Coolier - 新生・東方創想話

血に染まる月  前編

2006/10/09 03:55:23
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 Side E-Ⅰ   ETERNITIES


 
 私達の起こした月の異変。それがたった今彼女らによって破られた。
 姫は無事だろうか。不死の人間に心配は要らないのかもしれないけど。

 私は長い永遠亭の廊下を行く。
 倒れているのは私の主。

「姫」
「…派手にやられたわね。永琳」
「姫だってあられもない格好になられて」

「私を殺しもせずあいつら帰っちゃったわ。敵なのに馬鹿みたいじゃない?」
「殺しても死にませんけどね。彼女らが出て行くとき私に言っていましたよ。
 ここはいつの間にか結界で閉じられてしまい、もともと密室だったそうです」
「…何ですって? …じゃあ私たちは密室をさらに密室にしようとしたと?」
「そういうことになりますね」

 姫が笑う。私も笑う。こんなに笑ったのは久しぶりかもしれない。
「ああ、私たちは馬鹿ね」
「ええ、馬鹿ですとも」


「そもそも二人がかりだとかえって連携が乱れると思っていたのだけど」
「彼女らはそうでもなかったようですがね」
「まったく。攻撃するのは片方だけなんてふざけてると思ったのに」
「同士討ちをしたら元も子もありませんから」

 ため息をつく姫。
「ずいぶんと心の通じているペアだったわ。負けても仕方ないか。あなたはあんな関係をどう思う?」
「私たちの関係ほどではないでしょう」
「あら、あなたからそんな言葉が出るとはおもわなかったわ。照れるじゃない」
「何をおっしゃいます。私は姫を最高の主だと思っているから主従関係を結んでいるのです。
 自らのものより他の主従をうらやむ従者がありましょうか」
「ありがとう。私は幸せよ。あなたは最高の従者だわ。
 ああ、きっと当分月の綺麗な夜が続くでしょうね。まるで私が落とされたときの様に」
「そうかもしれませんね。私達が月にそむいた葉月の十五夜。あれも名月でした」


 私はひとつ気になることがあった。
 あるはずの無いものを私は見てしまった。
 ついに成功してしまったのだろうか。月はどうなるのだろうか。
 私はそのことを姫に伝えた。
 姫は悲しげな顔で答えた。

「…そう。哀れね月人たちは。まるで自分が神のように命を操れると思って。月の女神はそうらしいけど。
 自らの服が血にまみれていることも知らない。自らの体から死臭と腐臭が立ち上るのもわからない。
 天人の五衰とはよくいったもの。結局私は本当にルナティックプリンセスだったわけね」
「そんなことは」
「いいのよ永琳。私が月を堕としたのは間違いない。月人を狂わせたのも私の能力」
「しかし、今回の騒動の原因を考えると必ずしも月は禁断を得たわけではないようですね」
「おかげでもっと血が流れるでしょうね。嫌だわ」



「こんな夜は昔を思い出すわ。ねぇ永琳、昔話をしてくれない?」
「悲しい話は月に置いてきてしまいました。これからの幸せを話しましょう。
 私達はもう自由です。今宵からは月の下で永遠の生を謳歌しましょう」
「そうね。永遠に生きても感じられるものは常に須臾。ならば限りない生で刹那の悦びに身を任すのも一興」


 無限に来る夜明けと世明けに、終わらない歌を謳いましょう
 



























 白い世界 黒い空

 光る砂をちりばめて
 
 これは偶然? それとも必然?
 
 暗い穴が光食む

 闇は空から落ちてきて
 
 紅い揺らめき白を焼き

 私は空へと堕ちていく

 星に願いを
 
 私に希望を



 Side S-Ⅰ   SIN



 電子音が鳴り響き真っ白な密室の中で私は目を覚ました。回診の時間。
 いつものように声が近づいてくる。
『……マテリアル382気分は?……マテリアル385、顔色が悪いな。
 …マテリアル391…391? …死亡、直ちに廃棄を』
 抑揚のない声の主がコツコツと足音をたてて私の前までやってきた。
 しわの浮かんだ顔が笑みに歪んだ。醜い。


「おはよう『姫』、気分はいかがかな?」

 何も答えなかったが彼は健康と判断し去っていった。
 笑顔で彼は私の両隣の住人の廃棄を命じていた。
 さよなら391、404。
 会うことは無いままだったけれど、私は壁越しに彼女達と何度か話したことがあった。

「もうすぐ闇がやってくる…もう光が見えない…」
「もうすぐ光がやってくるよ、体がとってもぽかぽかするの」

 それが彼女達の最期の声。壁越しの曇った断末魔を思い出す。
 今はもういない。さよなら。さよなら。

 しばらくして朝食が運ばれる。
 今日は薄い赤茶色をしたスープ。
 毎日よくわからないどろどろした餌を与えられていたのに今日は違う。
 私だけ特別らしい。味はわからない。


 私は自分が何者なのか知らない。ここがどこかもわからない。
 マテリアルと呼ばれ、昨日の手術の後『姫』という名を与えられた。
 それ以前の記憶はほとんどない。あってもこの部屋の中のことばかり。
 毎日言葉と武器の使い方ばかり勉強させられる。
 生活に最低限のものしか部屋にはなかったので鏡はなく、私は自分の顔も知らなかった。
 
 まるでこの部屋のように私は空虚。

 スープを覗き込む。
 初めてみた自分の顔は赤茶けて透き通った少女の顔だった。
 私は今まで自分という存在が何処に在るかわからなかった。
 残り少しのスープにはその答えがあった。
 私はここにいる。あなたはだあれ? 
 私は…だあれ?
 
 自我の目覚め、だったのだろうか。


『状態はどうだった?』
『いたって良好のようだ』
『ついにやりましたね! 歴史に残る偉業だ!』
『これで状況は対等、いやひっくり返すことだってできるかもしれない!』
『そんなに急くんじゃない。まだ『姫』は覚醒してないのだろう?』
『なあに、ゆっくり教育していけば良いさ。そもそも大規模な戦争が今起こるわけではない』
『洗脳すれば良いじゃないですか』
『数百年もの研究でやっと得られた完成品だぞ。悪影響が出る可能性のあるものは極力さけねば』
『その通り。そもそも『姫』ができたのは偶然に近い。同じものを作るにはまた何百年かかるか…』
『すると延命処置も?』
『無論です』
『だいたいあと60年は生きるだろう。その間に彼女を調べ尽くせば良いだけのことだ』
『完成品ができた今、ほかのマテリアルはどうする?』
『健康なもの以外全て処分しろ。餌もただじゃない』



 私は天井に開いた窓から空を見て一日を過ごす。今までも、これからも。
 永遠に手の届かない黒い窓からみえる星とか言うものの光を見つめるだけの毎日。
 ずっとずっとそう思い続けてきた。

 だけどあのスープが私を狂わせた。
 意思の存在を感じる。自己の存在を感じる。ここは…もう狭いよ。
「そとにでられたらいいのに」
 今まで考えもしなかった言葉をつぶやく。
 
 そして 窓から光が消えた。




『緊急事態です!!』
『どうした!?』
『研究所上空に隕石が! 衝突は必至。かなり大きいです!』
『馬鹿な! レーダーにうつらなかったのか!?』
『対象は巨大、撃墜不能!』
『マテリアルを避難させる時間はない。皆すぐにシェルターに!』
『『姫』はどうする!』
『見捨てるわけにはいかない、数百年の研究の末にできた救世主で、私たちの愛娘だぞ!』
『月全体としても損失が大きすぎる』
『私は助けに行くぞ』
『僕も』
『私もだ』
『わかった。他のものは直ちに避難しろ!』
『もう時間がありません!』
『行くぞ!』


 轟音が地に沈む
 壁も柱も床も粉塵となり散る
 実験動物は人形のように吹き飛び燃え盛る


『B~Dブロック全壊! AEFと研究棟は半壊し炎上中です! 救助に行った3名のうち1名通信不能!』
『何てことだ……』
『空気を抜ければいいのだが…』
『燃焼はとまるが『姫』が死んでしまう』
『恐らく彼らの一人はもう…』
『通信開始します』

『………ザー…事だ!繰り返す、『姫』は無事だ!』
 歓声が上がる。
『だが建物の破損がひどい! 私達も足を怪我してもうあまり動けず、脱出は不可能だ!』
『よって『姫』を簡易宇宙船に乗せ飛ばす。宇宙空間で止まるようにしておくから速やかに回収してくれ』
『…クッ…『姫』、しばらくこの中でおとなしくしていておくれ。…いい子だ』
『発射する! ……ザー…ブツッ』
 一人の通信が途切れた。
『発射成功…もう崩壊寸前だ、これで通信を終える。『姫』と月の未来に幸多かれ……ブツリ』



 みしり、みしり私の籠がきしむ。
 部屋の壁は割れ、隙間から炎が漏れ出す。
 焦げる銀糸のようなものが404の部屋に見えた。
 崩れかけのドアが開き茫然自失の私を二人の白衣が私の手を引き連れ出した。
 …出られるの?
 
 走る。走る。火炎の廊下。
 ゆらゆら、ゆらりと紅蓮が笑う。
 立ち上る異臭が鼻を打つ。

 血まみれになり這い回る者を見つけた。
 手を差し伸べて助けを請いている。
 白衣に何か言おうとしたが、声にならなかった。

 見てしまったから。血まみれの顔を。


 あれは………私の顔

 左のゆがんだ扉からも顔が見える。あれも私。
 焼けて苦しむ私。うつろな目で見つめる私。私。私。
 私は何なの?

 とたんに吐き気をもよおした。本能的な嫌悪。
 白衣たちは『私』達を蹴り飛ばし、踏みつけながら突進していく。
 『私』はまるで障害物のよう。
 私も『私』を踏み潰して走らされる。
 後ろに残った恨みのこもる無機質な目を一瞥し、それでも無表情を崩せない私。
 
 私の心はすでに殺されてしまっていたのかもしれない。
 

 走り続けて火は追ってこなくなった。『私』も居なくなった。
 白衣達は良く見ると体中に怪我をしている。
 私はほとんど無傷。
 誰かと連絡を取っているのであろうか。
 何かを叫んでいるようだが聞き取れない。
 崩れ落ちる音、地鳴り、ノイズが私を包む。

 一人の白衣が近づき泣き止まない私を不思議なベッドか椅子のようなものに乗せた。
 いい子だといって頭をなでてくれた。
 血のこびりついた手。ねえ誰の血?
 もう一人がスイッチを押すと同時に崩れた天井につぶされた。

 ああ、この世界は狂っている。
 あの白い部屋にかえしてよ。孤独のほうがずっと優しい。

 それが最後の思考。
 
 私は発射の衝撃の後にきた2回目の衝撃で気を失った。



「……これで通信を終える。『姫』と月の未来に幸多かれ」
 残った者たちとの通信をきる最後の研究員。天井は崩壊寸前。
「かぐや姫は時の摂理を乱した罪で地上に落とされてしまいました、とさ…か」
 ………ハハハ。
 乾いた嘲笑は轟音に消えた。



『…犠牲になった3人の勇敢な研究員たちに敬礼!』
『ともかく『姫』が無事でよかった。すぐに宇宙船を補足、回収を』
『…大変です!』
『どうした?』
『崩壊によって脱出口がゆがんでいたため、宇宙船が破損しました』
『制御エンジンに甚大な故障があり停止できません!』
『何!』
『このままでは地球の引力圏まで進み地上に落ちてしまいます』
『着陸できるか?』
『……幸い緊急着陸用の機器は無事です』
『よかった。それでは着陸後、すぐに回収に向かえ。レーダーで補足をわすれるな』
『落下予定場所は日本です』
『なるべく人の居ない山間部か海におりるように調整を』
『了解』

 赤いランプが点滅。
『接続切断確認? ……そんな』
『レーダーの受信が途絶えました』
『馬鹿な、まだ着陸もしていないのに壊れるはずがない!』
『原因不明です。着陸予定時間まであと5秒…4,3,2,1…』

『…日本に潜入させたものから報告はあるか?』
『……日本および近海に宇宙からの飛来物が落ちたという報告はありません』
『馬鹿な!』
『ありえない……これでは神隠しのような…』
『なんとしても見つけ出せ。地上人に見つかると事だ』
『何か地上人に対する防護措置はとったか?』
『いえ、対地上人用の防護服のみです』
『短期的な防護は可能ですが、それでも地上人の技術の前には無駄かもしれません』
『食料は?』
『三日分積んであります』
『着陸後の移動は?』
『エンジン損傷によりほぼ不可能です』
『それに操作方法がわかるかどうか…』
『見つかったら絶望的か…』

『発見に全力を尽くせ。そして万一戻らなかったことを考え対策をとらねばならない』
『くそっ、戦力の差がまた開いてしまった!』
『これはなんとしても全面戦争に陥らないよう交渉するしかないのか…』
『状況が一変したのは紛れもない事実だ。月兎兵の増産の命令を』
『地上に居るもの、除隊したものにも召集をかけねば』
『戦線離脱した強化月兎が居るそうだが連絡は取れないのか? あれはそれなりの力になるかもしれない』
『それがひどい通信妨害があるようで今のところ連絡の見通しがつきません』

『ハッ、雑兵を集めても無駄だ…地上の技術は強すぎる。『姫』がいないと…』
『我ら月の民は誇り高き民だ。上層部も強硬手段を長くは待てないだろう』
『まだ全面戦争に陥っていないのが奇跡的なくらいだ。すでに月の地は侵されつつある。
 月に基地を建てるとか言う計画が実行されたならもう避けられまい』
『ならばただの玉砕を私達に強いるというのか!』



 一挙に慌しくなる司令部。

 そこに一人だけ八意の名を持つものがいた。
 彼女だけは知っている。
 それは八意家に遺された先代の書物の内容。

 満月の夜、月と地上はつながること。
 次の夜、満月の力を僅かに欠いた月はその欠片を地上に落とすこと。
 しかし、いつからか欠片は地上では見つからなくなったこと。まるで神隠し。
 全ては必然で組まれている。絶対に彼女は見つからない。
 『姫』はきっと月でも地上でもないどこかへ行くのだ。

 遠い先祖が免罪の対価として強制された研究の成果。
 その先祖ですら完成できなかった難題。
 オリジナルは研究のため恩赦を下されたが、天に牙をむいた。
 そして今プロトタイプが消え研究所が崩壊した。
 我らの望む最後の禁断。
 もう、手は届かない。


 古今にわたり 手放した『時』は二度と帰らない 
 地に落ちるのは 我らには重過ぎる代物だからだろうか?

























 冷たい白銀
 
 忌まわしい記憶
 
 孤独な私の檻

 かじかむ手を温めてくれたのは誰ですか?

 やさしい記憶をくれたのは誰ですか?
 
 空っぽな私に手を差し伸べてくれたのは誰ですか?

 なけなしの我が身を削って

 私に幸せをくれたあなたは誰ですか?

 白い花に黒い蝶を添えて

 そっとあなたに捧げます

 ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう

 ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい

 さようなら さようなら さようなら   …さようなら



 Side S-Ⅱ   SNOW



 寒さで目を覚ました。服を握り締めて丸まる。
 あたりは一面真っ白。空は黒色。星は違う配置。
 またあの部屋に戻ったのかと思った。
 もうあそこには帰れない気がする。
 帰り道がわからない。


 …外に出よう。
 やっぱり寒い。
 でも出てみよう。
 何で?
 狭い箱には耐え切れないから。
 嘘。
 本当。
 死にたいだけでしょ。
 ……どっちでもいいの。


 サクサクと膝まである白いものを踏みこえて、緑色の木のわきを抜けて、
 隠れた穴に足をとられて、私は倒れた。
 起き上がる余力はあるが、起き上がる気になれない。
 体温が奪われていく。もう本当に動けない。
 
 白い部屋が白い空間に変わっただけ。
 どちらも絶望と孤独でいっぱい。
 部屋を出れば死が牙をむく。
 やっぱり出てはいけなかったんだ。願うことすら許されぬ。
 隣人達のようにあの部屋で生まれて死ぬのが私にふさわしい運命だった。
 私が誰か、ここが何処か、そんなことはもはや愚問。
 
 降り積もる白銀がきっと私を送ってくれる。ここではないどこか。
 残った力で仰向けになった。
 僅かに円を欠いた蒼色の光が煌々と照らす。
 狂おしいほど美しいと思った。
 手を伸ばす。
 届かない。
 手は宙を切り、ぱたりと腹の上にのる。

 
 私の中で死と希望はイコール。
 もう考えるのも面倒。





 …閉じたまぶたに光がともる。
 ざわざわと音が聞こえる。これは声?
 何かからだの上にのっている。あたたかい。
 
 目を開く。

「おお、目を覚ましたかい? 嬢ちゃん?」
 しわが刻まれた顔の老人が優しく言った。
「あっ、兄さんこの子目を覚ましたよ!」
「何? 本当か?」
 若い女の人の声、男の人の声。
 女の人は2つの緑のリボンをつけている。男の人は湯気のたった桶を持っている。
「爺さんの気まぐれも役に立つことがあるんだねぇ」
 白い服を着た老女が体を起こして言う。
 白衣じゃない者達なんてはじめて見た。


 どうやら私は死に損ねたようだ。
 ここはどこ?


「嬢ちゃんは竹林で倒れていたんだよ」
「君はこの村の娘ではないね。隣の村の者かい? あそことは冬の間交流はないはずだけど」

 よくわからない。この人たちは何を言っているんだろう。
 竹林? 村? 冬?

「ねぇ、おうちは何処? お名前は?」
 私より数歳年上のような女の人が柔和な顔で言う。

「家は…わからない」
 私は部屋の中の記憶しかないから。
「じゃあお名前は?」
「マテリ…いえ『姫』」
「姫? お姫様の姫?」
 頷く。

「おじいさんこのあたりの村で、姫って名前聞いたことある?」
「いいや、この子は10歳過ぎくらいに見えるが、昔からとんとそんな名前は聞いたことがない」
「きっと疲れているんだよ、話は明日にして今日はゆっくり休ませてやろう。」
「それもそうだな」

 みんなが「おやすみ」といって出て行った。
 明かりはなくて真っ暗。 
 でもあの部屋のような絶望感も孤独感も皆無だった。


 とっても、とってもあったかい
 この気持ちは何?



 翌朝。
 おかゆという食べ物をもらった。
 甘味がからだに染み入る。
 おいしいといったら、おかわりをくれた。
 
 この家はおじいさん、おばあさん、お兄さん、お姉さんの4人家族らしい。
 昨晩おじいさんはあまりにも月がきれいだったので、散歩に出た。
 そこで竹林で雪に包まれ倒れている私を見つけたので、つれてきて介抱したそうだ。
 
 竹林と月と雪って何、と聞いたら笑って説明してくれた。
 言葉はある程度白衣が教えてくれたが知らない単語が思ったよりあった。
 
 昨日と同じ質問をされた。
 『姫』という名前は一昨日付けられたばかりで、本当の名前は分からないと言い直した。
 マテリアルに数字がついただけの名前は私の本名ではないと信じたかった。
 
 今の季節は雪が深く村同士の交流はないらしい。
 おじいさんはあちこちの村を回って竹細工を売る商売をしているそうだ。
 しかしどの村も全員の顔がわかるけれど私だけは知らないといっていた。
 お兄さんは村の医者を連れてきたが記憶障害はこれといった治療法がないといわれた。
 お姉さんは私のことを村中に聞いて回ったが誰一人私を知らなかった。
 おばあさんは布団に入ったまま「新しい孫ができたみたいでうれしいよ」といって微笑んでいた。


 結局私が何者なのか知っている人は誰も居なかった。私も含めて。

 
 雪がなくなるまでの2、3ヶ月ほどうちに居たらどうだいとおばあさんが言ってくれた。
 みんなも同じ意見らしい。
 私は慣れない親切さに戸惑いながら、上ずった声で「ありがとう」と言った。

 おじいさんとおばあさんとお兄さんとお姉さんは、
 私のおじいさんとおばあさんとお兄さんとお姉さんになった。
 なんだかあたたかい気持ちで胸がいっぱいになる。
 不思議な気持ち。理解できない。
 何の見返りもないのに私を受け入れてくれるなんて。


「当面の名前はどうしよう」
「そうだな…かぐやというのはどうだ? 月の明るい夜に竹林で見つけたんだから」
 おじいさんが言った。
「なかなか素敵な名前じゃない。でも案外本物かもしれないわよ、姫って言われていたみたいだし」
 悪戯っぽいお姉さんの声。
 おばあさんは手を合わせてただうれしそうな笑みを浮かべていた。


 私に名前ができた。
 私はかぐや。
 初めて私の存在が世界に許された、そんな気がした。


 村の人も私に優しくしてくれた。
 中には妖怪の子ではないかというものも居たが、霊感の強い人が
「この子は全く妖気がない。人間だろう」
 といったのですぐにそんな話もなくなった。

 白い部屋のことはもう記憶の片隅に追いやられていた。
 私の毎日は不思議と発見と自由でできていたから。
 そしてたくさん本を読んでいろんなものを知った。
 物語にある幸せとか言うもの、私もほしい。



 ある夜夢を見た。
 わけのわからない、でも恐ろしい夢。
 あの『私』が出てくる夢。

 
 痛いよ 助けて お前のせいで 何で私はダメ? 羨ましい お前も苦しめ
 恨みの言葉を吐いて近づいてくる『私』。
 お前は悪魔だ、少女の形をした災厄だ。
 地が割れる、空は崩れて堕ちてくる。
 這い出る『私』ケタケタ無表情に笑って千切れ飛ぶ。
 やめて、こないで!
 
 ギシリ

 私を中心に世界が壊れる。
 手が。
 空の裂け目に手が見える。
 救いと思い手を握る。
 握った手が腐って落ちる。
 やめて。嫌。落ちていく。
 嫌!


 そこで夢は終わり。
 薄れていた記憶がよりリアルに浮かんできた。
 私の手は災厄の手。そんなフレーズが頭から離れない。
 
 こぶしを何度も床に打ち付ける。
 荒い息をついていると横で寝ていたおばあさんが起きていた。
「どうしたんだい?加減でも悪いのかえ?」
 私の手を握る。暖かい。
「こんなに冷たい手をして、怖い夢でも見たんだね」

「でもね、手はそんなことのために使っちゃいけない」
 おばあさんはよくこんなふうに話をしてくれる。不思議と心が落ち着く。
「手の平はたなごころとも言うんだよ。つまり手の心。手をみればどんな人かすぐわかる。
 あなたの手は幸せをつかもうとする手、未来のいっぱい詰まった手。だから大事にしないといけないよ」

 私の手を強く擦っておばあさんはゆっくりお休みといった。
 おばあさんの手は働き者の手だった。

 私もあんなふうな手になりたい。


 
 平穏に日常は流れていく。
 立ち止まる暇も無いほどに。



 私がこの家に来て一月を越えたころ。
 とても悲しいことが起こった。

 あのおばあさんが亡くなった。
 もともと重い病気でほとんど寝たきりだったらしい。
 そういえば立っているおばあさんを見た記憶が無い。
 おばあさんは私を本当の孫のようにかわいがってくれた。
 私に表情が乏しいと笑顔の練習をさせてくれた。
 私に昔話をしてくれた。
 私の知らない言葉をたくさん教えてくれた。
 そんな記憶がもう二度と戻らない、当然のことを何度も反芻する。
 短い間だったけど私に落涙させるには十分すぎる日々だった。
 目がじくじくする。これが涙か。

「かぐや、幸せにおなりよ」

 おばあさんの臨終の言葉は大事に私の心にしまっておく。
 永遠に忘れるまい。忘れてなるものか。




 おばあさんの葬儀。
 たくさんの人が泣いていた。よほど人徳があったのだろう。
 私と血はつながっていないけど少し誇らしげな気分に駆られた。

 火葬が終わったころいかにも職人といった髭のおじさんが小刀を持ってきた。
 きれいな銀色。刀身には文字のようなものが刻まれている。

 お兄さんはそれをもらうとおばあさんの骨壷にそっといれた。

「何で刀を入れるの?」
「これはね、お守りなんだ。」
 いったん息を呑む。
「このあたりの森は妖怪が多いから放っておくと墓があらされるかもしれない。
 だけど妖怪は清められた銀が苦手だからね。
 人が亡くなるたびに刀鍛冶に退魔用の銀製の小刀を作ってもらうんだよ」

 妖怪の話になるとお兄さんとお姉さんは落ち着かなくなる。
 お父さんとお母さんが妖怪に殺されたらしい。
 きっとそれを思い出すのだろう。

 お墓にはすでに2つの骨壷があった。
 3つ目が並べられ閉じられる。
 本当にもう会えないのだといまさらになってまたじわりと涙が出てきた。


 悲しい
 どうしてこんな不幸なことが
 こんな不幸なことが……
 

 …不幸…
 不幸…?
 そうこれは不幸を悼む感情


 ひどい衝撃を受けたような気がした。

 不幸とは幸福なしに存在するものじゃない。
 不幸を嘆くことができるのは私が幸福という感情を知っているから。
 私はいつの間にか幸福という感情を理解していたんだ。
 ただ鈍感にもそれに気がつかなかっただけ。
 わたしは、そうか、しあわせなんだ!
 そう気づいた私は、不幸を悲しむ気持ちと幸せの意味を知った歓喜で泣きに泣いた。

 
 私の心は殺されていなかった!


 数刻たって墓前を立ち去るとき
 私は練習の成果を見せ付けるつもりで精一杯ぎこちない笑顔を浮かべて言った。

「さようなら、おばあさん。幸せを、ありがとう」

 あの優しい声が聞こえた気がした。
 風の悪戯だったのかもしれない。

























 赤い糸が結びつく

 斬っても斬れず 燃やせど燃えず

 もがくたびに絡みつく

 私は哀れなマリオネット

 愚行に気づかぬおもちゃの道化

 永遠を夢見る狂ったジョーカー

 私が誤り知らぬなら

 どうか正してくださいな
 
 私が在ること罪ならば

 どうぞ壊してくださいな



 Side S-Ⅲ   SACRIFICE



 数日家族は悲しみに浸っていたが一週間を超えたあたりでいつもの暮らしになった。
 みんなもともと明るい人だし、悲しんでいても死者は報われないからと姉さんは言っていた。
 それにおばあさんは死後に家族を悔やませたりするような人間じゃない。


 それまであまり感情を外に出せなかった私の葬儀での泣きっぷりを気にしたのだろうか。
 お兄さんとお姉さんは今までよりもっと私とおしゃべりしたり遊んでくれたりするようになった。
 
 いつの間にか自然と私は感情を表情で表せるようになっていた。
 お姉さんの冗談に笑った。
 お兄さんの悪戯に怒った。
 おじいさんの落ち込みようを見て悲しんだ。
 そのおじいさんがまた竹細工の仕事を始めたのを見て私はうれしくなった。
 私はまたひとつ人になった。


 いつもそばには誰かが居てくれた。

 そう、これこそが幸せ。
 幸せは砂糖菓子の甘さに似ている。
 
 そんな毎日がずっと続くと思っていた。
 いつものようにお話して遊んで日が暮れると信じていた。 
 


 だけどそれは願望に過ぎなかった。



「だからね、左手でもっと安定して玉を放らないといけないのよ」
 今日もお姉さんがお手玉を教えてくれている。
 なかなかできない私を見てお兄さんが笑う。
「玉を1つにしたほうが良いんじゃないか?」
「そんなのお手玉じゃない!」
 私はむきになって反論し、3つの玉を上に放り投げ…手元には1つだけ帰ってきた。
 残りの2つは私とお姉さんの頭に落ちてきた。
 
 ぷっ
「今笑った」
「なんのことかな」
「もう、兄さんもかぐやをいじめないの」

「もう一回するから良く見ててごらん。」
 お姉さんはお手玉がうまい。
 きれいな放物線を描いて手に収まる。

 でも癪なことにお兄さんはもっとうまい。
 お手玉と玉は違うけど5つも6つも玉を操ってしまう。
 たしか手品が趣味だといっていた。
 時々見せてくれる硬貨を使った手品はいつ見ても見惚れてしまう。


 私の考えを読んだのか、単にからかいたくなったのか、
 お兄さんが硬貨を取り出した。手品だ。
 お姉さんのお手玉の見本よりもそっちに目が向いてしまう。
 やはり私にとっては手品のほうが興味深かった。

「ちょっと、私のかぐやをとらないでよ」
「いつからお前のものになったんだ。どっちを見るかはかぐやの勝手だろう?」
 ニヤニヤと笑いながら言う。
 私が手品に興味を持っていることを感じたのか、お姉さんは仕方ないといった表情で玄関に向かった。
「でかけるのか?」
「水を汲みに行くの。もうすぐ夕食でしょ?」
「そうか」


「ところで…最近地震ってあったかしら?」
 靴をはいたお姉さんが上を見て言う。
「…いえ、気のせいよね。じゃあ行ってくる」


「気をつけてね」
 なんとなくそう言わないといけない気がした。
「森に入るわけじゃないから大丈夫よ」
 お姉さんは笑って出て行った。



 あれ、何か赤い…



「かぐや、今日は手品を見せるだけじゃなくて教えてあげよう」
「ほんとう!?」
 私の注意はお兄さんに引き戻された。
「ああ、いつも熱心に見てるご褒美だ」

 今まで何度もお兄さんの手品を真似してみようとしてみたが私にはできなかった。
 だって種も仕掛けも知らなかったから。
 私にもできるのかしら?
 そうだとしたらとても素敵。

「今日の手品は種も仕掛けもない手品だ」
「そんなものあるの?」
「あるとも、名前はミスディレクションというんだ。正確には技術の一つなんだが。
 簡単なものを見せてやるよ」

「まず手を調べてごらん、何もないね?」
 食い入るように手の平を見つめる
「…裏側も見せて」
 手の甲には何もない。
「もう十分かい?」
「……十分」
「じゃあコインも何もないか調べてごらん」
 何も変なものはくっついていない。二枚重ねにもなっていない。
 ひたすら集中し穴が開くほど凝視した。
 お兄さんは微動だにせず待っていたがさすがに痺れを切らしたのだろうか。
「そろそろ返してくれないとできないんだけど…」
 無言で手渡す。

「いいかい左手には何もないね」
 手の平を見せる。
 硬貨を右手で取る。
「このコインが右手から消えて左手に移ったとしたら?」
「不思議」
「じゃあ今からそれをやってみよう。3、2、1…」
 そういって硬貨を指先につかみ…急にほうり投げるように手を上げた!
 手の平に硬貨はない。本当に放り投げたようには見えない。
 右手の硬貨は何処に…?
「さあ左手にコインは移りました」
 まさか!
 左手は握られている。
「じゃあ左手をあけてみよう。3、2、1」 
 右手の人差し指で左手のこぶしを叩く
 チャリン
 開くとそこには硬貨が。

「嘘、何で…あんなに見ていたのに」
 悔しい。でもまったく怒りは感じない。不思議。


 ぷっ
 お兄さんがまたふきだして、今度は盛大に笑い始めた。
「いや、かぐやほど手品のやりがいのある相手は居ないよ」
 ほめられていないような気がする。

「さて解説に移ろうか。ミスディレクションとはつまり見当違いの方向に注意を向けるということだ。
 これを除いたら本当はこんな動作をしただけなんだよ」
 指先に硬貨をつかむ。ゆっくり手を開き…硬貨はない。
「あっ! 手の甲!」
「その通り」
 手の甲側をみると人差し指と中指の間に硬貨の端が手の平側から見えないように挟まれていた。

「最初にコインを調べさせたね。あの時左手にもう一つコインを挟んでおいたんだ。
 そして右手を大げさに振ってそちらに注目させている間に左手に握りこんだ。
 次に君は左手に注目したはずだ、右手から左手に移るといったからね。
 あとはその間にまた右手の硬貨を握りこんで、そのまま人差し指で左手を叩いておしまい」

「そしてもうひとつのミスディレクションは最初に種も仕掛けもないといったことだ。
 かぐやは疑りぶかいからその言葉を信じずかえって必死に種をさがしただろう? 
 そして必要以上に細かい動作に注目しすぎた。
 つまり視覚的・心理的思い込みがかえって視野を狭めるという手品なんだよ。
 ちょっと練習したらできるからためしてみるといい。いくらでも応用は利くからね」

 私は手品が好きだ。
 私が手品を好むのはこんなふうに人を操る術に憧れがあるからだろうか。
 あの白い部屋で、私が完全に操り人形だった反動からかもしれない。
 意思を許されなかった私が自分の人生の主役になれるとは思えなかったから。
 手品師はいつだってステージのヒーローだ。
 全く羨ましい。
 私は目の前のマジシャンにただ憧憬の眼差しをおくっていた。
「もっとすごいのは今度見せてやろう」
 頭をわしわしとなでられた。
 子ども扱いされるようで嫌だけど、お兄さんにされるのは嫌いじゃない。
 なんだか少しだけうれしい。



「しかし遅いな、水汲みならとっくに帰ってきても良いだろうに」
 確かに遅い。もう15分くらいは経つのにまだお姉さんは帰ってこない。
 井戸は家から数十メートルくらいしか離れていないのに。
 
 ガタッ
 私と同じくらいの年頃の子供が飛び込んできた。
 近所の男の子だったか。
 青ざめた顔でカタカタ震えている。
「こっ…!」
 こ?


「紅魔館のメイド長、が…っ」


 お兄さんの顔が青ざめる。紅魔館って何?
「お姉さんを連れ去って…」
 あとは涙声で聞き取れなかった。
「本当か!?」
 お兄さんが彼の肩を揺さぶり激しく問い詰める。
 彼は泣きながら頷いた。
「くそっ!」
 お兄さんは出て行った。

 彼と二人きり。
「ねえ紅魔館のメイド長ってだれ?」
「…離れたとこに湖があって…怖い吸血鬼が居るんだ」
「吸血鬼はほとんど外に出ないから、そこのメイド長が、外で仕事をして」


「メイド長に連れ去られた人間は………一人も帰ってこない」


「………え?」


 時が止まったような気がした。
 お姉さんも帰ってこない?
 嫌。嘘よ。お姉さんに限って。
 戸が開く。
 お姉さんが帰ってきた!
「井戸の脇にこれが落ちていた」 
 …お兄さんだった。
 手には緑のリボンが1本。
 お姉さんがいつもつけていたリボンの片割れ。
 私はお姉さんが誰かに連れ去られる瞬間を想像してしまった。


「そんなに深刻そうな顔してみんなどうしたんだい?」
 外に出ていたおじいさんが帰ってきた。
「実は…」
 
 重苦しい話が始まる。



 この事件以来ずっと家、いや村全体が暗い雰囲気に包まれた。
 この村は紅魔館に狙われているのかもしれない。
 心理的な圧迫からか気分の優れない人がたくさん出て医者は休む暇がなかった。
 99の絶望と1の希望があるぶんよけいにたちが悪い。
 死んだと思って悲しむこともできないし、助ける方法を考える気にもならない。
 そもそもどうやって助ければいいかなどわかるはずもない。

 お姉さんには生きていてほしい。
 お姉さんが死ぬのならせめて安らかに逝ってほしい。
 相反する気持ちがドロドロと渦を巻く。
 お姉さんは今日も帰ってこないという事実が冷たい。
 まるで世界は死んだかのように静か。

 他愛ない日常がこんなに簡単に変わるとは思わなかった。
 日常が恋しい。だけどもう戻らないような気もしていた。
 自分の勘が当たらないことをひたすら願う。私は無力な子供に過ぎなかった。

 幸せは砂糖菓子に似ている。
 とても甘くて、とても脆い。空になると狂おしいほど愛しい。
 幸せの儚さを私は呪った。




























 さあさあ みなさまごらんあれ!
 
 主役はまぬけなピエロット!

 僕は自由だ そう叫ぶ

 身の程知らずなピエロット!

 もしも悲劇であったのなら

 彼の涙を見ておくれ

 もしも喜劇であったなら

 彼の姿をあざ笑え!

 余興は終わり これより本番

 可笑しや 悲しや 狂った劇が

 さあさあ いまからはじまるよ!



 Side S-Ⅳ     SEQUENCE



 雪はあまり降らなくなった。山道が通れるようになるのも時間の問題だろう。
 だけど皆の心冷え切ったまま溶けなかった。
 お兄さんもおじいさんも私の相手をしてくれる。
 でも動作の片々に暗い顔が混じる。
 私も不安でよく眠れない日が続いた。
 もしもまたメイド長が現れたら…

 あの井戸は使われなくなった。
 メイド長が居たというだけで十分怪しい。何をされたかわかったものじゃない。
 皆は雪も溶けてきたので近くの川で水を汲むようになった。
 私は念のため川の水も使わず竹林のきれいな雪を溶かして水にしていた。
 氷混じりの雪をすくっているうちに手は冷たく赤くなっていく。
 手は痛いけれどつらくはない。大事な家族のためだ。
 私の手は幸せをつかむための手だとおばあさんは言っていた。
 家族の幸せもつかむことができたならこんなに幸せなことはない。
 もう誰一人失いたくなかった。



 ある日の夜
 私はやっぱり眠れないでいた。
 眠いはずなのに目が冴える。
 見たこともないメイド長が恐ろしい化け物の姿をして私をつけまわしている。
 眠ったら最後、さらわれてしまう。食われてしまう。
 妄想ばかりがふくらんでいく。
 
 私は厠に行こうとおもって布団を出た。
 暗い廊下が遠く見えた。
 ふと耳を澄ますと、声が聞こえる。
 それはお兄さんの部屋から聞こえてきた。

 押し殺した嗚咽。
 あの気丈なお兄さんが。
 信じられない。

 戸の隙間から覗こうとして、ガタリと音を立ててしまった。
 お兄さんはハッとこちらを見た。
「かぐやか」
 私は固まっていた。
「そこに立ってないで入っておいで」
 すごすごと部屋に入る。


「泣いてるの見ただろ」
「…ううん」
「わかってるんだよ」
 聞いていいものかわからなかったけれど勇気を出して聞いてみることにした。
「お兄さんはなんで泣いてたの?」
 びくりと体が揺れる。

「あいつが最後に出て行ったときのこと覚えているだろ」
 お姉さんのことか。
「あの時もし邪魔をせずお手玉で遊んでいれば、もし出て行くとき引き止めればあいつは…」
 鼻をすする音が混じる。
「あいつは…さらわれないですんだのかもしれないとおもうと…」



 違う。そんな悲しいこといわないで。

「お兄さんのせいじゃないよ。
 そんなことを言ったら、お兄さんの手品に気持ちが動いた私も悪いの?
 もっと早く帰ってこなかったおじいさんも悪いの?
 目の前で見ていて助けられなかった男の子も悪い…の?
 あの時間、に出て行こうとしたっ…お姉さんも悪いの?
 みんなみんな…グスッ…みんな悪いの?
 お兄さんは…うっ…悪く…ヒック…ないから…だから…」

 なかないで、と言おうとしたらお兄さんに抱きしめられた。
 耳が、顔が熱くなる。
「わるかったな。かぐや、なかせちゃって。勘違いをしていたみたいだ」
「…スン……わるくないって」
「…そうだな」
 肩をつかまれ体を引き離される。

「泣かせたお詫びだ」
「たとえ何があっても、かぐや、お前だけはなんとしても守ってやる」
「だから安心して」
 今度は私から抱きついた。胸ですすり泣く。
 お兄さんは言いかけた言葉を飲み込んで優しく抱いて言ってくれた。

「いい子だ」

「あと…」
「なんだ?」
「今晩一緒に寝て」
「いいとも」
 お兄さんは笑顔で許してくれた。
 その夜はなんだか暑くてなかなか眠りにつけなかった。
 だけど久しぶりに熟睡することができた。


 初恋だったのかもしれない



 それから数日
 どうしようもない『終わり』がやってきた

 


 私は料理をつくっていた。
 いつも料理をしていたお姉さんがいなくなったから交代で料理を作ることになったのだ。
 私は料理のりの字も知らなかったからいつもお手伝いにまわっていた。
 最初は包丁で手を切ったりしていたけれど、すぐにコツをつかんでいった。
 かぐやは料理の才能があるぞと言われた。嬉しい。


 今日の夕食は私が初めて一人で作ることになった。私の初舞台。
 おじいさんとお兄さんはもう自分の場所についている。
「一人で大丈夫かねぇ」
「大丈夫さ。よほど変なことをしない限り鍋物が食べられないほどのものになることはないだろう」
 カラカラと笑うお兄さんをにらむ。
「若いのぉ」
 おじいさんがお茶を飲みながらお兄さんに言う。
 お兄さんは奥歯に物が挟まったような顔をしている。
 私は何のことかわからない。

 そうこうするうちに鍋が出来上がった。
 山菜と野菜と塩干しにしてあったイノシシの肉をいれ味噌味にした。
 最近猟の成果が悪いらしく生肉を使えなかったが何とかうまく出来上がったと思う。

 …ただ少し多く作りすぎた。
 お姉さんの分も作ったということにしよう。

「いただきます」
「いただきます」
「いただきます」

 私の料理は頗る好評だった。
「かぐやはいい嫁になれるぞ」
 お兄さんに言われて不思議なくらい胸が高鳴った。
「もうすぐ雪が溶けるからかぐやの親を探しにいかないといかんが、手放すには全く惜しい」

 おじいさん。安心して。
 私の親はきっといない。
 春が来て、夏が来て、秋が来て、また冬が来て。
 ずっとこの家で生きていく。

 おじいさんに竹細工をお兄さんに手品を教えてもらって。
 お姉さんがもし帰ってきたら私の料理を食べさせて驚かせてやろう。
 そしてずっと4人で笑顔で暮らそう。
 それが私の最高の幸せ。



 
 でも現実は残酷で。


 カンカンカンカン!


 終わりの鐘がなる。



「襲来! 襲来! 紅魔館のメイド長と魔女と吸血鬼がっ!」

 鐘の音が消えた。
 叩く人間が居なくなったのだ。
 明かりを消して戸に錠をかける。
 悲鳴が近づく。
 奥の部屋に逃げ込む。

「何で吸血鬼が?」
 外には出てこないと言っていたのに!
 魔女が居るという話も聞いていない。
「わからない、だけど」


「もしかしたら…村を全滅させるために来たのかもしれない」



 あれ?
 お兄さん、赤い…


 
 戸の叩き割られる音。
 三人で抱き合う。


「隠れてないででておいで?」

 子供の声。
「ここ?」バキッ
「そこ?」グシャッ
「どこ?」ガラン
 私たちの部屋の戸の前で足音が止まった。

「みいつけた」

 戸が吹き飛ぶ。
 震えるしかできない。
 吸血鬼は思っていたよりもはるかに幼く、いとけない笑顔を帯びていた。

「どうか、どうか!」
 おじいさんがすがりつく。
「私の命はどうなっても良いですから! どうか、この子らの命だけは!」
「ごめんなさい、私たちは殲滅させるために来たの。あなたは死んでみんな死ぬ。これが定め。さようなら」
 ぴとりと指をおじいさんの額に置く


「どーん」

 悪魔はかわいらしい声を放って、おじいさんは頭から血を出し仰向けに倒れた。
 即死という言葉が頭をよぎった。

 ギラリと赤い瞳がこちらを向く
「動かないでね。そうしたら一撃で葬ってあげるから」
 私に手を向ける。
 恐怖、絶望、悔恨。
 もう動けない。


 そのとき私の体が跳ね飛ばされた。
 
 紅い弾があとを貫く。

「馬鹿ね」
「どうせ死ぬのなら楽なほうがいいとは思わないの?」



 弾はお兄さんの右胸を横から貫いていた。私は助かった。

「かぐや! ゴボッ! 裏口から逃げろ!」
 いやいやと首を振る。

 一緒に逃げようよ。一人にしないでよ。
 手を引く。重くて動かない。
 払われる手。

「…れを、嘘つ…させる…じゃない」風音まじりの小声。
 口笛のような音を立てて息を吸い込む。歪むお兄さんの顔。口のふちに血の泡。

「お前を守ると、グブッ、いっただろ! 早く行け!」
「おとなしく逃がすとおもって? 私は忙しいのよ、みんなを殺すのに」
 悪魔が近づく。
 血濡れのお兄さんが悪魔にしがみつく!
「きゃっ」
「妹一人くらい守らせろ! 行けぇ!!」
 血を吐く。緋色の霧。

 泣きながら走り出す。
『ちょっとやめてよ』
『きたないわ』

 ドスッ

 家を出るときそんな音がした。




 走る 走る 白銀の道
 まるであの時の様
 ゆらゆら、ゆらり吐息の舞
 それはそれは星と月が明るい夜だった



「待ちなさい」
 追いつかれた。
 血で紅を差している。誰の血かは想像がつく。お兄さん…!

「もう、どうしてくれるのよ。大事なよそ行きが汚れちゃったじゃない」
 近づく紅い悪魔。しりもちをついた私はもう逃げられない。
「安心して、あなたが寂しくないように皆一緒に送ってあげるから」
 手に紅の光がともる。
 



 幸せを知ってしまった今、命がひどく惜しい。やめろ、撃つな。死にたくない。嫌。
 嫌ッ!!!
 ぎゅっと目を瞑る。





 …まだ撃たれていない。
 恐る恐る目を開けると目の前に血のように紅いものがあった。
 これが、弾?
 悪魔は動かない。
 
 いや、私以外何も動いていない。
 なぜ?

 後ずさりをする。
 いったいどうしてしまったの?
 この世界は何?


 カチッ


 突然すべてが動き出した。
 目の前の雪にボツリと穴が開く。
 悪魔はこれでもかというほど目を見開いて私を見ている。


 一呼吸おいて言う。
「やっとみつけたわ」
「あなただったのね」
 何を言っている?


「決めたわ、あなた以外殲滅。あなただけはなんとしても連れ帰る!」
 あっという間に私との距離をつめる!

 恐怖が最高潮に達した瞬間。
 
 また、世界が止まった。
 吸血鬼も止まっている。私だけの世界。
 逃げなきゃ。きっともうチャンスはない。
 走って走っていつの間にか元のように世界が動き出したけれど、悪魔の姿はもうなかった。
 いまさら裸足であったことに気づく。不思議なことに雪に私の足跡はなかった。
 

「ここまで逃げれば…」
 息が切れる。
 いつの間にか村を見渡せる山まで来ていた。
 雪明りと月明かりで結構明るい。
 急に寒くなった。

 村のほうにはもう動くものは居ない。
 きっと…全滅したんだ。
 雪で囲まれていたせいで逃げ道があるはずもない。
 
 私の絶望にとどめの一撃が加えられた。
 私の家の近くに何か黒い山ができている。
 よく見えない。
 まさか…

 そこに巨大な火の玉が落ちた。
 火が小さくなった後さらにもう一度。
 まるで天の火。煉獄の業火。
 火の明かりで人の山であるのがわかってしまった。

「あ……ぁあ…」

 建物という建物に火がついた。
 何かが村から飛び去った。


 村一つが跡形もなくきえた。
 灰と炭でモノクロののっぺりした地面だけが残った。


 何時間たったか私は村の跡地に戻った。
 くすぶった火が残る。
 濛々と白煙。幻のような白の世界。
 冬だというのに暑い。
 私の家だった場所の前には大量の人骨。
 業火の香り。焦がれる骸。命が燃える。
 頭が割れていたり、心臓の辺りが砕けていたり、首が外れていたり。
 みんなみんな殺された。
 記憶ごとすべてが燃えた。
 日常は崩れた。
 私にはもう何もない。
 もやもやと暗い醜悪な感情。それしかない。
 

 家は燃えてしまったけれど燃えていないものがひとつだけあった。
 私は家の裏の地面を掘ってお姉さんのリボンを缶にいれて埋めておいたのだ。
 家の中でなくしてしまわないように。
 お姉さんが帰ってきたら私が真っ先に渡してあげるために。

 地面はホカホカしていた。
 穴を掘ると缶は無傷のまま出てきた。
 私は思い出の残滓を抱いて泣き続けた。


 いつの間にか朝になっていた。


 眠っていないからか、泣いたからか、それとも憤怒に燃えていたからか。
 私は真っ赤な目をして、灰だらけの髪に無造作に緑のリボンを縛り付けた。
 不細工なポニーテール。まがい物の灰かぶり姫。私にお似合いだ。


 武器を求めた。
 あの職人さんの退魔用の純銀のナイフが骨の山の傍におちていた。
 よく切れる。
 これならあいつらも殺せるかもしれない。

 私には復讐以外の選択肢がなかった。
 
 狂って堕ちる自分に陶酔していた。
 もっと狂えば強くなれる気がしていた。
 さながら狂戦士の如く。

























 ナイフを手にしてなにしてる?

 なになにあいつを殺したい?

 それは無理だよお嬢ちゃん

 とても易しいことだけど
 
 難しいこと極まりない

 殺す方法知りたいかい?

 それなら教えてしんぜよう

 銀のナイフを首に当て

 まっすぐ横にひけばいい

 ほらほら嬢ちゃん見えるかい?

 憎いあいつが倒れたよ

 鏡の中で血を吹いて

 君の姿のあいつが死んだ

 一人が死んで二人が死んだ

 ほらほら嬢ちゃん見えるかい?

 少女が死んだ 少女も死んだ


 Side S-Ⅴ   SCHERZO



 粉雪が降ってきた。
 

 私が見た村から飛び去る姿は吸血鬼たちのものであったに違いない。
 湖に紅魔館はあるとあの男の子は言っていた。
 ならば湖が見つかるまでやつらの飛んでいった方向を追えばいい。
 もう捨てるものは私の命程度しかない。
 相打ちになったならそれでも本望。

 この冷たい銀のナイフを吸血鬼のやわらかい胸に突き立てる瞬間。
 それを目的に私は生きている。

 こんなにも強く生きていられる。



 私には気になることがあった。
 もう2回も世界が止まったことがあったこと。
 もしかしてあれは時が止まったのではないか。
 いままでのことを考えてもそうとしか思えない。
 
 これは仮説、希望的観測に過ぎないが…
 私には時を止める力があるのかもしれない。
 私だけあの世界から抜け出すことができたのだって私が普通の人間ではないからと考えれば自然。
 
 もしそうだとしたら吸血鬼を殺すのも容易だ。
 あのときのように強く念じればまた時は止まるのだろうか。
 止めたい、止めたい。

 目をつぶる。
 怒り、悲しみ、渇望すべてをこめて念じる。



 止まれ!



 …何もおこらない

 もう一度念じてみる。
 …何もおこらない。


 私の勘違いだったのか。
 そう思ったとき違和感に気づいた。

 今も降る粉雪が空中で止まっている。
 そう、確かに何も起こっていない。
 ものが重力に引かれて落ちるという当然の事象すら。
 

 動かない雪。一粒摘み取る。つぶれない、冷たくない、溶けない。
 確信した。私は異能者だ。
 糸が切れるようにまた雪は降り出した。指先の雪はつぶれて溶けた。


 とても疲れた。
 なんというべきか心が疲れたような気がする。
 止める回数には限りがあるのかもしれない。


「フ…フフ…ハハハハハ」

 疲れた、疲れているのに私は笑っていた。
 地面に倒れ仰向けになり笑い声は狂気を帯びていく。
 怒りを帯びた正義感に私はとっくに支配されていた。

「ハハッ殺せる!! 私には悪魔を! 殺せる!!」

 神は私に微笑んだ! 悪魔狩りの力が私にはある!



 しばらく経って笑うのにも疲れた。頭も冷えた。
 私は本当に人間なのだろうか。
 とんでもないイレギュラー。
 まったく不明な過去。
 いくらでも妖怪の仲間入りをする理由はあった。
 でもハクレイの巫女といったか、人間でもかなり異能なものは居るという話を聞く。
 そんなことを抜きにしても、私は自分をもう居ないあの人たちと同じ人間だと信じている。

 だから絶対私は人間。あんな奴らと同類のはずがない。


 ひたすら歩いていく。
 転んだら起き上がる。
 不思議なほど私はハイになっていた。
 吸血鬼の最期が鮮明に見えてきた。
 魔女とメイド長の顔は知らない。
 でも手当たり次第に殺していけばきっとその中に居るだろう。
 空腹すら感じず歩いた。
 山を登ると湖があった。


 ついにそれと思しきものを見つけた。
 夕暮れに見える遠くの島にポツリと紅い点がある。
 あれが紅魔館に違いない。根拠はないがそう思った。



 しかし離島であるというのが問題だ。
 あそこまでこの冷たい湖を泳ぐことはできない。
 氷がいくらか浮かんでいるが乗ってわたれそうなほど厚くない。
 ためしに時を止めてみた。
 来る間時間を置いて練習してきたのでかなり楽にとめられるようになっていた。
 水の上を歩ける。
 やった! と思ったがこれも没。
 とてもあの島にたどり着くまで持続できそうもない。
 100メートルほど行って帰るのが精一杯だった。
 後に残ったのは異常なほどの疲れ。
 舟。そんなもの何処にあるかわかったものではない。見渡す限り薄氷と水ばかり。
 
 
 手詰まりだ。
 ここまで来て、こんなところで私の思いは叶わないのか。
 湖岸でひざを抱えて私は座り込んでいた。
 このままでは凍えてしまう。明日まで生きてもいられまい。
 あいつらを殺すまで死んではならないのに。


 心に暗い影が差す。
 もう夜が降りてきた。
 


 雪を踏む音。
「どうしたんですか?」
 人の声。
「島に渡りたいの…」
 うつむいたまま言う。

「じゃあ船に乗せてあげますよ」

「えっ!?」
 希望が見えた。まさに渡りに舟。
 あまりの幸運にうまく受け入れられない。
 長い髪のきれいな女の人だった。
 何度も感謝した。


 小さな木製の舟。
 私にとっては豪華客船。見たことはないが想像で補う。
「ちょっとゆれるけど我慢してくださいね」

「お名前は?」
「え?」
「お名前は何ですか?」
「かぐや」
「かぐや姫からとったんですか? かわいい名前ですね」
「船頭さんの名前は?」


「私? 紅美鈴ですよ」


「ほんめいりん?」
「美鈴と呼んでください」
「わかったわ、美鈴さん」
 彼女は終始笑顔だった。
 私もなんだか久しぶりに心が落ち着いた。

「時にかぐやさん」
「何?」
「なぜ島に渡ろうとしたんですか?」
「…復讐」
 言葉に出すと変な感じがする。
「復讐?」

「あの紅い館の連中が私の村を潰したの。みんな死んでしまった」
「それはお気の毒ですね。でもあそこの吸血鬼は強いですよ?」
「どれくらい?」
「なんというか、すべての先を読んでしまうような方です。力も強いですし」
「それなら先を読んでも無駄なほど速く攻めればいいじゃない」
 私にはそれができる。
「それに吸血鬼は弱点も多いけれど、蝙蝠一匹でも残れば復活できるほど再生力もありますし…
 ああ吸血鬼の体は無数の蝙蝠でできているんですよ。ご存知でした?」
「銀には弱い?」
「退魔用のものなら行動不能にくらいはできるかも知れませんね。
 でも頭や腹を狙っても無駄ですよ。効果があるのは心臓だけです」

「きっと脳がないのね」
「そうかもしれませんね」
 二人で笑いあった。


「ところでおなか減っていませんか?」
 いわれて気がついた。
 かなりおなかが減っている。
 うなずいた。
「やっぱり。これあげますよ」

 懐からパンを取り出した。
 礼を言う暇もなく私は貪った。
 何の変哲もない食べ物だがひどくありがたい。
「よっぽどおなかが減っていたんですね。もう一個あげますよ」
「ありがとう」
 私は彼女を信用しきっていた。


 物を食べて安心したのか、なんだか眠くなってきた。
 美鈴さんはかなりの美人だ。少しもやのかかった頭で考える。
 美しい顔。女性的なプロポーション。長いきれいな紅毛。
 二つの三つ編みのお下げに黒いリボンを結んでいる。
「とってもきれいな髪」
 思わず口から出てしまった。
「えへへ、そうですか? 私も自慢なんですよ」
 照れ笑いもかわいい。

「かぐやさんもきれいな銀髪ですよ? ただちょっと手入れが行き届いていませんね」
 当然だ。灰をかぶったまま出てきてしまったから。

「わたしがかわいくしてあげましょうか?」
 これから殺し合いをするつもりであるのを忘れるくらい私は和んでいた。
「そうね。お願い」



 汚れをはらい、櫛で髪の毛をとかされる。
 思っていたより私の髪は長かった。
「このリボン使わせてもらいますよ?」
 お姉さんの形見のリボン。
 使っても良いと言おうとしたが、なんだか口に出すのが億劫だ。
「はい。これで出来上がり」


「これで私とおそろいですね」
 屈託の無い笑み。
 顔の横に2つの三つ編みのお下げ。
「ありがとう…」
 
 流石に違和感を感じてきた。眠気がさしていた頭が少しだけ醒めてきた。


 私が持っていたリボンはひとつなのに両方のお下げに同じ緑のリボンがついている。
 なんで?   …眠い。
 確かこれはお姉さんがつけていったはず…

 
「そのリボンの持ち主はですね、妹さんが居まして」
「妹さんはずっとそのリボンをほしがっていたそうなんですよ」

 …違うよお姉さん。
 お姉さんのリボンがほしかったんじゃない。お姉さんとお揃いになりたかったんだよ。
 まぶたが鉛のように重い。

「あなたのお姉さんは亡くなる前にこれをあなたに渡してと言っていました」
「あなたは…誰?」
 心が冷たくなっていく。
「紅美鈴ですよ?」
 妖艶な笑みを浮かべる。
 もう目を開けていられない。
 集中できないから時間停止もできない。

「何……者…?」
「ああ、申し遅れました。私は」


「紅魔館のメイド長、紅美鈴と申します」


 その言葉を最後に私は意識を失った。




 舟の上で目を覚ました。
 いつの間にか島に着き、湖岸に舟が寄せられていた。
「睡眠薬かしら?」
 まだ呆けた頭で考える。

 あれが…メイド長。
 お姉さんをさらって殺した相手。
 唇を血が出そうなほど噛む。
 一杯食わされた。
 殺さなかったのは余裕か?
 まったく憎たらしい。

 吸血鬼は行動不能にならできるとか言っていたが本当だろうか。
 まあいい、何回も切り刻めて爽快だ。
 飽きたら日に当てればいい。そうすれば灰になることくらいは知っている。
 吸血鬼を殺したら、その次はあいつを殺してやる。
 私は強い。
 
 人も心も捨てていい。私は今宵鬼となる。


 再び復讐に燃え紅い館に向かう私は2つのお下げとリボンを揺らしていた。


 
 程なくして館に着いた。
 大げさな門があるが誰も居ない。鍵もかけられていない。
 単にかけ忘れたのか、それとも私を誘っているのか。
 どちらにしろ進むしかない。
 まっていろ吸血鬼、メイド長、魔女。
 お前らは悪の化身だ。銀の断罪を。さあ。


 館に入っても誰も居なかった。
 メイド長が居るなら普通のメイドが出てきてもいいものなのに。
 無人の館を歩いていくと一際荘厳な扉を見つけた。
 勘がささやく。この先が吸血鬼の部屋。
 戸を開け放った。

 誰も居なかった。

 この部屋は違うのだろうか…
 部屋の中心あたりまで来たとき。

 ガチャッ

 入ってきた扉に錠をかける音がした。




「ようこそ、紅魔館に。大量殺人犯さん」



 壁の天井近くに吸血鬼が張り付いていた。
 あの幼い笑みを浮かべて。


 大量殺人犯?
 あの部屋のことを知っている? 何者?

「待ちくたびれたわよ。咲夜」
 
 ばさりと床に下りて言葉を吐いた。

「さくや? 昨日の夜から待っていたの? 光栄ね」
「昨夜じゃないわ。あなたがこれから私たちにつけられる名前。なぜかは知らないけどね」
「どういう状況ならそんなことになるのかしら? 私はあなたたちを皆殺しにするためにきたのよ?」

 なんだか話していると疲れてくる。
 定まった死もしらない悠長な悪魔。哀れだ。

「あら奇遇昨夜の私と同じ。やっぱり大量殺人犯さんね」
「私の名前はかぐや。あなたのつけた名前なんかいらないわ」
「あなたが黒髪だったらそれでもよいかもしれないけど。残念ながらあなたは銀髪。髪は美鈴とおそろいね?」
「あいつはあと数分でお揃いじゃなくしてあげるわ。私一人オリジナルになるのよ」
「それもいいわね、私としては前髪をもう少し跳ねさせるといいと思うわ」

「ああ、もう話すのは疲れたわ。はじめましょうか」
「何の遊び? 弾幕ごっこ? 殺し合いごっこ?」

 薄笑いを浮かべる吸血鬼。私と同じ。
 あるのは私の一方的な殺戮。あなたの起こした悲劇と同じ。




「紅魔館吸血鬼密室殺人事件よ」




 時を止める。うまくいった。
 殺人事件より殺妖事件のほうがよかったか。
 まるで私が死ぬみたいだ。
 でも、時間は私のもの。全ての命は私の人質。
 時は殺され私の世界。
 

 啼き叫べ吸血鬼。
 お前にはその暇すらくれてやらぬ。
 この世界では私だけが絶対。
 コツコツと歩み寄る。


 目の前には凍りついた不敵な笑みの幼い吸血鬼。
 心臓を狙う。一撃で貫く必要はない。何度も何度も切り刻めばいい。
 正義の鉄槌。ナイフを振りかぶって突き刺す!
 私はさぞかし恍惚とした顔だったろう。



 カチン


 冷たい音がする。
 刃が通らない。
 何度も突き刺す。
 金属音がそのたび響く。
 どうして? なんで?
 吸血鬼の服をはぐ
 
 

 鉄板。
 
 それほど厚いともいえぬ鉄板が滑らかな鎧のように首の根元から腹まで覆っていた。
 脱がそうとしても脱げない。継ぎ目がない。
 どうやっても心臓まで刃が届かない。


 届かない。
 届かない。
 届かない!!


「…ぅああああ!!」

 半狂乱になって切り刻む。
 首、うで、足、翼、頭
 銀製だからか思っていたより簡単に解体できる。
 でも心臓には届かない。
 えぐった腹からナイフを突き入れ心臓をさぐる。
 届かない!!

 ふざるな…ふざけるな!!


 カチッ


 突然肉片が蝙蝠になって集まる。
 息を切らした私に元の姿になった悪魔は眉をひそめて言葉を吐いた。

「レディーの服を剥いで切り刻むなんてまるでジャックザリッパーね。あまりいい趣味じゃないわ」

 笑みを浮かべた目で私を見る。

「簡単なこと、あなたの力でできないことは時をとめてもできない。
 あなた自分が万能、いや全能の存在だと思い込んでいたでしょ。なんて傲慢」
 クスクスと笑みを浮かべる。

「う…っ!」



「嘘だ!!!」

「いいわ!! もっと踊って!!」



 また時を止める。息苦しい。
 そんなに長くは持たない。
 私の思いがこんな薄い鉄板で!
 こんな馬鹿みたいに幼稚な手段で!
 何で私の能力を知っているんだ。
 先を見透かしているとはこういうことだったのか、メイド長!

 ナイフは純銀だったせいで、すっかりなまくらになっていた。
 それでもひたすら切り刻む。
 全能どころか斬ることにしか能がない存在。
 何を思い上がっていたんだ私は。


 カチッ


 ざわざわと悪魔が復元する。



「どう? 人間の限界は見えた?」



 哄笑を浴びせかけられる。
 もうこのナイフじゃ何も切れない。
 握っても血の出ないおもちゃのナイフ。
 私も同じ。
 息を吸えば胸を痛める人の形をしたまがい物。
 体中から血が吹き出そう。痛いよ…


「あなたはきっと最高の殺人鬼になれるでしょうね? 妖怪相手には分が悪いようだけど」


 逃げるしかない。
 最後の力で時を止め扉に向かう。
 扉に手をかけて気づく。
 忘れていた。扉には鍵がかけられていたんだ。
 こちらからは開かないようになっている。


 詰みだ。


 後ろに吸血鬼が立っている。
 私の死がそこにある。
 相手は何もしていないのに、一人で攻撃して、一人で絶望して。
 なんて滑稽。
 私は本当に悪魔の手のひらで踊っていただけだ。

「…殺せ」
「嫌よ」
「殺してよ!」
「最初からあなたは私のものになる運命よ」
「そんな運命信じない! 私の魂まで汚す気か!」
「おとなしく私のものになりなさい。抗っても無駄よ。私だって変えられないんだから」


「黙れ! お前が憎い! 
 何十回地に這わせても、何百回断末魔を聞いても!
 何千回切り刻んでも足りないほどお前が憎い!!
 何で私の幸せを奪った!!! 答えろ!! 悪魔ッ!!!」


「いい加減にしなさい咲夜。聞き分けのない子は嫌いよ。そんなに知りたいのなら…」


 胸倉をつかまれる。
 大きな瞳に映る私。
 瞳の奥は地獄の業火のように紅い。


「今から真実を教えてあげるわ」

 

 それ以降の記憶は私にはない。


























 強者とは何だ?

 力が強いものか?

 頭が良いものか?

 弱者をなぶるものか?

 弱者を守るものか?

 どれも違う

 強者は弱者を淘汰するものだ

 血を吐かせ 叩き潰し

 種の品位を高める存在

 塔の礎は強くなければならぬ

 貪る餌は美味くなければならぬ

 故に理解されず 孤独の虜

 朝にひとつ高みを下り

 夜にひとつ高みに上る

 遍く生死の頂上で

 誇り高く美しい獣は

 今宵も月と血に酔いしれる



 Side R-Ⅰ   REALITY


 それは月が冷たく光る夜のこと。


「パチェ、今日は月が蒼いわね」
「ええ、こんなに蒼いのは久しぶり。思わずサイレントセレナしちゃいそう」
「このテラスが壊れたらどうするの、落ちたら痛いわ」
「その羽は何のためにあるの?」
「飾りよ、フランなんかあんなわけのわからない羽でも飛べるじゃない」
「それもそうね。今度構造をしらべてみようかしら」
「どっちの?」
「両方」
「痛いのはいやよ」
「すぐ直るくせに」
「それもそうね」
「ふふふ」
「はははは」


「二人ともどうしてそんなに話がずれていくんですか」
 美鈴がお茶のポットを2つもってやってきた
「それはあなたが早く突っ込んでくれないからよ」
 彼女は自慢のメイド長だ。まったくからかいがいがある。
「そんなこといわれましても」
「あなたの気を遣う能力は何のためにあるのよ」
 パチェも私と同じように考えているらしい。
「気を使う能力です! 音は同じだけど」
「早くティータイムにしてほしいわ」
「レミィのいう通りよ」
「…はい…ただ今」

 彼女は自分の怒気もうまくコントロールできるのかしら?
 ちょっとだけ怒っている姿も見てみたい気がする。

 目の前にティーカップが置かれる。
 紅茶を注ぐ姿もさまになっている。
 私は優雅に口をつける。

「やっぱりあなたの紅茶はおいしいわ」
「ありがとうございます」
「私の分は?」
「あ、パチュリー様の分はこちらです」
 緑がかった茶色のお茶を取り出した。

「最近喘息がひどいようでしたから、喘息に効く漢方薬をもとにして作ってみました。
 パチュリー様の好みに合わせて味も研究したのですがいかがですか?」
「うん、おいしいわ。おいしいんだけど…ねぇレミィ」
「ねぇパチェ」
 彼女の言おうとすることはわかっている。
 これでも長い付き合い。
 美鈴を二人で指差す。



「「気を遣う能力決定」」



「そんなー!?」



「本当は私、月は紅いほうが好きなんだけど」
「さっきはそれを言いたかったの?」
「半分はね。で、相談があるのよ」
「私は蒼いほうが好きよ。で、何かしら」
「私の能力は?」
「運命を操る能力」
「だけど新しい動かない運命がみえるのよ。しかも私たちに関わる」
「へぇ、なに?」
 興味津々といった表情。


「紅魔館に人間がやってくるわ」


「……」
「…」

 パチェは頭を抱えている。
 私の言ったことに驚いているのだ。きっと。
「ねぇ、レミィ。あなたの飲み物は何?」
「血よ。B型女性処女年齢は…」
「何の血?」
「人」
「じゃあ人間来てるじゃない。いまさら食の大切さに気がついたの?」
「そうね、食べなければ生きていけない。これは運命」
 パチェがため息をつく。
「私がいつも苦労して食料の人間を連れてきているのをご存じなかったんですか?」
「それは私も知らなかったわ」
「同じく」
「ひどいですよー!!」
「まあ冗談は別として。少女がやってくるみたい」
「何処が別になったかわからないけど、どういうこと?」



「見えるのよ。私とパチェで子供の名前を考えているのが。」



 沈黙。
 そんなに驚いたのか。いや、確かに驚くべきことだけど。

「悪いけどレミィあなたは女、私も女、したがってどうやっても間に子供はできないわ。
 私はあなたに性教育のやり直しを推奨する。講師は愛する妹にでも頼みなさい」
「私は席をはずしたほうがよろしいでしょうか…」
 あきれた顔の魔女。引きつった表情のメイド。
 どうやら盛大に勘違いしているようだ。

「ちがうちがう、知らない人間の少女がやってきて名前をつけてやるのよ」
「わけのわからない展開ね。それならそういってよ」
「最初から言っている」
「で、いつくるの? その娘」
「今夜」

 二人が席を立つ。
「どうしたの二人とも」
「もうとっくに夜じゃないすぐに図書館で命名のための本を探さないと」
「はやくメイドたちに丁重にお客様を迎えるように言わないと」
「ああ、日本語は難しいわね。幻想郷にやってくるのよ。今夜竹林あたりに現れる予定」
「外の世界の人間?」
「そうでしょうね」
「どんな人間?」
「そこまで詳しくは見通せないの」
「ねぇ、レミィ」
「なに?パチェ」
「人体実験とかしちゃだめ?」
「だめ」


 せっかく珍しい物が手に入ると思ったのに、とかいいながらパチェは出て行った。
 素敵なマッドサイエンティストっぷりをありがとう、パチェ。
 美鈴は早とちりしたままメイドたちに命令に行った。哀れ。

 テラスには私独り。
 紅茶をすする。温い。


「こんなに月の蒼い夜は、きっと何かが起こるわ」
「とてもとても哀しい運命。避けられない災い。幸福の姿をした不幸」


 どうか、抱えきれない悲劇の中にも一握の喜劇を。

 私には村人を殺していく姿がやはり避けられない運命として見えていた。
 ほとんどがぼんやりしていて顔もわからないけど確かなのに変わりは無かった。
 理由などわかるはずも無い。
 弱い存在を理由もなく根絶やしにするなんて私の自尊心に反する。
 私は高貴な吸血鬼でなければならない。野蛮な悪魔なんて前世紀の遺物。


「操り、操り、操られ。運命に最も踊らされているのは私かもしれないわね」



 今宵は十六夜。
 悲しみは欠けた月の流す涙かしら?


 厄介なことに忙しくなりそうだ。
 私は憂鬱にひたり、また冷め切った紅茶を一口飲んだ。







 蒼い月光が雪に反射して私をも蒼く染めあげていた。







はじめまして月読(つくよみ)と申します。
一昨日の夜は中秋の名月ということでその記念に書いてみました。
(実際は昨晩が満月だったそうですが)

私なりの考察を交えたつもりでしたがいかがでしたか?
何人もオリキャラ出してしまって申し訳ないです。
どうしても月→紅魔館と直結すると話ができませんでしたので止む無く。

というわけで十六夜咲夜の話でしたが
・永夜抄で永琳が咲夜を見て驚いた理由
・三月精での十六夜に月の欠片が落ちてくるという記述
・永琳の免罪、輝夜が短期間で赦された理由
・輝夜と咲夜の能力の類似(時関係)
・鈴仙と永夜抄の発端について
・咲夜と美鈴の髪型の類似(これはおまけ)
などをうまくカバーできていたらいいなと思います。
それにしてもARMSっぽくなってしまった^^;
これも咲夜が作られた人間と考え始めてから離れられず…

それでは中編へ。
もう少し人間の話をしたあと、悪魔に真相を語ってもらいましょう。
月読
[email protected]
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コメント



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26.無評価名前が無い程度の能力削除
>さよなら391、404
気になったんだが405じゃ無いか。
001 002 003 004 005 006 007
...
386 387 388 389 390 391 392
393 394 395 396 397 398 399
400 401 402 403 404 405 406
姫になって1番づつずれたって事も考えたんだが、それも変だし。並びが違うのかな?
28.無評価月読削除
普通に死んで空白ができた、というだけです。
きっと生きて帰るのが難しい手術だったんでしょうね。
月人の狂気が垣間見られれば幸い。
そうとしてもそこまで考えていただけたことに多謝。
67.10名前が無い程度の能力削除
吸血鬼の逸話的に言えば胸に白木の杭や銀の弾丸。東方でなら頭を潰す。せめてどっちかにすればいいのに。