の塒、永遠亭へと急いでいた。
「まったくもう……師匠は兎使いが荒いんだから」
こっちの身にもなって欲しい、と鈴仙は思う。
お使いに行かされるのはまだいい。
だが、頼み忘れがあったからといって、同じところに即座にもう一度行かすのは如何なものか。
しかし、そんな師匠の態度は今に始まったことではないのでもう慣れた。
ご要望の品を逸早く届けるため、月の兎は速度を上げた。
「とーちゃくー!」
永遠亭の手前で鈴仙は着地する。
あとは息を整えながら歩くことにした。
ふと見ると、玄関先に誰かが立っている。
「え…?」
その人物は、長い黒髪を靡かせて美しい着物を纏っていた。
「ひ…ひ……姫!?」
永遠亭の主にして月の姫。
蓬莱山輝夜、その人だった。
「あら、イナバ」
呑気な顔で鈴仙の方を向いた。
「珍しいですね、こんなところに」
出不精なこの主は、滅多なことでは屋敷どころか、外にすら出てこない。
それが屋敷の前で意味なく突っ立っていたのだ。
軽く吃驚である。
「私だって外に出るわよ。元々外出は嫌いではないのだし」
輝夜の言うことは半分正しい。環境が彼女の外出を禁じていただけだ。
「どうなされたのですか?」
「何となくかしらね」
「そうですか…
あ、師匠に届け物がありますので、すみませんがまた後で」
そう言って、鈴仙が家の中に入ろうとすると、月の姫はこれまた呑気にのたまった。
「永琳ならいないわよ」
「へ…?」
その声に、ぎぎぎ…とまるでブリキの玩具のような動きで振り向く鈴仙。
「ついさっき出掛けたわ。イナバを連れてね」
ちなみに輝夜が今言った『イナバ』とは、鈴仙ではなく、因幡てゐのこと。
「ししょー………」
この二往復は何だったのか…
月の兎は、勘弁してくれとばかりに、がっくりと膝をついた。
「じゃあ、暇になったのね」
「はい…暇になりました…」
「それでは、遊びましょう」
ポンッと手を叩いて輝夜が言う。
「遊び…ですか?」
「ええ、久しぶりにイナバで遊びたいの」
「いいですけど…」
耳に残った部分があったが、敢えて聞き流す。いつものことなのだ。
「お盆ごっこがしたいわ」
「お盆…?」
聞き慣れない言葉に、月の兎は首を傾げる。
「イナバは知らないの? 遅れてるわね」
「すみません」
鈴仙は、ここに来てから長いわけではない。
まだ地上について知らないことが多々あった。
「特別に教えてあげるわ
お盆というのはこの国の古くからの風習で、死者を迎えるお祭りみたいなものよ」
「死者を…迎える…」
「ええ、こっちに呼ぶの」
それを聞くと、鈴仙は下を向いてしまう。
「あら、どうしたの? 暗い顔して」
「え…いや…ただ私がそんなお祭りしても
きっと誰も来てくれないだろうなって思って…」
自嘲するように笑う。
鈴仙が抱える暗い過去。
それが、彼女の赤い瞳に暗い影を落とす。
「そうね、誰も来ないかもね」
主は冷たく言い放つ。
「姫…」
月の兎はずっと後悔してきた。
故郷を、そして同胞を見捨てたことに。
一度目は、最初に命からがら逃げた時。
……同じ部隊の者はどうなったのだろうか。
二度目は、危急の波動を受けながら、それに応えなかった時。
……多くの同胞はどうしているのだろうか。
「…何故、姫は私が帰ることを
許して下さらなかったのですか?
…この地を月から隠してまで…!」
先の永夜の事件。
月の姫とその参謀は、大掛かりな術で地上に『密室』を創り出した。
ただ、月の兎を月から隠す。それだけの為に。
「当然よ」
輝夜の黒い瞳が、見透かすように鈴仙に向けられる。
「あなたは私のペット。
私には、あなたを庇護する義務がある。
ペットを死にに行かせるなんて、無粋な真似できないわ」
月の姫の表情は、驚くほど優しい。
しかし、その瞳には僅かな怒気が浮かんでいた。
「それとね…あなたは自分を卑下することは止めなさい
その行為は、名前を与えた私と永琳を冒涜することになるわ」
しゅんと項垂れる兎の頭を、月の姫は優しく撫でる。
「あなたは
『月のレイセン』ではなく
『永遠亭の鈴仙・優曇華院・イナバ』
それを誇りに思いなさい。ね、イナバ」
「輝夜様…」
主からの言葉。
それは鈴仙の心を締め付ける。後悔も、何もかもを超えて。
「わかりました」
大きく頷いて、鈴仙は笑った。
「話も纏まったところで…
お盆ごっこをしましょう」
「はい…?」
「じゃあ、イナバ。
今からあなたを殺すから、あなたは逸早く戻ってきてね。幽霊として」
「…ちょ…ちょっと…本気…ですか、姫?
何かさっき仰っていたことと、矛盾しているような気がするんですけど!?」
「ええ、もちろん本気よ。
それに矛盾なんかしてないわ。
ペットの生殺与奪の権利は、飼い主にあるの」
そう言って、月の姫はにっこり笑う。
そして、懐から蓬莱の玉の枝を取り出した。
「待って下さい!
私は姫と違って蓬莱の薬飲んでないんですから!
死んだらそれっきり! それっきりなんですよ!!」
「えー…」
輝夜は不満気に膨れっ面をする。
「飼い主の言うことがきけないなんて…
がっかりよ、イナバ。あなたはやれば出来る兎だと思っていたのに」
「できないものはできません!」
命が掛かっている故、鈴仙も必死だ。
「じゃあ代わりに、今から出かけましょう」
「え…?」
気まぐれな主の口から飛び出す言葉に、付いていけない鈴仙。
「さっきから、あれが気になって仕方がないの
もともとあれをじっくり見るために、ここまで出てきたのだし」
輝夜が袖口で指し示したのは空。
「あれって…」
鈴仙は我が目を疑い、瞳を何度もぱちくりさせる。
視線の先に続くは、彩の道。
「虹…?」
「違うわ。花よ」
輝夜の言うとおり、それは確かに花だった。
何もない空に花が列を成して咲き、まるで虹のように架け橋を創っている。
「気になるでしょう?」
「はい…気になります」
呆然と空を見上げている。
「急いで仕度をなさい、イナバ
永琳への書置きも忘れないように」
「了解しました!」
主の声に、跳ねるように屋敷に引っ込んでいく月の兎。
その姿を満足そうに見届けると、輝夜は再び上を向いた。
「呼んでも誰も来てくれないのは、私の方よ。イナバ」
呟きは、竹の葉擦れに解けていく。
長き永遠の中で、今の在り様は…
須臾な夢を見るのに丁度いい。
月の姫は、心からそう想っていた。
*****
「あーーー!
もう、何なのさ、これは!!」
少女の前には、順番を待つ長蛇の列。
もう何度往復をしたかわからない。
「え、あんたも誰に呼ばれてるか知らないって」
こんな感じで、自分の行き先を把握していないものばかりなのだ。
「もう、何でもいいから乗りな
そこも! もっと詰めて詰めて」
定員一人どころか、少女は客を次々押し込んでいく。
そして舟を出す。
「行くよー」
のんびり行く訳にもいかないので、一気に距離を縮めて漕いでいく。
あっという間に対岸に。
ぞろぞろ降りるお客。
最後尾のものが少女に寄って来た。
「どこに行ったらいいかって
知らないよ、あたいは。
そこに分かり易い道があるだろ。もうそこに皆行ってくれ」
花香る彩の道を指し示す。
少女の投げやりな態度に文句を言うこともなく、皆は言葉通りにそこに進んでいく。
「今年は一体どうなってるんだか…」
今日から数日は、確かに彼女が一年で最も忙しい期間だ。
それにしても度が過ぎる。
「あの方も大変なんだろうなぁ…」
送り出しの裁断を下す人物は、これ以上の数を相手にしているはずだ。
少女は、説教臭い自分の上司をちょっとだけ見直した。
*****
さぁぁぁぁぁ…
柔らかい風。
僅かに熱と湿気を孕み、安堵と不快を同時に与える…
そんな風。
たくさんの木々が葉擦れの声をあげる中…
中央の大木だけが、一葉もつけずに佇んでいる。
その袂で、少女が二人、茣蓙の上に座っていた。
傍らにはお酒とつまみ
そして…精霊馬。
少女の一人、傘を携えた方が口を開いた。
「悪いわね、毎年毎年」
「構わないわよ~
美味しいお酒に肴も用意してもらってるんだし」
そう言いながら、もう一人の少女は焼き鳥を串ごと口に放り込んだ。
モゴモゴ租借した後、串だけをぺっと吐き出す。
「行儀が悪いわねぇ、幽々子」
「紫、あなたには言われたくないわ」
八雲紫と西行寺幽々子。
境界を操る大妖怪と冥界の姫君。
幻想郷の中でも、稀有な力を持つ二人。
そして、二人の前に聳える大木が、かの妖怪桜『西行妖』である。
「もう一杯いかが?」
紫が徳利を傾けると、幽々子はお猪口でそれを受け取る。
「ありがとう」
幽霊は、ぐいっとそれを飲み干す。
「幽々子さまー!」
遠方より響く声。
幽々子の従者である白玉楼の庭師が、お皿を持って駆けてくる。
魂魄妖夢は二人の前に傅くと、枝豆で一杯になったお皿を差し出した。
「どうぞ」
「待ってたわー」
大食い幽霊は、それを掌で一掴みすると、がばっと口に入れる。
そして、もふもふ口を動かし、皮を一つずつ器用に吐き出していく。
「行儀が悪いわねぇ」
「あなたに言われたくないわ」
全く同じやり取りをして、二人は酒を注ぎ合う。
「妖夢、あなたも一緒にどう?」
幽々子が徳利を構えて庭師を誘う。
妖夢は、ちらりと紫の方を伺った。
スキマ妖怪は黙ってお猪口を傾けている。
庭師は視線を戻すと、ぺこりと頭を下げた。
「すみませんが、遠慮しておきます。
夕餉の材料を買出しに行かねばなりませんので」
「あらそう。残念ね」
幽々子はさして気にする様子もなく、次の肴に手を伸ばした。
「戻った後、すぐ夕餉の支度に取り掛かりますね。
だから、私のことは気にせずこのまま宴を続けてください」
「よろしくね」
「では。紫様、幽々子様をよろしくお願いします」
「任されたわ~」
紫の返事に、再び一礼して庭師の少女は去っていく。
「………」
聡い子だな……と、紫は感心した。
妖夢は気づいたのだ。
いつも紫の傍らにいる式と、式の式がいない意味に。
このスキマ妖怪と大食い幽霊は、こうしてよく酒を酌み交わす古馴染み。
のんべんだらりと落ち合っては二人でまったり過ごしている。
ただ、年に二度だけ…
春のある日と…夏のこの日だけ…
まるで、約束事のように紫がきっちりお膳立てをして幽々子を誘う。
「これは春にはなかったわね」
そう言いながら、箸の刺さった茄子と胡瓜に手を伸ばす。
「食べては駄目よ」
「えー」
幽々子の不満気な声を余所に、紫は笑みを浮かべている。
「あなたは、今日が何の日か知っていて?」
「お盆でしょ。それくらい知ってるわよ、紫」
仮にも幽々子は冥界の姫。
毎年お盆には、冥界に留まっている魂も、幽々子は里帰りのための開放を許している。
無論それらは冥界と現世の間の境界を通り抜けることはできないが故、手続きを踏み正規の道で帰っていくのだが。
「だったらこれの意味くらい理解しなさいな」
珍しく、スキマ妖怪が嗜めた。
この少女のこういう一面を知っているのは、彼女の式達の他は、おそらく幽々子だけであろう。
「そういえば…」
幽々子はお猪口を置いて、紫に尋ねる。
「これって誰をお迎えしてるのかしら?」
長年の二人の約束事。
しかし、幽々子は性格からか、さしてその対象となる人物を気にさえしなかった。
だから、初めてこの疑問を口にしたのだ。
「そうねぇ…」
紫もお猪口を置く。
「私の古い友人よ」
少女は、正面に座る幽霊を見つめる。
「それは吃驚ね
紫に私以外の友人がいたなんて」
「……あなたと出会う前に、別れたっきりだけどね」
「あら、そうなの。もしよければ…
私が今から呼び出してあげましょうか?
何年も会っていないなら、積もる話もあるでしょうに」
幽々子なら、それを可能にすることはできる。
しかし、スキマの少女は首を横に振った。
「それには及ばないわ
その娘には、もう会わなくてもいいの」
「そう……残念ねぇ。
私も会ってみたかったのに。そんな物好きさんに」
二人の視線が交錯する。
………。
いつだっただろうか。
満開の西行妖の下で、こうしてあの娘と向き合ったのは。
………。
軽い錯綜の中、遥か昔の邂逅に、スキマの少女は想いを馳せる。
それを振り払うかのように、紫は立ち上がった。
「そろそろ行きましょうか」
「どこに?」
「あの巫女のところ。
面白いことになってるみたいよ~」
そう言いながら、紫は幽々子の目の前にスキマの小窓を開く。
そこを覗き込んだ幽々子がしたり顔で振り返る。
「これは面白そうね~。すぐに行きましょう」
「ちょっと待ってぇ」
紫が眼を瞑る。そしてすぐに瞳を開けた。
「たった今、藍、橙、妖夢をスキマに放り込んだわ」
「おー」
「回収しつつ、私達も向かいましょう」
スキマの少女が扇子を振ると、幽々子の眼前に虚空が広がる。
「えい」
幽霊の姫君はそこに迷わず飛び込んだ。
紫はスキマに消える友人の姿をじっと見ていた。
後ろを振り返る。
そこには、一枚の葉もつけず、枝を広げた西行妖。
その根元を一瞥する。
視線を戻した少女は、小さく呟いた。
「今も昔も…
私の親友はあなただけ。
ねぇ……西行寺のお姫様」
胡散臭い笑みを浮かべつつ、紫の姿も虚空に消えた。
あとに残されたのは春を忘れた妖怪桜。
その花弁だけが知っている。
二人の少女の出会いと別れ。
そして……再会を。
*****
ようやく仕事にひと段落着いた時だった。
「こらーーーーー!」
三途の川辺に怒号が響く。
その声に、死神の少女、小野塚小町は恐る恐る振り向いた。
「四季…様…」
そこには、彼女の上司であり地獄の最高裁判長、四季映姫・ヤマザナドゥが立っていた。
随分ご立腹の様子で、部下の小町を見上げている。
「貴方、誘導の指示を適当にしたわね!」
ばしっ!
「きゃん!」
卒塔婆で小町の尻を叩いた。
「だって、例年に増して数が多すぎですよ
とても、あたい一人じゃ捌ききれないですって」
「前にも言いましたが…
貴方は言い訳を付きすぎる…
と、普段なら怒るところですが…」
映姫は小町の周りを腕組みしながら、歩き始めた。
「確かに今年はおかしいのです。
私の仲間のところはいつもどおりなのに、私のところだけ数が段違いに多い」
「そうそう、そうですよね」
小町はうんうんと頷く。
ばしっ!!
「きゃん!!」
再び、卒塔婆で叩かれた。
「だからといって、あなたの仕出かしたことが消えるわけではないのですよ!」
「すみません! すみません!」
「おほん…」
裁判長は畏まって咳払いをする。
「おかしいと思って、調べてみたら…
その花の道、件の神社に繋がっているようです」
そう言って、小町に袋を渡す。
「これって?」
その中味は数本のお酒。
「神社は大変な騒ぎになっています。
あなたはそれを持って付いてきなさい。
こちらはひと段落付いたのですから、向こうの収拾つけなければなりません」
裁判長の仰りたいこと。
「いいですか、勘違いしてはいけません。
せっかく『お見送り』が終わったのですから『お出迎え』までに
この異常な事態をきちんと把握していなければならないでしょうに」
それを死神の少女も、ようやく理解した。
「今日は私も貴方も頑張りました。
だから、神社に向かいましょう。
それが今、私と貴方が積める善行です」
「は~い! 真面目に働きます!」
生真面目な閻魔様といい加減な死神は、連れ立って彩の道に足を踏み入れた。
その先に待つ、博麗神社に向かって。
*****
「……これは……どういうことよ…」
博麗の巫女は目の前に広がる光景を呆然と見つめていた。
「…すまない…まさかこんなことになるなんて…」
そう言う半獣の少女の周りにも、たくさんのものが群がっている。
………。
半獣の少女が来て、精霊棚を造った。
そして、珍客のフラワーマスターが勝手に花の道を引く。
その後、普通の魔法使いと人形遣いが壊れた人形を持って来た。
…この辺まではよしとしよう。
喧しい騒霊の姉妹が、境内で勝手に演奏を始め…
紅魔館の門番と日陰の魔女が大量の花束を抱えて訪れ…
…その頃から、呼んでもいないものがどんどんやって来る。
月の兎が主に耳を引っ張られながら境内に着地し…
冥界の主従と八雲一家が連れ立って突然縁側に現れた…
…やってくるものの数は留まるところを知らず。
紅魔館、永遠亭の残りの面子も顔を見せ…
香霖堂の店主や、その他諸々の妖怪や妖精…
果てには、地獄の閻魔と死神まで…
境内は大変なことになっていた。
顔見知りが勢ぞろいした挙句。
その間を埋め尽くすようにいるのは…
霊、霊、霊ばかり。
形を成さないそれらは、人も、妖も、区別なく霊としてそこに在る。
今や、境内には納まりきらず、溢れんばかり。
そして、その中で顔見知りが勝手に酒盛りを始めている。
「あー…」
巫女は余りの惨状に頭を抱えた。
神社は蝉の声どころか、喧騒に包まれている。
彼女がいる本殿の前と、その中くらいしか空いている場所がない。
「…ん?」
そこで気づいた。
数多くいる顔見知り。
その中に、こういうことが一番好きな奴の姿がない。
「萃香…いるんでしょう?
さっさと出てきなさい!」
「はーい」
呑気な返事と共に、霊夢の横の空気が揺らぐ。
それは霧。
徐々に形を成し、現れたのは大きな角を生やした少女。
幻想郷にはもういないはずの鬼。
伊吹萃香。それが少女の名前。
「あんた…またやったね?」
霊夢が怖い顔をして、鬼の少女に尋ねる。
「私は何もしてないわよー」
「この惨状も自由意志のせいっていうの?」
「そうそう」
「そんなわけないでしょ!」
巫女はさらに詰め寄った。
「それがね、本当に誰も、何もしていないのよ」
鬼娘の顔は至って真剣だった。
「ただね…
ほんのちょっと…
今日という日を思い出す人が多かっただけ。
今日に限って死者を思う人が多かっただけ。
そんな小さな想いが集まって、萃まって…形になっただけなのよ」
「…これがその結果ってこと?」
「そーゆーこと」
投げ出した足をパタパタさせて、萃香は笑う。
もう一度、霊夢は辺りを見回した。
たくさんの魂魄と戯れている顔見知り達。
「みんな楽しそうよねー」
「………」
「毒食わば食卓まで…って言葉知ってる?」
「それを言うなら皿まででしょうに。でも…」
霊夢は本殿の縁から重い腰を上げる。
「どうせ吐き出せないのなら…
食卓どころか、毒を入れた張本人まで喰らってやるわ!」
やけくそ気味に叫んだ。
「紫、幽々子、手伝いなさい」
「待ってましたー」
「お任せよ~」
悪巧みに知恵の回る二人は、既に準備万端とばかりに待機していた。
「藍、あれを」
紫の声に、狐が霊夢に手渡したもの。
玉串を一振りすると、霊夢は境内へ。
「幽々子はさらなる開放を。
紫は、その境界の強化をお願い」
「はいはいはい~、っと」
「そっちも頑張ってね~」
「言われなくても」
巫女は呼吸を整える。
しゃん…!
一つ大きく打ち鳴らす。
そして、巫女は舞い始める。
しゃん…しゃん…
何にも拘らず…
何にも縛られず…
そんな力が、玉串の音と共に伝播していく。
しゃん…しゃん…しゃん…
それに気づいた者から騒ぐのを止め、静かになっていく。
勝手な演奏をしていた騒霊隊も、巫女の舞に合わせて音を奏でる。
バイオリン、トランペット、パーカッション。
不釣合いなはずの旋律。
なのにそれは幻想的で…
美しく…儚い…
しゃん…しゃん…しゃん…しゃん…
清廉な空気が場を飲み込んでいく。
すると、どうだろう。
単なる魂魄でしかなかったもの達が、徐々に形を取り戻す。
人であったり、妖であったり…
それは彼等の生前の姿。
失ったはずの幻想。
………。
慧音の服をたくさんの子供が掴み、甘えるような視線で見上げている。
アリスは、再び動き出した娘達を抱き締めていた。
プリズムリバーの横には彼女等と瓜二つの少女達。その中心で一人の少女が歌っている。
紅美鈴は数え切れない程の者達に、抱きつかれ、揉みくちゃにされている。
鈴仙は、長い耳を持つ少女達に泣きながら頭を下げる。その横で、輝夜が老夫婦に向かって恭しく一礼している。
紫と幽々子は、向かい合って手を重ねている。
………。
皆が皆、所縁ある者に囲まれて…
ある者は笑い…
ある者は泣き…
そして巫女の周りで踊り始めた。
舞の旋律は、いつの間にか楽しげなものへと変わり…
巫女も笑顔で…その輪の中へ飛び込んでいった。
………。
……。
…。
その宴は…再び『送る』その日まで…
連日連夜続いたそうな…
幻想郷。
数多の魑魅魍魎が遊興する…
ここに在る全ての者達の楽園である。
Fin
輝夜とうどんげのパートが好きです。
それにしても幸せなものです、呼ばれないと思っていたのに呼ばれた方々は。
そして、いつも通り呼ばれた方々もまた本当に幸せだと思います。
最初から最後まで、穏やかなのに弛みが無い語りが心地良いです。
幽々子と紫のシーンなんかが特に好き。
ほんとうにありがとう
最後のシーンはぞくっときました
紫の独白に心震えました。
そして月の姫さまに…ほら、ね、貴方の所にも来てくれる人いるじゃないですか、と(笑