Coolier - 新生・東方創想話

幻想郷調査部隊(三)

2006/10/12 01:42:40
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 ※グロテスクな表現が一部使われています。※


 次の日から、霧島にとってある意味刑務所よりも過酷な日々が始まった。


 朝は七時に叩き起こされ準備をさせられ、八時には既に訓練場に整列させられた。最初の日はそこで穴に入る際のチームについて説明を受けたが、これは同室の奴らがそのまま一緒に潜る、ということらしかった。少しでも馴染んだ者と一緒ということで、霧島は内心ほっとした。


 次に訓練の内容に対する説明を受けたが、これがまたとんでもないものばかりだった。


 訓練場の周りを八キロ近く延々と走らされることから始まり(既にこれが終わった時点で霧島はバテかけていた)、石などが詰められてずっしりと重くなった背嚢を背負い、山中に入ると何時間も延々と歩き続ける。少しでも足取りが遅れると、平気な顔で隣を歩く兵士から叱咤される。やっとの思いで規定距離を踏破したら今度は逆に背嚢を背負ったまま戻り、休む間も無く銃器の扱い方について指導を受け、すぐに射撃訓練を受ける。


 この射撃訓練がまたクセモノだった。まず霧島の場合は基本的な姿勢からなっていないもので、それを矯正することに何十分もかけることになった。実際の射撃は兵士の言うとおりに撃ってもなかなか的に当たらず、最後までまともに上達することがなかった(兵士たちは頭を抱えて、こいつを本当に放り込めたものか何時間か議論しあった)。美村や篠田などの同室連中は似たり寄ったりの成績だったが、少なくとも霧島よりは確実に上達し、サバイバルの技術も同様だった。


 これらの訓練を受けて、此処こそが現実の世界に出現した地獄であると霧島は断じた。このままでは極度の疲労で頭が狂うのではないかと本気で心配したが、おそらく他の人間も同様だったのではないか、と思った。訓練のたびに筋肉の隅々までが痛み、休む間も無く訓練また訓練。日曜日なんて都合の良いものはキャンプの中では剥奪されていた。起きて、食って、訓練して、食って、訓練して、食って、話をして、寝る。これで一日が終わった。これが毎日毎日毎週毎週続いた。


 最初の数日は話すらできなかったものの、二週間三週間と経てばチームの人間とは打ち解けるようになっていった。小説を書く気力は全くと言っていいほど湧かなかったため、ただただ寝袋に入っても起きていた人間と雑談をした。韓流ブームの次に来るのは何か美村と話をしたり、ガキの頃楽しかったことを篠田や熊谷と話した。今まで見た中でどんな映画が面白かったか、高田とも何度か話をした。高田は基本的にどんな話題でもついてきたが、映画になると特に笑顔になった。


 訓練の過酷さや技量について例外的だったのが、高田と西(高田以外の傭兵は彼だけで、名前ぐらいは知っていたが、別のテントのため殆ど交流が無かった)で、彼らは楽々とランニングをこなし、射撃訓練では八割九割の確率で的を破壊し、その後の銃器分解は他の人間よりずっと早く完了させた。恐ろしく厳しい訓練を軽い面持ちでこなす様子を霧島は尊敬したが、当の高田は「そもそも何年も戦場行ってたんだから、それぐらいできるさ」といつものように笑顔で答えた。霧島はその技術が羨ましく、慣れてきた頃にはテントに戻ってから訓練の内容について特別コーチを頼んだ。各訓練ごとに成績が悪かった人間にはきつい罰ゲームを科せられ、霧島はそれにあてはまるか、もしくはギリギリ回避できるという状況だったからだ。


 時には私物を一切持ち込み無しの状態で二人一組になって山の中に入り、兎などを食料にして一晩そこで過ごすということもあった。一回目に霧島は美村と入ったが、数時間まるまる費やして手に入れられたのは兎一匹という有様だった。果物も生るには生っていたが、どれが食べられてどれが食べられないのか分からなかったからだ。結局酷く腹を空かせたままキャンプへと戻った。二回目に高田と入った時は、その点についてレクチャーされながら果物や獲物を獲った。そのおかげで腹が膨れたまま戻ることができた。


 山中訓練の前には逃走防止のために発信機を体の中に埋め込まれていたが、そもそも霧島には逃げようという気がしなかった。ここに連れて来られても自分は未だに犯罪者であるのだからすぐに警察に捕まるだろうし、無事に逃げおおせたとしてもどうやって生計を立てていくのかも考えようが無かった。指名手配犯の暮らしぶりはおそらく、惨憺たるものに違いない。


 だが、逃げようと考えた人間が一人いた。


 自分のことをカズと呼んでくれ、とそいつは霧島に言った。昼休みの間に静かな所で飯を食おうと思ってると、彼は不意に近寄ってきて自己紹介をした。名前は一馬とか言ったか、と霧島が思い起こしていると「ついでに一緒に飯食わないか?」とカズが誘ってきたので、あまり波風を立たせたくないから了承した。別に誘われたからどうなるものでもないだろう。


「俺さ、ここから脱走しようと思ってる」と飯を食いながらぽつりとカズは言った。無理だろそれ、と霧島は脊髄反射的に言ったが、カズはポケットからコンバットナイフを取り出した。ぽかんと口を開ける霧島の前でカズはそれをちらつかせ、兵士の一人からくすねてやったんだ、と笑いながら言った。どうやらそれを使って無理矢理発信機を取り除き、監視の隙を突いて一気に麓まで逃げ下りるということらしい。かなり無茶苦茶な計画だし、警察とかに捕まったらどうすんだよ、と反論したが、コロンビアに行こうと思ってる、当てがあるんだと返された。その目はあくまで真剣だったので、この男がふざけて言ったわけじゃないことはすぐに分かった。それにふざけて言ったとしても、もし兵士に聞かれでもしたらどんな罰を受けるかどうか分からない。


 きっとこの男の中では、この山から逃げ出した後で何をするべきなのか、かなりの部分がまとまっているのだろう。それこそまとまっていないのは、どうやって脱出するかということに違いない。


 飯を食いながら暫く考えていたが、どうして俺にそんなこと言ったんだ? と質問した。どうしてわざわざ、殆ど初対面で体力も無い人間にこんなことを? 高田とか西とかに頼んだ方がよっぽどいいんじゃ?


「恥ずかしいんだけどな、正直言うとお前が一番信用できそうなんよ」
 笑いながらカズは言った。
「他の奴らはどうにも信用できん。目ん中にな、ヤバそうな光がただよっている奴とか真っ暗な奴とかそんなのばっかだ。お前の知り合いの美村ってのも、篠田も……高田も似たようなもんだ。どうも俺は用心深いというか臆病でな、そういう風にヤバそうなのはいまいち信用ができん。警察に俺を売って自分だけ逃げるかもしれんし、いざという時になって姿をくらますも分からんからな。ところがお前、見た感じそれが無いんだ。まっさらな、まともな感覚持った人間の目をしてる。つけるとすりゃそれが理由だからだ」


 言った事が照れくさかったのか、カズは飯をがふがふと掻き込んだ。霧島はその間考え込んでいた。俺の目? こんな俺の目があいつらの中で最もまともと言えるのか? 篠田とか熊谷とか、俺以上によっぽど頼れる奴じゃなくて? 霧島には分からなかった。カズのただの独りよがりなのかもしれないし、そうでないかもしれない。


「でさ、逃げる時だが。手伝ってくれんか?」
 霧島の目を見据えて、改まったような調子でカズが言った。その内容をちょっと理解できなくて、霧島の思考は暫し凍った。更に「お前さえ良ければ、俺と一緒に来てもいいぜ。勿論他の国に行くかどうかも自由だけどな」と言われて霧島は益々混乱した。いきなり矢継ぎ早にそこまで言われても困る、となんとか返したが、するとカズは苦笑して、そういやそうか。と言った。幾ら信用できるにしても、それはちょっと性急ってもんか。


「とりあえずさ、三日後までに返事が欲しい。それだけ待って何も無かったら、俺は自分だけでここから出る」


「あ、……ああ。まあ、えっと、がんばれ」


 カズは笑った。
「最初から答えが決まってるみたいだな」


 その言葉がおかしくて、思わず笑った。するとある疑問が湧いて出たので、カズに尋ねてみた。


「どうしてここから出ようと思うんだ? 別に急がなくたって穴の向こうを見てくれば、それで逃げる必要だって無くなるじゃないか。金だって貰えて悠々と帰れる」


 カズは迷った風に頭をわしわしと掻いていたが、あらぬ方を向いて空咳をひとつすると、言いはじめた。


「コロンビアにな、惚れた女がいるんだ。名前はローザ。人を殺してから向こうに高飛びして知り合ったんだが、その女には長期出張中の男がいてな、まあ要するに不倫ってわけだ。で、そいつが帰ってきた。問題なのは、仕事が早くに終わったらしくて予想よりも何日も早かったんだ。丁度その時に俺たちはベッドの中で…あー、最中だったわけだ。それで、男が銃を持ち出して襲ってきから俺は逃げた。ほとんど裸一貫だったな。股間だけ隠して道路を走りまくった。後ろじゃ男がバンバン銃を撃ちまくってるから、そりゃもう必死だ。


 その途中に警官を見つけて助けを求めたのはいいんだが、署に引っ張ってもらった後でパスポート提示しろって言われてから偽造だったこと思い出してな。強制送還されて、日本で警察に捕まって、ここに落ち着いたということだ。


 ここを出たら、またローザに会いたいんだ。あの男から酷い目に合わされているかもしれないし、そうでないかもしれない。とにかく一回でいいから会いたいんだ。そういうこと」


 地面の落ち葉をぐりぐりと踏みしめながらカズが言う様を、霧島はただ黙りながら見つめていた。今まで人の目をじっと見据えたことはなかったが、彼の目は輝いており、他の人間とは違うような気がした。


 それを見て霧島は、自分はどうだろうかと思いを馳せた。愛とか恋とか言ったものには今までまったく縁が無かったし、気にかけてすらこなかった。自慰も週に何回かはしているが、風俗にも行ったことが無いし、セックスなんて夢のまた夢だ。霧島には無いものを経験しているという点で、カズという男は高田や美村たちとはまた違った魅力があった。


 ま、そういうことだ。なんか俺の我がままにつき合わせているみたいで悪いな。カズがそう言うと、食器を持って立ち上がる。返事、よろしくなと言い残して彼は、その場から去った。


 それからすぐに訓練が再開された。


 カズと別れてから二日間、霧島は頭を捻って考えた。ここから出ようと無謀な努力するか、それともあの穴へと潜るか? 確かに穴の中は危険だ、何があるかさっぱり分からないし、死ぬ恐れだってある。でももし調査とやらに成功すれば? そうすれば一千万が貰えて、誰の目も気にせずに大手を振って街角を歩くことが出来る。自分の金で上手い飯が食えて、上手い酒だって飲むことができる。ここから脱走するのは穴と同じぐらい危険なことかもしれない。それに脱走しても一生お尋ね者だ、外国なんて日本よりよっぽど治安が悪いし、それに英語すら自分はまともに喋ることができない。コロンビア? そもそもそこは何語が通じるんだ? 日本人が行ったってまともに動けそうもないような所で、行って何になるってんだ?


 だが、ローザは? カズがローザと会う手伝いはしたくないのか? もしここから脱出してコロンビアに行ければ、もしかしてローザと会えるかもしれない。夫のことは気になるが、それについてはコロンビアにいけばどうにかなる。


 寝袋の中で向きを変えて、暗闇のせいで灰色のテントの壁を見る。遠くで誰かのいびきが聞こえてくる、誰だ? 熊谷か、篠田か? 美村か?


 兵士についてどう対処する? 自動小銃を持った人間、以前に飯の時間に高田が説明してくれた、兵士が持っている銃の先端に取り付けられているプラスチックのようなものを思い出す。
「あいつはサイレンサーだな、要するに消音機だ」となんでもない顔をしながら傭兵は言った。それからこう言った。
「威嚇するだけならあんなもんつける必要は無い。奴さんたち、いざとならば撃つ用意ができているってことだな」


 それを乗り越えても、どうやって逃げる? 服は? 食料は? 移動手段は? 思いつかない。悔しいかな、自分には本当に何のスキルもないのだ。カズが全てにおいて頼れると思えるほど楽天家でもない。


 無理だ、と結論付けて、それから霧島は眠った。外では虫がりーりーと喚いていた。


 翌日の夜、霧島はもう一つ受刑者たちに割り当てられたテントに行った。見張り番の兵士がいる横でカズを呼び出すと笑顔でついてくる。ぶらぶらと夜中を散歩しながら、兵士たちの目が最も薄くなったと思われる場所で歩きながら言った。
「すまん、俺には無理だ」


 ゆっくり歩きながらカズも答えた。どこかで兵士が聞き耳を立ててはいないかと油断無く目を光らせながら。
「分かった」
 ぽりぽりと頬を掻きつつ、もう一言言った。その目は脱走を持ちかけられた時と同じく真剣だった。
「明日やるから、成功するように祈っててくれ。多分俺が逃げ出すのに成功したらもっと警備は厳しくなると思うし、やつらの態度も酷くなるだろう。すまん」


 カズに実行する意思があるのをひしひしと感じながらも、分かったと返す。そのままゆっくりと歩きつつ、二人とも別れてテントに戻った。


 翌日の夜、いつものように厳しく辛辣な訓練のせいで疲れ果てた身体を寝袋の中に横たえながら霧島は考えた。果たしてカズは成功するだろうか? 逃げられるだろうか? 今頃何をしているだろうか? あのナイフを触っているのか? それとももう発信機を抉り出そうとしているのか? もう奴らの目に捕まることなく逃げてしまったのか?


 疑問は泡のように尽きることが無かったが、その前に自分の体力が尽きた。いつのまにか霧島は寝入ってしまっていた。


 銃声で目が覚めた。


「起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ!!」
 テントの外で兵士が怒鳴っていた。何か細い筒のようなものを抱えていたが、すぐにそれが銃だと気がついた。今まで命令されてもそれを向けられることが無かったので、霧島はぎょっとした。
「いいか動くな! 動いたら撃つぞこのクソどもが!!」


 ずかずかとテントの中に兵士たちが入ってくると、驚いて訳が分からない霧島たちに銃口を向けつつ人数を確認し、手荒に身体検査を行った。隊長と思しき人間が確認すると、すぐにテントを出て行った。


 まさか悪いことがおきたんじゃないだろうな、と霧島は思った。的中しないことをひたすらに祈った。


 両手を頭の上にあげ、訓練者たち全員がテントから連れ出された。美村はこれから何が起こるのかとびくびくした面持ちだったが、高田は欠伸しつつも周囲を冷静に眺めていた。熊谷や篠田も美村と同じような反応だった。霧島は口の中をからからにしながら、どうかカズが逃げ出せていますようにと考えていた。


 広場に集められた男たちに向かって、遠くから誰かが何かを投げつけた。霧島の前でぼとん、と音をたててそれは落ちた。月明かりが薄かったために判別するのは時間がかかった。


 首だった。


 カズの首だった。


 気付いた途端、霧島は悲鳴をあげてへたりこんだ。同じような悲鳴が隣や後ろから聞こえて、流石の高田も息をのんだらしい。一切の隙なく銃口を向けた兵士達に囲まれながら、全員がその首をみつめ無言のままだった。


「そいつはこのキャンプから逃げ出そうとした大馬鹿者だッ!!」
 ずかずかと近づいてきながら、いつもの軍服姿で教官が怒鳴った。どうやらカズの首を投げたのは教官らしい。その手にはサバイバルナイフが握られ、刃の部分からは何かがぽたぽた滴り落ちている。それが何なのか、霧島は見たくも無かった。両目をぐっと閉じて体が震えないように努力していたが、無理だった。


「このくそったれ馬鹿はここから脱走しようとした、その上見張りをしていた兵士一人に重症を負わせた!! そいつは既に医務室に運ばせたが、医者の見立てでは三時間以内に死亡するだろう」
 怒りと憎悪を当り散らすことで発散させようとしているのか、驚愕や嘔吐感など様々な顔をしている男達を教官は睨みつけた。その目は明らかな殺気に満ちていた。誰かが不穏な動きをしようものなら、その一瞬後にはそいつを蜂の巣にする命令を何の躊躇いもなく実行するだろう。そして兵士たちも躊躇無く撃つだろう。


「いいか、今度逃げようとしたものはこれよりも酷い目に合う、生きたまま性器を切り取り両目を潰し鼻を削ぎ取り指の爪を剥ぎ取り生まれてきたことを後悔させてやる。よく覚えておけッ!!」
 よほど憎たらしいのか、教官はカズの首を蹴っ飛ばした。ぼこ、という音とともに吹っ飛んでいき、どこか遠くの草むらの中に落ちる。兵士がわたわたと取りに行くのを霧島がぼんやり眺めていると、今度はその矛先を教官は男たちに向けた。
「今から二時間、お前らは正座してその首を眺めて過ごせ。一秒だって短縮せん、キッカリ二時間だ! ついては、明日から無断でテントの外に出るのを禁止する。許可無く出た場合、脱走行為と見なしてそいつは殺す、その後無差別にもうひとり選んで殺すから、忘れない方が身のためだぞ。


 貴様らの代わりは幾らでもいるんだからな」


 言い残すと、教官は早足でテントの中に戻っていった。後に残された霧島たちは何も言わず、どうすればいいのかも分からずにただ立ち尽くしていた。そのうち兵士の一人が座るように命令すると、全員が――あの高田さえもが――大人しく正座した。正面の土の上にそのまま生首を置かれ、全員が首に向かって目を据えさせられた。少しでも目を逸らしたらそれこそ銃の台尻で殴られかねなかった。


 月の明かりが足りなくてよく見えなかったが、それでもカズの首は顔面がふくれあがり、医者が見ても吐き気を催しそうな有様だった。おそらく捕まったときに酷い拷問を受けて、それから教官が持っているあのナイフで首を切られたのだろう。生きているうちに切られたのか、それとも死んだ時に切られたのかと考えて、霧島は恐ろしくなった。胃がムカついて、ゲロを吐きそうになる。嫌でもあの生首と自分の顔とを重ねずにはいられない。


 ふと頭の中で、三日前に一緒に昼飯を食ったカズの姿が浮かんだ。一緒に逃げないか、と話を持ちかけたカズ、飯をかきこんでいたカズ、照れくさそうに笑みを浮かべたカズ、ローザについて嬉しそうに話していたカズ、そして生首だけになったカズ。


 次にこうなるのは自分じゃないのか、死んだ後でも酷い目に合わされて、受けて当然の権利すら剥奪されるのこの俺じゃないのか、と霧島は思った。それ以上に、今のカズの姿と三日前の姿、それ以外でも色んな場所で見かけた時の姿が目に浮かんだ。それらが横に並んで残酷に比較させられると、万力のような力で胃が締め付けられるみたいだった。そのうちねじれきって形も戻らなくなって、一生ぐにゃぐにゃのままだろう。


 頭の上でプン、と音がする。蝿が飛んでいた。一直線にカズの顔に張り付くと、その上をちょこちょこと動き始めた。今すぐ立ち上がってその蝿を叩き潰して、カズの首を埋めてやりたかった、かつて生きていたものとしての尊厳を与えてやりたかった。くそ、この周りを見張っている兵士がいなければどんなにそうしたいことか!


「くそったれめ」
 じんわりと脂汗がにじみ出る顔を拭いていると、誰かが呟いた。
「こいつのお陰で寝れねえぜ」


 その通りだった。霧島はカズが死んで悲しいと思う他、自分でも理不尽に思うような怒りも微かにだが存在した。一体どうして今日に限って実行したんだ? なんでもっと警備が少なそうな日にしなかったんだ? それに夜やるんじゃなくて、明け方とか朝にやるってやりかたもあったんじゃないか? なあ、どうしてあんたは一人逃げ出そうとしてみんなの顰蹙を買うことにしたんだ? 連帯責任って言葉を一瞬たりとも考えたことがあるってのか? あんたが死んだらローザがどう考えると思っているんだ? しかもローザは今この瞬間にもコロンビアにいて、夫の暴力に耐えながらもあんたの帰りを待ってるかもしれないんだぞ? あんたはその機会を永遠に無駄にしちまったんだ。あんたはもうローザに会えないんだよ、分かるのか? あんたほんとに分かってんのか?


 今や怒りはぐんぐんと領土を拡大し、数を増やしていき、霧島の中で悲しみと怒りが粘土のように混ざり合っていた。互いに違う色の粘土が混ざり合えばそのうちに一色となってしまうが、悲しみや怒りはそう上手く行くものでもなかった。腹の中が熱を持ったみたいに熱くなる。やがて行き場が無い鬱憤と憤慨はカズだけでなく、この理不尽なキャンプにも、理不尽な世間にも、理不尽なこいつらにも、理不尽なあの穴に対しても無差別に広がっていった。みんなくそったれだ。みんなみんなくそったれだ。このくそどもめ、お前らなんで存在してるんだ? どうしてガキの頃に事故で死ななかったんだ? どうして世界はこの瞬間にも存在してるんだ? 神様がいるならこんなことやめさせてくれるんじゃないのか?


 くそったれどもめ。くそったれ。


 それらを抑えるのは非常に苦労が要った。だが霧島は抑えた、抑えなければ第二のカズになるだろうから。


 長い長い時間が経った。あまりに長すぎて自分が砂になり、動こうとすれば地面へと崩れ落ちていくのではないかとすら思えたが、やがて終わりが来た。


 夜明け頃に解放された。兵士たちに付き添われてテントに帰り着くと、中に入って寝袋の中に入った。絶対に眠ってやらないぞ、と霧島は怒りに満ちながら考えたが、一分後には眠っていた。


 七時には叩き起こされて、日常が再び始まった。だが霧島の心はいままでの日常とは異なっていた。裡に燻る、種火のような怒りが心の中で存在していた。カズについて考えたり思い出したりすると、すぐにそれは湧き上がった。他の人間はもう殆ど忘れてしまっているみたいだったが。


 理性的にそれを抑えて、霧島は再び日常へと戻った。あの穴へ入るための作業を黙々と開始した。半ば集団での戦いであり、半ば一人きりの戦いでもあった。






「あぁぁあ………あーあっ」
 一際大きな欠伸をして、自宅の中で霧雨魔理沙が伸びをする。体を回してごきごきと音を鳴らして、現在進行形で凝りつつある肩をほぐすために何回か回す。徹夜明けのせいか若干ハイテンションなまま床中に散らばった本を掻き集めて、机の上が満載だったのでベッドの空いた場所に詰め込んだ。横になれる場所さえあればそれで十分なのだから、ベッドは手近な本棚だと言えた。


 首尾良くとまでは行かなかったが、とりあえず今日やる予定だった実験はなんとか終わらせた。内容は以前にも行なって失敗した、あの破壊力満載の光に関するものだった。せっついて実践するよりもじっくりと外堀から埋めていくことにしてデータを収集していたが、やはりというか何と言うか必要な道具が欠けていたらしいので、それを精製しようとしていたのだ。材料が土壇場で足りなくなって夜中に調達しなければならないのは予想外だったが、とりあえず成功したのだから良しとしよう。何事もアドリブだ。


 乱雑の上に超という文字を乗せてもいいほどごちゃごちゃになった机を見渡すが、何もかもめんどくさくて整理するのは後回しにした。あれこれをきちんと整理していたら一日経ってしまうし、今はもうとにかく眠くて仕方がない。多分今なら十二時間は楽に寝れる。


 何十分か前から差し始めた太陽の光を遮るためにカーテンを閉じようと窓に歩み寄った時、外の庭で動物たちが喧嘩しているのが見えた。少し遠くてよく見えないが、種類からすればコウモリの大型種とオオカミの亜種みたいなやつだった。詳しい名前については専門家ではないのでさっぱりわからないが、この幻想郷に専門家なんて堅苦しい職業の人間は存在していない。いや一人ぐらいそういうのがいたかもしれないが、まあいてもいなくても同じことだ。多分この世界が完全に消えてしまうまでの間、奴らの正体は不明なままだろう。知らないから誰かが困るわけでもない。


 なんとなく興味が出てきたので、カーテンの端っこを掴みながら二匹の戦いを眺める。日光が雪に反射して目をちかちかさせるが、それほど気にならなかった。オオカミが飛び掛ればコウモリが回避し、コウモリが反撃をすれば無理矢理体をひねったオオカミが避けて、そこから攻撃態勢に移るというように状況は五分五分だった。まあどっちかというと、コウモリの方がやや有利と言った感じだろうか。しかしどっちに転ぶかは果たして分からない。一瞬の隙が勝敗を左右するだろう。


 平たく積もった雪原の上で殺しあう二匹を眺めながら魔理沙はなんとなく、最近こういうのが増えてきたなあと思った。正確にいつ頃から始まったかは覚えていないが、いつのまにやら動物や妖怪が互いで殺しあったり、いつも以上に縄張り意識を強めているようだった。一度など、魔法の森の上空を飛んでいた際に肉食の鳥類どもが群れを成して襲ってきたことがある。魔法と魔砲で簡単に蹴散らせたから、大して印象にも残らなかったが。


 そのうち調査でもしてやった方がいいかな、とぼんやり思いながら魔理沙はカーテンを閉める。既に外では決着が付いており、コウモリが喉を掻っ切られたオオカミの体を森の中へとひきずっていくところだった。大きな欠伸をもう一度して、魔理沙はベッドの中へと飛び込んだ。
 





 淡々と日々が過ぎていった。訓練、訓練、訓練の訓練一色で日常は過ぎていき、霧島たちは徐々に鍛えられていった。相変わらず兵士や教官はぴりぴりとして警戒を崩さなかったが、カズ以降誰も脱走を企てようとする人間はいなかった。というより、チップにしなければいけないのは自分と誰かの命だと考えると、お互いに緊張しあう雰囲気さえ生まれるようになった。自分のミスで死ぬならともかく、他人がとちったせいで死ぬなんて真っ平だったからだ。ただそういった交互監視のため、何か無くても互いに疑惑の目が行くことがあった。不自然に処分された物品、片付けられた私物にはすぐに目を向け、不審なことをしないかどうか男たちはチェックしあっていた。霧島たちのテントでもそれは同様で、やはり一人の動向を全員がチェックするということはあった。


 訓練の内容はあまり変化するということはなかったが、十㎏の背嚢が二十㎏に、八キロのランニングが十キロの距離と、勾配がゆっくりな坂を登るようにきつくなっていった。その頃には霧島も体力が付き始めていたので、ある程度の余裕は生まれていた。ただ、逃げようという思いは全く生まれることがなかった。その分生まれた余力は、小説を書くことに費やすことにした。今までの不満をぶちまけたりストレスを発散する意味でも、それは役に立った。


 ちまちまとホラーや恋愛ものの短編を書き散らしてはいたが、最もしっくりきたのはファンタジーだった。幻想物語を書いている最中は心がこの強制キャンプではない別な場所へと飛び、そこには銃を構える兵士はどこにもなく、想像上の生き物、場所、環境が完璧な現実性で存在していた。ドラゴンが空を飛び、海の中では手が四本ある人間が泳ぎまわり、地上の遺跡では中世の服装に身を包んだ狩人が仇敵である怪物と戦い合っていた。ストーリーがどんなに陳腐なものであったとしても、霧島は書き続けた。


 途中で美村や高田が中身を覗こうとはしたが、作者としてそれを認めるわけにはいかなかった。まだ完成していなく、しかもキャラの造形は未だに手探りなのだ。見せるとすれば最低でも本文が完成してから、という条件をつけると彼らは渋々引き下がった。兵士による抜き打ち検査が行なわれるようになったが、シャープペンシルやメモ帳までは取り上げられなかった。中身を一応検分されたが、興味が無いのか見ていた兵士はすぐに返した(それはそれで納得できないものがあったが)。後に完成したそれをテントの男たちに読ませると、彼らは全員苦笑とも困惑ともいえない目をした。要するに面白くなかったということらしいが、霧島はあまり気にしなかった。


 じりじりと這いずるような速度で日常は過ぎ、秋からゆっくり時間をかけ、徐々に冬になった。山中にある強制キャンプでも降雪が始まり、夜中に降った雪は朝には地面を銀色に変え、白い結晶が木々を真っ白にした。問題は訓練の前に雪かきをしなければいけないことだったのだが。特に多く雪が降った翌日には、ランニングのかわりに雪かきをするようになった。


 雪と厳寒の中でも訓練は続いた。ランニング、サバイバル訓練、射撃訓練、銃器分解、器具説明。穴の事前調査はさっぱり進展しなかったらしい、というのは霧島たちに対する説明が全く無かったからだ。新しい情報が入ればすぐさまそれが伝えられる、と男達は教官から説明を受けていた。しかし本当に何も情報が入らなかったので、情報の真偽を確かめるためにわざと俺たちには何も教えないんじゃないか? と霧島は思った。考えても仕方の無いことだったので、すぐにそれについては忘れた。


 この状況下でも外部の人間が一人ぐらいはやってくるかと霧島は思ったが、やはり誰も来なかった。避難させられた地元の人間や新聞記者、もしくはとてつもない野次馬根性を持った人間も、誰も来ない。霧島たちと兵士、そして教官だけで世界は回り続けた。自衛隊は雪が降る前に撤退を完了させ、今ではキャンプの風通しはかなり良くなっていた。おそらく侵入するにしても門前払いか、うまく中に入り込めても射殺されるに違いない、と霧島は思った。奴らは自衛隊すら動かす連中なのだ、いまさら一人二人消すことに何の咎めがあるだろう? 自分たちが最後に頼れる存在である法律に至っては、奴らのためにモルモットを進呈したのだ。


 テントの中には最低限時節を確認するためにカレンダーが取り付けられていたが、そこの日付は一日ごとに×印をつけられ、自分たちがどれくらいここにいるのか分かるようにしていた。クリスマスへと×印はちょっとずつ近づいていき、やがて×がその日と重なった。訓練はいつも通りあったのだが、教官が許可をくれたので夜になると訓練者全員で一つのテントの中に集まり、それなりに騒々しいパーティーを開くことができた。七面鳥こそテーブルの上には出てこなかったが、夕食の残飯やシャンペン代わりのペットボトルがその代用品として扱われた。一体いつになったら出発するのだろうと全員が疑問に思っていただろうが、ペットボトルを飲み、適当な歌を熱唱するうちにやがて疑問を忘れた。その日は深夜近くまで大騒ぎとなり、最終的には兵士たちに追い散らかされるように男たちはテントへと戻された。久しぶりに陽気な心地で霧島は寝袋の中に戻った。


 出発の日取りが決められたのは、その翌日だった。


「明日だ」
 最初の日に穴を説明したテントの中で、あの日と同じように居丈高な口調で教官が言った。霧島たちも同じように椅子へと座らされていたが、カズの姿は無かったし、その分の椅子も無かった。外では雨がざあざあと音を立てて降り注いでいる。ここ一週間ずっと降り通しだった。
「明日、お前達は穴へと入る」


 無言のまま耳を傾ける霧島たちに、何時間にも及ぶ様々な説明がされた。穴へと入る前には防護服を身に纏い、中に入ったらすぐにガイガーカウンターで放射能が浮遊しているかどうかを測定。拳銃は一人一丁、暴動防止のために穴に入る直前、中身が空のままで手渡される(使い慣れた自動小銃を持っていきたいのですが、と高田が質問し、教官は考えておくと答えた。最終的に高田の手には小銃と弾が渡った)。穴の向こうに渡ったらすぐに生息している動植物や空気などを検査し、全てが終われば改めて出発。北方向、南方向に分かれながら進み最終的にはコースを変えて少年が辿り着いた村を目標にする。そこから先は未定であり、各自で決めなければならない。調査期間は三日間、それより一分でも早く帰ってくれば叛乱とみなして問答無用で射殺される。五時間おきに兵士たちが穴に入り込んで調査隊がその場に居残っていないか確認するため、我が身可愛さのために穴の前に留まることは不可能。だったら最初からお前らだけで調査した方が早いじゃないか――霧島はそう思ったが、賢明にも口に出さなかった。多分他の人間も同じ考えだろう。自分たちは地雷原を歩かされるガキどもだ、地雷が山ほど埋まっているかもしれない場所を進んで歩こうとする大人はいないだろう。


 出発してからは霧島のテントがAチーム、リーダーは高田。もう一つのテントがBチームで、そっちのリーダーは傭兵の西だった。調査は基本的に別々で行うこと、原住民を見つけたら話を聞き、確実にその話は録音しておくこと。もしも彼らが何らかの暴力行為に出た場合は射殺も可。ただし未知の病原菌を持っている可能性があるため、血液のサンプルはとっておくこと、等等。他にもげんなりするほど細々とした話が長々と続き、太陽が沈む直前に始まった説明は完全に夜になってからも続いた。ようやく全ての説明が終わった時、霧島はメモ帳に話を書いておいたことに安堵した。最初の部分など最早覚えていなかったからだ。後で美村たちにも見せてやったほうがいいかもしれない。


 疲れた体と疲れた頭を癒すために、すぐに寝袋の中へと潜り込んだ。雨の音もすぐに意識から遮断され、数分経たずに眠り込んだ。夢は見なかった。


 翌日もまた雨だった。ばちゃばちゃという音がそこかしこで響き、テントの中に入ってきた兵士たちからは今日の訓練は中止だ、と告げられた。雨の中でも平気で訓練を押し通していたことが何回かあったが、出発を翌日に控えているために心配の種は作らない、ということか。かつてないほど幅広い自由時間が出来たが、この雨では外に出る気なんてまるでせず、霧島はいつものように横になっていた。高田たちはどこから調達してきたのかウノで遊んでいる。


 そのうち、グループから離れた美村が話しかけてきた。


 半分寝ぼけ眼の霧島が身を起こすと、開口一番に彼はこう言った。
「生きて帰れると思うか?」


「帰れなきゃしょうがないだろ。わけわからん動物に食われて死にたくないし」
 昼寝の途中で起こされたために不機嫌になりながら返すと、美村はうつむいて、裡に溜まったものを少しでも押し出そうとするように盛大なため息をついた。外では雨が降り続いているが、やたら大きくその音が聞こえ、すぐ横では篠田がドローフォーのカードを出していた。


「なんか俺、向こうで生きていられる気がまるでしないんだよ。変な怪物とかいるかもしんないし、槍持ったアフリカ部族みたいな奴らが襲い掛かってくるかもしれないし、もしかしたら病気にだって罹るかもしれない」
 だからさ、と言葉が続いた時、霧島は本能的に嫌な予感がした。美村の顔は、かつて家族に虐待されていたころの霧島とまるで同じで、次に何を言おうとしているのか予測できた。


「遺書を書かせて「いやだ」」
 先に言い放って、美村の言葉を封じた。反論しようと口を開きかけた美村の肩を小突き、霧島は話し始めた。


「絶対死んでやるもんか、って普通言うもんだろ。俺達は消耗品で犯罪者でどうでもいい存在で、あいつらは死んでも差し支えないと思ってる。だからこそ俺達は生きのびてやるべきなんだよ。そうだろ? 俺は最初こそ無理だ無理だって思ったけど、どうにかしてここまで耐えられたんだ、お前だってやれたんだから、一緒に頑張ってやろうじゃないか。あのくそ教官に目に物見せてやろうぜ」


 話し始めではその単語や組み立てられた文章が頭のどこから出てくるのか分からなかったが、やがて言葉の拠り所は暗闇の中からゆっくりと姿を現した。それはカズの生首だった。断面からだらだらと血を流し組織を露にしながらも、それはギラギラとして生気に溢れた目をしている。首は彼に対して、口にするべき言葉を告げていた。霧島はそれの言うとおりに口を動かした。


 最初こそ自分の意向が無視されてしょんぼりとした風に話を聞いていた美村だが、言葉を繋げていくうちに段々と目の中の光が輝きだすのが見えた。その様を見て霧島自身も元気付けられ、やがては首に頼らなくても言葉を紡ぐことができるようになった。首は粒子のように分解し、やがて感情の一部となって消滅した。


 そうだとも、俺は今まで無気力で死んだ魚みたいな人生を歩んできた。それから抜け出すチャンスは幾らでもあったというのに、俺が全部ぶち壊しにしてしまった。だがこの時、再び抜け出せるチャンスが巡ってきたんだ。これを活かさないでどうする? 活かすことのできなかったカズを考えろ、あいつみたいになるのか? なりたいのか? お前は心を腐らせたまま穴の中に入って死ぬつもりか? 人形みたいなままで奴隷のように大人しく入って、それで怪物とか疫病にむざむざと殺されるのか? 


 否だ、ともうひとりの霧島は叫んだ。それは活気に満ち、プラスの意志で溢れた霧島遼一だった。過酷な訓練と仲間との交流で荒療治的に培われていった、泥さえも食い散らかして生き残ろうとするその意志は、ぐんぐんと霧島の中で大きくなり、やがては彼自身を征服してしまうのではないかとすら思えた。


 やるぞ、こんちくしょう。俺は今度こそ自由になってやる。みんな一緒に自由になってやるんだ。今ならどんなハードルでも、どんな壁でもぶち壊してやるぞ。飛び越えてやるぞ。生き延びてやるんだ。


 はっと我に返ってみると、拳を振り上げて美村に仰々しく話しかけていたようだった。それを見て美村は感じ入ったような顔をしているが、他の三人はピエロでも見るみたいに笑いながら霧島を見ている。一度意識すると自分がピエロであると言った考えがなかなか抜けず、空咳をして無理矢理誤魔化す。


 それからおずおずと美村に手を差し出すと、彼もまたおずおずとそれを握った。やってやろうぜ、という彼なりのジェスチャーは通じたようで、ほっと安心する。


 ふと高田が脇から声をかけた。
「何友情ごっこやってんだ、お二人さん?」


 友情ごっこ、と言われて互いの顔を見交わした。確かに握手をしあって変にアイコンタクトを試みて、俺達は何やってんだ? 二人とも、ぷっと同時に噴いた。同時に笑ったことも面白くて、また声を出して笑う。


「おい笑わなくていいからよ、一緒にウノしようぜ。人数少なくなると途端につまらなくなるんだこれ。ほら霧島も」
 高田に促され、霧島もグループに入る。まだ笑いの発作がおさまらないまま、二人は配られたカードを受け取った。高田と熊谷はやけにカードの引きが良く、篠田は常に中堅の順位に納まっていたため、通算にしてビリの数は霧島と美村が大多数を占めた。


 その日は一日中、ウノで時間を潰した。






 外では朝から続く雨がざあざあと降り注ぎ、雲が空を満たしてしまっている。ここ一週間というものの雨が続きっぱなしで月の姿も見られなかった。満月も近いというのに、このまま雨が続けばその日も雨の可能性があった。雲の上まで行けば月は見られるだろうが、真下が雲ではあまりにも風情が無さ過ぎる。やはり広大な草原、建物、そして自分の居城は見ておきたい。


「雨………ねぇ」
 それこそ誰に言うでもなくレミリア・スカーレットが呟くと、真紅のテーブルの上に真紅色のカップを置き、壁を真紅色に染めた部屋の中で小さくため息をついた。おそらくこの肌白の少女が幻想郷全体に名を轟かす吸血鬼だとは、一見した限りでは分かりそうになかった。


「おそらく明日には雨が上がるかと思われます」
 椅子に座るレミリアの横で、直立不動の態勢をとっていたメイドが返す。十六夜咲夜という名を持つそのメイドは一礼すると、空になっていたカップにお代わりを注ぐ。音も無く熱い液体がカップの中に溜まりこむ様子を見て、レミリアはカップの中で溺死していく人間を思い浮かべて見た。つまらないからすぐにやめた。


 言葉も無く窓を見ていると、雲から降り注ぐ水滴がそれを濡らしながら地面に落ちていく。ぱらぱら、ざあざあという音を聞きながら、レミリアは暫く無言のままでいた。メイドは身じろぎすらせず、じっと当主の反応を窺っている。頬杖をつき、目を細くしながらレミリアは窓の外というよりは、ぼんやりと窓自体を見つめるように目線を動かさなかった。考え事をする際にはいつもこの姿勢を彼女は取る。


 ふとレミリアが言葉を発した。
「明日の朝、一人で出るわ」


 お一人でですか? と僅かに狼狽の色を見せたメイド長が尋ねると、そうよ、と何事も無く返した。日傘の用意を忘れないように、としっかりメイド長に伝えると、紅魔館当主は椅子から立ち上がって窓の外を眺める。雨にはみぞれが混じり始め、大分酷いことになっていた。だがメイド長は明日は晴れるだろうと予測しているし、それも朝のうちに晴れるに違いない、とレミリアは根拠も無く、絶対的な確信とともにそう思った。


 館の中を散歩するために踵を返してドアへと歩みながら、吸血鬼は思った――朝のうちならば空気が澄んでいるし、雨上がりの後を眺めればいつも気分がスッとするものだ。太陽の存在が無ければ尚良いのだが、無理なことを通そうとしても仕方が無い。今日のように憂鬱な日の後にはそういうのを眺めるのが一番良い。それに、とレミリアは思った。


 きっと明日は、面白いことが起こるだろう。


 これも確証が無いものであり、同じく予想が当たるということには絶対的な自信があった。胸の中を揺り動かし、脳に刺激を与え、長く生きすぎたせいで少々の刺激には鈍麻した神経を目覚めさせられるような何かが。あの巫女や魔法使い並の衝撃だろう、もしかしたら自分の人生に深く関わってくるかもしれない。


 そしてレミリアは、これだ、という時の賭けは絶対に外したことが無かった。
二本連続で投稿してみました。
次からはいよいよ舞台が幻想郷へと移ります。
にしても、長編は投稿のタイミングというのは何気に気を使うものなのだなあ、と思います。一つだけ落とすというのも時間が掛かりますし、あまりいっぺんにやると読者が読めないのではないかと気を使ってしまいますし。難しい。
復路鵜
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コメント



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6.70ZORK削除
死んでいったカズの為にも・・・
今までの自分にケリをつける為にも・・・
・・・俺は戦う!!

って感じの熱い霧島が良い
13.無評価復路鵜削除
ありがとうございます。
本人の中では感情が複雑すぎてよく分かっていないかもしれませんが、大体においてはそのような感じだと思います。
というか、カズってほんと無駄死にしたな……