今日は昨日の、明日は今日の延長線。
気楽に日々を繰り返していると、人間の場合、誰でもそんな錯覚に陥るもんだと思う。
けれど転機って奴は概ね、喜ばしくないものほど何の前置きもなく訪れる。それが現実ってもんだ。
そんな事は十分理解してるもんだと思っていた。
ただ。幻想郷でくらい、そんな幻想を見せてくれても良いんじゃないかと……きっと私は無意識のうちに、そう思いこんでいたんだろう。
******
雲ひとつ無い天気。
抜けるような青空。
そして、このうだるような熱気。
季節は夏まっさかり。嫌がらせとしか思えないような暑さが連日連夜の大フィーバー状態だ。
例年よりも梅雨が長かったせいで、辛気臭くてジメジメはしてたが、家ん中にいるならばそれなりに過ごし易かった時期は、何の前触れも無く唐突に幕を閉じた。
嫌味なほどに私の頭上で光り輝きまくる太陽を見ていると、ついこの間まで鬱陶しいだけだと思っていた曇天も、どうにも懐かしくさえ感じるぐらいだ。
んでもって、ご多分の例に漏れず私、霧雨魔理沙の家が鎮座ましましている魔法の森も、木々がある程度光を遮ってくれるとはいえ、生憎と暑さは防いではくれない訳で。
とりあえずここ数日は、やる事も無く……というよりやる気そのものが欠片も出ないから、家でゴロゴロしていたが、流石にこれじゃあ精神衛生上よろしくない。つーか太るぜ。
かくて、暇潰しと運動を兼ねて神社まで足を運んでみたんだが。
「よう霊夢、暑中見舞いだぜ。葉書が勿体無いんで直接来たけどな。……って何やってんだ、霊夢?」
「あー……だれ~、魔理沙ー?」
縁側で私を出迎えたのは、恐らくは床の冷たい部分を求めてだろうが、芋虫よろしくずりずりと這い回る何ともアレなたれまくった霊夢の姿だった。
「うおーい、霊夢。暑いのは分かるが、せめて挨拶する時くらいは起きろよ」
「……ん。めんどい」
私の言葉を霊夢は一言でさらっと流した。で、再び芋虫に戻る。
こりゃダメだ。ま、霊夢に限らずこんな日は大体だれてるもんだろうけど。
さて、どうしたもんか。このくそ暑い中でわざわざ来たんだから、何もせずにすごすご帰る気はしない。が、やる気が0どころか楽勝でマイナスゲージを振り切ってる霊夢を動かすのは至難の業だ。
うーむ、とちょっと考え込んでいると、顔からつーっと汗が落ちてくる。ええいくそ、夏って奴は常々、考え事には絶望的に不向きな季節だと思うぜ。
「あー、あぢあぢ……ったく、寒い連中は何をやってんだ? 仕事サボり過ぎだぜ」
服の裾で汗を拭うが、すぐにまたダラダラと滴り落ちる玉の汗。
「水も滴るいい女、だぜ」
「言ってろ」
スカートの裾を持って、とりあえずくるんと霊夢の前で回ってポーズを取ってみる。暑すぎて笑顔は思いっきり引きつったが。予想通りというか、豪快にスルーを食らった。
ちぇ、せめて水じゃなくて汗じゃない、くらい突っ込めよ。
私がそんな事を思う間も、霊夢はゴロゴロと縁側を芋虫移動中。にしても……そんな気持ち良いのかね、霊夢は。
「……なあ、霊夢」
「んー?」
「そんな気持ち良いのか、それ?」
「……やってみる?」
―――――――― かくて縁側にはめでたく芋虫二匹 ――――――――
「……………………」
「……………………」
とりあえず、3分前の自分に一言だけ言いたい。
やってみる前に気付けよ、私。
「幾ら何でも暑すぎだぜ、だれか霧でも出して何とかしろー!!」
ガバッと跳ね起きて、八つ当たりに大声で叫ぶ。
「魔理沙うるさい……。ああ、もし仮にそうなったら今回は私『ぜったい』動かないから、魔理沙頑張ってレミリアでも萃香でもはったおしてきて。妖夢でもアリスでも誰でもいいけど……ようするに、私以外……」
が、返って来たのは私の叫びに対するやまびこと、たれた霊夢の返事だけだった。『ぜったい』の部分だけはやたらと力が篭ってたが。
あー、くそ。叫んだところで体力の無駄だ。
この魔理沙さんの辞書には停止とか停滞とか、そういうもんは無い。自分の意思でぐーたらするならまだしも、無駄に時間だけだらだら流されていくのは空しすぎるってもんだ。
「……よし、こういう気分が滅入る時はとりあえず弾幕だぜ」
「なんでそうなるのよ」
箒を掴んで立ち上がる私に対して、霊夢はめんどくさそうに――いや、実際に心底めんどくさいんだろうが――こっちを見ただけだった。当然っちゃ当然の反応だが。
でもまあ、こういう時にどうやって霊夢を焚き付けたら良いかは、私も長い付き合いなんでよく分かっているつもりだ。
「そりゃあ決まってるだろ、ようするにだ。目の前の奴へ暑さの八つ当たりができる。後は、横になるよりゃ飛んでる方が風も受けて涼しいぜ」
「なるほど。つまり、魔理沙に八発当てれば良い訳だ」
やる気になったのか、それまでロクに動きもしなかった霊夢が起き上がる。
「文字通りの八つ当たりだぜ」
「面白そうじゃない。じゃあ早速」
サクサクとルールも決まり、その霊夢の言葉が合図となった。霊夢はすっと何の予備動作も無く、中空にその身を漂わせる……って、おい。待て私はまだ飛んでないぜ。
慌てて私が箒に跨ろうとすると、構わず空から弾が降り注いできた。
「こら霊夢、まだ離陸前だ!」
「合図したじゃないの。それに空を飛ぶ物は離陸する時が一番弱いって言うし」
私の抗議を霊夢は軽くスルーして構わず弾を降らせ、それを私は、わたわたと走って避ける。
あーくそ、地上撃墜なんて冗談じゃない、こうなりゃ何発か貰うの覚悟して強引に離陸してやる!
迫る陰陽玉を大地を強く蹴って避けると、そのまま一気に走り抜けて助走をつけながら飛び上がる。助走の間に、肩と足に一発づつ食らったがまあ仕方が無い。
箒に乗ってぐんぐんと加速する時は私が最高に楽しい瞬間だが、地上から別れを告げて空の客人になるこの離陸の時も、私はその次に大好きだ。
が、ふわりと地面から足が離れてすぐ、私は異変に気がついた。本来なら1秒も経たずに霊夢のいる高さまで迫れるはずなのに、中々いつものように高度が上がらない。
「ん……?」
箒の調子でも悪いのか? そう思って強めに魔力を送り込む。
その瞬間、一気に高度が落ちた。
後はもうリンゴが地面に落ちるが如く、ドスン、と問答無用で尻から地面に着地する。
「てぇえええ!! いた、いた、いて! くそ、何だというんだ?」
「……? どうしたのよ、魔理沙?」
尻をさする私を見て非常事態を感じ取ったか、霊夢もスペルカードの展開を閉じて降りてくる。
「私も知らんぜ、いきなり箒が反応しなくなったんだよ……って」
それは、霊夢に聞かれてつい何気なく、私が反射的に答えた言葉。だがすぐに、その言葉の持つ意味が私の脳裏に走る。
魔法の箒が術者の魔力に反応しなくなった、なんて普通なら絶対に起こらない。それがもしあるとしたら理由なんか二つっきゃない。
一つは私の魔力が極端に落ちた場合。ただこれはありえん、私は今日も今日とて絶好調だ。
となるとやっぱり……。
嫌な予感を今だけは頭の隅に追いやりつつ、箒を取り上げるとさっきと同様に普段と変わらぬ手順で魔力を流し込む……が。
本来、柄から私が手を離さない限り失われないはずの飛翔力は、欠片も発揮されなかった。
「……おいおい、マジですか……?」
「魔理沙? ねえちょっと、聞いてんの魔理沙ー?」
と、私の目の前でピラピラと手を振る霊夢の声が聞こえ、私はしばらく呆然としていた事にようやく気がついた。
蝉の声が随分と遠くから聞こえる。
「…………あー霊夢。あんまり信じたくは無いんだが……どうやら……」
「ん? 歯切れが悪いわね、魔理沙らしくないじゃない」
昨日まで梅雨が鬱陶しいと思っても、翌日には明けているように。
昨日まで桜が綺麗だと思っていたら、夜には大雨で全部散ってしまうように。
何かが失われる瞬間って奴は、何の前触れも無く唐突に来る事だってあるもんだと分かっている……つもりだったが。
「簡単に言うと……箒が壊れた、かもしれん……」
私の頭は、これっぽっちもそれを素直に認めようとはしなかった。
******
「魔理沙の箒が壊れた? ……って……どこも壊れてないじゃない」
私の言葉を受けて、じーっと私の箒を霊夢が眺める。
「ぱっと見は変わらないぜ、魔法の箒だからな。かなり長い話になるだろうけど、説明するか?」
「別に良いわよ、どーせ私が聞いたって分かんないし。でも、うちの竹箒とかじゃ代わりにならないわけ?」
「絶望的に無理だな、箒だったら何でも良いって訳じゃないんだぜ」
魔法を使う奴以外は何気にほとんど知らない事だが、魔法の箒は、そんじょそこらの軒先に並んでる掃除用の箒を流用したって欠片も使えない。デッキブラシで代用なんてのは、もっての他だ。
魔術としては飛行魔術は一番初歩的とはいえ、飛行に使う箒だって立派な魔術触媒の一部なんだから当然だが、じゃあ魔法の箒なら、どれでも良いかと言うとそうじゃない。仮に魔法の箒が100本あったら、そのうち98本くらいの箒は全く術者に『合わない』箒だったりする。
箒そのものが魔力を持っている以上、外部からさらに魔力を注がれた場合、相性が合わなければ反発する可能性があるっていうのは、原理だけ考えたら納得は行く……んだが。
これがもう露骨なまでに、乗り手である術者との相性が出る。とろすぎて話にならなかったり、振り落とされたり。酷いのになると、急降下して地面に叩きつけようとする箒まであったっけ。
箒で空を飛ぶ魔法使いがここの所めっきり減ったのは、これが最大の理由じゃないかって気も私はする位だ、実際の所は知らんが。
「……あー。言いだしっぺがこう言うのも悪いが、帰るぜ。今日はどうやら強制的に歩きになりそうだし、今から帰らんと夜遅くなるからな」
元より箒無しじゃ勝負になるわけがない……つーか、はっきり言って弾幕どころじゃなくなった。すぐに帰って箒の細部を調べないとまずいぜ。
……ただ、それを正直に霊夢に言う気にはならなかった。
霊夢から見たらたかが箒の事で、私が大慌てて帰るのを知られたくは無かったから。
「あ、そ。……帰り道は気をつけて、魔理沙」
「おう、それじゃまた来週」
一度軽く霊夢に手を振って、そのまま鳥居をくぐる。
邪魔する木っ端妖怪を地対空迎撃よろしくマジックミサイルで吹っ飛ばしながら私は何年ぶりかに歩いて家まで帰る。
飛んで帰るのに慣れすぎていたのか。思っていた以上に足が痛くなった。
「……さて、と」
結局家に帰り着く頃には、日は完全に沈んでいた。
まずは汗まみれの服を脱ぎ捨てて床に放り投げ、窓を全開にする。
その後ランプに火を灯してから、箒を手にしたまま私は一直線に半ば以上本に占領されている作業机に向かうと、本を全部ベッドの上に放り出した。どーせ今日は徹夜だから構わん。
箒を机の上に置いてから、私は一つ一つ細かい部分を確認していった。
魔法の箒の構造ってのは、実は結構複雑だ。
まず柄の部分の先、手が触れる握りの場所に銀のリングが一つ嵌めてある。と言ってもただのリングじゃない。魔力を通しやすい加工がしてあるのに加え、その魔力が送られる道筋、加速の仕方や飛行中の制御バランスなどを指し示すルーン文字がびっしりと彫られている。
そして、箒の木の枝が寄り集まっている奥の方には、リングから流れる魔力の受信を行う魔石と、それを推進力に変換する魔石を連結させて一つづつ埋めてある。
と言っても、これはあくまで基本であって、ある程度力をつけた魔法使いは自分が使いやすいように改良を加えているのが普通だ。
私の場合リングのルーン文字は当然全部、自分で定義づけて彫っているし、魔石の方も速度を上げる為に、推進力を与える魔石は3つ埋め込んだ上に手持ちのミニ八卦炉と連動させてある。でもまあ、そんな事はこの際関係ない。
「いつもの交換で治ってくれりゃ良いんだが……な」
誰に言うとも無く無意識のうちに、ふとそんな言葉が私の口から漏れていた。
リングや魔石は、普段から絶えず私の魔力を直接受けている分、どうしても寿命が来る。私の場合は無茶ばっかやってる事もあって、1年も使えば寿命だ。
原因がそれなら、私としても交換すれば良いだけだし気にしない。
だが、問題なのは『両方とも、交換したのがつい先月』だって事だ。しかも、その間それほど派手に使った覚えも無いときてる。
もし仮に、両方共に原因が無いならば、後の原因は『箒そのものが壊れた』場合しかない。
頑丈に出来ているとはいえ、魔力触媒である以上、可能性として箒が壊れる事があるのは私も知っていた。ただ、私は今までに一度もそんな経験は無い。身近な問題として捉えた事は無かった。
そして何よりも大問題なのは、私の読んだ数多の蔵書の中に、箒の修理法について触れられた本を見た覚えが無いって事だ。
「よし、これで終了……と」
箒は戦術面だけでなく生活必需品でもあるから、換えの部品は事前に幾つも作ってあるし、置き場所も熟知している。例えどんなに部屋が散らかっていようとも。
作業もこれまでに幾度もやっているので、交換は簡単に終わった。
「…………」
治した箒を手に持って外に出ると、箒に跨って私は静かに目を閉じる。
普段なら飛行魔法の集中なんて一瞬で事足りるが、普段の数倍時間をかけて私は集中した。
どうせ不良品作っただけさ、そんな不安になるなよ。明日にも霊夢の所にリベンジマッチと行くぜ。
そう自分に言い聞かせてみるが、私の心臓は早鐘を打ち続けていた。嫌な予感が止まらない。
自然と柄を握る手に力が入っていた。
頼む飛べ、いつものように飛んでくれ! 勢いあまって月まで届いたって今なら構わんぜ!!
けれど。
箒は1㎝だって飛び上がらなかった。
「は。はは、ははははははは……」
自然に笑いが零れた、可笑しくも無いのに。こんな時、笑いが収まると次に来る物は一つしかない。
だが待て、私にやれる手はまだ色々ある。
そんな事をしてる場合じゃない、最後の最後、どうにもならないと分かるまでは。
「しゃあない、一からもう一度見直しだな」
それでダメなら、家中の書庫をひっくり返して総当りっきゃない。
それでも、やれる事があるうちはまだ良いさ。ただ、手詰まりになった時は……。
「は。そういう事はなってから考えれば良いんだぜ」
肩をすくめて、私は家の中に戻る。
バン、とドアを閉める大きな音が魔法の森に響いた。
*****
そして、夜空が白み始める頃……と言っても翌日じゃなくて翌々日だが。
私は完全に手詰まりの中にいた。
「……………………くそ……わからん」
箒そのものに問題があることは割と早く分かった……というか確信せざるを得なくなった。
だが、解決方法がまるで見つからん。というか、ずらずらと糞長い文章で不可能だと断じている書物なら何冊か見つかったが、全部ゴミに叩き込んだ。
「仕方が無いか……」
できるだけ他人の手を借りたくは無かった。
が、自分でどうにもならん以上この際は致し方無い。となると、善は急げ。そして急ぐのは私の得意技だ。
そう決めて勢い良く椅子から立ち上がったとき、ぐるんと世界が回転する。
あー、これはやばいな……と私が頭で考えられたのは、床に頭を押し付けて少ししてからだった。2連続で徹夜なんかやるもんじゃないな、流石に無茶だったか。
けれど生憎と今はゆっくり寝てる場合じゃない。が、突っ伏した体を起こそうとするがまるで力が入らなかった。
そんな私に、誰かが語りかけてくる。
『十分にあんたはやれる事やったさ。たかが箒じゃないか、諦めて別のを探せば良いんじゃないか?』
と。
だが、私は知っている。私にとって箒は間違っても『たかが』なんて物じゃない。
こいつは、誰も知らない私の努力を知っている。
こいつは、誰も知らない私の過去を知っている。
こいつは、誰も知らない私の想いを知っている。
こいつは、誰も知らない私の全てを知っている。
だから、こいつは私の未来も最後まで知るべきだ。ここまで私と一緒に飛んできたのに、疲れたから後は自分で飛べだなんて虫が良すぎるじゃないか。
「……つ。いかんいかん。さてと……まずはパチュリーのとこ行くか」
頭を振って立ち上がると私は脇に飛べなくなった箒を抱え、玄関に置いてあるもう一本の飛行箒を持って外に出た。
私が持っている飛行箒はこの二本しかない。空を初めて飛べるようになってすぐ自分に合う箒を探したが、他には見つからなかった。あんたは相当捻くれた魔法使いだね、とか言われたくらいだ。
それからずっと、その時の気分で使い分けてきたが……考えてみたら今、私の周囲にいる誰よりも長い付き合いになっている。
「よろしく頼むぜ」
飛ぶ前に一言語りかける。
心ではしょっちゅう思ってるが、殊更に口に出して言ったのは相当に久しぶりだった。
******
そして、紅魔館へと一直線に飛んでいく。片手にもう一本別の箒を持ったままで飛ぶのは何ともバランスが悪かったが、どうにか無事に辿り着いた。
「さてと、じゃあパチェの図書館に……」
そう思い門をくぐろうとすると、後ろから良く聞いた声が響いた。
「こらー黒白! 私に黙ってこんな朝早くから紅魔館の門をくぐろうなんて、いい度胸してるじゃない!」
やってきたのは緑の東洋服に身を包み、赤い髪に綺麗な顔立ち、ついでにやたらとでかい胸が印象的な紅魔館の門番だった。
「よー美鈴、おはよーさん」
「おはよーさん、じゃない。ただでさえあんたを通したら咲夜さんからお仕置きなのに、これにお嬢様やパチュリー様の安眠妨害までついたら私はどーなるのよ」
「裏ドラが3つくらい乗るんだろ。やったな、ド高めだ。んじゃそーゆーことで」
さくさくと無視して中に入ろうと思ったが、当然素直に通しちゃくれなかった。門の前に当然の如く立ちふさがる美鈴。
「ここであんたを通したら、私の朝食抜きは確定。だから私のご飯の為にさっくり落ちなさい!」
その言葉が宣戦布告とばかりに、美鈴は宙に浮かび構えを見せた。
……む。やばいな、ただでさえバランス悪いってのに、も一つおまけに眠さの極地だ。今ならチルノの適当な弾幕でも体当たりする自信がある。となると、少々アレだが。
「悪いが朝食は諦めてくれ。つーわけで、マスタースパーク!」
懐から八卦路を引き抜くと、瞬間全身の魔力を一気に注ぎ込む。そしてほどなく、全てを押し流す白い光の奔流が門番めがけて一直線。
「え、ちょ、いきなり!? きゃー!!」
吹っ飛ばされて、地面に叩きつけられる美鈴。うーん、痛そうだ。でもまあ酷いのはここからだが。
「よ……よっぽど急いでるのか何なのか知らないけど、いきなりってないんじゃない……!?」
焦げたような煙を上げながら何とか立ち上がる美鈴だが、私は何をやってるかというと美鈴が喋ってる間にも八卦路の再充填である。
「あー、マジな話急いでるんだ。だから、もう一発マスタースパークいくぜ」
そして、再び広がるは周辺一体に広がる光の魔砲。
「し、死ぬー! 本当に死ぬってばーーー!!」
そんな門番の叫び声をかき消すかのように、白い光が周囲を包み、ズズンと大地が大きく震動する。後にできるは小さなクレーターが一つと、その中心で痙攣している門番の姿だった。
「ふぅ。もう一発撃つべきかと思ったが撃たずにすんで良かったぜ。今の体力で三連発なんかやったら私まで気絶しかねんし」
さて、今の騒ぎでメイド連中が起きてくる前に図書館行くか。
気絶している美鈴に軽く手を合わせて、私は門をくぐった。
案の定と言うか、あんな派手な音を立てたら館の中が慌しくなるのは当然だ。だが、幸い咲夜がパチェの為に作ったショートカットの通路を最近発見した事もあり(たまに散歩に出た後、入り口から図書館まで帰るのが億劫だから、だそうだ)図書館までは一直線だった。
仕事の後なのか、ソファーでぐっすり熟睡中の小悪魔を起こさないようにそろそろと歩きながら、向かうはパチュリーの寝室。
しかし、寝てたらどうしたもんか。無理やり叩き起こして機嫌を損ねたら元も子もない。……まあ、とりあえず開けてみない事には始まらないか。
普段ならまずやらないが、とりあえず軽くノックをしてみる。
『まだ起きてるわよ小悪魔。ああ、今朝は紅茶じゃなくてコーヒーにして』
おろ。こんな朝早くに起きてるとは意外だな、読書でもしてたのか。でも丁度いいぜ。
起きてるんなら気にする事もない、気軽にドアを開く。
「よぉパチェ。呼ばれちゃいないが華麗に登場だぜ」
ドアを開けると、普段の服装とは違い薄手の白い寝巻きに身を包んでベッドに横になるパチュリーという、中々珍しい姿が視界に飛び込んで来た。
「……………………」
「……………………」
一瞬の沈黙があった。
「~~~~~~!!」
そして、その直後パチュリーから声にならない悲鳴が上がる。それと同時に、それまでパチュリーが読んでいた本が私めがけて飛んでくるおまけつきで。
「うわ! ちょ、なんだ一体!?」
「き、着替えるから出ていって!」
私が今までに見た事の無いような凄い剣幕で怒鳴られ、私も思わず部屋の外に引っ込む。
******
それから5分後。
もう良いと言われて中に入ると、いつもの服に着替えたパチュリーがベッドに座っていた。
「で……何でこんな朝早くに私の部屋に乗り込んできたのかしら。押し売りや押し込み強盗なら間に合ってるけど」
「人聞きが悪いな、別にそんなんじゃないぜ。お前さんにちょっと頼みたい事があって……ん? 顔が赤いけど風邪か?」
「……違う。それより用件。無いなら、夜更かししたし寝たいんだけど」
じーっと眉根を寄せながら私を見ていたパチュリーだったが、布団に手を伸ばそうとしたので、慌てて私は話を切り出した。
「実はパチェにこいつを見て貰いたいと思って来たんだよ。どうにも調子が悪くてなぁ」
そう言って飛べなくなった箒をパチュリーに渡す。
と、案の定パチュリーは小さく溜息をついた。
「二本も箒持ってるから、掃除婦にでも転向したんじゃなきゃ、そうじゃないかとは思ったけど。それにしたって、何で私が魔理沙の箒を見ないといけないのよ……」
どうせリングのルーン文字彫り間違えたとかでしょうに、などとぶちぶち文句を言いつつ、それでも眠そうな眼をこすりながらパチュリーは箒を受け取る。
……が。箒を手に持ってすぐ、パチュリーは二度小さく眼をしばたかせた。
そして小さく口を開く。そのパチュリーの表情は真剣だった。
「事実は正しく言って、魔理沙。これは調子が悪いとは言わない。……壊れてるっていうのよ」
分かってた事だが、事実そのものずばりを言われる。
自分以外の相手にはっきり言われると、かなり堪えた。
「まあ……な。で、正直私じゃ修理の方法が検討つかなくてな。どうやって治したら良いもんかパチェの知恵を借りに来たって訳だ」
できるだけ平静を装って、私は喋る。
ただ、最後に笑顔を作ろうとして、思いっきり失敗したのは自分でもよく分かった。
私の言葉に、パチュリーは軽く眼を伏せる。そして。
「…………ごめん。私でもこれは……無理」
小さく首を振った。横に。
そんじょそこらの奴が言ったのとは違う。七曜の大魔女にして知識の探究者たるパチュリー・ノーレッジの言葉だ。その言葉の意味する所はとんでもなく重かった。
「おいおいパチェ。私もびっくりの音速の速さだぜ、主に諦めの」
しかし、これで『ああ、やっぱしそうか。朝早くから邪魔したなパチェ』と引っ込んだなら、何しに来たのかさっぱり分からん。
けれども、食い下がる私に対してパチュリーは肩をすくめた。
「魔法触媒はそもそも基本的に消耗品。飛行箒は可能な限り長持ちするように作られているから、ついその事を忘れそうになるけれど、存在としては変わらない」
今更そんな事を説明させないでくれ、という感じのパチュリーの台詞。
けれど、これまで見た事が無いくらい、私を見るパチェの顔は悲しそうだった。
「……何が言いたいかは良く分かるさ。ただ、駄目になったからってホイホイ捨てる訳には行かないもんでな……。何とかしたいんだよ。なんだったら対価として、夏の間くらいならここのメイドになったって良いぜ。パチェ専属の」
後ろの方は茶化したが、それは間違いなく私の本心だった。それに、仮にパチュリーがそれを要求したとしても対価としては安い物だと思う。
それで、こいつとまた一緒に空が飛べるなら。
「……魔理沙。なんでそんなに、その箒にこだわるの? ……目の下に隈まで作ってるって事は、この為だけに徹夜したんでしょうし……」
眼を逸らさずに、パチュリーは私の顔を正面から見つめながら聞いてくる。
「そんなの決まってるだろ。……言わなきゃ駄目か?」
「ダメ」
迷わず即答された。
ああくそ、パチェは絶対に分かってる。分かってて聞きたがってる。そう私の直感が告げていた。
「家族だからだ。決まってるだろ、そんなの」
口に出して言ってみたら、想像以上に気恥ずかしかった。
けれど、自分で口にしてみて……変な気もする。何ていうか……部分解だが、完全解じゃないような気がした。
私の言葉に、パチェはしばらく目を閉じて考えこんだ後に、ゆっくりと口を開いた。
「それなりに困難だけど、魔力の失われた箒を再び動かすことは出来ない訳じゃない。極めて非効率的だけど、もう一度触媒として再構成すれば原理的には可能よ」
目を閉じたままで、小さくパチェは呟いた。
「マジか!? それなら」
「話は最後まで聞いて。だけど、仮にそれが成功しても、それは魔理沙が知っている癖や飛び方の箒とは全く違う物になる。そもそも相性からして合わないはず。……この意味、分かるわよね」
被りを振って、パチュリーは静かにそう答えた。
背筋に冷たい物が走った。
つまり人間で言えば、体は同じだけど中身は別物になるのと同じだと。
「そいつはぞっとしないぜ。勘弁してくれ」
「そうね。思い入れがあればあるほど、悲惨極まりない」
ふっと横を向いて、パチュリーは遠くを見ていた。いや……幻視ていた。
その時、初めて私は気がつく。
ひょっとしてパチェは……。
「すまん悪かった。いや、こんな朝早くに押しかけて。じゃあ……邪魔したぜ、ゆっくり寝てくれ」
謝罪はしたが、それでも敢えて私は自分の想像をパチュリーには言わなかった。この場合重要なのは、私の推測が正しいならば、これ以上話を続けるのは幾らなんでも憚られるし、話を続ける意味も無くなったって事だ。
それ以上は何も言わず、私は踵を返す。
「…………魔理沙」
その時、注意してなければ聞き逃しそうなほど小さな声で、パチェが私を呼んだ。
「ん、なんだ?」
「魔術系統が異なる、あの人形遣いなら何か方法があるかもしれないわ。非生物を働かせるという点では似てないと言えなくもないし。それに、魔術理論に詳しいのは後はあの娘くらいだもの」
「もちろんそのつもりだ、これでも諦めの悪さに関しちゃ私は幻想郷一な自信があるからな。これから早速アリスを襲いに行くぜ」
「そう」
素っ気無くパチュリーは答えた。恐らく、そう反応するだろうなとは思っていたから別に驚かない。
「なあ……」
ただ、部屋のドアノブを掴んだ時に、つい口をついて余計な一言が出た。
「なに」
「呼んでみただけだぜ」
「……そう。生憎と、呼び鈴も間に合ってるわよ。風鈴なら欲しいけど」
「そいつは在庫切れだな」
そして今度こそ私はパチュリーの部屋を辞した。
******
唐突にやってきた魔理沙が去って、私だけが部屋に取り残される。
静謐と静寂を好む私ではあるけれど、今だけはそれがほんの少々、気に障った。
「……ふ。小悪魔、コーヒーまだかしら」
そんな自分に冷笑して、私はドアの向こうで絶対に待ってるだろう小悪魔に声をかける。ほどなく、ドアが開いた。
「あ、はいパチュリー様。あの……魔理沙さんの分と2つ用意しちゃいましたけど、どうしましょう」
「別に良いわ、全部私が飲むから。ただどうせなら4つにして」
「ええ? そんなに飲んだら眠れなくなりますよ」
たまに妙に鋭い所もあるけれど、基本的にこの娘はどっちかと言うと鈍感だと思う。まあ、それは魔理沙も似たようなもんだけれど、今日は流石に速かった。
「夢見が最悪と分かってて、すぐに寝たいとは思わない。後回しにしてるだけだと知ってても」
私の言葉に、小悪魔は首を傾げながら、それでも追加のコーヒーを淹れに行った。紅茶だったら咲夜に頼むのだけど。
テーブルの上に置かれたコーヒーを、何も入れずにそのまま口をつける。
「魔女は箒で空を飛ぶもの。……そんな風に考えていた事もあったわね……」
それは、私の想像以上に苦かった。
******
それから私は紅魔館の門を抜け、湖を通り抜け、魔法の森にあるアリスの家へと最短距離をぶっちぎった。
歩けばかなりの距離だが、箒だったら私の家から十分隣近所と言える場所にアリスは住んでいる。お隣同士で魔法使い同士。ついでに昔からの顔見知り。
ここまで揃えば普通だったらもうちょっと気が合いそうなもんだが、私とアリスは誰がどうみても仲が悪そうに見えるし、ぶっちゃけ悪い。
とはいえ、頼る先が当面ここしか思い当たらない以上は仕方が無い。
「おーいアリス、起きてるかー?」
ドンドンとドアをノック……というよりは、ぶっ叩く。
普段だったら黙って開けるのが常だが、こっちから頼み事に来てるんだから幾らアリスのバカでもある程度の礼儀は必要だろう。
しかし、返事は無し。しゃあない。
「3カウントで反応なきゃ問答無用で開けて叩き起こすぜ。いーち、にー、さー」
ん、の声を出すより僅かに速くドアがズバーンと派手な音を立てて吹っ飛んでいった。
直前に体を捻ってドアの前から離脱していた為、私のすぐ側をかすめて収束光が通り抜けていく。私がアリスの家を訪ねる時には良くある光景だ。
「よぅアリス、ぐっともーにんぐだぜ」
「……たった今、良い朝じゃなくなったわ。……で、こんな朝早くに何の用よ、非常識にも程があるわ。いや、魔理沙に程なんか無かったわね」
パチュリーの所で割と時間を取った分ある程度は日も高くなってきていたせいか、アリスは既に起きていた。朝食の時間を邪魔したらしいが、それはこの際さて置こう。
「分かってるじゃないか。ん、上海人形はどうした? さては見捨てられたか?」
「なんで使い魔が術者を見捨てるのよ、上海達は中で朝食のお皿並べてるの! ……当たり前だけど、あんたの分は無いからね」
どうやら朝飯をたかりに来たとでも勝手に思ったのか、力いっぱい宣言される。
失礼な、たかりになんて来るか。やるなら根こそぎ強奪するぜ。
そう思いつつ、ドアの向こうをひょこっと覗くとちょこまかと動き回る上海人形の姿が目に入った。
私の視線に気がついたのか、おじぎをして小さく手を振ってくる。ご主人様と違って、アリスの人形達には私は結構好かれてる自覚があるが、その中でも上海人形は特に私に友好的だ。アリスはそれが至極気に入らないらしいが。
しかし、つくづくとアリスには勿体無い使い魔だと思う。うちに来てくれんかな。
「言っとくけど『なあアリス、上海くれ』なんて言ったら月の果てまで吹っ飛ばすから」
そんな事を考えながら、ついジーッと上海の働く姿を眺めていたらアリスがしっかりと私を睨んでいた。うーむ、付き合いが長いと考えてる事がばれて困るぜ。腐れ縁だが。
「そいつはいいな、月旅行には一度行ってみたいと……ん! おほん!」
売り言葉に買い言葉で、つい反射的にアリスをおちょくろうとした私だったが、強引に止める。
いかん、今日はこいつに用があって来たんだ。第一、バカやってる場合じゃない。
「話がそれたが本題にさくさく戻るぜ。実はお前さんの力を借りに来たんだ。という訳で貸してくれ」
「……あっそ。一昨日来て、或いは六十年後」
が、にべも何もなく問答無用とばかりに私の頼みをすっぱり断って、アリスはドアを閉めにかかった。その腕を慌てて私は引っ掴む。
「待て待て待て。話くらい聞けよ、私とお前の仲じゃないか。マジで困ってるんだ」
言葉どおり今だけは、本当に心からアリスに素直に手を合わせる。
「誰がどう見ても犬猿の仲じゃないの。第一、私はこれから朝食……って、何よ。そんな真剣な顔したってダメだからね!」
ぎゃあぎゃあ玄関先で騒いでるせいで、上海人形もひょこっと出てきた。
まともに頼みに行ってもダメだとは思っていたから、アリスの反応は予想通りっちゃ予想通りではあった。
これが他の何でもない用事だったら素直に諦めるか、弾幕勝負で無理矢理、って選択肢もあったと思う。ただ、お気楽にそんな事をやる気にはとてもならなかったし、諦めるって線は最初から無い。
……やりたくは無かったが最後の手段だ。
「分かったらさっさと帰りなさいよ、パンが冷めちゃうじゃな……え」
「頼む」
「な……!」
アリスが絶句していた。
霧雨魔理沙がよりにもよって、アリス・マーガトロイドに土下座する。
仮にブン屋が記事にしたら誰も信じないだろうし、私だってありえないと心底思う。何より、アリスの驚きようがそれを良く証明している。
けど、私のそんなプライドも今は二の次だ。
「そ、そんな事くらいじゃ、だ、だ、だまされないわよ! というか何か企んでるでしょ、絶対!」
「失礼な。何も企んじゃいないぜ」
気の利いた言い回しも浮かばず、私は事実そのまんまを伝える。
しかし、それがなおの事アリスの不信を煽ったらしい。露骨に警戒感丸出しで、私を見てくる。普段が普段だからしょうがないっちゃしょうがないんだが、何か悲しい。
その時、上海人形がアリスの服をクイクイと引っ張っていた。
「何よ上海……う。ちょっと、あなたまで何を……」
さらに引っ張り続ける上海人形。
どうやら助け舟を出してくれてるらしい、ありがたい。
「ふ、ふん!! いい、上海がどうしてもって言うからあんたの頼みを聞くのよ! そこの所を勘違いしないようにね! ……くれぐれも勘違いしないようにね!!」
「分かってるから2回言うなって。上海、サンキューな」
相変わらずというか素直さの欠片も無いが、この際重要なのは経過じゃなく結果だ。
上海に礼を言いつつ、私は話を切り出した。
「実はこいつを見て貰おうと思ってな。できれば治し方まで教えて欲しいんだが」
アリスに箒を渡す。
と。アリスが目を丸くした。
「……は? 何これ」
「何って。決まってるだろ、私の飛行箒だよ」
さらに瞬き2回。いや3回。
「そんな事は見れば分かるわよ。じゃなくて……魔理沙が土下座までするから、どんな無茶をいってくるかと思ってたから。何でこんな事で来たのかと思って……拍子抜けだわ」
アリスのその物言いに、私はかなりカチンとくる。
「ほぉ。という事は、アリスにとっては簡単なのか?」
けど、それを態度に出してもしょうがない。それに、アリスにとっては本当に簡単な事なのかもしれん。それなら、僥倖だ。
「覆水盆に返らずって言うじゃない。魔法の箒の直し方なんて無いわ、一度壊れたらそれっきりよ。魔理沙がそんな事も知らなかったとは思わなかったけど」
だがアリスの返事は、全く違った。
一瞬言葉が出なかった。が、そんな私の態度も構わずアリスは言葉を続ける。
「消耗品だもの。新しいのを探せば良いんじゃない?」
その言葉は、私の怒りを喚起するのに十分に過ぎた。
箒を握る手にぐっと力が入る。肩の辺りが震えているのが、自分でもはっきり自覚できた。
「そっか……じゃあさ。その箒はどうすりゃ……良いんだ?」
噴出寸前の怒りを押さえ込み、どうにかそれだけ伝える。
そんな私の怒りに上海も気がついたのか、アリスにそれを必死で伝えようとするが、一歩遅かった。
そして。
よりにもよってこのバカが言った事は。
「さあ……。捨てれば良いんじゃない?」
――パァン――
魔法の森に平手打ちの音が響いて、そして消える。
頭で考えるより先に私の手が動いた。
あまりに急な事に、アリスはきょとんとしている。が、私に何をされたか理解するとアリスは怒鳴った。
「な……! 何よ、何で私があんたに叩かれないといけないのよ!」
「……わかんないのか。本当にわかんないのかよ」
これが他の奴が言ったなら、私は怒らなかっただろう。私の考えを理解しろって方が無理がある。
けれど、腐れ縁だが付き合いの長いアリスが。
何よりも『人形遣い』である、アリス・マーガトロイドがそれを言うのだけは許せなかった。
「わかんないわよ! 本当のこと言っただけじゃない!!」
叫ぶアリス。そして、私は反対側の頬も張り飛ばした。
「っ!」
反撃とばかりに、アリスからも叩かれる。別にそれを防ぎもしない。
目の前が涙で滲む。もちろん、頬が痛いからじゃない。
ただ。心が痛かった。
次の瞬間、私は弾かれるようにアリスの肩を乱暴に引っ掴んで叫んでいた。
「わかんないなら言ってやる! お前は! アリス・マーガトロイドは! もし上海や蓬莱が動かなくなった時、私に捨てろって言われたらぶん殴らないでいられるのかよ!!」
そして、思いっきり手を振り上げた時。
両手を広げて、上海人形がアリスをかばう様に立っていた。
そんな上海の姿を見て、私も手から力が抜ける。そしてアリスは。
「あ……う……あ……」
自分の言葉の意味を理解したんだろう。
私と上海を力なく目で追った後、ふらつきながら家の壁にドンと激突し、しゃがみこんでしまった。
上海人形がアリスの側に駆け寄るが、身を細かく震わせる以外にほとんど反応が無い。
ただ、それでも。落ち込んだアリスの奴を励ます気は起きなかった。
「帰るぜ……」
後ろを振り返らずに、私はその場を飛び去る。
やった事は後悔していない……と思う。けれど、上海に嫌われただろうか……と考えると、重い心はさらに重くなる。
そして家に帰り、バタンとベッドに倒れこむと、纏めて後悔が降ってきた。
「…………馬鹿たれ」
それは誰あろう自分に向けての言葉だ。
アリスの言った事は、確かに私の気持ちを欠片も理解しちゃいなかったが私の問いに答えたに過ぎない。そもそも、こっちから相談に行ってるんだ。
「半分ぐらいは八つ当たりじゃないか……」
とはいえ、アリスの事だ。間違いなく落ち込みまくってるだろう。下手しなくても、あの調子じゃ当分は立ち直れないに違いない。
それだけでも気が重いのに。
「でも……そっか。どうにもならんのか……」
ベッドから起き上がれない理由は、寝不足だけじゃない。突きつけられた事実は、私の気力を根こそぎ持っていったかのように。
その時、私は不意に思った。今では私のように箒で空を飛ぶ魔法使いが『古風な魔女』と呼ばれる位、珍しくなった理由を。
こんな悲しみがあると最初から知っていたら、私は箒で空を飛ぶ事は……なかったかもしれない。
「……う……うぁあああ……!」
枕に顔を埋めたまま。
私は。泣いた。
その夜、魔法の森に久しぶりの雨が降った。恐らくは一晩中降り続いたのだろうそれは、ひょっとす
ると自分の心の代弁だったのかもしれない。
******
その夜、私は夢を見た。いわゆる、夢の中で「ああ、これは夢だな」と思える奴だ。明晰夢とか言った気がする、良く知らんが。
それは初めて箒で空を飛んだ日のこと。あれも、こんな暑い夏の日の事だった。
地面から離れる時、素直に怖いと思った。箒にぎゅっとしがみついて目を閉じていた。
初めて浮かぶ空はとても広くて。
初めて感じる風は凄く気持ちよくて。
初めて上から見る景色はどこまでも遠くまで広がっていて。そして、美しくて。
時間を忘れて、いつまでもこうやって飛んでいたいと……本気で思った。
箒で飛び上がるとき。風を切って飛ぶとき。高速で隙間をすり抜けるとき。地面に向かって降下するとき。ただ黙って共に宙に浮かんでいるときでさえも。
その全てが大好きだった。
そして、ようやく私はパチュリーに言った言葉の違和感に、遅まきながら気がついた。どうにも鈍くていけない。仮にも【恋符】なんて、スペルカードに名前をつけてるってのに。
ああ、そうだ。
私にとって箒は、恋人だったんだ……。
******
目が覚めると、まだ真っ昼間だった。
いや待て、太陽の位置が少し登ってる。って事は……。
「時間を戻す能力に目覚めたんじゃなきゃ、丸一日寝てたって事だな」
まだ薄ぼんやりとする頭を軽く振って起き上がる。寝汗と涙で、ベッドはぐっしょりと濡れていた。泣き寝入りって奴か……心底似合わんな、我ながら。
「取りあえず……着替えるかね」
さくさくと着替えながら、私は箒に目をやった。
考えてみたら、ずーっと無理をさせてきた気がする。というより無理しかさせてない。それが、初めて休みたいって言ってるんだ。
……少しだけ、休ませてやろう。でも随分と寝起きが悪そうだから、その時の為に気合を入れて目覚ましを探しておくことにする。
見つけ辛い? 何、蒐集家をなめるんじゃないぜ。大体レアアイテムほど蒐集家ってのは燃えるもんだ。
「次にお前さんが起きた時には、さらに良い女になっててやるぜ。驚くなよ」
それだけは口に出して宣言する。返事は無論無いが。
その時、コンコンとドアを小さく叩く音がした。
ん? ノックする奴なんて珍しいな。
「開けてくれー」
返事をするが、ドアは開かない。なんなんだ一体。首を傾げながら、ドアを開けると。
「おろ」
そこには上海人形の姿があった。どうやらアリスの家からここまで飛んできたんだろうが、かなり大変な道のりだったようで、随分と服が薄汚れている。
「どうした、一体? ……って上海が動く理由なんて一つしかないよな、アリス絡みか」
コクコクと首を縦に振る。
そして、ちょこちょこと部屋の中に入ると、身振り手振りでベッドの脇でずーんと落ち込んでみたり肩をゆすったり、というのを繰り返す上海。
なるほど、よーするに。
「アリスの奴、洒落にならんほど落ち込みまくってるっつー事か」
私に問いかけにコクコクコク、とさっきよりも大きく上海は首を縦に振った。
ったく温室育ちはこれだから……。
とはいえ、放置するのも寝覚めが悪い。流石に私も責任を感じないわけじゃないし。
「……昨日はすまんな、ちょいやりすぎたぜ」
上海の頭を撫でながら、そう言う。そんな私の謝罪に、上海は困ったような顔をした後、その小さな手で私の頭を撫でる。なでなで……と。
ちょっとくすぐったかったが、優しい手だった。
「お前は本当に良い奴だなぁ……。……なあ上海、ご主人様のこと好きか?」
ふと、そんな事を聞いてみる。
見てるこっちも幸せになれそうな笑顔で、上海は大きく頷いた。
「そっか。じゃあ、上海のためにもご主人様には元気になって貰わんとな。まあ、落ち込ませたのは私なんだが」
その台詞は上海に言ったのか、それとも自分に言ったのか……どっちなんだかな。
苦笑して私は箒を掴む。しばらくはお前だけに頼りっきりになるな、ほどほどに無茶するぜ。そう心の中で呟いた。
「さてと、じゃあいくか。ほれ上海、乗れ乗れ」
呼びかけてすぐ、私の肩にぴょんと上海人形が飛び乗った。
宙に浮かび、風をきって飛ぶ私達。
今日は久しぶりに、吹く風が割と涼しい。
今年最初の秋風か……。ぼんやりと、そう思った。
魔理沙の箒に対する愛情がひしひしと伝わってきてぐっときました
ここでグッときました。
私もアリスと同じくらいショックを受けましたよ…。
続きが気になる。
心情の描き方がもうビキビキ来ます。
毛が一斉に伸びる光景を思わず幻視しますた。
ああ、目頭が熱い…
ただ、最初の離陸時に撃墜って……
スカイキッド?ww
お帰りなさいです、いや本当に。
作品の方は思わず時間を忘れて読み耽りました。
失ったものは戻せない、でも魔理沙は諦めない。そんな姿勢に胸が熱くなりました。
あとパチュリーも切ないですね。今でこそ、平然と飛んでますけど昔はホウキで飛んでいた、というのもいいですね。
最後に、いい作品をありがとうございました。
ナイスすぎます
個人的にはもう少し先が知りたいですね。
続きは…?
続きはないんですか?
と、いいたいくらい面白かったです。
と、いいますか続きがとても読みたいです(;
今の時期に読んでいる私が恥ずかしい~。
続きがあるか探してきます。
もし・・・・無かったら・・・・・・・